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2631.ICCと法の支配立憲内の共闘 9.22
今回の前書きは朝日新聞(9.21)オピニオン&フォーラム、インタビューの紹介です。今回はほぼ全文ですが、内容の重要性に鑑み、しばしの時間、お付き合いをお願い致します。米国偏重の自民党や右傾化した野党には、理解できない内容でしょう。しかし我々、自由な国民は、権力とのしがらみを恐れず、真実と正義と人道の為に、自らの意見や信念を、忖度なしに述べることができるはずです。それが本当の言論の自由なのです。それにつけてもトランプはクソ(shit)です。
「法の支配、揺らぐ世界で」国際刑事裁判所(ICC)所長 赤根智子から
「戦争犯罪裁く法廷、独立性を保ち捜査、米ロからは圧力も」
世界で「法の支記」が揺らいでいる。法に基づいて個人の戦争犯罪などを裁く国際刑事裁判所(ICC)は今、ロシアのみならず、民主主義の旗振り役を自任する米国からも圧力を受けている。今年3月に日本人初のICC所長に就任した赤根智子さんに、何が起きているのか、日本の役割とは何かを聞いた。
―ICCは昨年、ロシアのプーチン大統領や側近に、ウクライナ侵攻をめぐる戦争犯罪容疑で逮捕状を出しましたが、いまだ逮捕に至っていません。
「我々も逮捕状を出す以上は、最終的には逮捕して裁判を経て結論を出すべきであり、逮捕状さえ出せばそれでよいとは思っていません。実際、ICC締約国でない国の個人は、締約国に行かない限り逮捕することが困難です。一方で、将来を見据えれば、締約国が増えていくと実効性は高まります。ですから締約国は、非締約国に対して ICCに加わるよう働きかけてほしいのです」
―しかし今月、締約国のモンゴルがプーチン大統領を逮捕せずに訪問を受け入れました。
「具体的な事案についてのコメントは控えます。一般論を申し上げると、重大な国際犯罪の刑事責任を追及する国際条約『ローマ規程』では、締約国のICCへの協力義務をうたい、逮捕と身柄の引き渡しの義務があると記されています。協力の実行に問題がある場合、その締約国はICCに事前に相談することもできる。締約国が協力義務を果たさず、ICCの業務が妨害された場合は、その旨の認定をして締約国会議に付託する仕組みがあります」
?国際刑事裁判所(ICC) と国際司法裁判所(ICJ)はよく混同されがちですが、役割の違いは何ですか。
「ICJは国連加盟国全てを管轄下に置き、基本的に国と国との紛争を解決する国連の裁判所です。一方、ICCはローマ規定に加盟した国でつくる裁判所で、対象も国家間の紛争ではなく、四つの中核犯罪であるジェノサイド(集団殺害)、人道に対する罪、戦争犯罪、侵略犯罪を犯した『個人』を、刑事的に裁く国際機関です。現在は日本を含む124カ国が締約国となっています」
「ICCの源流は、第2次世界大戦後に、戦争犯罪などで個人が裁かれた東京裁判や、ナチス・ドイツ指導者を裁いたニュルンベルク裁判にさかのぼります。これらの裁判では、戦勝国によって個人が刑事的に裁かれ、被告の人権が十分守られていなかった。個人を戦争犯罪などで裁くのに、恒久的な法的ルールに基づく国際的な裁判所を つくるべきだとの議論があり、2002年に設立されました」
―ただ、米国やロシア、中国といった大国が、ICCの締約国になっていません。
「全ての国連加盟国が締約国となれば、管轄は全世界に及びます。それが当初の理想でした。しかしそうした国がいまだに締約国とならないのは、自国の指導者や自国民が処罰されるのではとの懸念を払拭しきれないということだと思います」
―米政権はプーチン大統領への逮捕状を歓迎しつつ、ICCがイスラム組織ハマス幹部と同時に、イスラエルのネタニヤフ首相らに逮捕状を請求したことに反発しています。米下院は6月、ICC関係者に経済制裁を科す法案を可決しました。
「我々は裁判所なので、政治的意図も、どこかの国に対抗しようという意識もありません。あくまで『法の支配』に基づき、独立性・中立性を保ち、犯罪を捜査・訴追・処罰するのが任務です。ICCの法的判断に意見を述べるならともかく、自国の政治的利益のため、一方的な立法でICCに経済制裁を科すべきではありません」
「第2次世界大戦後、国連などの国際機関がつくられ、世界を『力による支配』から『法の支配』に変えていこうと、様々な国が努力を重ねてきました。ここで『力による支配』を容認してしまえば、これまで築いてきた努力が水の泡となり、再び『力による支配』が横行してしまう。今の国際社会で『法の支配』の正当性がゆがめられやしないかと懸念しています」
―トランプ米前政権は20年、アフガニスタン戦争での米兵らの戦争犯罪を捜査したICC検察官らに経済制裁を科しました。影響はどうでしたか。
「当時の検察官とその部下の2人に制裁が科され、彼らは米国への入国禁止のほか、米国内の資産は凍結、米国と関係のある欧州の銀行との取引も停止され、家族への送金もできませんでした」
「米下院で今回可決された制裁が実行され、対象が裁判官、検察官全体に広がれば、その影響は計り知れません。米国から2次制裁をかけられること恐れ、銀行や企業がICC職員だけでなく、ICC自体との取引も停止しかねない。そうなれば、ICCの機能はまひし、ハマスやイスラエルの事件だけでなく裁判中の事件全てが停止し、ICCで証言しようとしていた世界各国の証人にも危害が及ぶ可能性があります.これは、ICCをテロリストと同様に扱うということです」
―米国のそうした対応をいさめる国はないのですか.
「英国やフランス、イタリアなどを含め多くの締約国はその危険性を認識し、締約国会議でも、『法の支配』の重要性とICC保護を宜言する議長声明を出すなどしています。『力による支配』を後押しする動きと、それではいけないと声をあげる締約国の動きが今、せめぎ合っています。日本を含む締約国は、米国に対し、自国の政治的利益を守るために、こうした行動をとるべきではない、と発信する必要があります」
―ロシア政府もプーチン大統領への速捕状に反発し、赤根所長らを指名手配しています。こうした圧力によるストレスと、使命感のバランスをどのようにとっているのですか。
「日本での検事時代にも、何らかの圧力を受ける可能性はあると認識していました。だからこそ我々は、政治的、外交的な圧力に屈せず、あくまで法と証拠に基づいて手続きを進める覚悟で仕事をしていました。こうした気概は1CCでも同じです」
「この原則を崩せば、裁判所とは何か、ICCの検察官の使命は何か、ということが正面から否定されてしまいます。捜査機関や司法機関はそうした使命の上に成り立っており、どのような圧力があっても、その原則は崩せません」
―日本はICCに07年に加盟し、最大の分担金拠出国です。どのような役割を担うべきでしょうか。
「日本は国際的にも『法の支配』を標榜し、その重要性を広く訴えてきた国です。だからこそ日本政府は同盟・友好関係を育んできた米国に、様々な対話を通じて法の支配を崩してはならない』と説得する必要があります。米国が1CCの活動に不満を抱いても、力によって断念させるような手段をとるのでなく、『法の支配』の中で解決すべきで、米国も元々は『法の支配』を標榜している国だと再認識してほしい、と強く言える立場にあるはずです」
「締約国の少ないアジアの国々にも、ICCが世界で果たす役割の重要性を訴え、締約国になるよう働きかけてほしい」
―日本が「法の支配」の旗振り役をすべきだということですね。
「そうです。ただ、日本の国内法は十分とは言えません。(中略)日本が目先の利益ではなく、永久に平和で、他国から信頼される国になるには、日本自らが『法の支配』を国内で体現するだけでなく、ICCの役割を補完する体制を作ることが大事です」
―大国が「力による支配」に傾き、ICC締約国も十分にその役割を果たせていない。「二重基準」がはびこり、世界で「法の支配」が揺らぐなか、ICC の存在意義をどう考えますか。
「現在、欧州も含め様々な国で紛争が起き、国際的あるいは国内的な武装グループによる戦争犯罪も増えています。そうしたなか、ICCに事案を付託する国、また締約国も徐々に増えてきている。ICCが、事件を公正に裁いてきた地道な積み重ねが実りつつあるとも言えます。ICCは『法の支配』を標榜するだけでなく、裁判という形でそれを担保していきます」
(聞き手、佐藤武嗣、佐藤達弥)
2632.何もしない蟻 9.23
