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「原発・カルト・処理水」
「ジャニーズ・解散・原発政策」
「なぜ岸田はつかみどころがないのか」
「国民は選挙をどう考えているか」
「岸田がもたらす経済衰退」
「宗教の変質」
「タワマン節税」
2391.岸田は無色のファシズム 9/6
今回はサンデー毎日(9.17)から2件です。2件目は関心が強かったので、長い引用となりましたことをお詫びします。一方、週間文春の最新号には読むべき記事は見当たりませんでした。
青木理のカウンター・ジャーナリズム、外苑再開発と保守の欺瞞、から
…周知の通り、東京・神宮外苑では現在、宗教法人・明治神宮と三井不動産、伊藤忠商事などが主体となり、神宮球場や秩父宮ラグピー場の建て替えなどを含む大規模再開発が計画されている。ただ、200メートル近い超高層ビルを 2棟も新設し、樹齢を重ねた70 0本以上もの巨木が伐採されるため、貴重な景観や環境が失われることへの批判の声も強い。
(目の前の経済的利益のために先人が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にすべきではありません)。そんな書簡を都知事らに送ったのは、3月に亡くなった坂本龍一氏だった。また村上春樹氏らも計画反対を表明し、ネットでは夥しい数の反対署名が集まり、あれはたしか坂本氏の死去直後だったと思うが、外苑の広場で数千人の人びとが反対集会を開いたこともあった。計画が進めば伐採されてしまう樹々の下、坂本氏の音楽が奏でられ、あちこちに花も飾られた集会では、私も参加者の訴えに耳を傾けた。
だが、この計画の本質を考えるとき、真っ先に声をあげるべき者たち―すなわち、保守を自称する者たちからほとんど声があがらないのはどうしたことか。
(中略)
(昭和12年に刊行された『明治神宮外苑志』には、 国民が「志」を持って献金と献木、奉仕によって造営したことが詳細に記されています)(神宮外苑の緑はただの森林ではなく、神社の「鎮守の杜」です。鎮守の杜に育った巨大な樹木は自然崇拝の対象になります。樹木そのものが神の依代なのです)
ならば、面妖ではないか。「明治の精神」なるものを殊更賛美し、わずか5年前には「明治改元150年」を言祝いで政府主催の式典まで開いた政権の礼賛者たちは、なぜ声を荒らげないのか。明治期国家統合の手段として構築されたにすぎない国体やら伝統的家族やらといったものに異様なほど執着し、選択的夫婦別姓制や同性婚の導入などには目を血走らせて異を唱える者たちは、その最も枢要な根幹である明治天星の遺徳と、その遺徳を偲ぷ国民の奉仕で築かれた杜の破壊行為に、なぜ目を血走らせて抗おうとしないのか。
想像するに、明治の精神やら国体やらといったものは、彼ら彼女らにとってご都合主義的に使い分けられる方便に過ぎず、再開発計画を進める当事者でもある明治神宮をはじめとし、要は金儲けの方が優先事なのだろう。
(中略)
だとすれば、明治天皇の遺徳を偲んだ国民の奉仕と献木によって築かれたという鎮守の杜が、金儲け目的の再開発で根こそぎ破壊されてしまえば、それが常日ごろ伝統やら国体やらに固執する為政者や追随者たちのニセモノ性を雄弁に物語る証左となり、跡に建つ高層ピルは「日本的保守」の死を示す墓標にもなるだろう。
コメント:(おそらく富裕層向けの)タワマンは完全に余計です。立てたければ他にいくらでも場所はあるはず。小池知事の自宅のある江古田でもいい。
昭和史からの警鐘、第5回、吉田敏浩
保阪正康語る、大軍拡を人間の眼で批判しよう、岸田政権は無色透明のファシズム、から
松本清張と半藤一利は、昭和史の奥深く分け入り、探究を重ねて築いた独自の視座から、自衛隊の戦時体制計画「三矢研究」の危険性を見抜くなど、日本が再び軍事優先の社会、軍事主導の体制となり、戦争のできる国に変貌しかねない動きに目を光らせていた。
その二人が亡き後、いまやこの国は岸田政権のもと、台湾有事を煽るアメリカの対中国戦略に追随して大軍拡を進めようとしている。しかし、軍事力一辺倒ではかえって戦火を誘発し かねない。松本と半藤が残した数々の言策を通じて、軍事膨張が破局を招いた昭和の戦争の歴史から現在へと響いてくる警鐘が、確かに聞こえる。
連載を締めくくるにあたり、半藤との昭和史をめぐる対談書も多く、戦争体験者への丹念な取材と資料調査を重ねてきた昭和史研究の泰斗、ノンフィクション作家の保阪正康氏に、現状をふまえて昭和史から学ぶことの意味を中心に話を聞いた。
「日本は1868年(明治元年)から1945年(昭和20年)まで77年の問に、1885年の第一次伊藤博文内閣の誕生以来、ほぼ10年おきに戦争をしてきました。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、シペリア出兵、満州事変、日中戦争、太平洋戦争などです。これら戦争の内実、過ちをきちんと検証する必要があります」
―その過ちの原因は、どこにあったのでしょうか。
「軍部が『統帥権の独立』を振りかざし、政治の上位に立って軍事主導国家となったのはもちろんのこと、根本的には、戦争を国家の最大の『事業、営菜品目』としたことです。欧米の先進帝国主義国とは異なり、後発の日本では資本主義の発達が帝国主義化に結びついたのではなく、国家がまず帝国主義化して富国強兵、工業立国、資本主義の発達へと進みました。
日清戦争以来、戦勝で賠償金を得たり、領士の拡大と資源収奪をしたりと、戦争が富国につながる役割をはたしたのです。『戦争は儲かる』もので、近代日本は戦争を国家の『事業、営業品目』と考えたわけです。軍人はその戦争の主役として強い自負を持った。戦争に勝って賠償金や領土を得ることが、お国への奉公と考えた。そして、戦争を欲するようになったのです」
―しかし最終的には、その軍人たちの「事業」は多大な犠牲をともなって破綻しますね。
「戦争は軍人の『事業、営業品目』だったから、日本軍は無謀な作戦でも、戦争に勝つまでやろうとする。ところが、会社経営にたとえれば、原価計算も曖昧、マーケット調査もいいかげん、倒すべき相手企業の内部調査もしていません。本社のエリート社員(大本営参謀)は、戦果をあげるためには犠牲をいとわず、前線の営業部貝(兵士)を使い捨ての消耗品扱いしました」
―それがまさに軍事主導国家の内実だったわけですね。
「軍事指導者に兵士をひとりの人間として見る目が欠けていたのです。兵站(補給)など考えようともしない戦略、玉砕や特攻作戦に馴れきっていく戦争指導…。軍事指導者が兵士や国民を人間として見ないのですから、兵士たちがしだいに人間的感性を失い、侵略した国々の人びとをモノのように扱って、残虐行為など何とも思わなくなるのも当然だったでしょう。だから、この内実を検証し、過ちを繰り返さないために歴史の教訓を導き出さなければなりません」
ー…こうした 過ちを繰り返してはならないという点は、半藤さんも共有されていたと思いますが。
「東京大空襲を体験するなど、昭和の戦争の時代を肌で知っていた半藤さんは もちろん戦争というあんなバカなことを二度とやってはいけない、との思いを強く抱いていました。だから昭和史を深く探って、どんなタイプの人間が指導者になり、国民には何が要求されたのか、社会はどう疲弊したのかなどを明らかにしていったのです」。
(中略)
―半藤さんとの共著に 『憲法を百年いかす』がありますが、憲法9条をはじめ日本国憲法をいかすことの重要性を、あらためてお聞かせください。
「やはり100年、すなわち1世紀も憲法が持続すれば、ひとつの国家意思となり、重要な問題が捉起されるだろう、というのが私たちの共通の考えでした。それは『戦間期の思想』を持たないということです。戦間期とは、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の21 年問を指します。ドイツは第一次世界大戦で失ったものを全部、戦争で取り返すという考えを持った。つまり戦争で失ったものを戦争で取り返すというもので、それが『戦間期の思想』で す。ヒトラーの政権はまさにそうして生まれてきたわけです。
日本は1945年に第一次世界大戦が終わって以後、戦争を放棄した非軍事憲法である日本国憲法のもと、戦争で失ったものを戦争で取り返すという意思表示をしたことは一度もあり ません。戦後の77年間、『戦間の思想』を持たずにきたわけです。それがこの国の誇りであり、国際社会で一定の信頼と尊敬を勝ち得てきた理由でもあると思います」
―憲法を100年いかせば、世界へも発信できるひとつの文化にもなっていくということですね。
「10年おきに戦争を繰り返した近代日本77年の歴史の教訓をふまえて、日本は決して軍事主導国家に傾いてはならず、戦争という政治的選択はすべきではありません。
戦争・軍事で失ったものを戦争・軍事で取り返さないという国家意思を持統させること。それを国家的目標とすれば、世界に例のないかたちの国となるのではないか。憲法を100年いかすことは、その礎じゃないか。そう半藤さんと話しましたね」
―しかし、いま日本では、そのような国家意思を持続させる方向とは逆の動きが強まっています。アメリカの戦争に加担する集団的自衛権の行使を容認した安倍政権に続いて、岸田政権が敵基地・敵国を攻撃できる長射程ミサイルなどを保有する大軍拡を進めようとしています。改憲も声高に唱えています。
「憲法を100年いかすことを阻害するものは何かといえば、憲法の骨抜きです。岸田内閣が閣議決定した『防衛3文書』(『安保3文書』)の敵基地攻撃能力なんていう、専守防衛の基本的な枠組みさえも壊し、戦争を誘発、拡大する危うい発想。それは憲法を100 年いかす精神に対する挑戦といえます。
