「オンライン・オピニオン」



永田町の生きもの
斎藤が掘った墓穴
米国は世界の三流国
立花の本心
国保は高すぎる
家計術
コメ不足の原因
SNSが壊したもの
代執行1年


2671.永田町の生きもの 12.5

今回の前書きはサンデー毎日(12.15/22)サンデー時評 村薫
「SNSによる扇動 信を置くべきは公正さ」から
(前略)言うなれば今回の出直し選は、選挙という実社会の仕組みに便乗して、ネット上の祭りが斎藤元彦という疑似カリスマを創りだし、多くの有権者がそれに参加したということだろうと思う。

さてしかし、いかにカリスマであっても、地方自治体の首長である以上、公益通報者保護法を独断で反故にするようなことはあってはならないし、権力を振りかざしての職員への恫喝も許されない。

この2点は、百条委員会ですでに一部明らかにされている事実であり、常識的にはこれだけで十分に知事失格である。従って、非日常の高揚やカリスマを求めた有権者が、SNSに扇動されるままにこうした負の事実に眼をつむったツケは、県民自身がいずれ払うことになろう。また、SNSに氾濫する言説が既存のメディアを圧倒する時代となったのは事実だが、それは既存の言葉の敗北を直ちに意味するわけではない。媒体が何であれ、私たちが信を置くべきは偏りのなさや公正さなどであり、それは人についても同様である。あなたが信を置く人は、真に公正で誠実な人か。カリスマはそう簡単に降ってはこないと知るべきである。

コメント:斎藤が公正で誠実とは到底思えない。


二つ目は葉月亭遊人の「永田町生きもの劇場」です。

「立民代表 野田佳彦」与野党知らんぷり
国会の首班指名で無効票が84票。
石破茂221票に野田佳彦160票。単純計算だが無効票の84票野田と書いていれば244票。今ごろは野田が総理官邸の主になっていた▼せっかく自公を過半数割れに追い込み、立憲は50議席も増やしたというのに、なんとも影が薄い。首班指名の前、野田は野党各党を回って「野田と書いて」と頼んだが色よい返事はナシ、当たり前だ。ガタイに似合う迫力がないからだ▼ベテラン議員は「麻雀はいい配牌が揃うとチマチマ上がろうとするもんだ。政権交代なんてイチかバチかの大勝負。配牌を崩して役満を狙わなくちゃ」と▼明治維新の西郷隆盛は大胆な奇手の連続で徳川幕府を倒した。野田に西郷を求めるのは無理か。

コメント:無理です。ただの演説好きの親父でそれ以上の何者ではない。


「大坂府知事 吉村洋文」

「目指すは野党第1党」だの「立憲民主党をぶっ潰す」なんて威勢のいいこと言ってた日本維新の会だったけど、総選挙では比例票で300万近く減らし惨敗。馬場伸幸代表は辞任に追い込まれ、代わって登場したのが吉村洋文大阪府知事だ▼先輩の橋下徹、松井一郎両氏と同様、知事と国政政党代表の二足の草鞋を履いたわけだけど、大して話題にもならない。維新の「威信」が大幅低下する中で、「かつて」の人気者も前途多難か▼まあ、総選挙の結果を見ても、結局、維新って、大阪限定の地域政党だったことは明らか。ということは 大阪府知事が党の代表になるってのは適任かも。「全国政党」なんて大風呂敷を広げないで、地元に「巣ごもり」してれば楽ちんだよね。

コメント:その後前原を共同代表と言う奇手を打ってきた。それが吉と出るか、凶と出るか、興味津々。


「N党 立花孝志」法の網抜けて暴走

度を越した愉快犯だ。兵廊県知事選では当選を目的としない立候補で、斎藤元彦候補の応援団。しかも誤情報をSNSで膨大に流し、政策とは無録の「いい人斎藤vs既得権勢力」に単純化。それを見た有権者が斎藤陣営へとなだれ込んだ▼県の百条委員会委員長の自宅前で「出てこい」「脅して自死しても困るからこれくらいにしておく」と動画配信。委員長が、名誉棄損で刑事告訴すると、立花も民事訴訟するという▼これまでも常習的脅迫でドバイに逃走中の「ガーシー」を当選させたり、都知事選ではポスター枠を販売したり▼公職選挙法の網をすり抜けての場外乱闘的な活動。問われているのは安易にSNSを信じてしまう社会風潮と、事実を見る確かな目だ。

コメント:国会の答弁で、辻元の質問に答えて、総務大臣の村上が、立花の行為は公職選挙法違反だと断じた。そうこなくては。地球から消えて欲しい人間の筆頭はネタニヤフとトランプだが、日本人では立花だろう。いずれも人権蹂躙と反社会的行為、しかも私利私欲の常習犯。だから同類の斎藤を応援したのか。しかも斎藤を応援する経営者からちゃっかり金までもらっている。これでは二重の選挙違反だ。日本の政界は豚と蛇と狸(雄は野田、雌は小池)が我が物顔で闊歩する動物農場になったかのようである。



