「WTWオピニオン」
【第124巻の内容】

「ベーシックインカム」
「学術会議に伸ばした汚い手」
「森永と元村」
「60年安保闘争」
「悪夢の安倍・菅政治」
「年初に想う」
「古賀と室井」
「高村と寺島」
「芸能界も新陳代謝を」
「新聞報道の使命」


1841.ベーシックインカム。20/12/18

今日の前書きは朝日新聞(12/16)の耕論からベーシックインカムについてです。
「低額の給付+自助を危惧」宮本太郎
コロナ禍で生活に困窮する人たちが増えて、ベーシックインカム(BI)導入論が盛んになってい
ます。リベラル派のみならず、竹中平蔵元総務相のような新自由主義派、さらには保守派からもBIが提起されています。現下の貧困拡大は切迫した事態で、緊急の対応が必要です。しかし、私は拙速なBI導入論で突き進むのは逆に危ういと感じています。

ひとくちにBIといっても、給付はどのくらいか、既存の所得保障やサービスをどこまで置き換えるか、どんな税制で財源を調達するかによって、行き着く社会のかたちは変わります。場合によっては「低額のBI+自助」だけの社会になってしまうかもしれません。
そもそも私たちの生活が国の特定の制度に根本から左右されるというのはあまりに危ういです。所得保障がBIに一本化された後で頼みの綱がいつのまにか削減され、自助頼みの日本社会になってしまったとしても後の祭りです。

国際労働機関(ILO)の試算によれば、BIで貧困率をゼロに近づけようとするとGDPの25%ほどにのぼる財源が必要になります。だとすると、たとえ高い現金給付水準を維持できてもその分、介護や子育て、医療といったサービス給付が削られてしまう恐れはないでしょうか。
一部の論者たちからは「入エ知能(AI)が急速に進化し普及すると、人々の雇用が奪われる。だ
から早急にBIを導入すべきだ」という主張を耳にします。コロナ禍で高収益‘あげている巨大IT企業の経営者らからこんな発言を聞くと、上から目線の慈善政策のつもりなのか、さては民衆の不満の暴癸を防ぐ治安政策のつもりなのかと勘ぐりたくなります。

BI論がこれほど盛り上がる背景*一は、不透明で再分配効果が弱い現行の社会保障制度に対する不満があるし、国民の必要に応える納得感の?感の高い制度にする努力をしてこなかった行政への不信もあると思います。
それでも、分かりやすいからとBIを導入するのではなく、もっと確実で効果的な所得保障政策の導入を急ぐ方が有効です。例えば、低所得世帯の家賃補助である「住居確保給付金」はコロナ対策で給付対象が広げられました。これを「住宅手当制度」に発展させて恒久的に定着させてはどうでしょうか。これなら家主の所得も増えるので、地域経済にも寄与します。国民の納得度は高いのではないでしょうか。
貧困状態にあると思われる子ども数を推計すれば優に250万人を超えます。児童扶養手当と、このギャップ部分を埋める給付で子どもの貧困率を下げることができれば未来への投資にもなります。
これらの財源を確保するため、巨大IT企業への課税強化も検討すべきです。

関連記事。ある母子の死。鰹節と体温計残して。
https://www.asahi.com/articles/ASNDJ4CHHNCSUUPI001.html?iref=comtop_7_07
コメント:有料記事なので一部だけです。

関連記事。佐賀県警が被害届拒絶。
https://www.asahi.com/articles/ASNDJ7THCNDJTIPE02W.html
コメント:警察も底辺層はネグレクト。

関連記事。年金差し押さえ、年間2万人。
https://www.asahi.com/articles/ASNCC549VNBXUTFL00F.html?iref=comtop_list_02
コメント:死ねと言うに等しい。

関連記事。生活保護申請の新サービス。
https://diamond.jp/articles/-/257602

。データが映す世界。民主主義に不満。自然災害急増。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO67199000Q0A211C2970M00/



1842.学術会議に伸ばした汚い手。20/12/22

今日の前書きは朝日新聞(12/21)の社説からです。
「学術会議問題 改組ありきのまやかし」
政権のさらなる逸脱・横暴を認めるわけにはいかない。
日本学術会議のあり方について、井上信治科学技術担当相が「年内には一定の道筋を示したい」と述べた。「道筋」が何をさすのかは不明だが、会員の任命拒否問題をうやむやにしたまま、日本を代表する学術機関の改組に突き進む姿は異様といぅほかない。事実に基づき、理性的な対話を通じて合意を形成する民主政治の否定でもある。
そもそも学術会議の設置?態を、いま急いで見直す理由はどこにあるのか、政府から納得のゆく説明は一切ない。とにかく改革案を示せと迫られた学術会議が、16日に公表した中間報告で「法改正を要請する立法事実の明確化が求められる」と主張したのは当然である。
異論を抱きつつも学術会議は作業を進め、日本の学術発展の歴史や他国の状況も踏まえて、「国家財政支出による安定した財政基盤」「活動面での政府からの独立」など満たすべき五つの要件を列挙。現行の形態はこれに合致すること、他についても検討しているが、なお精査する必要があることなどを報告した。もっともな内容だ。
設置形態と日本学術会議法が定める「職務の独立」とは密接な関連がある。まずは同会議の議論の結果を待つべきだ。
政府の有識者会議は5年前、「日本学術会議の今後の展望について」と題する報告書に「現在の制度を変える積極的な理由は見いだしにくい」と書いた。
また、来年度の政府予算案には従来通りの経費が計上される見込みだ。「道筋」を年内につけねばならない事情はない。ましてや先日の自民党プロジェクトチーム(PT)の提言に沿い、学術会議の「独立」に踏み出すなどもってのほかだ。重要なのは活動に対する政府の介入からの独立である。独立に名を借り、同会議から公的資格を奪い、財政を不安定にして弱体化させるようなことをすれば、国際社会の笑いものになる。(中略)
国民は、学術会議が多様な提言をしてきたこと、国の予算が貧弱で多くの会員は手弁当で活動していること、自民党議員らの同会議批判には虚偽や歪曲があったことを知った。
一方で、任命拒否の理由や公安警察出身の杉田和博官房副長官が果たした役割など、主権者として知りたいこと知るべきことは、まだ何もわかっていない。
ネット社説。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14737811.html?iref=comtop_Opinion_04

