「オンライン・オピニオン」
しんがりの覚悟
自己目的化した戦争
立花に法の裁きを
TV業界の闇
日本の国会変われるか
新自由主義の弊害
破壊者トランプ
政権交代どうでもいい
ジラード事件
トランプと日本
2691.しんがりの覚悟 1.19
今回の前書きは朝日新聞(1.18)の多事奏論です。今回の筆者は編集委員の原真人で、私が評価するジャーナリストの一人です。
「広がる撤退戦 しんがりの覚悟はあるか」から
1990年代の金融危機のヤマ場といえば4大証券の一角、山一証券の破綻劇だろう。世間の耳目を集めたこの問題に朝日新聞も多くの記者を投じ報道にあたった。私もその一人だ。ただ思い返せば力を入れて取材したのは破綻が正式に決まるまで。自主廃業後の山一で何が起きていたのかまでフォローしなかった。
そこにも大事な営みはあった。日本発の破綻ドミノが世界に広がらなかったのは、破綻後も山一に長く踏みとどまり、清算業務をあえて引き受けた人たちの努力もあってのことだ。その顛末を描いた新聞記者出身のジャーナリスト、清武英利氏の作品「しんがり 山一證券最後の12人」で部隊の存在を知った私は取材不足を大いに反省するしかなかった。
とかく人は事を発展させる、新分野に挑むといった試みに目を向けがちだ。逆に失敗した事業の後始末や役割を終えた事業の整理のような仕事は評価されにくい。今の日本にとって、実はそういう撤退戦こそ何より重要なのではないか。
東京電力福島第一原発の廃炉プロジェクトは最たるものだろう。その成功なくして原発政策も地域再生も先には進めない。しかし事故後14年となる今もなお、事故炉の燃料デブリの取り出しさえままならない。この作業だけで100年以上かかるとの気の遠くなる試算もある。
朝倉攻めの織田軍の木下藤吉郎のように、戦国時代の戦では後退する部隊の最後尾を担う殿(しんがり)の功が高く評価された。近年、そういう役割の重要性が正当に評価されていない。そんな気がしてならない。思い出すのは90年代末からの金融再生の取り組みである。
山一や長銀など大手金融機関の破綻処理と不良債権問題の収束という一大国家事業の指揮をとったのは初代金融再生委員長(大臣)に抜擢された柳沢伯夫氏(89)だ。当時、日本経済は危機拡大と巨大な不良債権について世界から不信の目を向けられていた。そこで政界屈指の金融通の柳沢氏が指揮をとると、1年足らずで大手銀行の破綻処理や公的資金による資本注入などの大仕事を次々と進めた。
その仕事ぶりは米経済誌など海外メディアからも高く評価された。香港誌では当時の小渕恵三首相を差し置き日本人でただ1人「アジアで最もパワフルな10人」にランクイン。表紙には柳沢氏の顔写真とともに「この男は日本を救えるか?」のタイトルが躍った。
金融撤退戦で功をあげたにもかかわらず柳沢氏は10カ月足らずで委員長を交代させられた。内閣改造での順送り人事だ った。その後、委員長ポストはスキャンダルもあって1年余りで4人でたらい回しされた挙げ句、再び柳沢氏に戻された。(中略)
当時は金融再生に限られた日本の撤退戦の戦場は、今は人口減少、多死社会、過疎化など多方面に及ぶ。10年余りに及んだアベノミクスと異次元綬和の後姶末もそうだ。世界最悪の借金財政、日本銀行に積み上がった膨大な保有国債。いずれも数十年がかりの撤退戦となろう。
この時代の要請を石破茂首相は真摯に受け止められるだろうか。植田和男日銀総裁にしんがりの覚悟はあるだろうか。
コメント:私事で恐縮だが、数十年前、某コンピューターメーカ―に奉職していた当時、最初の海外勤務地として共産圏のB国に赴任することになった。国民性は穏やかで、住みやすい国ではあったが、いかんせんビジネスを積極的に展開するという意味では大きな問題があった。それは対共産圏輸出規制、通称COCOMの存在である。無論のこと、関係官庁と調整の上、規制に則り、適正に輸出していたわけだが(そうでなければ輸出許可=ELが降りない)、非常にタイミングの悪いことに、米国の新聞で、当社の同国へのコンピューターの輸出は危ない橋を渡る行為だという、東欧市場で一定の評価を積み上げてきた当社への悪意のある記事が出された。無論、当社の技術がB国からロシアに流れているという情報の真偽は確かめようもなかったが、当時英国、豪州、米国などの西欧圏の市場開拓に力を入れていた当社としては、その状況を看過する訳にも行かず、B国市場の将来性も考慮し、トップが同国から撤退する判断を下す結果となった。しかしコンピューターは当時、重厚長大産業もいいところで、長年のメンテナンスが必要な機器である。コンピューターと言っても現在のPCとは全く違う。一部屋まるまる必要な巨大な装置だ。放り出して帰国することは出来ない。どこに保守を頼むのか、事務所閉鎖の様々な文書作業も含めた、敗戦処理が始まった。某商社の手助けもあり、何とか形をつけて帰国したものの、正に敗軍の兵(将ではないが、駐在員は私独り)であり、しばらく社内で誰にも顔向けが出来なかった記憶がある、ただ後に副社長になった上司が、撤収だって功績だと言ってくれたのが、唯一の救いだった。
2692.自己目的化した戦争 1.20
今回の前書きは文春と朝日から2件ずつの紹介です。
文春2月号から
「緊急特集 崩れゆく国のかたち」
「イスラエルは神を信じていない」
歴史人類学者・家族人類学者 エマニュエル・トッド
(前略)基本的に、私はシオニストでも反シオニストでもありませんでした。ユダヤ国家に最低限の連帯を示すのが分別のある態度だという考えだけをもっていました。ナチズムが私たちに示したのは「究極的にはユダヤ人であるか否かは自分では選べない」ことです。第二次大戦中、私の母方の家族は米国に避難しました。用心深く行動しなかったいとこたちは、収容所に送られました。反ユダヤ主義は存在します。そして祖母が 私に言っていたように、ずっと存在し続けるでしょう。
ですから〔ガザでの戦闘が始まった〕当初、私はかなり微妙な態度をとっていました。しかし、イスラエル国家の振る舞いは、道徳的にあまりにも問題があります。私はまだこのことについて話したくないのですが、今は話さなければなりません。
―なぜですか。
イスラエル国家の暴力の行使が極端なレベルに達しているからです。そして何より暴力自体が自己目的化しているように見える。ですから私は、イスラエル国家の行動を「ニヒリズム」の観点から考察し始めたのです。
ニヒリズムとは、「虐無」の産物です。「西洋の敗北」では、米国の支配層のニヒリズムを考察しまし た。価値観の「空白」が、金、権カ、戦争への関心の集中を生み出し ている。イスラエルについては、宗教的信仰の現状を十分に研究したわけではありませんが、「超正統派」の存在(中略)にもかかわらず、おそらく「宗教的空虚」が社会を覆っている。細かな違いはありますが、「宗教の活動的状態」ではなく、むしろ「宗教のゼロ状態」を示しているという意味で、「超正統派」は米国の「福音派」と似た存在と言えるでしょう。「イスラエルを拡大すればキリストが戻ってくる」と考えてイスラエルを支持する米国の無知な人々については…(中落)
今や西洋は、米国や欧州のニヒリズムの原因となる「宗教のゼロ状態」に達しています。同じ歴史的論理がイスラエルにも当てはまる。イスラエル国家の振る舞いが私に想起させるのは何か。社会的・宗教的価値観を失い、国家存続のための戦略に失敗し、周囲のアラブ人やイラン人に対する暴力の行使に自己の存在理由を見出している国家です。
―自己目的化した戦争ということですか。
私は『西洋の敗北』でウクライナに適用したのと同じ解釈をイスラエル国家に適用したい。ウクライナはロシアによる侵攻以前から破綻国家でした。にもかかわらず、ウクライナ人が凄まじい戦意と強靭な軍事的抵抗力を示したことに誰もが驚きました。これは何を意味するか。ウクライナにとって、ロシアとの戦争自体が自己の存在理由になっていることです。ウクライナ側の態度は、すベてロシアによって規定されています。ただしネガティブな意味において。ロシア語を排斥し、ロシア人と戦い、ドンパス地域のロシア系住民を服従させることに、自分たちの存在意義を感じているのです。
これらはまだ仮説にすぎませんが、イスラエルは国家としての意味を見失い、かつては国家の安全保障に不可欠な軍事手段だった「暴力の行使」が、自己目的化してしまったという印象を受けます。(中略)
|―あなたの考えでは、イスラエルで生じた暴力の連鎖は、延々と続くこと以外に具体的な目的はないということですか。
