「オンライン・オピニオン」
「幻のJアラート」
「伐採開始」
「TWTを読む理由」
「君たちはどう生きるか」
「軽すぎる解散権」
「地方創成はいずこ」
「災害救援」
「酷暑対策がなっていない」
「子どもの貧困問題」
「安倍首相的なもの」
2361.幻のJアラート 7/13
自治会の防災担当役員から、Jアラ−トの試験放送の直前(10時57分)に、解除の連絡が出されていたことを教えて頂きました。
当方にも配信されていたことを確認しました。但しサーバーの都合か、発信時間と、こちらが受け取る時刻にはいつもずれがあります。
内容は以下の通りですが、地方自治体としてはこれしか方法がなかったのだろうと思います。
でも一言苦情を言わせて頂ければ、何故中止になったのかの理由くらい書き添えてもバチは当たらないでしょう。それともそんなことをすれば、さんざんJアラートで味噌をつけてきた(今回でミスは3回目)政府の機嫌を損ねるのでしょうか。政府の下請けたる地方自治体の辛い所だとは思いますが、市役所の担当者が、総務省に、なんで中止になったのですかと聞くことくらいは出来るでしょう。そしてそれを市民に伝えるべきだと思います。総務省としては、いやいや北が本当にミサイルを撃ちやがったんでね、アハハと言うかもしれないが、それはそれでもいいのです。口を拭って何事もなかったかのように知らん顔というのが腹立たしいのです。国民の生活に重大な影響のある情報であればあるほど、情報の多重チェック体制(但し迅速を要する)さえあれば、役所の判断ミスがあっても、途中で修正して、防げる人災もあるはずです。私はできれば本件で、世田谷区の保坂区長の意見を聞きたいくらいです。事象に関係する個人個人が、情報を伝える相手の気持ちになって、何故という疑問を持ち、それを発信し、自分のレベルでまず納得するということが非常に大事で、そういう多重チェック機構が機能すれば、国としての大きなミス(戦争や災害)も防止できるのでは、と愚考しています。皮肉な見方をすれば、市としては、こんな馬鹿げた試験の手伝いはしたくないという気持ちが行間ににじんでいるのかもしれません。今回は、市役所も、市民も犠牲者だと思います。また(各種)アラートがどうあるべきかを、市民レベルで考える機会にもなったと思います。更に一言、この全体の、どこが瞬時(発射は10時前)かと、申し上げたい。
『災害時に国からの緊急情報を瞬時に伝達する「全国瞬時警報システム(J−ALERT)」。このシステムが正確に作動するかを確認するため、市内に設置している防災行政無線を使い、国による緊急情報伝達手段の全国一斉試験を本日午前11時00分に予定していましたが、全国的に中止となりました。』
関連記事:Jアラートの試験中止。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023071200552&g=pol&utm_source=top&utm_medium=topics&utm_campaign=edit
コメント:こちらも防災委員(但しボランティア)なので、振り回されました。
2362.伐採開始 7/14
朝日新聞(7.15)の朝刊の、やくみつるの漫画を見て思いつきました。
マイナは返す。
だが免許証と保険証は返さない。
マイナがなくても生きていけるが、
免許証と保険証は、ないと生きていけない。
・8月に伐採開始。中止の声を完全無視する、明治神宮と三井不動産の共闘11年。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f55114377d1a8ac1ffc56df922b03739e3644592
コメント:明治神宮についての報道はこれが初めてでしょう。日本には根拠なきタブーが多過ぎます。運営しているのは、同じ普通の日本人だし、各種権力との癒着も気になります。ところが最もタブーであるはずの皇室については、反撃してこないのを良いことに、週刊誌は叩き放題です。そのくせ、宗教が絡むと、相手がカルトであっても、途端に口をつぐんでしまう(含む警察)。信徒が多いことを気にしているのかもしれません。それとも祟りを恐れる国民性のせいなのでしょうか。もしそうなら、2千年前と変わらない。異様で異質な宗教がはびこる土壌にもなっています。精神的に未発達な(だから平和憲法も、民主主義も根付かない)、しかも非科学的な国民と言われても、仕方がありません。日本で最大の既得権こそ、既成、新興を問わず宗教(団体)ではないのか。但しそれは外国でも同じかもしれない(ISを見よ)。宗教は精神を支配し、価値観を左右するので、人間にとって最大の影響力を持っています。善行にも、悪業にも向かわせることが出来る。人権の侵害や、他人の迫害さえ正当化してしまう。いまや、人類全体が、種の存続をかけて、もっと真剣に宗教と向き合うべき時期にきているような気がします。それは地球変動以前に、人類が自分で自分を滅ぼさない為にです。
2363.WTWを読む理由 7/17
