「WTWオンラインエッセイ」
【第21巻の内容】
「政見放送」
「参院選の意味」
「官邸は留守だった」
「国民政党に変われ」
「護憲のどこが悪い」
「炎上を気にしない」
「政権の奴隷」
「ここが出発点」
「自由からの逃走」
「天皇の退位」
「大人の童話」
「民進不要論」
「白票の意味」
「不寛容と自己中」
「最凶の二人」
471.政見放送 2016/6/30
このところ、毎日のように各党の政見放送を見聞きしていますが、その中に支持政党なしという政党がありました。政策がないことを売りにしており、これはどういうことかというと、政策ごとにネットで有権者に賛否を問いかけその結果をもとに、国会で投票するのだそうです。独自の政策は持たないという趣旨なので、実際には機能しないと思いますが、アベノミクスが成功だと言い張る自民党・公明党や、宗教がかった政党、狭い分野にだけ集中した政治家よりは、多少はましなのかもしれません。
一方、日本の心がどうたらいう、自民党以上に過激な超保守の政党は、憲法を改悪して国防軍を創設し、日本のトランプを自称するなど、もはや存在自体が疑問です。また各党共に比例の紹介はお粗末を極めており、ボケ老人か幼児に言い聞かせるような説明は不快感さえ覚えるものです。どんだけ馬鹿にする気かと言いたくなります。民進にもその傾向が顕著であり、ましなのは共産党くらいです。民進は党首の持つ独特の個性がすべてに影響しています。それが党全体に鈍い印象を与えています。そのせいで得票数は頭打ちになると思うので、選挙の成績に関わらず党首交代は必須でしょう。
但し野党各党が憲法と民主主義を正面から争点に取り上げたのは正しい選挙対策だと思います。憲法の議論を封じた与党は、争点を隠して選挙を乗り切ろうとしており、そこには常とう手段となった、国民は知らしむべからず、依らしむべしという、傲慢極まりない政治哲学=マキャベリズムが控えています。安保法案やTPPと同様に、心の底で国民を馬鹿にしている態度です。そのくせ頼りのアベニミクスは暗礁に乗り上げていることは、財界でさえ認めている、否定のしようのない事実なのです。
東京の例で言えば、今までのところ最も納得できる、すなわちまともな演説をしたのは、若手では三宅洋平と、高齢では鈴木たつおくらいです。短い政見放送でも、馬鹿には出来ません。ポスターからわかるのは人相と推定年齢くらいですが、話を聞けば、それだけでもどういう人柄でどういう価値観の持ち主かは、ほぼ分かるからです。無論中には本音でもない嘘をつきまくって政権を取った某首相もいます。しかも自分でついた嘘を自分で信じて込んでいたフシさえあります。自分の言葉に酔うのは独裁者の顕著な特徴です。
ちなみに自民党は都知事候補に桜井某を推しているが、まともな記者会見が出来ない人に都政を委ねる気にはなれません。いずれにしても、自浄作用が期待できない自民党の、ひも付きの知事候補は、重税にあえぐ都民にとって有害無益な存在でしかないのです。ところでいま、五輪に反対でもしようものなら国賊扱いですが、これは言論統制であり、ファシズムではないでしょうか。
関連記事。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160630/k10010577421000.html
(寸評:伸晃のような問題児が都政に影響力を持つこと自体が問題です。伸晃がごり押しした慎太郎の後出しじゃんけんで、その後、どれだけ都民が迷惑したことか)
472.参院選の意味分かっていますか 2016/7/1
今回の参院選のキャンペーンは基本で間違っています。各党ともに、参院の存在理由からの発想が全くと言ってよいほどないからです。衆院は国民の総意を問う場ですが、参院はその結果を冷静に分析、批判し、行き過ぎを抑止、是正するために設けられた、良識の府なのです。そこでも与党が大半を占めたら、政治の抑制が効かなくなります。その端的な例が安保法です。かつて参院で野党が過半数を占めていた時期がありました。その時に、衆院で多数を占めていた自民党はねじれ体制で何も決められないと言いました。それは二院制自体を否定した発言だったのです。決められないのは自民党の政策が間違っているからだとは思わなかったのです。すなわち衆院と参院ではねじれているのが当たり前であって、そうでないと方が国民は健全な政治は期待できないのです。自浄機能、暴走抑制機能のない議会は、安全装置のない暴走機関車のようなものなのです。
中国機接近の対応で日中は一触即発です。しかも双方に冷静を呼びかけるべき首相は無言。それでいいんですか。それとも一度はドンパチやって見たいのですか。中国の脅威をあおることで、国防軍に格上げしたいのでしょうか。国家間の摩擦が拡大しないように努力し、火消しに回ることこそ、政治家=シビリアンの仕事ではないのですか。いかなる時代にあっても、制服組の暴走だけは何としても避けなければならないのです。しかしあなたが首相でいる間は、シビリアンコントロールの抑えが効かない恐れがあるるので、何が起きるか分からない。だから国民は枕を高くしておちおち眠ることが出来ないのです。
関連記事。緊急発進増加。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062900660&g=pol
同。中国大使館否定。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062900817&g=pol
(寸評:超保守でカジノ推進の萩生田に、防衛までタッチさせたら本当に日本は危険です)
公明党の代表の、政権演説での野党批判は、もはや理解不能の様相を呈しています。自党がしてきたことを考えれば、同党には野党の政策の失敗や、野党の連合を批判する資格があるとは思えないのです。そもそも支配者層の片棒を担ぐ大衆政党という位置付け自体が論理矛盾です。それくらいなら有権者はストレートに自民党に投票すればいいのです。百歩譲って、有権者に同党がアピールしたければ、野党を攻撃するより前にすることがあるでしょう。政権内野党として自民党の暴走を極力抑えてきました、九条改正にも反対ですとはっきり言えばいいのです。でもそれは出来ないでしょう。なぜなら安倍政権とアベノミクスを肯定し、支えることが政権に留まる絶対条件だからです。そういう矛盾した立場にあることが焦りの本当の原因ではないでしょうか。公明党のあるべき姿は、そもそも異質な政党と無理やり連合するのではなく、本来依って立つ大衆の視点を取り戻すことです。いま同党は政党としてのアイデンティティーの喪失という、かつてない危機的な状況にあることを、多分代表自身が最も理解しているのだろうと思います。
関連記事。
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E6%B0%8F%E3%80%81%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E6%B0%8F%E3%81%AE%E6%89%B9%E5%88%A4%E3%81%AB%E3%80%8C%E3%83%A4%E3%82%AD%E3%83%A2%E3%83%81%E3%82%84%E3%81%84%E3%81%A6%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%81%E3%80%8D/ar-AAhNBmk?li=AA570j&ocid=spartandhp
ところで岡田が言うようにGPIFが株安でどれだけ損をしたのか、安倍首相は国民に説明する義務があります。アベノミクスがお約束通りなら、こんなことはなっていません。基金は増えているはずです。そもそも年金基金の運用を政府が恣意的に行うという仕組み自体が間違っているのです。専門の第三者機関が担当すべきなのです。
またも覚せい剤で、名前も知らない俳優が逮捕されました。覚せい剤が悪には違いないが、なぜこの時期に集中しているのでしょうか。前回の清原の時も不自然極まりなかった。NHKを含むメディアは清原裁判一色になってしまいました。お陰で五輪の裏金疑惑がうやむやになり、TPPがらみの現職閣僚、農水相の現金授受という重大な問題さえスポットライトが当たりませんでした。毎月5千円弱の新聞代を払って、政府の宣伝機関紙を読まされる身にもなってみて頂きたい。マスコミもいい加減、政権と与党へのごますりをやめないと、国民は不買運動を始めますよ。いま私が一番やりたいことは(資金と人があれば)リベラルな市民のためのメディアの創設です。
473.その時官邸では犬がお留守番 2016/7/4
