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2381.首都防衛 8/26
自分が住んでいる地域にも、自主防災組織があり、毎年防災訓練を実施しています。防災訓練では、安否確認の必要性を理解し、資器材の取り扱いを学ぶことが大きな目的ですが、もう一つ、これを毎年繰り返しているのは、震災が何時起きても、せめて慌てずに行動できる心構え(または危機意識)を持ってもらう事が大きな目的だと思っています。パニックや混乱が原因で犠牲が出たら、眼も当てられないし、そもそも災害以前の問題(しかも人災)だからです。
ところで、最近話題になっている本に「首都防衛」(講談社現代新書)があります。元記者で現在都知事政務担当特別秘書の宮地美陽子という人の著書です。この本は、首都直下型地震、南海トラフ地震、富士山噴火が連動して起きることを想定し、その時にどう首都の機能を守るべきかを論じています。どちらかと言えば行政の防災担当者的な視点ですが、私達住民(一応都民)にも参考になる部分があるので、個人的に興味を持った部分をご紹介します。
…日本は、住民に避難情報を発令する権限が市町村長にある。このため、総務省消防庁は「危機を乗り切れるかどうかは市町村長の判断と行動にかかっている。全責任を負う覚悟をもって陣頭指揮を執ることが必要」と住民により身近なリーダーに求めている。その役割とは、@本庁舎に一刻も早く駆け付ける、A体制(災害対策本部等)をつくる、B被害状況を把握する、C目標・対策について判断(意思決定)する、住民に呼び掛けるーというものだ。
米国のFEMA(連邦緊急事態管理庁)には「ブロアクティプの原則」というものがあり、@疑わしいときは行動せよ、A最悪の事態を想定して行動せよ、B空振りは許されるが、見逃しは許されないーという3点を重視している。緊急時には混乱がつきものだが、国や自治体などには「空振りはしても、見逃さない」対応が求められる。
編者コメント;市町村だけでなく自主防災組織(防災委員会や消防団)でも同様であって、震度6で集まった人の中に、防災委員長や副委員長がいなければ、その場に居合わせた人のなかから災害対策本部長を選ぶことになります。対策本部長に運悪く(?)当たってしまったら、上記の責任者の役割を明確に意識することが必要です。但し事実上、集まった人の合議制で物事は進むので、問題はないはずです。
…災害発生時は、高齢者や障害者により深刻な被害を及ぽす。2011年の東日本大震災で命を失った人は6割超が60歳以上の高齢者だった。障害者の死亡率は住民全体の2倍に達している。自ら避難することができなかったり、寝たきり状態だったりする人の救助・救命が問に合わなかったことも原因の一つだ。
高齢者や障害者には避難先でも試練が待ち受ける。復興庁によると、避難生活などで命を落とす「災害関連死」は東日本大震災発生からの12年間に3700人を超え、約9割が高齢者だった。慣れない避難生活で持病が悪化したり、肺炎や心疾患を引き起こしたりするケースは後を絶たない。
同志社大学の立木教授は「平時は福祉のプロが介入して在宅で過ごせている人が、いざ災害発生となったときに福祉と防災のはざまで取り残されている」と語り、福祉と防災の垣根を越えて災害対策を行うことを提唱する。2022年版の「高齢社会白書」によると、総人口に占める75歳以上の人口は、2054年まで増加傾向が続くと見られている。75歳以上の人口は1950年に107万人で総人口のわずか1%だったが、2021年は1867万人で15%。これが2065年には全人口の約3.9人に一人という割合になる。
75歳以上の「要支援・要介護」認定率は3割を超えており、避難時に支援が必要な人が増え続けるのは間違いない。厚生労働省によれば、「在宅サーピス」の利用者(lヵ月平均)は2 000年度の124万人から2020年度には393万人と20年で3倍に増えている。自宅で助けを待つ高齢者をいかに救うのかは大きな課題だ。
2013年に国は災害対策基本法を改正し、自治体には避難の際に支援が必要な「避難行動要支援者」を把握するための名簿作成が義務づけられた。さらに2021年からは支援優先度が高い人には福祉専門職が個別に避難計画を作成することが市区町村の努力義務とされた。また、2024年4月からは居宅介護サーピスを提供する事業者にも災掛時の業務継続計画(BCP)作成が義務づけられる。
防災は自治体の役割が大きいが、高齢者や障害者のことをよく知る「福祉のブロ」の知見と力も欠かせない。東京都内でも首都直下地霞を見据えた行政と福祉の垣根を越えた連結が進んでいる。
…消防団員を守れ。
災害発生時、現場に向かう消防や救急隊員らは危険と隣り合わせになる。地域に密着し、災害現場の最前線で活動する消防団員も同じだ。2011年3月の東日本大震災発生から約1年半後、一つの報告書が注目を集めた。被災した岩手、宮城、福島3 県の消防団員の死者・行方不明者が250人を超えていたからだ。
総務省消防庁が2012年にまとめた「東日本大震災を踏まえた大規模災害時における消防団活動のあり方等に関する検討会報告書」によると、団員たちの殉職直前の活動は「避難誘導」が6割で最も多く、水門の閉鎖や状況確認をしていたメンパーも3割に上っている。
消防団員は非常勤特別職の地方公務員だ。生業を持ちながら災害が起きたときには現場へ駆けつける。寝たきり状態の高齢者を救助していたときに住宅ごと流された団員や、高齢者を背負いながら避難する際に津波に巻き込まれた団員もいた。殉職した消防団員は30〜40代で6割を占め、働き盛りのメンパーが犠牲になっている。
消防庁は消防団の安全管理マニュアルを策定するよう要請。「津波災害時は住民が率先避難することを基本とし、退避を優先する必要がある場合には消防団員も避難の住民と一緒になって率先避難することが望ましい」としている。
…災害発生時に重要となるのは「現場の人々」の行動だ。2022年9月、世田谷区の路上で70代男性が心肺停止状態で倒れ、付近に居合わせた4人で心肺蘇生に懸命に取り組んだ。そのおかげで男性は消防隊貝が到着したときには鼓動が回復し、約1ヵ月後には社会復帰している。
このときに活用されたのは、東京消防庁が導入している「Live(ライプ)119」 だった。通報者のスマホを使い、現場の映像を災害救急情報センターに送信できる仕組みで、管制員がピデオ通話で負傷者や現場の映像を見ながら応急手当などの方法をアドバイスし、現場の通報者らが実践した。2020年9月から導入し、2022 度は1393件の活動実績がある。
救急隊の到着までに応急手当が実施された場合、1ヵ月後の生存率は「なかった」場合と比べて1.8倍、社会復帰率は約3倍も異なるとされる。
その理由は、心停止すると1分ごとに救命率が7〜10%下がるといわれているからだ。
心停止3〜4分後から脳細胞が死滅し始め、血流の維持が生死を分ける。
阪神・淡路大震災では、約3万5000人が倒壊した家屋などの下に生き埋め状態となり、家族や近所の人々らが必死にバールやノコギリなどを用いて多くの人命を救った。高確率での発生が予想される首都直下地震や南海トラフ巨大地震などの脅威に備えるには、互いに助け合う準備と党悟を持っておく必要があるだろう。
もちろん、すぺての人が応急手当をできるわけではない。
だが、助けを求めている人の胸と腹部の動きを見て、通常みられる呼吸がない場合には119番通報とAED の手配を頼むことはできるはずだ。応急手当を実施できる人は、胸骨圧迫(心臓マッサージ)を行う。左右の手を重ねて胸の中央を押す。胸が5センチほど沈む強さで、1分あたり100〜120回のテンボで押すのがボイントだ。
大事なのは、@普段通りの呼吸が戻る、AAEDが到着する、B教急隊に引き継ぐまで絶え間なく行うこと。救急隊の到着前に手を止めてしまう人もいるが、心臓マッージを止めてしまえば、血流が止まることを意味する。
…救急隊が駆けつけるまでは、現場にいるあなたがその人の生死を左右する。
あまり知られていないかもしれないが、町会や自治会などの防災倉庫には瓦礫を除去して救助するための資機材が入っている。ドアやシャッターなどをこじ開けるパールや、隙問を確保するジャッキ、 プロック塀などを壌すハンマーなどがある。緊急時は動転し、避難するので精一 杯という人は多いだろう。しかし、少しでも人命救助するだけの余裕があるならば力を分けてほしい。あなたは人が助けを求めていたら、駆け寄る勇気がありますか?
