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2431.万博とカジノ 12.9

『12.8の参院予算委。
共産の山下芳生の、
大阪万博の目的は、カジノの為の、
税金によるインフラ整備だという指摘には
説得力があった。

岸田がうっかりIRというところを
カジノと言って苦笑するというおまけまでついた。
しかし御用メディアのNHKのニュースでは
このやり取りは報道されていない。

万博とカジノの方針を決定したのは、
安倍・菅・橋下・松井の酒席だったとされる。
用地を産廃処分場の夢洲に示唆したのは松井。

しかも12.14の週刊文春では、
万博業者と維新の吉村の疑惑の関係までが、
取り沙汰されている。

維新は、都構想での暴走(無駄な府民投票)、
コロナ対策では東京をしのぐ被害の発生に、
所属議員の相次ぐスキャンダルと、
見るべきものがない。

維新を支持してきた、府民と国民。
そしてこれから支持しようする国民には、
もう一度立ち止まって、考え直すことを
心からお願いしたい。

無理が通れば道理引っ込むで、
馬場代表からその場の勢いだけ取れば、
後には何も残らないというのでは、
もはや政治とは言えない。

思えば安倍の負の遺産、置き土産には
ロクなものがない。
東京五輪、大阪万博とカジノ、異次元緩和、
裏金問題等、国民のお荷物ばかり。

岸田の抱えているお荷物は連合と経団連、
そして国民へのお荷物は
減税という名の増税(矛盾している)だろう』



2432.介護保険は詐欺 12.7

今回の前書きは週刊誌からです。
サンデー毎日12.17  上野千鶴子、怒りのインタビュー、
「このままでは介護保険は詐欺と同じだ」カネだけ取ってサービス大削減、から

(前略)
上野 …コロナの期間中に頭に血が上ったことがあります。 20年春に、厚労省は無資格ヘルパーを使っていいという通知を出したんです。医療現場に無資格者を使っていいとは絶対に言いません。介護職へのワクチン優先接種も、医療優先で介護は後回し。後から回ってきた時にも施設職員を優先して、訪問ヘルパーは最後でした。在宅の高齢者にとってはホ?ムヘルプは命綱なのに、感染リスクを冒して行く訪問ヘルパーには何の手当てもなかったのです。

?このまま介護保険の改悪やケアワ―カー不足が進むとどうなっていくでしょうか。

上野 介護保険は介護の社会化、つまり「脱家族化」を進めてきましたが、改悪が進むと介護はブーメランのように家族に押し戻され「再家族化」が起きてくるでしょう。保険外サービスとの混合利用など、公的な介護保険で足りない部分はお金で買いなさい、と「市場化」も進み、「老後の沙汰もカネ次第」となりかねません。どちらも選択肢にない人には「在宅」という名の「放置」が待っています。

?上野さんは介護保険制度の改悪の歴史をこっぴどく批判される一方で、「誇っていい」制度だと評価されている。それはなぜですか。

上野 介護保険制度発足から 23年の間に、現場の経験値とスキルが上がって、人材が育ったからです。介護保険ができたおかげで高齢者の世話は家族がするものでなく、プロの仕事になりました。そして、制度のない時代には不可能だと思われた「在宅ひとり死」ができるようになりました。私自身の希望である「在宅ひとり死」を以前から提唱してきましたが、最初の頃は「お金がある人しかできない」とさんざん批判されてきました。しかし、小笠原文雄先生 (岐阜市の在宅医療の医師?日本在宅ホスピス協会会長 )の臨床経験では、「医療保険と介護保険の本人負担の範囲内で、自費負担サービスなしでも独居の看取りができる」事例が積み上がってきています。介護保険がもたらした現場の進化は日本の財産です。それなのに改悪が行われるとその流れは止まってしまう。絶対許してはなりません。

?介護保険の問題はすべて財源問題に行き着くような気がしています。報酬を上げたら介護保険料と利用者負担にはねかえる。介護保険は税と40歳以上の人が払う保険料で成り立っています。税金の投入の割合を今の 50 %から引き上げればいいという議論もあります。

上野 国はカネがないと言います。しかし介護保険財政はスタ?卜以来一貫して黒字です。赤字にならないように相当の保険料を取っているからです。黒字の部分は介護給付費準備基金に回され、プールされていることになります。まず、積み上がっている基金を吐き出させる。やる気のある自治体は、介護保険法にはないサービスを独自に加える「横出し」や、利用できる回数や 1回あたりの時間を増やす「上乗せ」をしています。地方自治の名においてできることがあるのですから、自治体の努力も必要でしょう。

?ケアプランの有料化や福祉用具の一部をレンタルから買い取りなど「ありえない」「信じられない」と現場から声の上がる改悪案が他にもあります。

上野 そのとおりです。介護保険制度が生まれてから 23年、どんどん使えないものになっていってしまっていますが、それでも世界に誇れる人材と事業を育てたのは、この制度のおかげです。国民の老後の安心がかかっている介護保険制度を、国民全員で監視し、守らなければなりません。
聞き手:藤後野里子

関連サイト:緊急の呼び掛け
https://wan.or.jp/article/show/10883


同じくサンデー時評 高村薫
「化石燃料から低排出電源へ、EV普及と電力とCO2の関係」から
(前略)
さて、 30年までにガソリン車の新車販売を禁止するとしていたイギリスがこの秋、期限を 5年延期して主要国と同じ35年としたほか、この 3月には E Uが例外措置として、合成燃料 e・fuelを使うエンジン車は 35年以降も新車販売を認めることで合意した。合成燃料は再エネ由来の電気で水を分解した水素とC O 2を原料としており、走行時には C O 2を出すが、生産時に再エネ由来の電気を使うため、差し引きするとCO2の排出量は少ないとされる。この計算がどこまで正しいのか筆者には分からないが、ドイツを中心に自動車業界や部品メーカーはエンジン車の存続にほっと一息ついていることだろう。
しかし、合成燃料はガソリンの数倍の高価格になる上、 EUは合成燃料使用の条件として C O 2排出量ゼロを求める可能性があり、合成燃料を使うエンジン車の導入は実際には限定的だとも言われている。また、国民所得の低い旧東欧諸国や高インフレで国民生活が厳しいイギリスは、安価なエンジン車の販売饗が世論の多数派となっており、電動車への完全移行はいまのところ非現実的だろう。日本も同様である。世界を席捲している中国製 E Vも、いまのところ 4 0 0万円以上することを思えば、広く生活の足として普及するには日本は貧しすぎる。世界有数の自動車メーカーをもつ 日本で E V開発が不発なのも、結局は庶民の懐の問題なのかもしれない。かくして日本では 35年以降もエンジン車が走り続けているに違いないのだが、電動車に移行した国々で、車載電池の製造や電動車の走行に必要な電力がどの程度増大したか、また日本を含めた世界の CO2排出量がどうなっているか、地道な検証は必須である。



2433.台湾総統選 12.14

サンデー毎日最新号(12.24)は、前原教育新党のプラン、岸田政権魔の一カ月、保険証廃止はメチャクチャ、などの主要な記事もあるが、検察の安倍への意趣返しの意図を含めて、多少なりとも報道に注意を払っている国民なら、先刻ご承知の内容が多いので、今回は敢えて他の記事を紹介したい。