ダッカの惨劇。犯人は十字軍への復讐だというが、日本人は基本仏教徒で、十字軍とは何の関係もない。無知な若者の勘違いで殺されたらたまったものではない。誤解なら一層、政府が打つ手もあったはず。後でいくら怒って見せても、何の役にも立たない。しかもダッカの事件発生当時、菅官房長官は選挙の応援で新潟に出張中でした。首相が官邸にいないときの留守番役が官房長官であり、だからこそ閣僚並みの待遇が与えられているのです。そこで問題政治家の萩生田副長官が対応。立てこもりから突入までは10時間の余裕があった。その間の8時間というもの、政府対応に穴が開いてしまったことは否定できません。萩生田からは、情報収集に努めている、相手国政府に申し入れているという以上の言葉がなかったことが、無策の何よりの証拠です。貴重な時間が無駄に流れたのです。本当にこれで良かったのか。政府に納得できる説明を求めます。
政府の代弁者を公言し、続投さえ狙う籾井のいるNHKがこれを報道するとは思えない。取り上げているのは東京新聞だけです。まさか官邸が聖域化しているとでも言うつもりか。そんなことになれば、それこそ文字通りの独裁専制国家です。民主主義でも何でもありません。10時間でできることは沢山ある。歯食いだのように手を拱いているだけでなく、バングラ政府との間で懸命の交渉が展開されていてしかるべき時間帯でした。なんでそのように私が断定できるのかおいうと、もう懸命に頑張っていたら、政府がそう言わないはずがないからです。適当に対応しているから反論できないのです。こういう危機感のない政府だと、外国で働く日本人はたまったものではありません。
後藤さん事件で、政府が最後に何を言ったか覚えておいででしょうか。だから危険な地域には行くなと言ったのにという言葉でした。そしてフリージャーナリストの出国を止めました。無論記者の安全の為と言うよりは、批判を恐れたからでしょう。それは、それくらいしか、すること、或いは出来ることはないと白状したも同然なのです。問題と正面から向き合わずに、小手先で対応し、しかも自らの無策を棚に上げたのです。今回のように、いくら政府専用機を飛ばしても、後の祭りなのです。
それにJICAの北岡伸一代表=集団的自衛権推進派、イラク戦争肯定の極右の学者、の無表情な説明もまるで他人事のようでした。
一方で、この事件を、だから日本は国防予算を増やせ、海外に兵士を派遣せよという国家主義者に都合の良い、安易な議論にすり替えられてはなりません。今回の犠牲は無差別テロという世界規模の異常な現象を、日本人全員が真剣に考えるべき問題であって、政府の一方的な判断で結論を出して、蓋をしてしまうには、余りにも悲惨な出来事だからです。
ひとつだけ確実に言えることがあります。それは外国では人質にだけはなるなと言うことです。なぜなら、後藤さんの例を持ち出すまでもなく、政府は救出では何の役にも立たないからです。。
関連記事。菅長官官邸不在8時間。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201607/CK2016070302000110.html
関連記事。ダッカ実行犯はISではない。高学歴で裕福な家庭出身。
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e5%86%85%e7%9b%b8%e3%80%8c%e5%ae%9f%e8%a1%8c%e7%8a%af%e3%81%af%e9%ab%98%e5%ad%a6%e6%ad%b4%e3%81%ae%e8%a3%95%e7%a6%8f%e3%81%aa%e5%ae%b6%e5%ba%ad%e5%87%ba%e8%ba%ab%e3%80%8d-%e3%83%80%e3%83%83%e3%82%ab%e4%ba%8b%e4%bb%b6/ar-AAi0Gob?ocid=spartandhp#page=2
関連記事。日本企業の対応。
http://www.msn.com/ja-jp/news/money/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%86%E3%83%AD%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BC%81%E6%A5%AD%E3%80%81%E5%95%8F%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%82%8B%E5%AE%89%E5%85%A8%E5%BC%B7%E5%8C%96%E7%AD%96/ar-AAi0KJi?li=AA570j&ocid=spartandhp#page=2
関連記事。過激思想バングラに広がる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160703-00000078-mai-asia
474.参院選で負けたら国民政党に変れ 2016/7/7
民進は何故長島を都知事候補にしたのか理解に苦しみます。増田どころか小池にだって勝てないのは誰の眼にもはっきりしているからです。小池は防衛大臣だったが、長島は防衛副大臣でした。野党の残り3党も、長島が党内の保守派なので良い顔はしていません。森が五輪で勝手なことをさせないためには、小池の方が良いかもしれません。女性票も集まるでしょう。但し小池は勘違いもあるし、勢いだけなので、おそらく勝ち目はないでしょう。民進の内部の事情はともかく、都民から見た時に、長島を選ばなければならない理由は何もないのです。そういう現実と向き合わない限り、国民や都民は民進から離反するばかりです。自党の都合だけを優先する、相変わらずの井の中の蛙体質なのか。頭の固い幹部は、民進が何故ここまで凋落し、参院選での敗退が確実になっているのは何故かを未だに理解できないようです。民進の退潮は、民主の時に妥協政党に堕落したことと、内部に強硬な保守派が居座っていることが原因です。第二自民党化を嫌ったからこそ、国民は共産と維新に流れたのです。それなのに選挙担当の幹事長の枝野も、勝手に衆院を解散した野田も、全くその責任を認めようとしていません。悪いのは民主を選ばなかった国民だとでも言いたいのでしょうか。野田に至っては、民主が追い出した小沢が悪いとまで言い出しました。政治を担当する資質も、官僚を使う能力もないのは、自分の方なのにです。
いま民進の取るべき道は、宇都宮の支援です。民進の思うようにはならないでしょうが、リベラルな都民を味方のつけることこそ、今の民進にとって最重要課題なのです。それほど民進の評判は悪いのです。いつまで自分たちが大政党だと己惚れているのか。無論、特に新緑風会には優れた議員もいます。それは国民がよく承知しています。でもそれ以前に、政党としての民主に、国民は自民の暴走を抑える力を期待し、小沢の二大政党構想にも同調したのです。その後、野田や海江田のような小粒の政治家が現れて支持率を下げ、民主党を滅茶苦茶にしてくれました。いまはその末裔ともいうべき岡田・枝野体制ですが、折角4党が結束した(それも最初は枝野や野田が猛反対した)というのに、参院選ではまた負けなのです。即ち来るべき敗北の根は深いところにあるのです。
ことは岡田の引責辞任だけで済む話ではなくて、民進を二つに分けて、自民党寄りの議員(野田を含む)を切り離さない限り、民進の再生はあり得ないのです。ガラガラポンをすれば、一時的に議員の数は減るでしょうが、政党のアイデンティティと主張が明確になり、党内も一本化できるので、短期間で支持層を集めて復活ができるはずです。主婦や学生を含むリベラルな国民が、どのような政党を望んでいるのかという現実を見ようともしなかったツケなのです。
その結果、原発肯定をはじめ、その硬直した価値観が、自民党に漁夫の利を与える結果になっています。民進のような小さな権力でさえ、いざ権限を握ると、必ずと言っていいほど、人間は堕落するらしい。今回の参院選の敗退(まだ決まった訳ではないが)は、野党第一党という看板にすがり、内部の分裂から政党としてまともに機能していなかったからなのです。一言で言えば、謙虚さを失っていたからです。長島推薦も、そのような民進の実態を示す実例なのです。岡田にどいてもらうためだけに、参院選と言う貴重な機会を使わなければならないのかと思うと無やしい気持ちでいっぱいです。少なくも未だ間に合う知事選では、民進は宇都宮を応援すべきなのです。
475.九条を守ってどこが悪い 2016/7/8
リーマン・ショックの事実を描いたマネー・ショート(原題 The Big Short)という映画のDVDのレンタルが始まりました。その危険性を指摘したのはごく少数でした。結果、800万人が職を失い、600万人が家を失いました。しかも関係者は殆ど罰を受けることがないばかりか、銀行の幹部は政府の支援金で高額のボーナスを支払っていた。米国の金融資本主義への告発であり、登場人物は全て実在の人物です。今年一番の推薦映画です。
