「WTWオンラインエッセイ」


【第13巻内容】


「参院特別委員会」
「再び強行採決」
「NHKのおぞましさ」
「日本の正義と米国の正義」 
「私には夢がある」
「現実論の詭弁」
「真実の伝え方」
「公的年金の世代格差」
「こんなものいらない」
「安保法、著名人の意見」
「マイナンバー」
「リコール権を与えよ」
「自動車の話」
「格安SIM」




「参院特別委員会」2015/9/18

ネットで国勢調査の入力を終えた。作業は簡単なので、もっと設問を増やしても良いと思う。NHKの自称世論調査も、電話ではなく、ネットにすればより正確な民意を反映できるのではないか。なぜなら考えながら回答する時間があるからだ。

9/17の午後の参院特別委員会での、委員長への不信任動議の各党説明が終わり、動議への採決が終わったとたん、自民党の議員(無論委員ではない)が委員会室に多数乱入して委員長を取り囲んでスクラムを組んだ。委員長が何を言っているのか全く聞き取れない中で、ひげの佐藤が手を振る。それを合図に与党議員がた立ち上がる。すべては事前の打ち合わせ通り。この騒動を政府は採決と呼んでいる。事前の総括質疑も何もあったものではない。採決を宣言する声さえ届かない。なりふり構わぬ醜い強行採決だった。国民の声も、野党の意見も聞く耳など全くない。説明にもならない、矛盾した言い訳だけをだらだらと繰り返し、それが丁寧な説明であり、議論は尽くされたと言うのか。

誰とは敢えて言わないが、怪物と言うにはあまりに小心で、思考能力も想像力も欠如した独裁者。嘘をつくことを何とも思わず(これは独裁者の特徴)、被害妄想の上に誇大妄想(これも独裁者の特徴)。その偏向した一個人の野心に振り回される日本とその国民は、いまや戦後最悪の政治的災害に見舞われている。米国の戦争に協力するために、自衛隊を海外派兵するという、憲法9条が封印してきた軍事行動のパンドラの箱を、鍵(改憲)さえ使わずに、力づくでこじ開けた政治家の姿がそこにある。

しかし彼が愚かであるがゆえに、忘れていたに違いないことが一つある。それはパンドラの箱の底には希望が潜んでいるということだ。それは今まで政治に無関心だった学生や主婦が、日本の政治と政治家に抱き始めた疑惑と危惧という形で、立ち上がったことだ。国会を取り巻く反対運動の大きなうねり。NHKはそうしないと公平でないと思ったらしく、新宿駅前の賛成運動を紹介した。でもそこに集まっていたのは20人ほどに過ぎなかった。この差が、日本の国論が、二分されているなどという表現では説明がつかないことをはっきりと示している。国民の理解が進まないと言うが、それも実態ではない。国民は反対だ。それも大反対なのだ。連休が終われば反対運動は収まるだろう、国民はすぐに忘れるだろう。もうそれはあり得ない。そうまでしてでも、日本の既得権階層は自分達だけの利権を守りたいのか。日本人としてのプライドはどこに行ったのだろう。

パンドラの箱を力づくで開いてしまった某首相を含む、権力層の為なら国でも売るような閣僚たちは、今回の反対運動がどう発展してゆくのか、見届けよ。なかなか腰を上げない者は、一度腰を上げたら、今度はそう簡単に腰を下ろさない。何しろ自民党の議員諸君と違って、我々は物分かりが良くないのだ。なにより自民党の常識が、決して世界の常識ではないからである。

・関連天声人語。やむにやまれず立ち上がる。
・関連記事。あれが裁決なんてふざけすぎ。議員辞めたら。茂木健一郎。
特別委員会の委員長の不信任動議についての、各党説明は極めて長く、それぞれが30分以上を使った。これも打ち合わせ済の戦術だろう。NHKはそのまま放映するしか方法はなかった。さすがに今日だけは大相撲をEテレに移した。この不信任動議の説明を見た人は、これまでの曖昧な委員会での如何なる質疑応答よりも、はっきりとこの法案の意図や弊害を理解できたに違いない。

中でもこの法案が米国の指示によるものであり、日本では未だに占領が続いていることを明確に指摘したのは生活の党の山本太郎だけだった。与党のヤジを、ありがとうございますと受け流しつつ、そんなに海外で戦争したければ、自衛隊でなく、国会議員が自分で行けば良いと言い切った。そうだそうだというヤジが飛んだ。自分達は権力者の側で甘い汁を吸い、汚い仕事は自衛隊にやらせ、増えた軍事費は国民に増税で負担させる。しかも国民の6人に一人が貧困。その子供も当然貧困。シングルマザーの1/3が貧困。金融資本主義の米国の支配下で、米国の悪いところだけを真似しようとする国。それが日本の実像なのだ。今日ほど山本太郎に1票を入れておいて良かったと思った日はない。

・関連記事。山本太郎。国会のタブーに挑戦。
一言私から付け加える。いくら我々が騒いで見たところで、どうせ与党が国会を支配している。いくら反対しても無駄だという意見もある事は分かる。でも国民が政府の動きに目を光らせていて、おかしな政策には、直ちに反対の声を上げるという事は、決して無駄にはならない。国民の反対があっても、今の政府なら政策は変更しないだろうが、世界は、日本政府の政策に日本の国民が反対しており、政府が国民の支持を得ていないことに気が付く。そしてもっと大事なことは、日本の国民が安倍政権とは異なる考えを持っていて、平和憲法を愛し、日本と世界の平和を強く願っていることを知るのである。そういう地道な批判の積み重ねが、やがて政権交代という具体的な形を取り、日本を変える有効な力になる。だから絶対にあきらめてはならない。独裁政権を倒すものは、外国の圧力ではない。その国の民衆の力でしかないのである。



「再び強行採決」2015/9/19

国会の状況はご覧の通り。野党は不信任案や問責決議案、或は牛歩戦術で抵抗し、強行採決を少しでも引き延ばそうと絶望的な戦いを展開したが、午前2時過ぎにとうとう採決。特別委員会では公聴会の報告もなければ、総括質疑の時間さえ取らず、議事録には議場騒然としか書かれていないような採決に、一体どれほどの正当性があるというのか。基本的に安倍政権と自民党の横暴さを指摘する点では各党異口同音だ。中でも女性の立場で発言した新緑風会の神本美恵子議員の説明が、最も分かり易かった。

これからリベラルな国民には苦難の道が待っている。ネトウヨの若者たちは、自身では湯億と左翼のくべつもつかないほど愚かなくせに、リベラル派を、サヨクという侮蔑的な表現でひとまとめにしようとする。歴史から学ぶこともなく、自分の頭で考えることもせず、保守政権の言い分だけが唯一絶対のものであるかのように思い込み、筋道だった議論には怒号や中傷を浴びせるしか能のない全体主義の(それも結構若い)人たちと、いつかどこかで、必ず対決しなければならなくなるという予感がする。その時に備えて、いまリベラルな人たちに必要なものは、理論武装と冷静さだ。そして仲間を増やして連帯する努力である。とうとう明日の日本を政治家には任せられない時代が来てしまったのだ。連携する相手が異なるとはいえ、まさか日本に軍国主義が復活する時代が、しかも自分の生きているうちに来ようとは、思ってもみなかった。安倍晋三という形を取った戦前の亡霊が、毒キノコのよう頭をもたげ、独裁政権を作り上げ、憲法と民意をここまで踏みにじる暴挙に出るとは、想像もしていなかったのである。もはや心ある日本人は、老若男女を問わず、否応なく、立ち上がらなければならなくなっている。そしてそこまで国民を追い込んだのは、他ならぬ歴史修正主義、国家主義の安倍首相自身なのである。
関連記事。良識の府が総括質疑をすっ飛ばす異常事態。

今回野党は良く頑張ってくれたと思う。その努力に感謝したい。徹夜続きだろうから、連休はゆっくり休んでほしい。その後で、安倍政権を一日でも早く退陣に追い込む方法を一緒に考えよう。その中で残念なのは、支持者の気持ちからさえ離れてしまった公明党が、民意にもっと配慮していれば、民主主義を名実ともに否定するような、このような結果にはならなかっただろうということだ。



「NHKのおぞましさ」2015/9/21

安倍内閣の不支持が支持を大きく上回る傾向は変わらない。それにつけても法案採決前日に行ったNHKの世論調査とは一体何だったのだろう。これからは世論調査のNHKではなく、世論操作のNHKと呼ぶことにしたい。ちなみに放送総局長は板野裕爾=籾井の腹心、その下の報道局長は荒木裕志=籾井に接近中、という人物らしい。こうした人たちが居座り続ける限り、NHKに公共放送の資格はない。
籾井会長の狂気。官邸の出先機関NHK。



「日本の正義と米国の正義」2015/9/22

自民党の理屈では、米国の正義が世界の正義だ。だから自衛隊は米国の戦争に進んで参加し、米軍について、銃を担いで地の果てまで出てゆくのだ。そんな事はしないと安倍首相は言ったと反論しても意味はない。彼らは国会で、自衛隊の活動の地域は限定しないとはっきり断言しているのだ。

次に有名無実の後方支援がある。そんな甘いことを米軍がいつまでも許すわけがないことは子供にだって分かる。米国民の不満は、なんで日本の国民を守る為に、米軍が戦わねばならないのかというものだからだ。どうしてそういう不満が出るのかというと、それは彼らが日米安保の背景も目的も全く理解していないからなのだ。自民党のお馬鹿なタカ派議員たちにもそういう傾向がある。即ち何も理解していないということだ。米国は日本最大の友好国であって、何かあれば友情で日本を守ってくれると。でもそんなことは安保条約の前提にはなっていない。好意で守ってくれているのではなく、日本が引き換え条件として守ることを要求したからなのだ。それも戦後の長い自民党政権の間にそのように変貌してしまったのである。