「世界透視術、台湾選挙に団子疑惑」金子秀敏から
台湾の中央選挙委員会は 12月 5日、台湾総統副総統選挙に立候補する 3党派計 6人の資格審査を終えた。いよいよ来年 1月 13日の投票日を目指して選挙戦の火ぶたが切られた。

だが、それより前、中国の習近平国家主席と米国のバイデン大統領との間で激しい火花が散っていた。米中両首脳が台湾の選挙をめぐって直接ぶつかったのは初めてのことだろう。
11月 15日、米サンフランシスコ市で開かれた米中首脳会談の席で、習氏は台湾問題で「平和統一を支持する」ようバイデン氏に求めた。「武力統一」を封じ込めた新しい言い方だ。

が、これはクセ球だ。米国の主張は「平和的対話」であり、「平和」だろうが「武力」だろうが、中国による「統一」ではない。老練なバイデン氏はこのクセ球を見送った。その瞬間、パチパチと静かな火花が散ったことだろう。会談が終わり習氏を玄関先で見送ったバイデン氏は車に乗り込む習氏の耳元でささやく。「台湾の選挙に介入するな」。こんどは、バチーンと大きな火花が飛んだ。

実は会談と同じ日、太平洋を隔てた台湾では中国の「介入工作」が演じられていた。野党から総統選に立候補を表明している侯友宜(こうゆうぎ、国民党)、柯文哲(かぶんてつ、台湾民衆党)、郭台銘(かくたいめい、無所属)の 3人を統一派の馬英九元国民党主席が集めて握手させ、候補者一本化に「合意」させた。これが「藍 (国民党)白 (民衆党)合意」だ。 

3人の候補者はみな中国とパイプを持つ統一派で、侯氏を総統、柯氏を副総統にして郭氏の立候補を断念させれば、世論調査の数字の上では民進党を上回る支持率になる。「平和統一」を受け入れる受け皿の政権ができる。

習氏は「藍白合意」を仕掛けたうえで「平和統一」のクセ球を投げ、バイデン氏は「潰す」と応じた。が、「藍白合意」は完全合意ではなかつた。柯氏が、総統候補は世論調査支持率の高いほうにすべきだと譲らず、結論は 3日後に持ち越された。郭氏は降りたものの柯氏と侯氏の談合は決裂、 2人とも 24日、それぞれ立候補を声明し、野党統一構想は潰れた。(以下略)
関連記事。台湾総統選、野党が追い上げ。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6484763

もう一つは、「新食感お餅、今どきの食べ方」です。
(前略)
全国餅工業協同組合がインスタグラムに載せている餅料理などを参照すると、餅は素早く加熟できて手軽に食べられると知って驚いた。電子レンジなら切り餅一つが600ワット 1分ほどでやわらかくなる。コツは少々水を加えること。餅を水にくぐらせるか、器に大さじ 2ほど垂らして、ラップはせずにチン。もしくは餅が隠れる程度の水を入れて約 2分。お好みで。
食感が調理次第で変わるのも面白い。オープントースターやフライパンで調理すれば、表面はカリッと焼け、加熱しすぎなければもっちり感も出る。薄切りの餅をピザにするのは、とろけたチーズとの相性もいいと定番化していて、トッピングは明太子や海苔など和風の人気が高い。
(以下略)



4.デジタル立憲主義 12.15

今回の前書きは以前から関心のあった、デジタル立憲主義(もしくはデジタル民主主義)の話題です。朝日新聞(12.14)の交論(公論の当て字でしょう)、「AIと私達、デジタル立憲主義とは」の紹介です。少々長いがお付き合い下さい。


「巨大権力おさえ 健全な空間実現」山本健人から

―デジタル立憲主義とは耳慣れない言葉です。

「AIを含むデジタル技術が急速に進展しデジタル空間では、これまでとは異なる権力構造が生まれています。私たちの生活に不可欠となったデジタル技術をコントロールする企業が 強大な力を手にしており、巨大デジタルプラットフォーマーは、国家に匹敵する権力主体にまで成長したと言われます。デジタル立憲主義は、こうしたデジタル空間に近代立憲主義の価値を持ち込むことで、デジタル空間を健全なものにしようとする新しい研究の潮流と言っていいでしょう」

―近代立憲主義は、国家権力を制限して個人の自由を守る考え方でした。

「デジタル立憲主義は、国家櫂力だけではなく私的権力も枠付けしようとしています。権力制限の射程を広げ、巨大プラットフォーマーなどの私的な主体についても、立憲主義的な価値によるコントロールを及ぼそうということです。今はプラットフォーマーに注目が集まっていますが、革新]的なAI技術を開発した事業者などもコントロールすべき対象に入ってきます」

―規制の必要があれば、法律を作ればすむのではないでしょうか。

「立憲主義というと、憲法による権力制限を思い浮かべる人が多いのかもしれません。こう考えてみてはどうでしょう。デジタル空間にふさわしい新たな法秩序の基本原理として有望なのは、これまで国家権力の制限に貢献してきた法の支配や権力分立、基本的人権の保障、民主主義という近代立憲主義の価値です。(中略)言い換えれば、そうした立憲主義的な価値がデジタル空間で実現すればいいわけです。その方法として、憲法という手段による実現も法律という手段による実現もありうると考えればいいのではないでしょうか。デジタル立憲主義は憲法による私的権力の制限を主張するものだと誤解されることもありますが、必ずしもそうではありません」

―EU(欧州連合)では12月、包括的なAI規制法案に主要機関が大筋合意しました。

「EUの規制の進め方の背後には、立憲主義的な価値が明確に見えています。AIシステムが、人間の尊厳や民主主義、法の支配を脅かし、差別されない権利、プライバシー、個人データ保護などの基本的権利を危うくする可能性をみすえて規制を進めているからです。(中略)
日本も、主要7カ国(G7)広島首脳コミュニケなど対外的な場面では、立憲主義的な価値が重要であることを強調しています。しかし、国内的にはEUのような大原則が明示的に議論されず、場当たり的な対応を続けている印象があります。立憲主義的な価値の重視を、対外的な建前で終わらせず、デジタル政策の基本原理として真剣に受け止める方向に進むこと を期待したいと思います」

―デジタル立憲主義は 今後、世界的な潮流になっていくと考えていますか。

「デジタル空間の基本原理をどうするか、すでに国家レベルでは覇権争いが生じています。簡単に図式化すると、一つは、極力規制しないというデジタル自由主義の立場。民間企業のイノベーションを促進し、その利益を国家も得ていくモデルです。この対極が、デジタル権威主義です。中国が典型で、情報技術を国家が摂取し、悪用も含めて活用するという形で国家権力が前面に出るモデルです」

「EUは、立憲的な価値を基本原則にし、バランスよくコントロールしていこうとするモデル。米国は長くデジタル自由主義と見られてきましたが、『AI権利章典』を発表するなど規 制にカジを切りつつありま す。デジタル権威主義か、それともデジタル立憲主義を選ぶのかという二項対立のような図式が広がっていくのではないでしょうか」

―今後の規制の議論に何を期待しますか。

「自主規制にゆだねるのは限界があると思っています。国家が、AIを含むデジタル技術の規制に責任を持つ枠組みを作るべきです。一方で、国家が憲法的価値の実現主体として介入 していけば、当然、その介入の仕方が過剰なのか過小なのか、そのバランスが問われます。マスメディアや学者、そして市民社会が果たすチェック機能の役割が大きいと思っています」

