「WTWオピニオン」

【第121巻の内容】

「GoToより検査」
「貧から困へ」
「強権政治と知識人のパージ」
「対米自立の足場」
「経済無策」
「米大統領選とカトリック票」
「生物学講義」
「知力で世界を変えよう」
「サピエンス全史@」
「内閣人事局の闇」

1811.GoToより検査。20/11/8-10

大統領選は南北戦争と同じ。 南軍が勝てば米国の民主主義は終わる。
権力と分断の独裁国ができ、世界が混乱する
トランプ対反トランプの戦いの構図は。 安倍対反安倍を思い出させる。

トランプの最大の罪は、コロナを軽視して
1千万人の感染者と、24万人の死者を出したこと。
日本でも、政府や都政がコロナを軽視していないと
果たして言い切れるのだろうか


・危険な状況。北海道で感染急増。地方でもクラスター
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6375249

・日本がコロナ感染を抑えたのは偶然。内田。
https://diamond.jp/articles/-/252590

・GoToトラベル、つけはいつ誰が払う。
https://diamond.jp/articles/-/252657


・東京293人感染。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6376089
関連記事。大阪で200人感染。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20201110-OYT1T50175/
関連記事。北海道166人感染。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6376093
関連記事。急拡大の可能性高い。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6376034
関連記事。GoToと乾燥。感染拡大に拍車。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6376055
関連記事。分科会が緊急提言。
https://news.yahoo.co.jp/articles/071e97442061abd88a6ea5b9d8abcdfb5d030705
・コロナは第三波。3次補正前に予備費活用を。枝野。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020111001007&g=soc
コメント:国も都も、危機感もなければ、具体的な対策に腰を上げる気配もない。11/3のBS171のガイアの夜明けによれば、台湾(人口2356万人)の感染者は535人(日本は9万2670人)、死者は7人(日本は1670人)とのこと。日本が米国や欧州より少ないから、今の対策で良いという理屈など、成り立たないのです。


1812.貧から困へ。20/11/12

今日の前書きは雑誌世界12月号の「極貧が作られる社会と雇用」後藤道夫からです。
…「貧」から「困」へ
八月末発表の「しんぐるまざあず・ふぉ一らむ」の調査結果には、あらためて驚かされた。「一斉休校で給食が利用できなくなったため、一日の食事の回数が減った」と回答した人は18%、「一回の食事の量が減った」は15%、「炭水化物だけの食事が増えた」は50%。労働政策研究研修機構の八月調査では、コロナ禍で雇用や収入に影響を受けた労働者は41%だったが、この調査では、母子世帯への影響は71%にのぼる。コロナ禍は、とりわけ、低所得あるいは生活基盤が脆弱な人びとを直撃したのである。
だが、母子世帯を含む子育て世帯の貧困は、改善しつつあったはずではなかったか。…貧困と生活基盤脆弱の中心問題は何なのか。この小文では、相対的貧困率の改善の要因を検討するとともに、それにもかかわらず、約一割の低所得人口の所得が改善されていないことに注意を向け、労働市場の現状を探る。また紙幅が許す範囲で、「ふつう」の生活が困難な人口が数割の規模で形成されていることの影響を考えたい。社会保障の縮小を除けば、その中心的要因は男性賃金の大幅下落と女性の異常な低賃金の持続である…。
(編者注:論文が長いので、冒頭部分のみの紹介です。関心のある方は雑誌世界をお読み下さい。それにしても21世紀にもなって、食事に事欠く人がいる国では先進国とは言えません。科学や経済に、政治と社会が付いていけていない証拠です。しかも日本の社会保障のシステムが、サービスを受ける者にとって屈辱的なものであることは、生活保護を放棄する者が多いことでも明らかです。とりわけ貧困の経験のない安倍首相にとって、貧困世帯に関する理解も共感も欠いていたことは否定できないと思います。財源の議論ばかりが先行して、社会保障の内容の議論さえ十分に行われていたようには思えません。この前文で、私が最も気になったのは、食べ物の問題とは別に、「ふつう」の生活ができない人が数割にも達するという指摘です。米国も富裕層のトランプから普通の生活のバイデンに変わります。日本の政治・経済の体制も、変わるべき時期に来ているのではないでしょうか)



1813.強権政治と知識人のパージ。20/11/12

今日の前書きは雑誌世界12月号の特集記事、学術会議任命拒否問題からの抜粋です。この特集で重要なことは、理系の学者が軍事研究を強制されることが問題ではなく、むしろ人文系の学者の話であって、政権を批判する者はパージするという基本的な姿勢から、官民を問わず、あらゆる人事に手を突っ込むという、政府の全体主義的な体質なのです。安倍政権の8年間が日本の民主主義に与えた傷がいかに大きく、また醜いものであったかを認識しないと、この問題の本質は理解できないと思います。菅は杉田副長官が勝手にやったことで、拒否した学者のことは知らないとうそぶいているが、そんな見え透いた嘘は通りません。なぜなら以下の論説にあるように、二人は安保法制から二人三脚でやってきているからです。こうなれば、日本が好戦的な全体国家になる前に、菅政権を倒す必要があります。そうでないと、国民の政府批判が力づくで封じられ、コロナばかりでなく、外国との無益な紛争で、国民の命が失われることになりかねません。

「メディア批評」、神保太郎から
日本学術会議会員の任命拒否問題。説明もなく学問、言論、表現への介入を進めるやり口に、新政権の本性が見える。メディアの懐柔も危機的だ。「かって来た道」を回避するには、構造を見抜き、声を上げる以外ない。
…「あいつは"アカ"だ。私有財産を否定する共産主義の手先だ。そんな奴らを社会に野放しにしておいては危険だ。公職から追放しろ」(1949-50年。多くの職場でレッドパージによる追放が起きた。その数は一万人以上にも及んだとぃう)。
「いいか、お前ら。国策に逆らう生意気な学者がどういう目にあうか、そのお手本をみせてやる。私は国民のために働く国政のトップだ。言うことを聞け」(2020年。6名の学者が、学術会議の任命を拒否された)。
菅義偉政権成立後「スピード感をもって」(菅首相)、その本質が露わになってきた。
作家の保阪正康氏は、日本学術会議人事をめぐる今回の事態を、朝鮮戦争に前後して、共産党員やそのシンパたちが職場を追われた「レッドパージの構造と極めて酷似している」と喝破した。そして現下の言論状況の混乱ぶりを踏まえて「今論じなければならないのは、『権力者』が公然とパ?ジを始めたという一事である」と警告している…。
(編者注:以前にも書きましたが、主要メディアが杉田副長官の存在すら知らなかったなどということは信じられません。知ってはいたけれど、官邸に忖度して触れずに来たというのが真相でしょう)

「ファッショの構造」保坂正康、上野千鶴子対談 から
2020年10月1日、菅義偉首相は、日本学術会議が新たな会員として推薦した105人のうち6人を除外して任命した。違法性も疑われるこの措置について、10月末現在、日本政府はその理由を述べていない。
政府の説明責任を問う声は強いが、まず必要なのは撤回である。ただちに当初の推薦に従った任命を進めるべきだ。
「国益」を求めて軽率に学術に介入することがいかなる帰趨を招くか、私たちは歴史を通じて嫌というほど知っているはずだ。
この由々しい事態をどう捉えればいいのか。緊急特集する。

…保阪:今回の問題が起きてすぐ、いくつかの新聞社から意見を求められました。記者はみな「これは昭和8年に京都帝国大学で起きた滝川幸辰事件とか、美濃部達吉の天皇機関説排撃と重なる思想弾圧の動きではないか」と訊くのですね。否定はしません。しかしそれ以上の動きだという意識を持たないとまずい。ことの本質はパージです。パ?ジとは思想や政治の問題ではなく、基本的な人間の存在に対する否定です。だからもっと深いところから論じなければならない。日本の明治、大正、昭和にかけての帝国主義政府は、巧妙だったということもありますが、最高権力者が前面に出て学者をパ?ジするようなことはなかった。今回はこれほどわかりやすい形で任命拒否をする中に菅義偉首相の傲岸さ、市民意識の欠如、すべてが象徴されていると思います。安倍政権の延長どころか、彼らが作ってきたある種のファシズ厶的な方向をさらに一歩進める内閣だと。今後は私たちの存在そのものにかかわるような問題がパージという形で突き付けられてくると予感しています。アカデミックパージから各分野での異端狩りですね。
上野: 私は2005年から2014年まで、日本学術会議の正会員でした。いまの推薦方式でなければ私が会員になることはなかったでしよう。
今回の寧件の私の最初の印象は、「そこまでやるか」と「とうとう来たか」という二つでした。何事も突然起きるわけではなく、そこに至る流れ、経路依存性があります。
戦前の滝川事件や戦後のレッドパージもそうです。しかしそこまで遡らずとも、着々と官邸忖度人事をやってきた前政権からの、それこそ継続性があることがこれでよくわかりました。
ふり返れば安倍政権はずっと人事に手を突っ込んできました。
した。官僚はもとより、NHKの会長人事に始まり、日銀総裁、内閣法制局長官、次に検事総長をやろうとして阻まれた。そして今回、日本学術会議に手を付けたわけです。
私は菅さんにはトラウマがあると思います。2015年に安保法制をめぐり、憲法学者が右から左まで揃って「違憲だ」と言いました。そのとき矢面に立ったのが官房長官の菅さんです。「憲法学者の中にも合憲だといぅ人がたくさんいる」と答えて「では名前を言ってください」と辻元
C美議員に詰め寄られ立ち往生したこともありました。そのとき公安関係で駆け回っていた人物が、いま学術会議問題を裏で指揮しているといわれる杉田和博官房副長官です。
つなげてみると「いかにも、もっとも」ですが、しかし同時に「ここまで来たか」といぅ強烈な危機感があります。
保阪:この問題は直接的には、国民に関係があるようには見えません。しかし、歴史を振り返ると、こうしたとき、まず必ず煽動者が現れます。次に攻撃者、威圧者、そして最後に権力者が出てきます。あたかも公平な顔をして、権力に歯向かう者を追放する。
つまり煽動者、攻撃者、威圧者、権力者という図式があり、一つずつ進んでいく。今回の件も同じです。ただいきなり権力者が出てきたので、その構図が見えにくいのです。
保阪:日本のメディアは全体像をきちんと理解した上で説得力ある報道をすべきなのに、単に学術会議の在り方の問題にすり替えるような報道の流れが出てきています。メディアを含め社会全体が本質的な問題を捉える姿勢や真面目さを失っていることを示していると思います。
上野:任命拒否された6人は、学術会議の三部会のうち人文・社会科学系の第一部に所属し、かつ憲法学者と法律学者が3人含まれています。もともと法学委員会は十数人ですから、そこから3人抜けるのは大きなダメ?ジです。また、加藤陽子さんは有名な日本近代史研究者ですが、非常に穏健な方です。前天皇の信任が厚く、何度もご進講に招かれています。…前天皇は最大の憲法擁護者で、というのもご自分たちの根拠が憲法ですから、そのもとで皇室制度を見事に守った。その憲法擁護者の前天皇を安倍政権は煙たく感じていたはずです。
保阪:私はネットを見ないのでその意見は知りませんでした。穏健な人から狙ってくるというのも戦略でしょう。
(編者注:上皇のご意向を土足で踏みにじるとなれば、右翼や国家主義者達も、官邸の安倍菅杉田は国賊と呼ばなければ筋が通りません。ちなみに私も上皇陛下には皇太子時代に直接お目に掛かったことがありますが、安倍菅杉田とは、比較するのも憚られる、別次元の人格であらせられます)