ミサイルで敵基地を叩くというが、それで戦争が終るのではなく、叩くことによって戦争が拡大していくわけです。そうした戦略論、戦争論を何ひとつ検証することなく、浅はかな論 理を語る首相には落胆しました。
しかも国会での説明もなく、一方的に決めてしまう。ここまで国民はなめられている。こんな無責任な指導者が平気で防衛論を吐くということの怖さを感じます。無自覚なファシストというべきなのかも知れません。
哲学者の鶴見俊舗さんと対談したときに、鶴見さんが『民主主義という制度・システムがある種の疲弊、形骸化したときに、ファシズムが出てくるのは歴史の習いだよ』と語っていましたが、そのとおりだと思いますね。
岸田首相のものの考え方、政治的な振る舞いを見ていくと、安倍元首相の頃から、何か妙な大衆蔑視の、うわついた議論みたいなもので済ませてしまおうという時代に入っているように思えます。
岸田さんは、無色透明であるがゆえに怖い人だという感じがしますね」
―安倍元首相は閣議決定というやり方で、集団的自衛権の行使容認へと憲法解釈を一方的に変えましたが、その独善的な手法を岸田首相も受け継いでいます。いわば憲法と立憲主義 の外側に自分たちが立っているような感党なのでしょう。全能感に酔っているかのようにもみえる。それはやはり恐ろしいことですね。
戦前、軍部は「統帥権の独立」を振りかざして、憲法と立憲主義の外側に立ち、暴走してゆきました。それと通底するものが感じられます。こうした現状について、もし半藤さんが生きておられたら、どのような発言をされると思われますか。
「半藤さんが今の時代を見たら、すぐに、『岸田首相っていうのは思ったよりファシストだな』というような言策が出てくると思いますね。半藤さんは体験派、あるいは世代感党派というのかな、ご自身の戦争時代の体験が原点にあるので、敵基地攻撃などという物騒なことを平気で言えること、その説明が驚くべきほど軽率であり、表面的だということに対する無自覚さを見て、あきれて、おそらく直観的に、『ああいう首相は危ねえんだよな』というような言い方をされるでしょうね」
(以下略)
コメント:民主主義が形骸化した時に、ファシズムが現れる。ところが一番身に沁みているはずの(ドイツと)日本で、また同じことが繰り返されようとしている。
しかもああいう首相は、一見危険そうには見えないところが、本当に危ないところなのです。私は、岸田氏がファシストだという直接的な表現を、保阪・吉田両氏が教えてくれたことに感謝しています。ナチスのやり方を見習うべきだなどという老害のトンデモジジー(副総理)がいるので、ついうっかり見過ごすところでした。
2392.大人の絵本 9/7
今回の前書きは新刊書の御案内です。TV番組でも報道されているので、ご承知の方も多いでしょうが、ヨシタケシンスケの「メメンとモリ」がそれです。姉のメメンと弟のモリが、人生とは何か、生きるとはどういうことかを話し合います。この二人の名前はラテン語から来ており、メメント・モリ(
memento mori)とは「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」「人に訪れる死を忘れることなかれ」といった意味の警句です。即ちこの絵本は最初から大人も視野に入れて書かれているのです。大人向きの絵本として、店頭で手に取ってみることをお勧めします。
「メメンとモリ」ヨシタケシンスケ KADOKAWA発行 1600円(税別)です。


2393.秋の接種 9/10
政府が感染者数の公表を止めてしまったので、コロナの感染状況が
さっぱり分からなくなりました。これは政府にとって、都合の悪い情報は
出さないという、いつもの態度でしょう。
ところが、実際には感染は収まる気配はなくて、休校する学校も複数出ています。
新たな変異株も現れており、それに対抗するワクチンも開発されました。
とはいえ、こちらは3年も感染症と付き合ってきて、費用も掛かったし、心身ともに疲弊し、
もうコロナとの付き合いは沢山というのが偽らざる心境です。
以前と違うのは治療薬があることですが、但し治療には1回6−9万円掛かります。
こちらはワクチン6回接種に、感染もして、ハイブリッド免疫が出来ているはずだから
もう安心かと思えば、さにあらず。複数回感染するタレントが出たり、医師もこれまでの
ワクチン接種では新変異株には十分な効き目がなく、最新のワクチンの接種を推薦すると
言っています。
自治体ごとに対応は異なりますが、全年齢を対象にした秋の接種券が、
自治体から送付される可能性はあります。
秋の接種にどう対応するかは皆様次第ですが、以前ご報告した重篤な副作用に
関して、未だに政府は誠実な回答を出していません。日本だけでも、
ワクチン接種が原因で3000人が亡くなっているのにも関わらずです。
一方で日本の死者の総数は7万5千人(5月現在)です。世界では553万人です。
震災や、山火事どころではなく、近年では最大、最悪の災害なのです。
インフルと同じになったから(5類)、後は心配せずに、年に一回のワクチン
接種でという政府の見解は、秋の接種を推薦する医師とも、ニュアンスが
異なるのです。
ということは、「実態」は、常に最新のワクチン接種が必要という段階から
あまり出ていないのではないか。手放しで安心出来るようなパンデミックの
状況には未だ至っていないのではないかという疑念が残ります。
更につけ加えれば、日本人の自然免疫は未だ51%であり、安心圏の70%に
達していないのです。
政府もただ「終った事にする」のではなくて、実際にパンデミックが収束するまで、
きちんと見届けるのが、あるべき行政(と医療関係者)の姿勢ではないでしょうか。
とはいえ、秋の接種にどう対応されるかは、皆様方のご判断と自己責任であることは、
今更申し上げるまでもないことと存じます。
なお皆様の秋の接種の判断のために、コロナ関係の情報を下記します。
・ワクチン接種券の送付開始。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/a9bb636479b8e10b4e7fe5be99649b6498a81f8c
・ピロラにも効果。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e1804fb7ca94108f5c60da96b40aa422631951a4
・大進化した変異株。慌てず、騒がず、油断は禁物。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d40366fbe77a3154bd56614a7bd27be5e8a73fd2
・今の症状の特徴。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d387ec1fd38a12e9657a091d0b668ae9e4cd760f
コメント:咳などで、以前と同じ。咳があればマスク着用は当然。
・小倉優子が二回感染。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ab4d8d65f90f5f14807d252e711269a894634803
2394.原発・カルト・処理水 9/13
今回はサンデー毎日(9.24ー10.1)から数項目をご紹介します。
@サンデー時評「国防と原発をめぐる出鱈目はほとんど亡国の図だ」高村薫から
(前略)そもそも既存原発は種々の安全対策工事をしても十分に採算がとれるという経営判断の下、再稼働が進められてきたはずで、ならばコストは電力会社が負担すべきであろう。この国の電力関連の諸制度は、本来の趣旨からの逸脱など一顧だにしない経産省と電力会社の玩具と化して久しい。互いに馴れあい、もたれあい、誰も過酷事故の責任を取らない「でたらめ」が今日も繰り返されている。
A青木理のカウンター・ジャーナリズム「カルトを政治利用する泥棒」から
(前略)一部では反日的とも称される統一教会のような破壊的カルトを、この国の戦後右派はなぜ導き入れ、廷々と蜜月を契ってきたのか。周知の通り、先導役は元首相の粗父・岸信介だったが、裏には「反共」を結節点とした韓国軍事政権との深い関わりがあり、米情報機関の思惑などもそこに作用してはいなかったか。
そうやってこの国に妖しく蔓延り、霊感商法や合同結婚式といった数々の異様な活動が幾度も社会問題化した教団をめぐっては、警察当局が捜査に乗り出す気配を見せたことがあった。特に1995年、警視庁公安部が教団に関する広範な情報収集に着手し、しかしそれが、「政治の意向」で頓挫させられたのを私は目撃した。教団を長年追求してきた有田芳生氏もほぼ同時期、同じ情報に接しているという。
もしこの際に教団への強制捜査が行われていれば、その時点で教団の反社会的活動に強烈なブレーキがかけられた。暴竟、元首相を銃殺した男が人生を破壊されることもなく、遺恨をつのらせることもなく、事件そのものが起きなかったかもしれないし、ひょっとすれば、
教団の関与が囁かれた戦後重大事件の闇の蓋が開けられた可能性すらあった。では「政治の意向」は誰がなぜ発したのか。
同じようなことは、教団が名称変更した際にも当てはまる。以前から教団が望み、しかし認められなかった名称変更が、「一強」政権下の2015年に突如認められたのはなぜか。教団票を元首相が自ら差配していたらしき事実と合わせ、右派政治と 教団の昵懇がそこに働いたのではないか。こうした疑問や疑惑の数々は、衝撃的事件から1年以上が経った現在でもなお、全く真相が明らかになっていない。