軍隊は軍事力を駆使して自国を防衛するための組織である。では具体的に、それはどのように作用するのか。武器で相手を殺傷し設備を破壊して、相手の戦闘能力を奪うことにより、その目的は達成される。それは殺人を前提にした暴力装置に他ならないtぽいことでもある。問題は存在の是非そのものよりも、自衛隊が人を殺す可能性があるという「真実」を指摘するだけでも、与党はおろかメディアも一斉に叩く、ファシズムに似た風潮にある。これは言論峰制に等しい。誰がなんと言おうとも、自衛隊は災害時の救援のためだけに存在している訳ではない。もしそうなら戦車もミサイルもいらない。日本の心がどうたらという極右政党の党首が、日本には外国に負けない軍備が必要だと主張した。日本が米国並みの軍備を備えたら国民の経済的負担は大変なものになる。しかも軍事力だけが平和維持の手段でもない。逆に軍部が大きくなり、自分自身の価値観や発言権を持つようになると、やがて暴走が始まり、国民の望まぬ戦争が起きることを、我々日本人は800万人もの命と引き換えに学んできたではないか。その結果、偶然にも手に入れた平和憲法が、その後の戦争の惨禍から日本人の命を守ってきたのだ。軍事力というものが、いかに危険性を内在したものであるかをかを冷静に分析、認識した上でなければ、議論そのものが成り立たない。自民党を含む、超保守のタカ派議員の感情論は、愛国心と呼ぶには余りにお粗末なレベルだと思わざるを得ないのである。
関連記事。沖縄の米海兵隊。日本防衛の任務なし。
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-311890.html
(寸評:自民政権のムシの良い思い込みです)
476.炎上を大げさに考えるな 2016/7/9
日本でも殺人事件や死体遺棄事件が日常茶飯事になってきました。いったいこれはどうしたことなのでしょうか。
外国人記者の座談会の番組で、ネットの炎上問題が取り上げられていました。匿名で罵倒する行為です。専門家が調査したところ、ネット利用者の1.5%で、しかもその多くが家庭と職を持ち、しかも役職のある男性だったということです。彼らは社会に出れば紳士的、常識的にふるまっているが、その実、内側には不満を蓄えており、それを正義の名目で爆発させているという構図です。但しその多くが投稿は年に1-2回程度というので、繰り返し攻撃する人はその1/10。即ちネット利用者の0.2%の意見が世相を悪くし、しかもそれをメディアが大きく取り上げているということになります。炎上を大きく取り上げるのは日本のメディアだけだそうです。
自分たちは正義のためにしていると言うのだそうですが、実質的にうっぷん晴らしなのだから、これほど間違ったネットの使い方もありません。敵意と悪意の発散手段であり、言葉を使ったテロです。ヘイト・スピーチや戦時中のデマと同じです。そこで外国人記者が一様に指摘したのは匿名性の卑劣さでした。民主主義でない国なら、自由な発言や批判が命の危険を意味することもあるでしょう。ならば日本で炎上の常連は職を失うことを恐れているから匿名にしているのでしょうか。しかし米国人記者はやくざだって名を名乗ると言っていました。少なくも正々堂々とした意見でなければ、自ら発言の正当性を否定しているのと同じなのです。
炎上投稿者の精神の二重構造は、世界中どこにいっても理解されません。そしてそれは議論やディベートに慣れていないためです。炎上を取り上げると、民主主義と正気の社会のためには、市民同士の議論と、議論をする基本的な能力がどれだけ重要かが良く分かります。市民同士の討論から始まるのが民主主義であり、民主主義の対極にある(日本を含む)独裁政権は集会やデモを極端に嫌います。なぜなら、彼らにとって、大衆とは従わせるべき存在であって、その意見(民意)に耳を傾けるべき存在ではないからです。
地方行政機関が政治的集会だからという理由で、市民集会に公会堂を使わせないなどは、まさに民主主義を否定する行為であって、行政による思想と言論の自由に対する介入なのです。それは憲法違反です。少し前まではごく当たり前の常識だったことでさえ、外国人に指摘されなければ気が付かない程に日本人の精神が劣化しているのかと思うと、やり切れない気持ちになります。WTWは、腐敗したメディアを使った、政府の情報管理、言論統制には断固として立ち向かう覚悟です。
それから細かいことですが、ウィンドウズ10のブラウザー、エッジを立ち上げると出てくるニュース(長いURL)は今後一切取り上げないことにしました。その大半が芸能界のゴシップ記事であることに加えて、記事を書く記者の品格と視点のレベルがあまりにもお粗末だからです。
477.安倍政権の奴隷はお断り。 2016/7/10
私に主なニュースソース(情報源)は三大通信社のネット情報です。
ところで田原のTVインタビューで、生活の小沢が、安倍首相は企業の論理だと指摘したのが、最近では最も分かり易い説明でした。だから賃金が安く、解雇の容易な非正規雇用が4割にもなり、国民の生活がますます不安定で苦しいものになっているのです。しかも所得税は減らないのに、法人税を大幅に引き下げています。なぜ企業の代表を我々国民は、国民のための政治家として選ばなければならないのでしょうか。そもそも富の還流を企業任せにするのなら政府などいらないのです。税制と予算配分を通じて格差を是正するのが政府の仕事なのです。国民は非正規労働者でなければ自衛隊に入るしか生きる道はなく、女性なら風俗で働けとでも言いたい(実際に自民党議員がそう言っているのだからあきれます)のでしょう。それはもう国ではありません。単なる利権団体の集合体であって、その利権を維持拡大するために軍事力を増強したいということではないのですか。無論自分とその子弟は軍隊に入る気など毛頭無いくせにです。ところで日本中には130もの米軍の基地があるそうです。そしてトランプは、安倍はキラーだと言いました。しかもその発言に、抗議をしないのは何故なのでしょうか。
世間では陰惨極まりない刹那的な犯行が続発しています。これは人心が荒廃しているからです。将来に希望が持てず、自分の人生にも他人の命にも価値を見出せない、虚無的な者が、自暴自棄で起こした犯罪です。即ち世相が悪過ぎるからです。このどこが安全で幸せな日本なのでしょうか。しかも関係者に富裕層は含まれていません。メディアも、実態は富裕層対貧困層という階級間闘争なのに、それを若者対高齢者という、誤った構図にすり替えようとしています。高齢者の殆どが生活苦なのにです。
そこにはリベラルと見れば誰彼なく叩きに回る偏向したメディアと、右傾化した若手議員の政治的意図を感じます。富裕層や支配層は、貧しいものは勝手に殺し合えばいい、そんなことは知ったことではないと言いたいのでしょうか。選挙前で困ると思ったのか、バングラの悲劇も政府は早急に幕引きを図りましたが、それでいいのでしょうか。この機会に国民的な議論こそ、慰霊のためにも必要なのではないでしょうか。日本のエリートは単なる小金持ちであって、本当の精神的なエリートがいない、或いはいてもあまりにも少ない。それが日本の最大の問題点のような気がしています。
・自民、改憲で国民の抵抗感緩和狙う。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201607/CK2016070902000142.html
(寸評:そういう問題ではありません。自民党が間違ったことをしていることが問題なのです。反対する国民が間違っていて、改悪を強行する自分たちの方が正しいという論拠も明確ではない。憲法学者のほぼ全員が安倍晋三の改憲は筋が通らないと言っています。私たちは安倍晋三と、その取り巻きや御用マスコミのメディアの言いなりに、いうなれば精神的な奴隷になることは断固として拒否します)
・憲法9条守って。野中。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016070900343&g=pol
・表現の自由。理不尽な抑圧。
http://www.newsweekjapan.jp/ozaki/2016/07/post-13.php
(寸評:一読を)
・教員に密告を要求する自民党。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/09/ldp-education-investigation_n_10902078.html?utm_hp_ref=japan
478.ここが出発点。 2016/7/11