(聞き手 編集委員・笠秀一)


同じく「個人を守る 国境越えた価値観」エドアルド・セレステから

―デジタル立憲主義は、どのような経緯で生まれたのでしょうか。

「ここ数年で議論が進む比較的新しい概念です。当初、議論の中心は、インターネット上のプラットフォーム運営企業をどう統制するか、という問題でした。従来のルールや規範から逃れるようなIT企業の出現に、これらの企業も法律や規則、特に憲法的な規範を守らなければならないという主張が出てきたのです」

「プライバシーや表現の自由といった人々の権利をネット上で守るための『インターネット権利章典』など、様々なルールづくりの試みが、市民団体・研究者 ?国際機関などによってなされました。興味深いのは、これら市民レベルで作られた文書が、憲法的な側面を訴えていたことです。もちろん法的拘束力はありませんが、憲法と同じように一人称複数形で書かれ、『権利』『原則』など言葉遣いも憲法をまねていました。デジタル革命の中で、権利と原則を明確にしようとする市民社会から生まれた議論といえます」

―人々の関心が高まるきっかけがあったのでしょうか。

「ソーシャルメディアが次々と登堤する中、2013年には、米政府がIT大手の協力を得てネット監視を行っていると情報機関の元職員が暴露したスノーデン事件が起きました。プラ ットフォーマーが集めたデータは、どのように使われているのか。さらに多くの人々が関心を持つようになったといえます」

―立憲主義は国家権力を制限するものですが、その対象を広げる、ということでしょうか。

「歴史を振り返ると、立憲主義は200年以上前、 フランス革命やアメリカ独立戦争など大きな社会変化の中で生まれました。個人の権利を確立し、守る。そして、権力を制限することが主要な目的でした。その後、国家が権力を集約・独占していく中で、立憲主義は国家権力を制限の対象としてきたのです」

「立憲主義の本質とは、その時々の支配的な権力主体を制限すること、と解釈できると私は考えます。中心にあるのは、一人ひとりの個人です。権力の主体が教会でも国家でも、あるいはフェイスブックやグーグルでも、個人の基本的権利を守るという立憲主義の使命は変わらないのです」

―立憲主義の本質に立ち戻るということですか。

「今日、力を持っているのは、国家だけではありません。グローバルに活動する巨大な多国籍企業も、同じくらい強い力を持ち始めている。立憲主義の本質を考えれば、こうした民間企業も統制の対象となるのは自然なことです。立憲主義とは何か、おおもとに立ち返って考え、現代社会に合うように適用させる。デジタル立憲主義とは、立憲主義の『普遍化』の営みの一つともいえるでしょう」

―なぜ、あえてデジタル「立憲主義」とうたう必要があるのでしょうか。

「デジタル領域の巨大な多国籍企業に国際法を適用させるべきだという声がありますが、具体性に乏しく現実的ではありません。では、どこか特定の、あるいは一部の国々の憲法を適用させることが適切か。これも、デジタル領域における新しい形の帝国主義となりかねません。人々の基本的権利と、ビジネスやイノベーションの自由とのバランスは、国によって様々です。一方的に他国にルールを押しつけることには賛同できません」

「だからこそ、国境を越えたデジタル社会で、私たちが守りたい権利や原則など最低限の共通項はどこにあるのか、『デジタル立憲主義』に基づいて、国際レベルで対話を続けることが重要なのです」
(以下略)

(曲き手・荒ちひろ)



2435.7日間 12.16

今回の前書きは、以前にもご紹介したことのある、
御主人を残して亡くなられた奥さんの詩の紹介です。
何回読んでも胸が締め付けられる思いがするのは、そういう状況が近い将来、
自分にも訪れる可能性がある事と、この詩の中に人の優しさ、一途さが、
嘘偽りのない形で書き綴られ、人間の儚さが見事に表現されているからでは
ないでしょうか。
最近では人間性を疑うような事件や、戦争の情報ばかりですが、人間の本姓は、
本来、このように純粋で気高いものなのです。
人間が、こういう本来の、あるべき心を取り戻すことが出来れば、
世界から無用な悲劇も減るでしょう。
皆様はどうお考えになるでしょうか。

「七日間」

神様お願い この病室から抜け出して
七日間の元気な時間をください
一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい
あなたが好きな餃子や肉味噌 カレーもシチューも冷凍しておくわ
二日目には趣味の手作り 作りかけの手織りのマフラー
ミシンも踏んでバッグやポーチ 心残りがないほどいっぱい作る
三日目にはお片付け 私の好きな古布や紅絹
どれも思いが詰まったものだけど どなたか貰ってくださいね
四日目には愛犬連れて あなたとドライブに行こう
少し寒いけど箱根がいいかな 思い出の公園手つなぎ歩く
五日目には子供や孫の 一年分の誕生会
ケーキもちゃんと11個買って プレゼントも用意しておくわ
六日目には友達集まって 憧れの女子会しましょ
お酒も少し飲みましょか そしてカラオケで十八番を歌うの
七日目にはあなたと二人きり 静かに部屋で過ごしましょ
大塚博堂のCDかけて ふたりの長いお話しましょう
神様お願い七日間が終わったら
私はあなたに手を執られながら
静かに静かに時の来るのを待つわ
静かに静かに時の来るのを待つわ

関連サイト
https://withnews.jp/article/f0180411001qq000000000000000G00110401qq000017141A



2436.価値基準 12.16

今回の前書きは朝日新聞(12.16)オピニオン&フォーラム 異論のススメ・スペシャル「日本の方向を決めるのは」『海外の普遍文明 神に代わり担がれて 社会に秩序を与えた』『価値基準の追いつくべき先がない現代』佐伯啓思から、
長いが最後までおつきあいのほどを。

山本七平(1921-91)といえば、イザヤ・ベンダサン名義で発表された「日本人とユダヤ人」 や「『空気』の研究」などで知られた評論家である。戦時中の過酷な軍隊経験をもつ山本にとって、あの無謀な戦争に日本を駆り立てたものは何だったのか。その問いが評論活動の原点であった。

もっとも、戦争体験を自らの思想の基軸に据えたといえば、丸山真男らのいわゆる進歩派知識人の名前が思いうかぶ。彼らは、日本の戦争原因を、天皇制国家という日本社会の後進性に求め、それゆえ、欧米を手本とした民主的な市民社会の建設に戦後日本の希望を託した。これに対して、山本は、天皇主権を排して、戦後の民主的な社会になっても問題は何も解決 しない、という。

この両者の違いをもたらしたものは何か。実は、山本にとって真の問題は、ただ戦争体験というだけではなく、戦前と戦後で果たして何かが変わったのか、という点にあった。瑞的にいえば、戦前には「天皇陛下万歳、鬼畜米英」を叫んでいた日本人が、1945年 8月15日を境に「マッカーサー万歳、民主主義万歳」へと豹変したのはなぜか、ということである。

この豹変を「主体性の欠如」や「責任観念の欠落」や「状況追従的」といった日本人の後進国的な性格に帰すことはできようが、山本は少し違う論点を引き出した。それは次のようなものである。