(以下略)
コメント:一つだけ付け加えれば、教団の名称変更当時の文科相は下村です。
B牧太郎の青い空白い雲「いわゆる処理水の海洋放出で新潟水俣病を思い出した」から
(前略)そんな昔の事を突然、思い出したのは、東京電力福烏第 1原発で発生した、いわゆる「処理水」の海洋放出問題がすこぶる気になっているからだ。中国の猛反発は傍らに置くとして、「放出」は「最良の策」だろうか。
大昔「新潟水俣病」で学んだのは「(有害物質は安全な濃さまで薄めると、短期的には影響はないとしても)魚は食物連鎖などで長い間をかけて有害物質を生体濃縮する」という事実である。海洋放出を続けると放射性物質の総量がどうなるか。研究は進んでいない。
東京電力と政府は「海洋放出」以外の 代替案を檢討していないようだが、専門家からは「大型堅牢タンクでの保管」や「モルタル固化」などの選択肢が提示されている。このまま海洋放出を続けていいのか。
(以下略)
コメント:そもそも流入を続ける地下水を止めることが先決です。以前には炉の周りの土を冷凍して、地下水が漏れないよう、壁を作る方法も検討されていたように記憶しています。とにかくデブリを冷やす方法を、科学の総力を挙げて研究するべきです。なお以下は関連記事です。
・岸田政権の国民運動に違和感。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/276715
コメント:国家総動員法のつもりか。プラスの「風評」づくりに躍起の政府。
C「死ぬまで非戦を訴える!福田玲三の壮絶戦争体験を聞いて欲しい」倉重篤郎から
(前略)
戦争の全てに一貫するのは命の軽視
(以下略)
コメント:まさにこの一言に尽きます。
2395.ジャニーズ・解散・原発政策 9/14
新聞に掲載されている週刊誌(文春や新潮等)の広告(電車内の吊るし広告の新聞バージョン)を見ると、以前は興味津々だったこともあるが、最近ではむしろうんざりしています。大衆向けなので、ゴシップを追うのは仕方がないとしても、余りにも無節操だと感じるからです。しかも後のフォローもなく、報道としては無責任です。
文春は最初にジャニー喜多川の性加害を告発し、ジャニーズ側は名誉棄損の裁判を起こし、最高裁判所迄行き、結局実際に暴力があったことが立証されました。ところがこの事実をどのメディアも取り上げず(無論NHKも)、仮にその時点で社会的制裁が行われていれば、それ以上の被害も起きなかったでしょう。ところが懲りずに喜多川は性犯罪を繰り返しました。これは精神病です。
裁判に勝ったのに、なぜ文春はその後の喜多川の暴走を見て見ぬふりをしたのでしょうか。催場を通じて、何らかの裏取引でもあったのでしょうか。最も単純な解釈は、文春がこの事件に単に飽きた(興味を持たなくなった)、又はニュースバリューがないと判断したという推測も成り立つが、社会悪を追求する立場なら、途中で投げ出すのは、いかにも不自然です。常にセンセーションを追い続けるが、社会正義には全く関心はないとなれば、文春はジャーナリズムの名に値しません。
新潮に至っては、右翼的な価値観で記事が貫かれているので、分析も評価も鵜呑みにするのは極めて危険です。大衆紙は、その時目立てば、それでいいという(小池知事にも似た)価値観で編集されているのであれば、大衆誌を買っても、一時の好奇心を満足させるだけで、社会を良くする役には立たないのです。週間朝日は、中ではまともな方だったが、政府への忖度もあったし、しかも廃刊になりました。そういう意味で、唯一残っている良心的な週刊誌の筆頭がサンデー毎日です。
なおこの場を借りて一言言いたいのは、今回は少年への性暴力の事件で、被害者は心身とも傷つくが、被害者が、少女の場合(或いは女性タレント)では、これを大きく上回る数の性被害が起きている可能性が高いということです。その場合には男子と異なり、妊娠を含めた問題もあります。しかも女性の場合は、監督やプロデューサーだけでなく、下っ端迄が関係を要求していることが予想されます。
従ってジャニーズ問題に端を発した性加害の問題も、ここで納めてしまうのではなく、芸能界における、全ての性犯罪、性被害について、告発がなされるべきなのです。日本を性欲列島にしてはならないのです。品位と人格と正気を保たなければ、日本人以前に人間ではなくなるのです。なお米国では、大物プロデューサーの性加害について、ハリウッドで実話が映画化され、ヒットしました。もし日本でも、そんな映画が出来れば、その時に初めて、日本人の報道姿勢と社会性が、世界で見直されることになるでしょう。
今回も前回に引き続き、サンデー毎日(9.24-10.1)から2つの記事を紹介します。
「岸田首相解散戦略がジリ貧なワケ」内閣改造・自民党役員人事も焼け石に水、鈴木哲夫から
(前略)閣僚経験者の自民党ペテラン議員は早期解散説を、意図を持ったリークとした上でこう語る。
「財務省がやりたいのはとにかく増税。選挙があると与党は増税を封印する。だから、何でもいいから早く選挙をやってもらい、選挙後に増税をしたい。6月の通常国会終わりの解散を盛んに裏で煽り、流布していた―つが財務省官僚や財務族議員。いずれにしろ年内に総選挙をやってほしい。『秋解散』を盛んに作っているのはそんな思惑がある」
(中略)
(自民党議員や創価学会幹部によると、11月解散、12月10日投開票で確定。学会は10月選挙で一旦準備していたが、これを解いて、12月選挙で体制を立て直した)
これは公明党が主体的に書かれていることに信憑性がある。
(中略)
自民党ベテランが言う。
「歩み寄ったのはまず公明。背景にあるのは東京よりも関西。日本維新の会が次期総選挙で関西の公明の牙城に対立候補を立てることを決めた。相当激しい戦いになるが、公明はここで自民の支援もほしい。また最近、うちの幹部には政権安定のため『野党を分断し、維新や国民民主を連立政権に引き込もう』と動き始めている者も出てきた。公明としては、連立の枠組みから外されては困る。自公連立を強固にキープしておきたい。うちも公明の支援は 絶対ほしい。双方の歩み寄りにはそんな背景がある」
その延長線上で、自公が確認し合った日程が「12月10日投開票」と見ている。さらに、こう続けた。
「9月解散・10月総選挙は人事をやり、その内閣が何をやるのかも示さず、選挙ということになる。12月なら、臨時国会でガソリンや電気・ガス代などの補助金の継続や、総合的な物価高対策を決め、旧統一教会の解骰命令請求も決断し、うまくいって日中首脳会談なども実現できれば、十分にアピールしたうえでの総選挙となる。学会も絡んでいるし、これは現実味がある」
(以下略)
コメント:鈴木はTVに出ると軽さが目立ちますが、ニュートラルで確度の高い政治ジャーナリストだと思います。もう一人優秀なのは後藤健二です。私は今回の上川の外務大臣任命で、岸田が政権続投の意思を明確に示したと考えています。なので、よほどのことがない限り、直近の解散はないというのが(素人の)私の見立てです。
もう一つの記事は、倉重篤郎のニュース最前線、原発と半導体の闇、原発再稼働から見える核開発シナリオから
この男、どこまでやるのだろうか。岸田文雄政権の原発・エネルギー政策の大転換である。 原発再活用にそれほど熱心ではなかったはずだ。実際に首相就任直後の2021年10月には、「現時点では原発の新増設は想定していない」と明言していた。
これは安倍晋三、菅義偉政権の路線を継承するものでもあった。安倍政権は14 年4月、原発を「ペースロード電源」(安定的に発電できる電力源)と位置づけながらも「依存度を可能な限り低減する」と明言、菅政権はこれを踏襲するとともに20年10月、50年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにする「カーポンニュートラル」を宣言した。両首相とも一言一句変わらない表現で「原発の新増設」を否定していた。
その基本政策の転換が表面化したのが岸田政権になって8カ月後の22年6月だった。経済・財政運営と改革の基本方針を示す「骨太の方針」で、原発に関する表記を前年の「可能な限り依存度低減」から「最大限活用する」と切り替えた。
そこからは一気呵成だった。改編の場は、脱炭素社会への移行を目指す政府の「グリーン・トランスフォーメーション実行会議」が使われた。同年8 月、首相自ら原発の新増設について検討を進める考えを表明、いくつかの手続きを経て、今年2月には、原発の新規建設や60年を超える運転を認めることを盛り込んだ基本方針を閣議決定、先の通常国会では関連 法案を成立させた。
背景には、ウクライナ戦争によるエネルギー需給の逼迫や脱炭素の国際公約もあっただろう。だが、あれよあれよの大転換、経産省幹部をして「神風が吹いた」と言わしめた。その勢いを背景に8月24日には溜まりに溜まった事故原発の放射能汚染処理水の海洋放出に 踏み切った。のみならず原発先祖返りを列島隅々にも波及させている。山口県上関町が、使用済み核燃料の中間貯蔵施設の立地調査を受け入れた。財政難の自治体に補助金と引き換えに汚れ仕事を担わせる、しかも、調査だけでカネがもらえる、という二重に非倫理的な札束行政が復活した。
安倍、菅両氏でもできなかった原子力政策を巡る大転換。なぜ岸田氏にできたのか。岸田側近で、経産省事務次官、東京電力執行役員も務めたことのある嶋田隆筆頭秘書官の影響が大きいとされるがそれだけか。そして一体それはどこに行きつくのか。(中略)ジャーナリストの田原総一朗氏が元経産省官僚の古賀茂明氏に質した。
田原 処理水どうみる?
