「オンライン・オピニオン」
「何時でも、誰にでも」
「御尊顔を拝したくない方々」
「御尊顔を拝したくない方々(続)」
「若者言葉」
「入管の問題」
「第8波とどう向き合えば良いのか」
「非暴力こそ目標」
「見捨てる資本主義にノー」
「コロナと医療体制」
「コロナと医療の3年間」
2271.何時でも、誰にでも 1/9


『もう何時でも、何処でも、誰に感染しても
おかしくない時代になりました。
それが集団免疫の前提かもしれません。
ワクチンを打っていても感染はします。
でもワクチンを接種していなければ、
症状はもっと重かったはずです。
必ず感染する以上、問題は、
感染した後、どうするのかです。
まず大事なことは、必ず感染するものとして、
早くそれを検知するために、
抗原検査キットを常備することです。
ここで費用を惜しんではなりません。
次に少し身体の具合がおかしいと思ったら、
例えば、それがくしゃみ、鼻水でも、
直ちに検査をしましょう。
時間は8分です。
PCR検査のような、苦痛もなく、
検査に時間も掛かりません。
そして陽性反応が出たら、
クリニックの発熱外来を受診する。
後は医師の指示に従う。
それだけです。
だから必ず受診してください。
自己判断では駄目で、
それでは国の支援も受けられません。
重態でなければ、自宅療養が基本です。
これは非感染者に移さないためです。
そして、症状が消え、
検査で陰性になれば解放です。
今の所このプロセスしかありません。
検査キットもピンキリですが、
インフルも同時に検査できるものは、
厚労省も認定で、感度が高い。
でも3本まとめて売っているような製品でも、
ウイルスが多ければ、必ず検知します。
上の写真で兼用型を見ると、
線が一本は陰性、二本が陽性です。
これはインフルが陰性で、
コロナが陽性であることを示しています。
簡易型の方はコロナ専用で、
回復後に検査したので線は一本です。
これからは、コロナを他人ごとではなく、
自分の問題として考えましょう。
皆がそうすることで、
本当にコロナが風邪になる日が来るのです。
恐れず、でも侮らず。
何でもそうですが、コロナについても言えることです。
私の感染の詳しい経緯については、
コロナ感染記(A166,2270)をご覧ください』
2272.御尊顔を拝したくない方々 1/14
私は人の上に立つタイプではないし、功を成し、名を遺すタイプでもない。人生の目標は、この世とおさらばする時に、生きて見て良かった、楽しかった、面白かったと言って去りたいということに尽きる。生きることそれ自体が楽しく、充実感があれば、それ以上何を望むことがあるだろう。
それはそれとして、退職してからTVを見る時間が飛躍的に増えた。そうすると、番組のアラや、出演者の欠点が、いやでも目に付くようになる。でもブラウン管(古い)のこちら側で、いかにやきもきしても、向こう側の世界では痛くもかゆくもなく、いかなる影響もない。だから気に入らない番組や出演者に対して出来る、視聴者の唯一の対策は、その番組を見ないこと、またはTVの電源スイッチを切ることしかないのである。
TVに登場する人々は玉石混交。中には余り顔を合わせたくない人もいる。但し具体名で、具体的な批判をすれば、誹謗中傷になりかねないので、ここでは名前と欠点を別々に列挙させて頂く。どう組み合わせるかは読者の判断にお任せしたい。
1. お顔を画面で拝見したくない方々。
・政治家・議員
二階俊博、麻生太郎、萩生田光一、下村博文、松川るい、片山さつき、高市早苗、稲田朋美、小池ゆり子、ガーシー、立花孝志、泉健太、玉木雄一郎、馬場伸幸、橋下徹、
・専門家・有識者
古市憲寿、三浦瑠麗、中野信子、田崎史郎、岡部信彦(コロナ専門家会議)、
・司会者、アナウンサー
反町理、有働由美子、
・タレント、MC、コメンテーター
ビートタケシ、明石家さんま、梅沢富美男、長嶋一茂、伊集院光、太田光、恵俊彰、ひろみ、ひろゆき、叶姉妹、青木さやか、高嶋ちさ子、出川哲郎、小島瑠璃子
・歌手
平原綾香、じゅじゅ、和田アキ子
2. お顔を拝見したくない理由。
上記の方々が出ているというだけで、チャンネルを変えたいという衝動に駆られる理由は以下の通り。
@ 自己満足と自我肥大。
Aネットで暴言。傍若無人。
BMCなのに、ゲストを遮り、自己主張。しかもその意見は中身がない。
C 実力も人気も落ちているのに、既得権い胡坐をかいて居座る。
D ため口男(八王子のヤンキーか)、と意地悪を売り物にする女性タレント。
E ぶりっ子(年齢を考えよ)、しかも不愛想。
F元スポーツ選手。コメントも出来ないのにひな壇に。しかも番組中に共演者を口説く無節操。
G 専門家(例えば脳科学者)と言いながら、出て来る意見は一般人のそれと何ら変わらない。
H 一般的な古典も読んでいないのに、書評を担当。ミスキャストはNHKの責任かも。
I ガッチガチの右翼(しかも女性議員)で、しかも社会的弱者に冷淡。
J 全ては自分の権力強化のため。いつも仏頂面で民意など意に介さない派閥の領袖。
K 一言で言って老害、マンネリ。滑舌も怪しいお笑いの長老。
L 都構想などで、何度も府民に迷惑を掛けたのに、一切の反省なし。今はその場限りの思い付きをしゃべるだけの評論家。
M 国の政策の上前をはねて、自分の手柄に。少子化でも、コロナ対策でも。しかも膨大な都税の無駄遣いに全く説明はない。不適任の側近をトップに据えて、おかげで支持政党は事実上壊滅。
N野党の党首だが、政権と対峙する気迫はない。自分がトップならそれでいいとばかりに、与党の補完政党に甘んじている。共産党以外の野党全て。
O首まで統一教会に浸かっている。
多分いいところも沢山あり、また希有な才能の持ち主だからこそ、今の地位を築いたのだろう。であるならば、欠点ばかりをこれでもかと国民に見せつけるのはやめにして、長所をアピールして欲しい。その方が双方にとってプラスである。
2273.御尊顔を拝したくない(続)
好評(?)にお応えして、お顔を拝見したくない方々の第二弾です。今回は百人一首方式です。上の句のカードで、その方の特徴を述べますので、それにあてはまる下の句、即ち人名のカードを選んで下さい。なおとばっちりで俎上に乗せられた著名人に申しげたいことは、決して全否定ではないことです。単に今の役割には能力と適性が不足しており、即ち不向きだと言う、ただそれだけのことなのです。問題は、本人(と周囲の)の思い込みと勘違いにあるのです。
1番目の札
「歌唱力で若手歌手のトップに君臨。天然だけど、好感度は高かった。NHKで自分の番組を持っていたこともある。しかし最近どういう心境の変化か、ジェンダーに走り始めた。無論それは個人の勝手だし、過去の自分を否定し、新たな世界を目指すという生き方もない訳ではないが、元のキャラの持ち味を愛するファンもいるだろう。いまやビジュアル的には最も敬遠したいタレントになった。元は演歌歌手だが、今や何でもこなす。だからこそ、歌であらゆる分野に挑戦して欲しい。見てくれではなく」
