「オンライン・オピニオン」


 「カキフライの謎」
 「浮かれ騒ぎ」
 「鍋物の神秘」
 「ミルフィーユ鍋」
 「鈴木邦男」
 「パフォーマンスだけ2題」
 「地域への警告」
 「コロナの教訓」
 「ステレオからスマホへ」
 「読者参加型小説」

 
2281.カキフライの謎 1/24

私は料理は全くダメです。シティ・ボーイなのかもしれないが、その点で、山歩きやキャンプをする人達と決定的に異なります。一人で下宿し、自炊したこともなければ、飯盒で飯を炊いたこともありません。料理・洗濯は主婦の仕事だと割り切ってきました。しかも火加減や、味付けなど、専門的な知識も必要だし、ハードルも高そうです。ところが最近、小さな出来事があって、どうもそれでは済みそうもないと思うようになりました。
それはTV番組で牡蛎の収穫の様子を見ていて、牡蛎のシーズンだと分かり、でもカキフライを外食するのは馬鹿馬鹿しい気がして、OKでカキを買って帰ったところから始まります。
小生「これでカキフライ作って」
家人「あんまりやったこと無いんだけどね」
---調理---
家人「ハイできたよ」
小生「これ何?」
家人「見れば分かるだろ、カキフライだよ」
小生「見て分からないから聞いているのだ。天ぷらでも作ろうとしたのかな」
家人「小麦粉をまぶして、フライパンに油を敷いて焼いたのだ。どこが悪い」
小生「まぶすのはパン粉だろう。そのくらいのことは俺にでも分かる」
家人「だからやったことないと言っただろう。気に入らなければ、自分でやれよ」
小生「出たよ。砲丸投げ、いや丸投げ。ヤリ投げ、いや投げヤリ」

ここまで開き直られれば、受けて立つしかありません。あわててネットでカキフライのレシピを調べると、
やはり予想通り、使うのはパン粉だと分かる。油の温度は180度。分かっているのはそれだけです。
後は常識だけが頼りです。

今回もう一つ実験したいことがありました。久しく生ガキを食べていなかったからです。
生ガキを最後に食べたのは、品川にオイスターバーが出来た(本店はNY)ので、
食べに行った10年ほど前です。食べたことはないが、多分高価な岩ガキだって、
生で食べるのが本流でしょう。だから生食用の牡蛎を一度試してみたかったのです。
無論期待外れなら、フライにしちゃえばいいわけです。

5個入りのパックを二つ買って、水で洗いし、キッチンタオルで水気を取ります。まず生で試食。
小生「NYで食べたのと違うな。食べられないことはないが」
家人「うむ、少し生臭いな」

と言うことで、後はフライに。
水気を取った牡蛎を生卵に浸し、パン粉をこれでもかとまぶす。後で気が付いたのは、
卵に漬ける前に、カタクリをまぶすのを忘れていたことです。また小麦粉がついていない
部分があると、そこから水分が出て油が跳ねます。調理用温度計で油温を測り、180度にして、
牡蛎を入れると、直ちに140度に下がる。油温の管理が結構ムズイ。そこでもっぱら
衣の色で判断します。レシピでは2分だがそれは180度の話。140度では、2分では
到底足りません。そこで色で判断します。こげ茶色は揚げ過ぎで、黄色は生。きつね色が丁度多い。
そして揚げたてを食べる。それが美味い。シェフの特権です。但し揚げ物には問題がある。
それが油の始末です。そのまま流すことは出来ないからです。

次回は鍋ものです。



2282.浮かれ騒ぎ 1/25

「安倍一強から10年、9条言及欠いたまま、戦後安保政策の転換」蟻川恒正から
…近代日本政治史に宿綱のように付き纏っていた政治家の暗殺事件が人々の脳裏から去って久しい。 忽然として起こった惨劇の構図は、独特のものであった。何よりも、それは、安倍氏の思想信条に反対する政治的テロリズムではなく、韓国で設立された宗教団体(旧統一教会)に家庭と人生を壊された個人による私的怨恨を動機 とする殺人事件であった。

…「もともと統一教会を日本に引き込んだのは、岸信介元首相だ。ただ、すでに死んでいるので、その孫の安倍元首相を狙った」と供述した被告人は、自らの上に降りかかった不遇が政治の動きと無関係でないことを嗅ぎつけていた。