古賀 原発政策については、安倍政権以降、積極的に嘘つくことはしない。でも大事なことをわざと言わないので、間違った理解が進む。トリチウムが除去できない、と言っておけばそれ以外が除去できていると思うようになる。処理水にはトリチウム以外の核種も(基準値以下として)残存しているのにそれがクローズアップされなくなる。
田原 IAEA(国際原子力機関)のお墨付きを得た。
古賀 この組織は、核査察をする正義の味方に見えるが、その本質は核保有5大国の権益を守り、それ以外の国には原子力の平和利用をさせる、つまり、原発推進のための機関。だから、 廃炉工程の一つである汚染処理水の海洋放出に「ノー」とは言えない。本来ならW HO(世界保健機関)や国連を呼び、一からやってもらうべきだった。IAEA は、東電の紙を読み、東電から提供された水を検査、大丈夫だった、と言っているにすぎない。
田原 中国が猛反発だ。
古賀 予想外で外交政策の失敗だと言われるが、私から見れば岸田政権はこれも上手に利用した。一連の軍拡政策で習近平独裁、中国悪者論のイメージ作りを先行させてきただけに、その中国が大騒ぎしているだけだと問題を矮小化することができた。(中略)
田原 それにしても岸田氏の原発政策大転換。なぜ?
古賀 一番の狙いは、原発の使用期間の延長だ。原則 40年、長くても60年だったのを運転停止期間分は60年に上乗せしてもいいとなった。電力会社にとって利益を出し採算を改善させる近道になる。特に、東電は膨大な負債を抱え、国が出資、取り返すというストーリーになっているが、そのためには東電の株価上昇が必要だ。柏崎刈羽の再稼働が最大の目標となっている。
田原 原発新設とも言う。
古賀 再生可能エネルギーは高くて不安定だと吹き込まれ、それを信じている。
田原 世界と逆行だ。
古賀 経産省はいずれ原発復活と思っていたので、本気で再生可能エネをやってこなかった。その証拠に送電線増強をしなかった。過去10年比で8倍の送電網を整備すると言うが、この10年何をしていたのか。増強していれば、太い送霞線で再生エネの融通も十分できるようになっていたはずだ。蓄電池対策も怠った。世界ではどんどん低価格化し、テスラのものは経産省目標より安い。しかし、そうなると、原発が要らなくなり、経産省も霞力会社もメーカーも困る。今ある原発を使いたい。一番安上がりで簡単だからだ。廃炉もゴミ問題も二の次だ。 (中略)
田原 福島原発事故であれだけ痛い目にあったのにね。
古賀 国民世論が痛みの記憶を少しずつ忘れ、政治、行政がそこに乗じている。原発ゼロがペターだが、電気料金値上げや停電があってもいいですかと言われると、それは困りますねと。そのために原発を動かした方が安全、と言われると、少しくらいいいかなと。不思譲ですよ。事故時点ではほとんどの人が原発はダメだと言っていた。橋下徹氏(当時大阪府知事)まで。(中略)
古賀 岸田政権でそのタガが外れ、もともと自民党がやりたかったことを素直に出してきた。岸田氏は、世論がついてくると見定めた上で政策転換している。嶋田秘掛官の存在も大だ。
田原 そこを間きたい。安倍政権の実力派秘書官今井尚哉氏も経産省出身だ。今井氏にできなかったことをなぜ嶋田氏がやれた?
古賀 世論の変化と本人の思い入れではないか。(中落)岸田氏に請われて官邸入りした経緯もあるかもしれない。岸田氏は嶋田氏に言われたことが正しいと思っている節がある。僕は、それは岸田氏の理解力が足りないせいだと思っている。
田原 僕の認識でも、岸田氏が嶋田氏に強い信頼を寄せているのは間違いない。
古賀 (中略)岩盤保守層をつなぎとめなければならない。そのためには、安倍氏でもできなかったことをやってみせる。もっと安倍的なんだという。
田原 要は、安倍コンプレックスの裏返しだ。
古賀 総理大臣病みたいなのも感じる。日本を背負うリーダーとして力強い自分を見せたい。それを補強、演出してくれるのが米国大統領だ。米国の要請に応じて安保大転換もしたが、原発政策でも踏み込んだ。私を見てください、と。パイデンに屑を抱かれてうれしそうに映っている。
田原 再稼働、使用期限延長、新型炉開発の先に何があるか。この勢いでいくと核武装までいきかねない?
