「オンライン・オピニオン」
「慰霊の日」
「輿論と世論」
「都知事選ニュースにうんざり」
「ガザと薩摩警察」
「分極化する政治」
「軍拡進行国家」
「歴史観の相違」
「スポーツと権力」
「自衛隊70年」
「ドローン戦の現実」
2561.慰霊の日 6.24
今回の前書きは朝日新聞(6.23)社説からです。
「沖縄慰霊の日 記憶をつなぐために」
苦難の記憶を胸に刻み、平和の大切さに思いをいたす日としたい。沖縄はきょう「慰霊の日」を迎える。1945年の太平洋戦争末期、沖縄戦で組織的な戦闘が終わったとされる日だ。12万人以上の県民が亡くなった凄惨(せいさん)な歴史を繰り返してはならない。
体験を語り継ぐ活動をする人が減るなか、伝える手立てを考える必要がある。
宜野湾市出身の狩俣日姫(かりまたにつき)さん(26)は議論のきっかけを作るファシリテーターとして各地の学校を回る。19日は母校の普天間高校で、全学年27教室とオンラインで結んで2時間の講義をした。
「今が1944年8月だったとします。疎開するか、島に残るか」。クイズ形式で話が進み、「疎開する」と答えた人は、8月22日に学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦の攻撃で沈没したと聴いて、「そうだった」と気づく。
「米軍が上陸した読谷村に住んでいたらどこへ身を隠す?」。ガマと呼ばれる洞窟のうち、1千人入れるガマか140人のガマか。小さい方が安全と答える生徒も多いなか、そちらで「集団自決」が起き、大きい方に逃げた人の命は助かったと紹介され、教室が緊張感に包まれた。
何問か続くうち、民間人の犠牲者の多さを知る。
平和学習の時間が「苦手だった」という狩俣さんは留学先のオーストラリアで友人に基地について問われ、地元の歴史を学ぶ大切さを感じた。平和に関する学習を広める会社「さびら」を仲間と立ち上げて活動の幅を広げ、22年にはフォーブスジャパン誌の日本発「世界を変える30歳未満」30人に選ばれた。
「戦争は国民から応援される形で始まる。歴史を学ぶだけでなく、戦争のない社会をつくることにつなげたい」(中略)
沖縄戦の教訓は、戦争が民間人を巻き込み、軍隊は住民を守るとは限らないということだ。「再び戦場にしない」との願いを全国民が共有しなければならない。
コメント:我々団塊の世代は、親から戦争の話を聞かされて育った。特に我が家は満州からの引き揚げ者だった。だから反戦の想いを次の世代に伝える義務がある。
関連記事:慰霊の日。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6505250
関連記事:沖縄戦の恐ろしさ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240619/k10014484271000.html
関連記事:玉城知事の平和宣言。全文。
https://mainichi.jp/articles/20240622/k00/00m/040/157000c
2562.輿論と世論 6.25
今回の前書きは朝日新聞(6.24)の天声人語からです。
大正の時代、爵位のない初の首相となった原敬は「輿論」を重んじた。それは世の人々の理性的な意見を指し、世のなかの気分や空気を表す「世論」とは区別された。いまでは「世論」に両方の意味が重なるが、それは戦後、「輿」が当用漢字から外れたためらしい。
最近、そんな言葉に岸田首相が言及したと聞いて、おやっと思った。原敬にも触れ、自民党の勉強会で語ったそうだ。
「輿論を重視した政治を日本の未来のためにも、そして国民のためにも進めていかなければならない」
全くもって同意する。ただ、素朴な疑問も頭をよぎる。
とうの首相の言動は、輿論を重視しているといえるのだろうか。耳障りな異論は輿論に含めず、都合のよい声だけを聞いているように感じるからだ。
国会では先週、抜け穴だらけの改正政治資金規正法が成立した。政治家の金の流れをもっと透明化すべきだとの国民の意見は、首相に届かなかったらしい。そんなのは感情論だと切り捨てられたということか。
そもそも首相には国民の思いがどれだけ見えているのか。減税額だけを給与明細に明記させ、反発を招くとは考えなかったか。唐突に電気・ガス代を下げる補助を打ち出しても、小手先だけの人気取りといった冷めた反応が広がる。
ときの風に流される政治は危ういが、世の人の感情を理解しない政治も恐ろしい。「いかなる政策を実行するにせよ、常に民意の存するところを考察すべし」。これもまた、平民宰相、原敬の言葉である。
コメント:短いので今回は全文を引用させて貰ったが、この見慣れない輿論という言葉、実は私には縁の深い言葉である。私は某私大の文学部と法学部の2つの学部で学んだことがあるが、文学部社会学専修での卒論のテーマに選んだのが輿論と世論だった。但し文献は原敬ではなく、ウォルター・リップマンを主に使用した。今考えれば原敬がいたからこそ、リップマンの著書の翻訳者も、この二つの言葉を使い分けることが出来たのだろう。無論意味は天声人語と同じで、理性が働く方が輿論(よろん)で、空気・風潮が世論(せろん)である。
しかしこのテーマ、社会経験の殆どない学生の手に余り、輿論の重要性と、それを育てることの意味を強調して終わっていたように記憶する。当時社会学ではマスコミや報道は亜流であり、それは政経学部に新聞学科があったからでもある。社会学と言えば、マックス・ウェーバーやせいぜいディルケムなどが本流の世界(泰斗は樫山欽四郎=樫山文枝、おはなはんの父親)だった。特に集団、それもフォーマルな集団と、私的な集団の相違などに注目し、それをサポートする形で、社会調査(学)が社会学の一部を成していた。その後法学部に移ったのは、就職試験で失敗し(放送局も新聞社も)、文学部卒の職場が限られており、潰しが利かなかったためである。親には大きな負担だったろうと、今更のように申し訳なく思っている。結果的に、実際に就職したのはコンピューターメーカーだった。
そして、過去の都知事選の結果や、現在の小池知事の支持者が多数を占める都民の、知能程度に疑問を抱かせる意識構造から、今更のように、輿論(理性的判断)は少数で、大多数が世論(印象の判断)に占められている現状を目の当たりにして、日本の現状に絶望的にならざるを得ない。いかに輿論を育てるかにこそ、戦争を回避し、日本を真の民主国家にし、国民の生命と財産を保護できるかが掛かっていることを改めて痛感させられる。それは、天声人語で、岸田が人気取りで、あっちにフラフラ、こっちにフラフラすることを批判するのとは、次元の違う問題である。
これは私に取って、終生の、しかもおそらくは、解の見つからない問題だろう。この半世紀に及ぶワールド・トレンド・ウォッチャー(wtw)の、日々のあがきこそ、組織も手段も能力も持たない、市井の一個人(老人)の、市民意識の啓発と、権力に忖度しない情報提供のはかない努力であったのかもしれない。
2563.都知事選ニュースにうんざり 6.26
今回の前書きも朝日新聞(6.25)の天声人語です。
制度の穴をついて選挙をもてあそぶ。1953年の参院選での話だ。ある候補は、政策そっちのけで稼業の菓子屋を売り込んだ。選挙公報ではまんじゅうを宣伝し、「党は党でも甘党です」と政見放送でやったそうだ。(中略)
でもどこか牧歌的に感じてしまうのは、東京都知事選のポスター掲示場を見て回ったからだろう。
まったくひどいものだ。立候補した56人のうち半数近くを同じ図柄が占める。しかもそれが犬の写真だったり、都政と関係のない動画サイトヘ導く女性の顔だったり。風俗店の広告にあたるとして、警告を受けたケースもあったようだ。
どれも「NHKから国民を守る党」が得た枠だ。24人を立てて掲示板のスペースを確保し、ビジネスのようにそこを事実上販売した。公職選挙法で禁じられてはいないというが、そんな常識やぶりは先人たちにとって論外だっただけだろう。1人を決める選挙に複数の候補者を立てることが、そもそも道理を外れている。
選挙運動はなるべく自由であった方がいい。しかし、制度そのものを嘲笑うかのような行為を野放しにしては、選挙への信頼が揺らいでしまう。何か手当てが必要だろう。政見放送で商品を宣伝することが禁じられたのは、菓子屋の件があった16年後。そんなに悠長ではいられない。不心得者が続出する。
コメント:ブ立花は自分が全国民を敵に回したことに気が付いていないようだ。24名の立候補者の供託金が7200万、掲示板の転売利益が1400万。その差額を政党助成金で穴埋めしていると知ったら、国民はどう思うだろう。
関連記事:ポスター枠を55万円購入、自分の子どもの写真を掲示。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d249f990b6f1bec04465f71d28554614d7c6674e
・都知事選のニュースはもううんざり。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1058f33a0be196510f1261466d60a48bcdd97180
コメント:N党がニュ―スの時間まで乗っ取った。都民の選挙への真面目な関心が薄れ、益々投票率が減る。
・小池と蓮舫に脅迫ファクス。
https://www.yomiuri.co.jp/election/tochijisen/20240625-OYT1T50041/
・小池百合子が街頭演説を避ける理由。
https://news.yahoo.co.jp/articles/86a68c76773270fba094667ea432d16ce67b2d41
・蓮舫のカギは国民民主支持者。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8874579f04e94b40c0624ff3b45e42d59b898214
・東京五輪は大失敗。
https://mainichi.jp/articles/20240624/k00/00m/040/203000c
コメント:都民はこれを本当に理解しているのだろうか。
2564.ガザと薩摩警察 6.27
今回の前書きはサンデー毎日(7.7)の倉重篤郎のニュ−ス最前線「ガザの惨劇」哲学者、鵜飼哲が語る大量殺りくの時代の核心、からです。
(前略)
ネタニヤフ内閣も一枚岩ではない。ガンツ前国防相が9日、ガザ戦争の戦略欠如を理由に戦時閣僚ポストを辞任、ネタニヤフ首相は16日戦時内閣を解散した。
「ますます右に引きずられるとの見方がある。いずれにせよ、ネタニヤフ政権がこの際ガザのパレスチナ人はシナイ半島に、ヨルダン川西岸のパレスチナ人はヨルダンに押し出して、民族浄化を完成しようという意図を持っていることは明らかだ。依然としてラファやガザ中部に攻撃を続け、日々膨大な死者数が記録され、西岸でも入植者が暴れ、多くの犠牲者が出ている」
イスラエル国内世論は?
「ここ数十年和平派の社会的発言力を削ぐために、日本の共謀罪よりはるかにハードな法規制が積み重ねられ、反戦運動はほぼ圧殺されてきた。むしろ宗教右派がユダヤ教の戒律の文字通りの適用を求めて力を増している。『ハアレツ』英語版はイスラエルの現状を示す世界にむけた窓のようなメディアだが、『今のイスラエルの政策は自殺的で破滅への道だ』という見方が増えている。10月7日以前にすでに、『将来のイスラ エルがアフガニスタンのタリバン政権並みの宗教国家になる』ことを憂虚する見方が出ていた」
二つの国際機関、特に1CCに注目したい。日本人で初めて所長になった赤根智子氏が先日来日し会見、「我々としては法の世界で正義を貫く、という姿勢を真っすぐに突き進め、他の方面の方々とも呼応した形で、最終的には平和な世界を目指すということに尽きる』と抱負を語っている。
「パキスタン系英国人のカリム・カーン主任検察官がすでに5人の逮捕状を請求、赤根さんら裁判官が逮捕状を出すかどうかを判断するという重要な局面だ。この裁判が仮に実現したらどうなるか。難民の子供であるハマス側の3人の指導者が被告席でどんな陳述をするかに全世界の注目が集まる。イスラエルの監獄を経験した彼らにとって、ICCのあるオランダ・ハーグの監獄など、ガザの地獄と比べれば天国だ。モサド(イスラエルの謀報機関)に暗殺される恐れもない。一方イスラエル側の2人には有罪判決は地獄になる。イスラエル国家の今までのやり方が通用しなくなり歴史的危機に陥るだろう」
(中略)
「関連して言うと、我々はハマスについての知識が薄すぎる。1987年に結成されたバレスチナ解放運動の一番若い紺織で、指導者崇拝を避けるため交代制、任期制で指導部の一新を図るなど、パレスチナ解放運動の過去の誤りの一定の反省を踏まえている。イスラエルがPLO弱体化のために育てた側面もある。米国が対ソ連戦略のためアフガニスタンでアルカイダを育てたのとやや似た関係だが、ひたすらパレスチナ解放のためにイスラエルと闘う組織で、いわゆる『国際テロ』とは無緑だ」
(中略)
日本への教訓は?