2番目の札
「親は有名な剣劇俳優。親子でTVに売り込んだ、七光りの象徴的存在。親馬鹿なのかもしれない。女子アナでスタートし、およそありとあらゆるバラエティ番組に顔を出していた。でも元気が良いだけでは、つかみどころがない。どういう自分を見せたいのか、キャラを定める必要がある。なりふり構わぬ売り込みはかえって印象を損ねることもある。一番気になるのは、最近大病でもしたのか、表情が別人のようにやつれたことだ。回復するまでラジオの仕事でもした方が良いのではないか」
3番目の札
「気の弱い男と、男勝りの女の漫才コンビ。女性はその後プロボクサーを目指す。二人が一緒になるかと思ったら、そういうことにはならなかった。男の方は特徴がなくパッとしなかったが、どういうわけか、有名女優と結婚し、急にブレークした。NTVのスッキリの後番組の話が出ているが、妻の七光りでどこまで行けるか。持ち前の人の良さだけでどこまでいけるか。報道の要素があれば、猛烈な勉強が必要であり、そこにも不安を感じる。だからと言って同じタレントのMC、東山や恵が大丈夫かと言えば、そうとも言い切れない。但しその場を繕う能力だけでは、番組を持たせることはできないだろう。同じことは、川島にも言える」
4番目の札
「石原軍団の一人。俳優としての才能には問題はない。だがモーニングショウのMCとなると、話は別だ。世間話に詳しく、古今東西、政治経済社会国際の話題に精通していることを求められる。声も通らず滑舌も良くないが、それは百歩譲るとしても、一番困るのは、イケメン俳優なのに、ルックスに重大な問題があることだ。それは顔の皮膚の大きなしみである。スタイリストはあらゆる薬品を使ってカバーして欲しい」
5番目の札
「なんで有名な米国の女優の名前をグループ名にしたのか理解できないが、ピンクのチョッキとトゥースと言えばわかるだろう。肉体派芸人の存在も無論ありだが、中山きんに君のようにブレークしたわけでもなく、武井壮のような知性派でもない。従って今後が見えない。但し彼の結婚観は評価する。結婚を出世のはしごにしようとする芸人が多い中で、彼は生活に余裕が出来たところで、下積み時代に世話になった年上の女性とゴールインした。そこに彼の男気を感じる」
6番目の札
「今回唯一の現役政治家。何度も書くが、消費増税と解散を引き換えにするという、国民の存在を無視した前代未聞の取引をやってのけた。政権を明け渡した安倍自民党に、追い銭までつけたようなもの。しかも安倍は、自力で選挙に勝ったと思っているから、約束など守る気もなく、実際に守りはしなかった。彼は見た目だけかもしれないが、少なくも頭が切れるようには到底見えない。しかも慎太郎にそそのかされ、その掌で転がされて、尖閣を国有化宣言して、日中関係を思い切りこじらせたこともある。格も経験も全く違う小沢に、喧嘩を売って、悪口を言い散らしたこともある。一つだけ良いことは、防衛大臣を民間から登用したことくらいだろう。但しその森本にはこれまた極端な右翼というおまけがつく。今や立憲の中で最も自民に近い立場であり、どう転ぶか分からない。なぜならこの政治家の本質は保守であり、民主党や立憲民主とは相容れないからだ。だから籍を置く政党がそもそもまちがっている。庶民の代表を自任しているのに、庶民の感覚とはかけ離れている。国会での本人の発言を聞くと、自己陶酔に加えて、これほど自我肥大の政治家がいるのかと驚かされる。自分は鯉ではない、泥臭い泥鰌だと言いつつ、やっていることは、自分が庶民とは違う錦鯉だと信じていなければできないことばかりだ。その言葉は、嘘も方便だと考えていなければ辻褄が合わない。千葉では、今でも駅頭に立つというが、それさえもパフォーマンスなら、もはや救いようがない」
7番目の札
「笑点のメンバー。足を痛めて座れなくなった時点で、出演は遠慮すべきだった。なによりボケの質が古くて、乾いた笑いしか取れない。同年代の者としては、自分の老醜をそのまま見せつけられているようで、とても見ていられない。酷い表現で恐縮だが、馬Xの振りをするX鹿では洒落にならない。その点はタケXに良く似ている。取り得は画才。但し番組にしがみつくのを止めれば、また別の機会があるかもしれない。それにそろそろ自分の二代目を真剣に育てるべき時期ではないのか」
8番目の札
「日本に冠たる政治番組の司会者。若い頃は早口で聞き取りにくかったが、今は滑舌が悪くて聞き取りにくい。どんな政治家にも物おじせずに、モノが言える多分唯一の評論家でもある。希有な存在だが、以前からの自己満足の傾向に変わりはなく、政治理念や思想、展望がいささか古めかしいところが気になる。また週刊誌の連載コラムも、マンネリ。言い換えれば、政治評論家としては思い出話が中心で、ネタ切れの状態だ。肝心の番組でも、見当違いの質問でゲストの話を中断したり、マイクから無意識のうめき声が漏れるなど、TV出演自体に限界が来ている。司会者が、彼でなければならない理由はもう見当たらない。むしろ彼には、その持てる豊富な経験と知識で本を書いてもらいたい。彼の経験や知識を、後世に残して欲しい。それが最大の社会貢献となるだろう。人間的には愛妻家。その点は評価する。但し奥さんは既に亡くなっている」
取札
オードリー春日、野田佳彦、高橋真麻、山里亮太、神田正輝、氷川きよし、関口宏、ロバ―ト秋山、杉村太蔵、吉幾三、クリームシチュウ、デヴィ・スカルノ、林家木久扇、田原総一朗(順不同、読み札がないタレントもいます)
2274.若者言葉 1/17
デレデレと日本を下げる我が首相
コメント:本人としてはニコニコのつもりだろう。
1キロを沖合と言う猿の知恵
コメント:なんでベーリング海峡まで持っていかないのか
時々自分がとんでもない野次馬オヤジ、もしくはミーハージジーだと思うことがあります。タレントで言えばタモリや、作家のみうらじゅんや安斎肇のような、悪ふざけで食っているような連中の同類です。こちらから見れば、タケシ、サンマ、所などは、冗談も通じない田舎者、頭が固い金の亡者の三馬鹿大将にしか見えません。デもって今回の悪乗りは、週間朝日(1.27号)の「わけわからん若者言葉を生む三つの変化」から一部の引用です。
なお誤解のないように言っておきますが、この週刊朝日には「岸田政権、原発大回帰のデタラメ」と言う国民必読の記事もあります。岸田の原発推進の悪の元締めは元経産次官の嶋田秘書官だということが良く分かります。しかしコロナの厚労省から始まり、モリカケの財務省、防衛費倍増の防衛省、そして原発の経産省と、国民そっちのけで、省益をなりふり構わず追求する官僚の姿は、浅ましいを通り越して、情けないものがあります。諸官庁は魑魅魍魎が巣食う鬼城と化したかのようです。
今回の本論は若者言葉です。但し全部ではありません。
【若者言葉の例】 !