古賀 ある意味それも否定できない。自民党内には安全保障の観点から核兵器は保有しないまでもいつでも作れるという開発能力だけは維持すべきだ、という勢力が根強く存在する。(中略)
田原 確かに、安倍氏らが(米国との)核シェア(共同運用)論を展開したこともあった。ただ、岸田氏は宏池会政権。広島選出の政治家としてそこまで考えているとは思えない。
古賀 宏池会という看板の目くらましで軍拡大転換も原発大転換もした。そもそも広島を選挙区にはしているが、育ったのは東京だ。広島特有の平和教育を受けたわけでもない。(中略)
岸田政権で進んだ安保、原発という二つの政策大転換。古賀氏指摘の通りだ。宏池会政権という行政のまやかしから目覚める時だろう。
コメント:私の予感通り、安倍以上に危険な政治家です。国民は騙されているし、野党は見て見ぬ振り。もはや何をか言わん。将来、対中核戦争の片棒を担ぐ日本人の姿が見えるようです。
2396.なぜ岸田はつかみどころがないのか 9/16
今後数回は雑誌世界10月号の記事のご紹介が続きます。文芸春秋の方がメジャーですが、内容(右傾化)に不満を感じることも多いので、私はもっぱら世界を「自らの教養の為に」読むようにしています。
今回はTVにもしばしば登場する朝日新聞編集委員の高橋純子の寄稿です。
「フォークダンスDE一番病」岸田首相のつかみどころのなさについて、から
(前略)われらが首相・岸田文雄氏に 対する思考はなんだかどうにも持続しない。深まらない。
安倍元首相、菅前首相の時は違った。ふたりは言動のはしばしに良かれ悪しかれ「個性」が光り、「我」がのぞいていたから、そこをとらまえて「勝負」することができた。権力者と対峙している、そういう感触をちゃんと得ることができた。
「つかみどころがない」「ピントがずれている」
「何を考えているのかわからない」
すでに定番化した岸田評。それぞれその通りだと思いつつ、「つかみどころがない」ことをつかんだところで何もつかんでないのと大して変わらぬ気もするし、ひょっとするとそこには何かもう少し、根の深い問題がひそんでいるのかもしれない。うむ。しばらくは飲み会を断り、一歩で も、半歩でも、思考を前に進めてみたい。とりあえず、哲学者・鶴見俊輔のこの言菓を手がかりにして。
「いい人ほど友達として頼りにならない。いい人は世の中と一緒にぐらぐらと動いていく。でも、悪党は頼りになる。敵としても味方としてもね。悪党はある種の法則性を持っているんだ。これこれのことをやれば、これこれのことが出てくるというね」(『日本人は何を捨ててきたのか』)
岸田内閣発足当初に注目されたのは、支持/不支持の質問に対する「DK」(「わからない」「笞えられない」と回笞した人の割合の高さである。朝日新闘の内閣発足直後の調査によると、岸田内閣のDKは35%で不支持(2 0%)を上回り、野田佳彦内閣の29%を超えて最高を記録。その後もしばらくはDKが不支持を上回った。好きでも鎌いでもないー態度を保留していた人が多かったのである。
しかし、今年八月の調査では支持率33%、不支持率54%、DK13%で、すっかり「嫌われる内閣」となった。 最初の転機は、大勝した昨年7月の参院選後。安倍氏の国葬を専断したことや、自民党と旧統一教会との関係が影響したと分析されている。
私自身も、微量ながら保持していた岸田氏への期待を、国葬ですっばり捨てた。何に期待していたのか?言わずもがな、安倍・菅政権が進めた敵と味方を分断する政治、強権的かつ決断主義的政治からの脱却である。まがりなりにも「聞く力」をキャッチフレーズに首相の歴を射止めたのだから、異論に耳を傾ける、国会で十分に審議する、それくらいのことは普通にやるだろうと思っていた。思うだろ、そりゃ。
ところが、国葬をめぐる岸田氏の振る舞いは、安倍・菅両氏と変わらぬ聞く耳なし雄。十分な説明もなく、一度決めたらテコでも動かない。さらに、国論を二分してまで断行した国葬での岸田氏の弔辞があまりにもつまらなくてのけぞった。歯の浮くようなセリフ満載でひたすら「あなた」の功績をたたえるのだが、「あなた」への思い入れは驚くほどに伝わってこない。岸田氏は政治家として、大事な何かが欠蕗しているのではないか?
(中略)
常識的な「大人」は、悪気のない人を怒れない。怒れないからモヤモヤする。そのモヤモヤはじきに発酵し、静かなる嫌悪へと姿を変えることになる。怒る/怒らせる関係であればまだ、つかみあったり口角泡を飛ばしあったりが生じ、それが政治的ダイナミズムに転化することもあるのだけれど。その意味で、ただ静かに嫌われてゆく岸田氏はやはり、政治家として致命的な欠点を抱えていると言わざるを得ない。
(中落)
岸田氏はいわばフォークダンスを踊っているのだ。どんな時も。そう。キャンプファイアを囲んでの、オクラホマミキサー。まったくもって型どおり踊る。うまいも下手もない。自己表現するつもりもない。大切にしているのはつつがなく「こなす」こと。軽く会釈して、次から次へ。人であれ、政策であれ、どんな手だってとれる。氏は別にリペラルとか寛容とかいうわけではなく、甚本きっとなんでも、どうでもいいのだ。
(中略)
そしてもうひとつ、戦後日本が曲がりなりにも大事にしてきた「平和主義」の旗をもう一度掲げ直してくれはしないだろうかという、さらに微量、ごくごく微量の期待も実は持っていた。ところが昨年12月16日、敵基地攻撃能力の保有や防衛予算の大幅増を含む、安全保応関連三文書が閣議決定された。
「防衛力を抜本的に強化するということは、端的に申し上げれば、戦闘機やミサイルを講入するということです」
日本大学の蟻川恒正教授(憲法)は今年2月に開かれた 「立憲デモクラシー講座」で、岸田氏がこの会見の冒頭発言において「憲法」に言及したのは(中略)一回のみであること、さらに、「九条」という言築は一度たりとも使われなかったことに注目し、「九条をまともな規範とは思っていないのではないか。思っていたら、九条との整合性に言及しないことは考えられない」と指摘している。
かつては「宏池会には憲法への愛着がある」「当面、九条自体は改正することを考えないのが私たちの立場ではないか」などと公言していた岸田氏。カラオケでは「戦争を知らない子供たち」を「これは九条の歌だ」と言って熱唱することもあったという岸田氏。被爆地・広島県選出のハト派であると積極的にアビールしてきた岸田氏がいまや、「安倍氏でも出来なかったことを俺はやっているんだ」と胸を張っているという報道に触れれば、真っ直ぐな不信と嫌悪がせり上がってくる。これまで言ってきたことはいったいなんだったのさ?
(中略)
おそらく岸田氏には「転向」したという自覚はない。そもそも「転向」なる言築をあてこと自体、妥当ではないのかもしれない。だって氏は、フォークダンスを踊っているだけなのだから。「思想」や「主義」を持たぬ者に「転向」はできないのだから。
(中略)
不党にも私は、憲法九条に根ざした「平和」「非戦」「核廃絶」は、岸田氏の政治家としての背骨をなす思想なのだろうと考えていた。安倍政権下では爪さきではじかれて「死んだふり」をしているのだろう、と。しかし、それは大いなる勘違いであったことを、この二年のうちに思い知った。
(中略)今年三月にウクライナを電撃訪問した際、ゼレンスキー大統領に「必勝しゃもじ」を贈った。
(中略)真に平和を希求するということは、敵味方関係なく、「戦争は悪だ」という地点から決して足を離さずに、殺せと命じられた人、無残にも殺されゆく人たちから目をそらさずに思考し続けることだろう。その姿勢を崩さず保つことは実に難しいけれど、踏ん張っていたら、せめて踏ん張ろうという意志を持っていれば、戦時下の指導者に必勝しゃもじを贈るという発想が出てくるはずはない。
(中略)
先月15日、全国戦没者追悼式での岸田氏の式辞は、安倍・菅両首相のそれをなぞった昨年とほとんど変わらなかった。アジア諸国に対する加害責任には触れず、「深い反省」「哀悼の意」の言薬もなく、安倍氏が敷いた路線を忠実に踏襲している。
しゃもじと式辞は教えてくれる。安倍政権下、岸田氏は「死んだふり」などしていなかった。のうのうと、実に健やかに「生きて」いたのだと。
(中略)
「日本の社会のなかで一番権隈の大きい人なので総理大臣を目指した」
「〇〇をやりたいから」「〇〇な社会をつくりたいから」ではない。先頭に立つこと、力を持つこと自体への率直な欲求がまずあり、〇〇は状況次第でいくらでも入れ替え可能なのだ。
こういう態度を、鶴見俊輔は「一番病」と喝破した。
「自由主義が流行れば自由主義の模範答案を由き、軍国主義が流行れば軍困主義の校範答案を書くような人間が指導者になった。そういう知識人がどんなにくだらないかということが、私が戦争で学んだ大きなことだった」(『戦争が遺したもの』)
(中略)
〇〇は岸田氏の内側からは出てこない。安倍氏だったり 米国だったり、その時々の「先生」に向けて、「はいはいっ」と手を挙げるのみ。いい子いい子、頭をなでてあげましょうー。とても残念に思う。岸田氏が本当の意味で 「聞く力」を発揮し、市井に生きる人たちの声を「先生」としたならば、この国の政治がよりよい方向に転がる可能性もなくはなかった、はず、なのだ。
(以下略)
コメント:題名のDEの意味がよう分からんが、記者の筆力で、岸田の特徴を極めて分かりやすく伝えています。またそこから、今後岸田の暴走に、国民がどう対応すべきかのヒントも見えてきます。それは国民が(決して岸田政権にお任せにせず)大きな声で、しかも彼が動きやすい(岸田が喜ぶ)方向に、彼を誘導する(操る)ことです。また側近にリベラルな有識者を送り込むことも有効です。国民の声を無視させないことが大事です。もはや野党は全く当てにはなりません。