2672.斎藤が掘った墓穴 12.6

今回の前書きは週刊新潮(12012)「刑事告発された斎藤元彦知事が釈明会見で堀った墓穴」から

(前略)知事選を所管する兵庫県選挙管理委員会に聞くと、「そもそも選挙運動というのは無償で行うことが前提で、例外として、街宣車のウグイス嬢や事務員など報酬を支払ってよい人は予め決められているのです。一般論で言えば、ある個人、業者が主体的に企画立案して、SNS発信など候補者を当選させようという活動を行い、候補者がそれに対して報酬を支払った場合は買収の推定を受ける可能性があります」
仮に搜査機関により買収容疑で起訴され、有罪となった場合、斎藤知事は失職し、再び知事選が行われる。その際、斎藤知事は公民権が停止され、出馬できない。こうした事態に発展することを恐れたのか。折田氏は投稿直後から、姑息に当該記事の内容を修正することに精を出す。(中略)
思想誌『表現者クライテリオン』編集長で京都大学教授の藤井聡氏によれば、「齋藤知事の弁護上は、どんどん修正が加えられた記事の最終版しか読まずに会見に臨み、公選法違反ではないと言っている。何が法的に問題なのかを知らないので、具体的に何が嘘なのかも指摘できていない。全く説明になっていないのです」会見の模様を見た前出の鈴木氏は、こうも言う。「齋藤知事は自分の口で語らず完全に代理人任せ。不自然に折田氏側に責任を負わせようとしています。今後の搜査などで法的な責任は問われていくでしょうが、道義的責任として、あれだけ自分の選挙に献身的に関わってくれた人に対して冷たすぎやしないでしょうか。これまでのパワハラ疑惑や公益通報に対する対応を含めて、自分を支えてくれた人を守るという認識が薄い。そういう人が行政のトップにいるのは如何なものでしょうか」
代理人が会見で墓穴を掘り、自ら馬脚をあらわした格好の齋藤知事―。追い詰められた折田氏も、ここまで来たら「肉を切らせて骨を断つ」の意地を見せ、真実を語るしかないのではなかろうか。
関連記事:支払いは代表務める政治団体経由。
https://news.yahoo.co.jp/articles/14366598d49f08ecdaa1381bb032f60d1e17f3b9
コメント:隠蔽の意図。

関連記事:何でもかんでも捜査していられないが、告発状は受理せざるを得ない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/34b5847ae54c11632ddf3d43f5d6cd46c079e303
コメント:誰の為の警察や検察なのか。腰が引けている。



2673.米国は世界の三流国 12.10

・トランプ、議会襲撃の被告恩赦。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6522148
コメント:米国は図体が大きいだけの3流の国に成り下がったらしい。これからは発展途上国を名乗ると良い。経済は一流、政治は二流、倫理観は三流。これでは本当に、21世紀の南北戦争が勃発し、南軍(フロリダ、テキサス、トランプ)と北軍(ニューヨーク、カリフォリニア、クリントン)が武力で衝突しかねない。

理想も正義感もなく、複雑な思考も、抽象的な議論も出来ない、単純な頭の構造のトランプにとっては、力と金と見栄が全てなのだろう。ということはホワイトハウスに居座るのは、大統領ではなく、現代の皇帝ネロであり、ヒットラーということだ。人間よりも野獣に近いモンスターが権力を握ることができるということは、米国の政治体制が民主主義としては、どれだけ不完全で危険なものかを、図らずも世界に示すことになった。民主主義の各国は至急、自国の、政治体制や選挙の仕組みに抜け穴がないかどうか、第二、第三のモンスターを自国から出る可能性がないかどうかを、チェックする必要がある。

そのためには、まずトランプ復活の元凶、即ちポピュリズム(大衆迎合主義)の本質を理解し、どうすれば大衆が感情的な感想より理性的な判断を尊重し、憲法の理念から外れることのない判断を行えるようになるかの道筋を示さなければならない。

現状での米国民は、暴走する(思考放棄の)牛の大群となんら変わるところがない。理性を欠くという意味では、自滅への道を歩む、レミングの行進にも例えられるかもしれない。自由意志だからといって、どんな選択にも正当性が与えられる訳ではない。過半数の総意と言いつつ、後で後悔するような、誤った判断を、人類は何度繰り返してきたことか。人類は大きな人的犠牲を払って、自分達が間違った判断をする動物であることを、学んできたのではなかったか。

中でも熱狂と支持とを混同することが一番危険であり、それがナチスドイツで起きたことを忘れてはならない。トランプは決して米国民の「理性」が選んだ大統領ではない。どっちつかずのバイデンへの失望が背景にはある。トランプの理念や人間性が評価された訳でもない。でも背景にいかなる国民の動機があろうとも、一度選ばれたからには、トランプは最大限その権力を利用(いやむしろ悪用)するだろう。彼は就任前から米国の「帝王」であり、「総統」なのである。ものの道理や正義をいくら説こうとも、トランプの意向に逆らえば、容赦なく粛清又は追放される。悪くすれば親衛隊に暗殺されるだろう。そこにはもはや理性等、介在する余地はないのである。

実はこの現象は、日本も例外ではない。玉木や斎藤、石丸や小池の支持基盤には、理性的な判断があるとは到底思えない。多数決、特に相対多数方式の、最も危ない点は、判断に必要な客観的な情報の入手が難しく、出回っているのはフェイクや誹謗中傷が多いという点だ。ネット時代になって、その傾向がますます顕著に、また過激になっている。だからネットの扱いに慣れた業者が作業を「有償で」請け負って、本当の民意とは掛け離れた結果を出すことにもなる。正に情報操作の最悪のパターンである(斎藤の場合)。

あるべき選挙とは、そういうものではなく、候補者がそういう理想を掲げ、これまでどのような政治や行政をしてきたのか、政治的な価値観は保守なのか、それとも革新なのか、どういう施策を打ち出し、それがどのような効果を挙げてきたのか、どういう公約をし、またそれがどのくらい達成されたのか、応援団体はどういう組織で、どういう支援をしているのか、政界で誰と親しく、誰の影響を受けているのか。福祉や慈善活動にはどれほど関心を持ってきたのか等々。有権者が知りたいことは山ほどあるのに、情報は皆無に近いのである。一例として、小池の場合は公約の達成は2割を切ると言われている。

候補者は自分のポスターには不利なことは書かないから、ますます全体は見え難くなる。だからこそ、メディアや第三者機関が、候補者にも不利な情報を含め、有権者が理性的な判断を下せるに十分な情報を提供するベきなのに、情報が少ないので、有権者は見た目や、その場限りの雰囲気で選ばざるを得ず、その結果、選挙が印象だけの美人コンテストになってしまうのである。このどこに理性的な判断が存在する余地があり、民主主義による、民主主義の為の選挙だと言い切れるのか。