希ガス→気がする
きまZ (ぜっと)→気まずい
草→笑う。「笑い」を示すネットのスラング「w」が草に見えることから
そま?→それまじ?
ちな→ちなみに
とりま→とりあえず、まあ _
脳死→疲れているときに使う
はにゃ?→疑問を感じたときに出る感嘆詞
フロリダ→お風呂に入るために一時的にSNSから離脱すること
ホカイマ→お風呂から上がってきたばかりの状態。ほかほかとただいまを組み合わせたもの
前髪の治安が悪い→前髪がうまくきまっていないこと
コメント:フロリダ、ホカイマには笑ったが、若者はどこまでSNSにとらわれているのか。しかも何度風呂に入れば気が済むのだろう(メシリダは何故ないのか)。また見てくれに拘っているらしい。これだから、日本の将来を君たちには任せられないのだよ。
ちなみにサンデー毎日の最新号(1.29号)で一番気になったのは、「反撃能力とは戦争できる国の事」という吉田敏浩の記事の中の、松本清張の言葉です。それは、「挙国一致の先には敗戦と亡国が待っている」というものですが、日米安保隷属条約を支持する田原総一朗なら、どう反論するでしょうか。
2275.入管の問題 1/18
今回の前書きは、朝日新聞(1.17)の耕論、在留資格と外国人の人権から、木下洋一氏の寄稿の一部です。
「全件収容システムに問題」
入国管理宣 (現・出入国在留管理庁 )で 18年間働き、4年前に早期退職を選びました。勤務を続けるなかで卷の入管制度に疑問がふくらみ、このシステムに限界を感じるようになったからです。
…ある時、日本で生まれ日本語を話して生活している小学生が、見たこともない「祖国」に強制送還される姿を目の当たりにしたことが、疑問を抱いたきっかけでした。
…入管制度の限界の根本には、在留資格のない人を原則的に全員収容する「全件収容主義」があります。そのために収容の長期化などが生じますが、実際は施設のキャパには限界がある。だから調整弁としての在特の付与や、一時的に収用を解く刈り方面が繰り返されてきました。
収容施設で外国人が亡くなるたび、入管職員の人権意識の欠如を訴える声が上がります。しかし私は、職員のモラルというよりシステムの問題だと考えています。収容施設は本来、送還まで一時的に留め置く施設という建前です。
…十分な医療知識のない職員が収容者全員の健康管理をすることに無理が生じている。さらに、入管の不透明な運用に外国人側は不満を募らせ、その怒りの矛先は現場の職員に向かいます。全件収容主畿は、収容者と職員の双方を疲弊させています。
実は不法滞在で摘発された人の大半は自費で出国しています。私は、全件収容主義でなく、出国期限を告げ自主的な帰国を促す運用にすべきだと考えます、収容は原則として逃亡の恐れがある人や出国期限を過ぎた人で十分です。そして何より大事なのは、入管制度自体について、国民的議論を深めることです。(以下略)
コメント:残念ながらこの文には、どうすれば強制収容の悲劇を減らせるかの具体的な示唆はありません。しかし硬直的な制度が問題だという指摘はその通りだと思います。でもそれだけでしょうか。国連からあれほど批判されているのですから、法務省はまずは居丈高にならずに、謙虚になるところから始めるべきではないか。
関連記事:入管死亡、法廷で証拠上映に国が反対。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6450919
関連記事:命をないがしろにしてきた日本の入管。
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20230117/pol/00m/010/003000c
コメント:これでは当分体質は変わらない。やはり制度の前提となる、意識に問題があると断じざるを得ない。
2276.第8波とどう向き合えばよいのか 1/17
今日、掛かり付けのクリニックで副院長と雑談する機会がありました。
医師「変わったことはありましたか」
西牧「実はコロナに感染しまして、4日前に自宅療養期間が終わったところです」
医師「私も感染しました。今は感染するのが当たり前になっています。ワクチンで重症化を抑えることが、対処の主流です」
西牧「ならば6回目の接種を早くやって欲しいものです」
医師「多分それは無理でしょう。国もお金がないのでしょう。私費なら話は別でしょうが。そうなると毎年接種しているインフルエンザのワクチンと同じような扱いになるのかもしれません」
この話を聞いて、やっと政府の方針に合点がいきました。5類に変更することで、ワクチンを有料化する、接種を自己責任にするという伏線が見えてきました。その代わり、希望者全員がいつでも接種を受けられるようにはなると思います。無論必要な世帯には、国が経済的な援助をしてもらうことが前提です。
では我々が渦中にある第8波についてはどうすればいいのでしょうか。おそらく地域の殆どの皆さんが数回の接種を終えておられると思います。しかも、マスクをし、手指消毒をして、人混みには近づかないという生活をしておられるはずです。言い換えれば既に出来る努力はしており、これ以上打つ手はないという状況だということです。また仮に感染しても、重症化は避けられると思って(もしくは期待して)おられるはずです。ではまったく「運命」のなすが儘に、流されていけばいいのでしょうか。なんとかなるのでしょうか。
八方ふさがりの状況の中で、他に出来ることはないのか、なすべきことはないのか。でも私はあると思います。逆に、自分が感染しないように努める努力を、放棄する理由もないのです。なぜなら、感染すればいかに軽いとはいえ、それはそれでかなりしんどいからです。私の場合は咳と、耐えがたい喉の痛みがありました。味覚異常、頭痛、鼻水もありました。でも私の場合はそれらの症状が2−3日で軽くなり、同時に抗原検査でも陰性になりました。でも後遺症があります。人によっては1年も続くと言います。私の場合は、脱力感と節々の痛みと、頭がぼうとする症状が残りました。なおこれは私だけの特徴ですが、なぜか発熱はありません。しかし後遺症は結構不愉快です。
今後皆さんがいかに注意されても、おそらく遠からず感染するでしょう。ではその時どうするのか。それは簡単です。どこの病院でもいいけれど、発熱外来を受診してください。事実上それしか選択肢はないのです。そして陽性が確認され、クリニックで対応薬が処方されたら大変ラッキーですが、多くは一般的な解熱薬や解熱薬でお茶を濁されるでしょう。でも重要なのはその点ではありません。病院と接点が出来ることが大事なのです。病院から保健所には自動的に連絡が行きますし、後で自分でネットで厚労省のシステムにつなぐことも出来ます。ここでは重症化した時に、SOSが出せる相手がいることが重要なのです。
そして陽性が確認された後で出来ること、しなければならないことは、最終的には他人に感染させないことです。感染しない、でも感染したら症状を自分で監視して、いつSOSを出すかを判断する、他人には感染させない。そして幸い回復すれば一件落着です。なので自分で、感染から回復までの経過をウォッチするためにも、私は検査キットの常備を強く勧めしています。検査もせずに自分で、大丈夫だ、ただの風邪だと判断するのだけはおやめください。知らずに感染を広げてしまう恐れがあるからです。
