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2571.報道の自由 7.6
 
今回の前書きは、鹿児島県警の一大スキャンダルです。既に当wtwでも、この問題は、サンデー毎日の青木理のコラムの紹介という方で取り上げていますが、ついにと言うか、やっと大朝日も腰を上げる気になったようです。今回紹介する内容は、6.27にお伝えした内容と大きな違いはありませんが、この問題をトカゲの尻尾で終わらせ、風化させないために、何度でも取り上げるべきだと思います。一方でこの話をよくご存じない方は、今回の説明で、事件の全容を把握して下さい。

朝日新聞(7.5)オピニオン&フォーラム、「報道の自由 守るには」

「強制捜査 知る権利脅かす」小笠原 淳 ライターから
闇をあばいてくださいー。表紙にそう書かれた10枚の文書が私の元に封書で届いたのは、4月3日のことでした。内容は、鹿児島県警の警察署員の盗撮事件やストーカー事案などを告発するものでした。

私は、以前からの寄稿先で、鹿児島県警の不祥事をずっと追及してきた福岡市のウェブメディア「ハンター」に相談すべく、文書をファイル化して送りました。その5日後、鹿児島県警は、別の内部情報漏洩容疑事件の関係先として、ハンターを家宅捜索します。おそらくその際に押収したパソコン内にあったファイルを端緒に5月末、前生活安全部長を国家公務員法違反の疑いで逮捕しました。直後に県警から「証拠品を提出してもらいたい」と問い合わせを受け、私に文書を送った人物が誰だったか、この時初めて知りました。

県警は前生安部長の行為を公益通報ではないと主張しますが、組織内の不祥事の疑いを告発したもので、自浄作用を期待できないからこそ外部に追及を委ねた公益通報だと思います。しかし大手メディアは当初、容疑者側の言い分を伝える努力も見えず、告発された側である県警の一方的な見立てに沿った報道ばかりで、暗然としました。

今回の件で新聞やテレビの記者から取材を受け、何度も「なぜ知り合いでもないあなたに情報提供したのか」と問われました。私にも分かりません。ただ、私は逆に「なぜ皆さんに送られなかったのか、考えてみてください」と言いたい。記者クラブの大手メディア記者と捜査当局との「関係」は、警察幹部であればよく知っていたのでしょう。

いわゆる「サツ回り」から記者のイロハを学び、事件報道の取材源を当局に頼る「アクセスジャーナリズム」のあり方を、根本的に見直す機会にすべきです。

報道機関を捜索し、押収した資料を元に公務員を逮捕した例など、過去にないはず。取材源の秘匿を脅かす強制捜査は、報道の自由への重大な侵害です。今回のような捜査がまかり通ってしまえば、だれも内部告発などできなくなる。そうなれば国民の知る権利そのものが脅かされます。

組織メディアかフリーランスか、新聞か週刊誌かウェブ媒体かという枠を超え、報道人が団結して抗議の声をあげるべき時です。今それをやらねば、今回の件が「アリの一穴」となり、いざという時に読者や視聴者は誰も味方をしてくれなくなるでしょう。


同じく「大手メディアも連帯して」篠田博之 月刊「創」編集長
今回の事件は様々な意味で、大手メディアのあり方に対する大きな問題提起だったと思います。

まず、鹿児島県警の前生活安全部長の惜報提供先が新聞社やテレビ局ではなかったことを、既存メディアは真剣に捉えるべきです。

ジャーナリズムの役割である権力監視において、特に全国紙は従来、一定の機能を果たしてきました。しかし今回、ウェブメディア 「ハンター」がかなり前から鹿児島県警の問題を指摘していたにもかかわらず、どの社も後追い報道に及び腰でした。再審請求で弁護側に利用されないよう捜査書類の廃棄を促していたり、市民の個人情報を悪用して警察官がストーカー行為に及んでいたり…。その後明らかになった県警の 不祥事は本来、地元の権力と距離を保てる全国紙こそが徹底した調査報道で追及すべきものでした。

地方取材網の縮小や取材力の劣化を見抜かれ、公益通報の受け皿として期待されなくなっているとしたら、大きな危機感を持つべきです。

さらに問題なのは、ハンターヘの家宅捜索に対し、報道界全体の反応が冷淡なこと。もし強制捜査の対象が朝日新聞の総局や記者だったら,日本新聞協会もすぐさま声明を出したはずです。小さな独立メディアの受難を、あまりに自分事として捉えられていない。そこには、大手メディアと週刊誌、ネットメディアの間の対立も背景にあるかもしれません。県警もその分断を見越して今回、見せしめ的に捜索したのでしょう。

前生安部長が漏らした内容に個人情報が含まれていたことを殊更に強調する報道もあります。しかしそれは、沖縄密約事件や奈良の医師宅放火殺人事件で、毎日新聞記者だった西山太吉さんやジャーナリスト草薙厚子さん、あるいは逮捕された情報源に対して使われた論点ずらしと同じです。

「取材源の秘匿を最大限尊重する」という民主社会の原則を踏みにじる強制捜査こそを問わねばならないのに、当時も情報提供や取材の手法の問題にすり替えられ、これにメディアが加担したことで、世の空気が変わってしまった。ハンターを報道機関と見なすべきか、という議論自体も論点ずらしへの加担です。広く「知る権利」に奉仕する仲間と連帯し、報道の自由への侵害にすぐに対処しなければ、ジャーナリズムも民主主義も、むしばまれていきます。過ちを繰り返すべきではありません。
(聞き手・石川智也)

コメント:正直言えば、未だ読者の多くがピンときていないのではないか。なぜなら報道の自由が国民生活に直接影響するという感覚が薄いからでしょう。でも例えば戦前の特高が新聞社に乗り込む様子を思い描いて頂きたい。規模は小さいが、それと同じようなことが起きているのです。でも市民にとっては、それよりも鹿児島県警が身内の不祥事(というよりもはや犯罪)を隠蔽しようとした事実と、それを告発した者を強権で逮捕したという事実に衝撃を受けたのではないか。犯罪を犯した者と、それを隠蔽した者こそ逮捕されるべきではないのか。加えて、自分は知らないと、部下に責任を押し付けて開き直る本部長に、責任者の資格が果たしてあるのでしょうか。これに一番近いのは財務省の佐川でしょう。警察権力の暴走と、エリート役人の横車です。私はこの二つの問題の、どちらも重要だと考えています。報道の自由だけが問題ではないのです。



2572.宗教と政治 7.7

今回の前書きの一番目は朝日新聞(7.7)の社説です。私は大いに異論があります。

「景気と金融政策 消費の弱さ警戒怠るな」
個人消費の弱さを示す統計データが相次いでいる。景気全体は回復基調とされるが、 家計が財布のひもを締めざるをえない状況が続いているのは、軽視できない。日本銀行は金融緩和を縮小する局面に入ったが、今後の政策判断にあたっては、消費の動きを十分に吟味すべきだ。

日銀が今月発表した企業短期経済観測調査では、大企業・非製造業の景況感が4年ぶりに悪化した。小売業の落ち込みが大きく、物価高の下で消費者が節約志向を強めているのが響いたようだ。GDP 統計の家計消費支出も、物価の変動を除いた実質で今年1〜3月期まで4四半期続けて滅っている。

だが、日銀は先月の金融政策決定会合でも、個人消費が 「底堅く推移している」との判断を維持した。春闘の結果が賃金に反映されることなどで「実質所得の伸び率の低下がだんだん止まっていって、 消費が強めの動きに転じていく」(植田和男総裁)とみているためだ。

とはいえ、予断は禁物だ。確かに今後、名目賃金は一定の伸びを示すとみられるが、物価も電気・ガス代の上昇や円安による輸入品の値上がりが続く可能性がある。植田総裁も「為替の変動が物価に影響を及ぼしやすくなっている面がある」と認めている。

実質賃金がはっきりと増加に転じ、消費を下支えするようになるには、まだ時間がかかるおそれが否定できない。金融緩和度合いの調整にあたっては、様々な経路での消費への影響を丁寧に分析する必要がある。経済の好循環を実現するには、高収益が続く企業による積極的な賃上げの継続が不可欠であることも、改めて確認すべきだ。

一方、日銀は今月末の会合で、国債買い入れの減額計画を決める。3月に異次元緩和を終了した際に、今後は国債買い入れを「能動的な金融政策の手段としては用いない」と表明しており、先々の予定をあらかじめ示すのは必要な対応だろう。市場参加者の声にも耳を傾け、予期せぬ混乱を招かないように計画を練ってほしい。

ただ、「能動的な手段」にしないとしても、日銀が国債保有を減らせば、長期金利に 相応の影響が出るとみるのが自然だ。日銀が先月公表した論文も、異次元緩和の過程では日々の買い入れよりも保有残高の増加による影響が強かった、と分析している。

600兆円近い国債残高の縮小は日銀にとって末知の作業だ。経済と物価への影響に 目を配りつつ、適切な政策判断を行っていく必要がある。
・下記に全文。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15976805.html?iref=comtop_Opinion_04

コメント:日銀は先月の金融政策決定会合でも、個人消費が 「底堅く推移している」との判断を維持した…とあるが、何が底堅いだ。止むを得ぬ支出に絞っているのが現状で、それでも見かけの消費が減らないのは、物価が異常に高騰しているせいだ。それも勘案できないようでは、日銀(と朝日新聞も)に金融政策を任せておくことに不安を感じざるを得ない。


前書きの二番目はNHK Eテレ 心の時代 徹底討論「宗教と政治」です。気になった部分を、番組を聞きながら書き起こしたものです。

日本大学 国際政治学者 松本佐保
「宗教が国際政治でポジティブな役割を果たしてきたという歴史はあるが、近年は宗教が暴力の口実(正当化)になっている。特に米国の福音派という排他的なグループについて見ているが、宗教が及ぼす負の部分、戦争や紛争についても着目している。米国では歴史の長い欧州と異なり、キリスト教とシオニズムが結びついてキリスト教シオニズムが生まれた。これは凄絶な終末戦争の後でイスラエルを目指すというもので、キリスト教福音派(=プロテスタントの一派)に熱狂的に支持されている。福音派はトランプを支持している。イスラエルに入植しているアメリカ人も15−20%くらいいる。だから米国にとっては外交問題ではなく、国内問題になっており、今年の大統領選挙の要因にもなっていると考えられる」

同志社大の地理学者 内藤正典
「人種で差別をしてはいけない、民族で差別してはいけないということは、一応コンセンサスがあると思う。しかしことが宗教に絡むとそのコンセンサスがないということ。これが世界における宗教の分断を深めている理由の一つではないか」

現代イスラム研究センター代表 宮田 律(おさむ)
「自衛隊のOBが、ガザの紛争を宗教戦争だと言った。イスラムという宗教が正しく理解されていないのではないか。しかし宗教が戦争を起こすわけではなくて、宗教が一つのファクターであるナショナリズムがぶつかりあって今のイスラエルとハマスのような戦争が起きていると、日本人も正しく理解した方が良い。(穏健な労働シオニズムに代わり)過激な修正シオニズムでは、領土の絶対性を説いており、中東地域全域を国家にするという考えだ。ここにパレスチナ人を認めない米国発のカハニズムが入ってきて、イスラエルの極右政権を形成している」