(以下略)
コメント:地域の集会所にもついに念願のAEDが配備されました。ところで今私が考えているのはドローンです。最近では消防署でも配備するところが出てきています。しかしこれは操縦が結構難しい。しかし当地には無線ヘリの経験のある人もいます。機器の費用は地域内のクラファン(ようするに寄付)を募りたいと思います。災害時に空から地域の状況を確認できれば、火災の火元が確認でき、何処に要員を派遣すれば良いかも分かります。その都度、伝令を出したり、右往左往することもなくなると思います。賛同の同志を募集しています。
なお文中にあったlive119については、原典にも詳しい説明がないので、自分で調べた結果を追加します。
直接live119に電話することはできず、119に連絡すると、先方から指示があるもののようです。以下は消防庁の資料です。
https://www.tfd.metro.tokyo.lg.jp/lfe/topics/119/data/live119/live119_data01.pdf
スマホでないと受けられないので、ガラケーでは無理のようです。以下は動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=FmVlSFIFtvw
2382.日本の闇 8/25
今回の前書きは「日本の闇と怪物たち、黒幕、政商、フィクサー」佐高信、森功、平凡社新書からです。なるほどそうだったのかと思う記述が多いので、一部をご紹介します。
序章、統一教会と創価学会、から
(前略)
佐高 それといま、二世、三世の議員がやたら多いでしょう。岸田文雄にしろ、麻生太郎にしろ、二世、三世ですよね。これは田中秀征が言っているんだけれど、世襲議員というのは、御神輿なんだ、と。利権集団の神輿で、だから一世以来ずっと関わってきた人にとっては、むしろ神輿に下手に動かれると困る。だから黙って神輿に座っていりゃいいと。つまり、世襲議員は存在は許されても独自の行動は許されていないと、秀征が書いている。そうなると、統一教会の侵蝕についても、二世、三世は、具体的には知らない褐合もある。
森 二世、三世だったら、あり得るでしょうね。
佐高 下村の掲合は二世じゃないから主体的な関わりなんでしょうけれども、担当者しか知らないという構造になっているのではないか。
森 たしかに周りの人は知らないと言っていましたね。
佐高 だから岸田なんかでも、熊本の後援会長が統一教会関連団体の議長だったと週刊文春が報じましたが、たぶん岸田は実際には知らない。これはもちろん岸田をかばっているのではなく、二世批判として言っているんですが。
(中略)
佐高 やはり権力機構や宗教組織、また黒幕的な存在というのには、必ずスパイ組織が付きまとう。統一教会も、KCIAとかCIAが絡むわけでしょう。統一教会の文鮮明が金日成と会ったりしていると聞いて、驚く人たちもいるけれども、それはあくまでも利権であり、北朝鮮との新たな闇の商売ということで考えれば、イデオロギーを超えることは不思議じゃないらしいんだよね。
森 北朝鮮絡みで言うと、安倍の秘書をやっていた政務秘書官の井上義行が、なぜ統一教会とあんなに結びついたかというと、安倍の密使として何度も、北朝鮮に進れていってもらっているんですよね、統一教会に。これは定かではないんですが、北朝鮮へは通常のパスポートが使えないから、それを統一教会に段取りをつけてもらっているらしく、何度も行っていることは問違いない。そういうつながりがあるから、切っても切れない。安倍自身も統一教会にそういう負い目があるという話は、公安の某人が言っていました。
佐高 森さんならではのディープな俯報ですね。
(中略)
佐高 しかし、桜田淳子みたいに、マインドコントロールがなかなか解けないケースも多いんでしょうね。
森 解けた人はあっさり脱会しちゃうけど、勅使河原なんかを見ていても、完全に向こう側の幹部になってしまったわけですからね。
佐高 いずれにしてもカルトというのは、辻棲あわせと、現世利益と、金ですよ。
森 だからこそ、いろんなピジネスをやっていきますよね。ビジネスと、政治を利用して権力に入り込む政界工作ですね。
佐高 政界工作をしないと、いつカルトとして断罪されるか分からないし、政界工作とピジネスを同時並行させて信者を増やそうとしてきた。
冒頭で、統一教会は安倍派に特化しているように話しましたけど、勝共推進議員の一覧表には、中曽根、渡辺美智雄、亀井静香なんかも入っていますよね。それと、現役では麻生と細田博之ですよ。私からすると、いま、あまり騒がれていなくて、一番鎌なのは、麻生だね。
森 国葬を進言したのは麻生だということになっています。でも、あまり表には出てこないですね。
佐高 統一教会問題で渦中にあった山際大志郎も、麻生の側近じゃない?