その通りです。私が驚いているのは、西洋のエリートたちが「イスラエルには自国の安全を守る権利がある」と繰り返していることです。イスラエルの行動は、安全保障こそが目的で本質的に合理的である、と。私にはそう見えません。私がそこに見るのは、「何か」をせずにはいられないという衝動。その「何か」とは「戦争」です。(以下略)
関連記事:ネタニヤフ、戦争いつでも再開。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6526403
コメント:トッドは価値観の空白をニヒリズムと規定していますが、私はむしろ、信仰と宗教の不在として、もっと狭義に定義する方が、解決の方法が見つけやすくなると思います。資本主義が唯物論に立脚しているがゆえに、物理的な富だけを崇拝するようになった現在の西欧の精神状態。金や権力(イスラエルの場合は領土欲)の為には人命をも軽視する。拝金主義が一種の宗教だというのであれば、話は別ですが。
もう一つ文春から、「混迷するドイツ、リベラル派の罪」斉藤幸平、マライ・メントライン
(前略)マライ ドイツは第二次世界大戦後、ナチスの犯した悪行を謝り続けることで国際的な信頼を回復してきました。言ってみれば、W土下座外交“がドイツにとって「勝ちパターン」だったわけです。しかしそれがあまりに強力で成功したがために、立ち行かなくなった時のプランBをまったく考えてこなかった。国際的にみればネタニヤフ政権がやっていることは明らかにおかしいのに、「いや、イスラエルは正しいんだ」と、声高に叫び続けるしかなくなっているように見えます。
斎藤 日本の左派も、ドイツの戦後の責任の取り方を「見習うべき」手本としてきました。ドイツがアイデンティティを取り戻すうえで続けてきた土下座外交は、民主主義や平和といった普遍的な価値にコミットしているように見えたからです。
しかし、今回のイスラエルヘの過度の擁護で見えてくるのは、実は土下座外交がアラブ差別に基づくものだったーつまり、パレスチナという犠牲者を踏み台にして、ドイツが西洋的な普遍的価値親の中に再び取り込まれるためだったわけです。リベラル派の完全なダブルスタンダードが露呈しました。
緑の党所属のアンナレーナ・ベアボック外相も、気候変動という弱者の視点が大事な問題については積極的なのに、パレスチナ問題では親イスラエルの立場を取り、弱者に寄り添う視点が全く抜け落ちている。
マライ 「民主主義を守るためにウクライナを支援しよう」という主張は、ドイツの中でも外でも説得力があるけれど、イスラエルについては、ドイツ国内の論理が国外ではまったく通じない。これが問題です。
斎藤 リベラリズムが訴えてきた「きれいごと」が、もはや通用しなくなっているんでしょうね。(中略)
斎藤 私としては、大好きなドイツには踏ん張って欲しいとは思います。ただ、有効な一打を出せないままでは、最終的に今の社会秩序を維持することは難しい。ではどうなるか。無理やりにでも秩序を維持しようとすれば、ファシズムやポピュリズムが台頭してくるでしょう。つまり、リベラル派は自ら彼らに道を明け渡す準備を進めているということです。しかし多くのリベラル派にその自覚はまったく無い。
マライ よく分かります。そう考えると、やはり先の米大統領選でのカマラ・ハリスの敗北は必然だったように思えます。
斎藤 クリントン、オバマ、バイデンハリスがやろうとしてきたことは結局、グローバルエリートによるグローバルエリートのための政策で、労働者階級や米南部などの庶民の暮らしや不安に向き合ってこなかった。その点、トランブは「不法移民を強制送還する」と、問違った解決策ではあるものの、「困っているお前たちの不安に応えるぞ」というメッセージを出していました。
マライ 斎藤さんは著書のなかで、ドイツの村々が電力を自分たちで作って管理する「市民電力プロジェクト」を例に、政策についても上からではなくて、もっと市民レベルで民主的な運動をしてはどうかと書いていますよね。フランスのように市民会議を開いて、それこそグローバルエリートのための政策ではない、自分たちのための政策を話し合うべきだということでしょうか。(中略)
斎藤 でもそういうことではなくて、資本主義社会自体がトップダウンになっている今、小規模でも各地域のニーズに合わせて、特に若い人たちが希望を持てるものを作っていかないと、社会のトランスフォーメーションには結びつきません。
マライ 日本でもここ最近、東京都知事選での「石丸現象」や、「103万円の壁」打破を打ち出した国民民主党の玉木雄一郎代表の人気急上昇など、ポピュリズムの台頭や社会の分断が懸念されていますね。
斎藤 ドイツやアメリカは、ダブルスタンダードを取りつつも、これまで気候変動問題への取り組みや難民受け入れをしていますが、日本はそうではありません。失敗を経ていない日本が、西欧のリべラリズムの失敗だけを見て「ほら見たことか」と否定するのは、全く次元が違う。このまま日本がポピュリズムに走っていくと、歯止めが利かなくなり、非常に危険なのではないかと懸念しています。(以下略)
さて今回は未だあります。朝日新聞(1.19)の社説2件です。
「財政再建目標未達は放漫の帰結だ」
政府が「達成できる」と言ってきた財政健全化の目標が果たせない見通しになった。税収増にあぐらをかき、支出を漫然と膨らませ続けたためだ。度重なる実現先送りを反省し、財政全般の改革を急ぐ必要がある。(中略)
与野党には「単年度の収支にこだわる必要はない」などと、目標の意義を軽んじる声もあるが、無駄づかいや借金づけを助長しかねない。国民民主党が与党との協議で大規模な減税を主張しているが、慎重な対応が求められる。(以下略)
全文は下記
https://digital.asahi.com/articles/DA3S16129584.html?iref=pc_rensai_long_16_article
「テレビと芸能業界の透明化へ調査を」
(前略)人気芸能人との関係を強めるために、女性を性的に利用していないかー。この点こそが、社会が同社に抱く不信感の核心だろう。今回の問題では、港社長が随時報告を受けていたという。不信を払うには、社長の責任を含め、徹底した調査と説明が必要だ。(中略)
「社会調査支援機構チキラボ」が昨年公表した芸能・メディア関係者のアンケートでは、「番組プロデューサーが下請け制作会社の女性スタッフに性接待を強要していた」など、「性的接待」を見聞きしたり経験したりしたという回答が複数あった。これらの訴えが「氷山の一角」である可能性もふまえ、他局も調査や点検をしてはどうか。
テレビや芸能の仕事をするすべての人が人として尊重されるためにも、問題ある慣習や価値観があるならばこの機会に正し、業界の正常化・透明化に努めてほしい。
全文は下記
https://digital.asahi.com/articles/DA3S16129583.html?iref=pc_rensai_long_16_article
関連記事:三谷幸喜も突っ込み。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1d700decb45b71a20b5f2014e48e1ac32fb0268e
2693.立花に法の裁きを 1.21
・兵庫県警本部長。立花の発言、全くの事実無根。明白な虚偽。
https://mainichi.jp/articles/20250120/k00/00m/040/099000c
コメント:死者に対して言う言葉か。削除して済む話ではない。歩くプリマハムは自身の下劣な品性を天下にさらすことになった。選挙ポスターの掲示枠の売買で、選挙制度と国民を馬鹿にしたばかりではないか。亡くなった議員の家族に土下座すれば済む話ではない。同時に、これまで無関係な一家を脅迫して追い詰めてきた者にはしかるべき法の裁きが必要だ。いわゆるSNSへの投稿では、匿名の上に、そもそもどういうことが誹謗中傷で、何がそうではないかの区別さえまともにできていない。基本的な情報発信のマナーもなければ常識もない連中に、SNSで暴言を吐く資格などないのである。
・非正規は死んでもいいのでヘルメットなし。公務員の安全格差。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/379713
コメント:格差を作っているのは他ならぬ役人だった。福沢諭吉の言葉を知らないのか。天は人の上に人を作らず、ざるそばの上に載るのは笊ではなくて海苔である。
・世界乱す、米大統領の自己愛。人格リスク。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN1212O0S5A110C2000000/