日本の庶民大衆は、戦前にあって、実は「天皇陛下万歳」も「鬼畜米英」も本心から信じていたわけではない。ただ、「天皇陛下」が絶対的存在としてまつり上げられ、それを批判することができなくなってしまった。

とすれば、戦後はどうか。今度は「民主主義」が絶対化された。そして戦後民主主義を批判することができなくなった。占領中には「マッカーサー」が絶対化された。

マッカーサーや戦後民主主義や個人の自由などをまとめれば「アメリカ」ということになろう。戦前は「天皇」があらゆる価値の源泉であったのに対して、戦後の価値基準は「アメリカ」に変わったわけである。しかし、その構造は何ひとつ変わらない。まつり上げるものは変わったが、人々は慣習や常識に従って日々の生活を繰り返しているだけである。

にもかかわらず、「天皇」や「民主主義」や「アメリカ」がひとたび絶対化されてしまうと、それを批判できないような「空気」ができてしまう。そして、そこにできあがる「空気」、つまりある種の情緒的な雰囲気が人々を支配するのである。

しかも面白いことに、ほとんどの者は、「天皇とは何か」「民主主義とは何か」「アメリカとは何か」など、まともに考えたこともないにもかかわらず、あたかも自明の真理ででもあるかのように、それを担ぎ出すのである。皆で「空気」を作り出し、その「空気」に従うのである。担ぎ出すものは、時代によって違い、状況によって変わる。しかし、何かを担ぎ出すことで社会はまとまる。

担がれるものは、いわば「神」の代理である。だから、「天皇陛下万歳」を唱える人々が実は、「現人神=天皇」など真には信じていなかったのと同様、戦後の「民主主義万歳」にしても、人々はそれを真に信じているわけではない。ただ、「神」の代理を果たす何かを必要とする。それが価値の基準になり、日本社会に秩序を与え、また、日本の向かうべき方向を指し示すのである。

さて、この「神」の代わりになるもの、それは、日本の場合、概して海の向こうからくる「高度な普遍文明」であった。時にふれ、また陰に陽に、日本は、海外の普遍文明を必要とした。古く言えば卑弥呼の時代、和の五王の時代から推古天皇の遣隋使、さらには奈良、平安時代の遣唐使へと続く。かくて、中国という「海外の高度な文明」を取り入れた人々が日本の支配層をなし、中国の権威を背景に、日本社会の秩序と方向を与えてきたのである。

その際、日本という周辺国が高度な普遍文明に対抗するには、普遍文明に学びつつも、それを「日本化」する必要があった。だから、古代日本は、中国から多様な文物だけではなく、仏教や律令制度などを取り入れたが、決して中国皇帝に臣従したわけではない。

その意味で、天皇制度を確立し、その根拠となる「記紀」の編纂を命じた天武天皇こそは「日本」を正式に立ち上げたことになる。中国に学びつつも日本独特の天皇制国家がここに整備される。

では鎖国によって独自の文化を育てた徳川幕府はどうであろうか。徳川幕府は、身分社会や君臣関係を維持するためにひとつのイデオロギーを必要としたが、それは中国から導入された儒学、とりわけ朱子学であった。朱子学は、忠による君臣関係にもとづく社会秩序を絶対視する。それが幕藩体制の維持には都合がよかった。

しかしここに奇妙なことが生じた。中国では国の統治者は天子であり、天子は天命を受けて国を治める。天命を受けることが統治の正統性を与える。これを日本に当てはめると、日本の正統な統治者は幕府ではなく万世一系の天皇なのである。幕府はあくまで天皇の権威によって統治を委任されているに過ぎない。

そしてそのことが、幕末の尊王攘夷運動の一因となり、倒幕へといたる。とすれば、明治の天皇主権国家をもたらしたものは、実は、江戸時代の朱子学という中国の学問の「日本化」であった、ということもできよう(山本七平の「現人神の創作者たち」参照)。

明治時代とは、いうまでもなく日本近代化の時代であり、近代化の手本は西洋であった。中国に代わって、西洋こそが高度な普遍文明となってたち現れ、あらゆる分野で、日本は、実に勤勉に西洋を学び「日本化」することで近代へと船出した。日本にとって、「西洋」は価値の源泉となる。明治の天皇制国家とは、日本の「現人神」を西洋の「立憲君主」に見立てるといういささか無謀な構想によって成立したものであった。

では、天皇主権国家が解体した戦後はどうであろうか。日本という国家の基本的な秩序を与え、その方向を示したのは「アメリカ」であった。現人神である「天皇」に代わって民主主義の「アメリカ」が疑似主権者になった。「アメリカ」こそが高度な普遍文明の象徴であり、日本はもっぱらこの普遍文明に学び、それを「日本化」することで日本のあるべき方向を 決定できた。

それでは、今日、われわれは、何を価値の基準にしているのであろうか。冷戦以降、世界はいわゆるグローバリズムの時代となり、われわれは「グローバルな世界」をとりあえずの価値基準にした。「アメリカ」が「グローバルな世界」へと変形されたといってもよい。それこそが普遍文明であり、曰本はその周辺国家なのである。

こうなると「いま世界では…」という国際通の専門家やジャーナリズムが世論を動かし、「世 界の潮流に乗り遅れるな」という常套句が「空気」を作り出す。かくてわれわれは、AI、量子技術、宇宙開発、生命科学、環境技術などのイノベーション競争に飛び込み、グローバル資本主義のもたらす激しい国家間競争にのみ込まれることとなった。

しかし、「グローバルな世界文明」はいくらまつり上げられても、誰もそれを実感として捉えることはできない。確かに、今日、われわれは世界中の情報にさらされ、日々の生活品は世界中のサプライチェーンによってもたらされている。だが、われわれの日常の経験のもたらす実感は、決して「グローバルな世界文明」と直結したものではない。

端的にいえば、庶民大衆は「グローバルな世界」なるものを担ぎ上げてはいるものの、「天皇」や「民主主義」と同様、誰もそれを信じてはいないのである。おまけにその「グローバルな世界文明」は、いまやあちこちにほころびを見せ、機能不全に陥っている。

おそらく、日本の歴史上、これほど、国をまとめ、国の進むべき方向を指し示す価値基準が見えなくなった時代は稀であろう。

「海外の高度な普遍文明」を指標とし、それを学び「日本化」することで国の秩序と価値を維持してきた日本のやり方がほとんど意味を失ってしまった。大きく言えば、それこそが、今日の日本にあって、政治家は方向感覚を失い、官僚は影轡力を失い、知識人やジャーナリズムは確かな言葉を失った理由であろう。

だが考えてみれば、それはまた日本の長い歴史を貫いてきた「海外の先進文明に追いつく」という不安な心理的前提からの解放をも意味しているだろう。「中国」も「西洋」も「アメリカ」も、そして「グローバルな世界」ももはや価値基準とはならないのである。