今まさに日本全国で、感染者(陽性)が急増し、陽性になった人は(自宅療養期間を経て)陰性に移行していくことでしょう。こうして日本全国で、コロナが風邪になってゆくのでしょう。でもその経緯の各段階ごとにベストを尽くす。そしてその努力が犠牲者の総数を減らすことにもなる。それが知恵ある人類の取るべき態度ではないでしょうか。お説教じみてしまい、大変失礼しました。
最後に書きにくい事を書きます。それは重症化しないと言っても、100%ではないという事です。既に全国で6万人の高齢者が亡くなっており、人数的には311の犠牲者の二倍です。しかもその人数が毎日500人づつ増えているのです。だから自分は絶対大丈夫という保証はないのです。しかも重症化して救急搬送されても、搬送先が見つかる保証もありません。但し仮に覚悟を決めざるを得なくなったとしても、コロナで亡くなる場合、高齢者は苦痛が少ないと言われています。高齢者から先にというのは、自然の摂理にもあっているのかもしれません。
2277.非暴力こそ目標 1/11
『たった一言で、世界が進むべき道を
示すことができる。
それは、暴力で問題を解決するのをやめよ、
ということである。
だから、侵攻はもとより、徹底抗戦も、
敵基地攻撃も、共に認められない。
反撃が、最初の攻撃を上回る悲惨さを
引き起こす場合さえある。
いかなる暴力であっても、
正しい暴力などはない。
暴力それ自体が悪であるからだ。
今こそ、人類は完全非暴力の、
ガンジーに学ぶべきなのである』
医師から指示された自宅療養期間が昨日で終わり、自宅での検査でも4日続けて陰性なので、今日から通常の生活に戻りました。でも以前と全く同じと言う訳には行きません。それは後遺症があるからです。脱力感と言うか、無気力と言うか、近くのスーパーに行くだけで息切れします。歩くときにも脚に力が入りません。身体全体がやる気がないと訴えている感じです。登山で縦走してもこれほどの疲労感はないと思います。厚労省や東京都に言いたいことは、なぜ6回目のワクチン接種を認めないのかということです。いまや感染は避けがたい状況ですが、症状や後遺症を考えると、やはり感染しないに越したことはなく、重症化防止にもなるからです。
2278.見捨てる資本主義にノー 1/12
今回の前書きは朝日新聞(1.11)の耕論、私たちの逆襲から
「見捨てる資本主義にノ―」だめ連メンバー 神長恒一から
…19901年に「普通に働かない、消費しない」など、オルタナティブな生き方を模索する活動「だめ連」を仲間と始めました。 30年ほど経ちましたが、今こそこの活動が必要だと感じています。俺も初めは、「普通」に生きていました。大学を出て、就職して、デパートで服を売って。でも、社会に適応する生き方を「つまんないな」と感じたんです。
…当時は資本主義が今よりも盛り上がっていて、疑いなく乗っかって生きる人がほとんどだった。ところがこの 30年で、格差、競争、能力主義が激しくなり、「働かない」ではなく「働けない」人がいや応なく増えています。資本主義から「降りる」のではなく「降ろされる」。
…権力や資本主義が「あらがう者」に厳しいことは分かっていたけれど、従属する人も見捨てることが明らかになったのです。そうした社会の変化の中で、だめ連的な生き方の広がりを感じてきました。今、アナーキズム的な運動をする人や、お金中心の人生に疑問を抱く人は確実に増えている。社会に居場所がないと感じる人が集い、社会のあり方を問い直す動きもあります。「心を奪われずに生きる人たち」「資本主義より楽しく生きる人たち」として、社会の内側からの逆襲が世界のいたるところで起こっているのです。個人の生き方だけでなく、直接的に勇に声を上げる社会運動もしてきました。デモに集まる人たちからは、ある種の誇りや心を感じ、仲間がいることを実感できます。そういう仲間とともに、個人にあてられる「経済的な物差し」に対して「俺たちはロボットじゃない」と怒りを訴える。対面で話しかけ、交流することで道が開かれていく。
…環境問題や格差の広がりなど、資本主義は「沈みゆく船」です。ダメじゃない人になることで自分だけが生き残ればいいと考えるのではなく、別の船をつくる。そのために必要なのは「もっと本当の喜びと実りのある人生をみんなで生きたい」という当たり前の思いです。(以下略)
コメント:不満や怒りをぶつける仕組みが今の社会にはない。第一滅多にストさえ起きない。筋の通った怒りを、正しい方法で、社会に示す。共感を得るために努力する。何が問題か、どうすれば解決できるのかを話し合う。ちなみに私はアナーキズムには与しません。どんな混乱であれ、社会的混乱が起きれば、割を食うのは必ず社会的弱者だからです。目指すべきは政権交代であり、それもただ闇雲に怒りをぶつけるだけでは、単なる暴徒、暴動で終わってしまい実りがない。私はだめ連が、過去の選挙でどのように、運動を展開してきたのかにも興味があります。名前から憶測する、昔のベ兵連のような組織か、又は最近であればシールズのような若者を中心にした、リベラルな組織であって欲しいが、未だよく分かりません。
関連記事:だめ連とは。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A0%E3%82%81%E9%80%A3
2279.コロナと医療体制 1/20
最初は手探りでもしょうがないと思うが、コロナ禍が始まって3年たっても、まともな報告も総括も出てこない。政府と医療界がやったことと言えば、ひたすらワクチン頼み。そのワクチンも国産化は進まず、治療薬も開発されない。やっとそれらしいものが出てきても患者には回らない。どこで使われているのかも分からない。重症化し、救急車を呼んでも、急患を受け入れる病院はない。医療体制は改善されず、病院への巨額の補助金も、ベッド数や医療関係者の増員には使われず、高額機器の購入に充てられる。予算を決め、補助した以上、税金がどのように使われたのかを監視するのが当たり前なのに、絶対にそれはやらない。おそらくそこで万が一不正や流用が発覚すれば、病院が責任を追及される前に、省庁の担当者の首が危なくなるからだろう。だとすれば、その保身の姿勢は何をかいわんやである。
社会の木鐸たるメディアも、文春のようにただスキャンダルを追うだけで、しかも政治家や役人や医療関係者への忖度が山盛りであり、国民には事象の本質は見えてこない。ただ一社、雑誌世界だけは、冷静に、かつ論理的に、現象を解き明かし、国民に、正しい現象の捉え方を示唆してくれる。とりつきにくい印象はあるかもしれないが、決してそんなことはない。むしろ偏見やフェイク、感情的表現が入り乱れるメディア(含むSNS)がないだけ、読みやすいくらいだ。
今回は長くなるが、世界と一緒にコロナの第8波を分析してみたい。今回はその第一回である。
世界2月号、特集2コロナは日本をどう変えた?