コメント:なぜ官邸はそうまで必死に(極右の)杉田副長官を守ろうとするのだろう。それは官邸自身がファシズムを志向しているからではないのか。でももっとそこが浅い理由で、たとえば、警察を味方につけておけば、何かと便利だろうという安易で姑息な発想が原点にあるのでしょう。一方で、安倍・菅の基本的な体質は国家主義、権威主義、独裁、そして全体主義だと思います。だから結果的に波長も合っているのでしょう。
今後、政府の右傾化を引継ぐ若手の候補は、河野や小泉、野党なら橋下、地方行政なら小池ゆり子がいます。どうしても、右傾化した老若男女の議員や、エリート官僚達が、民主主義の破壊活動(公安=杉田副長官、が取り締まり側とは皮肉な話です)を続けたければ、自分の金(手弁当)でやっていただきたい。

今最も警戒しなければならないことは、利権とカネにまみれ、法と倫理を無視する自民党の政治に飽きた若者が、選択肢を探す時に、橋下や小池百合子のような三百代言の口車に乗ってしまうことです。彼らの本質は、民主主義どころか、ネトウトに近い者であることは、過去の言動から明確になっているのです。その正体に気が付かないまま、若い国民が、まかり間違って国のかじ取りを彼らに任せるようなことでもあれば、その時は本当に取り返しのつかないことになります。日本がネオナチに傾斜しかねないからです。ヒトラーも演説は上手だったことを忘れてはなりません。

それにつけても、今こそ頑張って貰うべき枝野は人間的魅力がなさすぎます。野党に、というより日本に一番必要なものは、理屈(としぶとさ)だけのロボット人間ではなく、血の通った、人間的な魅力(包容力)を備えたリーダーなのです。権力欲だけがギラギラしている橋下や小池などではなく、メルケルのように、本当に国と国民を心配するリーダーです。

関連記事。支持率暴落。自ら招いた。
https://www.asahi.com/articles/ASNDP5RS6NDPUTFK008.html?iref=comtop_7_02
コメント:ついに支持しないが、支持するを上回りました。でも、Gotoを画策した二階も、Gotoに反対しなかった小池知事も同罪でしょう。

関連記事。崩れた公助。母子餓死。
https://www.asahi.com/articles/ASNDJ54VSND5UUPI001.html?iref=comtop_7_07
関連記事。生活保護を受けては戻った24歳。
https://www.asahi.com/articles/ASNDJ4DCHNCSUUPI005.html?iref=comtop_ThemeRightS_03
コメント:強者に甘く、弱者に冷たい、殺伐とした日本社会の縮図がそこにあります。


1843.森永と元村。20/12/26

今日の前書きはサンデー毎日(1/3号)から2つ紹介します。この号は読みどころ満載なので、いつもは読まない方にもお勧めです。

「景気、日経平均は半値に。根拠はシラ?PER指数」森永卓郎
2021年中に日経平均株価は年末の半値以下になる可能性が高いと思います。根拠は「シラ? PER(株価収益率)」。ノーベル経済学賞を受賞したロバート・シラー米エ?ル大教授が考案した株価の割高・割安を測る指数です。それによれば、日経平均は実体経済から著しく乖離した水準が79力月も続いています。株高を支えてきたのは、「新型コロナウイルス用ワクチンが普及し、経済活動が元通りになる」という期待感です。未来の企業収益を先取りして株を評価しているのです。しかし国民の7割がワクチンを接種しないと集団免疫は成立しません。日本で接種が始まるのは、早くて3月です。しかも安全性の保証がないワクチンは、様子をみてからという国民が3分の2もいます。どう考えても、年内にワクチンが新型コロナを制圧するとは考えられないのです。期待通りの結果にならなければ、株価のバブルは崩壊します。21年中に日経平均が1万3000円台に下がることは大いにあり得ます。そぅなれば、企業の倒産ラッシュは避けられません。
菅義偉首相のブレーンの竹中平蔵東洋大教授は「例えばJALは国内線とソウル.台北など隣国路線、長距離国際線はANAという住み分けが望ましい」と述ベ、航空会社の再編を訴えました。政府の成長戦略会議に名を連ねる小西美術エ藝社のデービッド・アトキンソン社長は、中小企業の統廃合を強く訴えています。菅政権は生産性の低い人間や会社は切り捨てる冷酷な新自由主義政策を進めようとしているのです。
実は韓国は1997年、同様の政策を導入しました。それによって弱肉強食の社会となり、サムスン電子や現代自動車といった大企業は潤いましたが、格差は拡大しました。
菅氏がGOTOトラベルにこだわったのは、和泉洋人首相補佐官の存在が大きい。菅内閣を仕切る和泉氏は国土交通省の出身。GOTOキャンペーンで潤う観光や交通などを所管する官庁です。つまり国交省のための施策なのです。
このまま新型コロナの蔓延が続けば病床が足りなくなり、高齢者の患者は自宅療養を余儀なくされるでしょう。急変に対応できず、死者は増える。「生産性の低い高齢者は死ね」ということでしょうか。21年の日本経済に買い材料は一つもありません。

