「WTWオピニオン」
【第136巻の内容】
「崩壊した開会式と、政商竹中」
「五輪は継続、都民は自粛」
「明日は我が身のトリアージ」
「官邸の暴走」
「官邸と国家」
「コロナ戦記」
「秘密警察」
「自暴自棄」
「自宅療養は最悪の選択肢」
「メディア批評」
1961.崩壊した開会式と、政商竹中。 21/8/1
若者の感染拡大に打つ手は、検査に尽きる。
但し身の処し方は本人の判断に任せるべき。
小池知事は情報がすべてだというが、笑えない冗談だ。
今更何を伝えようというのか。
情報を隠ぺいしたり、(都内の重症者数のように)自分の都合の良いように
改ざんする人の口からは聞きたくない言葉だ。
年初には、東京だけGotoの中止を(意図的に)遅らせた前科もある
今回の前書きは週間文春(8.5)の拾い読みです。
「開会式崩壊、全内幕」
…「組織委の橋本会長らは開会式が終わったことに安堵していますが、一見落着でいいはずがありません。実際には演出は迷走に迷走を重ね、予算も時間も浪費され、多くの人が傷ついた末に本番を迎えてしまったのです」(政府関係者)
…「いずれも政治案件です。江戸文化である火消しは、小池知事が、演出チームに絶対よと求めていました。都知事選で火消し団体の支援を受けた恩返しでしょう。一方海老蔵は森会長がマストでと押し込んできた案件。暫の演目と衣装も、当時から指定されていたものです」
…「IOCは演出側に、世界で困っているのは東北だけではない、特定の震災を限定的に取り上げるのはダメと伝えていました。黙とうシーンもはずせと指示を受けた。それほどIOCは復興五輪には否定的だったのです」
一方、IOCが挿入を強く求めてきたのはイマジンだった。
「…結果、演出としての作品性や復興五輪などの理念よりも、IOCや政治家など発言権が大きい人たちの意向に沿った開会式となったのです」…
「コロナ禍でも純利益は11倍、竹中平蔵パソナは五輪で笑う」
「コロナ禍で人材派遣事業こそ減収だったものの、自治体の窓口業務や、コールセンター業務など利益率の高いサービスが好調でした。経産省が700憶円超で発注した持続化給付金事業も再委託先として受注。最近ではワクチン接種事業なども各自治体から億単位で受注しています」
五輪でオフィシャルサポーターを務め、組織委の職員の1/3はパソナから優先的に派遣されている。広告代理店が1日30万円の人件費を組織委に請求しているのに、下請けのパソナのスタッフ募集の日当は1万2千円に留まる。
竹中の推定報酬は5千万。都内にタワーマンションを3部屋保有。
「竹中平蔵氏は菅首相の有力ブレーンです。過去には外国人の活用を訴えてきた。その結果外国人労働者の受け入れが拡大、ビジネスチャンスが広がったのです」…
コメント:この政商の記事は、読めば読むほど気分が悪くなります。こんな人間が政府の中枢部にいることが信じられないし、我慢もならない。パソナのせいで、接種の報告が遅れ、在庫の数字と合わなくなり、接種が遅れたとすれば、まさに国民の血を吸う吸血鬼、国賊以外の何物でもない。天罰を望みたい。
「小林賢太郎を米団体に通知した中山副大臣」
…「防衛副大臣であっても個人と公人では立場、それぞれがあると思う。私は個人として連絡した。それのどこに問題がるのですか」
コメント:問題大有りだよ、大馬X議員。それにサイモン・ウイゼンタールは、人権団体とは言えないという(下記の)記事もある。これも2世3世議員の事件です。この程度のおつむの持ち主が。副大臣(竹中が参謀)なのだから、菅政治がうまくいかないのはむしろ当然です。本人は電通出身だからその筋から情報を入手したのでしょう。公人という以前に、議員たるもの、その発言がいついかなる時でも、問題にされるという自分の立場も弁えられないようでは、大臣はおろか副大臣になる資格もない。自分に都合の悪い発言は、個人的発言だと言い訳を始めたら、どんな発言でも良いことになってしまう。公人になる資格がない以上、直ちに公職を辞任されたい。それからこの際、国民に伝えたいことは、菅政権はおろか、自民党から政権を取り上げないと、日本が世界中からバカにされ、足元を見られて、不利な扱いを受けることになるということです。既に菅首相が五輪とコロナの失敗で、十分以上に、日本の立場を悪くしていると思いますが。
関連記事:人権団体と紹介すべき団体なのか。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/07/post-96813.php
「夫人の介入で10人が去った英首相」
元側近が、ジョンソン首相はコロナの感染対策強化に消極的で、以下のように語ったと暴露した。「コロナで死ぬのは80代以上が大半だ。60歳以下で入院している人はほとんどない」。かつての右腕による衝撃的な告白。その背景には、首相の三度目の結婚相手、キャリー・シモンズの存在がある。「選挙期間中は側近との関係も良好でしたが、選挙で勝利した途端に、態度が豹変。自分が政権に影響力を発揮するべきと考えるようになり、側近との間に軋轢が生まれました」
首相も彼女の言いなりで、財務大臣をはじめ、愛想をつかした人間が政権を去っていった。その数は10人を超え、今官邸にいるのは、みなシモンズ派。最近も彼女が3千万円で官邸の改装をさせたと報じられた。
ある保守党の議員は、シモンズ氏の影響が強いことについて、こう嘆息する。
「ボリスはもう50代のいい大人だ。妻の言う通り行動しているとしても、本人の責任。まるで中世の政界のようだ…」
コメント:これで思いだすのはビート・タケシです。逆に側近の言いなりが安倍や菅です。
「タマホーム社長のとんでも動画」
「コロナになったときどうすればいいか。秘密の言葉を教えます。それは大丈夫、大丈夫ということです」
「玉木社長は昔からネットのうわさや陰謀論など何かをすぐに信じ込む。気分の浮き沈みが激しい」
コメント:社員にワクチン禁止令を出したAHO社長です。どことなく安倍信三に似ています。これも二代目です。
1962.五輪は継続、都民は自粛。 21/8/3
驚くべき菅首相の発言。入院は重症者に限ると。
一方で医師の判断は、重症者は意識のない人工呼吸の患者、
呼吸困難の中等症が事実上の重症者。
これでは入院待機中の中軽症者には死ねというに等しい。
IOCの言いなりの首相が、今度は一部の関係者の言いなり。
日夜人命のために苦労している現場の医師が、
こんなことを言うはずもない。医術は算術の一部の医療関係者
及び厚労官僚の意見だろう。
それは検査はいらないと言ってきた人達ではないのか。
未だに検査は拡大しない、ワクチンは足りない。
政府の愚策、無能の失態が国民の生命を左右している。
これが国民軽視の安倍菅政治の究極の姿。
国民の安全、安心が最優先と言った公約の責任を追求し、
国民は首相と厚労省、都知事を集団訴訟するべき。
刑事訴追の対象であり、辞任で済む話ではない
お早うございます。
・自宅療養基本。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210802/k10013176831000.html?utm_int=all_side_ranking-social_001
・コロナ重症男性、100病院が拒否。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6400488
コメント:菅首相よ、小池都知事よ、この惨状をどう説明するのか。既に感染は十分に拡大している。感染は将来の問題ではなく、現在の問題なのです。一人でも多くの国民を入院待機中の在宅死をさせないために、野戦病院開設、巡回訪問の体制と、救急患者の受け入れ拒否には厳罰を検討する(米国では法律がある)段階なのです。
・五輪は継続、都民には対策強めよ。小池のコロナ対策に反発、疑問の声。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/121094
コメント:強く強く都民にお願い(事実上の命令)というが、では都知事は何をしているのか。命令だけか。所詮魔女は都民(召使の群れ)の安全・安心など念頭にないらしい。メディアは菅政権だけでなく、小池知事の支持率も世論調査せよ。
・お盆の帰省原則中止を。全国知事会。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021080100224&g=pol
・森喜朗が語る東京五輪。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6400447
・むなしいイベントの中で。
https://www.47news.jp/-/olympics/tokyo-gorin/contents2/6600080.html
・予算繰り越し30兆円の理由。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/sakusakukeizai/articles/20210730.html?utm_int=news_contents_special_003
・映画の自由貫いた「パンケーキを毒見する」。
https://toyokeizai.net/articles/-/444441
コメント:ガースーの朝食会です。
1963.明日は我が身のトリアージ。 21/8/4
朝日新聞の川柳にいわく、
崩壊を自宅療養と言い逃れ。
鉄面皮、患者切り捨ての策に出る。
かかっても自助です、五輪は続けます。
そこで拙著、政策の失敗認めぬ菅首相。
下の句、同調図る小池知事。
苦労人だというから、庶民の味方かと思えば、さにあらず。
カジノ推進派で、五輪を強行。しかも未だに説明なし。
感染爆発が起きているのに、パラを中止するつもりもないらしい。
権力層と、富裕層への忠実な奉仕者。
一言でいえば国民の敵
そういえば医療崩壊という言葉は一度も菅首相の口からは出てこない。背後にいる日本医師会長(や岡部)からも、まともな談話が伝わってこない。医療が病院側の都合や権益で左右されていないか。その挙句のトリアージ(命の選別)では国民は救われない。国民の安全・安心どころか、国民の生命の問題だ。これが医療体制を強化してこなかった菅政権の失敗であることは明らかである。
・入院対象限定を与党も自治体も批判。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6400627
関連記事:保健所、自宅療養では急な症状対応難しい。
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210803/1000068252.html
関連記事:自宅療養の厳しい現実。
https://www.asahi.com/articles/ASP835QJDP7ZPTIL04W.html?iref=comtop_7_01
関連記事:疾患ある関係者は入院。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODE037RR0T00C21A8000000/
コメント:国民は菅首相の失敗のツケを命で払う。
・耳を疑う都幹部の言葉。
https://www.asahi.com/articles/ASP834QVQP83UTIL00N.html?iref=comtop_7_04
コメント:局長はただのイエスマンなので、魔女知事の指示であることは容易に推測できる。
・コロナ感染拡大と五輪は本当に無関係なのか。首相や都知事の楽観コメント。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/120731
今回の前書きは週刊誌からの拾い読みです。記事の数が多いので全体的に長くなっています。
週間朝日(8.13)から
「選挙の前に忘れないことが一番大事」古賀茂明から