今回の前書きは、朝日新聞(9.22)折々の言葉です。
何もしない蟻が、意外な役に立つ。 藍原寛子
被災地ではみな踏んばり、憔悴するので、ぶらぶらしている人を見ると、あれでいいんだと気が楽になる。避難所で子供とパズルに興じるボランティアを見て、ジャーナリストはそう思った。現地で働くだけでなく、情報や経験を外部に運んでもくれるのだから、行って役に立たない人などいないと。災害ボランティアをめぐる島村菜津との対談(「婦人之友」10月号)から。
コメント:世の中には役に立たない国民などいないのです。
2633.立民代表選 9.24
・立民代表選挙。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240923/k10014589651000.html
コメント:うっかりTVを付けたら見たくないものを見てしまった。立憲の決選投票の結果である。民意を意に介さず、自分の過去の政治や発言の責任を持たない人物が、総理になる可能性も出てきた。国民の皆が皆、野田(と高市)のIQ以下だとは思いたくない。しかも野田の政策は、原発再稼働、消費税引き下げ反対、改憲、米国隷属だから、殆ど自民と変わらない。でも第二自民党など国民は必要としていない。今迄第二自民を目標にしてきた維新から、国民の気持ちが離れつつあることからも、それは明らかだ。おまけに野田は二言目には外交と言うが、英語もろくに話せない上に、過去の外交でも、外国の首脳にまともに相手にされた記憶がない。しかも尖閣問題では、中国の寝た子を起こしたのも野田だった。
野田が代表になって最も怖ろしいことは、野田のカルト的な側面だ。野田の政権への意欲は、安倍との約束が前提になっている。そんなことはあり得ないこと、もしくはあってはならないことであり、言い換えれば安倍の亡霊が自民(高市)ばかりか、立憲(野田)にも取りついているということを意味している。しかもその背景には統一教会(まだ連綿と存続)まであるのだから、日本全体が邪悪な宗教(と亡霊)に呪われているようなものだ。
この異様な現象を世界の規模に拡大して考えてみる事も出来る。個人的な印象だが、日本も世界(特にイスラエル)も、歪んだ宗教が(米国のキリスト教原理主義=トランプ、某日本会議を含む)政治家を通じて、市民を支配しようとしているようにも感じられる。しかもそれはイスラムでも変わりが無い。タリバンやISの蛮行を見ていればそれが分かる。特に一神教の世界では、信仰が、本来の姿とも、人道とも、大きく乖離してきているように思われる。これは言い換えれば、理性と感情、民主主義と権威主義、国連と拒否権を持つ国、との全面対決が始まっているという事なのかもしれない。しかもこの戦いで、人類は絶対に負けるわけにはいかないのである。それが日本でも小規模に起きており、立憲の代表選では理性(枝野)が敗北した。国全体の傾向でも、権威主義、もしくは超保守のポピュリズム(高市)が優勢になってきている。これで仮に自民党が正気を失ったら(高市が勝利したら)、日本はもうおしまいである。
仮に全能の何かがいるとして、空の上から今の世界の現状を見たら、何と思うだろう。洪水を起こして、精神的に退化を始めている、出来損ないの知的生命を一掃し、やり直したいという誘惑にかられるのではないだろうか。思い過ごしかもしれないが、今や日本とアジアだけでなく、欧州でも発生している大雨と洪水こそ、人類を一掃する大洪水の予兆でないとは言いきれないようにも思えるのである。
関連記事:野田の執念。
https://mainichi.jp/articles/20240829/k00/00m/010/274000c
・立憲代表選で物議。
https://mainichi.jp/articles/20240910/k00/00m/010/180000c
・中国の日本人学校警備に4300万。
https://digital.asahi.com/articles/ASS9R112NS9RUTFK006M.html?iref=comtop_7_03
コメント:上川は正気なのか。世界が聞いたらなんと思うだろう。前回の日本人親子を守るために命を落とした、バスガイドへの弔慰金なら未だ理解できる。しかし今回の「支払」は、全く筋が通らないし、何でも金で解決したがる浅ましい国だと思われるだろう。今回の事件で悪い(加害者)のは、明らかに中国(人)であり、反日感情(日本人は皆死ね!)をあおる(中国の)ネットだ。日本の児童とその一家は明らかに被害者だ。しかも金を払うことが公にされているのだから、今後日本人の誘拐を誘発するおそれもある。上川はその責任を取れるのか。国のプライドや品格を貶めた上川には、総理はおろか、外相の資格もない。今やるべきことは金を払うことではない。国民による中国製品の不買運動ではないのか。
・パックンの見た総裁選。討論会ではなく、座談会。
https://digital.asahi.com/articles/ASS9J2VGWS9JULFA005M.html?comment_id=28497&iref=comtop_Appeal4#expertsComments
・携帯電話基地274局停波。電源供給できず。
https://digital.asahi.com/articles/ASS9R15F4S9RULFA002M.html?iref=comtop_National_04
コメント:能登に起きている事は、いずれ日本各地が経験することだという認識が必要だ。それが南海トラフ地震であろうと、首都直下地震であろうと。この災害から貴重な経験を学び、いざという時に備えなければ、それこそ日本の国民は愚かさを世界に示すことになるだろう。原発、地震、津波、土砂崩れ、洪水、突風、停電、火山噴火、感染症を含む災害対策先進国であることを、世界に誇れたら素晴らしいとは思わないだろうか。
2634.野党の背骨 9.24
今回の前書きは朝日新聞(9.24)の天声人語です。
「わかる」とは「分ける」ことだと言われる。あれこれと境界線を引いたり、基準を設けたりして、別々のものだと区別する。そうして「ああ、判った」とか「ふむふむ、解る」とか言って、何やらわかったような気になる。人間とは、そんな生き物らしい。
立憲民主党の新たな代表に、野田佳彦元首相が選ばれた。党内の支持を集めたキーワードの一つは「中道保守」へのシフトだったという。来たる総選挙をにらみ、「穏健な保守層まで手が届くようにする」のだとか。
野党の戦術論としては、十分に理解できる。幅広い野党との連携も視野に、支持層のウィングを広げる狙いなのだろう。ただ、そのぶん、与党との違いや対立軸が、ぼやけてしまったように思えるが、気のせいか。
そもそも「中道保守」とは何だろう。わかるようで、わからない。まさか、自民党政権とたいして変わるわけではないので、安心して投票してください、とのアピールではなかろうに。
何が右で、何が左なのかも不明瞭なのに、何が中道か。保守とは、何を守ろうとの立場を言うのか。区分しにくいものを、あたかも、きれいに分けたかのようにして、わかった気にさせる。そんな政治用語のあいまいさは、目の前にある問題の本質を見えにくくしていないか。
確かなのは、いまのこの国には、政権交代の選択肢が必要だということだ。野党としての背骨はいったいどこにあるのか。自民党とは何が違うのか。そこははっきり、明確に、お願いしたい。
コメント:短いので全文を紹介しています。私が言いたかったことを失礼にならない言葉で表現しています。ここでは二点あって、まず具体的な政策で、野田立憲と自民党では、どこがどう違うのかという疑問が一つ。もう一つは何が党の最終目標なのか、自民党との差別化をどう考え、自民党を否定する国民の期待に、どう応えるつもりなのかです。
確かに、野田の政権を取りたい、自分がその頂点に立ちたいという強い野心だけは痛いほど伝わって来る。しかし残念なことに、その場合の主役も、自分であって、国民の姿は見えてこない。しかも過去の野田政権も、同じだったのです。人間の本質や価値観は、そう簡単に変わるものではありません。
野田立憲が政権を取ったとして、その政策が自民と殆ど変わらなかったら、国民はどう思うでしょうか。落胆しないでしょうか。野田には国民が失望する時のことを考える想像力は持ち合わせていないのでしょうか。複数回の国会での質問を含めて、野田の演説は、「どじょう演説」の時と全く同じ論調です。勢いはあるが、それだけで、中身も切れ味もない。だから、単なるアジテーター(扇動者)に留まっているのです。