「日本国憲法の平和主義は、武力行使や武力による威嚇を禁じた近現代の国際法の実効性が発揮されればされるほど価値が高くなる。侵路戦争をすれば犯罪者として処罰されるという恐れを大国の指導者が抱くようにならないとその方向には進まない。日本では憲法と国際法の関係をこれまであまり重視してこなかったが、国際法が改善され実効性を持つようになれば9条の思想は生きてくるというつながりをもっと強調す べきだ。その流れの中で、日本人が国際刑事裁判の所長であることにも貴重な意義が認められることになる」
(中略)
ガザ戦争の本質とは?
「『入植植民地主義』は必然的に民族浄化の大量殺戮に至るということだ。日本の満洲侵略も入植植民地だった。地元民と入植者の間で土地の奪い合いになり悲劇が生まれる。1948年の世界人権宣言以降、人権侵害を重ねる植民地支配は原理的に不可能になり、50 年代、60年代にアジア、アフリカを中心に世界で植民地解放が進んだ。その流れに逆行するのがイスラエルだ。48年のイスラエルにとっての独立戦争がすでに民 族浄化であり、67年以後は第3次中東戦争の占領地からの撤退を求める国連決譲を無視し、パレスチナ人から奪った土地にユダヤ人専用住宅地を作り続けてきた。国連によると入植者は 約72万人でこの10年余りで約20万人増えたという。イスラエルの現閣僚は何人も入植地に住んでいる」
「ガザでは自分や家族がまもなく殺されることが分かっている人々が、最後の言葉を映像に託してスマホで世界に発信している。人類史的に全く新しい、想像を絶する状況だ。これまでも 植民地解放闘争では民間人が多数犠牲になった。アルジェリアのフランスからの独立戦争では、100万人から200万人の死者が出たと言われている。パレスチナは痛ましいことに21世紀もその時代を生きることを強いられている」
「世界史的意味でもう一つの特徴は、イスラエルを批判するユダヤ人が膨大に出てきたことだ。米国、カナダなどを中心に、次第に欧州でも、ネタニヤフのイスラエルこそがユダヤ人にとって最大の危険であり、世界中のユダヤ人の安全を脅かしているという声が大きくなった。イスラエルで自国中心の『洗脳教育』を受けた若者が、米国でパレスチナ人との連帯を表明するユダヤ人が多いことに驚き、強烈なアイデンティティ・クライシスを経験する。そういう例がいくつも報告されている。ユダヤ史の中で決定的な局面だ」
「法の支配」というのは、軍事大国・米国の十八番のセリフだが、軍事に頼らぬ国際法の実効化・支配、という道を日本はもっと模索すべきではないのか。
コメント:ガザの状況が今ひとつ釈然としなかったのは私だけではないと思います。イスラエルの批判を許さない在米ユダヤ人、或いはイスラエル一辺倒の米国政府の意見を聞いている限り、絶対に全体像はつかめないのです。両者から距離を置いて、初めて見えてくるもの、それが民族浄化であることが分かり愕然とします。単なる復讐戦ではなかったということです。市民への攻撃も、ハマスの巻添えどころか、むしろ意図的なものだということが理解できます。無論それは国際的にも、人道上も許されない犯罪です。イスラエルの勝手な言い分だけを聞いている限り、ガザ紛争の本当の姿を知ることはできないのです。
関連記事:ガザの人道支援活動。国連職員の命が危険。
https://jp.reuters.com/world/security/DBD2A7TRJROJHNOD654UYAM6WQ-2024-06-26/
もう一つは、青木理のカウンター・ジャーナリズム「警察の闇とメディアの罪」からです。
鹿児島県警の深すぎる闇について今回も続ける。県警が自らの組織の最高幹部だった前生活安全部長を「秘密漏洩」容疑で逮捕したのは、警察が警察であるがゆえに持つ強大な権限を不当に行使し、メディアにとっては「取材の情報源」を、広く社会にとっては「公益通報者」を割り出し、逮捕することで「口封じ」を謀ったのではないか、と前回記した。これだけで本来は全メディアが大騒ぎすべき重大事だが、県警をめぐる一連の問題に眼を凝らすと、この国の刑事司法に巣喰った構造的悪弊の片鱗も浮かびあがってくる。
私の手元に一通の県警内部文書がある。こちらは各メディアでも多少報じられたが、(刑事企画課だより)と題する文書には漫画風のイラストも添えられ、おそらくは県警捜査部門の筆頭課が発行して内部閲覧に供する、さして秘匿性の高くない文書と思われる。しかし、そこには眼を剥くようなことが公然と記されている。
(最近の再審請求等において、裁判所から警察に対する関係書類の提出命令により、送致していなかった書類等が露呈する事例が発生しています)(この場合、「警察にとって都合の悪い書類だったので送致しなかったのではないか」と 疑われかねないため、未送致書類であっても、不要な書類は適宜廃棄する必要があります)(再審や国賠請求等において、廃棄せずに保管していた捜査書類やその写しが組織的にプラスになることはありません!!)(原文ママ)
問題点は明白だろう。現在再審公判が行われている袴田事件にせよ、布川事件や松橋事件などにせよ、いまなお数々繰り返されている冤罪事件の大半は、警察や検察が隠していた証拠類が再審請求の過程などで示され、ようやく冤罪が立証されてきた。なかには警察が検察に「送致」すらしていない証拠類もたしかに多く、警視庁公安部の不当捜査を受けた化学機械メーカー・大川原化工機が起こしている国賠訴訟では、公安部内に残されていたメモ類が公判の大きな焦点にもなっている。
つまり文書は、そのような事態は「組織的にプラスにならない」から、「裁判所の命令」などで「露呈」することがないよう、「不要な書類」などは早々に「廃棄」してしまえーと県警が内部に堂々そう呼びかけていたことを示す。
(中略)
社会にとっての「公益通報者」と捉えるべき現職巡査長も、県警は「秘密漏洩」容疑で逮捕し、あろうことかネットメディアまで家宅捜索して業務用PCや携帯電話などを押収した。
その分析から県警は、前生活安全部長もネットメディア側に匿名で内部告発していた事実を掴み、前部長逮捕にまで突き進んだとみられるのだ。控えめに評しても言語道断の悪行であり、何から何までが無茶苦茶な権力犯罪。だから検察庁も監察に乗り出すと報じられているが、現地で関係者を取材すると、かなり早期から警察庁が事態に介入して差配していたフシもあり、監察で真相解明が進むと考える方がおめでたすぎる。
ならば、新聞やテレビをはじめとする全メディアが満身の怒りを込めて警察の闇を徹底追及し、何もかもを明るみに出して指弾する必要がある。でなければ、メディアは自らの根幹原則を腐らせる罪を犯すことになりかねない。
コメント:要は、今回の隠蔽は本部長どころか、鹿児島警察の「保身哲学」だったという話です。でも上記のコラムだけでは、青木の怒りは伝わるが、事情が良く見えないので、事件をご存じない方の為に、同じサンデー毎日の、牧太郎の青い空白い雲も、併せて紹介しておきます。
「県警本部長の、隠蔽より悪質な、捜査資料を廃棄せよの命令」
鹿児島県警本部長が「身内の犯罪」を隠蔽した事件。警察の内部資料を漏えいしたとして国家公務員法(守秘義務)違反の疑いで逮捕(後に起訴)された前生活安全部長本田尚志さんが、貨料を漏らしたのは「県警職員の犯罪行為を県警本部長が隠蔽しようとしたことが許せなかった』と訴え、大騒ぎになった。
「騒動の経緯」についていくつかの情報を整理すると…。昨年12月、県内の公衆トイレで、個室を利用した女性がドアの上にスマートフォンのような物があるのに気づいた。驚いた女性が声を上げてドアを開けると、その場にいた盗撮犯は停めていた「白い車」に飛び乗って逃走。枕崎署が防犯カメラを調べたら、「白い車」は何と捜査車両。使用した男は簡単に特定された。現職警察官の「盗撮」。本田さんは捜査を進めようとしたが、野川明輝本部長は「もう一度チャンスをやろう」「泳がせよう」と「隠蔽」を命じたという。
本田さんは本部長の判断が許せなかった。退職後、彼はこの顛末をまとめた文書をジャーナリストの一人に匿名で「闇をあばいてください」と送った。結果的には、「内部告発」は活字にならなかった。ジャーナリストは北海道在住。「裏取り」に時間がかかった。そこで、福岡にある調査報道サイト「HUNTER(ハンター)」に、情報を提供した。
ところが、である。4月8日「ハンター」の事務所に県警のガサ(家宅捜索)が入った。その日、県警曽於署の藤井光樹巡査長(当時)が、捜査情報を外部に漏らした地方公務員法(守秘義務)逮反の疑いで逮捕(後に懲戒免職・起訴)。その関連で「ハンター」がガサを受けたのだ。
県警の不祥事を書き続けていた「ハンター」はもう―つの「隠蔽」をすでに報道していた。2021 年9月、新型コロナウイルスの療養施設で働く女性が県医師会の男性職員に乱暴?される事件が起こった。女性は鹿児島中央署に性被害を訴え、告訴状を出したが、なぜか受理されない。「ハンター」は「この男性職員の父親が県警OBだから?」と書いた。藤井元巡査長 の情報を基にした独自記事だった。
報道機関が「情報源のことで強制捜査を受けることは当方の知る限りない。なぜなら「取材源(情報源)の秘匿」はジャーナリズムの掟。今回のガサは異常だ。このガサ で県警は「本田さんの内部告発文書」の存在を知り、本田さんは逮捕された。
警察権力が作る暗黒時代?