…菅総理は、国民は馬鹿だという哲学を持つ。国民は、五輪という娯楽を与えればコロナから気がそれるし、時間が経てば忘れると信じている。だが、今回は、国民の命や生活に直接かかわることだから、簡単には忘れないという意見も多く、私もそうかなと思った。
しかし、ツイッターでの五輪に関する投稿を分析すると、五輪開幕を境にして、否定的コメントを肯定的コメントが大きく上回るようになった。大手メディアも手のひら返しで日本選手礼賛の二ユースばかり伝える。NHKは五輪期間中、BSでの世界のニュース放送をストップした。海外の「雑音=五輪批判」を封印するためだ。五輪反対派の中には、「始まるとやっぱり見ちゃうよね」という人も増えている。こんな話を紹介していくと、キャスターは、「やっぱり、われわれは馬鹿なんですかねえ。夢も希望もないなあ」とため息をつくことになる。
これに立ち向かうには、国民の覚醒が必要なのだが、そこで注目しているのが、「パンケーキを毒見する」という菅氏の素顔を描くドキュメンタリー映画だ。何と、五輪真っただ中の7月30日に大々的にロードショー公開された。「これを観れば選挙に行きたくなる」という宣伝文句が菅政権への挑戦状のように見える。試写会当日に理由なく映画の公式ツイッターアカウントが凍結されたのも、菅政権の警戒心がなせるわざなのか。
とにかく選挙に行くこと、もちろん、その前に「忘れないこと」。それが今国民に求められている一番大事なことだ。
「信じていいの?」室井卯月から
…そして、あたしがもっとも許せないのは為政者がいった『復興五輪』『コロナに打ち勝った証しとしての五輪』という、心ない言葉だ。開催が近づくにつれ、この言葉は使われなくなってきたが。東北の復興に対しては、五輪を開くことで五輪関連の建設ラッシュが起きて、資材は高騰し、工事の人材も足りなくなり、むしろ被災地の足を引っ張りつづけた感じだった。
コロナに打ち勝つことはできず、逆に東京五輪を開催することで、多くの人々に「コロナなんて心配ない」と誤ったメッセージを送ることになった。そして、感染は広がった。
これらの言葉を簡単に使い、そして簡単に放り捨てられる為政者というのは、残酷だ。それは、あたしたちのことを掃きだめに湧く虫ケラ程度に考えていることの証左である…。
サンデー毎日(8.15)から。
「錯乱五輪」青木理から
…もちろん、五輪をはじめとするスポーツイペ’ントはもともと開催国にアドバンテージがあり、開催国の選手やチームが好成績を収める傾向が強いことぐらいは承知している。とはいえ、今般の東京五輪はそのレベルが明らかに、そしてケタ違いに大きい。つまり、極度にアンフェアな環境下であらゆる競技が行われている。
それでも開催を強行するなら、…決してはしゃがず、粛々と競技を伝え、アンフェアな環境下でフィールドに臨む各国の選手に等しく敬意を払うのが最低限の節度。
しかし、現在の風景はまったく違う。某公共放送をはじめとするテレビ各局は自国選手のメダル獲得にはしゃぎ、各メディアのサイトには今回もまた「国・地域別メダル獲得数」が堂々と掲載され、しかもその最上位には自国名と国旗が鎮座している。
いまさら五輪なる巨大商業イベントが謳う理想なるものをありがたがって戴く趣味は私にないが、五輪憲章はあらゆる競技について「選手間の競争であり、国家間の競争ではない」(第1章の6)と定め、IOCや組織委員会に対しては「国ごとの世界ランキングを作成してはならない」(第5章の57)とされていたはずではないか。
そんな理想はいつも通りに軽々と蹴散らし、圧倒的にアンフェアな環境下での五輪で七自国のメダル獲得に狂喜し、そして閉幕後には「五輪史上最高のメダル数」などと自賛するつもりか。それもまた、今般の錯乱五輪に付記される無恥の記録として後世に記憶されるのではないか。
コメント:国威発揚などという言葉が思い出されます。但し、選手間の競争ではなく、国家間の競争でしょう。参加単位は国ごとです。
「強行開催の東京五輪、負のレガシーの行方は」鈴木哲夫から
…五輪が残す負のレガシーの最たるものは予算問題だ。都市型コンパクト大会という化けの皮は早々にはがれ、新型コロナによってブラックボックス化している。過去の舞台裏はこうだ。
五輪予算にガバナンスが全く利いていないことが発覚したのは2019年12月だった。会計検査院が五輪パラ関連事業への国の支出を調査し、その時点で約1兆600億円に達しているとの集計結果を公表した。政府や組織委が同月時点で公表していた支出はたった「約2600億円」だ。
…真実はどうか。検査院の1兆600億円の中には、「大会の準備や運営経費」として、暑さ・環境対策が約2779億円、選手や観客の円滑な輸送や受け入れに約2081億円、動員する警察官の待機施設費用に132億円など。明らかにこれらは五輪予算と見なせるし、政府や組織委公表の
4倍にもなる。
「…関連予算か否かの基準が特にないため、政治的判断で隠蔽したり、言い訳もできたりする」(立憲民主党政策担当幹部)
そもそも五輪の総予算はどんな計画だったか。見直しを続けながら、新型コロナ前には総額1兆3500億円で、組織委と東京都が6000億円ずつで、国が1500億円と分担するというものだった。ところが、検査院は集計した項目なども合わせると「総額3兆円に達する」と指摘した。曖昧なところに新型コロナが来た。新たに費用問題が次々と起きている。
…では、膨らんだ五輪関連費用を誰が負担するのか。予算項目によっても違うが、メインはIOCや組織委、関連政策は開催都市の東京都や国だが……。
「IOCは日本国内限定の費用を理由に、出し渋ることは間違いない。組織委も『お金がない』というのは目に見えている。結局、都や国で、どちらがどこまで負うのかということになる」(組織委理事の一人)
いや、ちょっと待ってほしい。都だろうが、国だろうが、補填するとなれば投入されるのは税金だ。そもそも、こんなに予算が膨らみ、中身はブラックボックスと化し、いまだに五輪の収支の見通しさえ明かされず、誰が負担するかもはっきりしない。普通の民間企業ではあり得ない。経営責任問題だ。
橋本氏をはじめ政府や東京都……。いくら日本選手のメダルラッシュで沸こうとも、「負のレガシー」を総括し、解決する責任から逃れることはできない。
「東京五輪は本土決戦か」保坂正康から
…アメリカ軍に対して、婦女子が竹槍をもって戦うような戦争が、本土決戦の迎撃作戦であった。これは何を意味しているのだろうか。軍事指導者が当たり前の感覚を失い、国民の命と財産をまるで自分たちのメンツのために使って、責任逃れをしようというのがまさに本音であった。こういう歴史的過去を、私たちの国は持っているのである。
指導者がひとたびバランス感覚を失い、方向性を間違うと、この国はとんでもない事態に入り込んでしまう。国民は大きな犠牲を背負い込んでしまう。
今私たちはそういう状況に入り込んでいないだろうか。
…太平洋戦争の戦時下で日本の軍事指導者が陥った罠は「主観的願望を客観的事実のすり替える」という点にあった。
…コロナ禍にあって、日本社会は二人の首相を持ったが、安倍、菅、二人の首相は図らずも、他者と議論できない、自説がないといった点はまさに同じである。その性格が、「主観的願望」を客観的事実に変えるのに躊躇いがないということになるのだろう。
…こうした状況に菅首相の言説は常に主観的願望を繰り返しているだけのように映る。そういう言を繰り返すことによって、客観化しているような錯誤を国民に与えているのである。
菅首相の支持率が上がらないのは、このトリックが国民に見破られているためであろうと私には思える。
加えて菅首相の言辞には奇妙な二重性がある。外国メディアのインタビューで、オリンピックは中止する方が簡単で、実行する方が本来難しいと答えたそうである。この点についてどちらが実際に難しいのか、逆に易しいのか、その点は私たちにはわからない。あえて私が二重性があるというのは、自分の選んだ方が難しい道だと思い込んでいることである。二分法によって自らを正当化していくのだ。
自分が選んだ道が難しいにせよ、易しいにせよ、そこには国民を納得させる論理が必要である。しかしその点を詳しく説明せずに、自らを正当化した結論を押し付けるだけの指導者は、いわば陶酔型の自己中心主義と言われても仕方がない…。
「東京五輪、悪夢に転じた平和の祭典。日本スポーツ界の第2の墓標」坂上博康から
…陛下の「懸念」に対しては、天皇による「政治的行為」に当たるとして批判する向きもある。
しかし、そもそも五輪は非政府組織である国際オリンピック委員会(IOC)の委託を受けた開催都市と、その国のオリンピック委員会、つまり東京都と日本オリンピック委員会(JOC)が主体となって開催する民間行事である。政府に五輪開催の可否を決断する権限など本来ない。にもかかわらず政府が決断を下し、天皇が「懸念」を示すことが「政治問題」とされるところに、今回の五輪の異常さが示されている。
祝福できない五輪。これは多くの国民の感覚と一致するものである。直近の世論調査では、無観客開催を支持する人が4割、中止すべきだとする人が3〜4割で両者が拮抗している。それゆえ「国論が二分されている」と論じられている。
だが、それは表面的な見方である。なぜなら、これら直近の世論調査は、5月半ばまでの調査で4〜5割が支持していた「再延長すべき」という選択肢が、取り除かれているからだ。それによって「再延期」支持者の多くが、致し方なく無観客支持へと流れたと考えるのが妥当だろう。
こうして議論の焦点が開催の可否ではなく、無観客か否かへと一気に矮小化されてしまった。再延期と中止の支持が計8割という5月半ばまでの状況、つまり8割の国民が「今この夕イミングで五輪を開催すべきではない」と思っているという状況は、今もほとんど変わっていないのではないだろうか。開会式直前になっても9割もの人が五輪開催で感染が再拡大すると不安を感じているという事実が、それを物語っている。
国論は二分されているのではない。圧倒的多数の国民が、今このタイミングで五輪を開催すべきではなかったと思っている。理由は明確である。国民はかつてない感染の再拡大の不安のただ中におり、安心・安全に五輪が開催できる状況にはないからだ。
…IOCから五輪開催の委託を受けているのは、先にも述べたように東京都とJOCである。開催都市契約では、両者に組織委を加えた3者で連帯して責任を負うことになっている。政府はあくまで後方支援にすぎない。だが、現実には首相が日本側の代表となり、その一方で、JOC会長が排除される。常軌を逸したこの政治家による独占体制こそ、05年以降の日本のスポーツ界の逆走が呼び寄せてしまった結末にほかならない。こうして再び日本のスポーツ界は、政治に従属する存在になり下がったのだ。
政治家主導体制は、さまざまな弊害をもたらした。たとえば、人権感覚が欠如した開会式の楽曲や演出の担当者の人選。これは猪瀬直樹・元東京都知事が「森お友達内閣」と揶揄したような組織委の体質が元凶であるといっていいだろう。
…「安心・安全」の科学的な根拠を示さず、「どうして運動会がダメなのに五輪はいいのか」という疑問に答えないまま、政府はコロナ禍での五輪を強行開催した。それにより、東京五輪は「祝福できない」ものへと転化してしまった。崇高な理念も開催のための囗実にしか聞こえない。今回の東京五輪は、モスクワボイコットをはるかにしのぐ甚大な被害を、この国と日本スポーツ界にもたらした「第2の墓標」として記憶されなければならない…。
コメント:コロナ禍五輪に意義があるのなら説明をと述べています。
「地獄への片道切符。金子勝が五輪後経済と産業衰退の悪夢を語る」倉重篤郎から
「国債発行は子供たちの世代につけを回すという批判は正しくはない。政府、日銀は連合軍でやっている。政府発行の国債は日銀はほぼ全部買い取ってくれている。どうやって日銀がこの政府の出す巨大な国債を買うか?どこからかお金を借りてくるわけではない。紙とインクでお札を刷っている。20円で1万円札ができる」
…安倍氏は異次元策のおいしいところを政権浮揚に使うだけ使って、その後遺症や不法性については何の責任も取ることなく、出口なしのまま政権を放り出した。
…金融マーケットは?