「追いつくべき先」などどこにもない。そうであれば、今日こそ改めて、われわれはわれわれの手で、自前の日本の将来像を描くほかなかろう。

コメント:ロジカルで、しかも分かりやすい文章なので、省略できる部分は見当たりません。とはいえ、大思想家に対して、どぶ板長屋の隠居爺風情が申し上げる内容でないことは重々承知の上で、一言申し述べたい。
まず武士と大衆を分けて考えたい。武士は家康が持ち込んだ儒教の思想でがんじがらめにされていた。それは幕藩体制維持の為だった。でも大衆はそこまで束縛されていなかった。では徳川時代の大衆は何を価値規範にしていたのか、多分それは仏教だろうと思います。そもそもイデオロギーは観念形態、思想傾向と解釈されるが、じつに分かりにくい概念でもある。「そんなもの」を大衆が持っていたのかどうかさえ定かではない。唯一大衆が自分達の生活を律するのに使った価値観は、おそらく仏教のそれではなかったのか。要するに寺子屋の教えです。でもそれは西欧でも同じことで、生活や道徳の規範はキリスト教であったことが想像できます。
仏教的な倫理観に、儒教の道徳律を加えてもいいが、それと佐伯の言う基本的な秩序や価値基準とは、若干違うような気がします。では大衆の生活に根差す宗教的、或いは儒教的な価値基準の上に形作られるであろう思想傾向(=イデオロギー)があるのかと問われれば、それこそ佐伯の言うように、日本の国民には確たるイデオロギーは、かつてなく、今もないということになると思います。江戸時代に大衆にそんなものがあったとは到底思えないし、明治以降もそれは同じだと思います。
長くなるので、結論を言えば、大衆のイデオロギーはかつてなく、今もない。だからそれ(新しい価値観)を創造することを考えなければならない。なぜそれが焦眉の急かと言えば、今人類の精神世界は、目を覆うばかりの惨状だからです。独裁政治家が他国を侵略(ウクライナ、ガザ)し、市民を虐殺する。富裕層は社会貢献には無関心。政治家も実業家もカネを追求。若者は若者で生きる価値も目標も失い、ゾンビのように街を彷徨う。このゾンビの世界を、生きている人間の社会に変えること、それこそが我々、年長者の責任ではないのか。そのとっかかりとして思い付くのは、まずは我らが世界に誇る平和憲法の勉強会を、日本各地で開催することでしょう。それは令和の志士を育てる、令和の松下村塾になるでしょう。
令和松下村塾八王子支部長より



2437.ガザとイスラエル 12.18

ガザの状況は、今や世界中の最大関心事です。我々極東の国民にとっても、デジタル情報網のおかげで、心理的には小さくなった地球で、到底無関心ではいられない出来事です。
ところがこれだけ情報が氾濫しているのに、これという分析にも展望にもお目にかかったことがありません。そんな状況で、文芸春秋1月号の池上と佐藤の対談で、やっとこの紛争の背景が判りました。今回はその対談から、自分が関心を持った部分だけを紹介させて頂きます。

「ハマスとイスラエル、悪魔はどっちだ」ガザの悲劇が続くのはなぜか?
池上彰、佐藤優から

(前略)
佐藤 ハマスによる攻撃の翌日、私は親友のモサド元幹部とオンラインで話し合いました。彼の話の要点は以下の通りです。

@ 今回のハマスによる攻撃で、イスラエルは過去半世紀で最大の打撃を受けた。インテリジェンス、軍事作戦、政治の三つの面でイスラエルは深刻な過ちを犯した。

A インテリジェンスに関してモサドを含む情報機関は、今回のハマスの攻撃に関する情報を全く入手できなかった。これは深刻な失態だ。

B イスラエル軍は、ハマスの攻撃を初動において鎮圧できなかった。イスラエル軍の機動力が劣化していることを示す事例だ。

C 政治的には、ネタニヤフ首相への権力集中と、同首相が宗教右派勢力に過剰に依存し、パレスチナとの緊張をイスラエルの安全保障上の脅威をもたらすところにまで高めてしまった責任がある。また、インテリジェンス機関も軍も、ネタニヤフ首相の下で士気が下がり、緊張感を維持できず、プロとして基準に達する仕事ができていなかったことも軽視できない。究極的には、ネタニヤフ首相が責任を負うべき政治問題だ。

D イスラエル軍がハマスを軍事的に制圧する力を十分持っていることについては疑いの余地がない。それゆえ、この戦争にイスラエルが敗れることはない。ただし、これだけの犠牲を生むような事態を招来したことについては、インテリジェンス機関、軍、政治のそれぞれが責任を負わなくてはならない。ネタニヤフ首相と宗教右派が最大の問題であることについてイスラエルのエリート層の間ではコンセンサスがある。いずれにせよ今回の事態を経てネタニヤフ首相は安泰ではいられない。

E 現時点で最も注意しなくてはならないのは北部のレバノン国境地帯の動静。ヒズボラが本格的な軍事攻勢を始めた場合、イスラエル軍は二正面作戦を余儀なくされ、国民の犠牲者が飛躍的に増える。

F 今回のハマスの攻勢に関するイランの関与について、自分は正確な情報を有していないが、事態の深刻度に鑑みイランの政権幹部や革命防衛隊幹部が直接関与し、リスクを取 るとは思えない。ただし、ハマスもヒズボラも現場レベルではイランの支援を受けている。攻撃の現場レベルではイランが何らかの関与をしていたとみるのが合理的だ。

インテリジェンス機関や軍が劣化した要因の一つは、ネタニヤフ政権による「司法制度改革」です。

池上 イスラエルの最高裁判所には政府決定を取り消す権限があったのに、七月にこの権限を無効にする法律が議会で可決されました。この ”改革“はネタニヤフ自身の汚職有罪の回避が狙いとも見られ、35万人の抗議デモまで起きています。

佐藤 一万人以上の予備役が兵役拒否の署名をするという前代未問の事態も起きている。ハマスの攻撃の前にネタニヤフ政権下で軍隊の士気が下がっていたことは間違いない。

池上 だからこそ、ネタニヤフ首相は、強硬な宗教右派勢力にますます依存するようになるわけですね。

佐藤 穏健なヨルダン川西岸でも難民キャンプを空爆しているのは、宗教右派への過剰依存の現れです。

そもそもハマスのテロはなぜ起きたのか。ネタニヤフ政権がパレスチナを追い込みすぎたのが一因です。V

ガザ住民は、ハマスにさえ抗議デモをするほど追い詰められていた。さらにサウジアラビアとイスラエルの国交正常化交渉も始まっていた。こうした動きを受けて、ハマスはかなり焦っていたのです。

池上 今回の紛争勃発前に、バーレーン、クウェート、ドバイを回りましたが、現地では、サウジの使節団による。ハレスチナ自治政府への訪問が報じられていました。「来年、イスラエルと国交正常化する」と仁義を切りに行ったわけですね。

佐藤 ハマスは、「このままでは見捨てられる。じり貧になって自壊するしかない」というくらいの恐怖感をもったのではないか。この焦りがハマスをテロ攻撃に走らせた。

いずれ、パレスチナ側を追い詰めすぎて自国の安全を危うくしたネタニヤフは、政治責任を問われるでしょう。同時に、告訴されている汚職疑惑でも有罪になる確率が高い。

池上 すると、彼にとっては、戦闘は長引いた方が政治的に都合がよいことになりますね。

佐藤 そうです。権力を長く握りすぎたことで、ネタニヤフほどの男も変質してしまったのではないか。

彼の首相就任からまもない1997年、駐EU大使だった後のモサド長官ハレヴィは、メシャル事件(ハマス有力指導者メシャルの暗段に失敗したモサドの複数の要員がヨルダンで囚われた)を受けて、急逮、呼び出されてヨルダン国王との交渉に臨み、ハマス創設者の釈放という大胆な提案で要員の奪還に成功します。

