「WTWオピニオン」
【第146巻の内容】
「絶望との戦い」
「全員入院見直し」
「年頭所感」
「雪の朝」
「コロナ禍と医療崩壊」
「宮台真司」
「町医者の苦闘」
「感染者が出たら」
「聞き流し」
「コロナと共存」
2061.絶望との戦い 21/12/25
電動キックボードの歩道走行が認められた。
低速走行で免許のいらない自転車が、
死亡事故を含む多くの事故の原因となっている。
動力のついたボードの時速6キロが、
歩道上で守られる保証もない。
しかもボードに高齢者は乗らない。
乗るのは免許のない若者だ。
これから何が起きるのか容易に想像できる。
それは歩行者との無数のトラブルだ。
そして起きる必要のなかった事故。
失われなくてもよかった人の命。
警視庁は許可の根拠を明示せよ
以下の拙著は、内容的にクリスマスのムードには相応しくないかもしれないが、逆にクリスマスだからこそ、敢えて取り上げる意味があると考えています。
大阪のクリニックの放火殺人に留まらず、自暴自棄のテロが模倣犯の形で増えている。何らかの個人的な事情が、自死を願うところまで人を追い詰めるのだろう。しかし自分一人で死ぬのは嫌だ。だから、他人を巻き添えにする。または、自ら自殺する勇気がないから、人を殺してでも死刑になろうとする。これこそが最期の、そして究極の身勝手である。
言ってはいけないことを承知の上で、不都合な真実を言わせて貰えば、そんな身勝手な人間だからこそ社会が受け入れなかったのかもしれない。しかも彼らに共通しているのは、自分が手にかけた人達に対して、申し訳ないという気持ちを殆ど持たない点である。これは何を意味しているのか。おそらくそこには、幸せそうな他人と不幸な自分という、対比があるに違いない。犠牲者への共感が欠落しているのは、巻き添えにするのは自分と同じ不幸な人間ではなく、別種の人間だと考えているからだろう。
そういう犯人でも、おそらく何の努力もしてこなかったわけではないだろう。能力に大きな差があったとも思えない。後になって分かるのは、親の離婚等で、家庭環境が悪く、愛情面でも経済面でも恵まれていなかったこと。学校や職場で差別された経験を持つことなどである。社会に出る前に、既に大きなハンディを背負わされているのだ。それでも強い精神力さえあれば、逆境を撥ね返すことが出来たかもしれない。でもそれは誰にでも出来ることではない。そもそもハンディだって自分の責任では無いのである。無論、いかなる逆境をも跳ね返して、名声や財産を成す者も確かにいるが、それは間違いなく少数であろう。
強い精神力を持たない普通の人間が逆境に追い込まれたら、誰でも凶行に走る可能性があるが、実際にテロを実行するものは、そのうちの極く少数だろう。他人を傷つけたいという歪んだ欲求の動機は、それが現実からの逃避であると同時に、自分を見捨てた社会への報復でもあるからだ。でも凶行を考えている者を、テロの実行へ押しやる動機があるはずだ。越えてはならない一線を超えさせる強い動機とは何だろう。私はそれは絶望(感)だと思う。いま生きているのが辛い。これ以上生きたくもない。生きても良いことなどなかったし、これからもないだろう。自分を肯定できないし、自分の人生に生きる価値を見つけることもできない。生きる希望が持てない。それは即ち絶望である。
ではどうすれば絶望の渕に沈んでしまった者を救いあげ、自分と他人を傷つけることを思い留まらせることが出来るのか。それは誰にでも生きる権利がある(だからこそ他人を殺めてはならないのである)事、どんな人間にも地上に存在すべき理由があることを、誰かが本人に伝えることだ。切羽つまった人間を救えるのは、金でも物でもなく、他者の理解と共感だろう。人を救えるのは畢竟、人でしかないのではないか。
ここで思い出すのは、宗教の役割だ。魂の救済を目的にしているはずの宗教は、今どこで何をしているのだろう。宗教の目標は、愛であり、憐みであり、癒しであろう。しかし今、世界中で悲惨な事件が起きているのに、世界の主要な宗教は沈黙したままである。カソリックとおぼしきトランプはやりたい放題、アラブの過激派は市民の殺戮を継続。蛮行を重ねるミャンマーの軍人は仏教を信仰しているはずではないか。ところが道徳や宗教の代わりに世界を席巻しているのは、拝金主義であり、非情な新自由主義である。非道や非人間性を諫める力が、全く機能していないのだから、世界が間違った方向に進むのは当たり前である。宗教団体が利権団体となり、カネを追求し始めている例もある。
確かに科学万能の時代に、宗教が自分の存在を主張するのは難しい。絶対的存在などと急に言われても、何に対しても懐疑的で虚無的な若者は戸惑うだけだろう。一方で、量子力学など最先端の科学は、粒子とその存在に疑問を投げかけ、我々の住む宇宙もホログラムだという説まである。即ち、何を信じたらよいのか、いまや誰にも分からないのである。我々はそんな時代に生きているのだ。とはいえ、なんでも宇宙人のせいにする説明も荒唐無稽だ。なぜなら、奇跡をおこなうのが単に神から宇宙人に変わっただけだからだ。宇宙人は人間の精神世界などに関心はなく、まして人間の道徳や善悪の観念など知ったことではないのである。即ち宇宙人は神ではないということなのだ。
人間の苦悩と絶望から精神(魂)を救えるもの。絶対的存在でなければ、それは今のところ同じ人間でしかない。かたや人間を取り巻く環境として必要なものは、誰にでも居場所のある社会構造と、大きな貧富や生活程度の差のない経済構造である。それらと同時に、個々人が豊かな精神生活を送る為の内的な条件として、我々の心のうちに、現代に相応しい、新しい概念の倫理観や人生観が必要なのではないだろうか。
我々は、この21世紀、又は令和という、大きな節目の時代にたまたま居合わせてしまっただけなのかもしれない。ところがじっとしていれば、おそらく人間は精神的な熱死(極限的なエントロピー)状態になり、核戦争などの破滅的なの破壊の前に、人間であり続けることを止めてしまうのではないか。閉塞感に満ちた現代にあって、我々はそれと感じないままに、「絶望」の渕にじりじりと引き寄せられてゆく、言い換えれば死の行進の中にいる恐れがある。だからじっとしているわけにはいかない。自分の力で、積極的に自らの精神世界を切り開いていかないと、早晩我々全員が、絶望から凶行に走る者と同じ精神的境遇に陥ってしまう恐れもある。大げさに考えれば、それは善と悪との戦い、神と悪魔の戦い、存在と無との戦い、即ちアルマゲドンが、人類の精神を戦場にして、繰り広げられようとしているのかもしれない。だから自らが、進んで変化していかないと、人類は滅びるかもしれない。戦争などによる物質的な消滅の前に、精神的に行き詰まり、退化する可能性も考えられる。その兆候は地球上のいたるところで見ることができる。トランプしかり、プーチン、習近平しかり、安倍晋三しかり。
外的な条件に話を戻すと、現在のような社会の仕組みでは、今後もテロは増え、無関係な一般市民が巻き添えになる可能性が高い。だから人間と同時に、政治も、経済も変わらなければならない。精神的な枠組みとしての道徳も倫理も宗教もしかりである。社会的な仕組みが変化し、我々が自らの精神生活を(宗教も参考にしながら)一層豊かに、しかも強く、しなやかなものにすることで、初めて21世紀に相応しい新たな価値観を自分の内に打ち立てることができるだろう。そのためには、21世紀にふさわしい、未来的な価値観と倫理観とはどういうものであるべきか。それを考え続けることが、令和に生きる日本人に課せられた使命だとも言える。但し、そこでは常に二つの要素を念頭に置く必要がある。それは無私と利他である。そうでないと自民党や、新興宗教のようになってしまう。
現在の格差社会では、世代を重ねるごとに、格差が拡大してゆく。無論努力次第で、その差を縮めることはできる。しかし、おおむね上層階級には資産があり、高学歴で、親譲りの優秀なDNAまで揃っているのだから、自分のような一平民は、対等に競争するのも容易ではない。しかも日本社会では一度失敗すると烙印が押されて、再起が極めて難しい。一方、人間は資産とIQがすべてではない。人間社会では、人柄(人格)も大きな要素だ。包容力や共感力も重要である。単純に考えても、人が良く、明るくて、面倒見が良ければ、誰からも好かれるだろう。そういう人なら、忙しくて人生に絶望している暇もなくなるかもしれない。しかし人に好かれるためには、まず自分から人を好きになる必要がある。そのためにも、まず自分にとらわれるのは止めた方が良い。自分を憐れんだり、落ち込んだり、他人を恨む時間があれば、自分の外の世界に興味の対象を探すことだ。自分の殻から一歩、外に出るコツがつかめれば、絶望の問題の半分以上は、解決したも同然である。自分と世界が、ガラッと変わることに驚くだろう。
そして、個人の人格形成、もしくは成長とともに、政治はやはり大きな影響力を持つ。競争に負けた弱い人間を、救い上げるはおろか、さらに追い詰めるような社会の仕組み、特に経済格差の拡大政策(竹中平蔵の新自由主義)及び、自尊心を踏みにじる生活保護の仕組みが、自殺、他殺を含む、刹那的で虚無的な犯罪の後押しをしていることを、いつになったら政治は気が付くのだろう。政治も行政も、弱者が社会で居場所を失くして、追い詰められてゆくのを、黙って見ていてはならない。自助もあれば、当然公助もあってしかるべきなのである。
2062.全員入院見直し 21/12/30
年末の家の片づけを始めて3日目。2年前に賞味期限が切れた備蓄用の乾パンなどが出てきました。最近は地震も多く、富士山もいつ噴火するかしれません。コロナに地震に噴火とくれば、踏んだり蹴ったりです。電気を使わない暖房器具も必要です。夏なら、停電だと冷やすことができないが、冬なら多少は大丈夫でしょう。とにかくコロナだけが災害ではないので、いつ何が起きてもおかしくないという覚悟だけは必要でしょう。ところでUFOの存在が昨年公式に認められましたが未だにその正体は不明です。来年はいよいよ宇宙人が姿を現すかもしれません。ご存じかどうか知りませんが、既に宇宙人のミイラが発見されているのです。宇宙人は卵生とのことです。1万2千年前に、6トンもの堅い安山岩で精密な石組みを作った者が誰かも、その技術も明らかになっていません。当時、人類には石器か、せいぜい青銅器しかなかったにも関わらずです。
・オミクロン、全員入院見直し提案。尾身。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6413714
コメント:水際対策しかない日本の時代遅れの感染症法は、市中感染には対応できず、医療現場のニーズにも合わず、その結果、多くの在宅死を出しました。検査も公的機関で行い、民間に勝手に検査はさせたくない。かといって(無症状や軽症の)検査希望者が殺到すれば、病院はパンクする。だから38度以上の発熱が4日続けなければ検査も受けられないなどという非現実的、しかも非人道的な条件を医師会(と厚労省)が出してきました。日本で40万人が死ぬという恫喝をしたのは、数字を弄んだ専門家です。自称専門家の恫喝に振り回され、病院からは検査も治療も拒否される。一体日本の医療はどうなってしまったのでしょうか。なるべく検査をしない(だから正確な感染者数も分からない)というのも、頭の固い厚労省の医官が、医師会の意向を受けて押し通した横車です。現実から遊離した観念輪的な法律や、自称専門家の無責任な発言で、医療現場は混乱し、疲弊し、国民から多数の在宅死を出したのです。このどこが世界有数の医療先進国家なのでしょうか。新たな感染症が出てくる前に、感染症法と、厚労省と、医師会の体質を変えない限り、日本人は21世紀を乗り切れないでしょう。入院できずに命を落とした日本人は、厚労省の医官や、検査を渋った医師会の幹部が、自分で手を下したも同然なのです。戦前の軍事官僚と現在の厚労官僚は、国民の命を二の次にしたという点で良く似ています。国民の命より、省益が優先されたのです。厚労省は悪しき官僚主義の典型例です。今回の専門家の提案を、岸田が受け入れれば、厚労省の厚い壁に、小さな風穴を開けることができるかもしれません。
関連記事:帰省控え、PCR検査続々。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021122800803&g=soc
コメント:これが検査のあるべき姿です。
2063.年頭所感 22/1/1-5
2021年のご愛読、誠に有難うございました。
来年も、懲りずにお付き合い頂ければ幸いです。
コロナとプアな政治・行政に翻弄された21年でした。
22年には参院選があります。日本の将来を決める大事な選挙です。
間違っても、自民が改憲の音頭を取るような結果になって欲しくはありません。
2022年が穏やかに明けました。