「株式、国債市場のみならず社債、CP市場も麻痺、金融市場は完全に壊死した状態だ。市場としての意味がない。コロナ不況になっても株はバブル並みに上がってしまうのだから」
コロナ禍のバブル。
「コロナなのに株とマンションの売れ行きが異常だ。ジャブジャブの金が資産インフレを引き起こし、本来は競争力低下で退出すべき中小企業がミニバブルで儲けて息をついている。働かずに資産を持つ者は儲かる一方、女性の非正規雇用は潜在的な失業状態に追いやられている。野村総研の調査によると、女性の隠れ失業者が100万人。男性の潜在失業者が40万人も増えている。母子家庭や非正規など、最も弱い部分にしわ寄せがきている。コロナ禍のバブルという究極の格差社会を作ってしまった」
「異次元策の麻薬効果、その最大の被害は産業衰退だ。産業の新陳代謝、必要な構造転換を阻んできた。特に製造業だ。その労働生産性は2000年代初めまでは世界一だったが、今や16位(OECD加盟主要31力国中)。あらゆる指標が落ちている。本来は潰れなければいけない電力会社がまだ生きている。原発部門が大赤字の東芝、三菱重工、日立など重電メーカーを異次元緩和で政策的に支えてきた。軽電のパナソニックも身売りの連続。自動車ですら電気自動車、自動運転になったら世界についていけない」
「半導体についていえば、先端産業のコンピュータや半導体がいかに大事かということが理解できなかった。経産省の責任は重い。業界を縦割りに仕切り、その業界の、団体の利益を守り、そこに天下りすることしか考えていなかった。真っ当な産業政策をしてこなかった。その経産省がそのまま生き延びて、2011年の3.11原発事故で大失敗しているのに、官邸を乗っ取ったのが安倍政権だ」
経産省主導の政権だった。
「今井尚哉秘書官ら経産官僚が仕切り、安倍氏の虎の威を借り、財務省の財政健全路線を封じ込め、異次元策で経済界をジャブ漬けにして、権力維持を目的に好き放題にした8年だった。自分たちは無力で無能で失敗ばかりしているのにそれを認めない。公安警察を使いメディアを脅し、内閣人事局で官僚を壊し、最後に学術会議の息の根を止めにかかった…」
かつてあれほど議論された維持原作の是非、でぐx日論が今や皆無に近い。…衆院選では、その代替案、責任論をぜひ各党に問いたい。
コメント:安倍菅経済を出口なきネズミ講と評しています。なお素人眼から、一つだけ付け加えれば、コロナかで日本全体が傷つき、疲弊している現在では、急激な財政引き締め策は難しいでしょう。むしろ必要な金は惜しまず出すくらいの姿勢のほうが、国民や投資家の気持ち(景気)も上向くはずです。但しこういう非常時に企業だけ特別扱いはできませんので、内部留保を隠し持った企業にも、それを吐き出させる政策が必要です。また国としても、使ってしまった、あるいは今後使う予定の費用を、将来どのように回収するかの青写真は最低限必要です。なお五輪関連費用については、それとはまったく別の話であり、五輪特別勘定を作ってどこにどう使ったのか、またそれを今後どのように回収してゆくのかを明白に国民に説明し、納得を得る義務があります。なしくずしに出来るような性質ではない費用(特に広告代理店向けは)も含まれています。その際、誘致時のわいろや、JOC内部の経理の不明朗も、明らかにする必要があります。要は、五輪に関する、国民向けの決算報告が必要なのです。
・五輪組織委、ホテル18室前払いして使うのは1室。経営者もあきれる無駄遣い。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/121497
コメント:確か五輪貴族の宿泊代は本人負担ではなかったか。IOCがそう宣言したはず。
1964.官邸の暴走。 21/8/6
神奈川でも感染が急拡大。
黒岩知事は、医療ひっ迫が起きつつ
あることを認めたうえで、
在宅で酸素が受けられる仕組みの拡充や
感染者の宿泊施設の拡大に言及。
小池知事は、事態は深刻だと言いながら、
医療体制のひっ迫は認めようとしない。
都民はもっと真剣に努力してほしいと言うだけ。
対策の目標も約束もない。
どちらの知事が住民にとって有難いかは
言うまでもない
今回の前書きは古賀茂明の新著「官邸の暴走」の序章からです。
2020年9月、7年8か月の長期政権を続けた安倍晋三総理は、自身の健康問題を理由に辞任した。突然の出来事だった。その後任を決める自民党総裁選に立候補した官房長官(当時)の菅義偉氏は総裁選の公約に「安倍政治の継承」を掲げて勝利し、9月16日に第99代内閣総理大臣に就任した。
菅氏が安倍政治から「継承」したものとは何か。
安倍政権は、「レガシーなき長期政権」だと揶揄される。確かにポジティブな意味では何も残さなかったかもしれない。しかし、全く逆の意味で、その後の日本を規定してしまいかねない遺産を彼は残していた。私は、それを「安倍政権四つの負のレガシー」と呼んでいる。
すなわち、「官僚支配」「マスコミ支配」「地に堕ちた倫理観」「戦争のできる国づくり」の四つだ。
「反対するのであれば、(官僚には)異動してもらう」菅氏は総裁選前日のテレビ番組でこう語った。安倍政権の第一の負のレガシー「官僚支配」の継承を宣言した瞬間だった。
…政治主導の原則を述べただけとも読める。選挙で選ばれた国会議員に選ばれた内閣総理大臣。その総理大臣が作った内閣が行政を進めるということは、確かに憲法に書いてあるとおりだ。その内閣の決定に従わない官僚がいれば、行政を国民(国会)の意思に従って進めることはできない。国民主権でなく官僚主権だ。そうならないためには、どうしても従わない官僚には辞めてもらうしかない。菅氏は、当たり前の話をしただけだと言うだろう。
だが、それを額面通りに受け取る者はいない。…ここまではっきりと「言うことを聞かない官僚はクビだ」と言い放った菅氏の下では、官僚支配が安倍政権よりもさらにワンランクグレードアップされたと官僚たちは感じている。
確かに、菅氏の言うとおり、官僚が政治家に従う「政治主導」はある意味当然のことだ。本来は、「政治主導」という言葉があること自体おかしい。実はこの言葉は、「官僚主導」に対するアンチテーゼとして存在すると言っても良い。「政治主導」「脱官僚主導」という言葉は、2009年の衆議院選挙で大勝して政権を取った民主党が掲げたスローガンだ。当時多くの国民は、日本の政治・行政の実質的支配者は官僚ではないかと疑っていた。また自民党には既得権益を持つ「族議員」がはびこり、彼らが省益を図る官僚と結託していると考えて、「しがらみのない政治」ができるはずの民主党に期待が集まったのだ。
…それがなぜ負のレガシー」となるのか、と考える向きもあるだろう。しかし、ここで忘れてはならないことがある。「政治家が官僚を支配すべきだ」という命題が成立するためには、「国民から選ばれた政治家は、国民のために奉仕する」という前提が必要だ。この大前提が成立しているからこそ、「官僚が政治家の言うことを聞けば、官僚が国民のために働いていることになる」のだ。
だが、第2次安倍政権が憲政史上最長となる約7年8か月に及び、いざ「政治主導」、とりわけ「官邸主導」が完成したとき、想定外の事態が生じた。政権が国民のために働かず、国民の利益より自分たちの利益を優先するということが頻繁に生じたのだ。それは、自分たちのために官僚機構を悪用するというところまでエスカレートした。
さらには、官僚たちは官邸の指示がなくてもその意向を「忖度」し、公文書改ざんなどの違法行為まで働くようになってしまった。このように普通では考えられないことまでするのは、安倍総理自身が、三つ目の負のレガシー、「捕まらなければ良い」という「地に堕ちた倫理観」に従って行動し続けた結果、官僚の倫理観まで地に堕ちてしまったからだ。…忖度による「地に堕ちた倫理観」が蔓延したのである。
この事態を是正するには、国民のために働かない政治家たちに対し、国民が選挙でノーを突きつけるしかない。しかしこれまで、国民は選挙のたびに安倍政権を選び、また安倍政治を継承するとして誕生した菅政権も、発足当初、非常に高い支持を集めた。その理由は何か。安倍政権、および安倍政治を継承した菅政権の真の姿を、国民が理解できていないからである。
…安倍政権がかつてないほど徹底して「官邸主導」の政治を行った結果、それと並行して「官邸官僚」が絶大な力を持つに至った。「政治」主導なのに、特定の「官僚」に権力が集中するという皮肉な現象だ。
通称「官邸」とは、総理大臣および官房長官と、それを広い意味でサポートする国会議員、官僚、民間出身者などの様々な大たちが働く場所であり、またそれら一群の大たちを指す。「官邸の意向」と言えば、官邸にいる人の意向であるが、それが総理の意向なのか、官房長官の意向なのか、官房副長官の意向なのか、はたまた総理の威を借りた秘書官や補佐官の意向なのかは判然としないことも多い。
それでも「官邸の意向」は、基本的には抗うことが許されない命令だと、各省の官僚あるいは大臣までもが受け止める。官邸で働く者のうち、官僚および官僚出身者が広い意味で[官邸官僚]と呼ばれる。彼らは、政権の目標を達成するために計画を立て、障害を取り除いていく戦略部隊であり、政権による「官邸主導」を実務面で仕切る任務を担う。
官邸官僚には、三つのグループがある。一つは、総理と個人的な聨舮持ち、総理から直接、内閣総理大臣秘書官や内閣総理大臣補佐官などのポストに任命された人たちだ。…二つ目のグループは、官僚トップとなる杉田和博官房副長官(事務)兼内閣人事局長、北村滋国家安全保障局長ら、危機管理と公安を担う警察庁出身者たちだ。三つ目のグループは、各省庁からの推薦を経て、総理秘書官、官房長官秘書官などのポストに就く人たちである。
彼ら官邸官僚は本来、政権のサポートをするという役割なのだが、様々な官僚人事に関与したり、各省庁のトップである事務次官や幹部に事実上命令したりと、傲岸不遜と言えるほどの権力を持つに至り、国民からもその存在が注目されるようになった。
官邸官僚の台頭は第2次安倍政権で顕著となり、菅政権でもそれが引き継がれたかと思
ったが、その実態はかなり変質しているようにも見える。
安倍氏と菅氏という二人のリーダー、そして「安倍政権四つの負のレガシー」を築き上げ、その後、それを基盤に菅政権を支えようとする官邸官僚たちのキャラクターを、それぞれ端的に表現するなら、安倍氏は「能力の低いペテン師兼パフォーマー」であり、菅氏は「頑固で攻撃的、『改革する自分』に酔う裏方番頭」、官邸官僚は「自己実現のために権力を顕示し暴走する、凄さ・狡さ・怖さ・愚かさを併せ持つ、孤立した存在」である。
このような安倍氏・菅氏・官邸官僚のトリオは、「長い物には巻かれろ」気質で忖度する一般官僚たちと、サラリーマン気質でジャーナリズム精神のないマスコミを支配していった。二つ目のレガシーである「マスコミ支配」は、むしろ記者たちが自ら加担して成立したようにも見える。
一方、一般官僚たちは、安倍氏の関心が薄い案件については従来型の「官僚主導」で、自己の利権拡大に勤しむが、「総理案件」「安倍案件」などと称された、安倍氏が思い入れを持つ案件については、官邸官僚の采配に対し全面的に従い、さらには何も言われなくても自ら忖度して行動する習慣を身に付けた。
安倍案件とは、改憲や安全保障、外交、東京五輪や、安倍氏のお友達案件とスキャンダルなどである。第2次安倍政権において、集団的自衛権の行使などの安全保障関連法、特定秘密保護法、「共謀罪」法などが成立したのは、安倍氏の哲学ならぬ「思い込み」に沿い、官邸官僚らが尽力して、第四のレガシー、「戦争のできる国づくり」に突き進んだ結果だ。もちろん、無理難題でも官邸の意向に官僚を従わせる「官僚支配」ができたからこその成果である。また、安倍総理自身のスキャンダル「モリカケ桜」、すなわち「森友学
園問題」「加計学園問題」「桜を見る会問題」の火消しをするためにも、官邸官僚らは暗躍した。
…さらに官邸官僚のありようは、時の政権によって大きく変わる。菅政権が誕生してから半年以上が経つが、安倍政権のときの官邸官僚の権勢はどこに行ったのかといぶかる人も多いだろう。その実態もまたベールに包まれている。そもそも、「官邸官僚」の「権勢」は、安倍政権に牛耳られていた囗本のマスコミから見た評価である。服従する側から見たので、過大評価となっている可能性も高いというのが私の直感である。この得体のしれないものに独自の解析を行い、ベールに包まれた真相に近づいてみたい。
コメント:この序文は、安倍菅政権の8年間を要約しているとも言えます。安倍政権の4つの(負の)レガシーの指摘が重要です。
・コロナ重症者千人超す。
https://www.nikkei.com/theme/?dw=20012202
・自宅療養の方針に潜む、本当の問題点。
https://diamond.jp/articles/-/278585
コメント:ワクチンは、発症は抑えるが感染を抑えるわけではない。だからマスクが必要。
・広島式典、首相読み飛ばし。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021080600334&g=pol&utm_source=top&utm_medium=topics&utm_campaign=edit