実は「興昧深い記事」がある。
「毎日新聞」(6月8日)は鹿児島県警が、刑事事件の裁判のやり直しを求める再審請求などで弁護側に利用されるのを防ぐため、作成済みの捜査書類を速やかに廃棄するよう促す内部向けの文書を作成していた疑い」などと報道した。
事実なら…。日本の「民主主義」は既に崩壊している!。
コメント:同種のコラムが2つですが、両方読むことで、鹿児島県警の闇、官憲の暴力が、いかに悪質で危険であるかがはっきりと分かります。西郷(せご)どんが聞いたら何と言うでしょうか。薩摩男児の恥でごわすと言うのでしょうか。
関連記事:異常過ぎる県警の隠蔽体質。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9742c08dade343759b66d729cc6798a1db4c804c
コメント:もしやトカゲの尻尾切りか。幹部は全員責任を。
関連記事:ライターの悔恨。
https://digital.asahi.com/articles/ASS6P1234S6PTIPE02FM.html?comment_id=26185&iref=comtop_Appeal1#expertsComments
コメント:その後の展開です。一読を。
2565.分極化する政治 6.28
今回の前書きは朝日新聞(6.27)論壇時評です。
「分極化で求められる政治の力」政治学者 宇野重規
2024年は世界的な選挙イヤーである。ウクライナとパレスチナ・ガザ地区での戦闘が続き、世界秩序が不安定化するなか、各国のリーダーや議会の構成を決める選挙が相次ぐ。はたして、新たな秩序の可能性が見えてくるのか、はたまたさらなる分極化が進むのか。今年前半の世界の選挙を総括すると同時に、米国大統領選へと向かう後半を展望したい。
(中略)
韓国の大統領にとっての「中間選挙」にあたる4月の総選挙の結果は苦いものであった。与党「国民の力」が惨敗し、野党「共に民主党」が大勝したことにより、政権後半のレームダック(無力)化が進むことも予測される。(中略)
「批判合戦に終始した争点なき選挙」、「人々が見たいもの、聞きたいものに群がるという現象が露骨に表れた選挙」などの指摘があるように、特定集団・政党への愛着と他への激しい敵対心が募り、感情的な分極化が目立ったという。検事出身の大統領の性格もあり、反対派と交渉して合意形成へと導く「政治」の経験の欠如が露呈したと言える。一方、総選挙が直ちに韓国の外交政策に影響することはないものの、大統領の指導力低下を前提に、日本の対韓外交の多角化を模索すべきだとされる。第三の党「祖国革新党」の台頭を含め、分極化の進む韓国の状況は、日本政治にとっても暗示的であろう。(中略)
米大統領選の帰趨を握るのも若者かもしれない。(中略)米国のZ世代は多様性や人権などリベラルな価値観を重視し、バイデン民主党政権を支持するとされてきたが、全米に広がったイスラエル抗議デモに示されるように、いまや民主党政権の外交政策に批判を強めている。この世代の支持を失えば、バイデン氏の再選は厳しくなるばかりである。
国際政治学者の三牧によれば、この世代の政党帰属意識は低く、自分たちの価値観により合致しているか、身近な問題を解決してくれるという具体的理由で民主党を支持してきたに過ぎない。黒人票を含め、多様な支持層に支えられてきたバイデン政権であるが、国論を分断する危機においてはそれが弱点にもなる。左右の分極化のなかで「トランプ氏が強いのではなく、バイデン氏が弱い」という読売新聞アメリカ総局長の今井隆の発言と合わせ、象徴的である。
多様化が分極化に至り、政治がそれを制御できなくなるとき、政党のあり方は揺らぎ、選挙は波乱含みとなる。抽象的な理念に基づく「連帯」はそのリアリティーを失 い、誰が自分たちにとっての仲間かわからなくなる。当面、選挙において人々を動かすのは、「やつら」を排除する声か、さもなければ生活に即した具体的な要求だろう。
人々の切実な声を、有権者との日常的な接触と新たなメディアを通じて可視化し、政策化すると同時に、反対派とも交渉して合意形成する「政治」の力、今こそ政党のバージョンアップが求められている。日本はどうだろうか。
コメント:政党帰属意識が薄いのは日本でも同じこと。都知事選で言うと、石丸が異常とも言える人気。これは小池も蓮舫も嫌だという(若い)有権者が多い事の裏返しでもある。政党に拠りかかっている蓮舫、保守層をあてにしている小池も安心は禁物だ。s
コメント:その後の展開です。一読を。
2566.軍拡進行国家 6.29
今回はややネタは古いが、雑誌世界6月号(特集は軍拡進行国家)から5件あります。縮小版ですが、それでも長いので、適当に端折って読んでください。
@まずは「隣のジャーナリズム、靖国神社と池田大作の戦後」小川寛大(宗教誌編集長)です。
元自衛官という「窮余の一策」
東京・九段の靖国神社に四月一日、元海上自衛隊海将の大塚海夫氏が、新しい宮司として着任した。元自衛官が同神社の宮司に就任するのは大塚氏で二例目。将官クラスでは大塚氏が初だという。戦後の靖国神社宮司は、元皇族・華族出身者が就いてきた例などが多く、そこからも大塚氏の就任は異例に見える。
早速メディアではこの人事に関し、「戦前同様、軍事組織である自衛隊が靖国を管理する体制につながっていくのではないかという危惧さえ感じる」(Aera,古賀茂明)といった、懸念の声が報じられていた。そういう意見もわからなくはない。だが、むしろ筆者が感じるのは、最近の靖国神社の思想的な揺らぎである
たとえば2018年、靖国神社では当時の徳川康久宮司が、任期途中で異例の辞任に追い込まれた。そもそも靖国神社とは明治維新に際して勃発した戊辰戦争における官軍側の戦没者を祀るために創設された神社である。しかし徳川宮司はその時の幕府軍、すなわち賊軍を新たに靖国へ合祀することについて前向きな発言をしたと、一部メディアで報道された。その結果、徳川宮司に対する批判が集まったため、事実上の引貨辞任を強いられたのだと見られている。
戦後の靖国神社は、太平洋戦争に従軍した経験を持つ元軍人から成る戦友会や、戦没者遺族らでつくる遺族会の人々を、第一の参拝者、崇敬者として運営されてきた。しかし、そうした人々の多くは鬼籍に入り、靖国神社への参拝者は減少傾向にあるという。徳川氏の発言も、悪意があっての暴言というより、そういう靖国神社の現状を何とか改善できないかという思いから出た、勇み足的な失言だったのではないかと見る関係者が多い。
ただ結果として彼らの発言は、もはや靖国神社関係者でさえ、靖国神社とは何だったのかがよくわからなくなっているのではないかと、世間に疑念を抱かせてしまうようなものだった。
大塚宮司が型破り人事であることは間違いがなく、「何かの策謀」ととらえるよりかは、むしろ「窮余の一策」と考えたほうが正確なのではないかと感じる。
大塚宮司の手腕で今後の靖国神社がどうなるのかは、はっきり言って未知数だ。そして、こうした靖国の変容から感じるのは、戦後は完全に終ったんだなということである。 (以下略)
コメント:靖国が生き延びるために自分で変わろうとしているらしい。でもそういう動きは全く報道されていませんでした。明治神宮による外苑の再開発も、彼らが維持費の捻出の為に、現金収入を必要としているという背景があると言われます。但し靖国と違うのは、明治神宮の土地は無償で提供されたものであり、政府の意向のみならず、多くの都民の寄付が背景にあることです。だからこそ、都民の意向を無視してはなり立たないのです。収入を得る為にタワマンを建てるという損益重視の意思決定の段階で、もはや信仰とは無縁の存在(一企業体)になっているのかもしれません。
A次は「徴兵制は混乱するミャンマーに何をもたらすか」中西嘉宏。
2014年にミャンマーの軍が政権である国家統治評議会は人民兵役法の実施を突然、 発表した。ちょうど10日前に非常事態宣言の五度目の延長がなされて、2011年に起きたクーデターから3年が過ぎたところだった。唐突突な発表に、まだ何も起きていない段階からミャンマー社会はパニックに陥る。
たとえば、第二の都市マンダレーでは、海外に出よう(あるいは子どもを出そう)と旅券の申請書類の入手に群衆が殺到し、二人の女性が圧死したと報じられた。その後、軍事政権が制度の説明をいくら重ねても、そもそもクーデターで信頼を大きく失った軍だ。市民を落ち着かせることはできず、今も動揺は続いている。
男女ともに兵役の対象となるが、適齢期の候補者リストから選抜された人々で健康状態に問題がないものが兵役を義務付けられる。これに従米の志願兵制が併用されるわけだ。ただし、男女ともに、通常時の兵役期間は二年で、 非常時には最長五年まで政府が延長できると同法は定めている。同法によって兵役に従事する者の数は最大で常時12万人となり、現在推計されている陸軍の規模に匹敵する。つまり、軍隊の規模を人員の点では倍にするわけである。
兵器の性能が上がるなかで、コンパクトで専門性の高い軍隊が世界的には志向されているが、そうした流れに逆行する決定と言えよう。
徴兵制自体は決して特異な制度ではない。日本には徴兵制への独特な記憶があって、招集令状によって強制的に戦地に送られる「死地への片道切符」とみられがちだ。
ところが実際には、徴兵制を導入している国は世界で60カ国以上ある。東アジアでも、中国、韓国、北朝鮮、ペトナム、シンガポール、タイ、ラオス、カンボジアでは徴兵制が敷かれている。制度の中身にはずいぶんと違いがあって、韓国のように適齢男性のほぼ全員が兵役に就くケースもあれば、制度はあっても、軍の効率化の過程で徴兵による兵役が減少し、ほぼ志願兵からなる中国人民解放軍のようなケースもある。
そうした国々でいまミャンマーに起きているような混乱があるのか、あるいはかつてあったのかといえば、それはない。つまり、徴兵制そのものではなく、「ミャンマーの徴兵制」が混乱を引き起こしているのである。
なぜか。過去3年にわたって各地でミャンマー軍と、その支配に抵抗する反軍連合(民主化勢力と一部少数民族武装勢力)との間で武力衝突が起きてきた。具体的な数字で確認しておけば、イギリスに本部のある国際戦略研究所 (IISS)によると、クーデクー後のミャンマーにおける武力衝突数は大小含めて約18000に及ぶ。戦死者の詳細は明らかではないが、軍による空爆や、軍や反軍勢力の襲撃などで亡くなった民間人は一万人を超えているとみられている。
国連機関によれば、軍による村落の破壊行為や紛争地域への空爆などを避けるために、国内避難民が約260万人出ていて、全人口の約三分の一にあたる1800万人が人道的支援を必要としている。
そもそも多くの市民はミャンマー軍によるクーデターとその後の弾圧に対して強い不満を持っている。加えて最近では国境地域で軍が劣勢である。正統性が低く、負けが込んでいる軍事政権の兵役に就くことを、たとえしぶしぶであっても、受け入れられる者がどのくらいいるだろうか。
こうした敗戦続きの背景には、ミャンマー軍側の兵員不足や士気の低下がある。
(以下略)
コメント:我々はミャンマーで起きていることを良く知りません。それは政府や自衛隊でも同じではないでしょうか。
B三番目は「軍事優先社会、軍事費膨張ではなく社会保障の拡充を、侵害される憲法の平和主義と生存権」ジャーナリスト吉田敏浩
今年3月21日、東京丸の内のビル街、三菱重工と三菱電機の本社前で、二十数人の市民が「死の商人にならないで」などのプラカードを担げ、「武器翰出反対」「敵基地攻撃ミサイル製造反対」の声を上げた。消費者団体の日本消費者連盟と主婦連合会と、市民団体の武器取引反対ネットワーク (NAJAT)による共同アピール行動で、三菱重工に「敵基地攻撃ミサイルの製造と次期戦闘機共同開発からの撤退」を、三菱電機に「武器輸出と国際共同開発からの撤退」をそれぞれ求める要請書を渡した。