印象だけの情緒的な判断に加えて、その雰囲気は候補者の支持者により、SNSを通じて拡散する。或ること無い事が並べたてられるのである。しかも対立候補は、やはりSNSで、虚偽情報満載の誹謗中傷の攻撃にさらされる。デマやフェイクだらけの、このどこが平等な選挙なのか判断に苦しむ。これがあるべき選挙の姿なら、誰かの著作にもあるように、くじ引きにしてしまい、選挙などやらない方が遥かにましである。

現在の議院内閣制が、容易に独裁者を生むという危険性のある不完全な制度だということが分かったことにこそ、トランプの台頭の教訓(反面教師)がある。だから今こそ、人類は、政治の形態を再検討し、何が最も人類の為になる、あるべき政治の形かを、真剣に議論するべき段階に来ている事は間違いがないと思う。

同時に、いかにそれが最大多数の意志とは言え、やってはいけないことはある。それが明記されているのが憲法である。その大事な根本を、日本の国民、及び米国民は、もう一度理解する必要がある。トランプの暴走は、憲法の精神を土足で踏みにじる、明白な憲法違反である。そもそもいかなる体制下でも犯罪は犯罪、性犯罪は性犯罪なのだ。それが現職の大統領だから許されるのなら、法治国家ではない。それをただじっと見ているだけの米国民は、ナチスのホロコーストを傍観していたドイツ国民となんら変わるところがない。映画ニュールンベルグ裁判では、当時のドイツ国民こそ、大きな責任を感じなければならないと締めくくっている。米国民にもそれは言えるのではないか。

一方で、現実論として、世界の悪童トランプが暴れまわる前に、やっておくべきことがある。それは米国に依存しない安全保障体制の見直しだ。

逆にこう考えてみて欲しい。米国に依存した自国の防衛体制を堅持すると何が起きるかを考えてみれば、誰にでも手に取るように見える未来がある。それは、「米国が」敵国とみなす国に、「米国の軍隊の代わりに」攻め込むことになるということだ。米国の「友好国」は米国の為の戦争に、手弁当で駆り出されることになる。例えば対中戦争があれば、真っ先に前戦に派遣されるのは、韓国軍であり、自衛隊だろう。今迄は、それはあくまで架空の話だった。でもトランプの場合は、それが仮定の話ではなくなるのだ。最近の南沙諸島での中国のきな臭い動きもあり、戦線(?)は台湾からフィリピン、豪州迄、一気に拡大する恐れもある。そのための防衛費の増額など、まさに日本の国民に取っては理不尽な負担としか言いようがない。なぜなら日本は中国と戦争などしたくはないからだ。

今回のトランプの復活劇で、米国の政治と選挙のシステムがいかに不完全なものであるかが図らずも証明されてしまった。証明された以上、民主主義を標榜する各国は直ちに、元首が暴走できないような歯止めを検討するべきだろう。韓国でも大統領の暴走が回避された。自由も、平等も、そして民主主義も、決して座していて、天から降って来るものでも、タダで手に入るものでもない。日本の国民には新たな自立の覚悟が求められているのである。

我々も、もう一度、日本がどんな国であってほしいか、我々はどういう国に住みたいと願っているかを整理すべき時期に来ていると思う。それこそが新たな政治体制の見直しのスタート地点(ゼロ点)ではないだろうか。



2674.立花の本心 12.

・トランプの、最も美しい言葉は関税、は理解困難。石破。
https://jp.reuters.com/markets/japan/funds/AQ5QCQYRMJKFJIK2H2IRIEJGX4-2024-12-05/?dicbo=v2-uUAaSI2
コメント:その通り。

・兵庫知事選と米大統領選は似ていた。
https://mainichi.jp/articles/20241205/k00/00m/030/252000c
コメント:I told you.

・経団連のウソと労働組合の怠慢。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7e392caff5b0d04e220fe433a1fa8bab962f23b5
コメント:よくぞ言った。メディアは触らぬ神とばかり、触れようともしないが、日本で最悪最大の二大既得権だろう。しかも両代表は、巨大組織に相応しい知性と人間性を備えているとは言い難い、言行の数々。米国は米国で、トランプという史上最悪の大統領の影響で、内乱状態もあり得る。愚者の代表者が導く世界の終わり、最悪の人災が迫っている。愚かな指導者は、間違いなく、どこかの段階で、核の使用に踏み切る可能性がある。なぜならその理性等、到底信頼できないからである。

・立花の本心。バカな者は利用する。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3640e86dc0e6e86e8e8deafb4139c5e1b5025379
コメント:SNSやユーチューブで、キーキー、ブーブー騒ぐだけ。法すれすれどころか、完全に脱法行為。ブタチバナには遠からず司法の罰が下るだろう。そうでなければ日本は法治国家の資格が無くなるし、民主主義の未来もなくなる。立花がお咎めなしなら、(都知事選での)翼の党の宣伝活動など無罪確定だ。有志の市民団体が、立花相手に集団訴訟を起こすようなら、是非とも参加したい。



2675.国保は高すぎる 12.19

今回の前書きはサンデー毎日(12.29)「国民健康保険料が高すぎる」笹井恵理子、内藤真弓から

『国保はなぜ馬鹿高なのか』

(前略)
―保険料がいくらになるのかは、どうやって調べればいいのですか。

笹井 役所の窓口で尋ねるか、ほとんどどこの自治体のホームページにも国民健康保険料のシミュレーションがあるので、そこで確認したらいいと思います。

内藤 保険料以外にも給付サービスを確認することも忘れずに。組合健保によっては、法定の高額療養費制度より有利になっていたり、健康診断などのサーピスが安く利用できたりすることがあります。任意継続でも引き続きそうした付加給付やサービスが利用できるところが少なくありません。

笹井 組合健保は高額療養費制度が充実していると思います。国保の自己負担限度額は最低ラインですが、組合健保は医療費自己負担上限額が月2万―3万円程度というところもあり、恵まれているなあと思います。(中略)