コメント:私も中継を見ていましたが、途中でTV画面の字幕と菅の発言が一致しなくなりました。それに引き換え、毎回ですが、松井市長の宣言は危なげがありません。次回はぜひ英語で発信して頂きたい。なお菅の説明にはコロナとの戦いが含まれていましたが、こういう場で話すべき内容ではなく、宣伝臭を感じました。
・核兵器と共存あり得ない。松井市長。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210806/k10013184551000.html
・長い間苦労をかけた。菅。
https://jp.reuters.com/article/idJP2021080601000733
・菅、五輪は感染拡大につながっていない。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/122378
コメント:開き直りもいい加減に。五輪でお祭り気分を盛り上げ、(ワクチンがあるから大丈夫だと言って)国民の危機感を緩ませ、(海外からを含む)五輪で人流が増加したこと、そしてデルタ株の流行を念頭に置いていなかったことが原因。
1965.官邸と国家。 21/8/8
小池知事はオリパラの宣伝をする前に
国にワクチンを要求せよ。
都民の大多数が接種を終えれば、
感染はピークを超える。
知事に女優を選んだ都民は、
今そのツケを自らの生命で払わされている。
まともな都民は女優、小池百合子に関心はない。
効果のある対策を講じ、実務をこなしてこその知事職だ。
今更言っても無駄かもしれないが、
この際心を入れ替え、一切のTV出演なしで、
知事職に取り組んでみてはどうか。
いかに愚かな都民でも、今のままでは、
次回も小池を知事に選ぶとは思えない
今回の前書きは佐高信と古賀茂明の対談「官僚と国家」(平凡社新書)から、佐高の前書きです。
講談社か出していた月刊誌『現代』の1997年4月号に「『自殺する官僚』と『腐敗する官僚』」を書いた。…スキャンダルで失脚した大蔵(現財務)官僚の中島義雄と、水俣病患者との板ばさみになって自殺した環境庁(現環境省)の山内豊徳を対比させた。
山内と親しかった元経済企画庁長官の田中秀征が、1997年2月3日付『東京新聞』のコラム「放射線」に「ゴミを拾う男」と題して、山内のことを書いている。
「尊敬していた環境庁の山内豊徳局長が自ら命を絶って七年が経つ。水俣病の補償問題で板ばさみになっていたとのことだが、詳しくは知らない。このところ官僚の不祥事が報じられるたびに、きまって彼の顔か思い出される。彼の死に関する当時の報道の中に、私か今もって忘れられない小さな記事があった。それはある週刊誌の取材に答えた近くに住む主婦の談話であった。『テレビで顔を見てびっくりしました。あの人は休みの日に道路や遊園地のゴミや空カンを拾って歩いた人です。立派な人がいるなあと思っていましたか、あんなに偉い人だとは知りませんでした』
日曜の早朝、何年もひとり黙々と空カンを拾い集めていた人。その人が。政府高官″であったのだ。模範を示して多くの人を啓蒙しようなどと考える人ではない。きっと『空カンがあれば汚いし、子供たちがケガをする』という自然な気持ちから出たおこないだ。
その後、彼の隠れた善行がいろいろなところから明るみに出てきた。生前そんなことはおくびにも出さなかったか、いずれも『彼ならば』と思わせる心打つ話であった…。
彼のような人物になることは難しいが、少なくともそれを正しく評価し、迷わず上席を譲ることのできる人でありたいものだ」
…改めて知子夫人にゴミのことを尋ねたら、ゴミを拾うのは日曜日だけではなかった。旅行先でも、すぐに袋を持って拾い始める。「仕方かないから私も拾いましたよ」夫人はそう言って笑った。
山内は国家公務員上級試験を二番の成績で合格し、誰もが向かう大蔵省には入らずに、1959年に厚生省(現厚生労働省)に入った。その四年後、同じ厚生省に。腐敗官僚のレッテルを貼られることになる岡光序治が入る。だから、大蔵省に入る人間が権力的で、厚生省をめざす人間はそうではないとも言えない。ただ、厚生省志願者には、比較的、岡光型は少ないとは言えるだろう。
厚生省の中で言えば山内型と岡光型、…私はこの二つのタイプの官僚が霞が関でシーソーゲームをやっているのではないかと思う。
…「腐敗する官僚」が力を得る時には、山内型は沈んで自殺に追い込まれ、逆に、山内型が力を得た時は、岡光型はフェイドアウトせざるをえなくなる。
しかし、政治家の劣化もあって、残念ながら、ますます岡光型が多くなっている。
山内の自殺からおよそ30年後に森友問題で赤木俊未が自殺した。彼を自殺に追い込んだのは、首相だった安倍晋三であり、上司だった佐川宣寿だった。
政治家、官僚、国民は、グー、チョキ、パーの関係にあるといわれる。政治家は有権者の国民に弱く、国民は支配する官僚に弱い。そして官僚は人事権を持つ政治家に弱いというのだが、このチェック・アンド・バランスが正常に働けばである。
私は官僚の力か弱くなると公(パブリック)が失われると思っている。公正さ、公平さがなくなってしまうのである。
私は国鉄の分割・民営化や郵政の民営化に反対だった。国鉄、現在のJRは公共交通を担っている。民営化とはすなわち会社化だが、民営化されて、たとえば過疎地の赤字路線は廃止された。公共の足か失われたのである。
北海道のある町の町長は、
「国鉄は赤字だ赤字だと騒ぎたてるが、では、消防署が赤字だと言うか、警察が赤字だと非難するか」
と怒ったという。
国鉄の民営化は中曽根康弘、郵政のそれは小泉純一郎か推進した。しかし、経済記者として日本の会社の実態をつぶさに見てきた私は、民営化という名の会社化バンザイとはとても言えない。
役所の悪いところと会社の悪いところを併せもっているのが電力会社である。私は『電力と国家』(集英社新書)を書いた時、古賀さんと対談した。静かな人というか、落ちついたたたずまいながら、その指摘は激しいなという印象を持った。
「入省されて間もなく、お若いころにすでに(国家と電力の現状に)違和感を覚えられていたとか」
と問いかけると、彼は、
「はい。経産省の若手エリート官僚と東京電力のエリート社員とが、勉強会と称して酒席を設け、ある種同好会的なノリで仲良くしているのを目にしてきました。異様な世界です」
と言い切った。
「経産省と東電が馴れあっている」
と応じると、
「はい、そうです」
と淀みがない。
古賀さんは、もちろん「腐敗する官僚」ではないが、「自殺する官僚」でもないということだろう。それは古賀さんか大事にしている次のガンジーの言葉で明らかである。
「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって、自分が変えられないようにするためである」
この本も多くの読者を獲得することを願っている。
コメント:原発問題を抱える東電は無論のこと、今回の給付金や五輪の騒動で、電通との癒着も明らかになっています。私も自分の無名のサイトで世界を変えられるとは思っていません。自分が、(政府や世間に)変えられないようにするために、情報を集め、感想(コメント)を書いているのです。
・都内で50代の接種進まず。ワクチン不足。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6401014
コメント:小池にはオリパラを宣伝する前に、やることがあるはずだ。
・再選どころではない窮地。
https://toyokeizai.net/articles/-/446243
・無投票再選に暗雲。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021080601233&g=pol&utm_source=top&utm_medium=topics&utm_campaign=edit
コメント:菅はいらないが、高市もいらない。
・河合事件、質問打ち切り。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021080600998&g=pol
・政権に打撃。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021080700396&g=spo&utm_source=top&utm_medium=topics&utm_campaign=edit
コメント:ワクチン増えず、感染収まらず。演説させれば原稿を読み飛ばす(ページがめくれなかったのは糊が付着していたせいだそうだ)。どこに出しても恥ずかしい。
1966.コロナ戦記。 21/8/8
感染が拡大したのは、選手が外国から
ウイルスを持ち込んだためではない。
人流が極端に増えたためでもない。
菅と小池が五輪ムードをあおり、
自ら楽観論を振りかざすことで、
国民の緊張感や危機感を失わせたからである。
アクセルとブレーキを同時に踏みながら、
しかも感染爆発=医療崩壊という事態に、
これという備えをしてこなかったからである
今回の前書きは、少々長くなりますが、世界8月号の連載コロナ戦記「コロナ対応、歪みの起点」山岡淳一郎、からです。コロナが感染大爆発を迎えている現在、事の発端を振り返り、国と都の行政がどう対応してきたかを、改めて検証する(総括は今後の課題)ことに、政権選択の記事も重なり、大きな意味があると考えます。
東京は感染拡大の波が高まるたびに医療が崩れた。いままた、五輪開催で同じ轍を踏もうとしている。今回はパンデミック初期に立ち戻り、対策の歪みの起点をあぶりだそう。
…巨大自治体、東京都の新型コロナ対策のターニングポイントは、意外に早く訪れていた。昨年2月14日、東京都福祉保健局の局長だった内藤淳は、医師資格を持つ技監らと記者会見に臨んだ。…感染症の発生で、都の医療行政を統轄するトップが直々に記者会見を開くのは異例のことだった。当時、…世間の耳目は横浜港に接岸したままアウトブレイク(感染爆発)が起きているクルーズ船、ダイヤモンドープリンセス号に集まっていた。
内藤は、感染したタクシー運転手の行動から、中国湖北省の旅行者と接触のあった屋形船のクラスターを指摘した。…厚労省も、感染を対岸の家事のように、眺めていた。保健所は発熱症状と武漢渡航歴という厚労省の基準を守り、疑わしい患者でも検査対象から外した。肺炎患者を受け入れた病院でも、保健所に検査を拒まれた。
都は都知事の名前で、厚労大臣あてに、かなり踏み込んだ緊急要望を出す。「健康状態の把握と二次感染の未然防止の観点から、患者との濃厚接触者については、無症状でも検査が行えるよう統一的な指針を示すこと」「流行地域からの渡航者であっても無症状の者に対する検査等が行えない。本感染症については、無症状病原体保有者からの感染の可能性も考えられ、それらの者が国内で発症するリスクもある……」と、無症状感染者への検査や措置を強く求めた。
だが、国は無症状者への検査を拒む。三日後、感染症専門家のアドバ弋ザリーボードは、「無症状者の入院により感染症指定医療機関の負担が増大する」として、「無症状者に対するPCR等検査の実施に否定的な見解」を厚労省に伝えた(新型コロナ対応民間臨時調告会訓査・報告書)。厚労省は、無症状者からの感染を認めれば「国民の不安」を煽り、「パニック」を引き起こすととらえ、検査に消極的だった。
一方で医師がコロナを疑う場合は「各自治体と相談の上で検査」できると厚労省は示し、抜け道も開く。国立感染症研究所は「無症状者からの伝播が報告されているものの主要な経路ではない」と表明。厚労省は、5月4目に専門家会議が無症状者の感染リスクの高さの見解を出すまでこうした立場を貫く。PCR抑制論はここに根ざしていた。
…人間の差別や偏見、風評被害への反省がどのように行なわれようが、ウイルスの伝播は自然現象で、人の思惑に関係なく生き残ろうと変異をくりかえす。屋形船での感染をタブー視することは、冷徹なウイルスのふるまいを見えにくくするおそれがあった。ひいては検査や感染防御、リスクコミュニケーションのあり方にマイナスの作用を及ぼしかねなかった。
じつは、屋形船を震え上がらせたウイルスは市中に飛び火していた。2月14日の都の記者会見の影響を多くの医療関係者に訊ねていて、こんな説明を耳にした。
「台東区の永寿総合病院に肺炎で入院していた年配の男性患者が、記者会見の内容を知って、『自分もあの屋形船の新年会に参加していた』と医師に打ち明け、院内は大騒ぎになった…。その後病棟から新規の陽性者は出ず、患者さんも退院したので、永寿の院内感染はいったん収東したことになっています」
突然、忘れ物を突きつけられたようで、私はハッとした。…闘病中の43人が亡くなった永寿病院のアウトブレイクの顛末を書いた。まだ情報も少なかったなか、看護師や医師が涙ぐましい努力で感染の制御に当たり、窮地を脱した経緯を記したのだが、頭の隅にはずっと疑問が残っていた。「屋形船」と「永寿」のつながりである。それが急浮上した。
…もしも「いったん収束した」といわれる屋形船由来の感染と、後のアウトブレイクがつながっていたとしたら、認識を改めなくてはならない。国や都の対応の再検証が必要だろう。