東京大学大学院 宗教学 伊達聖伸(きよのぶ)
「フランスの政治と宗教を学んでいる。フランスは厳格な政教分離になっている。フランスでは2004年に公立校でヴェールが禁止になり、批判が起きたことがある。日本でもフランスと違った政教分離の共生社会が考えられないか」

國際政治学者 小川 忠
「キリスト教、ユダヤ教、イスラム教が一神教で、一神教は非寛容な宗教だ。だから戦争が起きる。仏教やヒンズーや神道は多神教で、寛容な宗教だと言われる。だが、スリランカでは仏教徒(70%)とヒンズー教徒(18%)の間で30年内戦が続いた。しかしそれも宗教戦争ではない。それよりは、ナショナリズムが宗教を悪用していると見る方が正しいのではないか」

コメント:イスラムのテロ化(暴力化)か、テロのイスラム化か。テロの温床は不公正と不平等に対する抗議と、非圧政者への同情だと言われます。いずれにせよ最近の紛争で、重要なことは、それが宗教戦争ではなく、だから実際に教理の争いではなく、領土の争いであることです。しかもそれはナショナリズム同士の争いだと考えると分かりやすい(ガザにせよ、ウクライナにせよ)。そしてナショナリズムといえば、プーチン、ネタニヤフでありトランプです。要は右翼(国粋主義)です。私達日本人は、この紛争を他人事と考えずに、国内に右傾化の兆候がないかどうかに目をこらし、間違っても、日本が自ら手を出すはおろか、戦争の片棒を担ぐようなことにもならないよう、厳重に国内政治を監視する必要があります。問題は宗教ではなく、政治と行政の底に流れるナショナリズム(日本では、自民党、行政機関=各省庁、日本会議、維新、連合、都知事)にあるのです。



2573.三選で散々 7.9

都知事選の結果については、既にご承知の通りです。小池(知事=以下略)の三選については、朝日新聞(7.8)が、社説で的確に批評しているので、まずはそちらをご覧ください。

「小池氏三選 改めるべきを忘れず」

 勝利に安堵する余裕はない。山積する難題に全力を挙げ取り組まねばならない。

 東京都知事選で小池百合子氏が3選を決めた。8年間にわたる小池都政の継続の是非が問われたが、都民は現職に再びかじ取りを託した。

 少子化や医療費の増大、介護人材不足が懸念される高齢化など、一刻の猶予もない課題ばかりだ。過去の政策の成果が不十分な点も省みて、策を練り直すのが急務だ。

 小池氏は公約で無痛分娩の費用助成や保育無償化の対象拡大などを掲げた。だが、お金を配ってどれだけ効果があるのか、疑問の声がある上、他の自治体との格差を広げ、一極集中を加速させかねないといった批判もある。首都以外にも視野を広げ、多角的に検討する必要がある。

 選挙では議論が深まらなかった重要な問題も多い。

 明治神宮外苑の再開発を小池氏は「争点にならない」と明言したが、認可を与えたトップとして無寅任ではないか。樹木伐採や高層ビル計画には強い反対の声がある。地元への説明など意思決定のあり方も問われており、見直しを含め再考してもらいたい。

 「首都防衛」というなら災害時のデマ対策も首長の任務だ。関東大震災後に朝鮮人らが虐殺された史実に背を向けるような姿勢は改め、朝鮮人らを悼む式典への追悼文の送付を再開すべきである。

 残念だったのは、候補者同土がテレビなどで討論する場が十分になかったことだ。他候補からは小池氏が応じなかったと批判された。もしそうなら、なぜ現職として受けて立ち、有権者に判断の材料を示そうとしなかったのか。不都合なテーマでの論争を避けたなら、信任を得たと胸を張ってはいえまい。トップとしての説明責任の重さを改めて自覚しなければならない。

 今選挙は、選挙運営についても課題を残した。過去最多の56人が立候補し、うち24人は同じ政治団体関連の候補者だった。ポスター掲示場の枠が事実上「販売」され、候補者以外の人物や動物の写真が大量に貼られた光景は、民主主義の根幹である選挙の趣旨から大きくはずれ、あるべき姿ではない。

 制限する規定がないとはいえ、投票と無関係のものが混在しては有権者を惑わせかねない。都選管は貼る揚所がない侯補者にはクリアファイルを渡して固定するよう求めたが、あまりに対応が後手で公平性にも問題があった。選挙運動や表現の自由に配慮しつつ、脱法的な行為をどう防ぐか、法規制のあり方を含め与野党で議論を急ぐときだ。 (以下原文)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15976848.html?iref=comtop_Opinion_04


コメント:「気を取り直して」

 2024年7月7日は、私が一生忘れられない日になるでしょう。人間性を信頼できない現職が再選をはたした日だからです。もっとはっきり言えば、愚かな都民が、愚かな代表を再選出した日です。

 愚かだと私が思うのは、小池が過去何をしてきたか、或いはしてこなかったかを全部なかったことにして、TV討論にも応じなかったからです。あるがままの自分ではなく、自らの人物像を好きなように脚色してみせたからです(挙句にAI迄動員した)。TVの画面に断片的に映るのは、実像とはかけ離れた、優しく温厚そうな「誤った」イメージだけ。ところが実績どころか、公約さえ明確ではない。そんな獏とした印象だけで投票するのであれば、(実在しない)アニメのキャラに投票するのと変わりません。「優しそうな」イメージの小池(実際は優しくない)と、「きつそうな」イメージの蓮舫が比較され、女性票の多くが小池に流れたと、羽鳥のモーニングショウで、おなじみ玉川(たまかわ)も指摘していました。全く同感です。

 上記の朝日の社説に、こちらが付け加えることは殆どありませんが、まず小池が演説のたびに繰り返したのは、8年間の実績を見てくれという言葉が気になります。彼女が言いたかったのは、選挙直前の子育て支援のことだけと想像されますが、せっかくそう言うのであれば、実際に何があったのかを、ここで振り返ってみるのも、あながち無駄ではないでしょう。

 最初に、石原慎太郎(小池をしのぐ問題児)が始めた豊洲への移転ですが、小池も一時は踏み止まったかに見えたのですが、結局は、有害物質の検出があった(無論築地の組合も大反対)にも関わらず、実行しました。しかも築地の跡地には未だにこれという有効な使い途がなく、結局デベロッパーに丸投げしたままです。

 小池任期中でも最大の問題は新型コロナでしょう。感染症の対応で、初動の遅れが目立ち、広報活動でも大阪の後追いに終始しました。感染した著名人への礼を欠いた、冷淡な対応も気になりました。ほぼ最終段階になって、都の特色を出そうと、唐突に言い出した日本版CDCは、効果もその後の現状も不明です。野戦病院も結局間に合いませんでした。このとき、この問題に深くコミットしていた、大阪の吉村との余りの意気込みの違いに、できれば吉村と交代して欲しいと思った都民は、私だけではなかったと思います。

 なによりも、こうした広域の感染症対策なら、通勤圏を含めた首都圏全体で連携し、対応しなければならないのに、小池の念頭には連携や協力の案が無く、首都圏のとりまとめどころか、すべてを国に丸投げしただけです。結局、近県、埼玉、千葉、神奈川の各知事の孤軍奮闘ぶりだけが目立ちました。休業補償にしても一番喜んだのは新宿のホストでした。つまるところ、コロナ対応で小池がよくやったと思う都民は殆どいないと思います。

 コロナの最中の東京五輪(これも慎太郎と、安倍の置き土産)の強行も忘れることはできません。2年延期になったとはいえ、未だウイルスが猛威を奮い、都民は外出自粛の時期に、無観客で強行。来訪した選手の感染対策さえありませんでした。選手村から出るなと言っただけです。

 なにより、東京五輪の印象が地に落ちたのは、関連企業とJOCの腐敗した体質、IOCを含む利権と汚職が暴露され、史上最もダーティーなスポ―ツイベントの汚名を残すことになったからです。そういう恥ずべきイベントで、小池が果たした役割は、何だったのか。森喜朗のようなリベートの関係があったかどうかは不明ですが、結局、東京五輪で、彼女にとって、振袖で開会式の宣言をすることにしか、関心はなかったのではないでしょうか。

 こう見てくると、小池が誇らしげに言う「実績」なるものは、実は殆ど存在していないことが分かります。他人が決めたイベントの上に乗っかって、要所要所で、自分の存在を誇示しただけではないのか。御自慢の子育て支援でさえ、国の施策を、しかもこともあろうに国の発表の前日に発表するという、先取り戦術でした。公平、公正、民意より、とにかく自分が目立つことが最優先(自分ファースト)なのです。だから小池劇場などと言われるのです。まさに悪しきポピュリズム(人気取り)の政治家なのです。しかも大本は全部、他人が考えたアイディアです。他人を利用しても、お返しはない、という冷酷な政治姿勢も見受けられます。

 小池都政で最も迷惑しているのは、他ならぬ都の職員でしょう。お気に入りはどんなに無能でも、取り立て、或いは大手企業に天下りさせる。少し意見でも言えば、直ちに左遷される。最もレベルの低い人事管理方法です。しかもそれで都政が良くなる道理がありません。なぜならイエスマンしか近くに置かない。報復をおそれて、皆口をつぐむ。だから画期的な案など出ようもないのです。小池の恣意により、行政の質は下がる一方です。その一例が千代田区の街路樹伐採計画です。

 しかも、都民に代わって都政を監視すべきメディアが全部牙を抜かれています。それは少しでも批判すれば出禁にされるからです。だからメディアもイエスマンばかり。公正な報道は、小池に限ってあり得ないのです。

 多少他の自治体にさきがけたのは、都庁のプロジェクションマッピングです。ところが最初数億円という予算がいつの間にか膨らんで、数十億になった。それくらいなら小池主演の宣伝映画でも作った方が、出演費だけでも節約できそうだ。

 あの年齢では、もう元女子アナのぶりっ子で勝負するのは無理があるし、かといって、優しい中年女性かと言われると、そうとも言えない。政治家である以上、ルックスより、年齢相応の、そして一般市民以上の、先見性、分別、知性、包容力こそが必要とされる。私は評価していないが、例えば上川と比べてみると、どちらが代表として相応しいかは、誰にでも想像がつくでしょう。

 話を都知事選に戻すと、良かったことは選挙演説で野次が飛ばせるようになったことです(安部は野次を言った市民を逮捕!させた)。入場者は身体検査をされましたが、頭の中までチェックはできない。そこで湧き起こったのが、「小池辞めろ」、「嘘つき」の大合唱です。これで、小池も、もう今までのような身勝手が通用しないことが分かったかもしれません。今回の選挙運動委を通じて、自分がいつもちやほやされるわけではなく、自分に批判的な都民も大勢いることを実感すれば、今後の小池の暴走にも、少しはブレーキが効くようになるのかもしれません。そうなれば、今回の我々の投票の努力も、完全に無駄では無かったということになります。