森 直接的には甘利明ですね。
佐高 甘利も麻生派ですよね。
森 そうです。だから岸田政権は、麻生、甘利あたりがつくった惑じがありますよね。
(中略)
森 いまの岸田政権は政権を動かす軸になる人問がいないから、安倍の影響力や、麻生の影響力で、バランスを取りながらやっている。だから、およそ思い切った政策が打てない。
安全保障も、経済対策も、カルト対策も、独自なものを打ち出せていなかった。
佐高 安倍、麻生の影響力、プラス、アメリカの意向にはほぼ服従だから、どうにもならないですよ。統一教会からの侵蝕、創価学会との野合というカルト性を払拭できず、アメリカの言うがままだから、結局のところ岸田政権は、安倍政治をさらに推し進めたような惨状を招きつつあるわけです。
森 安倍が亡くなって少し状況が変わりましたが、自民党もどうしようもないところまで 来てしまったという惑があります。佐高さんは「浸食」と言われましたが、何がどう侵蝕して政治をここまで腐らせたのか、そこを見ないといけませんよね。
佐高 そのためにはやはり衷面史というか、闇に隠された部分を暴き、そこにうごめいた人物たちをじっくりと検証する必要がある。森さんと私なら、それができると思います。
(以下略)
コメント:週刊ポストに、麻生電撃引退で、岸田死すという記事が載っています。こんな体制では、日本が良くなることを期待する方が無理です。岸田氏には一日も早い交代をお願いしたいし、統一教会の解散命令も早く出して欲しい。
・カルト宗教の巧みな勧誘術。
https://toyokeizai.net/articles/-/694759
・有事備え、空港・港を整備。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6473161
コメント:何時の間にやら臨戦態勢。気持ちははや戦争。防衛を言い訳に、際限もなく武装強化に突っ走っている。このどこが平和国家なのでしょうか。
2383.世紀末を生きる 8/26
今は誰も使わないが、私の若い頃には世紀末という言葉がありました。バンドにも聖飢魔IIというのがありましたが、それはまた別の話です。そのあと趣旨は違うがアルマゲドン(善と悪との最終戦争、人類終焉)という言葉が流行りました。世紀末という言葉には、文化の退廃と、社会の崩壊、結果としての人類の衰微の意味があります。2023年は未だ21世紀末ではありませんが、この異常に度重なる自然災害や社会の激動から、私が直ぐに想像するのは、この世紀末という言葉です。
ベトナム戦争、東西冷戦が終結し、湾岸戦争が終わり、中東和平は未だ実現していないが、とりあえず世界に平和が訪れたと思いきや、ロシアがウクライナに侵攻することで、また世界中に戦火の気配が濃厚に立ち込めています。しかも今や核抑止の名目のもとに、最悪最終の人災である、核戦争の実現可能性さえ視野に入ってきました。そこにスペイン風邪以降初の世界的感染症コロナが発生。戦争と疾病の二大災厄に加えて、この世界的な気候変動。各地で噴火が始まっている火山や、大規模な地震の予想、氷河が溶ければ大洪水。気候変動で台風の規模や回数も増加。我々は天災と人災のハイブリッド災害に直面しているのです。
それとはっきり意識しないまでも、政治の分野でも、各国で進むナショナリズムと独裁政治。具体的には米国のトランプ、ロシアのプーチン、日本の(安倍)岸田、インド、トルコ、イスラエル、サウジ、ミャンマー、カンボジア、ブラジル等々。ナショナリズムは協調・共存共栄の対極にある(自国さえ良ければそれでいい)ので、国連の力も、かつてないほどに弱まっています。
市民生活のレベルでも、経済格差が一層拡大し、どの国でも富裕層と貧困層、支配者と被支配者の二極化が進んでいます。以前は国民の大半を占めていた、いわゆる中間層も、その大半は、現在の生活水準で言えば、もはや下層の上くらいでしかないのです。即ち社会の構図が、一握りの富裕層と、経済的に恵まれない、大多数の大衆という構図になってきているのです。
問題はその背景にあります。それは、国民の大多数が、ほぼ貧困と言っていいレベルなのに、何故かその意識が薄く(今でも自分は中間層だと思っている)、価値観だけは富裕層並みで、政治的思考も保守的である(自民党支持)ことです。
更に情けないのは、立憲、維新、国民民主という、大衆を票田にしている野党政党が、リベラルどころか、中道左派でさえなく、中道右派を自認していることです。即ち大衆の味方であるべき野党が与党の補完勢力となり、保守政党や支配層を支持する立場に回っていることです。維新の代表に至っては国粋右派です。立憲も、国民民主も、連合の言いなりですが、反動的な連合の会長は恥もプライドもなく、浅ましく自民党に擦り寄っています。これも自民党には追い風です。それは連合が一般労働者の代表ではなくて、労働貴族という特権階級の代表に過ぎないことを端的に示しています。言い換えれば、一般市民(または大衆)の民意を代表する野党の不在こそが問題の根幹であり、国民と日本の政治にとっての一大不幸なのです。しかも野党は揃いも揃って、労働者や庶民の味方である共産党と連携するは愚か、アカだと罵倒し、排除しています。これでは戦前と同じです。言い換えれば、自民党が何もしなくても、国民が自ら自民党や、補完的野党を支持することで、勝手に自分で自分の首を絞めてくれているのです。これでは自民党はウハウハであり、永久に安泰です。どんなに不祥事を繰り返しても、役職だけ辞任して、じっとしていれば、また復活できるからです。
同じような傾向は、米国のトランプ支持者に、より明確に見て取ることが出来ます。この際だからはっきり言わして貰いますが、力が正義で、米国は世界一であり、外国は米国に従うべきだと考える、無教養で、自分の頭で考える能力のない粗野な米国人の、なんと多い事か。勢いだけで、フェイクの情報を垂れ流し、出来ない約束をして人気を取り、大統領になることができるのです。そのくせ愛国心のかけらもないことは明らかです。親戚がプーチンと接触し、フェイク情報をばらまかせて、ヒラリーの足を引っ張りました。自分が当選するために、外国の力を借りるなど、売国奴にしか思いつかない方法です。政治的良心を、ロシアに売ったのです。無知な米国民がトランプ神輿を担ぎ、議会に乱入する姿は、西部劇の牛(動物)の暴走(スタンピート)を思わせます。歴史の勉強もせず、宗教はキリスト教原理主義で、民主主義の精神(自由と平等)も理解できない、粗暴な人達。そこに付け込むトランプこそ最悪ですが、そういう国民的素地が連綿と続いてきたことにこそ、重大な懸念が存在します。トランプが次の選挙で仮に落選したとしても、国民に超保守で右翼的な色彩が色濃く残る以上、第二、第三の、場合に寄っては、トランプより更に過激な大統領が出て来てもおかしくないのです。結論を言えば、米国に必要なものは、カネではなく、むしろその正しい使い道、即ち高等教育の機会均等と、無償化です。そうやって国民の教養レベルを上げない限り、いつなんどき乱暴な政治家が国民の支持を得て当選し、核ミサイルをぶっ放さないとも限らないからです。
