「WTWオピニオン」
【第145巻の内容】
「リベラルな国民には選択肢がない」
「黒塗りを白塗りに」
「国営放送、なんぼのものか」
「金権体質の新潟自民党」
「日本と半導体産業」
「立憲民主はどこへ」
「10万円給付に小池知事は我関せず」
「耕論から」
「野党共闘をアップデイトせよ」
「維新は何になりたいのか」
2051.リベラルな国民には選択肢がない 21/11/29-30
・連合会長、立憲と国民の合流望む。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6410923
コメント:そんなことより連合は、その根拠なき共産党アレルギーを何とかせよ。そもそも全労働者の代表でもないし、一圧力団体に過ぎないのだから、他人のせいにせず、自らを省みよ。
其れとは別に、新立憲には、国民は何を期待したらよいのか。4候補は私心を捨てて、自分が代表になった後の立憲が、国民にとって魅力ある政党かどうかを冷静に(特に泉)考えて見よ。今のような井の中の蛙を続けていれば、参院選での惨敗は免れない。まさか立憲が枝野時代以下の政党になるとは予想もしていなかっただけに、リベラルな国民としては大ショックである。際限もなく右傾化を続け、ついに旧民主党は完全に消え去るのかもしれない。もはや存在理由もなければ、選択肢でもない。こうなると国民は、自民党内のリベラル派を宛にするしかないのだろうか。これでまた維新が増える(そして大言壮語の橋下が大きな顔をする)のかと思うと情けない。
関連記事:なぜ若者は自民党に投票するのか。
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/72512.html?utm_int=news_contents_special_006
コメント:最近、その気持ちが少し分かって来た。同じ右翼なら、リベラルの振りをする右翼よりは、本物の右翼に入れた方が効果的だから。維新もうかうかしていられないだろう。
・共産志位、連合に呼び掛け。
https://www.asahi.com/articles/ASPCX6Q7QPCXUTFK00D.html?iref=comtop_Politics_05
コメント:立憲からリベラル派の国民の心が離れ始めているいまが共産党のチャンス。党是と党名を変えて、リベラルな国民のための党として出直せ。その時はついでに機関紙の名前も変えた方が良い。
2052.黒塗りを白塗りに 21/12/1
今回の前書きはサンデー毎日12.12号、青木理の抵抗の拠店「黒と白」の一部です。
…さて、前置きが長くなったが、こうした黒塗り批判−または「ノリ弁」批判に苛立ったのか、東京都が呆れるほど馬鹿げた挙に出ていることを新聞報道で知った。知事の承認を受けて都の「情報公開要綱」を密かに改定し、情報公開請求に対する非開示部分を今後は「黒塗り」ではなく「白塗り」優先で対応することとし、実際に最近の情報公開請求では大量の「白塗り文書」が登場しはじめた、というのである。
皮肉を込めて言えば、『ノリ弁やめます』と選挙で訴えてきた知事らの意向を具現化させた、ということか。にしても、人間とはつくづく愚かで救いようのない生物だと思わされる。黒か白か、そんな物事の本質とかけ離れたところに暗く執拗なエネルギーを注ぎこみ、黒を白にすれば物事が解決する−あるいは批判をかわせるといった愚かな発想に憑かれ、その実行に歪んだ熱情を熱心に注ぐ者たち。
…権力を握る為政者たちの姿勢に変化がなければ、末端行政を担う者たちはそうした作業に熱情を注ぎつづける。泣きたくなるほど無惨な政治と組織と人間の業がそこに垣問見える。
コメント:裏が取れていないので、青木の情報をそのまま信じるしかないが、知事というのは、当然小池のことだろう。ならば小池が情報公開法に手をつけたという、とんでもない話になる。しかもお騒がせがもはや病膏肓になっている小池が、参院選で国政復帰を目指すのは万人の見るところだが、それが都民はおろか国民の為でないこともまた確かである。二階がこけた今、自民党が小池を担ぐ可能性は限りなくゼロに近い。国民民主や維新にすり寄る手もあるが、自らの野心を実現するために、自分ファーストの会(意味も目的もない政党。N国や都民ファーストも同類。根=理論的根拠もなく、葉=政治的な成果もない)を立ち上げようとするだろう。そこまでくれば自我肥大も立派な公害だ。おそらくその候補者には自分と、自分の息の掛かった有名人(例えば若狭)を立てる公算が大きい。都には6人の改選枠があるが、そのうちの2人を目標にするのではないか。無論都民ファーストが支持母体で、都議会議員が(都議選でもないのに)、こま鼠のように応援で走り回るのだろう。小池に政治的な信念があるとすれば、それはただ一つ、勝てば官軍、公約など忘れてしまえというものだろう。しかも怖ろしいことに参院選には特定枠なる制度があり、小池が自分を1位に指名するだけで当選はほぼ確実になる。この制度は、自民党が勝手に当選者を選ぶことができる最悪の制度である。選挙民の民意も何もあったものではない。衆院選と違うのは用紙が1枚で、個人名か政党名を記入するようになっていることくらいだ。自民党の一党独裁を止め、日本国民が民主主義を取り戻すためには、選挙制度そのものの見直しが、避けて通れないように思われる。
関連記事:参院選特定枠の想像以上に酷い現実。
https://toyokeizai.net/articles/-/292607
・秋篠宮が真子の結婚語る。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6411056
関連記事:記者会見全文。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211130/k10013367231000.html
コメント:天皇家は心を砕いている。同時に心を痛めている。今回の結婚の問題で、解決金から記者への説明まで、全て天皇家側が対応した。これではおんぶにだっこではないか。不敬を承知で言えば、踏んだり蹴ったりの目に合わされたのは皇室の方なのだ。その間一体小室家側は何をしていたのだろう。問題の短い歴史を振り返れば、女手一つで立派に育てたという、本当は美談になる道もあったのだ。それだけに、母親の軽挙妄動が悔やまれる。自分の借財の支援を婚姻先に頼むというのは、一般人でもやらない。そんなことをすれば、普通なら破談の原因にもなりかねない。とんでもないお荷物を背負い込むことになるからだ。でもそれをしてしまったというのは、母親になんらかの確信があってのことなのだろう。私がこの問題で一番嫌なの、実はこの部分なのだ。天皇家は断れないと舐めて掛かった理由はただ一つ、結婚に強くこだわったのは真子の方だから(=圭は望まれただけ)というものしか考えられない。だからこそ、太陽と月発言のようなものも出てくるのだろう。多分、国民が不愉快な思いをしているのも、この部分に集約されると思う。皇室に対してその傲慢さはないだろう(=何様のつもりか)と誰もが思うからだ。当初なら未だ修復の機会があった。母親は別人格だ、迷惑をかけて申し訳ないが、家庭内で対応するから肩代わりの依頼はなかったことにして欲しいという一言で良かったのではないか。でも圭はそうしなかった。あれは借財ではないという長文のレポートを書いただけだ。後には引けない気持ちだった事は想像に難くないが、贈与なら婚家先に支援を頼む必要などないはずだから論理的に矛盾している。だからむしろ書かない方が良かったのだ。自分のことだけにしておくべきだった。母親の面倒など、ほとぼりが済めば、後でいくらでも見ることができる。若い二人のツッパリがPTSDを含めて、事態を一層悪化させたともいえる。しかし済んだことである。後は安全に、海外で生活し、米国の良いところを学んで、社会人として成長して欲しい。二人が人間的に成長すれば、必ず拾う者が出てくる。但しその時は、肩書も経歴も忘れて、ありのまま素の人間で、勝負しなければならない。何より国民が望んでいるのは、二人とも普通の若者であり、(母親とは別個の)善意の人間だという事を見せて欲しいということだけなのだ。頭の良し悪しも、人間性とは関係はない。善人なら、誰も文句はつけられない。NYなら頻繁に取材もできないから、報道の頻度も減るだろう。だからしばらく、メディアは放っておくべきだ。放っておかれる権利もまた人権だろう。新しい友達を作り、後はコロナに掛からないように気を付けて生活して頂きたい。
2053.国営放送、なんぼのものか 21/12/5