根拠はありませんが、2022年は激動の年になる可能性があります。
紅白豚合戦の感想です。台本にない大泉洋の暴走葉プラスには作用していませんでした。ベストナンバーは残酷な天使のテーゼでした。最悪はBishで、音程がずれまくり。ベストグループはキングヌーでしょう。トリで、ミーシャが、布袋や福山より優れているとも思えませんでした。絶叫すればいいというものでもないので、曲が良くなかったのかもしれません。NHKの朝ドラや、五輪が番組のバックボーンになっていましたが、東日本大震災からの復興についてはわずかに触れたのみで、現場でコロナと戦っている、医療関係者や患者への言葉がなかったのは気になりました。またもやNHKは手前味噌(と政府への忖度)の番組を、巨額を投じて作ってしまったのでしょうか。
ユーチューバーでもなく、
ブロガーでもない。
40年、ほぼ毎日続けているのは
ホームページの更新です。
Operator of the website
では言いにくいし、
パブリッシャーでは
出版社みたいです。
作業の内容は編集者なので、
サイト編集者(エディター)あたりが、
実態に近いのかもしれません
年頭なので、2022年の見通しを紹介します。一読のほどを。
・展望2022.日本株堅調。
https://jp.reuters.com/article/outlook-2022-japan-stock-idJPKBN2J306W
・経済成長、日本と世界。
https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/blueprint-for-growth/
・三密から三散の時代へ。五木寛之。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE0623R0W1A201C2000000/
徳川幕府の幕吏
戦時中の軍事官僚
戦後政治の官吏
権力を振るい、省益を優先
議会政治を骨抜きにして
国民を実効支配
そこで民主党が主導権を奪還
ところがアベスガが
官邸の権限を私利私欲の為に濫用
省庁側も政権に媚を売り
省庁の権能の温存を図る
余りにも醜い持ちつ持たれつの関係
日本の政治と行政に倫理を取り戻す為には
腐り果てた現行制度に代わる
国民が人事考課できる
斬新な行政システムが必要
元日の相棒、杉下右京の言葉である。権力者による自分と友人の為の経済。低賃金で働く労働者は国民ではなくモノなのか。でもどんな人にも生活があり、守りたいそれぞれの幸せがある。生活に困った子供が自己責任を語り、他人に助けを求めることを恥だと思う。それが豊かな国と言えるか、公正な社会と言えるか。劇中で 与党の政調会長(!)に抗議していた。 どう思うか。竹中平蔵や、安倍晋三、麻生太郎、そして高市早苗は。
ところでマンネリの笑点。メンバーが交代したが、去るべきは三平ではなく木久扇ではないのか。大喜利の答えがずれまくる点をさし置いても、椅子に座らなければ高座に出られなくなった時点で、自分から遠慮するべきだろう。しかもその時期は、本当は木久蔵の名前を子どもに譲った時ではなかったのか。老醜と敢えて言わせてもらうが、似たような例は他にもある。ビートたけししかり、田原聡一郎しかり。年齢は若いが国民民主の玉木にも、それを感じる。逆に有終の美は大島前衆院議長や、塩崎元厚労相だ。あくまで個人的な意見だが。
感染者の100人超えで、小池知事は(都民はもっと)危機感を持てと言った。未だに酸素ステーションなどと言っている人には言われたくない言葉である。自分が対策をするという話ではなく、危機感をあおり、都民をしかり、都民に要求するだけ。毎度のことだ。危機感がないのはどちらなのだろう。この人は自分を何様だと思っているのだろう等と、今更のように訊くだけ無駄というものだろう。吉村知事は会見場所までマスクをし、会見時にはマスクを外す。でも小池知事にはその配慮もない。メディアが何度マイクを向けても、とりとめのない精神論のみ。具体的な対策の話はない。誰にも、何の参考にもならない。何が起ころうとも、少なくともそれは自分の責任ではないと言っているだけのこと。この分では参院選も代役を立てて、自分はファーストの会の事実上の党首に収まり、都知事であり続けようとするだろう。維新の真似だ。この人は、何をやっても、徹底的に無関心かつ無責任。なぜメディアは都政における、カネの流れを追わないのだろう。とりわけ選手村の土地の、市価の1/10の価格の払い下げには大きな疑問が残る。都政における収入と支出の関係を、なぜ週刊文書以外は、誰も取り上げないのか。メディア、とりわけ公共放送は小池との敵対や批判を避け、腫物に触るようにしているが、その理由は何なのか。支持者を敵に回したくないからなのか。ならば自民党議員の批判も出来ないはずではないか。是々非々(悪いことは悪い)が出来なければ、メディアとしての存在価値はなく、国民がメディアを抱える必要もない。幻の人気が怖いのなら、(本当に)人気のある吉村知事と比較してみよ。吉村にはメディアが結構批判もしているではないか。小池知事から虚構の人気を取れば、一体後に何が残ると言うのだろう。都民にも是非一度それを考えて欲しい。いまや小池知事は、宣伝と印象の刷り込みで愚民が選ぶ、独裁者の悪しき典型以外のものではないと、私には思えるのだが。
年末の家の片づけを始めて3日目。2年前に賞味期限が切れた備蓄用の乾パンなどが出てきました。最近は地震も多く、富士山もいつ噴火するかしれません。コロナに地震に噴火とくれば、踏んだり蹴ったりです。電気を使わない暖房器具も必要です。夏なら、停電だと冷やすことができないが、冬なら多少は大丈夫でしょう。とにかくコロナだけが災害ではないので、いつ何が起きてもおかしくないという覚悟だけは必要でしょう。ところでUFOの存在が昨年公式に認められましたが未だにその正体は不明です。来年はいよいよ宇宙人が姿を現すかもしれません。ご存じかどうか知りませんが、既に宇宙人のミイラが発見されているのです。宇宙人は卵生とのことです。1万2千年前に、6トンもの堅い安山岩で精密な石組みを作った者が誰かも、その技術も明らかになっていません。当時、人類には石器か、せいぜい青銅器しかなかったにも関わらずです。
2064.雪の朝 22/1/8
都議会は、おかしな案件が紛れ込んでいないか、
22年度の東京都の予算を徹底的に審議せよ。
日本は感染症が拡大しているときは、
それまでに掛かった費用を諦めてでも、
五輪の開催を見送るという
良識ある前例を、世界に示すべきだった。
ところがバッハにそそのかされて、
中止も延期もしなかったので、
日本に負けまいとして、中国が無理やり
五輪を強行しようとしている。
その結果、オミクロンの感染爆発が
中国で起きることになるだろう
自宅では、都心より少ない積雪4pでした。この日の為に、11月中にタイヤ交換を済ませてあり、チェーンも4本分用意してあります。降雪があれば、ゴルフGTIのエンジン+アウディクワトロ(4駆)の実力を確認しようと思っていたのですが、出かける前に雪は溶けていました。近所の雪道でブレーキをかけてみたところ、アンチスキッドコントロールが作動していることが分かっただけです。昔は家族で毎冬スキーに行っており、雪道は珍しくありません。雪の多いブルガリア駐在中も、前輪駆動のゴルフとスパイクタイヤで冬を乗り切りました。
とはいえ東京の雪を舐めてかかるつもりもありません。秘訣は単に夏タイヤで雪道を走らないというだけのことです。大雪の予報が出ようが出るまいが、12月までにスタッドレスに履き替え、半年は冬タイヤで運転しています。
今日ホームセンターに行ってみたら、融雪剤が完売していました。3年前に買ったペットボトル入りの融雪剤が固まっていたので、ボトルをカットして取り出し、砕いて別の容器に移し替え、家の前に撒きました。
・首都圏大雪。都心で500人超が負傷。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6414519
・宇宙から見た関東の雪。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6414514
ところで北京五輪が始まります。ゼロコロナを標榜している中国は、人命も顧みない封じ込め作戦に出ていますが。オミクロンはデルタと同じ対策では封じ込めないでしょう。何が起きるかは、米軍が持ち込んだオミクロンでパニックになっている日本を見れば分かるはずです。東京五輪では、感染症が拡大しているから、準備が終わっていても中止を断行するするという良識こそ、世界に示すべきだったのに、その逆をやってしまいました。だから北京が暴走しているのです。東京が開催できて、北京が開催できなかったら、市長は間違いなく首になるからです。即ち、バッハと菅と橋本と小池は、良識を封じ込めた東京五輪と、北京五輪という二つの禍根を、五輪の歴史に残したのです。しかも小池や橋本は、東京五輪は大成功で、1周年記念行事を計画するとまで言っています。自分だけが大事で、大所高所からの判断ができない彼らに、政治家の資格はありません。
2065.コロナ禍と医療崩壊 22/1/11-12
今の世の中に足りないものは、
正義と、自由と、平等と、共感と、思いやり。
それらは、基本的人権と、生きる希望の基盤だ。
一方、あるものは、差別と、閉塞感と、貧困と、孤独と、暴力。
それらは、無気力と絶望をもたらす。
世界を世紀末の虚無感が覆い始めている。
なぜなら人類の精神が崩壊、もしくは病み始めているからだ。
人間を人間たらしめているもの、
動物と決定的に異なる存在にしているものは、
考える力と、感じる力、即ち精神または魂(ソウル)である。
我々は今こそ、人間の原点に立ち戻る必要がある。
そのためにはもっと社会や自然を知る必要がある。
知りたいという意欲を持つ必要がある。
そして手を取り合って、21世紀のルネッサンスを
開花させないと、人間の精神が崩壊を起こし、
やがては人が人でなくなるという形で、
人類の終焉を迎えることになるだろう
刑罰後進国日本。絞首刑を中止せよ。刑務官の証言では、落命するまでに平均14分かかる。最長は20分以上。まさに死の苦しみ。罪は命で贖うのだ。そこに苦しみをつけ加える必要はない。
今回と次回の前書きは、雑誌世界2月号の論文のご紹介です。今やこの雑誌だけが、日本の良識を支えているかのようです。文春の方が部数は多いと思いますが、ゴシップ色が強く(大衆向き)、寄稿者のレベルも異なるので、読者層は異なるでしょう。但し文春(含む週刊文春)はニュースを発見し、世間に知らしめる影響力が大きいので、文春で事件の存在を知り、世界で掘り下げるというスタイルもありそうです。
なぜ私が雑誌を直接読めば分かることに、なくもがなのコメント迄つけてご紹介しているのかを説明します。それは一人でも多くの人に、国営メディアや大新聞が伝える事件や、その解釈が全てではないことを知って欲しいからです。
世界2月号から
1.「京都・ウトロ地区放火事件」問われるヘイト犯罪への対応。中村一成から。
ついに日本のヘイト犯罪はここまで来てしまった。十年余、ヘイト問題を取材してきた一人としての実感だ。
2021年8月30日、京都府宇治市の在日朝鮮人集落「ウトロ地区」(約60世帯、100人)で住宅や倉庫など七棟が全半焼した火災で、京都府警は12月6日、奈良県桜井市の22歳男性を非現住建造物放火の疑いで逮捕した…。
ウトロ地区をめぐっては08年以降、計13回の差別街宣が繰り返されており、ネット上には動画と誹謗中傷が溢れている。10年以上、「何をしてもいい攻撃目標」と喧伝されてきたのである。誰かが凶行に走っても不思議はない状態だった。
同種余罪の疑いもあり、本件は人種、民族など特定の属性を持つ者への差別意識を動機とした犯罪「ヘイトクライム」の可能性がきわめて高い。警察は、公式には認否すら公表していないが、NHKの続報によれば、彼は容疑を認め、「日本人の注目を集めたくて火をつけた」と供述しているという。この場合の「注目」は「支持」と言い換えてもいいだろう。
著名レイシストでもない彼が、マジョリティの「注目」を求めた時、その手段は朝鮮人集落に放火することだった。この社会における朝鮮人差別の水位はそこまで上がっている。
ヘイト暴力は偏見から差別、そこから暴力、ジェノサイドへと過澂化することは歴史が証明済みだ。京都朝鮮学校襲撃事件が起こった2009年から12年経った今、政府や捜査機関が黙認する中で、ヘイト暴力は次の局面に入ったと思う。
警察広報が、火元は「空き家」だったと強調したことや、記者の意識の低さもあって、新聞・テレビの報道は物的被害を強調した。だが半焼した二棟には二世帯計五人が暮らしていた。(以下略)