トレンド・ウォッチャー(WTW)の特徴(取り柄)とは何でしょうか。情報源(ニュースソース)は誰でも見られる、大手メディアのネット記事であり、特別な情報源があるわけではありません。言い換えればソースは一般的な情報に過ぎませんが、他のまとめサイトと異なる部分は、活動期間の長さ、即ち情報の蓄積と累積の多さです。原則休みなしで続けた半世紀に及ぶ歴史(しかも単独プレー)は、他にはない特徴だと思います。但しこの継続は、義務も意味します。一般的なソースから、継続だけで、世界のトレンドを把握して頂く以上、情報の仲介を休むことができないからです。ガリレオはそれでも地球は回っていると言いました。言い替えれば、それでも(日々)世界は動いているからです。即ち、正しいトレンドの把握には、情報の継続が必要なのです。但し、それを読者にも強要するつもりはありません。とはいえ、出来れば、毎朝、記事の題名だけでも一瞥して頂ければと思います。それだけでも、世界の大まかな動きについて行くことは出来るはずです。またTVのニュースと違って、放送時間に間に合わなくとも、後で閲覧できるのが、ウェブサイトの利点でもあります。なお、本サイトでは、広告のスポンサーは募集しておりません。サイトの運営から、直接、利益を上げるつもりはないのです。将来本の出版や講演の機会でもあれば、それが収益になるでしょう。それは、あくまで情報(中継)の中立性、批判の自由、即ち表現と思想の自由を、確保しないと存在価値(わざわざこのサイトを見て頂く理由)がなくなるからです。
2364.君たちはどう生きるか 7/20
今回の前書きは話題のあの映画です。「君たちはどう生きるか」宮崎駿、原作、脚本、監督です。現在70代、もしくは80代の人なら、吉野源三郎の同名の小説を読んだことがあるでしょう。また映画の中でも、主人公が、母親が自分に残したこの本を見つけるシーンもあります。但しなぜかその本は、吉野と山本有三(路傍の石)の共著になっています。それはこの二人が、宮崎の少年時代の人格形成(特に人生観と倫理観)で、大きな影響力を持っていたからだろうと想像されます。
ジブリの作品は、主人公が少女の設定が多いが、今回は少年、旧制小学生です。東京空襲で母親を亡くした少年、牧眞人(まさと)が、東京から父親の実家に引っ越し、不思議な経験をする話と言えば、そこで終わりです。しかし敢えて吉野の本の題名を、映画の題名にするからには、それなりの意味と目的があるはずです。そう思って最後まで見ても、肝心のその部分がはっきりとは分からないのです。しかも途中からアクションシーンが多くなって、それがますます映画の肝心の意図を分かりにくくしています。そこで、家に戻って「君たちはどう生きるか」(岩波文庫)をパラパラめくってみて、やっと宮崎の意図が少し分かったような気がしました。
先週の封切と共に見た人の街頭インタビューでも、何が言いたいのかよく分からなかったので、もう一度見たいという意見ばかりでした。でもそれも宮崎は織り込み済みで、だから映画の前宣伝を全くしなかったのでしょう。
ここでもう一度、名前だけ借りたとしか思えない原作を振り返ってみましょう。中学2年生の、成績はいいがイタズラ好きで、背の小さい少年、本田君は、通称コペル君と呼ばれています。これはおじさんがつけたあだ名で、言うまでもなく、コペルニクスから取った名前です。コペルは感受性が豊か過ぎる少年で、彼が日々経験する様々な出来事から、人生や世界の真実を学びたいと考えています。それを助けてくれるのが叔父さんです。映画の主人公は、コペル君であると同時に、おそらく少年時代の宮崎駿でもあるのでしょう。但しこれは私の憶測です。
コペルは、心像風景の展開を通じて、人間的な成長を遂げてゆくのですが、この映画でも心の変化が重要なテーマです。眞人の変化、ナツコの変化。眞人の精神的成長の核となる部分は、自己中心(天動説)からの脱却です。だからコペル君(地動説)なのです。自己に執着せず、他者の視点を理解し、思いやる気持ち。危害を加えて来る動物達(今回は鳥類)でさえ、完全否定はしない。これはナウシカとオームとの交流にも通じる感情です。
最も難解な存在は、間違いなく、牧家の先祖である大叔父と、異界における彼の立場でしょう。危ないバランスの上で世界を(地下から)支えるという重責を背負った彼は、何故そうしているのか。要は分からないことづくめの映画であるという事も出来ます。まさか宮崎は観客に、勝手に解釈せよとでも言っているのでしょうか。それにしても、この映画がこれまでの宮崎作品と決定的に違うのは、娯楽を目的にしていないようだということです。ほのぼの感よりも、真剣さや凄みが隠されているように思われます。女性を描くときも、女性の美しい部分、優しい面だけでなく、その暗い面にも言及しているように思われる。それもこの作品には宮崎が本当に言いたいこと(人間には善と悪があり、美と醜が、同時に存在している)がこめられているからではないのか。人生の終焉が見える時期に差し掛かり、いやでも死や死後の世界を意識しないわけにはいかない。でもそこで絶望したくない。善が悪に、美が醜に勝っていなければならない。そんな切々たる感情が伝わってくるようにも感じるのです。だからこの映画は、作品の形をした宮崎の、我々への遺言ではないかと思うのです。
一方で、映画の中には、観客が混乱するような台詞もいくつか出てくるので、ストーリーの事実関係だけ整理します。まず眞人の母親は東京の空襲で亡くなっています。その事実に変わりはありません。「その後」父親は母親そっくりの妹ナツコと再婚し、今はそのおなかに子どももいます。ナツコは姉の子眞人に複雑な感情を抱いています。そうでないと説明のつかないシーンがあります。(成人の私としては)、活劇シーンはほどほどにして、心理描写に時間をかけて欲しいところですが、映画である以上、娯楽の要素も無視はできなかったのでしょう。今回の道化役は、歯を剥き出すアオサギと、7人の小人のような婆さん軍団です。