―かつては自営業者と農林水産業者が加入者の約7割を占めていた国保ですが、現在は高齢者や失業者、非正規雇用者が増え「所得なし」の人が約3割を占める状況です。加入者1人あたりの平均所得は約96万円で、所得の2割を健康保険料として徴収されるケースもあるなど、とても家計がもちません。

笹井 国保は弱者連合と言われています。取材していても「平均所得が低いグループの中で多額の保険料を取るという仕組み自体が制度として破綻している」とよく聞きました。

内藤 加入者の年齢層が高く、医療費が高くなりやすいのも国保の特徴です。75歳以上は後期高齢者医療制度に加入しますが、65〜74歳で国保に加入する人が多く、この層は病気になりやすい。特にがんは60、70代が中心ですから医療費がかかります。

―国保の保険料の算出の仕方も高騰の原因だと聞きます。(中略)

内藤 国保は所得から基礎控除(43万円)を差し引いて算定する方式のため、扶養控除や社会保険料控除は差し引かれません。

笹井 だから、よほど高所得者で、国保料の上限額(l06万円)を支払ってもびくともしない人でない限り、一般的に国保料は住民税より高くなります。なんとかしてほしい(笑)。


『国保料を下げたい人がやるべきこと、知るべきこと』

―現実問題として国保科は下げることができるのか、どんな方法があるのかについて教えてください。

笹井 国保料を下げる制度としては減額制度(軽減制度)と減免制度があります。減額制度は、国民健康保険法(国保法)に基づき、保険料の7割、5割、2割を軽減する制度です。自治体が前年の所得に基づいて計算するので、自分で申請する必要はありません。所得税の確定申告や住民税の申告、国民健康保険料に関する申告書を提出していれば減額を受けることができます。遡って減額されることもあります。

内藤 実際に減額されている世帯は800万世帯近くあります。7割、5割、2割といった法定軽減だけではなく、各自治体が定める申告減額制度もありますので、困ったら、自分の状況を的確に伝えられるメモなどを持って自治体の窓口に足を運んで相談したほうがいいです。確定申告の控えなどを持っていき「昨年まではこれぐらいの収入があり、税金をこれだけ払っていましたが、今年は収入が下がって払うことができません」など、支払いの意思はあるが納付が困難である、と具体的に話すことです。

笹井 住まいの自治体の職員とトラブったりした場合は、都道府県の国民健康保険の担当部署に相談するといいでしょう。

―今話題の「壁」の話とも関係しますが、低所得で高い国保料に悩んでいるなら、社会保険に加入できる事業所でアルバイトやバートをするという手もありますね。

内藤 従業貝51人以上の企業で、週20時間以上働く月額賃金8万8000円(年収約106万円)以上の人は厚生年金の加入対象になり、勤め先の社会保険に加入できます。130万円を超えると配偶者の扶養から外れ、社会保険料の支払いが義務づけられます。

―減免制度についても教えてください。

笹井 国保法第44条に、医療費の窓ロ一部負担金の減額・免除制度があります。自治体により適用対象は異なります。災害や不作、廃業、失業などで生活困難に陥るなど厳しい要件を定めるところが多いですね。コロナ禍であっても第44条はほとんど適用されなかったようです。

―前述のように、国保料は負担が重いため、滞納世帯は189万世帯(23年度)にのぼります。払えなくなったらどうすればいいのでしょうか。

内藤 とにかく行政窓口に行って相談すること。滞納をそのままにしておくと、最終的には財産を差し押さえられます。(中略)

笹井 本の中にも書きましたが、群馬県前橋市で働く40代のシングルマザーは生活が苦しくて国保料を納めていない時期があり、延滞金を含めて50万円程度の滞納がありました。昼も夜も働き詰めで、約12万円の給料が振り込まれた時に市から銀行預金を差し押さえられ、強制的に10万円を徴収されたのです。それだけではなく、入っていた生命保険を強制解約させられて解約返戻金を市に徴収されたのです。この女性は6年前にがんのため亡くなったそうです。

―ひどい話です。違法ではないのですか。

笹井 違法ではありません。市税を滞納している市民が生命保険に加入していて解約返戻金がある場合には、契約者の意思によらず生命保険契約を一方的に解約することができるのです。ただ、解約返戻金があるという理由だけで強制解約に及ぶなんて乱暴すぎる、と支援していた男性は怒りに震えていました。(中略)


『もっともっと声を上げていこう』

―長期不況で国民の経済力が落ち、支払い能力が限界を超えてしまっているという根本原因を改善しないまま、督促や差し押さえを強化しても問題は解決しないような気がします。

内藤 低所得にあえぐ人に過酷な滞納処分を科すことは経済合理性とかけ離れています。

―最後に、国保を立て直すにはどうすればいいのか。私たちができることは何でしょうか。

笹井 1984年までは国保収入の約6割を国庫支出金が占めていましたが、現在は3割以下です。減らされた国庫負担分を被保険者の保険料に肩代わりさせていることが保険料高騰の大きな要因なので国庫負担を増やしてほしいと思います。もしくは将来的には健康保険を一つの仕組みにしてほしい。
今すぐにできることとしては、国保料の最大上限額が3年連続で上がり続けていますが、研究者らによると、限度額を引き上げるとその負担は加入者全体に及ぶと指摘しています。なので、上限額そのものを撤廃したほうがいいと思います。

内藤 現在の国保料の年間総限度額は106万円。これを撤廃し、所得に応じて払うようにすればいい。

笹井 年収2000万、3000万円の人には相応の負担をしてもらうのです。そして一番大事なことは、やっぱり国民が声を上げることだと思います。私が書く「国保料は高すぎる」という記事への反応をみても、皆さんほんとに困っているし怒っています。もっともっと声を上げていかなければいけないと思います。

内藤 国民の声で政治家たちを動かし、国会で質問させる。

笹井 知識と知恵を持ち、明るくたくましく生きていきましょう!