2694.TV業界の闇 1.22
今回の前書きはサンデー毎日(2.2号)からエッセイを3件御紹介します。
サンデー時評「2025年の光景 かくも多岐にわたる課題」村薫から
(前略)もちろん、不安定化する世界への覚悟も固めなければならない。折しも韓国では与野党の弾劾の乱発で民主主義が崩壊しかけており、トランプ新大統領の就任で世界がひょっとしたらと期待したガザの停戦もウクライナの和平も期待外れになりそうだ。代わりにパナマ運河を返せ、デンマーク領グリーンランドをよこせといった恐喝とディールが幅を利かす世界が出現しているとすれば、日本もさすがにアメリカのポチではいられず、独自の立ち位置を模索することになるが、果たしていまの政治に可能だろうか。
そういえば今年は参院選と都議会議員選挙が重なる選挙イヤーであり、昨年の都知事選や兵庫県知事選で様変わりしたSNSによる扇動と熱狂の光景をまた見ることになるのだろう。既存のオールドメディアが力を失い、一部の勢力が大量の切り抜き動画配信で世論を煽る手法は世界じゅうで勢いを増しているが、これのもたらす分断が深刻なのは、そこで真っ先に叩き潰されるのが両者を包摂する言葉や対話だからである。そして多様な価値は失われ、自由な言論は死に、フェイクもファクトも公正も意昧を失う。かつてドイツやイタリアでファシストが躍進し、日本でも軍部の声が大きくなっていった大戦前夜の空気に、いまが似ていると言われる所以である。
とまれ、こうして並べてみると私たちの足下の課題はかくも多岐にわたるが、ひとまず何をわがこととして注視するか、個々に思いめぐらせる年初にしたい。
青木理のカウンター・ジャーナリズム「司法界の良心の死を悼む」から
(前略)昨年の11月21日、木谷明さんが逝った。享年86。心筋梗塞による急逝だったという。
元裁判官の木谷さんは1963年の任官以降、そのエリートコースたる最高裁調査官のほか水戸地裁の所長、東京高裁の部総括判事などを歴任し、一方でその間に実に30件以上もの無罪判決を言い渡した。しかも1件を除くすべての判決で検察は控訴断念に追い込まれ、検察が控訴した1件も高裁段階で無罪が確定している。
それほどに徹底した事実調べを尽くし、緻密な論理構成に貫かれ30件以上の無罪判決を書いた裁判官時代を振り返り、「大変な労力を要したのではないですか」と問う私に木谷さんはこう答えている。
「労力は間違いなくかかります。だって有罪判決を書くのは簡単です。検事が言うことをなぞっていれば書けちゃう。だけど無罪を書くとなると、上(上級審)でひっくり返されたら話にならない。被告人をぬか喜びさせるだけですし、書く以上は絶対に確定させなくてはと思って書きます」「すると、やっばり証拠調べに時間がかかります」「被告人の言い分をよく聞き、関係証拠を徹底的に調べ、それを批判的に検討して、判決には詳細に書き込むわけですから」一「時間はかかる。労力はかかる」
「しかし、貴任を果たすためには徹底的にやらなければならない」そう、木谷さんは単に天才肌のみならず、自らの職貢を果たすための真摯な努力を惜しまない人でもあった。また、状況を怜悧に見渡す能力にも長けていた。(以下略)
牧太郎の青い空白い雲「物価高の無策で、食べられない日本人が鬼死骸になるぞ」から
正月のテレビ番組で、誰かが「おめでとう、どころではない人が大勢いる」と言ってたけど……。確かに「飯が食えない人」がたくさんいる。(中略)
食べられないーだけではない。
「水が飲めない人」までいる。能登地震の被災地では、いまだに「水道」が通らないところがある。なぜ、こんな理不尽なことが放置されているのか?
カネの使い方が問違っているからだ。政府は東京五輪に約1兆7000億円も使った。大阪万博で多分3000億円以上使うだろう。それなのに、能登の復興資金は、当初は予備費からわずか約47億円だった。阪神・淡路大震災の時も、東日本大震災の時も、政府は地震発生から1カ月以内に補正予算を組んだ。それなのに、今回の能登地震で岸田内閣は補正予算を組まなかった。だから1年経っても「水が飲めない」のだ。政府は海外への「ばら撤き」に18兆円以上も使っているのに…
最近、ネットで「メチャ恐ろしい名前の停留所」を知った。岩手県一関市真柴祈祷にある「鬼死骸停留所」。確かに恐ろしい。(中略)
この伝説を信じると、「お上」に逆らう反乱車は「鬼」扱い。勝てば官箪、負ければ「鬼」軍。
この正月、小さな「反乱」が起こった。新聞、テレビは無視しているが、かなりの人々が財務省の前に集まり、声を揃え「消行税廃止、財務省解体」と叫んだ。潜在的国民負担率が62.9%に達したというネット情報が拡散し、多くの日本人が恐怖を感じ「反乱」に結びついた。
一方で「お上」に近い誰かさんが堂々と「年金の受給開始を70歳にすべきだ」と主張する。ロクに食べられない日本人が近い将来、80ー90歳まで働くことになる?
俺には「今の政府こそ鬼!」と思えてならないのだが……。
今回はもう一つ、それは私(wtw)の独自コメントです。
・フジCM差し替え50社以上。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6526548
コメント:私も最初は示談になったのになぜと思っていたが、やっと合点がいった。それは中居の性処理の相手を命じられた女性がフジTVの正規従業員だったからだ。従業員を人身御供に提供する会社とは、開いた口が塞がらない。しかもそれが知名度の高い企業だ。一過性の事件で済ますことはできないほどおぞましい出来事で、もはや犯罪に近い。しかも言を左右にして、会社ぐるみだった事実を認めようとしない社長の態度が、この事件が組織がらみ、即ち経営者承知の上での犯罪であり、従業員の人権を踏みにじる行為が日常的に繰り返されていたことを想像させる。
高額の慰謝料でも決着しなかった理由も分かった。それは中居が行為のあとで、相手の女性を人間として扱わなかったからだ。しかもフジTVは、自社の置かれた立場を未だに分かっていない。それは偽物の委員会を提案したことでも良く分かる。早く収めて、この場をしのぎ、ほとぼりを覚ましたいという気持ちが見え見えだ。反省する気など全くなく、開き直り(それは他社も似た状況であるからだろう)だけが垣間見えている。このスキャンダルに政府はもっと敏感に反応しなければならない。世界中から三流国と思われたら、観光客も減るだろう。日本の製品の評価も下がる。国は、対外的な評判にもっと気を遣うべきだ。
世界を相手にしている日本の一流企業(TVは世界を相手にした経験もない)は、この問題の危険性(ヤバさ)に直ぐに気が付いた。性と虐待となれば、世界の記者(メディア)が黙っていない。言い訳の効かない格好の攻撃の的になる。だから自社の評価に傷が付くことを恐れて、撤退したのだ。誰も意識の低いフジTVなどと心中はしたくないのである。
それともう一つ気になるのは、こういう案件ではもっと怒りをあらわにして良いはずの、女性の有識者やコメンテーターが妙に静かなことだ。中居は女性社員を性の奴隷として扱ったのだ。女性社員の家族から復讐されても文句の言えない立場なのだ。有識者は、ことTVの案件だから言わないのか、他に理由でもあるのか知らないが、情けないとしか言いようがない。これでは女性の地位向上などあり得ない。
「日本の企業は、女子従業員を性的サービスとして提供している」こんな恥ずべき逆宣伝はない。日本のイメージが大きく損なわれ(ゲイシャ・フジの国に逆戻り)、日本の観光立国も難しくなる。なぜメディアの関係者はそれに気が付かないのか。低能丸出しのフジTVの社長には分からないだろうが、清潔で安全なイメージを回復するためには、多大な努力と莫大な費用が必要になる。買春(売春も)する側の芸能界、売春(買春も)する側TV業界、共に低IQ,低EQの人間ばかりを集めているのかもしれない。たまに登場するディレクター等の知能程度の低さの理由が分かる気がする。スポンサーの圧力で出来の悪い子弟を押し込まれているのかもしれないが、人材のレベルが低いのだから、日本のメディアやジャーナリズムが先進国でも最低の評価なのも当然だ。しかも低評価の理由は人災だったのだ。程度の差はあるが、NHKでさえ完全な例外ではない。同じフジTVでさえ、歴代経営者にはもっとまともな社長もいたと記憶している。例えば笑っていいともを始めた当時の幹部にはもっと夢も志もあったように思う。ところで中居は以前長期病欠があったが、病名は絶対に言わなかった。調べれば何か分かるかもしれない。