関連記事:米が在日宇宙軍を創設。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6475466
コメント:岸田は日本を米国に売り渡したいようだ。今後は国旗を星条旗にしてはどうか。
2397.国民は選挙をどう考えているか 9/17
今回も、雑誌世界10月号からです。
「イデオロギーか業績評価か」立民と維新への投票の変質 遠藤晶久から
2012年の自民党への政権再交代以降、10年間で国政選挙は実に八回行われてきたが、そのすベてにおいて自公連立与党は勝利を収めてきた。二大政党制に近づきつつあると予感させた2000年代とは対照的に、2010年代には与党を脅かすような議席数を得る政党は生まれなかった。その様は「一強多弱」状態とも評され、一党優位政党制の復活が議論されている。
与党だけを見れば安定しているように見える日本の政党システムであるが、野党は大きな変化の渦中にいる。自民への対抗勢力は、民主党政権末期から離合集散を繰り返してきた。民主党は2012年衆院選の前には分裂し、選挙でも大敗した。その後、維新の党と合併し民進党を結党するものの、希望の党への合流問題で再度分裂し、立憲民主党と(旧)国民民主党が併存する事態になった。その後、 両党は合併を果たすものの、立民への合流を拒んだグループによって国民民主党は存続することになった。
それと同時に、民主党の後継政党単独では自民党に対抗できないことは叩白となりつつあり、2010年代後半には共産党を含めた野党間連携が模索されてきた。選挙における野党共闘は2016年、2019年の参院選で一定の成果を収め、国民民主党が枠組みから外れたものの、2021年総選挙では200以上の小選党区で候補者調整を行うという大規模な野党共闘が実現した。新型コロナウイルス感染症の拡大で政権の評価が揺らぐ中、一時は自民党の過半数割れが予測されるなど野党には期待感が高まったが結果として立民は議席をむしろ減らし、期待したような成果は得られなかった。
他方、その間隙をついたのが日本維新の会である。地域政党をペースとする維新はいよいよ全国政党化に成功しつつある。野党第一党の座をうかがいつつ、自民党に対抗する政権選択肢として自らを位置づけようとしている。
本稿では、昨今の投栗行勅について2019-22年の世論潤査データを分析することで立民と維新の現在の政党政治における位置について明らかにする。
有権者の望む政党システム
現状の「自民一強、野党多弱」状態を有権者が未来永劫望んでいるわけではないことは世論調査結果からも明らかである。たとえば、読売・早大共同世論潤査では自民党に対抗できる野党が必変かどうかを繰り返し尋ねているが、「そう思う」と回答する割合は、安定して八割を超えている。「ときどき政権交代が起こったほうがいいか」という設問についても、安定して六割を超 えている。
他方で、そのような望みがすぐに叶いそうにはないと有権者の目はどこか冷ややかでもある。というのも、「近い将来、与党から野党への政権交代が起きると思うか」という質問について、「思わない」という回答の割合は、7-8割を占め続けている。つまり、多くの有権者は、自民党に対抗できるような政党が現れ(あるいは成長し)、政権交代が起こったほうがよいと考えている一方で、現実的には自公連立政権が長く続くことを予想しているのである。
(中略)
このように見ると、民主党が対抗選択肢として明確であった2000年代と比べると、業績評価の悪化で自民を罰するときの投票先投梨先について、現在では、二つの(自民への)対抗選択肢が存在し、有権者はそのうちのどちらの政党に入れるかを迷うような状況にあるとも考えられる。むしろ政権担当能力の評価の逆転によって、自民を罰するために維新に投票するというパターンが増加していることも予測できる。
(中略)
立民は、衆院選であれば政権批判票の受け皿としていまだ機能するものの、同時に、イデオロギー的な理由で投票をされる(あるいは、それが珂山で票を取り逸がす)政党とみることができる。他方で、維新はイデオロギー争点を考慮して投栗をされていないが、衆院選で政権批判票の受け皿になりつつある。また、維新に投票をする人々は、維新の政権担当能力にも期待している。このような政党の得票メカニズムの変質が現在進行している。
分析結果が示唆するのは、野党共闘を経た立民がイデオロギー政党として有権者から認識され、政権批判票の受け皿として幅広い有権者にアビールできなくなりつつある可能性である。他方で、維新は政権担当能力の評価があがっているものの、その受け皿として取って代わったとまではまだいえない。
(中略)
しかし、民主党後継政党にとってみれば、自民に対抗する主要な代替選択肢として有権者に認識されることは、たとえそれが「民主党政権の失敗」イメージを帯びるものであったとしても、他のどの政党にもない、最も重要な民主党の遺産であったはずである。しかし、現状、その重要な遺産でさえその手からこぼれ落ちていっている。
コメント:遠藤の分析は分かりやすいが、選挙の本質に切り込んだとまでは言えないと思う。我々が投票行動を起こすとき、政党だけで選んでいる訳ではない、当時の争点、価値観、候補者の人柄など、様々な要素を含んでいる。但し筆者はイデオロギーと業績という2つの評価軸で分析しているので、もどかしいのはやむを得ない。それよりは冒頭で、国民が選挙をどう捉えているかを数字で示したことに、大きな意味があると考えている。
もう一つここで取り上げたいのは、朝日新聞(9.16)の社説です。
岸田政権の教団への向かい方を厳しく問い糺しています。特に日頃私が批判している萩生田の登用も疑問視しています。
・決別の意思は本物か。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15742775.html?iref=pc_rensai_long_16_article
関連記事:副大臣・政務官の4割教団接点。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6475533
コメント:いくら反共つながりとは言え、なんでGHQは岸信介を野放しにしたのか。こんな歪んだ、しかもカネメの国になったのは、米国にも大きな責任がある。日本人への人権蹂躙・虐待は原爆投下だけではない。道徳観も破壊したのだ。
・統一教会を追い続ける。鈴木エイト。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/277797
・史上最も暑い夏だったのに、電力逼迫しなかったわけ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/277581
・なぜ日本人は地獄の大渋滞にわざわざ突っ込むのか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9ce93a46a194ba5106013dc53ae08896ad6d986c
・全ての権利は太陽系全域において、事務所の独占的に帰属する。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2ab8d4b407eebd9d59f9c9bdb99f2e2dac855aa9
関連記事:創業家の呪縛。
https://news.yahoo.co.jp/articles/77b1def32963628bd2c1c74825f184d1a0639656
コメント:ジャニーズの契約書です。地獄は域外らしい。
2398.岸田がもたらす経済衰退 9/18
今回の前書きは雑誌世界10月号、「岸田政権がもたらす経済衰退のメカニズム」金子勝から
消費者物価の上昇は一時的だと、首相も日銀総裁も言い続けている。
だが、2022年に入って消費者物価が上がり始め、日銀が目標としてきた2%を超えた22年4月から14カ月たったが、2023年六月の消費者物価指数は3.3%。食品だけを取れば、実に9.2%もの値上げ率となっている。ところが、
政府日銀は物価上昇は一時的と言い、「デフレ対策」である 大規模な財政拡張政策と金融緩和を取り続けている。明らかな政策破綻である。それを隠すために、政府はメディアを通じて公然と虚偽情報をたれ流している。
(中略)
まず―つ目の嘘から見てみよう。(中略)そもそも赤字国債依存がひどくプライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字でさえ達成していない国で、多少税収培加があった程度で決算剰余金が発生するはずがない。
では、どこから決算剰余金が出てきたのか?22年度予算では赤字国債を大量発行して過去最大の11.76兆円の 予備費を組み込んだ。(中略)予算制度上、決算剰余金をひねり出したのは、国会のチェックが効かない予備費であることは明らかだ。本来ならば、これほど多額の不用額が出るのであれば、最初からできるだけ赤字国債を発行せずに不川額を出さないようにするのが筋だ。この予備費から出てきた不川額をバッ クにして、予算総額を139兆円から7兆円を削って132兆円に減らしつつ決算剰余金を出す形をとったのである。
いま一つは、「賃金の爆発的上昇」が起きているという嘘である。新闘・テレピは、連合の集計(大企業中心)では3.58%という30年ぶりの賃上げが実現したと大々的に報じている。だが、2023年6月の実質賃金はマイナス1.6%で、15カ月連続マイナスが続いている。このギャッブは何なのか?