今日は参院選特集です。
私は米国の良いところも悪いところも見てきました。その結果思うことは、あれほど問題のある国でも、自浄作用を持っているという事です。それを支えているのは、一言で言えば市民意識です。それが日本で最も欠けている部分です。選挙制度がまともに機能していない、即ち民意を反映するという本来の機能を発揮できない理由です。それは投票率の低さが端的に示しています。
まずは日本が既得権者の国だという現実を直視することから始まります。次に、そこで暮らす絶対多数の国民が経済的に不幸であるという事実があります。それらが安倍政治の正当性に疑問を投げかけることに十分な根拠があることを示しているのです。いまの自分が置かれた状況が幸せだと思いこむのなら、それはあまりにも世界を知らなさすぎます。無論、日本より経済的に恵まれない国は沢山あります。治安の悪い国もあります。しかし経済的に裕福という事と、幸福という事は別であり、幸福かどうかは平等かどうかに大きく依存しているのです。
参院で改憲勢力が力を得た今、私達は作戦を変える必要があります。安倍首相の野望を阻止するためにはもう野党、とりわけ、いつの間にか独裁体制になっていた民進党をあてにすることが出来ないからです。こうなれば私たちは、安倍首相の独裁体制を切り崩すためには、与党内のパワーに頼るしかないのです。この点については後で詳しく述べます。ついでに言わせてもらえば、岡田は負けるべくして負けたのに、それが分かっていません。だから対立最大野党の代表としては不向きです。昨夜の池上のインタビューでも、三重で負ければ辞任するのかという質問に気色ばみ(自分から言い出した公約なのに)、野党共闘は市民がそれを望んだからやむを得ずやったと言うなど、もう完全に人物としての限界が見えました。蓮舫の受け答えから見える度量にも疑問符が付きました。小川が当選してほっとしています。岡田体制ではもう民進は持たないからです。三重では民進が勝ったものの、民進の退潮は著しく、改憲勢力2/3の阻止も出来ませんでした。改憲阻止を岡田体制の民進に期待すればまた裏切られる可能性が高くなりました。だから改憲阻止は市民自らの手で何とかしなければならないのです。
ところで昨夕の池上の番組での、元自民党幹事長の中川の言葉が記憶に残りました。それは日本は保守中道の国民が支えているという言葉です。これは間違いなく一面の真理だと思います。但し中川を私は評価していません。一般論として、保守は安定を好み、変化を嫌います。そういう人たちに、時代に合わせて日本も変わっていかなければ、生き残れないという危機感を理解してもらうことが必要です。しかし理想をいくら訴えても、何度危機を強調しても、おそらく理解してはもらえないでしょう。同意(結果は投票行動)も得られないでしょう。何十年も続いてきた価値観を変えるのは容易ではありません。しかも親の価値観は子供に受け継がれる。
現実に即したアプローチが必要なのです。即ち、自民党の政権を捨て去っても、日本は大丈夫だという安心感を与えることが最重要なのです。そのためには、穏健で誠実な、しかも実務経験のある政党、即ち頼りになる受け皿を用意する必要があります。
結論から言えば、それは自民党の分割しか方法はないと思います。自民の受け皿は自民からなのです。即ち小沢が自民党を分断したことを、もう一度繰り返すのです。それしか大きな混乱なしに日本を変える方法はないのです。過激な言動や急激な変化で中道を動かすことは出来ません。但し分党と言うのはそう簡単にできることではありません。そこで現体制を大きく変えず、それでも少しでも金権体質で、極右のタカ派で、独裁政治の安倍政治を少しでも中道に(中川が間違っているのは、現在の自民党の政治は、中道どころか、超保守であり、完全に右寄りに逸脱した政治になっているのです)戻すためにも、安倍首相にはそろそろ引退して貰って、岸田外相にバトンタッチしてもらうよう、国民が働きかけるというのはいかがでしょうか。またその方が、民進に政権を取らせるという、いつ実現するか分からない、多分実現不可能な目標を追いかけるより、遥かに現実的であるとともに、しかも即効性のある方法だと思います。
一方で政権の暴走を抑えるためにはやや過激な野党を国民が育てておく必要があります。これは保険です。いうなれば現実的な受け皿と批判勢力の両方が必要なのです。本当はそれが民主と共産であるべきなのですが、岡田民進には全くそれが期待できないということが、冷厳たる現実なのです。
無投票の根元にあるのは無力感でしょう。一票の余りの軽さ。投票に出向く労力とその見返り(リターン)の余りにも大きな差です。それが投票行動に反映していると思います。それでも座ってTVを見ているだけでも、政治に直接参加できるのです。例えば池上の番組を見ると、視聴率が上がります。そうすると政治家は池上の質問にまともに答えなければならなくなります。選挙に行かなくても、座っているだけでも、できることはあるのです。日本を変える、と言うより、良くするために唯一必要なものは、政治への関心であり、またそれだけだと言っても過言ではないのです。
戦いは終わったのではなく、いま始まったばかりなのです。It’s just a beginning! これで勝ったと思うなよ、安倍政権!
関連情報。国政投票率。
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/ritu/
・改憲勢力2/3確実。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20160711-00000000-ann-pol
関連記事。4党では届かず。
http://this.kiji.is/124897099589353478?c=39546741839462401
・投票率54.7%。戦後4番目の悪さ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160710-00000146-asahi-pol
(寸評:それでも前回の衆院選=52.66%よりはましです)
・自民単独過半数届かず。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016071100070&g=pol
・民進、改選前から大きく後退。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016071000288&g=elc
・東北は野党共闘圧倒。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160710-00000038-khks-pol
関連記事。有権者、自民の復興加速に冷ややか。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201607/20160710_71065.html
・共産議席倍増。
http://jp.reuters.com/article/idJP2016071001002236
・生活、政党要件維持。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016071100092&g=pol
・新党改革、政党要件喪失。
http://jp.reuters.com/article/idJP2016071001002165
(寸評:こころも得票ゼロ)
・怒りの声、届かず議席なし。
http://www.asahi.com/articles/ASJ7956Z5J79OIPE013.html?iref=comtop_8_08
・18,19歳は自民40%。
http://jp.reuters.com/article/idJP2016071001001755
・シールズ8月に解散。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20160711-00000005-jnn-soci
・岩城法相、島尻沖縄北方相落選確実。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160711-00000515-san-pol
・SPEEDの今井、基地問題知らず。池上驚愕。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/10/eriko-imai_n_10914758.html?utm_hp_ref=japan
(寸評:これが自民党議員の平均的なレベルでしょう。憲法の知識も推して知るべしです)