コメント:私は不勉強で、この事件のことは知りませんでした。詳しくは、本文を読んで頂くとしても、私が注目したのは、政府や捜査機関が黙認という箇所です。同じ日本に住んでいるのに、基本的人権さえ守られない、警察が犯罪を見て見ぬ振りをする社会に生活していることに衝撃を受けました。これでは安倍夫妻が、みじんの反省もなく、赤木氏への追悼もなく、暴言を繰り返し、高市がネトウヨの絶大な支持を受けているのも分かります。
2.「認諾官僚たちに告ぐ、ふざけるな」赤木ファイルを読む(中)、金平茂紀から。
国家の立ち居、振る舞いが、ここまで卑劣、卑怯であることを堂々と晒してしまっていいものなのか。衝撃的な第一報が筆者の携帯電話に入った。
「国が認諾したんです。丸飲みです。国は、これで裁判を終わらせると言っているので、それを止める手立てがあるのかどうなのか…」
2021年11月15日午後二時から大阪地裁で行われた原告、被告、裁判所の三者による非公開の進行協議の場で、開始からわずか二分後、国側代理人が突然、用意してきたA4判の三枚の書面を取り出した。 全くの不意打ちだった。非公開の進行協議の場であった大阪地裁809号法廷にいた原告・赤木雅子さん、雅子さんの代理人である松丸正弁護士、生越照幸弁護士の三人は同じ怒りの思いを共有していた。「ふざけるな」。
認諾とは、民事訴訟の手続きで、被告が、原告の請求が正しいことを認めて、それをもって裁判を終わらせる訴訟行為のことをいう。認諾は、被告が原告の言い分を認めるという点で、自白や和解と似ているが、重要なことは、認諾は、原告の請求そのものである「訴訟物」を認めるものなので、原告が主張している事実を認める自白とは異なっている点である。つまり、この件の場合、原告の主張を裏付ける数々の事実(例えば最重要証拠である「赤木ファイル」の存在など)を何ひとつ認めておらず、賠償金の請求額そのもの(‥訴訟物)を丸ごと認めて受けいれたということなのである。
提訴から1年9ヵ月。これまで積み上げてきた訴訟にまつわる膨大な作業が、一瞬にして水泡に帰した形となった…。
財務省本省の改ざん方針の特徴は、とにかく理財局及び理財局長の直接関与を示す、あるいは示唆する部分は徹底的に削除することだったが、それと同時に国交省の大阪航空局との協働作業部分を消すことだった。そして、政治家サイドからの働きかけ、とりわけ、元首相、安倍晋三・昭恵夫妻との関連をうかがわせる記述は最優先で削除されていた。
具体的に国、財務省が最も避けたかったのは、これらの証人尋問が実現してしまい、法廷で改ざんの経緯がつまびらかになることではなかったか。そう考えれば、認諾によって、まさに真相の隠ぺいが司法の場においても為されたことになる。裁判所の民事法廷でさえも、真相の解明に乗り出せない限界のある場所でしかないのか。
だが、以上のような小西次長の改ざん行為について私たちが最も留意しなければならないことは、大阪地検特捜部が、自分たちに任意提出されてきた行政文書が改ざんされていたものだという事実を、この「赤木ファイル」によって把握していたということである。これ自体が言うまでもなく衝撃的な事実である。端的に、地検に提出された文書は直前に改ざんされており、地検はそれを知っていたのだ。
…改ざんの事実を把握していながら、それを握りつぶしたということになれば、それ自体が罪ではないか。…当時の大阪地検特捜部長は山本真千子氏である。刑事告発された佐川元理財局長や美並元近畿財務局長ら38人全員を不起訴とした後、栄転に栄転を重ね、現在は大阪高検次席検事兼法務総合研究所大阪支所長の地位にある。
腐敗は連鎖する。検察や会計検査院といった、本来は腐敗を監視するべき役割の部署も容易に腐敗する。森友事件当時、検察庁全体で最も高い地位にあった黒川弘務元東京高検検事長は賭けマージャンで失脚したが、政治の腐敗を監視するどころか、検察全体の腐敗を逆に拡大する役割を演じたのではないか、と批判の矢面に立たされることになった。財務省やその出先機関、近畿財務局においても然り。
赤木雅子さんと国とのあいだの訴訟は終わった形になっても、佐川元理財局長との訴訟はまだ継続している。その法廷で、佐川氏本人や先に記した関係者の証人尋問が行われる可能性もまだ残っている。だが、実は佐川氏に対する訴訟では、より大きな射程の戦後裁判史上に特筆されるべき主張が、雅子さんおよびその代理人から提起される事態が予想される。(以下、次号)
3.「デジタル・デモクラシー、ビッグ・テックとの闘い」内田聖子から。
…クリス・スモールズはなぜアマゾンに組合が必要なのかを訴えた。
「私にとってまさに生きるか死ぬかの問題でした。誰もがそうなる可能性があるし、実際多くの人が解雇されています。だから一刻も早く組合を作って対抗する必要があったのです」
米連邦法の規定では、労働組合を結成するにはまず職場の全従業員の30%以上の署名を集める必要がある。これをクリアすると、全従業員による投票が行なわれ、過半数の賛成を得れば結成となる。
1994年にインターネットの小売業からスタートしたアマゾンは2010年以降は「テクノロジー企業」へと変化し、今や世界の巨大IT企業となった。しかしGAFAの中でアマゾンが唯一異なるのは、膨大な数の従業員を雇用する点だ。倉庫内の業務の多くは自動化・ロボット化されてはいるが、顧客からの注文から出荷までには多くの人の手が必要だ。また配達員なしでは商品は顧客に届かない。つまりアマゾンのビジネスモデルにとって、倉庫労働者や配達員はまさに不可欠(エッセンシャル・ワーカー)なのである。
ところが、アマゾンの労働者軽視、反労働組合の姿勢は有名だ。ジェフ・ベゾスの経営理念は「顧客第一主義」だが、労働者への敬意はどこからも読み取れない。徹底した能力主義を導入し、面接で「ワークライフバランスを重視」などと答えた人物はことごとく不採用。プライペートも投げ出して働くことが当然という社風で経営を進めてきた。(以下略)
4.「野党第一党に何が問われているのか」南彰から
…衆院選中にも野党共闘を批判していた芳野友子会長はこの日の記者会見で、「立憲と市民連合、共産党との関係で、連合組合員の票の行き場がなくなったのは事実」と主張。
…しかし、共産系と労働運動で対立してきた歴史的経緯を踏まえても、小選挙区制の下では共産も含めた候補者一本化が欠かせないとの意見は連合内でも根強い。共産との連携に敗因を帰した衆院選総括をめぐる議論について、連合幹部の一人は「答えのない議論をしていた」と振り返る。
野党共闘の否定を喜んでいるのは自民党だ。遠藤利明選挙対策委員長は衆院選をこう振り返った。
「衆院選は決して楽な選挙ではなかった。連合会長が共産党(との共闘は)ダメよと、そんな話をしていたこともあって勝たせていただいた」
連合の衆院選総括のなかには自省も盛り込まれていた。
「連合は市民や国民に頼りにされる存在になっているのか、とりわけコロナ禍で困窮の度合いを深めている非正規雇用の労働者やフリーランス、女性や若者に寄り添った運動ができているのかは真摯に省みる必要がある」…
安倍政権の安保法制強行に対抗したメンバーの対談をまとめた『2015年安保 国会の内と外で民主主義をやり直す』(岩波書店)。語っているのは、のちに立憲の幹事長になった福山哲郎氏(当時は民圭党参院議員)だ。過去のいきさつなどを引きずってまとまれなかった野党勢力の突破口を、国会前デモに見いだしていた。
それが花開いたのが、2017年の衆院選で、小池百合子東京都知事が結成した「希望の党」への合流をめぐって民進党が分裂した際に、枝野氏や福山氏が立ち上げた立憲だ。
小池氏が迫った「安保法制賛成」への同意という、リベラル勢力排除の踏み絵を拒み、「まっとうな政治」を訴えた。SNSを駆使して超党派に呼びかけ、フェスを意識した活動スタイルは、国会前から始まった街頭民主主義を意識したものだ。三倍の候補者を擁立した希望の党を上回る1100万票の比例票を獲得し、野党第一党に躍り出たのは、国会前デモを支えた力と枝野氏の巧みな政治技術が結びついた成果だった。
その後も「一強多弱」の国会を変えてほしいという国会前の市民の訴えが原点である「野党共闘」を進めてきた…。
より難しい時代になっているのは、さまざまな社会運動の基盤になってきた労働組合が細り、運動を起こしたり、支えたりしていく力が弱っていることだ。運動から手をひき、与党への陳情に傾斜する組合も少なくない。これまで以上に政党自身が、各地の運動をエンパワーメントしながら、理不尽をただし、新しい社会を求める幹を太くしていく取り組みが必要になってくる…。
ヒントになるのが、東京都世田谷区の「世田谷D.Y.I道場」だ。保坂展人区長が「観客からプレーヤーへ」を合言葉に、市民との対話を通じて政策を考え、実践していく場にしていた。自民党政治が重視する伝統的な家族モデルが崩れる中、いかに地域で支え合いの社会を作っていくか。
「空き家活用」などの具体的なプロジェクトを呼びかけることによって、これまで政治に関わっていなかったという30-40代のメンバーが多く集まっていた。
テーマによっては、野党共闘のつなぎ役になってきた「市民連合」を社会運動のプラットフォームへとリニューアルしていき、緩やかに連携していくのも一つの方法かもしれない。市民連合が21年の衆院選で野党四党と結んだ20項目の共通政策は、「ジェンダー平等」や「平和」「地球環境問題」などを重視した内容で、安保法制反対から始まった運動の新たな到達点だった。次なる活動への芽となりうるものと言える…。
「批判ばかりという党のイメージを変えたい」という泉氏の主張と一見重なるが、保坂氏の政策は「国会の質問王」などとして、現在の政治のあり方に鋭い批判的検証を重ねてきた成果でもある。しっかりとした提案と批判・追及は表裏一体のものだ。
立憲が単に批判や追及を緩めれば与党の思うつぼであり、参院選に向けて岸田政権との対決色を強める維新に「政権監視役」の座を奪われかねない。
21年12月8日のBS日テレの番組。自民、公明の選挙協力と、立憲、共産の選挙協力は「有権者から見ると全然違う」とキャスターから問われた泉氏は「実はそんなことはない。自公がくっつき始めたころも、国民の皆さんの反発は非常に強かった」と反論した。
たしかに自公が初めて国政選挙で協力した2000年の衆院選では、自民は271議席から233議席へ、公明は42議席から31議席へと、議席を減らした。直後の朝日新聞の世論調査では、自民、公明、保守の三党による連立政権について51%が「よくない」と回答。
野党共闘という戦術を否定することは早計だが、「国会での協力」など、より実態を反映した言葉に変えていく必要がある。共産党の調査能力や国会質疑には定評がある。官邸に権限が集中するいまの政治システムのなかで、国会の行政監視能力を高めることは重要な課題だ…。
「現実的」や「中道」の名のもとに、無原則な現状追認に陥らないよう留意しながら、政権の外交・安保政策を徹底的に検証し、自分たちの主張を固めていく必要がある。特に2015年のとき、憲法9条で禁じられてきた集団的自衛家の解禁に対して多くの国民が抱いた不安の本質を見失ってはならない。
5.「新しい資本主義への社会を拓く」寺島実郎から
この10年、日本は二つの災難に見舞われた。2011年の東日本大震災と、2020年からのコロナ・パンデミックである。二つの試練への対照的な対応は、日本の分配と負担を考えるうえで、重要な先例となっている。
東日本大震災に対しては、復興特別税を財源として立ち向かうことにした。2013年から25年間、個人所得税額の2.1%を復興特別所得税として課するというものである。特別復興法人税は2012年度からの2年間としたが、個人所得税を払っている国民はこれからも15年間、財源を負担し続けるのである。例えば、課税所得600万円の中間層サラリーマンで年間1.7万円、25年で43万円を負担することになっている。コロナ対応は財政出動ということで、表面的には国民個人の懐は痛まない形になっている。(以下略)
コメント:なぜ法人は2年間だけで良いのか。取りやすいところから取るという哲学を、日本政府は持っているとしか考えられない。
6.「コロナ禍による医療崩壊」伊藤周平から
…感染の劇的な減少は、新型コロナーワクチンの効果といわれているが、検査数が欧米諸国に比べて極端に少なく、無症状や軽症の感染者の実態を把握しきれていない可能性がある。また、ワクチンの効果が接種後半年以上たつと、とくに高齢者において弱まることが判明し、世界各国で新たな変異株(オミクロン株)もみつかり、感染が再拡大、日本でも新型コロナの第六波の感染拡大が懸念され、医療提供体制の確保が重要な政策課題となっている。