まず、30年ぶりの貨上げだというが、30年前の労拗組合の組織率は24%以上あった。ところが、いまや16.5%にすぎない。3.58%という貿上げ率は、円安で潤う大企業中心のものであり、労慟者のほんの一部をカパーしているだけである。厚労省によれば、中小企業の平均貨上げ率は2.1%、大企業の賃上げ率の6割以下にすぎない。
さらに、OECD諸国の最低賃金引き上げ率を比較すると、(中略)、日本は名目6.5%、実質0.7%で、たとえ時給1000円を超えてもOECD平均の三分の一を満たさない。賃金格差が開くばかりである。しかもこの間、先進困のうち日銀だけが金融綬和政策を続けているので、異常な株高、不動産高が起きている。その結果、資産を持つ者と持たない者との間の格差も大きく拡大している。
最近、岸田内閣は「構沿的只上げ」というスローガンを掲げている。(中略)しかし、後述するように、政府は一部の縁故企業と結んで新しい産業構造の転換を妨げているので、「構造的賃上げ」とは遅れた旧来型産業のリストラ策にすぎない。
二つの大きな嘘を引き剣がすと、岸田政権の経済政策の本質が見えてくる。
第一に、岸田政権の経済政策は防衛費倍増を最優先にしている。まず武器(防衛装備品)の新規契約が後年度負担になっている。(中落)安倍政権以降、防衡費の後年度負担の形で2013年から2022年には武器購入をほぼ倍増させてきた。この時点で防衛費の対GDP比1%のシーリングを守れなくなり、一気に対GDP比2%に引き上げせざるを得なかったのである。 これがアペノミクスの持つ政策目的のーつであり、「台湾有事」は後付けの理由にすぎない。
後年度負担の方式をとり続けると、やがて防術費増加の歯止めを失うことになる。(中略)
ところが、岸田政権は選挙前に防衛増税を避けたいので、防衛増税は2025年以降に繰り延ぺることを決めた。その ために第二に、先に述ぺたように、まず赤字国債に依存して大幅に予備費を計上して決算剰余金をひねり出す。(中略)そして大規模予算と金融緩和政策を続けて、税の増収を図って粉飾するのである。
ところが、第三に、インフレ政策をとる結果、実質賃金はマイナスになり、とくに低所褐者ほど、雇用が不利な者ほど賃上げ率は低くなり、格差が拡大していく。さらに金融緩和でバプルを煽るので、資産格差も一層開いていく。だが、防衛費倍増を最も優先するために、少子化対策を含めた社会保障費にお金が回らなくなる。結局、岸田政権の「新しい資本主義」は、分配重視の建前とは正反対の政策に帰結していく。だが、こうした経済政策を五年間あるいはそれ以上も続けることができるだろうか?
(中略)植田日銀による金利上限の潤整輻を広げるだけの微調整は、インフレ抑制効果はほとんどなかった。むしろ世界で唯一金融緩和を続けている中で、 円安が進めば進むほど、 外国人投資家主導で株高・不動産高が進んでいく。日経平均株価で33年ぶりの3万3000円台に乗る株高が起きており、2023年前半で首都圏マンションの平均価格は8800万円を超えている。
(中略)そして金利が上昇する欧米諸国と比ぺて、日本の金利は異常に低く、緩和マネーにあふれており、資金調達コストは著しく低い。明らかにバプルが起きている。この状況でバプルが崩壊すると、日本経済は取り返しのつかない落盤を引き起こす危険性が高い.
問題はパブルの崩壊だけではない。もう―つの破綻のシナリオは、産業の哀退によって、財政赤字の膨張をもちこたえられなくなる経路である.
(中略)民間貯蓄(個人貯蓄および企業の内部留保)と経常収支の焦字(貿易黒字および海外投資収益)があれば、 膨張する財政赤字(国債)を国内で消化することができる。ところが、個人貯蓄はコロナ給付金で一時的に増えているものの、少子高齢化とともに持続的に増えることはない。そうなると、経常収支が赤字になると、海外投資家に頼らないと、国内で国債を消化できなくなる。もちろんそれだけでただちに経済危機に陥るわけではない。だが、海外投賓家の動向いかんで国債と通貨(円)が投げ売りされる事態を招きやすくなる。最悪の場合、何らかの対外ショックを契機にしてデフォルト(債務不履行)が引き起こされる。
日本の金融業は国際金融市場で稼ぐ力は弱いので、リーマンショック時に見られるように海外で.バプルが崩壊すると、たちまち経常収支は赤字に陥る.(中略)
そして22年度の経前黒字は9.2兆円と前年度から約11兆円も減少したが、減少傾向が止まるかどうかもまだ分からない。日本経済の破綻シナリオが次第に見えつつあるが、危機を回避するには、地域中心にエネルギーと食料の自給率を高めることが必須になる。
岸田政権は、「骨太の方針2023」においてGX(グリーン・トランスフォーメーション)やDX(デジタル・トランスフォーメーション)を中心に産業構造転換を図っているかのように見える。しかし、その政策は当初から原発汚染水処理問題やマイナ保険証などで深刻な行き詰まりを見せている。
多くの人々にとって、日本の産菜哀退は日常的に実感できるレベルになっている。日本の医薬品産粟の哀退は新型コロナウイルスの流行で露呈した。日本メーカーはmRNAワクチンを作れず、厚労省技官たちは自動化された「ブール方式」PCR検査機器も使わず、7万5000人近いコロナ死者を生み出した。
エネルギー転換の遅れも著しい。EIA(米エネルギー情報局)によれば、日本の再生可能エネルギー(再エネ)の発電比率は199カ国中58位に低迷している。 にもかかわらず、政府のGXは、大手電力の地域独占カルテルを放置し、60年を超えて原発を運転することを最優先している。その結米、可動的に発電を調節する火力依存から抜け出せないでいる。
こうした原発推進政策の先駆けとして、政府は福島第一原発の汚免水の海洋放出を強行した。そのために政府は虚偽の情報を流してきた。政府経産省は、あたかもALPS処理水 は中困や韓国の原発の処理水と同じであるかのように言うが、メルトダウンした事故原発を通した汚染水である。貯蔵されたタンクの多くにはトリチウム以外の核種(たとえばストロンチウムやセシウムなど)が含まれており、二次処理が必要とされている。にもかかわらず、汚染水の核種のデータの公開と 二次処理に関して近隣諸国も加わったモニター体制もない。
しかも、事実上潰れている東京電力が長期間それを担う。重大事故を引き起こしながら経営責任を一切問われていない 倒産ゾンピ企業に原発を運転させたり、汚染水処理を任せたりすること自体、究極の安全神話であり、前代未聞のスキャンダルである。実際、廃炉の具体的見通しはなく、柏崎刈羽原発における度重なる不祥事をみれば、東電はすでに当事者能力を失っていることは明らかだ。日本製品の国際的信用は地に堕ちていくだろう。
どうすぺきか。まず老朽化した凍土遮水壁を本格的な遮水壁にして地下水の汚染を止める。つぎにトリチウムは半減期が12年であり、48年で16分の1になるので、それまで国が責任をもって汚染水をコンクリートで固めた水槽や巨大なタンクなどで保蔵する必要がある。原発は事故を起こすと、長い時間と多大なコストがかかるのだ。
真のGXのためには地域中心に再エネ、蓄電池、スマートグリッドを整備することが必須である。これらは技術的には自動車のEV化とシンクロする。そのためには発送電、発販の所有権分離によって大手電力会社の地域独占を解体しなければならない。
(中略)
巖後に、新自由主簑は決して問題を解決しないことを断っておこう。「構造改革特区」も「国家戦略特区」も規制緩和は決して新しい産業を生み出さなかった。それでも失敗した新自由主義が繰り返される。日本維新の会がそうである。
維新の「身を切る改革」は小泉「構造改革」を真似ている。意図的に「敵」を作って叩き、劇場の見世物のような政治を展開する。小泉元首相は「改革なくして成長なし」というスローガンの下、刺客選挙を演出した。だが、このポピュリスト的な手法は扇情的なだけで、政策のロジックが欠けている。実際、郵政民営化をすれば、どのようにして成長するのかは明らかでなかった。
維新は、大阪の財政危機の責任を労働組合に転嫁し、攻撃した。その結果、大阪市役所は人件費圧縮を急速に進め、竹中平蔵元会長下のパソナが派逍する非正規労慟者が増えていった。さらに、二重行政の解消の名で市立住吉病院の廃止や保健所の統廃合や保健センターヘの格下げが行われた結果、 医療崩壊や介護崩壊が起きてコロナ死亡率は日本一になった。
大阪にあった電機メーカーや製薬大手企業も東京に本社を移動していった。府民所得の伸び率は下がり続け、全国平均よりも下回る。さらに、コロナ死亡率は貧困率が高く、大都市および大都市近隣府県において高い傾向を示している。中でも大阪は生活保護受給率が最も高く、人口あたりのコロナ死亡率も日本最悪である。これが「身を切る改革」の実態なのである。