NHKの料金の強制徴収は、
経緯不明の法的根拠以前に、
常識で考えてもおかしい。
(自民党)政府の広報活動費を
なぜ国民が負担しなければならないのか。
それこそ憲法違反だろう。
公共放送の費用を、国民に負担させるのであれば、
会長は公選制とし、局長以上は
国民審査がなければおかしい
全体主義の国、日本ですか。NHKは、BBCとは似ても似つかぬ、職員と政府の為の官僚組織です。
・映らぬTVに契約義務。最高裁。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6411431
コメント:NHKには、自社が非常識な要求を国民に強制しているという自覚が皆無であることが最大の問題点です。全体主義的思想を国営メディアが国民に押し付けるとは、なんという恐ろしい国でしょうか。そうではないというのなら会長は複数が立候補し後で、国民が直接選ぶべきでしょう。政府の任命という時点で、既に報道機関の独立性は失われているのです。そうなら税金で賄うのが筋です。矛盾の塊、大本営放送局に、いつかは神の鉄槌が下るでしょう。そもそも大戦の片棒担いだ総括さえ済んでいないのです。(国民を虚偽報道で扇動した責任で)極東裁判で被告席に座っていても、少しもおかしくはないのです。
2054.金権体質の新潟自民党 21/12/7
自民党政府は、
新潟の星野県議を放置するつもりか。
自民党が金権体質だということを、
日本中に触れ歩いているようなものだ。
このままなら参院選が楽しみだ
新潟の星野県議が開き直っており、筋の通らない説明で騒げば騒ぐほど、反自民勢力にとっては有難い話です。総会屋風の星野様々ですが、実は裏で自民党幹部が、問題児を早めに処分しようとして動き出している可能性もあります。少なくとも幹部はとっくに事情を承知しており、12/8から始まる本会議で、岸田は既に答を用意しており、政治倫理を遵守し、党の体質を引き締める発言をするものと思われます。それを受けて、星野が自ら(潔く?)身を引くという、出来レースの茶番劇になるものと思われます。仮に金権体質を棚に上げて、知らぬ存ぜぬで押しとおせば、参院選の大敗が待っています。国民はそれほど(安倍・麻生がたかを括るほど)馬鹿ではありません。
2055.日本と半導体産業 21/12/8
クイズです。
杉良太郎にあって、
タケシ、サンマ、トコロにないものは何か。
それは信Xと品Xです。
もう一問。
引き際の分からない、年老いた猫は誰か。
ヒントは芸能界と報道関係者から各一名です
今回の前書きは週間朝日(12.17)の、古賀茂明の政官財の罪と罰からです。
「台湾企業の言いなり悲しい日本」
半導体受託生産の世界最大手・台湾の「TSMC」が、熊本県に新工場を建設する。世界最大の半導体メーカーである同社は、半導体微細化競争でもトップで、5ナノメートル(ナノは10億分の1)級で先行。さらに3ナノ級の開発も進む。政府は、世界最先端企業の工場誘致と胸を張った。
しかし、「世界最先端企業の工場」と言っても「世界最先端の工場」ではないことをマスコミは大きく報じない。新工場で生産するのは回路線幅20ナノ級だが、これは約10年前の古い技術だ。
振り返れば、経済産業省の日の丸主義を掲げた時代遅れの産業政策は大失敗を続けた。その結果、1988年に世界半導体販売の過半を占めていた日本は、今や10%を切るところまで落ちた。トップ10社中日本企業が6社の時代もあったが、今は1社もない。技術面でも、台湾、韓国、米国企業との最先端競争に参加さえできない体たらくだ。
そんな日本にTSMCは冷たかったのだが、経産省の猛アプローチの結果、誘致に漕ぎつけた。
岸田総理が喜ぶのもわかる気はするが、内実を知ると、そうも言っていられない。日本側は工場建設の総事業費8千億円のうち4千億円もの破格の補助金を出すという。本来は、金額は抑える一方、少なくとも1千億単位の出資にするべきだった。そうすれば、大株主として経営に関与し、日本への優先供給を担保できる。TSMCのほうが圧倒的に強い立場に立ち、日本は大金をタダで取られる。なぜそうなったのだろう。
実は、世界一のTSMCのすぐ後を追う企業が韓国のサムスン電子だ。
米国は両社を競わせる作戦を採った結果、サムスン電子が米国に2兆円もかけて「最先端」工場を建設すると発表するに至った。米国の作戦が功を奏し、サムスンに最先端技術を持ち込ませることに成功したのだ。
一方の日本は、安倍政権以来の嫌韓政策により、経産省が対韓輸出規制強化でサムスン向けの日本からの部品材料輸出を妨害した。サムスンに頼める関係ではない。その結果、TSMC1社頼みとなり足元を見られた。今後も同社側から無理難題を吹っかけられ、そのたびに押し切られることになるだろう。
もう一つ、日本に最先端工場を造っても、実はそれを使える最先端企業はほとんどないというのが悲しい現状だ。TSMCから見れば、「日本に最先端工場? 何のために?」ということになる。
つまり、本来はTSMC誘致の前に日本の電機や自動車産業のレベルアップ政策が先行すべきだったが、経産官僚にはそうした俯瞰的な視野はない。焦った挙句、TSMC誘致だけが目的化し、EVやグリーン産業などの成長分野では、自分たちの利権維持のために、いまだに世界に遅れる政策を採り続けている。
(以下略)
コメント:かつては世界に冠たる、経産省の官僚も、この体たらくでは、日本の産業が復活する(先端産業)可能性は限りなくゼロに近いものと思わざるを得ません。
ところで、12月8日は太平洋戦争開戦の日です。
・真珠湾攻撃だけではない。
https://www.asahi.com/articles/ASPD64K7LPD6UPQJ00B.html?iref=comtop_7_06
2056.立憲民主はどこへ 21/12/9
12/8の朝日新聞のかたえくぼから。
敵基地攻撃能力の保有も選択肢
(おりしも衆院代表質問で茂木が主張)
歴史を繰り返すな、日本政府殿、と真珠湾
ところで10万円給付。
事の発端は公明党が衆院選のばら撒きの公約にこだわり、
ごり押しした結果である事を忘れる訳にはいかない。
広島や新潟の例を挙げる迄もなく、自民党政治は腐敗の極致に至っていますが、政治を正常化するために、国民が期待している野党、中でも第一党の立憲民主の動きを見ていると、一体どうなっているのか、また今後はどうなって行くのかがさっぱり見えない状況です。サンデー毎日(12.19)が初めて、この問題を正面から取り上げ、立憲の過去と現在の姿を活写していますので、心ある国民には同週刊誌の購読を強くお勧めします。今回は、その中から2つ、記事を紹介します。中でも白井聡の「なぜ立憲民主党の再建は困難なのか」が圧巻です。
「悪夢の保守二大政党制を通過して、戦後の国体を清算せよ」白井聡から
…当時、総選挙を前にして支持低迷に苦しみ、また共産党との連携を解消したかった前原民進党代表は、同党を丸ごと小池氏の支配下に置こうとした。そこで起こったのが、排除宣言事件だった。
…小池氏は自民党出身であり、しかも右派に属していた。ゆえに必然的に、排除の基準の核心は次の二つ、すなわち、日米安保体制と原発であった。
…原案にあった記述は削除され、前原氏の苦慮が偲ばれるが、結局のところ、「現実的な安保政策」とは新安保法制に異を唱えるな、ということに等しかろう。
そして、小池氏は脱原発を標榜していたにもかかわらず、10項から成る政策協定書には原発に関する記述が一切ない。それは、原発容認派や推進派であっても、希望の党に加入することの妨げにはならなかったことを意味する。小池氏が街宣で発していた言葉と文書化された言葉では重みが違う。どちらに本心があったのかは、言うまでもない。
かくして、右から左まで「ごった煮」で、右側の面々は隠れ自民党だと評された旧民主党勢力を、その左側分子を切り捨てて第二自民党勢カヘと純化したうえで自分の乗り物にすることこそ、小池氏の仕掛けた作戦の本質であった。
この作戦は失敗し、立憲民主党を生み出す結果となった。かくて旧民主党の議員集団は大分裂することとなったが、その原因となった「排除」の基準を見れば、分裂の伏線は2015年の新安保法制の時点、さらに遡れば、与党時代の民主党が支持を失い混迷を深めていった時点で、すでに存在していたとわかる。
新安保法制をめぐる大規模な市民参加も含んだ政治闘争のなかで、民主党は党として「反対」を叫んだ。だがその際、反対の根拠について確たる合意があったとは思われない。