中居が居なくても、フジTVが無くても国民は困らない。だから早く消えて欲しい。しかも松本に至っては、未だに性加害の問題の本質(相手の人格を否定)を全く理解できていないようだ。
2695.日本の国会変われるか 1.23
今回の前書きは朝日新聞インタビュー、学習院大学教授 野中尚人です。
「日本の国会変われるか」より
議論より「数の力」、修正されぬ予算案、55年体制の慣習
公の場で全体討論、これが国際標準、少数与党の今こそ
予算案や法案は与党が事前チェックし、国会で課題が指摘されても修正せず「数の力」で成立させるー日本で長く続いてきた慣習だ。だが、少数与党で迎えた昨年の臨時国会では補正予算が修正の上で可決された。24日からの通常国会を前に、政治学者の野中尚人さんに聞いた。日本の国会、変われますか。
―昨年の暮れの臨時国会では、政府の予算案が28年ぶりに修正されました。どのように評価していますか。
「もったいなかったですね。日本の国会が、本来あるべき機能を取り戻し、国際標準レベルの審議を行えるきっかけになる可能性もあったんですが」
「与党と、予算案の賛成に回った国民民主党などとの政策協議は非公開で行われ、国会という場で説明を果たすような動きにはなりませんでした」
―日本の国会審議は、国際標準とは異なるのですか。
「1955年の保守合同で自民党や55年体制ができて以来、日本の予算案や法案は基本的に政府が与党の事前審査を受けて提出してきました。特に与党議員には賛否を縛る党議拘束もあり、いったん国会に提出するとめったに修正されず、審議が尽くされていなくても半ば自動的に可決されてきました。そうした自国の国会のあり方については知っていても、それが世界の民主主義国と比べてどうなのかは、国会議員や官僚もあまり知らないのではないでしょうか」
「たとえば、国会の本会議は日本では年60時間ぐらいしか開かれませんが、欧州諸国の議会では年1000〜1200時間が標準です」
―日本の20倍とは…。
「(中略)欧州だけでなく、台湾や韓国など、どこに行っても、日本の国会本会議は年60時間だと言うと『それで議会と議員が役割を果たせているのか』と驚かれます」
「国際標準では、議員全員が参加できる本会議での全体討論が重要です。まず本会議で大きな控組みを討論した上で、委員会で論点整理して議論を精緻にした後、また本会議に戻って十分に全体討論してから採決します。つまり、日本のように委員会に事実上任せるのではなく、全員が意見を言える本会議で全体討論する機会を確保するのが当たり前なんです。委員会はもちろん大変重要ですが、あくまで下準備なんですよ」
「だから審議時間は、重要法案を委員会で30時間やったら、大体そのあと本会議で50時間ぐらいやる感じです。ドイツでは委員会審議が重視されており、ほかの欧州諸国より本会議は短いですが、それでも年600時間と日本の10倍です」
―それだけ時間をかけて議論するということは、予算案が国会で修正されることも海外では当たり前なのですか。日本では28年ぶりでしたが。
「充実した議会審議の仕組みがある場合、政府提出の予算案が全く無傷で通るなんていうことは、ほとんどありません」(中略)
―具体的に、どのように予算案は審議されるのでしょう。
「まず議員への説明は、我が国のように与党の事前審査が先行するのではなく、議会プロセスに入ってから、与野党合同で行われることが多いです。当然、質問や意見交換がありますが、その後が重要です」
「どういう項目にどういう修正を要求するか、個々の会派や議員レベルで、項目ごとに修正案をつくります。昨年、調査に訪れた台湾で聞いたら、毎年700項目ぐらいの予算の項目のうち、相当な数のものについて修正要求が出てくるとのことでした。『これは絶対ダメだから削れ』とか、『この項目は実態を説明するレポートが出るまで凍結だ』といった具合です」
「本会議(台湾)か予算委員会(韓国)で最初に予算全体を議論した後、それぞれの常任委員会で各分野の予算を項目ごとに議論しているわけです。たとえば農林水産予算は、農林水産委員会で『この項目については、こういう修正要求が出ていますが、ほかに意見のある方はいませんか』などと、議会を挙げて1カ月ぐらいかけて項目ごとに議論し、そして項目ごとに議決していきます。(中略)」
「台湾の党団協商も与野党間の交渉のチャンネルですが、議会の公式の制度であり、いわば『表』のプロセスです。大事なことは、具体的な予算項目について公の場で議論をして、誰がどんな意見を出して予算案がどう変わったのか、あるいは変わらなかったのかが、公的な記録に残るということです」
「どの議会も予算案は3カ月ぐらいかけてしっかり審議しています。それから考えると、日本の国会は本当に予算審議をしているといえるでしょうか」
―日本では、本会議より予算委員会が注目されており、政治的スキャンダルなど予算以外の議論をすることも多いです。
「それも日本だけの常識ではないでしょうか。本来なら本会議でしっかり議論すべき国政の重要な課題まで、予算委員会という場に詰め込まれ、本会議の代替物のようになってしまっています。具体的な予算の中身についてのしっかりした議論は、どこへ行ったのでしょう」
―どこから改革に着手するのが効果的でしょうか。
「現状では与党だけで予算案や法案を通せませんが、自民党と公明党の事前審査や水面下の協議に、項目別に国民民主党など個別の政党が加わるだけに終わってしまっては、国会が本来の役割を果たせるようになるための貴重な機会を逃すことになってしまいます」(中略)
―国会の本来の役割とは。
「国会の本質的な特徴とは、議論をした上で、社会の全構成員を拘束するルール、つまり法をつくれることです。話し合いをする組織自体はほかにもたくさんありますが、それらとは根本的に違うのが、まずそのことです」
「もう一つ、そのために意見や立場の異なる人が公開の場で討論をすることが、私は決定的に重要だと考えています。ところが日本の国会は55年体制が成立して以降、与野党による討論が実質的に行われていません。野党が政府を監視する、という重要な機能を果たしてきたことは忘れてはいけませんが、与野党の討論や熟議の場としては、役割を果たしていないと思います。これらは法律ではなく、戦後の55年体制の中で与野党でつくってきた、政治的慣習によるものです」
「日本の戦後を考えたとき、私は、自民党が与党であり続けてきた国会が本来果たすべき仕事をしてこなかったのに、民間・国民の努力と創意工夫で経済発展を遂げ、豊かさを蓄えてこられたのだと思っています。与党は公共事業や補助金の配分をコントロールすることが権力の源泉とされ、右肩上がりの時代には、それがうまく機能した面もあったでしょう。しかし、この20年以上、その蓄えを様々な分野で食いつぶしているのではないでしょうか。そして与党の政治家は、何か都合が悪くなったり批判を受けたりすると、官僚を悪者にする傾向を強めてきました」
「きちんとした説明責任やチェックを伴う意思決定の仕方を確立させて、長期的な視点で考えたり計画を組み立てたりする統治能力を、政治は回復しなければならないと思います。政権交代が起きうる緊張感を含め、少数与党という現状は、改革に着手する大きな好機のはずです」(聞き手・池田伸壱)
コメント:中でも、誰がどういう発言をしたのかを、公文書として議事録に永久に残し、国民がいつでも参照できるようにして置くことが重要だと考えます。
ところで、同じ朝日新聞の一駒漫画が痛快でした。旅行鞄に挟まれたトランプの絵があり、走る怨恨・身勝手・大風呂敷、トランク大統領詰め込み過ぎです!とあります。ニューヨークタイムズに転載して欲しいくらいです。
2696.新自由主義の弊害 1.25
今回の前書きは朝日新聞(1.24)から2件です。
リレーおぴにおん 100年目の昭和
「臆病さ歌おう 」戦争知らなくても」作詞家・精神科医 きたやま おさむ
作詞家として450以上の曲を作ってきました。中でもこれだけはずっと歌い継がれてほしいなと思っている曲が「戦争を知らない子供たち」です。発表したのは1970年。ベトナム戦争のさなかでした。
日本は当時、先の大戦が終わってまだ25年。若者が平和を語ると親世代から「戦争の恐ろしさも知らない子供のくせに」と批判が来る時代でした。昭和は、戦争を知る人と知らない人が混在していた時代です。
敗戦翌年に生まれた僕にも、戦争を知らないのに平和を語れるのかという逡巡はありました。でも曲には、知らないからこそできる平和の語りもあるとの思いを込めました。
今でこそ反戦歌だとも紹介される曲ですが、実は当時は左翼の人から「軟弱だ」と批判されました。(中略)