…自民党が 野党時代の2012年4月に発表 した惑法改正草案は、政教分離を定めた憲法20条1項後段を改正し、宗教団体は「政治上の権力を行使してはならない」という文言を削除する案を規定していた。

…教団との関係の弁明に追われた 政治家たちの主張は、判で押したようなものであった。「選挙だから支援者を多く集めることは必要なことだと思っている」「次の選挙でどうなる かは軽々にお答えできない」
これは、選挙至上主義である。

選挙至上主義とは、第一に選挙の ためとあれば大抵のことが許される政治家の「内綸」の感覚であり、第二にその感党がそのまま政 治家以外の人にも通じて当然だとする、「外部」感党の欠如である。

教団から被害を受けている者や その家族よりも自分たちの選挙を優先する岸氏ら多くの政治家のそうした態度の根底にあるのは、つまるところ想像力の貧困である。

ボランティアだから閉題はないというのが、その言い分であろう。けれども、あえていえば、ボランティアだからこそ問題なのである。なぜなら、信者は、「ボランティアベース」で政治家の選挙事務所に入り込むよう教団側から 言い含められており、無償の勤労奉仕を提供することで、教団が政治家とのパイプを作る手段に使われているからである。

これは、高額献金とは形は違うが、教団による広義の搾取である可能性がある。政治家側は、その可能性にこそ思いを致すべきであった。それができなかったのは、国民たる教団信者の苦境への想像力が欠如していたからである。

教団と自民党の関係について、 安倍派の福田達夫氏が、「正直言う。何が問願かよく分からない」 と述べたことは、事態を象徴して余すところがない。のちに発言の修正を図ったものの、当初の発言 が「正直」なところであったろう。国民への想像力を働かすどころか、国民の心情に共感するふり をすることさえできなくなっているのである。

戦後の日本政治において、ここまで明け透けな国民軽視を、政権与党の有力政治家がこぞって示したことがあっただろうか。

かくも無残な政治の劣化は、「安倍一強」といわれた政治環境に胡座をかいて、10年間、衆参6 度にわたる国政選挙での勝利に酔った安倍氏「配下」の政治家たちが、我慢強い国民に高を括って、空騒ぎに興じた結果というよりほかに、説明のしようがない。

政治家たちの浮かれ騒ぎは、今日、「敵基地攻撃能力」という新 たな題材を得て、ますます盛んである。その始まりが、退陣を表明した後の、したがって政治責任を負わずに済む条件下での、首相 (安倍氏)の談話であったことは、兆候的であった。現政権が表現を「反撃能力」に和らげた上で、野党からの追及を免れた昨年の臨時国会閉会後に、その保有の必要性を文習化し、これを、あろうことか国会審議に先立ってアメリカヘの手土産としたのは、その手法も含めて、元首相の政治を継承するものであった。

2022年12月16日のこの国家安全保障戦略の閣議決定は、憲法 9条への言及を欠く。相手国内の軍事施設を攻撃することが、「武力の行使」の必要最小限度性を厳しく求める憲法9条1項に違反しないか、また、抑止力を至上課題とし、軍事衝突のリスクを高め、 際限なき軍拡競争を必然化する国家戦略が、「戦力不保持」を定めた憲法9条2項に違反しないかは、通常国会の不司欠の争点である。

だが、それ以前に、…臨時国会閉会後を待って、閣議決定したことそれ自体が、最大の争点 でなければならない。
(以下略)
コメント:自民党議員の質の低下は目を覆うばかりである。ところが馬鹿ほど強い者はない。安倍を10年ウォッチしてきたので、それは良く分かっている。およそ愚かでさえあれば、いかなる歯止めも効かず、官僚、圧力団体、業界、もしくは教団の言いなりになって、政治的信念や理念はもとより、後先の考えさえなく、闇雲になんでもやってのけてしまうからである。敵基地攻撃能力しかり、原発再稼働しかり。その後はひたすら選挙に専念し、票集めに努めればよいのだ。しかも国民はどれだけ酷い仕打ちを受けようと、1年も経てば忘れてしまう。だから、この10年(しかも未だ終わっていない)は、戦後の民主主義政治の暗黒時代として、長く記憶されることになるだろう。