六日前の3月15日、自民・公明両党の国会無視の密室協議で、日本・イギリス・イタリアが共同開発する次期戦闘機の、日本から第三国への輸出が合意されていた。共同開発に参加する主な日本企業は、三菱重工と三菱電機と1HIだ。同月26日には、この武器翰出を解禁する閣議決定もなされた。殺傷力の強い戦闘機の輸出は紛争を助長し、民間人も巻き込む戦禍の拡大を招くおそれが高い。憲法の平和主義により「武器翰出三原則」(1976年)などで武器輸出を原則禁じた、戦後日本の理念を骨抜きにするものだ。 (中略)
閣議決定に 国会は関与できず、政府・与党で個別案件が決められてしまう。どれも実際の歯止めにはなりえない。武器取引反対ネットワークの杉原浩司代表は、強い危機感を表す。
「岸田首相は、共同開発の次期戦闘機を第三国に輸出すればコストが回収でき、日本の国益にもなるという趣旨の国会答弁をしましたが、日本製の武器で他国の人々が殺されようが、自国の軍需産業の儲けを優先する、と言っているのに等しいわけで、「死の商人」国家への堕落といえます。攻撃力の高い戦闘機の輸出がいいとなれば、今後ミサイルや潜水艦などあらゆる武器の輸出へとエスカレートしてしまうでしょう。侵略戦争の反省を踏まえ、二度と戦争の加害者にならないとしてきた国の形を変える重大な問題です。アメリカのように軍産学複合体が形成され、戦争と軍需景気を欲する政治・経済構造ができあがってしまうおそれがあります」
主婦連合会の河村真紀子会長は、三菱重工が長射程で周辺国に届く四種類もの敵基地攻撃ミサイルの開発・量産を受注したのを踏まえて、こう指摘する。
「専守防衛からはずれる憲法違反の敵基地攻撃ミサイルは、国際法が禁じる先制攻撃の危険性をはらむもので、保有すべきではありません。憲法九条のもと日本は軍事大国化せずにきました。武力より対話を通じて平和を築くべきです」(中略)
「いま日本社会に必要なのは、軍事費の拡大ではなく社会保障の拡充です。多くの労動者の実質賃金が低迷し、物価高騰が国民生活を直撃しています。国民健康保険料や介護保険料は国庫負担の削減などで値上げが続き、後期高齢者医療費の窓口二割負担は受診抑制を招き、マクロ経済スライドで年金支給額は減らされ、生活保護費も削減されるなど、国民生活は負担を強いられています。2012年の第二次安倍政権から続く11年間で、軍事費は増える一方、社会保障予算は自然増分を含め五兆円以上が削減されました」と訴えるのは、中央社会保障誰進協議会の林信悟事務局長だ。(中略)
軍事優先のままでは、憲法が保障する生存権・社会保障は圧迫、侵害される。第二次安倍政権以来、集団的自衛権の行使容認、特定秘密保護法や安保法制や土地利用規制法の制定、共謀罪の新設、「安保三文書」による大軍拡、武器翰出解禁など、米日軍事一体化と箪事大国化を自・公政権は進めてきた。同時に社会保障を企業活動の足かせとも見なし、自己責任論を振りまく新自由主義路線により、年金・生活保護・国民健康保険・介護保健・医療などの分野で給付削減や自己負担増なども進めた。憲法九条が体現する平和主義の理念と憲法25条に基づく生存権が、パラレルで侵害されてきた。 (以下略)
コメント:いかに人数が少ないとはいえ、このデモを取り上げない日本のメディアには、報道姿勢に根本的な欠陥があると思われます。また改めて安倍政権の11年が悪夢の11年であった事が分かります。それにつけても、公明党とはどんな政党なのでしょう。そもそも平和を口にする資格があるのでしょうか。私には要らない政党のように思えます。
C4番目は、「セキュリティ・クリアランス制度の何が問題か」京大教授 高山佳奈子
(前略)
報道は、日本も諸外国のように、機密情報にアクセスできる者を政府が認定する「セキュリティ・クリアランス」制度を導入する必要がある、という論調のものが多いが、国際標準を企図するのであれば、人権の制約だけを導入することは誤っている。人権侵害の予防や救済の制度が整って初めて、国際様準と呼べるのである。だが、日本法はそこから遠ざかる一方である。その背景には、公正な産業活動の対極ともいえる、一部の者の利権がある。
本法が人権の制約にしかならない理由は、すでに従来の制度で、重要情報の保護が網羅的に図られていたことにある。すなわち、安全保障の文脈では1949年以来、いわゆる外為法の規制が存在している。サイバー攻撃については1999年制定の「不正アクセス行為の禁止等に関する法律」や、コンピュータ・ウイルス等関連犯罪の処罰(刑法)がある。国家機密については一般的に国家公務員法の守秘義務違反の罪の処罰で保護されてきた。さらにそのうち営業秘密の要件をも満たす情報は、不正競争防止法の営業秘密侵害罪の重い罰則をもって保護されていた。テロにかかわる行為は「公衆等脅迫目的の犯罪行為等のための狩金等の提供等の処罰に閲する法律」(テロ資金提供処罰法)で極めて広く処罰対象となっている。新しい規制を導入するとなれば、これらのいずれにも該当しないものを対象とすることになり、それは茫漠たる人権制約を意味する。そして諸外国と異なり、濫用に対する歯止めや救済の制度はない。 (以下略)
D最後は「国のかたちの一方的な変更は許されない」学習院大教授 青井美穂、共同通信 石井暁
(前略)
石井 まったくその通りです。今、台湾有事のための日米共同作戦計画を自衛隊と米軍で策定しています。その計画には住民の存在は一切含まれていません。日本政府は形だけでも、台湾有事が起きたときのために与那国の人は九州のどこ、宮古島の人はどこの県、という避難計画を立てましたが、本当にいい加減で無貢任な話です。沖縄本島は屋内避難ですが、南西諸島で唯一米軍基地が集中している沖縄本島の人たちが屋内避難で大丈夫というのは非現実的です。与那国、石垣、宮古を中心にシェルターをつくろうとしていますが、それは沖縄戦の時のガマ(自然洞窟)と完全に同じです。ミサイルが飛び交う中で地下のシェルターに閉じこもって、島民の命が助かるのですか、どういう保証があるのですかと聞きたい。
膏井 私たちは、自衛隊が国民を守ってくれるという幻想を抱きがちですが、自衛隊が責任を負うのは国防であって、住民の避難は地方公共団体の仕事になります。でも情報もないなかで、地方公共団体が十分な対応をできるわけがなく、手足をしばっておいて逃げろ、というようなものです。人の命の問題として捉え直す必要があるはずです。(中略)
石井 右傾化する日本社会でネトウヨを代表する人たちは、 あたかも国家と同化してしまって、中国とか北朝鮮とかロシアの人たちを蔑むことで、自分たちは優越的な地位を得たいと思っているようにも見えます。そういう人たちが多くなり、ロシア、中国、北朝鮮の脅威を煽られると、それを真に受けてそのまま国家と同化して殺す側に回ってしまう。自分たちが殺す側に立っていることを何とも思わなくなりつつあるのではないかと思います。武器翰出にしても、靖国参拝でも、台湾有事もそうですけれども、それは、九条の下での平和国家のあり方を変質させてしまうものだと思います。
青井 今般と昔との大きな違いは、「人権問題は国境を越える」という感覚が普通のことになっているということです。人類の為に地球環境を考えるとか、他の国で亡くなる人のことを思うというのはもはや一般的な感覚なのではないか。それは重要なことでしょう。リスク評価は国のほうでしかるべきポジションの人が行うのは当然だとして正確にリスクを把握できない私たち市民ができることは、殴る側には回らないようにするとか、殺される側の立場に立って考え続けるということではないでしょうか。「正しいことぐらい強いものはありません」と文部省が最初に作った「あたらしい意法のはなし」にもありましたけれども、そこで理解されていた線、戦わないと決めて戦わないほうが強いんだ、ということは、私たちが殴る側に立たないからこそ可能なのではないか。それを確認し続けないと、ともすると、私たちはどんどん国家と同化していってしまって、国会議員ですら知らされないような重要情報・特定秘密が多い中で、どこまでも踊らされてしまう。そういった危険があるように思います。
コメント:ネトウヨに踊らされて戦火を交えるようなことが、絶対にあってはなりません。しかも政府にも同じ傾向の議員がいます。高市もその一人です。小池百合子もお友達です。女性の方が好戦的ということが、まず信じられないのです。
2567.歴史観の相違 6.30
今回の前書きは朝日新聞(6.29)異論のススメ、民族の物語の壁、京大名誉教授 佐伯啓思です。
救済約束する一神教
土地巡る戦いの経験
強烈な歴史意識生む
ロシア・ウクライナ戦争の先行きがいまだに見通せないが、そうこうするうちにイスラエルとハマスの戦闘が姶まった。昨年10月7 日、イスラエル内でハマスが突然のテロ攻撃を仕掛けたが、これに対するイスラエルのハマスヘの猛攻撃が半年以上続いている。
ハマスはイスラム原理主義の武装組織であり、パレスチナ自治区のひとつガザ地区を実効支配している。したがって、こちらは、ロシア・ウクライナとは違って、国家同士の戦争ではない。イスラエルはパレスチナを国家として承認していないからだ。それゆえ、イスラエルからすればテロ組織の掃討作戦である。しかし、バレスチナ自治区は壁やフェンスでイスラエルから遮断されており、単なる犯罪集団の掃討ともいいがたい。
それは、なにより、この中東の西岸の狭い場所に、イスラエルとパレスチナをめぐる容易には和解しえない歴史が横たわっているからだ。歴史こそが両者の間に本当の壁を作り出している。
直接の原因を探れば、20世紀の初頭にさかのぼる。中東地域はもともとオスマン帝国の支配下にあった。帝国主義のなかで中東への進出をたくらむ西欧列強の利害の交錯のなかで、列強は、第1次世界大戦を契機に、オスマン帝国の分割を画策する。そのさいに、英・仏・露による中東分割が約束された(サイクス・ピコ協定)。
しかし英国はその前に、アラブ人のオスマン帝国からの独立を支持しており、しかもサイクス・ピコ協定のすぐ後に、バレスチナの地をユダヤ人に与えるという「バルフォア宜言」を出した。映画「アラビアのロレンス」でもよく知られた、この英国の「三枚舌外交」のずさんさが、今日のパレスチナ問題を生み出したのである。
そして、ユダヤ人の移住が進み、1948年にイスラエルが建国され、米国は即座に承認した。 他方で、もともと住んでいたバレスチナ人は行き場を失ったわけである。西欧におけるユダヤ人差別が第2次世界大戦中のホロコーストと切り離せないという欧米の贖罪にも似た意識がパレスチナ問題をもたらしたともいえよう。(中略)
また、各地に散らばり多くの国で抑圧されたユダヤ人が、パレスチナこそが故郷だと主張する。その根拠は、「旧約聖書」の「出エジプト記」にさかのぼる。「旧約聖書」の神は、ユダヤ人にカナンの地(パレスチナ)を与えることを約束したのだ。
このことが今日のイスラエル・パレスチナ問題を引き起こしているとはいわないが、「旧約聖書」が繰り返して想起させる古代ユダヤ民族の記憶が、今日の問題の背景にあることは否定できない。私は、宗教が対立の決定要因だなどといいたいのではない。対立を生み出すものは歴史的記憶であり、それをさかのぼれば、この場合「旧約聖書」に行き着くといいたいのである。
歴史とは自民族や自国民についての「ものがたり」であり、多くの場合、その民族の起源や共通の記憶と不可分である。民族の起源が宗教や神話にまでさかのぼれば、歴史意識のうちに、宗教や神話の残影が見え隠れするだろう。この意味での「歴史意識」こそが、時には、容易に和解しえない対立も生むことにもなろう。