…いずれを根拠として反対するのかによって、反対の意味合いは大きく異なる。そして、当時の民主党議員のなかには、この政治闘争を無視する者、雰囲気に押されて出て来はしたものの本心ではやる気のない者がいた。そもそも三人目の民主党政権首班であった野田佳彦氏は、集団的自衛権の行使容認を持論としていたのだった。新安保法制は、このような民主党に内在する分裂、その矛盾を露呈させた。
…もはや分裂・矛盾が覆い難くなったにもかかわらず民主党は統一を保っていたが、前原・小池の策動が矛盾を全面化させたのであった。
…だが、起源はさらに遡ることができる。成立当初は多大の期待を集めた民主党政権が、まずは普天間基地移設問題で躓き、次いで311の国難に直面し、そして菅直人首相が唐突に消費増税を唱えることによって財務省に降伏し、跡を襲った野田佳彦氏もまたマニフェスト実現の意志を失って、次々に離反者を生じさせると同時に国民の支持を失っていったという過程、すなわち、民主党政権の挫折の過程全体が、立憲民主党の真の歴史的起源ではなかったか。
…第二次安倍政権成立以降、「戦後の国体」が手段を選ばず自己保存を図ろうとする傾向はますます露骨なものとなり、同時に腐敗を極めていった。立憲民主党が、この状況を真の国難ととらえ、安倍・菅(義偉)・岸田政権を亡国の権力として告発し、これを打ち倒す勢力として自己規定するというのならば、この統治構造そのものを敵として見据えなければならない。それは、民主党政権を圧し潰した力(それは旧民主党の外にも内にもあった)と戦う力になる、ということだ。
しかし、枝野執行部の言動にも、新代表候補の4人の言動にも、上記のような認識を感じさせるものはなかった。加えて、立憲民主党は菅直人氏や野田佳彦氏といった民主党政権を失敗させた張本人を迎え入れた。
…これらの面々の名前がいまだに出てくること自体が、同党の不見識を満天下に告げているに等しいのだ。
なぜ、こうした仕儀に陥ったのか。つまるところそれは、立憲民主党が民主党政権の失敗の本質を見ないで済ませてきたことに起因する。その挫折は、鳩山由紀夫氏の手腕がどうとか、官僚の使い方が下手だったとか、そうした些末な事柄に由来するものではなかった。戦後政治の統治機構の構造的次元の問題が露呈したのだった。政官財学メディアが展開した猛烈な鳩山降ろしと、検察による小沢一郎攻撃(陸山会事件)は、この構造が危険な異物を吐き出そうとした自己防衛反応にほかならなかった。
立憲民主党の中核には、これらの出来事により民主党政権の支持が低下するなかで政権を担った人々が陣取っている。これらの人々は、鳩山・小沢両氏を救おうとはせず、むしろ両氏の失墜に棹差すことによって政権の浮揚を図ろうとした。これらの行為の意味、その誤りが直視され総括されなければ、立憲民主党には背骨が入りようがそもそもなかった。だから、いま立憲民主党が陥った惨状とは、その虚しさが前面に現れ出てきたものにすぎない。
してみれば、野党共闘が不十分なものにとどまったのも、驚くには値しないのだろう。2019年の参院選で明らかになった、各党の候補者が出馬を表明した後に調整を図る(言い換えれば、誰かを降ろさせる)のでは上手くいかない、したがって各党トップ間の調整のうえで、統一候補が出馬表明するという手順を踏むべき、という教訓は全く生かされなかった。総選挙の時期は限界まで後ろ倒しになったのだから、準備不足という言い訳は通用しない。各党の弱みを補い合い、強み(例えば、山本太郎氏の人気)を発揮させる共闘の相乗効果はほとんど発揮されなかった。さらには、与党側からの共闘攻撃、「立憲共産党」のレッテルに対しても、立憲民主党は筋の通った反論をしなかった。いくらでも可能であったにもかかわらず。早い話が本気ではなかった、そう断ぜざるを得ない。
(編集子注:私もそう思います)
連合による共闘への横槍を指摘する声もある。だが、連合の抱える矛盾も、原発問題と新安保法制においてすでに垣間見えていた。連合主流派を成す旧同盟系の労使協調型労組は、経営陣への従順と自己利益の最大化を旨とする。ゆえに、電力会社が原発維持を唱えればそれに追随する。あるいは、新安保法制や武器輸出解禁によって日本が軍拡に走るならば、防衛産業関連企業の利益は増え、その労働者はおこぼれに与るが、その受益を拒まない。
ゆえに今回、トヨタ労組が野党支持勢力からの脱退をにおわせたが、この間、トヨタがアペノミクスの為替操作(円安)によって多大の利益をあげてきた(円安に苦しむ下請けの犠牲のもとに)ことに鑑みれば、いまや彼らが労使一体で与党支持に走ることに不思議なところはない。
立憲民主党が正義と公正を追求する集団だと名乗るならば、社会的公正に対する著しい無関心に貫かれた労働貴族を基盤としていることは、背理なのである。
(編集子注:私もそう思います)
以上のように述べてきた総括なき立憲民主党代表選を経て明らかになったのは、この党の再生の困難さではあるまいか。そして、今回得票を伸ばした維新の会が野党第一党の地位を奪うならば、いよいよ日本の政治は最低の状況に陥る。
それはもちろん苦境ではあるが、「戦後の国体」を清算し、われわれが再生を図るために通過しなければならないひとつの段階でもあるのだ。
(編集子注:このどさくさまぎれに自民・維新で改憲でもやられた日には目も当てられません)
二つ目の記事は、青木理の「抵抗の拠点から」です。
「批判ばかり?」
最大野党の党首を選ぶ代表選が終わり、新たな代表が決定したと報じられている。
そのこと自体への評価はともかく、「批判ばかり」と目されがちな佇まいの見直しが焦点のひとつとされたらしい。…果たしてそれは焦点とされるべき類いのものか。
あらためて記すまでもなく、国政にせよ、大小の自治体議会などにせよ、行政権力や時の与党に対する批判、監視機能は、野党勢力が担うべき最大の役割。野党が健全かつ肝腎な批判を盛んに加えてこそ、行政権力と与党の歪みや問題点が可視化され、それが多少なりとも正され、決して十分ではなくとも、行政権力と与党の横暴や独善に歯止めがかけられる。
逆に近年の野党は、とてもじゃないが十分な批判機能を果たしていないと私などは思ってきたのだが、あろうことかメディアやジャーナリズ厶の世界からも「批判ばかりではなく、建設的な提言も」などという声が出てくるのだから救いがない。
…そろそろ批判もいい加減にして今後の改善策や再発防止策の議論をはじめよう、と言い出す気持ちも分からなくはない。政策提言報道だって、そのすべてを否定などしない。
だが、この国の現状はどうか。たとえば森友・加計学園、桜を見る会などをめぐる疑惑の数々にせよ、あるいは法相が下獄した前代未聞のスキャンダルにせよ、行政権力の中枢や与党幹部は何の責任も取らず、真相も明かさず謝罪もせず、いまなお権力の中枢でのほほんとそれを行使し、恥じいる気配すらない。これはつまり、行政権力や時の与党に対する批判、監視機能が十分に機能していないことを意味する。
つまり、現在必要なのはむしろ、ファクトを抉り出して行政権力や与党の責任に迫る徹底した「批判力」であり、このような状況下で「批判ばかり」の姿勢をあらためようと言い出すのは、行政権力や与党の悪事を黙認して補完勢力に堕すると宣言するに等しく、それはメディアやジャーナリズムの役割の放棄。同じことは、野党にも当てはまると私は思っている。
(編集子注:同感です。批判が無いと、民主政治が独裁政治に変貌します。今でも十分独裁政治=しかも腐りかかった、ですが)
2057.10万円給付に小池知事は我関せず 21/12/9
小池知事が自粛規制に従わなかった
飲食店を裁判所に提訴した。
タカ派の本性むき出し。
しかも他の知事がやったような
感染防止の努力をした訳でもない。
自分の不作為は棚に上げ、他人の落ち度はあげつらう。
そんなに国民を刑務所に送り込みたいのなら、
自分が日本版ゲシュタポ(秘密警察)の
初代所長にでも 立候補したらどうか。
自らムショに体験入所する方法もある。
小池警察の最初の血祭りに上げられるのは、
小池を批判した知識人やメディアだろう。
そこで若い世代に忠告したい。
まともな若者は、小池が知事の間は
東京には住まない方が良い。
ところでJOC(山下会長)の会計監査を
やった方が良いと思う。
不正な金の動きが見つかるかもしれない。
現に人が一人死んでいるのだ。
もはや日本ではスポ―ツイコール不正な金
という構図ができつつあるのかもしれない。
無論背後には暴力団がいる可能性もある。
日大のように。