2283.鍋物の神秘 1/24

家人「オイ」
小生「私は君の甥ではない」
家人「何をとぼけたことを。自分の甥に、甥と呼びかける奴がどこにいる。ならばオイ、ワタシ」
小生「ワタシは固有名詞ではない。タワシは固有名詞だが」
家人「気は確かか。ところでキッチンの隅にある、アレはどうするつもりだ」
小生「はて、面妖な。今度はアレと来たか」
家人「面倒くさい奴だな。白菜だよ」
小生「ここで事情を知らない読者の為に、事情を御説明したい。事の始まりは昨年末の交流会で、ビンゴの商品に農産物が出たことだ。これは地域で大きな農園を営む名士が毎年寄付をしてくれる。農業の技術も年々向上しており、だんだんプロ並みの作物が出来るようになった。収穫には毎回小作人を二人ほど連れてゆくようだ。交流会では、ビデオ撮影で忙しかった私の代わりに、くじを引いてくれた人がいて、大きくて重けりゃ私が喜ぶと思い、白菜を取ってくれたらしい。しかし我が家では漬物の知識もないので、どうしようかと思っていたところだ。ところがその時ひらめたのだ。今は冬だと」
家人「今頃気が付いたのか。もう1月だぞ」
小生「冬と言えば鍋。鍋と言えば白菜。どうだこの非凡なひらめきに驚いたろう」
家人「それは常識の範囲内だ。そもそも料理もしたことがないのに、鍋ものがなぜ出来るのか」
小生「それが出来るのだよ、ワトソン君。この機会に私は声を大にして、日本中の料理が不得手な男子に言いたい。料理は鍋から入れ。鍋料理に失敗の文字はないと」
家人「何を言っているのかよく分からんが、白菜だけでは料理にはならんぞ」
小生「当たり前だ。白菜は無くてはならない重要なパートナーだが、料理には主役がいる。今回は3人の主役に登場願おう。最初は豆腐だ。これ即ち湯豆腐である。二番目は鶏、即ち水炊きだ。そして3番目は豚さんだ。基本は豚しゃぶだが、それでは白菜が目立たない。私はこの日の為に、密かにカセットコンロと鍋を、それも二つずつ用意してあるのだ。しかもとん水まで用意した。どうだ驚いたか」
家人「お前は鍋で湯を沸かして、具材をぶち込めばいいと思っているんだろう。そう顔に書いてあるぞ」
小生「なにをおっしゃるウサギさん。鍋の基本は言うまでもなく出汁だ。しかも出汁の基本は3種類。昆布か、鰹節か、それとも煮干しか。だが煮干しのだしは、魚臭くなるので、素人はやめたほうが良い。また昆布も、出汁を取った後の出がらしが始末に困る。大体は食べてしまうが。削節を入れて煮立て、ザルのようなもので掬うのが一番失敗が少ないが、それでもゴミは出る。そこでお立合い。今は21世紀。出汁を自分で取らなくても既製品がある。あらゆる鍋向きのスープが、レトルトパック形式で売っているのだよ。値段も4人分で300円以下だ。これを利用しない方法はない。しかし私のようなグルメ=但しB級、は自分なりの味を演出したい場合がある。そこで私が使うのは北海道から箱で取り寄せた、ねこぶ出汁である。これにしょうゆや酒や味醂を足して味を調整する。出汁が出来たら後は具材を美しく並べて煮るだけだ。鍋が出来るという自信が出来れば、客を招いてオモテナシもできるぞ。もう素人とは呼ばせない、とこうなるわけだ。どうだ、ワッハッハ」
家人「急に大きく出たな、誇大妄想か。確か炊飯器のセットも出来なかったような気がするが」