冷戦が激しさを増す頃、日本の米軍基地を維持することは至上の命題だった。ソ連と中国の間近に、短時間で爆撃機が発進できる不沈空母を持っているのと同じだったからだ。米国に対立するソ連のキューバのような存在だ。だから米国は、当時とっくに戦後になっていたのに、日本で基地の存続を強く要求したのだ。当時の国民は、その要求を一度は拒否した。外国同士の戦争に巻き込まれたくなかったからだ。それは今回の安保法制への反対と同じ理由である。未だその頃は語り部も多く残っており、軍部の暴走が引き起こした大戦の記憶が生々しかったからである。帝国陸軍が一億総玉砕などを唱えて、国が全滅してもなお守ろうとしたものは一体何だったのか、未だに理解できない。むしろそれは国家主義、全体主義が硬直した考え方しかできないことの見本でしかないのではないか。国見の命より国が大だというアレである。いまの自民党やネトウヨのように。自分では命を投げ出す気もないくせにである。

押しつけとかなんとか言われても、平和憲法を日本の国民が受け入れたのは、理不尽な戦争の記憶があるからだ。日本国民の精神性に平和憲法が深く浸透したのは、人間が共通に備えている人間性に根差していたからだ。それさえも理解しようとしないで、安倍晋三は何が改憲か。何が公共の福祉(=国家の利害)の為に、個人の権利は制限されるべきだ。日本近代史も、民主主義の理念さえも勉強していない者に、一国の(しかも民主主義国の)代表たる資格があるとは到底思えない。

いかに米国が、自由主義陣営を守る為に日本の基地が必須だと言おうとも、とにかく戦争は二度と御免だ。外国の基地を日本の国内に置きたくはない。そんなものがあれば、ソ連や中国が弾道サイルを日本に向ける口実を与えるだけだ。いわば、戦争が始まってもいないのに、米国の前線が日本にあるという事に他ならない。その結果、一触即発の核の脅威にさらされ続けたのが、他ならぬ日本国民なのだ。ただそれに気がついていなかっただけのことだ。小林節は、米国の軍事力に頼らない安全保障など幻想に過ぎないと常々言っている。しかし、戦後の混乱の20世紀を、日本という小国が生き延びてきたのは、果たして全て米国のお陰だった言い切れるのか。日本の政治家、外交官、就中国民は何もしてこなかったのだろうか。

中でも米軍にとって、沖縄は重要な基地だった。アジア全体をにらむ位置にあるからだ。そしてそれは朝鮮戦争でも、ベトナム戦でも、実際に効果を発揮したのである。ここで念を押しておきたいが、朝鮮戦争は、日本に地理的に近いこともあり、対中国進出阻止の意味があったかもしれない。しかしベトナム戦争の場合は日本とは全く無関係なのだ。そして米軍への基地提供という形で、日本は間接的に米国の戦争に協力してきたのだ。

米軍には日本を守る義務などないというのは、実は米国の勝手な理屈だ。それは基地提供とその費用負担の代わりに、日本政府が米国に提示した契約=条約の条件であり、米国にはそれを守る義務がある。そしていま米国は国防費を削減したい。だからこの際、日本を守るのはやめて、その代わりに基地も撤収するというのなら未だ話は分かる。しかし無論のこと、そんな気は米国にはない。米国は太平洋の覇権を手放す気など全くないし(ハワイもグアムもある)、日本に対する期待はあくまで米軍の指揮の下で、米国の利権の為に戦うことなのだ。

日本は自国を守る方法、即ち選択肢の検討さえしていない。如何なる国にも栄枯盛衰がある。米国だって例外ではない。いずれ米国が何らかの理由で衰退したときに、日本はどうやって自国を守るというのか。中国にでも頼るのか。今の安保法案で、決定的に間違っているのは、国を守る為と称して、国そのもの(主権)を外国に売っていることにある。これからの世界情勢を考える時には、多極化を無視できない。どのように判断し、どのように連携するかは、その時にならなければ分からない。だから、いつも両手は自由にしておかねばならないのだ。そういうフレキシブルな姿勢と価値観が、国家主義の自民党保守派には欠けている。そして自分で自分を縛るという、決して越えてはならぬ一線を越えてしまったのが、他ならぬ今回の安保法制なのだ。今度はお願いしたのは日本だ。だから見返りに戦争協力、即ち軍事同盟において、米国の戦争に自衛隊を出さざるを得なくなったのだ。

憲法によれば、日本は武装を放棄し(違憲でも規制事実化)、紛争解決の手段としては戦争は出来ない。だから違憲状態を少しでも緩和するという目的もあって、日本に基地があるのは、米国の要請であり、その代わりに有事には日本を守るというコンセプトがあった。しかし中曽根政権あたりから自民党はその解釈を変えるようになってきた。米国は世界の警察であり、日本の盟友である。日本の為に基地を置いてくださっている。だから最大限の便宜を図るべきであると。沖縄が絶好の場所だと米国が言うのであれば、沖縄県民に泣いてもらうほかはない。不満があれば金で解決する。そして米国の話題は国会ではタブーになった。米国との外交問題は聖域化し、外務省の米国部門は絶大な影響力を持つようになった。政官界では、親米派でなければ人に非ずになったのだ。

ところが親米派の実態はお粗末極まりないものだった。彼らが米国の事を正しく理解し、米国人の考え方や、米国の民主主義を会得しているがゆえに米国贔屓なら未だ分かる。そうではなく、むしろ正反対だったのだ。米国で教壇に立つような、米国を深く知る者ほど、米国の二面性や制度の矛盾、米国型民主主義の限界、中でも金融資本主義のネガティブな役割を理解し、是々非々で米国に向き合っている。米国の歴史も理解せず、米国人の価値観も正義感も分からない半可通なのに、権威を振り回すのが外務省の高官なのだ。その結果、日本は米国の悪いところだけを真似するようになった。これは政治経済だけでなくサブカルでも同じだ。格差社会、とりわけ貧困層の拡大、拝金主義、そして犯罪の凶悪化。ついでに言えば警察の腐敗と、麻薬の蔓延までおまけについてきている。

しかも米国のやり方は荒っぽい。内政干渉などは当たり前。弱小政治家がピーチクパーチクやっている内は放っておくが、いざ力のある政治家が反米の姿勢でも取ろうものなら、見過ごさない。CIAを使って暗殺はしないまでも、太平洋の反対側で反共の防波堤が崩れることを看過する訳にはいかない。蟻の穴を放置すれば、太平洋における米国の覇権が維持できない。親米派の官僚を使って、日本の精神的独立(即ち真の独立)を果たそうとした、田名角栄を失脚させ、小沢一郎を追い落とした。そして民主党政権最初の首相、鳩山には基地問題で脅しを掛けて、県外移設を撤回させた。石原などは国民からは浮き上がった極右で、放っておいてもいずれ自滅する。というより一皮むけば親米だ。泳がしておけば、言論の自由の証明くらいにはなるだろう。

米国が日本の盟友だという甘い考えを捨てない限り、日米の関係は正常なものとはならず、言い方は悪いが、信長と小姓のような気持ちの悪い不健全な関係に終始する。日米関係を正常なものにする事が、今の世界の平和にとってどれだけ重要かを理解できない、或は面倒だから思考を停止しているのだ。

今の安保法制は、米国を敵と狙う国々にとって、日本という攻撃目標が一つ増えただけのことだ。一方で、外国が自国に侵入して来たら(それが米国でないと誰が言い切れるのだろう)、私も銃を取り、自衛隊とともに戦うつもりはある。政府の意のままになる自衛隊、国民と共にない自衛隊には関心はありません。それは国民には有害なだけで、戦前の帝国陸軍と変わらないからだ。

今の安保法制では、自衛隊が前線に出されて、米軍の地上部隊の補充部隊、或は盾にされるのは時間の問題だ。こうなれば9条どころか憲法全体の否定である。いまや如何なる地域の如何なる戦闘行為でも、何らかの形で世界がつながっている。ということはすべての地域の、全ての戦争が、自国の存立事態だと安倍首相は言い出す可能性がある。二言目には抑止力というが、相手が銃を抜かないように、先に銃を抜いて脅すというのが、安倍流の積極的平和主義だ。お互いに銃を持つのをやめようと働きかけている訳ではない。米国に追従する事しか考えない外務省に、未来の世界像を描く能力も、そのために努力する気もあるようには思えない。

如何なる米国の戦争でも、それに参加するには、安倍首相がそれを自国の存立事態だと言い切るだけでいいのだ。しかも戦地に行くのは兵士だけではない。技術者=民間人も同行する。米国だけが世界の警察という考え自体、オバマ自身が既に否定している。砂漠で、見えない敵から撃たれるのは、日本人ではあっても安倍首相ではないのだ。

ついでに言うが、私が危惧する徴兵制、即ち兵役の義務は多分ないかもしれない。理由は二つある。米国のように兵役を義務化すると、政治家や経営者の子弟も戦場に行かねばならない。そこは得意の官僚的根回しで、何とか逃れるにしても、もうひとつの理由がある。それは兵士の供給源が間違いなく将来は確保されるからだ。というのは、日本では米国と同じく格差社会が進んでおり、庶民は労働者になるか、兵士になるしか生きてゆく手段がなくなるからです。無論これは皮肉である。ちなみに米国の兵役義務(ドラフト)は18歳になると登録することになっており、これはグリーンカードを取る者外国人にも適用される。移民は市民権が取ればそれで終わりという訳にはいかないのだ。そこで危惧されるのが、日本の18歳選挙権だ。どこかで誰かが、将来の日本のドラフト制度を見据えていないとは言い切れないからだ。

安倍総統閣下が最強の軍事力を夢見ているのかどうかまでは知る由もないが、何故そうまでして、世界で存在を誇示したいのかが実は分からない。今様ヒトラーになってまで、貴方は何を目指しているのか。その国民の疑問に貴方はきちんと答える義務がある。なぜなら私達国民は、否応なしに、先の見えない貴方の個人的な野心に巻き込まれてしまっているからだ。



「私には夢がある」2015/9/23

I have a dreamというのはキング牧師の有名な演説である。それは、私には夢がある、差別のない公平な社会が来ることを、と続く訳だが、こともあろうに(国家主義の)安倍晋三氏が米国での演説でこれを使ってくれた。何を勘違いしているのかと愕然とした。無論受け狙いにしても、キング牧師の演説は、土足で踏み込んではならない聖域である。その時感じたのは、菅官邸にはろくな人材がいないのではないかという疑惑である。現にその後、磯崎某などという箸にも棒にもかからない人物も登場した。お寒い官邸の実態が暴露され他訳だが、この取り巻きの質の低さは、間違いなく安倍政権の寿命を短くすることに資すると思う。官邸に控える愚昧な人たちは、米国のことも米国人のこともろくに理解はしていないこともはっきりした。そんなことでは米国との対等な外交関係など、所詮無理な相談なのである。