これは、小沢を含めて、枝野を推薦しなかった(但し議員の半数は枝野を選んだ)投票者に大きな責任があります。特に小沢には、理屈だけで熱意の伴わない教科書人間、泉を推薦し、その後の立憲の支持率が、ジリ貧になった責任もあります。
今後、野田立憲の新執行部が動き始めますが、(泉と同じように)野田にも人を見る目はない(そのくせ酷薄)ので、機能しない執行部が誕生し、その結果、ますます支持率が下がるおそれもあります。
野田は一度民主を潰したことがあります。そしてそれがまた繰り返される公算が高い。それが私の不吉な予感です。
更に悪い事は、自民党は、野田が立憲の党首になったことで、新鮮味で勝負しようとしています。それのどこが問題かというと、トップ3人の内で、一番まともな石破の立場が不利になり、暴言王子の小泉や、老害麻生が押す右翼の女王高市が有利になることです。しかも彼らは直接首相(権力)の座に就くことになります。そんなとんでもない結果になれば、立憲の党首選の結果が、日本の政治全体を崖っぷちに追い込むことになるのです。
枝野を選んでおけば、そんな心配は無用だったのです。なぜなら枝野は自民が暴走したら、絶対に黙ってはいないからです。ところが野田はそこのところが極めて怪しい。いつなんどき、ほいほいと自民の政策に妥協(寝返る)するか分からない人物です(これは断言できます)。それが中道保守だと開き直り、またも国民(民意)を裏切る可能性があるのです。
今回の代表選の騒動こそ、日本には、本来存在するべき政党が未だに存在しないということを示しています。自民党は既得権益と役人を代表、立憲と国民は労働組合(組織労働者)の利権の代表でしかない。維新は更に最悪で、大阪財界の利権を守るだけです。
肝心かなめの、一般市民の代表はどこにいるのでしょうか。日本には国民が選択すべき、まともな政党が存在していない。その事実に正面から向き合うべきなのです。だから特にリベラルな国民にとって、無党派層になるしか選択肢はないのです。
関連記事:自民が警戒感。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6514520
コメント:相手がどんな人間でも、決して油断しない、手を抜かない。だから自民は容易ならぬ相手なのです。
関連記事:新執行部発足。
https://digital.asahi.com/articles/ASS9S1FVYS9SUTFK00JM.html?iref=comtop_7_04
関連記事:小選挙区の候補者調整の意向。小川。
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20240924-OYT1T50134/
関連記事:維新は対決姿勢、共産は警戒感。
https://digital.asahi.com/articles/ASS9R3R4VS9RUTFK008M.html?iref=comtop_Politics_04
コメント:他のメディアでは、逆に、維新が野田を与しやすい相手とみているという報道もあります。立憲とくっつくか否かに関わらず、維新はもう死に体です。
・中村喜四郎引退。
https://digital.asahi.com/articles/ASS9R756MS9RUJHB001M.html?iref=comtop_Topnews2_02
コメント:これは正直惜しい。筋金入りの、根性のある本物の政治家です。でも野田の下では多分、誰だって働きたくはないでしょう。それは人望が無いからです。
2635.右傾化に警鐘 9.25
「右傾化に警鐘」(全面改訂)
地獄の釜の蓋が開くという表現があります。どういう情景か、実は私にもよく分かってはいないのですが、それに似たことが明日、日本の政界で起きようとしています。それは「高市総裁」(アベノミクスと共に、安倍晋三の最悪の置き土産)の誕生です。しかしルール違反の資料配送、総理になっても靖国詣でするという公約、裏金議員の推薦を受けているのに、名前は知らないと白を切る(平気で嘘を言う=トランプのように)等々、評判は必ずしも良くありません。中でも党内で懸念されているのは靖国参拝で、外交への悪影響です。
爬虫類的な印象は、私だけの個人的なイメージですが、9人の内で、よりにもよって、思想的にも人格的にも、最も問題の多い候補が、なぜ最有力になるのか。むしろその背景にあるトレンドにこそ、私は危惧の念を覚えているのです。最悪の場合、日本が国家主義、国粋主義の国になり、最終的には戦争に巻き込まれるのではないかという懸念があるからです。
米国では右翼(共和党)のトランプが、死に物狂いで選挙戦を戦っています。次回は出馬しないから、なんとか今回だけは当選させてくれという泣きまで入っているのです。欧州に目をやれば、ドイツでは、極右政党が影響力を拡大。英国では移民排斥で暴動に近い事件が起きています。そして既に右翼の首相が誕生しているイタリアもあります。思想の右傾化、国家主義、権威主義が、世界の底流になりつつあるのです。
大戦であれだけ多くの犠牲を出し、平和を誓った日本なえらばこそ、この危険な世界のトレンドから無縁であって欲しい。その懸念の最近の顕著な例こそが、高市の台頭だと私は考えています。自民党議員は、自民党支持の岩盤層が(日本会議に代表される)保守的な国民だと考えており、だからこそ右寄りの姿勢を臆面もなく宣伝している高市を支持しているのだろうと私は思います。
とはいえ、裏金問題や統一教会で自民党の評判が落ちており、次回総選挙で過半数を維持できるかどうか怪しいという時に、自民党の体質を変えずに、逆に更に右傾化を強めるような姿勢で、本当にいいのでしょうか。それでは砂に頭をうずめて周囲が見えないようにしているダチョウと同じではないのか。自民より更に右寄りの維新の凋落を見て、なぜヤバイと思わないのでしょうか。世界の底流が右傾化であっても、日本の国民が必ずしもそうとは限らないのではないか。そう思わないと、団塊の世代としては、やり切れない(戦争で苦労した親達にも合わせる顔が無い)気持ちになるのです。実際に、都知事選では多くの票が石丸に流れました。
自民党議員が今やるべきは、高石を担ぐことではなくて、党内の雰囲気を一新することです。もし仮に高市自民が誕生したら、名前を変えた方が良い。それはもう自由でもなければ民主でもない。かつて存在した大日本愛国党等が相応しいのではないでしょうか。でもその政府はそれは外交能力は限りなくゼロに近い政府になるでしょう(野田もそこは同じ)。
一方で、全体的な右寄りの傾斜に対抗するべき、リベラルな動きがあまりにも鈍いように思われます。今回、小沢も焼きが回ったのでしょうか、野田を代表にするということは、リベラルな国民を切って捨てることを意味しています。ところが彼ら(私も)こそ、民主党を支えてきた人達なのです。
野田の、自民に近づけば、支持者が増えるというのは甘い希望的観測にすぎません。ならば有権者は国民民主を選べば事足りるからです。自民党の岩盤支持者も、簡単には支持政党を変えないでしょう。取り分け既得権者はそうでしょう。なので、立憲は自民党政治に嫌気がさした無党派層を確実に取り込むことが最重要な目標でなければならないのです。しかもその時には、反自民の旗をしっかり立てることが是非とも必要なのです。そういう観点でいえば、野田代表の選択は、立憲としては失敗であり、オウンゴールなのです。
最初は僅かな右傾化でも、それが国家主義を超えて国粋主義に発展するのは時間の問題です。しかもきな臭いのが自衛隊の動きです。高市が(安倍と同じ)権威主義で、陣頭で旗を振る。そして、米国の出兵の要請(実態は命令)があり次第、自衛隊が敵基地を攻撃するようになる。大戦の大本営の役割は、今度は米軍が果たすのです。しかもその戦場は日本列島になるのです。
その時の敵国は、日本の敵国ではありません。米国の敵国です。こうして外国同士戦争に巻き込まれるという形で、日中戦争、または日露戦争、もしくは日朝戦争(しかもこれは全部デジャブです)が始まるのです。無論敵国も容赦はしない。なぜなら日本中に米国の基地があり、本土攻撃ではないのだから、それを叩くのになんの遠慮もいらないからです。私は岸田政権時代に、自衛隊を米軍の下請けにする準備が着々と進められてきたと見ています。しかも防衛費は倍増です。一見穏やかそうに見えても、やっていることは、広島出身の議員、いや平和日本の国民都は思えない所業なのです。