「任命拒否問題、わたしはこう考える」から
今回の「任命拒否」は突発的な事態ではない。進行する様々な問題が複雑に絡み合った結果として捉えるべきだろう。
たとえば、政府が率先して違法行為を働くことがもはや常態化していること。政権関係者から大小さまざまなデマが発信され、多くの大手メディアが無抵抗にそれを垂れ流すこと。何より、長年継続して試みられてきた政府による学術への介入が、人事権という最後の砦をいよいよ掘り崩しつつあること。このままでは、原発再稼働や軍事研究、暴力の歴史の隠蔽、差別の温存といった、人類普遍の価値に反して進められている様々な政策への歯止めは、いよいよ失
われていくだろう。わたしたちは今、何を、どう考えたらいいのか。緊急寄稿を掲載する。

同「任命拒否問題と学問の自由」杉田敦から
「学問の自由」が日本国憲法で、「思想の自由」や「表現の自由」とは別に掲げられているのはなぜか。
個人としての勉強や発表を保障するのなら、他の二つの「自由」で足りる。「学問の自由」とは、大学などの研究機関の自律性を保障することで、研究者が相互に支え合い、外部からの(近代社会では主として国家からの)圧力に対抗できるようにするもので、「大学の自治」と密接な閲係を持つ概念である。
選挙で勝った政権がすべてを民主的に統制すべきといった議論とは異なり、そうした自律的な領域を確保することで、意見の多様性が確保され、長期的には社会全体の利益にもなるという認識がその背後にはある。
日本学術会議は他国のアカデミ?と同様に、幅広い分野の研究者が集まってさまざまな問題について研究し議論し、その成果を公表することを主たる活動としており、研究機関としての側面を持つことは明白である。便宜上、内閣府に置かれているなどの理由で、学術会議を「学問の自由」の対象外とすることはできず、構成員の選考も含めて、高度の自律性が保障されなければならない。学術会議が政府から「独立して」活動する機関であり、会員選考の権限が学術会議にあることは設置法に明記されている…。

同「破られた砦と奪われた自由」前川喜平から
菅義偉首相は官房長官時代、杉田和博官房副長官の補佐を得て、人事権を駆使することにより官僚組織を支配した。その人事による支配は審議会にも及んだ。
私が経験したのは、2016年の文化審議会文化功労者選考分科会の委員二人の「任命拒否」だ。閣議了解が必要な人事だったので、2016年の8月、文部科学事務次官だった私は候補者名簿を首相官邸の杉田氏のもとへ持参した。すると一週間ほどして杉田氏から呼び出され、二人の差し替えを指示された。理由は安倍政権を批判する言動だった。
文部科学大臣がいったん了解した案を覆したのだから、杉田氏の一存ではなく、菅官房長官の意思を反映していたに違いない。差し替えの理由とされた情報は、杉田氏が内閣情報調査室に指示して集めたのだろう。
今回の菅首相による日本学術会議の会員任命拒否は、こうした審議会人事の延長線上にある。審議会委員の任命権は政府側にあるから、首相や官房長官がロを出すことは、不当だとしても違法とまでは言えない。しかし学術会議の会員は日本学術会議法により、学術会議自身が選考し、学術会議の推薦に基づいて、首相が任命する。「基づいて」というのは、原則として推薦どおりに任命するという意味だ。審議会人事と同じやり方が会議にも通じると思ったのなら見当違いだ。菅首相は6人を任命しなければならない。任命しないというなら、具体的な理由を説明しなければならない…。
関連記事。学術会議は任命拒否の6人の再推薦を排除せず。加藤は回答拒否。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6376188
関連記事。軍事との根深い問題。
https://www.asahi.com/articles/ASNC94175NC6UTFK01L.html?iref=comtop_7_04
関連記事。法治国家から人治国家へ、露になった強権体質。
https://www.47news.jp/47reporters/5479801.html
関連記事。年明け解散論、急浮上。
https://toyokeizai.net/articles/-/387965


1814.対米自立の足場。20/11/13

菅は、バイデンとの最初の電話会議で、尖閣を日米安保の対象にするという連絡を受けたというが、それが本当に先方の申し出なのか、それとも事務レベルでの根回しの結果なおかを慎重に見極める必要があります。早速米国に借りを作った上に、外交ののっけから、中国との対決姿勢を打ち出した。このどこに外交センスがあるというのでしょうか。今日の前書きでは、サンデー毎日の寺島実郎の寄稿を紹介することで、内政ばかりか外交でも無能な菅政権の退陣要求の理論武装の一つとしたい。

「サンデー毎日 11.22」寺島実郎日本総合研究所会長のインタビュー記事から

もつれにもつれた米大統領選結果。「理念の共和国」として世界の民主主義をリードしてきた米国は、この泥仕合の落としどころをどうつけるのか。新大統領はいずれ確定するだろうが、米国の分断修復には時間がかかるだろう。では、日本はこの結果をどう受け止めるべきか。どちらが勝つにしても、日本がどうなるかではなく、日本はどうすべきかを考えよ。

新大統領にトランプがなろうとバイデンがなろうと、日本人のやるベきことは確実にある。それは米中二極体制のどちらにつくか、ということではなく、日本が国際社会で名誉ある地位を築くためにどうすべきか、という視点でこの問題と向き合うことだ。

米中二極という考え方そのものが間違いだ。もし世界が二極論に安易にコミッ卜するなら、日本の選択肢は議論する必要がなくなる。なぜならば、日本は戦前も戦後もアングロサクソン同盟を結び、戦後は日米同盟を基軸に、戦後75年経った今でも過剰同調していれば日本の未来が開けるという幻想の中で生きてきており、中国と連携して米国と向き合うという選択はあ
り得ないからだ。

安倍晋三政権がそうだったし、外交についての構想力が見えてこない菅義偉新政権にしても出てくる回答は目に見えている。日米で連携して中国の脅威を封じ込めようといぅ力学の中に日本は吸い込まれてしまっている。それで本当にいいのか。

日本がどの国との貿易で生計を立てているかを示す「貿易相手国のシェア推移」によると、対米国は縮小傾向をたどってきたのに対し、対中国(香港、マカオ含む)は増大の一途だった。対アジア(中国を除く)も27. 8%と大きいシェアを占めている。

経済を下部構造、政治を上部構造とすると、日本は、下部構造は中国、アジアに依存しているのに、上部構造は依然として米国との関係がすべてに優先するという固定観念で生きている。このバラバラ感に整合性を持たせ、一定の方向付けをする外交的構想力がないところに日本の悲劇がある。

この大統領選でどちらに最終的な勝利が行こぅと、注目すべきは、4割以上の米国民の支持を集めるトランプ現象は依然続いていた、という事実だ。私はこれをホワイト(白人)ナショナリズムの危機感の表明であり、最後の徒花と見る。

米国は建国以来、白人優位の中で多様性を温存し、自由と平等と博愛という理念の共和国を造ってきたが、この白人優位時代の米国を貫いていたキーワードが『抑圧的寛容』だといえる。長年私が米国人と本音で論争する中で感じてきた概念だ。自分が圧倒的に優位にある時には、相手に対して思いやりと多様性を認める余裕があるが、もし相手が自分よりも実力をつけたり、自分を凌駕したりするかもしれない、という瞬間に、途方もない猜疑心や嫉妬心にかられ、反転して相手に対して激しい攻撃を始める、という性格だ。