永寿のアウトブレイクは、「第一波」の襲来を都民に告げた。永寿の患者が転院した慶應大学病院で院内感染が発生する。都の西部、中野区の中野江古田病院、総合東京病院でも集団感染が起きた。四月、ウイルスは医療の「最後の砦」といわれる「救命救急センター」に入り込む。重症化して救急搬送されたコロナ患者から感染が広がった。
4月7日、国は最初の「緊急事態宣言」を出す。四月中旬には都内26の救命センターのうち半分ちかくが「院内感染」を理由に診療を制限した。救命センターは脳卒中や心筋梗塞、多重外傷など一刻を争う第三次救急の担い手だ。日々、重篤な患者を引き受けていた渋谷区広尾の日赤医療センター、港区の慈恵医大
附属病院、文京区の順天堂大学病院と、国会議事堂を中心に半径3.5キロ圏内の救命センターや救急部門が次々に診療を止める。感染者がPCR検査を受けられずに病状を悪化させ、孤立死した。ウイルスに冒されて意識朦朧となった人が路上で行き倒れる。救急患者は搬送先が見つからず、何十ヵ所もたらい回しにされた。その後、何度もくり返される悲劇が、日本一医療資源が豊かな東京で起きたのだった。では、感染を拡げたウイルスはどこから来たのだろうか。
…しかしながら、武漢株がたとえ一部でも生きながらえて感染爆発を生じさせた現実は、無症状感染者の媒介を強く裏付けている。厚労省が、「無症状者にPCR検査は必要なし」という硬直した姿勢を改め、入院患者のみならず、医療機関の職員への検査を早い段階で取り入れていたら、その後の病院内、施設内の集団感染の様相は変わったのではないか。
政府がオリパラの1年延期を表明した途端、小池知事はコロナ対策を積極的に発信し始めた。このままないもしなければロックダウンを招くと危機感を煽った。都心のスーパーには買い出しの長蛇の列が連なり、店頭から生鮮食品が消える。
知事と同席した福祉保健局長の内藤は、「特別区の保健所、町田、八王子の保健所かかわらず全体として、できるバックアップはさせていただきたい。オール東京で対応していきたい」と医療行政のプロらしい発言をした。都の保健所が1975年に23区それぞれに移管されて以降、公衆衛生分野で都と区の連携は弱まった。しかしコロナとたたかうには最前線の保健所を強化しなくてはならない。直言居士の内藤は、保健所の検査や医療提供体制のテコ人れを小池にたびたび進言したと伝わる。
…小池は、他の道府県が真似のできない手を打った。都の要請に応じて施設の使用停止や営業時間の短縮に応じる中小企業に独自の「協力金」を支給する、と発表したのだ。財源は石原都政期からの財政再建や、近年の都税収入の伸びで貯まった財政調整基金9345億円である。並行して「東京都知事の小池百合子です」とコロナ対策をアピールするCMを制作し、テレビで流す。人気ユーチューバーを相手に「ステイホーム」を連呼し、動画をネット配信。新聞に広告を載せる。血税を使った広告総予算は約九億円に上った。小池が都知事選挙を意識していたのは言うまでもない。
夜の街の烙印を押されたクラブの経営者は知事の物言いに反感を抱く。新宿区長の吉住健一が都と歌舞伎町の飲食業界者の間で調整し、繁華街で働く人たちのPCR検査を実現させた。日々、変化する状況に小池は独特の勝負勘で応じる。6月11日に東京アラートが消えると、以後、指標がいかに悪化しても都庁が赤くライトアップされることはなくなる。翌12日、都知事選への再選出馬を表明し、米国のCDC(疾病対策予防センター)にあやかった「東京版CDC」を創設するとぶち上げた。
再選をめざす小池は、石原慎太郎が東日本大震災に遭遇して挑んだ四選目の戦い方を真似る。石原は未曽有の震災に直面し、「選挙をやっている場合じゃない」と防災服で通した。街頭には一度しか立っていない。そんな石原をメディアは追いかけ、連日、テレビカメラが向けられる。小池も防災服をまとい、選挙演説はリモートで押し通す。6月19日、都は休業要請を全面的に解除した。緩和のロードマップでは、「新規陽性者数が一日20人未満」が解除条件だったが、この日の新規感染者数は35人を数えた。
そうして迎えた7月5日、小池は歴代二位の366万票を獲得し、次点の宇都宮健児に280万票以上の大差をつけて勝った。小池のパフォーマンスと「公務優先」の選挙戦術は見事にハマつた。再選をはたした小池は、都庁の局長人事を断行する。都の職員たちはあまりに露骨な報復人事に言葉を失った。
福祉保健局長の内藤淳が、空席だった交通局長に異動した。財務局主計部が長く、予算第二課長を務めた環境局長の吉村憲彦が重責の福祉保健局長のポストに就く。江戸川区選出の都議、上田令子は小池宛に次の「文書質問趣意書」を出している。
「内藤淳氏は、病院経営本部長時代から都立病院の実情を熟知しているなどだけでなく、コロナ禍以前から感染症対策に精通していた。最も手腕を必要とされる人材であったはずであるのに交通局長への異動は考えがたい。有事には、組織益を優先するよりも都民のために結果を出す『実力者』を留任すべきだと考えるが、なぜこれまでのコロナ対応の経験値が発揮できるとは思えない交通局長へ内藤氏を異動させたのか伺う」
小池の回答は、「職員の能力・実績を踏まえた人事異動」というタテマエを崩さず、「個別の人事異動の理由については、公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれがあるため、お答えしかねます」と木で鼻をくくったようなものだった。屋形船での「勇み足」や保健所強化の直言が疎まれて切られたのだとしたら……。都庁の未来が案じられる。小池は批判も意に介さず、専門家を利用したショーアップの場をこしらえていく。
コメント:その吉村局長が、完全爆発が始まったときに、「病床は間に合っている、いたずらに不安をあおるな」というメッセージを出しています。小池知事のイエスマンが自分の意志で発信したと考えるのは無理があります。しかも何のことはない、最初に都民の不安をあおったのは小池自身だったのです。小池の、自分(の権力)ファーストで、人事権をいたずらに振りまわし、行政を私物化する手口は、菅とそっくりです。東京都のコロナ対策がうまくいかないのは、そこにあまりにも小池の私心が色濃く影響しているからなのです。神川や埼玉や千葉や北海道などの知事と比べて、見劣りするというより、あまりにもお粗末な人間性なのです。他県の迷惑は菅だけだからまだしも、東京は人災が首相と都知事のダブルで襲っているのです。コロナ戦記は、来月号の続きが読みたくなります。
・楽観論一転、対策後手。東京都。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021080700484&g=cov
コメント:小池は(都議選から逃げるために)仮病の公算が大。だいいち入院の記録がない。
・緊迫の大学病院。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/122687
・男子マラソン選手、106人中、30人が途中棄権。湿度80%。
https://www.asahi.com/articles/ASP8841M2P88UTQP00J.html?iref=comtop_7_04
コメント:これでも成功だと言い張るつもりだろうか。IOCと組織委、菅首相、小池知事は、無理の上に無理を重ねていなかったか、国民にも、選手にも負担をかけていなかったと言い切るつもりだろうか。パラだけでも中止するべき(熱中症の危険性)なのに、無観客と引き換えに、これも強行するのだろう。こうなるともはや彼らは人間だとは思えない。狸だと言ったら、自分たちはあんな冷血動物ではないと言って、狸が気を悪くするに違いない。
・危機感伝えきれず、五輪閉幕。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6401030
・マラソン、沿道は密。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6401013
コメント:見るなと言うほうが無理です。
・JOC、竹田氏の弁護士費用、2憶円負担。
https://www.asahi.com/articles/ASP876QNGP7NUTQP029.html?iref=comtop_7_03
コメント:誰が判断し、賄賂を出したのかを、はっきりさせよ。JOCの経理も明らかにせよ。竹田の費用を負担しているということは、JOCがやったからということになる。不正行為は五輪憲章と国民に対する背任行為となる。そこに政府が関与したとなれば、国家がらみの不正となり、国際的な信用問題に発展する。そもそもIOCが賄賂をとるようなコンサルと関係を持つこと自体、あってはならないことだ。
・五輪、健全イメージに影。距離をとるスポンサー企業。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6400988
・忘れられたコンパクト五輪。
https://toyokeizai.net/articles/-
1967.秘密警察。 21/8/9
不思議の国のアリスに出てくるチェシャーキャット。
枝の上にいて、にやりと笑うと、姿は消えて、
歯だけが三日月になる。
連想で小池知事のマスク姿を思い浮べる。
闇夜にマスクが消えて、小池知事の眼だけが光る。
背筋も凍る恐怖の光景。狐狸妖怪の世界。
つかの間の権力が人を魔物にする。むろん菅も例外ではない。
魔物たちが支配する日本に、私たちは住んでいる。
五輪の閉会式はあえて見ませんでした。どうしても見たくないシーンがあったからです。小池知事が和装ではしゃぐのは以前から予想していました。驚きはしないが、真夏にはそぐわない服装です。自分が目立てば後のことはどうでもいいという、社会人の常識が通用しない、異次元世界(魔界)の住人ならではの発想です。
・閉会式、参加者4500人どまり。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/123005
・コロナ禍の五輪、負の遺産。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/123020
・雰囲気に流される未熟な国民性。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/122932
・五輪無観客の大赤字。都と国で赤字の押し付け合い。都民も国民も引き裂かれたむなしい17日間s。
https://diamond.jp/articles/-/278706
コメント:総選挙で、都知事はトンズラか。
今回の前書きは、前回序章を紹介した古賀の「官邸の暴走」の本文から、その一部です。
…官邸官僚と言うと、これまで「経産省内閣」「今井秘書官」に目が向きがちだった。一方菅政権下でも引き続き要職を務めている警察庁出身者グループに着目すると、安倍政権から菅政権まで一貫して「公安警察内閣」という見方もできるのである。
…公安警察内閣を語るうえで外せない第三の男(編者注:あとの二人は杉田と北村)が、現在順調な出世街道を歩んでいる中村格(中村いたる)氏である。東大法学部卒業後、1986年に警察庁入りした。中村氏と言えば、何と言っても「伊藤詩織さん事件」で、性的暴行の加害者である山口敬之氏の逮捕を直前で潰した人物であることに触れないわけには行かない。
元TBS記者(ワシントン支局長)の山口敬之氏は、かつて「安倍首相に最も近いジャーナリスト」と呼ばれていた。彼は安倍氏をテーマに書いた著書『総理』(幻冬舎、2016年6月刊)に、「総理就任後も、私は会食や登山、ハワイでの休暇など様々な機会で安倍と時をともにした」と書いている。そして、2012年9月の自民党総裁選への出馬を迷う安倍氏と勧める菅氏との間を取り持ち、安倍氏の勝利後に菅氏から「あの夜の山口君の電話がなければ、今日という日はなかった。ありがとう」と満面の笑みで握手を求められたと記しているほど、政権中枢に入りこんでいた人物だ。
2015年、ジャーナリストの伊藤詩織さんがこの山口氏から性暴力を振るわれた。この事件を捜査していた高輪署の捜査員は、6月8日、逮捕状を持って成田空港で山口氏の帰国を待ち構えていた。ところが、逮捕直前になって上層部からストップがかかった。この逮捕取りやめを指示しだのが、中村格警視庁刑事部長(当時)だった。
中村氏は民主党政権の2009年9月から第2次安倍政権に代わった後の15年3月まで、足掛け7年半も内閣官房長官の秘書官に出向していた。「菅氏の懐刀」だった中村氏が、菅氏や安倍氏と昵懇である山口氏の逮捕を、妨害したのである。
山口氏は2015年8月に書類送検されたが、結局、翌年7月22日付けで嫌疑不十分として不起訴処分となった。伊藤さんは戦いを続け、17年5月に実名で告発、19年12月に東京地裁における民事裁判で勝訴した(山口氏は控訴)。伊藤さんは20年、米国「TIME」誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。
伊藤さんの著書『Black Box』(文藝春秋)には、伊藤さんが二度にわたって直接、中村氏への取材を試みたというくだりが出てくる。それによれば、中村氏は一切の説明をせずに逃げたという。