この世と、あの世(但し残念ながら天国ではない)を行き来しながら、人生とは何か、人とは何かを考える。その思想は東洋的であり、西洋では、理解は難しそうです。私も、もう一度見るためにビデオ化待ちです。
宮崎の死生観こそが、この映画の土台であり、逆にそれがあまりにも「私的=プライベート」であるがゆえに、この映画の理解を難しくしているのだろうと思います。宮崎は自らの死生観を映像化するという大胆な試みに挑戦し、しかも、観客に分かり易くする努力を拒否するという我儘を押し通したようにも思います。こうして観客に阿ることのない作品が出来上がったのでしょう。分からなければ分からなくてもいい、でもこれが私(宮崎駿)の言いたいことだ、映画がそう言っているように感じるのです。と同時に、果たしてこの映画のどこに、宮崎の原風景や原体験が潜んでいるのか。残念ながらそこまでは分かりませんでした。
ストーリー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%86%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%8B_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
混乱と難解の原因は作品名にあります。「君たちはどう生きるか」ではなく、「私はこう生きたい」の方が分かり易いし、更には「魔界の扉」なら、子供でも分かりやすい。
ちなみに声優陣は、これ以上はないと思うくらい豪華なのに、声だけでは誰か分からず、しかもエンドタイトルにもそれは表示されません。
なお吉野の「君たちはどう生きるか」には、漫画版もあるようですが、私は絵が気に入らないので、お勧めしません。文字だけの方が想像力も手伝うので、理解が深まります。それよりも、吉野も影響を受けたと思われる(個人的な意見です)、イタリアの名作「クオレ」(愛の学校等という恥ずかしい訳名が付いています)をお勧めします。生徒が、生徒同士や、先生との交流を通じて、人間らしさを学んでゆく極めて道徳的な話です。命と愛の大切さを学ぶのにこれ以上の本はないと思います、学校の必読書にして欲しい本です。中に有名な一節があります。先生が語る、路上で施しを待つ女性に、硬貨を手渡すという話です。硬貨は手に留まり、身体を温めるのに使われますが、ともに渡された花(気持ち)は、心に滑り落ち、心を温めるという話です。いま悪(魔)が物欲や支配欲となって、権力や武力で人間を抑圧しようとしています。その悪は、時には政治権力の形を取り、時にはカルト宗教に姿を変える。そして、そうした悪に対して、善の側が、人間性を守るために立ち向かう時の手段こそ、愛と寛容だと思います。ひょっとしたら、宮崎駿が言いたかったのも、そういうことかもしれません。
2365.軽すぎる解散権 7/22
岸田政権の解散騒ぎは既に過去の出来事ですが、朝日新聞7.21のオピニオン&フォーラム「軽すぎる解散権」から2つオピニオンを紹介します。
『横並びのあおり報道なぜ』 鈴木哲夫から
あの解散騒ぎは何だったのか。今年6月、首相の言い回しが変わったことや自民党幹部の発言などを根拠に、解散の可能性が強まっている印象を与える報道が、多くの新聞やテレビから相次ぎました。
私は「解散はないのではないか」と言い続けてきました。理由は、選挙情勢と現場の動きです。春にあった衆参補選は自民の4勝1敗ながら辛勝でした。東京では、公明党との選挙協力も決裂しました。もう一つ、選挙を仕切る選対本部の動きがみえなかったのです。候補者に手渡す公認証書は手書きのため、準備に2週間ほどかかりますが、 動きはありませんでした。
選挙で選ばれた国会議員の首を切る、解散櫂という究極の権力。その力を首相が自らの求心力に利用しようとし、メディアがそれをあおった。 火遊びが過ぎて、首相自ら、 解散否定発言で火消しに回る羽目になった。今回の解散騒ぎを、そうとらえています。
実際、騒ぎのボルテージが上がったのは、内閣不信任案が出されたら、首相が即日解散を表明することを検討していると、民放テレビ局が報じた時だったかと思います。さも不信任案提出が解散の大義になるかのような印象を受けますが、憲法69条は、不信任案が可決された場合の選択肢として解散を規定しているに過ぎません。与党は粛々と否決すればいいだけのことで、実際そうなりました。
そもそも大義のある解散なのか、そしてそれはだれにとっての大義なのか、も問われと強調しておきたい。歴代首相は解散を決断すると、その大義をうたい、国民に信を問うと語りました。しかし、その大義は政権が決めたものに過ぎません。政権の何を問うかは本来、私たち国民の側が決めることです。
小泉政権が圧勝した2 005年の、いわゆる郵政選挙を思い出してください。郵政民営化を大義に解散し、反対する身内に対立候補を擁立しました。その意表をつく動きをメディアは「小泉劇場」と名づけ、新聞やテレビは連日大々的に伝えました。結果、それ以外の争点はかき消されました。政権の決めた大義にメディアと有権者が乗せられた、苦い教訓です。
今回、選挙情勢を冷静に分析し、現場取材を重ねれば、 解散という見立てにはならなかったはずです。私と同じ判断をしていた記者も、少なからずいたと思います。その声がかき消され、横並びの解散報道に流れてしまったとすれば、それはなぜなのか。メディアは検証し、今後の政治報道や選挙報道に生かしてほしい。(以下略)