安倍首相がどうのたまわったか忘れたが、私ならこう言いたい。I have a dream。私は夢見る…武器も戦争もない未来を…。引用が許されるとしたらこの程度だろう。



「現実論の詭弁」 2015/9/27

9/25の「朝まで生テレビ」は安保法案と民主主義がテーマだった。法案反対、賛成の二派に分かれての議論だったが、賛成派の理屈は、安保法案しか日本の防衛の方法はないという決めつけから始まり、米国依存ありきの強引な論理。違憲解釈も容認なら、その後の改憲もありというこじ付けの理屈だった。先入観にとらわれて、非武装中立など最初から念頭にない好戦主義であり、国民の大多数の反対さえ無視する、まさに安倍首相の代弁者だった。特に女性論者の賛成派は片山さつきと三浦瑠璃だった。

この二人は同席したシールズの二学生に対しては終始、上から目線だった。自分が何に価値を置いているかが大事なのだが、この二人にはそれがなかった。

彼らの主張するように現実論だけで判断するのなら政治はいらない。政治家もいらない。官僚だけいればいい。現実論なら未来の展望など不要なのだ。長いものに巻かれろなんて誰にでも言える。専門家である必要もない。議論を仕切るべき田原も田原で、自分自身が安保ありきの保守派なので、本件の司会としてはいささか不向きだった。安保反対派に強く出る田原は、反骨のジャーナリストとしてもはや焼きが回ったのだろうか。

今回の議論で改めて分かったのは、大塚議員は兎も角として、弁護士の伊藤氏の主張と、やはりシールズの主張の正当性だ。平和憲法の精神をそのまま体現していたのはこの3人だけだった。私は穏健で筋の通った伊藤弁護士とシールズの主張こそ、国民の多くに理解され、広く受け入れられるものだと思う。

それから日本は自主防衛にならなければ、いつまでも理不尽な米国の奴隷のままである。そうでないと防衛費が増えるからというが、費用負担の問題は、防衛の本質論とは別の話だ。もはや米国民自身が、日本を守るのはおかしいとと言い出しているのだ。後は自分で自分の自国を守るしかないのであるし、だいいち世界中のすべての国がそうしているのだ。外国の袖にすがりつくようなことは主権のある国のすることではない。有事に米国と一時的に軍事同盟を結ぶ必要も将来出てくるかもしれない。でもその時には二つの国の関係は対等であるべきなのだ。そしてそこに至る前に憲法改正するか否かを国民に問わねばならない。議員ではなく、国民だけがそれを判断できるのだ。

その時の問いは、日本は自衛の為の軍事力を持つべきか、それとも持つべきでないかというものになるだろう。そこをすっ飛ばして、いきなり集団的自衛権を持ち出すから話が滅茶苦茶になり、誰にも理解できなくなるのだ。

弱い個々の国民に出来ることはただ一つ、お互いで連携し合い、今の状況は間違っているという事と、安倍首相の正体を、全国民に、いや全世界に訴え続けることである。

嘘と欲で築いた帝国は必ず崩壊する。なぜなら金(報酬)と地位(経営者、或は高級官僚)だけで人の心を支配することは出来ないからだ。人間は本来自由な存在であって、正義と自由と平等を本能的に求める。政権の外部にいる私達だけでなく、自民党内でも、愚かな一部の者たちを除く多くの議員が、今の状況はおかしいし不自然だと感じている。そして自民党の内部にくすぶるその小さな炎が、足もとから徐々に政権を焦がし始めるだろう。なぜなら民主主義は人間の天性に一番近い政治形態であり、それを安倍首相がいかに理不尽に押さえつけようとも、人間の天性を押さえつける事など到底出来ないからだ。



「真実の伝え方」2015/9/29

2回に渡って紹介されたNHKの「ベストテレビ2015」の一部を見た。満州開拓団の子供殺しの悲劇、戸籍の取れない特別養子縁組など、いずれも重いテーマだ。また戦争と人間の関係を問い続けた山崎豊子の紹介番組もあった。NHKは大きく二つに分けられます。その報道部門は、安倍首相が指名した籾井会長に媚びを売ることだけに熱心な総局長や報道部長の品性そのままに、政権の宣伝に重きを置く部門だ。国民の批判の対象になり、デモまで起きているのに、一向に改める気配はない。但し文化部門には未だわずかに報道機関の良心が残っていて、時々ではあるが、見ごたえのある番組を提供することがある。それさえもなくなれば、NHKには1円の料金も払う気はしなくなるだろう。

ところで、今後日本でリベラルな民主主義を実現するために、高齢者に出来る事は、若い人達に事実と真実を伝える語り部になる事だ。但しこの語り部が他と違って難しいのは、それがネガティブ・キャンペーンの性格を持つことだ。伝えたい、というより、平和にために伝えなければならない真実とは悲惨なものが殆どだ。そういう悲劇を繰り返さないために申し送っているからだ。いい加減な見通しで、出来もしない約束をして、バラ色の未来を描いて見せる政権与党とは立場も目的も違う。それは申し送る内容が警告だからである。「末の松山波来さじとは」、の松山と同じです。ここまで津波が来たことがある。だからここより下に家を建ててはいけないという古人の教えと同じなのだ。

悲劇を繰り返さないために、その悲惨さを克明に記録し、記憶する。それは必要なことだが、同時にそれは辛いことでもある。誰も凄惨な写真や絵を見たくはないし、そういう話も聞きたくはない。特に感受性が敏感な子供を対象にする時は要注意だ。悲惨な情報が一生残るトラウマになりかねないからだ。という事は、我々の大事な仕事は、若い世代にどうやって真実を、しかも精神的な苦痛を与えずに正しく伝えるかを工夫することにある。この点に余りにも無頓着な語り部が余りに多過ぎるような気がする。だから裸足のゲンも、私はそのまま子供に与えるのは反対だ。重要な事を伝える時は、重要であるがゆえに、一層慎重になるべきなのだ。

さてNHKの報道が如何に腐敗しているかの例を3つ上げる。これは以前にも書いたことだが、安倍首相が前回オバマを訪問した時に、オバマが日米の記者を相手に会見し、その様子を同時通訳でNHKが放映しました。その時オバマがなんと言ったか。もし日本の国民が強く反対するのなら、米国としては普天間基地には拘らないと明言したのだ。それが午前7時前のことで、その後の7時のニュースの終わり近くになって、アナウンサーが突然謝罪を始めた。不正確な通訳があったと言い出したのだ。普天間を(米国の為に)推進してきた安倍政権の面目丸つぶれになったからである。

でも通訳がイエスをノーと聞き間違えるなどという事はあり得ないす。官邸がNHKの報道を聞いて仰天し、慌てて横槍を入れただけのことだろう。その結果、NHKは黒を白と、言い換えることになったのだ。このどこに報道人の良心があるというのだろうか。

もう一つも以前に書いた内容だが、参院での安保法制の採決の前日のこと、7時のニュースで突然NHKが世論調査をしたと言い出した。その結果なんと安倍政権の支持者が不支持者を逆転したと言ったのだ。その数日後の新聞での世論調査は、一つの例外もなく不支持が増加していた。NHKは真実でもない調査結果を発表して、大恥をかいたのだ。しかもそれを訂正することもなかった。というより安倍政権の為ならなりふり構わぬ報道部なのである。

NHKのニュースでは首相の演説が何より優先する。しかも政権に批判的な意見が紹介されることは殆どない。だから政府の機関紙、宣伝機関に過ぎず、報道機関としては無価値なのだ。籾井が失脚すれば、総局長も、報道部商も一掃されることになる。またそうでなければこの世に正義など存在しないことになる。総局長も、報道部長も、電車通勤でもして、生の市民の声に耳を傾けてみてはどうか。



「公的年金の世代格差」2015/09/28

厚労省が年金を払い過ぎていると言いたいのなら、何故私は毎月貯金を取り崩さないと生活出来ないのか。年収300万円で暮らす方法という本を読まなければならないのか。海外旅行は愚か、高級レストランにも行けず、10年乗った車も買い替えられず、孫に満足に小遣いさえ与えられない生活のどこが贅沢なのか。一度入院でもしたらその先の生活の見通し等全く立たなくなる。退職金で住宅ローンの残額を払って、後には何も残らず、しかもその後に不動産価格が半分になり、売ろうにも売れず、ただでさえ少ない退職金がバブルの破裂と共に消えていったのは誰のせいか。取り崩す貯金がなければ、年金の問題はそのまま生存権の問題に直結する。それを多額の報酬を浪費している議員たちは分かっているのか。しかも年金から天引きされる社会保険料が半端ではない。そこに消費増税が重なる。若い時にはあまり感じなかった医療費の自己負担分も馬鹿にならない。

不十分な年金しか生活の手段がない人たちがどのくらいいると思っているのだろう。受給者の比率だけを見て高齢者が年金泥棒だと言いたいのだろうか。ならば海外と比較してみたのか。先進国で日本ほど福祉が薄い国はそうざらにはないのである。しかも本当の年金泥棒は他にいる。年金基金で箱モノをぼこぼこ作って、管理の為の外郭団体を沢山作ってはみたものの、結局それは利用されずに赤字経営。あげくは二束三文で売り払って大きな穴をあけてくれたのは、どこの省庁だったか。情報流出や消えた年金問題で、その調査の為だけに何千億もの金を使い、しかもその責任を取らなかったのはどこの省庁だろう。年金基金の投資先を、政府の景気刺激策の為に株式投資に無理矢理切り替えさせて、今それが裏目に出て株価が下がっている。以前株価が値上がりしている時は、儲かった、儲かったという文字が紙面に踊っていたが、今は値下がりで損失が出ているはずなのに、その報道がないのはなぜなのか。