ところで、今年の2月に米国の 保守派の元テレビ・キャスター、 タッカー・カールソン氏によるプーチン大統領へのインタビューが 公開された。ここでプーチンは、 何がこの戦争を引き起こしたのかを2時間にわたって滔々とと論じるのだが、彼は862年のロシアの成立から始め、ロシア、ウクライナ、西欧の間の関係史を現代に及ぶまで熱を込めて話し続ける。
これは興味深いものであった。
もちろん、ここにはプーチンの自己正当化や事態の手前勝手な解釈などが含まれているであろう。しかしそれも含めて、このインタビューには、プーチンの歴史意識が如実に示されているからである。
そこから見え隠れするのは、周辺国の圧迫から領土を守り自己の防衛に苦慮してきたロシアの歴史であり、特に西欧に対する強烈な警戒感である。リトアニア・ポーランドによる侵攻以来の西欧との複雑な関係は、1991年のソ連崩壊後も続く。プーチンは、冷戦後、ロシアは幾度となく欧米に裏切られたと感じているのである。
(中略)ここには、周辺地域からの圧力のなかで、ひとつの共同体(彼は、それを「祖国と大家族」という)を断固として守るという歴史意識がある。言い換えれば、ロシアを守ることは、その歴史を「ものがたる」ことなのだ。歴史のなかに、ロシアの精神は刻印されている。その精神において、常に現実的である西欧に対して、ロシアには、永遠を求め道徳的価値を求めるところがある、と彼はいう。
インタビューの最後にプーチンはふたつのことを述べていた。ひとつは次のようなエピソードだ。今回の戦闘の最中に、ウクライナ軍がロシア軍に完全包囲された。ロシア軍の降伏要求に対し、ウクライナ軍は「ロシア人は断じて降伏しない」とロシア語で大声を張り上げ、全員が死亡した。結局、根底においてロシアもウクライナも同じだと彼はいうのである。
もうひとつ。ウクライナはウクライナ正教会を解体しようとした。しかしそれは決してできない。なぜなら教会こそがロシア人の魂であり、ロシアを団結させるものだからだ。こういうことを彼は述べていた。
くりかえすが、私はプーチンの 歴史観の妥当性を問おうとしているわけではない。それは専門家に任せるとして、私が強い印象を受けたのは、今日、西側世界からほとんど凶悪人とみなされているこの政治指導者が、たとえ一方的なものであるにせよ、確固たるロシアの歴史意識をもっており、それを雄弁にしゃべる熱意であった。
ロシア、ウクライナ、それにイスラエル、パレスチナのすべてに共通するのは、彼らのアイデンティティーの基盤に、他国との対立や軋轢のなかで自らの土地を守るという歴史的経験があるということだ。しかもそれをさかのぼれば、「旧約聖書」へとゆきつく。 苦難のなかで敵対者と戦いながらいずれ救済されるという歴史意識である。この歴史意識だけが、彼らの生存と未来への希望を約束したということであろう。
さてそれでは日本はどうなのであろうか。日本もロシア・ウクライナの戦争には参与している。イスラエルとハマスに関しては、上川陽子外務大臣は昨年11月にイスラエルとヨルダン川西岸のパレスチナ自治区を訪問した。しかし、この両者について、われわれはまったく現実感を持てないでいる。 支援も支持も、どこか他人事である。イスラエルとハマスなど、その現実を想像するのも難しい。
それは、戦場から地理的に遠いこともあろうし、戦後日本では戦争と無縁であったという事情もあろう。しかし、ここで私が関心をもつのは、歴史意識というものの大きな違いである。
日本は、ほとんど隣国との境界を海という自然の防壁に委ね、自らの手で自国の領土も生存も文化も守らなければならない、という切迫した事態に直面することがほぼなかった。これが日本の歴史意識の前提になっている。自分たちの領土や財産がいつ何時、他国や他民族に略奪されるかもしれない、という不安が人々を団結させるという深刻な経験はなかった。
だから、歴史を「ものがたる」ことが、自分たちの集団的な結束をもたらし、自らの生存の確保につながるという意識は日本の場合にはまずなかった。歴史意識そのものが希薄なのである。
もちろん、日本にも、「日本」という国の「ものがたり」はある。江戸時代の国学や水戸学、さらには、戦前の皇国史観にもあった。しかし、この場合、日本の歴史意識の源泉を「古事記」「日本書記」に求めるとしても、そこには、「旧約聖書」の一神教世界 の、苦難の歴史を通した神による救済などという観念はまったくない。ユダヤ人のように、イスラエル建国は宗教的な聖地の回復だ、などという切迫した観念は日本の歴史意識からはでてこない。
このことによいも悪いもないであろう。幸か不幸か、われわれの歴史意識は、一神教の世界が生み出した強烈な歴史意識とはまったく違っている。日本の歴史意識の希薄さをわれわれは自覚すべきであろう。と同時に、21世紀においてもなお一神教的世界が作り出した歴史観が世界を動かしていることをも知るべきである。
コメント:問題は、どうすれば、宗教間の対立を解消し、うまく棲み分けられるようになるのかです。
2568.スポーツと権力 7.1
雑誌世界7月号から5件の論文や対談を、抄訳でご紹介します。大統領選の決選投票が近いイランの関係が2件、残り3件は五輪を含むスポーツ関連ですが、特に神宮外苑の再開発は、法整備を含めて、いかに無理があるかを説明しています。ここまで掘り下げられたら、小池では反論は難しいでしょう。ではまずは、イランとイスラエルの関係です。未だかつてない長文の前書きですが、読んでご損はないと思います。
@「中東を揺るがす影の戦争」溝渕正季(明治学院大学)
2024年4月に生じたイラン・イスラエル間での攻撃と反撃の応酬により、中東地域の戦略的状況は新たな段階に入った。4月1日夕刻、イスラエル軍はシリアにあるイラン総領事館を空爆し、2人の将軍を含む7人のイラン革命防衛隊司令官が殺害された。それから二週間後の4月13日夜、先日の攻撃に対する報復であるとして、革命防衛隊がイスラエルに対しておよそ300発以上に及ぶドローンとミサイルを発射した。これに対してイスラエルは、4 月1日早朝、イラン中部のエスファハーンにある空軍基地に対してドローンとミサイルで迅速な反撃を行った。
人口密集地幣を外し、さらに事前通告の上で実行されるなど、相当に抑制されたかたちであったとはいえ、イランによるイスラエル本土へのこれほど大規模な攻撃は史上初であり、これまで数十年にわたって繰り広げられてきた「影の戦争」ー平時における空?海・サイバー空間や代理勢力を通じた水面下での攻防ーが白日の下に晒されることとなった。
1948年にイスラエルが建国されて以求、イランとイスラエルは長らく「暗黙の同盟関係」にあった。だが、およそ30年に及ぶ蜜月の後、1979年に革命によってパフラヴィー朝が倒され、それに代わってイスラーム共和国が打ち立てられたことで、両国間関係は180度転換した。革命の指導者ルーホッラー・ホメイニー師は、「アメリカは大悪魔であり、イスラエルは小悪魔である」と公言し、敵対的姿勢を全面に打ち出した。その後、イランにおける保守強硬派の台頭や核開発疑惑の浮上、およびイスラエルにおける右派勢力の伸長により、両国間の緊張の度合いはさらに増していった。そして、とりわけ2011年以降、イラン・イスラエル間の「影の戦争」は中東地域の戦略的状況を大きく規定するようになっていった。
近年の狂気をはらんだ敵対的閲係とは裏腹に、ペルシャ人とユダヤ人は過去数千年にわたって良好な関係を築いてきた。(中略)
イスラエル南部への大規模攻撃の翌日、「ウォール・ストリート・ジャーナル」は、イランの革命防衛隊がハマースに作戦の指示を下したとの一報を伝えている。だが、そのような事実を示す明白な証拠は現在でも見つかっていない。アメリカやイランの公式見解、およびこれまでのイランとハマースの関係性に鑑みると、イランの指示を受けてハマースが攻撃を実行したという可能性は低いだろう。事前通告や事前協議を行っていた可能性はもちろんあるが、とはいえ攻撃はあくまでハマースが自らの置かれた戦略的状況を踏まえ、自らの判断で行ったものである。イラン側は全面戦争へのエスカレーションを望んではいなかったし、イスラエル側もこの点は十分に理解していた。
だが、にもかかわらずイスラエルは、ガザヘの大規模侵攻開始からおよそ半年後、イラン本国にまで戦線を拡大することを決定した。これまでイランとイスラエルが水面化で展開してきた「影の戦争」が、これによって一転、白日の下に晒されたのである。こうした決定の背景には以下のような点を指摘できよう。第一に、ハマースによる奇襲攻撃に対して、その何倍もの対象と規模で反撃を行うことで、損なわれた抑止力を回復すること(結局、中東政治の原則は「ナメられたら負け」なのである)。第二に、悲惨な「ジェノサイド」とも呼ぴ得る状況にあるガザ情勢から世界の目を逸らせること。 第三に、アメリカをはじめとする国際社会からの停戦圧力が依然として限定的であることから、これを好機にイランにとっての「レッド・ライン」を探るととも に、「抵抗の枢軸」全体に打撃を与えておこうと考えたこと。そして最後に、そもそもネクニヤフ首相にとって「イラン脅威論」は合理的な戦略というより「宗教のようなもの」であり、いずれかのタイミングでイランに戦争を仕掛けるつもりであった(たまたま今回の出来事が良いタイミングとなった)ということ、などである。
イランとしても、大規模な反撃を行って全面戦争へとエスカレートするという事態は何としても避けたい一方、自国の抑止力とメンツを守るために何らかの反撃は行う必要があるとの思惑から、結局、前述のように相当に抑制された攻撃をイスラエル本土に向けて行うこととなった。
もっとも、イスラエルとしても現時点でのイランとの全面戦争は望んでいないし、国民もまた弾道ミサイルやドローンがイランから降り注ぐ生活のなかで政権を支持し続けるとは思えない。実際、4月19日のイスラエルによる攻撃以降、目立った作戦行動はみられない。とはいえ、両国の意図に反し、偶発的な事態や誤算によって「影の戦争」が全而戦争へとエスカレートするリスクはかつてないほどに高まっている。
こうした最中、5月19日、アリー・ハーメネイー最高指導者の最有力後継者候補と目されていたエブラーヒーム・ライーシー大統領がヘリコブター墜落事故で在任中に死去した。この事故は、イスラーム共和国が国内外からの様々な挑戦にさらされている、非常にデリケートな時期に生じた。ただ、今後、国内的には次期大統領選挙、そして最高指導者候補の選出に向けて急ピッチで議論と準備がなされるであろうが、他方で、最高意志決定者である最高指導者が存命である限り、イランの安全保障戦略についてはひとまず大きな変化はないであろう。(以下略)
A「ライシ政権後のイラン」中西久枝(同志社大学)
5月19日、イランのライシ大統領とアブドラヒアン外務大臣が同乗していたヘリコブクーが墜落し.東アゼルバイジャン州知事を含む搭乗者8名が死亡した。事故原因は、当初、ヘリコブターの老朽化と悪天候だったと指摘された。他方、現地を飛行したヘリコプタ一5機のうち2機は無事タビリーズ市まで到着していた。また、事故の二日後、無事帰還した大統領補佐官は、飛行当時の天候は良好だったと指摘した。なぜ一機のみが整落したのかなど疑問は残る。
本稿は、本事件が発生した当時のイラン外交の勁向を概観し、ライシ大統領およびアプドラヒアン外相なきイランの今後の内政、外交上の課題を明らかにする。