「青い隈取で暴れ回る歌舞伎の敵役みたい」元村有希子
菅義偉政権の支持率が下がっている。毎日新聞の世論調査では、初めて「不支持」が支持を上回った。主因は新型コロナウイルスをめぐる対応のまずさだろう。首相は肝いりのGOT〇キャンペーンにこだわり、専門家の意見を退け続けた。ぐずぐずしている間に感染者が急増、列島は医療崩壊寸前になっている。
「たたき上げ」「パンケーキ好き」などというお化粧の下から、素顔が見えつつある。
日本学術会議の任命拒否問題は越年する。政府は「学者の国会」の見直し論議を早く片付けて他の課題に取り組みたいと思っているかもしれないが、そうは問屋がおろさない。
そもそも、種をまいたのは首相である。歴代政権は「任命権は形式的なもの。会議の推薦名簿通り任命し、学問の自由独立は保障される」と国会で答弁してきた。その前例を黙って変えた。
根拠として内閣府が2年前に作った内部文書を持ち出し「名簿通り任命する義務はないのだ」と釈明したが、法解釈を勝手に変えられるなら国会はいらない。国権の最高機関である国会の軽視は「安倍・菅」の得意技だ。
ほころびも見え始めた。「(拒否は)私の判断だ」と言いながら、6人を選んだのは官房副長官だった。学術の業績に基づいた推薦を拒むなら業績面で反論するのが筋なのに、首相は業績どころか6人中5人の名前も知らなかった。
NHKの番組で「説明できることとできないことがあるJと強弁したが、「そうよ、俺が気にくわねえからよ」と言うわけにもいくまい。
いずれにしても首相のこの判断はまずかった。まして、?かむりして逃げおおせるものでもない。
「ずる」はいけない。「ぅそ」はもっといけない。「下品」な人間は人の上に立つべきではない。良識を土足で踏みつけ「刃向かえば斬るぞ」とばかりにすごんでみせる、これが日本的リーダーだ。開いたロが塞がらないまま年が暮れる。


1844.60年安保闘争。20/12/26

今日の前書きの一つ目は、朝日新聞(12/26)の異論のススメです。
「不要不急と必要の間。経済成長で得られぬ生を充実させるもの」佐伯啓思、の後半部分。

…今回のコロナ騒動は、はからずも「必要」と「不要不急」の区別を前景へと押し出した。確かに、この区別はあいまいである。だがそれでも、われわれは、何が必要で何が不要不急かを改めて問うた。人は最低限の「必要」だけで生きているわけではない。しかしまた、「不要不急」の無限の拡大は、人の生から本当に必要なものを奪い去りかねない。そしてわれわれは「必要なもの」と「不要なもの」との間に、実は、「大事なもの」があることを知った。
信頼できる人間関係、安心できる場所、地域の生活空間、なじみの店、医療や介護の体制、公共交通、大切な書物や音楽、安心できる街路、四季の風景、澄んだ大気、大切な思い出。
これらは市場で取引され、利潤原理で評価できるものではない。またいくら「不要不急」を市場で拡張し、経済を成長させても得られるものではない。むしろ過度な市場競争と経済の拡張がその障害になりかねないであろう。「必要」も「不要不急」も、この「大事なもの」によって支えられ、またそれを支えるべきものである。
生の充実には、活動の適当なサイズがある。われわれは、物事にはすべて適切な大きさや程度があり、無限の拡大がよいわけではない、という実に当然の考えを忘れてしまった。その結果、「大事なもの」を随分と失い、傷つけてきたのではなかろうか。

前書きの二つ目はサンデー毎日(1/3号)から、今回は保坂の連載で、岸元首相に関する記述だけをご紹介します。これを読むと、安倍晋三が岸伸介のデジャブ(またはゾンビ)であることが良く分かります。

「世代の昭和史」保坂正康
『60年安保闘争は戦後世代の怒りだった。歴史の舞台に登場したごく普通の青年たち』から
今回は、保阪氏自身も参加した60年安保闘争を、政治の文脈ではなく、戦後世代の広範な怒りの爆発として捉える。
私はあの安保反対闘争は、革命の予備行為ではないと前置きして、「あの反対闘争は、戦後民主主義教育を受けた世代の壮大な実験だった」との見解を述べた。
加えて「岸内閣やめろ」は太平洋戦争開戦時の東條内閣の閣僚であったことへの不潔感が、燎原の火のように広がった理由であった。
60周年の講演会で、私はこの運動の主軸は昭和21年4月から始まった戦後民主主義教育を受けた世代による総反乱ともいうべき事態であったと見る。
小学校時代から日本全国で見よう見まねの民主主義教育が始まったのである。こういう民主主義教育をどのように受けいれるにせよ、児童、生徒はともかく戦前を全否定するのが学校教育の中心軸になったというべきであった。
あの未曽有の大衆運動の盛り上がりは、左翼運動の成果といった形で語られるのだが、「果たしてそうか」との問い直しを許さないほどの杓子定規の見方で語られてきたというべきであった。あの時代、私は京都の私立大学の2回生であった。「安保ハンタイ、岸をタオセ」と叫ぶ学生であった。私たちは、安保反対とは叫ぶのだが、安保条約になぜ反対するか、そんなことはほとんどの学生は知らなかったであろう。
しかし、岸信介という総理大臣には何としてもやめてもらわなければならなかった。この首相は、我々が学んできた戦後民主主義の敵対者であり、許すベからざる民主主義の破壊者であり、再び戦前の体制に戻す権力者でもあった。そういう怒りは日本中に広がった。まず、岸がなぜ民主主義体制の破壊者なのか、そのことを明確にしておかなければならない。岸首相が誕生したのは、昭和32年2月である。前任者の石橋湛山首相は自由民主党の最初の総裁であり、首相であった。しかしこの首相は就任以来、健康を害してわずか65日で辞任した。そこで副総理であった岸が首相に就任したのである。
石橋と岸の政治姿勢はあまりにも開きがあった。岸の政治家としての体質は、大日本帝国の官僚のままであった。商工省の官僚として栄達の道を歩み、昭和16(1941)年10月に誕生した東條内閣に商工大臣として入閣している。この2力月後の日米開戦では、開戦詔書に署名している。戦後は戦犯容疑者として巣鴨プリズンに収容されている。戦後は政治活動を再開するが、アメリカ側からは常に警戒の目で見られていたといわれる。
日本各地にデモの渦が広がった首相になって日米新時代を唱え、安保条約は日本にとって片務的だから双務的に変えたいと言った。そのことはこの条約はアメリカが日本を守ることになっているが、それを双務的にして日本もアメリカの防衛戦略の一端を担うよう変えていくというのであった。こうした外交面だけではなく、内政面でも警察官職務執行法改正案を国会に上程している。警官の権限を大幅に認めて自在に職務質問をしたり所持品検査を行えるなど、まさに人権を無視しての改正案であった。
戦前の特高警察反対の運動が燃え上がり、岸内閣は法案を廃案にせざるを得なかった。
(編者注:ところが安倍内閣では、杉田副長官という形でその特高が復活しているのです)
こうして出されたのが、安保条約の改定案であった。国会での野党の質問に岸内閣は、何度も答弁に詰まっている。つまり改定案は極めてガサツな内容だったのである。
こぅした反対や疑問の声をよそに岸内閣は強引に議会運営を進めて、昭和35年5月19日には、安保特別委員会での強行採決、そして衆議院では審議打ち切り、強行採決と、まるでアメリ力の大統領が来日するのに合わせて強行採決する暴挙の繰り返しであった。この5月19日からの1力月間の日本社会は、それこそ前述したようにデモ行進が国会を幾重にも取り巻き、全国各地にデモの渦が広がった。それがいわゆる「60年安保闘争」であった。
(編者注:安倍内閣も全く同じように振舞ってきました。安保闘争との違いは大規模なデモが起きなかったことだけです。その代わり憲法学者の99%が、集団的自衛権は違憲だという指摘をしました)
この1力月間に、日本の民主主義のレベルが試されることになった。戦後民主主,義の答案を、私たちの世代は書かなければならなくなったのである。その答えが試されたというべきであった。私の世代は、この1力月間に歴史に誇れるような答えを書いたと自負していいのではないか。無論それは、国会に突入しての騒乱状態が良かったなどと言っているのではない。ごく平凡な青年たちが主役であったというのが世代論から見た視点なのである。
ごく普通の青年たちが意思表示した例になるとも言えるのだが、例えば6月15日の安保改定阻止国民会議の行動デーである。
日ごろデモなどに行かない学生も、京都では円山公園に集まった。日ごろはせいぜい3000人も集まれば大成功と言われるのが、学生の集会であつた。ところがこの日は円山公園に5万人近くの大学生、高校生が集まったのである。見ていると自治会などない女子大の学生が手製の旗を作って持ってきたり、高校生たちがひとかたまりになっていたり、とにかく自発的に、岸内閣の暴挙を許さないと叫んだのである。
このデモの時に、日ごろは商店主やタクシーの運転手と諍いが起こるのが常だった。しかしこの日は誰もが拍手をして学生のデモを歓迎していた。無論これは京都だけの話ではない。全国どこの地域でもこのような光景が見られたのである。
60年安保の本質は、革命の予行練習どころか、「岸はやめろ」と叫んだ青年たちの怒りが全国に広がったということであった。
60年安保闘争には、子供を背負った母親も参加している。京都で市民のデモにそういう母親の一団を見た時に、私はなぜか涙が出てきた記憶がある。この時のデモは、真に意味を持つのはこういう光景だとの思いが、私にはあった。
岸首相の退陣、アメリカのアイゼンハワー大統領の訪日中止、などが相次いで決まったのは、戦後世代の学生、会社員、労働組合員などの意思表示ということができた。こういう見方は、政治的、思想的見方とは一線を画することになるのだが、むしろ政治的見方を廃することにより、「真実」が見えてくると言えるのではないか。

