「WTWオンラインエッセイ」

【第17巻の内容】

「生さだ応援中」
「サイト移転のお知らせ(予告)」
「江田を新党党首に」
「災害番組から」
「唐突な東電発表に違和感」
「社会的共通資本」
「野田前首相よさらば」
「ほかに言い方はないのか」
「消費者庁の移転」
「EdgeよりYahooを」
「原子力規制委なんていらない」
「ナチスは国家緊急権で始まった」
「民進党を選ぶ理由は何か」
「黒田総裁、もう充分です」
「日野原医師と憲法」




411.生さだ応援中 2016/2/29

毎月末放送の、「今夜も生でさだまさし」は録画で毎回見ていますが、生放送というところに実は最大のポイントがあります。録画での放送では、編成局の都合の良い、即ち自民党独裁政権に遠慮した、委縮した内容に編集されてしまう恐れがあるが、その「危険性」が少ないからです。そういう意味では鋏の入る余地のない国会中継がいかに大事かという事です。出演者にも視聴者にも負担の掛かる深夜番組ですが、NHKの番組の中で数少ない反戦、反権力の姿勢を堅持しており、高齢者、というより団塊の世代、というより国民として、心強く感じています。そのうち私もネタがあれば葉書を書きたいと思っています。それはそれとして、番組中しょっちゅう出てくるフリップに、歌まで出来ている、「意見には個人差があります」、という文があり、これはある意味、強烈な権力批判になっています。なんとなれば、安倍首相と金太郎飴の(ものを考える習慣のない)閣僚達には、絶対に言えない言葉だからです。政権の見解が全てで、言論弾圧の意思を隠そうともしない総務相は、自分の立場や職務さえ理解出来てはいないようで、公平を欠いているのは報道機関よりご自分の方です。しかもこれは明らかに公私(の意見の)混同でさえあります。自民党右派政権は、国民が自分達と同じ意見であるべきだという硬直した(そして思い上がった)考え方を持ち、意見の個人差など認めたくない人達なのでしょうか。がんばれリベラルな国民の星、さだまさし。それから無論、桑田佳祐も。



412.サイト移転のお知らせ(予告)2016/2/29

おそらく経営上の問題でしょうが、プロバイダーが無料のホームページ・サービスを中止することになり、このHPのURLも秋には使えなくなるとのことです。そのままで有料にしてくれればいいのにと思わないでもないが、とにかく、今引っ越しの準備を始めており、このサイトも8月一杯までそのままご覧いただけますが、もしサイトにつながらない時は引っ越し先か、更にレンタルサーバーも用意していますので、下記にアクセスしてみてください。内容は三つとも全く同じです。
現行のNifty のサイト(8月までご覧頂けます)。
http://homepage2.nifty.com/Nishimaki/
移行先のNiftyのサイト(今からご覧頂けます)。
http://nishimaki.world.coocan.jp/
エックスサーバーのサイト(今からご覧頂けます。WTWでドメインを取ったのでURLが短くなりました)。
http://wtw.xsrv.jp/
この告知は、今後何度か表示の予定です。

ところでネトウヨがあるのならリベラルなネットもあってしかるべきでしょう。ネットはウヨクの専売特許ではないはずです。ネトウヨより歴史のあるネトリベを始めて40年のWTWです。



413.江田を新党党首に。2016/3/1

昨日の衆院予算委員会の中継を興味深く見ました。放送法でのツッコミは、総務相の頑強な抵抗もあり、迫力を欠きました。本件の詳細については下記WTW本文中のジャーナリストの抗議文を一読願います。委員会で質問をする野党議員の中では、山尾議員と江田議員が際立っていました。質問が分かり易く、簡潔に要点をつき、国民が持っている疑問や批判を、ストレートに政権にぶつけていました。中でも江田議員は質問に慣れていることもあって、無駄がなく、言うべきことを言いながらも、笑いを取るなど余裕でした。新党が国民の為の政党として生まれ変わるのなら、代表に相応しいという印象を持ちました。自民党が警戒しつつも耳を傾ける相手ということだけでも、自分を客観視できない某民主党代表よりましです。

デフレから一時的に脱却はしたものの、すぐに逆戻りして現在に至っていることや、政治家やメディアが安倍政権にマインドコントロールされていること(これをはっきり言ったのは彼だけです)も指摘していました。未だデフレなのだから増税は凍結すべきだという主張も正論だと思います。政治は弱者の為にあるという意見も尤もだと思いました。確かにアベノミクスのおこぼれ待ちだけでは、弱者は救われません。興味深いことにこの指摘は、安倍首相でさえ半分納得していました。黒田総裁の労をねぎらったことも、礼儀を失しない態度だと思います。但しカンフル剤を3本も撃つのはやりすぎの上、効果もないと指摘していました。またアベニミクスの3本の矢が全部不調だとも言っていました。閣僚は当然の如く当たり障りのない答えしかしていませんが、少なくも答弁の態度はまともでした。黒田総裁も誠実に答えていました。

国会の質疑では、受けて立つ閣僚の態度を見ているだけで、政権が質問に立つ政治家をどのように評価しているのかが手に取るようにわかります。安倍首相が席で苦笑するのは軽蔑している証拠です。首相が警戒するのは政治家としての手腕と実績のあるベテランです。片山虎之助もその一人ですが、いささか考え方が古い。そしてもう一人が江田憲司です。橋下の玩具に過ぎなかった維新を彼の手から取り上げて、存在意義のある野党に仕立て上げたという実績もあります。