コメント:鈴木哲夫は私が最も信頼している、現代のジャーナリストの一人です。田原総一朗の時代は既に終わっており、池上彰の時代もまもなく終ろうとしています。
『党利党略を優先 緩む自制』 今井貴子 政治学者から
先の通常国会の会期末にも浮上したように、首相がことあるごとに解散権を振りかざそうとするのには、違和感を禁じえません。あからさまに 党利党略や内閣延命を優先している印象が強く、あまりにも軽い。
解散とは、直近の総選挙で有櫂者が負託した議員の任期を強制的に断ち切る、重大な決断です。まさに伝家の宝刀で、実行はよほどの条件下に限られるべきです。任期満了が近づくこと以外で解散事由となり得るのは、多数派の支持を欠いて統治が困難、重要法案が否決される、総選挙後に新たな重要課題が浮上、内閣の基本方針や性質の根本的な変更ーくらいでしょう。
私が主に研究している英国政治でも、重要法案の採決に内閣の信任をかけ、解散の可能性を探ることがあります。追い詰められた首相が与党の統率を強め、野党に協力を促す窮余の策です。それでも大筋で総選挙の周期性は守られており、存続期問を半分近く残しての抜き打ち解散のような例はまれです。(中略)
民主主義は、多数派による無制限の植力行使を容認するものでは決してありません。憲法による明示的な制約がなくても、解散のような重大な権限は、自制的に使うことが規範として求められます。
自制という不文律を成り立たせるうえで大切になってくるのが、与野党の競争が拮抗することです。「次の選挙で 逆転されるかもしれない」。そんな意識を権力者が持つような状況をつくることで、民意に注意深く耳を傾けさせ、自制へと向かわせることができます。政治が民意から離れすぎないようにするための前提ともいえるでしょう。
それこそが、英国のような政権交代のある民主主義をめざした1990年代の政治改革で期待された、政治にもたらされる緊張感だと思います。選挙結果が不確実であることは、不安定ではなく、民主主義の本質なのです。
政治改革で首相の権限が強まりながら、政権交代の可能性は低く、政府の自制や自浄のタガは緩んでいる。そんな現状を変えるには、野党が自己改革に努める一方で、政権交代の担い手としての重要性が広く再認識され、与野党の競争に向けて適切な仕組みを整えることも必要でしょう。
解散については、スウェーデン方式も参考になります。 任期に応じて選挙日が固定されているのです。その前にも解散できますが、決められた選挙日には選挙をするので、 議員の延命にはつながりません。それは解散の抑制にもつながっています。
コメント:解散権を論じるときには、民主主義がどうあるべきかの議論を、避けては通れないと思います。
・10年に一度クラスの高温。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6469894
コメント:今こそ緊急事態宣言を発出すべきです。
・関東甲信、今週末に梅雨明けか。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6469916
・国士舘、隣接地から統一教会撤退を。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6469928
コメント:大学の隣がカルト教団とは悪い冗談。
・上信越道のトンネルの岩塊撤去工事。レゴに非ず。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/264526
コメント:よく利用しています。一見の価値。
・東京の満員電車再来。
https://toyokeizai.net/articles/-/688300
2366.地方創生はいずこ 7/23
ツイッターをはじめとするSNSとの付き合い方が物議をかもしています。しかし私は50年間、ホームページと電子メールで通してきました。なぜなら、私には掲載の自由があり、読者にはそれを読まない自由があるからです。HPにフォロワー数はなく、アクセス数だけですが、それも最近では気にしていません。検索を掛けると、トレンド・ウォッチャーなら、いくつかヒットしますが、world trend watcherは、他にないので、直ぐに見つかるはずです。
今回も朝日新聞(7.22)のオピニオン&フォーラムからです。
コロナ後の国のかたち
「脱補助金へ 自前で稼ぐ力が鍵」地域再生事業家 木下斉
―地域再生事業に20年来、 関わっているとか。
「高校1年のときに東京・早稲田で商店会の活性化に関わって以来、各地で地域再生やまちづくり事業をしています。地方の問屈点は、『自ら稼ぐこと』より『国からもらうこと』を優先する風土です。国に補助金や交付金をお願いにいく陳情が習慣化され、コネを活用してお金を多くもってくる政治家や公務員が優秀な人とされます」
「カネの分配も地方のヒエラルキーで決まります。政治的に有力な団体や企業が優先され、 若者や女性には回らない。補助金をもらうための書類を書く技術は高いが、お客の喜ぶ商品や サービスの開発力は低い。数珠つなぎの補助金頼みという悪循環に陥り、地方は、国の支援なしでは何もできない『負の構造』を自ら作り、どんどん衰退しています」
(中略)
―コロナ禍で、地方は補助金や交付金のおかげで迅速な対応ができたのでは?