維新の「身を切る改箪」は経済哀退をもたらすので、いまや派手なイペントで人々を一時的に惹きつけるしかない。目玉政策は2025年4月開催予定の大阪万博と29年開設のカジノIRである。だが、大阪万博は56の国・地域が建てる外国パピリオンの建設申請がほとんどないまま、日本のパピリオンの建設も大幅に遅れている。建設代は一層増加し、貿易保険を含めて多額の公費負担=「税金たかり」が生じることになる。それは、さらに「身を切る改革」の欺瞞性を露呈させるだろう。
ずさんな計画に加えて、建設費高騰と人手不足でコストが膨れている。会場となる夢洲は ひどい軟弱地盤で新たに790億円の公的負担が生じているが、 会場建設費だけでも当初1250億円だったのが、2020年 に1850億円になり、最近で は2200億円になると報じら れたが、それですむとは思えない。維新がやっていることは 「身を切る改革」とは正反対で、「税金たかり」に他ならない。
加えて、外国バピリオンを代行建設して費用が回収できない場合に経産省が貿易保険を適用する。第一自民党が「第二自民党」の維新を税金で助けている。また万博の入湯券の販光枚数は2300万枚を目指し、このうち1400万枚の前売券を経済界と自治体・万博協会に700 万枚ずつ押しつける。果たしてUSJを上回る入場者数を確保できるのか。できなかった場合、税金の負担がかさんでいくだろう。
要するに、大阪での維新の経済政策は「失敗モデル」なのであって、それを「全困化」することは日本経済全体をさらに落盤させていくだけなのである。
コメント:金子の論文は、時に感情過多で、短絡的な面はあるにしても、歯に衣を着せぬというか、その当たるを幸いなぎ倒す様は、鞍馬天狗の時代劇を見ているかの如くである。ところで、最後まで読んで湧き上がるのは、一体維新という団体は何を目指して、どんな政治理念で大騒ぎを繰り広げているのか、皆目わからないという疑問である。裏に誰か、又は何らかの団体が存在しており、その意思で動いているのだろうか。正体も分からず、方向性も定かでない政党が一定の力を持つという事は、将来国民に直接災厄(人災)が降って来ることを意味している。例えば、自民党が徴兵制を匂わしたら、一も二もなく維新は悪乗りすることが容易に予想される。
いま国民が真に必要としているのは三百代言の元知事に、正面から立ち向かえる知力と気力を備えたリベラルな論客です。残念ながらメディアもTV局も、独占企業の前には無力であり、社会正義の守護者にはなり得ないことが、ジャニーズの問題でも明らかになっています。ならば国民が頼るのは、個人、即ち誰にも忖度する必要がなく、功名心や自己主張に囚われない、孤独なファイターなのです。但しそれはネット上の過激な発言で、存在をアピールしたいだけの若手の評論家(芸能人を含む)のことではありません。
・内閣支持率25%。最低タイ。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6475683
・岸田首相「早く辞めて欲しい」51%。毎日新聞。
https://mainichi.jp/articles/20230917/k00/00m/010/087000c
コメント:とうとうそこまで。でも本人にはその理由は分かっていないと思うよ。
2399.宗教の変質 9/14
宗教にも世紀末が迫っているのではないでしょうか。私だけかもしれないが、最近強く、宗教の変質や暴走を感じています。余り書きたくはないのですが、外苑再開発については、三井不動産は、移植を含めて、なるべく多くの樹木を残すと言い始めています。ところがもう一人の当事者、即ち宗教団体からは、未だに一言の説明もありません。NHKを含め、またそれを追求するメディアもない。再開発で得られる土地売却等の利益は、誰の手に渡り、またそれに対する課税はどうなっているのか。最初に一緒に木を植えた熱心な信者や国民の気持ちに、宗教団体はどう応えるつもりなのか。誰も、何も語ろうとはしません。
そういう日本の状況と、以下に述べる、海外で拡大する新興宗教を含め、宗教自体が変質し、本来の道を外れ、また結果的に人類の為にはなっていないような気がしています。宗教をタブー視することが危険な結果を招くこともある。それが統一教会や、その他の新興宗教(仏教系を含む)の暴走の背景にもあるのです。また戦時中に、宗教がどのような役割を果たしたのかも振り返る必要があります。身近な例として、元首相の死を含めて、統一教会が多くの犠牲者を生んだという事実を、もう一度、我々は見直すべきなのです。最近ではロシア皇帝を賛美する教皇迄現れました。それは必ずしもプーチンのウクライナ侵攻を肯定することにはならないのかもしれないが、時期が悪すぎる。人間を不幸にする宗教、非信者の存在を完全否定する宗教などあってはならないのです
・サンタ・ムエルテの信者増加。
https://www.jiji.com/jc/article?k=20230912044965a&g=afp
コメント:異様だが、新興宗教ということらしい。それだけ強く救済を求めるように、人間が追い詰められているのかもしれない。一方で、トランプ支持者のキリスト教原理主義と言い、カルトに過ぎない統一教会と言い、異形で過激な宗派が信者を囲い込み、恐怖と敵愾心をあおり、或る時は金品を収奪する。他者の存在を否定し、精神を束縛し、基本的人権さえ蹂躙する。世界は大災害で痛めつけられているが、精神世界でも災害が起きているのではないか。人心が荒廃し、哲学が居場所を失い、人間が経済的な面に留まらず、精神の面でも瀬戸際に立たされる。宗教を見直し、あるべき姿(魂の救済)に立ち戻ることで、人間(または人類)を救う方法もあるのではないか。
2400.タワマン節税 9/19
今回は朝日新聞(9.18)のオピニオン、記者解説「相続税に新算定ルール、固定資産税も公平明瞭な形に」松浦新から。
士地や建物を持っていれば固定資産税を毎年、納めなければならない。亡くなった親族から引き継ぐ場合は、相続税もかかる。格差の固定化防止などの観点から、資産に応じて負担してもらうものだ。
だが、行政の土地や建物の評価方法が実際の価値を適切に反映しておらず、不公平だと指摘されている。「タワマン節税」と呼ばれる相続税の軽減手法も横行している。
タワーマンションの高層階は眺望の良さなどから、低層階より高く売買される。物件によっては同じ広さでも、数千万円の差がある。ところが、相続時の評価は実際の価格を下回る。
これに目をつけた富裕層の高齢者らが、相続でタワマンを購入するケースもあった。
マンションの相続税は、土地と建物の評価額の合計額が対象になる。土地は国税庁が発表する路線価で計算する。敷地全体の評価額を各戸の持ち分で割り、高層階でも低層階でも部屋の面積が同じなら同じ評価額になる。
建物には固定資産税の評価額が使われる。1棟全体の価格を、階層に関係なく各戸の専有面積に応じて割る。路線価は公示地価の約8割に抑えられている。資産の「圧縮効果」をねらって、現金を不動産に変える富裕層もめだつ。
国税庁の分析によると、マンションの市場価格に対する相続税評価額の割合の平均は2018年には約43%に下がった。計算上は6割近い資産の圧縮効果があることになる。これに対し、一戸建ての平均は2018年に約60%だった。
(中略)こうした状況を踏まえ、国税庁は階数などを加味する新たな算定ルールを導入する。 来年の1月1日以降に相続や贈与で取得したものについて適用する予定だ。新ルールの評価額は、理論上の市場価格の6割以上にするという。
タワマン節税への対策は進むが、総務省によると固定資産税の建物の評価方法は変える予定がないという。
(中略)建物の大きさや構造が変わらなければ、日本中どこでも原則として同じ。地方の収益性が低いビルも、都市部の優良物件と同じ扱いになるのだ。
(中略)納税者の納得感を高めるためにも、公平でわかりやすい評価方法が求められる。
コメント:子孫に残せるような資産の持ち合わせなどない当方としては、要するに世間で騒がれているタワマン節税の何たるかを理解したかっただけである。そもそも何十年か経てばスラム化し、改修も建て替えも出来ず、土地の権利もない物件に、億を超える金額を払う神経は、ボンビーな私には、到底理解できない。でもそうまでして都心に住みたい人がいる以上は、そういう市場が形成されるのも仕方がないのだろう。但しこの記事を読んで、タワマン節税なる手段の、セコさに絶句した。富裕層なら長者らしく、せめて正々堂々と税金くらい払えばと申し上げたい。
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