・杉田副長官が会員選考で事前協議。
https://jp.reuters.com/article/idJP2020122501002715

・Goto,五輪開催は悪魔の戦略。野口悠紀雄。
https://mainichi.jp/articles/20201223/k00/00m/040/168000c

・危機感不在の呆れた3次補正予算。
https://diamond.jp/articles/-/258214


1845.悪夢の安倍・菅政治。20/12/28

今日もサンデー毎日(1/3)からです。
菅流「独裁人事」の醜い馬脚 倉重篤郎 から一部を紹介
桜疑惑で追い詰められつつある安倍氏。学術会議任命拒否やコ□ナ失政で支持を失いつつある菅氏。両政権の国民に対する罪と罰を、桜疑惑を告発した元最高裁判事の濱田邦夫氏が法律家の立場から厳しく裁く。

日本記者クラブが年明けに実施する桓例「予想アンケート」の中に、「12月31日現在の首相は誰か?」という設問がある。かつては1年ごとの首相交代もあり、難問となることがあったが、2020年も正解者は少なかった。有効回答総数243人のうち「安倍晋三」と書いたのが172人。世の中の動きに常日ごろから関心を抱き、政局情報にも明るいプロたちだが、菅氏を言い当てたのが4人(1.6%)しかいなかったところに、20年国内政局の最大の肝、サプライズがあった、といえる。

なぜ、安倍氏が突然退陣し、後継が菅氏になったのか。安倍氏がコロナ対応で疲弊、持病の再発もあった。だが、隠された第三の要因として「桜を見る会」疑惑があった、と私は申し上げてきた。前夜祭を1人5 000円会費で行いホテル側と参加者が対面で精算、何ら問題はなかった、とする安倍答弁がいずれ破綻する、その先を見込んでの退陣であり、危機管理上の都合から安倍氏が菅氏を後継指名した、という推論だ。

この稿では、元最高裁判所判事の濱田邦夫氏(84)に聞く。濱田氏といえば、集団的自衛権行使を一部容認した新安保法制採決に際し、国会に呼ばれた公述人として「政治家には、知性と品性、理性を尊重していただきたいし、少なくとも、それがあるような見せかけだけでもやっていただきたい」と強行採決しないよう牽制、「今は亡き内閣法制局」という表現で、憲法の番人と言われた組織を痛烈に皮肉ったのが記憶に残る。ドッコイ、「桜」にも絡んでおられた。5月21日、「桜」疑惑を公職選挙法、政治資金規正法違反で検察に告発した弁護士ら法律関係者662人のうちの一人に名を連ねていたのである。

告発から半年後の11月、読売新聞が「補?」スクープ。
「驚きました。親安倍政権だった読売がなぜ、と思った。いずれにせよ、800人もの参加者にホテルがいちいち領収書を出すなんてことは常識的に考えてもありえない」

安倍氏は補?はないと。
「今振り返ると、とうとうと?を強弁していた、としか思えない。人間というのは一つ?をつくと、それをカバーするためにどんどん?が膨張していく。最後は自分まで信じてしまう。普通の人だと、ちょっとやりすぎたかな、という恥じらいがあるが、安倍氏の場合にはそれがない」