ところで江田の指摘から興味の持てそうな点を一つだけ紹介します。号泣県議で問題になっている政治活動費ですが、国会議員の場合、文書交通費で月100万円が支給されており、領収書も出す必要がないと指摘していました。

なお共産党の議員が、議員を減らす根拠はないという調査会の結論を紹介していました。行政の感覚と、国民の意識がどれだけかけ離れているかということです。

ついでにはっきり言うと(いつもはっきり言っているが)、野党の女性議員に比べると、自民党の女性閣僚は少なからず見劣りすると思います。これは個人的な意見ですが、私が首相なら野党の女性議員と全取り換えしたいくらいです。ところで私は経費削減で省庁合併したことは今や日本の政治行政で大きなマイナスになっていると思います。厚労省は厚生省と、労働省に分けるべきです。なぜなら労働省の機能がほぼ完全に麻痺しているからです。また国交省も、国土省と運輸省に分割すべきです。それぞれの機能が異なるからです。総務省も分割できそうです。分割で増えるのは大臣と次官くらいに留めれば、職務に集中も出来るし、追加の費用も大した事はありません。総務・人事・経理は、別組織を作って全省庁を一括管理すればコストを削減できます。また引っ越しの必要はないと思います。各省庁が本来の機能を発揮してくれないがゆえに、国民の生活に大きな支障が出ているのです。現政府には、是非とも分割をご検討頂きたいと思います。


414.災害番組から。2016/3/2

昨夜の池上の災害番組で、スーパーで買い物中に地震が来たら、というものがありました。答は買い物かごをかぶってしゃがむというものでした。買い物かごが丈夫だからです。ちなみに背の高いショウケースからは離れた方が良いと思います。なお311の時に、私は新宿で被災しましたが、最初の揺れが収まって、地下駅から地上に出た時にまず気が付いたのは、通行人が交叉点の中央に集まっていたことです。これはビルからの落下物、即ちガラスなどを避けるためです。また古い話題ですが、三菱重工の爆破事件の時も事件現場の近くにおり、直後に会社に戻ろうとしたら、丸の内中通りが落下したガラスで足の踏み場もなくなっていたことがあります。警察が非常線を設けていましたが、昼食に行く時は、正面玄関でなくビルの裏口を使っていたので被災を免れました。この事件で、通行中に落下してきたガラスで亡くなった方もおられました。

おかしも、というのもあるそうです。押さない、駆けない、しゃべらない、戻らない、だそうです。これに近づかない、ポケットに手を入れないというのもあります。

新宿の地下劇場で避難を勧める放送を流したら、観客がどう行動するかという実験もありました。アナウンスがあっても、その後でサイレンを鳴らしても、誰も動かず、結局少数が席を立った7分後からやっと動き始めたというものです。これは危険が迫っていても、それを認識したがらない正常性バイアスという心理が働くためだとのことです。様子を見ており、大勢が動かないと動かないのだそうです。しかもいざ動く時はわざわざ混んでいる出口に集中すると言っていました。即ち、認識が遅い上に、動けば殺到で。正に集団心理です。

街中で安全な場所は意外にもガソリンスタンドだそうです。これは安全に作ってある為だそうです。火災も起き難いのだそうです。また非常時には、ツナ缶に穴を開けて芯を通せば、ランプの代わりになり、中身も食べられるというアイディアも紹介されていました。この番組は櫻井翔や、羽生結弦も登場し、高波の恐ろしさ等の新らたな視点もあるので、再放送が望ましい番組です。



415.唐突な東電発表に違和感。2016/3/3

トランプ人気では、不満が背景にあるにせよ、米国の衆愚政治を見る想いです。
ところで、唐突に福島の原発はメルトダウンだったと言い出した東電。時期を考えると民主党に責任を負わせる、即ち安倍政権を後押ししたいが為の、悪質な選挙対策と受け取れなくはありません。また買収が内定してから隠し負債を持ち出したシャープ、東芝の不祥事、違法残業、賃上げ凍結など、もはや日本の財界・産業界は百鬼夜行の無法状態です。会社を傾かせた幹部に責任感は皆無、そのくせ高給を食む。NHKも例外ではありません。そもそも企業に性善説を期待する方が間違っているのでしょう。経営者からは経営理念も理想も欠如。利潤追求の企業に性善説は通じないということが、安倍首相には全く分かっていないようです。これでは財界の操り人形と言われても仕方がありません。一方で理念も展望もなく、自浄作用も失われた現在の経団連。その企業コンプライアンスの無視は、知っていてやっている、即ち確信犯としか思えません。それは、企業の倫理を引き締めようという掛け声が、全くと言って良いほど聞こえてこないからです。利益追求と我欲ばかりで、尊敬に値する経営者が不在の、お寒いというより極寒の日本産業界です。



416.社会的共通資本。2016/3/4

富士山の宝永噴火の災害対策で、幕府は40万両の金を集め、それで何をしたか。7割を側室の為の増築など、江戸城の改修に使ったのです。蒙昧な綱吉の時代に、勘定奉行の独断であったにしても、もはやこれは人災です。