・三宅洋平の訴え実らず。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/10/yohei-rejected_n_10916272.html?utm_hp_ref=japan
・鹿児島県知事に新人。川内原発一時停止公約。
http://this.kiji.is/124831351588767229?c=39546741839462401
・参院の新勢力分布。グラフ。
http://www.asahi.com/
・改憲勢力2/3は大きな副作用をもたらす。
http://toyokeizai.net/articles/-/126661
・黒田バズーカが3回目の空砲に終わる時。
http://toyokeizai.net/articles/-/126663
・改憲、選挙で問わず不公平。被爆者。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016071100117&g=pol
・自民は沖縄連敗に学べ。改憲せずに日本が生きられる道。
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=177612
・参院選1票の格差で無効求め、全国一斉提訴。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160711/k10010590351000.html
479.自由からの逃走。 2016/7/13
参院選の負けを負けと認めようとしない岡田代表の自我肥大を一旦、脇に置くとしても、空気の読めない独りよがりの民進党が、性懲りもなく都知事選で、またもやおかしな戦術を打ち出してきました。古賀を出したと思ったら、すぐに引っ込めて(本人は禅譲)今度は鳥越です。無論、見識にも人物にも不足はないが、問題なのは彼がひ弱なイメージを持っていることです。実際にはタフなのでしょうが、問題は印象なのです。これはリーダーシップへの(ある意味では根拠のない)懸念を意味します。
歴代、都知事には声の大きいものが当選してきました。石原のような超ブラックなトンデモオヤジが当選したのは、後だしジャンケンのせいでもあるが、実態は独断専横に過ぎなくても、それが力強いキャラとして、都民の目に映ったからです。はっきり口をきき、声が大きく、だから都を引っ張って行くだろうという期待感から、都民は票を入れたのです。しかしその結果は惨憺たるものでしただった。100億という金を使ったにも関わらず五輪招致に失敗。その金の多くが電通に流れました。彼が投げ出した後で、実際に五輪を引っ張って来たのは猪瀬なのです。
石原は中小企業向け融資機関と称して銀行を作っては見たものの、経営が体を成さず、無担保の乱脈融資であっさり潰してしまった。しかもその責任さえ取ろうとはしなかった。都民の税金を文字通り湯水のごとく使ってくれたのです。その額たるや舛添とは4桁も5桁も違います。あまつさえ、国政復帰に欲を出し、任期途中で知事職を投げ出した。もっとも週に2-3日しか都庁に顔を出さない知事に、いかなる存在理由があるのか私には分かりません。少なくも災害の突発や、その時の危機管理に、そんなことで対応できるとは思えません。そもそもそんな意識は本人には微塵もなかったでしょう。それはとりもなおさず地方自治体の首長には向ていなかったということなのです。
なぜこんな輩に都民が惹かれたのか。それはリーダーシップに対する誤解と期待が混在していたからです。リーダーを選ぶのだから、指導力がある者を選んで何が悪いというわけです。でもこの指導力なるものが常に曲者なのです。なぜならリーダーシップなるものの正体は、人物でもなければ、見識でもなく、誠実で信頼に足る人物かどうかさえ問題にはならないからです。大衆がリーダーに求める資質は、実際問題として、見た目とカリスマ性と存在感と雰囲気です。昔ならヒットラーや、身近なところでは安倍首相がそれを身につけ始めています。それは独裁者の資質と言い換えても良いのかもしれない。要は自分で考えることができず、或いは考え、決断する責任から逃れたい(まさにフロムの言う自由からの逃走である)大衆は、「誰でもいいから」ひたすら強者のイメージに縋りつこうとしたのです。
しかし市民が十分な情報を持ち、自分で考え、自分で決断する習慣が身についていれば、そんなことは起きないはずです。即ちいま日本で何が問題かと言えば、それは安倍の暴走より、それを許し認めている国民のv知性と判断力と責任感の欠如が大問題なのです。民衆から歯止めがかからないのだから、なんだって起こり得る。目先に迫った憲法改悪もその一つです。これは安倍首相個人の暴走より一層始末が悪いのです。なぜならこういう無気力で批判をしない精神的的風土が、国民の意識の中に根付いてしまうと、安倍の後はまた安倍でいいということになるからです。即ち自分で考えない以上、何でも無条件で承認することになってしまうからです。今回の三人背でも危惧されたように同じ慶応hが和かも二見られました。政治では何が正しくて、何が間違っているのかのの判断基準を、彼らは持っていないからなのです。安倍首相が自分で好きなようにしているというより、国民が進んで、安倍首相に好きなようにやんなさいと奨励しているようなものなのです。その結果、日本はどんどん内向きになり、独自の価値感のもとで、世界から孤立してゆくのです。
強い者を選び、その指示に(無条件で)従うことが、その種の存続に必要だということは、生物学的には正しいことかもしれません。でもそれは単純な生命形態に関しては言えることかもしれないが、高度な知性を備えた生物が生き残る方法とは思えない。高度な生命体が種を保存する方法は、他の種との共存と補完の関係でなければなりません。だから安倍政権の方向や、国民の考え方は、高度な知性を備えた人類が選ぶべきものではないのです。不安な社会や時代であればあるほど、独裁者が生まれ、権力を持つ。未知の海を航海し、嵐を乗り切るには強い船長が必要だと言うかもしれない。しかし一国だけでは生きていけないグローバルな時代にあっては、譲歩と共存の道を探ることしか、人類が存続できる道はないことくらい、子どもにでも分かる理屈なのです。そのような開かれた世界では、強さよりむしろ人格や聡明さこそが必要だという事が分からないことが、大衆が大衆たる所以なのかもしれないのです。
こう考えてくると、あれだけの失政と失言を重ねつつも、未だに安倍首相が権力の座に座り続けている理由も理解できます。それは大衆にとって、安倍晋三以上に頼れる存在がいないからなのです。本当はいるのだが(自民党の古参や小沢など)、そこは安倍政権が情報をシャットアウトして、自分たち以外の存在が極力、国民の目には触れないようにしているからです。この人に任せれば今よりもっと良くなるかもしれないという人には、大衆は投票しないのです。かもしれないでは困るからです、変化はリスクを意味します。明日の1000円より、今日の500円の方が大事なのです。だから多少先行きが怪しかろうとも、じり貧が待っていようとも、それは起きるかどうか分からない不安として、見なかったことにして、現時点での安定を最優先にしているのです。でも誰がそれを責められるでしょう。自分と勤務先の存続こそが最優先だという気持ちを否定することなど、誰にも出来はしないのです。だからいかなる時代にあっても、現状維持を建前にする保守が強いのです。ちゃぶ台をひっくり返す為にはドラスティックな(例えば革命)手法が必要になります。今はそれとは意識しなくとも、どこか地の奥底で、リベラルな人たちのマグマが溜まり始めているのかもしれません。
そして安倍首相の改憲の意図は、そうした民衆の反発心を力で抑え込もうという仕組みなのです。それは国家を維持するためなら、国民を殺しても許されるという方向に日本が進むことを意味しています。憲法の主役が、国民から国家に180度方向転換することで、それが可能になり、国家が一方的に国民を支配できるようになるのです。だから安倍首相には民主主義を語る資格など、そもそも全くないのです。改憲は、安倍晋三がこれ迄ついてきた嘘の中でも最大にして最悪の嘘なのですだ。それは改憲が日本人のためのものだという説明です。それは国民のためでも、日本のためでさえなく、ひたすら為政者や権力者のための改変だからです。
保守が強いのは、現在の実権を握っているということもあるが、本質的に現状維持だからです。でも安倍政権は現状時を目的にしているわけではない。だから矛盾していとち言っているのです。憲法を改悪して国の形を変えようとしている安倍首相がしていることは、現状維持ではなく、革命と言うよりむしろクーデターではないのか。或いは国民の大多数の意思を、議会の相対的多数で押し切る、いわば暴力革命そのものではないか。過去の発言の言葉尻を捕らえて、共産党を非難する資格など,少なくとも安倍首相にはないのです。憲法に反旗を翻し、平和日本の民主主義の形を大きく、好ましからざる方向に変えようとしている人物こそ、安倍首相その人なのです。