我々でさえ、生きてゆくのがやっとという事は、若い世代は生きることさえ許されないという事を意味している。まずやるべきは、若い世代が受給年齢になった時にどうすれば生きてゆけるだけの年金を確保できるかを徹底的に考えることだ。それを世代間格差という数字の比較で置き換え、問題の矛先をそらそうとするのは、悪質極まりない責任逃れである。相対的な比率だけで高齢者が年金を潤沢に、或は過剰に貰っているという間違った印象を持たせている。我々がどれだけの金額を給与の中から(いやいや)天引きされてきたと思っているのか。それに見合う正当な金額を支給されないという事は、政府がピンハネしているという事だ。そうまでしても受給額を減らしたい、即ち貰う方が悪い、年金は放棄すべきものであって、お上がお情けでくれてやっているのだ、計算を間違え、運用に失敗した自分達には責任がないという屁理屈。まずやるべきは、高額所得者への無駄な年金支給の停止である。その分を減らすだけでも、年金に頼っている人達を何人も救えるだろう。全体のパイを大きくする工夫はないのに、自分達の失敗による損失分を含めて、国民にツケを回す姑息。支給の分配を変更することで国民の不満を少しでも抑えたいという数字のペテン。厚生省は低い方に合わせたいが故に、無理やりこんな数字をひねり出してきたのだろう。

年金以外にも厚労省には問題がある。その一つがブラック企業だ。従業員は残業代ゼロでも、トップは番付けに載る高額所得者。一流経営者でございと言わんばかりに、メディアでご高説を垂れ流す。労働基準法違反で告発されても文句は言えない立場なのにである。一体このお役所は誰の為の役所なのだろう。無能さ、無用さで文科省に引けを取らないのではないか。こんな日本のどこが福祉国家だと言うのか。安倍政権になってから、日本の行政からは品格も良識も憲法の精神も失われてしまったようである。



「こんなものいらない」2015/9/30

安保法制は押し切られた。だからひとまず戦いは終わった…わけではない。いま政府と防衛省ではこの勝利(?)をどういう形で実施していくかの具体的な検討が進んでいる。日本が攻撃されるという殆どあり得ない、万が一の為の法案などではない。具体的な目的がなければ、10本もの法律が必要になる訳がないのだ。米軍と防衛省で、既に打ち合わせ済み=合意済、の内容が提示されただけのこと。すぐにでも着手したい具体的な計画があったからこそ、採決も急いだし、細かいことをいちいち議論させないために、一気に押し切ったのだ。安全保障も、米国との関係も分からない国民は四の五の言うなよという訳だ。米軍とのテロ対策合同訓練(無論国民には秘密)中に、米軍のヘリが着艦に失敗して、なぜか(何故かは分かっているが)自衛隊の特殊部隊員に怪我人が出た。これも進行中の日米軍事行動計画のほんの一部なのだ。

即ち首相や政府の説明とは全く異なる目的で法整備がされたのだ。まさに嘘つき首相の嘘つき内閣だが、集団的自衛権の限定的行使は、有事の伝家の宝刀どころか、最初からフルスペックなのだ。それを知っている防衛省内部の告発者も、おそらく事の重大性を痛いほど認識したからだろう。だから一番はっきり口がきける共産党に資料を提供したのだろう。そして共産党経由で暴露されたように、日米軍事同盟に基づく合同訓練が既に始まっている。当面の具体的な作戦行動の予定の場所は、中東、アフリカ、そして南アジアだ。これからは、安保法制を根拠にして、海外で外国の為に日本の軍事力が行使されるのだ。しかもそれは国連のPKO活動でさえない。後方支援で良ければ今の法制で充分であり、あえて新たに法律を制定したのは、もっと積極的に(安倍首相の言う積極的平和主義)自衛隊が米軍の戦闘活動に参加できるようにするためなのだ。

自衛隊は新法制の下では、もはや後方支援でお茶を濁すことは許されない。実戦に参加するのだ。いままで人を殺したこともない自衛隊員が、銃を携えて紛争地に出向き、姿の見えないテロの相手と銃火を交えるのだ。犠牲者が出るのも安倍政権の計算の内だ。戦闘が行われれば犠牲者が出るのは当たり前。むしろ犠牲が出てくれた方が、日本も身を切り、血を流して世界(実は米国)の平和の為に貢献したと、安倍首相が胸を張ってオバマに報告できるというものである。安倍首相の自己顕示欲の為に自衛隊員が異国の地で、しかも外国どうしの戦闘で死ななければならないのである。

安倍首相は、後藤さんを見殺しにした例でも分かるように、国民の命など全く気にしていない。他人の事を思いやるシンパシーの能力に欠け、想像力や常識も十分ではない。だから自衛隊員の命など、口先とは裏腹に本当は何とも思っていないのだろう。安倍首相は二言目には、レッテル貼り(ナショナリストでタカ派)だと苦情を言われるが、それはレッテルを貼りたくなるような言動をする首相に責任があるのだ。

今までの安倍首相の説明では、米軍が日本を守ってくれるのだから、そういう時に米艦を防護しないのは失礼だというものだ。でも実態は明らかににその説明とは異なる。米軍が日本を守る為に盾になってくれるのではなく、自衛隊が米軍の前線で、米軍の盾になるのだ。それを可能にする為の新法制なのだ。でも三要件があると安倍首相(と支持者)なら言うかもしれない。でもその言葉と、自衛隊の実際の行動とは全く異なる。防衛省は最後には万一に備えてのものだと白を切るだろうが、現在進行中の訓練は、米軍との共同作戦行動であって、日本への重大な侵略を想定したものではない。でなければ、なんで日米軍が砂漠で訓練する必要があるのか。離島奪還訓練なるものも、目的が尖閣である保証はなく、南シナ海での作戦行動を前提にしていると考える方が自然だ。これまで国民に嘘をつき続けてきた安倍首相。作戦行動が実際に行われても、後で何とでも言い訳するだろう。首相の一存でなんでも出来、しかも歯止めはないに等しい。由々しき事態なのである。

北朝鮮と中国の脅威を安保法制賛成派はすぐに口にする。では北朝鮮が明日にでも日本に弾道ミサイルを撃ち込んでくるというのか。中国が軍艦を揃えて尖閣を占領しに来るのか。中朝がいま日本を攻撃すると思う根拠がどこにあるのか。しかもそれが一番良く分かっているのが、他ならぬ防衛省の制服組ではないのか。ということは中朝の脅威はカモフラージュであって、安保法制の本当の目的は米国の対テロ戦に参加することにある。そしてもう一つが南シナ海で米軍の代わりに哨戒、警備活動を行うことだ。無論それは一触即発の危険性まで至らなくても、中国艦艇との小競り合いがあり得ることを意味する。規模はともかく、紛争が起きれば犠牲者も出る。即ち存立事態も重要事態も、具体的な当面の目的ではなく、要は米軍の活動に遍く(あまねく)参加、協力することこそが安保法制の真の目的なのである。

重要事態でも存立事態でもないのに、気軽に軍を動かしては、海外に出掛けて行って、日本と縁もゆかりもない人たちに銃を撃ち、撃たれ、殺し、殺される。そのどこに紛争解決の手段として武力を用いないという崇高な日本憲法の精神があるのか。また米軍が主導する戦争は常に正義の為の戦争(十字軍も間違っていた)だという保証がどこにあるのか。銃を撃たない。それこそが平和なのだ。だからこそ、私達の反対運動もこれからより本格的に、より大規模に展開する必要があるのである。そこでこの一か月を振り返る為に、週刊朝日を読み返してみた。中でも最も分かり易く、また私の年代の視線で書かれたものが、9/18の「巨泉のこんなものいらない、ハイアンと叫び続けよう」という記事である。短いので全文を紹介する。

(引用)
何故戟争がいけないか。戦争が始まると、すべての優先順位は煮視され、職争に勝つことが優先される。昔から「人ひとり殺せば犯罪だけど、戦争で何人も殺せぱ英雄になる」と言われてきた。

特に日本国は危ない。民主主義、個人主義の発達した欧米では、戟争になっても生命の大事さは重視される。捕虜になって生きて帰ると英雄と言われる。日本では、捕虜になるくらいなら、自決しろと教わった。いったん戦争になったら、日本では一般の人は、人間として扱われなくなる。

それなのに安倍政権は、この国を戟争のできる国にしようとしている。これまで主として反対してきたのは、われわれ戦争を体験してきた世代であったが、すでに80の坂を越え、日に日に少数になってゆく。井上ひさし、菅原文太、愛川欽也と毎年消えてゆく。この10年間で4回のがんを体験したボクも、いつ彼らの後を追ってもおかしくない。焦りは日々つのる。

 ボクらは「忠君愛国」「滅私奉公」と教わって育った。国のために命を捨てるのは当たり前と信じていた。だから特攻や人間魚雷は、崇高な行為だと思った。ところが戦後学んでみると、こうした行為を米国では、「日本人の狂気」と言って恐れていたという。

ボクらの世代は、辛うじて終戦で助かったが、実は当時の政治家や軍部は、ボクら少年や、母や姉らの女性たちまで動員しようとしていた。11、12歳のボクらは実際に竹槍の訓練をさせられた。校庭にわら人形を立て、その胸に向かって竹槍(単に竹の先を斜めに切つたもの)で刺すのである。なかなかうまく行かないが、たまにうまく刺さって「ドヤ顔」をしていると、教官に怒鳴られた。「バ方モン、刺したらすぐ引き抜かないと、肉がしまって抜けなくなるぞ!」

どっちがバカモンだろう。上陸してくる米軍は、近代兵器で武装している。竹槍が届く前に、射殺されている。これは「狂気」どころか「バカ」であろう。それでもこの愚行を本気で考え、本土決戎に備えていた政治家や軍人がいたのである。彼らの根底にあったのは、「生命の軽視」であったはずである。

竹槍こそ使わなかったが、本土決戦を本気で考えているうちに、東京大空襲から広島・長崎まで、何十万という市民の命が、無意昧に失われた。そして300万人の貴重な犠牲の上に、われわれは平和を手に入れ、戦争のできない憲法のもと、70年の繁栄を享受してきた。

いかに戦争が悪で、平和や自由が尊いか。若い人もようやくわかってくれたようだ。8月30日の大集会はインパクトがあった。こうした若者に対し、自民党の武藤貴也衆院議員が、「戦争に行きたくないので反対」というのは「利己的個人主義」と批判したのには驚いた。この人は36 歳、若者である。ここにはすでに「滅私奉公」のメンタリティーが感じられる。デモの若者たちの発言は、「殺人したくないから反対」というのと同じだということがわかっていない。