「あれはモラルハザードでした。巨額の金が配られたため、人々の行動規制がずるずる続 き、地方ほど経済の復興が遅れた。そのうえ財源は国の予算。もし地方自身のお金だったら、 経済の回復と行動規制をてんびんにかけて独自に判断できた。地方分権によって財源も権限も地方にあったら、もっと実情にあった対策をより迅速にとれたでしょう。経済活動は続けることが大事なのに、補助金で止めてしまった。悪手だったと思います」
―2000年の地方分権一括法で権限は移譲されたはずです。
「それでも、まだ独自政策をとる考えになっていない自治体が多数です。原因は、地方交付 税交付金の仕組みにあります。 財政均衡化の名の下、税収が足りず採算がとれない自治体 には、総務省を通じて赤字補填の予算が投入されます。『稼ぐ力』を自治体が身につけるほど交付金が減らされる。だから頑張らないで国からもらった方が楽だという発想になります」
「中央省庁出身の知事、市長、官僚用のポストがある自治体も多い。有権者は国とのバイプがある政治家を選び、自分たちの手による地域内の産業づくりを期待していないのです」
(中略)
―地方は「人材がいない」との指摘もあります。
「責任持たせれば、公務員もそれなりに考えるようになり、仕事のやり方も変わります。各地でその芽はでてきています。デジタル化などで行政業務の省力化は可能です。多少は失敗するかもしれませんが、勉強の機会ととらえるベきです」
―人口滅のいま、地方分権に必要なものとは。
「国全体で人が減るのに自治体で奪い合っても、何の解決にもなりません。住民も、行政も人口減を前提に、より生産性の高い社会への転換が必要です。欧州にはワインやチーズ、 皮革産業など、高付加価値の産業があり、人口が少なくても高所得の自治体が多数あります。『人口を増やして課題解決』というあり得ない議論は、捨てる時期に来ていると思います」
「都道府県や市町村を会社に見立てて地域外から人、モノ、カネを呼び込み、地域内取引を 拡大させ、地域から出ていかないようにする。これからの地方は『稼ぐ力』が不可欠です。各地で若者が補助金に頼らず事業に挑戦して成果をあげる事例は確実に増えています。自前主義を諦めてはいけません」
コメント:たしか地方創生大臣等という者もいたと記憶しています。彼らはこれまで何をしてきて、今は何をしているのでしょうか。国から地方への補助金の配分と、上意下達の為の存在なら、そんな役職に報酬を(税金から)払うのはいかがなものでしょうか。
2367.災害救援 7/25
今回の前書きは、朝日新聞(7.24)の記者解説、災害救援 官と民の力で、です。
「強みを平時から共有 調整役が鍵」編集委員 秋山訓子から
愛媛県今治市の早川港で今月2日、ちょっと変わった船の披露式があった。国内でも珍しい民間の災害医療支援船だ。
国内の被災地で救援活動に取り組むNPO「ピースウィンズ・ジャパン」(本部・広島県)が運航する。最大49人が乗船可能だ。ヘリバッドや医療処鷹室を備え、大規模災害時に陸海空から支援する。初期費用の9億円は起業家らから出資を受け、年間約2億円の維持費は寄付などでまかなうという。
NPOは資金の確保が簡単ではないが、ピースウィンズは寄付や会費、ふるさと納税などで年間30億円近く集め、専門的な活動ができるようにしている。
ピースウィンズは、国際機関の「アジアパシフィックアライアンス・ジャパン」や公益社団法人の「シビックフォース」(東京)と協力。災害緊急支援チーム、ARROWS(アローズ)をつくっている。チームではヘリコプターや水陸両用車、ドローンなどを備え、機動力を生かして豪雨や台風災害などに出動してきた。今後は支援船も使うことで、より効果的に対応できるという。
(中略)
こうしたなか、災害嚢で鍵を握るのは官民連携とコーディネーション(調整)だ。消防や警察、自衛隊など「官」だけでなく、NPOやボランティアなど「民」と協調していかなけれ ばならない。
国や自治体は財源が豊富で、広範囲な支援ができる。これに対し、民間はきめ細かく、より柔軟に対応できるのが強みだ。
たとえば避難者全員分の物資が確保できない時に国や自治体が特定の人だけに配るのは、公平性の原則から難しいことが想定される。民間は、たとえば「子どもや高齢者を優先的に」などと柔軟に対応しやすい。
ノウハウや経験が豊富な団体もある。19年に房総半島を襲った台風15号では屋根を覆うブルーシートの張り方に詳しいNPOが自衛隊などに研修をした。
民間団体の間の調整も必要となる。東日本大震災では国内外から多くの人や物資が集まったが、全体を把握する一方で、課題もあった。NPOやポランティアに慣れていない住民もいて、「任せて大丈夫なのか」といった声が寄せられた。町や県はSPFと豪雨災害後も毎月のように会合を重ね、信頼関係を築いていった。
21年に再び豪雨災害が起きた時は、SPF(佐賀災害支援プラットフォーム)の担当者が当初から町の対策本部に入り、情報を共有した。コロナ禍だったこともあり、ボランティアには検査を受けた上で、SPFのシールをつけてもらった。シールがある人は検査が済んでいることを町から住民に伝え、安心してもらうためだ。7月の豪雨でも、こういった経験を生かしてS PFは活動している。