1980年代末から90年代にかけての日米関係がそうだった。バブルマネーで米国を買い占めんとする日本に対し、激しい反発が燃え上がり、ジャパンバッシングにつながった。ただ、日本がその中で埋没し消えていくと、日本のことはどうでもよくなり、今度は中国にその矛先が向かっている。
(編者中:まさにその当時、私もNYに駐在していました)

大統領選で起きているのは、外国に対してではなく、内に向けてのホワイトナショナリズムの爆発、抑圧的寛容の限界点を超える危機感だ。人口比でいつの間にか自分たちがマイノリティに転じるのかもしれないという恐怖感、そして、自分たちが主役だったはずの経済でも中西部を中心に一昔前の産業国家がすごい勢いで哀亡していくことへの苛立ちがある。トランプ現象というのは、ホワイトナショナリズムの痙攣だと思う。問題はさらにコロナ禍が加わったことだ。23万人を超す死者が出た。そこには米国における格差と貧困と人種という問題が横たわっている。ホワイトナショナリズムの痙攣だけでなく黒人層もまた差別に苛立ち、むき出しで衝突するような事態となっている。

自由と民主主義のお手本として日本が最も影響を受けてきた米国の無謬性神話が崩れつつある。我々は米国の現実、問題点を真剣に見極めるべきだ。米国にただ過剰同調していればいいということではない。

中国は10月の5中全会では、予想されたこととはいえ、党幹部の人事発表はなく、習近平の毛沢東化ともいえる強権化が進んでいる。ただ、裏では相当な政治抗争が行われており、盤石な安定政権というより、強権化の危うさものぞかせている。

もう一つ重要なのは中国経済だ。途方もない中間層の厚みを作り上げようとしている。現在の対中貿易比重がすでに26.1%だが、5年後、10年後は3割を超えていくのは確実で、日本はますます中国の経済発展に依存する国になっていくであろう。
(編者中:この点には異論があります。貿易はアジア全域で考えた方が良いからです)

成熟した民主国家としての自覚と実践は米中共に問題ありだ。ここで確認すべきは、結局のところ米中両国とも、二極構造を構成するほど、うまくいっていない、ということだ。極を構成するには、同盟国を束ねる求心力と世界の信頼を引き付ける力が必要だが、両国ともそれに失敗している。米国はかつてのよぅな理念や説得力を欠き、中国も世界の敬愛を集めているわけではない。だからこそ今が日本にとっては重要な転機になる。

日本に重要なのはアジア諸国だ。この地域の経済が中国を凌駕するくらいに日本の産業基盤とリンクしているのは統計が示す通りだ。彼らが米中対立をどう見ているか。日本に何を望んでいるかだ。菅首相が先日ベトナム、インドネシアを訪問したが、彼らは、日本の思惑とは異なり、中国の脅威を一緒になって封じ込めようというやり方には決して応じない。

日本は日米中トライアングル、三角形の一翼を占めるくらいの構想力と覚悟が問われている。米中2大国間に埋没しない努力、日本独自の構想力が問われている。

メッセージとしては、米中2国の大国主義的な力学に対抗し、成熟した民主国家としての立ち位置を示すことが重要だ。東南アジア諸国が中国に対し警戒心を高めている理由の一つが習近平体制に象徴される強権化、強大化がある。特に、東南アジアに3300万人いると言われる華僑の人たちが中国の強権化の危険性を微妙に察知している。日本はそれに応えることだ。成熟した民主国家としての日本の自覚と実践が問われる。

昨今の日本学術会議問題然り。モリカケ桜という一連の問題も新政権は引きずっているように見える。日本という国を深く分析し注目しているジャーナリスト、有識者から見て、日本は中国を笑っていられない、つまり、とても成熟した民主国家と言えない、米国の模倣国みたいなイメージでとらえられていることにも気が付かなければならない。

さらに言えばASEAN10力国のうち9力国が国連の核兵器禁止条約にコミッ卜している。多くの国々が日本の立ち位置に疑問を持っている。広島、長崎を抱えた国がなぜ核兵器禁止条約の先頭に走らないのか。

我々がやらなければならないのは、日米同盟の強化ではなく日米同盟の進化だ。日米同盟を否定するものではない。最大のポイン卜は、アジアにおける安全を睨んで日米同盟の持つ意味を踏み固め、普天間移設問題に象徴される米軍基地問題に真正面から向き合い、かつて冷戦後のドイツが行ったように、これを段階的に縮小し、地位協定の改定に向けた日本の意思を示すことだ。それを示さない限り、アジアにおける日本への敬愛は起こらない。

米国はいまだに日本のことを本音では保護領と見ている。独立国に外国の軍隊が駐留していることは不自然なことだという常識に返ることだ。つまりそういう国を独立国とは世界の常識は認めないということを日本人は静かに考え直す時にある。

菅政権は携帯料金を下げるなど小さいポピュリズムに訴えるが、大きな構想力がない印象だ。国民に受けるだろうと思うような発想を並べているようなもので、国民のレベルがそれくらいだろうと思っている節がある。

日本学術会議問題は会議のあり方問題にいつの間にかすり替えている。菅政権は研究に対するリスペクトがない。行政機関の一翼、国の税金を使っているから政権の言うことを聞くようにということだと思うが、政治で飯を食っている人たちの思い上がりに聞こえる。学問.研究に対するリスペクトがない。安倍政権以来の日銀、内閣法制局人事、検察人事にも現れた如く、あたかも選挙で選ばれた政治家が権力を持てばすべてに優位に立っているかのような錯覚に陥っている。
(編者注:理想と現実は違うと自民党なら言いそうですが、寺島の主張は全て納得がゆきます。なぜこういう視点=正論を振りかざして、野党が与党を批判できないのかが分かりません)



1815.経済無策。20/11/14

今回は、文芸春秋12月号「亡国の改革至上主義」藤原正彦から一部をご紹介します。

総理よ、「改革」を売り物にするなかれ。新自由主義にもとづく、国家観なき「構造改革」日本を更に分断させる。人間社会には「効率」より大切なものがある

安倍前首相は2006年に首相の地位を小泉元首相から禅譲されると、「小泉前首相の政策を継承する」と内外に表明した。「戦後レジームからの脱却」という素晴しいスローガンもあったが、戦後レジームの最大のものは対米従属であるのに、構造改革とは実質的にはアメリカの要求に従うことだ。実際、大したことは何もできなかった。

民主党政権の体たらくの後、2012年に首相として再登場した時は、小泉路線から一歩踏み出し「アベノミクス」を高らかに掲げた。大胆な金融政策(日銀が市場に流す資金を大幅に増やすこと)、機動的な財政政策(公共投資を積極的に行ない、GDPや雇用を増やすこと)、そして成長戦略(規制緩和による構造改革)、の「三本の矢」からなるものだった。ところが安倍政権は、構造改革には手をつけず、デフレ不況克服のための鍵である公共投資にも本腰を入れず、金融政策すなわち量的緩和ばかりに熱を上げた。

自ら選んだ日銀黒田総裁による「異次元の量的緩和」が始まったのだ。安倍首相は辞任会見で、アベノミクスには一切触れず「400万人の雇用を生んだ」と胸を張った。しかしながら、株価が上がったのは、日銀や年金など公的マネーが株を買い支えた結果に過ぎない。すでに公的資金は東証一部の八割以上の企業で大株主となっている。総保有額は東証時価総額の12%を占めている。好景気を演出する官製相場なのだ。日銀の大量購入が途切れた時のことは考えたくない。

また雇用が増えたのは、非正規雇用がこの七年間に350万人増加したからに過ぎない。そもそも労働者の実質賃金が先進各国で大幅に増えている中、日本はこの間に5%も減っている。黒田総裁が当初から豪語していたインフレターゲットは、7年たった2019年でも0.6%と達成されていない。政権終盤には安倍氏はインフレターゲットなどはすっかり忘れ、何を血迷ったか景気を冷やす消費増税に走る始末だった。

安倍政権の外交に関しては、対米屈従を正さなかったこと、なかんずく日米地位協定の改定に取り組まなかったことは国民の期待を裏切った。アメリカを占領国のままにしておくこの協定は、同じ敗戦国のドイツとイタリアではとっくに改定されているのだ。これがある限り沖縄は苦汁を呑まされ続け、北方領土は返らない。

菅首相は安倍氏の果たせなかったアベノミクスを完成させるといぅことになる。その中核が、安倍氏がほとんど手をつけなかった構造改革であることは、経済ブレーンを見れば一目瞭然だ。小泉内閣から安倍内閣に至る20年間にわたり政権の中枢にいて、ありとあらゆる巧言と二枚舌を駆使し、新自由主義の伝道師として日本をミスリードし 日本の富をアメリカに貢いできた、学者でも政治家でも実業家でもない疑惑の人物、竹中平蔵氏を任用したのである。即ち経済政策では安倍氏ではなく小泉氏を継承することになるだろう。

ここ20年余りに行われた構造改革は新自由主義=市場原理主義=グローバリズ厶にのっとったものだった。一言で言うと、ヒト・カネ・モノが自由に国境を越えられるようにすることだ。具体的には、国際金融資本や巨大多国籍企業などが世界中を股にかけいっさいの規制なしに利潤を追い求めることを可能にするものである。経済において国境をなくし、市場原理で世界を統一しようとするものだ。これら構造改革には、大店法廃止、郵政民営化、労働者派遣法の改正などいくつもあった。菅政権が構造改革を続行するなら、これら改革がどんな結果を生んだかを総括することが不可欠である。