 但し外苑再開発にストップがかけられるかどうかまでは、分かりません。しかも樹木の伐採は、千代田区でも起きている。知事が知らぬ存ぜぬでは通りません。しかも最近では三井不動産との闇の関係が指摘されています。今選挙でも、トレード・マークの緑色のスーツを着用していましたが、環境や緑化に無関心な人が、そんな色の服を着るのは相応しいとは思えません。

 私は素性のよく分からない石丸への投票をためらいました。かといって蓮舫が適任だとも思いません。泉代表と折り合いが悪く、党を飛びだす口実に知事選を利用した可能性があります。しかも蓮舫には今回負けても、次期衆院選の前宣伝にはなるという下心を感じます。二股かけたとなれば、動機が不純です。これでは真剣に小池の交代を望む都民はやりきれない。蓮舫に投票した都民こそいい迷惑です。それでも、小池都政への批判票の方が、支持票を上回ったという事実だけは残るでしょう。

 幸い八王子市では都議の補選で自民党が負けました。萩生田は、八王子市長選で小池を担ぎ出し、それが奏功して、僅かの差で自民党推薦の候補が勝ちました。その時負けた候補者が今回の補選の候補で雪辱を果たしました。全国で反自民のうねりが勢いを増しており、マグマが噴火の直前まで来ていると思います。そういう意味で、今回の知事選の得票結果、都議補選の当選状況は、リベラルな国民にとって、将来の政権交代につながる、一筋の希望の光にはなったと思います。

 しかし、事実上自民と公明の支援(自民と公明の支持者=与党票)があって、当選できたのに、支援はない振りの緑のたぬき。お得意の嘘がここにも見えます。しかもその結果、都政に自民党が影響力をもつことになる。中野区の補選では、小池の秘書の荒木(都ファ)も当選。二重、三重に迷惑です。

関連記事:蓮舫がまさかの3位。
https://news.yahoo.co.jp/articles/df00b2c5758f0f1f5600785c1990310d1f9c4308

関連記事:小池の勝因。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/1d9a2ed429198009bfeba293707a4aac92c6ceb3
コメント:これでまた、先進国とも思えない、民主主義とは無縁の、独裁政治の4年間が始まるのでしょうか。

関連記事:旋風を巻き起こした石丸。
https://news.yahoo.co.jp/articles/94f8cd4e7c938c9ad7fe0a44046b068a675574b9

関連記事:BBCがスキャンダル指摘。
https://mainichi.jp/articles/20240708/k00/00m/010/030000c

関連記事:都知事選のデータ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/338696
コメント:これは参考になります。どこでも順位に大きな変化はないが、小金井市、清瀬市と多摩市では蓮舫が二位。千代田、中央、品川、文京、世田谷等リベラルな区は小池と石丸の差が少ない。なお4年前の選挙では、小池の得票は366万、今回は291万だから支持者は減っています。

関連記事:既成政党への不信。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA070CA0X00C24A7000000/

関連記事:N党の得票数。供託金の行方。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/338677
コメント:24人合わせても有効投票数の1/10に達せず、7200万円は没収。名前の書き間違いを狙うなど、何処までも卑劣な、民主主義の寄生虫、立花。



2574.人質司法 7.10

今回の前書きは朝日新聞(7.9)オピニオン&フォーラム、人質司法の問題点です。

「裁判所も検察も共犯関係」菅野志桜里 弁護士
私が検察官時代、否認の調書を持参したら、上司に「インタビューじゃないんだぞ」と投げつけられたことがあります。否認している人間はうそつきで、正直にしゃべらせることが真実を発見する検察官の役割で、それは被疑者の人格形成や更生に必要だと考えているのです。何が何でも自白調書を取ることが求められるわけです。

否認しているので証拠隠滅などのおそれがあり、身柄拘束は当たり前、というテンプレ(ひな型)感が人質司法を支えているといっていいでしょう。

NHKの朝ドラ「虎に翼」で主人公の父親が冤罪事件に巻き込まれ、「認めないと釈放しない」と自白を強要される場面がありましたが、時が止まっている感がありますね。認めないとみんなに迷惑をかけるぞと自白を迫るところも同じですし、被疑者が取り調べで話をした通りに調書に書いてもらえないというところも一緒。時代は変化しているのに、です。

裁判所も検察も共犯関係にあります。否認事件では原則保釈を認めないという運用を続け、前例を変えることに裁判官は臆病です。全国の裁判官が、不公正な基準・非人間的な判断を公平に繰り返した結果の集積がまさに人質司法です。

大川原化工機の冤罪事件を例に挙げましょう。これは、公安警察と検察、経済産業省によって意図的につくられた「官製冤罪」だと、私は考えています。国家権力を国民のために使わず、自らの点数稼ぎと組織の保身に使った「プロ」たちのゆがんだ判断の連鎖が、無辜の国民に対する冤罪をこしらえたのです。

しかも、被疑者の一人は 身柄拘束中にがんが見つかり、裁判所に保釈申請を繰り返したものの認められず、病院に入院できたときは手遅れで命を落としました。関係者は恥じるべきで、私たちはこの事案を深刻にとらえるべきです。

密室の取り調べで、関係者の供述をでっち上げた公安警察。警察に迎合した経産省。警察が持ってきた事件を法的に批判的吟味する役割を放棄した検察官。保釈を認めず、病気の被疑者の一人を死に至らしめた裁判所。事件を検証すべきは、国民の代表からなる国会です。なぜ冤罪が生まれたのか。人質司法の闇を明らかにし、取り調べへの全過程の録音・録画や、取り調ベヘの弁護人の立ち会い権を認める方向へ議論を進める時です。

(聞き手 編集委員・豊秀一)

コメント:山尾志桜里は、不倫問題さえなければ立民の代表になっていたでしょう。何しろ当時自民がなりふり構わずに足を引っ張った相手であり、それだけ脅威を感じていたからです。あくまで個人的な評価ですが、女性の有識者なら、菅野か、浜田敬子でしょう。教養と雰囲気が一番大事な要素です。
ところで肝心のテーマですが、今回は少し斜に構えた見方をします。
そもそも警察に逮捕され、検察に起訴された段階では、容疑者の有罪が大前提です。途中で起訴が間違っていたとなれば、誤認逮捕ですから、警察も検察も面目丸つぶれで、立場はありません。だからそんなことをおいそれと認めることはできない。警察と検察は100%有罪の確信を持って逮捕、起訴に至ったのだから、有罪を立証するために全力を尽くすのは、或る意味当然なのです。
実際に、その結果ほぼ100%の有罪率が達成されていますが、とはいえ、神ならぬ身で完全な判断などはあり得ない。だから実際、冤罪が次々に発覚しているのでしょう。その結果,警察、検察はもっとしっかりやれというのは簡単ですが、それでは冤罪問題の根本的な解決にはなりません。
私は犯罪捜査、犯人逮捕起訴という立場を一度離れて、真実の追求こそが第一義であり、真実と正義のためなら、捜査起訴段階で間違いがあれば、潔く訂正できる文化が必要だと考えます。
人間である以上、間違いもある。それが一定の割合以内なら仕方がないという割り切りが必要だと思います。その代わりに正義と人権だけは絶対に守るという強い信念を持ち続けることで、日本の司法も大人になれる(成長する)と思います。なぜなら人権は検察の面子などより遥かに重要だからです。
ということは、仮に捏造した証拠で無罪の者が有罪になれば、証拠や書類を改ざんした者には、訴追している犯罪者と同等以上の厳罰を科するくらいの、厳しい規則を適用することが望ましいのです。そうした仕組みがなく、警察と検察はやりたい放題で、お咎めなしになっているから、警察・検察の脱法行為がまかり通るのです。しかも身内でかばい合うという闇の構図ができている。似たようなケースで、最近では鹿児島県警の、身内の軽犯罪を見逃し、それを告発した元警察官を、逆に逮捕するという本末転倒な事例がありました。
公権力の悪用だから、この例でも、本当は謝罪だけでなく、厳罰が適用されるべきなのです。権力を持つ役人が、それを自分や身内の為に悪用する。そうなれば立派な業務上背任であり、社会正義も、公務員の品格も、プライドもあったものではないのです。
冤罪が大きく取り上げられた、この機会に、警察、検察、裁判所の機能を徹底的に整理し、お互いが緊張関係を持つことで、正義と真実を3者の立場から追求できるような仕組みを考えるべき時期に来ていると思います。


【注目】

・世界各国が呆れた都知事選。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/338788
コメント:ブ立花のおかげで、日本の選挙が世界中の笑い物に。国民の一人として損害賠償を請求したい。

・蓮舫惨敗、立民幹部の責任論へ。
https://mainichi.jp/articles/20240708/k00/00m/010/213000c

・石丸の行動予測不能。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6506925
コメント:申し訳ないが、私は石丸に投票しなくて良かったと思っています。どういう人物か分からない者に投票はできませんから。橋下徹やガーシーと似ていると言う者もいるのだから尚更です。一方で、どういう人間か分かっているからこそ、小池には投票しませんでした。なので、問題があっても、結果的には蓮舫が唯一の選択肢でした。しかし名前のせいで投票所では職員と喧嘩になりました。蓮舫の舫の字を間違えたからです。次回はひらがなで立候補を。でも投票はしないと思います。今の印象では、衆院選も危ないと思います。

・石丸の印象。かつての橋下徹、子供と話しているよう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a26b0c14b63f310d70de798f049a02e64ba5cf56
コメント:同類は他にもいる。ひろゆき、成田、古市憲寿etc.私が一番苦手な人種(独断と偏見と自己中)。

・小池が石丸対応でシナリオ変更。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240707/k10014499051000.html
コメント:そこでアキバに行って、野次を浴びることに。

・石丸と蓮舫の比較。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240708/k10014504971000.html

・ドクター中松、不屈の心。
https://mainichi.jp/articles/20240709/dde/012/040/004000c
コメント:見習うべし。