朝ドラを、一般国民と同じように毎朝見ています。民放の相棒も見ていますが、今年のシリーズは、社会性も中途半端で、とにかく後味が悪く、これは脚本が未消化なせいだと思います。そして、カム・カム・エブリボディの金曜日の回は圧巻でした。なぜなら喫茶店の店主に扮した世良公則が、番組の第二のテーマ曲、オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート(明るい表通りで)を歌ったからです。やはりプロは違うと思いました。秋元が育てたAKBや、それに続くナンタラ坂のグループは、学芸会の小学生の一斉斉唱を見ている感じが付いて回ります。個々人が歌えば、多分歌唱力が持たないと思います。それでもいいという人には、無論それでいいのでしょうが、少なくとも私にはそれが歌だとは思えません。無論それは男性グループでも同じことです。それもあって私はしばらく前から紅白を敬遠しています。外国人がかなり前に、日本の歌手で、本当に実力があるのは民謡歌手だと言ったことを思い出します。
ところで、10万円の給付金です。公明が子育てのためと言ってしまった以上、紐をつけておかないと筋が通らない。親父が酒やパチンコに使ってしまったら、公明党の面目が丸潰れ待つになるからです。ところがこの手続きが煩雑なうえに、経費が1000億円も掛かる。おそらく政府は、年内に現金5万円。来年の夏頃にまた現金5万円という線で決着させる腹でしょう。それが自民党にとって都合が良いのは、二回目のばらまきの直後に参院選が控えていることです。まずは、国見の6割が反対する、この無駄で無益なばらまきで、政治的混乱を引き起こした公明党に猛省を促したい。もっと言えば、政府、いや国民の金で自分たちの票を買うなと申し上げたい。なお当然のごとく、クーポンを欲しがる国民などいないので、クーポン希望の知事も居ない。ところが、呆れたことに小池百合子だけは、政府で市民に迷惑の掛からないように方針を決めて欲しいという、知事としての自分の立場を棚に上げた発言でした。言質を避け、自民党政府にも恩を売るという、いつもの自分ファーストでせこい発言。1300万都民を預かる東京都知事としてはどう判断するのかというまともな質問をする記者も見当たらない。相も変らぬ(丹下健三設計の)狸御殿の女帝ぶり。
関連記事:市区町村9割超、年内に現金。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6412057
関連記事:6月までにクーポン無理なら現金給付。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/148168?rct=politics
関連記事:10万円給付。方法は自治体の判断に。
https://www.asahi.com/articles/DA3S15138657.html?iref=comtop_Opinion_03
コメント:だから小池知事は判断放棄です。というより自分の人気の足しにならないことには無関心ということでしょう。。
2058.耕論から 21/12/15
今回の前書きは12/14の朝日の耕論「新自由主義どこへ行く」からです。
「安心なき社会、若者の常識」藤井達夫
新自由主義の社会では、誰もが企業家のようにならなければなりません。自己を磨いてリスクを管理し、競争し、投資し、打ち勝っていく。しかも、自己責任のもとで。
2004年のイラクの人質事件の時、自己責任という言葉が蔓延したのが象徴的でした。いまの若者が物心のつく頃には、そんな新自由主義的なメンタリティーが当たり前になっていた。若者にとって新自由主義はデフォルト、初期設定なのです。
小さな政府、規制緩和、民営化。中でも影響が大きかったのが雇用の規制緩和です。非正規労働者が増え、富の偏りが生じて、格差社会になった。別の社会のありようを知らない若者たちは、これが社会だと思い込んでいる。
大学の授業で「貧困は自己責任では解決できない。社会構造の問題です。個人の努力だけでなく、社会全体で取り組む必要があります」と言うと、学生たちは驚きます。
「全て自分の責任だと思っていた。気が楽になった」と。若者には自己責任の考えが骨の髄まで染み渡っています。新自由主義は空気なのです。
戦後の工業化社会を築いた日本は、企業を通して社会の秩序を保ってきました。企業が雇用を保障し、賃金で家庭を維持し、子どもに教育を施して、社会に還元する。そんな循環の根幹は雇用であり、企業です。政府の役割は企業を支援することでした。
1990年代に知識や情報を中心とするポストエ業化社会への転換が顕在化し、新自由主義が本格的に導入されましたが、社会保障の仕組みは工業化社会のままです。安全網を張るべきなのに、公務員を減らすとか、正社員のクビを切りやすくするとか、そういう「改革」ばかりがまかり通る。雇用を「守る」という
と、若者には保守的なイメージすら持たれてしまう。
新自由主義は、選択の自由を得るための過酷な競争を強いるもので、生活の不安定、不確実性を生み出すのが特徴です。社会を頼っていいという安心感や、人々への信頼感が破壊され、不安で、冷たい社会になっています。
確かに競争は必要ですが、その競争は公正でなければなりません。親の年収によって受ける教育が変わってしまうようでは、自由で公正な社会とは言えないのです。世界の状況をみても、新自由主義は行き詰まり、失敗したと言っていい。岸田文雄首相も立憲民主党も脱却を模索しているのは、その証左です。救いもなく、公正さもない競争を強いられた結果、私たちの社会は衰弱してしまった。
それは大人たちの責任でもあります。こんな社会を作ったのは若者ではありません。
若者はこれが当たり前だと信じたまま、冷たい社会に投げ出されてしまうのです。
コメント:これで全文です、なんとも尻切れトンボの感じは否めませんが、少なくとも新自由主義について、最も分かりやすい形で警鐘を鳴らしていることだけは確かでしょう。ではどうすれば、最大多数の最大幸福が実現できるのか。それについてのヒントはありません。
とはいえ、今更終身雇用制に戻るよりは、企業が一定期間の雇用の保証を行うとともに、自己都合だろうが、企業の都合だろうが、離職後の成果る日の一部を負担する仕組みが必要です。それに政府の死活支援金(生活保護費でもベーシックインカムでもいい)と、自分で積み立てる失業保険の3本足で、生活を支える言う案です。
失業後の生活保障と、いわゆる生活保護や、年金とは相互に関係が深いので、全体を俯瞰して分析し鵜、再構築する必要があります。基本的な生活を3社で補償した上で、より生活の質を挙げるために、アルバイトをしたり、特技を生かしたり、金融資産を運用すれば良いと思います、
退職金も、一時金ではなく、継続して支払われる企業年金の方が役に立ちます。従業員を解雇した企業には、解雇が従業員に与えた経済的損失に責任があり、一方で、国には国民を飢えさせない義務があります。個人と企業と国、自助、共助、公助の3段構えで、国民を生活の不安から守るというプランです。
そのためには現行の生活保護(政府の生活支援)の仕組みも、根本から見直して、例えばPCも車も持つな、大学には進学するなというような屈辱的な制約なしに、生活保障が受けられるように仕組みに変えるべきです。いよいよ働けなくなったら、年金で対応すればいいのです。個人年金制度をもっと拡充すれば、年金生活でも、より余裕のある暮らしが可能になるでしょう。
ゆえに定年制の撤廃も重要なカギです。働ける間は、働きたいだけ働ける。そうすればいいことだらけなのです。健康寿命が延び、人生が豊かになり、社会全体が活性化し、国も富むのです。
どういう仕組みであれば、国民が安心して目いっぱい働けるのか、最大多数の最大幸福が実現できるのか、そして健康で文化的な生活を保障できるのか。しかしこの新経済システムが、どういう形になるのかは、経済の専門家を含めて、現時点で誰も案を提示することができないと思います。提示できる人がいたら、ノーベル経済学候補です。
そしてこの議論だけは、全国民が対等の立場で参加する必要があります。なぜなら全員の生活に直結した問題だからです。また根本的な議論が行われる時には、労働者の権利を主張するために作られた組織、労働組合がどういう成果を挙げたか、また今後はどうあるべきかも議論されるでしょう。同時に、いまや保守思想の既得権集団と化した連合の存続の可否も、議論の対象となるでしょう。
雇用と生活の保障が全てです。働らかざるもの食うべからずではなくて、働く者の飢えを許すべからずなのです。そしてそのためには、企業で支えきれない部分は、国が負担する覚悟も必要なのです。
今回の前書きは朝日新聞(12.14)のオピニオン&フォーラム、経済大国、たそがれ時?からです。
「目指すは消費盛んな社会」加谷珪一