一方、自民党総裁選を経て岸田文雄政権が成立、衆議院総選挙では、立憲民主党と共産党を中心に「市民と野党の共闘」が進み、候補者の一本化が七割の小選挙区で実現したものの、結果は、自民党が選挙前の議席を減らしたとはいえ、単独で過半数の261議席を得て、公明党と合わせて与党で293議席と安定多数を確保した。もっとも、小選挙区では、前回衆議院選挙との対比で野党の議席は増えており、「市民と野党の共闘」による候補者の一本化は一定程度、成功したといえる(議席が減った理由は、立憲民主党の比例区議席減による)。
与党の大勝は自公政権のこれまでの医療政策・コロナ対策の失敗が争点にならず、岸田政権の政策スローガンが、野党第一党の立憲民主党のそれと似通っており、野党が政策の差別化を図ることが難しかったことが一因と考えられる。医療崩壊を引き起こしたコロナ失政が選挙の争点とならなかったことは、大阪府が、人口100万人あたりの新型コロナによる死者数が全国一であるにもかかわらず(日本維新の会の吉村知事のコロナ対策は明らかに失敗)、大阪の選挙区を中心に、日本維新の会が41議席を獲得し大きく躍進したことに象徴的に表れている。
新型コロナのパンデミックで医療崩壊や保健所の機能不全が引き起こされた最大の原因は、歴代政権の医療費抑制政策により、病床(とくに急性期病床)の削減や医師数の抑制、保健所の削減などが進められたことにある。
新型コロナウイルス感染症は感染症法の2021年2月の改正で、「新型インフルエンザ等感染症」に位置づけられ、無症状や軽症の人は宿泊療養施設や自宅での療養が可能となっている。
しかし、新型コロナ感染症の場合、無症状や軽症の人でも容体が急変し死に至ることが判明していることからすれば、少なくとも、感染者は医師・看護師が常駐する宿泊療養施設での療養とすべきで、自宅療養は、小さな子がいて家を離れられないため無症状や軽症の人が自宅を希望した場合など、例外的な場合に限定すべきである。
そして、例外として自宅療養を認める場合も、厳格な感染防止策をとり、医師等による経過観察が可能な体制であることが前提となる。
自宅療養中の感染者には、保健所の職員が定期的な健康観察を行なうこととなっているが、業務逼迫で保健所の健康観察もままならず(保健所に電話をかけてもつながらず)、医療対応どころか食生活の対応もできず、事実上の「自宅放置」の状態となった。酸素投与が必要な重症患者ですら入院先が見つからず、しかも在宅の酸素危機が品薄で、体制の不備が顕在化した。
これらの教訓は生かされることなく、医療提供体制の整備は遅れ、第五波でも、前述のように、自宅療養中や入院調整中に死亡した感染者は、2021年七月は31人だったが、同年八月は250人に急増した。また、大阪府では、東京都と比べ高齢者の重症治療割合が大幅に低下しており、重症高齢者に対する治療の差し控えが起きたのではないかと懸念されている。医療崩壊といのちの選別が繰り返されたのである。
新型コロナによる死者の多くは、本来であれば、救えた命が手遅れや入院治療ができなかったために失われた、すなわち医療崩壊(失策による人災)による死亡であったといえる。
こうした医療崩壊という事態に対して、政府は、一般病床を感染症病床に転換した場合の補助金を支給するなど病床の確保対策をとった。また、感染症法に基づき、2021年八月には、国と東京都が連名で、東京都内の医療機関に病床確保や人材派遣を要請した。しかし、一般病床のコロナ病床への転換は容易ではなく、実際、簡単には進まなかった。
諸外国に比べて、病床数が多いといわれてきた日本であるが、日本では精神科病床や療養病床が多く(精神科病床は、全世界の病床のおよそ20%)、本来は福祉施設や地域ケアで対応すべき人たちを病院で対応してきたといえる。その一方で、急性期病床や感染症病床はむしろ少ない状況にある。病床の利用率も、公立・公的病院も民間病院も病床稼働率は平均して75%近い。通常の中小の民間病院であれば、最低90%ぐらいの病床利用率を維持しないと利益が出ないとされている。つまり、日本の医療機関、とくに全体の八割を占める民間医療機関は、低い診療報酬のもと定員一杯の患者を受け入れ、ぎりぎりの医療従事者を配置することで採算をとってきたわけである。
何より、一般病床を増やさずにコロナ専用病床に転換するだけでは、全体の病床数は増加したことにならず、今度は一般病床が逼迫し、通常医療に支障をきたすことになる。
実際この時期、一般の通常医療でも「入院ができない」「手術もできない」という事態が広がり、病名もわからないまま死亡している変死、孤独死が多くなり、老衰などとされている傾向が強まったという。
一般病床の感染症病床への転換が難しいのであれば、臨時に感染症病床を増やすしかない。諸外国では、感染症病床の不足が顕著になった段階で臨時病院を設営し病床を確保してきた。たとえば、新型コロナの感染拡大の初期段階で、中国の武漢では1000人の患者を受け入れ可能な臨時病院が設立されている。アメリカでも、341の臨時病院が建設されてきた。
大規模イベント会場や体育館を利用した臨時の医療施設の設置は、日本医師会の会長も提言しており、厚生労働大臣あての自治体議員有志の要望書(「陽性者の『自宅療養』をやめ、国の公的責任による臨時病院の病床増で入院治療を求める要望書」)でも提言されていた。臨時病院の設置であれば、感染が少ない地域からの医師や看護師の派遣も可能となる。
新型インフルエンザ等対策特別措置法(以下「特措法」)においても、都道府県知事は、臨時の医療施設を設置して「医療を提供しなければならない」旨が規定された。設置の費用も、国が50%から90%を負担する。特措法の文言から、この臨時の医療施設の設置は、都道府県知事の法的義務であり、設置しないという不作為は違法となり、入院できず自宅療養中の放置が原因で死亡した感染者の遺族は、自治体に対して国家賠償法に基づく損害賠償請求ができると解される。
にもかかわらず、全国的には、福井県で100床の臨時の医療施設の設置がみられるにとどまり、感染者数、自宅療養者が最も多かった東京都でも、酸素ステーションの設置ぐらいしかなされず(それも中等症以上の人は対象外なので3割程度しか稼働しなかったという)、臨時の医療施設の設置は遅々として進まなかった。法的根拠があるにもかかわらず、国や自治体は、公的責任で、臨時の医療施設を設置し、病床を積極的に確保する方策をなぜとらなかったのか。東京都で感染がピークに達していた2021年八月には、東京オリパラが開催されており、臨時の医療施設の設置どころではなかったのか。かりに開催を中止にしていれば、オリンピック施設等を活用しての臨時の医療施設や宿泊療養施設の開設が可能となり、多くの人の命が救えたのではないか。感染爆発の時期にオリンビックーパラリンピックの開催を強行した国や自治体の責任が改めて問われる必要がある。
一方で、コロナ禍の中でも病床削減は粛々と行なわれてきた。2019年12月末と2021年4月末とを比較すると、全国で2万6957床もの病床が削減されている。
また、国(厚生労働省)は、コロナ禍を経てもなお、公立・公的病院の統廃合を進めていく姿勢を崩していない。2019年九月に公表され大きな批判を受けた公立・公的病院の再編統合を求める病院リスト(当初424病院)については、コロナ禍を受けて、当初は再編統合の結論が期限を示さず延期されたものの、世界的にみても少ない公立・公的病院(医療機関全体の約二割)をさらに削減しようとする政策志向に変化はない。東京都も都立病院の独立行政法人化を進めようとしている。
2021年の通常国会で成立した医療法等の改正も、医師数の抑制や病床削減を加速させる内容である。2020年に創設された病床機能再編支援事業は、稼働している急性期病床を一割以上減らしたり、病院を再編統合した医療機関に対し消費税を用いて補助金を出す仕組みであり、社会保障の充実のためと称して増税された消費税を病床削減(社会保障の削減)のために用いることになる。
2021年の通常国会の健康保険法等の改正では、高齢者医療確保法が改正され、後期高齢者阪療制度に二削負担が導入されることとされた。とはいえ、後期高齢者支援金にあたる現役世代の負担の軽減は現役世代一人当たりの減少は年間わずか700円にすぎず、最も削減されるのは、980億円の公費負担である。
感染症による重症化リスクが高い高齢者の受診抑制を促進するような二割負担の導入は、感染症対策として逆行というはかない。しかも、二割負担となる対象者の範囲は政令で定めるため、今後、国会の審議を経ることなく対象者の範囲が拡大されていく可能性がある。
第六波の感染拡大に備え、岸田政権は、新型コロナ対策の全体像を提示した。3.7万人の入院が可能になる体制を整え、自宅療養者への対応も、これまでの保健所のみの対応から、地域医療機関などと連携してオンライン診療や往診、訪問看護を行なう体制をつくるとしている。一方で、検査体制については、無料の行政検査は、健康上の理由などによりワクチン接種を受けられない人に限定され、職場や学校で行なう自主検査への支援策は盛り込まれなかった。
これらの対策は、目標の病床や宿泊療養施設を確保する具体策に乏しく、かりに病床などが確保されても、医師や看護師が不足していれば、患者の受け入れは困難となることが予想される。人手不足を招く医療提供体制の抜本的規格が必要なのだが、そのための財政支援などの具体的な施策はみえてこない。また、検査体制についても、体制の充実どころか後退がみられる。
これでは掛け声だけで、必要な病床や検査体制が整備されない可能性が高い。感染拡大の傾向がみられるときには、都道府県の判断で、無症状の人への無料検査ができるように支援するとしているが、少ない検査数では、感染拡大の傾向をつかむタイミングと対策が遅れ、感染爆発に対処しきれなくなる。このことは、これまでのコロナ対策の失敗から明らかなのだが、岸田政権には失策に学ぶ姿勢がみられない。
以上の現状を踏まえ、医療政策の課題を提示する。
短期的には、感染症病床や宿泊療養施設を増やし、今後、感染拡大があっても、新型コロナ感染症者の自宅療養者を限りなくゼロにすることが求められる。特に重症患者の集中が予想される感染症指定医療機関に対しては、国が物的・人的支援を強化し、軽症者についても、医師・看護師が常駐する宿泊療養施設での療養を原則とするべきである。重症化を防ぐ抗体カクテル療法や経口治療も、宿泊療養施設や外来医療などで早い段階で投与できる体制を整える必要がある。
第二に、ワクチン接種と同時並行で、医療従事者や病院の入院・外来患者、高齢者施設の入所者・介護職員、保育所の保育士などに定期的な検査を全額国庫負担で実施すべきと考える。濃厚接触者などに対して保健所の指示で行なわれる行政検査は公費負担で無料だが、症状のない人の検査は自費負担で高額である。ワクチンは重症化を防ぐ効果があるだけで、感染が完全に防げるわけではなく、二回接種しても感染してしまう、いわゆるブレークスルー感染も多数報告されており、クラスターも生じている。高齢者などへの接種にはまだ時間がかかることを考えれば、検査体制の拡充は早急に必要である。
長期的には、現在の病床削減を中心とした医療費抑制政策の転換が不可欠である。地域医療の実態を無視した、病床の機械的な削減をさせないため、地域医療構想に医療機関や住民の意見を十分に反映させることが必要である。
各自治体は、病床削減を進めることを目的とした地域医療構想をいったん凍結し、抜本的な見直しをはかる必要がある。また、前述の公立・公的病院の再編・統合リストは撤回し、高度急性期医療や不採算部門、過疎地域の医療提供などを担っているがゆえに経営の苦しい公立病院へ公費投入をはかり、国際的にみても少ない公立・公的病院の増設をはかっていくべきと考える。
さらに、医師・看護師の計画的増員・養成が必要である。不足している絶対数の増員は当然だが、医師等の地域偏在 を生む地域格差自体の是正が求められる。
コロナ禍による医療崩壊は、日本の医療提供体制がいかに脆弱であるかを明らかにした。同時に、医療は公共財であり、病床の不足で医療が受けられない人が出ないように、医療提供体制を公的責任で整備していくべき必要性を再認識させた。
民間医療機関についても、その運営体制を公共的なものと位置づけ、診療報酬の底上げにより、定員一杯の患者を受け入れ、ぎりぎりの医療従事者を配置することで、採算をとらざるを得ないような仕組みを改善すべきである。医療費抑制政策の転換と公共財としての医療との認識に立った公的責任に基づく医療提供体制の再構築が、いまこそ求められている。コロナ失政による死者をこれ以上出してはならない。
原注:なお、2021年九月下旬には「自宅放置死遺族会」が立ち上り、第六波の感染拡大で同じような死者が出ないように、国や自治体に、自宅で亡くなった人への対応を検証して教訓とすることを求めていくと報道されている(『朝日新聞』)。