もう日本人は崖っぷちに立っているのだ。空気に流されやすい日本人は、戦争法制ができあがったら後戻りできまい。何とか参議院で廃案にできないものか。それは「ハイアシ!」と叫び続けることだ。維続こそがカなのである。
(引用終わり)

巨泉さん、私は今年70歳、あなたと同じ大学の後輩だ。私は自衛隊が海外での米軍の作戦行動に参加して(下手をすれば米軍さえいない状態で)、誰の為か分からない戦闘で命を落としたり、その結果、日本人全体が敵視されて、民間人が無差別テロの標的になったりしないように、米軍の為の海外派兵が行われないように全力を尽くしたいと思っている。それは無駄死にという意味で、大戦で犠牲になった日本の兵士と同じなのだ。戦争法案に反対することは、我々の代わりに、大戦で犠牲になった300万人に対する自分達の義務だと思っている。日本が戦争を起こさない、或は巻き込まれないようにするためには、この法案を実行に移させてはならないのだ。そこで私達に出来ること、なすべきことは、我々団塊の世代が率先して反対の声を上げ続け、反対のキャンペーンを展開することしかないと思っている。近いうちに本でも書きたいと思っているが、貴方の意思は私達が引き継ぐ覚悟である。



「安保法、著名人の意見」2015/10/1

今回は安保法制に関する各界有名人の意見を週刊朝日のバックナンバーからご紹介する。皆様にも旧知の内容である可能性がある。しかしこの動乱のひと月を改めて振り返ることで、安保法制の問題点を明確にご理解いただけるものと確信している。特に外国人特派員の記事は当を得た批判だと思う。

安保法制は決して参院での強行採決で幕を閉じた訳ではなく、これからが運用開始で、しかも安倍政権の口約束とは違う形で運用が行われようとしている。早くも事前承認の約束違反が行われようとしている。私達は全力を挙げてこの悪法に抵抗してゆかなければならない。

ところでシールズの代表奥田氏が、家族を含めて命を狙われるという悪質な脅迫を受けた。これを昨夕のNHKラジオがどう伝えたかご存じだろうか。シールズの反対派と賛成派の双方の意見を取り上げようとでもしたのか、政治的な発言をする者は、それくらいの覚悟は必要だろうというネトウヨの意見をまず紹介した。その後で、脅迫は卑劣だという意見も紹介したが、ことは主義主張の問題ではなく、脅迫という行為が犯罪だというところにある。安倍首相が同じような脅迫を受けたら、NHKが同じような報道姿勢をとるとは到底思えない。NHKの報道部の腐敗は、私だけでなく、多くの知識人の指摘するところだが、ここまで来ると、腐敗どころか、常軌さえ逸した狂気の世界である。犯罪を肯定するかのような放送局に払うような金は、私はビタ一文持ち合わせがない。

【安保法制についての箸名人の発言】9/18-10/2の週刊朝日の記事から

・坂本龍一(音楽家)
今、この状況で民主主義が壊されようとしている。憲法が壊されようとしている。(略)ぜひ、これ(デモ)を一過性のものにしないで、あるいは仮に安保法案が通っても、そこで終わりにしないで、ぜひ守り通して、行動を続けていって欲しい

・森村誠一(作家)
戦争が始まったら、女性の人権が破壊される。(略)その馬鹿馬鹿しい戦争を、安倍は再びできるような、可能な国家にしようとしています。

・渡辺謙(俳優)
国会での答弁から見えてきた、政府の定見なき推測だけで武器弾薬を携えて彼ら(自衛隊)を任地に向かわせる。未来のない戦いを強いられた栗林中将(映画「硫黄島からの手紙」で自身が演じた、米軍との死闘を指揮した栗林忠道陸軍大将)と何ら変わりがない気がしてならない。

・竹下景子(女優)
私たちは、戦争の加害者にも被害者にもなりたくありません。(略)安保法案に強く反対します。

・高田延彦(元プロレスラー・タレント)
憲法違反だって言ってるじゃないの。時の政権が姑息な手法で好き勝手に貼り付けたインスタント安保法案がまかり通ることは絶対に許せませんよ。

・笑福亭鶴瓶(藩語家・タレント)
違憲と言う人がこれだけ多いにもかかわらず、なにしとんねん。(略)絶対あかん。(略)僕らは微力ですけど、違うっていうのは言い続けないとあかんのですよ。

・美輪明宏(歌手)
国会議員が言い出しっぺの責任を取って鉄砲を担いで鉄かぶとをかぶって、まず第一に兵隊として出ていただくのがよい。

・瀬戸内寂聴(僧侶・作家)
長崎と広島は世界にない、原爆のひどい被害に遭っている。みなさんが先頭に立って戦争に反対してください。

・久保田利伸(シンガー・ソングライター)
殺さない、殺されない。この時代、この平和ルールを保持する国がどれだけ尊いものか。

・長渕剛(歌手)
なぜ戦争が起こるのか、もう一つは僕たちが銃を持って(戦争に)行くんですか? 今の子どもたちが銃を持って行くんです。

・高畑勲(映画監督)
自公の議員も(審議の進め方などに)全面的に賛成していないのに、どんどん進んでしまっている。日本人にはズルズル体質がある。一線を越えてはならない。

・三木谷浩史(楽天会長兼社長)
世界が平和でありますようにと考えさせられる一日になりました。(略)この70年は何だったんだろう。

・室井佑月(社会評論家)
8月30日、安全保障関連法案に反対する国会前デモにいってきた。デモに参加するのははじめてではないが、こんなに多くの人々が集まるのをはじめて見た。
国会前から日比谷公園まで、プラカードや団扇を持った人が鈴なりだった。 参加者は主催者によると、国会周辺12万人、霞が関などの周辺地域を含めてのべ約35万人。警察発表では国会前だけで約3万3000人だとか。 警察発表は嘘だわ。だって、それ以上が集まったといわれるデモにもいったことがあるけれど、30日の5分の一くらいだったと思うよ。
ほかにも全国各地で、300カ所以上のデモやイベントなどが行われていたそうだから、デモに参加できない人や、声をあげられない人を含めれば、いったい、国民の何人が安倍・安保に 反対なのだろう。
なのに、ニュースではちょろっと扱うだけに留まる。翌日の情報番組ではどの程度、放送した?
去年の香港の反政府デモや、2010年から12年にかけてのアラブ各国で行われた反政府デモ「アラブの春」は、枠を取ってきちんと放送したくせに。この国のメディアは、どこの国の人に向けて放送しているの?
…どこの放送局、どこの新聞社とはいわないけれど、野党4党首が集まって演説したことを、わざわざ中心に報道しているところもあったな。 どうしてそうなる?国会前にこれだけの人が集まったんだ。デモの主人公は国民であるのは明らかで、政治家は付け足しだ。デモにいかなかった人や、いけなかった人に、わざと政治色が強い集会だったと思わせたい厭らしい意図を感じてしまうのは、あたしだけかしら?
…どこを見て、報道してる? また戦争翼賛報道の後悔をくり返すつもり?
はやく、そっち側からこっち側(国民側)においでよ。あたしたち国民は、見ていないようで、見ているよ。

・益川敏英(ノーベル賞物理学者)
安倍さんと『戦争論』を議論させてほしい。僕は戟争の記憶がある最後の年代だと思う。だからこそ、反対し、声を上げていかないといけない。
5歳だった1945年3月、名古屋市が空襲を受けた。
…わが家は幸い焼けなかったけれど、街は火の海に。両親が、家財道具一式を積んだリヤカーの上に小さかった僕を乗せ、逃げ惑う姿が今も脳裏に焼き付いています。
…僕が、戦争は怖いと実感したのは中学生のとき。ベトナムが独立を目指したインドシナ戦争を報じる新聞記事を読み、なんてむごいことをするんだと思った。その後ベトナム戦争が起き、米兵が人前で平然と捕虜を撃ち殺している写真を見た。衝撃だった。戦争は人の心を壊し、獣に変えてしまうものだと思いました。
大人になって科学者になり、違った泣場から平和を考えるようになりました。
科学は、直接的でなくても、軍事的に悪用されてしまうことがある。
…科学者は、自分の研究が社会でどう使われるか考えるべきだけれど、研究が戦争に利用されないためには、戦争そのものをなくすことが一番です。
日本は戦後70年間、戦争がなかった。でも安倍首相は今、「戦争ができる」国にしようとしています。解釈改憲というが、その域はとうに越えている。日本国憲法のどこをどう読んでも「同盟を組んで戟争ができる」とは書いていない。
… クラウゼヴィッツという軍事学者は『戦争論」という著書の中で、戦争とは外交の延長であると説いています。戦争は突然勃発するのでなく、まず話し合いがある。それでうまくいかないと、暴力が出てくる。力で解決することは、一方的に力でやり込めることです。なぜ、交渉でどうにかならないのか。自国の民を戦火にさらしてまで、解決すべきことなんてないでしょう。 戦争を知るものとして、科学者として、でもその前に一人の人間として平和を訴えたい。恩師の坂田昌一先生は「科学者は科学者として学問を愛するより以前に、まず人間として人類を愛しなさい」とおっしゃっていました。私には、孫が4人います。子や孫にどういう世界をつくってあげたいか。そこから考えると、今何をするべきか、おのずと答えは見えてくるはずです。