小沢の言うように生活が大事だが、大衆は明日の生活より、今の生活を維持することに汲々としているのです。一つには、先を見通す力や情報が、彼らには与えられていないからです。秘密保護法やNHKの偏向報道で、国民の目から、真実や情報を遮断しているのです。その結果、身近な知事選の方が盛り上がり、大所高所の参院選への興味は一層薄くなるのです。私は約53%と言う投票率の数字は、現在の環境から見れば、むしろ期待以上だったのではないかと考えています。
参院選が知事選と重なったことはリベラルな国民にとっては大きな痛手でした。それでも東京では保守と革新が3人づつ。しかし千葉では保守2人に革新が一人。地域の差が大きいことが分かります。一人区、30の中でも、見事に2対1に分かれました。都市部では保守とリベラルの差が少ない。それは都市部の方が情報量が多く、考えることに慣れているからとも思うし、地盤が優先の地域の違いかもしれません。
人は安定を好みます。いわゆる中道路線です。自民党の路線がいくら戦争への道だと声高に説われても、ではそう説く人達に日本のかじ取りを任せたいと思うかどうかは別の問題なのです。野党の代表が砂をかむような無味乾燥な人物なら、大衆は寄り付かないのです。カリスマ性が大事なのに、それが民進党のリーダーには欠けている。分かり易く言えば、国会の議論で安倍首相が苦手意識を持つような相手が必要なのです。
私は断言します。鳥越では小池には勝てても、増田には勝てません。増田も紳士だが、知事と議員の経験があるし、小池はあくが強いが自己主張がはっきりしている。政治家の経験のない鳥越では無理がある。
参院選の結果を見ても分かるように、国民は経済や復興の結果を冷静に見て判断している訳ではありません。そもそも政治や経済や外交に関する一定レベルの知識を持っている人も多くはない。自分がそうだったから分かるのです。日々の仕事に追われていると、勉強する時間も考える時間もありません。気晴らしのスポーツや芸能以上の興味は持てない。基礎的な知識もなく、判断に必要な情報も欠いたまま投票に臨む。だから全体が保守に傾くのはむしろ当然なのです。
候補者と政党に関する十分な情報をタイムリーに提供できないメディアにも大きな責任があります。民主的な議論に国民が慣れていないという事もあります。選挙にも民主主義にも慣れていないがゆえに、官僚主義にお任せ、あるいは官や政から与えられることに慣れ切った国民です。参院選でも、あれだけ経済で失敗しているのに、結局現状維持の政党を大多数が選んだ。その結果、実質的に改憲勢力が2/3という惨状に至っている。安全第一で自民党を選んだといっても、決してそれは冷静な分析に基づくものでもない。なんとなく安全そうだという根拠のない信頼感で選んだだけなのです。実際には安倍政権は経済でも大失敗しているのに、大失敗はないと有権者が自分に言い聞かせながら、しばらくは大丈夫だろうと楽観して、続投を許したのが今回の参院選です。即ち漠とした雰囲気や空気感から選んだのだ。しかも一層情報のない18歳、19歳も同じ傾向だった。
でも明日が今日と同じである保証など、本当はどこにもないのです。なぜかそれが大衆には理解できていない。でも明日のことなど、安倍首相にだって分かるはずはないのです。。
鳥越では勝てない。しかし古賀も宇都宮も鳥越に譲ると言った。彼らはまともな神経の持ち主であり、引き際を心得ています、一方、岡田にはそれが全く出来ないらしい。いつの間にか、実力の伴わない独裁者のような雰囲気さえある。もし民進に、いまなおリベラルな政治の旗手たらんという気概と意欲が少しでも残っているのであれば、市民連合が推す宇都宮を応援すべきだったのです。宇都宮の場合なら、負けても次の機会があります。それが鳥越の場合、負けたら後には何も残らないのです。今となってはどうしようもありませんが。
【注目記事】
・生活苦しい、なお6割。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160712-00000104-jij-pol
・オレ様症候群。
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e5%ae%89%e5%80%8d%e9%a6%96%e7%9b%b8%e3%81%ae%e3%80%8c%e5%82%b2%e6%85%a2%e7%97%87%e5%80%99%e7%be%a4%e3%80%8d3%e3%81%a4%e3%81%ae%e8%a6%81%e5%9b%a0-%e3%81%9d%e3%82%8c%e3%82%92%e6%94%af%e3%81%88%e3%82%8b%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2%e3%81%ae%e7%bd%aa%e3%81%a8%e3%81%af%ef%bc%9f/ar-BBueC1t?ocid=spartandhp
(寸評:MSのネット記事は原則読まない方針ですが、今回敢えて取り上げたのは、最近のメディアでは権力者を揶揄するという風潮が下火になっているからです。但し、残念なことにこの記事も決して格調は高くありません)
・謝っても許されない人のズレ。
http://toyokeizai.net/articles/-/126357
(寸評:舛添のことです)
・憲法改正を訴える日本会議の危ない正体。
http://toyokeizai.net/articles/-/126794
・NHK経営委員長、日本会議の顧問辞任検討。
http://www.asahi.com/articles/ASJ7D5VF3J7DUCLV01M.html?iref=comtop_8_07
(寸評:なんでこんな人が経営委員に。これでは同じ日本会議の安倍を贔屓するのはむしろ当たり前。報道の公平性などどこにもない。それから巨悪、籾井の続投を阻止せよ)
・安保関連法で、現職の自衛官が国を提訴。
http://www.asahi.com/articles/ASJ7D5SYSJ7DUTIL02Z.html?iref=comtop_8_05
・日本の大胆な経済政策で悪循環。
http://jp.reuters.com/article/column-forexforum-masashi-murata-idJPKCN0ZS0PL
今日は参院選特集です。
480.天皇はん,辞めないでおくれやす。 2016/7/14
天皇陛下が退位を口にされた。過去200年では例がない。ご高齢により、公務を代理や欠席で済ますのはよろしくないとのお言葉が、公式見解として伝えられているが、慰霊や復興では足しげく移動もされ、力も尽くされておられる。何よりその時期が時期である。参院選で改憲勢力が2/3になった直後だ。安倍政治と、安倍首相が改憲を意図していることを知りつつ、それを支持持した、戦争の記憶のうすれた国民に対する、無言のご抗議と受け取らない方が、よほどどうかしている。
私は個人的にお目にかかったこともあるが、それよりも、一貫した平和主義の天皇皇后と、同じ時代に生きてこれたことをうれしくも、誇りにも感じている。心中をお察しするに、退位はすぐには行われないにしても、もはや安倍内閣の閣僚の親任式などされたくはないだろう。
私は天皇陛下の臣民であることは誇りであるが、安倍首相の「臣民」でありたいと思ったことはない。天皇の平和へのお気持ちを踏みにじり続け、自身が国家元首であるかのようにふるまう安倍首相は奸賊以外の何物でもない。下手をすれば本当にそう思っているかもしれない。ならば国家元首とは何か、なぜ自分が首相なのかを辞書で引いてみるが良い。
安倍政権が明治憲法に戻したたいのなら、絶対君主になるのだから、一から十まで天尾以降に沿ってみてはどうか。もしそうでないのなら、実は自分が絶対権力を握りたいだけだということを言っているのに等しい。天皇のご意向を踏み二次って恥とも思わぬものが、明治憲法を論じるなど片腹痛いというものである。辞めるべきは天皇陛下ではない。安倍首相の方なのである。
参院選の惨憺たる結果をご覧になった陛下の心中はお察しするに余りある。さぞかし胸が痛まれたことだろう。それは心ある国民皆がそうなのである。世界中の誰から見ても両陛下の平和への確固とした姿勢は文句のつけようがない。その証拠にヒラリーが外務大臣になったときに、日本に来て真っ先に皇后陛下の元に駆けつけた。熊本地震では、習近平が天皇に直接電報を打った。