災害の発生直後から民間と情報を共有することは、ほかの自治体でも少しずつ広がる。官民の連携をさらに強めるには、平時から議論し、お互いの強みと弱みを共有して、課題をあぶり出しておくことが大事だ。災害は起きてから慌てても間に合わない。いまからできることはたくさんある。
コメント:地域の防災委員会を立ち上げ、20年近く委員を拝命して、思うことは、災害が起きる時刻を特定できない、その時に誰が地域にいるかも分からないということです。311の時も、私はたまたま都心に出ており、電車が止まったので、親戚の家まで歩いて、翌日帰宅しました。災害発生時には何の役にも立ちませんでした。当地で助かっているのは、消防経験者が在住されており、防災活動の中核を担って頂いていることです。また年齢をものともせず、積極的に活動して下さる方もいます。自治会員は年度ごとに交代するので、そういうボランティア(専門委員)が、事実上活動を支えることになります。上記の記事のような大規模な事は何も出来ないが、せめていつも誰かが防災を気にしている。また公の支援は(少なくともタイムリーには)期待できないものと覚悟する。それが防災の基本であり、また最も大事なことだと思います。
2368.酷暑対策がなっていない 7/26
サンデー毎日の最新号(8.6)は読みごたえがあります。週間朝日なき今、サンデー毎日と週間文春だけが(民主主義の為に)頑張っています。中でも「日本のフィクサー、意外な興亡史」だけでも買う価値がありますが、今回ご紹介したいのはそれではありません。とはいえ、3件あります。
最初は「岸田政権よ、酷暑対策がなってない」鈴木哲夫から
「豪雨も猛暑も表裏のようなもの。原因は一つ。地球温暖化で海水温が上がりそれが湿った空気となって豪雨に。同時にもちろん気温は上がる。温暖化による『異常』気象という表現は当たらない。もはや恒常的になって『異常』ではなく『当たり前』と思い、今まで以上のステージで対策が必要」(旧知の気象予報士)
前号でも主張したが、自然災害は有事だ。戦争と同じ。人間の命を容赦なく奪いに来る。政府は備えを果たしているか。全然足りない。政府の白然災害に関する防災対策には、こんなところにも大問題がある。それが「猛暑」だ。
7月半ば、列島各地で猛烈な暑さを記録したのは周知の通りだ。消防庁によると、7月10-16日の1週間で熱中症の搬送者は8189人。前週から倍増し、1週間の搬送者数としては今年最多となった。特徴的なのは65歳以上の高齢者が4484人と圧倒的に多く、 場所は太陽が照り付ける屋外ではなく、自宅など住居が3215人と最も多かった。死者は3人だった。
長く防災を取材している が、政府の「唇さ対策」に 強い違和感を持つようになったのは、この4-5年のことだ。地震や豪雨は、国や地方自治体が大規模な避難所の設営や行動制限、行動マニュアル、ハザードマップなど大々的な対策を講じている。暑さはどうか。
(中略)
政府広報やテレピで繰り返されるのは、個人で気をつけることを呼びかけるものがメイン。要は「個人任せ」なのだ。
ただ、異常な猛署が恒常的になる一方、何日間続くかはかなり正確に予測できるようになっている。ならば、その数日間は豪雨災害と同様に地域住民が冷房の完備された避難所に避 難してもいいのではないか。高齢者だけでもまとまって過ごせる避難所を設けるべきではないのか。
(中略)
講師をしている市民講座ではでは、高齢者の受講生からこんな声も寄せられた。
「今年は電気代が上がり、年金生活の私には冷房そのものが痛い。昼間は近くの図書館のロピーで過ごすこともある。私は歩けるからまだいい。歩くのがままならない人もいる。例えば、 一定の気温を超えたら、申請すれば電気代の支援をするなどできないのか」
電気代は昨年の段階で前年比約20%も上がり、今年も値上げされている。
高齢者だけではない。子どもの貧困問題に取り組むNPOによると、年収300万円以下の貧困家庭では、そもそも電気代節約のためエアコンを使っていない家庭も多いという。エアコンと言われても「そんな家庭や子どもたちはどうすればいいのか」と、このNPO代表は問題提起している。
(中略)
避難所が『あればいい』という話では終わらない。高齢者の場合、個々に避難所へ移動するというのであれば、(移動中の)猛暑そのものが危ない。行政が事前に一人暮らしの情報を把握し、パスを使うなどしながら集団移動する仕組みが必要。一人暮らしでも普段、介護士が通っているケースなどはいい。でも、そうでない高齢者の見回りを誰がやるのか。整備することはヤマほどあります」
かつて取材した福祉先進都市と言われた北九州市は、一人暮らしの高齢者が 増えることを早くから予測し、見回りに重点を置いた。ただ、市の担当者だけでは絶対的に足りない。そこで日ごろから消火器の設置で 地域を回っている消防士にヘルパーの資格を取らせ、見回りにも参加させた。縦割りを壊して人材を確保した素晴らしい対応だ。
人の命を奪う暑さも、もはや有事だ。そういう認諏が政府にはあるのか。岸田政権に改めて問う。
二番目は牧太郎の青い空白い雲です。
「万世一系の価値観が河野太郎や木原誠二の大失敗を許す」から
(前略)
マイナンバーカード問題で窮地に追い込まれた河野さん。ボクは父・洋平さんと親しいので応援しよう」と思っていたが、マイナンバー制度は民主党政権がつくった。おまえが始めたんだろ、と言い返したくもなる」と言い出した。
あまりに子どもっぼい。 編者注)前身は自民党が作った住基カード。