〈出勤途中の中村氏に対し、「お話をさせて下さい」と声をかけようとしたところ、彼は凄い勢いで逃げた。人生で警察を追いかけることがあるとは思わなかった。私はただ、答えが欲しいのだ。中村氏にはぜひ、「私のした判断は間違いではなかった。なぜなら……」ときちんと説明して頂きたい。なぜ元警視庁刑事部長の立場で、当時の自分の判断について説明ができず、質問から逃げるばかりなのだろうか?〉(Black Box より)
なおこの伊藤詩織さん事件には、前述の北村滋氏も関わりがあるとみられている。週刊新潮が山口氏へ取材依頼書をメールで送った直後、「北村さま、週刊新潮より質問状が来ました。伊藤の件です」と山口氏からの返信が届いたという。どうやら山口氏が「北村さま」に相談するため、メールを転送しようとして、誤って週刊新潮へ返信していたのである。かなり動揺していたのだろう。この「北村さま」こそ、北村滋内閣情報官(当時)ではないかと思われるが、両者は否定している。
中村格氏は、私がコメンテーターとして出演していたテレビ朝日「報道ステーション」を降ろされた件にも、深く関わっている。
2015年の1月、ジャーナリストの後藤健二さんがイスラム国(IS)の人質になり、ビデオが公開される三日前、安倍総理(当時)が「中東でIS国と戦う周辺各国に、2億ドルの支援をする」と発言をした。これはISへの宣戦布告と同義であり、後藤さんを見殺しにする行為である。私はこの安倍総理の行動を「報道ステーション」で痛烈に批判し、「日本人は安倍のように戦争をしたい訳ではない、『I am not ABE』というプラカードを掲げよう」と視聴者に呼びかけた。
するとテレビ朝日の幹部に、菅官房長官の秘書官だった中村格氏と矢野康治氏(現財務省主計局長)の二人が電話をかけてきた。幹部は中村氏の電話に出られなかったのだが、ショートメールで「古賀は万死に値する」という趣旨の抗議をしてきたそうだ。「I am not ABE」が許せなかったらしい。当時は集団的自衛権の法案をこれから通すというタイミングであり、「ISに捕まっている後藤健二さんを、安倍総理が見殺しにした」というとんでもないストーリーになったら、安倍氏が窮地に立たされる、と焦ったのだ。
そうした官邸からの圧力により、同年3月、私は報道ステーションから降ろされることが決まった。最後の出演の日、私は「I am not ABE」というプラカードを出し、再度安倍政権へ抗議の意を表明した。
警察庁の官僚はわずか600名で、全国47都道府県、30万人に及ぶ警察組織を握っている。人庁すると、ほぼ全員がいずれかの都道府県警のトップ「本部長」となり、数千人に号令する立場となる。権力も握れるし、天下り先も豊富で一生の安泰が人庁時に保証されるという意味で、国の治安、国民の命と安心を守るというやりがいを除いても、考え方によっては魅力的な職場だ。
もちろん、国民の命と暮らしを悪の手から守りたい、不正を明らかにして正義を実現したいという高い志を持って警察官僚になる人の方が多いはずだ。しかし、警察幹部になる人の中にどれだけそうした志を維持する人がいるのか。官邸で「権力者のために」大活躍する警察官僚を見る限り、どうもそういう人は少数なのではないかと思えてくる。
杉田氏、北村氏、中村氏らは、その代表格だ。さらにその中でも杉田、北村両氏は、「思想警察」とも言える警備公安警察の権化のような存在である。権力志向の塊であるだけでなく、安倍前総理の「思い込み」を支持する、右翼系思想を持つ人物である可能性が高い。共産党はもちろん敵であるし、権力に盾突くリベラル系の主張をする奴らは危険だと考える。そういう勢力は、全部パージしていこう、という考え方になるのはむしろ自然だ。
後述する日本学術会議の会員任命問題で、杉田官房副長官が任命拒否する学者の選定に大きな影響力を及ぼしたということが指摘されている。副長官という立場上、内閣の人事案件に深く関わるのは当たり前のことなのだが、特定の思想を持っている人物がそうした地位にあるとすれば、安倍氏や菅氏の政治的な思想とも共鳴して、本来官邸官僚に期待される、中立的な調整者としての役割を果たせなくなっている可能性が高い。
特定の思想的傾向を持った者を副長官にしておくのは、国家としては非常に危険な状態にあると言うべきであろう。
コメント:私のこれまでの直感を裏付ける内容です。平易な文章で読みやすいうえに、関心のある話題が満載なので、原本の一読をお勧めします。なお学術会議問題については、後日、一部をご紹介したいと思います。
1968.自暴自棄。 21/8/10
酷暑にコロナ。
選手も国民も危ない。
パラリンピックを中止せよ。
それとも今回も、無観客でお茶を濁すのか。
一方で、国民を自暴自棄に追いやる政治が
まともな政治と言えるのか。
・命救うためにパラ中止を。病院の対応余力限界。政府の方針はあまりにも危険。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/123165
・五輪のコロナは想定内。小池。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/123294
コメント:感染爆発も想定内か。そもそも、言うに事を欠いて、エビデンスベースで対応という言葉は聞き捨てがならない。苦しんでいる在宅患者が増えているのなら、連れてきて見せろと言っているに等しい。自分で重症者数を偽っておいて、なんという言い草だ。この言葉だけでも、事実を直視するつもりがないことがよくわかる。知事以前に人間として失格だし、東京都にはこんな人でなしはいらない。しかも(感染爆発で)困っていると言わない以上、都は困っていないものと判断させてもらう。ならばなぜ都内で120もの病院が救急車を拒否するのか、理由をお聞かせ願いたい。
・五輪閉会式で、消化不良、違和感、失望感を覚えた理由。
https://www.newsweekjapan.jp/kitajima/2021/08/post-9.php
コメント:長すぎる演説も。
8/8に、小田急線の中で刃物を振り回す事件が起きました。10人が負傷し一人は重症です。犯人と何の関係もない人たちが標的にされたこの事件には、過去の無差別殺傷事件に共通するものを感じます。それは恵まれない自分を作り出した社会への報復です。カネ至上主義の格差社会のひずみが、こうした事件の温床になっていることを、自由資本主義の熱狂的な支持者である安倍・菅・竹中に突きつけたい気持ちです。
世界8月号の「相模原事件5年、だれがこの事件をもたらしたのか」上東麻子から。
あの事件から五年。19人が殺害された現場は跡形もなく消え、同じ場所で、真新しい障害者入所施設の建設が急ピッチで進んでいる。まるで何事もなかったかのように。
事件後、横浜市に仮移転していた神奈川県立津久井やまゆり園は今年八月、この地で再び開所する。緑の山々に囲まれ、のどかな鳥のさえずりが聞こえる。だが、惨劇はここで起きた。
事件発生の7月26日を前に毎年、多くの報道がされる。しかし「優生思想」という言葉が軽く扱われ、犯人の特異性ばかりが強調されがちなことに、私は強い違和感を持っている。多くの識者が「事件と社会のありようは無関係でない」と論じてきたが、具体的に何がどうつながっているのだろうか?
本稿では、福祉の視点から改めて事件を問い直したい。
しかし、判決には重要な論点が盛り込まれた。「証拠上認められる前提事実」にはこんな記述がある。植松死刑囚は「施設で勤務を開始し、当初、友人らに対し、本件施設の利用者のことを『かわいい』と言うことがあった。(中略)職員が利用者に暴力を振るい、食事を与えるというよりも流し込むような感じで利用者を人として扱っていないように感じたことなどから、重度障害者は不幸であり、その家族や周囲も不幸にする不要な存在であると考えるようになった」
勤務実態や障害者との関わりについて、踏み込んだ審理は行なわれなかったとはいえ、法廷の場で、初めて障害者支援の現場が抱える問題が指摘された。植松死刑囚は施設で他の職員の命令口調や介護の様子を見て、「(利用者を)人間として扱えなくなってしまうのかなと思った」と語っている。
元職員による犯行といっても、それまでの見方はやまゆり園は「被害者」であり、「障害者福祉を担う善意の組織」だった。判決はその構図に疑問を投げかけたのだ。
(中略)障碍者は「地域移行」すれば安心して暮らせるのだろうか。障害者施設への反対運動について私は2019年、全国調査をした。グループホームを建てようとした場合に、住民からの反対運動で開設を断念するなどの事例が少なくとも五年間で68件あった。こうした住民の偏見と不寛容が、親を追い詰め、障害者を施設に追いやっている。
あらためて問いたい。誰が事件を生んだのか?
こうしてみると、国の施策、県の管理責任、支援現場や運営法人、そして人々の心に救う偏見…。事件の責任は重層的だ。
最後に、私が籍を置くメディアの問題も指摘したい。やまゆり園の不適切な支援が明らかになってからも、多くのメディアは本質的な人権問題には目を向けなかった。障害者が殺されればセンセーショナルに報じる一方、障害者が健常者と違う暮らしを強いられ、施設で虐待まがいの支援を受けていても恐ろしいほど無関心だった。
「障害者が殺されるのは問題だが、普通の人以下の暮らしをするのは仕方ない」という二重基準が、私たちの中にないだろうか。事件が起きた時、多くのメディアは「障害者も同じ命」と伝えたはずだ。その言葉に誠実でありたい。
福祉関係者、精神医療の専門家、障害者団体など、それぞれの現場で問いかけを続け、事件を生んだものに抗い続けている人たちもいる。敬意を表したい。
この事件を植松死刑囚の「心の闇」や「優生思想」という言葉で片づけてはいけない。障害がある人たちを取り巻く問題を一つでも明らかにし、具体的に改善すること。それこそが19人の命に報いることだと思う。
コメント:福祉施設の問題には、ここには入管での死亡事故に共通するものがあると思います。
もう一つ「京都アニメーション放火殺人事件、なぜ彼は加害者になったのか」千葉紀和から
(中略)生育環境、家族・友人との人間関係、経済状況、地域生活、釈迦保障や福祉の状況。彼の反省をたどってきた。そこには失われた世代や再犯の問題にとどまらず、子供の貧困、引きこもり、孤独、精神疾患など、現代日本が抱える社会問題が凝縮されていた。
それぞれ深刻で根深い問題が、連鎖するようにのし掛かっていた。彼は40年以上生きてきて、あまりの報われなさに絶望したのではないだろうか。
たとえ何が引き金であろうとも、36人が死亡した彼の蛮行は決して許されない。しかし、こうした問題を放置し、対策の先送りを続けてきた私たちの社会の歪みや矛盾の表れとして、彼の存在があるように思えてならない。(中略)
多くの人々の尽力で生き延びた彼には、公判に出廷して、被害者に心から謝罪し、自らの言葉で事件の真相を明らかにすることが求められる。
加害者になったプロセスを追ってきた私には、彼が「私たちとは全く違う世界の人」とも、この事件が「単純な事件」とも思えない。少なくとも、そんな一言だけで片付けてしまっては、この事件を生み出した社会のあり様が変わることは決してないだろう。
コメント:中国の動向ばかりに目が行きますが、身近な問題として、人権と格差というものをもう一度根底から見直すべき時なのに、そうした動きはどこからも感じられません。国民を自暴自棄に追いやる政治がまともな政治と呼べるのでしょうか。菅も小池も、底辺レベルに対する配慮も関心も皆無です。温かい血の通わない政治家たちです。
関連記事:小田急刺傷。容疑者は生活困窮。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20210810-OYT1T50007/
1969.自宅療養は最悪の選択肢。 21/8/12
自宅療養は本人の為にも、
家族の為にもならない。
直ちに入院制限に走る前に、
ホテルに隔離して、10日後に
陰性なら無罪放免すればよい。
厚労省に必要なものは、政府や、
医師会、厚労省と利害関係のない、
無私のノーベル賞級の学者を集めた
国民目線の第三者監視機関
自宅療養が多いのは、東京都が宿泊療養を絞っていたためです(8/11モーニングショウ)。五輪で都内の多くの宿泊施設を使いましたが、宿泊療養のための施設はその1/10に過ぎず、自宅療養が急増したのだそうです。菅、丸川が五輪はコロナに影響ないというが、五輪がコロナ対策にはっきりと影響を与えていたのです。しかも宿泊施設は自治体の責任なので、デルタ型の対策必要(8/11の記者会見)と言いながら、実は感染爆発の間も、五輪が最優先だった小池知事の本音が見えてきます。
前書きの前に、編集者の独断と偏見を少々申し述べます。
・本屋で見かけた悪夢、デビッド・アトキンソンと竹中平蔵の対談集。格差社会の確信犯。
・仕方がない、やむを得ない。そんなことなら首相でなくても言える。ところが菅はそういう言葉さえ使わない。自分が絶対的に正しいと信じている者に、受け身の選択肢などないかのように。