アメリカを中心とする欧米のメディアでは、ライシ元大統領に対しては否定的な評価が目立つ。たしかに元大統類は、保守強硬派を代表し、反米・反イスラエルを旗印にした外交を展開した。またライシ氏は、1988年より 反政府組織の活動家たちを司法権力で粛清し、大統領就任後は2022年に起きた抗議デモの活動家の逮捕やデモ鎮圧を主導した。さらに、経済制裁下生活難に苦しむ国民は、ライシ氏がシーア派の大聖地のーつであるマシャド市にある複数の宗教財団ならびに財団関連の独占的な経済利権を掌握してきたことに対し、強く反発し、批判の声を上げてきた。
他方、ライシ政権は特に過去二年、孤立しがちなイラン外交をより開かれたものへと導いた。イランは2023 年3月、サウジアラビアとの外交関係を修復した。また、大統領就任時にすでに悪化していたアゼルバイジャンとの関係を徐々に改善することに成功した。また、トランブ政権が一方的に核合意から離脱した後、停止状態であった核交渉を再開したのもライシ政権であった。イランは、その要求を法外だと捉えたアメリカとは結局何も合意できなかったものの、アメリカとの対話は核交渉を通じて恒常化した。
長年のイランとイスラエルとの対立は、ライシ政権以前より過去20年聞、影の戦争で継続していた。それが「公然とした対決」へと急変したのは、イスラエルによるシリ アのイラン領事館へのミサイル攻撃であった。イランは報復としてイスラエル本土へのミサイルとドローンによる攻撃を実施した。しかしながら、イランは、それに対するイスラエルの反撃には、自制的かつ冷静に対応した。イラン側からは今後直接的な攻撃はないことを示唆し、両国間の武力行使がエスカレートしない方向へと誘導した。経済制裁で疲弊したイランには、新たな紛争に関与する経済的な余裕はなかったからである。(中略)
イランと敵対するアメリカとイスラエル両国にとっては、ライシ政権期に進展した核開発こそが「イランの脅威」であり、今日、その脅威は高まっている。先述の通りトランプ政権が2018年5月に、2015年の核合意から離脱して以来、イランは、「制裁解除なければ、核開発抑制の遵守もなし」とし、ウラン濃縮を徐々に高度化し、60バーセントの濃縮度を達成した。2024年4月以降、イランの核開発を監視している国際原子カエネルギー機関(IAEA)の事務局長は、イランの核開発が兵器級レべルにまで急速に進展していることに警鐘を鳴らした。イランが核弾頭を一つ製造するのにかかる期聞は、2015年の核合意時には一年だったのが、今年四月中旬には一週間になったと1AEAは伝えた。(中略)アメリカとイスラエルは、イランの核開発の急速な進展を危険視した。
またロシアがイラン製のドローンをウクライナ戦で使用していることや、イスラエルと戦闘状態にあるハマスやヒズボッラーにイランのドローン技術が供与されたことが、アメリカとイスラエルの「イラン脅威」度を深めた。(以下略)
関連記事:7/5に決選投票。
https://jp.reuters.com/world/us/LZCLURALFBJ2BKW4FGB52XXH2I-2024-06-30/
B次は東京五輪の話題です。総括らしい総括もなく、問題山積みのまま負のレガシーと化した東京五輪をきちんと振り返り、学習することでしか、プラスの成果はないと思います。
「東京五輪のレガシーについて話を聞かせてもらえないか?」稲垣康介(朝日新聞)
フランスの新聞や雑誌の記者から、表記のようなオファーが舞い込むことが続いた。(中略)
私はこんな説明をした。「日本人は五輪のようなイベントを一過性の宴として楽しむが、熱しやすく冷めやすい」(中略)
東京都だけで会場整備などに計上した大会予算は一兆円を超す。五輪の開催都市契約を読むと、仮に中止になった場合、IOCは一切補償する必要がなかった。「不平等契約」を押しつけられた日本側としては損切りを避けるために延期に持ち込みたかった。一方、IOCとしても東京大会をご破算にして、開催経費を日本に押しつけた楊合、今後、こんなリスクのある祭典に立候補する都市がいなくなることへの恐怖があった。
巨大化した「世界最大の運動会」を主催する権力者や政治家の保身、タニマチであるテレビ局、協賛するスポンサーの欲望がうごめく決定だった。私が在籍する新聞社を含め、全国紙各社も仲良く協賛に名を連ねた。
そこには本来の主役であるべきアスリートやスポーツ界の存在は希薄だった。そもそも、スポーツはコロナ禍で 「不要不急」のカテゴリーに押し込められていた。
もっとも、日本オリンピック委員会 (JOC)をはじめスボーツ界にしてみたら、東京に五輪が来れば、国家戦略として強化費が潤沢に落ちてくる。それに1964年東京五輪から、首都にあるスポーツ施設はほとんど化粧直しすらされてこなかった。五輪という錦の御旗がなければ、「昭和」の趣のまま老朽化が進んでいた可能性が大きい。
象徴ともいえるのが明治神宮外苑地区にある国立競技揚だ。(中略)
私には国立競技場の建て替えまでのプロセスは、一連の東京五輪のゴタゴタの象徴に思えた。イラク出身の前衛的な建築家、ザハ・ハディド氏のデザインは建設費が当初の1300億円では収まらず、試算は迷走した。結局、二倍に膨れ、国民の不信を増幅させた。安保法案で逆風のただ中にいた安倍首相は世論を気にして振り出しに戻した。 鶴の一声での「白紙撤回」。着工は当初から一年以上遅れた。ギリギリのエ期を乗り越える過程で違法残業などの法令違反が見つかり、労働基準監督署から事業者に是正勧告が出た。現場監督の男性(当時23歳)が自殺に追い込まれる悲劇が起きた。原因は「極度の長時間労働」による精神疾患だったと労災認定された。
東京五輪の「負のレガシー」に学んでいないのが、2025年に開幕する予定の大阪・関西万博を取り巻く窮状だ。
五輪同様、巨額の公金が投入される万博は、1250億円想定だった会場建設費がどんどん膨らんでいる。招致段階では世論の批判をかわすために少なめに試算し、ふたを開けたら膨れあがるのは五輪ではお決まりのパターンだ。万博の試算も、甘かったと言わざるを得ない。
ハコモノは建てて一件落着ではない。旧国立競技場では年間七億円だった維持管理費が、今のスタジアムは24億円程度かかる。マンションの購入を想定してみるとわかりやすい。誰だって、買った後に毎月かかる管理代や修繕積立金を考えて判断するはずだ。国立競技場の場合、国費で穴埋めするなら、自分の財布から出す感覚がない。 だから、公的施設を管理する担当者のコスト感覚は鈍くなりがちだ。もちろん、維持代が三倍以上になっても、使い倒せるなら、コストではなく有益な投資になる。たとえば、2012年ロンドン五輪の主会場はサッカーのイングランド・ブレミアリーグ、ウェストハムの本拠になった。しかし、国立競技場の場合は、国の施設だけにリーグクラプの本拠にすることは想定されていない。都市の一等地にある国立競技場の有効活用は、未だ宿題のままだ。(中略)
大会組織委会長である森喜朗元首相が、日本オリンピック委員会(JOC)評議委員会で、「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」と発言したことが女性に対して差別的な内容だと批判された。森氏は翌4日、「発言は、オリンピック・パラリンビックの精神に反する不適切な表現だった。深く反省し、発言について、撤回をさせて頂きたい。不愉快な思いをされた皆様には、おわび申し上げたい」と謝罪をした。IOCも募引きを後押しする声明を出した。しかし、世論はおさまらなかった。
五輪憲章が根本原則で掲げる「ジェンダーの平等」を大会組織委のトップが軽んじたと受け止められる発言を放置し続ければ、崇高さが売りの五輪精神がさらに傷つく。日本の国内世論を探るべく、バッハ会長らIOC上層部が情報集めに走り、湖目が変わった。「極めて不適切だった」。IOCは2月9日、森会長の発言につて態度を一変する厳しい声明を出す。森氏は自発的に辞めたのではなく、解任に近い印象を残して去った。
この件で浮き彫りになったのは、日本スポーツ界における森元首相の絶大な影響力だった。山下泰裕会長らJOC上層部をはじめ、日本のスポーツ界で要職を担う大多数は、森氏に対して「わきまえてきた人」だ。逆にわきまえずに直言すると、疎んじられ、 遠ざけられかねない。そんな憂き目に遭い、東京五輪の準備に深く関われなかった人たちを、私は見てきた。
森氏が謝罪に追い込まれたJOCの会議での放言と同じレベルの「冗舌」は、過去にもあった。出席者は鈍感になっていた。だから、その場でいさめる空気にならなかったのではないか。 森氏の威光を甘受し、依存もしてきた日本のスポーツ界が見過ごしてきた言動はしかし、五輪絡みのニュースだったことで、世界に知れ渡り、「外圧」で失脚となった。
東京大会の理念である「多様性と調和」を巡る議論が、森氏の退陣劇をきっかけにマスメディアを中心に盛んになったのは、皮肉なレガシーといえる。
負の連鎖は大会後も続いた。22年夏には東京大会のスポンサーの選定などを巡る汚職事件が発覚した。大会スポンサーの選定や契約は、「専任代理店」に指名された広告大手・電通がほぼ一手に引き受けた。
電通とスボーツのつながりは五輪にとどまらない。サッカーやラグビーのワールドカッブ(W杯)などの世界的なイベントから、日本国内の多様な競技大会にも手を広げる。JOCの専任代理店でもあり続ける。競技団体の関係者たちが「大規模な国際大会を仕切れるのはノウハウ、人的資源を考えたら、電通のほかにない」と口をそろえるように、長年のスポーツ界の電通依存が露呈することになった。
森会長の退陣、そして電通を巡る醜聞で共通するのは、長年、威勢を誇ってきた人間、組織への付度、過度の依存という構図だった。
五輪のネガティブキャンペーンとなったスキャンダルの連鎖で最も影響を受けたのが札幌市だった。
30年冬季五輪の招致レースで、札幌市はずっと「本命」だった。
このころ、30年大会への本気度で札幌を上回る都市は見当たらなかった。事実上の「当確」と思えた。
ところが東京五輪に絡んだ醜聞で逆風が吹き始めた。日本側はしばらくすれば反対世論は静まるとの見立てを IOCに説明した。しかし、年が明けても逆風は弱まらず、フランスなど欧州勢の中で30年 に開ける国の見通しが立った時点で、日本サイドと10Cの蜜月の関係は途絶えていた。
いや応なく、国家としての「老い」に直面する日本には、もっと向き合うべき社会課題がある。東京2020の教訓からくみ取るべきメッセージは、政官五輪に象徴される「昭和」的な社会構造からのアッブデートだ。
C「オリンピアンの涙」鈴木忠平(ノンフィクション作家)
(前略)
その時、競技場の外ではプラカードを掲げた人々が「五輪開催反対」を叫んでいた。
都内各所の競技会場へ取材に行けば、毎回ペットポトルを取り出せと言われ、取り出すと、今度はスポンサー企業以外のラベルを外せと命じられた。コロナ禍での食料不足が叫ばれていたはずなのに、受付には、行き場を失って廃棄を侍つだけの弁当が山のように積まれていた。聖火なるものが恨めしいほどの酷暑だった夏、後に残されたのは一兆円を超えると言われる赤字と、汚職に談合だった。毎年数十億円の維持費がかかるといわれる新国立競技場は国の手には負えないのか、民営化を目指すも、メドが立たずに先送りされているという。(以下略)
D「神宮外苑再開発とスポーツ利権を問う」大方潤一郎(東大名誉教授)佐々木実(ジャーナリスト)
佐々木 坂本龍一さんが亡くなる直前に東京都の小池百合子知事らに事業計画の見直しを訴える手紙を出したことで、明治神宮の外苑の再開発問題は広く知られるようになりました。東京都が事業者の三井不動産、明治神宮、独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)、伊藤忠商事に「神宮外苑地区第一種市街地再開発事業」の施行認可を与えたのは2023年2月でした。明治神宮は日本の風致地区第一号で、今回の再開発話が持ち上がるまでは規制が日本一厳しい場所とみなされ、実際、厳しい規制で景観は守られてきました。