笹井さんの『国民保険料が高すぎる!』には対談の内容以外の保険料を下げるさまざまな方法などが盛り込まれています。

コメント:私も困っているし、怒っています。著書も注文しました。



2676.家計術 12.23


今回の前書きは週刊文春12.26、『60歳からの月6万浮かす家計術』です。
(前略)
「この赤字をいかに減らすかが課題」と語るのは消費生活アドバイザーの丸山晴美氏だ。

「工夫してムダな出費を抑えれば、住居費を抜くと単身者は10万円、夫婦で18万円の生活費を目指すことが可能です」(中略)

『豆腐、卵、カット野菜が3種の神器』

多くの人がまず節約で思いつくのは、食費の見直しだ。だが、管理栄養士で株式会社ヘルシーオフィスフー代表の徳田泰子氏が警鐘を鳴らす。

「食費の見直しは良いのですが、削り過ぎは避けたほうがいい。特に物価高の昨今、食費を減らすと極端に栄養の不足した食事になってしまう。野菜やタンパク質、炭水化物をカットしてしまうと体が衰え、フレイル(虚弱)になる恐れもあります。体調を崩せば、その分医療費などもかさんでしまいます」

そこで、徳田氏が節約の三種の神器.となる食品を紹介する。

「まずは、豆腐です。タンパク質やカルシウムなどがバランスよく摂れる食品です。一丁だとシニアは食べきれない場合も多いので3パックをひとまとめにして売っているタイブがお勧めです。1パック150gくらいで、値段も100〜150円前後。麻婆豆腐、豆腐、ハンバーグ、おみそ汁に入れるなど、3パックを3日で使い切るイメージです。 さらに、卵も豆腐と同じく重要なシニアのタンパク源です。肉や魚に比ベると値段は安いですが、栄養価は驚くほど高い」

最後は野菜だ。いまはスーパーやコンビニで売られているカット野菜に割安感があるそうだ。

「野菜が高く、キャベツなど一個300円や400円もするところもあります。それならカット野菜を利用したほうが、使い勝手が良い。にんじん、キャベツ、もやしなど、様々な種類の野菜が入っていて、100〜200円の商品も多い」(同前)

少しでも賢く買い物をする方法を教えてくれるのは、丸山氏だ。

「卵、豆腐、牛乳、食パンなどのいわゆる白物と呼ばれる商品はスーパーで買うよりドラッグストアが狙い目です。ドラッグストアは品目を絞って大量に仕入れ、客を呼び込むための目玉商品にしていることが多い。そのためスーパーよりも安い値段になりやすい」

実際、都内の大手のドラッグストアヘ行くと、一パック十個入りの卵(Mサイズ)が、スーパーより100円近く安価な220円台で売られていた。

一方でスーパーでの買い物なら、午前中がお薦めだと丸山氏が言う。

「広告の品や消費期限が近い見切り品などは、午前中で売り切れてしまうことが多い。夜は、お惣菜、お弁当、お刺身などの半額シールを狙って買い物をするのも節約につながります」

ただし、スーバーのお惣菜は塩分が多めで脂っこい食品が多いので、毎日食ベるのは控えた方が良いだろう。食費は月額4千円程度の節約を目指したい。
(以下略)

コメント:私も3種の神器のお世話になっています。



2677.コメ不足の原因 12.24

プレジデント1月3日号から
「コメ不足の大混乱でも農水省がまるで対応をしない、とんでもない理由」山下一仁(キヤノングローバル戦略研究所主幹)から

『コメ不足の原因は猛暑やインバウンドではない』

コメの値段が上がったままだ。夏にはスーパーの棚からコメが消えた。それなのに良林水産省はコメ不足を否定し、備蓄米の放出を拒否した。コメ不足の原因として2023年産米が猛暑の影響を受けたことやインバウンドによるコメの消費増などが指摘されている。

しかし、これらはきっかけにすぎない。根本の原因にJA農協と農林水産省が進める「減反」がある。これは、農家に補助金を与えて供給を減らし、米価を上げる政策だ。国民は納税者として消費者として二重に負担している。数年前から彼らは、米価を上げるため農家にもっと生産(供給)を減らすよう指示してきた。コメが不足するように仕向けていたのである。減反が功を奏して、24年産米の生産者米価は3年前に比べて2倍近く上昇した。

減反による店米価はJA農協発展の基礎である。米価を上げるとコメの販売手数科が高くなるだけではない。米価が高いのでコストの高い雰細な農業農家も米作りをやめない。彼らは農業収入の4倍以上に上る兼業収入(サラリーマン収入)や、農地を宅地等に転用・売却して得た膨大な利益をJAバンクに預金した。JAは預金量100兆円を超すメガバンクに発展し、そのほとんどをウォールストリートで運用して巨額の利益を得た。減反で米価を上げて兼業農家を維持したことと、JAが銀行業と他の事業を兼業できる日本で唯一の法人であることとが絶妙に絡み合って、JAの発展をもたらした。

このJA農協の既得権に農林水産省や農林族議員や農林族議員が依存する。私は、「農協の大罪」(宝島社新書)という著書で、JA農協、農林水産省、農林族議員の利益共同体を”農政トライアングル“と呼んだ。JA農協は多数の農民票を取りまとめて農林族議員を当選させ、農林族議員は政治力を使って農林水産省に減反補助金など農業予算の獲得を行わせ、JA農協は減反・高米価で維持した零細農家の兼業収入等を預金として活用することで発展した。JA農協の関連組織は農林水産省の天下り先になった。

よく私は「欧米では農業保護を高い価格ではなく財政からの直接支払いに転換したのに、なぜ日本ではできないのですか?」という質問を受ける。農家にとっては、価格でも直接支払いでも同じだ。なぜ、日本は高米価に固執するのか?欧米になくて、日本にあるものがあるからである。JA農協である。アメリカやEUにも農家の利益を代弁する政治団体はある。しかし、これらの団体とJA農協が決定的に違うのは、JA農協それ自体が経済活動も行っていることである、このような組織に政治活勁を行わせれば、農家の利益より自らの経済活動の利益を実現しようとする。その手段として使われたのが、高米価・減反政策である。