一人当たり国内総生産(GDP)や企業の競争力などの各種指標を見る限り、日本は主要7力国(G7)にふさわしい先進国の地位からは脱落しています。警鐘を鳴らしてきましたが、数年前までは「日本をおとしめている」とよく批判が寄せられました。
現状が認識され始めた今が心機一転のチャンスです。(中略)
30年前まで世界における日本の輸出シェアは8%台で、ドイツと肩を並べていました。それ今では4%を切っています。ドイツは付加価値の高い医療機器やバイオなどに産業をシフトして競争力を保ちましたが、日本は方針転換できませんでした。
品質が良ければ黙っていても売れた昭和とは違い、高付加価値商品を作るにはブランド構築や問題解決型ビジネスをしなければならず、コミュニケーションカがものを言います。それには英語とITスキルが必須ですが、どちらにも日本は強いアレルギーがある。ドイツ的な高付加価値型経済は難しいでしょう。
日本が目指すべきなのは、米国やオーストラリアのような消費主導型だと考えています。ドイツなどと比べると日本の消費志向は強く、芸能や音楽などのソフトカルチャーも裾野が広い。消費が盛んになれば企業の賃金が上がり、さらなる消費につながるプラスの循環が生まれます。
日本は世界に突出した人口減少国だということも忘れてはなりません。2100年には人口6千万人程度に落ち込む恐れがあります。今のうちに消費主導型経済を立ち上げることが重要です。
消費を盛んにするには社会の寛容さが必要です。足を引っ張り合っていては、自由に生活を楽しむ豊かな社会はできません。国際社会では男女平等、機会均等が叫ばれているのに、それに反する慣習は時代に逆行しています。(中略)
現在の欧米各国は、ビジネスのIT化とオープン化、組織のフラット化を進めており、これを素直に見習うべきです。欧米を追い越した日本はスゴい国だ、などとは考えず、謙虚になった方がいい結果が出ると思います。
コメント:とはいうものの、雇用が安定せず、給料も頭打ち。コロナの先も見えず、防衛的な生活スタイルになるのは止むを得ないと思います。それにしてもこれでは日本の経営者は、巨額の報酬を食んでいながら、経営者の才能はゼロに近いということになります(経団連を含む)。それこそがまさに老害ではないでしょうか。例えば、NHKの前田会長には、眼も当てられない現状のみずほについて、みずほフィナンシャルグループの会長時代に、崩壊の基礎を作った責任がないと言い切れるのでしょうか。はっきり言えばNHKの経営責任者として適任かどうかなのです。なにより、報道機関のトップなのに、ジャーナリズムの何たるかを理解していないことが恐ろしい。
「多事奏論、真珠湾から特攻へ、人への尊厳欠いた参謀の戦後」駒野剛から
…戦は外道の極み、人を人でなくする修羅の場だと思う。そうした痛切な反省があって、私たちは今の憲法を抱くに至った。
岸田文雄首相は6日、所信表明演説を行い、「敵基地攻撃能力を含め、あらゆる選択伎を排除せず現実的に検討し、スピード感をもって防衛力を基本的に強化していく」と述べた。憲法に基づく国是、専守防衛の縛りを解こうというのか。
国内基地などからミサイルで敵国を攻撃する。狙いは軍事施設というのだろうが、周囲には人がいる。誤爆もあるだろう。報復されれば自国民も死傷する。どんな戦も人が人を殺すことだと忘れてはならない。
(中略)人間にとって不戦を超える大義などない。
コメント:戦争には悪い戦争しかないのです。
2059.野党共闘をアップデイトせよ 21/12/18-21
今回の衆院選で野党連合は失敗と、与党も、維新も、メディアも囃し立てました。本当はどうなのか。野党連合には意味はないのか。私はそうは思いません。そしてもう一人そう思わない人物がいます。雑誌世界の1月号に、その寄稿が掲載されています。しかし最も重要なこの論文は、雑誌の表紙出は紹介されていません。表紙の特集はケアと、気候危機です。
(私を含む)リベラルな国民に取って、野党連合は、参院選で与党の過半数を抑制し、与党の改憲暴走を阻止する唯一の手段です。長い論文なので、数回に分けてご報告します。但し論文の趣旨を理解し易いように、章立ての順序は変更させて貰いました。
雑誌世界1月号「野党共闘をアップデイトせよ」中野晃一から
…しかし上述した歩みを見ればわかるように、野党共闘は単に第一野党が選挙に勝つために便宜的に選んだ戦略ではなく、日本の政治の右傾化を押し戻すために第一野党を穏健保守・リベラル・左派の連携のなかで再構築する市民の粘り強い取り組みでもある。確かに、立憲野党全体としての選挙前勢力を維持、拡大できなかったことは痛恨の極みだが、穏健保守・リベラル・左派の選挙結果としては前回2017年選挙から(そして2012年以降のどの選挙と比べても)前進を遂げた。立憲民主党の代表選に野党共闘をめぐる路線対立を持ち込み分断させようと、自民党やネオリベ右派勢力、そしてメディアがしきりに画策しているが、希望の党の企みを退けたように今回も持ちこたえれば、むしろ政治システムの右傾化を押し戻していくための足場を固めることができる。
2012年に日本の政治システムはほぼ完全に安倍自民党やネオリベ右派に制圧された。2014年では維新などと選挙協力するほどまでに民主党はネオリベ右派勢力に引きずられていた。しかし15年の安保法制に対するたたかいを通じて、穏健保守・リベラル・左派の連携による政治システムの再生が始まった。17年にはネオリベ右派勢力による乗っ取りが希望の党という装置で企てられたのをかろうじて退けた。21年、私たちがネガティブーキャンペーンに屈して今ここで野党共闘を手放す理由がない。
「水平な競技場」がない日本政治
現職職や与党は、メディア露出からくる知名度・浸透度、行政へのアクセスや政治資金など諸々の政治資源において、常に選挙において優位に立つ条件を有するが、とりわけ日本の選挙制度や慣行は世界で最も現職、世襲、与党、そして男性に有利と言うほかない。元々、1925年に男子普通選挙が実現した時に、無産政党の手足を縛る目的で埋め込まれた高額な供託金や戸別訪問の禁止などの選挙運動の睹制限が、戦後の自民党長期一党支配(1955年体制)の下でもほとんど撤廃されなかっただけでなく、近年でもなお衆議院の選挙期間をわずか12日間に減少させたり、インターネット選挙の非合理的な規制なども加えられたりしている。端的に言って、日本には民主主義の前提となるlevel playing field(水平な競技場)が存在しない。
さらに、小選挙区制の作用や官邸機能の強化などネオリベ改革によって権力の集中が1955年体制よりもいっそう著しくなった2012年体制下で「水平な競技場」の破壊は加速した。(中略)2012年体制では、メディアまでもが、「権力に監視される番犬」はたまた「権力のために監視する番犬」に成り下がってしまい、「やったもん勝ち」「勝てば官軍負ければ賊軍」というようなネオリベ的な価値観に染まり、自ら自由民主主義の「水平な競技場」を担保する役割を完全に放棄してしまった。
2021年、内閣が野党の憲法に基づく臨時国会開会要求を無視しつづけたことをメディアはほとんど問題にせず、挙句の果てに自民党内の権力闘争により菅義偉首相が辞任すると一か月ほど自民党のプロパガンダ機関であるかのように、総裁選によるメディアジャックに加担した。これで自民党の支持率が回復し野党がさらに埋没しない訳がない。岸田文雄が新総裁に決まると今度はご祝儀ムードを醸し出し、安倍・菅と続いた自公政権の過去四年の実績評価の機会も反故にしてしまった。岸田は、選挙に際しての主権者の熟慮や熟議の時間などいっさい与えないように、解散から投票日まで史上最短の17日間しかない選挙日程を選び、案の定、2021年の衆議院選挙は、2014年、2017年に続く史上三番目に低い投票率に終わった。(以下次号)
コメント:ネオリベとは新自由主義の事で、政府による介入を最小限にすることを目標にしています。リベラルという言葉とは異なり、新個人主義(自助)とも言うべき思想です。著者によれば、国民民主や希望の党がそれです。
関連記事:与党、維国、立憲に集中砲火。憲法審。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021121601077&g=pol
関連記事:憲法審だけ毎週開けはおかしな話。泉。
https://www.asahi.com/articles/ASPDK5G01PDKUTFK01H.html?iref=comtop_Politics_02
関連記事:新聞読者、90%が衆院選投票。
https://jp.reuters.com/article/idJP2021121601001587