コメント:長い論文から、自分に関心のある部分だけを切り取ってご紹介したものです。私が不満に思うのは、いつまで待っても、専門委員会(=政府)によるコロナの総括が行われずに、第6波に突入してしまったことです。なお在宅死亡者の遺族は、自治体を相手取って提訴できることが分かったのは収穫でした。
2066.宮台真司 22/1/14
ネタ的にはやや古いのですが、朝日新聞で宮台真司が衆院選について吠えていましたので、ご紹介します。但し反面教師としての意味合いもありますが、その点についてはコメントをご覧願います。
朝日新聞21年10月15日「2021衆院選、劣化した日本社会」宮台真司インタビューから
既得権守る政府、忖度し続ける官僚、お上にすがる市民
岸田文雄首相が衆院を解散した。何と問うべきなのか。社会学者の宮台真司は、いま直視すべきはコロナ禍で可視化された「日本社会の劣等性」だという。
―コロナ禍での衆院選です。何が問われるべき選挙ですか。
「アベノミクスに象徴される安倍晉三元首相の政治路線を、僕は『粉飾決算』政治と呼んできました。株価上昇や失業率の低下など一部の経済指標のみに注目する一方、『悪夢の民主党政治』と過去を批判する。まるで日本が良くなっているかのように、です」
「しかし実態は、実質賃金は25年間下がりっぱなしです。社会指標に目を転じれば、自己肯定感や子どもの幸福度、家族生活への満足度など、飛び抜けて悪い数字だらけ。『見たいものだけを見る』政治が続き、惨状の自覚が不十分です。でも安倍元首相が元凶だというのも間違い。自民党は1993年に下野して再び政権に返り咲いた後、民主党政権を挟んで続いてきました。悪夢という言葉を使うなら、この惨状は四半世紀にわたる『悪夢の自民党政治』の結果です」
―総裁選から岸田氏は、新自由主義からの転換と、成長と分配の好循環を訴えていました。国会でも再分配のあり方が議論されました。自民党内で「自浄作用」が働いた結果ではないですか。
「違います。そもそも最近の自民党の経済路線を、新自由主義と呼ぶのがデタラメです。『規制改革』の旗の下で、既得権益を持つ大企業が身軽になるよう、雇用の非正規化などを進めただけ。新自由主義とは似ても似つかない」
「証拠は山のようにあります。来国のIT5社に代表されるような新しい巨大企業が生まれていません。欧州諸国の一部で進むエネルギーシフトが起きていない。先日の総裁選で河野太郎氏が持論の核燃料サイクル見直しに言及すると、財界は猛反発した。東日本大震災から学んだドイツが脱原発にかじを切ったのに、日本は既存のエネルギー供給体制に固執した。既得権益の温存で生産性が上がらず、非正規化で社会指標も悪化の一途をたどっています」
―進む格差拡大に歯止めをかけたいという流れで、「新しい資本主義」という言葉が出てきました。コロナ禍を経て、今のままではまずいという意識が政治の側で高まっていませんか。
「そうは思いません。巨大既得権益を身軽にする規制改革を続けるには、貧困化への反発の手当てが不可欠なので、再分配を言い出した。安倍・菅政権が続いていたとしても同じことを囗にしたでしよう。岸田氏が再分配を強調するのも弥縫策です」
「再分配は必要です。しかし日本は、産業構造の転換に必要な政策を採れていません。とはいえ、それも表面的な話で、政策が採れない背景こそが重要です。日本社会の劣化です」
−劣化、ですか。
「近代の日本社会が持つ『劣等性』です。自民党政治が原因という類いの話ではない。象徴が、コロナ禍で注目された自粛警察です。コロナ禍では各国がガバナンスを競いましたが、東アジアで見ると、日本は感染者数・重症者数・死者数で抑制に失敗しています。『お上にすがる』人々が不安になって『お上に従わない』人をたたく、という近代日本の劣等性です。戦前から広く見られました」
「都市化と郊外化が進むと、共同体の空洞化が進みます。すると、人々は人間関係に依拠できなくなる。経済の調子が良ければ市場と行政に依存できるから、気になりませんでした。が、その間進んだのが感情の劣化と呼ぶべき事態です。不安の原因は『お上』にある、いや『お上に従わない人』にある、と他人を責めるのです」
「そもそも、新型コロナ対策の失敗の根幹は、PCR検査の拡大ができないことと、世界一の人口あたり病床数があるのにコロナ病床を確保できなかったことにあります。僕は、厚生労働省と医師会に代表される権益ネットワークが既得権益を優先したからと考えています。だから、現行憲法下での法制度でやれたことがたくさんあった。『既得権益にはさわらない』を前提にした結果、多くの人々が犠牲になったのです」
「『お上にすがる』自粛警察に象徴される日本社会の劣等性は、他でも見いだせます」
―何でしょうか。
「官僚です。官邸に人事を握られ、恫喝と左遷を目の当たりにした。ひたすら上を見て忖度し、自分だけが良いポジションにつけるよう振る舞う。公文書を改ざんし、虚偽の首相答弁の作成に加担する。官邸主導に固執する政治家の悪影響の結果のように語られますが、むしろ、こうした官僚を大量生産する日本社会の劣等性の結果です。そんな日本社会から政治家も生まれてきているわけです。
―ただコロナ禍は日本のみならず、欧米も含めて対策に苦慮してきました。日本がそんなにひどかったと言えますか。
「ひどかった。コロナ禍で各国の政治リーダーが何をしていたか。僕は『誠実さの競争』と呼んでいます。典型的なのがドイツのメルケル首相です。東独の生活を知っている自分は、移動の自由の価値の大切さをよくわかっていると語りつつ、本当に申し訳ないが一時的なものだから制約を受け入れてほしい、と訴えた」
「政治家が自分たちと同じ世界』に生きている、と市民が感じられることが危機の時には欠かせない。納得できない命令に市民が従うために必要だからです」
「これは、議会制民主主義の構造に由来する根本問題に関わります。民主主義は『51%の多数派と49%の少数派』でも、多数派の意見で物事を進めます。だから二段構えの構造になります」
「まず議会審議を通じて、納得はしないけど理屈は理解できるという状態をもたらす。次に政治指導者が、理解はしても納得していない市民を前に『あなたたちの理屈とは違ったことをするが信じてはしい』と呼びかける。多数決に伴う少数派の不満は、政府家への信頼で乗り越えるしかないからで、『こいつが言うなら仕方ないから聞いてやろう』と。政治家が国民に対し、『この人たちは敵だ』という構えでは統沿できません。欧州の主要な政沿リーダーは、それをわきまえています」
「では日本で、市民と『同じ世界』にいるという感覚が欠かせないと考えている政治家が、どれほどいますか。コロナ禍での政治家『誠実な』言葉を誰が覚えているか。これは死者数や感染者数から見えてこない根本問題です」
「日本社会は『富すれば鈍す』。共同休がぼろぼろです。経済だけで社会が良くなるわけがない」
−野党は、アベノミクスに代表される政治との決別を訴えるべきだということでしょうか。
「違います。必要なのはその反対です。『アベノミクスの路線は継承するが、公文書冠山や官僚よマスコミへの恫喝はしない』と言うべきです。アベノミクスは失敗だったと声高に言うのを見ると、野党の党首も市民と『同じ世界』にいるという感覚を持てないのだなと思わざるを得ません」
「生活が苦しい若年層や非正規労働者の自公政権支持は根強い。安倍政権下で身軽になった企業が非正規労働者の雇用と所得を少し改善したからです。投票の背後にある感情を政治家がくみとれないのなら、市民に『同じ世界』を生きていると思ってもらえません」
「政権交代を訴える野党は『現政権の実績を継承する。政治や行政は既存のものを使うから信頼できるでしょう』と言うのが合理的です。にもかかわらず、安倍政治を批判しておけばいいと考えている野党の稚拙さは、これもまた日本社会の劣化の現れでしょう」
−与党も野党もだめで、社会もだめと言われても、選挙はあります。選べないし、選ばなくていいということになりませんか。
「日本は党議拘束が強いため、個人公約にほとんど意味がありません。所属政党で選ぶべきです。でもコロナ禍での政党を見て、選択肢がないと思うのは当然です。ならば、今の惨状が既得権益に手を付けないことに由来し、改ざんと恫喝の政治がそれを加速している事実を今後も自分は放置するのか。それだけを考えればよい」
「別の視点からこうも言えます。自分が既得権益側にいても、『座席争い』をしている船は沈み、やがてオルタナティブな社会構想が必要になる。人々は新しい物差しを求められます。それに備えて、誰が信用できる政治家か、誰が自分と『同じ世界』を生きている政治家か、見極める能力を涵養する必要がある。その機会が選挙で、人を見極める訓練だと考える。訓練には繰り返しが必要です。それでも『誰もいないじゃないか!』と思うのなら、最後に言いましょう。『じゃあ、お前が立て。上や横を見て不安を募らせ、選択肢がないと嘆くなら、自分がやれ』」
コメント:おおむね同感の意を強くする内容ですが、一つだけ驚くべきは、いつも自民党の対米従属政策を米国のケツ舐め外交だと批判している宮台が、なんと今回はアベノミクスを肯定していることです。この点だけは完全に自己矛盾しています。企業がおこぼれ(まさにトリクルダウン)を出したおかげで、貧困層がアベノミクスに感謝して、自民党を支持しているというのは言い過ぎだし、あまりにも国民の知性を馬鹿にした発言です。宮台は現在の歪んだ収奪の構造を、本当に正常なシステムだと考えているのでしょうか。貧困層にはトリクルダウンではなくて、分配が必要なのです。そのためにはアベノミクスが事実上の新自由主義であることを再認識し、アベノミクスに代わるシステムを考える必要があります。私は、今のコロナ非常時において、国民の生活と、企業の経営の双方を維持するためには、期間限定で新社会資本主義を導入することがベストだと考えています。自分でやれと言われるまでもない。宮台に異論があるのなら、公開の場での論戦も受けて立つ所存です。
2067.町医者の苦闘 22/1/15
今回の前書きは、コロナと闘う医師の日記のご紹介です。長文なので、ごく一部のみです。但し読みやすいので、原著の一読をお勧めします。
「ひとりも、死なせへん。コロナ禍と闘う尼崎の町医者、551日の壮絶日記」。長尾和宏から。
2020年12月28日 コロナ対策10の間違い
今年1年を振り返ると、国の対策は間違いどころか、逆だったように思える。自分なりに10の間違いを指摘したい。
間違い@ 2020年1月末にコロナを感染症法の2類(相当)感染症に指定した。
2類相当と言いながら実質は1類扱い、つまりエボラ出血熱と同じ扱いにした。これが、コロナ=死というイメージを市民に植えつけた。現在も混乱の大元である。
間違いA 感染船を培養船にした
ダイヤモンド・プリンセス号の対応に大きな違和感があった。というのも感染者を残して非感染者を下船させるべきところを、真逆の対応だった。結果、多数の船内感染を引き起こした。取るべき処置は逆ではなかったのか。重症ではない感染者を残して非感染者から下船させるべきだった。無症状陽性者がたくさんいることがわかったのに、この事実を今後の戦略に生かせていないことは残念無念としか言いようがない。(中略)
間違いF この期に及んでもタバコが一番のハイリスクであることを隠蔽している
喫煙がコロナ感染と重症化の最大リスクである。発熱外来の半数は喫煙者だ。しかしJTは財務省のオイシイ天下り先である。だから為政者はこの重大かつ単純明快な事実を隠蔽しているが、現場の医療者として許し難い。
間違いG 「地域包括ケアで対応」という思考回路がない
保健所崩壊や感染症病棟崩壊の原因は何なのか? ダイヤモンド・プリンセス号が教えてくれたように、コロナは高齢者の問題だ。高齢者といえば地域包括ケアでしょう。認知症や介護施設の感染者は、誰がどこで診るのか? 実はコロナ対策の主役は感染症専門医ではなく、ケアマネや介護職であり、在宅医ではないのか。コロナ対策に未だ「地域包括ケアで対応」という概念が登場しないことは政治の無能を象徴している。
間違いH コロナを「感染症ムラ」の利権にした
「コロナは未知の感染症だから」という理屈があるが、裏を返せば、専門家でもわからないということ。しかし、コロナ対策委員会に臨床現場の人間は入れてもらえない。町医者だってたくさんのコロナを診ているが、「コロナは感染症専門家しかわからない」らしい。もはや市中感染であるコロナを、一部の専門家しか扱えないシステムにしたままにしている「感染症ムラ」はどうなのか。
間違いI 「2類指定のやめどき」を知らない
当初は仕方がなかったでしょう。しかし少なくとも施行から1年後の2021年1月末には、2類から5類に下げるべきだった。たったこれだけの政治判断で、何十万人もの命が救われる。しかし、2022年1月末まで、今のまま2類指定が延長されるという。これほど無力感を感じたことはない。時限措置の「やめどき」を知らないのだ。その結果、救えるはずの何十万人もの命(失業、うつ、自殺など)を救えないという状況は医師として本当に辛い現実だ。