2000年の大店法廃止により、ほとんどの地方中小都市の駅前商店街はシャッター通りと化し、町の顔がなくなり、そこにあった文化も同時になくなった。歩いて買物をしていた人々は、田畑をつぶしてできた大型ショッピングセンタ?へ車で通うことになった。地方の風景が一変し、どこも同じ変わりばえのしないものになったのである。

2004年の労働者派遣法改正では、製造業にも派遣労働者が解禁されたから、リ−マンショックまでの四年間に、派遣労働者は170万人も急増した。逆にリーマンショック後の四年間には、150万人の急減を見た。この改正が、派遣労働者を景気の調整弁とする、という主旨のものだったことを如実に物語っている。

この法改正で企業は、正規社員に比べ経費が半分以下ですむ非正規社員を増やしたから、2019年までに非正規社員は650万人も増加した。とりわけ35歳未満の非正規社員数は550万人ほどにふくらみ、彼等の平均年収は200万円以下だ。これでは結婚も子育ても難しいから、我が国の少子化は加速するし、消費も増えずデフレ不況は終らない。格差社会の元凶ともなっている。

安い労働力として外国人をも派遣労働者の形で使おうと、単純労働者の移民を大幅に増やした。ヨーロッパの混乱の轍を踏むことになる。派遣労働者を製造業に解禁する、という経済上の何気ない改革が、連鎖反応を起こし、日本の社会を混乱と苦境へと追い込むこむことになったのである。なおこの改革の旗振りだった竹中平蔵氏は現在、売上高で業界三位の人材派遣会社パソナグループの取締役会長である。

アメリカは1994年から毎年、「年次改革要望書」を日本につきつけ、郵政民営化を迫った。民営化され株式が上場されるのを待って、アメリ力企業が吸収合併するか、主導権を握り350兆円の運用権を我が物にしようとしたのである。郵貯や簡保はそれまで、財政投融資や公共投資の原資として、戦後の経済成長や地方活性化などに活用されてきたものだった。

小泉政権は「公から民へ」を掲げ、公務員を税金食い虫、財政再建のガンのごとく喧伝し郵政公社を民営化したのである。郵政公社の経営は健全で税金は一円も使っていなかった。一部の人々が危惧した通り、ゆうちょ銀行が2015年に上場された時、社長はシティバンク銀行の元会長、運用部門トップはゴールドマン.サックス証券の元副会長となった。そして、ゆうちょ銀行スタート直後の2008年に保有していなかった米国債など外国債は、2019年には62兆円へと激増している。一方で日本国債の保有は、159兆円から53兆円と激減している。アメリカの目論見通りとなったのだ。

日本人が汗水たらして稼いだ金を、日本で使わせないのだから、地方の衰退や国内産業の空洞化に拍車がかかるわけである。郵便局も会社化されてから四百余り減った。この売国的とも言える郵政民営化を、何か外圧でもあったのか、我が国の政官財ばかりか大メディアまでが一致して賛同し、郵政選挙ではメディアに洗脳された国民が熱狂的に支持した。

小泉竹中改革を支持したのには、二つの理由がある。一つは政府による欺瞞である。小泉竹中改革のほぼすベてが、アメリカからの「年次改革要望書」や「日米投資イニシアティブ報告書」の中で要請されたものであったことを、国民に知らせなかったのだ。あたかも首相直下の経済財政諮問会議や規制改革会議から出てきた案であるかのごとく装った。無論、政府はアメリカの要望に応えるため、両会議に新自由主義者を集めていた。

2005年の郵政解散前の衆議院の委員会で、「郵政改革について日本政府は米国と過去一年間に何回協議したか」と問いつめられた竹中平蔵郵政民営化担当大臣は、渋々「十七回」と白状した。露骨で執拗な内政干渉を認めたのである。なお、1994年から「年次改革要望書」が我が国につきつけられていた事実は、2009年に政府が認めるまで何と15年間、国民には秘密にされていた。

菅首相は高らかに構造改革を掲げる。これまでの改革の総括はしないどころか、竹中平蔵氏に加え、ゴ?ルドマン・サックス出身のデイビッド・アトキンソン氏を経済ブレーンとして重用する予定だ。新型コロナによる中小企業の大量倒産、そして長期間の自粛による国民の鬱屈を、懲りない面々がショック.ドクトリンの好機と捉えたのである。要警戒である。
(編者注:編者に関心のある部分だけの紹介です。私がこの寄稿の紹介を通じて言いたいことは、これ以上、日本の経済に新自由主義を持ち込ませてはならないということです)
関連記事。尾身はキャンペーン中止を求める考え。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020111200527&g=pol
関連記事。菅、Goto見直し否定。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6376361
関連記事。菅首相は金と権力意外に関心ない。前川。
https://mainichi.jp/articles/20201113/dde/012/010/013000c
関連記事。菅方式乱用。まさに独裁。今井。
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20201113/pol/00m/010/002000c
関連記事。任命拒否は開戦のきっかけ作り。
https://www.47news.jp/47reporters/5488874.html
コメント:どうやら令和おじさんは本当に使いものにならないみたいです。傍から見ていると、政権に首相はおらず、その代わりに新旧二人の官房長官がいるように見えます。


1816.米大統領選とカトリック票。20/11/14

11/14の朝日新聞の耕論で、論説委員の郷が、米大統領選とカソリック票について興味ある分析をしていますので、抄訳をお届けします。

「米国のカトリック票」郷富佐子
日本ではあまり話題にならなかったが、今回の米大統領選で気になっていたことがある。5千万人を超える米国のカトリック成人信者と、総本山であるバチカン(ローマ教皇庁) の動きだ。バイデン氏は、1960年に当選したケネディ氏以来、米国史上2人目のカトリックの大統領になる。

「キリスト教」でくくってしまうと、卜ランプ氏の「岩盤支持層」だったプロテスタント福音派に目が行きがちだが、「巨大な浮動層」と呼ばれる今の米カトリックには、定まった支持政党がない。バイデン氏のような祖先が主に欧州から来た白人系と、南米からのヒスパニック系に大分されるが、教会の意向に左右されず、個人の判断で投票する信者が多い。

米国のカトリックには特筆すべき傾向がある。2016年のトランプ氏まで、すべての米大統領選で、「カトリック票をより多く将得した方の候補者」が勝っているのだ。

ローマ特派員だったころに知り合った米国人神父は、「米大統領選でカトリック信者はカナリアだ。鳴いた方が勝つことになっている」と話していた。

移民、経済格差、人種差別、地球温暖化。イタリアのメディアが「最左派のローマ教皇VS.最右派の米大統領」と報じたほど、あらゆる問題でフランシスコ教皇と卜ランプ氏の姿勢は対照的だ。前回の大統領選前は、「壁を築くことばかり考える人はキリスト教徒ではない」と批判した。今回、教皇は表向きには沈黙を保った。それでも、かなり明確に「バイデン推し」のメッセージを発していたように思う。

特に、この時期に教皇が発表した13人の枢機卿人事で、教皇に次ぐ高位ポストに米国出身で唯一選ばれたのはワシントン大司教区のグレゴリー大司教で、アフリカ系米国人として初の抜擢となる。人種差別などと闘うリベラル派で、今年6月にトランプ氏がワシントンの教会前で聖書を手にポーズをとった際は、「教会施設を政治の道具にするのは許されない」と強く非難する声明を出した。

先月はじめに教皇が出した新たな回勅(教えの公文書)は、「過激で怒りっぽく、攻撃的なナショナリズム」や「移住や難民の流入に対する国境封鎖」を批判し、コロナ禍の世界で「どんなに新自由主義信仰の教義を信じろと言われても、市場のみで全ての問題は解決できない」と記した。トランプ氏が今年、連邦政府としては17年ぶりに執行した死刑も、戦争と共に「極限状態での誤った答え」と断じている。

教皇がこうした「メッセージ」を発した背景には、米社会を象徴するような分断がカトリック教会でもみられる現状がある。米カトリックは歴史的に民主党支持者が大半だった。ところが、バチカンで現教皇就任まで、保守的な教皇が2代続いた。この時代に司教になった米カトリック指導層を中心に右傾化が進み、共和党との関係を深めた。一方で、現教皇下でリベラル派の巻き返しもみられる。

今回の米大統領選で、開票作業は続き、カトリック票はどちらに「鳴いた」のかまだわからない。ただ、国際協調や人道主義を掲げたバイデン氏の「当確」に、教皇が安堵しているのは間違いないだろう。
関連記事。全州で勝者確定。バイデン選挙人306人。逆転困難。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020111400176&g=int
コメント:日本でも首相の直接選挙を希望します。自民党のお手盛り総裁選挙など、金と権力だけが判断基準であって、民意(民主主義とも)とはかけ離れた代物です。せめて国会での首相指名投票には、議員票の10万分の一の効力(国民10万人で議員一人分)でもいいから、国民の直接票を加えれば、少しは民意を反映するようになると思います。投票はオンラインのみ(含むスマホ、政府の好きな国民番号で)にすれば費用も時間もかかりません。そうなれば国の代表になりたい者は、(今のように)民意を無視する訳にはいかなくなるでしょう。