ご本人は「頭が良い」と思っているが、大臣になるたびにドジばかり。安倍内閣の消質担当相の時は「消役者庁を徳島県に全面移転する」と言い出したり、外相の時は「専用機を買え」とねだったり…。日露交渉は蚊帳の外。ともかく「実績ゼロ」なのになぜか「要職」を続ける。掲げ句の果て、コロナワクチン接種担当相で失敗、今度はデジタル相で大失敗である。
でも、本人は「ボスト岸田」の有力候補.と思い込んでいる。祖父・河野一郎元農相、父・河野洋平元衆院議長の血筋と地盤と資金力がなければ、議貝になれなかったことに気づかないのだ。
例えば、木原誠二官房副長官である。「隠し子」騒動に続いて『週刊文春』に「木原さんの妻が、かつて結婚していた男を殺した容疑で取り調ぺを受けていた」と書かれた。記者会見をして「事実」を話せばよいのだが、「名誉棄損で訴える」と言うだけ。政治家の「責任」に気づかない。
周囲から「おぼっちゃまだから逃げられる?Jと囁かれているそうだが、そういえば木原さんも「万世一系J組?。(中略)しかも、実兄はみずほフィナンシャ ルグループ社長の木原正裕さんと 華開なる家系パワー…。
「世襲議員」が日本をダメにしている。
コメント:警察が自民党に忖度している間は、日本には正義はありません。三権分立さえ実現できていない。
3番目は、これはアレだな、高橋源一郎です。
「情報非公開」から
宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」を見た。
(中略)
さて、「君たち」について書きたいことはたくさんあるが、ここでは作品の中身や内容では なく、その「外側」について考えてみたい。
(中略)
わたしのようなジプリ(宮崎監督)のファンですら、14日が公開初日であることを直前ま で知らなかったのではないか。だから、2日目 以降、SNSに「君たち」の情報がアッブされるようになって、一斉に映画館に駆けつけたのかもしれない。「君たち」への反応はまさに真っ二つに割れていたが、おもしろかったのは、それでも観客は、制作者との「約束」を守り、律儀に内容を明かさないようにしていたことだ。 だから、「内容」がわからないまま、「君たち」 に関する膨大なコメントが様々な場所で流れた。これまでのジプリの作品よりも「取り上げられる」機会は多くなったようにさえ見える。 その意味では、「情報非公開」というギャンプルは、いまのところ成功したように思える。
そして、もう一つ。「君たち」が今回試みた、作品内容に関する徹底した「情報非公開」は、 我々観客にとってこそ素暗らしいことだと思った。もしかしたら、それは作品そのものよりも価値があることなのかもしれなかった。
わたしが小さい頃、新作映画を観るとき、情報はほとんどなかった。映画館で上映される予 告編が唯一で、それさえないこともあった。もしかしたら、大人たちには、情報を得る手段があったかもしれない。けれども、子どものぼくたちは、いつも映画館に出かけて「初めて」それを観るしかなかった。だからこそ、それはほんとうに心を揺るがす「経験」になったのだ。
なにも情報がないのだから、それを直接観ることから始めるしかなかった。いまはちがう。 あらゆるものが、すさまじい量の事前情報と共に、わたしたちの前に現れる。以前、「コスパ」や「タイパ」について書いたが、その作品そのものではなく、その作品についての「情報」を知ることの方が大切だと考える人間が増えた。
(中略)
「読書メーター」や「アマゾンレピュー」を見れば、内容も感想もいくらでも「情報」として 取り出すことができる。いや、続んだ気にさえなることができるかもしれない。だが、そこで は、「不意打ちの出会い」というかけがえのない経験をすることだけはできないのである。
「君たちはどう生きるか」の公開日の翌々日の日曜日、「この夏、テレビドラマ界最大の話題作」「VIVANT」(TBS系列)が始まった。このドラマの特徴も、出演する役者の名前(堺雅 人、阿部寛、役所広司、二階堂ふみ等)と番組タイトル以外、中身の情報がないことだった。
わたしは久しぶりに連続ドラマの1回目を観た。どんな内容のものなのかさっぱりわからないまま。おもしろかった。すごくね。息もつかせぬ展開の速さ、アクション。なによりおもしろいのは、このドラマ、タイトルの「VIVANT」そのものの正体を探ることがテーマらしいことだ。
(中略)
「情報非公開」だった頃、わたしはいつも不安だった。新しい「それ」を、自分は理解できないのではないか、どう咀哨すればいいのか見当もつかないのではないか。そう思っていた。 けれど、それこそが、新しいものと出会うときのいちばん大きな喜びだったのだ。その作品を読むのではなく、自分こそがその作品に「読まれている」ような不安こそが。
いまは、子どもだけが「情報非公開」のまま、 新しい作品に接することができる。
そうか。「君たちはどう生きるか」は、映画館に入る前に、まずわたしたちを子どもにして くれることから始める作品だったのか。
コメント:久しぶりのゲンちゃん節ですが、やはり作家の視点は、ジャーナリストのそれとは異なるようです。
2369. 子どもの貧困問題 7/27
朝日新聞(7.26)の川柳にいわく、
もう本音 第二自民とはしゃぐ党
あほらしい 二つもいらぬ自民党