・赤川次郎(作家)
言葉軽んじる首相に絶望。東日本大震災が起きた際、しばらく原発は稼働しない方向に舵を切らざるを得ないだろうと思っていました。それがもう原発再稼働。オリンピックもある。大地震の起きる可能性が数億分のーでも、起きてしまえば100%です。
これらの議論を置いておいて、安保関連法案の審議とは、よくもできるものです。
大震災での原発事故など刑事責任を問われて当然なのに、だれも間われなかった。数年前に恋愛禁止のアイドルグループの女性が恋愛問題を起こして、その子が世間から責められて丸坊主になったことがありました。これはリンチに近い。 攻撃しても大丈夫な相手は皆で責めるが、大きな事件の責任は問わない。そういう時代があまりに当たり前になって、それに対して「変だ」という声も上がらなくなっているのが怖い。
安保法案ができたことで自衛隊員が世界のどこかで死んだって、当然のことながら誰も責任を取らないですよ。万一、自衛隊買が死んだら国会議員たちの責任。今度の法案に賛成した人の名前を石碑にでも刻んでおくべきでしょう。
法案審議についての安倍首相をはじめとした政府与党の発言は、むちゃくちゃです。たとえば、「核兵器輪送は排除していない」などという説明は、非核三原則を知っていれぱ出てこない。ホルムズ海峡封鎖の説明も、発言内容が次から次へと変わっています。 まともに答える気がないんですね。採決まで辛抱すれば通るのだからと、それまでのらりくらりと自説をしゃべっているだけ。
戦後70年談話も日本語として変でした。主語がなく、侵略や植民地支配を誰がしたのかもわからない。どう英訳したのでしょう。言葉で表現することこそが人間の知性。最近の政治レベルの低さに愕然とせざるを得ません。
世の中もおかしい。…社会や権力が自分に牙をむく。検察官と反権力ジャーナリストを主人公にした小説『東京零年』(集英社)は近未来の日本を描いたつもりですが、今でも起こりうると思います。 この本の中に、美術館で主人公の学生を不当に注意する社会人が出てきます。最近、このような人が多いですね。自分より立場の弱い人を攻撃することで、自分が正当に評価されていないことへの鬱憤をはらす。 これは間違っています。ちゃんと評価されないのは政治が間違っているからだと考えるべきでしょう。不満は下ではなく、上にぶつけるべきです。
私たちは歴史をもっと学ばねばなりません。第2次世界大戦で日本はどこをどう間違えたのか知らないままに、急に民主主義の国になりました。ドイツのように、戦争で自国がしたことを徹底的に教えなければならない。
学ぶことは難しいことでも退屈なことでもありません。知的な喜びだと思うのですね。学べば、今世界で起きていることがわかるようになります。本も読んでほしいですね。活字から何かを学ぶということは、想像力を働かせる訓練になります。
安保法案が通っても、戦争が起きないよう一人ひとりが歴史を学び政治を見ていれば、いつか安保法案をひっくり返すこともできるでしょう…。

・M・ファクラー(全NYタイムズ東京支局長)
日本は米国の戦争にNOと言えるのか。いま、日米両国をつなぐ人的パイプが極瑞に細くなっています。保守系のリチャード・アーミテージ元国務副長官やジョセフ・ナイ元国防次官補らが「ジャパン・ハンドラー」と呼ばれていますが、彼らは米国のすべての意見を代表しているわけではありません。 日本を取り巻く国際的な情勢は、大きな転換期を迎えています。米国の力が衰退する一方で、中国の台頭が著しい。戦後日本の繁栄を支えてきた秩序が、崩れようとしています。
そのなかで、日本はこれからどのような道を選ぶのでしょうか。それを議論してほしい。憲法9条をどうするのか。新時代の日米同盟はどうあるべきか。ジャパン・ハンドラーだけではなく、もっと幅広く米国の政治家、学者、企業経営者、有力者などの意見も聞くべきだと思います。なのに、国会でもメディアでも、安保法制の議論は集団的自衛権の定義を巡って細かな違いを論じるものばかり。これでは、日本が新しい時代を生き抜くためのアイデンティティーは生まれません。
これまで日本は、軍事力は米国に頼ってきました。それを安倍首相は実力のある国に変えようとしている。そして米国は、それを歓迎しています。中東問題が落ち着かない以上、アジア太平洋地域の軍事戦略は、オーストラリアと日本に頼りたいからです。
日本にとっては、この決断は戦後の歩みを大きく変えるものです。野球に例えるなら、高校野球を卒業し、世界を舞台にしたメジャーリーグに入ろうとしているようなもの。戦後70年も戦争をしてこなかった日本に、それができるのか。米国は、第2次大戦後も何度も戦争をしてきたことから、戦争の大変さを、身をもって知っています。日本にその認識があるのか。私は不安を感じています。
イラク戦争の開戦時には、ドイツとフランスは米国と対立してでも、開戦に反対した。日本は、再びイラク戦争のようなバカな戟争への参加を米国から求められたら、ケンカをしてでも「反対」という結論を出せるのでしょうか。
議論すべきことはたくさんあるのですが、政治的には今は安倍首相の一強状態で、野党をはじめとする反対勢力の力が弱いのが問題です。それでも、メディアが権力の批判勢力として健全に機能していればいい。
権力が暴走したときに、メディアがきちんと批判すれば、それがやがて世論になっていくからです。ところが、安倍政権を正面から批判しているメディアは、地方紙や週刊誌がほとんど。大手綴やテレビ局は、安倍首相に批判的な記事を書くことを怖がっているように思えます。
本当は、原発問題でも新しい安保法制でも反対派が多数を占めています。昨年の総選挙で、自民・公明の与党が得た比例区の得票も、全国民の約2割にすぎません。それでも、安倍政権に反対する意見は、政治に反映されることはありません。
日本はいま、あらゆるところがマヒしているように見えます。

WTW解説:記者の視点だから分かるという面はあるにせよ、外国人から見ても、今の日本の政治とメディアの状況が如何に不自然で不健全であるかということだ。この記者はリベラルではあるが、日本人が何故ここまで9条に拘るのかまでは理解出来ていないようだ。それは大戦で、米国人には想像すらできないような悲惨な経験をしたからなのだ。あまつさえ、国に命を捧げよと号令を掛けられていたのに、その実、国家権力は国民を裏切り、その命を粗末に扱っていただけであることも、分かってしまった。その具体的な例が特攻隊だ。
米国人は戦争に関して、日本人とは二つの点で理解が異なる。その一つは、米国には本土を攻撃され、市民が敵国の戦火の直接の犠牲になった経験がないということ。無論戦地に赴いた兵士達は地獄を見ただろうが、日本では非戦闘員の一般市民が老若男女を問わず殺され、家を焼かれた。その後の生活の再建でも途端の苦しみを味わった。

戦争が如何にむごく、悲惨で、何ももたらさないものであるかを、国民が身をもって体験したのだ。即ち国民レベルでの戦争の悲惨さの理解度が違う。しかも空襲だけではない。原爆投下、沖縄の地上戦など、様々なシチュエーションで多くの市民が殺された。米国にとって、本土を攻撃され、尊い多数の市民の命が失われたのは、911が初めての経験だった。だから、安全だと思っていた本土を攻撃されたという事実に驚愕し、戦慄したのだ。

もう一つの要素は、戦争を通じて、日本では国家が国民を欺き、裏切っていたという事実だ。これは民主主義の米国なら考えられない事で、全体主義、ナショナリズムの日本ならではの現象である。一部の権力階級の為に、国民が戦場に駆り出され、目的も理由も良く分からないままに、絶望的な戦いを強いられた。しかも当の階層は、現在に至るまで、戦争の責任どころか、反省の気持ちもなく、日本会議などという反動的な組織まで作って、大戦を正当化し、自分達の権力の温存を図り続けている。そうした極右で超保守派の人たちの活動の一環として、今回は安保法制という形で、もう一度戦争が出来る国、しかも外国同士の戦争にさえ参加できる国にしようとしているのだ。

大戦の直接の記憶を持つ者が高齢になり、他界してゆく中で、自分には戦争の実体験も記憶もないというだけの理由で、安倍首相とその仲間たちのように、日本人の心に深く根差した反戦思想をいとも簡単に否定することに何の抵抗感も覚えない者たちがいて、政権の座にあり、或は影響力を行使している。それは本当に恐ろしいことであり、日本人は歴史から何も学んでいない、即ちインターナショナルな馬鹿であるという事を意味している。米国人には、国家が国民に嘘をつき、国民を犠牲にするという経験はないだろう。だからこそ、我々国民は、憲法を守ることを強く政権に要求してきたのである。

この二つの、苦いというにはあまりに辛い国民的記憶を理解しない限り、何故日本人が9条に拘り、平和への必死な願いを抱くのかを理解することは出来ない。いまもし日本が、世界平和の為に何かできることがあるとすれば、それは戦争以外の方法で、紛争解決の努力をしない限り、無駄で悲惨な犠牲者が大勢出る、平和の為の戦争などという言い訳は、矛盾以外の何物でもないということを、自らの体験を通じて世界に知らせることなのだ。

武力で相手を恫喝する事だけが、現実的な安全保障の方法だと主張する政治家や、詭弁を弄する政治学者に、日本の政治を理解し、リードする資格はない。大戦の悲劇的な経験という日本固有の視点が、安倍政治からは欠落しており、それゆえ私は、安倍首相が精神的には日本人ではなく、日本の国籍を名乗る資格はないのではないかとさえ思っている。日本人なら大戦の悲惨な記憶を共有していなければならないからだ。

・D.マックニール(英エコノミスト誌記者)
イラク戦争の不参加をむしろ、誇るべき。多くの外国特派員は、安全保障関連法案の審議や衆議院で強行採決されたことにとても篤いています。世論調査では、過半数がこの法案を支持していないという結果が出ていますが、政府が成立させようとしているところが、政治的信頼性を欠くと思います。国民はこの法案が成立したら日本人は戦争に行くことになるのか、ということを知りたがっていますが、安倍政権はこの点を十分説明しきれていません。まるで白紙委任を求めているような気さえします。日本は独自の防衛にもっと責任を持つべきだという考えの外国特派員もいます。そうするなら憲法を遵守した方法で決めるべきです。いまの安保法案は、多くの憲法学者が違憲だと判断しているし、抗議デモも広がり、政治的正当性がありません。
2003年にはイギリスでも今の安倍政権と同じようなことがありました。アメリカ主体のイラク戦争で武力行使を積極支持したブレア政権では、意見が割れました。国民の7、8割が反対し、200万人という市民が反戦デモに参加。それでもブレア政権はアメリカを支持したのです。
違いは、メディアがもっと批判的だったことです。プレア政権は厳しい代償を払うだろうと言われていましたが、日本ではまだそういった反応がありません。
法案が成立すれば、日本も海外派兵し、自衛官も殉職するでしょう。そうなれば、国民はこの法律の正当性に疑念を抱きます。
「意義のある戦争」などありえません。日本人はこれまで70年間、愚かなベトナム、イラク戦争などに不参加だったことをむしろ誇るべきなんです。世論調査では、大半の国民が平和憲法を大切にしていると出ています。政府はそれに見合った政治的判断をすべきですが、菅義偉官房長官を昨年、取材したとき、彼は「一時的な世論調査の結果は気にしていない」と言っていました。過去15年間の自民党票を統計で見ると、獲得したのは16〜18%。それでわれわれは国民に支持されているというのは無神経すぎませんか。
中国の脅威があるので、日本はアメリカに追随せず、独自に軍事補強すべきだという国内外の右派メディアの見方もあります。そして安倍政権は軍事的拡大を急いでいます。なぜか。
日本のGDPは1990年に15%であったのに、2030年には6%に縮小すると言われています。一方で、中国は90年に2%だったのが、30年には25%になると言われ、中国の軍事予算は過去30年で40倍になっています。この格差を日本の保守派が恐れているのです。メディアも政治も、中国の脅威という対立構造をあおるばかりでは、議論や対話のチャンスを断つことにしかなりません。日中が軍備拡大競争をすれば、いずれ戦争につながる可能性もあるのです。解決には政治的な外交手腕こそが必要になります。
正直、安倍政権がここまでもつとは思っていませんでした。首相は第一次政権で政治だけでなく経済に力を入れるという教訓を学んで生き延びてきました。集団的自衛権だけにこだわったとしたら、すでに終わっていたでしょう。11年以降の日本では、政治運動が復活し、幅広い年齢層の市民がデモなど抗議行動で声をあげています。すでに国民は政治が民意を代弁していないこと、透明性や政治責任に欠けると思っています。安倍首相が憲法を無視していることにも怒り、政治への不信感は広がっています。
日本のリベラル派はこれまで弱体化していましたが、共産党が躍進するなど今後は復活も期待できるんじゃないでしょうか。