1817.生物学講義。20/11/16

コロナ禍が第三波を迎え、患者の急増が懸念されています。そういう時期に、どうしても気になることがあります。以前、エボラ熱が派生した時、それまでは行くこともなかった森の奥まで開発したことが、新種のウイルスを呼び起こしたという学説を読んだことがあります。また今回の新型コロナウイルスも、中国の洞窟の奥に棲んでいる蝙蝠から発見されたウイルスを、中国の研究所で培養・保管していたものが、外部に漏れたことが原因だとも言われています。人類による広義の自然破壊と環境破壊が、未知の病原体を世界に放ったのではないか。今後心配されるのは、地球の温暖化で、これまで何万年もツンドラに眠っていた古代の病原菌が、空気中に解き放たれることです。人類が増えすぎ、しかも環境に頓着に開発を続けてきたことで、そのしっぺ返しを受けているのではないか。地球の生態系全体の破壊が進んでいるのではないか。そういう漠とした懸念を感じているのは私だけではないはずです。

未だコロナのコの字もなかった、1年前に買ってはみたものの、そのまま積ん読になっていた生物学の本を昨日手に取ったところ、面白くて一気に読んでしまいました。

本の題名は、更科功著「美しい生物学講義」です。自分の本に美しいとつけるのはいかがなものかとは思うが、とにかく説明は明快で、ロジカルです。植物とは何か、動物とは何か、人類とは何か、遺伝とは何か、免疫とは何か等を、疑問の余地なく明快に解説しています。無論すべてが新情報ではないにしても、福岡伸一や山中教授とは違った、別の切り口であることは確かです。若い読者に贈るとあるが、基本的に大人向けの本です。…といくら説明しても、伝わらないと思うので、今回はその中から人類と環境、及び進化の意味についての部分を取り上げて、抄訳をご紹介します。

「肉食獣に食べられることも必要」
…ラィオンやヒョウに出合ったら、一卷の終わりだ。逃げたって、追いつかれてしまうのだから。ましてや初期の人類が、手に食物を持ってうろうろしていたら、あっという間にみんな食べられて、絶滅してしまうのではないだろうか。

でも中間的な場合がほとんどだ。肉食獣にまったく食べられないわけでもないし、すべての個体が食べられてしまうわけでもない。ほとんどの動物は、少しは食べられるけれど絶滅もしないで、がんばっているのである。それに、もしもまったく肉食獣に食べられなかったら、人口は爆発的に増えてしまう(現在の地球はその状況に近い)。人口をだいたい一定に保つためには、肉食獣に食べられることが必要なのだ。

たとえば、1926年にアメリカのイエロ?ストーン国立公園では、オオカミが人間によって根絶された。オオカミがいなくなったためにシカが増え、そのため森林は荒廃し、樹木が残っている地域はかつての5パーセン卜ほどに咸少した。結局1995年にオオカミを人為的に再導入したおかげで、緑豊かな森林がよみがえった。もちろんシカも、ある程度はオオカミに食べられながら、絶滅もしないで生息している。そんな例もあるので、初期の人類だって、ある程度は肉食獣に食べられて当然なのだ。
ちなみに、オオカミを再導入した後のイエローストーン国立公園では、シカはだいたい一万数千頭、オオカミはだいたい200頭ぐらいで安定しているようだ。肉食獣って、意外と少ないのだ。

初期の人類は、しばしば肉食獣に襲われた。その結果、食べられてしまうこともあったし 助かることもあった。その結果、人類は絶滅することもなく、爆発的に増えることもなく、現在に至るまで生き続けることができたのだろう。

「多様性が高いと生態系は安定する」
以上に述べたように、生物はお互いに関係し合って生きている。それは、初期の人類と肉食獣のような、食べる.食べられるの関係だけではない。資源を奪い合って競争したり、花とハチのようにお互いに助け合ったり、さまざまなタイプの関係がある。

さらにいえば、生物に影響を与えるのは、他の生物だけではない。光や水などの生物以外の環境も、大きな影響を与えている。このような生物とその周りの環境を、すべて含めて生態系と言う。どんな生物でも、一人で生きていくことはできない。生物は必ず生態系の中で生きているのだから生物にとっては、生態系が崩壊せずに安定して存在し続けることが大切だ。そのためには、いろいろな種類の生物がいた方がよい。

たとえば、ある年に干ばつが起きたとしよう。そのとき、乾燥に弱い植物しかなければ、その多くは枯れてしまう。そのため、光合成による有機物の生産は激減する。すると、光合成で作られる有機物に頼っていた動物なども激減し、中には絶滅するものもいるだろう。そうして、生態系は大きなダメージを受ける。

一方、乾燥に弱い植物だけでなく、乾燥に強い植物もいたとしよう。その場合は干ばつが起きても、光合成による有機物の生産はそれほど減らない。そのため、動物などが絶滅することもない。生態系は大きなダメージを受けることなく、干ばつがすぎれば、再び以前のような生態系が回復するだろう。さらに、乾燥に強い植物も一種でなく何種もいた方が、生態系が安定する。

このように、榑は萸なるが、役割は同じ生物が複数いることを「冗長性」という。この生物学的多様性という考えを広く社会に普及させるために、愛称として生物多様性(biodiversity)という言葉が作られた。

「進化と進歩」
私たちヒトの脳は体重の2パーセントしかないにもかかわらず、体全体で消費するエネルギーの20-25パーセントを使ってしまう。大きな脳は、どんどんエネルギーを使うので、その分たくさん食べなくてはいけない。もしも飢饉が起きて農作物が取れなくなり、食べ物がなくなれば、脳が大きい人から死んでいくだろう。だから食糧事情が悪い場合は、脳が小さい方が「優れた」状態なのだ。

実際、人類の進化を見ると、脳は一直線に大きくなってきたわけではない。ネアンデルタール人は私たちヒトより脳が大きかったけれど、ネアンデルタール人は絶滅した。脳は大きければ良いわけではないということだ。

「ある条件で優れている」ということは「別の条件では劣っている」ということだ。したがって、あらゆる条件で優れた生物というものは、理論的にありえない。そして、あらゆる条件で優れた生物がいない以上、進化は進歩とはいえない。生物は、そのときどきの環境に適応するように進化するだけなのだ。

生物が進化すると考えた人はダーウィン以前にもたくさんいた。でも、みんな進化は進歩だと思っていた。進化が進歩ではないことを、きちんと示したのは、ダーウィンが初めてなのだ。

進化が進歩ではないとダーウィンが気づいた理由は、生物が自然選択によって進化することを発見したからだ。ここで間違えやすいことは、自然選択を発見したのはダーウィンではないということだ。ダーウィンが発見したのは「自然選択」ではなくて「自然選択によって生物が進化すること」だ。

自然選択について簡単に説明しておこう。自然選択は二つの段階から成る。
一つ目は、遺伝する変異(遺伝的変異)があることだ。走るのが速い親に、走るのが速い子どもが生まれる傾向があれば、走る速さの違いは遺伝的変異である。一方、トレーニングで鍛えた筋肉は子どもに伝わらないので、それは遺伝的変異ではない。

二つ目は、遺伝的変異によって子どもの数に違いが生じることだ。つまり、走るのが遅い個体より、走るのが速い個体に子どもがたくさんいる場合などだ。ここでいう子どもの数は、単に生まれる子どもの数ではない。生まれた後にどのくらい生き残るかも、考えに入れなくてはならない。具体的には、親の年齢と子どもの年齢を同じにして数えればよい。たとえば、親の数を25歳の時点で数えたら、子どもの数も、25歳まで生き残った子どもで数えればよいのだ。

この二つの段階を通れば、子どもの数が多くなる遺伝的変異を持った個体が、自動的に増えていく。考えてみれば、自然選択なんて簡単だ。
実は、自然選択はおもに二種類に分けられる。安定化選択と方向性選択だ。安定化選択とは、平均的な変異を持つ個体が、子どもを一番多く残す場合だ。
一方、方向性選択は、極端な変異を持つ個体が、子どもを多く残す場合だ。たとえば、背が高い個体は、ライオンを早く見つけられるので逃げのびる確率が高く、子どもを多く残せる場合などだ。この場合は、背の高い個体が増えていくことになる。このように方向性選択は、生物を変化させるように働くのである。ダーウィンは、方向性選択を発見したのである。

方向性選択が働けば、生物は自動的に、ただ環境に適応するように進化する。たとえば気候が暑くなったり寒くなったりを繰り返すとしょう。その場合、生物は、暑さへの適応と寒さへの適応を、何度でも繰り返すことだろう。生物の進化に目的地はない。目の前の環境に、自動的に適応するだけなのだ。こういう進化なら明らかに進歩とは無関係なので、進化は進歩でないとダーウィンは気づいたのだろう。

地球には素晴らしい生物があふれている。小さな細菌から高さ100メートルを超す巨木、豊かな生態系をはぐくむ土壌を作る微生物、大海原を泳ぐクジラ、空を飛ぶ鳥、そして素晴らしい知能を持つ私たち。こんな多様な生物を方向性選択は作り上げることができるのだ。もしも進化が進歩だったり、世界が「存在の偉大な連鎖」だったりしたら、つまり一直線の流れしかなかったら、これほどみごとな生物多様性は実現していなかっただろう。私たちが目にしている地球上の生物多様性は、「存在の偉大な連鎖」を超えたものなのだ。
(編者注:進化と進歩は異なる。進歩も退化も進歩に含まれる。そして生物は進化するとしています)

・トランプ派、1万人首都行進。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6376554
関連記事。トランプ、進退決断近づく。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020111400421&g=int&utm_source=top&utm_medium=topics&utm_campaign=edit
関連記事。トランプへの献金。訴訟費用には流れず。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/11/post-94998.php
関連記事。トランプの敗因。
https://www.asahi.com/articles/ASNCG71MMNC8UHBI25S.html?iref=comtop_7_04
コメント:銃で投票所を封鎖し、有権者を脅すのは不正ではないのか。但しここで過剰反応だけは禁物。行進を見過ごし、ガス抜きするのが得策。バイデンがトランプ派の言い分に耳を傾ける機会も必要。希望の一部でも受け入れる姿勢を示せば決定的な分断は避けられよう。