でも僕は「戦争はイヤだ、戦いたくない」という気持ちを素直に表現できることが大事なのだと思っていました。戦争から逃げたいという臆病さも、誰にもケガさせたくないし自分も傷つきたくないという気持ちも、人間として持っていてよいものであるはずだからです。あの曲は、反戦歌ではなく厭戦歌です。(中落)
「戦争を知らない子供たち」は、勇敢さが称揚される時代になればなるほど歌われにくくなるでしょう。今まさに日本はそうなりつつあるのではないか、と感じています。
インタビュー「働く尊厳取り戻すために」政治哲学者 マイケル・サンデル
新自由主義の欠陥 尊敬や承認の欠如 暗黙の悔辱へ憤り
トランプ米政権がとうとう再始動した。米政治哲学者マイケル・サンデルさんは、富の偏在にとどまらない尊敬や名誉、承認をめぐる不平等が、異形の政権を再来させたとみる。長く見過ごされてきた「暗黙の侮辱」とは何か。どうすれば働くことの尊厳を人々の手に取り戻し、民主主義を立て直せるのか。
―トランプ大統領の復権が示す、米社会の病根をどこに見いだしますか。
「この40〜50年間にわたる新自由主義的なグローバル化は、トップ層に大きな報酬をもたらした一方、平均的な労働者には賃金の停滞と雇用の喪失をもたらしました。そうしたなか、工リートが自分たちを見下し、日々の仕事に敬意を払っていないという労働者の憤りが、トランプの成功の根本にあります。彼の復帰は、バイデン政権の4年間でもその問題が解決されずにきたことを示しています」
―トランプ氏は総得票数でも勝ちました。「トランプ現象」は一時的・局所的な逸脱で はありませんでした。
「それどころか、トランプは 米国政治を根本から再編するのに成功しました。(1930年代の)ニューディール政策にさかのぼる民主党の伝統は、労鋤者の代表であり、権力者に対抗する人民の代表であり、経済権力の集中に対する牽制の代表であることでした。これが2016年以降は逆転しました。共和党は富裕層を支える政策を手がけてきたにもかかわらず、大学教育を受けていない人々や労働者がトランプに投票しました」
「中道左派が労働者の支持を失い、権威主義的なポピュリストがそうした層へのアピールに成功しているのは、英独仏など多くの民主主義国家で見られる現象です。金融主導で市場寄りのグローバル化を、中道左派が受け入れたからです」
―トランプ氏は前回、そこで労働者を利する政策に取り組んだ印象はありませんが。
「支持者の多くが頼りにする医療保険制度を廃止しようとしたり、大減税で労働者よりも富裕層と大企業に利益をもたらしたりしました。にもかかわらず、労働者は民主党から疎外されていると感じ、代弁者として信頼しなかったのです」
―あなたはかねて、民主党のクリントン、オバマ両政権が新自由主義に十分対抗しなかった、と批判してきましたね。
「彼らのメッセージはこうです。競争に勝ちたければ大学に行け。どれだけ稼げるかは、何を学ぶかにかかっている。努力さえすればなんとかなる、と。しかし、解決策を大学の学位に求めることは、その不平等をもたらした構造的な原因、つまり新自由主義的なグローバル化の欠陥に目をつむるものでした」
「彼らは、このアドバイスに暗黙のうちに含まれる侮辱を見落としていました。新たな経済で苦しんでいるのなら、また大学を出ていないならば、失敗は自分のせいだという侮辱です」
―仏経済学者トマ・ピケティ氏はあなたとの共著で、中道左派の失敗は、貿易や雇用という経済問題と格闘しなかったことにあると主張しました。
「民主党が苦しんでいるのは、金融規制緩和や自由貿易など新自由主義的な経済政策を受け入れた結果だ、という点でトマと一致します。ただ、強調点の違いはあるかもしれません。 私は、経済の問題は文化の問題と切り離すことができないし、すべきでもないと考えます」
「不平等の拡大に伴い、能力主義的な個人主義が行き過ぎ、成功に対する態度が変質しました。頂点に立った人々は傲慢にも、成功は自身の能力と努力によるもので、苦しんでいる人はその運命に値する道を選んできたはずだと考えるようになりました。取り残された人々は経済的に苦しいだけでなく、高学歴のエリートに見下されているという屈辱感を募らせています」
「つまりは、社会的名音や尊敬、承認、尊厳の欠如です。これらは経済の問題か、文化の問題化と問われれば、その両方です。人々は疎外感と、政治に声が届いていないという無力感にさいなまれました。トランプはその憤怒につけ込みました。だからこそ、労働の尊厳の回復が極めて重要なのです」
―ただバイデン政権は、学位のない人にも雇用を生むインフラヘの投資など、ニューディール以来と言われる野心的プロジェクトを手がけたはずです。
「確かに新自由主義的路線から脱却しようとしたことは正しい。あまりにも長く放置された公共インフラヘの投資やグリーン経済化で政府に積極的な役割を与え、独占禁止法を厳格に執行してハイテク企業への権力の集中に対抗しました。しかし、こうした投資は恩恵が行き渡るのに時間がかかり、彼は政治的利益を得られませんでした」。
公の場の再構築と「生産者」の再評価 無力感の克服にも
(中略)
―能力主義のイデオロギーを克服し、働くことの尊厳を取り戻すには、どうすれば。
「バイデン政梱は政策的には良いスタートを切っていました。イデオロギーの次元では、中道左派政党は人々の怒りに向き合い、その使命と目的を再定義する必要があります」
「家族から地域、そして国家へと続く共同体において、人々の帰属意識や相互義務感、社会的な調和が失われています。自分たちがどう統治されるべきか、意味のある発言権を持っていると誰もが感じられるよう、自治のプロジェクトを活性化させなければなりません」
―市民生活の次元ではどうでしょう。
「公園や公民館、図書館、公共交通など、多様な階級の人が交ざり合う公の場を再興しましょう.空間を共有することで、同じ社会の中に生きる『市民』だと気づきます。地域社会の道徳的土台を再構築し、人々が抱える無力感に対処する必要があります。でなければ、エリートに対峙する代弁者を装うトランプのようなデマゴーグを人々は受け入れてしまいます」
―私たちは「消費者」のアイデンティテイーにとらわれすぎていた、と指摘しています。
「グローバル化は衣料品などの国外生産のコストを下げ、消費者としての米国人を助けました。しかし、その代償として生産者としての米国人に深刻な打撃を与え、中西部各州の工業都市は空洞化しました。こうした激戦州では今回、トランプが全勝しました。消費者としてのアイデンティティーに気をとられすぎた結果、生産者としての米国人を支える政策の重要性が軽視されたのです」
―人々を「生産者」として らえ直すことが大事だと。
「良質な雇用を維持するという意昧で経済的に重要なだけでなく、労慟の尊厳の観点からも、政治哲学上も大切です。自らを消費者とだけ考えていれば、単に安い商品を追い求めるだけになってしまう」
「しかし、自らを生産者と位置付けるとき、自分の仕事や育んでいる家族、奉仕する地域社会を通じて、私たちは共同体の『共通善』に貢献する役割を担っていると気づきます。それが国づくりにもつながるのならば、私たちは単なる消費者ではなく、政治的な発言権を持つ『市民』なのだと考えられるようになります。それは、政治的な無力感の克服にもつながるはずです」
―取材を終えて
あらゆる共同体のくびきから解き放たれ、専ら自己実現に励む入間像を描いたこと。そして、そこから取り残される存在への想像力を欠いたことに「リベラルの敗北」の一因があった。同胞としての連帯感や帰属意識がなければ、冨の再分記を倫理的に正当化することも難しいはずだとサンデルさんは言う。
とはいえ、特定の共同体にひもづいた「道徳」への忌避感は、なお根強いだろう。家父長主義や排外主義に陥らずに、同じ社会の成員としての誇りと尊厳を重んじる新たなリベラル像を、どう構想するか。賃労働か否かにかかわらず、社会に何かを生み出す「生産者」の役割を再評価することは、その一歩になり得ると思った。(江渕崇)
コメント:IT業界のトップはこぞってトランプにすり寄っている。それはとりもなおさず、自身も富裕層であるトランプが、富裕層の彼らの既得権を保護してくれることを期待してのことだろう。トランプが今回の大統領選で労働者に約束したのは違法移民追放と、海外製品の輸入制限だけ、それとキリスト教福音派の極右で偏狭な価値観だけである。あとはMAGAを叫ぶことで、愛国心でまとめようとしている。愛国心をスローガンにするということは、これまでの独裁者の常套手段であり、それは基本排外主義であり、他国との協調、助け合いや(キリスト教にもかかわらず)博愛主義とは真逆の方向に向かうことを意味している。それがやがて自国の権利を優先するあまりの戦争に向かう道でもあることは、戦前の日独の例を引くまでもない。