振り返って今の日本の政治です。法人減税、自衛隊の武装強化に使う税金があるのなら、子供の貧困に使う費用など微々たるものでしょう。私は現政権の言葉面より、基本的な価値観に看過できない大きな欠陥があることを、この場を借りて、訴えてゆきたいと思っています。

今日の前書は、昨年他界した日本が誇る経済学者、宇沢弘文の「社会的共通資本」岩波新書の一部です。
(以下引用)
はしがき
二十世紀は資本主義と社会主義の世紀であるといわれている。資本主義と社会主義という二つの経済体制の対立、相克が、世界の平和をおびやかし、数多くの悲惨な結果を生み出してきた。この二十世紀の世紀末は、十九世紀の世紀末と比較されるような混乱と混迷のさなかにある。この混乱と混迷を超えて、新しい二十一世紀への展望を開こうとするとき、もっとも中心的な役割を果たすのが、制度主義の考え方である。
制度主義は、資本主義と社会主義を超えて、すべての人々の人間的尊厳が守られ、魂の自立
が保たれ、市民的権利が最大限に享受できるような経済体制を実現しようとするものである。
制度主義の考え方はもともと、ソースティン・ヴェブレンが、十九世紀の終わりに唱えたものであるが、百年以上も経った現在にそのまま適用されうる。社会的共通資本は、この制度主義の考え方を具体的なかたちで表現したもので、二十一世紀を象徴するものであるといってもよい。
社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな緑済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持統的、安定的に維持することを可能にするような社会的インフラストラクチャー、制度資本の三つの大きな範疇にわけて考えることができる。大気、森林、河川、水、土壌などの自然環境、道路、交通機関、土下水遺、電力・ガスなどの社会的インフラストラクチャー、そして教育、医療、司法、金融制度などの制度資本が社会的共通資本の重要な構成要素である。都市や農村も、さまざまな社会的共通資本からつくられているということもできる。
社会的共通資本が具体的にどのような構成要素からなり、どのようにして管理、運営されているか、また、どのような基準によって、社会的共通資本自体が利用されたり、あるいはそのサービスが分配されているかによって、一つの国ないし特定の地域の社会的、経済的構造が特徴づけられる。
本書では、まず社会的共通資本の考え方とその役割を説明する。そして、社会的共通資木の考え方が、経済学の歴史のなかで、どのように位置づけられてきたかを考える。さらに、社会的共通資本の重要な構成要素である自然環境、農村、都市、教育、医療、金融といった、個別的な事例を取り上げて、それぞれの果たしてきた社会的、経済的な役割を考えるとともに、社会的共通資本の目的がうまく達成でき、持続的な経済発展が可能になるためには、どのような制度的前提条件がみたされなければならないかを考えたい。
本書が、日本が現在置かれている世紀末的混乱と閉塞とを乗り超えて、新しい世紀への展望を開くために、何らかの役に立つことができれば、著者にとって、望外のよろこびとするところである。
2000年八月 宇沢弘文

ゆたかな社会とは何か
ゆたかな社会とは、すべての人々が、その先天的、後天的資質と能力とを充分に生かし、
それぞれのもっている夢とアスピレーンョン(熱望、抱負)が最大限に実現できるような仕事にたずさわり、その私的、社会的貢献に相応しい所得を得て、幸福で、安定的な家庭を営み、できるだけ多様な社会的接触をもち、文化的水準の高い一生をおくることができるような社会である。このような社会は、つぎの基本的諸条件をみたしていなければならない。
(1)美しい、ゆたかな自然環境が安定的、持続的に維持されている。
(2)快適で、清潔な生活を営むことができるような住居と生活的、文化的環境が用意されている。
(3)すべての子どもたちが、それぞれのもっている多様な資質と能力をできるだけ伸ばし、発展させ、調和のとれた社会的人間として成長しうる学校教育制度が用意されている。
(4)疾病、儀害にさいして、そのときどきにおける最高水準の医療サービスを受けることができる。
(5)さまざまな希少資源が、以上の目的を達成するためにもっとも効率的、かつ衡平に配分
されるような経済的、社会的制度が整備されている。
ゆたかな社会は、くり返しながら、一言でいってしまえば、各人が、その多様な夢とアスピレーンョンに相応しい職業につき、それぞれの私的、社会的貢献に相応しい所得を得て、幸福で、安定的な家庭を営み、安らかで、文化的水準の高い一生をおくることができるような社会を意味する。それはまた、すべての人々の人間的尊厳と魂の自立が守られ、市民の基本的権利が最大限に確保できるという、本来的な意味でのリベラリズムの理想が実現される社会である
このような意味でゆたかな社会を実現するための経済体制は、どのような特質をもっているか。また、どのようにすれば具現化できるであろうか。この課題に対する回答として、社会的共通資本を中心とした制度主義の考え方によって理想的な経済体制を特徴づけることができるといってもよい。
(引用終わり)