・英、影の首相、官邸を去る。
https://www.bbc.com/japanese/54940013
コメント:誰か知らないが(杉田か、北村か、和泉か、新原か)日本の影の首相も官邸を去って欲しい。


1818.知力で世界を変えよう。20/11/18

最近、急に本を読みたくなったのには理由があります。それは安倍政権から菅政権に代わっても、自民党政治が浄化、改善される兆しが現れるどころか、逆に一層、強権と独裁体制を強めており、なぜ民主主義国であるはずの現代の日本で、そんな無理や無駄の横車がまかり通るのかにほとほと呆れ果ており、一方、米国は米国で、誰が見てもおかしい大ウソつきのトランプを、半数近い米国民がなぜ支持するのかに疑問を抱いたからです。

しかも、日本の野党もメディア(特に公共放送)も、政治の不正や理不尽を暴き、国民の代わりに糾弾し、抗議しようとしないのか。TVのひな壇に並んで、底の浅いため口をきく、タレント・コメンテーターの言い分は、どこまで信用したらよいのか。言い換えれば、誰を、何を信じたらよいのかが、国民には非常に分かりにくくなっているからなのです。

政治経済社会という巨大な象に、正面から立ち向かうためには、まず現状で、どこがどう間違っているのかを、自分自身である程度理解できないと、話になりません。前に述べたように、自称専門家の知見が当てになる保証がないからです。そのためには政治経済外交の最低限度の常識は知っていないと、判断ができないのです。とはいえ、ある程度の社会経験も積んできているので、いまさら高校、大学で学ぶような内容をゼロから始める余裕も必要性もないのです。

要は日本に民主主義を取り戻すために、どのような分析や意見を取り入れるかを手っ取り早く見極めたいということであって、政治経済の権力層に言いくるめられ、いいようにされないためには、国民はどのような理論武装をすればよいかを知りたいということなのです。幸い、未だ日本ではリベラルな文献や出版物が入手可能ですが、今の傾向を見ていると、菅独紙政権が学術の分野だけでなく、言論まで弾圧するのはもはや時間の問題です。そうなる前に、一人でも多くの国民に、リベラルなものの見方を身につけて貰わないと、日本は変わるどころか、国家主義、全体主義(ファシズム)に向かって一直線に進んで行く危険性が高いのです。そしてノンポリの一市民として、そういう活動をしている例を私は知たないので、ならば待っているよりは、自分で始めるしかないのではないか。その問題意識がWTWの原点なのです。

自民党政権や大手メディアのいいなりに政治が進んでいけば、遠からず日本はトランプの米国と同じ格差社会に分断されるでしょう。まして菅の経済ブレーンが、(週刊朝日に言わせれば)経済オンチの、アトキンソンと竹中です。今でも、大多数の国民は、生きてゆくのがやっとで、定年後には何の生活の保証もない、福祉とは無縁の国で暮らしているのです。米国の悲劇は、教育程度の低さが原因(未だに一部では地動説が信じられている)であり、それは高等教育にべらぼうな費用が掛かるから、富裕層しかまともな教育が受けられないからなのです。一方で、仁保の政治が不毛なのは、教育水準が原因ではなく、国民が民主主義の重要性もありがたみも、身をもって知っておらず、政治家や官僚に丸投げの、政治への無関心(と無責任)から来ているのです。

どうすればもっと、国民、特に無党派層や若者が政治に関心を持つようになるのか。7割とは言わないが、せめて6割の国民が選挙に足を運ぶようになれば、政治は大きく変わります。民意が政治に反映するようになるので、政治が本来あるべき民主主義の方向に、自ずから舵を切るようになるからです。過去の政策と民意の食い違いを世論調査で見れば、常に民意の方が冷静で正しい判断をしていたことが分かります。安倍・菅政権は、これでもかというほど、民意を踏みにじってきたのに、なぜか国民はそれを許してきたのです。

しかし、野党や、リベラルな国民が、現政権ではだめだ、間違った政策を積み重ねてゆくうちに、国が滅びてしまうと何度繰り返しても、選挙をすれば与党が大勝し、政治体制は変わらなかったのです。それは人間が基本的に保守的で、現状を変える(言い方を変えればぬるま湯から出る)ことには二の足を踏みがちです。そういう変化を好まない国民感情が根底にあるので、政権交代の必要性を「納得」してもらうことが至難になっているのです。

もっと多くの国民に投票所に足を運んでもらうためには、WTW自身が政治や経済や歴史の勉強をして、説得力のある説明をしなえればなりません。でもその為には、WTW自らが、問題点を指摘し、解決の方法と、将来進むべき方向を指し示せなければ、説得はできないのです。啓発という言葉は、上から目線になるので使いたくありませんが、それでも一人でも多くの国民に、(WTWをヒントにして)政治経済に関心を持ち、社会を変えた方が良いという意識を持ってもらうためには、WTW自身がもっと賢くなる必要があるのです。



1819.サピエンス全史@。20/11/18

そこで今回、教材に選んだのは、ベストセラーの、「サピエンス全史」ハラリ著です。第一回は、先の生物学講義とも関係しますが、人類が類人猿から進化した時代の、人類の特質についての記述です。

「生き延びた人類種」
…サバンナで、ライオンが獲物を狩ると、ハイエナやジャッカルが残り物を漁る。人間はとてもその邪魔はできない。彼らが済んでからやっと、あなたは仲間たちとともに恐る恐る死骸に近づき、左右に注意深く視線を走らせた上で、残り物にありつく。ホモ属は食物連鎖の中ほどに位置を占め、ごく最近までそこにしっかりと収まっていた。人類は数百万年にわたって、小さな生き物を狩り、採集できるものは何でも採集する一方、大きな捕食者に追われてきた。40万年前になってようやく、人類のいくつかの種が日常的に大きな獲物を狩り始め、ホモ・サピエンスの台頭に伴い、過去10万年間に初めて、人類は食物連鎖の頂点へと飛躍したのだった。

中位から頂点へのそのような華々しい跳躍は、重大な結果をもたらした。ピラミッドの頂点にいるライオンやサメのような他の動物は、何百万年もかけて徐々にその地位へと進化した。そのため、ライオンやサメが度を超えた捕食を行なわないように、生態系は統制と均衡の仕組みを築き上げることができた。ライオンが狩りの技量を上げると、進化によってガゼルは足が速くなった。それに引き換え、人類はあっという間に頂点に上り詰めたので、生態系は順応する暇がなかった。そのうえ、人類自身も順応しそこなった。

私たちはつい最近までサバンナの負け組の一員だったため、自分の位置についての恐れと不安でいっぱいで、そのためなおさら残忍で危険な存在となっている。多数の死傷者を出す戦争から生態系の大惨事に至るまで、歴史上の多くの災難は、このあまりに性急な飛躍の産物なのだ。

頂点への道のりにおける重大な一歩は、火を手懐けたことだった。約30万年前には、ホモ.エレクトスやネアンデルタール人と、ホモ・サピエンスの祖先が、日常的に火を使っていた。火の最大の恩恵は、調理が可能になったことだ。小麦、米、ジャガイモといった、そのままでは人類には消化できない食べ物も、調理のおかげで主要な食料となった。火によって食物の化学的性質が変わったばかりでなく、生物学的性質も変化した。調理をすれば、食物についていた病原菌や寄生虫を殺すことができたからだ。

また、果物や木の実、昆虫、死肉といった従来の好物も、調理すれば、?むのも消化するのもぐんと楽になった。

サピエンスは中東とヨーロッパに達したとき、ネアンデルタール人と遭遇した。ネアンデルタール人はサピエンスと比べると、筋肉が発達し、大きな脳を持っており、寒冷な気候にもうまく適応していた。道具と火を使い、狩りが上手で、明らかに病人や虚弱な仲間の面倒を見た(重い身体的障害を抱えながら何年も生き長らえたネアンデルタール人の骨が考古学者によって発見されている。これは、身内に面倒を見てもらった証拠だ)。ネアンデルタール人は凶暴で愚かな「穴居人」の典型として風刺画に描かれることが多いが、最近得られた証拠によって、そのイメージが変わった。

サピエンスに責めを負わせるべきかどうかはともかく、彼らが新しい土地に到着するたびに、先住の人々はたちまち滅び去った。ネアンデルタール人が絶滅したのは3万年ほど前だ。最後の小人のような人類がフローレス島から消えたのが、約1万3千年前だった。

サピエンスの成功の秘密は何だったのか?私たちはどうやって、これほど多くの、遠くて生態学的に異なる生息環境に、これほど速く移り住むことができたのか?私たちはどうやって他の人類種をすべて忘却の彼方へ追いやったのか?なぜ、強?で、大きな脳を持ち、寒さに強いネアンデルタール人たちでさえ、私たちの猛攻撃を生き延びられなかったのか?激しい議論は今なお尽きないが、最も有力な答えは、その議論を可能にしているものにほかならない。すなわち、ホモ・サピエンスが世界を征服できたのは、何よりも、その比類なき言語のおかげではなかろうか。

7万年前から3万年前にかけて見られた、新しい思考と意思疎通の方法の登場のことを、「認知革命」という。その原因は何だったのか?最も広く信じられている説によれば、約7万年前から約3万年前にかけて、人類は舟やランプ、弓矢、針(暖かい服を縫うのに不可欠)を発明した。芸術と呼んで差し支えない最初の品々も、この時期にさかのぼるし、宗教や交易、社会的階層化の最初の明白な証拠にしても同じだ。