米国に悪乗りして、戦争だ戦争だ、中国をやっつけろと騒ぐ自民党政府。何という浅ましく、滑稽な姿でしょうか。自民党議員には、憲法の「紛争解決の手段としては…」以降を読み返してみて頂きたい。
しかも岸田より更に頭が弱く、自制心も効かない高市が、即断したら何が起きてもおかしくないのです。だから私は間もなく地獄の釜の蓋が開く、そして日本が(地獄の)崖っぷちに立たされると申し上げているのです。
今リベラルな国民が声を上げなければ、米国にだけ都合の良いシナリオが実際に動き始めるおそれがあります。いやもう既に動き出しているのかもしれません。
一抹の希望は、高市を代表に選ぶことで、より多くの国民が自民党に愛想をつかし、自民党が地獄を見て、後悔してくれることです。
関連記事:露骨な野田人事。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6514647
コメント:もう立憲はあてにはならない。公正さまで見失っている。早くも野田が私物化。
今回の前書きはサンデー毎日(10.6)です。
青木理のカウンター・ジャーナリズム「続く重要判決の意味と背景」
(前略)
この所業の問題点は多言を要しないだろう。公安警察の末端組織 である署の警備課が住民運動や市民運動を敵視し、介入し、事業者とともに運動潰しの如き活動を繰り広げるのは論外であり、だから住民らも県などを相手取って44 0万円の損害賠償と収集情報の抹消を求める訴訟を起こした。
そして一審・岐阜地裁は22年2月、住民らの一部勝訴と評すべき判決を示す。署の警備課が収集情報を中電の子会社に伝えたのは違法と断じて220万円の支払いを命じる一方、情報収渠そのものは「万が一に備えたもの」として容認する判決であった。
だが、双方の控訴を受けた名古屋高裁判決は、こちらもさらに踏み込む判断を示した。事業者への情報伝達のみならず、情報収集そのものも違法と断じ、請求満額の 440万円の支払いを命じた判決は、その理由をこう記す。「市民運動やその萌芽の段階にあるものを際限なく危険視して情報収集し、監視を続けることが憲法による集会、結社、表現の自由の保障に反することは明らか」
まったくその通りであり、警察庁警備局を筆頭とする公安警察は頭を抱えているだろう。犯罪発生の蓋然性すらない市民活動を広範に監視し、情報収巣に躍起となってきた活動に、判決は強烈な警告を発する形となったからである。
さて、これを余談とするには重要すぎる余談だが、以上の両判決を言い渡した裁判長は同一であり、二つめの判決を示した翌日付で定年退官した。良心的な裁判官が定年前にならないと良心的な判決を示せない、ここにもこの国の司法の闇がちらついている。
もう一件は牧太郎の青い空白い雲「人を見る目が無い日本人がヘンな知事や変な首相を選ぶ?」から
(前略)
「県民が一番気の毒だ」という向きもある。でも、県民にも「責任」があるような気もする。もし、選挙民に「人を見る目」があったら、変な人物を選ばなかったはず だ。
人問、上手に生き延びるために は「人を見る目」が一番大事だ。
仏教では「人を見る目(真理を見る目)には五つの眼がある!」と教えている。
(中略)
我々は、この「五つの眼」のチカラを借りて、生きているのだが、「人を見る目」はなかなか身につかない。だから騙される。
自民党総裁選でも「人を見る目」が試される。
くれぐれも、彼らが時折見せる“作り笑い”だけには騙されないようにお願いしたい(笑)。
コメント:笑い事ではすまされない。最初のエッセイをお読み願いたい。こう見えても、こちらはこれで結構、マジでガチなんで。
2636.民主主義の本質 9.27
はっきり言って、与党を見ても、野党を見ても、日本のかじ取りを安心して任せられる人物はいません。ところが雑誌「世界」の対談を読んで、一人だけ例外があることに気が付きました。それは元衆院議長の大島です。現在、右翼。左翼を問わず、民主主義を標榜する資格のある政治家はいません。揃いも揃って右傾化の上に、骨のある政治家(村山富市、土井たか子、田中真紀子等)はいません。共産党を除く野党も、保守に傾斜しており、到底リベラルな政党の名にはあたいしません。ところが大島は(いまだに森に気を遣う連中ばかりの)自民党にありながら、安倍晋三にも言うべきことを言い、自民党内で民主主義とリベラル思想の守護人でした。その政治理念は主権在民であり、あくまで国民目線です。そこで、この対談の要旨を、二回に分けてご紹介します。こういう人物が、日本の代表(もしくは自民党総裁)であれば、閣議決定(=密室政治)も無くなるだろうし、国民も枕を高くして寝られるでしょう。ちなみに、私が標榜する政治理念は、右翼でも左翼でもなく、単純明快な民主主義政治(自由、平等、個人の尊厳)であり、私は自分勝手にそれをリベラルと呼んでいるのです。
雑誌世界10月号大島理森インタビュー「『民主主義の本質』を問う」聞き手青木理。
政治家は「劣化」したのか
―岸田首相が自民党総裁選への不出馬を表明し、多数の候補が名乗りを上げた九月の総裁選に向け、メディア報道もジャックされている状況です。他方、野党第一党の立憲民主党も代表選を実施しますが、今日はそうした政局的な喧騒から離れ、この国の近年の政沿をどう捉え、どうあらためていくべきか、じっくりうかがいたいと思うんです。
大島 そのつもりですが、ご期待に沿えるようなお話ができるかどうか。
―大島さんは約三年前に政界を引退されましたが、議員在職は38年、閣僚や党の要職に加え、衆院議長を憲政史上最長となる六年半近く務められました。一方で咋今の政治は劣化が著しいと指摘されますが、率直にどう捉えていますか。
大島 私は「劣化」という言葉を安易に使いたくありません。また、その原因を現行の選挙制度に求め、再び中選挙区制に戻すべきではないか、といった声もあるようですが、それにも強い違和感を抱いています。
―政治家が必ずしも「劣化」したわけではないと。
大島 難しい問題ですが、これは政治の世界だけの話ではないのかもしれません。昨今は特に経済分野で顕著ですが. とにかくスピードと効率、そして成果ばかり求められる。 その状況は政治家にも通じ、深い意味を問う時をなくしているのでは、と反省をこめて思います。
しかし、民主主義というのは議論と妥協と、そして決定の過程をもつものです。非常に手間がかかるものであって、スピードや効率だけで考えられないのです。
ひるがえって世界では、たとえば米国でも欧州でも「民主主義の危機」が盛んに唱えられている。特に深刻なのは「分断」でしょう。
一方で私自身の政治経歴を振り返れば、ひとことで言って私は「平成時代の政治家」でした。もちろん内閣での仕事もさせてはもらいましたが、どちらかといえば議会人の政治家だったと思っています。
G7サミットの衝撃
―地元?青森の県議を二期務めて衆院譲員に初当選したのが1983年でしたね。
大島 ですから英語が流暢に喋れるわけでもない。官僚上がりでもないから行政職の経験もない。それでも90年に 海部内間で官房副長官に就き、大変な負荷に苦労しましたが、一方でおおいに勉強もさせてもらいました。
―当時も世界は激動の時代でした。
大島 ベルリンの壁崩壊にはじまった米ソ冷戦体制の終焉はその象徴です。従来の世界秩序を規定していた壁が壊れ、代わって唱えられたのが「グローバル化」。あらゆる面でそれが唱えられ、30年ほど過ぎた現在、光と影が鮮明に現れてきている。
典型は格差です。市場経済のグローバル化に有益な面もあったにせよ、影の部分として各国で中間層が崩壊して猛烈な格差が生じてしまった。他方、中国やグローバルサウスと呼ばれる新興国が伸長し、新たなパワーポリティクスの時代に入りつつある。
―特に中国が飛躍的に発展し、冷戦後の米国一強時代が揺らいでいます。
大島 だからこそ米国の大統領遠でも「アメリカ・ファースト」が盛んに唱えられている。欧州も同様です。
思い出すのは私が衆院議長に就いた直後、G7各国の下院議長がドイツに会したサミットです。最大のテーマは難民問題でした。当時はメルケル政権でしたが、私は議長国ドイツの議長に聞かれました。「日本は難民問題にどういうスタンスで臨むのか」と。しかし、正直言って私には実感がなかった。難民問題のリアリティがないんです。
―あらためて指摘するまでもなく、日本は難民受け入れに恐ろしく冷淡で、いわゆる先進国のなかでは最も難民に門戸を閉ざしている国です.