関連記事:国民、都民ファと意見交換。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021121700665&g=pol
コメント:こうなると玉木の無能も底なしです。性懲りもなく小池を担ぐつもりらしいが、小池の正体が未だに分からないとしたら、その知能程度は幼児以下です。協議の着地点は見えており、小池を国政に担ぎ出すことでしょう。しかし小池の独裁政党が国民の為でなく小池個人の為の政党であることは、作り放しで、放し飼いになっていた都民ファーストが、少しも都民の役に立っていないことを見れば分かるはずです。希望の党ならぬ失望の党の焼き直し。そんな政党を「国民は必要としていない」のです。大塚耕平も、このごみ溜めのような政党を早く見限った方が良いと思います。代わりに蓮舫が参加すれば頭数は合うでしょう。
今回の前書きは「野党共闘をアップデートせよ」中野晃一の2回目です。
…では「水平な競技場」がない現実のなか、私たちはいかにたたかっていくのか。
ここでは全国的な総論に止めるが、まずは2009年から21年の小選挙区における投票率と棄権者数、主要政党得票数を踏まえて「野党共闘はルベラ?左派色が強すぎたため失敗したので、立憲民主党は保守にウイングを広げるべきだ」という総括の妥当性を考察したい。この時の「保守」とは何なのか、どこにいるのか。
はっきりしているのは、安倍自民党にしても維新にしても小選挙区で得票数を伸ばしているわけではないということである。自民党はようやく惨敗した時の麻生首相の水準に戻したのが実態で、今回維新の「躍進」と喧伝されている現象も17年選挙で小池劇場と希望の党騒ぎに埋没し大きく減らした得票数を取り戻したというべきで、この勢いが今後も続いていくと見込む根拠はない。むろん大阪圈での現職・与党としての優位性は侮れず、またネオリベ右派イデオロギーを共有するメディアとの親和性は深刻というほかないが、実際には非自民ネオリベ右派勢力としての伸びしろはこの辺で尽きている可能性がある。
しかも様々な調査や研究が示すところでは、有権者の標準的な政策選好に比して自民党は相当右に寄っており、また維新も実際の立ち位置よりも相当程度中道寄りと有権者に「誤解」されていると考えられ、必ずしも有権者が右に引っ張られて自民党や維新を支持しているのではない。むしろ単に右傾化の実態をメディアが美化、無毒化して報じつづけるなか、「水平な競技場」が存在しない日本の尋常ならざる与党・現職の優位性に支えられているに過ぎないとも考えられる。さらに言えば両党とも小選挙区では公明党票に下支えされていることも無視できない。
とすると、立憲民主党が野党共闘を止めて単独政策的立ち位置を自民党や維新に寄せたら「保守」票が取れるというのは幻想にすぎない。明らかに最大の課題は、2012年体制下で投票率が史上最低レベルで推移し、自民党に投票する人の倍近い有権者が棄権しつづけていることであり、立憲民主党が自民党や維新、国民民主党に追随して右傾化したところで、既存の右派政党から支持を引き剥がせるわけでもなければ、政治を諦めてしまった棄権者の目を覚ませるわけででもない。
確かに立憲民主党が共産党などと候補者を一本化しただけでは不十分で、棄権者を主としたより広範な有権者にリーチしていくために穏健保守・リベラル政党として保守層も意識しなくてはならないという理屈は理解できるが、現行選挙制度で投票率が70%に迫ったのは2005年の郵政選挙と09年の民主党政権誕生の時だけであり、明確な対決構図を作れない限り、「水平な競技場」が存在しない日本の選挙の現実を乗り越えることができず、2021年体制が果てしなくつづいてしまうことは明らかだ。
「野党共闘と市民連合のアップデート」
では、最大の票田になってしまっている棄権者に立憲野党に投票してもらうためにはどうするべきか。比例区における得票数の推移が参考になるだろう。
まず共産党に関しては、ネオリベ右派寄りの野党共闘から除外された2014年に最も得票数が多く、17年以降は小選挙区で多くの候補者を取り下げて、比例区でも得票を減らす結果になっている。そして立憲民主党は、民主党政権崩壊後得票数を激減させた後、17年の立憲民主党結党時に小選挙区における実力を超える得票数を「党名ブランド」で取ったのが実態で、21年では小選挙区で立国合流と野党共闘効果で前進した一方で比例区において伸び悩んだ。これは前述の自民党総裁選メディアジャックの煽りもあれば、立国合流によって「党名ブランド」効果が減退したこともあるだろう。しかし、今回初めて野党共闘が実現したことによって、立憲民主党も共産党も、それぞれ党として埋没してしまった可能性を直視しないわけにはいかない。
そもそも野党共闘は小選挙区に限られたもので、比例区において立憲野党はそれぞれ選挙戦を繰り広げるほかない。小選挙区制で自公連立与党に対する野党共闘の対決構図を明示することによって投票率を上げ、その波及効果で比例区においても各党の得票を底上げする狙いが低投票率により今回不発に終わってしまったのだ。今後、比例区は比例区で各党が独自の選挙戦略を立てないと同じことを繰り返しかねない。具体的には、漫然と小選挙区との重複立候補者を比例復活当選のために同率で並べる方針を改め、女性や新人候補を前面に打ち出してはどうか。「水平な競技場」さえない中で、執拗かつ悪質なネガキャンに打ち勝つのは容易ではないが、それぞれに日常の「党名ブランド」を打ち立てていくことが必須だ。
衆参両院で比例区があり、地方議会で中選挙区ないし大選挙区が用いられている日本の政治システムでは二大政党制に収れんしていくことはありえず、自民党でさえ単独で政権運営を行うにはリスクが高すぎる現実を踏まえれば、立憲民主党が単独で政権交代を実現するという主張はあまりに信憑性に欠ける。自公連立が当たり前になったように野党共闘が当たり前になってきて浸透すれば、各党が野党共闘を過度に意識してたたかう必要もなくなり、また共闘の中で埋没する副作用も減少していくことになる。現状では、立憲民主党がともすると連合や市民連合との板挟みになって受け身で野党共闘に応じているかのように見えて、それが第一野党の「党名ブランド」を損ねているきらいがある。枝野・福山体制が導いてきた方向に誤りはないのだから、今後は受け身ではなく積極的にリーダーシップを発揮して選挙協力や政権枠組みを提示し、穏健保守・リベラル・左派の連携からなる野党共闘を牽引していくことが、立憲民主党に求められている次のステップなのではないか。
自民党や維新からの圧力を跳ね返していくために、穏健保守・リベラル政党としての立憲民主党には、立憲民主主義的価値観に基づく大胆な政治の改革とアップデートを推し進めるリベラルな信念と、生活者に寄り添い、命や暮らしを守る生活保守主義を繰り返し、そしてわかりやすいかたちで堂々と訴えつづける覚悟と実直さを期待したい。それこそがウイングを広げることになるだろう。
市民連合もまた、新たに生まれ変わるべく議論を始めている。2015年のルーツを改めて確認した上で、より広範な市民運動と連帯し、多様な市民の参加を広げ、自山闊達な組織のあり方へとバトンを繋いでいくようにしたい。政党も市民もそれぞれに「地力」を付け直すことによって、野党共闘が次により大きな成果を挙げることになる。
コメント:一言だけ、注文を付けるとすれば「水平」ではなく「公平」でしょう。なお野党共闘については、今後もご紹介を続けていく所存です。中野晃一の著書も、順次購入の予定です。先の方でちらつく、自公維連立政権など、想像するだけでも身の毛がよだちます。リベラルな市民は命がけで阻止しなければなりません。日本を軍国主義国、格差拡大国、独裁政治国にしない為に。
関連記事:野党共闘の総括。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/149589
野党共闘の最終回です。今回は論文の前半部に立ち戻り、野党共闘がどのように発生し、戦ってきたかを振り返ります。衆院選での後退を見て、与党や維新などが勝ち誇るのは見当違いも甚だしいことと、リベラル野党の背景には、常に国民の強靭な意志があることをご理解いただければ幸いです。歴史をご理解いただくため長めになっていますが、これでも精一杯省略したつもりです。最後までお付き合い下さい。
「野党共闘をアップデートせよ」中野晃一から。雑誌世界1月号掲載
「野党共闘はどのようにして生まれたのか」