2021年4月22日 PCR陰性の肺炎に難渋している
…当院が在宅管理してきた数十名の軽症〜重症者の中からまだ一人も死亡者が出ていないのが、励みになっている。自分が関わった限りは絶対に死なせない。置かれた場所で咲いてやる。おひとりさまの認知症の陽性者の見守りは大変、だ。
基本的に10日間は毎日、見守れるけども、認知症の人の対応はここが違う。
@電話がなかったり聞こえなかったりして、いるかどうか不明で何度も訪問する
A毎日徘徊しまくる。まあ元気な証拠だけどもね
B服薬管理がまったくできない。医師や看護師が直接飲ませるか、注射
Cスマホがないので、遠隔診療やオンライン診療などできない
D車がないので、ドライブスルー診療も不可。在宅医療しかない
E在宅酸素をつけても外す。そもそも病識がないことも多い
Fご近所さんから「どこかに入れろ」と文句の電話がかかってくる
G内鍵をかけてしまうので、呼び鈴を鳴らしても出ない。生死確認ができないこともある
H不安が強いので、鍵のコピーをさせてくれない。コピーの意味が理解できない
I結局、死んでいてもわからないことがあり得る
応答がないので警察に電話しようか皆で思案していたら、ひょっこりコンビニから上機嫌で帰ってきたことも。毎日、悲喜こもごもだ。
2021年4月23日 ウイルスから見たら「順調」
次から次へと、いろいろなことが起きるなあ。マンボウの次は3回目のロックダウンかい。まあ、ウイルスから見れば順調か。100年前のスペイン風邪やペストの教訓は、今も生きている。収束まで2〜3年はかかるだろう。毎日、パソコンで県別の感染者数や死亡者数のグラフを眺めている。あるいは各国の比較なども、小学生のようにじっと見る。非常にきれいなカーブを描いている。株価や為替のカーブよりも規則的で美しい。もしも緊急事態宣言やマンボウがなかったら、どんなカーブになっていたのか。各県別の感染者数が、人口や人口密度に比例しているのも見事。阪神間の各都市での感染者数の比率も実に見事に配分されている。
予想通りの「変異」。これはウイルスの常套手段。ウイルス表面のスパイクタンパクを少しモデルチェンジしながら、感染性を増して勢力拡大していく。当面は、勢力拡大のためならなんでもする。ワクチンで高齢者のガードがきつくなれば、ガードが甘い若者をターゲットにする。新型ころは自分たちが増える為にはターゲットを選ばない。実に賢い。人間がいろいろ考えても、専門家や政治家がいろいろと作戦を練っても、ウイルスは津波のように平気で乗り越えて襲い掛かる。ウイルスの世界から見れば、今、極めて順調に活躍の場を広げている。
第4波を迎えた今、大切なことは、「より早く、より広く」しかない。
2021年4月24日 悲鳴をあげるコロナ患者を診て回る
今、新規のコロナ患者さんはほぼ自宅療養になるが、発熱や呼吸困難を訴えても、どこからも無視される。保健所に電話して万一通じたら「かかりつけ医に」と。かかりつけ医に電話したら、「救急隊に」と。救急隊に電話したら「保健所に」と言われて、堂々巡りだ。つまり放置であり、陽性者はたらい回し状態にある。もしも僕が断れば、患者はまさに絶望の中で過ごすことになるだろう。メディアは現実を伝えていない…。
2021年5月12日 泣いている人に寄り添う
緊急事態宣言下でも遊んでいる大たちがいる。一方、「助けて!」と泣き叫ぶ人たちもいる。僕は医療者なので、泣いている人のために動く。
毎日、保健所への懇願の日々である。助けたい患者さんのためには保健所に懇願するしかない。「お願いです。助けてください!」と発生届の欄外にあえて汚い字で大きく書く。患者・家族にも100回でも電話して懇願するように指示をする。でも「保健所」という人はおらず、電話に出た人によって対応が違う。保健所にはごく一部だけど、心ない人がいるのは事実である。
「あなたの年齢では入院はできませんよ」
「入院しても骨になって帰ってくるだけですよ」
「酸素が88%もあるなら入院する必要はありませんよ」
「発症から10日間たったので、これで保健所の仕事は終わりです」
「あなたと同じような人がたくさんいて、困っているのはあなただけではないのですよ」
泣いている人になぜこんなことを言えるのだろう。
いったいなんの根拠があって、そんなことを言うのだろう。「なんとかして入院を諦めさせたい」、という気持ちからなのか。人道的に許しがたいレベルになってきている。苦しんでいる人からすれば、保健所の指示だけが蜘蛛の糸である。僕たちにとっても、保健所以外に患者を救う道がまったくないのだ。
僕は、このままだと死ぬ可能性があるから入院を要請している。
ただそれだけなのだが、保健所にまったく伝わらないので困っている。テレビを観ていたら、毎日放送が、大阪市保健所の職員に午前1時の帰宅時にインタビューしていた。保健所も不眠不休で限界であるという趣旨であった。実名で出た彼女の勇気ある言動はよいことだと思った。僕たちも、保健所の内情を知らないと納得できない。
特に入院の「年齢トリアージ」にはまったく納得がいかない。明らかに非合理的なことが、毎日起きている。まだ苦しんでいるのに、なんて10日経てば機械的に見捨てられるのだろう。
酸素をたくさん吸入して死にそうでも、入院をあきらめさせる保健師の神経が信じられない。患者を診ている僕たちに直接、救急救命医と電詰で交渉させてほしい。毎日普通にやっている入院交渉を、公的なボス医師とやりたい。宮城県では普通にやっているように。でも「指定感染症」とは、「人命よりも隔離を優先する法律」なのだ。つまり入院できずに自宅で亡くなっても国の責任を問えないのだろう。
先日観たドキュメンタリー映画『生きろ』の中では、昭和20年春の沖縄で、軍人がついに沖縄の市民を殺し始めたため、逃げた市民が米軍兵に日本兵を殺してほしいと言っていた。
味方が味方を殺す。普通ではあり得ない。
極限状況に追い込まれた人間は、自分の尊厳を守るため他人を殺す。そんな人間の業は75年経っても、まったく変わっていないことを思い出す。こんな中でのオリンピックなど狂気以外何ものでもない。人命を無視してやるものではない。
大本営発表をこれでもかと繰り返すテレビから、正義は消えた。そろそろ普通の世界で生きたいな。100人の職員に、美味しいものを食べさせたい。ワクチン担当の事務スタッフは、2時間しか寝ずに予約行列に対応してくれる。僕も3時間しか眠れなかったので、フラフラしている。先は見えない。今日しか見えない。
2021年6月12日 イベルメクチン騒動から見えてきたもの
メディアでイベルメクチンについて触れて以来、連日(現在も)、処方依頼が続いて困っている。でもね、この騒動から見えてきたものがある。
なぜ、「イベル難民」が生まれるのか。
イベルメクチンは国がコロナへの処方を認めて保険適応がある、正規のコロナ治療薬である。普段から、在宅患者の「疥癬」に使っている汎用薬だ。僕は疥癬で使うのと同じ量をコロナ患者にも使ってきた。町医者が使える薬は、ステロイドとイベルメクチン、在宅酸素やリクシアナ程度で、あとはすべて病院専用の薬だ。
僕は第3波以降、コロナ陽性者にイベルメクチンを渡して、中等度2以上の人はその場で飲ませてきた。軽症者は、日々のオンライン診療で重症化の兆しがみられたら、「今日、飲んでね」と指示をしてきた。ただ、それだけ。医師の裁量でその適応と思われる人に保険診療で処方した。なぜ町医者の僕にこれほど処方依頼が相次ぐのか? あるいは、病院の医師から僕への質問がくるのか? その理由を考えてみた。
@ コロナを診ている町医者があまりに少ない
A 在宅療養者を管理している町医者はさらに少ない。
B 闇治療ではなく、正規治療であることを医師が知らない
C 病院の医師はアビガンやレムデシビルを使うが、イベルメクチンは使わない
D 診ずに処方する無診投薬は医師法20条違反であることを市民が知らない
E コロナ患者にはイベルメクチンは保険適応であるが、予防投与は認められていない…
コメント:涙ぐましい努力というものが実際にあるとしたら、このように現場で苦闘している医師たちのことでしょう。なお私も通販でイベルメクチンを入手したことがあります。但し未だ服用したことはなく、医師の指示があるか、もしくは医師(や保健所)に見放された時の為に取ってあります。しかも、価格が低いせいで、薬品業界は製造・販売に後ろ向きです。
最近はようやく認可を受けた飲み薬も出来てきていますが、重症化の予防薬でしかなく、それゆえ感染初期のごく限られた期間にしか使えず、結局、あるという安心感以上のものではなさそうです。しかも医師は投薬できず、薬局しか提供できない。どう見てもこれは医薬分業を盾に取った業界の利権優先策にしか思えません。
ネタ的にはやや古いのですが、朝日新聞で宮台真司が衆院選について吠えていましたので、ご紹介します。但し反面教師としての意味合いもありますが、その点についてはコメントをご覧願います。
朝日新聞21年10月15日「2021衆院選、劣化した日本社会」宮台真司インタビューから
既得権守る政府、忖度し続ける官僚、お上にすがる市民
岸田文雄首相が衆院を解散した。何と問うべきなのか。社会学者の宮台真司は、いま直視すべきはコロナ禍で可視化された「日本社会の劣等性」だという。
―コロナ禍での衆院選です。何が問われるべき選挙ですか。
「アベノミクスに象徴される安倍晉三元首相の政治路線を、僕は『粉飾決算』政治と呼んできました。株価上昇や失業率の低下など一部の経済指標のみに注目する一方、『悪夢の民主党政治』と過去を批判する。まるで日本が良くなっているかのように、です」
「しかし実態は、実質賃金は25年間下がりっぱなしです。社会指標に目を転じれば、自己肯定感や子どもの幸福度、家族生活への満足度など、飛び抜けて悪い数字だらけ。『見たいものだけを見る』政治が続き、惨状の自覚が不十分です。でも安倍元首相が元凶だというのも間違い。自民党は1993年に下野して再び政権に返り咲いた後、民主党政権を挟んで続いてきました。悪夢という言葉を使うなら、この惨状は四半世紀にわたる『悪夢の自民党政治』の結果です」
―総裁選から岸田氏は、新自由主義からの転換と、成長と分配の好循環を訴えていました。国会でも再分配のあり方が議論されました。自民党内で「自浄作用」が働いた結果ではないですか。
「違います。そもそも最近の自民党の経済路線を、新自由主義と呼ぶのがデタラメです。『規制改革』の旗の下で、既得権益を持つ大企業が身軽になるよう、雇用の非正規化などを進めただけ。新自由主義とは似ても似つかない」
「証拠は山のようにあります。来国のIT5社に代表されるような新しい巨大企業が生まれていません。欧州諸国の一部で進むエネルギーシフトが起きていない。先日の総裁選で河野太郎氏が持論の核燃料サイクル見直しに言及すると、財界は猛反発した。東日本大震災から学んだドイツが脱原発にかじを切ったのに、日本は既存のエネルギー供給体制に固執した。既得権益の温存で生産性が上がらず、非正規化で社会指標も悪化の一途をたどっています」
―進む格差拡大に歯止めをかけたいという流れで、「新しい資本主義」という言葉が出てきました。コロナ禍を経て、今のままではまずいという意識が政治の側で高まっていませんか。
「そうは思いません。巨大既得権益を身軽にする規制改革を続けるには、貧困化への反発の手当てが不可欠なので、再分配を言い出した。安倍・菅政権が続いていたとしても同じことを囗にしたでしよう。岸田氏が再分配を強調するのも弥縫策です」
「再分配は必要です。しかし日本は、産業構造の転換に必要な政策を採れていません。とはいえ、それも表面的な話で、政策が採れない背景こそが重要です。日本社会の劣化です」
−劣化、ですか。
「近代の日本社会が持つ『劣等性』です。自民党政治が原因という類いの話ではない。象徴が、コロナ禍で注目された自粛警察です。コロナ禍では各国がガバナンスを競いましたが、東アジアで見ると、日本は感染者数・重症者数・死者数で抑制に失敗しています。『お上にすがる』人々が不安になって『お上に従わない』人をたたく、という近代日本の劣等性です。戦前から広く見られました」
「都市化と郊外化が進むと、共同体の空洞化が進みます。すると、人々は人間関係に依拠できなくなる。経済の調子が良ければ市場と行政に依存できるから、気になりませんでした。が、その間進んだのが感情の劣化と呼ぶべき事態です。不安の原因は『お上』にある、いや『お上に従わない人』にある、と他人を責めるのです」