大島 ですから外務省がつくったペーパーをもとに話をしましたが、世界の中で生きていくために問題意識は共有しなければならないと、頭をゴンと叩かれるような思いを抱きました。しかもその後、メルケル首相が音頭をとり、EU各国は難民受け入れの割り当てにも乗り出した。すごいことだと思いました。
ただ、その難民問題でEU各国は負担に喘ぎ、極右的な政党が勢力を伸ばしている。つまり、冷戦崩壊後における新たな秩序やグローパル化の光と影がいまはっきり現れ、多くの民主主義国が苦悩している。
と同時に権威主義的な政治体制の国々が「新たな秩序」を訴え、ロシアがウクライナヘの武力侵略に乗り出し、米国や欧州はもちろん、日本の安全保障環境にも大きな影響を及ぼしています。
こうした状況下、岸田政権も防衛費の大幅増を決め、安保三文書を改定し、敵基地攻撃能力の保有にまで踏み込んだ。背後にあるのは中国や北朝鮮の存在であり、そしてロシアによるウクライナ侵攻です。日本も同じ目に遭いかねないのではないかと、そういう世論が岸田政権の安保政策につながっています。
その是非についてはさまざまな声があるでしょう。しかし私は、もっと国会で議論が必要だったと思う。それによって、日本におけるシビリアンコントロールの重要性と国民の責任意識が育まれることになる。
―つまり安倍政権と同様、岸田政権も閣議決定などで安保政策を転換し、国会での議論がまったく足りなかったと。
大島 私は政界を引退している身ですが、いずれも大変な転換なんですよ。
―ええ、防衛費の倍増にせよ、敵基地攻撃能力の保有にせよ、戦後日本の安保政策の大転換です。
大島 ですから野党ももっと議論を要求し、己の意見を政権や与党にぶつけ、国会でおおいに闘ってほしかった。 (以下次号に続く)
・総裁になって欲しくない候補。
https://news.yahoo.co.jp/articles/16d190a56402c77d45651abbfc6316077471f49d
コメント:日本国民(特に若者)は意外にも正気だったことに安堵しています。
雑誌世界10月号大島理森インタビュー「『民主主義の本質』を問う、聞き手青木理の続きです。
国会は役割を果たしているか
―同感ですが、政権や与党のありようこそ問題でしょう。
大島 その通りです。では国会とは何ぞや、という問題になります。
選挙制度の話に戻れば、ロッキード事件やリクルート事件などを経て、このままの政治ではいかんという機運が高まりました。同時に米ソ冷戦体制も崩壊し、自由主義か社会主義かの対立軸の時代も終焉を迎えました。
それまでの日本政治がどうだったかといえば、永遠に自民党政権が続く状況を前提とし、与党内で「擬似政権交代」が起きて、コッブのなかの争いでもあったのです。い わゆる派閥争いで、これ自体は政治の活力につながったかもしれないし、傍目には面白かったかもしれない。
しかし、圧倒的にカネがかかり、「政治とカネ」の問題が厳しく問われるなか、政権交代の緊張愁をもつ政治を目指すべきだという考えが現在の選挙制度につながり、いろ いろ批判や弊害はあれ、それはひとつの道だったと私は思います。
実際、自民党の海部、宮澤両内関から八党連立の細川内閣に至るまでの三内閣が政治改革に費やしたエネルギーは大変なものでした。私個人としては、そこにエネルギーを費やし過ぎ、バブル崩壊の後始末や少子化対策におくれをとったことに慚愧の念はありますが、しかし大変なエネルギーを注いだ結果として現在の選挙制度はある。
では、「国権の最高機関」たる国会の役割、立法府の役割とは何か。私はいち議員として、また衆院議長として自問自答してきました。立法・首相選任ほかの重要役割と、 いま問われているのは、時の内閣へのチェック機能です。これは与野党とも同様で、野党は徹底的に闘えばいいし、与党は内閣をつくった責任があるわけですから、国民の信頼を得られているかどうかを撤底してチェックしなければならない。そう考えたからこそ、安倍内閣の際に私は「所感」を発したのです。
―衆院議長として2018年7月に発した「所感」ですね。森友学園問題をめぐる公文書改竄などを受け、これらの問題は「立法府・行政府相互の緊張関係」の上に成り立つ議院内閣制の「基本的前提を揺るがす」と難じ、安倍政権に真相究明を求めると同時に.国会が行政監視の役割を果たしているか警告を発する内容でした。
大島 ええ。ギリギリまで考え、ここで言っておかなければならないと考えた結論です。
ですから行政監視機能をさらに高めるために国会がどうあるべきか、特に若い議員の皆さんにはいっそう真剣に考えていただきたい。我こそは主権者から選ばれし者なりと、 だから与党であっても時の政府に言うべきことは言わねばならんと、こういう胆力ある「志」を取り戻してほしい。それは選挙制度をいじれば解決するものではないでしょう。
逆にこの30年で二回の政権交代が起きています。戦後間もない混乱期はともかく、80年近い戦後政治のうち、直近の30年で二回だから大変なことです。そして、それ が起こりうる制度なんです。そのことを常に念頭に霞き、与野党を問わず、健全な競争と緊張恙が生まれる政治に取り組んでほしい。
―だからこそ野党に頑張ってほしいと。
大島 そうです。米国にせよ、他の民主主義国家にせよ、政権交代がある政治には活力がある。韓国や台湾も同様でしょう。
また、現在の選挙制度下の政治は、連立の政治です。自民党だって、第二次橋本政権二年間のわずかな期間を除けば、単独で政権を担ったことはない。それを前提にどんな 政権構想を示し、どう闘うかという覚悟が必要です。私は国対(国会対策委員会)の仕事が長かったので立憲民主党にも親しい議員は多く、幾度か申しあげたことがあります。「皆さんは三年半、政権を担った経験がある。失敗もあれば成功もあったのに、なぜそれを生かさないのか」と。
繰り返しになりますが、かつてのような自由主義か社会主義かの択ーではなく、人びとの価偵観が多様化するなか、ひとつの党では有権者の多様な意思をすくいあげ、まとめあげるのは難しい時代です。だから連立なのであって、野党の皆さんも、識者の皆さんも、そして何より有権者の皆さんが、いかにしてコンペティション(競争)による緊張感ある政治をつくるか、真剣に考えてほしい。
戦後80年を前に
―では現在の野党に必要なものは何ですか。
大島 これは与野党を問いませんが、政治に必要なのは「志」と「熱」、そして「技」です。いうまでもなく「志」とはどのような国をつくりたいかという目標であり、それが具体的な政策にもつながる。また、それを実現するためには持続する「熱」が必要です。そして政治の「技」。そ こには「妥協」なども含まれるかもしれない。
実際、多様な有権者の価値観をすくいあげる政治は、与党内はもちろん、時に野党とも調整して着地点を見出すのだから妥協の連続です。あるいは「忍耐」と言い換えてもいい。特に政権をとるには「志」と「熱」に加え、「技」 が必要になってくる。
自民党もそうでした。かつては社会党と政権をつくったこともある。それにあたっては、言葉は悪いけれど「韓信の股くぐり」だって必要な時もある。
―それはまさに大島さんがおっしゃった民主主義の本質にもつながりますね。
大島 その通りです。民主主義とは手間がかかるものであり、スピードとか効率とは対極にある。ただし、「技」ばかりが先行してはダメです。大前提として国民国家のための「志」をしっかりと持ち、「熱」によってそれを持続させねばならない。
私はいま、とりわけ野党の皆さんにそれを期待したい。他方で有権者の皆さんも、一見効率的に感じられる独裁的手法やポピュリズムには流されないよう、きちんと見極める必要があります。
―その点、第二次安倍政権が長期政権を成し遂げたのは、政策等の是非や賛否は別としても「志」と「熱」、そして「技」が備わっていたからですか.
大島 安倍さんは二度大きな挫折を経験しているんですね。父の安倍習太郎さんが病に倒れた悔しさ。そして第一次安倍政権の挫折。これに学んだところは大きかったのでしょう。さらにいえば、政権維持のために解散権を巧みに使い続けた。
―言葉を変えれば,政権維持のために解散権を相当勝手に濫用したと。
大島 そこまでは申し上げません。ただ、二度の挫折を経て、政権運営にあたっての総合的な「技」を持っておられたのは事実でしょう。他方、解散権が今後どうあるべきか、憲法や国会法を含む国会改革のなかで真剣に議論していくべきテーマだと思います。
―最後にひとつ。はじめに大島さんはご自身を「平成時代の政治家」とおっしゃいました。では平成に入って以降の30数年、この国は果たして良くなったのか、政治はきちんと機能したのか。率直にどうお考えですか。
大島 さまざまなご意見はあるでしょうし、「失われた30年」などという言われ方をしたりするとおり、私自身も忸怩たる想いは多くあります。
ただ、間もなく80年となる戦後の日本は、戦争に一度も直接関与はしてきませんでした。これは大切なことであり、国民や有権者の皆さんとともに政治が選択してきた道であり、国民や有権者の皆さんとともにつくった政治の結果です。
―それはもちろん、防衛費を倍増すれば今後も守られるものではありませんね。
大島 当然です。
たしかな防衛整備は必要です。かつてクラウゼヴィッツは「戦争論」で戦争を「政治の延長」などと評しましたが、有事を起こさせない、しかしながら有事に備えつつ外交努力を尽くすことです。中国にしたって、好き嫌いの問題ではなく、地政学的には切っても切り離せない隣国なんですから。
そうした確信の上に立ち、現在の日本政治の問題点は何か、何をどう改善しなければならないのか。自民党の総裁選や野党の代表選などを通じ、新しい時代をつくるためにおおいに議論し、必要な政治改革に取り組んでほしいと心から願っています。
大島理森(おおしま・ただもり)
元衆院議長。1946年、青森県生まれ。慶応大学卒。毎日新聞社勤務を経て青森県議に。農相、自民党国対委員長、幹事長、副総裁などを歴任。
膏木理(あおき・おさむ)
ジャーナリスト.1966年長野県生まれ。著書に「時代の反逆者たち」ほか多数。
朝日新聞(9.27)耕論「岸田政権の3年間」から
「広島を貸座敷にした罪」NPO法人理事長 渡部朋子
「広島を『貸座敷』にしないで」。これは、平岡敬・元広島市長の言葉です。被爆地・広島を都合良く利用しないでくれという意味で、私もよく使わせてもらっていますが、岸田文雄首相は見事に広島を「貸座敷」にしてしまった。その罪は深いと思います。
昨年5月に広島で開催された主要7カ国首脳会議 (G7サミット)。発表された「核軍縮に関するG7 首脳広島ビジョン」は、核抑止力維持の重要性に触れ、核軍縮に「条件」をつけるなど、「核兵器のない世界」への決意や道筋を示したとは到底言えません。 あのようなものに「広島」 が冠されたことへの怒りはいまだ収まらない。取り消してもらいたいです。
(中略)
外形上は広島を背負ってみせた首相が、「橋渡し」どころか米国の言いなりで、広島が願う核兵器廃絶を本気で考えていなかったことを露呈した。そればかりか防衛費を大幅に増やし、殺傷能力のある兵器の翰出まで解禁した。岸田さんにとっての広島とは、いったい何だったのでしょう?