米価を下げても主業農家に直接支払いをすれば、主業農家だけでなく、これに農地を貸して地代収人を得る兼業農家も利益を得る。サラリーマンの兼業農家に所得補償(直接支払い)は必要ない。減反をやめれば3500億円の補助金がなくなり米価が下がる。主業農家への直接支払いは1500億円ですむ。国民は納税者として消費者として利益を受ける。しかし、価格低下でJA農協の販売手数料収人は減少するし、兼業農家が農業をやめて組合員でなくなれば、JAパンクの預金も減少するし政治力も失う。(中略)

備蓄米を放出すれば、供給が増えてせっかく上げた米価が下がる。農林水産省はそれを避けるために民間在庫は十分あるとウソをついたのだ。25年産のコメを増産すれば、25年10月ごろからコメ不足は解消し米価は低下していく。しかし、農林水産省は25年産の生産目標を24年と同様に据え置いた。つまり、今後も上げた価格は下げないということだ。(中略)

60年から世界のコメ生産は3.5倍に増加しているのに、日本は補助金をつけて4割も減らした。台湾有事でシーレーンが破壊され、食料の輸入が途絶されるとどうなるのか。戦中・戦後のコメの一人当たりの配給量を維持しようとすると玄米で1600万トン必要なのに、現状は備蓄を含めて800万トンしかない。半年で国民すべてが餓死する。このときになってから国民が騙されたと言って農林水産省に抗議しても遅い。
(中略)

しかし、減反を廃止することはできない。農林水産省が目を向けるのはJA農協であって国民ではないからだ。農林水産省は「すベて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とする日本国憲法第15条第2項に違反している。コメ不足を解消する最善の政策は農林水産省の廃止かもしれない。

コメント:農協の廃止だろう。



2678.SNSが壊したもの 12.25

今回の前書きは朝日新聞(12.26)の異論のススメから
最近では最も重要なテーマであり、したがって引用が長くなることをご容赦願います。最初にお断りしておきますが、私は筆者の意見には否定的です。

「SNSが壊したもの」佐伯啓思
「市場で増殖、自由追求したリベラリズムの限界」

21世紀は情報社会であり、それを支えるものはデジタル技術である。この20〜30年におよぶデジタル革命は、まちがいなくわれわれの生活を大きく変えてしまった。とりわけSNSが社会に与える影響は途方もなく大きく、様々な問題を生み出している。

オーストラリアでは、SNSを通じた犯罪に子供が巻き込まれたり、またSNS上の情報によって精神的な苦痛を受けたりするケースが多発し、議会が16歳未満の子供のSNSの使用を禁止する法案を可決した。思い切った法的措置だが、事態はそれほど深刻なのであろう。またそれは決してオーストラリアだけの問題でもない。

SNSが政治に与える影響は、日本でも、先ごろの兵庫県知事選挙において大きな話題になった。知事としての適格性が問われた斎藤元彦氏の再選は、SNS上の情報がなければありえなかったであろう。SNS情報が選挙結果を左右しかねないのである。

興味深いのは、ここで「既存のマスメディア」対「SNS」という構図ができたことである。新聞・テレビ等の既存のマスメディアは公式的で表面的な報道しかしないのに対し、SNS上ではマスメディアが語らない隠された真実、本音が語られるとみなされた。

もちろんSNS情報は玉石混交であり、言葉は悪いが味噌もくそも一緒に詰めこまれているのだが、その中には「隠された真実」が含まれているというのである。

いうまでもなくこのような構図を最大限に利用したのはトランプ次期米大統領であり、トランプ氏は、既存のマスメディアに対し、真実を報道しないフェイク・メディアと罵声をあびせ、自身の言葉をSNSで発信して拡散した。トランプ氏は「権力をもつ既存メディア」対「真実を語るSNS」という構図を利用したわけである。

この「トランプ現象」の特徴は次のようなものだ。「既存メディア」は民主党のエリートに代表される「リベラルな思想や信条をもつ高学歴・高収入の人々」と結託しており、彼らは口先では自由・民主主義・人権・多様性などというが、実際は「リベラル派のエリート層」の利益を代弁するだけだ、とトランプ支持者はいう。SNSで流される一見むちゃくちゃなトランプ氏の独断の方が「真実」を突いている、と支持者はみる。

したがってまた、トランプ氏の言説を虚言と断定し、様々なトラブルでトランプ氏の法的責任を追及する既存メディアの裏には何か反トランプの「陰謀」が張りめぐらされている、ということにもなる。トランプ氏が戦っているのは「リベラルな仮面」の背後にある陰謀である。こういう図式が「トランプ現象」を成立させている。

もちろん、陰謀があるかどうかなど誰にもわからないし、そもそも、「これは陰謀だ」といったとたんにすでに陰謀ではなくなるので、陰謀のあるなしを論じても意味はない。ただここで気になるのは、次のことである。

欧米においても日本においても、「既存のマスメディア」は、基本的に近代社会の「リベラルな価値」を掲げ、報道はあくまで「客観的な事実」に基づくという建前をとってきた。そして「リベラルな価値」と「客観的な事実」こそが欧米や日本のような民主主義社会の前提であった。この前提のもとではじめて個人の判断と議論にもとづく「公共的空間」が生まれる。これが近代社会の筋書きであった。

SNSのもつ革新性と脅威は、まさにその前提をすっかり崩してしまった点にある。それは、「リベラルな価値」と「客観的な事実」を至上のものとする近代社会の大原則をひっくり返してしまった。民主政治が成りたつこの大原則が、実は「タテマエ」に過ぎず、「真実」や「ホンネ」はその背後に隠れているというのである。「ホンネ」からすると、既存メディアが掲げる「リベラルな価値」は欺瞞的かつ偽善的に映り、それは決して中立的で客観的な報道をしているわけでない、とみえる。