これは17年も前の論文ですが、むしろ今では問題が一層大きくなり、金融資本主義、行き過ぎた自由市場経済のネガティブな側面がより露わになり、我々のようにこれという資産を持たぬ国民を追いつめていることは、もはや否定出来ない事実だと思います。一方、宇沢の言葉を借りれば計画経済にも問題があります。「計画経済は、中央集権的な性格をもつものは言うまでもなく、かなり分権的な性格をもつものについても、例外なく失敗した。一部、技術的な欠陥もあったが、より根源的には、計画経済が個々人の内発的動機と必然的に矛盾するということにあった。一般市民の生活水準も期待にほど遠いものであって、富の分配の不平等化も止めることは出来なかった。利潤動機が社会の非倫理化を推し進めていった」。
計画経済が、旧ソ連や東欧で崩壊したことはご承知の如くです。本来が国民の生活を支えるべき経済システムが、人間の手を離れて、システム自身の為に独り歩きしはじめ、暴走を繰り返し、国民の生活を破壊する。それは自由経済でも計画経済でも同じようです。ならば経済システムが如何なる形であれば、そのシステムが持つべき本来の目的を達成し得るのか、それを国民が専門家に丸投げし続けるのをやめて、自らの頭で考えるようになるのは、当然のなりゆきなのかもしれません。いやそれは寧ろ遅きに失したとも言えるのです。
但し未だ通読していないので、結論を出すのは早いのですが、本書もこの全地球的な問題に具体的に指針を示すのはおそらく無理であり、我々が問題に立ち向かう事を示唆・支援していると考えるべきでしょう。



417.野田前首相よさらば。2016/3/5

野田前首相が、野党結集は小沢代表抜きでとぶち上げました。なぜなら消費増税に反対して民主党を割った張本人だからだそうです。野田氏が財務次官の掌で踊らされ、挙句民意を踏みにじってまで強行した消費増税が、今どうなっているか御存じないとでも言いたいのでしょうか。結局デフレの足を引っ張り、その判断が間違っていたことが現に証明されているではないですか。安倍首相でさえ再増税に二の足を踏んでいるのです。しかも安倍政権は増税分を福祉に回すといいつつ、他でじゃぶじゃぶ使っています。防衛、五輪、企業減税。仮に福祉にも使っているというのなら、何故貧困児童がこれほど増えるのですか。財政再建が目的なら、消費増税で、法人税減税というのもおかしな話です。自民党にあっさり政権を渡して、そういう種をまいてくれたのが、他ならぬ野田前首相なのです。野田氏は首相の器ではなく、愚かだったがゆえに、自民党に良いように使われただけです。民主党を作ったのは小沢で、壊したのが野田です。そもそも小沢と野田では比較することさえ無意味なのです。小沢は自民党で幹事長を務め、自民党を出て新進党を作り、二大政党制を提唱して民主党に政権を取らせ、日本の政治シーンを変えてきた功労者です。かたや野田氏は一体、国民の為にに何をしてくれましたか。野田氏が増税を強行した挙句、民主は選挙で大敗。しかもその責任は消費増税に反対した小沢にあると言い出すに至っては、開いた口がふさがりません。何たる身勝手さ、そして責任転嫁の無責任。負けるべくして負けたのに、それさえ見通せなかった愚かな前首相こそ、国民から責任を追求されるべきなのです。

 言わなくても分かっています。自分は日本の将来のために、誰も嫌がってやらなかった増税に踏み切った。いわば党を潰してでも、日本の未来の為に、火中の栗を拾ったのだ。いつか必ず自分のしたことが正しく歴史の中で評価される日が来るとでも言いたいのでしょう。でもそれこそが正に勝次官に吹き込まれ、洗脳された筋書きそのものではありませんか。自分の考えでさえなかったのです。私には野田氏が経済のことも財政のこともまるで分かっていなかったと思います。金利の仕組さえ理解出来ていたとは思えないのです。問題だらけの白川日銀総裁に丸投げしていた事でも、それが推測できるのです。

 いま小沢がしているのは、共産党を含めた野党の総共闘体制です。それが野田氏に出来ますか。出来ないのであれば、邪魔をしないで頂きたい。どうしても黙って引っ込んでいられないのなら議員バッジを返上して頂きたい。米中首脳に訊いてみれば良いのです。小沢には最大の警戒心を持っていても、野田氏のことは誰も覚えていないでしょう。安保法制の時も、現職の、しかも政権と対立する野党議員の立場にありながら、国民の反対運動を他人事のように見物に出かけたのです。私がここまで言うのにはそれなりの理由があります。それは忘れもしない消費増税の時、国民が大反対のデモを官邸の近くで繰り広げました。そのデモを評して野田氏はこう言い放ったのです。誰かがどこかで騒いでいるようだと。それは誰かなどではない、国民なのです。それは野田氏には消費増税に限らず、国民の声など聞く気が全くなかったことを意味しています。即ち自分の価値観と存在感さえ主張出来れば、それで良いという低次元の本音が透けて見えていたのです。

 野田氏のような、古い価値観で、頭の堅い党内自民党とでも言うべき人たちに、一日でも早く退陣して貰うことが、民主党の再生の為には絶対に必要です。ちなみ仙谷前長官が、福山議員と議席を争って辞めました。しかし新緑風会の福山は、安保法制の反対活動でも先頭に立ち、活躍していることはご承知の通りです。