2575.次のステップ 7.11

・自民党、小池との連携に期待。
https://www.yomiuri.co.jp/election/tochijisen/20240709-OYT1T50185/
コメント:さてここでクイズです。今後、どういうストーリーが展開するでしょうか。その答えは、岸田が小池を次期総裁含みで自民党に誘致する、そして小池は都政を途中で放り出して、来るべき衆院選で国政に復帰するというものです。小池の年齢から考えて、これが首相を目指せる最高で、しかも最後のチャンスだからです。そういう機会を、指をくわえて見逃す小池ではないはずです。知事選への執着を見れば、彼女の貪欲な権力欲には際限がなく、またそのためには手段を選ばないことが良く分かります。
なりふりかまわず区長、市長の支持を訴え、応援演説に駆り出した。でもこれでは新人には不利ですし、選挙の公平性を欠くので、明らかな選挙違反です。一部の首長が依頼を受けたと証言しているのに、小池は依頼していないと言い張っています。しかもその嘘を、またもや誰も指摘しようとしない。そのあたりにもメディアや警視庁との怪しい関係が想像できます。
無論経歴詐称もそのままです。TBSの報道では、卒業しておらず、途中で帰国したという証言を、エジプト滞在中に経済的援助をしていた父親の友人が、はっきりと証言しています。しかもエジプトで最も親しかった政府高官が、その質問には答えたくないとも言っています。親しかった彼の場合、卒業していればしていると明言する立場なのです。だから詐称は99%間違いないでしょう。でもこの問題は掘り下げるだけ時間の無駄で、要は彼女が必要とあらば、嘘をつくことをいとわない人格だという結論に落ち着けば済むのです。
ということは今回の選挙でも、彼女の公約が宛にはならないことを意味しています。実際、前回の公約でも、達成されたものはごく僅かでした。
一方岸田は岸田で、茂木や高市など、閣僚のくせに公然と反旗を翻した者達には絶対に政権を渡したくはないはずです。だとすれば小池人気を、自民の復活に利用するのが最善の策でしょう。しかも小池は仮面無党派(内容は自民)だから、野党を含めた広い支持も期待できる。そうやって、自民党を窮地から救い(?)、小池に貸を作ることでウィン・ウィンの関係が成立する。そして、見事に、日本初の女性首相の誕生と相成るわけです。八方めでたし、めでたし。リベラルな国民でなければですが。



2576.中選挙区連記制 7.12

今回の前書きは朝日新聞(7.11)オピニオン&フォーラム、田中秀征へのインタビューです。田中はサンデー・モーニングにもよく出演していました。

「政治の劣化招いたのは」
小選挙区制が元凶
一党支配と世襲化
声あげぬ自民議員
自民党派閥の裏金事件が起きても、政治家たちの動きは鈍い。1993年に非自民連立の細川護熙内閣で首相特別補佐を務めた元新党さきがけ代表代行の田中秀征さんは、小選挙区制の下での政治の劣化をどう見るのか。「中選挙区連記制」の導入を提唱する田中さんに聞いた。

(中略)
「有権者は、政治家がいう『政治にはカネがかかる』という言い訳を安易に受け入れてはいけません。なぜ政治家がカネを集めるかといえば、カネのかかる政治をしているからです。たとえば結婚式や葬儀への慶弔電報や、高価な飲食への政治資金の使用を禁じれば、相当のカネを滅らすことができます」

―岸田首相は続投に意欲を示しています。

「岸田氏が取るべき道は二つしかありません。裏金問題の責任をとって退陣するか、政治の劣化を招いた制度の抜本改革を主導するか。私は、衆院の小選挙区制をやめる選挙制度改革に着手すべきだと思います。国民の政治不信が極度に高まっている今を逃せば、この先何年も抜本改革はできなくなる。裏金問題にみられる政治の劣化の主因は小選挙区制にあり、その改革のためにこそ首相は身を捨てるべきです」

―小選挙区制に替わって、どんな制度を考えていますか。

「私は『中選挙区連記制』がいいと思います。定数は3〜5 で、有権者は2人の候補に投票できる。ひとつの政党から複数の候補を同じ選挙区にたて、有権者は従来のように1人の侯補を書くのでなく、2人の名前を書くことができます」

「小選挙区が導入される前の中選挙区は、1人の名前を書く単記制で、同じ政党内での複数の候補によるサービス競争が問題となりました。連記制はこうした問題が起きにくく、同じ党の候補は互いに協力する可能性が高くなる。有権者は、与野党に1票ずつ投じる投票もできます。野党も2人の候補を出せば、小選挙区制より二大政党が 実現しやすいでしょう。それに無所属の優れた候補が勝つ余地も広がるし、小選挙区制で問題になる『1票の格差』の解消にも役立ちます」

(中略)
「また、地方分権を徹底しないまま小選挙区制を導入すると、政治家は予算と利権の運び犀になりかねないのです」

―小選挙区制の弊害はどんな点に出ていますか。

「二大政党どころか、自民一党支配が強固になり、政治が停滞して、ひと昔前と比べると与野党とも政治家が怠惰になっているように見えます。政党は思想性もないまま、ただ選挙に勝ち残るための組織になっている。政治の劣化は明らかです」

「最近は、政治家が政策調整を官僚に丸投げする傾向があります。中選挙区の時代は、農業団体に強い議員と商工団体に強い議員が自民党内で激しく対立し、調整するのが常でした。それが小選挙区になると1人しか当選しないので、議員は農業団体、商工団体、どちらにもいい顔をしようとします。これではかつてのように官僚が恐れる、政策通で調整力のある政治家など生まれません」

(中略)
「小選挙区制では、自民党を支持する農業や商工、建設団体、医師会などが、こぞって1 人の自民党候補を推すのです。これに世襲した後援会の票と、連立を組む公明党の票が加われば、野党が対抗するのは難しい。小選挙区制が生み出すこの状況に安住していることが、政治の劣化を招いています」

(中略)
―日本の現状をどう見ていますか。

「少子高齢化が進み、急速に世の中が変化しています。官僚まかせの政治をしている揚合ではないでしょう。2000年代以降、日本は『筋書きのない針路』をたどっています。小選挙区制導入の政治改革と、省庁再編の行政改革という『平成の二大改革』が失敗したためです」

「政治改革の後、1997年に消費税を3%から5%に上げるかわりに行政改革が始まりましたが、誰も頼んでいない省庁・再編に話がすり替わり、経済企画庁もなくなって、財政を縛る経済計画まで吹き飛んでしまった。官僚が書く『骨太の方針』を内閣が丸のみして、財政経済の指針としているのが現状です」

(中略)
「日本は今、大きな変革期にあります。そこで必要なのは、構想力と志をもった優秀な人材です。戦前にジャーナリストとして『小日本主義』を唱え、戦後は首相になった石橋湛山は、代議政治の要諦について『よい指導者を得ること』と言っています。ところが今は、小選挙区制にあぐらをかき、責任意識を欠いた議員が増えている。これを変えることから始めなければなりません。小選挙区制の廃止はその突破口になるはずです」

「中選挙区連記制は、もちろん世襲議員を排除するものではありません。新しい有為の人材に、政治家への門戸を開こうとする制度です。小選挙区制を廃止し、中選挙区連記制を導入して、時代を変える気概をもった政治家を生み出さなければ、早晩、日本は立ちゆかなくなると思います。世論調査の政党支持率などから、次の総選挙で自民党の大敗が予想されています。今こそ大きな失敗をした自民党の若手が日本の将来のために立ち上がり、選挙制度の大改革に取り組む契機ではないでしょうか。一刻の猶予もありません」

(取材を終えて)
(中略)
「上の間違いを指摘できる人物を人材という」と田中さんは明快だ。しかし、小選挙区制の下で、そんな「人材」は政界から姿を消しつつある、と。

だとすれば、そもそも政治家を生み出す選挙制度から変えたらどうか。田中さんの大胆な提案に耳を傾け、前に進むべき時が来ているように思う。
(聞き手・小村田義之)

コメント:さはさりながら、もう一つ、または二つ、追加で考慮すべき要素がある。まずは衆院議員の定数だ。米国の半分の人口で、定数がほぼ同じでは、明らかに多過ぎる。国民の目が届き難い。だから不祥事(特に若手)も絶えない。
もう一つは二院制自体の問題だ。日本では二院制が正常に機能しているとは言い難い。衆院可決で、参院に回され、参院で否決されても、結局衆院の再可決で成立してしまう。衆院の再議決で、結果が覆るということもない。
与党が法案を衆院に提出した段階で、事実上の可決と同じだ。言い換えれば有名無実の議会民主主義制度にこそ、大きな問題があると思わざるを得ない。
だから与党で過半数をしめた政党は、やりたい放題が延々と続く。その挙句裏金在り、政策活動費の非公開在り、莫大な防衛予算在りの、現在の自民党のていたらく。しかし単純過半数の議員で、政策を感情的に決めて居たら、危なくて仕方がない。だから冷静に判断する為の参院が作られたのではないか。ところが国会議員自身が、衆院と参院を区別せずに、平然と乗り換える(蓮舫のように)。議員の政治に関する意識の低下は目に余るものがある。
ここでもう一度米国を振り返ってみる。衆院にあたる下院、そして参院の上院。上院は人数は少ないが、権威もあるし、プライドも高い。エリート中のエリートだ。ところが、日本では、下手をすれば、衆院議員の下に見られかねない。
だから日本の場合は、二院制の見直しから取り掛かる必要があるのかもしれない。そして参院議員も、都道府県で各一名にしてはどうだろうか。また衆院議員は全体が200名くらいになるように、住民の人数比例で調整する。そうすれば、全体の議員数も250名で済む。歳費も政活費も大幅に節約できるだろう。しかも小さな政府は財界の望むところでもある。



2577.ダブルヘイター 7.12

ダブルヘイターという言葉がある。米大統領選で使われている言葉で、トランプは嫌いだが、バイデンも嫌だという有権者のことだ。それが29%にも達している。日本の場合、同じことが都知事選で起きたのではないか。即ち、小池も嫌だが、蓮舫も嫌だという人達が少なからずいたことである。更に私の場合は石丸の知識も無かったので、トリプルへイターだった。それでも小池の票を一票でも相殺するために、可能性のありそうな蓮舫に入れた。この現象は、国民に受け入れられる候補者を立てようとしなかった野党にも大きな責任がある。蓮舫は頼まれもしないのに、自分を過信して、手を挙げただけだ。その点、小池の方が、特に組織票への対応では用心深かった。自民党(特に萩生田の都連)との密接な関係を公にすれば、自民党以外の票を失うからだ。結局は、自民党支持者、公明党支持者の票のお陰で、当選を確実にした。
しかし、これを(都民からの)自分への信任投票だと、自ら思い込むようだと危険だ。相対的に選挙で勝ったとはいえ、小池の続投を望む声より、交代を望む声の方が遥かに多いからである。間違った自信で、小池が更なる暴走を繰り返すような事にでもなれば、都政は目も当てられないことになる。せめてメディアが厳しく監視しなければならないのに、それも出来ていないところに、都民のダブル不幸がある。世論をミスリードして責任を取ろうとしないメディアには、自分の本来の使命を投げ捨てて、小池にすり寄る理由を、都民に納得できるように説明する義務がある。
なぜ私が事ある毎に、メディアの責任を追求するのかといえば、小池の例でも分かるように、現職に不利な情報が意図的に遮断され、有権者の正しい判断が阻害されているように感じるからである。最低でも賛否双方の意見を紹介するべきなのに、田崎史郎などはあからさまに小池を支持していた。ネガティブな情報を報道していたのは週刊誌だけである。
関連記事:ダブルヘイター
https://mainichi.jp/articles/20240502/ddm/004/070/010000c
関連記事:出口調査。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024070700339&g=pol


【注目】

・都知事選、目に余る異常な状況。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6507152
コメント:立花にお灸をすえないと都民がおさまるまい。一番、目に余るのは、小池自身です。中でも首長への働きかけは、明らかな職権乱用で選挙違反です。