既にシカゴ、ニューヨークなど都市部で、違法意味の摘発が始まっており、街路から人影が消えていると言われる。端的に言えば、力による独裁政治、恐怖政治が民主政治にとって代わられようとしているのだ。
でもトランプが労働者の鼻先にぶら下げた人参は、決して富裕層の既得権や利益を犠牲にしたものではなく、自分たちよりさらに恵まれない階層を犠牲にしたものであることに気が付かないと、取り返しのつかない状況(貧困層の固定化)が待っている。もはや、共和党、民主党の区分が意味を成さない以上、リベラル党と保守党を結党し、議員も自分を再定義して、新たな旗の下に集結し、政治全体が再出発して、市民の政治的ニーズ(本当の平等、機会均等、福祉を前提にした真の自由主義)に応えていかない限り、新自由主義が行き詰まって、ポピュリズムや愛国主義に走り始めた米国(と独、仏、オーストリー、イタリー)の民主政治には未来がないと、確信する。日本がその轍を踏まないよう、切に願う。なぜなら、斎藤パワハラ知事や、石丸や高市人気、日本保守党(百田、河村)、N党(立花)の暗躍は、日本の民主政治に暗い未来を予感させるに十分なものがあるからだ。それはかつての(オープン?な)赤尾敏の大日本愛国党にはない、不気味で、かつ国民自身がそれを意識していない超保守のうねりを感じさせるものでもある。日本の未来は立憲民主がリベラルの旗を高く掲げて、福祉国家の理念と平和憲法の精神で、一歩も譲ることなく前進することができるかどうかにかかっている。国民も立憲も、経団連や連合が新自由主義であり、維新も国民民主もポピュリズムの一時的な産物に過ぎないことを忘れてはならない。
2697.破壊者トランプ 1.26
今回の前書きは独自コメント「トランプは創造的破壊者か」です。
・トランプWHO脱退再検討。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6527124
コメント:トランプは品がない(しかも好色)ので嫌いだが、動機は不純であれ、既得権、もしくは規制概念に遠慮せず立ち向かうのであれば、別の見方(創造的破壊者)が可能だ。とはいえIT関連(X,メタ、アマゾン、MS、ソフトバンク等)も巨大な既得権だから、そちらを優遇するのであれば、単なる二枚舌ということになり、未だどちらとも言えない段階だ。
またトランプは外国に触手を伸ばし、カナダやグリーンランドを欲しがっているが、むしろそれが腐敗しきったメキシコなら、米国の一部になれば明らかに治安は改善するだろうし、違法移民も違法ではないどころか、米国人になる。でもトランプは米国の利益にならない事はやらないし、中南米は米国の出来の悪い手下だと思っているから手は出さないだろう。
一方で、我々は既得権というモンスターがどれだけ悪さ(不平等や人権侵害)をするかをいやというほど目にしてきた。安倍晋三しかり、森喜朗しかり、外国ではほかならぬWHOのテドロス、元IMFのラガルド、IOCのバッハ等枚挙に暇がない。最近の日本の例では、フジTVの日枝もSMAPの中居も、老害コメディアンも同類だろう。
基本が民主主義国家なのだから、すべて公論に決すべしだが、あるべき発言や批判の自由でさえ、忖度(=自分達の損得勘定)という代物に左右されているのが現状だ。そこに何事にも遠慮しないトランプが、既存の(しかも機能不全の)制度や組織を片端からぶち壊しに掛かったら、痛快に感じる者も出て来るだろう。でも注意しなければならないことは、それはヒトラーをはじめ、世界の独裁政治家(含む金正恩)がこれまで使ってきた常套手段でもあることだ。国内(あるいは関係国)を敵と味方に分け、自分に敵対する者には悪玉のレッテルを貼り、徹底的に攻撃する。自分は正義の味方(のつもり)である。これなら、どんなに大学を出ておらず、政治も外交も理解できない人間でも、どちらに投票すべきかの判断を誤る恐れはない。
かたや(あるべき)民主主義は、政策の決定には時間と手間が掛かる。歯切れも悪い。それはミスを最小限にし、公正さと公平を担保するためである。しかし大衆は明白な色分けと、手っ取り早い結論を好む。
拡大する格差や、不平等で将来に絶望した米国民(トランプ支持の7500万人)が、民主主義を維持しようとした米国民(ハリス支持の7300万人)僅かに上まわったことは、米国に不満が渦巻いている証拠であるとともに、内乱迄発展するかどうかは別にして、米国の内情が極めて危険な状況にあることを示している。
それはとりもなおさず、ケインズ(神の手)以降の新自由主義が、完全に目詰まりを起こして、行き詰っており、全く新しい政治と経済の仕組みに移行しないと、暴力革命が起きる恐れのあることまで示唆しているのだ。それは俄かには信じ難い事かもしれないが、たとえばこう想像してみて欲しい。もし仮に今回の大統領選が7300万対7500万で、トランプが負けていたら何が起きたかを。前回より酷い暴動が起きなかったと断言できるだろうか。
日本は日本で、理性も真実もかなぐり捨てて、根拠のないポピュリズムが誹謗中傷の形で、SNS上で暴れまわっている(誰とは言わないが、目の血走った豚饅頭が仕掛け人として大きな責任がある)。
一方で、政権の暴走を抑制すべき立場にある野党第一党の代表が野田では、いかんともしがたい。覇気が感じられず、表情も乏しく、つかみどころがない。過去の発言でも問題発言がいくつもあり、政治家として、とてもではないが、信用出来ない。日本が第二の米国(分断国家)にならないようにする為には、求心力があり、パワーと人間性のある代表に一日も早く交代し、一党で自民党を越える政党になる必要がある。それが出来なければ、やがて日本は目も当てられない国になるだろう。
最近無差別テロや自暴自棄の殺傷事件が頻繁に起きていることも、日本社会が富裕層と、夢も希望も持てない階層に、大きく分断されて、世情が殺伐としてきていることの裏返しではないのか。しかも今国民にとって一番必要な概念である、理想、正義、思いやり、平等、公正等々は、既に全部日本国憲法に、国民の権利・義務として明記されている。平和憲法を精神的な支柱にして、平和で、平等な国を実現する。そのプロセスを迅速(1年以内)に進める事こそが、令和の市民革命(非暴力)を意味することになるのではないだろうか。
2698.政権交代どうでもいい 1.29
今回の前書きは、独自コメントです。
・立憲活動案。政権交代へ全力。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6527313
コメント:お言葉を返すようだが、挙句は野田が首相で立憲議員が閣僚ということか。でもその姿は想像できない、というより想像もしたくない。前民主党政権での自称大臣たちの体たらく(含む蓮舫)は直視に耐えなかった。首相(野田)以下どこに出しても恥ずかしい内閣だったと記憶している。それくらいなら、現在の石破首相の内閣の閣僚の方が、どれだけ安心して見ていられることか。
そう言ってしまえば身もふたもないので、有効な案を提示しよう。それは自民と立憲で大連立を組むことだ。そして誰が見ても破綻のない人材(その分野で押しも押されもせぬ政治家)だけを両党から厳選、もしくは民間から登用(文科相は前川喜平以外に考えられない。子ども政策担当大臣は辻元でも良い)し、理想的な内閣を構築することである。国民民主も、維新も、公明も、その他の泡沫政党も一切お呼びでない。今の日本に必要なものは、失言がなく安定した、盤石の内閣だ。立憲が政権を取ることなどどうでもいいことなのだ。トランプ旋風に立ち向かうにあたり、それくらいの覚悟と体制がないと、日本は木っ端のように吹き飛ばされてしまうだろう。
2699.ジラード事件 1.29
今回の前書きはオールドメディアの朝日新聞(1.29)から3件です。
最初は久しぶりの天声人語です。
事件は、群馬県の榛名山の裾野にある米軍演習場で起きた 1957年1月30日のことだ。
「ママサン、ダイジョウビ」。