「そもそも、新型コロナ対策の失敗の根幹は、PCR検査の拡大ができないことと、世界一の人口あたり病床数があるのにコロナ病床を確保できなかったことにあります。僕は、厚生労働省と医師会に代表される権益ネットワークが既得権益を優先したからと考えています。だから、現行憲法下での法制度でやれたことがたくさんあった。『既得権益にはさわらない』を前提にした結果、多くの人々が犠牲になったのです」
「『お上にすがる』自粛警察に象徴される日本社会の劣等性は、他でも見いだせます」
―何でしょうか。
「官僚です。官邸に人事を握られ、恫喝と左遷を目の当たりにした。ひたすら上を見て忖度し、自分だけが良いポジションにつけるよう振る舞う。公文書を改ざんし、虚偽の首相答弁の作成に加担する。官邸主導に固執する政治家の悪影響の結果のように語られますが、むしろ、こうした官僚を大量生産する日本社会の劣等性の結果です。そんな日本社会から政治家も生まれてきているわけです。
―ただコロナ禍は日本のみならず、欧米も含めて対策に苦慮してきました。日本がそんなにひどかったと言えますか。
「ひどかった。コロナ禍で各国の政治リーダーが何をしていたか。僕は『誠実さの競争』と呼んでいます。典型的なのがドイツのメルケル首相です。東独の生活を知っている自分は、移動の自由の価値の大切さをよくわかっていると語りつつ、本当に申し訳ないが一時的なものだから制約を受け入れてほしい、と訴えた」
「政治家が自分たちと同じ世界』に生きている、と市民が感じられることが危機の時には欠かせない。納得できない命令に市民が従うために必要だからです」
「これは、議会制民主主義の構造に由来する根本問題に関わります。民主主義は『51%の多数派と49%の少数派』でも、多数派の意見で物事を進めます。だから二段構えの構造になります」
「まず議会審議を通じて、納得はしないけど理屈は理解できるという状態をもたらす。次に政治指導者が、理解はしても納得していない市民を前に『あなたたちの理屈とは違ったことをするが信じてはしい』と呼びかける。多数決に伴う少数派の不満は、政府家への信頼で乗り越えるしかないからで、『こいつが言うなら仕方ないから聞いてやろう』と。政治家が国民に対し、『この人たちは敵だ』という構えでは統沿できません。欧州の主要な政沿リーダーは、それをわきまえています」
「では日本で、市民と『同じ世界』にいるという感覚が欠かせないと考えている政治家が、どれほどいますか。コロナ禍での政治家『誠実な』言葉を誰が覚えているか。これは死者数や感染者数から見えてこない根本問題です」
「日本社会は『富すれば鈍す』。共同休がぼろぼろです。経済だけで社会が良くなるわけがない」
−野党は、アベノミクスに代表される政治との決別を訴えるべきだということでしょうか。
「違います。必要なのはその反対です。『アベノミクスの路線は継承するが、公文書冠山や官僚よマスコミへの恫喝はしない』と言うべきです。アベノミクスは失敗だったと声高に言うのを見ると、野党の党首も市民と『同じ世界』にいるという感覚を持てないのだなと思わざるを得ません」
「生活が苦しい若年層や非正規労働者の自公政権支持は根強い。安倍政権下で身軽になった企業が非正規労働者の雇用と所得を少し改善したからです。投票の背後にある感情を政治家がくみとれないのなら、市民に『同じ世界』を生きていると思ってもらえません」
「政権交代を訴える野党は『現政権の実績を継承する。政治や行政は既存のものを使うから信頼できるでしょう』と言うのが合理的です。にもかかわらず、安倍政治を批判しておけばいいと考えている野党の稚拙さは、これもまた日本社会の劣化の現れでしょう」
−与党も野党もだめで、社会もだめと言われても、選挙はあります。選べないし、選ばなくていいということになりませんか。
「日本は党議拘束が強いため、個人公約にほとんど意味がありません。所属政党で選ぶべきです。でもコロナ禍での政党を見て、選択肢がないと思うのは当然です。ならば、今の惨状が既得権益に手を付けないことに由来し、改ざんと恫喝の政治がそれを加速している事実を今後も自分は放置するのか。それだけを考えればよい」
「別の視点からこうも言えます。自分が既得権益側にいても、『座席争い』をしている船は沈み、やがてオルタナティブな社会構想が必要になる。人々は新しい物差しを求められます。それに備えて、誰が信用できる政治家か、誰が自分と『同じ世界』を生きている政治家か、見極める能力を涵養する必要がある。その機会が選挙で、人を見極める訓練だと考える。訓練には繰り返しが必要です。それでも『誰もいないじゃないか!』と思うのなら、最後に言いましょう。『じゃあ、お前が立て。上や横を見て不安を募らせ、選択肢がないと嘆くなら、自分がやれ』」
コメント:おおむね同感の意を強くする内容ですが、一つだけ驚くべきは、いつも自民党の対米従属政策を米国のケツ舐め外交だと批判している宮台が、なんと今回はアベノミクスを肯定していることです。この点だけは完全に自己矛盾しています。企業がおこぼれ(まさにトリクルダウン)を出したおかげで、貧困層がアベノミクスに感謝して、自民党を支持しているというのは言い過ぎだし、あまりにも国民の知性を馬鹿にした発言です。宮台は現在の歪んだ収奪の構造を、本当に正常なシステムだと考えているのでしょうか。貧困層にはトリクルダウンではなくて、分配が必要なのです。そのためにはアベノミクスが事実上の新自由主義であることを再認識し、アベノミクスに代わるシステムを考える必要があります。私は、今のコロナ非常時において、国民の生活と、企業の経営の双方を維持するためには、期間限定で新社会資本主義を導入することがベストだと考えています。自分でやれと言われるまでもない。宮台に異論があるのなら、公開の場での論戦も受けて立つ所存です。
2068.感染者が出たら 22/1/23
オミクロン株の感染爆発が起きています。誰も爆発といわないが、3回目接種が遅々として進まない上に、飲み薬の配備も焼け石に水で少なく、言い換えれば外出自粛以外に、これという対策がない以上、そういう言い方を避けること自体が欺瞞でしょう。事実、一般の救急医療さえ滞り始めているのです。
もう、いつ、だれが感染してもおかしくない事態であり、予防の段階から、いまや感染したらどう対処するかという段階にきていると思います。週刊文春の最新号がこの話題を取り上げていますので、今回は多少長めですが、必要と思われる部分をご紹介します。なおオミクロン株では、味覚異常はなく、強い喉の痛みが特徴と言われています。
週間文春1月27日号
「『感染者が出たら』超実用マニュアル」
…「もはや誰もが罹患し得る状況だと考えるべきです」と大谷クリニックの大谷院長が警戒を促す。
いまオミクロン株が日本列島を覆いつくそうとしている。埼玉県の大野知事は、「異次元のスピードで感染が拡大している」と現状を訴えた。
鹿児島大学の西順一郎教授が解説する。
「オミクロンに対してはまだ人々の免疫がない。しかも潜伏期間はこれまでのコロナで最短の約三日。感染した人が発症するまでの時間も短くなるため、倍々になっていくスピードは、デルタの時より早くなります」
自分や家族がいつ感染してもおかしくない現在、大切なのは。“その時”に対する備えと心構えだ。そこで小誌は、専門家の知見をもとに“超実用的”マニュアルを緊急作成した。
まず覚えておいてほしいのが、オミクロンは症状から感染を判別できないこと。主な症状は、発熱、咳、喉の痛み、鼻水や倦怠感など。つまり、風邪の姿をして忍び寄ってくるのだ。厚労省新型コロナ感染症クラスター対策班の菖蒲川由郷・新潟大学特任教授が語る。
「従来のコロナは味覚・嗅覚障害を伴うこともありましたが、オミクロンではほぼ見られません。少なくとも現在の流行中は、発熱など風邪の症状が出たら、検査で確定するまでは、コロナを疑ってください」
検査には、医療機関以外にも、自治体の無料PCR検査センター、民間の自費PCR検査、市販の抗原定性検査キットなどがある。
だが留意すべきなのは、医師の診断を伴わない検査の場合、結果として二度手間になる恐れがあること。多摩ファミリークリニックの大橋博樹院長が指摘する。
「陽性疑いの判定が出ても確定診断にはなりませんので、医療機関で再度、検査を受けることになります。伝播の速いオミクロンは感染拡大を防ぐためにも早期の発見、隔離が大切。少しでも症状がある人は、最初に医療機関の受診をお勧めします」
その結果、陽性が確定したら。軽症か無症状であれば、自宅または自治体が用意した宿泊療養施設で隔離生活が始まる。
「どちらかを希望できますが、高齢者、基礎疾患のある人、免疫抑制剤を使用している人、妊婦などは原則的に宿泊療養の対象外。こうした人たちが感染すれば、基本は入院ですが、保健所が本人の状態や家族構成などからケースバイケースで総合的に判断します。一方、宿泊療養者が増えた時は同居家族に高齢者や医療従事者のいる人が優先されます」(厚労省担当記者)
療養期間について、公立陶生病院感染症内科の武藤義和主任部長が解説する。
「陽性者は『発症から十日経過、かつ症状軽快から七十二時間が経過』していれば、検査なしで復帰できます。無症状の場合は『検体の採取日から十日経過』で療養解除となります」
発症日とは、感染によって発熱など何らかの症状が出始めた日をいい、診断確定日とは異なる。療養中は当然、外出禁止。宿泊療養施設には看護師が二十四時間態勢で常駐し、毎日の健康観察を行う。万が一体調が急変しても、対応可能な態勢が整っている。また、三食付きで、食費と宿泊費はかからない。
では自宅療養者は、どんな点に気をつけるべきか。自宅療養の場合も、厚労省の情報管理システム「HER−SYS」を通じ、毎日の健康観察が行われる。食事については、食料の配達を行っている自治体もあるが、療養開始後すぐには届かない可能性も。ネットスーパーの置き配を利用するか、事前に用意しておくことが望ましいだろう。
うどんやシリアルなどの主食、レトルトやインスタント食品、缶詰や経口補水液、スポーツ飲料などが一週間分もあれば、十分乗り切れるはずだ。長崎大学の森内浩幸教授が語る。
「解熱剤もあった方がよいですが、十分な栄養、睡眠を摂るにあたって、高熱が邪魔をする時にだけ服用する。ちょっとした熱でもすぐ使うのは、むしろ体にとって逆効果です」
心配なのは、自宅に同居家族がいるケースだ。
「オミクロンの場合、気づいたら家族全員が感染していた、ということが実際に起きています」(大橋氏)
一月十三日に行われた東京都のモニタリング会議によると、直近の一週間で、感染経路のほぼ五割が家庭内だったという。家庭内感染のリスクを少しでも軽減させる手立てはあるのか。
「もし家族に感染者が出たら、寝室を別にするのが第一。そして食事も別々にする。居住区域を分けて、共有スペースは同時に使用しない。トイレやお風呂は使った後、三十分くらいは換気をしておく。換気は大切です」(西氏)
そもそも、陽性者の同居人は、原則としてそれだけで濃厚接触者だ。一人が感染すれば、同居する家族は全員が該当者になる。
濃厚接触者の定義は他にも、陽性者と「マスクなし、1メートル以内で十五分以上の接触があった場合」などがあるが。
「感染するかどうかは状況によって変わるので、十五分や1メートルという数字は単なる目安と考えましょう。数分でうつることもありますし、換気のよくない屋内では近距離での“空気感染”も起き得ます」(同前)
濃厚接触者に認定されると、PCR検査の結果が陰性でも、自宅待機が必要な健康観察期間は、陽性者との最終接触日の翌日から十日間。決して短い期間ではないが、先頃、十四日間から短縮されたばかりだ。
ならば、濃厚接触者と濃厚接触していた場合は、どうなるのか。接触した相手の陽性が確定すれば、自分も濃厚接触者になるが、まずは接触した濃厚接触者の検査結果を待つのみ。それまでは特に制限はない。
「症状がなく、濃厚接触者に認定されていないけど不安だという人は、それこそ無料PCR検査センターや市販の抗原定性検査キットを利用しましょう」(大橋氏)
よくオミクロンの特徴に挙げられるのが、過去の株と比べて肺炎になりにくく、重症化例が少ないこと。だが菖蒲川氏はこう危惧する。
「オミクロンは国内外で若い世代を中心に感染が広がっていますが、日本は世界で最も高齢化が進んでいる国です。今後、高齢者に感染が拡大した時、どれくらいの重症者が出るかは、まだ分からない。また、軽症だとしても、症状によっては、高齢者にとって決して安全とはいえません」
大前提として、コロナの重症度は、どのように分類されているのか。
厚労省がまとめる「診療の手引き」によれば、軽症とは、呼吸器症状がない状態。中等症I以上では肺炎の所見がみられ、酸素の投与が必要になれば中等症IIに。そして重症とは、ICU(集中治療室)に入室している、または人工呼吸器などを要する状態を指す。
つまり、基準となるのは、ほぼ肺炎の有無と度合のみなのだ。大橋氏の話。