「桜」に限らない?
「ご飯論法というのもあった。質問の矛先をずらし、自己正当化につなげる。安倍政治の問題点の一つに、ルールとそれに先立つ言葉を尊重しない、という『性癖』があった。言葉と論理、つまりは法律を尊重しない。森友.加計問題でも感じたが、最初は大見得を切るが、結局自分の言葉に責任を持たない。屁理屈で自分自身や友達に有利になるように法の趣旨を捻じ曲げていく。人間としても問題だが、ましてや一国の首相だ」

安倍退陣はどう見た?
「アベノマスクなどコロナ対応の失敗が続き、どうしようもなくなった。憲法改正もアウトになった。ストレスから持病も再発、首相在任の『最長不倒距離』も達成し、まあいいやと……」

「桜」原因説がある。5月に告発があった。検察が林眞琴検事総長 (7月17日就任)体制に一新した。
「検察も告発があれば何もしないわけにはいかない。調べないで不受理というとまた問題になる。しかも、相手はうるさ型の弁護士たちだ。安倍政権下でホテル関係者ら水面下の取り調べが始まったのだと思う」

退陣先行で取引?
「そうすれば検察側も手心を加えるのではないか、との期待が安倍氏側にあったかもしれない。要は、弁護士、裁判官、検察官という法曹三者の共通の土俵がどこにあるか、ではないか。三者とも司法修習生時代は一緒に育っている。それぞれ選ぶ道はあるが、法律家として、基本的に守るべきルールは共通だ。そこがポイントだと思う」

「米大統領選でトランプ陣営の『選挙不正』の訴えを米最高裁が却下(12月11日)したことにも表れている。判事9人のうちトランプ指名が3人いたが、いずれも選挙の不正を認めなかった。保守でもリベラルでも法律家の最低限のベース(基礎)があり、それが出た」

日本のベースはどう?
「告発を受けて捜査はきちんとする。だが、捜査結果としては、担当秘書が補?分を政治資金収支報告書に記載しなかった、という政治資金規正法(不記載)の形式犯で起訴猶予(罰金)、軽罪処理になるだろう。国民の税金を後援会の饗応に使ったのが根本問題で悪質だが、検察はそれを立件するつもりはないようだ」

安倍政治の総合評価は?
「アベノミクスといぅ政策は見掛け倒しだった。…法律家の立場から言うと私は評価できない。集団的自衛権の行使を容認するにあたり、本来は憲法9条改正といった手続きを経るべきなのに内閣の閣議決定で急に変えた。法解釈の安定性という意味で非常に問題があった。改憲しなくても改憲と同じようなことが実現できるというおかしなことになってしまった」

「今は亡き法制局」と。
「あれはアドリブで出た言葉だった。ただ、元法制局長官の一人が『よくぞ言ってくれました,』と。昔の法制局関係者からすれば、古巣が目茶目茶にされた、という思いだろう。森友では結果的に財務省に公文書の改竄までさせた。公務員の質の低下が進み若手がどんどん辞めている、とも聞く。日本の政治社会全体に腐敗を招いたという点で安倍長期政権の責任は重い」

「桜」に戻る。秘書の責任、I件落着でいいのか?
「安倍氏本人が知らなかったわけはないと思うが、少なくとも監督責任はある。安倍氏が大政治家として後世に名を残すつもりならば、すべてを告白し、非を認めて、議員をお辞めになるのがその道でしょう。余計なお世話ではあるが、私からのアドバイスだ」

菅政隆はどうか?
「苦労人で叩き上げというからもう少しマシかと思っていたが、どうもその場その場で泳ぎ方がうまくてあそこまで行った人になってしまっている。意外と短期間で馬脚を現した」

人事に執着し過ぎでは?
「最高裁判事人事も安倍.菅時代で変質した。弁護士枠は、日本弁護士連合会の推薦を事実上受けつけなくなり、加計学園監事だった人が判事になったりした」

日本学術会議の新会員任命拒否は?
「明らかに学術会議法違反だ。7条の『推薦に基づいて首相が任命』という規定、そして1983年の中曽根康弘首相(当時)の『形式的任命』答弁からは、推薦自体に非常に問題がある時のみ任命拒否できる、と読める。つまり、首相には『候補者の思想信条が政府の方針に反していた』という理由で任命拒否する権限はない。さらに言えば、推薦された人の中から首相が自由に任命できるなんてことも条文解釈からしてありえない」

菅首相は、憲法65条(行政権は内閣に属する)、同15条(公務員の選定、罷免は国民固有の権利)を持ち出して任命拒否の論拠としているが?
「首相が持つ学術会議会員に対する任命権が、憲法の規定する広い意味での行政権の範疇にあるのは正しい。だが、65条、15条が対象としているのは、あくまでも一般の公務員であり、学術会議会員は独立した組織の特別公務員なのでこの対象とするのは適当ではない。私は改めて学術会議法を読んでみたが、一般公務員たる職員と、特別公務員たる会員をきちんと分類している。にもかかわらず上位法の憲法を持ち出し、両者を強引に同じように扱おうというのは牽強付会、こじつけで筋違いの論理と批判されてしかるベきだ」

内閣法制局のお墨付き。
「今は亡き内閣法制局が亡霊のように現れたのかもしれない。任命拒否がすぐに学問の自由の侵害に関わるわけではないが、一歩手前まで来ていると考えるべきだ。つまり、政権が自分の気に入らない分野に予算を出さなくなり、それが重なれば学説も政権寄りになり、ひいては学問の自由が奪われる可能性がある。社会から多様な意見が失われる。それがどんな社会かはかつて日本が歩んだ道を振り返ればわかるはずだ」

安倍、菅政治とは?
「5年前国会で、政治家に知性、理性、品性が欲しい、と言った通りだ。その後フィリピン、トルコ大統領、米国トランプ氏と、日本をはるかに超えた政治家が登場、世界的にポピュリズム、ナショナリズムの台頭、民主主義の形骸化が進んでいるのは確かだ。だとしても、それに悪のりするのはいかがなものか。知的反省もなく、自分をサポートする人たちの当面の利益を優先、一国の首相が?を言い続けてきた。菅氏もそこを明確に変える、という方向性を打ち出せていない」
「もちろんそれを支え続けた国民の責任もある。安倍政権は国政選挙6連勝だ。安倍、菅政治は、日本社会のあり方自体を反映、体現したわけだ。それは我々が生み育ててきたものとして反省する必要がある」