日本が戦後70年、攻撃を受けずにこれたのは、平和憲法と、日本が世界に誇る国家元首がいてくれたからなのである。何とか、ノーベル平和賞をお二人に差し上げることは出来ないものか。
天皇陛下御自身には何の責任もないのに、戦争責任を何度も口にされた。しかし安倍首相の祖父は直接戦争に加担しているのに、首相が大戦の総括を指示したことはない。平成天皇の目には、安倍首相が、昭和天尾に背いて300万の同胞を殺した東条英機のように映ったとしても、誰がそれを批判できようか。天皇家は二代に渡って宰相に裏切られたのである。
内田樹は、安倍首相は憲法改正を、9条にはふれずに、非常時に国民の権利を停止できる緊急事態条項の形で通そうとするだろうと予測している。非常時に首相が全権を握る仕組みだ。しかしそんなものがなくても、たび重なる震災では対応してきた。という事は、それは事実上の戦争の準備に他ならないということだ。北朝鮮がミサイルを撃ったら、すぐにそれは発動されるだろう。そういう時に、国民の一人でも反政府的な発言があれば、直ちに公安が逮捕して取り調べ、危険思想の持ち主であることを無理やり白状させて、投獄するという仕組みである。反政府活動を国家権力で弾圧するのがこの大権なのだ。しかもそれは外国の攻撃に留まらない。例えばもう一度原発が事故を起こしたら、その時にも発動される。そしてその時は、政府や首相を批判しようものなら、特高が乗り込んでくる。その逮捕には令状も理由もいらないのだ。いかなる形の非常時であれ、その時は首相が絶対権を握り、批判は一切封じられる。無論メディアも例外ではない。言論封殺が大手を振ってまかり通るのである。
だから、一度でも、首相が超法規的な絶対権を持つことができる場合があると明文化してしまったら、しかもそれが憲法の条文なら、そこで日本の民主主義の全てが終わるのである。それは大権を持つものは、いかなる非道をしても刑事責任を訴追されることがないことを意味しているからだ。
日本が戦争状態に陥ることを暗に想定した、緊急事態条項を、国民は命に代えてでも阻止しないと、敵国どころか、近い将来自国の政府に命を奪われかねないのである。しかも安倍首相は言い訳とこじつけの天才であり、そこもヒットラーに似ている。それは今更安保法制を引き合いに出すまでもない。
国民がしなければならないことは、自民党の改憲だろうが、公明党の加憲だろうが、民進の修正だろうが、いかなる変更も憲法に加えさせないように、体を張って現憲法を死守することにある。憲法は政権が好きなように変えられるものだなどと言う前例を作ってはならない。それは民進党にも言えること(枝野や蓮舫=小さなゴーマニズム)だ。国民はすぐにでも小林節など、リベラル、と言うよりは、むしろ正統派の憲法学者をトップに据えて、改憲阻止団体を組織すべき時期に来ている。そして天皇陛下の退位は思いとどまって頂きたい。これまでのように、平和を愛する国民たちが圧政と戦う時の、大切な心の支えとして、とどまり続けて頂きたい。重ねて言う。退任すべきは天皇陛下ではない。安倍首相の方なのである。
関連記事。天皇陛下、生前退位のご意向。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160713-00000090-mai-soci
同BBC報道。
http://www.bbc.com/news/world-asia-36784045
481.大人の童話(改訂版)2016/7/19
私は名もない星の宇宙人編集者ですが、辺境のある惑星で見た状況を、童話の形でご紹介したいと思います。この物語は大雑把に言えば、戦争と平和の話であり、今は平和でも戦争の影が忍び寄っていることへの警告なのです。なぜ童話の形を取るのかと言えば、戦争をリアルに語ると、恐怖感と不快感が先に立って、本質の理解を妨げるからです。
A long time ago in a galaxy far , far away…
昔、昔、銀河の中の遥か彼方に、一つの小国がありました。名前がないと話し難いので、ここではN国という事にしましょう。でもナルニア国ではありません。
今から80年前、かつて創成期の資本主義国がそうであったように、N国でも帝国主義が支配していました。もともと資源が少ない国だったこともあって、領土の拡大はN国が大国になる為の悲願でした。弱小国への侵攻と植民地化が悪と見なされなかったのは、諸大国がまさにそれと同じことをしていたからです。逆に発展途上国にとっては、植民地にされて収奪されるという運命から逃れることは、先進国の圧倒的な経済力と武力の差から、怖めて難しい時代だったのです。
話は更に遡ること80年。N国は外国との貿易を長らく封鎖し、完全に内向きな国家でした。しかし200年も(奇跡的に)続いた中央集権体制は、すでに時代遅れであり、制度疲労を起していました。一方的に収奪され、支配される地方の豪族には不満が高まっていました。また封鎖されているはずの外国からでも、出島経由で僅かにもたらされる情報や、たまに難破漂流で、意図せずに外国を訪問して帰国した者の情報から、N国と外国との技術や文化に大きな差のあることも分かってきました。
そうした矢先、外国が最新式の蒸気軍艦を連ねて押しかけてきて、N国に開国と通商を迫ったのです。N国の国論は二つに割れました。国を開いて通商するのはやむを得ないとする政権側と、そんなことをすれば結局、武力で勝る外国の植民地にされるとする地方勢力です。特に後者の目には、中央政権の弱腰の姿勢は、政権の力が衰えていることを想像させるに十分でした。
この時代は、長らく惰眠を貪っていたN国にとって、晴天の霹靂であり、天地がひっくり返るような大騒動でした。そしてこの混乱で、封建制で弾圧されていた地方野勢力が反撃に立ち上がりました。独自に外国の軍艦と戦火を交える地方まで出てきました。外国がつついた蜂の巣の中で、主導権をめぐって文字通り蜂の巣をつついたような騒ぎになったのです。
反旗を翻した諸地方は、それまで政権(ショウグンによる軍事政権)にとって飾りにすぎなかった国王を、最高権力として国の頂点に戴くべきだと主張し、軍事政権の枠組みと正統性に真っ向から対立したのです。バクハン体制に異議を唱える貴族のの力を借りて、反乱軍は国王の勅許を得ることに成功し、政権を逆賊と定義し、軍事行動を起こして制圧する根拠を獲得したのです。国王が反乱軍を支持した最大の理由は、外国の侵略に立ち向かうジョーイを反乱軍が方針として打ち出していたからであり、それに対して政府軍は既に開国の条約を結んでいたのです。反乱を起こした地方は、N国の南西部に位置しており、外国との貿易に有利であったがために、軍艦や大砲を独自に外国から入手する事が出来まし。無論政権側も、N国を200年に渡って支配してきた実績があり、軍艦や大砲を買う財力を持っていました。しかも政権に未だ忠誠を誓う地方も少なくなく、そうそう簡単に負ける相手ではありませんでした。それでも、チョーテキと言う汚名は、自分たちがその形式を利用して来たがゆえに、大きなハンディーでした。初戦は反乱軍の負けでした。しかし勅許の力は大きく、戦況に大きな役割を果たしたのが、時のショウグンの変心でした。ショウグンは、頭が切れて時代を見る目に長けていたのか、無責任で臆病だったのか、或いはその両方かで、あっさり政権を国王に返納してしまいました。ここにN国で初めての武力革命が事実上達成されたのです。後はN国の北方地方まで展開された掃討戦だけが残り、それが多くの悲劇を生みました。幸い大きな被害が危惧されていた首都エドの決戦は、参謀同士の腹芸で回避され、火の海は避けられました。しかし何百万もの市民の命を救った、この決戦回避のかけひきの教訓は、80年後の外国との大戦では、一度たりとも生かされることはなかったのです。
革命後の国の形を整えるべく、国王を頂点に据えた憲法が起草されました。いまN国では革命の80年後の外国との大戦の敗戦後で制定された、新らしい憲法が効力を持っています。その一方で、当時は生まれてもいなかったのに、旧憲法に回帰すべきだと主張する人たちがいて、その理由としては、旧憲法がN国民の手で起草されたという事を唯一の根拠にしています。即ち、そこでは憲法の条文ではなく、成立の過程だけが問題にされているのです。
新政府の幹部は外国に視察に行き、日本にも外国のような殖産興業が必要だと考え、産業の育成に力を入れ始めました。それと同時に外国に負けない武力を備えるべく、軍備の増強に努めました。更に資源と領土を求めて外国に食指を伸ばし始めました。一方で、民主主義は未熟な段階にあり、シビリアン・コントロールという概念も未発達でした。国の防衛力なのに、自分たちが自由に使える力だと思った軍部は、国の防衛組織の枠を越えて、独自の価値観と目的を持つようになるのに、それほど時間は掛かりませんでした。武力を使って国民に資するのではなく、武力で国民を従えようとしたのです。