・都知事選、性善説あざ笑う。内田樹。
https://news.yahoo.co.jp/articles/bdcf3c1c24efde3a1e208e93ddc379b9344d9e40
コメント:私はこの現象を倫理観の風化現象ととらえています。

・小池都政を終わらせて欲しかった。神戸市長。
https://mainichi.jp/articles/20240711/k00/00m/010/169000c
コメント:私も諦めません。彼女が都庁を去るまでは。辞めて欲しいと思う都民の方が多いという事実に、彼女もいずれ正面から向き合わなければならない。選挙妨害を何とかしろと、岸田に泣きついている(甘えるな)ようでは話になりません。選挙が荒れた最大の原因は、続とを望まない都民が、望む都民より多かったことなのです。

・兵庫県職員の遺書のメッセージ。百条委員会をやり通して。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fc5c033927b4c3f7474b11943d0a7d1305739c53
コメント:関心のある方はウィキペディアで知事の経歴を見てください。随所に見られる強権的な手法がいささか気になります。知事選で彼を推薦したのは維新(松井)と自民(丸川)です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%85%83%E5%BD%A6

・石丸の論破芸に惹かれる若者に。
https://toyokeizai.net/articles/-/775099
コメント:恥をかかせればいいというものではない。それではガキンチョ(ひろゆき、橋下、成田、古市他)と同じ。

・旧統一教会。教団に返金求めない念書は無効。最高裁。
https://mainichi.jp/articles/20240710/k00/00m/040/357000c
コメント:未だ司法には正義が生きていた。地裁と高裁はよくもそんな判断を。政府が圧力でも掛けたのか。

・根本解決、程遠い。宗教二世団体。
https://mainichi.jp/articles/20240708/k00/00m/040/037000c



578.兵庫県知事 7.13

今回の前書きは朝日新聞(7.11)の社説からです。
「兵庫県知事告発、解明は議会の責任」
(前略)県は3月末、男性が文書を出したことを認めたとして、処分の検討に入った。斎藤知事は会見で「業務時間中に、うそ八百含めて、文書を作って流す行為は公務員として失格」と厳しく非難し、懲戒処分を行う方針を表明。4月の会見では「当該文書は、県の公益内部通報制度では受理していないので、公益通報には該当しない」と述べた。
 男性はその後、県への公益通報手続きを行ったが、県の人事課は調査を続行。「文書の核心部分が事実ではない」として、5月に他の理由も併せて男性を停職3カ月の処分にした。
 公益通報者保護法は、公益通報を「不正の目的でなく、組織内の通報窓口や権限のある行政機関、報道機関などに通報すること」と定め、通報を理由とする降格など不利益な取り扱いを禁じている。
 男性の行為は当初から公益通報に該当したのではないか。男性が県に手続きをした後も人事課が処分を検討・実施したことに問題はないのか。疑問は尽きない。
 総務省の官僚として大阪府に出向中だった斎藤氏は3年前、兵庫県知事選に立候補。自民の支援が斎藤氏と前副知事とで割れる一方、維新が斎藤氏を推薦し、当選した。
 そうした経緯から「事態は政局になった」と評する声も聞かれる。しかし、県議会として公正に調査を尽くすべきなのは言うまでもない。
 知事とともに県民に直接選ばれた代表として、役割を果たせるかが問われている。
全文は下記
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15981314.html?iref=comtop_Opinion_03
関連記事:兵庫県の副知事が辞表。
https://digital.asahi.com/articles/ASS7C7VJ4S7CPTIL001M.html?iref=comtop_7_04
関連記事:辞職の意向、がトレンド一位。
https://news.yahoo.co.jp/articles/465212eb5136fd10ded604d784b5dcf32a90c330
コメント:知事の代わりに副知事が辞職の意向。責任感のない責任者では、矛盾している。こういう輩では、部下の責任を取って辞めるなどということは想像もつかないだろう。罵倒と指導の区別もできない。管理職の資格はない。


もう一件も朝日新聞の社説からです。
「学術会議改革 足を止め 真摯な対話を」
(前略)
 学術の知見を踏まえ大所高所から、時には政府の意に沿わぬ意見も出せることに大きな存在意義がある。それを担保する独立性、自律性を損ね政府への勧告機能を弱めては国の損失となる。このまま進めても国民の福祉向上や国の発展につながらない。
 溝を埋めぬまま法案化を進めれば、再び対立が限界まで高まりかねない。まず、内閣府は学術会議の意見に真剣に耳を傾けるべきだ。
全文は下記。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15981315.html?iref=comtop_Opinion_04



2579.サンフランシスコ体制 7.14

雑誌世界8月号
「永遠の属国体制か?」
サンフランシスコ条約から72年後の世界
ガバン・マコーマック オーストラリア国立大学名誉教授

1.東アジアを縛るサンフランシスコ体制

実に厄介な問題だらけの時代になってしまった。核の脅威と気候変勁という、当時は知らず、考えもしなかったことが、今や地球上の全生物を絶滅の危機に晒している。この事態を抜きに、現代世界の問題を考えることはできない。(中略)
生態や環境危機は深まるばかりだ。大気中の二酸化炭素濃度は2022年には421ppmという過去300万年中の最高値を示し、世界各地で異常な気温上昇をもたらし、高山や極地帯では氷河が後退あるいは消失し、海水温も海面も上昇している。海は地球温暖化の影響を和らげてくれる生物の守り神だったが、海水は酸性化し、プラスチックごみやその他もろもろの汚染によって悲鳴を上げている。 森林は猛烈な山火事で消失し、砂漠は広がり、台風やハリケーンなどの嵐は前例を見ない強風や豪雨で自然を破壊し、生物種を滅亡に追いやる。

地球の危機はパレスチナとウクライナでの地政学的緊張によってさらに悪化している。戦闘は廃墟と荒廃の惨状を作り出し、南及び東シナ海などの遠い地域まで戦争準備に拍車をかける。

こうした数々の危機に直面しながらも、21世紀初頭の東アジアにおける国家間の枠組みは、第二次世界大戦後のサンフランシスコ講和条約締結(1951年)の時とさほど変わっていない。当時アメリカは、万人が認める世界のリーダーであり、世界のGDPの約半分を占めていた。中国は分裂し弱体で世界は相手にせず、朝鮮は分断され戦争状態、ロシア(ソ連)は世界から排除されていた。日本は、アメリカの覇権と米軍の占領体制を疑問なく受け入れ、アメリカは日本を東アジアと世界の安全保障の要と考えた。
この包括的枠組みは「サンフランシスコ体制」として知られるようになった。

だが72年後の現在、圧倒的だったアメリカの覇権の基盤は大きく揺らいでいる。アメリカ経済は、現在では世界のGDPのおよそ16%、2050年までに約12%まで低下すると予想されている。あの当時内戦の最中で、経済規模は取るに足りないものであった中国が、1995年からの20年間で15倍という驚異的成長を達成し、世界 GDPの18%を占めるに至った。

2023年には16.9%に下がったが、この成長低下を中国経済凋落の前兆と見る人々も少なくない。中国の人口は21世紀末までにほぼ半減し、7億7900万人になると予測されている。一人っ子政策の結果、労働人口の減少と高齢者層の増加は同時進行する。また社会の格差を示すジニ係数は0.46と現在でも非常に高く、国家財政の赤字と個人の負担もさらに増加すると見られる。しかし、OECDは2030年代までに中国のシェアは世界の GDPの約27%へと上昇し、その後2060年頃には20%程度に徐々に低下すると予想する。

日本はサンフランシスコ体制下では、アメリカの完全支配下におかれ、常時臨戦体制の沖縄と米軍占領下の本土は名目上の平和国として分けられた。1950年当時、世界 GDPのわずか3%であった日本経済は、1994年には 18%に成長し世界を驚かせた。その後ゆっくりと、しかし着実に下がり続け、2020年代初めには70年前の3%という数字に戻ってしまった。1991年には日本の4分の1であった中国のGDPは2001年には日本を凌駕し、2018年には日本の3倍(4倍という数字もある)となり、日中の経済格差は拡がるばかりだ。

サンフランシスコ条約発効後、日本の主権回復にはそれなりの代償が要求された。ジョン・フォスター・ダレスは 日米交渉使節団代表として東京に到着後、次のように述べた。

「我々は日本に我々が望むだけの軍隊を望む楊所に、望む期間だけ駐留させる権利を獲得できるであろうか?これが根本的問題である」

日本列島全域への米軍基地の配備に同意するのは、アメリカが支配する世界体制の中で日本が特権的地位を得る代償としては妥当なものと思われたが、時を経るにつれてアリカは多面にわたりますます重い負担を要求するようになった。ダレスが要求した一連の米軍基地は、1950年代には朝鮮戦争、1960年代からはベトナム、続いて中東、北アフリカでの戦争遂行に重要な役割を果たした。現在では中国との最終戦争の可能性に備えている。

2.覇権にしがみつくアメリカ

サンフランシスコ体制はグローバルシステムとして、アメリカの一極支配を前提にしたものであったが、それが不確実なものとなって久しい。現実との乖離は歴然としている。しかし、アメリカの政策の根底に一貫してあるのは、中国の台頭を阻止する、できれば逆転させるという強い意志である。アメリカ建国以来の「偉大なモットー」は、世界のどこであっても、アメリカはライバルよりも優れた能力で支配権を掌握し、存続させることであった。

2017年からの「国家安全保障戦略」は、全世界(陸、海、空、宇宙)の全城にわたる支配を明記する。しかし、アメリカの影響力は確実に縮小し、民主的自由世界のチャ ンピオンを自称する国は、時に無法、または不法国家のように振る舞う。イギリスの著名な文学者、ハロルド・ピンターは2005年のノーベル賞授賞式の演説でアメリカの 行動を鋭く批判した。

「第二次世界大戦後、アメリカは世界各地の右翼、軍事独裁政権を支援し、誕生させてきた。インドネシア、ギリシャ、ウルグアイ、ハイチ、トルコ、フィリピン、グアテマラ、エルサルバドル、そしてチリもだ。アメリカの犯罪行為は組織的で恒常的であり、邪悪なものだが、反省のかけらも見られない」

手厳しい評価に加え、アメリカの拷問・殺人の近年の犯罪に、イラク、アフガニスタン、イエメン、シリアも挙げなければならない。アメリカだけが国際法と国連を無視、あるいは否定してきた。気候変動に関するパリ協定、環太平洋パートナーシップ(TPP)、ローマ条約(1990年)、 国際刑事裁判所、包括的共同行動計画(1CPOA)、イラ ン核合意、中距離ミサイル合意(INF)などの国際的合意を一方的に無視あるいは破棄し、核兵器開発を進めている。(中略)

サンフランシスコ条約後、日本の歴代政府はアメリカの従属/保護国という地位を受け入れてきた。1950年当時の沖縄はアメリカの戦利品であり、1972年に日本に返還されるまで20年間米軍制下に占領、支配された。返還後も米軍基地は存続する。日本に復帰はしたけれど、米軍基地はもっと増強、拡充され、新基地建設に反対する沖縄の人々の闘いは終わらない。