「マイナンバー」2015/10/2-6

今日は少し趣を変えて、マイナンバーについて考えてみたい。いまのところ、国民にとってはリスクと手間だけで、如何なるメリットがあるのか皆目理解できない。政府の国民総管理の目的としか思えないのだ。これも安倍政権がゴリ押しした悪法の一つだろう。

以下は雑誌、エコノミストと東洋経済の特集記事の情報の一部を紹介したものである。

1)マイナンバーは今年10月5日を基準日に、国内に住民票がある日本人1億2600万人だけでなく、外国人200万人にも、一人ひとり、12桁の番号が割り振られる。マイナンバーが記載された通知カードは、世帯まとめて簡易書留で配達される。マイナンバー利用は来年1月に始まるため、遅くとも年内には通知カードが行き渡っていなければならない。12月は郵便局も忙しいので、総務省は11月一杯をメドにしている。郵便局での保管期間1週間を過ぎても受け取られなかった通知カードは市町村へ送り返される。どの地域にいつ頃届くのか、具体的なスケジュールは明らかにされていない。通知カードには、ナンバーの他、基本4情報と呼ばれる、氏名、住所、生年月日、性別も記載されている。簡易書簡で届けられる封筒には、通知カードのほか、制度の説明パンフレット、個人番号カードの交付申請書と返信用封筒が入っている。個人カードとは、マイナンバーを記載したICチップ入りのプラスティックカードのこと。券面には基本4情報に本人の写真もついているため、身分証明書としても使うことが出来る。カードの有効期限は20歳以上は10年、20歳未満は5年。初回の発行手数料は無料。再発行は有料。カードの交付が始まるのは来年1月から。

2)10月5日時点で、住民票がある人には、生まれたばかりの赤ちゃんから高齢者まで固有の番号が指定される。海外赴任中などで住民票のない人には、帰国するまで割り振られない。ナンバーは専用のシステムを使って無作為に発生させた番号が元になっており、家族であっても連番になったりせず、性別や生年月日などとも関係がない。ナンバーは一生変更できない決まりになっている。変更できるのは、漏えいなどで、市町村長が不正に使われる恐れがあると認めた場合のみ。個人でしっかり管理する必要がある。

3)マイナンバー制度の大きな目的の一つは、個人の所得や資産などを正確に補足し、徴税を強化すること。副業所得や相続税の申告漏れの税務調査が強化され、迅速になる。また個人だけでなく法人、即ち企業の年金保険や健康保険の加入義務逃れの摘発も厳しくなる。所得税を源泉徴収していながら、年金機構のデータにない事業所は、社会保険に加入していない可能性が高いことになる。マイナンバー法改正案が9月3日に衆院で可決・成立したために、18年から任意で銀行の預金口座にもマイナンバーをひも付ける事が決まり、税務当局が、国民の資産・所得をより一層、正確に把握しやすくなる。

4)マイナンバー関連の市場規模は1兆円。システム投資など行政側が支払う費用がその半分以上。行政にとっては税収増などの効果はあるかもしれないが、現状では民間企業にとってはナンバーの蒐集・保管はリスクとコストの負担でしかない。個人情報の漏えいが相次げば、制度の根幹が揺らぐことになる。マイナンバーの提示を拒んだとしても罰則はない。但しマイナンバーを必要書類に記載出来ない理由を記録しておかなければならない。要求を拒み続けると、しつこく理由を尋ねられることになる。国行政機関同士がナンバーを使って情報をやりとり出来るようになるのは17年以降。実際にワンストップで行政サービスを受けるのは未だしばらく時間がかかる。

そもそもこれだけ国民の生活に直接、しかも大きな影響のある法案なのに、いかに安保法制の議論が白熱していたとはいえ、マイナンバーについては国会で充分に審議されず、しかもその審議の中継さえなかったことに、不信感を持たざるを得ない。これに似たものが、先行している秘密保護法案だ。この二つの法案は、国民を管理し、コントロールするという目的で共通している。こういう危ない法案が、国民にはろくな説明もなく、どんどん成立してしまう。それは国家総動員法など戦中の日本の政治と酷似している。

一体誰が何の為に民主主義や国民主権を無視して、政策の暴走を推進しているのか。私は安倍首相自身の暴走というよりは、安倍首相の在任中に一気にやってしまおうという行政の意図をありありと感じる。それにつけても気になるのは、最近の数え切れないほどの不祥事にも関わらず、警察を批判する記事が全く出ていない事だ。以前なら、警察庁長官や警視総監の進退に関わるような、重大事件でも一切の批判もおとがめもない。無論官邸もノーコメント。これでは政府と警察の間に取り決めがあると思われても仕方がない。悪く言えば癒着である。

警察と自衛隊という二つの暴力装置が政治権力と結びつく。お手盛りで自由に振る舞う。こういう国家形態を、通常は警察国家と呼んでいる。民主主義の危機だ。そこでないがしろにされるのは、他ならぬ国民の安全と命である。犯罪から守られないどころか、警官に盗まれ、レイプされ、挙句は殺される。いかに荒んだ米国の警察だって、ここまで腐敗、堕落はしていない。自衛隊員による不祥事も増加している。しかも警官の場合、捜査打ち切りでその理由さえ明らかにされない。即ち警察=行政だけでなく、司法への信頼も揺らいできているのだ。10年前、行政は国民の味方だった。原発事故でその信頼が揺らぎ、しかし311の自衛隊や消防、地方行政機関の努力で、評判を持ち直した。ところが最近の日本の行政機関の姿勢からは、日本の行政の中央組織は、国民の支配者または国民の敵になろうと努力でもしているかのようである。将来穏やかな形ではあれ、なんらかの大きな政治的変革が起きるとすれば、それは現在の行政の無理と不信感にも大きな責任があることになるだろう。

安倍政権の下で、国民の権利を弾圧する悪法が次々に採決されている。マイナンバーもその一つだ。以前、住民基本台帳や住基ナンバーというシステムに多額の税金が使われた挙句、ものにならなかったことがあった。それに対するろくな反省もないままに、また税金の無駄遣いが行われようとしている。

どんなにひいき目に見ても、マイナンバー制度は行政の効率化の為の制度で、納税者としての国民が受ける利便性は極めて限られたものだ。一方で、消費増税の還元部分(年間上限一人4000円)の返還にはこのナンバーが必要になるなど、財務省は事実上、マイナンバーの使用を義務付ける方向にある。すべての預金にナンバーが紐づけられることで、国が個人資産の全体を把握する時代が来る。でも国民にとって、行政の管理が強まることは極めて危険な状況だと私は考えている。

犯罪歴はもとより、病歴、学歴、健康状態、資産の状態、姻戚関係、収入と支出の傾向、およそありとあらゆる個人情報を国が握るようになると、問題が起きる。読書傾向や集会やデモへの参加実績から、反社会的というよりは、反政府的な人物の判定と分類が可能になる。そういう危険思想の持ち主は、要職は無論のこと、少しでも他人に影響力のある職や地位につかせるわけにはいかないではないか。だから国民総管理社会は、理想的な全体主義国家なのだ。個人情報を握る行政機関の前では、憲法で与えられた自由も人権もあってなきが如し。しかも一度外部に流れた情報は、いかなるルートに流れて、最終的にはいかなる犯罪に使われか分かったものではない。国民の安全も資産も、官民双方からの攻撃の危険にさらされるのだ。そういう非民主主義的な、極端な管理体制は、そう簡単には実現しないにしても、一旦、国が国民を強制的に管理する道が開かれてしまい、行政機関がその味をしめてしまえば、特に今のような超がつく右傾化した政治状況では、何が起きてもおかしくない。

政府のマイナンバー推進機関はこんな説明をしている。即ちこれまで違法な収入や富裕層の収益などは十分に把握できていなかった。しかしマイナンバーでそういう収入も全部把握できるようになるので、税の取りはぐれがなくなり、徴税の公平性が保証されるというものだ。これこそとってつけた様な説明ではないか。

マイナンバーは当面、国民の手間が増えるだけで、メリットらしいものはない。ナンバーを貰う事で当面増えるのはリスクだけだ。カードを紛失して(これは高齢者にはありがち)ひと騒ぎ起きるのが関の山だ。ただし、悪法でも法は法。相手がどういうものかを十分に理解して、準備しておくことで、少しでも実害を減らす努力が必要だろう。17年からは、自分のマイナンバーが誰に、どういう目的で使われたかがシステムで分かるようになると言われている。という事は、即ち16年中は、そうした当たり前の情報でさえ、マイナンバーを割り当てられた国民には知るすべがないという事であり、それまでは原則として使わないという事が良識ある行動ではないか。