やはり、国会で?をつき続けた政治は許すべきではない。それは我々にも向けられた元判事渾身のメッセージと受け止めたい。(倉重篤郎)
コメント:「安倍、菅政治は、我々が生み育ててきたものとして反省する必要がある」。この一言が全てです。

関連記事。安倍氏不起訴。捜査は尽くされたのか。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/76525?rct=editorial

関連記事。国家溶かした安倍。
https://mainichi.jp/articles/20201226/k00/00m/040/270000c

関連記事。首相が紙に書いたことを読むだけの日本は最悪。村上冬樹。
https://diamond.jp/articles/-/258224

【コロナ関連】

・東京で708人感染。重症者も最多。
(NHK,東京新聞など)
コメント:日曜日でこの数字です。いつ千人を超えてもおかしくありません。しかもその数字でさえ、症状があるか、濃厚接触者だけの数字なので、感染者全体は遥かに大きな人数でしょう。ところが厚労省と保健所が、検査を意図的に絞っているから、未だに全体像さえ分からないのです。米国では国民の千人に一人が死んでいるのです。日本でも同じ状況なら10万人です(20万と言ったのは8割オヤジです。あの時の過剰反応 が後遺症になって、その後一切の引き締め策=緊急事態宣言を含む、が実行できなくなったのです)。



1846.年初に想う。21/1/1

明けまして、おめでとうございます。
今年はなんとかコロナを生き抜いて、(少なくとも去年よりは)良い年にしましょう。

恒例の紅白豚合戦、いや紅白歌合戦は、知っている歌も、印象に残る歌もほとんどなく、エールの特集部分を除いては、オオトリの曲や香水も含めて、司会者が大ヒットだというけれど、そのどこがヒットなのかと首をかしげる曲ばかりでした。これは自分が年寄りだということも確かに影響しているでしょうが、端的に言えば、日本の音楽界が貧弱になっているからだと思います。昭和の大物作曲家や、作詞家が相次いで亡くなり、その後を継ぐがいないうえに、名だたるシンガーソングライターのベテランからもヒットが出ない。そんなお寒い日本の音楽会を、図らずも象徴していたのが紅白だと思いました。

今年最初の社会番組、朝まで生テレビでは、東京の感染者千人超えもあって、コロナの話題でした。最近では最もまともな議論が聞けたと思います。先鋒は東京都医師会の尾崎、自民党の武見、立憲の逢坂といった面々で、歩く見当違い、スーツを着た鉄面皮の片山さつきでは対抗できるはずもありません。分かってきたのは与野党ともに、検査の少ないこと、病床の足りないことに違和感と不安を持っているのに、なぜ検査も治療も進まないのかと言えば、そこにはお粗末な医療行政、もっとはっきり言えば、厚労省の役人の権益が絡んでいるということです。人を救うべき厚労省が、医師と治療の障害物になっているという、余りにも情けない、もっと言えば反社会的な実態です。そんな国が他にあるでしょうか。役人天国は国民の地獄なのです。その頂点に君臨する感染研は、自分ではワクチンの開発も、治療薬の開発も出来なかったし、民間の開発の支援さえできませんでした。その事実を専門家集団として恥だと思うべきなのです。

・東京、感染者1337人。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201231/k10012791571000.html
関連記事。都知事記者会見。
https://www.47news.jp/news/new_type_pneumonia/5665002.html
関連記事。焦る都民ファ。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020122900501&g=pol
関連記事。独首相。国民に心から感謝。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020123100217&g=int
コメント:都知事の発言は状況の説明だけ。最大級の警戒、備えが必要だと。それは都民が自分でなんとかしろと言っているに等しい。しかもこのままでは感染爆発になるという言い方もおかしい。「現状」が感染爆発なのです。都知事の主張は、国が緊急事態宣言を出せばいい、措置法を変えればいいの一点張り。自身の公約だった日本版CDCはどう役に立っているのかさえ、今もって分からない。記者の質問が報じられることも全くない。女帝による大本営発表(官房長官の発表と同じ)だけの、一方的な報道姿勢が相変わらず続いています。何故時短を要請できないのかと言えば、それは補償ができないからです。何故補償が出来ないかと言えば、一兆近くあった都の予備金が底を突いているからです。何故底を突いたのかと言えば、知事選の前に、無理矢理ばらまいたからです。そこには使徒不明、或いは正当性のない出費(不要不急)も含まれています。しかもその点をどのメディアも一切報じようとはしないばかりか、質問する記者もいないというのは異常です。こうなれば都債を募ってでも、一斉休業に踏み切らないと、感染は絶対に収まらないのです。でも、ひたすら、責任と負担を国に押し付けることだけに躍起になっているように見えます。自分が悪者にならないように、金がないことをつつかれないようにしているだけです。口ではなんと言おうと、どこまでも自分のメンツにこだわり、都民の命より自分の見栄を優先しています。格が違うと言えばそれまでだが、同じ女性の政治家でもメルケルとはなんという違いでしょうか。都民が直面している実情こそ、人災と呼ぶべきでしょう。ちなみに12/31時点で、政府には緊急事態宣言を発出する考えはないとのことです。また国と都の意地の張り合いですか。都と国の双方から、都民ははしごを(あるいは救命浮輪)はずされているのです

・イオンモールがテナント支援。
https://toyokeizai.net/articles/-/399651
コメント:日本の家主たちはこれを読んで、猛反省せよ。今のままでは小作を痛めつけた戦前の地主と同じではないか。