418.他に言い方はないのか。2016/3/9

保育園に落ちた、日本死ねという発言が、国会でも取り上げられるという、いささか常軌を逸した事態を招いています。私はこの出来事で最初に感じたのはネット社会の怖さです。すなわち感情的な言葉と、流言飛語が、ネット社会で吹き荒れる可能性です。そこではもはや理性は通用しません。市民が暴徒と化した関東大震災の後と同じです。衆愚政治と独裁政治の温床です。それは洗脳と扇動です。但し、今回の出来事で問題のある言葉が使われたのも、若い母親の窮状がそうまで言わせたのだという受け取り方が一般的でしょう。共稼ぎをしないと生活出来ないのに、子供を安全に預ける場所がないということは、生存権に関わる問題です。でもそのとき攻撃する相手は自分以外の日本国民全てではありません。先ずそれを理解しないと、逆に問題は解決しません。いまのままならヘイトスピートと変わらず、恨みは恨みとして、ぶつける相手が違うのです。
若い世代が馴染んできたTVゲームと違って、一度死んだら人間は生き返りません。怒りの表現が間違っている、というより怒りのぶつけ方が分かっていないのだと思います。何事によらず、悩みがあれば相談する相手がまず必要です。この事件から私が感じることは、いま一番必要なことは、市民同士が率直に、また気楽に話し合える場を作ることです。その場で共通の問題を話し合い、必要なら団体行動に発展させる。しかもそうしたアプローチこそが(知性的で理性的な)民主主義の基盤でもあるのです。
但し、皮肉な事に、死ねという短絡的な言葉は、安倍首相にはストレートに届いたようです。彼もそういう世代の一人なのかもしれません。だとすれば我々も戦術を変えた方が良いのかも知れません。
ともあれ、その前提として、有識者は大衆心理の分析と把握をきちんとやっておく事が急務です。感情に流された市民が、流言飛語で暴動に走るなどという不測の事態があってはならないからです。それは無関係な市民の犠牲を意味します。自衛隊の内部からの暴走の芽も摘む必要があります。無論その方法は、時の政府や行政の介入によるものであってはならず、国民(或は自衛官)が自分のしていることに自分で、しかも客観的に気付く(自覚する)ヒントを示すに留めるべきです。そういう意味で、現代は心理学にとって正念場だと思います。国民的熱狂がナチスを生み、太平洋戦争への突入になったことを、歴史の教訓として、忘れてはならないのです。



追記。2016/3/13

日本の(特に富裕層の)資産を守る為なら手段を選ばない。それが安倍政権です。相手を攻撃する為なら言葉も根拠も選ばない。その時々の感情に従うだけ。それがネトウヨや在特会、そして匿名の誹謗中傷です。手段とプロセスを選ぶ。公正さとロジックを尊重する。そこに知性と文化と民主主義があります。ネット上で野蛮人のように振る舞うのはもうやめにしましょう。保守も革新も、政治家も一般市民も、男も女も、老いも若きもです。

一方、容認や寛容という言葉があります。狭量さは、自己と他の存在を否定するが故に、関係者双方に災禍をもたらします。しかし寛容や容認をはき違えると、もっととんでもない事が起きます。即ち容認してはいけない事を容認し、容認すべき事を容認しなかった結果が、安倍独裁政権なのです。怒るべきところで、きちんと(ただし冷静さを失うことなく)怒りの声を挙げること。それが、というよりそれしか、国民が自分の手で日本の平和を守る方法はないと思います。


追記。2016/3/15

保育園落ちた、日本死ねは、政権を動かす結果になり、結果的には良かったのでしょうが、どうしても引っ掛ります。いまメディアでその主張に反対すれば、日本国民ではないかのような風潮があり、誰もそれを批判出来ない空気が出来てしまっているからです。集団的自衛権に反対した市民の自発的な運動やデモ行動とは全く性質が異なる活動(?)です。仮にそこに扇情的な要素が含まれていれば危険です。そこに言い知れぬ恐怖を感じます。

仮に同じ女性が別の標的を捕らえて死ねと言ったら、大衆はそれにも同調するのでしょうか。一切の批判は民衆の怒号に封じられるのでしょうか。そこには黒人を吊るせと叫んだ米国民や、ヒットラー万歳を唱えたナチスドイツ、大日本帝国陸軍と共通の何かを含んでいます。ファシズムとそれを支えた熱狂の心理は、日本が大戦に向かった道でもあります。

別の見方をしてみましょう。では同じ女性は、集団的自衛権にはどう反応するのでしょうか。保育園は生活に密着した切実な問題なので、たまらずに声を荒らげたと見ることは出来ます。ならば、逆にもう一歩踏み込めないものか。例えば身近に感じていないかもしれないが、原発や集団的自衛権で、せっかく育て子供たちが戦禍や放射能で死ぬかもしれないのです。そこまで視野を広げての抗議なら、私も多少はラジカルな表現が混じっても仕方がないと思います。なぜならそれは確かに日本と日本政府と、日本の国民に責任があるからです。

途中の議論をすっ飛ばす。それが問題なのです。なぜなら民主主義が担保されるのはその手続きに依存しているからです。一方で安倍政権が強い言葉でなければ動かないというのなら、私達も同じ手法で政府を攻撃するしかありません。そうなるとネットは感情的な阿鼻叫喚の渦になります。それは我々の目指すネット民主主義とは対極の世界です。目的の為に手段を選ばないのは、安倍政権や、テロリストのやり方です。手段は選んでください。また今回の匿名の女性は、名乗り出れば国民的な英雄になれます。社会への影響力も遥かに大きくなります。同志も沢山出来ます。ぜひご検討頂きたい。それからもう一つ。安易に死ねとか殺すという言葉は使わないで下さい。それはそうしたいという気持ちがあって言っているのでしょうから、そうなるともはや文明人のすることではないからです。