本制度の推進部門の説明によれば、日本には同姓同名の人が沢山いるので、名前だけでは特定できず、それが消えた年金の原因の一つだというものがあり、私は驚いた。その為に住所があり、生年月日がある。同じ住所に同じ名前で同じ生年月日の人が一緒に住まなければならない理由を私は思いつかない。子供でもおかしいと思うような説明しか出来ないことに危惧を覚えているのである。



「リコール権を与えよ」2015/10/4

議員は一度選ばれたら、任期中は何をしても良いという事にはならない。
国民は国会議員に白紙委任し、日本を好きなようにしてくれと頼んだ覚えはない。
日本の国民はかつて衆愚であった。そしてさんざん痛い目を見た。その記憶が戦後70年を経て風化し、保守的・保身的な空気がナショナリズムの台頭を許した。

その空気に悪乗りした政府は、報道機関を支配し、恫喝し、政府批判を封じた。

一方で詭弁を弄する御用学者に政権擁護の論陣を張らせた。

国民が衆愚になったと判断した安倍政権は、国民に嘘をつくことをためらわなくなり、あからさまに民意を軽視し始めた。

では本当に国民はまたもや衆愚になってしまったのだろうか。

かたや誰の目にも明らかな政治の不正や非道、虚偽がいつまでもまかり通ると安倍首相と菅長官が信じる根拠は一体何なのだろう。

人間は見る、考える、そして話し合う。仮に個人は衆愚であっても、衆愚と衆愚が 話し合い、意見を交換しあう事で、その能力の不足を補いあう事が出来る。それが文殊の知恵である。

共に考え、話し合う習慣さえ身につけば、大衆が公衆に変質(成長)するのに、そう長い時間は掛からない。

いつまでも大衆を衆愚だと思ってなめ続けていれば、痛い目を見るのは政権である。
昔、衆愚は戦争に熱狂した。全体主義が席巻し、反対意見を許さなかった。

現代の衆愚は熱狂はせず、見て見ぬ振りをする。

民衆に必要なものは、衆愚が公衆になった時に、自分達がかつて選んだ議員でも、民意を裏切れば、その蛮行をやめさせることが出来る緊急スイッチ、即ちリコールのシステムなのである。



「自動車の話」2015/10/7

今日は自動車の話題だ。VWは排ガス規制逃れの確信犯で味噌をつけた。ここぞとばかり米国が、傘に掛かった、しかも訳の分からない、いつもの懲罰的罰金を科する懸念もある。それでなくても評判が地に落ちて、業績への影響は避けがたく、ひいては自動車産業への依存度の高いドイツ経済にもボディーブロー、更にはEUへの影響も、もっと言えば世界経済への影響も考えなければならない。これは外国の問題と割り切ることは出来ない。仮に世界一になったトヨタが何かで躓いたら、同社の業績に影響が出るだけでなく、株価が下がり、その結果日本の経済にも大打撃という可能性を排除できない。だから飛び火を警戒しておくべきである。一体どのような対策を講じておけば、日本経済としてはそのような不測の事態を避けられるのか。

一方で、株価の変動が避けられないのであれば、何故年金機構は運用の半分を株に回したのか、私には全く理解できない。株価変動のリスクをどう考えているのか、政府は国民に説明する義務がある。(後注:翌年になって、日銀の無理な政策、即ちマイナス金利政策を引き金に、株価が暴落し、機構は大きな損失を出した)

というのはVWの問題は、一社の問題ではないからだ。40倍は酷いが、排ガス規制違反はGM含めて他にもある。違反かそうでないかの実態を再調査する必要もあるが、この機会に現在の排ガス規制の妥当性を明らかにする必要がある。私の記憶では、自動車の排ガス規制の数値は、現在の技術で可能な上限、即ち事実上将来の技術で達成して欲しい努力目標が規制値として提示されてきたと理解している。今回の問題の背景として、努力目標の数値の決め方を検証しなければ片手落ちだと思う。私は実際に無理だったのに、メーカーがそれに従ってきたという場合も有り得ると考えている。エコとグリーンが絶対的な力を持ち始めて聖域化してしまい、そのうち排ガス排出権が取引できるなどとなると、もはや素人には訳が分からない。一つの組織が権威を持つと、そこには腐敗が生まれる。この機会に組織についてもメスを入れておく必要があると思う。証拠があるからではなく、あくまで念のためである。

何故私が、台風の巨大化に代表される地球環境の変化の時期に、こういう時代に逆行したな問題提起をするのかというと、それには理由がある。それは原発再稼働だ。排ガスより更に危険な放射性廃棄物による環境汚染(しかもこちらは10万年)が正当化される危険性があるからだ。最大の環境汚染源である原発が、排ガス規制を逆手にとって居直るという最悪の構図を警戒しているのだ。排ガス規制が一部の専門家にしか分からない、それゆえ一種の既得権になるような排ガス規制では困るのである。無論、現在の環境保護活動が腐敗していると言っているわけではない。但し如何なるノーも許さぬ、絶対的な権威が、ろくな結果を生まないことだけは過去の歴史が物語っている。

ところでついでなので、少し柔らかい自動車の話題をご紹介する。ネタ元は有料チャンネルのナショナル・ジオグラフィックとディスカバリー・チャンネルである。まずF1レースというのは自動車の技術的な限界を試すという意味で有益だが、エンジンに制限があるので、馬力をむやみに上げることは出来ない。ちなみにそういう制限のない市販車での最高馬力は1200馬力のブガッティだ。年間生産量50台、一台2億円。我々とは無縁。但し日本人ではタケシが所有している。自分では操縦できないので、専門のドライバーに頼み、自分は後からついてゆくだけとのこと。そういう所有の仕方にどういう意味があるのか分からない。庶民とは無縁だが燃費がリッター4キロはある意味で立派だ。この最速の市販車の実測の最高時速は430キロ。この数値は驚くべきものだが、いわゆるスーパーカーなら時速300キロを超える車は少しも珍しくない。更にゼロヨンだけを競うドラッグレースでは時速100キロまで0.8秒、最高時速500キロ。その代わり燃料も違うし、一回の走行でエンジンはボロボロになる。

F1の場合、速度を速める為に出来ることは限られているので、空力、即ち地面に車体を押さえつける力を増やすためのデザインが決め手になる。F1の覇者の一つは英国のマクラーレンだが、マクラーレンのF1の空力デザインがどれだけ凄いのかというと、時速300キロ超で走ると、トンネルの天井を走ることが出来る(無論さかさまに)と言われています。もはやSF,即ちメン・イン・ブラックの世界だ。

ちなみに地上を走る世界最速の乗り物はジェットエンジンを使った英国のSSCで1200キロ、即ち音速を超える。今1600キロを目標にした新型が完成している。ジャンボでも時速900キロですから、その速さは目にもとまらない。そういう記録にどういう意味があるのかと「実際的」な人なら言うだろうが、重要なことは、彼らにはあくなき探求心があるということ、そしてそこに投資する人間もいるという事なのだ。真面目で大人しい(日本の)メーカーは最後には勝つかもしれないが、そこには斬新的な進歩はあってもブレークスルーはない。EVだって外国の開発だ。HVは日本の独壇場だが、本来EVとのつなぎの車である。但し誤解を避けるためにあえて付け加えると、番組トップ・ギアの評価では、世界最高のスポーツカーの一台はGT-Rではなく、レクサスLFAだ。インプレッサもランエボもそれなりに評価されている。LFAは総合的な性能が高いと言われている。しかしその価格も破格で、日本でもとても庶民の手の届くようなものではない。

私の夢はドイツのニュブルクリンクを愛車(評判の落ちたVWです)で走ることだ。各社がテストコースとしてもよく使う20キロの周回コースだが、20ポンド払えば誰でも走れるという。但しほかの車も走っているので、最低限度の運転技術は必要だ。



「格安SIM」2015/10/8

いまスマホを普通に契約すると、多分どの電話会社でも一律7000円/月の使用料金が掛かる。スマホはもはやコンピュータと同じで、メールはもとより、ネットにアクセスして様々な使い方が出来る。スマホあってこその真のネット社会の到来だ。多分一度使ったら、やめられないだろう。ガラケーはもはや名前の通り、ガラパゴスのコモドドラゴンと同じ、生きた化石になる運命だ。販売とサポートの停止は時間の問題。もう一つ重要なことは、PCを持ち出して外で使おうとすると、回線につなぐ必要があるが、まさかその為だけにPC一台ごとに携帯の会社と契約する人はいない。その時はスマホのいわゆるテザリング機能を使えばよく、それも以前は別料金だったが、今ではデータ通信料金に含まれている。即ちスマホはもはや現代人の生活にとって、手放させない情報端末になっている。

スマホの画面の精細度も上がっており、新型の画面は衝撃的(アウトスタンディング、ブレステイキング、スタンニング)だ。内蔵の小さなレンズでも高精細な写真が撮れる。…しかしながら、それでも私はガラケーを使っている。なぜならスマホの小さい画面でメールやネットを操作するのはやはり辛いものがある。かと言って画面を大きくすれば、胸ポケットが垂れ下がる。…というわけで、私は通話用にガラケー(ガラケーは1週間充電不要)、そして外出時のネット接続にはiPadとWiFiルーターという使い分けをしている。

但しその為には回線に接続する端末が必要になるので、WiFiルーターを契約していたが、これもバンバン使うとスマホと同じくらい費用が掛かるのが悩みの種だった。WiFiルーターの回線は日本中どこでもつながるドコモで、同時に複数台のPCを回線につなぐ事も出来る。多分スマホのテザリングでもある程度の事は出来るだろう。仮に自宅の光回線がおかしくなっても、それさえあれば、非常時に自宅のPCをこいつにつないで使う事も出来る。そういうWiFiルーターにも、格安SIMがあることが分かり(SIMには音声機能がついていないものがあり少し安い)、早速切り替えて、現在試運転中だ。

料金を気にせずに使えないとネット・サーフィンも出来ない。格安SIMの使い心地については追ってご報告したい。ただ一つ言えるのは、強欲なNTTはそう簡単に解放してはくれないという事だ。しかしこれがコツなのだが、違約金を払ってでも、一日でも早く切り替えた方が良い。私の場合違約金を除いて、月額ピーク5000円が2000円以下(但し定額)になる予定である。スマホならその差はもっと大きいはずだ。但しスマホの機種によっては、格安SIMがない機種もあるので、まずはネットでよくお調べ頂きたい。






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