ところが、この市街地再開発事業によって、高さ185m、190mの超高層オフィスビル2棟、高さ80mのビル、高さ60mのホテル併設野球場、高さ46mの屋根付きラグビー場などが建没される。計画通りに工事が進めば、外苑の象徴であるいちょう並木が枯死する可能性が高いことは、石川幹子教授が詳しく論じています。ここでは別の角度から、外苑問題を考えてみたいとおもいます。
まず確認しておきたいのは、外苑再開発は「東京オリンピック・バラリンピック」の招致活勁とともに始まった動きだということ。つまり、10年以上も前に、市民の預かり知らぬところで始動していたわけです。しかも、立ち上げには有力政治家が深く関わっていました。自民党の森喜朗氏です。森氏の貢献がなければ、巨大プロジェクト は起動しなかったし、「後期課程」ともいえる現在進行中の市街地再開発事業も存在しなかったのです。(中略)
大方 ポイントは、市民共同の意志が都市空間の形として計画に現れているか、計画に示された空間の形が現実のものとなるよう、公共事業の実施体制や建築規制などが計画に結びついているか。こうした原則に照らせば、外苑の揚合、スタート時点から明らかに歪んだプロジェクトでした。立ち上げる際、森喜朗氏に依存したことも関係しているのかもしれません。(中略)
佐々木 都市計画公園の指定を解除して超高層オフィスビルを建設することを可能にLた「公園まちづくり制度」とはどんな制度なのですか。
大方 東京都が公園まちづくり制度を創設したのは2011年12月です。その背景には、都市計画公園に指定したまま数十年以上放置し、木造密集市街地になってしまったような場所が多数あることから、国土交通省の指示で都市計画公園の一斉見直しが全国的に始まったことがあります。この「公園まちづくり制度」というのは、木造密集市街地になってしまった都市計画公園について、その指定を外して、公開空地などを偏えたマンションやオフィスビル街に再開発することで、防災性を向上しつつオーブンスペースも確保しようというものでした。
佐々木 密集市街地問題の解消が目的なら、外苑に公園まちづくり制度を適用する必要はありませんよね。
大方 もちろん、ない。明らかに制度の濫用です。(中略)
大方 不適切な制度の使い方はこれだけではありません。容積率などを緩和するために「再開発等促進区を定める地区計画」という規制緩和の仕組みを使った話をしました。 この仕組みは本来、エ楊跡地のような広い場所を土地利用転換して高容積率の市街地にする際に、道路や公園・広場など基本的な都市インフラを作る必要があるとき、開発者負担でインフラを整備させる見返りとして事業者に容積率ボーナスを与えるという仕組みです。ボイントは、「土地の高度利用を図るため、公共施設を整備する必要のある」場所でないと適用できないということ。これは都市計画法で明確に定められているのです。
ところが、神宮外苑にはすでに立派な道路が完備しているし、全域が都市計画公園ですからインフラは十分に備わっています。つまり、この場所は、土地を高度利用するために、特に新たな公共施設を整備する必要などない場所なのです。
佐々木 そうすると、本米、神宮外苑は再開発等促進区にはでさないはずの場所ということになりますね。(中略)
佐々木 外苑の市街地再開発事業は違法性を指摘できるほど無理に無理を重ねていているということですね。
佐々木 市街地再開発事業の事業者のうち明治神宮、JSC、伊藤忠商事は土地の所有者ですが、三井不動産だけは土地所有者ではない。デペロッパーとして加わっていて、 事業スキームの考案も三井不動産主導ですね。再開発事業に対しては坂本龍一さんのみでなく、村上春樹さんや桑田佳祐さんなど日本を代表する文化人が反対し、市民はもちろん、大方さんをはじめ錚々たる専門家たちが問題点を指摘している。にもかかわらず、三井不動産はいっさい耳を貸しませんね。昨年9月にはユネスコの世界遺産の諮問機関である国際記念物遺跡会議が「ヘリテージ・アラート」を発したのに、国際機関の警告も無視しました。三井不勁産には、無法者の態度で事業を強引にでも推進しなければならない理由があるのでしょうか?
大方 市街地再開発事業の総事業費は約3490億円ですが、事業者は総事業費すべてを新しく建てたピルの保留床の売却で賄う計面です。建てたビルの物件を売ったり貸したりして得る資金ですね。東京都に情報公開請求しても黒塗りになっているようだけど、私は事業者の保留床処分計画を見る機会がありました。それでわかったのですが、「内苑を護持するため神宮球場を建て替える必要がある」などと明治神宮などがいっているのはウソですよ。
明治神宮にとって、神宮球場の建て替えは利益を増やすよりむしろ出費がかさむ話なのですが、三井不動産のビルやホテルの地代収入で潤うスキームになっている。この市街地再開発事業によって明治神宮や三井不動産の利益が上がるのは、都民あるいは国民の共有財産である神宮外苑のパブリックスペースを私的に囲い込んで土地活用するからです。だから、これは公共財を私的な財に付け替え、その利益を明治神宮や三井不動産に与えるという事業なのです。
佐々木 この事業は「再開発」というより「社会的共通資本の破壊」ですよ。外苑再開発には「STEPl」と「STEP2」があると話しましたが、公共事業をめぐる政官業癒着が「STEPl」だとしたら、三井不動産が主導権を担る「STEP2」はかなり様相が違いますよね。
大方 基本的に「STEP2」は公共事業ではなく、「個人施行の再開発事業」ですからね。
佐々木 「STEP2」の特徴は東京都と三井不動産の不可解なほどの蜜月関係です。制度の濫用が横行したと大方さんは指摘されましたが、それを許したのは東京都です。東京都の官僚と事業者の関係が密になった背景に、小泉純一郎政権が2002年に施行した都市再生特別措置法があると私は考えています。(中略)
事前相談は結果的に都市計画審議会を骨抜きにし、官僚と事業者の協力関係を強固にした。ちなみに東京都が公園まちづくり制度を創設したのは2013年12月ですが、これは安倍政権が国家戦略特区を打ち上げたタイミングと一致します。(中略)
大方 こうした勁きに対して、市民に支えられた基礎自治体のカウンターアクションとして「まちづくり条例」の制定や、絶対高さ制限型の高度地区の導入などが進んできています。両者のせめぎあいの中で噴出した「ラスボス(最強の敵)」 のような事例が、この神宮外苑の再開発なのです。
佐々木 そもそも明治神宮の外苑は、「公衆の優遊の場」というコンセプトのもと国民の献金、献木、勤労奉仕によって誕生しました。今回の再開発事業は事業者による「囲い込み」であり、先人たちの志を踏みにじるものです。
大方 現に立派に機能して都民に愛されている都市計画公団の一部を外して、そこに超高層ビルを建てさせる。何のためかといえば、明治神宮に地代が入るようにするためだと。都民だけでなく国民全体いや世界中の市民にとって貴重な歴史と緑の公共空間を劣化させ、営利企菜や宗教法人を儲けさせる事業を東京都が主導している事態を見過ごすわけにはいきません。外苑問題を転機に、社会的共通資本(コモンズ)を市民が共同的に計画し管理するという、今日、世界各地の自治体で拡がりつつある、新しい計画制度に向かう動きを皆で進めていきたいと思っています。
コメント:新自由(経済)主義がここまで腐敗・暴走するとは、想像もしていませんでした。しかし東京五輪にしても、外苑再開発にしても、利権のあるところには必ず顔を出す森喜朗。もういい加減に正々堂々と裏金の責任を認めてはどうか。
2569.自衛隊70年 7.3
サンデー毎日(7.14)最新号は、(驚いたことに)コラムを含めて、私が関心が持てる記事は皆無という珍しい号でした。
そこで今回の前書きは朝日新聞(7.2)のオピニオン&フォーラム「銃撃2年、宗教はいま」からです
「共通理解なのに鈍い反応」松谷信司(キリスト新聞編集長)
銃撃事件をきっかけに注目された旧統一教会の問題は、ほかの宗教にとっても人ごとではありません。 (編者注:他人ごと=ひとごと、のことでしょう)
程度の差はあれ、親や教団に選択肢を奪われたり、あこぎな献金を求められたりする例は、伝統的なキリスト教や仏教などにも共通する課題だと思います。
わが身を省みて、襟を正す絶好の機会ですが、宗教界の反応はきわめて鈍いです。火の粉が降りかかってくるのを避けたい、寝た子を起こしたくないという気持ちがどこかにあるのではないでしょうか。
私自身も宗教2世でクリスチャンです。親の家庭教育には感謝していますが、日曜日に自由に出かけられない、教会では本音が言えないなど、それなりの葛藤はありました。
こうした子どもたちの境遇を置き去りにしてきたことが、事件を機に問題視されるようになりました。しかし、宗教界には「それでは信仰の継承ができない」と不満に思う人も多いようです。・
世俗とは異なる価値餓で教育をしているだけで、嫌がる子どもを塾に行かせるのと同じなのに「虐待」と言われるのはおかしい、と。宗教を見る世間の目が厳しくなり、迫害だと感じている人たちもいます。
たしかに、体罰や育児放棄、「ヤングケアラー」など、子どもの家庭環境をめぐる問題は宗教に固有のものではありません。
しかしだからといって、 信教の自由を盾に、宗教が人権の問題から目を背けていいことにはならないはずです。どのように献金を集め、組織を維持し、次世代に受け継いでいくか。そのやり方は、時代によって変わっていくべきでしょう
「旧統一教会と一緒にされるのは迷惑だ」という感情は、どこの宗教でもとも根強いですが、世間から見れば旧統一教会も伝統的な宗教も同じです。宗教を舞台に被害にあっている人たちがいる現実に、すべての宗教者が目を向けるべきではないでしょうか。
また、旧統一教会に救いを求めざるをえなかったたちに対して、宗教界が概して無関心なのも気になります。ほかの宗教が受け皿になれなかったことへの自責の念が薄いのです。
もちろん1970年代から旧統一教会を批判し、救出活動に取り組んでいた宗教者たちも少なくありません。しかし、カルト的な団体の台頭を許し、自浄作用を発揮できなかった。宗教界の責任は、とても重いと感じています。
コメント:救出に努力されている牧師に会ったことがあります。仏教(含む創価学会)は冷淡です。
もう一つ同新聞の社説から、「自衛隊70年、積み上げた信頼こそ礎」
自衛隊が1日で発足から70 年を迎えた。平和憲法の下の実力粗織として、国の防衛はもとより、災害派遣などの活動を通じ、今日では国民の幅広い支持を得るに至った。
一方、東アジアの安全保障環境の変化を受け、自衛隊のあり方を根本から変えるような政策変更が進む。先の戦争への反省の風化をうかがわせる事象も相次ぐ。池道に積み上げた信頼という礎を損なうことなく、「国民を守る」使命を果たしてもらいたい。
1945年の敗戦で旧帝国陸海軍は解体され、新憲法は9条で、戦争放棄と戦力の不保持をうたった。だが、冷戦の激化や朝鮮戦争の勃発を受け、米国から「再軍備」を求 められた日本は、50年に警察予備隊を創設。保安隊を経て、54年に設けられたのが陸 海空の3自衛隊だ。
憲法の精神にのっとって掲げられた原則が「専守防衛」である。侵略戦争の反省を踏まえ、近隣諸国の脅威にならないという宣言でもあり、その意義は今も変わらない。
しかし、一連の抑制的な防衛政策からの転換が、近年急速に進んでいる。