2284.ミルフィーユ鍋 1/26

家人「お前、この会話の茶番をいつまで続けるつもりだ。実際にあんな口を叩いているのかという電話が、親戚から掛かって来たぞ。そもそもこれは誰のアイディアだ」
小生「週間文春に、御茶大の哲学の教授、土屋賢二が、本当にどうでもいい、ツチヤの口車というコラムを連載している。それがヒントと言えばヒントだ。私は彼とはいかなる面識もないし、似ているのはいい加減であることと、哲学に若干関係がある=W大文学部哲学科卒こと、そして土屋が自分で言うイケメンであることくらいだ」
家人「最後の部分には異論がある、意見に個人差のある部分だ。それにしても、私をダシに使うのはそろそろ止めにしてもらいたい」
小生「分かった。今後はバカ殿様と家老三太夫の組み合わせで行くぞ」
家人「なこたどうでもいいが、鍋料理は何か反応があったのか」
小生「皆無である」
家人「そりゃそうだろう。誰でも知っていることを、さも大発見のように書いてもウケはしない。テンションが高けりゃいいってもんじゃない。お笑いはそんなに甘いもんじゃないぞ」
小生「マジメな私とお笑いにどんな関係があるのか知らないが、本当の大発見は別にある。それは煮れば何でも食えるということだ。まさに原始人の大発見。素材を切る。切った材料を柔らかくなるまで煮る。そこに私は奥深い、料理の原点を見るのだよ。味はそのあとの話だ。まず煮ることで食が安全になる。安全な食事。そこから文明が始まったのだ。分かるかね小林少年。これが、何千いや何万年も忠実に料理の基本を守ってきた、鍋料理のレゾンデートルであり、凄いところなのだよ」
家人「あんまり原始人、原始人と言っていると、かまどで煮炊きしていた縄文人が怒り出すぞ。それに、だいいち、最初の料理は煮物ではなく、焼き物だったのではないか」
小生「マンモスの足の輪切り(ギャートルズ)や、巨大な原始魚を焼く姿がなんとなく目に浮かぶが、でも野菜は焼けない。だから煮るという行為こそ料理の原点なのだ」
家人「鍋料理だけで、自分は料理(の原理)をマスターしたつもりか」
小生「ところがそうはイカのXX、眼の隣(失礼)で、大事な要素を忘れている。それは切るという動作だ。私は刃物を使うのが苦手で、それゆえ、永遠に料理のマスターにはなれないのである。ところで一つ言い忘れたが、鳥肉は長時間煮ても良く、むしろ1時間くらい煮込んだ方が良いが、豚肉はそうはいかない。熱湯を一瞬くぐらせるだけで良い。そうでないと固くなる。無論読者諸兄諸姉はとうにご存じの事だと思うが。ところで、ここからが今回の本論だ」
家人「長い前置きだな。一体何が言いたいのか」
小生「それは包丁や鍋がなくても出来る鍋料理が、この世には存在するということだ」
家人「嫌な予感がする。まさか今までの議論をひっくり返すつもりじゃ…」
小生「その予感は当たりだ。添付の写真は、なんと電子レンジでチンするだけのミルフィーユ鍋だ。聖跡の京王ストアにある。鍋ものさえ面倒だという人は、人間を辞める前に一度お試しあれ」
家人「今までの時間を返せ」





2285.鈴木邦男 1/30

今日の前書きは朝日新聞(1/29)の天声人語から、要約です。
…三島由紀夫が市ケ谷の 自衛隊駐屯地で自決する約3年前のことだ。
…「実は私は『愛国心』という言葉があまり好きではない」▼国家が愛国心を煽るような動きには嫌悪を感じていたらしい。この言葉には官製のにおいがする」と断じ、「どことなく押しつけがましい…」と記した▼後に新右翼団体「一水会」をつくった鈴木邦男さん。君が代を1万回以上歌い、 日の丸も1万回以上掲揚したという。自分は誰よりも愛国者だとの強い自負がある一方、「いまは、三島の言ったことがよくわかる」。著書でそう書いている▼近年は裏切り者との非難も受けた。「自由のない自主憲法よりは、 自由のある押しつけ憲法を」「国家が思想を持つとロクなことにならない」など の発言を重ねたからだ。自宅への放火もあった▼愛国とは、何か。「僕は、自らを振り返って、〈愛国心〉の危うさ、愛ゆえの暴走が起きることを実感している」。右や左といった思想の枠に収まらない異色の言論人が逝った。79歳。
コメント:鈴木に言わせれば、日本会議に代表されるいわゆる右翼は本物(の愛国者)とは言えない(根性が座っていない)らしい。それは安倍等の愛国主義が、実は自己愛(自己犠牲を伴わない)の変形に過ぎなことを見抜いていたからではないか。