1847.古賀と室井。21/1/6

今日の前書きは週間朝日(1/15号)から2つのコラム(一部)です。
「五輪に第4波直撃も」古賀茂明
2021年は大変な年になりそぅだ。もちろん、一番気になるのは、新型コロナウィルスの感染拡大だ。いつ収束するかという先の話よりも前に、正月休みにあちこちで医療崩壊が起きている可能性が高い。
…こんな総理の下では、どう転んでも当分は、安心して旅行や外食はできないのは確実だから、その間、経済はさらに落ち込み、生活苦に陥る人も増える。自殺する人も増えるだろう。ただし、それは、移動や外食の自粛で経済が落ち込むからだといぅ政府の説明に頷いてはいけない。本当の理由は、困っている人を政府が助けないことにある。自助、共助などとまどろっこしいことを言わず、さっと手を差し伸べればよい。ところが、驚いたのは、菅氏の経済ブレーンである某内閣官房参与が、テレビで語った言葉だ。貧しい人に手を差し伸べたいのだが、IT化の遅れで所得を把握することができないのが心苦しいと言ったえで、「これは将来の課題として解決する」という。さらに、困った人への相談窓口があるが、役所の縦割りが問題となっているとしたうえで、「デジタル庁を作って各省庁のサィトを一元化する」と答えた。今日、明日、生きるか死ぬかと苦しんでいる人たちに、将来の課題として解決とか、半年以上先にデジタル庁ができるので「乞うご期待」という寝ぼけた答え。菅総理にこんなアドバイスをしているのかと思うと絶望的な気持ちになる。
菅総理は、国民に対する安心と将来の希望を与える言葉として、ワクチンの次にもう一つ挙げた。コロナを克服した証しとしてのオリンピック・パラリンピックの開催だ。英国発の感染力を増した変異ウイルスの拡大が恐れられる今もこの人の頭は五輪でいっぱいなのだ。
安倍晋三前総理は、昨年2月から3月下旬の間、五輪延期決定に至る交渉に没頭し、コロナ対策を放置して感染拡大第1波を招いた。菅総理もやはり、五輪最優先で、コロナ対策は二の次のようだ。やみくもに五輪開催を強行し、世界に胸を張るのが夢なのだ。…菅氏に代わる総理候補が見当たらないというが、だからと言って、このまま、わかり切った大災害へと突き進むのは愚かすぎる。
とにかく、菅総理をクビにする。そして、五輪を中止してコロナ対策に専念できる人なら誰でもいいから総理になってもらうべきだ。「緊急事態宣言」は、日本政治の中枢に対してこそ必要だ。

「信じてる」室井佑月
あけましておめでとうざいます。といっても、このコラムを書いているのはクリスマス前。それに、お正月になっても巷がおめでたい感じなのかどうかわからない。
…弱気になっている自分のためにも、改めて書いておくわ。権力に盾つかないことが大人の態度ではない!大人とは、自分の意見を持っている人のことだ。弱者に優しくできる人のことだ。そして、今だけだ、権力=正義のよぅになっているのは!
今の政府は、正義なんて関係なく、事実さえも無視して、自分たちの都合ばかりだ。恫喝でマスコミを抑え、人事権で官僚を黙らせて。彼らが考えているのは、次の選挙や、自分たちのヒエラルキーのことだけだろぅ。
けれど、それがいつまで通用するだろう。たとえば、新型コロナウイルスが彼らに忖度してくれるとは思えない。そして、力で押さえつけていた者は、力が削がれてきたら、ころっと裏切るのだ。コロナの感染拡大防止に向け政府がいっていた「勝負の3週間」とやらは、感染者数が急増し、12月16日に負けが確定した。マスコミも勝ったとは報じられまい。
専門家たちが早くから「冬になれば感染は拡大する恐れがある」といっていたといぅのに、政府は本来、コロナが収まってからやるはずであった、利権がらみの「Go Toキャンペーン」をなにがなんでも推し進め、感染拡大の防止や、医療体制を守るための政策に力を注がなかった。こういったことに対し、責任を感じない人が政治家でいるベきじゃない。
21年は総選挙がある。


1848.高村と寺島。21/1/7

今日の前書きはサンデー毎日(1/17)からです。
「コロナが顕わにした分断現実を心眼で見極めよう」村薫から
コロナに明け、コロナに暮れた厄災の一年が過ぎ(本稿は年末に書いている)、新しい年もまたロロナで明けるのだろう。
…さらに、ウェブは5Gの登場でますます使い勝手が良くなっているが、直の触れ合いを求める人間の基本的な欲望を代替することはできず、若者は街へ飛び出し、家族連れは公園にあふれ、政府が旗を振るGOTOキャンペーンには多くの国民が飛びついて、結果的に新たな感染の波をつくりだしている。ここにあるのは無症状者の多い若者や現役世代と、重症化リスクの高い高齢者の分断であり、感染抑止と景気刺激の二兎を追わざるを得ない政治の分裂である。
一言でいえば、私たちがコロナ禍の下であらためて目の当たりにしたのは、年代、社会的地位、価値観によってあらかじめ分断されてきた人間社会の本質であり、分断を中和するための社会的、政治的働きかけの多くが失われてしまった時代の現実である。
…ならば私たちは自由と引き換えに一定程度の感染リスクを負い、出歩く若者たちや呑み屋に立ち寄る大人たちと、危機的状況の医療という二つの現実を受け入れて、当面なんとか社会を維持してゆく以外にないだろう。テレワークで身を守れる人びととそうではない人びと、ジリ貧の業態と新たに生まれる業態、理念なき強権政治と死に体のリベラルなど、あらわになった断層を前に、ときどきにもっとも合理的な判断を下してゆくことが求められよう。
そのためには、つねに一歩退いて冷静な観察者となり、安易に正論を振りかざさないことである。