419.消費者庁の移転。2016/3/15

消費者庁、徳島に移転。全国民と直接関係があるのだから、国の中心に置かなければならない役所の一つです。移転するとしても大阪か名古屋でしょう。しかも復興庁がなぜ赤坂なのか。日本の政府はやることが支離滅裂であり、権力者の思惑だけで決められています。転勤させられる職員は事実上の左遷です。それより、高い歳費を払っているのに、ろくに仕事もしない議員を早く減らすべきです。この狭い国土に500人の議員はいりません。外国との比較ではなくて、実際に機能していないからです。その多くが国会で質問の機会さえないではありませんか。ただ議決に手を上げるだけで年間2億ですか。おそらく各委員会に振り分けられて、なにがしかの役割は果たしていると弁明するでしょうけれど、それは国民には伝わっていません。各議員の国民に対するアピールが足りないからかもしれないが、それにしても国民は9割以上の議員の、顔も名前も知らないのです。それは一重に多過ぎるからです)



420.EdgeよりYahooを。2016/3/16

ネット上に溢れる情報やコメントを読んで、投稿者がネトユヨかどうかの判定は比較的簡単にできます。クソバカとか死ねと言う感情的な悪口が混じっていたら、いかに格好をつけた主張であっても、間違いなくそれはネトウヨです。思想が貧困なくせに、自分をひけらかす。自分だけに都合の良いロジックと思い上がりが特徴です。そして国民の視点が必ずと言っていいほど欠落しています。ミニミニヒットラーです。ところで最近他にない情報もあるので、Windows10のブラウザー、edgeのホームページに掲載された記事を何度かご紹介しました。やたら長たらしいURLの記事がそれです。しかしセンセーショナルであることは脇に置いても、どうも編集者の価値観として右に寄り過ぎている、またはネトウヨ系の著者の記事を頻繁に取り上げているような印象があります。そこで余程の記事でない限り、今後は掲載を少し差し控えたいと思います。その点ヤフーの記事は新聞記者のOBが担当していることもあり、また既にTV番組などで評価も受けているので、安定感があり、安心して読むことが出来ます。ついでにブラウザーもグーグル・クロームに変更する予定です。



421.原子力規制委なんていらない。2016/3/17

・規制委、SPEEDIは信頼性なしと。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160316-00000588-san-soci
関連記事。規制委が朝日新聞に噛みつく。
http://www.asahi.com/articles/ASJ3J5R66J3JUTIL03D.html?iref=comtop_list_nat_n02

原子力規制委の非常識ぶりには呆れかえるほかはありません。先週の朝ナマで、嘉田元滋賀県知事が言っていたように、実線量を測ってから避難せよという規制委の見解はどう考えても間違っています。海外ではSPEEDIの評価は高いのです。線量がいくら上がろうとも、眼には見えません。不特定多数の住民に線量計を備え、日ごろから持ち歩けというのでしょうか。線量が上がってからの避難では遅いのです。戦時中の、焼夷弾で火災が起きたら、逃げずに近所で消火に当たれと言った政府と同じです。住民の命や安全は二の次で、混乱を避けたいだけ。それは5年前のメルトダウンを隠した枝野と同じです。あまつさえ、二番目の記事では自分達だと息巻いた。いつ来るか分からない規制委が来るまで待ち、数の揃わない測定器で測り、どこかにいるトップが判断を下すまで一歩も動くなと言いたいのでしょうか。徳川幕府の代官でもそこまでは言わないでしょう。水害が起きたら、農民は直ちに逃げるはずです。権威をかさに着た傲慢な態度。暖かい血が通っているとは思えない独特な表情。一体何様のつもりでしょうか。あくまで為政者側の意識しか持てないような、想像力が貧困で頑迷な委員長の即時の退任を要求します。



422.ナチスは国家緊急権で始まった。2016/3/19

深い分析は出来ないが、庶民、というより市民(educated people=でありたいと願う)の立場から、世界の動きを見て感じる率直な感想と意見を、誰に気を遣うこともなく述べる。それが人生の最終コーナーを回ったWTWの立ち位置です。やぶれかぶれだろうと言われればそれまでですが。

昨夜の報道ステーションで古館アナ(降板予定)がドイツを訪問して、ナチスとワイマール憲法の関係を分析しています。長くなりますが、本件は重要なので、多少詳しくご紹介します。

第一次大戦で巨額の賠償金を科せられたドイツでしたが、その後一度は経済が回復しました。しかしその後の世界恐慌で失業者が街にあふれ、或は失業への恐怖が渦巻きました。そういう時にヒトラーは、経済対策と民族の団結を前面に打出しました。ストレートな表現を使い、強いドイツを取り戻す、敵はユダヤ人だと憎悪を煽りました。ヒトラーは反感を買う言葉を人受けする言葉に替えるのがうまかったのだそうです。独裁を、決断できる政治と言い、戦争の準備を、平和と安全の確保と言い替えました。ヒトラー自身の言葉を引用すると、平和を愛するとともに、勇敢な国民になってほしい、この国を軟弱でなく、強靭な国にしたいというものです。

世界一民主的なワイマール憲法下で、ヒトラーが合法的に独裁政権を作り得たのは、ひとつの条文があったためです。それは48条の国家緊急権です。これは国の安全と秩序を回復するために大統領(ヒトラーは当時は首相)が、必要な措置を取れるというものです。この条文はそれまででも議会が紛糾した場合などに使われたこともあるが、ヒトラーはそれを悪用したのです。