(中略)
東京で育っておられることの影響は やはり大きいのではないか、育った土地によって、培われるものは当然違ってきますから。
結局、岸田さんはどこにも根を張れなかった政浩家ではないでしょうか。恥ずべき「広島ビジョン」はその証左で、そういう人を代表に選び、期待を寄せてきた側の責任にも思いをはせずにいられません。
「スルッと切った重大な舵」漫画家 しりあがり寿
朝日新聞で連載している「地球防衛家のヒトビト」では、岸田文雄さんは「翻弄され型」のキャラとして描くことが多かったですね。この3年間、新型コロナとか、ウクライナとガザの戦争とか、安倍晋三さんの銃撃事件とか大きなできごとが続いて、そのたびに「どうしよう」とあたふた走り回っている。そんなイメージでした。
岸田さんは、見た目からすると、大企業のサラリーマン、それも社長じゃなくて部長とかの中間管理職ですよね。記者会見でも、言葉をとらえられないようにその場その場をしのいでいく。その点でも中間管理職っぽかったですね。
でも実際には、外交とか 安全保障ではすごく思い切ったことをやっていたわけでしょう。あのスピード感には鷲きました。マンガで描いていたのと、実像はかなり違っていたのかなとは思います。
岸田政権の3年問という のは、すごく怖い時代だったと思うんです。世界の秩序が揺らいで、不満とか憎しみが噴出してきた。戦争が起きるかもしれないという不安が現実のものになってしまった。
(中略)
首相になったとき、「聞く力」をと言っていましたけど、国民の声をていねいに聞いていた感じはなかったですね。防衛費の増額とかの重要な問題を、あれよあれよと決めてしまった。
(中略)
防衛費増額とか、原発回帰とか、大きな政策変更をするときも、きちんと説明するより、なるべく角が立たないように、スルッとすり抜けていく。体中に油でも塗っているみたいに、ぬるぬるしてつかみどころがない感じでしたね。
安倍政権のような激しい対立はなかったけれど、気がついたらいつのまにか舵を切られていた、そんなイメージの3年間だったと思います。
2637.国際社会の30年 10.1
今回の前書きは朝日新聞(9.30)記者解説、国際社会 失われた30年です。
明日への一石、大変革期を考える 国際報道部 喜田尚から
冷戦終結後の1990年代、国際社会は非人道行為に共に対処しようとしていた
欧米は人道主義などを掲げつつ力の論理に頼り、いまでは影響力を後退させている
国際社会の倫理基準の回復には、国家の枠組みを超えた市民社会の動きも重要だ
国際社会は混迷している。米国や欧州の主要国は「ダブルスタンダード」(二震基準)を批判されている。ロシアのウクライナ侵攻は批判するのに、民間人に大量の懐牲者を出しながらパレスチナ自治区ガザヘの攻撃を続けるイスラエルを支援している。
(中略)だからこそ、パレスチナの暫定自治を認めた93年9月の「オスロ合意」は衝撃だった。湾岸戦争後の秘密交渉でイスラエルとパレスチナが初めて互いの存在を認め、和平交渉の開始を決めた。
ソ連は消滅し、ウクライナやバルト3国、中央アジア諸国は独立して新たな歩みを始めていた。
国際社会から忘れられていた人々にも光が当たり、矛盾もいつかは正されるー。新しい時代が始まったと当時は実感できた。
残念ながら、いまでは遠い過去の話となってしまった。
イスラエルとパレスチナの和平交渉は進まなかった。昨年10月のイスラム組織ハマスの攻撃をきっかけに、イスラエルのガザヘの攻撃は凄惨を極める。2022年2月からのロシアのウクライナ侵略にも終わりが見えない。多国間協力より自国利益優先のナショナリズムが世界を席巻している。
間違いはどこにあったのか。
1990年代に課題とされたの は、冷戟時代に絶対的だと見られていた国家の枠組みを超えて、いかに個人の人権を守るかだった。ルワンダの虐殺や旧ユーゴスラビアの紛争を機に「人道的介入」の議論が本格化した。ある国の政府が国内の人権侵害や非人道行為を止めようとしない場合は、国際社会が共同で対処し、必要なら軍事力も行使するという考え方だ。
自国の主権を重視する新興・途上国からは冷戦の勝者である欧米主導の議論に警戒の声があがった。それでも、人権尊重や人道主義が普邁的な価値であることは共通認識だと思われていた。
ただ、強者は価値の受け入れを求めつつ、自らはルールを拡大解釈しがちだ。普遍的な価値は建前となり、力の論理が次第に勢いを増す。2001年9月に米国同時多発テロが起きると、人道的介入は米国の「テロとの戦い」と混同されていくようになった。
私はテロ直後からアフガニスタンに入った。米軍による空爆でイスラム主義勢力タリバンは首都カブールを去った。極端なイスラム法の解釈による圧政はなくなったが、米国の主な目的はアフガン国民の救済ではなかった。ブッシュ政権はテロ組織掃討を掲げ、「味方になるのか敵につくか」と迫る戦争の論理で動いた。
米国は03年、同盟国の反対も押し切ってイラク戟争に踏み切る。開戦理由にした大景破壊兵器は見つからず、後付けで「独裁からの国民の解放」をアピールした。
人道的介入の基本理念である「保護する責任」は、05年の国連総会特別首脳会議の成果文害に盛 込まれた。北大西洋条約機構 (NATO)による11年のリビア内戦への介入はその初のケースとして安保理の決議を受けて行われた。
しかし、介入後の統治はアフガ スタンやイラクと同じように混迷。国際規範となったはずの保護する責任は、次第に口にされることが少なくなった。
(中略)シリア内戦では中国やロシアの反対で安保理は動けなくなった。中ロは軍事や経済で存在感を増し、欧米の影響力は相対的に下がった。
人権尊重と人道主義は欧米の内側でも揺らいでいる。
(中略)不満の受け皿となった右派ポピュリズム勢力は自国第一主義をかかげ、国際協力を否定した。
民主党と共和党が競ってきた米国でも「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ前大統領が影響力を強める。共和党の「トランプ化」は顕著で、大統領選での議論はトランプ氏を肯定するか否かに終始している感がある。 (以下略)
コメント:上記の解説を読んだからと言って、我々に出来ることはありませんが、世界の有りようを正しく理解する事が、政治、外交、経済等、人間の全ての活動の基礎であることを念頭に置いて頂ければ幸いです。
2638.自己陶酔の田舎芝居 10.2
・立憲、党内対立のままスタート。
https://digital.asahi.com/articles/ASS9S3DJ0S9SUTFK00MM.html?comment_id=28676&iref=comtop_Appeal4#expertsComments
コメント:野田佳彦が、言うに事を欠いて、リベラルから距離を取りたいと言い始めた。保守の野党なら、公明、維新、国民と揃っており、立憲がその仲間入りをする意味が分からない。自分の価値観を振りかざし、国民のニーズを理解しておらず、理解しようともしない点は、前回の野田政権時代と全く変わっていない。偏狭さでも橋下徹と同等。これでは石破と対決する前から、勝負はついている。人間の格も比較にならない。加えて独断、鈍感、しかも右より。それを選んだのは立憲の議員だと思うとやり切れない気持ちにさせられる。これからは国会討論で毎回自己陶酔の演技を見せられるのも辛いものがある。一番困るのは石破の早期解散戦略に、打つ手が全くなさそうに見える事だ。無策では勝てないし、その場合の敗北には党首が大きな責任がある。枝野幹事長時代のボロ負け選挙を思い出す。
2639.総裁選の総括 10.3
今回の前書きはサンデー毎日(10.13)の記事とコラムです。総裁選の直後なので、引用が長くなることをお許し願います。
でもその前に小生の短いコラム、天性人後をどうぞ。
・臆面もなく知事選に参加する斎藤。それくらいの事で、なんで辞職しなければならないのかと言い続けた。職員が2名亡くなっているのに、なんでそれくらいとしか言えないのか。その精神構造は、ただの自己中を超えて、幼稚としか言いようがない。
・石破の仕事は日本の政治・経済・外交から安倍色(邪教と金権主義、権威主義の呪い)を一掃することだ。それさえできれば後は多少過不足があっても許されるだろう。