ほとんどの研究者は、これらの前例のない偉業は、サピエンスの認知的能力に起こった革命の産物だと考えている。「認知革命」の原因は何だったのか?最も広く信じられている説によれば、たまたま遺伝子の突然変異が起こり、サピエンスの脳内の配線が変わり、それまでにない形で考えたり、まったく新しい種類の言語を使って意思疎通をしたりすることが可能になったのだという。なぜその変異がネアンデルタール人ではなくサピエンスのDNAに起こったのか?私たちの知るかぎりでは、それはまったくの偶然だった。

サピエンスの新しい言語が特別だったので、私たちは世界を征服できたのだろうか?それはこの世で初の言語ではなかった。どんな動物も、何かしらの言語を持っている。しかし、私たちの言語は驚くほど柔軟である。私たちは限られた数の音声や記号をつなげて、それぞれ異なる意味を持った文をいくらでも生み出せる。そのおかげで私たちは、周囲の世界について膨大な量の情報を収集し、保存し、伝えることができる。

虚構のおかげで、私たちはたんに物事を想像するだけではなく、集団でそうできるようになった。聖書の天地創造の物語や、近代国家の国民主義の神話のような、共通の神話を私たちは紡ぎ出すことができる。そのような神話は、大勢で柔軟に協力するという空前の能力をサピエンスに与える。サピエンスは、無数の赤の也人と著しく柔軟な形で協力できる。だからこそサピエンスが世界を支配し、アリは私たちの残り物を食べ、チンパンジーは動物園や研究室に閉じ込められているのだ。

では、ホモ・サピエンスはどうやってこの重大な限界を乗り越え、何万もの住民から成る都市や、何億もの民を支配する帝国を最終的に築いたのだろう? その秘密はおそらく、虚構の登場にある。膨大な数の見知らぬ人どうしも、共通の神話を信じることによって、首尾良く協力できるのだ。

近代国家にせよ、中世の教会組織にせよ、古代の都市にせよ、太古の部族にせよ、人間の大規模な協力体制は何であれ、人々の集合的想像の中にのみ存在する共通の神話に根差している。教会組織は共通の宗教的神話に根差している。国家は、共通の国民神話に根差している。互いに面識がなくても弁護士どうしが力を合わせて、赤の他人の弁護をできるのは、法と正義と人権(そして弁護料として支払われるお金)の存在を信じているからだ。

サピエンスはこのように、認知革命以降ずっと二重の現実の中に暮らしてきた。一方には、川や木やライオンといった客観的現実が存在し、もう一方には、神や国民や法人といった想像上の現実が存在する。サピエンスが発明した想像上の現実の計り知れない多様性と、そこから生じた行動パターンの多様性はともに、私たちが「文化」と呼ぶものの主要な構成要素だ。いったん登場した文化は、けっして変化と発展をやめなかった。そして、こうした止めようのない変化のことを、私たちは「歴史」と呼ぶ。

したがって、認知革命の発生は歴史が生物学から独立を宣言した時点だ。認知革命までは、すべての人類種の行為は、生物学(あるいは、もしお望みなら先史学と呼んでもいい)の領域に属していた。
(編者注:これは、人類に抽象的な思考が可能になったからだと思います。ハラリの歴史観が唯一絶対とは言えないにしても、歴史には多様な見方が重要なので、いましばらくハラリの著書の紹介=引用を続けます)



1820.内閣人事局の闇。20/11/19

TVドラマ「相棒」では、杉下右京の部屋にコーヒーを飲みに来る生活安全課の課長が、「暇か」と言って入ってくるのがお約束になっています。そして無論特命係は原則暇ですから、自由な捜査も出来るのです。私は仮に「暇か」と聞かれたら、どう答えるかを考えて見ました。

起床は7時。朝ドラを見ながら朝食をとり、その日のTV番組の録画予約をして、ゴミを出すと9時です。午前中は、羽鳥のモーニングショウを流しながら、新聞か本を読む。もしくは撮りだめた録画を見る。衛星放送も契約しているので、日に10-20本の番組が溜まります。4Kを含めて4台の録画機がフル回転(チャンネル数で8)しています。

通院と買い物は午前中です。午後になると翌日のWTWの原稿の作成に入ります。そして早ければ5時、遅くも6時には作業が終わります。そこに午前中に作っておいた前書きを追加して、とりあえずサイトにアップしておきます。だから、WTWの挨拶は、いつでもお早うございますなのです。但し夜間に(特に海外で)大きな出来事があれば、明け方に記事を追加します。

昼間は、座ってTVを見るか、PCを操作するかなので、健康にはとても良くない状態です。一応、体重と血圧は気を付けています。以前はアーチェリーや卓球もありましたが、コロナになってから休止しています。夜は9時就寝です。大きな買い物は殆ど通販です。

だから暇かときかれれば、確かに暇ですが、自由時間がたっぷりあるわけでも、中長期の旅行が出来るわけでもありません。無論遊興にふけることもありません。それはWTWには休刊日を設定していないからです。だからと言って、では悠々自適ではないかと言えば、そう言えないこともないという状態です。息抜きの時間は、下手なウインド・シンセを演奏するくらいです。

果たしてこの世間ウォッチングがいつまで続けられれかも、体力と健康(特に認知機能)次第です。いずれにしても、今の私は、世間の傍観者、言い換えれば、ただの野次馬としての存在価値しかありません。

逆説的に言えば、私は文学部と法学部の二つ学部を卒業していますが、今は(野次馬としては)文学部の勉強の方が役に立っています。社会学、心理学、宗教学、哲学、論理学等です。今からでも大学に入り直したいくらいです。法律学については、社会に出てからも、役に立ったという記憶が余りありません。それに比べて文学部で学んだことは、精神や脳の、血となり肉となっているという実感があります。でももう一度大学に入るのなら、今度は理科系、即ち自然科学や、工学や、数学を学ぶのも悪くないと思っています。

もうそれほど寿命は残っていないのに、未だに人生の達観もなく、悟りも開けず、道理も真理も分からず、自己実現どころか、年齢相応の分別も、自我も人格も確立できていません。なので、何とか死ぬまでに少しでも世界の真実、自然の真理に近づきたいと思っています。そういう意味では勉強の一生です。そういう、いわば晴読雨読の余生でも、何かの形で世間のお役に立てるとしたら、それは自分なりに学んだ内容を、勉強する時間おない読者の為に分かりやすい形で提供することではないかと考えています。だから食べ物は節約しても、本代だけは惜しまないことにしています。

さて自称21世紀の語り部としては、読者が手を出しにくい書籍、あるいは読む時間のない本をダイジェスト(=21世紀のリーダース・ダイジェスト)の形で、紹介してゆくことが存在理由の一つだと思っています。その一環として、今回は人類史としてのサピエンス全史を取り上げていますが、いかんせん長いことも事実です。昨日の紹介(と言っても未だ第一回)も長く、しかも同書の紹介は、これからも続くので、今日と明日は、気分を変えて週刊誌を取り上げました。素材は週間朝日と、サンデー毎日で、今日は学術会議の任命問題(広義の内閣人事局)です。

古賀や青木の主張は正論であり、特にサンデー毎日の森功の記事からは、杉田が仕切る内閣人事局の、理不尽さと暴走の仕組みが良く分かります。学術会議どころか、あらゆる人事に口を出している、とんでもない組織だったのです。これでは検察が政治不正の追及など出来るはずもありません。加えて、安倍が性懲りもなく三選を狙っているという噂まで流れています。今の日本には民主主義も、社会正義もないという実態を、いつになったら日本の国民は理解してくれるのでしょうか。そういう一般向けの啓発も、WTWの使命です。これでは到底米国のトランプ支持者を笑うことなど出来ません。

週刊朝日11.27号、「政官財の罪と罰」古賀茂明から
菅義偉内閣誕生から2力月が経った。庶民受けするイメージ作りで、支持する理由上位に「人柄」といぅ項目が入る。官房長官時代、内閣のスキャンダル火消し人だった負のイメージは一掃されたかのようだ。そんな菅総理のソフトムードに水を差したのが、日本学術会議会員候補の任命拒否問題だ。マスコミや野党から学問の自由の侵害だと強く批判され、再び菅氏の暗いイメージが台頭している。

そんな菅総理のために日夜国会答弁を書いている官僚たち。任命拒否に至った理由について、菅総理の想定問答に本当のことを書くことが許されれば、彼らは毎日徹夜する必要はないはずだ。しかし、「本当のことを言いましょう」と上司に進言する官僚はいない。一人としてマスコミに真相をリークする者も出ない。国会で次々に論破され、来る日も来る日も同じ作業を強いられる。官僚がそこまでして菅総理に奉仕するのはなぜか。それは、「辞められない」からである。辞められないから組織の掟に従う以外に選択肢はない。それがたとえ犯罪であるとしても、ということだ。なぜなら、辞めたら、現状の給料をもらえる仕事に就くことは難しいからだ。

失うのは現職時の給料だけではない。退職後も保証される天下りによる悠々自適の生活も同時に失う。重大な損失だ。さらに、職場を裏切ったのだから、退職後に霞が関から嫌がらせを受ける可能性が高い。それを心配する民間企業は、その官僚を雇わない。これでは辞められないわけだ。