生活質をかせぐため、薬莢拾いをしていた46歳の坂井なかさんが、ジラード特技兵の片言の日本語で呼び寄せられ、殺された。有名なジラード事件である。人間を鳥獣のごとく撃ち殺す行為に「日本人はスズメではない」と世論は反発した。米軍は日本での裁判を認めたが、公判は茶番となった。懲役3年、執行猶予4年。「無罪と同じです と遺族は嘆き、特技兵は自由の身で米国に帰った。当時の「アサヒグラフ」に、印象的な写真が残っている。裁判官、検事、米軍の将校が、裁判所の中庭でなごやかに記念撮影をするものだ。「これこそ判決内容の姿だ」と同誌は書いた。後に公開された外交文書で、両国間に密約があったことが確認されている。日本で裁判を開く代わりに、「できる限り軽い判決」を出すとの秘密合意があった。事件から、あすで68年。いまも米兵の惨い犯罪は絶えない。容疑者が公務中とされれば日本で裁判はできず、公務外でも、現行犯などを除き、起訴まで身柄の拘束ができない。日米関係は相も変わらず、不平等のままである。米軍絡みの事件は裁判までいかないことも多い。女性への性的暴行事件で、沖縄では今月も、米兵が不起訴になった。私たちの知らないと ころで、不条理な何かが決まってはいないか。こんな現実がいつまで続くのか。古びた白黒写真を、じっと見る。
コメント:石破が公言した数少ない目標のなかに、日米地位協定の見直しが含まれている。米国の都合で存在する、米軍基地の運営費も、日本政府が負担している。その上で暴行事件とはどういう(米軍の)神経か。あるべき姿は今さら言うまでもない。日本中から米軍基地がいなくなることである。そうなると、中ロ北から攻め込んでくるので困ると自民党は言うだろう。ならば防衛の全てを米国に任せ、自衛隊を解散して経費を節減すればいい。
朝日社説(1.29)
「兵庫県と立花氏 虚偽の発信 放置できぬ」
虚偽や真偽不明の情報、誹謗(ひぼう)中傷を発信する行為は、けっして許されない。
死亡した前兵庫県議を巡りネットに虚偽の内容を投稿した立花孝志氏の責任は極めて重い。そして、そうした情報を拡散させないために何をすべきか、改めて考えたい。
斎藤元彦知事らが内部告発された兵庫県で、前県議の竹内英明氏が死亡したことを受け、立花氏は竹内氏について「県警からの継続的な任意の取り調べを受けていました」「明日逮捕される予定だったそうです」などと投稿した。
竹内氏は、疑惑解明のため県議会が設置した百条委員会の委員だった。県警本部長は県議会で「(竹内氏を)被疑者として任意の調べをしたこともなく、ましてや逮捕するといった話はない」と明言した。個別の捜査についての説明は異例で、事態の深刻さを踏まえての対応だろう。
立花氏は一部の投稿を削除し、謝罪の意を示したが、「竹内県議に対して何か申し訳ないなとかっていう感情は正直ない」とも語った。
昨秋の出直し知事選に、立花氏は斎藤氏を応援するとして立候補。竹内氏について「告発文書を作って(斎藤県政を)転覆させるようにした」などと主張した。
同僚県議によると、竹内氏は立花氏以外からもSNSを通じ様々な誹謗中傷にさらされる中、立花氏から来訪予告を受けた。おびえる家族を守りたいと県議を辞職。その後も中傷はやまず、つらさを周囲に漏らしていたという。
立花氏は、現職の国会議員を有する政治団体の代表だ。民意を代表すべき人物が虚偽の情報を流し、少なからぬ人が拡散する「ネットの暴力」の深刻さを改めて思う。
元宮崎県知事の東国原英夫氏は、竹内氏について「警察から事情聴取もされていたと聞く」と投稿。その後削除したが、断定しなければよい、間違ったら謝ればよいという姿勢は悪質な拡散に加担することにほかならない。
兵庫県警は、推測や臆測で人を傷つけるような書き込みをやめるよう呼びかけた。県議会と県庁も、それぞれの役割を果たす必要がある。
県議会は、百条委の報告書づくりが当面の課題だ。納得できる内容になるよう、審議を尽くしてほしい。
そして県庁、つまり斎藤知事である。竹内氏の死去後、会見で「心ない誹謗中傷はしないで」と呼びかけたが、立花氏の虚偽発信は許されないと語るべきだ。自身の知事再選に貢献した形となった氏の言動にどう対処するのか、見識が問われている。
以下原文
https://digital.asahi.com/articles/DA3S16137181.html?iref=pc_rensai_long_16_article
コメント:立花は、自殺するような人間は政治家には向いていないとまで言った。これが、自分が死に追いやった者に言う言葉か。しかも委員会では、誰が聞いても竹内議員の質問はまともだった。家族への脅迫もあった。立花は自分がどれだけ多くの国民を敵に回したのかさえ分からないらしい。立花こそ、政治家どころか、社会人にも向いていない。ついでに言えば、ロクな発言のない、そのまんま東(旧タケシ軍団)も、早くTV画面から消えて欲しい一人である。
「フジテレビ会見 残る疑問 真剣に検証を」
元タレントの中居正広氏と女性の間で性的な問題が起きたとする週刊文春などの報道に端を発した事案で、フジテレビの社長らが辞任した。
幾層もの疑問点がある。中居氏の問題は、どのような性質のものだったのか。同社幹部社員は何らかの関与をしたのか。出来事を把握した後のフジの対応は適切だったか。
会見で、辞任した港浩一社長は、女性の「人権侵害が行われた可能性がある事案」と認めた。中居氏の番組打ち切りを検討したとしながら実際は約1年半続けたことについて、女性の体調を悪化させる「刺激」になると恐れた、と説明した。誰にも知られず仕事に復帰したいという意思を重視したという。
その上で、社内のコンプライアンス推進室に相談するなど、違う対処もあったのではないか、と反省を述べた。
女性の体調を優先するのは当然だ。だがそれが、人権侵害の可能性がある問題に対して積極的には動かない理由になってはならない。こうした問題を、誰にも知られたくないと考えるのは無理もないことだ。それでも働き続けられるように守る手段は、大ごとにしない、ではないはずだ。
疑問は、背景の企業風土にも及ぶ。タレントなどの接待に女性を利用する慣習がなかったか。上層部が自らそうしたり看過したりしていなかったか。上層部の人事は、長年影響力を持ち続ける取締役相談役、日枝久氏の采配の下にあるのではないか。
会見では、日枝氏がその場におらず留任することへの質問が相次いだ。遠藤龍之介副会長は、第三者委員会の調査結果が出る時期を一つの区切りに、すべての常勤役員が「それぞれの責任を取るべきだ」と述べるにとどめた。(中略)
多くの疑問は会見を経ても残ったままだ。何が起きたのか。どんな対応があり得たのか。第三者委とフジ自身が正面から検証してもらいたい。(以下略)
上層部の同質性や人権への鈍感さがないかどうか。政界や他の企業にとってもひとごとではない。自らを省みる機会にもしたい。
以下全文
https://digital.asahi.com/articles/DA3S16137180.html?iref=pc_rensai_long_16_article
コメント:たまたま本件だけ、編成局のAが関与していなかったことに、フジTVの幹部はしがみ付いているように思われる。でもそれは止めた方が良い。というのは、それ以前、或いは以後に、Aが関連会社を含む女性社員を接待の道具として扱った事例が出てくる可能性がるからだ。しかもA自身がサービスを受けたという報道さえある。第三者委員会で、(その他の)Aのコンプラ違反が明らかになった途端に、フジTVの大前提は、その前提から崩れることになる。即ち、たまたま中居の件では関与がなかったにしても、それ以外でコンプラ違反がゾロゾロ出てくれば、中居のレイプ事件どころではなくなってしまうからだ。
テレ朝の羽鳥のモーニングショウが、くだんのバーベキューに参加していたタレントのヒロミの説明を紹介している。なぜいち早く弁明したかというと、ことの重大性に気が付いた(で眠れなくなった)からだ。その日は途中で帰宅したことを悔いていた。でも最後まで現場に残っていても事件を防止できたかどうかは誰にも分からない。でも確かに二人だけにはならなかっただろう。今回は、ヒロミがため口で粗野なだけの人間ではなく、状況を把握する能力もある事が分かった。
今となっては大した足しにもなるまいが、私が社長なら以下のように答える。