市民連合による野党共闘への取り組みは安保法制に対する抗議運動の中から生まれたが、その源流は2015年の国会前抗議よりもさらに遡り、14年7月1日の集団的自衛権行使容認の解釈改憲を行なった閣議決定と同年11月に行われた解散総選挙にあった。この頃、市民社会の中の異なる流れがそれぞれに野党共闘への模索を始めたのである。
2014年8月、解釈改憲に基づく違憲立法が翌年の通常国会で強行されることが予期されるなか、立憲デモクラシーの会の学者有志が主要な平和運動や弁護士団体有志、さらには若者の新しい市民運動を呼びかける形で集団的自衛権反対団体連絡会議を立ち上げた(この連絡会議は毎月開催で、現在まで74回開いている)。
運動体の中では、立憲デモクラシーの会有志が2014年9月に野党幹部と面会した際に国政選挙での野党共倒れを避けるために小選挙区での候補者調整への働きかけを試みたほか、同年12月に衆議院選挙が行われるのを受けて、のちにSEALDsとして生まれ変わるSASP(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)が「自由と民主主義のための学生緊急行動」として小選挙区における戦略的投票を呼びかけた。
選挙が再び改憲勢力の圧勝で終わった翌2015年1月26日より国会前における総がかり行動が始まった。総がかり行動は、無党派・超党派の「解釈で憲法九条壊すな!実行委員会」、民主党や社民党(そして今日の立憲民主党)を支持する連合左派の自治労などの労組が支える「戦争をさせない1000人委員会」、そして日本共産党に近い仝労連などで構成する「戦争する国づくりストップ!・憲法を守り・いかす共同センター」の三団体による共同行動で、これにより政党に先立って市民社会の側で平和運動の「野党共闘」が実現したのであった。
安倍晋三首相は、5月14日に安保関連法案を閣議決定、同法案は7月16日に衆議院を通過してしまうが、総がかり行動の木曜行動に加えて、5月3日に正式発足していたSEALDsが同じく国会前で金曜にプラットフォームを提供するかたちで巾民による抗議行助を艇開、国会における野党共闘への後押しはい良いさかんになり、安全保障法案に反対する学者の会(6月中旬)や安保関迎法案に反対するママの会(7月下旬)などが続々と結成され、次第に相互の連携を強めながら市民社会の広範な安保法制への反対世論を牽引していった。
またこうした取り組みが運動間で相互に協力関係を結んだだけでなく、それぞれがまたフラットに繋がるネットワークを形成し全国的な展開を示した。総がかりに呼応した各地の市民運動だけでなく、SEALsに9ら学生・若者の運動もまた関西、東海、東北、沖縄などで独自の活動を展開し、ママの会も地域に根ざした形で多数結成された。学者の会も全国の大学で立ち上がった有志の会と連携した。これらの団体が弁護士らの支えも得ながら各地で集会やデモ、スタンディング、署名集めなどを勢力的に展開した。
9月19日未明についに安保関連法案は参議院で強行採決されてしまうが、そこに至る最終盤には、連夜国会前に集まった市民の野党議員を応援する声が議事堂内に届いていた。全国の市民の取り組みは、安保法制の廃止と立憲主義の回復を求めて、法案成立後もいっそう広がっていった。
「市民連合の誕生」
このように、安保法制に対する抗議行動が歴史に残る画期をなしたのは市民社会の様々な運動の連帯と共闘の全国的な広がりという直接民主主義の活性化に加えて、暴走する政権与党に対抗し、言うなれば間接民主主義の修復と再生のために、市民が野党の共闘を求めた点にあった。安保法制成立の第一報が国会前に告げられた後、一瞬の沈黙に続いてすぐさま「野党は共闘」「選挙へ行こうよ」とのコールが轟いたことがこのことを表していた。
(中略)市民運動側では、野党に対する働きかけを強めるために市民連合設立の準備が進められていた。
「安全保障関連法の廃止」と「立憲主義の回復(集団的自衛憔牡便容認の閣議決定の撤回)」を目的として結集することはすぐ決まり、さらに議論が重ねられた。最終的には三点目の結節点として「個人の尊厳を擁護する政治の実現」を加え、その具体的な重要テーマとして「格差・貧困の拡大や雇用の不安定化ではなく、公正な分配・再分配や労働条件にもとづく健全で持続可能な経済」「復古的な考えの押しつけを拒み、人権の尊重にもとづいたジェンダー平等や教育の実現」「マスコミや教育現場などにおける言論の自由の擁護」「沖縄の民意をふみにじる辺野古新基地建設の中止」「脱原発と再生可能エネルギーの振興」の五項目を掲げ、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」(市民連合)は12月20日に発足記者会見を開いた。
市民連合は、各地における独自の地域版・市民連合の結成を呼びかけ連携を図り、また野党の選挙協力合意の実現を働きかけた。「安保法制の廃止と集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回を共通の目標とする」「安倍政権の打倒を目指す」「国政選挙で現与党およびその補完勢力を少数に追い込む」「国会における対応や国政選挙などあらゆる場面でできる限りの協力を行う」の四項目で野党党首が合意したのは、2016年2月19日。岡田克也・民主党代表、志位和夫・共産党委員長、松野頼久・維新の党代表、吉田忠智・社民党党首、小沢一郎・生活の党代表という顔ぶれだった。
(中略)7月10日の参議院選挙では32の一人区全てで候補者の一本化に成功し、うち11において野党統一候補が勝利を収めた。19年の参議院選挙においても一人区全てで一本化が実現し32のうち10で統一候補が勝ち上がった。野党共闘以前の13年参議院選挙一人区では31のうち二選挙区でしか野党候補が勝てなかったことを考えると、その効果は明らかだった。
こうした実積を踏まえ、今回初めて衆議院選挙において本格的な野党共闘が実現した。9月8日の市民連合と枝野・立憲民主党代表、志位・共産党委員長、福島瑞穂・社民党党首、山本太郎・れいわ新選組代表との6大項目20小項目にわたる政策合意をベースにして小選擧区の四分の三において候補者一本化にこぎつけた。政策合意は「衆議院総選挙における野党共通政策の提言−命を守るために政治の転換を」と題され、「憲法に基づく政治の回復」「科学的知見に基づく新型コロナウイルス対策の強化」「格差と貧困を是
正する」「地球環境を守るエネルギー転換と地域分散型経済システムへの移行」「ジェンダー視点に基づいた自由で公平な社会の実現」「権力の私物化を許さず、公平で透明な行政を実現する」が掲げられた。
ついで9月30日、共産党が立憲民主党に対して、これら「合意した政策を実現する範囲での限定的な閣外協力」を行うことを約束した。
しかし立憲野党の選挙結果は事前の予想を下回り、れいわ新選組が三議席勝ち取り、社民党は現有一議席を維持したものの、立憲民主党が13議席、共産党が二議席それぞれ選挙前勢力から減らした。野党共闘によって多くの激戦区が生まれ、競り勝った小選挙区が複数あった一方で、80%以上の惜敗率で競り負けた統一候補が54名にも及んだ。投票率は上がらず、比例区でも立憲野党は総じて伸び悩んだ。メディアには「自民党、絶対安定多数確保」「維新躍進」の見出しが躍り、「野党共闘は失敗した」とこぞって論評がなされた。立憲民主党の枝野代表は辞任表明し、まるでメディア総出で野党共闘を葬り去ろうとするかのようなネガティブーキャンペーンが選挙後も続く。立憲民主主義の危機に立ち上がった野党共闘はもはや限界に達したのか。
実は、日本の政治体制は過去すでに二回、自民党とネオリべ(新自由主義)右派勢力に制圧されかかったことがある。一回目は、2012年12月衆議院選挙である。(中略)民主党は自公とともに税と社会保障の一体改革に突き進んだ野田佳彦内閣を最後まで支えたいわゆる反小沢系議員が主として生き残った形になっており、96年のいわゆる旧民主党はもちろん98年の民主党結党以来でも最も右に寄った立ち位置にあったと言うべきであろう。筆者は、この時にできた自民党の「一強多弱」の政治システムを「2012年体制」と呼んでいるが、野党も含めて政党政治そのものが戦後史上最も右傾化したのが2012年12月であった。
(中略)12年体制下、右に引きずられた民主党の立ち位置を大きく押し戻し、穏健保守・リベラル・左派勢力の連携を作っていったのが、まさに前述した2015年の安保法制に反対する市民運動の盛り上がりであり、その中から生まれた市民連合の野党共闘の働きかけであった。