サンフランシスコ講和から72年経った今でも、アメリ力は当時の圧倒的世界一の国家アメリカのような覇権を再現、存続させようと画策する。まったく現実離れしているのは明白だ。方向転換の舵を大きく切る必要があるが、その動きはあるのだろうか。
(以下略)
コメント:この後には、日本を(米国の)属国と考えれば、理解できるという文章が続く。無論それを否定はしないが、そもそも覇権主義は米国だけではないこともあり、今回の論文では、むしろ前半部分の、言い換えれば現代史の部分に興味がある。なぜなら戦争の記憶の残る我々団塊の世代が、後世に記憶を語り継ぐ時に、最近では余り語られる事の少ない、戦争直後の日本の状況の参考資料になるからである。後半部に関心のある方は、ぜひ本誌をお買い求め頂きたい。
関連記事:性暴力は基地問題。沖縄全土に広がる怒り。
https://mainichi.jp/articles/20240713/k00/00m/040/108000c


もう一つ世界から紹介するのは、
「ネタニヤフの背後にあるもの」イスラエル世論は今
龍谷大学教授 浜中新吾

(前略)大統領から組閣指名を受けた首相候補は各党との連立交渉に苦労し、組閣に時間がかかるようになってしまった。また連立内閣が成立してもパートナー政党が首相を脅迫し、しばしば政局が行き詰まってしまう。 このことは2019年から2022年の間に五回ものクネセト選挙が実施されたことの一因であり、イスラエル政治の不安定性は政治制度の不備にその一端が求められる。

いうまでもなく現行内開は直近のクネセト選挙を通じて成立している。ということは国内世論もまた右翼的であると予想できる。イスラエル民主主義研究所が今年5月1日から6日に実施した世論調査によると、ユダヤ系市民に対して政治的傾向を尋ねた質問への回答は右派が58%、中道が23%、左派が16.6%であった。

この世論調査では(中略)人質解放を最侵先するとの回答は56.2%であり、ラファヘの軍事作戦を最優先するとの回答は36.7%であると分かる。しかし政治的傾向として右派と答えた市民に限ると、人質解放を最優先すると答えたのは36.9%であり、ラファへの軍事作戦を最優先するとの答えは55.0%にのぼる。イスラエル世論、特に右派のそれが国際社会の勁向といかに乖離しているのかは、グラフを見ると明らかだろう。

さらに言えば、そもそもユダヤ人社会は、ハマースとの戦闘で巻き添えとなるガザ住民の窮状に目を向けていないそぶりすらある。イスラエル民主主義研究所が今年3月18日から21日に実施した世論調査の項目に、「イスラエルは、ガザでの戦闘の継続を計画する際に、ガザの民間人の苦しみをどの程度考慮すべきですか?」という質問があり、(中略)ユダヤ系市民の45%ほどが「全く考慮するべきでない」と答えている。(中略)民間人の苦しみを重視しない世論はユダヤ人社会の80%を占めることになる。

イスラエルの戦時内閣に参画していたベニー・ガンツ前国防相は五月、ガザでの戦争終結後の展望を6月8日まで に回答するようネタニヤフ首相に求めていたが、回答はなされなかた。このことを受けてガンツは戦時内閣の閣僚を辞任した。(中略)人質救出作戦にあたり国防軍はパレスチナ住民200名以上を戦闘に巻き込み死亡させた。ネタニヤフ首相はメディアに向けて、「人質を取り戻すために何でもやる」と公言した。

ハマースの奇襲作戦と人質の拉致はイスラエルのユダヤ系市民社会における強い怒りを引き起こした。最右翼内閣を率いるネタニヤフは戦時内閣も同時に発足させ、人質救出とハマース壊滅を目的とする戦争を遂行し始めた。ネタニヤフの背後には連立政権を維持させねばならない国内政治の論理と、戦争継続を貫徹させようとする極右政治家や右派有権者の世論、およびガザ住民の窮状に対する無関心がある。人質解放を求めるイスラエル市民は街頭に繰り出して政府や首相を批判する。一方、軍を動かしガザヘの苛烈な攻撃を続ける首相の背景にはハマース壊滅を最優先するあまり、パレスチナ人の窮状を意に介さない、武力行使を容認する世論が見え隠れしているのだ。

関連記事:問題の本質はイスラエルの選挙制度。
https://news.yahoo.co.jp/articles/360688eda5c9ee63a564a07c95622de033e7ccdd



2580.戦争をとめる 7.15

昨日に引き続き今回も雑誌世界8月号から3件紹介します。なお世界の特集は「戦争をとめる」です。

一番目です。
「戦争をやめ、核兵器禁止条約に参加せよ」
ICAN國際運営委員兼会長 川崎哲

―核戦争という現実の脅威

「今日、地政学的緊張と不信が、核戦争のリスクをこの数十年間で最高レベルに引き上げている」。国連のグテーレス事務総長は、今年3月の安全保障理事会の会合でこう 述べた.「終末時計は、誰にも聞こえるほど大きな音を立てて進んでいる」とも。 (中略)

しかし、実際に配備されている核弾頭と、配備のために貯蔵されている核弾頭を足した「現役の核弾頭」に着目すると、その数は9583発で2018年からの6年間で3.6%増加している。冷戦後長く続いてきた核軍縮の傾向は今や核軍拡へと転じているのだ。

今日、ウクライナとガザで続いている二つの大規模な戦争は、いずれも核保有国が進めているものである。ロシアのプーチン大統領は、2022年2月の軍事侵攻開始にあ たり自らが核保有国であることを強調し、まさに「核の威嚇」を力にして戦争を進めてきた。

核兵器は国家間の「戦略的安定性」をもたらし、戦争を起こりにくくする。そして互いに報復をおそれるから、核は実際には使用されない。これが「核抑止論」である。 しかし、現実はまるで異なる。米国を含む北大西洋条約機構(NATO)諸国は、自らが提供した兵器でウクライナがロシア領内を攻撃することを今や容認している。これに対しプーチン大統領は「ロシアの主権と領土の一体性が脅かされれば」核兵器の使用もありうると述べている。

イスラエルは、政府が公式には認めていないものの約 90発の核兵器をもつ核保有国である。同国の核保有の背景には、かつてのホロコーストの記憶とユダヤ人国家としての自らの生存への強いおそれがある。しかしその核兵器は、咋年10月のハマスによる攻撃を抑止しなかった。 長引く占領で抑圧され、抱望の淵に追いやられた者たちに 「抑止力」など働かないのである。

その翌月には、イスラエルの閣僚がガザヘの原爆使用を「一つの選択肢」と述べた。さらに今年3〜5月には米国の連邦議員が、広島・長崎への原爆投下が「戦争を終わら せた」としつつ、ガザに対する核使用を示唆した。

4月には、イスラエルとイランが互いに直接攻撃の応酬をした。ここでも「核抑止」など機能していない。

「核兵器は戦争を防ぐどころか、核武装による戦争開始を後押ししている」これは、2022年にウィーンで開催された「核兵器の非人道性に関する国際会議」の議長総括の一節である。この文書は、こう続ける。「新しい技術の発展は、核抑止が核戦争を防ぐという理論に疑問を投げかけている」

これは、人工知能(A1)などの新興技術が核兵器を含む軍事システムに深く組み込まれ、それが、機械の暴走や事故による核爆発の可能性など、新たな不安定性を生んでいるという問題だ。(中略)

東アジアでも核の脅威は切迫している。北朝鮮はミサイル発射実験を繰り返す一方、米中の覇権争いは激化している。日本は「台湾有事」も念頭に「防衛力の抜本的強化」を掲げ、自術隊と米軍との「統合運用」態勢を作っている。 何らかの偶発的衝突から、破滅的事態にも至りかねない。
東アジアで戦争が起きれば、それは核戦争に直結する。(中略)

「核軍縮はライフワーク」と語る岸田首相は、これまで有意義な政策を進めてきたといえるだろうか。否。岸田政権の「核軍縮」政策は、本質を突くことなく、「核なき世 界」という言葉だけが踊るものだった。

昨年五月、岸田首相はG7の指導者をサミットで広島に迎え入れた。首脳らが被爆地を訪問し、短時間とはいえ原爆資料館を見学し被爆者一名と面会したことに、一定の意義はあった。

だが、G7広島サミットの成果文書に自分たちが被爆者と面会したことは言及すらされなかった。そればかりか、核軍縮の成果文書に、ロシアや中国の核兵器を非難する一 方、自らの核兵器を正当化したのである。(中略)

前年の核不拡散条約(NPT)再検討会議で,岸田首相は「ヒロシマ・アクション・プラン」を打ち出した。@核不使用の継続、A透明性の向上、B核の減少傾向の維持、 C原子力の平和利用の促進、D被爆地訪問と軍縮教育の促進の五点からなる。しかし、どの点をとっても曖昧で、矛盾すら抱えている。

第一に「核不使用の継続」であるが、それをいうならなぜ核の使用・威嚇を禁止した核兵器禁止条約に反対し続けているのか。世論調査では6割以上が日本は同条約に加わるべきと回答している。これを拒む日本政府は、むしろ、核の使用を前提とした「核抑止」政策を強化しようとしている。米政府が核の「先制不使用」政策の採用を検討した際にも、日本政府が強く反対してこれを止めたことが、数々の証言で明らかになっている。(中略)

今日国際社会は、バイデン大統領流にいえば「専制主義対民主主義」、プーチン大統領流にいえば「西側対我々」に分断され、戦争と軍拡のスパイラルに陥っている。米ロ の新戦略兵器削減条約(新START)は停止しており、2026年2月に失効する。後継条約交渉の見通しは立っていない。(中略)

こうした中で、唯一核軍縮に向けて実質的に機能している国際条約は、核兵器禁止条約である。2021年1月 に発効した同条約には、今日までに93カ国が署名、70カ国が締約国になっている。締約国と、未締約の署名国を合わせると97カ国となり、世界の国の約半数である。

核兵器禁止条約は、前文で被爆者や核実験被害者が被った「受け入れがたい苦痛」に留意し、核兵器は国際人道法に反すると断じている。第一条では、核兵器の開発、保 有、使用、威嚇をいかなる場合も禁止しており、これらの行為を援助・奨励することも禁じている。第四条では、核保有国がこの条約に加わって核兵器を完全に廃棄していくための道筋を定めている。第六条では、核兵器の使用・実験の被害者に対する援助と、核実験等によって汚染された環境の修復の義務を定めている。
(以下略)
コメント:なぜ日本政府が核禁条約に賛成しないのかといえば、その理由ははっきりしている。即ち日本がロシア、中国、北朝鮮の核の脅威に対抗するためには、米国の核の傘の下に入ることが手っ取り早いからである。だから米国の核を否定できない。しかも自分達がリスクを取ったり、汗をかいて世界平和の為に努力する気もないらしい。自民党や日本会議を頂点とする日本の(超)保守権力層は、怠惰であるばかりか虫が良いと見える。これでは米国の言いなり、属国と言われても仕方がない。