「今回の株主様からのご指摘、また週刊誌等の報道を、私どもも深刻に受け止めております。中居様と被害を受けられた女性との間に何があったのかは、男女間の問題でもあり、此方から問い糺すことは出来ませんので、事実関係につきましては、第三者委員会殿の調査、判断に委ねたく存じます。次に週刊誌で指摘された、編成局の社員Aの関わり方ですが、社内でAにヒアリングをした限りでは、被害女性にBBQへの参加を強要した事実はないようです。しかし本件に限定せず、過去、又は最近まで範囲を広げて、社員Aを含めて、社内でハラスメントの加害、被害が無かったかどうかは、当社のコンプライアンス組織でも鋭意調査させる所存です。第三者委員会殿で、事件い関係して、弊社にどのような落ち度があったかどうか、そして当社のコンプライアンスの状況に問題がなかったかどうかを、厳しくご吟味頂き、その結果を頂戴して、責任の所在を明らかにし、抜本的な対策を講じてゆきたいと考えております。株主の皆様、スポンサー各位、そして視聴者の皆さんには、どうか調査が終わるまで、いましばらくの御辛抱を賜りたく、伏してお願い申し上げる次第です。なお調査の結果次第では、経営責任者を含む役員、社員の処分に及ぶ場合も十分にあり得ますので、その際は、再度きちんとご報告させて頂く所存です」。
…社内の調査でお茶を濁すと思われたこと(多分そのつもりだったろうが)が、事態がこうもこじれた最大の原因である。だから、まずは外部の調査に委ねることと、その結果に従い、役員等の処分を行うという段取りを踏むことを宣言するべきなのに、そこをすっ飛ばしていきなり会長、社長の辞任を宣言するから、隠蔽の目的があると思われ、最後の切り札のはずの辞任が、根拠も効果もない処分になってしまった。だから10時間の質問でも、辞任表明でも、幕を引くことが出来なかったのである。調査を待たずに辞任というのは、未だ誰も知らない、更に危ない問題が潜んでいるからではないかと誰しもが思ってしまった。加えて日枝というグループの最高責任者が、辞任云々はとにかく、謝罪はおろか、説明の場にも出てこないことが、疑惑と傲慢な印象に輪をかけ、トカゲの尻尾きりと言われても仕方がない状況を作り出してしまった。いずれにしても、事件がきちんと解明されていないのだから、このままでは、会長、社長は犬死である。しかも、もし調査結果が口に出来ないほどおぞましいものだった場合には、残る対策は、グループの最高責任者、即ち日枝が辞任するしか方法がない。でもその覚悟が、雲の上の有力者、日枝にあるだろうか。今のままでは、フジTVの役員は、森喜朗を守って口をつぐむ自民党安倍派の議員と同じだ。
ここまで問題が大きくなったのも、フジTVの社員に手を出した中居が原因であることだけははっきりしている。さあ、中居よ、どうする。今中居に出来る最善のことは、自分の不祥事が原因で、会長、社長まで辞任したフジTVに、僅かでも恩返しすることではないのか。その為には、事件の経緯を自分の口で語り、真実を伝えることしかない。
関連記事:TBSは30年前に大事件。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4e0a0d68bd189ef9927a1bf106d6de179e7cef69
コメント:フジは脇が甘いでは済まない。
関連記事:会計責任者参考人招致。老いたフジTVの経営陣ですら懸命に質問に答えていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c4d018bca7aedf03ee962d1279f8a486d694e6a2
関連記事:フジ騒動、スポーツ界に波及。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6527426
コメント:日本に君臨するフジサンケイグループ崩壊の足音かもしれない。これで日本のメディアの右傾化が少しでも修正できれば、中居は皮肉な功労者かもしれない(安倍の狙撃犯と共通)
2700.トランプと日本 1.30
今回の前書きは朝日新聞(1.30)からです。
論談時評「トランプ2.0と日本 国際的良識で粘り強く対抗を」政治学者 宇野重規から
何か、異様な就任演説であった。イーロン・マスク氏やマーク・ザッカーバーグ氏ら、米国IT業界のトップを背にしたトランプ大統領の就任式は、あたかも富と影響力を誇示するかのようであった。
就任演説は、トランプ2.0を高らかに告げた。南部国境に国家非常事態を宣言した不法移民対策や、「掘って、掘って、掘りまくれ」と化石燃料に回帰するエネルギー政策の転換ばかりではない。性別を男女だけであると断定し、メキシコ湾を「アメリカ湾」に変更するなど、傍若無人であった。
フィリピンやハワイを併合したマッキンリー大統領に言及し、パナマ運河を取り戻すとも宣言した。米国の拡大を含意する「マニフェスト・デスティニー(明白な運命)」を口にして宇宙を語るトランプ大統領は、あたかも「惑星をも併合したい」と語った19世紀英国の帝国主義的政治家セシル・ローズのようであった。
ITコンサルタントの池田純一は、分散を主張してきたテクノロジストが権力を欲するようになったことに着目し、その象徴としてマスク氏を論じる。今や実質的な副大統領として欧州諸国に介入するマスク氏もまた、現代版のセシル・ローズに映る。マスク氏が、ローズの暗躍した南アフリカ生まれだけになおさらである。
かつて「力の均衡」をモデルに米国外交を導いた元国務長官の故ヘンリー・キッシンジャーも生前、元グーグルCE0のエリック・シュミットらとともにAIと国家の未来を論じていた。AIを所有・利用できる企業や一部の国だけがパワーを独占する時代にあって、国際協調は過去のものとなった。今後、デジタル空間における領土争奪戦が展開されるが、人々の忠誠心を獲得する宗教の復活を論じているのが注目される。(中略)
カリスマの戦略や情報戦は選挙結果をも左右する。情報法の成原慧は、ソーシャルメディアに翻弄される選挙について、その法的問題を整理する。2013年の公職選挙法改正はウェブによる選挙運動を広く解禁したが、細かいルールを設けなかった。戸別訪問が禁止される一方、ネットではSNSでメッセージを送れるし、マイクロターゲティングも許容される。形式的公平性に縛られる伝統メディアは、より踏み込んだ選挙報道が求められるという。
多くの矛盾や制約に囲まれつつも、テクノロジーと結びついた新たな帝国主義的拡大を夢想するトランプ大統領に対抗するためにも、日本はネットと選挙のより良い関係構築を土台に、新たな国際的良識を再建すべきであろう。
コメント:トランプの傍若無人にただ耐えたり、身をすくめたりするのではなく、正論を堂々と述べてゆく。結局それが日本という国を、価値ある現代国家にする最善の道なのです。手は上げるな、でも声は挙げよ。以下の朝日新聞の社説も趣旨は同じでしょう。
朝日新聞社説「トランプ新政権 強権政治へ向かうのか」から
トランプ米政権が始動して10日になる。「黄金時代の始まり」をうたった演出が相次ぐなか、早くも独善的な政権運営が目立つ。民主大国を自任してきたはずの米国は、強権政治へ傾くのか。懸念が尽きない。
就任初日に署名した大統領令は記録破りの26本にのぼった。その多くはバイデン前政権の政策を覆す内容だ。移民対策をはじめ、多岐に及ぶ公約の即断即行をアピールする狙いがあったとみられる。
就任演説は支持層向けの政策宣伝そのものだった。4年前の議会襲撃事件で罪に問われた約1500人に恩赦や減刑を与えた一方、トランプ氏の訴追に関与した政府職員を解雇した。国民の融和より、対立をあおって政権浮揚を図る手法は1期目と同じだ。
権限の逸脱が疑われる動きもあった。国内の出生者に国籍を与える原則は憲法の定めなのに、その制限を命じたため、裁判所が差し止めた。憲法や三権分立を軽んじる姿勢も変わっていない。
ただ、今回は1期目と異なり、政権内で大統領に歯止めをかけうる人材がいない。議会の与党でも、トランプ派の勢力が強まっている。
人種やジェンダーの多様性を重視した制度は後退を余儀なくされた。今後あらゆる政策論議から多様性が失われ、大統領への抑制が弱まる事態を憂慮せざるをえない。
移民問題では、南米コロンビアに強制送還を強引に受け入れさせた。米国が国内事情を理由に、関係がない関税を「脅し」に使ったことは、外交や通商の国際規範を揺るがしかねない乱暴な行為だ。
中小国に威圧で臨み、中国やロシアなど大国には首脳対話を絡めた取引を求める。それがトランプ氏のいう「力による平和」だとすれば、世界は「法の支配」から遠のく。
就任演説でトランプ氏は、最強の軍事力を約束しつつ、和平の仲介者になるとも誓った。先日は中ロとの核軍縮交渉の模索も示唆した。それらの有言実行を望みたいが、他国への脅迫を辞さない強権ぶりとの矛盾は否めない。
この間、野党民主党から強い反論は聞こえず、市民運動も広がりを欠く。大統領への直言という点で印象的だったのは、教会の礼拝で主教が性的少数者や移民らへの「慈悲心」を求めた場面だった。(以下略)
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