この取り組みは民主党が維新の党の一部と合流し民進党へと改組し、その執行部が2016年参議院選挙後に岡田・枝野から蓮舫・野田へとシフトした後も粘り強く続けられた。しかし民進党は内なるネオリベ右派路線の巻き返しに翻弄されつづけ、17年都議選で小池百合子率いる都民ファーストの会との選挙協力に失敗し惨敗すると蓮舫・野田執行部が退陣、つづく代表選では前原誠司が枝野を下した。そして17年10月の衆議院総選挙に際して小池と前原が民進党の希望の党への合流を主導したことで、穏健保守・リベラルと左派の共闘は一旦瀕死状態に陥る。
この危機を救ったのは、枝野や福山ら穏健保守・リベラル政治家たちによる最終局面での立憲民主党の結党であったが、かろうじて希望の党を上回ったものの、史上最少議席数の第一野党としての再出発となった。こうした立憲民主党の踏ん張りを可能にしたのは間違いなく野党共闘への取り組みで蓄積された議会内外のリベラル左派勢力の連携関係であった。
(中略)解散を控えた9月26日に市民連合は民進党、共産党、杜民党、自由党の幹事長・書記長との間でそれぞれ候補者調整と7項目の基本政策に関する要望を確認していた。この直後、前原民進党代表が主導した希望の党への合流決定というネオリベ右派連合の策動によって野党共闘は一度完全に頓挫したが、10月3日に立憲民主党が結党した当日直ちに市民連合は同一の要望を枝野代表に手交し、これを受けて共産党が立憲民主党などの候補者に対して自らの候補者を取り下げるなどして共闘堅持のために献身的な協力を行なった。また組織のない誕生直後の立憲民主党の足腰となり、連合左派の労組や旧SEALDsのメンバーを含めた各地の市民連合に参集した市民が奮闘したのであった。
こうしてネオリベ右派が主導した希望の党による穏健保守・リベラル・左派の連携潰しと保守二大政党制化の企ては不発に終わったが、依然2012年体制は存続し、市民連合は再度、野党共闘の構築と拡大に向けて取り組んだ。まずは希望の党に加わらなかった岡田らの無所属の会に始まり、最終的には一年以上かけた水面下での話し合いを経て18年11月に国民民主党とも17年選挙時の政策要望を共有できることを確認し、野党共闘に向けた対話への参加に漕ぎつけた。19年参議院選挙に際して市民連合は、五月に旧民進党系二党一会派、共産党、社民党と政策合意を交わし、参議院において改憲勢力の三分の二を打破する成果を出した。さらには来るべき衆議院選挙を視野に、同年10月に市民連合は単独でれいわ新撰組との意見交換会を持ち、共闘の枠組みへの参加呼びかけを本格化させた。
立憲民主党もまた「大きな塊」を作ることを目指し、2020年9月に国民民主党と社民党の大部分を合流させ再スタートを切った。これにより立憲民主党は選挙を前に109名の衆議院議員を擁するようになったが、国民民主党に留まった議員らは野党共闘路線から外れ、連合右派からの横槍も激しさを増していった。こうしたなかで今回の衆議院選挙で立憲民主党が選挙前勢力から13議席減らしたことによって、「野党共闘路線は失敗に終わった」と自民党やネオリベ右派勢力が喧伝する事態となっている。
しかし上述した歩みを見ればわかるように野党共闘は単に第一野党が選挙に勝つために便宜的に選んだ戦略ではなく、日本の政治の右傾化を押し戻すために第一野党を穏健保守・リベラル・左派の連携のなかで再構築する巾民の粘り強い取り組みでもある。確かに、立憲野党全体としての選挙前勢力を維持、拡大できなかったことは痛恨の極みだが、穏健保守・リベラル・左派の選挙結果としては前回2017年選挙から(そして2013年以降のどの選挙と比べても)前進を遂げている。立憲民主党の代表選に野党共闘をめぐる路線対立を持ち込み分断させようと、自民党やネオリベ右派勢力、そしてメディアがしきりに画策しているが、希望の党の企みを退けたように今回も持ちこたえれば、むしろ政治システムの右傾化を押し戻していくための足場を固めることができる。(以下略)
コメント:野党共闘の灯を決して消さないようにしなければなりません。それは日本を再び、戦火の渦に巻き込ませないようにするためです。自民や維新などの右派勢力は、中国と戦争するために憲法を改正しようとしています。しさひ「どんなことがあっても」戦争だけは避けなければならない。なぜなら、戦争は勝つとは限らないし、勝った場合でも、大きな(人的)犠牲が伴うからです。今日本が外交上の問題に直面しているとしたら、戦争ができない、しないことを大前提に、どうすれば侵略を阻止できるかを考えるのが筋です。外交で失敗し、専守防衛で武力を行使する場合でさえ、一度自衛隊を全部国連軍に編入して、国連の平和維持軍として(日本を守るための)活動するべきなのです。錦の御旗(大義)のない戦闘は私闘に過ぎないからです。
野党連携に関して、朝日新聞にも論文がありましたので、ご紹介します。
朝日新聞12月13日「野党共闘、問われる立憲」衆院選で複雑骨折、理念の実践を 南彰
…今回の「限定的な閣外からの協力」という共産との合意は「中身を説明できなかった」(立憲の小川淳也政調会長)などと不評を買った。より幅広い層に理解されるよう、内容を見直すことは必須だが、野党共闘という戦術自体を否定することは早計だ。
本質的な問題は、野党第1党としての立憲の魅力不足にある。
東京五輪が開かれた1964年。社会党の成田知巳書記長(当時)が党機関紙で同党が弱い理由を3点挙げた。のちに「成田三原則」と呼ばれる。一つは選挙期間前からの地域住民への働きかけが弱いという「日常活動の不足」。二つ目に組織としての実体がなく、議員がいるだけという「議員党的な体質」。三つ目が「労働組合依存」。この3点は、2回目の東京五輪を経た現在の立憲の課題に重なる。
自民党に対抗し、「立憲主義」や「人権尊重」「多様性」などを重視する訴えに共鳴する人を増やすには、理念を体現する布陣を整え、具体的で身近に感じられる課題を打ち出し、その解決に向けた実践の場を作ることが必要だろう。泉氏が「男女同数」の執行部にしたのは第一歩と受け止めたい。地方選挙で仲間を増やしながら、NPOや地域団体との連携を進め、現場から変化を実感させていく取り組みが求められている。
コメント:市民との連携が何よりもまず大事です。そのためには幹部が総出で、全国各地で、政治討論会を開くことをお勧めします。今なら未だ参院選には十分間に合います。民意から遊離しないこと。これに尽きます。またそれこそが国民民主や維新のアキレス腱(民意から遊離した特異の国家主義)にもなっているのです。とここまで書いたら、青空対話集荷を始めるという記事がありました。
関連記事:立憲、青空対話集会、全国でスタ−ト。
https://mainichi.jp/articles/20211220/k00/00m/010/156000c
2060.維新は何になりたいのか 21/12/17-19
(中国と)戦争だ戦争だと騒ぐ安倍晋三。
外敵を想定して結束を図るのは、独裁者の常套手段。
安倍は派閥のトップになったものの、求心力はない。
だから存在感を示すために焦っているのだろう。
一方、改憲で大騒ぎしている維新。
コロナで手一杯の今、一体どれだけの数の国民が、
憲法論議が必要だと言っているのだろう。
超保守の国民を取り込み、保守の二本柱の一つに
なりたいというのが維新の目標なら、
自分達が理解できない憲法などを持ち出さずとも、
ひたすら自民にゴマを擦っていれば良いのである
与党も、国民民主も、維新も恥を知れ。
今は憲法議論をしている暇などない。
何故なら間違いなく第6波が来るからだ
もう水際対策で、14日待機の意味はない。
既にウイルスは市中にいるものとして
市中感染の拡大防止に全力を傾けよ。
そのためには積極的に検査も拡大せよ。
厚労省は五輪の時と同じ愚策を繰り返すな
・森友、金払えば済む問題ではない。
https://www.asahi.com/articles/ASPDH6F0KPDHPTIL030.html?iref=comtop_ThemeLeftS_01
関連記事:書き残された佐川局長の指示、それでも再調査拒む国。
https://www.asahi.com/articles/ASP6Q7DW4P6QPTIL01G.html?iref=comtop_ThemeLeftS_02
・自宅療養、その現実。
https://www.asahi.com/articles/DA3S15144266.html?iref=comtop_Opinion_02
関連記事:根性論では救えぬ命。
https://www.asahi.com/articles/ASPDH3T39PCZUTIL040.html?iref=comtop_Opinion_01