さて最初の前書きは「石破新首相はバラ色か、待ち受ける試練」鈴木哲夫です。
(前略)ところが、である。景終週の終盤になり、私が20人以上の議員に個別に取材すると、派閥単位などではなく、個々のレベルで変化し始めていたのだった。
まずは衆院議員。2回生や3回生など、まだ選挙地盤が強くない議員たちだ。
「新総裁になったら総選挙が必ずある。考えるのは選挙の顔。特に野田さんが立憲の代表になったら、論戦に対抗できるのは誰か。進次郎さんは厳しい。高市さんは強硬な保守で、野田さんは穏健派の保守。2人の論争になると高市さんはますます先鋭的な保守色が強まって、逆に中間の無党派の保守層は野田さんに流れていくリスクがある。そう考えると論戦ができて、同じ保守の土俵で戦えるのは石破さんと思うようになった」(安倍派2回生)
次に参院議員。
マスコミ各社の調査では、参院議員は誰に入れるか無回答の比率が大きかったのだが、個別に聞いてみると参院議員なりの事情があった。
「我々の選挙は1年後。そうすると1年先も踏ん張れる政権は誰かということを考える。進次郎氏は危ない。通常国会で答弁が持つかどうか。高市氏は外交で不安がある。首相になっても靖国神社に参拝に行くと言い切っているが、日韓関係も良くなってきているのに逆戻り。アメリカの大統領もハリス氏になったら、靖国参拝は日米韓の連携や米中の関係にも悪影響を与えるから絶対に行くなと言ってくる。そんな圧力に屈して行かなかったら、国内の保守が黙っておらず政権は不安定になる。そうやって考えると、1年先も何とか水平飛行を保てる安定感は石破氏ではないか」(来年改選、全国比例議員)(中略)
苦節5回目の挑戦でつかんだ総裁・首相。しかし、石破氏の今後は、決して悠々自適の道ではない。石破氏に何度も選挙応援に入ってもらったという東北の自民党県議は、こう語る。
「石破さんとの付き合いは選挙応援。ただ、私たちは勝てる選挙は石破さんを応援に呼ばない。厳しい選挙の時にこそ人気の石破さんに声をかけ、石破さんは必ず来てくれた。だからこそ石破さんは、厳しい選挙を通じて自民党への世論の逆風を誰よりも感じ、自民党がいま何をすべきか本当に分かっている。それを東京に戻って口にするから永田町では『後ろから鉄砲を打つ』とか『反党的』などと言われて除け者になってきた。でも石破さんが一番世論に近い人だ」
だが、そうした石破氏だからこそ、難しい面もあると指摘する。
「いままで批判してきたことを総裁・首相になって、本当にやり切れるのかということ。裏金問題の解明や党改革にしても、トップになったら党内に気を使い、トーンダウンしてしまったら、期待が大きいだけに逆に失望も大きくなってしまう。そこが試されるのではないか」(中略)
岸田氏が石破氏を勝たせ、政策も継承させたとして、今後新政権では岸田氏が次のキングメーカーとして存在感を示すことになる。(中略)新たなキングメーカー岸田氏の独り勝ちと言ってもいいが、石破氏が岸田氏やその背後の財務省に支配されるようなことがあってはまずい」(中略)
「いずれにしても、そうした相変わらずの背後の権力闘争に気を使ったり、巻き込まれたりすることがないように、一線を引けるかどうかが試される」 (以下略)
二番目は「倉重篤郎のニュース最前線、安倍支配下からの事実上の政権交代だ」から
(前略)自民新総裁が決まった。上位3氏が最後まで激しい集票戦を展開したが、蓋を開けてみれば、やはりそこに落ちついたか、という結果であろう。
なぜ、石破氏が最後の勝利者になったのか。
自民党という政権政党にとって、この選挙にはクリアすべき二つの条件があった。一つは、裏金事件への批判がなお尾を引く中で、次期衆院選で間違っても政権転落の憂き目に遭わないで済む顔を選ぶことである。支持率1%は数十万票に値する。その得失に徹底的にこだわる。過去二度政権を失ったトラウマを抱える自民党としては、ここは譲れない必要条件であった。
今―つは、かといって国民人気だけでは務まらない。首相としての資質もまた問われる。国会で首班指名されればただちに組閣、予算編成、各種政策の優先順位を勘案、国会であらゆる質問に答え、米大統領、プーチン、習近平ら各国首脳と渡り合う。要は、政治家としての経験、人事力、政策力、答弁力、中でも最高権力者としてのバランス感覚が、首相になった翌日から問われることになる。こちらは十分条件である。
片方だけというわけにはいかない。必要十分条件を均衡的に満足させる、というのが今回の総裁選における「選択の論理」であった。
その意味では、最初から石破氏という選択肢しかなかったということにもなる。(中略)
それに比べ、9候補のうち6人は、国民人気という「第一関門」で振り落とされ、小泉氏は「第二関門」の政治家としての経験、答弁の安定性という点で「X」がついた。林芳正、茂木敏充、加藤勝信3氏はキャリアという十分条件では、優位性があったが、必要条件には全く届かなかった。派閥本位の従来の総裁選であったなら、むしろこの3氏が上位グループで競い合っただろう。岸田文雄首相が今年1月、裏金対応で苦し紛れに打ち出した派閥解消策が、過去の自民党的常識を打ち破る結果を出した、ということにもなる。(中略)
高市陣営が氏宜伝のリーフレットをルール違反ギリギリで駆け込み配布、推薦議員20人のうち13人が裏金 (不記載)議員であるなど公正性、安定感を欠いたこと。首相として靖国参拝を公言、そのタカ派体質が、近隣諸国との関係を悪化させるのみならず、中道保守票の離反につながることを懸念したのではないか.
望月衣塑子東京新聞記者は、「高市氏は右派色を抑え、弱者への配慮を見せるなど巧みなアピールを繰り広げたが、リーフレット、裏金推薦人問題など、最後のところで信頼しきれない部分が残った。自民党総体として右寄り路線を警戒する良識が働いたのではないか」と分析する。(中略)
今回、小泉追次郎氏は、問題は改革のスピードだとして、徹底的な新自由主義的改革路線を打ち出した。(中略)
石破氏のスタンスはこのいずれの路線とも異なる。金融所得課税や法人税増税をにおわせ、解雇規制緩和には慎重さを見せた点では、経済界主導の進次郎氏唱える改革路線とは一線を画し、安倍路線に対しては、安倍政権時代から一貫して対決型である。その意味で、石破新総裁の誕生は、20年続いた森嘉朗、小泉純一郎、安倍晋三氏による清和会、特にこの10年続いた安倍政治を疑似的にせよ修正、変更していこうとする、自民党に埋め込まれた仕組みの発動として起きたという言い方もできる。
とはいえ、石破陣営もここに至るまでは大変な労苦があった。国民人気に比べ、自民党内人気が異様に低かった。(中略)
裏金事件の責任を取って岸田首相が不出馬宣言をしたことによる総裁選であった。にもかかわらず、議員票への影響を意識し、論戦は極めて低調であった。
(裏金)不記載で党内処分を受けた39人を次期選挙で公認するか否かが問われた が、石破、小泉両氏が非公認の可能性を否定しなかっただけで、他はほぼ一事不再理と語るに落ちた。(中略)
ジャーナリストの田原総一朗氏はこう語る。
「政治とカネの悪循環をどうするか。真剣な討論と具体策が最後まで見えなかった。過去に約束したはずの企業団体献金の見直しも進まなかった。(中略)自民党は、所 詮野党がまとまることはなく、政権交代まではいかないと高をくくっている。本気になっていない」
金子勝慶應大名誉教授は裏金議員非公認にこだわる。
「郵政民営化の際に小泉純一郎首相が反対派を公認せず刺客を立てることで選挙で大勝ちしたが、あれと同じように、石破氏が裏金議員を徹底的に追及、せめて安倍派幹部に対して刺客選挙を仕掛ければ圧倒的に支持率が上るだろう。野党がいくら追及しても、その迫力に負ける。(中略)石破氏が非公認を断行する度胸があるかどうかだ」
外交安保論議はどうか。(中略)
台湾海峡を巡り米中対決が深刻化する中で日本がどうやって平和的な仲介外交を進めるか、という日本外交の最大の二ーズには踏み込めないまま、大半が判で押したよう に「自由で開かれたインド太平洋戦略」を唱え、安倍政権以来の日米同盟一体化による軍事的抑止力強化路線をなぞる議論が続いた.