一方、SNSはしばしば、個人の私的な感惰をむきだしのままに流通させる。その多くは、社会に対する憤懣、他者へのゆがんだ誹謗中傷、真偽など問わない情報の書き込み、炎上目当ての投稿などがはけ口になっている。SNSは万人に公開されているという意味で高度な「公共的空間」を構成しているにもかかわらず、そもそも「公共性」が成立する前提を最初から破壊しているのである。

今日、公共性を成り立たせている、様々な線引きが不可能になってしまった。「公的なもの」と「私的なもの」、「理性的なもの」と「感情的なもの」、「客観的な事実」と「個人的な臆測」、「真理」と「虚偽」、「説得」と「恫喝」など、社会秩序を支えてきた線引きが見えなくなり、両者がすっかり融合してしまった。

「私的な気分」が堂々と「公共的空間」へ侵入し、「事実」と「臆測」の区別も、「真理」と「虚偽」の区別も簡単にはつかない。SNS情報の多くは、当初よりその真偽や客観性など問題としていないのである。「効果」だけが大事なのだ。これでは少なくとも民主的な政治がうまく機能するはずがないであろう。

さて、少しさかのぼれば「情報化社会の到来」が言われたのは1960年代末から70年代にかけてである。ひとつの典型は、米国の高名な社会学者ダニエル・ベルによる「脱工業社会の到来」(1973年)であった。

時代は、米国を中心に、重化学工業から情報・サービス業へと産業構造を転換させていた。この現実を前にベルが述べたのは、情報・知識は万人に開かれた公共性の高いもの(公共財)だから、それらを市場競争に委ねるのは適切ではないということであった。情報・知識は、何らかの形で公共部門の管理に委ね、公共的計画に資するべきだ、というのである。

大学院生であった私など、漠然と、時代はベルの予言の方向へ向かってゆくものと推測していた。ところが、実際には、80年代のレーガン大統領の市場主義、新自由主義によって、社会はまったく逆方向へと転換していった。確かに情報・知識の市場化によって米国経済は復活し、冷戦以降のIT革命とグローバリズムによって、情報化は世界全体を巻き込んだ。

しかし、その結果どうなったのか。市場が拡大すればするほど追加コストがゼロに近づき、無限に利益が膨らんでゆくという「限界費用ゼロの原理」によって情報産業には巨額の富が集積し、デジタル革命の担い手は桁はずれの大金持ちになった。そればかりではなく、彼らは政治的にも大きな影響力を行使し、また彼らの生み出した情報プラットフォームは文化も変えてゆく。

通常の財やサービスについては消費者は対価を支払う。それが市場の原則である。しかしSNSのような情報取引においては、消費者(使用者)は対価を支払わない。「いつでも、どこでも、誰とでもつながる無料のサービス」という奇妙なものが市場経済の中枢で無限に自己増殖してゆくのだ。

一方、プラットフォームの製作者や管理者は、大きなコストを必要とせずに広告収入で労せずして世界の支配者となってゆく。プラットフォームを使用するインフルエンサーはあちこちに自分の領地をもつ小ボスになる。そしてそれと連動するかのように、「既存のメディア」は力を失い、既存の民主政治は機能不全に陥ってゆく。

これは、高度な公共性をもつはずの情報・知識や通信ネットワークという「公共財(万人のインフラストラクチャー)」を、公的部門の管理にではなく、私的な市場競争に委ねた結果であった。

何かが間違っていたのだろうか。いやそうではあるまい。それはわれわれが、近代社会をとことん推し進めようとした結果ではなかろうか。

なぜなら、近代社会は、なんといっても個人の自由と幸福の追求に絶対的な価値を認めてきたからである。個人の活動の障害となる、既存の権力や伝統的権威、集団の規律、国境のような恣意的な線引きにはあくまで抵抗してきた。そしてそれが行きついた先が、グローバリズムであり情報革命である。ここでは個人の自由は最大限発揮される。

情報化にせよSNSにせよ、もとは権威主義的な政府に対抗する左翼リベラル派の戦略であった。しかし、皮肉なことに、情報ネットワークで世界を結ぶという計画を打ち出した民主党のクリントン大統領の情報革命が、その30年後には、トランプ氏の大統領返り咲きをもたらして民主党を窮地に追い込んだのである。

SNSのような「何でも表現できる自由なメディア」を称揚してきたのは、近代社会の「リベラルな価値」の信奉者である。とすれば、SNSによる政治と社会の混乱は、ただこの技術の悪用というだけの問題ではない。それはまた、近代社会を支えてきた「リベラリズム」という価億観の限界を示しているとみなければならないであろう。

コメント:私の尊敬する泰斗による長文の論文にお付き合い頂いた後で、こんな事を申し上げるのは、いささかならず気が引けるのだが、現在のSNSがもたらす混乱が、リベラリズムの限界であり、負の側面だと結論付ける意見に、そうやすやすと同意することは出来ない。まして公的管理が必要などとは、とんでもない。なぜならこれは私が長年トレンド・ウォッチャーを運営してきた、哲学や信条と真っ向から対立するからである。
ネットワークに誰でもがアクセスできる時代がきた。これは究極の言論の自由とも言える。

この自由だけは何としても手放してはならない。SNSの問題はそこにはない。どうすれば「自主的に」「良識から外れずに」「情報を自分と他人の幸福のために」有効活用できるのかである。(仮に)なんらかの規制が必要としてもそれは決して、官による規制であってはならない。ネットの利用者が自ら作ったルールでなければならない。