2286.パフォーマンスだけ2題  1/30

『小谷村の雪崩事故。
スキー客外国人5人の内3人は自力で下山。
2人が意識不明のまま取り残された。

TV報道では警察12人が、
午前7時にスキー場に集合し救助に向かうと言う。

極寒の中に一晩放置された2人が、
生存している可能性は極めて低い。

山中なので機動力は使えないかもしれないが、
ヘリを出せば居場所くらいは分かるし、
救援物資を投下するくらいは出来るだろう。

要はやる気がないの一言に尽きるのではないか。
隊員の安全第一に反対するつもりはないが、
救助作業は役所のデスクワークとは違う。

またこれは現場に不慣れな警察官ではなく、
山岳救助隊の出番ではないのか。

しかも通常のルートを外れたとはいえ、
雪崩は自然災害なのだ。
何でもかんでも自己責任で片づけられる問題ではない。

話変わって小池知事。
子ども手当、太陽光発電の義務化、
また自分ファーストのパフォーマンスではの声が強い。
wtwも同じ印象を持っている。

今からでもおそくない。
幸せな結婚をして、
温かい家庭を築いては頂けないものか。
そして都政から手を引いて頂けないものだろうか。

もしプライドと自負心を持てあましておられるようなら、
ご自分の口で、我々にも分かるように、
うまくいった政策を列挙して頂きたい。

コロナ対策はどうだったか。
五輪の強行はどうだったか。
都民ファーストの国政進出はどうだったのか。

得点表を作ったら、白星はいくつつくのだろう。
我々都民が、小池知事に感謝しなければならない事は、
その内どれなのだろう。

次回の知事選挙だけは、どうか出馬を
諦めて頂きたい。
それが我々のせめてもの願いです。

元女子アナのパフォーマンスに、
とことん付き合うほど、
私たちは暇ではないからです』



2287地域への警告 1/25

都内で相次ぐ強盗事件で、私が町内に出したメールを、
参考までに転載します。

今朝(1/25)のモーニングショーで、最近頻発する都内の強盗事件に関連して、
手口の説明がありました。
不要品の買い取りを装おう場合もあるが、問題は屋根が壊れていると言ってくるケースがあることです。
以前ご紹介した、当方の例では、たまたまその2日前にチェックしたところなので、
何言ってんだと追い返しましたが、時機的に強盗の下見だった可能性があります。
中には宅配を装い(特に二人連れは怪しい)、ドアを開けたら押し入るケースもあるようなので、
インターフォンだけで、ドアを開けずに応対することが大事です。

番組のサイト
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000284298.html

番組中の刑事の助言もあり、我が家では刺す又の他に、催涙スプレーなども
用意してあります。自衛の為なので、保有は違法ではないと思います。
単身、高齢者のお宅にも玄関の下駄箱の中に備えることをお勧めします。

なお怪しい人物の訪問を受けたら、直ちに自治会役員、防災専門委員などに、
人物の人相、車の種類などをご連絡ください。同時にネットで地域全体に
情報を流してください。たとえそれが間違っていても、ご愛嬌で済みますし、
犯罪(実被害)の防止には代えられないからです。



2288.コロナの教訓 2/4

コロナがやっと下火に向かい始めました。東京都の感染者数が3千人を切り、死亡者も20名以下になりました。少なくともオミクロン株が主流だった第8波は、終わりに向かっている様子です。

1月始めに我が家でも感染し、自宅療養の1週間を経て、抗原検査でも陰性になってから3週間が経過しました。
もはやうつされる心配もなく、うつす心配もないというのは一種奇妙な感覚です。但しこちらが無害な存在だということは誰も知らないわけで、それもまた妙です。卓球クラブのベテラン会員が言うように、国民の3割は既に感染しているのだから、当地域で感染したのがIさん(御主人のみ)但し無症状、と我々夫婦だけというのは統計上もあり得ない話です。またその後一件も検査キットの要望は来ておりません。

と言うことは、実際は感染したけれど、症状が大したことはなかったので、我々のように愚直にカミングアウトはしなかった、或いはご本人が、実は陽性でも、無症状で全く気が付かなかったというケースが、かなりあるものと想像されます。でももうそれはそれでいいと思います。カミングしようがしまいが、大したことがなければそれでいいのですから。

昨日定期受診した内科の主治医も、軽く済んでよかったですねの一言でした。これは人類がワクチン以外の対策は事実上持っておらず、ウイルスとの戦いが、個人個人の免疫力と体力に依存していたことを、端的に示すものだと思います。私たちは短い人生の間に、パンデミックに遭遇するという希有な経験をしたことになります。但しもう一つの大問題、即ち戦争は未だ終わりが見えず、その余波の電気代の高騰に苦しめられています。加えて、統一教会のような人災や、基本的人権の侵害、経済格差の拡大など、問題は山積しています。東日本大震災が最大の事件だった、いわば平穏な戦後の70年が、嘘のように感じられます。