「医療界と社会のあいだ」コロナかと市民の声 高久玲音から
一変した医療界に対する評価
日本で初めてコロナウイルスの陽性者が確認されたのは2020年1月15日、今からちょうど3年前になる。その間、「未知の感染症」だった第一波を経て、変異を繰り返すウイルスに翻弄されながらも、ようやく日本国内にも平時の風景が戻ってきた。この冬は、3年ぶりに緊急事態宣言や、まん延防止等重点措置が発令されず、マスクや手指消毒といった日常的感染対策をいつまで続けなくてはならないのかという先の見えなさの中にも、穏やかな年末年始の風景が広がっている。
2023年は本格的なポストコロナを日本で迎える最初の年になるだろうと私自身は考えているが、その一方で振り返りも必要だ。特に、コロナ禍は医療者と一般の国民の関係性という観点から見ると、不可逆な認識の転換を迫ったのではないのだろうか。第一波を経て2021年1-2月の第三波までは、医療者は文字通り国民の英雄だった。自宅にも帰れず治療にあたる医療者の奮闘や、コロナ病棟で、宇宙服と呼ばれた防護服を着て働く姿に、国民の多くが惜しみないエールを送っていた。日々奮闘する医療者に感謝を伝える運動もあった。
しかし、1年を過ぎようとする頃、2021年4月には世の中の風潮が大きく変わり始めたのではないだろうか。実際に、日経新聞は「医療敗戦くい止めよ」という記事の中で、「医療界はこの一年あまり何をしていたのか」と医療界に対して糾弾をはじめた。死亡者や重症者数が圧倒的に少ない日本で、「医療の逼迫」が連日伝えられ、他国が日本の比ではない患者の波を乗り切るなかで、日本の医療界に対する「なぜ ?」という索朴な疑問を多くの国民が共有するに至った。
その後、デルタ株が蔓延した2021年夏には、多額の補助金を受け取りながらも患者を受け入れない幽霊病床問題が炎上し、病院関係者は大きな批判を浴びた。(編者注:しかも医師会会長が幽霊と言う名前を使うなと各界に圧力をかけるという、笑えない漫画のようなおまけまでついた)。…都は幽霊病床を抱える病院に対して病床補助金の返還を迫ったようだ。(編者注:病院側の言い訳はいつも同じ。ベッドがあっても看護師が足りないというもの)。その後から 自宅療養者がするするとはけ始めたという話も聞いた。多くの国民が緊急事態宣言によって困難な生活を強いられるなかで、補助金獲得に興じていた病院があったことは、言語道断と言わなければならない。
患者を献身的に、かつ積極的に受け入れていた病院についても問題は大きかった。コロナ受け入れ病院であれば2020年度だけで数十億に上る補助金を受け取っていたのだが、防護服を着て長時間働くICUの意思や看護師には1日数千円の危険手当を支払って済ませる大病院がほとんどであり、現場の負担緩和や、負担に見合う納得感のある金銭的補償を考える病院もなかった。私は日本有数のコロナ受け入れ病院で働く救急医から現場の現状を告発する次のような連絡をいただいたこともある。
「病院は巨額の補助金をもらっているのに、現場は一日数千円の危険手当でもう一年半重症者対応をしています。補助金が余っているのか高額医療機器の購買に関するアンケートが病院内で回覧されています」?というのは異常な「職場」ではないだろうか。…年収という観点からすると医師は基本的に高所得者なので、コロナ病棟の医師たちの多くは報酬目的というより使命感によって働いているのだが、コロナ病棟には看護師を含めて必ずしも見あわない報酬で働き続ける医療者も多い点も忘れてはならない。
結局、法外とも思われる額の補助金は、そのまま病院の流動資産に計上され、医療提供体制の強化には?がらなかった…。
ロンドンと東京のコロナ対応の比較
… 英国の医療提供体制は「選択と集中」や「機能分担」が徹底されており、重症患者の診療が可能な病院は自然に特定される。報道を見る限り、日本のような「どこがコロナ患者を受け入れるべきか」という議論自体がそもそも存在していないように見受けられた。
受け入れが当然要諸されるはずの大病院の医師たちはコロナの感染拡大に備えて病院機能の転換を迅速にはかつていた。特に、感染拡大局.面では不急の手術は延期されることから、通常は 手術にあたる医師たちが院内でコロナ病棟に配置転換された。
…そうした院内の配置転換によって英国では数週間のうちに重症対応病棟を拡充するこ とができたようだ。
…こうした再配置が他国と比してまったくなされず、現場は泌迫し、補助金が流動資産として積みあがってしまったという絲緯を振り返ると、病院組織を社会の要請に応えるように変えられない病院長のマネジメント能力の問題が浮かびあがるように思う。(編者注:この次に野戦病院 /臨時医療施設に関する記述がありますが、結局は人員の手当、すなわち配置転換の問題でうまく機能しなかった大阪の例もあり、ここでは割愛しました)
急性期機能の集約化
以上のような経緯をたどったコロナ禍を振り返ると、医療界が今後改善すべき点は一体何だろうか。提供体制に関して既に提示されている改善点としては、…「急性期病床の機能強化」であり「急性期病院の集約化」「高度急性期・重症急性期の人院医療への特化」だろう …日本の人口あたりI C Uなど病床数は欧米諸国と同等であるものの、1?5床程度だけを保有する病院も多く、過度に分散された構造になっている。…集中治療専門医が一人しかいない病院ではその医師が勤務していない時間帯の患者受け入れ能力は大幅に低下するとみられ、救急医療の機能の観点からも問題が多い。
…個々の医療者の「頑張り」や「献身」は既に様々な箇所で賞賛されており、私自身も異論はないが、組織全体とすれば社会のニーズに応える柔軟性がなかったのではないだろうか。…しかし、日本においては「コロナは感染症専門医でないと診れない」といった言説が流布したり、稼働率が下がっている中でも専門外の医師にコロナ対応を要請することはほとんど行なわれなかった。…私もシンポジウムで「感染症なのだから個別病院でゾーニングをしながら通常医療と両立するのは無駄が多い。たとえば公的病院をコロナ専用にしてしまって大々的に診ればよいではないか。野戦病院のような箱物を外部につくらなくても同じ効果があるはず」といった主張をしたことがあったが、「他の専門を持っている医師にまでコロナ対応をさせるのは非効率だ」という医師の先生方からの反対意見が多かった。しかし各国のコロナ対応を見るかぎり実際に、麻酔科医のような「他の専門」を持っている医師がコロナ対応に多く動員されている。
…高齢化にともない総合診療医など広く薄く診る医師が今後求められているにもかかわらず、臓器別の専門医志向は未だに医師の間で根強いといった問題と同根だ。…文化人類学者の磯野真穂氏が言うように「医療は暮らしを守るためにある。暮らしが破壊されるのであれば医療を変えるべき」だろう。