イスラエルで終身刑で服役中だったハマス創設者のヤシン師を釈放するというハレヴィの提案に皆が反対するなかで、政治的リスクをとって これを許可したのは、当時の首相ネタニヤフです。

ハレヴィは(中略)〈自ら進んで攻撃の矢面に立ってくれたことについては、彼の永遠の功績として賞讃したい〉と記しています。

「1997年のネタニヤフ」と「2023年のネタニヤフ」は、同一人物とはとても思えません。

池上 現在、イスラム武装組織ヒズポラがイスラエルにミサイルを打ち込んでいて、緊張が高まっています。イスラエル軍をレバノン国境付近に引きつけて戦力を分散させて、「ガザ地区のパレスチナ人を支援する」のが、ヒズボラの狙いです。

佐藤さんの親友のモサド元幹部の分析によれば、今後、最も懸念すべきは、ヒズボラとイスラエル軍との戦闘が本格化して、紛争がレバノンに飛び火することですね。

佐藤 それが最悪のシナリオです。

核使用の恐れがあるからです。米国 が二つの空母打撃群を東地中海に派遣しているのも、そのためです。
(中略)

池上 先日訪れたサウジは、驚くほど劇的に変わっていました。政治的発言の自由はありませんが、厳格なイスラム国だったのが、女性も髪を隠さない。マクドナルドでも、「男性用」と「家族用」(女性は家族と一緒でないと外出できなかった)と別だったのが、どんなレストランでも性別に関係なく自由に入れる。一人で車を運転する女性もいる。「宗教」を申告する入国カードもなく、いまは観光ビザで入国できます。

佐藤 以前は「無神論者」と記入すると入国できませんでした。
(以下略)

コメント:私なら仏教(曹洞宗)と書くでしょう。ところで対談では、一度否定しても後でちょいと持ち上げていますが、今のネタニヤフはもはや権力の亡者、イスラエルのお荷物に過ぎません。取り除くべき害虫です。




2438.雑誌世界 12.19

大人向けの総合誌として、文芸春秋が押しも押されもせぬステータスを確立している事を否定するつもりはない。とは言え、その思想傾向が保守を通り過ぎて、しばしば右翼的な価値観に彩られていることも否定出来まい。それは登場する論者の顔ぶれを見ても分かる。となれば論者のレベルから考えてみても、本当に格調の高い論文を期待するのは、そもそも無理なのかもしれない。その点唯一信頼できるのが雑誌世界。その世界がイメージを一新した。その「新」世界の1月号も高品質の論文がオンパレードだが、今回はその中から2点だけご紹介したい。但しそのごく一部である。

「最後は教育なのか」仁平典宏さんに訊く、武田砂鉄から
…教育の限界について考えるとき、思い出すのは教育社会学者の広田照幸さんの「陸軍将校の教育社会史―立身出世と天皇制」という本です。大正期から明治初期の陸軍教育を分析したものです。陸軍将校というと自分を捨てて国に尽くす「滅私奉公」のイメージがありますが、膨大な史料を調べると、当時の将校を突き動かしていたのは、むしろ世俗的な出世欲や承認欲求だったことがわかる。教育圧力があれだけ高い旧陸軍の学校でさえ、滅私奉公の価値観で内面を染め上げることには失敗しているわけです。

トンデモな話を信じてそうな人を見ると、私たちは、正しい知識による教育が必要だと考えがちです。ところが、1930年代前半にピーター・ドラッカーがナチス党員に取材したら、その教義に対して「あんなの本当に信じてるヤツいんの?」という態度だったそうです。でもナチスは経済的に排除されていた人に活躍の場を与えた。だから、その世界観は馬鹿げてるとわかっていても熱狂できた。こういう人に、教育による啓蒙の戦略は効きません。

二つの研究から言えるのは、人がある価値体系を支持するとき、その人の意思が介在しているということです。「他者に優越したい」「承認されたい」という個人的な欲望に応える仕組みがあってはじめて、その世界観は支持される。教え込んだらその価値観が自動で心に刷り込まれるというのは、リアルではありません。教育にまかせる議論が時に無責任に聞こえるのは、それを支える社会的な仕組みまで考えていないからという気がします。
(以下略)


「再録・大江健三郎のことば」持続する志 大江健三郎から
…すなわちぼくがその読者となって以後についてのみいっても、「世界」は質と量において、じつに堂どうと、日本の学者と市民の威厳を欧米に証明するに足る仕事を積みかさねてきていると思われた。もし「世界」が存在しなかったとしたら、と考えることはぼくに一種の恐怖感をあじあわせた。端的にぼくはこのような雑誌を持たない国民として日本人像を思いえがくことを恥のように感じたし、また現に、東京から送られてくるこの雑誌なしでは、おそらくぼくは自分のアメリカでの孤立感を主体的に正当化し価値づける証拠を採集するにあたって、困難と不確かさの感覚になやまされたことであろう。日本からの人間的な声が、アメリカにいたることは、きわめて容易でないことに感じられるのであったが、すくなくともぼくは、ここに「世界」という雑誌があり、もしそれが完全に翻訳されるとすれば、アメリカの知識人たちの関心を、正面から確実にひきつけ得るものだと考えることで、それを日本人の威信のひとつの証拠と感じていたのである。

もっとも日本から届く「世界」を読むことで、ぼくがつねに勇気づけられた、というのではない。時には、旅行者として、しばらく忘れさっていることも不可能ではない、深い淵の真の暗黒をあらためてのぞき見てしまったという感情にとらえられることがあった。それはぼくが旅先のアメリカで無意識的あるいは意識的にも、逃れようとしていたところの故郷の森の怪物に、ふたたび面と向かうことを強制される体験のように思われた。ぼくの覚醒感は常に二重構造であった。(以下略)

ついでに(?)週刊文春(12.21)、「安倍派が激白、森さんから全てが始まったんです」から
…派閥内で長年常態化していたという、バーティ券収入のノルマ超過分キックバックによる裏金作り。質問の内容は自然、そのスキームが始まった時期へと移る。すると、幹部はおもむろにこう話すのであった。
「森(喜朗)さんから全て始まったんです」
(中略)
「茶話会のパー券は、西村氏と懇意の大口のスポンサー企業が購入しています。20万円を超えた場合、収支報告書に載せなければならないので、社名を載せなくて済むように、領収書を 関連会社などの名義で20万円以下になるよう分けている。会場代や講師への謝礼、ランチとして出される高級サンドイッチなどの飲食費用を差し引いても、一 回あたり数百万円の儲けが出ています」

だが、数百万円の儲けが出るほどのパーティにもかかわらず、小誌記者が目撃した参加者は十人に満たなかった。じつは、これにはカラクリがあるという。経産省関係者が声を潜める。

「開催されるのは平日の昼問、しかも食事はサンドイッチだけ。そんなバーティに参加しようと思う人は少なく、そもそも企業側は人を派遣するつもりはない。しかしそれでは、わざわざ招いた講師に面目が立たない。そこで西村氏が考えたのが、『勉強会』の名目で講師テーマと関係ありそうな経産省職員を呼ぶことでした。毎回、出席者は十人弱ですが、その中にバー券購入者はおらず、全員が経産官僚。いわばサクラを使った ”架空バーティ“なのです」