そして実はこれは日本でも言えることです。某都知事は、中身は事実上何もないのに、印象(宣伝)とパフォーマンスだけで当選しました。しかもその時の公約は、未だに殆ど実現されてはいないのです。西のトランプ、東のX池。私はこの二人が結婚すれば理想のカップルが出来るのではと、皮肉で考えています。フェイクとパフォーマンス(見てくれ)が選挙の全てということは、選挙民には情報もなく、判断力もなく、人気投票(ポピュリズム)で政治が動いているということです。加えて、有権者には基本的に保守的な傾向(右傾化)が強いことも影響しています。それは国政レベルでも言えることです。そこで我々愚民にも、手っ取り早く出来ることは、憲法を読み直し、その精神に立ち帰ることです。人権思想と、自由と平等の理念は何かを、短時間で学び直すことです。文科省は国歌斉唱や国旗掲揚には熱心だが、民主主義の教育には後ろ向きのように思われます。本当は憲法の教育こそ、必須教育として、力を入れるべきなのです。私が首相なら、前川喜平を文科大臣に起用するでしょう。それだけでも、日本の未来は大きく変わるからです。
安倍時代の自民党政府は、一強だと騒がれながら、司法を曲げて、自分と友人を守ろうとしました。岸田は違法な無茶はやっていないように見えるかもしれないが、軍事や外交では、安倍より更に強硬な施策を取っています。武器輸出三原則も事実上の骨抜きにしました。攻撃用兵器の国産化も進めています。三度の食事も満足に取れない子どもが、大勢いるにも関わらずです。愚かな国民が、深い考えも、冷静な判断もなしに、独裁者を自らのリーダーに選ぶ。その結果、経済格差は一層広がり、自分達は一層追い込まれ、消耗品扱いされる(派遣社員の待遇を見よ)。それでも、ここは歯を食いしばり、専制政治に激しくあらがい、厳しく政策を監視する事が重要です。腐りきった野党や、気まぐれなメディアに期待するのはやめて、自ら集会やデモに参加し、政府に抗議文を送りつける。そこが民主主義の再構築の、最初の出発点になるのです。
一方で、世界の歴史が証明する原則があります。それは、人間はある程度の貧しさには耐えられるけれど、不平等には我慢が出来ないということです。だからこのまま格差が拡大を続ければ、必ずどこかで発火点に達する。そして革命が起きます。人間は、自由と平等という基本的な人権の弾圧については、そう長い期間耐えることは出来ないのです。即ち革命とは必然的に起きるものであり、だからそれはもはや時間の問題なのです。
最近頻発する若者の殺傷事件、拡大自殺、或いは家族の心中事件。その背景にある、虚無感と厭世観。それらは端的に、日本が住み難い国になってきている事と、将来に希望が持てない事、国全体に閉塞感が漂っていることの、何よりの兆候であるとともに、社会への不満が臨界点に達しつつあることを端的に示しています。
とはいえ、革命が不可避にしても、変化・変革は犠牲の少ない、平和的、民主的なものでなければならない。それくらいは、人類は過去の歴史から学習しているはずです。もし21世紀に人間がマイルドな革命を成就して、人間性を取りもどすことに成功し、ルネッサンス2.0を実現できれば、その時こそ、人類は2.0に進化したということが出来るでしょう。
2384.処理水放出 8/29
・処理水放出、識者の見解。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6473560
関連記事:外務省が注意喚起。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2023/08/post-102503.php
コメント:しかるに政治家と企業家には、自分達が国民や外国に迷惑をかけた(天災は自分の責任ではないと言いたいのだろう)という意識はまるでないらしい。自分が、隣国の国民だったら「どう感じるか」という、当たり前の想像力さえ働かないらしい。「科学的に無害なら」それでいいだろうと開き直って、人間の素朴な感情を無視した言動を重ねている。そういう態度を続ける限り、日本はますます世界からつまはじきにされる。風評被害と言えば全てが説明できる訳ではないし、世界が納得する訳でもない。最終的に海水で薄まる事を期待しているのであれば、放出前に海水で予め薄める必要などないだろう。どこにどれだけ処理水をそのまま放出しようとも、少し沖合に出れば無害ということになる。放出前に薄めるのは沿岸漁業者への配慮だけしかない。放出する放射性物質の総量には変わりはないのである。
日本の政治家も企業家も、風評被害がある生産物は、自分でも買ったり食べたりしたくはないだろう。それが人情というものだ。そもそも津波で電源が失われ、原子炉の溶融という、最悪の原発事故が起きる可能性を予見できなかったのは、東電と経産省の甘い見通しだったことは、既に裁判でも明らかにされている。ところが自民党政府と経産省は、原発事故を最初から他人ごとのように感じているふしがある。事故が起きたのは民主党政権時代だが、原因を作ったのは自分達だという意識が欠落している。
せめて事故後の全電源喪失だけでも、応急措置でなんとか避けられれば、話は違っていただろう。ところが電源車のケーブルの規格が異なるなどの基本的なミスがあった。冷却がスムーズに行けば、せめて水素爆発くらいは避けられたかもしれない。
しかも事故から10年たった今でも、事態は深刻であり、未だに1グラムの溶融燃料残滓の回収さえできていない。それくらい線量が強いのだ。一見些細なようだが、この処理水(汚染水)放出の問題は、世界からの身勝手さへの批判とともに、アジアでの日本の孤立を招くきっかけになる恐れもある。
2385.安倍派・万博・ターボがん 8/30
今回は2週間ぶりのサンデー毎日(9.10)からの拾い読みです。
@「迷走する最大派閥、安倍派のドロ試合」鈴木哲夫から
…OBの森喜朗元首相の関与もある。森氏は度々、会合での挨拶や地元・石川県の『北國新聞』を通じて会長問題に言及してきた。そして、発言通りに事が進んでいる。
北國新間の連載では今回の「塩谷座長」にも、決定よりずっと前にお墨付きを与えている。そうなると若手からは「結局は陰の指南役なんじゃないか。幹部らはただ言うことを聞いているだけか」と批判が出てくる。
今回は「怨念の下村外し」とも言える発言をしている。最近、下村氏が森氏の事務所を訪れたエピソードを披露したのだ。
(下村氏が「今までのご無礼をお許しください」と土下座までするので、「君は私に無礼を働いたのか。 その自覚があるのなら私は絶対に許さない。帰ってくれ」と言ったんです。ところが下村さん、外では「森会長の了解を得た」と言っているらしい)
背後には東京五輪の国立競技場問題がある。当時の下村文部科学相と安倍首相で決断し、それまでの計画を進めてきた森氏に見直しを迫った。まず、会ったのは下村氏で、森氏は激怒して「ここまで来てそんなことができるか」といった言葉まで浴びせた。
結局、最後は安倍首相が 白紙撤回で説得。森氏は周囲に「絶対に(下村氏は)許さん」と語った。ただ、当時五輪を取材していた私は、下村・安倍両氏の対応は五輪予算への世論批判に応える英断と評価する。「土下座まで暴露してイメージダウンさせ、下村外しをするとは、怨みも度を越している」(4回生)。下村氏側は土下座の「事実はない」としている。安倍派会長の迷走。最大派閥の衿持はどこへ…
コメント:矜持などというものはこの派閥とは無縁。あるのは安倍の怨念だけ。しかも森は五輪で200万の現金を収賄したことを明言しているのに、いかなるお咎めもない。こういう者(しかも半病人)が、未だに影響力を行使できる日本の政治とは一体何なのか。早く退場して欲しいと願うばかりである。