二番目です。
「残虐な限定戦争の時代に」
石田淳 東大大学院 国際政治学 他1名
(前略)
石田 当時の委任統治は、現代の国際問題に直結しています。オスマン帝国解体後、イギリス帝国の委任統治下におかれたパレスチナはまさにそうです。

第一次世界大戦末期の1917年11月、イギリスは悪名高きバルフォア宜言によって、バレスチナに戦後ユダヤ人国家の建設を約束しました。同じ年の1月、アメリカの W・ウィルソン大統領は、いかなる国も他国の「政治体制 自由に決定する人民の権利」を侵害してはならない、と演説で「自決原則」を定式化していた。しかし、1922 年には、アメリカ議会はこのバルフォア宣言を承認します。バレスチナのアラブ人の自決権を侵害するおそれがあると危惧する声も上がりましたが、あくまで少数にとどまった。

当時のパレスチナにおけるユダヤ人の人口は10パーセント程度で、アラブ人が大多数だった。ところが、アメリカ議会では、あたかも占有者のいない土地にユダヤ人入植 者が入り、そこに抵抗勢力たるパレスチナのインディアンがいる、との見方がなされた。17世紀、入植者が先住民の土地を収奪したアメリカ大陸とパレスチナを重ねるアメリカのレンズは、この頃にその原型が形づくられました。(以下略)

コメント:米国がなぜ理不尽なイスラエルの後押しをするのかの説明ですが、無論その本当の理由は、米国の金融界をユダヤ人が支配しているからです。しかも、彼らのしていることは、シェークスピアの戯曲、ベニスの商人で、借金のかたに心臓を要求したシャイロックにイメージが重なります。殺人を正当化するのは、人間の心を失ったあわれな人間達です。ユダヤ系の米国の有名人(バーバラ・ストレイザンド、ダスティン・ホフマン、スピルバーグ)が沈黙していることが、ユダヤ人の立場を暗示しています。


三番目です。
「自衛隊もまた靖国というナラティブを必要とするのか」
内田雅敏 弁護士

自衛隊は2024年7月1日、創設70年を迎えた。その自衛隊と靖国神社との関係は、今年になってあけすけな親密さを見せている。

1月9日、小林弘樹陸上幕僚副長らが公用車を使用し靖国神社を参拝した。小林氏は、咋年4月に沖縄県宮古島沖で10名が亡くなった陸自ヘリ墜落事故調査委員会の委員長をつとめ、参拝に際してはその関係者に声をかけていたという。

4月1日には、大塚海夫元海上自衛隊海将が靖国神社の宮司に就任した。靖国神社は、戦前は陸?海軍省が所管し、戦死しても靖国の神として祀られるという言説により、兵士を戦地に赴かせる機能をもった顕彰施設であった。戦後、解体の危機にさらされたが、信教の自由(憲法20条)の保証のもと、一宗教法人として存続が許された。同神社は、現在もなお、日本の近・現代におけるすべての戦争は正しい戦争であったとする聖戦史観・アジア解放史観に立脚する(靖国神社発行『やすくに大百科』)。この歴史観は、国際社会で通用しないのはもちろんのこと、歴代日本政府の公式見解にも反する。(中略)

年頭の幹部らの靖国参拝について、私は自衛隊と靖国の距離感の欠如への危惧を表明したが(「朝日新聞」3月13日)、現実はそれをはるかに超えていた。それは特に大塚氏の語る歴史観においてである。

「国の為に散華された英霊の御心について深く考えるほどに、今日、日本が存在していられること自体、明治維新以降の英霊の尊い献身無くしてはあり得ないとの確信が、 英霊に対する感謝の念を深めた」(中略)

戦争を放棄し、戦力の不保持、交戦権の否認をうたった日本国憲法下に置かれた自衛隊の幹部らが、なぜいま、靖国神社とこのように近しい関係にあるのか。この疑間を氷解させてくれたのが、立命館大学の角田燎氏による『陸軍将校たちの戦後史』である。角田氏が注目するのは、元陸軍将校の親睦組織「偕行社(かいこうしゃ)」である。(中略)

「偕行社」とは、主には陸軍士官学校出身の旧陸軍軍人の集まりで、戦前は九段坂上の集会所をはじめ各地にその支部が置かれていた。敗戦により、陸軍・海軍は解体され、将校たちの多くが失職。なかでも旧陸軍が政治を壟断したという社会的批判は強かった。偕行社も事実上消滅していたが、1950年、朝鮮戦争勃発に伴うGHQの占領政策の変化のなかで、警察予備隊が創設され、旧軍関係者の公職追放も解かれ、禁じられていた元軍人の団体結成も可能となった。(中略)

当初は戦争の反省を踏まえ、政治的中立性をうたい、同期の戦没者の追悼および会貝間の親睦、互助を目的とした同窓会的な集まりとして活勁を始めた偕行社は、時代とともにその活勁を大きく変化させていく。(中略)

角田氏は、1952年の偕行社(当初は偕行会)の発足から現在に至る約70年の歴史を四つの観点から分析して いる。(中略)

戦争体験は期によって大きく異なり、人数構成もいびつである。どの世代が中心となるかにより会のあり方は変わらざるをえない。そして元将校を構成員とする限り、時の経過とともに物故者が増え、いずれは存続が難しくなるはずだ。だが、ここに元自衛官を入れるという動きがあり、それこそが私の疑問を氷解させたポイントなのだ。
(中略)

第三は、政治とのかかわりという軸である。先に述べたように、旧陸軍への批判が強いなか、政治的中立をうたうことで、世代も経験も異なる構成員をまとめてきた。ただし、靖国神社との関係だけは別で、1971年の総会では、「靖国神社国家護持」を満場一致で決議した。「靖国神社を国家において護持し、本来の姿にかえすことに努めるのは、われわれ生存将校の道義的債務である」

そして、2000年代には「歴史修正主義」に大きく近づくことになる。つまり偕行社のあり方の変容は、日本社会の変容でもある。

冒頭にも述べたとおり、戦争を放棄し、戦力の不保持、交戦権の否認をうたう日本国憲法下では、自衛隊は旧陸軍との連続性を表立って表明することはなかった。旧軍関係者が自衛隊幹部におさまる連続性はあるが、戦後に生まれた新たな自衛組織であって陸軍の復活と捉えられることは避けていたはずだ。

だが、角田氏によれば、偕行社は2001年に元自衛官を正式会員として認める判断を下した。物故による会員減少があり、財政問題も抱えていた。1994年には、資産を靖国神社に奉納し解散するという方向性が出されていたが、戦争体験のない最若年期を中心に、「英霊」を永続的に奉賛するために継続すべきという意見もあり、将来問題に決着はついていなかった。(中略)

もともと偕行社は、日本国憲法下の戦後を「東京裁判史観」として否定しようとする傾向は強く、日本の誇りをうたう「新しい歴史教科書をつくる会」など歴史修正主義の動きは、「待ち望んでいたものであったといえるだろう」と角田氏は記す。

こうした背景には旧陸軍将校らのルサンチマン、すなわち「陸軍悪玉論」に対する不満があり、他方幹部自衛官らにも「平和憲法」下でその存在が正当に評価されてこなかったという不満があり、この二つが融合したとも語る。そして、旧軍の行動に対する反省、政治的中立性が失われていった理由として、旧軍に対する反省は国民に対する「敗戦貢任」であって「戦争責任」ではなかったとし、歳月を経るなかで偕行社の運営が戦場体験のない世代によりなされるようになったことも語る。

「偕行」に、入会した元自衛官が呼びかけた、「各地の元幹部自衛官にお願い」という文章が紹介されている。

「現在、海、空に対応する陸のOBの全国的な組織はありません。陸自の元幹部自衛官が結集して、陸自を支援し、殉職隊員の慰霊額彰を行い、修親会(陸自幹部の会) との交流を深め、また現役には発言できないような問題について国民に訴えることは意義の深いことではないでしょうか。(中略)憲法改正の動きが活発化し、国軍化も期待 できるようになりますと、遠い将来において陸・海・空の OB機構の大同団結の機運が生じることも考えられます。その時代に備えておくためにも、『陸だけが組織の無い』 現状は、決して好ましいものではありますまい」

ちなみに、元陸上幕僚長の岩田清文氏は(中略)自衛官の死者を靖国神社に祀るよう提言している。

旧日本軍と同様、自衛隊もまた靖国というナラティブを必要とするのだろうか。(中略)

「戦争体験者がいる間はいい、問題は戦争体験者がいなくなった時だ」と語ったのは田中角栄だ。尖閣諸島(中国名・釣魚島)で中国を挑発した石原慎太郎、集団的自衛権行使容認で対米従属を推し進めた安倍晋三、台湾に行って「戦う党悟」と内政干渉の挑発をした麻生太郎らには戦争体験はない。2016年、外務、防衛両省や自衛隊幹部との防衛大綱改定に向けた初の事前協議で安倍首相は、開ロ一番、「君たち、中国に勝てるんだろうな」と質したという(2023年1月3日付「毎日新聞」)。

今年5月3日、都内で開催された憲法改正を求めるフォーラムに「国防最前線の与那国島」から参加したと称し、「一戦を交える覚悟」とぶち上げた糸数健一与那国町長も 同じだ。軍司令官でもあるかのようなこの発言が、「町長の役割は町民の暮らしと安全を守ることである。一自治体の首長が、全国民に対してなぜそこまで言うのか」(5月 7日付沖縄タイムズ」)と厳しく批判されたのは当然だ。(中略)

「鉄の暴風」によって「不沈空母」沖縄島が焦土化され、 県民4人に一人、9万4000人以上が亡くなったのが沖縄戦の教訓ではなかったか。(中略)

そして、角田氏がその変遷をあとづけてきた偕行社は、 今年4月より陸上自衛隊幹部退職者らでつくる「陸修会」と合同し、「陸修偕行社」として活動を開始した。

コメント:実際に太平洋戦争を戦った経験の或る者は、もう残っていないはずである。当時20歳としたら現在は百歳。だからこの論文にはどうしても年齢の違和感がつきまとう。仮に伝承等の形で、帝国陸軍将校の想いだけが、若い自衛官に引き継がれているとしよう。それで最近の自衛隊の、平和憲法にそぐわない言動や、ミャンマーの専制的な軍部との協調路線の説明になるのだろうか。こちらも旧陸海軍の戦死者の慰霊に、異を唱えるつもりは毛頭ない。しかし現行憲法と靖国問題を一緒にしてはいけない。憲法改正で、国軍の設置を期待するなどは論外なのである。
むしろ私は憲法の精神を理解できない者は、国民を守る自衛隊には不適切だと考えている。憲法が理解できないと、平和の為の軍事力ではなく、侵略の為の軍事力になりかねないからである。
振り返ってみれば、(天皇の意向を無視した)身勝手な帝国陸軍の戦線拡大で、300万の国民が無駄に命を落とした。原爆で亡くなった30万人もいる。それなのに、作戦の失敗で済ませるとしたら、その方がよほどおかしい。戦争の目的と手段を問い直すのが当たり前だろう。
旧日本陸軍の精神の復活の為に靖国神社と癒着するなど、あってはならない。我々国民は、今後も国家を私物化しようとする政治家や官僚組織と戦い続けなければならない。そこでは自衛隊の絶対中立が大前提なのである。
雑誌世界8月号
「永遠の属国体制か?」
サンフランシスコ条約から72年後の世界
ガバン・マコーマック オーストラリア国立大学名誉教授