「肺炎がなかったら、ほとんどが軽症として扱われるのです。ですが、高熱や節々の痛みなど、人によってはインフルエンザよりもきつい症状が出る。加えてオミクロンでは、強い喉の痛みを訴える方も少なくない」
“軽症”とて甘くみてはいけない。森内氏も指摘する。
「現状、オミクロンの致死率は、デルタのおよそ十分の一。0.15%ほどではないかと言われています。インフルエンザの致死率よりも高い。まだ『単なる風邪になった』と楽観視できる状況ではありません」 ]
ヒラハタクリニックの平畑光一院長も言う。
「風邪やインフルエンザと決定的に異なる点が、コロナでは後遺症を訴える患者さんが後を絶たないこと。症状は多様で、二年近く苦しんでいる人もいます」
第五波までと違うのは、経口治療薬が登場したことだ。だが、まだ対コロナの“切り札”とまでは呼べない。供給量に限りがあり。
「現在、処方できるのは、61歳以上、または基礎疾患がある方。『不安だから薬が欲しい』と言われても、陽性が確定していて、軽症の症状がある方にしか出せないのです」(大谷氏)
また現行のワクチンはオミクロンの侵入を許してしまっているが、大丈夫なのか。大橋氏が語る。
「今のワクチンは武漢のウイルスを想定して作られたもの。プレークスルー感染は起きるが、これだけ変異したオミクロンでも、重症化はある程度、防げています。すでに二回打った方は三回目を打った方があらゆる面で得。もともと、ワクチンは生ワクチン以外、三回ワンセットが基本です」
インペリアルーカレッジ・ロンドンの小野昌弘准教授が補足する。
「オミクロンで死亡や重症化のリスクが高いのは、これまでと同じく、高齢者を中心に基礎疾患を持つ人ですが、もう一つの要素はワクチン未接種者。イギリスやアメリカでは、はっきりとその傾向が表れています」
もしオミクロンに感染してしまった場合でも、ブースター接種は有効だ。
政府は三回目接種を前倒しし、医療従事者だけでなく、既に高齢者接種が始まっている自治体もある。
コロナにかからないに越したことはないが、かつてなく感染リスクは高まっている。万が一、感染してしまった際は、ぜひこのマニュアルを参照して貰いたい。
コメント:私も抗原検査キットを手元に用意してあり、風邪に似た症状が強く出た時に、使っていますが(過去5回使用し、すべて陰性)、有効期間が比較的短く、通常は2年ですが1年のものもあることです。使用期限が切れると、試薬が反応しなくなり、基準となる線も出なくなるので、要注意です。
関連記事:自宅療養に必要な準備。岡田春恵。
https://diamond.jp/articles/-/293821
関連記事:若者でも基礎疾患があると重症化のリスク。
https://diamond.jp/articles/-/293563
2069.聞き流し 22/1/25
今回の前書きは、岸田文雄の正体を暴く、痛快な古賀茂明のコラムからです。
週間朝日2月4日号、「政官財の罪と罰、聞く力にウハウハのアメリカ」古賀茂明から
1月14日付沖縄タイムス掲載のある記事を見てあきれ果てた。
「この違いってなに……?米軍、日本出国時はコロナ検査していた」という見出しが、あきれかえる記者の気持ちを表していた。一体何が問題なのか、同紙の情報を基に解説しよう。
在日米軍が、米国などから日本に入国する前に新型コロナウイルス感染症の検査をしていなかった時期に、日本から米国への出国の際には検査をしていたというのだ。
当時、まだ日本でのオミクロン株感染の報告はほとんどなかったが、米国では既に感染が広がっていた。日本から米国向けの移動の際に検査不要とするならわかるが、その逆に、日本向けのほうだけを検査不要としていたのだから、全く理屈が通らない。
「アメリカ・ファースト」ということなのか、「アジア人差別」なのか…と思いめぐらせたが、そうではないらしい。なぜなら、横田基地から同じアジアの同盟国である韓国に移動する際には出国前検査が必要とされていたからだ。
実は「週刊東洋経済」に掲載された記事で、山本章子琉球大准教授か既に指摘していたのだが、日本と同内容の地位協定を米国と結んでいる韓国では、在韓米軍が昨年12月3日から、入国直後のアメリカ軍関係者に到着初日と1週間後の2回、PCR検査を受けさせ、それまで容認していた自宅と職場との間の移動も禁止していたという。
一方、米軍は、日本政府に無断で2021年9月以降日本に向けた本国出国前の検査を中止し、日本入国直後の検査もないまま、入国者の隔離期間も14日から10日に短縮。そのうえ、特定の建物での隔離措置をやめて、基地内隔離に変更した。その結果、陽性者が基地内のレストランや売店、娯楽施設に自由に出入りしていたという。10月には、ワクチンの2回接種で基地内でのマスク着用義務もなくなった。その後批判を受けて、在日米軍全体で入国後PCR検査を始めたのは12月30日。マスク着用義務付けは何と年明けの1月6日だった。
山本准教授によれば、韓国政府は、政治交渉で米軍に厳格な措置を実施させたということだ。
つまり、差別でも何でもない。単に、日本政府が米国に対して言うべきことを言わなかったというだけなのだ。「モノ言う力」で韓国に負けたのである。
国内の批判に慌てた日本政府は、米国政府に厳格な対応を要請したフリをしたが、遅すぎた。沖縄では米軍による感染拡大のせいで、医療崩壊が起きている。
元々、米国政府に「モノ言う力」ほぼゼロの日本ではあるが、そこに登場した岸田総理の「聞く力」。米国の要請にもこの力を最大限発揮しつつある。GDP比2%以上の防衛費を目指すという選挙公約を掲げ、防衛費予算を拡大、敵基地攻撃能力にも前のめりだ。それで潤うのは、米国武器産業。米国政府は岸田総理の「聞く力」にウハウハだろう。
国民を守るためには日米地位協定の改定が必要だが、改定協議をという野党の質問に岸田総理はゼロ回答だ。国民に対して岸田総理が発揮するのは、「聞く力」ではなく「聞き流す力」でしかない。
「聞く力」の一番の受益者は米国だということを私たちはしっかり認識しなければならない。
コメント:古賀を国会に送り込みたい。
もう一つ、これは1月25の朝日の朝刊の投稿からです。
「私学のガバナンス、改革提言骨抜きの懸念」学校法人ガバナンス改革会議議長 増田宏一から
私立大学の理事長らによる、資金の私的流用や入試不正などの不祥事が続いている。若者の高等教育に責任を持つリーダーたちの倫理観には、あきれるばかりだ。しかも、不祥事を起こした理事長らが再任できる制度となっているのだから驚く。
問題は、理事長や理事会が、自らの監査をする監事や監督をする評議員を選任・解任する権限を持っていることだ。これでは理事長の暴走を止められない。私たち「学校法人ガバナンス改革会議」は、権力の集中を防ぐ仕組みについて議論を重ね、昨年末に文部科学省に提言した。
ところが、私学関係者が報告書に猛反発。文科省は今月、私たちとは別に新しい会議を設けて議論を始めた。学校法人に他の公益法人と同等のガバナンス機能を持たせることは、2019年と21年の「骨太の方針」で決まった。2度の閣議決定を翻す対応は、国のガバナンスが問われる事態だと言っていい。
報告書で私たちが求めたのは、理事会や監事、評議員会の職務や権限を明確に分けることだ。理事会に対する監督機能を強化するため、現在は理事長の諮問機関となっている評議員会を、役員の選任や事業計画の承認など重要事項を決定する最高監督・議決機関に格上げすることにした。さらに現職の理事や教職員は評議員になれない仕組みも提言した。理由は簡単で、監督される側の人間が、監督する側も兼ねることは利益相反になるからだ。
この点が、私学関係者に「学外者だけで評議員会を組織」と受け止められた。だが、理事や教職員は退職後5年たてば評議員になれる仕組みで、同窓生も就任できる。大学を全く知らない「学外」の人だけで組織するわけではない。
評議員会が暴走する可能性を指摘する意見もあるが、これも的外れな懸念だ。そもそも評議員には執行権限がなく、しかも選任は行政や無関係の人ではなく、学校法人が行う。また、管理者として注意を払う「善管注意義務」や損害賠償責任を負う仕組みなので、評議員が無責任な言動を行うことは難しくなるはずだ。
提言通り私立学校法が改正されても、「仏作って魂入れず」では不祥事を防ぐことはできない。だが、実質的なガバナンス強化が進み、役割が分離された理事会と評議員会が良い意味での緊張感を持つようになれば、相当程度防ぐことができるはずだと考えている。
新しい会議の委員は、13人中7人が私学関係者だ。これでは、私たちの提言が骨抜きにされる懸念がある。提言の趣旨が理解されるよう今後も様々な形で社会に訴えていく。
2070.コロナと共存 22/1/27
今回の前書きはサンデー毎日(2月6日号)のコラムからです。
サンデー時評「社会を維持しながらコロナと共存するしかない」高村薫
… さて、いまのところ内外の感染者の大半は無症状もしくは軽症であり、重症化のリスクは低いとされているが、だからといってただの風邪と言い切ることができない理由は、その感染のスピードと感染者数の多さにある。11日、世界保健機関(WHO)は今後6〜8週間で欧州53力国の人口の半数以上がオミクロン株に感染するとの予測を発表したが、人口の2人に1人が感染者という事態など、にわかには想像するのも難しい。
仮に重症者は少なくとも、医療従事者に感染が広がれば医療体制は即座に逼迫し、通常の病気に対応できなくなる。役所も企業も学校も感染者や濃厚接触者が職場を休むことで回らなくなるし、公共交通機関も物流も然り。ただの風邪なら咳や熱を押しての出勤もありえるが、新型コロナではそうはいかないからである。ならば、高齢者施設や基礎疾患のある人への一定の配慮は必要だが、一般の軽症者の自宅療養や、濃厚接触者の自宅待機期間の大幅な短縮は、恐れずに進めてよいのではないか。感染のリスクをゼロにはできない以上、可能な限り社会を回して医療や介護施設や教育、物流などを崩壊させないことが、結果的に社会を救うからである。
私たちはこの2年で、新型ウイルスとの共存を目指すところまで来た。共存とは、社会を維持しながら、重症者数や死者数を十分に低く抑えることを意味する。またそうして安定的に推移させる傍らで、新たな未知のウイルスや強毒性のウイルスの出現に備えることも意味する。幸い、日本人はこの2年でマスクや手洗いなどの感染予防対策は十分身についた。従って今後、基本的に生活レベルでは過度に感染症に怯える必要はないはずだ。あとは感染症と向き合う国と政治家たちの本気度である。
いまなお十分とは言えないPCR検査体制の拡充や、まともに機能しないワクチン接種記録システムの改善は言うに及ばず、過剰な医療や投薬の抜本的な見直し、オンライン診療の推進、国産ワクチン開発への支援など、国がやるべきことは山ほどある。
抵抗の拠点から「嫌な兆し」青木理
…厚労省の統計などによると、この国の自殺者は戦後、増減を繰り返しながらも大枠では増加傾向をたどり、90年代終盤からは2万から3万人という数値で高止まりが続く。
つまり、貧困や格差、あるいは将来への絶望といった鬱屈が他傷に向かわず、自傷という形で内に向かっているーそう捉える専門家がいるなか、ここにきて嫌な兆しが見えはじめてはいないか。
昨年8月、小田急線の車内で生活保護を受けていたという男が無差別刺傷事件を起こした。直後には模倣犯を疑わせる事件が京王線や東京・渋谷の飲食店でも相次ぎ、男たちは「オレの人生を終わらせてくれ」「死刑にしてくれ」と叫んだという。
大阪では昨年末、心療内科クリニックで25人が犠牲になる大惨事が起きた。放火に及んだ男は困窮して貯蓄なども底をつき、他者を巻き込んで自らも死んだ。年明けには高校生が刃物を振り回して受験生らを
傷する事件もあった。
少し視線を伸ばせば、無差別殺傷は近年目立つ。08年の秋葉原、16年の相模原障害者施設、19年の川崎児童殺傷、同じく19年の京アニ放火。いずれの事件にも差別や憎悪、歪んだ鬱屈といった時代と社会の病が凝縮されていて、一方でそれぞれの事件にはそれぞれの背景も横たわっているから一概に同列視はできぬにせよ、絶望や鬱積を内に向かわせるだけでなく、外に向けて−あるいは外も巻き込んで自傷に及ぶ、嫌な兆しの芽吹きが感じられる。
なのに一部の政治屋はいまだに「自己責任」を無遠慮に叫び、政権が掲げる「新しい資本主義」は中身空虚なお題目。嫌な兆しと捉える私の直感が杞憂ならいいが、杞憂とは思えぬ時代条件は確実に揃っている。
・かみ合わない堀内ワクチン相。
https://www.sankei.com/article/20220124-762PTWKVYBLALKNZTZQ62ZFHYQ/
コメント:気合が足りないという以前に、自分の職責を理解していない。親の顔が見てみたい。