A「生きていくだけで精いっぱい 国民が万博に褪めている理由」サンデー時評 高村薫から
…今回のごたごたは東京オリンピック・パラリンピックの運営での専横が問題となった大手広告代理店への丸投げを止めた結果だと皮肉る声もあるが、素人集団の万博協会がこんな大規模イベントをーから十まで自前で取り仕切っているわけもなし。多額の税金が投じられる以上、実際にどこの誰がどのように実務や調整役を担っているのか、どこに不具合が生じているのかをまずは明らかにする必要があるだろう。そうでなければ事態を改善できないし、来春に始まる時間外労働の上限規制を万博の建設菜者に適用しないよう政府に要請したりして赤っ恥をかくのは、協会より大阪府民である。
それにしても、大阪万博のこの不人気、あるいは直近の世論調査で7割が興味なしと回答していることに見られる国民の無関心はいったいどこからくるのだろう。19 世紀から20世紀半ばにかけて万博が市民に熱狂をもって迎えられたのは、偏(ひとえ)にそこでしか見ることのできない海外の展示品に出合える場だったからである。ネットが普及し、海外との往来も間便になった今日、万博の意義に疑問符がつくようになり、同時に市井の関心も薄れたのは当然の流れと言えるが、それでもこれを数ある人集めのイペントの一つと見れば、開催 する側にはいまなお一定のインセンティプが働くのだろう。
しかし、市井は違う。そもそも「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマから具体的に伝わってくるイメージがない。空飛ぶ車だけは具体的だが、残念ながら現時点では大型ドローン以上のものではないと誰でも予想がつく。では、ほかにわくわくするようなものはあるか?…すでに普及しているメタバースを凌駕するようなものになるのか否か。
…SDGSと科学技術と暮らしの融合といった抽象的な世界は、生きてゆくだけで精一杯のいまの日本人には、むしろよそよそしいものに感じられる。しかも、万博の跡地に建設されるのはカジノを含む統合型リゾート施設(IR) であり、大阪府や関西経済界にとってはもちろんこちらが本命である。まさにいのちの輝きが聞いて呆れるこのIRの腐臭も、国民が万博に褪めている理由の―つではないかと思う。
(以下略)
B「処理水放出という些事」青木理のカウンタージャーナリズムから
…ではそのデブリは果たして回収できるのか。あの事故からすでに12年もの時が経ったというのに、しかしメルトダウンしたデプリはいまだ1グラムたりとも回収できていない。いや、これも正確に記せば、800トンにも達するデプリの全体状況すら精緻に把握できておらず、回収の方法や技術もまったく見通せていない。
果たしてデプリの全量回収など可能なのか。可能だとして、回収したデプリをどこに持っていくというのか。ひょっとすれば、最終的にはチェルノブイリの事故原発と同様、石棺などの形で閉じ込めるしかないのではないかー。
…そして私たちは、原発という巨大発電装置の惨禍がもたらしたあまりに深く甚大な傷と、その傷の直接被害に喘ぐ福島の人びとと、今後何十年にもわたって真摯に向きあっていかねばならない。
だというのに「一定の理解を得た」と軽々しくうそぶいて放出を強行した為政者と電力会社は、一方で事故の反省に基づくエネルギー政策をあっさりと翻し、原発回帰路線を鮮明にしている。各地で原発の再稼働を推し進め、さらには原発の新増設や老朽原発の40年超運転まで行うという。核燃料サイクルなどとうの昔に破綻しているのに、「中間貯蔵施設」を作ると唱え、相も変わらず過疎地に札びらを切って迫っている。
控えめに評しても狂気。エネルギーの安定供給?嘘をつけ。そこから透け見えるのは、すでに保有している巨大発電装置を利用したい電力会社の経営的打算でありそれがもたらす利権や既得権益にしがみつく政官財の無定見。さらに視野を広げれば、そうやって既得権益にしがみつき、まるで沈みゆく船の中で座席争いを繰り広げるがごときハイエナたちが、 この国が低迷と沈滞から一向に抜け出せない元凶ではないのか。
(以下略)
C「ターボがん、処理水放出、お上を信じられない不幸」牧太郎の青い空白い雲から
最近「ターポがん」という言葉を知った。
医学用語ではない。新型コロナワクチン接種の後遺症で「がんの進行が加速する」という症状を表す「造語」らしい。コロナワクチンを接種したため、本来なら人体が制御できるがん細胞が急速、かつ攻撃的に広がる?。それを「ターポがん」と呼ぶらしい。
「ターポがん」について、厚生労働省は「科学的根拠や信頼できる情報源に基づいていない不正確なもの。注意が必要」と呼びかけているのだが…。SNSでは「3 回目の接種後、がんが発覚。治療のかいもなく、ひと月たたずに父は亡くなってしまいました。ターポがんだったのでしょうか?」といった訴えが続いている。
ワクチン後退症に関しては、初期の急激なアナフィラキシーショックに加え、中長期的な免疫低下などが指摘されているから、一概に「ターポがん」の存在を否定できない。
で、当分ワクチン接種は止めることにした。これまで、「お上(厚労省)」の言い分を素直に信じてきたが…。コロナ騒動以降「お上の言い分」は眉に唾をつけて聞くようになってしまった。
狐や狸に化かされているとは思わないが、このところ岸田政権は何かにつけて信じられない。
東京電力・福島第1原発の処理水を海洋に放出する「案件」も疑問が残る。
(以下略)
D「川柳で詠む永田町生きもの劇場物」葉月亭遊人から
自民党副総裁麻生太郎「戦えと叫ぶ本人バー葉巻」
「下々の皆さん」「アルツハイマーでもわかる」「ナチスの手口に学んだらどうかね」…。麻生太郎といえば、暴言・失言のプロ。ついでに漢字も読めないけどね。その麻生さん、緊迫する情勢の中、台湾を訪問した。現職の与党副総裁の訪台は断交以来、初めてだ。当然、中国は反発したが、そんなこと気にする太郎ちゃんじゃない。現地では (日米と台湾は)戦う覚悟を示すことが抑止力に繋がるとプチ上げた。でもね、戦う覚悟を持たされるのは誰? ご高齢の太郎ちゃんじゃないよね。となると若者たちということになる。いざとなったら戦いは若者に任せて、本人はホテルのバーや銀座のクラプで葉巻を燻らせながら、「ご観戦」か。
連合会長芳野友子「労働者の味方のフリはもうヨシノ」
連合の芳野友子会長が再選されるという。「強く推されて」というより他に誰も手をあげないから、というのが実情だ。労組の推定組織率は16.5%と過去最低。非正規労働者が全体の4割を超えるのに積極的に取り組んでいる様子もない。それでも自民党や経済界がチヤホヤするもんだから本人もすっかりその気。岸田内閣の「新しい資本主義実現会議」や自民党の 「人生100年時代戦略本部」に出席し、岸田、茂木、麻生ら自民党幹部らとの会食も頻繁だ。根っからの共産党嫌いだから共産党との選挙協力を模索した立憲民主党を批判しながら、すっかり仲が悪くなった「立憲と国民民主党と手を組め」と。「労働者の代表」ズラはもうやめたほうがいい。
コメント:まさにポイントを突く、鋭い川柳だが、この著者はあまり聞かない名前。ネットで調べても正体は不明。今後の活躍に期待したい。