1.東アジアを縛るサンフランシスコ体制

実に厄介な問題だらけの時代になってしまった。核の脅威と気候変勁という、当時は知らず、考えもしなかったことが、今や地球上の全生物を絶滅の危機に晒している。この事態を抜きに、現代世界の問題を考えることはできない。(中略)
生態や環境危機は深まるばかりだ。大気中の二酸化炭素濃度は2022年には421ppmという過去300万年中の最高値を示し、世界各地で異常な気温上昇をもたらし、高山や極地帯では氷河が後退あるいは消失し、海水温も海面も上昇している。海は地球温暖化の影響を和らげてくれる生物の守り神だったが、海水は酸性化し、プラスチックごみやその他もろもろの汚染によって悲鳴を上げている。 森林は猛烈な山火事で消失し、砂漠は広がり、台風やハリケーンなどの嵐は前例を見ない強風や豪雨で自然を破壊し、生物種を滅亡に追いやる。

地球の危機はパレスチナとウクライナでの地政学的緊張によってさらに悪化している。戦闘は廃墟と荒廃の惨状を作り出し、南及び東シナ海などの遠い地域まで戦争準備に拍車をかける。

こうした数々の危機に直面しながらも、21世紀初頭の東アジアにおける国家間の枠組みは、第二次世界大戦後のサンフランシスコ講和条約締結(1951年)の時とさほど変わっていない。当時アメリカは、万人が認める世界のリーダーであり、世界のGDPの約半分を占めていた。中国は分裂し弱体で世界は相手にせず、朝鮮は分断され戦争状態、ロシア(ソ連)は世界から排除されていた。日本は、アメリカの覇権と米軍の占領体制を疑問なく受け入れ、アメリカは日本を東アジアと世界の安全保障の要と考えた。
この包括的枠組みは「サンフランシスコ体制」として知られるようになった。

だが72年後の現在、圧倒的だったアメリカの覇権の基盤は大きく揺らいでいる。アメリカ経済は、現在では世界のGDPのおよそ16%、2050年までに約12%まで低下すると予想されている。あの当時内戦の最中で、経済規模は取るに足りないものであった中国が、1995年からの20年間で15倍という驚異的成長を達成し、世界 GDPの18%を占めるに至った。

2023年には16.9%に下がったが、この成長低下を中国経済凋落の前兆と見る人々も少なくない。中国の人口は21世紀末までにほぼ半減し、7億7900万人になると予測されている。一人っ子政策の結果、労働人口の減少と高齢者層の増加は同時進行する。また社会の格差を示すジニ係数は0.46と現在でも非常に高く、国家財政の赤字と個人の負担もさらに増加すると見られる。しかし、OECDは2030年代までに中国のシェアは世界の GDPの約27%へと上昇し、その後2060年頃には20%程度に徐々に低下すると予想する。

日本はサンフランシスコ体制下では、アメリカの完全支配下におかれ、常時臨戦体制の沖縄と米軍占領下の本土は名目上の平和国として分けられた。1950年当時、世界 GDPのわずか3%であった日本経済は、1994年には 18%に成長し世界を驚かせた。その後ゆっくりと、しかし着実に下がり続け、2020年代初めには70年前の3%という数字に戻ってしまった。1991年には日本の4分の1であった中国のGDPは2001年には日本を凌駕し、2018年には日本の3倍(4倍という数字もある)となり、日中の経済格差は拡がるばかりだ。

サンフランシスコ条約発効後、日本の主権回復にはそれなりの代償が要求された。ジョン・フォスター・ダレスは 日米交渉使節団代表として東京に到着後、次のように述べた。

「我々は日本に我々が望むだけの軍隊を望む楊所に、望む期間だけ駐留させる権利を獲得できるであろうか?これが根本的問題である」

日本列島全域への米軍基地の配備に同意するのは、アメリカが支配する世界体制の中で日本が特権的地位を得る代償としては妥当なものと思われたが、時を経るにつれてアリカは多面にわたりますます重い負担を要求するようになった。ダレスが要求した一連の米軍基地は、1950年代には朝鮮戦争、1960年代からはベトナム、続いて中東、北アフリカでの戦争遂行に重要な役割を果たした。現在では中国との最終戦争の可能性に備えている。

2.覇権にしがみつくアメリカ

サンフランシスコ体制はグローバルシステムとして、アメリカの一極支配を前提にしたものであったが、それが不確実なものとなって久しい。現実との乖離は歴然としている。しかし、アメリカの政策の根底に一貫してあるのは、中国の台頭を阻止する、できれば逆転させるという強い意志である。アメリカ建国以来の「偉大なモットー」は、世界のどこであっても、アメリカはライバルよりも優れた能力で支配権を掌握し、存続させることであった。

2017年からの「国家安全保障戦略」は、全世界(陸、海、空、宇宙)の全城にわたる支配を明記する。しかし、アメリカの影響力は確実に縮小し、民主的自由世界のチャ ンピオンを自称する国は、時に無法、または不法国家のように振る舞う。イギリスの著名な文学者、ハロルド・ピンターは2005年のノーベル賞授賞式の演説でアメリカの 行動を鋭く批判した。

「第二次世界大戦後、アメリカは世界各地の右翼、軍事独裁政権を支援し、誕生させてきた。インドネシア、ギリシャ、ウルグアイ、ハイチ、トルコ、フィリピン、グアテマラ、エルサルバドル、そしてチリもだ。アメリカの犯罪行為は組織的で恒常的であり、邪悪なものだが、反省のかけらも見られない」

手厳しい評価に加え、アメリカの拷問・殺人の近年の犯罪に、イラク、アフガニスタン、イエメン、シリアも挙げなければならない。アメリカだけが国際法と国連を無視、あるいは否定してきた。気候変動に関するパリ協定、環太平洋パートナーシップ(TPP)、ローマ条約(1990年)、 国際刑事裁判所、包括的共同行動計画(1CPOA)、イラ ン核合意、中距離ミサイル合意(INF)などの国際的合意を一方的に無視あるいは破棄し、核兵器開発を進めている。(中略)

サンフランシスコ条約後、日本の歴代政府はアメリカの従属/保護国という地位を受け入れてきた。1950年当時の沖縄はアメリカの戦利品であり、1972年に日本に返還されるまで20年間米軍制下に占領、支配された。返還後も米軍基地は存続する。日本に復帰はしたけれど、米軍基地はもっと増強、拡充され、新基地建設に反対する沖縄の人々の闘いは終わらない。

サンフランシスコ講和から72年経った今でも、アメリ力は当時の圧倒的世界一の国家アメリカのような覇権を再現、存続させようと画策する。まったく現実離れしているのは明白だ。方向転換の舵を大きく切る必要があるが、その動きはあるのだろうか。
(以下略)
コメント:この後には、日本を(米国の)属国と考えれば、理解できるという文章が続く。無論それを否定はしないが、そもそも覇権主義は米国だけではないこともあり、今回の論文では、むしろ前半部分の、言い換えれば現代史の部分に興味がある。なぜなら戦争の記憶の残る我々団塊の世代が、後世に記憶を語り継ぐ時に、最近では余り語られる事の少ない、戦争直後の日本の状況の参考資料になるからである。後半部に関心のある方は、ぜひ本誌をお買い求め頂きたい。
関連記事:性暴力は基地問題。沖縄全土に広がる怒り。
https://mainichi.jp/articles/20240713/k00/00m/040/108000c


もう一つ世界から紹介するのは、
「ネタニヤフの背後にあるもの」イスラエル世論は今
龍谷大学教授 浜中新吾

(前略)大統領から組閣指名を受けた首相候補は各党との連立交渉に苦労し、組閣に時間がかかるようになってしまった。また連立内閣が成立してもパートナー政党が首相を脅迫し、しばしば政局が行き詰まってしまう。 このことは2019年から2022年の間に五回ものクネセト選挙が実施されたことの一因であり、イスラエル政治の不安定性は政治制度の不備にその一端が求められる。

いうまでもなく現行内開は直近のクネセト選挙を通じて成立している。ということは国内世論もまた右翼的であると予想できる。イスラエル民主主義研究所が今年5月1日から6日に実施した世論調査によると、ユダヤ系市民に対して政治的傾向を尋ねた質問への回答は右派が58%、中道が23%、左派が16.6%であった。

この世論調査では(中略)人質解放を最侵先するとの回答は56.2%であり、ラファヘの軍事作戦を最優先するとの回答は36.7%であると分かる。しかし政治的傾向として右派と答えた市民に限ると、人質解放を最優先すると答えたのは36.9%であり、ラファへの軍事作戦を最優先するとの答えは55.0%にのぼる。イスラエル世論、特に右派のそれが国際社会の勁向といかに乖離しているのかは、グラフを見ると明らかだろう。

さらに言えば、そもそもユダヤ人社会は、ハマースとの戦闘で巻き添えとなるガザ住民の窮状に目を向けていないそぶりすらある。イスラエル民主主義研究所が今年3月18日から21日に実施した世論調査の項目に、「イスラエルは、ガザでの戦闘の継続を計画する際に、ガザの民間人の苦しみをどの程度考慮すべきですか?」という質問があり、(中略)ユダヤ系市民の45%ほどが「全く考慮するべきでない」と答えている。(中略)民間人の苦しみを重視しない世論はユダヤ人社会の80%を占めることになる。

イスラエルの戦時内閣に参画していたベニー・ガンツ前国防相は五月、ガザでの戦争終結後の展望を6月8日まで に回答するようネタニヤフ首相に求めていたが、回答はなされなかた。このことを受けてガンツは戦時内閣の閣僚を辞任した。(中略)人質救出作戦にあたり国防軍はパレスチナ住民200名以上を戦闘に巻き込み死亡させた。ネタニヤフ首相はメディアに向けて、「人質を取り戻すために何でもやる」と公言した。

ハマースの奇襲作戦と人質の拉致はイスラエルのユダヤ系市民社会における強い怒りを引き起こした。最右翼内閣を率いるネタニヤフは戦時内閣も同時に発足させ、人質救出とハマース壊滅を目的とする戦争を遂行し始めた。ネタニヤフの背後には連立政権を維持させねばならない国内政治の論理と、戦争継続を貫徹させようとする極右政治家や右派有権者の世論、およびガザ住民の窮状に対する無関心がある。人質解放を求めるイスラエル市民は街頭に繰り出して政府や首相を批判する。一方、軍を動かしガザヘの苛烈な攻撃を続ける首相の背景にはハマース壊滅を最優先するあまり、パレスチナ人の窮状を意に介さない、武力行使を容認する世論が見え隠れしているのだ。

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