・自宅療養は感染症対策の中で最悪の選択。感染症は隔離が前提なのに、まずその原則を崩している。家庭内感染が6割を占めるが、厚労省はそれも見て見ぬふり。かと思えば、2週間の隔離と複数回の検査を強制する。相変わらず検査は自由化されず、私費検査は高額のまま。厚労省の役人と専門家がやっていることは、国民と感染症を厚労省が単独管理したいという強い意志は感じるが、実態が伴わない。仕組みが旧態のままなので、問題解決は一向に進まない。厚労省と医師会の、矛盾と迷走のツケが、保健所と現場の医療関係者、そして感染者にしわ寄せされている。
現在の日本で、最大の問題は、軽症、あるいは無症状の陽性者に対する治療方針も、生活の指針も存在しないことだ。陽性になった。ではどうすればいいのかが分からない。せめて家族にはうつしたくないから、ホテルに入りたいと思うのは当然だろう。ワクチンの遅れを例に挙げるまでもなく、厚労省はこの1年半で山のように失敗を積み重ねてきた。それは厚労省が自分で自分を聖域化してしまい、正面から批判するものを排除してきたからだ。今最も厚労省に必要なものは、厚労省を客観的に分析し、必要な批判と助言を行える、民意を代表できる学者による第三者委員会である。
・菅首相に会ったら、一つだけ質問したいことがある。それはコロナでも五輪でも、どこかで無理をしたという意識があるかどうかである。それとも自分はベストを尽くしたと、言い張るつもりだろうか。無理というのは、理屈が通らない、すなわち道理に外れた行いをしてこなかったかどうかである。
・最近の政局で、野党は殆ど国民の役に立っていない。しかもそれを認めようともしない。結果的に与党の刺身のツマで終わってしまっている。いつまでも連合のヒモの付いた野党が、泥を被る勇気もなしに、政権を交代できると思うなど甘すぎる。おそらく、非組織化している市民自身が、政治参加の必要性に気がつかなければ、この状態は変わらない。そこで、私から有意の読者諸兄諸姉への質問。どうすれば市民の心に、市民意識と社会正義の意識を取り戻せるのか。政党や宗教の色付けのない(または少ない)市民団体をどうすれば形成できるのか。昔のベ平連(べトナムに平和連合)や、主婦連、シールズの令和版が必要な時期に来ていると思うが、どうしたらよいのかがわからない。これも野党が市民運動に無関心であることと無関係ではないのではないか。労働組合も、企業寄りの御用組合しか見当たらない。現代は市民運動が事実上存在していないも同然なのです。
・私がやっていることは、ビンに手紙を入れて海に流すことだけです。いつか、どこかで、誰かが拾ってくれて、判断の材料にしてくれればいい。それを願って、ビンを海に流し続けているのです。
今回の前書きは週刊文春(8.12/19号)のつまみ食いです。
同誌(8.10付の朝日新聞でも)では衆院選の予想を掲載しています。東京地区を子細に見ると、大きく変わる要素は少なそうです。安倍の子分の萩生田光一は交代してほしいし、せめて極右の石原伸晃はいなくなってほしいが、自民党には頭の固い岩盤支持者がいるので、どうなるかわかりません。これは野党、特に立憲に、(人間的)魅力のある候補者がいないことも原因です。
「土屋の口車、開会式はいらない」土屋賢二から
ほとんどの人は忘れているだろうが、オリンピックの開会式がとり行われた。
わたしは開会式を見た後、後悔した。録画しておけばよかった。味わったことのないような深い満足感を味わうことができた。こんな満足感は何年ぶりだろうか。
開会式が始まって十分後、深い眠りに引き込まれ、長い間求めていた深い熟睡が得られたのだ。熟睡用に録画しておけばよかった。
翌日、教え子から電話があった。
「開会式はどうでした?」(中略)
「開会式では、平和とか連帯とか開催国の文化とかを音楽や踊りで感動的にアピールするんです。開会式に関心がないんですか?」
「開会式そのものが意味不明なんだ。学校の朝礼も運動会の開会式も苦痛でしかなかった。オリンピックの開会式の感動なんて、どんなに工夫しても薄っぺらなものだ。競技で人生と国家と仲間の名誉を賭けて死に物狂いで闘う姿以上にスリルと感動を与えるものが他にあるか? 開会式なんて、ミステリに長い序文をつけ、映画の冒頭に監督挨拶を入れるようなものだ。やめてしまえと言いたい」
「開会式が嫌いなんですか?もしかして結婚式がトラウマになってるんですか?」
「結婚式は性質が違う。親戚や関係者を集めて、簡単に抜けられないようにしているんだ。だいたい儀式が多すぎる。成人した、卒業した、死んだなど。散髪や入浴に儀式が不要なのが不思議だよ。そう言えばまだ喜寿の祝いをしてもらっていないが……」
「失礼しますっ」
電話が切れた。
コメント:自称イケメン哲学者で、いつもはとりとめない話題で、無難にお茶を濁しているツチヤ教授だが、今回は珍しく政治批評です。開会式が意味不明という発言がこの記事のポイントでしょう。後で述べるように開閉会式は、電通による、電通のための、手前味噌な巨額浪費。しかも退任したはずの佐々木の影響力が残る、アコギなショウという見方(WTWの見解)こそ、正しい評価だと思います。ドローンも前任者の作品をそのまま無断で使用しています。
「言霊USA,五輪しないと死ぬ」町山智浩から
「ワクチン接種がわずか16%で、83%が中止か延期を求めているなかでオリンピックを実施しようとする。それは近代スポーツ史上、もっと傲慢で人間を踏みにじる金儲けだ」
「日本の五輪しないと死ぬのムードは、会場となるホテルが家事なのにダンパーに行きたがる高校生のようだ」
「強欲オリンピックがあるなら、金メダルはIOC、銀メダルがNBC、銅メダルは日本の組織委員会だろう」
ワシントンポスト。
「東京五輪、2兆円規模の大失敗に」
ウォール・ストリート・ジャーナル
「このオリンピックには黒幕がいる。それは神話的なまでの権力と影響力を持つ広告代理手の巨人、電通だ」
「電通は五輪誘致を主導し、日本国内の企業から36憶ドルのスポンサー料を集め、五輪のマーケティングのほぼすべてを掌握した」
「日本国内で取引される広告料の28%近くを占める電通は、企業やメディアだけでなく、長年にわたって自民党の非公式な広報担当を務めてきた」
ニューヨークタイムズ、以下同じ。
「政治家や大企業の経営者の子息が多く就職する」
それはコネを作るためだ。IT株取引の利益を申告しなかった平井デジタル相も、自民党の労働大臣の息子で電通出身。ユダヤ人団体にご注進した中山副大臣も、自民党議員の息子で電通出身。安倍明恵も、森永製菓の社長令嬢で電通に就職した。これは新聞社やテレビ局でも同じで、電通は政財界とメディアと一体になっている。
「日本以外の国では、広告代理店は一つの業界の企業を一つしかクライアアントに持てない。ところが電通は複数の企業を受け持つ」
これは独占禁止法違反で、公取委から何度か警告を受けているがメディアは大きな話題にしない。
電通が五輪に必死になり、自民党との癒着を深めている背景には、ネット時代になって、テレビの広告収入が激減したことがあるとニューヨーク・タイムズは書いている。
どうしても7月にやりたければ季節が逆になる南半球でやればアスリートにとっては楽だ。
「南半球で開催されたのはオーストラリアで二回、ブラジルで一回、アフリカで開催されたことはない」
ウガンダやケニアでは年間通して30度を超えることがなく快適なのに、アフリカでやらないのはIOCが金目当てだから。
「近代五輪はヨーロッパの白人貴族たちが始めた19世紀から変わっていない」
でも随分お金に卑しい貴族さんたちだね。
コメント:これだけ詳しく、五輪と電通の関係を論じた記事はこれまでありませんでした。既得権益のどす黒い実態がそこにあります。メディアが広告代理店の鼻息を伺うなどは本末転倒です。
・コロナ下の首相、菅氏にまかせて大丈夫か。朝日社説。
https://www.asahi.com/articles/DA3S15006444.html?iref=comtop_Opinion_03
コメント:そのものずばりの直球です。
・コロナ対策。菅は科学からオカルトへ。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00149/?n_cid=nbpds_top3
・死を覚悟、感染者すぐ入院できず。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6401303
・コロナとの戦いが、人と人との戦いに。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6401277
コメント:間違ってはいけない、これは正義ではありません。ゆがんだ価値観の暴力行為であり、人権侵害です。日本版KKKです。
1970.メディア批評。 21/8/13
来るべき事態がやってきた。
感染爆発で制御不能、医療崩壊の地獄絵。
お国の戦争のために全てを犠牲にした国民は、
今度は感染拡大時のオリパラ強行による、
危機意識の低下と医療体制の準備不足で、
生命の危機に瀕している。
姑息にも息をひそめている菅と小池。
病院に逃げ込もうにもベッドは空いていない。
菅の言う自助がいやでも国民に押し付けられる。
そこでは公助としての政治や行政の姿は見えない。
コロナによる医療崩壊の犠牲になる国民は、
絶対に菅と小池を許さないだろう。
日本の政治史上最悪の博打の失敗のつけからは、
彼ら自身も、逃げることはできない。
311で民主党政権は苦闘した。
今回は全国規模での、未曽有の国難なのに、
自民党政権は手を拱いて座視するのみ。
こんな政権に日本をまかせていたら
国民は死に絶えてしまう。
助かる命が助からないのは安倍菅政治のせいだ。
国営放送は、五輪の後は高校野球。その後はパラなのだろう。
見上げた大本営広報部。
危機感がないのは政府だけではないらしい
入院できずに、国民が死んでいる。
これは戦時であり、被災時である。
しかし国民に注意せよと繰り返すだけの、菅、小池は、
パラリンピックも予定通り開催する意図のようだ。
感染爆発と医療崩壊の危機感が感じられない。
国民の安全、安心が第一だと言ったのは誰だったか。
国も都も、宿泊施設の借り上げに全力を尽くせ。
選手村も空いているはずだ。
それがパラのために必要だと言うのなら、
今こそパラを延期せよ
今回の前書きは雑誌世界9月号からです。
「コロナ戦記、狂ったハンマー&ダンス」山岡淳一郎から
…「ワクチン接種の効果」を誇る。「パラリンピックまでに感染状況が変わってきたら、有観客」とも言う。米経済誌のインタビューで、「日本国民の約3分の2が五輪を楽しめるとは思っていない」と世論調査の結果を当てられると、「テレビ観戦すれば、考えも変わる」と自信を示す。そこには五輪を使った権力維持の欲望がにじんでいた。
右手で緊急事態宣言という生活制限のハンマーを打ち下ろし、左手はスポーツの祭典で入国緩和のダンスを踊る。珍妙なスラップスティックの演出者は楽観論を掲げ、五輪へひた走った。
一方、開催都市東京の知事・小池百合子は、五輪にかかわる発言を控え、主催者の気配を消した。五輪批判が国や組織委員会、IOCに集まるのを横目に、「みなさんがどういう行動をとり、人の流れがどうなるのかが重要で、この夏を最後のステイホームにしていきたい」と判で押したように言う。都民の税金を五輪に投じる責任や、無観客による収入減の穴埋めの議論に小池は触れたがらなかった。
政治家は、いつの時代も状況を利用して権力の階段をかけ上がろうとするが、この狂ったハンマー&ダンスはいつまでつづくのだろう。制限と緩和の説明が不明朗なのだ。
第五波では、感染爆発の暴風雨のさなか、五輪で対外的な窓を開け放つ。経済を理由にダンスに
興じ、かえって経済回復も遅れ、経験知が蓄積されない。場当たり的な政治主導の誤りが、保健、医療の現場や、一人ひとりの国民にしわ寄せされてきたのである。(以下略)
「脳力のレッスン、コロナ危機の中間総括、全体知からの試み」寺島実郎から
…「コロナ専門病院」の建設も進まない不可解な状況が続いているのである。
「感染が確認されたのに入院もできない」という軽中等症患者への対応が不安を増幅している。自宅やホテルに感染者として留め置かれている人たちへの医療システムは極めて不透明で、いかなる投薬・治療行為、経過観察がなされているのか、保健所の能力の限界もあり、掌握できていないというのが大都市部の現実である。550日における政策科学的な進化がみられないというのが問題なのである。
…昨年4月15日、「理論疫学者」と自己認識する専門家が「対策を全くとらなければ、国内で85万人が重症化し、42万人が死亡する可能性がある」という見解を厚労省での記者会見で発表した。「リスターコミュニケーション」という手法らしく、最悪の被害想定を示すことで国民の行動変容を促す意図とされるが、この「42万人」という数字が独り歩きをし、その後の展開の中で専門家の見解を国民が信じなくなる契機となった。臨床の現場で患者に向き合ったこともない理論疫学者の統計手法における確率論が課題解決への視界を狭めてしまったといえる。この時点で、米国でのコロナ死者fが2万人を超していたが、例えば、米国でのコロナ死の社会学的要因たる「格差と貧困」「人種差別」の現状に視界を広げれば、日本で「42万人の死者」という予想が荒唐無稽なものであることに気付いたであろう。残念なことに、日本にはこうした専門知の限界をチェックする科学ジャーナリズムが存在しない。(以下略)