そこで菅総理に提案がある。「いつでも辞められる官僚を増やす」ために、管理職以上のポストは全て公募制とするのだ。そうすれば、実力のある民間人が選ばれる。彼らは、役人を辞めても官僚以上の待遇で民間の仕事に就くことができるから、政治家から無理な注文を受けたり、あるいは組織内で過剰な忖度を強いられたら、それに反対し、ダメなら内部告発をして、辞職することができる。全省庁で実施するのが難しければ、新設されるデジタル庁で課長以上を全員公募にすればよい。それにより、高レベルの人材を雇えるだけでなく、組織のガバナンスが
通常の官庁に比べて飛躍的に高まることになる。

サンデー毎日11.29号、「抵抗の拠点から」青木理より
人事に関することについては答えを差し控える。日本学術会議の会員任命拒否問題をめぐる、これが首相にとっての決め台詞らしい。総合的とか俯瞰的といった意味不明な言葉を繰り返したり、自らの政権へと直線的に跳ね返ってくる多様性などという文句を吐いてみたり、まるで壊れたレコードのようではないかと野党議員が皮肉っても、最終的に行き着くのは常にこの台詞。

実はこの台詞、一般的には意外と説得力を持って受け止められてしまっているのではないか。誰を登用するとかしないとか、あらゆる組織につきものの人事問題には、常に個々人への評価やプライバシーといった要素がまとわりつくものだから。

しかし、今回のようなケースでは、このような態度は断じて許されない。なぜか。
首相は今回、日本学術会議の会員は学術会議側の「推薦」に基づいて首相が「任命」すると定めた日本学術会議法に基づき、推薦者のうち6人の任命を拒否するという挙に出た。
さまざまな論点が提起されているものの、いずれにせよ首相は任命権という公権力を行使して6人の会員候補を排除した。

つまり、国家権力の行使者たる首相がその権力を行使し、特定の市民に不利益を与えた。なのにその理由を明示しないなどということは許されない。もしそのようなことが許されれば、治安機関が市民を身柄拘束しても、その理由は極めてプライベートなことに関わるから説明できないし明示もしない、といったことまで容認されかねない。もちろんこれは極論であって、憲法は「何人も、理由を直ちに告げられ(略)なければ、抑留又は拘禁されない」(34条)と明記しているが、理屈としては同じこと。

ただ、そう考えていくと任命拒否の理由を断固明かさない政権の態度には別の疑念も浮かぶ。思想信条で人を選別した違憲性が問われるから明かすことができないという以上に、理由を明示しない方が政権にとっては好都合であり、権力維持に効果的と目しているのではないか。

今回6人をなぜ排除したか、誰もがうすうす気づいている。時の政権の政策や意向に反する活動をした学者が狙い撃ちされたのだ、と。実際、一部メディアも「政府関係者」の証言としてそう報じている。だが、具体的にいつ、どのような言動が「反政府」的と目されたかは分からない。政権にとってみれば、この方がよほど、広範な層に疑心暗鬼と委縮、服従のムードを強要できる。昏い顔をした為政者の決め台詞には、そんな陰湿で狡猾な臭いが漂っている。

同「官邸官僚杉田和博の正体」森功から
やはりキ?マンとして浮上したのは、「官邸官僚」だった。菅政権による日本学術会議の会員候補の任命拒否だ。安倍前政権から、その存在に着目し、著書も残してきたノンフィクシヨン作家が、警察出身で管政権にも居残る、公安奉行の正体と役割に迫った。

さる11月4日、衆院予算委員会で立憲民主党副代表の辻元清美が、日本学術会議メンバーの任命拒否について質問に立った。
「6人の除外をいつ、誰から聞いたのですか」
そう問われると、首相の菅義偉はもごもごと答える。
「(6人を外すことを知ったのは)決裁をする前。多分、杉田官房副長官からだと思います」
今や日常鼠景になっている二耘三転する首相の答弁の中、初めて杉田和博の存在を明らかにした。さすがにこれに対し、警察庁の関係者たちは憤りを隠さなかった。

「あれを言ってはお終いでしょぅ。たしかに安保法制や特定秘密保護法などに反対してきた学者を調べ、問題視したのは杉田さんでしょうけど、最終判断は官僚ではできないわけですから」

そう話す警視庁OBがいる半面、ある官邸関係者はこうも打ち明けた。
「菅総理の最終決断は杉田さんではなく、和泉(洋人首相補佐官)さんのアドバイスによるものだと聞きました。総理はそこを隠したいから、あえて杉田さんを前面に出しているのかもしれません」

和泉は菅が横浜市議だった頃からの付き合いだ。菅政権になった現在、安倍前政権における今井尚哉首相補佐官と似たようなポジションにあり、菅の最も頼る存在だ。一方、杉田は第2次安倍政権発足にあたり、首相枠で官房副長官に抜擢されたとされる。元はといえば、安倍に近い官邸官僚だったといえる。だが、安倍前政権の終盤、杉田の立ち位置が微妙に変化してきたという。先の官邸関係者はこう見る。

「安倍政権時代、何度も倒れた高齢の杉田さんは、その度に官房副長官から身を引きたいとおっしゃり、安倍総理から慰留されてきました。結果的に安倍総理が退陣となり、杉田さんは当然、副長官をお辞めになると思われていたのですが、安倍総理の辞任発表後、いち早く続投を表明された。それもそのはず。菅総理誕生の流れをつくった1人が杉田さんだから」

東大法学部を卒業して警察庁入りした杉田は、警察官僚の出世街道である警備、公安畑を歩んできた。在フランス日本国大使館の1等書記官を経験し、80年に警備局外事課の理事官となって以来、もっぱら外事関係の任務をこなしてきた。82年中曽根内閣で官房長官を務めた後藤田の秘書官となったのが、官邸と関わるきっかけとなる。杉田の就任した内調室長は森喜朗政権下の2001年1月、省庁再編に伴ぅ内閣法の改定により、内閣情報官と名称が改められる。名実ともに国内のインテリジェンス情報の収集を託された。

内調室長だった杉田は、初代の内閣情報官に任命され、さらにこの年の4月、内閣危機管理監となる。いったん政権中枢から外れ、民間のJR東日本やJR東海の顧問を務めてきた。そしてここから第2次安倍政権発足と同時に、12年に官房副長官として再び政権中枢にカムバックするのである。

杉田が8年もの長いあいだ務めてきた官房副長官は、国会議員から選ばれる政務担当と官僚出身の事務担当の2種類があり、事務担当副長官は霞が関の官僚の最高峰に位置付けられている。杉田はその官僚の頂点である官房副長官と内閣人事局長を兼ねる。文字どおりスーパーエリート官僚として霞が関を睥睨してきた。

周知のよぅに内閣人事局は、各省庁の部長候補以上の680人のキャリア官僚人事を決定する。第2次安倍政権下の14年5月に初めて設置され、初代局長には政務担当の官房副長官だった加藤勝信(現官房長官)が就いた。2代目が同じ政務担当副長官の萩生田光一(現文部科学相)、17年8月に3代目として杉田が就任した。ある高級官僚が、杉田の置かれた立場について次のように解説してくれた。

「680人もの幹部官僚の人事だから、政治家である加藤さんや萩生田さんに事情が分かるはずもありません。必然的に初めから杉田さんが人事局を取り仕切ってきたといえますが、立場上は候補者を選ぶ権利がない。それで杉田さんは改めて17年に正式に内閣人事局長となった。名実ともに霞が関の役人の生殺与奪権を握っていったわけです」

過去、霞が関の幹部人事は各省庁の大臣に任命権が与えられてきた。特別公務員である学術会議のそれとは異なり、一般公務員であるため、大臣には職員を選ぶ過程における任命と否認の両方の権限がある。もっとも国会議員は役所内の事情に疎いため、大概の人事は事務方トップである事務次官が起案し、大臣がそれを承諾する形で人事が決まってきた。

内閣人事局が発足して以降は、その仕組みがガラリと変わった。大臣の了承を得た各省庁の人事案が内閣人事局長に伝えられ、そこから官房長官と首相が最終的に人事判断をする。

内閣人事局には任免協議という制度がある。名称どおり、職員の任命罷免を検討する場だ。各大臣の了承を得た各省庁の人事案が内閣人事局長に届き、首相と官房長官がその是非を検討する会議である。そこには、この3者以外誰もロを挟めない。仮に任命を拒否されても、大臣も何が起きているのかさっぱりわからない。ブラックボックスだといえる。

そして内閣人事局長となった杉田は、任免協議の決定権者の 一 人である菅と密着していった。そうしてあらゆる政府の人事に強権を発動していくようになるのである。

その人事の範囲は霞が関の幹部人事にとどまらない。これまで政治介入の許されなかった検察人事や日本学術会議の任命拒否。さらには、文化功労者の選定にも介入してきた。

「権力が暴走するとき、法は権力に都合良く運用される」中曽根内閣で官房長官を務めた後藤田はそう言い残した。杉田はその至言を忘れてしまったというほかない。
(編者中:やはり官邸は伏魔殿どころか、まんま悪の巣窟だったようです)

・東京で493人感染。過去最多。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201118/k10012718131000.html
関連記事。警戒最高度レベルへ。
https://www.47news.jp/news/new_type_pneumonia/5507945.html
関連記事。日経平均286円安。コロナ再拡大で。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO66358300Y0A111C2000000/
関連記事。GoToも自己責任。言い訳モード。
https://mainichi.jp/articles/20201118/dde/012/070/017000c
コメント:誰が何と言おうと感染爆発です。それなのに未だGotoや五輪ですか。欲の皮ばかり突っ張らせないで、いい加減に現実を見て、目を覚ましたらどうなんでしょうか。