省内では西村氏側から「0人連れてこい」と伝えられるのだという。

「国会会期中で疲れ切っている中、駆り出されるので、官僚にとっては迷惑でしかない。しかし大臣の命令なので従わざるを得ないのです」
(中略)
最大派閥という武器を最大限に生かし、政権中枢のポストを得て岸田政権の人事を牛耳ってきた五人衆と、その五人衆を意のままに操ってきた老オーナーの森氏という構図は、特捜部の捜査のメスにより、終焉を迎えようとしている。

コメント:本当は五輪でも収賄の過去のある森を逮捕するべきだろう。田中角栄だって逮捕したのだから。最低でも、事情聴取くらいは行なうべきだ。それこそが、彼が一番恐れている事でもあるからだ。まさに日本の老害の頂点に君臨する人物だと思う。と同時に独裁の弊害を強く感じる。それは都政でも言えることだが。

関連記事:細田前議長が還流指示。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6485346



2439.サンデー毎日 12.20

「世界」が良識と学識の月刊誌なら、真面目な週刊誌は「サンデー毎日」だろう。今回はサンデー毎日(12.31-1.7)から、今年を振り返りつつ、数件ご紹介したい。

サンデー時評 高村薫「万博の不可能性 理念もイメージも見えない」から
世のなかには、どんなに無理に無理を重ねて頑張っても達成は無理と即断できる事柄がある。神風が吹いても奇跡が起きても、物理的に無理なものは無理。大阪・関西万博のパビリオン建設がそれである。開幕まで 500日を切った 2023年12月時点で、参加国が独自に建設するタイプ Aのパビリオンは、建設業者が未定だったり、建設許可の取得に時問がかかったりで、まだ一棟も着工されていない。これの意味するところは、開幕日までに 50棟以上のタイプ Aパビリオンの完成を見るのはもはや時間的に無理という事実である。

ではどうするか。万博協会は 8月、プレハブ工法の展示棟タイブXを協会側が建設して各国に提供する窮余の策を提案したが、11月末の時点でタイプ Xへの切り替えを表明したのは 2カ国に留まる。味気ないプレハブの展示場が並ぶ会場であっても、参加各国が迅速にタイプ Xを選択して準備が加速するならまだしも、各国の準備の遅れからは万博にそれほど前向きとは言い難い本音が透けて見え、これから櫛の歯が抜けるように参加辞退が相次ぐ恐れもある。

ちなみに、この万博協会の驚くべき無能ぶりは、万博という巨大イベントを実現させるためのまともな理念も工程表も指揮命令系統もないことに尽きるだろう。協会が寄り合い所帯であることや、人件費や資材費の高騰は準備の遅延の理由にはならない。そうした不測の事由があれば、そのつど迅速に計画を修正し、必要な手当てを施して遅れを最小限に留めるべきだし、それができないようでは、こんな大規模プロジェクトの遂行はそもそも無理だと言ってよい。

とまれ、パビリオン建設が間に合わないという事実だけでも、大阪・関西万博は開幕前から明らかに失敗していると言えるが、例によって大阪府・市と国にはこれを中止するという選択肢は端からない。失敗すると分かっていても漫然と突き進み、誰も失敗とは認めず、従って誰も責任を取らず、ツケはすべて国民に回されることになっている。とくに大阪府民・大阪市民には万博の税負担だけでなく、日木維新の会が万博との紐づけをもくろんだ IRという法外なお荷物も待っている。
 
私たちが注意すべきは、当初の想定の1.9倍にも膨らんだ会場建設費2350億円や、日本館の建設費や警備費などの国費投人分の867億円などの過大な経費ではない。現に、このほかにも会場のアクセスのための地下鉄延伸や高架道路、上下水道の整備、さらには府・市の出展パビリオンの建設費など、地元負担は1千億円とも言われているが、問題はその詳細である。すなわちそこにはIR用地として必要な上下水道や道路網などのインフラ整備も含まれており、本来は I R事業者が自前で整備すべきところ、どさくさ紛れに公費で行っている疑いが拭えないのである。IR事業者に逃げられないために大阪府・市が万博の名前に隠れて公費を投入しているのだとしたら、府や市の所業はまことに醜悪と言うほかはない。
(以下略)
コメント:まさに醜悪そのもの。橋下・松井・馬場のように。


抵抗の拠点から 青木理「提灯持ちたちの哀れな末路」から
…知人から「面白い記事が載っている」と教えられ、ネトウヨ系の論者らも盛んに寄稿している夕刊紙の記事をデジタル版で読んだ。たしかに而白かった。…筆者は、かつて「一強」政権の主に「最も食い込んでいた」ことを唯一の金看板とする元 NHKの政治記者。記事は、…「一強」政権の主が持病を理由に政権の座を退き、2021年11月に初めて派閥会長になった後のこと。翌 22年 2月にその状況を知った彼は…会計責任者を叱責、 2力月後に改めて事務総長らにクギを刺したという。しかし彼はそれから間もない 7月に凶弾に倒れ、だから(改善されないまま現在に至ったようだ)。そして見出しにはこうある。(「裏金」は細田派時代の悪習だった)

 つくづくアホらしい。首相に就いて派閥を形式的に離脱していたとはいえ、自らの政権を中核で支える出身派閥が長年手を染めてきた悪行を、政権の主が知らなかったはずはないし、知らなかったで済まされるはずもない。百歩譲って知らなかったとしても、そうした巨大派閥を基盤に長期続いた「一強」政権の主はどう考えてもその責を逃れ得ない。
いや、むしろすべてを知っていたからこそ強い懸念を抱き、 2 0 2 0年にはお気に入りの東京高検検事長の定年延長を閣議決定し、検察トップの検事総長に据えて検察まで掌握しようとしたのではなかったのか。

 記事を一読して一層の失笑を誘うのは、関係者という真偽不明な情報源を示しつつ、まるでいま初めて知ったかのように書いている点だろう。…煎じ詰めれば、一強政権の楼閣が音を立てて崩れようとしているいま、自らを重用してくれた彼は断じてそんな人物ではないのだと、彼は徹底して正義の人だったのだと、涙目でそう折えているに等しく、たとえていうなら新興宗教の教組をひたすら崇める信者のそれに似ている。提灯持ちの末路に憐れみさえ覚える。(以下略)
コメント:その記者とは、岩田明子のことだろう。NHK退職後も民放でコメンテーターをしている。NHK出身の自我肥大の錯覚タレントとしては、有働と双璧を成す。NHK退職時には、未だに残るNHKの自民党贔屓の幹部が、解雇とならないように裏で手をまわしたという過去もある。


牧太郎の青い空白い雲「戦争中でも、見よ東條の禿げ頭と歌った、日本人らしい批判精神を!」から
…母親の話では憲兵も特高もこっそり、ある時には「おおらか」に値上げ反対を歌っていたらしい。表向き「替え歌」は禁止だが、取り締まることはなかったらしい。そんな「おおらかな日本国」で、窮屈な騒動が起こったのは 4年前。2019年 7月15日、JR札幌駅前などで応援演説をしていた当時の安倍首相に対して「安倍やめろ」「増税反対」などとヤジを飛ばした男女 2人が警察官に肩や腕をつかまれて移動させられたのだ。この騒動は国家賠償請求訴訟に発展した。「批判」に蓋をしようとする「権力者の狭量」か。

日本は自由な国、言いたい放題の国で行こう!