平時から病院のホワイト化を
柔軟な組織転換が出来ない日本特有の理由として挙げられるのが、医師の過重労働である。高齢化にともない患者数自体は増える一方で、総額の医療費を抑えるためには単価を抑えてしまえばよいという政策が長年とられてきた。…医師は必要性の低い医療に至るまで時間を割く必要があり、労働時間の削減を困難にしていた。
本稿ではコロナ禍の三年間を振り返り、医療界のありかたについて何が課題として残っているのかを示した。言うまでもなく、現場で懸命に働かれている医療者には大きな感謝を個人的にも感じているが、コロナ禍で明らかになったのは医療界全体として市民の要望に応えるようにある種のシビリアン・コントロール (文民統制 )を利かせることの重要性だ。とりわけ、医師は高度な専門職でありその専門に誇りをもって働いている一方で、社会のニーズとそうした専門 (及び専門性の配分 )が合致しない場合には、医師の持つある種の「権力」に怯むことなく市民が指摘を続けるべきだろう。全体の4パーセントの病床を割いただけで「医療崩壊」した事実の背後には、「コロナが診られなければ社会が止まる。若者の青春も奪われる」という人びとの危機感が医療界に十分に理解されなかったことがある。社会でもっとも知的とされる人材を30万人集めて、その集団に市民のニーズを十分に聞いてもらえないとすれば、そうした国はやはり衰退の一途を辿るのではないだろうか。福沢諭吉の言う「権力の偏重」は医療と社会の間にも厳然と横たわっている。専門家集団としての医師を考えた際に、個々の医療者の献身に期待するだけでなく、市民の声や社会のニーズを医療提供体制そのものに反映させる仕組みが求められているだろう。
最後に、専門家組織としての医師会についても触れたい。コロナ禍では開業医の診療協力も十分に得られなかったことから医師会の評判も地に堕ちた感がある。ただ今後どうすべきかについて、実は70年前の終戦当時の記録にヒン卜がある。…広島市医師会は終戦後、医師会のメンバーに対して、原爆が広島に落とされた当時、原爆被害にあわれた方々の治療に貢献したのか、アンケートを行なっている。原爆被害の治療はコロナを大きく超えた災害医療の極致であるが、 有事の際に医師会がどう動いたのか、コロナと比較することには意味があるはずだ。
…被爆後、広島の医師たちが救護の意思を失うことがあったとしても人間として無理もないはずだ。それにもかかわらず、当時の医師会は診療協力しなかった会員を不問に付すようなことはしなかった。むしろ「医師としての責任を果たしたのか」と詰問するアンケートを送っているのは、専門家組織の矜恃を真に示したものといえる。 日本の国民は長い間「医師」という職業に対して大いなる親しみと愛着を抱いてきた。そうした医師への信傾は、こうした自浄作用を外部に指摘されなくとも働かせる集団だったからではないか。コロナ後の医師会にもそうした取り組みを期待したい。
コメント:筆者の意図を十分に汲んだ紹介(または抄訳)になっているかどうか、自信はありせんが、少なくともこれはかなり手厳しい批判であることは確かでしょう。でも、政府の専門家会議のメンバーの発言を聞いても、いつも他人ごとのような緊張感のない発言ばかり。それは病院の経営者や学者の意見ではあっても、患者や現場の医療者のそれではない。こういった無責任な官僚や自称専門家、そしてその組織の存在自体が、医療者や患者の現状把握を見えなくさせている要因の一つではないのか。明日掲載予定の、現場の医師による論文でも、それらが明らかにされると思います。
関連記事:風邪化するコロナ。死者500人をどう捉えるか。
https://toyokeizai.net/articles/-/646947
関連記事:なぜコロナ後遺症は長引くのか。
https://toyokeizai.net/articles/-/645831
2280.コロナと医療の3年間 1/21
今回の前書きは雑誌世界のコロナ総括の第二弾です。
TVにも良く登場する倉持医師が医療制度の破壊を危惧しています。
「医療制度が破壊された3年間」倉持仁から
―(前略)どのような状況でいらっしゃいますか。
いまは一日あたり300人から400人ぐらいの患者さんが来ています。そのうち、新型コロナの陽性率が六割から八割ですから、かなりコロナが蔓延して流行している状況です。一方、インフルエンザはそんなに流行っていません。いま、オミクロン株の変異であるBA.5が、中途半端に増えて、少しピークアウトしてきたような兆候が見られるのですが、また株が変わっている時期なんですね。つまり、次の株に変わってきていますから、多分、もう一回、次の波がすぐ来てしまうと思うんです。その時期にインフルエンザが本当に増えないかどうか。非常に怖い状況で、とてもそれに対応できるような医療体制になっていないと思います。
―良い対策が生まれにくい構造
―コロナが日本に上陸して四年目に入ろうとしています。この三年間をふり返られて、どのようなことを感じていらっしゃいますか。
私がこれまで主に発信してきたことは、医学というよりは、医療の立場からのものでした。医療とは何か。当たり前のことですが、早く診断をして、早く治療を行って、患者さんも医誉者例も不利益を被らない、という考えです。私自身は、終始一貫、そうした考えをペースにして、そのような環境になってほしい、とずっと願ってきたわけですが、現状を見ていると、残念ながら、全くそうした方向とか状況にはなっておりません。多くの感染者が自宅療養を強いられ、一部の限られた人しか医療を受けられない、という状態がスタンダードになってしまっています。
−その原因はどこにあるとお考えですか。
色々考えてみたのですが、まず、よく分からない感染症が出現したことに対して、いわゆる専門家といわれる人たちのグループが最初の段階で結成され、その人たち(専門家会議や分科会)が政府のコロナ対策に対して、医学的な見地からアドバイスをしていく、という体例がとられたわけです。
少し語弊があるかもしれませんが、そもそもこの会議の人たちの多くは基本的には、医療には直接携わってない人たち、感染症学であるとか、疫学や公衆衛生など、どちらかというとマクロ的な視点で医療を考える人たちです。つまり、現実の医療の現場の声よりも、これまでの経緯や慣習、法律、そういったものの枠内で、差し障りがない方向性での医療的提案を行う組織になってしまいました。