今後も変異株は次々に現れるでしょうし、医師も2回感染した人は聞かないとは言っていますが、別の株に再度感染する可能性はゼロではないと思います。しかも消毒薬も、マスクも山のように残っています。だからと言うわけではありませんが、他人に移さない為ではなく、自分の安心の為に、マスク着用は続けるつもりです。でもそれを他人に要求するつもりは全くありません。マスク警察ほど、戦前の右翼、と言うよりもはやナチスに似た、非人道的な醜い行為は見たことがありません。その心根からは、最近の闇バイトの強盗にも通じる、知性と人間性の欠如を感じます。日本人の人間性、とりわけその幼児性には大きな問題があり、とても世界に自慢できるようなものではない。それも今回のパンデミックの教訓の一つです。



2289.ステレオからスマホへ 2/5

私事で恐縮ですが、若い頃からのオ−ディオマニアで、高額なものは所詮無理ですが、手の届く範囲で音質の良いものを追求してきました。昨年も国産の真空管アンプと、英国製の小型スピーカーに取り換え、こじんまりしたシステムに落ち着いたところです。それらを揃えるプロセスで分かったのは、今まで30−38センチのウーハーが常識だったのに、今は小口径のスピーカーで十分な音が出ることです。これは部屋が狭い日本人にとっては有難いことです。でも相変わらず、スピーカーに関しては音色的には外国製に分があります。
また昔はステレオと呼んで、2チャンネルが普通でしたが、今は周囲から聞こえる立体音響、即ち多チャンネルが普及しています。これは映像を見ながら、音楽も楽しむという、生活スタイルの変化によるものだと思います。ともあれオーディオの概念が変化しており、それを可能にしたのが音楽のデジタル化です。
アナログのレコードがCDに置き替わったのに、今度はCDの媒体が売れなくなって、タワーレコードなどの専門店が店じまいしています。これは回線の高速化により、情報=音楽のネット配信が普及したためと思われます。
従って、現在のオーディオシステムの構成では、CDプレーヤーがあるべき場所にあるのはネットワークプレーヤーです。実は私のシステムでも、一応そうなっているのですが、かなりの数のCDも残っており、CDプレーヤーも(アナログプレーヤーも)そのまま残してあります。更に、私はまだネットラジオやネットでのダウンロードには不慣れなので、一度PCでネットからダウンロードして、USBメモリに変換し、それをネットワークプレーヤーに指して聞いています。
コピーしても劣化がないので、PCで編集し、自分の好きな曲だけ千曲を集めたアルバムを作り、それをUSBに入れて聞いているので、CDプレーヤーの出番が減りました。一方で、もっと気軽に聞こうとすれば、思いつくのは携帯=スマホです。そこで以前からスマホのメモリーに入れてはいたのですが、実際にスマホで音楽を聴くことは滅多にありませんでした。まともな音はヘッドフォンでしか聞けないが、それを持ち歩くのはかさばるからです。
…と思っていたら、最近、発見がありました。それは比較的音質の良いイヤホンが見つかったことです。ブランド名はBOSE(ボーズ)です。私は音響の専門家ではないし、個人の好みもあるでしょうが、私はその音質で十分な気がしています。但しやや値は張って35,000円です。耳の穴に押し込むというより、耳の縁に引っ掛ける感覚です。
どうということはない話で、何の参考にもならないと思いますが、長年オーディをやってきた私にとっては、地殻変動にも似た変化です。ウォークマンの数分の一の大きさのスマホと、BOSEのイヤホンさえあれば、満足できる音質の音楽が、どこででも楽しめる時代が来たのです。
あれだけ入れ込んできたオーディオシステムが、恐竜になってしまった瞬間です。