唯一、石破氏が日米地位協定の見直しや対米自立に触れたが、具体的な工程表はなく、講論が深まることはなかった。(中略)
佐高氏も以下語る。
「9人のうち護憲派が一人もいないのに驚いた。『自民党の維新化』だ。安倍、菅、 岸田氏と歴代政権は、改憲を共通目標に、維新とある種結託してきた。それが今回の護憲派ゼロという事態をもたらしたのだろう。総裁選立候補者では加藤紘一氏が最後の護憲派だ。ただ、国民世論で言えば、護憲派がなお半分近くいるわけだから、自民党自体が世論とかけ離れてきた、ともいえる。常識・見識の石破氏には期待するが、憲法観には違和感もある。果たして『非常識な自民党』を改革できるかどうか」
経済財政論議はどうか。
規制緩和、財政再建、産業、エネルギー政策など各論は、それなりの議論はあった。だが、この10年続いたアベノミクスという基幹政策をどう総括するか、という肝心要の議論は十分に行われなかった。継承派の高市氏と批判派の石破氏がその功罪、今後の姿を徹底論争する場が欲しかった。
小泉氏提唱の解雇規制見直しがミニ争点化した。(中略)
最後は今後の政局だ。
立憲民主党代表選では、野田佳彦氏が決選投票で枝野幸男氏を破り、新代表に就任した。野田氏は民主党が政権から転落した際の「戦犯」であり「昔の顔」ではあるが、次期衆院選で、裏金スキャンダルに批判的な保守中道層の受け皿になり、あわよくば野党勢力で自公議席を上回り、1993年の細川護熙連立政権誕生時のような政治情勢を作りたい、という狙いが見える。シナリオライターは小沢一郎氏だ。石破氏同様、最後の闘いを挑んでいる。
田原氏が語る。
「立憲は野田代表、小川淳也幹事長の布陣だが、小沢氏が力を持つと思う。自民党が過去二度政権を失った相手はいずれも小沢氏だ。二度あることは三度ある。当然小沢氏はそれを狙う」
佐高氏はこうだ。
「野田氏がどこまで野党をまとめられるか。と同時に与党である公明党をいかに自民から引きはがすか。公明党も今変わり目にあり、チャンスともいえる」
3番目は高村薫のサンデー時評「金権の一掃、立憲主義の再興、すべてかなわぬ政治への失望」からです。
(前略)いったい何のためのガラガラポンだったのか、立候補者9名が各々内輪の論理と人気取りに終始した総裁選だった。もとは裏金問題で行き詰まった末の岸田首相の総裁選不出場に端を発したにもかかわらず、22日現在、9名全員が裏金問題への言及から逃げ続けて選挙は終盤を迎えている。
裏金議員であっても彼らの一票がなければ当選できない仕組みである以上、候補者たちの頬かむりに驚きはないが、失望はある。このまま裏金議員を放免し、政治資金規正法の抜け穴も放置し、政策活動賣や文書交通費も現状維持であれば、腐った土台の上にどんな新しい政策を築いても刷新にはならず、有権者の信頼を取り戻すことにもならない。その基本中の基本さえ候補者たちの頭から抜け落ちているところから察するに、初めから本気で刷新する意思はなかったか、端から有権者を甘くみているかのどちらかであろう。その意味では、18日に朝日新聞が報じた故安倍元首相と旧統一教会の密接な関係を裏付ける決定的な証拠写真について、候補者全員が再調査を否定している件も同様である。(中略)
筆者は強い政治など端から望んではいない。望むのは晟低限のルールに従い、責任の所在を明確にする真っ当な政治である。戦後79年守られてきた立憲主義に則り、政策を確実に国会に諮り、熟議と妥協と地道な積み重ねによる当たり前の政治が行われてほしい。もとより複雑な東アジアの情勢を冷静に俯瞰し、アメリカ一辺倒に傾くことのない知恵と工夫の積み重ねによって平和と安定を築いてゆく粘り強い政治がほしい。アメリカに門前払いされても、日本国民のために日米地位協定の改定を頑迷に要求し続ける、愚直で誠実な政治がほしい。
折しも18日には、(中略)中国海軍の空母などが与那国島と西表島の間の接続水域を初めて航行していった。また同日、深訓では日本人学校の10歳の児童が、反日感情に煽られた中国人男性に刺殺された。こういうとき、原潜よりも中国との対話のチャンネルを一つでも二つでも確保することを考えるのが現実的な外交だと思うが、候補者たちからはそういう話も聞こえてこない。今回の総裁候補は全員が日米一体化を推進する立場であり、台湾有事と同時に沖縄や南西諸島が戦場になるのもやむなしという認識のはずだが、そういうシビアな話も語られない。
この総裁選は本来なら、世代交代とともに政治とカネという長年の宿痾を一掃する絶好の機会となるはずだった。また同時に、安倍政権下で進んだ国会軽視と立憲主義の否定を正常な状態に巻き戻す機会にもなったはずだが、そのどちらの好機も自民党は自ら葬ったと言える。一国民としては、依然政権交代の足腰が伴わない野党の現状を含め、こうしてまた日本の政治を一歩前へ進めることがかなわなかった失望は深く、大きい。
コメント:付け加える言葉もありません。せめて高市のようなタカ派の似非議員でなかったことで、満足するしかありません。
2640.しりとり 10.4
今日の前書きは政治・経済・国際情勢ではありません。なんと、しりとりです。
朝日新聞(10.3)言葉季評「しりとり今昔 永遠に新鮮」穂村弘(歌人)から
(前略)通学路でしりとりなんて懐かしい。私にも覚えがある。この言葉遊びに、子どもは一度は熱中するものなのかもしれない。
こんな短歌を思い出した。
しりとりに命かけてた小3の僕に衝撃与えしンジャメナ タカノリ・ニシダ
「ンジャメナ」はアフリカのチャドという国の首都らしい。「ん」からもしりとりは復活できる。世界は広い、ということをたった一つの言葉から実感させられたのだろう。
「ん」から始まる言葉といえば、詩人の谷川俊太郎がテキストを書いた『んぐまーま』(絵・大竹伸朗)という絵本がある。不思議なタイトルは、日本語の枠組みから逸脱することで、その可能性を追求したものだろう。
谷川さんにはまさに『しりとり』という絵本もあって、そこには「となりのみっちゃん」「Chance Operation」「しょんべん」なんて言葉の流れが登場する。なんと「ん」「ん」「ん」の3連発だ。「ん」の前 の文字から続けて音を拾っているから、「ンジャメナ」や「んぐまーま」に頼らなくても続けることができる。まさに不死身のしりとりだ。
もう一首、しりとりの短歌を引用してみたい。
「煤」「スイス」「スターバックス」「すりガラス」「すぐむきになるきみがすきです」
やすたけまり
負けず嫌いのしりとり上級者同士による「す攻め」対決だ。でも、「煤」「スイス」/「スターバックス」/「すりガラス」/「すぐむきになる/きみがすきです」と区切れば、ちゃんと五七五七七の短歌になっている。
しかも、「すぐむきになるきみがすきです」は突然の愛の告白。にもかかわらず、「す攻め」の戦いは継続されているところが最高だ。この後、相手はなんと答えたのか。誰にもわからないけど、その言葉もきっと「す」で始まって「す」で終わったはずだ。 (以下略)
コメント:ンゴロ・ンゴロもあるよ。