政府の人たちも、はっきり言って感染症、それも未知の感染症に対する医療的な知識はほぼないに等しい状況です。厚生労働省はどうだったかというと、コロナ以前の厚労省は、厳格に国民皆保険制度を守ろうとする組織でした。末端で医療を提供している我々からみると、非常に頼もしい組織であったわけです。しかし、それが結局、従来のやり方の中で自分たちが責任を取らずにすむ方法ばかりを採用する組織になってしまった。PCR検査を抑制したこともそうですし、当初、コロナを一過性のもの甘く見て、ワクチンなどの研究開発を怠ってしまったこともそうです。
そのうち、コロナ禍の中で医療供給体制が脆弱化していきました。今では高齢者の方でも簡単に入院できません。ジェネリック薬でさえ安定供給されなくなっています。厚労省が皆保険制度をしっかり守るという立ち位置から、無難な方向でよい、という方向へとシフトし、存在が軽くなってしまっています。
医療政策にいろいろと物を申す存在として医師会があるわけです。医師会も、本来であれば患者の健康を守る団体として存在していたはずです。なのに、現在の医師会の組織の中心を担っている人たちが、50〜70代の人たちであるためか、彼らもコロナは怖いから診たくない、そんな危険を冒してまでやらなくていいよね、と言う姿勢で、きちんとした医療保険制度を基にした医療を守らなければいけない、という立場からの発言かできなくなっています。
結果として、政府に対して提言を行う専門家の人たちの提言がそういう内容であった、そして、国民を代表して医療を守るべき立場にあるはずの医師会も、日和見的な発言に終始してしまった。そういう人たちが中心になって物事を決めていますので、これでは構造的に良い政策になりようがないわけです。
国を動かしている組織としては他にも、お金を出す財務省とか、経済団体などかおりますが、こうした構造の中で、コロナにかかっても半分死ぬわけじゃないんだし、この三年間やってきて、だんだんわかってきたから、多少、感染者が多くなっても構わないので、過大評価することなく、従来通り生活しましょう、というようなところに対策が落ら着いてしまったのですね。コロナに対する各々の組織の立ち位置を優先させて、足し算をした祐果が、硯在の対策になっているのだと思います。世間的にはそれでいいのかもしれませんが、医療という観点から見ると、やはり、これまで当然のように受診できたり、治療を受けられたり、
不安を払拭できていた環境が失われてしまっている形になっているのは問題です。
結局コロナと言う病気に対して完全に分かっている専門家は誰もいないわけです。それは世界中どこの困も同じです。そういう中でコロナ対策には、過去の対策を検証して、間違いがあれば反省・修正してバージョンアップさせていく、といった姿勢が求められます。例えば、第一波の時の強力な自粛はあれで良かったのか、とか、コロナに対して予算を使いすぎたのではないかなど、反省や検証が必要なことはたくさんあります。現在のコロナ対策にはそうした姿勢が欠落していると思います。
―危険な状況のまま第八波に突入?
―外国人観光客も受け入れるようになりました。第八波が来つつある現在の状況をとのようにご覧になっていますか。懸念すべき点はどういった点でしょうか。
注意して見なければいけないのは、コロナ初期のころに感染者がたくさんいた欧米諸国と日本とでは状況が異なる、という点です。当初、中国から始まったコロナの感染が韓国や日本でも見られるようになり、日本でもこれから感染者が増えると思っているうちに、欧米諸国に飛び火して、そこで圧倒的な感染者や死者を出しました。
今になって見れば、第一波?第五波の日本の感染者数はすごく少ないものでした。逆に、これまで感染者が少なかったぶん、今、感染が最も起こっていて、かつ危険なのが、日本や中国です。実際、海外で亡くなっている人は減っています。一方、日本は2022年に入って、オミクロン株に変異してからのほうが感染者数も、死者数も圧倒的に多くなっています。
従来と比べてコロナが収まっている欧米の状況と日本とでは、置かれている状況が違うのに欧米と比較して、日本も世界のスタンダ?ドに合わせなければいけないから、日本ももう検疫しなくてもいい、マスクはしなくていいとか、そんな乱暴な議論をなぜ、いましているのか。
医療制度の差こそあれ、検査をして治療を受けるという枠組みが欧米ではある程度できているんですね。一方、日本では、従来通り、感染者の選別をして、短期的な視点でしか治療対象を決めていない。感染状況の把握に、日本はいまー番力を入れて取り組まなければいけないのに、的確になされていない。感染して日常生活に制限を受けている方はたくさんいるはずですが、そうした状況を把握できないまま、乱暴な論理がまかり通っています。
相変わらず、変異株の検査など十分に行えていないし、それに対するリソースも引き揚げている状態です。国民が目分でチェック、診断をして陽性者登録をし、何の医療も受けられないという体制が根づいてしまっている状況です。従来あった、日本が唯一誇れると言ってもいい国民皆保険制度の根幹が破壊されている状況の中で、いま人口あたりの感染者数や死亡者数が世界でもトップクラスになっているのです。
メディアでは、新型コロナの感染症法の扱いをめぐって、「 2類から 5類へ」と分類を見直すべきか否かということが熱心に論じられていますが、これも、皆保険制度が崩れている状況下で、 2類か 5類かなんて議論をしてもほとんど意味がない。今は、どちらにも当てはまっていないことが常態化しているわけですから。本質的な問題とはずいぶんかけ離れた議論です。
―コロナの後遺症の本当の怖さ
オミクロン株の流行を見て分かったことは、この病気は急性期の病気ではない、後遺症があるということです。慢性疾患と捉え、感染初期に軽症か重症かだけではなく、後遺症まで見越した上で治療を行い、治療対象を決めなければいけない。これは、医療現場で感じていることですが、そういう視点がいまの対策には完全に欠落しています。
コロナに感染すると脳の機能が阻害されます。味覚、嗅覚障害が起きることは所期の頃から明らかになっていましたが、これは花が詰まってにおいがしなくなるわけではなく、 その他の不随する症状を見ると、脳の機能がスポットに脱落してしまっているのです。それが嗅覚のところに起こった人は、においがしなくなる。これは時間が経てば治ってくるのですが、人によっては、もの覚えが悪くなるとか、仕事のパフォーマンスが低下して、以前と同じスピードで仕事ができなくなる。他にも眠れないとか、大きな意味での脳の障害があります。それから、一部の人に起こることですが、インフルエンザと違って、筋力がなぜか低下する。診断した患者さんで、握力が半分以ドになってしまった人がいます。