「コロナ時代、科学的共生の覚悟を」寺島実郎から
…格差拡大はどう対処?
「最も裕福な人は家に籠もってマネーゲームをし、中間層がテレワーク、下層の人たちがエッセンシャルワーカーとしてリスクを取るよぅな構図だ。新しい貧困という問題が生じている。デジタル資本主義の中でデジタルプロレタリアートという言葉も生まれつつある。かつて、産業資本主義の矛盾の中でマルクスが登場したよぅに、三つの資本主義(編者注:産業資本主義、金融資本主義、デジタル資本主義)の相関関係で生まれてくる不公正、矛盾をテコに新しい経済学が生まれかけているという予感がある。これが私自身を含め多分、今年の大きなテ
―マになってくるだろう」
コロナ対応は?
「昨年のコロナ対策を振り返ると、『42万人死亡説』という恫喝で自粛させるというシナリオでスター卜し、若干収まれば今度は『GoT0キャンペーン』で別の方向に過剰にスライドさせてきた。これもまた一回立ち止まり、正気に戻ろう、コロナとの共生に腹を括ろうよ、と言いたい」
コロナ時代の「新しい公共」とは?
「…日本のコロナ対策は、休業補償とクーポン券主体のインセンティブ型だが、市民やコミュニティーが主体的に動くクラウドファンディングを試みている。国と個人の間にパブリックという概念があるのが民主主義で、新しい公共と私は呼んでいる」
寺島氏といえば、自らも属す団塊世代に向け、4000万人の高齢者社会の到来を見据え、社会の重荷ではなく貢献するシルバーのあり方を模索(『シルバーデモクラシー』)高齢者は知の再武装をして、食と農、NPOなどで活躍すべし(『ジェロントロジー宣言』)と提言してきた人物だ。年頭に当たり、団塊世代への注文も聞いたら辛口の答えが返ってきた。日く。
「団塊世代とは戦後民主主義が生んだ徒花のようなもの。夏目漱石が言う強固な個人主義ではなく、ミーイズムという私生活主義の弱さを内包、日本をどこに持っていくか、という大構想力が花開かないままここまで来てしまった。ここで何を残すか、正念場です」
正気を取り戻す正念場である、と。「全体知」の思想家からの21年の日本のあり方を根本的に問い直すメッセージと受け止めたい。(倉重篤郎)
コメント:あっしも正念場でげしょう。

・かつてない不確実性の2021年。野口悠紀雄。
https://diamond.jp/articles/-/259099


1849.芸能界も新陳代謝を。21/1/11

・民放TV局が悲鳴。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6381775
コメント:あってもなくてもいい番組、ギャラが高く、知名度以外に何の取り柄もない既得権タレントが、淘汰されるのは仕方がないと思います。芸能人も選別の時代に入ったのです。最初の整理対象は、かくぜつが悪くなっているのに、逆にギャラアップを要求しているタケシでしょう。再婚相手に問題があり、仲間からも孤立、TV局ももて余している(できれば切りたい)と週刊誌が報じているので、切るのなら今が良い機会だと思います。もう十分蓄財したタレント(ダウンタウンを含む)は、この際全部交代してもらって、エンタメ業界全体の若返りを図るべきです。
司会では、すぐに切れる田原は賞味期限切れだし、所もサンマもマンネリです。若手の司会者では、池上も林修も出ずっぱりで、ネタ切れです。
とにかく一部のタレントへの集中現象は、競争を排除し、すそ野も広がりません。朝ドラに主演したというだけの、演技力も個性もない若手の女優も例外ではありません。
とにかくこの機会を前向きにとらえて、あらゆる既得権について、聖域なしに一斉に見直しを行うべきです。知名度が高いというだけで、能力が評判に見合わないタレントが、豪邸や高級車を保有するような社会は、何処かが病んでいるのです。
今回、見直しが可能になれば、それはとりもなおさず、日本のエンタメの質の向上と、再活性化に直結するはずです。


1850.新聞報道の使命。21/1/13

昭和史の第一人者で元文芸春秋の編集長である、半藤一利が亡くなりました。死因は公表されていないが、朝自宅で倒れているのが見つかったこと、90歳なので、コロナの可能性も捨てきれません。同氏は保坂康之と並んでリベラルな高齢者の代表であり、同年代の一人として、謹んでお悔やみを申し上げます。今日は同氏を偲んで、関連がありそうな、朝日新聞の今朝の論説の一部をご紹介します。

多事奏論 「危機と新聞報道の使命放棄はもう許されない」朝日新聞編集委員 駒野剛から
1936 (昭和11)年2月26日。東京朝日新聞の夕刊発行はなかった。翌日、朝刊の社告で「不慮の事件のため工場の一部に支障を生じ已むなく休刊いたしました」と釈明するが、事件が何か分からない。だが社告右上に大見出しが躍っている。
「昨早暁一部青年将校等各所に重臣を襲撃 内府、首相、教育総監は即死」「帝都に戒厳令布かる」。2 -26事件の勃発だ。
陸軍将兵は政府高官を襲った後、東京朝日新聞社に乱入して新聞印刷の活字棚をひっくり返し、東京日日、報知、時事新報などにも現れて決起趣意書を渡して回った。
朝日に夕刊発行に支障のない活字は残っており、出そうと思えば出せた。ただ再襲撃を恐れて発行をやめたのだ。結果、事実の速報という使命を放棄したことになる。
27日が事件を伝える初報になったものの、朝日の腰は引けていた。この日掲載された社説は「職業紹介制度の改正」、次の日も「連盟政治の試金石」で、未曽有の蛮行に触れず済ませてしまう。
29日になって「一億臣民一致の義務」、3月1日に「帝都平穏に帰す」「岡田首相生存と事態収拾」と事件に触れたが、非道を批判したり厳罰を求めたりしていない。
事件を起こした軍が行政、国民への監督、指揮命令権を握る戒厳令は7月18日に解除されるまで続いた。朝日など新聞の弱腰が軍部の焼け太りを容認し、その後の軍国主義の専横を招いたと言わざるを得ない。
…言論の使命を貫く新聞はなく、日本は愚かな戦争に突入していったのだ。
コロナ禍の深刻化を受けて、菅義偉首相は緊急事態宣言を再発出した。首都圏で拡大する感染を沈静化させるため、人の移動や飲食店の営業時間など感染の機会を極力減らす政策の選択も、今はやむを得まい。
しかし緊急事態宣言による制限は、人々や企業の自由な判断を阻害し、人権などの権利を損なうという深刻な副作用を伴う。
命と自由。両者のかけがえのなさはてんびんにかけられない。権力でどちらかを優先しようとしても縛りきれない。だから命と自由の案分は国民一人一人が担うしかない。その判断には正しい情報が不可欠だ。
危機にこそ新聞は正しい情報を伝え続ける使命を貫かねばならない。権力に行きすぎ、間違えがあった時は、冷静に、そして率直に指摘する。とりわけ制限が不当だったり長すぎたりせぬよう、不断の監視が欠かせない。
あの過ちの再現は、絶対に許されない。


編者注:半藤については以下も参照願います。
・世代の昭和史から
http://wtw.xsrv.jp/indexsekai1840.html