国家転覆を企てるとして、野党を次々に逮捕。ナチスがいつでも踏み込んで来るので、メディアを含め、国民は思っていることを口に出す事ができなくなった。共産党党首も逮捕、殺害。そしてヒトラーは最後にはワイマール憲法自体を停止したのです。

ナチス政権はこう言っています。国民は指導者の意のままになる。それは簡単なことで、自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。平和主義者に対しては愛国心がなく、国家を危険にさらす人々だと批判すればいいだけのことだ。この方法はどこの国でも同じように通用すると。

これは極東の島国で見た様な光景ではないでしょうか。首相は重ねて、独裁ではない(国民の信任を得ている)、平和のための武装だ、海外派兵も徴兵もしないと言っています。でも首相の言うことが本音だという証拠がありません。というより、ご本人がこれまで嘘の上に嘘と言い訳を塗り重ねてきたという実績なら、数知れずなのです。そういう人が非常事態を宣言するという事が、日本と日本の国民にとって、どういう事を意味するのかを、憲法改悪の前に我々は知っておかなければならないのです。

処刑された共産党党首の孫の証言があります。家族も拷問されました。そして彼女は、いかに民主的に選ばれた政権であっても、憲法の条文によって独裁者に変わる可能性があると述べています。右派と左派の争いが激化し、暴動が頻発する混乱の中で、共産主義を恐れてヒトラーを後押ししたのは、保守陣営と財界でした。その結果、国会の2/3の議席を獲得し、早速ヒトラーが成立させたのが、全権委任法です。国会の審議を経ず政府が憲法改正まで含めてすべての法律を制定できるという法律です。まさに誰かが夢に見るような法律です。それは合法的に独裁が確立した瞬間だったのです。戦犯だった祖父の薫陶を受けて育った人物が、今またヒトラーと同じ道を辿ろうとしています。

自民党の憲法改正案の、緊急事態条項。自然災害だけでなく、海外からの武力攻撃に加え、社会秩序の混乱でも、内閣が法律と同一の効力を有する政令を制定できるとしています。ドイツの学者も緊急事態条項は、ワイマール憲法の48条と同じように、内閣の一人の人間(それが誰かは言うまでもありません)に利用される危険性があり、とても問題だと指摘しています。なぜ首相という一人の人間に権力を集中しなければならないのか。議会からの厳しいチェックが必要だ。民主主義の基本は法の支配であり、人の支配ではないと述べています。

民主主義の創設者たちは人に懐疑的であり、常の権力の悪用に不安を抱いている。権力者はいつの時代でも常に更なる権力を求める。日本は東日本大震災にも対処しており、何故今この緊急事態条項を入れる必要があるのかと指摘しているのです。憲法学者、長谷部氏も、発動の要件が総理大臣の主観的な判断で出来るというのは甘すぎると批判しています。裁判所でのコントロールの道を開いておく必要があり、それがグローバル・スタンダードだ。ところが日本の最高裁は政治的な判断に介入しない傾向がある。それが心配だと述べていました。

ヒトラーが議会を解散して総選挙を行い、2/3の議席を得て権力を把握した時と、手法はとてもよく似ています。即ち、近い将来ではなく、まさに今こそが、国家の緊急事態であるように私には思えるのですが、賢明なる読者諸兄諸姉はいかがお考えでしょうか。



423.民進党を選ぶ理由は何か。2016/3/24

枝野=原発事故の情報隠蔽にも一役、を早く排除しないと民進党、というより日本が良くなりません。岡田、枝野はもはや中老害です。民進党になっても、若返りはない。代表が岡田、枝野が幹事長というのは最悪であり、山尾の政調会長も選挙対策で取って付けた印象です。一体岡田・枝野は選挙で何回負ければ気がすむのか。前回の衆院選では準備が間に合わなかった=幹事長としては失格、ことを自ら認めています。今回も共産党の候補取り下げで何とか形を保っているだけなのに、共産党を排除しようと躍起になっている。これはお笑いです。彼らの傲慢さは一体どこから来るのでしょうか。これでは参院選でまた負けます。思い上がっており、肝心の国民に顔が向いていないからです。現に選挙のアピールでも自民党に遅れを取っています。この二人の幹部は思考が硬直している上に、自分を客観視出来ないのです。これではいかに野党が負けようとも、民進党に投票するわけにはいきません。私達は政党を問わず、政治家にふさわしくない人には投票出来ないからです。自民党にとって、民進党の幹部人事は早くも敵失です。二人にはそれさえも分かってはいないらしい。現在の自民党の独裁を許したのは菅、野田を筆頭に、民主党自身の失政なのです。それなのに未だ野田のような凡才が発言している。口先は別にして、心から反省することを知らない政党、それが民主党です。いま日本の国民にとって一番不要なものは、第二自民党なのです