23年は「値上げの年」だった。円安もあって貧乏人が急増した。連日「値上げ反対」のデモが続いてもおかしくないのに、なぜか多くが黙っている。これでいいのか ?「批判精神の衰退」を感じながら「年越し」を迎える。

23年もご愛読、ありがとう。新年こそ「おおらか」なコラムを目指したい。
コメント:狭量こそ、安倍晋三の代名詞。無気力は国民の代名詞。ご愛読に関してはwtwも右同文。


再審法廷 袴田巌さん完全無罪への道、青柳雄介、「弁護団5点の衣類示し、捏造以外ありえない」から
…弁護団は、「5点の衣類」が捏造である根拠の一つとして、ズボンの下に穿くステテコのサイズが、ズボンよりもかなり大きいことへの違和感も訴えた。弁護側は、5点の衣類に似た白や緑の生地を 1年 2カ月間、みそに漬ける実験をしたところ、みその色に染まることが確認されたと主張。だが、発見された 5点の衣類は元々の生地に近い色の白や緑のままで見つかっているとし、「 1年 2カ月もみそに漬かってはいないことをはっきり示している。 (袴田さんが逮捕された後である)発見直前に入れられており、捏造した証拠だと誰でも分かる」と強く訴えた。

さらに 5点の衣類は再審請求審で 2度にわたり、事件からしばらくして搜査機関がみそタンク内に隠匿した捏造の可能性が高いと判断されていることを指摘、「検察側の主張・立証は確定審から何も変わらず、有罪立証を断念すべきだ」と指摘した。

さらに弁護側は、前述のように衣類について一年以上みそに漬かっていたにしては衣類の生地の色が残っているなど多々ある不自然な点などを挙げ、「 5点の衣類は捏造以外にはあり帯ない」と強調した。傍聴人たちは身を乗り出すようにして衣ョを凝視していた。

5点の衣類のズポンの装着実験では、ズポンを実際に穿いてみたものの袴田さんには小さ過ぎて、太ももまでしか穿けなかった。みそに漬かってズボンが縮んだ、あるいは袴田さんが太ったなどとして、袴田さんの無実の訴えは長年、退けられてきた。ステテコについては、ズボンの下に穿いているはずなのに、ズボンよりも血痕が広範囲かつ大量に鮮明に付着していて、不自然極まりない状態だった。(以下略) 

倉重篤郎のニュース最前線「山添拓が岸田政治の断末魔を暴く、パーティー裏金問題、不記載理由と使途を徹底追及すべき」から
…やはり問題は使途か?
「よく不記載問題として報道され、収支報告書に記載さえすれば問題ないと言われる。確かにそうだが、記載しないだけの理由があるのではないか。つまり、入る方を書かなかったのは、出る方に書けなかった理由があるからではないか。議員がキックバックを受けたカネをどのような形で使っていたかまで、明らかにさせるべきだ。5年で5000万円といわれている人もいる。通常の歳費収入や政治資金とは別で、帳簿上書けない出費があり、その入りも必要になった、という構図に思える」

使途は飲み食い?
「それなら書けますよね。地方議員を接待するとか、土産を渡すこともあるかもしれないが、合法的出費なら領収書付きで問題なく書き込める。書けない支出は何か。それを明らかにすべきだ。買収に使われた可能性もあるのではないか」

「パー券を買う企業団体も程度の違いはあるだろうが、基本的には何らかの便宜供与を期待しての購入でしょう。政治側が資金提供者に利益誘導するという利権構造があって、パー券収支の流れに沿って、企業団体側の利益になるような政治的、行政的な動きをしたとすれば、別の事件になる可能性もある」
(以下略)
関連記事:議員の囲い込みに裏金。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c58c79385d3a1810d2376aa520079eb82b630daa
関連記事:安倍派強制捜査。
https://news.yahoo.co.jp/articles/29b9c0f0adc51a1fcc33a72c1cf2f54f64143808
関連記事:政治家安倍晋三の実像が明らかに。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/647927c468a94ab3f08ebee052aa5f0e8f488135
関連記事:パーティー券でぼろ儲け。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b1c527511d671e7ba7b59c3bd76edda02370a0ac
関連記事:本丸は森喜朗。
https://news.yahoo.co.jp/articles/50450b2b2dbca7eef312aba2b6817edfb15804f1
関連記事:第二の裏金。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fc3236a53dbddb1ea34fbc7004223a5aacff4b67



2440.投書 12.21

今回の前書きは朝日新聞(12.21)の投書から、その一部です。

『中国警察懸賞金、憲法の重み実感』Tさん(北海道70) から
留学先のカナダから戻らないと亡命宣言した香港の民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)氏に、中国・香港警察は「帰国しなければ指名手配する方針」という。同警察はこれまでも、海外に逃れた民主活動家らに高額の懸貨金を設けるなどしている。凶悪犯に対する懸賞金システムが、権力批判に対して使われているのだ。

わが国でも4年前、安倍晋三元首相の選挙演説にヤジを飛ばした聴衆が、北海道警の警察官に囲まれて実力で排除された事件があった。国によっては問答無用で逮捕・拘禁されていたのではないか。

国民の自由は憲法で保障されている。だが最近、政権政党が改憲を強く主張しており憲法が権力寄りにならないか心配だ。長かった安倍政権の下で権力私物化が常態化し、裏金づくりは、派閥ぐるみの法治主義軽視の表出である。これでは改憲が、国民の自由権簒奪に及ばない保証などどこにもあるまい。


『生活保護訴訟、早く安心の生活を』Sさん(愛知79)から

11月30日、生活保護基準額の引き下げを巡る控訴審で、名古屋高裁は地裁判決を取り消し、減額決定の取り消しと、原告13人に各1万円の国家賠償を認めました。裁判開始から 9年。原告の中には亡くなった方もいます。傍聴を続けてきて、待ち望んだ、歴史に残る判決でした。

私は16年間、公務員として生活保護の部署で働きました。娯楽といえば日が差さない暗い部屋でテレビを見ることしかなく、インスタントラーメンの汁を全部飲んで満腹感を味わい、栄養不足でよく風邪をひいてしまう生活保護利用者たち。「健康で文化的な最低限度の生活」にはほど遠いことを痛感していました。

今回の裁判でも、一日1食ないし 2食、銭湯代は高くて夏も体を拭いて過ごす、衣類は買えないなど、苦しい生活が明らかにされました。こうした実態に、もともと余裕のある生活ではないのに、さらに余裕のない生活を強いられたとして損害賠償が認められ、血の通った温かな司法を感じて、ほっとしました。

国が最高裁に上告したことは残念でなりません。(以下略)
コメント:国とはどういう存在か。また法律の為の法律(血の通わない)に、どんな意味があるのか。国民が公務員や政治家が偏った価値判断をした場合に、弾劾要求を出せる仕組みも必要だろう。

関連記事:生活保護を受ける前にできること。
https://mainichi.jp/articles/20231219/k00/00m/040/126000c





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