・米、日本に長距離ミサイル売却。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6473666
コメント:そんなものはいらない。使い道もない。そもそも(国民の)誰が買ってもいいと言ったのか。またいくらで買うつもりか。そもそも岸田内閣を軍国主義への道をまっしぐらに押しまくっているものは何なのか。その正体を今の内にはっきりさせておかないと、取り返しがつかないことになる。私が思いつくのは、過度な米国への追従だけだが、もしそうなら、それが一国の代表かと思うと、心の底から情けなくなる。
2386.ヒロシマの先 8/31
今回は朝日新聞(8.30)オピニオン&フォーラムから、高橋源一郎の、歩きながら、考えるの一部です。
「なぜヒロシマ、向かい合う先に」
8月5日、原爆資料館を訪ねると長い列ができていた。この時期の広島らしい、暑い日だった。
翌6日、平和記念式典に出席した。巨大なテントに覆われた参列者席の脇にわたしは立って、そのときを待った。そして、8時ちょうどに式典が始まった。
原爆死没者の名簿が奉納され、献花があり、8時15分には黙?があった。平和宜言の後、鳩が放たれ、こども代表が「平和への誓い」をふたりで唱和し、何人かの挨拶があった。50分で式は終わった。ずっと強烈な陽差しの下にいたので、汗が止まらなかった。細部まで完成しきった式だと思った。70年以上も続いているのだから当然かもしれない。
式典には個人的な思い出がある。出席したのは二度目だ。一度目は56年前の1967年。高校2 年生のわたしは前日深夜広烏に入り、原爆ドームに忍びこんで夜を過ごした。そして、翌朝式場の端で式を見守った。今回と同じように。背中のリュックには、2年前に出版された大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』が入っていた。
60年前の8月6日、大江さんも平和記念式典に参加していた。
そのことが書かれた『ヒロシマノート』の中で、大江さんは「自分が所持しているはずの自分自身の感覚とモラルと思想とを、すべて単一に広島のヤスリにかけ、広島のレンズをとおして再検討することを望んだ」と記した。
広烏を訪れた大江さんは「ついに旅行者の眼でかいま見たにすぎなかったにしても」としつつ、そこで会った、極限状態の下で「つねに正気でありつづけ」た人ぴと、まったく異なった運命をたどった被爆者たち、原燦投下直後から自らも被爆したのに救護のために駆けずり回った医師たちの声に耳をかたむけた。そして、そこにこの国の未来や希望がある、と書いた。政治や文学に関心がある者に大きな衝撃を巻き起こしたその本が、高校生のわたしには理解できなかった。その理由を知りたくて、わたしは広品を訪ねたのだ。
戦争中、広島に勤労動員で駆り出されていた母は閲一髪で被爆を免れた。母の周りには、被爆者もいた。たいへんなことだとも、気の毒だとも思った。それでも、わたしにとって「原爆」は他人事だった。なぜそうなのかと自問しても、はっきりした答えがあるわけではなかった。だから、直接広島に行ったのだ。行けば何かがわかるかもしれないと思ったのだ。
(中略)
高校生だったわたしは、もう72歳 になる。『ヒロシマノート』を書いた大江さんもとうに亡くなった。5月には「G7サミット」が広島で開催されたが、核抑止論は正当化された。「核廃絶運動」はいまも続いているが、核のない世界はまだ見えない。
あの頃にはわからなかった、
「ヒロシマ」をめぐる二つの作品を、広島を再訪する前に読み返し、もう一度観た。そして、遅まきながら気づいたことがある。
映画「モナムール」の主人公のフランス人女性は、日仏合作の「平和」をテーマにした映画に出演するために広島に来た。そこで日本人男性と出会い、たった一日の短い恋に落ちる。映画の中には「原爆」の映像が溢れる。無残な被爆者の写真。資料館の展示物。デモ隊。プラカード。それはずっと変わらずいまもあるものだ。
この映画の中で繰り返されるセリフがある。
「わたしはすべてを見た。すぺてを」と女性がいう。すると、
「きみはヒロシマで何も見なかった。何も」と男性が答える。
家族が広島で被爆した、その男性のことばは「ヒロシマ」だけではなく、あらゆる事件の「当事者」が、非「当事者」に投げかけることばだ。それは、部外者を沈黙させる呪文なのである。
「きみはヒロシマで何も見なかった」という男性に、やがて女性は自分に起こった出来事を告げる。
第2次世界大戦の終わり頃、若かった女性は、ドイツ占領下のフランスのヌヴェールという小さな町で、ドイツ人兵士と愛し合う。それは許されぬ恋だった。ふたりで駆け落ちしようとした日、兵士は射殺され、女性は「非国民」として、民衆の激しい憎悪の対象になり、丸刈りにされるのである。それは、長い問、フランスにとって思い出したくない記憶であった。人びとの前から姿を隠し、長く地下室で暮らし、やがて20歳になった女性は、ひとりでパリに向かう。2日後に到着した女性が手にした新聞には、「ヒロシマ」という単語が踊っていた。
彼女もまた、複雑で巨大なものに巻きこまれ、大切な自分の世界を奪われた。だからわかるのだ。同じように世界を奪われる者の苦しみが。共に考えたいのだ。そこから逃れ、希望へ続く道を。「ヌヴェール」と「ヒロシマ」には共通する何かがあるのだった。
被爆二世でもある、広島赤十字原爆病院院畏の古川善也さんは、こんなふうにわたしにいった。…「3.11」が起こって「過去」ではなく「未来」をこそ見つめるべきではと思いました。確かに、わたしたちは診断も治療も困難な放射線障害と向き合ってきた。膨大な蓄積もある。けれど、原爆という「過去」にばかり意識が向き、福島での放射線問題が起きたとき、これまでの活動が十分に生かせなかった。わたしたちの苦しみの経験は「末来」のためにこそ生かされねばならないのです。
原爆投下から78年。遠くない将来、被爆者はいなくなるだろう。被爆二世もいつかまた。「当事者」は姿を消してゆき、ことばや記憶の中だけの存在になる。どんな「当事者」もたどる運命だ。
わたしたちは、いやわたしは、「ヒロシマ」の「当事者」でも「あの戦争」の「当事者」でもない。けれども、大きく変わってゆく世界の中で、何かもっと別の、大切な何かの「当事者」なのかもしれない。それを見つけたとき、わたしたちは、「ヒロシマ」にも向かい合うことができるのかもしれない。映画「モナムール」の女性のように。もしかしたら、あのとき大江さんも、障害を持って生まれた息子の父という「当事者」として「ヒロシマ」に向かい合おうとしたのだろうか。
(以下略)
編者コメント:言うまでもなく高橋源一郎は日本を代表する言論人の一人です。しかも風貌に似合わず(失礼)熱烈なファンがおり、脳科学者の中野信子もその一人です。文章も平易で分かりやすいが、意図が見えにくいことがあります。でも今回のこの寄稿は、過去の出来事の経験が、将来に生かされなければ、その経験も記憶にも価値がない。慰霊式を機械的に繰り返すのではなく、積極的に次世代に経験を役立てよという意味だと理解しました。無論それは核の絶対的、全面的禁止です。それが「過ちは繰り返しませぬから」という誓いの意味だと信じます。