世界中で右傾化が進んでいます。嘘に踊らされ、トランプを信じる米国民、イタリアでは既に極右が政権を取り、スペインは僅かな差でバランスを取っています。なぜナショナリズムが悪なのか。それは、差別の温床であり、領土の取り合いが戦争を引き起こすからです。極右のナショナリズムは、人権やグローバリズムの対極にあり、排他主義を背景にしているからです。
更にもう一句、
青い鳥 飛び立ち黒いペケとなり。
センスの悪いイーロン・マスクが、財力にものを言わせて世界を混乱させています。しかもトランプの口座も復活させています。ならば確かに黒いペケでしょう。私にはナチスのハーケンクロイツの現代版にも見えます。
今回の前書きは、朝日新聞(7.26)の耕論、子どもの貧困この10年、からです。
「自己責任、親に批判なお」貧困問題研究者 阿部彩
(前略)
政治や社会が動き、この10年でさまざまな政策や支援が生まれました。「絶対に無理」と思っていた「給付型奨学金」のような政策も実現しました。
ただ、貧困に向けられるまなざしはあまり変わっていないように感じます。給付の議論でも「子どものために使わない親がいる」「バチンコに使われる」などの声がいつもあがります。「大人」の姿が見えたとたんに、社会は厳しくなる。「自己責任」という批判は、変わらず強固に存在します。
子どもの貧困に対する理解のレベルもまだまだ低い。メディアでは「3食きちんと食べられない〇〇ちゃんは、こども食堂でハッピーになりました」という報じ方が目立ちます。悲惨な状況を強調することで、同情は集まります。
「なんとかしなくちゃ」と立ち上がる多くの方々が素晴らしい活動をしています。
でも、そこで終わってしまってはいけない。どうして親が一生懸命働いているのに子どもがちゃんと食べられないのか。根本にある雇用や賃金の問題も問わなければならない。高すぎる住宅費や教育費についても議論が必要なはずです。「他者」として「同情」や「共感」するのではなく、貧困を生む「私たち」の社会に対して「怒りによる連帯」が生まれて欲しい。
「子どもの貧困」という問題設定によって獲得したものを大切にしながら、次は、貧困を生み出す構造に向き合い、変えていくことが求められています。そうしなければ、「子どもの貧困」は解決できません。
コメント:怒りによる連帯こそ、まさに国民が新自由主義(自由競争と勝者総取り)で歪み切った自民党政治に対して取るべき姿勢です。またこと貧困問題に関する、日本の権力層、富裕層(含む有名人)の、異様に冷淡な態度は、外国では見られない傾向です。慈善というコンセプト自体が、日本で根付いていないのかもしれません。慈善と施しは違うのです。
・関連記事:見当違いの少子化対策。
https://news.yahoo.co.jp/articles/564e29030723660f7d69b32473bb60f0d3064be4
2370. 安倍首相的なもの 7/28
今回の前書きは朝日新聞(7.27)の論壇時評です。
「安倍首相的なもの 継続か克服か 正体見定めて」政治学者 宇野重規から
(前略)
安倍氏に批判的な人々がしばしば問題視するのが、立憲政治や権力分立への干渉である。
(中略)
また、社会思想史の重田園江は、異例の内閣法制局長官人事の強行や東京五輪の不正事件などに言及しつつ、「安倍政権とは戦後日本の仕組みが行きづまった先にある、その極北のような存在」と断じる。政府の制度的多元性が揺るがされ、縁故と補助金と口利きのシステムが構造化したのが安倍政権期であるとすれば、より良い仕組みを新たに作り出せない限り、 「安倍元首相的なもの」は克服されないことになるだろう。
それでは安倍元首相を評価する人々にとって、継承すべき「安倍元首相的なもの」とは何か。なるほど防衛費の財源をめぐる議論や、LGBT理解増進法をめぐって、「安倍さんなら、こう言っていたに違いない」といった主張をする人は少なくない。けれども、その多くは、自らの都合に合わせて恣意的に安倍氏に言及しているようにも見える。また安倍氏の政治路線を継承するという政治家も、いったい何がその本質であるかを明確に指摘するものは稀である。安倍氏の保守主義がしばしば強調されるが、それではそこで保守されるべき価値は何かといえば、実は必ずしも明確でない。
(中略)
とはいえ、第2次安倍政権が7年 8カ月も続いたとすれば、それを支えたのは、このような心情ばかりではなかった。むしろ安倍元首相に特に強い感情を持たないが、安倍政権の外交政策や経済政策を支持するという層が、一定の水準で存在したことが想定される。安倍氏の長期政権によって、国際社会における日本外交のプレゼンスは確実に高まった。アベノミクスによる恩恵を受けた集団も少なくない。そのような人々にとっては、安倍氏の政策が着実に継続していくこと(編者注:されていくこと)こそが重要なはずだ。その意味では、安倍政確についての徹底的な検証こそが、安倍氏の亡霊が人々を動かす事態に終止符を打つ最善策でもある。
(以下略)
コメント:一部だけなので、物足りないが、正論ではあるでしょう。一部の人達の恩恵と、民主主義や憲法、そのどちらが、日本という国と、その国民にとって大切かは言うまでもありません。しかも恩恵を享受した人々は権力層、富裕層に限られる。国民の僅かな人達(上級国民)です。結果、貧富の差を一層拡大したのも安倍元首相です。宇野氏の論文に関心のある方は、原文を参照願います。
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