第2次安倍政権が憲法解釈を変更し、集団的自衛権行使の一部容認を打ち出した閣議決定は、ちょうど10年前の7 月1日だ。一昨年末の岸田政権による安保3文書の改定では、専守防衛を空洞化させる敵基地攻撃能力の保有が認められた。防衛装備移転三原則も見直され、殺傷兵器の輸出に道が開かれた。
長年にわたり定着した理念や原則を、国民的合意のないまま変えるのは、自衛隊の活動に不可欠な国民の理解や支持に悪影響を与えるだけだ。
自衛隊の役割が強化され、活動分野も広がる中で、隊員の意識にも変化が生まれているのだろうか。旧軍との継続性を疑われる振る舞いに頓着しない傾向は気がかりだ。
陸海自衛隊の幹部を含む自衛官らによる靖国神社への集団参拝が、今年に入って相次いで明らかになった。
陸自部隊が、X(旧ツィッター)の公式アカウントでの投稿に、侵略戦争の肯定につながるとの指摘もある「大東亜戦争」の用語を使ったことも議論を呼んだ。
沖縄県に駐留する陸自第15 旅団が、沖縄戦を指揮した牛島満司令官の辞世の句をホームページに掲載していることには、県民を儀牲にした旧軍を美化するものだとして、削除を求める声があがった。
戦争の反省と教訓、それを踏まえて再出発した自衛隊のありようについて、組織内でしっかり継承する取り組みが求められる。
原文は下記。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15972118.html?iref=comtop_Opinion_03
コメント:私はこの社説の主張に、もどかしさを感じる。もっとはっきりと述べる必要がある。日本帝国陸海軍の復活は、これを絶対に許してはならないと書くべきなのである。何が不愉快と言って、過去と軍事力を美化する傾向があることだ。だからこそ靖国も参拝するのだろう(ではなぜ乃木神社には行かないのか)。
戦闘のどこが美しいのか、少なくとも私には理解できないし、理解する気にもなれない。人は殺すな、人は救え。この私の信念のどこが間違っているのか、分かるように教えて頂きたい。そして靖国に参拝する議員(虚無的なX市を含む)にも自衛隊員にも同じ質問をしたい。自衛の戦争だろうが防衛の戦争だろうが、戦争が悪であることに変わりはないという見方がなぜ出来ないのだろう。武士だって滅多に刀は抜かなかった。
彼らの心の中には、戦争をしたい、人を殺したいという密かな欲望でもあるのだろうか。ところが正義などというものは、信奉する人間により180度変わる危ういものなのだ。プーチンのロシアを見よ、イスラエルのネタニヤフを見よ。
彼らは自分のしている事が正義の為、或いは国家の為だと言う。ならば侵攻され、虐殺される側に問うてみるがよい。自分達が間違っていると言うはずがないことくらい分かるだろう。主義の為なら、「なぜ」殺戮が正当化されるのか。意見の相違があるのなら、手を上げる前に、「なぜ」交渉、説得の段階がないのか。
そう考えてみれば、たとえ主義主張(無論宗教も)の為であっても、武力は行使しない、保持しないという日本の平和憲法の精神がいかに崇高なものであり、日本が世界に誇るべきものであるかが理解できるだろう。
日本だけでなく、世界中で右翼とナショナリズムが台頭している。米国は言うまでもなく、ドイツ、フランスも例外ではない。だがトランプを見れば分かるように、国家主義、民族主義、覇権主義の裏返しは、利己主義と無教養であり、だからこそ、その主張を振り回す者達には、特有の下品さと身勝手さが付きまとう。そしてそこには世界をまとめるのに必要な、理解と協調、包容力のかけらも見られない。
多分、世界で進む右傾化の傾向を端的に言えば、人類が退化を始めており、精神的に原始時代に戻ろうとしているからではないのか。私にはこれ以上、人間の退化現象(野生化、野獣化)を見届ける勇気はない。まさに猿(トランプも猿顔)の惑星の時代が来ようとしているかもしれない。
2570.ドローン戦の現実 7.5
今回の前書きは朝日新聞(7.4)のオピニオン&フォーラム、ドローン戦のリアルです。これは良い企画だと思います。というのは、私たちはドローン戦が戦闘の主力を成しているのに、その(非人間的な)本質をよく理解していないからです。
「画面越しの殺害 封じる心」横田 徹 報道カメラマン
25年以上、世界各地の戦場で取材し、ウクライナには5回入りました。
今春、東部の最前線でウクライナ軍のドローン部隊に同行し、ロシア軍の陣地から約5キロまで接近しました。そこからドローンを飛ばし、ロシア軍がいる建物や塹壕を爆撃します。
ドローンを操る兵士は、ITエンジニアや修士号を持つ人もいて優秀です。ナビゲーターはタブレットを持っています。画面の地図に攻撃目標を示す「X」が現れ、ドローンを誘導する線が伸びていく。オペレーターは目標に近づくと搭載カメラを起動し、ターゲットの真上まで誘導します。
モニターを見ながら、コントローラーで操作する。まるでゲームのようです。
爆弾の投下も画面上で行われ、兵士も「当たった」「失敗した」と言うだけ で、感情を表しません。
画面に映された爆発の向こうに、ロシア兵がいる。さっきまでここにあったドローンが彼らの命を奪っていると思うと、何とも言えない気持ちになります。
兵土たちは「攻撃を終えたドローンが戻ってくる時が危ない」と言います。ロシア軍のドローンが追跡してくるためです。
その夜も兵士がドローンに爆弾を再装填している時に、ブーンという独特のモーター音が聞こえ、小型ドローンのライトが見えました。その距離、約30m。走って逃げましたが、その瞬間は「もうダメだ」と思いました。後になって味方のドローンとわかり、命拾いしたのですが。
価格が安く、偵察、爆撃など様々な使い道があるドローンは、現在の戦争に不可欠になっています。爆弾をつけて敵に突撃する「自爆ドローン」は「カミカゼ」と呼ばれていて複雑な気持ちになりました。ドローンに愛着を持つ若い兵士が、「カミカゼは好きじゃない。ドローンを帰ってこさせたい」と話していたのが印象に残っています。
最前線で砲兵として過酷な任務を行う兵士は、ロシア侵攻前はテレビ局で働いていたそうです。これまで約500人のロシア兵を殺したそうで、そのトラウマからアルコール依存症になり、ウイスキーを飲んでは「もう殺したくない」と泣きながら嘆いていました。
戦争は起きてはいけないことだと心底思います。でも、この世から戦争はなくならないどころか、拡大し飛び火していくでしょう。これからも最前線に立ち、そのままを記録し、伝えていきたいと思います。
「人間の尊厳 いかに守るか」畠山澄子 ピースボート共同代表
「マンガ入門 殺人ロボットがやってくる」を出版したのは、2018年。非人道的な兵器として規制を議論すべきだと考え、軍事ドローンや自律型致死兵器システム(LAWS)の問題を取り上げました。
米国は01年の同時多発テロ以降、「テロとの戦い」を理由にアフガニスタンやパキスタンなどでドローン攻撃を仕掛け、誤爆で多くの民間人の犠牲を生んできました。ドローンを使う理由として、自国の兵士を巻き添えにせず、ピンポイントで標的を殺害でき、経費を削減できるなどといった合理性が語られました。
しかし、一般市民を巻き添えにするのは国際人道法違反です。ドローンの誤作動などで重大な問題が起きたときだれが責任を取るのか、という問題意識が当時すでにありました。
出版から6年経ちましたが、戦争や紛争での軍事ドローンの投入が一気に加速している印象を受けています。戦争のあり方とともに、人間と技術の関係性が大きく変わろうとしているのではないでしょうか。
現在、人間の介入なしに、機械の判断で人を殺害できるという段階に入っています。機械は人間の尊厳を無視したような殺害もためらわない。核兵器の問題にも通じますが、人類としてそれを許してよいのかが問われています。
ロシアとの戦争にウクライナがドローンを投入すること自体には、驚きはありません。戦争が長期化する中、戦費を削減し、兵士の命を守っていくためにその傾向は強まるでしょう。ウクライナでは、戦争で官民が一体化していっています。民間で使われているドローンも、武器を搭載すれば、殺傷型ドローンに変わることが見えてきました。
LAWS規制をめぐり国連総会は昨年、「対応が急務」とする決議案を日本や米国などの賛成で採択しました。今年4月には、規制を議論する国際会議がウィーンであり、オーストリアのシャレンベルク外相が、AI(人工知能)を使った兵器について「人が管理することを確実にするため、今こそ国際的なルールと規範に関して合意すべき時 だ」と呼びかけました。
日本政府は、人道的軍縮を大胆にリードし、規制・禁止のあり方の議論を前に進めて欲しい。AIの進展で技術が人間を上回る時代が来ると言われる中、人間の尊厳をいかに守っていくかが、軍事の世界でも問われているからです。
コメント:こういう言い方でいいのかどうか。なぜなら戦争の本質が人殺しである以上、戦闘行為そのものが、最初から非人道的な行為であるからです。ドローンを含む自立型兵器(自動兵器)の戦場への投入という段階での判断を(自国の兵士の消耗を避けるために)、仕方がないで済ませてしまうのは危険です。
人間の判断が入らない(=倫理感がない)、究極の無責任殺傷兵器というものの存在自体が、問題視されなければならないのです。それは人間が銃を持つのとは根本的に違うものです。識別も判断も取引も交渉もない、相手を殺すためだけの、自動殺人兵器だからです。
ところで、対談の畠山ですが、TVにもよく出演しており、差別だと言われることを覚悟の上で申し上げれば、珍しく天が二物を与えた例だと思います。彼女に比べれば、小池、蓮舫、自民党の女性議員は言うまでもなく、ビジュアル優先の脳科学者の中野でさえ、薄っぺらく思えてきます。首相は無理でも、大臣くらいなら十分勤まりそうです。
【注目】
・都知事選、まさかの大逆転の可能性。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0fea298dd86a61187b530ef002da167554aa901b
・嘘つきたぬきー、怒号飛び交う秋葉原。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c0784da8caef941f0191c92a3d9dc10cb085fef4
・小池都政の三井ファースト。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5cb5ff3801a1a6b2426b226ca5b49546bbd25e7d
・都の暗部、天下り。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2d0e6a2224de89f685ec4a5c3c9b814a9e901283
関連記事:小池が側近を天下り。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b6dccb6918a4d5a35c89d323ac01301e7108db53
・東京の各地で樹木伐採が急ピッチ。東京は緑が増えているの嘘。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3f95702db05414e2fa90f61dd386f6325fed2f9e
コメント:緑のたぬきが自然破壊。
・日比谷公園、葛西臨海公園でも。
https://digital.asahi.com/articles/ASS7221WTS72OXIE003M.html?iref=comtop_Politics_02