ところで、やや旧聞ですが、週刊文春(8.31)に、維新の馬場が、有料老人ホームの経営を乗っ取ったという記事があります。政治ゴロという死語を思い出しました。金額も大きいので、警察は横領の可能性がないかどうかを良く調べた方が良いと思います。側近の暴力も問題になっており、これでは前任者の松井の方が、出処進退が潔いだけでも、まだましです。しかし大阪という土地柄は、どうしてこうも問題児の政治家を輩出するのか。古くは横山ノックもいました。これでは都を名乗るのは無理です。全国のお手本には相応しくないからです。
おなじく、木原疑惑の記事もあります。何がおかしいと言って、自殺したとされる(公式見解は事件性なし)妻の前夫が、自分でナイフを引き抜いたことになっている事と、本人は死んでいるのに、廊下に血痕が残っていた事(歩き回った?)です。しかも警察庁長官から担当部門にうまくやれという圧力が掛かり(本来なら事実を突き止めよでしょう)捜査担当者は現場の状況と説明のつじつま合わせに奔走したというのだから、全く話になりません。事件をもみ消すのが警察の仕事だとは、ついぞ知りませんでした。これが他殺だったら、事件ではなく、犯罪のもみ消しであり、その場合は、直接指示した長官の首が飛んでもおかしくないのです。もしものっぴきならぬ事情で手を掛けることになったのなら、情状酌量の余地もあるのです。事実を知っているのは本人だけ。それでも正々堂々と現実に立ち向かえば、自分を含めた、関係者全員が救われるのです。
・沖縄が戦場になるかも。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6473819
・日本の労働者の収入格差はアメリカより大きい。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2023/08/post-102520.php
2387.平和主義のゆくえ 9/1
今回は朝日新聞(8.31)論壇時評、
「平和主義のゆくえ どう語るか」政治学者宇野重規から、その冒頭と末尾の部分です。
コロナ禍を経て、ようやくいつもの夏が戻ってきた。交通機関は帰省客や旅行客で賑わい、甲子園のスタンドは応援団で埋め尽くされる。広島と長崎の原爆犠牲者を追悼し、お盆にあたる8月15日の終戦の日には、戦争と亡くなった家族の記憶を語り合う。表面的に見れば前と変わらない8月に思えるが、何かが変わりつつあるのかもしれない。
日本の戦後平和主義が「ほぼ有名無実化」したというのは、メディア文化史の山本昭宏である。憲法9条の理念、そして「戦争は嫌だ」という戦後日本の生活感情は現在、大きな転換点にある。2000年代以降、イラク復興支援特別措置法、集団的自衛権の行使容認、そして昨年の安全保障関連3文書の改定と、次々と戦後日本の防衛政策の基本方針が転換された。ウクライナ戦争を受け、戦争の捉え方にも揺れがある。今や戦争世代の高齢化によって自らの体験に基づいて外交・安全保障を語ることが難しくなり、パワーエリートの視点から外交・安全保障を捉える見方が浸透していると山本はいう。しかしながら、国家の決定によって国民が死ぬということへの想像力は依然として重要である。この想像力をいかに補っていくべきかという問いかけが重く残る。
(中略)
今後の平和主義を考える上で、大学生である奥野華子の文章が示唆的である。22年6月、核兵器禁止条約(日本は署名も批准もしていない)の第1回締約国会議がウィーンで開かれた。これに赤十字国際委員会のユース代表として参加した奥野は、世界の多くの若いアクティビストが、核兵器廃絶と同時に、気候変動やジェンダーの問題に取り組んでいたことを報告している。平和を人類の多様な課題と結びつけて考える奥野に、平和主義の未来像を見い だせるかもしれない。戦争と平和をいかに語るか、もう一度考えたい。
コメント:ご承知のように、宇野は、安倍政権で警察出身の杉田が官房副長官の時に、学術会議の参加を排除されました。しかも政府は拒絶の理由さえ明らかにしようとはしませんでした。それは宇野がリベラルな学者なので、政府を批判することを警戒したからだろうという想像が成り立ちます。一方、円満退職した杉田については、誰も、どのメディアも、一切批判することもなく、ましてや総括しようとする者は一人も現れませんでした。
経済安全保障の名のもとに、日本の支配層(パワー・エリート)は、経済効果と、米国追従を大前提に、政策を立案し、ナショナリズムを推進してきました。それが乱立する安保関連法案であり、平和憲法を骨抜きにしようとする、現在の改憲の動きです。
ところが経済至上主義は、新自由主義に変貌し、弱肉強食から最後は覇権主義となる。米国がその例です。そして覇権主義の国同士が競合すれば、必然的に経済戦争が武力行使に発展する可能性がある。それが米中の経済戦争の風景であり、台湾問題を含む緊張関係の本当の正体です。だから中国の人種差別や人権の議論はないのです。経済利権の争奪戦だと理解すれば、納得できるのです。一方、理念のない日本政府は、米国にぶら下り、利権のおこぼれを期待している。そのために、アジア各国からは信用されていないのです。日本への不信感と、軽蔑には、岸田の持つ一種の「軽さ」も一役買っています。そしてついに、日本は国民の命よりも、経済(支配層と富裕層の更なる富の蓄積)を優先する、尊敬に値しない国に成り下がったのかもしれません。日本は(日本も)カネが全ての国に堕落したのです。
利権を守る為なら武力行使も辞さず、ミサイル攻撃を避けるためなら敵基地(先制)攻撃も辞さず。そしていまや核の行使を抑制するのは核しかないと言っています。その大前提は、条件を満たせば、武力行使は当然であって、紛争解決の手段としての戦争もあるという発想です。人命最優先の思想などどこにも見当たりません。
私は昭和20年生まれで、現在78歳。満州から引き上げ、貧しい中で、私を育ててくれた両親は、あまり戦争の思い出を語ることはありませんでした。でも戦争ですべてを失ったという動かしがたい事実が、父母の苦労を能弁に物語っています。祖父も、(幼い)兄も、帰国前に現地で病没しました。詳しく書き残していないまでも、父母の無念さは、子供心にもそれとなく伝わっています。だからこそ、私がいま出来ること、そしてしなければならないことは、両親の戦時中と、戦後の苦難の歴史の記憶を、次の世代に申し送ることなのです。
思い付きでwtwを始めた50年前は、面白いニュースを拾い集めては、NYから日本に書き送るというヤジ馬のサイトに過ぎませんでした。でも今は明確な目標があります。それは平和憲法を軽視する、浅薄な国家主義者(安倍・麻生・岸田を見よ)や、自分で考える事を放棄した人々が垂れ流す、フェイク情報や、根拠の乏しい見解を批判し、若者が誤った方向に誘導されないような、防波堤になることです。そのためには、フェイクや、有害な情報を選別し、必要な情報のみを伝える努力が必要です。読むに値する情報だけを選び出して伝える、即ち現代の語り部になることが目標なのです。
メディアは商業主義でだから、無節操に権力者に尻尾を振る。それはジャニーズの事件でも明らかです。小池知事の批判さえしたことはない。だからこそ、大手メディアの報道に乗らない情報に、目を凝らす必要があるのです。そして世界が、本当はどう動いているのかを見極める。それがwtwの目標なのです。