2290.読者参加型小説 2/8

今回の前書きは少々変わっています。完全な創作で、それも時代劇です。

…時は、明治維新を4年後に控えた文久4年。江戸の片田舎、八王子にさびれた道場があった。
子孫「たのもう」
用人「どうれ」
子孫「拙者、道場主と浅からぬ縁のある者。どうか道場主にお取次ぎ願いたい」
用人「先生。門前に一癖ありそうな深編笠の若者が参っておりますが、いかが致しましょうか」
初代「これから夕餉の支度もあるが、無碍に追い返すわけにもいかんじゃろう」
初代「みどもが道場主でござるが、どこかで逢うたことでもあったのかのう。記憶にはござらぬが」
子孫「それは当然でござる。逢ってはいないが、DNAが同じなので」
初代「デーエヌエーとは、何の事やら皆目見当もつかぬが、まあ上がって貰って、もう少し話を伺おうか」
子孫「これは失礼仕った。未だ徳川時代の末期では、遺伝子の話をしても無駄でござった」
初代「ところで、そのへちまは玄関に置かれよ。何に使うのかは分からぬが」
子孫「刀は嫌いだが、何も持っていないと、バカみたいに見えるので」
初代「言いたくはないが、へちまを腰にさしていると、もっとバカに見えるぞ」
奥方「殿、粗茶をお持ち致しました。ほほう」
初代「何を驚いておる」
奥方「お気付きになりませぬか。殿と客人は、背丈、風貌、声まで、全くそっくりでございますよ」
初代「そう言われれば、そんな気もするが、影武者など雇う余裕は我が家にはない。一体全体おぬしは何者で、何用で来られたのか」
子孫「自己紹介が遅れて失礼。いやこれはサラリーマンの挨拶だ。拙者は今より150年後の世、即ち徳川、明治、大正、昭和と続く世の末、令和の時代から参った者でござる。和服はともかく、武士のカツラがなくて、往生致した。大体30年で一代という計算になるので、今から5代目の子孫とお考え召されよ」。
初代「一体全体どうやってあの世から参ったのか」
子孫「あの世じゃないってば。間違えて貰っては困る。移動手段は、庭の植え込みの陰においてある銀色の出露理案と申す乗り物でござる。エメット・ブラウン博士から借りる時に、かなりの料金をふんだくられ申した」
初代「仮に先の世から来たことを認めるとしても、要件は何だ。私はこうもん見えても忙しいのだ」
子孫「それは子孫のために、家訓を書き残して頂きたいからでござる」
初代「なーにー?」
子孫「クールポコか。と言っても分からんじゃろうが。ルールは簡単。いかなる事情があろうとも、当家の当主は、絶対に鍋に触れてはならぬというものでござる」
初代「話がピーマン、いや失礼、話が良く分からぬが」
子孫「今この時代にふさわしくない洋野菜の名前を口にされたような気がするが」
初代「それは聞き違いだ。危ない、危ない」
子孫「なんか怪しいな。でもまあ良い。ていうか、面倒臭いので現代語で話すが、あんたの子孫は、私で5代目になる。だが4代目、即ち私の父親が、料理も出来ないのに鍋料理にはまって、近所で評判を落としており、我々子供たちも肩身が狭くて困っておるのだ。私がいくら道理を説いて、言って聞かせても、一向に聞く耳を持たない。だからこうやって遠路はるばる、先祖に頼みに来たという次第だ。まさかあなた自身、鍋料理はやっていないよな」
初代「う、いや、やらないこともないが。でもそれで苦情を言われたことはない」
子孫「それはね。皆気を遣って、言わないだけなの。まずあなた自身が鍋から手を引いてくれないと、子孫へのしめしがつかないのだ」
初代「藪から棒に突然乗り込んできての無理無体。従ういわれはない」
子孫「そう言うと思った。だから、こうしよう。もしご先祖様が作る鍋料理が箸にも棒にもかからぬ代物なら、料理は断念して、家訓にその旨を書き残して頂きたい。それでどうだ」
初代「先祖に対する尊敬の念はこれっぱかりも感じられないな。どうやら、問題のある遺伝子ばかりが伝わったらしい。そもそも合格、不合格を誰が判定するのか。はて、奥よ、どうしたものかのう」
奥方「ギャハハハ、ばっかじゃねーの」
初代「それでは答えになっておらんぞ。だいいち、その言葉使いはなんだ」
奥方「いえ、大変失礼をば、つかまつりましてござ候。居候。どうぞ、ご遠慮なく、存分にお手合わせをなされませ。されど、道場破りに、剣ではなく、料理で負けたとあらば、さぞかし道場の評判も落ちることでございましょう。真剣勝負に変わりはござりませぬ。男として後ろを見せる訳にはいかぬものと心得ましてござります」
初代「気のせいか、突き放したような、冷たい感じがするんですけど」
(巌流島、いや鍋島の決闘は、次号に続く。でもこれは読者への挑戦でもあります。この後にどういう物語を付け足すかは、読者の自由です。どんな奇想天外な物語が出来るのか、これという続編が出来た方は是非編集部までお送り下さい。この場で発表させて頂きます)





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