・民進党、火種抱えて再出発。2016/4/3
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160402-00000026-jij-pol
それは違います。問題なのは体質ではなく、政党の理念、即ち党是です。私なら平和主義の日本を取り戻す、それだけにします。しかし細野のように武装中立を訴えているようでは、国民には自民との区別がつきません。単純明快で、国民の気持ちに寄り添ったスローガンが重要なのです。何様になったつもりだったのか、旧民主党はすぐに与党との政治的妥協に走り、その最たるものが野田前首相です。その結果、変化を望んで民主党を選んだ国民の心が離れて行ったのはむしろ当然だったのです。国民不在は内閣、マスコミだけではないのです。最大野党の民進党の大部分を占める民主党自体が同じだったのです。それでもひとつだけ新党に助言するとすれば、如何なる手段を使ってでも=ノーベル賞学者に日参してでも、今や全く形骸化したアベノミクスに代わる、起死回生の経済政策を打ち出すことです。衆参同日選になれば、これが絶対に必要になります。政治は変えたいが、野党の政権担当能力には不安が残る、ならば信用できないまでも、内部からの変化を期待して、実績のある自民党に頼らざるを得ないと、多くの国民が考えるとしても、それも無理はないのです。それさえ読めないとしたら民進党はお馬鹿さんの集団になり果てます。では自民党はどうか。馬鹿の上に身勝手で欲張りな中年暴走族の集まりです。



424.黒田総裁、もう充分です。2016/3/25

・マイナス金利評価せずが6割。企業調査。
金融に不安を与えたことは結果論という事も出来ます。問題はそこにはなく、黒田総裁が景気回復の為には何をしても許される、即ち劇薬は何度使っても良いという、トランス状態、思考停止状態にあることです。これは国立銀行の責任者としては極めて危険な状況です。マイナス金利政策で、それを終わりにする必要があります。景気回復のきっかけを作るというお努めは十分に果たされたし、これまでの権威主義だけの、ナス似=失礼、の某前総裁のように硬直した、日銀の機能に新風を吹き込んだという功績を残し、そろそろ勇退をお考えになってはいかがか。後任に浜田教授を据えれば安倍首相も納得するでしょう。それから7割の企業が追加緩和を希望していますが、インフレの怖さが全く分かっていないとしか思えない。紙幣が紙切れになり、預金が無価値になるのです。日本企業は、金融緩和を政府に要求する前に、積み上げた利益を自社と社会の為に還元し、有効に回す事を考えるのも企業の使命ではないのでしょうか。実際に海外で大規模な企業買収も展開しているのですから、社内留保がないとは言わせません。更にここまで個人消費を落ち込ませた元凶、賃上げの抑制を、臆面もなく続けてきたではありませんか。いまこそ国民が企業の社会的責任を問うべき時期に来ているのです。私は日本人の経営者の質が急速に落ちてきているような気がしてなりません。そこに日本企業の大問題が潜んでいると思わざるを得ません。それは目先の利益優先の、悪しき米国式のマネジメントなのです。

・バブル崩壊の糸口は中国でなく。米国。FRBが絞った流動性の蛇口。
あくまで一つの意見です。私の意見は違います。いま蛇口の水を細くしておかないと、それでなくても有り余っている資金は、世界中で暴走してリーマンの再現どころか、スーパーインフレを引き起こす可能性があります。仮にそうならなくても、いかがわしい金融商品や、加熱した通貨取引、債券市場の大荒れ=現にそうなっています、が起きます。それくらいなら高校生にでも分かります。当然、黒田総裁はお分かりのことと思いますが。



425.日野原医師と憲法。2016/3/29

3/26(土)の朝日新聞に掲載された、104歳の日野原医師の寄稿です。

「104歳、私の証、あるがまゝ行く」
 2004年11月、私は衆議院の憲法調査会公聴会で、公述人の一人として発言しました。我が国は平和を目指す国際社会の中で、日本国憲法前文がうたう「名誉ある地位」を占めてきたとは到底、言えない。私たちはそれを強く反省しなければならないし、また何をもってそれを償うかを考えなければならないと、その席で訴えました。 「名誉ある地位」は、形式的なことで手に入るものではなく、具体的な労力、行動、犠牲を伴います。人を愛する時、相手のすべてを「ゆるす」という犠牲が伴うのと同じです。それにより争いは避けられ、全体の安全が保たれることがあるのです。そのリーダーシップをとれる人がもっと日本に出てこなければなりません。武力で武力を制することはできません。別の手段を考えるべきなのです。
 世界は緊密につながっています。自分の国だけが豊かで安定していればそれでよいというような狭い考えは、もう通用しない時代です。現在も戦争や紛争で、膨大な数の人間が犠牲になり、尊いいのちが失われ続けています。日本国憲法が掲げた目標、つまり「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去」するため、私たちは何ができるか、真剣に考える時です。日本は資源の乏しい国ですが、マンパワーがあります。たとえば、国と国との間での文化交流は重要です。日本の文化や伝統をどんどん輸出し、他国のそれを採り入れる。同様に教育の課題もあります。自分のいのちは大事。それと同じように他人の、他国の人の、いのちも大事。どの人間のいのちも大事。大人は子どもに、それをしっかり教えるべきです。
 憲法の目的は、国民のいのちを安全に保つことであって、憲法に定められた主役は「日本国民」です。押しつけどころか、私たちのいのちを武力以外で守る賢い仕組みです。この時の憲法調査会公聴会から12年が経ちます。委員の一人として出席していた故・土井たか子氏は、私の公述に賛同され、平和外交のあり方こそが問われていると述べたことを、私は今もしっかりと覚えています。
 今この時期、どうしても皆さんに私の考え、どうしても皆さんに私の考えをお伝えしたくて、筆を執った次第です。
(聖路加国際病院名誉院長 日野原重明)

(寸評:しっかり伝わっています)






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