微力な個人メディアが、御用メディアに対抗するための武器は余りに少ない。一般的な情報源と、自らの社会経験と常識だけです。それでも、(相手が根負けするまで)戦い続ければ、いつかは何とかなる日が来る事を信じるしかないのです。具体的には、意識の高い国民の日一人一人が、独自にサイトを起ち上げて、大手ディアや政府に左右されな情報や意見を発信することです。そういうサイトが沢山できれば出来るほど、日本の民主主義は進化するでしょう。なぜなら、物言わぬ大衆が、支配者に心理操作されるだけでなくて、もの言う大衆となり、明確な意思表示をする国になるからです。
もし共に戦ってくれる人(独自にサイトを立ち上げてくれる人)がいれば、掛ける言葉は決まっています。それは、お互い自分の立場で戦いましょう。自由で平等で平和な未来の日本の為に、というものです。
コメントの方が本文より長くなったことをお詫びします。
・今こそ差別なくし、命守る。関東大震災100年。新聞労連。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023083101033&g=soc
・国のヘイト対策不十分。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/273866
・福田村事件。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2023/08/post-102531.php
コメント:朝鮮人虐殺を、政府は知らぬ存ぜぬ。
2388.私物化の時代 8/31
現代の、公私混同の人たちは、枚挙のいとまもありません。
「国家の私物化、プーチン
東京都の私物化、小池知事
連合の私物化、芳野会長
清和会の私物化、森会長
立憲の私物化、泉代表
国民民主の私物化、玉木代表
維新の私物化、馬場代表」
2389.処理水の成分 9/2
8.31のBSTBS 報道1930(石破も出演)で、原発処理水(汚染水)に関して
原子力の専門家による、重要な指摘がありましたので、要点を紹介します。
「トリチウム自体は、有毒性は低く、紙一枚で遮ることもできる。
各国の原発でも海洋に、処理水以上の含有量を放出している。
しかし福島原発の汚染水には、海外の放出水にはない放射性物質、
即ちストロンチウム、セシウム、ヨウ素131も含まれている。
しかもALPSでは、それらを完全に取り除くことは出来ていない。
現に保管している汚染水の7割では、それらは基準値を超えている。
冷却水が直接燃料に触れていない外国の原発では、放出水にそれらが
含まれていない。ところが福島では溶けた燃料デブリに直接冷却水が
触れている。東電は、トリチウム以外の放射性物資が含まれている事と、
その数値を国民に正直に伝えるべきである」
専門家は、処理水中の、それぞれの放射性物質の値を計測し、
半年以上様子を見てから放出するべきだと指摘していました。
これではいくら科学的には問題がないと政府が繰り返してみても、
肝心の安心と信頼を得る事は(嘘をついている以上)できません。
必要以上に騒ぎ立てる国があっても、反対できなくなります。
もっと言えば、ここにも自民党政府と大企業の悪しき習慣、
即ち情報の隠蔽体質(都合の悪い事は国民には知らしめるな)
が見え隠れしているような気がします。
2390.野党の本分 9/3
朝日新聞の社説(9.3)ですが、原文は以下のサイトにあります。
自民党との距離感や野党協力のあり方が争点となった国民民主党の党首選びは、現職の玉木雄一郎代表が前原誠司代表代行を大差で破り、再選を果たした。「対決より解決」を掲げ、政策実現のためには、与党との協力も辞さない玉木氏の路線が承認されたことになる。
ただ、自民党と対峙(たいじ)し、野党の結集を訴えた前原氏にも、国会議員や国政選挙の公認予定者を中心に、一定の支持が寄せられた。政権を厳しく監視し、政治に緊張をもたらす野党の本分を見失ってはいけない。
国会議員21人の野党第3党である国民民主党は、2020年の旧立憲民主党との合流に加わらなかったメンバーで結成された。玉木代表の下、国政選挙では、共産党を含む野党共闘と一線を画し、国会運営では「与党寄り」の姿勢が目立っている。
昨年は、政権を丸ごと信任するに等しい当初予算案への賛成という、野党として極めて異例の対応をとった。今年も、日本維新の会とともに、改正マイナンバー法や改正入管難民法など、様々な問題点を抱える政府提出法案に賛成し、成立を後押しした。
一方で、玉木氏が予算案賛成の大義名分とした、ガソリン税を一時的に引き下げる「トリガー条項」の発動は、いまだ実現していない。
これでは、政権の補完勢力ではないか。野党の分断という与党の思惑に乗せられているだけではないか。前原氏の挑戦は、党内にもそんな危機感があることの表れだ。
選挙戦で玉木氏は、国民生活に寄り添って、政策をひとつでも実現できるよう全力で取り組んでいると反論。政策や理念を脇に置いた安易な選挙協力が、野党不信を招いたとして、今は党として地力をつける時だと訴えた。
とはいえ、バラバラな野党が、国民的議論のないまま大きな政策転換を重ねる岸田政権に対し、チェック機能を果たし切れていないのは事実だろう。
本来、野党を束ねる指導力を発揮すべき立憲民主党も、政権への向き合い方や選挙戦術で腰が定まらない。次の衆院選で立憲に代わる野党第1党をめざす維新の言動も、野党の分断に拍車をかける。馬場伸幸代表は「(立憲を)まず、たたきつぶす」と繰り返し、共産党を「日本になくなったらいい政党」と評した。
岸田内閣や自民党の支持率が低下しても、野党への期待が盛り上がらない現実を、各党は厳しく受け止めるべきだ。このままでは、政治全体が地盤沈下しかねない。
・玉木再選、野党の本分見失うな。朝日社説。
https://www.asahi.com/articles/DA3S15732364.html?iref=pc_rensai_long_16_article
コメント:国民民主の代表選の論評では、これが一番まともな分析です。一読を。
・自民、国民民主と連立協議検討。
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230903-OYT1T50038/
コメント:これで玉木が入閣でもしたら、「日本の民主主義」は目も当てられないことになる。最初は連合の犬、次に自民の犬。ワンワン・キャンキャンと騒がしいだけで、何の成果もない。それでいてよくも国民の眼を見て話が出来るものだ。
・入閣しないも残る火種。
https://www.asahi.com/articles/ASR926Q4RR91UTFK01X.html?iref=comtop_Politics_01
コメント:いやいや、どうぞ存分に自民党政府に参加してください。遠慮はいらない。野党分裂の火種よりはまし。またそれは自分が主張する、対決より解決(むしろ隷属というべきだが)の、究極の形でもある。
・国民民主、根強い非自民論。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2023090200456&g=pol
・映画国葬の日で見えた、事なかれ主義による、民主主義の機能不全。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/274444
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