コメント:8割おじさん(西浦教授)の発言は、できもしないことを要求するのかという反感を国民の間に呼び越した。私もその一人である。最近の感染爆発で息を吹き返し、メディアに登場する機会も増えたようだが、一度刷り込まれた悪印象はそう簡単には払しょくできない。同教授は、いまだにオタクとしか、私には思えない。
「メディア批評」神保太郎から
『水鉄砲オンナが撃ったもの』
日本では、自堕落な独裁が主権者を愚弄してやまない。緊急事態宣言下、無観客で東京五輪を強行する。原発もコロナもアンダーコントロールの一言で片づける。しかし、この凋落に翼賛するメディアとその同調者が少なからずいる。その二例を要約しておく。7月8日の菅義偉首相の会見で、幹事社の産経新聞が聞いた。「来年二月の冬の北京オリンピックで、中国はコロナに勝利したと宣言するだろう。その前に、自由主義国家日本がオリンピック開催をすることにどんなイメージを込めるのか」。首相はしたり顔で答えた。「世界40億の人がテレビで観戦する。日本の成功は世界に発信できる最高の機会になる」。放っておけば、「平和の祭典」をナチスの「民族の祭典」と言い出しかねない。
この陰鬱な全体主義にI人立ち向かった女性がいた。彼女の所持品はおもちゃの水鉄砲。それを聖火ランナーに向けて発砲したのだ。「トーチの火を消せ、東京オリンピック反対!」。フジテレビは、この女性を。水鉄砲オンナと指差し、自警団の役割を演じた。「液体の成分はわかっていない」、「液体は水と見られる」、「成分分析の結果、水と判明」と報じた。そして、ご丁寧に「犯行の動機を捜査中」と結んだ。ここは「火を見るより明らか」と駄洒落を飛ばす場面だ。これが阿諛者(ごますり)の第二例。
『ルールが縛る取材の自由』
バッハIOC会長と小池百合子東京都知事の会談が7月15日、都庁であった。会談は非公開。冒頭のカメラ撮りだけが許され、この日、誕生日を迎えた知事にバッハ会長が花束を渡す、事件はそんな場面で起きた。「ミスターバッハ、ユーアー、ライヤー(あなたは嘘つきだ)」。罵声が会場に響いた。バッハ氏の横で、小池知事は表情をこわばらせた。伏線は前日にあった。首相官邸を表敬したバッハ氏はロビーで待つ記者に「コロナのリスクは絶対に持ち込まない」と言い切った。「感染対策のプレイブックは守られていない「」と記者が切り返すと、「違反の報告は受けていない。対策は成功していると不機嫌そうに立ち去った」。
取材はカメラだけ、というのはよくある。しかしIOC会長が主催地の知事に会いに来たというのに、許される取材は「誕生日の花束贈呈だけ」とはどういうことか。バッハ会長に聞きたいこと、言いたいことは山ほどある。記者はそうした人々の代弁役ではないのか。ルールを無視して大声を上げたのは、各地の記者会見を飛び回る横田一氏。
「場をわきまえない」と煙たがられるフリーの記者だ。
翌朝、テレビ朝日の「グットーモーニング」は、この映像を流し「スポーツニッポンによりますと、自称ジャーリストの男性は、都庁関係者数人によって腕をつかまれ、強制退場させられたということです」と伝えた。まるで不審者だ。しかし、横田氏は都庁では知られた存在だ。きっかけは2017年、小池都知事が希望の党を立ち上げた時の囲み取材。「安保で意見の違う人は、やはり排除ですか?」
と水を向け「もちろん排除します」との言葉を引き出した。
このひと言が追い風に乗る希望の党の人気を急速に萎ませた。以後、徹底的に無視され、会見で手を挙げても指名されることはなく、立ち去る知事に大声で質問を浴びせるようになった。その都度「会見のルールを守れ」と幹事社から注意を受ける。横田氏は言う。「お気に入りの記者しか当ててもらえない会見こそが問題ではないか」
「自称ジャーナリスト」という表現には、「ジャーナリストとは認めがたい」という底意がある。では、大手メディア所属の記者クラブのメンバーならジャーナリストなのか。
野犬のような「はみ出し記者」の対極に羊のような「会社員記者」の群れがいる。専修大学教授の山田健太氏は東京新聞に「五輪取材規制と民主主義」という題でこう書いた。
「分かりやすいのは首相会見で、(感染対策で)席の距離を確保する必要がある中、わざわざ狭い部屋で実施して参加記者数を絞り込み、毎回わずか30人弱の出席で、質問は一社一人一回を厳格に守り、事前に質問内容を教えない社の記者を実質指名しないという運用だ」(7月11日)
民主国家とは思えない骨抜き会見に官邸の記者たちは「ルールだから」と従っている。誰が作ったルールなのか。
建前では内閣広報室と記者クラブ幹事社との協議で営まれているが、主導権を握るのは官邸側だ。質問者は広報官が選び、答えが的外れでも再質問はできない。首相が追い詰められることのない会見のお膳立てが広報室の役割だ。
緊急事態が発令された7月8日の会見で「手を挙げてもいない記者が指名された」とネットで話題になった。映像で確認すると、幹事社質問が終わりフロアから質問を受ける段になり、各社一斉に手を挙げた。ところが司会者はる段になり、各社一斉に手を挙げた。ところが司会者は挙げてもいない「日本テレビの山崎さん」を指名した。山崎記者は「緊急事態を宣言しても感染者が増えた時の責任の所在」を尋ねた。政府が防衛線を張っておきたいポイントだ。首相は手許の紙に目を落としながら慎重に答えた。出来レースであることを窺わせるシーンだった。
インターネットの普及で誰でも会見を見ることができる。
ふやけた会見をしていればメディア全体が愛想をつかされるだろう。「ルールを変えよう」という声は内閣記者会(官邸記者クラブ)にもあるにはあるが実現しない。変更は加盟社の「全会一致」が原則で、反対する社があり壁になっている。内閣広報室の大事な仕事は記者クラブに協力者(社)を作ること。情報提供、便宜供与、首相のテレビ出演など、「切り札」はたくさんある。ルールは力関係で決まる。権力は自分に都合のいいルールを設け、取材の自由を狭める。「ルールを守れ」は権力者の声でもある。
「北海道新聞記者の不当逮捕」
北海道新聞の記者が取材中に逮捕された。舞台はパワハラや不正経理など疑惑が吹き出す旭川医大。捕まったのは入社三ヵ月の新人女性記者だ。事件のあらましはこうだ。
6月22日午後4時30分ごろ、大学構内で開かれていた学長選考会議を記者が廊下からスマホで録音していところ、出てきた職員に取り押さえられた。無許可で構内に立ち入ったとして一常人逮捕により旭川東署に突き出された。記者は身分を明かしたが48時間、留置され取り調べを受けた。
記者は上司の指示のもと、吉田晃敏学長の処分をめぐる学長選考会議の取材で構内に入った。医大側は感染防止を囗実に、学内への立入禁止を報道機関にFAXで伝えたが、記者には知らされていなかった。北海道新聞は記者の逮捕を翌日朝刊で実名報道。…本人を含む取材現場に責任があると言わんばかりで、結果的に旭川医大事務局や県警の判断を受け入れた。なんと情けない報告書か。
旭川医大は税金で営まれる国立大学である。学長が人事とカネを私物化する積年の膿が吹き出している。昨年11月の旭川市の出の感染拡大の際も、大規模クラスターが発生した同氏の病院からの受け入れに難色を示し、受け入れるべきとする病院長を解職していた。正常化は全国的な関心事だ。学長人事をめぐる取材の社会的意義を編集幹部が強く認識していたらこんな腰砕けにはならなかったはずだ。
立入禁止は閉鎖性の表れ。この大学の姿勢が職員による記者逮捕という常識はずれの事件になった。新聞社がまずとるべきは、権力の乱用を大学に問いただすこと。旭川東署にも、事実を認め逃亡の恐れもない記者を48時間も拘束したことを、なぜ不当逮捕として厳しく迫らないのか。
他の新聞やテレビも結束して当たるべき事態である。どんなに問題があっても管理者が立入禁止にすれば逮捕につながるという前例ができれば、取材活動は大きく損なわれる。
「無断録音の原則禁止」という取材マニュアルも問題だ。
不正等を証拠づける場合、それが大きな手段になることがある。何よりも旭川医大で学長の暴言やパワハラを立証したのは職員による録音だった。
北海道新聞の報告書には、メディアで働く女性ネットワーク、日本ジャーナリスト会議、新聞労連が抗議声明を出した。コロナを囗実に取材規制が全国的に強まるなか、閉鎖性や隠蔽体質を、いかにこじ開けていけるのか。北海道新聞の対処を、このままうやむやにしてはならない。
コメント:上掲の3つの事件を読んで、私は大いに驚きました。この記事を読むまで、事件があったことすら知らなかったことに、驚いたのです。権力側に都合の悪い情報は、ことほど左様に、大手のメディアがそれとなく隠ぺいする。私たちは、伝えらえていない事件や情報にこそ敏感にならなければならないのです。
「片山善博の日本を診る。ワクチン接種をめぐる混乱」から
…当初、国はワクチン接種記録システム(VRS)に入力するのは、住民が引っ越しをした場合などに、二重の接種が生じたりするのを防ぐためと説明していた。しかし、国政選挙などの際、引っ越しによって投票券の二重交付を生じさせない仕組みは以前から確立している。VRSなどなくても自治体はそんな間違いを起こすことはない。
もしVRSへの入力情報が速やかに自治体に還流されるのであれば、自治体の区域外などで接種した住民の動向を把握することができるから、それなりの効用は期待できる。
しかし、その効用もほどなく失われることとなった。国が職域接種を推奨し、そこでは当面接種券がなくても接種が可能だとされる。ということは、VRSへの入力手続きを欠いたまま接種する人が増えることを意味する。
職域接種がワクチン接種を加速させていることは言うまでもない。ただ、その一方で当面VRSへの入力を前提としない接種が広く行われるようになったことから、接種状況の全貌をリアルタイムで把握するというVRSの重要な機能は脇へおかれることになった。
こんなことから、自治体にとってほとんど意味のないVRSへの入力作業は後回しにして、一人でも多くの住民に接唾するほうを優先させる自治体が増えても不思議ではない。国の「早く打て」の指示に応じるためにも、そのほうがよほど理にかなっている。
ところが、七月に入って国はワクチン不足を自治体のせいにして乗り切る弥縫策として、VRSの入力実績を持ち出すに至った。国は、VRS入力数が接種済み数であるとし、入力数と配布済みのワクチン量との差を余剰分とみなし、それを基準に自治体へのワクチン配布量を塩梅すると言い出したのである。これでは自治体はまるで騙し討ちにあったようなものだ。
国に対する自治体の不満と不信感は一挙に高まった。国が自らの見通しの誤りを糊塗するためにVRSを持ち出してきたのは、あまりに身勝手というはかない。そんなことを言い出すなら、どうしてもっと早く自治体に知らせなかったのか。知っていれば、接種スピードを少々犠牲にしてでも、このほとんど意味のないVRSへの入力に力を入れたのに。これは先ほどとは別の市長の怒りである。
ワクチン接種をめぐって生じている混乱の一端を自治体側の視点で説明すれば、以上のようなことである。ただ、首長たちが国に対する不満や不信感を公にすることは多くない。筆者には、彼らが国との多角的な関係に支障を来さないよう忖度している事情は痛いほどわかる。であるがゆえに、本来なら首長が言いたいであろうことを、ここで敢えて代弁する次第である。
コメント:豊田真由子議員(この禿、という運転手への暴言が問題になった)が、鬼の首を取ったように、自治体には半分ワクチンが残っているはずだと言っていたことを思い出します。在庫に見えたのは、接種済みの数量が入力できていなかったことと、二回目の分なのです。それより知りたいのは、政府が外国に流しているワクチンは、どこから持ってきたのかです。
・医療体制、もはや災害時。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6401380
コメント:脇田は以前から第三者的な無責任な発言が多い。今回も例外ではない。帰省延期は国民への要請だろうが、ならば医療現場にはどうせよというのか。記者でもあるまいし、客観的な状況説明で終わらせるのはあまりにも自分の立場をわきまえない行動だ。全く同じことが小池百合子についても言える。だから自分はこうする、が全くない。ということは何もする気はないということだ。
・倉持医師が、首相辞めろと発言した理由。
https://www.asahi.com/articles/ASP8C3PKRP86PTIL02H.html?iref=comtop_AcsRank_04
コメント:同感です。ところが本人は続投を狙っています。自分が国民に対する約束を破ったことさえ認めようとしない(頭が)スカ首相なのです。
・五輪の宴。次は政治が問われる番。田中真紀子。
https://www.asahi.com/articles/ASP8C4WJGP89UTFK00B.html?iref=comtop_7_06
・五輪が示した衰退しファシズム化する日本。
https://mainichi.jp/articles/20210811/k00/00m/040/237000c