少し見方を変えてみよう。受信側にしてみれば、SNSの情報を鵜呑みにして、それで終わっていれば苦労はない。発信側にしてみれば、情報を垂れ流すだけなら、なんの努力もいらない。そうではなくて、自分が発信した情報が、現象の本質を突いているのか(または真実か)、倫理的に間違っていないかなどに、不断の注意を払う。その姿勢がなければ情報を発信する資格はない。一方で自分が受け取った情報が真実か、発言者の意見が正しいかどうかを、常に自分に問いかける努力が必要となる。そういう努力を放棄した者に、情報を利用する資格はない。こうなると規則や規制の問題を越えて、発信側も受信側も、問われているのは情報を受発信する資格や適性、言い換えれば人間性であり人格であり、倫理観であり哲学なのだ。

配信される情報(発言内容)が事実ではない情報(フェイク、偽情報、憶測、デマ、悪意の中傷)だけなら、市民は真実とは程遠い、虚構の世界で引きずり回されて消耗する(トランプに振り回されている米国民のように)のは当然だ。仮にそんないい加減な情報だけで、株取引でもやれば、大損をするだろう。

ネット上で、一方の意見だけが取り上げられ、反対意見が封じられてしまえば、同調圧力が極限まで強くなり、反対や批判の入り込む余地がなくなる。そこでは陰鬱な全体主義の亡霊が国を覆うことになる。トランプや斎藤やナチスのように。ところが情報をSNSで流した者が責任を取ることはない。自分は正しいと思ってやったことだと言い張るだけだ(これも斎藤のように)。しかもそれに対抗する方法が殆どない。情報の発信や利活用は基本的に自己責任とされているからだ。まして誰にでも訴訟が起こせるわけではない。

もう一つ佐伯氏の論文に対して言いたいことは、SNSの問題はリベラリズムとは別の問題だということだ。フェイクニュースに踊らされない為に、国民がリベラリズムを捨てたら本末転倒というものである。

分かりやすく表現すれば、情報を発信する者は「騙さない」、情報を受け取る側は「騙されない」ことが、SNSを含むすべてのコミュニケーションの基本だということをまず共通認識にすることが出発点でなければならない。即ち情報を発信する者、情報を受け取る者には、それなりの責任がある(べきだ)ということなのだ。
この前提が無視されれば、情報ネットワークなどにいかなる意味も存在価値もなくなるのだ。無論ウィキなども一切信用できなくなるだろう。

リベラリズムに、全ての責任を押しつけるより先に、することがあるはずだ。どうすれば情報という現代生活に不可欠のツールを、よりよい社会を作るために、より安全に、また有効に活用すればよいのかを考え、提案してゆく方が、遥かに生産的である。

そもそも、虚偽情報を、それと知っていて、自分の利益や、他人の中傷の為に流すのは、立派な犯罪行為だ。その意識がとりわけSNSの利用者に欠落している事こそが問題なのである。自分で流しておいて、後は信じようと信じまいと読み手の勝手とばかりに開き直る。このどこ善意や誠意があるというのか。

但し、完全に裏が取れていない、100%の自信がない情報でも寸刻を争う場合がある。その場合は発信者によるその後のフォローが不可欠だ。それは情報を訂正する機会でもある。

またもうひとつ重要な事は、ネット情報の掲載者には、発信された情報や意見に対する反論や質問の場と機会を提供する義務があるという事だ。ネット上で展開する議論(異論を含む)を読むことで、初めて読者は、情報の真偽、意見の正当性の判断が可能になるのである。真実を求める不断の努力だけが、我々に真実を教えてくれるのだ。

なお最後になるが、むしろこの論文の副題にこそ、重要なポイントが端的に表現されているように思われる。それは以下のようなものだ。
「私的な感情むき出し、事実と憶測の境消え、民主社会の前提崩す」

関連記事:キラキラ女子、承認欲求とSNSがすべてを奪って行く。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5a40a499365a0d5fdea0367cc1f5537ee53565d7



2679.代執行1年。12.28


今回の前書きは朝日新聞(12.28)の社説から。
「代執行1年 強硬姿勢は容認できぬ」

地元の理解が不可欠といいながら、既成事実を積み上げるやり方は容認できない。
 沖縄県の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設をめぐり、国が県に代わって工事を承認する代執行に踏み切って28日で1年となる。防衛省沖縄防衛局は大浦湾側の軟弱地盤改良工事をきょうから始め、7万本以上の杭を海底に打ち込む計画だ。
 代執行は地方の自己決定権の剥奪(はくだつ)で、地方自治の破壊につながる。法的な対抗手段を失った県の意向を振り切るかたちで、一方的に工事が進むのは異常だ。対話により合意形成を図る民主主義の基本を取り戻さねばならない。
 国は今年、地方自治法を改正し、「国民の安全に重大な影響を及ぼす事態」と判断した場合、自治体に指示権を行使できる特例を設けた。「重大な事態」の範囲はあいまいで、恣意(しい)的な運用で地方を従わせることに道を開いた。辺野古での強硬姿勢は、改正法への懸念を増幅させる。
 石破首相は10月の所信表明で、米軍基地について「負担の軽減に引き続き取り組む」とし、地元の理解を得る必要性にも言及した。しかし国会では辺野古移設が「(普天間の)危険性を除去する唯一の解決策」と過去の政府方針を繰り返し、歩み寄る兆しすら見せないのは残念だ。
 強行を許してきた野党の責任も大きい。与党が少数となった今、各党は責任の重みを自覚し、安全保障や基地問題で存在感を示してほしい。(中略)
 問題の本質は在日米軍専用施設の約7割が沖縄に集中し、過重な負担が続く点にある。米側に特権的地位を与える日米地位協定が根本にあることも忘れてはならない。遅々として進まぬ負担軽減をどう解決するか、日本全体の問題として考える必要がある。
原文:https://digital.asahi.com/articles/DA3S16116138.html?iref=comtop_Opinion_04

コメント:石破首相よ、日米地位協定を変えることができれば、名前が日本の民主政治史上に燦然と輝くことだろう。

関連記事:軟弱地盤の改良工事に着手。
https://mainichi.jp/articles/20241228/k00/00m/040/128000c