脳がやられ、筋力が落ち、そして肺の機能が落ちてくる。この三つが臨床の現場から見えている後遺症の主な病態です。我々の旅設ではそういう体調が悪い人たちについて、そういう面からの評価を行って、どのような機能が低ドしているのかに気づいてもらった上で、主にリハビリを行っています。
脳梗塞を起こした人は、自分の左手の麻痺に気づくことができなければ、リハビリができないわけですが、コロナの怖いところは、後遺症に気づきにくいところにあります。これまで準備や段取りが30分でできていた人が、一時間経っても全然終わらなくなった。若い女性で、メイクしたり、洋服を選んで、準備を整えて外出することができなくなってしまった人がいます。こういう分かりにくい後遺症の人が結構たくさんいるんです。そういう人たちは体力の低下に気づいていないので、医療的なケアも受けることができないんです。
あるいは、コロナのそのものの症状は軽症と言われていたのに、職場復帰してみたら、筋力が低下して全然立ち上がれなくなった、せきやたんが統くので肺の検査をしてみたら、肺機能が明確に低下していた、という方が、相当数います。そうした三つの病態が見られる方には、それに対するケア、リハビリ、治療をしていけば、いずれ社会復帰できるのですが、十分に休めるような制度や環境もない、というのが現状です。多くの人が、職場復帰してしばらくして、下手をすると、半年ぐらい経ってから、コロナが原因かどうかさえわからない感じで、体調不良を訴えてやってくるんです。ですから、そのまま休んで離職につながってしまったり、給与がもらえなくなって、生活困窮に陥った人はかなり多いのではないかと推察されます。早期のコロナ検査や治療さえ受けられず、国はワクチン接種を奨めることしかできない状況で、ましてや後遺症の治療や対策、あるいはそれに付随すべき制度などは全く整えられていません。最初の段階で、もう病院に行かなくていいよ、で終わっていますから。
医療者側も後遺症の間題をきちんと認識をした上で、診療体制をつくれるような状況がほとんどない。多くの医療者は、コロナの全体像を診ていません。これは 2類扱いという制度の問題が大いにあると思うのですが、要するに、軽症の時は発熱外来、そしてそのまま自宅待機。中等症になれば初めて病院に人院するかもしれないですが、急性期の治療しか行わない。重症になって人工呼吸器の装着、エクモまで受けた人は、初期治療を受けた後、一定期間リハビリを受けることができるので、少し状況はいいのかもしれないですが、それとて分断された医療体制になっています。ですから、急性期は大学病院、中等症の時は地域の病院、そして重症になったら大学病院に入院するけれど、そのうちベッドを空けなければいけないので、人工呼吸器やエクモが取れれば、リハビリ病院へ。コロナに対するきちんとした理解がないまま、分業で治療を行っていて、通しで臨床像が、きちんと分かっている人はほとんどいないという現状があります。当然、各学会でのガイドラインもきちんと作られていない状況で、きちんとした対策が取れる体制にさえない。ゆゆしき事態です。
―どのような形で終息するのか
―コロナの今後、といいますか、いつになったら終息するとお考えでしょうか
コロナの株自体は、多分ずっと変異しながら、続いていくと思うんですね。先日、新しい治療薬が緊急承認されました。検査キットも、ちょっと感度は悪いですけど、自分で手に入れて検査できるようになってきました。あとは、国民が誰かれ隔てなく、新しい薬を手に入れられるような状況になれば、ある程度収まるというか、コロナは大きな問題にはならなくなってくると思うのですが、あくまでも、それは後遺症まで見据えた医療・体制が整ってからの話です。後遺症まで見据えて、臨床デ?タを集めることができれば、改良された新薬が普及していく可能性があると思うのですが、この少子高齢化で社会保障費がうなぎ登りのように増えて、医療費を抑制しなければいけない状況下で、本当にそのような体制作りができるかどうか。日本の製薬業界の薬を作る能力が著しく弱められている背景には、医療費抑制政策がやはり大きく影響してきています。今のように、ジェネリック薬さえ充分に来ないような状況で、新薬だけみんなに行き渡らせるのは、現哭的ではありません。
あまつさえ、皆保険制度を滅茶苦茶にしてしまって、形骸化的な2類5類論争をして、それでことが収まると考えて いるようでは、終息はほど遠いという気がしてならないですね。
?ワクチンは今後も打ち続けなければいけないということになるのでしょうか。
ワクチンに関しても、きちんと説明ができていないと思うんですね。つまり最初の頃、我々は新しいメカニズムの m R N A (メッセンジャ? R N A )ワクチンを二回か三回打てば、それである程度の期間免疫が得られるものと想定していたのですが、現実にはそうでないということがわかったわけです。ですから、まず、そのアナウンスメントをきちんとしなければいけないのですが、そうした正しい情報がきちんと国民に伝わっていない。
コロナに感染した後、さらにワクチンを接種することで、より免疫がつくことが分かっています。現在、海外ではコロナが以前ほど流行っていなくて、日本だけコロナが流行っているのには、そうした面も影響している可能性があります。だから、感染した人たちが後遺症で苦しまないよう、ケアをしながら、うまく治療をして、国民が一通り感染し終えないことには、いわゆる「集団免疫の獲得」にはならないのかもしれません。だとしたら、今までどれだけの感染者がいて、どれだけ抗体ができて、という科学的な検証をやらなくていい、などとわけのわからないことを言っているので、コロナが始まって以来、そういう科学的なデ?夕の集積が日本ではほとんどないんですね。それが日本は科学論文が少ないとか、研究論文の競争力が落ちているということにもつながっています。
ですから、ワクチンに関しても、ワクチンの役割はどこまでか、どのくらいの人たちが打つべきなのかを明確にしたうえで、治療薬のことも視野に入れて、薬の効果はどうなのか、日本という最大の高齢化国で供給体制は十分なのか、といったことまで検証した上で、きちんと数が確保されているんだから、ワクチン打たなくていいよ、その代わり、薬を飲んでくださいとアナウンスすればいいだけの話なんですけど、そのどれも行えていない。
コロナという新しい社会、経済間題となりうる大きな間題を前に、ちぐはぐなまま、手探り状態をずっと三年も続け、きちんとした検証体制さえ整えられないまま、今また、コロナ問題を過小評価し一過性の問.題としか捉えず、無謀とも言えるような方向に一貫して進んでしまっているのが問題ではないかと危惧しています。