さらに困ったことには、北方の大国との海戦で、独創的な奇策から、帝国の軍隊が偶然勝利を手にしたことで、過剰な自信が身についてしまったのです。負けを認めない事にしたのだから、どんなに負けても、負けはないことになりました。都合の悪いことはなかったことにしておこうというわけです。だから転戦はあっても敗退はないのです。N国の、それに続く悲惨な運命がその時に決まったのです。無論部分的な勝利と、それに続く占領もあるにはありました。しかしN海海戦の成功体験が、N国は戦っても負けることはないという誤った先入観を植え付けてしまっていたので、敗戦に至るまで、自分達を客観的に見ることが、もはやできなくなっていたのです。
我々もついに大国になった。自分たちは優秀な民族だ。戦えば必ず勝てる。神風がついている。だから勝つ見込みのない絶望的な戦況に至っても、なお戦闘を諦めず、死を美化したのです。敗退に次ぐ敗退で、本土も空襲を受けるようになり、膨大な市民の犠牲を出しました。結果的に300万の国民が命を落としたのです。手段が目的になった戦争では、兵士は人間とは見なされず、消耗品としか意識されません。兵士だけでなく、民衆の人権も認められません。なにしろ非常時なのです。外国では兵隊さんが、命がけでお国のために戦っている。国民はぜいたくを言うなという訳です。政府や軍部を批判するものは警察が尋問、拷問し、投獄しました。国民には言論の自由どころか、いかなる自由も権利もありませんでした。反対集会でも持とうものなら、スパイか扇動の嫌疑で処刑もあり得たのです。
しかも現在のN国の雰囲気は、70年前のN国の状況に酷似しているのです。事実上の一党独裁政権なのに、N国の政権は、民主的な選挙によって選ばれた議員が、国民の負託を受けて国家を運営していると主張しています。だから、政権への批判は、少数の意見であり、偏ったものだと言います。そして政権家への批判や反対を、なるべく国民の目に触れないように躍起になっています。政権に都合の悪いことは、大衆には知らしむべからずなのです。しかし戦時中の軍部がそうであったように、一党独裁は必ず腐敗します。それは歴史が教える真実です。何故腐敗するかというと、それは自分たちの都合の良いように事実をねじ曲げるからです。それは矛盾があることを認めることにほかなりません。即ち真実を真実と認めない虚偽や嘘は、それがいかに小さなものであっても、堤防に開いた小さな穴と同じことなのです。いずれ、それは誰の目にも見えるほど大きくなり、やがては堤防全体を崩すことになるのです。
神ならぬ身で、独りの人間が全てを決定し、残りの全国民を支配する。でもただの人間が100%正しいなどという事はあり得ません。野党との(かみ合った)議論と、メディアからの批判に耐えてこそ、政策の正当性が立証されるのです。このプロセスは民主主義が機能するために、とても大切なことで、こういうダイナミックな緊張関係があって、初めて議論の正当性が担保されるのです。独裁は遅かれ早か自ら崩壊するのですが、それは批判がもたらす万人にとっての真実を否定するからです。
長い悲惨な戦いの詳細は省略しますが、N国の軍部は負けるべくして負けました。なぜなら精神力だけでは、物量には勝てないからです。竹やりでは戦車や戦闘機に勝てません。だからN国の兵士は、幹部の非論理的な戦略の犠牲になって、無駄に命を落としていったのです。それは軍部が無能だったから都言い換えることもできます。勝敗の判断も、結果の見通しもつけられない人たちが、指揮していれば、勝てる訳がないのです。大戦前に、ハッコウダという山中で、無謀な軍事教練を行った陸軍がほぼ全滅したという悲劇がありました。まともな準備もなければ、ろくな計画もなく、そのうえ指揮命令系統がばらばらだったことがこの悲劇を引き起こしました。はっきりした目標を持ち、小さくまとまって効率よく行動した一小隊だけが無傷で生還できたのです。N国の軍部はその自我肥大=自分に都合の良い幻想の源、と、硬直した作戦ゆえに、兵士が命を託せる相手ではありませんでした。だから最後には、特攻隊などという、無謀で不毛な戦術が平然と通用したのです。愚かなリーダー(たち)が戦争でも、政治でも(現代では経営でも)どれだけの損失をもたらすかは、恐ろしいほどなのです。
過去の戦争での勝利と、初戦の不意打ちで勝利をおさめたことから、過剰な自信を持ち、結果戦略を誤り、連戦連敗を重ねて無益に兵士が命を落とした。相手国の絶対的な物量の差もあって完膚なきまでに叩かれ、ついに爆撃機が多数飛来するようになり、大都市が焼け野原になりました。敵国は、本土決戦になれば、相手が死にもの狂いで向かってくることが分かっていたので、自国の兵士の損傷が大きくなることを恐れて、新開発の大量破壊爆弾を、テストをかねて使用しました。その威力は絶大で、30万人もの市民を殺傷する結果となり、N国はA国に投降したのです。
それから70年。敗戦直後に敵だったA国が準備して施行された平和憲法が、軍隊の出動も、武器使用も禁止した結果、N国が再度戦火に見舞われることはなく、その間、経済的な発展を遂げることができました。しかしその大戦の記憶が薄れた70年後のいま、より穏やかな形ではあれ、まぎれもない国家主義が、過去の亡霊のように姿を現してきています。しかもそれは、それにより格差が容認される経済システムや、既得権が守られる権力者だけではなく、被支配層たる一般大衆や、若者の間にも支持者が増えているのです。国家主義という思想は、国が個々の国民に優先する、即ち国としての価値観が、個々の国民の総意に優先するというもので、戦時中のN国の思想そのものです。その反省を踏まえて、新憲法では、個人の尊厳が明文化されました。だから国家主義という概念は、本来的に新憲法の理念とは相いれないものなのです。
しかも戦後70年を経て、独裁政治への危機感はもとよりは、政治参加への興味も、有権者の意識も希薄になりました。それが投票率の激減と言う形で表れています。その結果、N国の政治は、有権者の半数の、そのまた過半数の意思で、政策が決定されるような事態になったのです。すなわち有権者の1/4がN国を動かしているのです。しかもそれだけでは満足せず、政権がより権力基盤を強化するために、憲法を書き換えて、政権が国民の権利を制限して、事実上、無制限の権力を持てるようにしようとしているのです。
その暴挙を食とめる最後の機会だった、最近実施された上院選では、国民の政治参加意識の低下と、無能な野党第一党の為に、改憲派の議員数を2/3以下に抑えるという目標でさえ、達成できませんでした。N国で政権を握る政党では、特定の政治家が独裁的に政治を仕切っており、政府を支配し、議会を制圧し、業界を手なづけ、官僚を懐柔し、マスコミを思いのままにして、すべての権力を事実上その手中に納めています。彼が巧妙なのは、その本心と野心を国民の目からそらすことに半ば成功していることです。企業と価値観を共有する必要のない学生までもが、政治情勢の分析も、これという政治的信念もないままに、無批判に与党に投票しています。有権者の情報を遮断し、議論する場も、考える時間も与えないという、政権や官邸の清作戦は着実に成果を上げちます。だから私は、政権が盤石の政治基盤を作るために、年内に下院選挙を強行するだろうと予想しているのです。そもそも国営放送のトップを政権が決めるなど、先進国では考えられないことなのです。
いまや議会での野党の反対や抗議など、宰相と官邸には取るに足りない、小鳥のさえずりでしかありません。最近では野党からやじられても、受け流す余裕さえ見せ始めています。むしろ野党が少しさえずってくれた方が、いかにも民主的な議論が行われているというジェスチャーになるので好都合なのです。今や上下両院で与党が2/3の議席を手中にしています。だからなんでもできるのです。しかも議会主義、民氏主義の名のもとにです。これを事実上の独裁と呼ばずして何と呼んだら良いのでしょうか。最初からこうなることを予見し、懸命に反対運動を展開してきたにも関わらず、同じ泥船に乗せられて、不運な運命を共に受け入れることを強制される、残りの75%の国民こそいい迷惑です。
そこでN国の、企業や役所に気を遣う必要のなくなった有権者には、大きな仕事が残されているのです。それは機会あるごとに、政治や経済や経営のあり方を批判し、議論し、発言することです。こんな状態のN国を、自分たちの子どもや孫に残したくないと思う事です。超保守政権による国家主義がますます先鋭化し、国防予算が増え、福祉は削減され、税金は増え、社会保険料が増額され、国民の生活はますます苦しくなり、経済的に恵まれない男子は兵士になり、女子は風俗で稼ぐしかない社会になりつつある。それがN国の現状なのです。組織力もなく、資金力もない者に出来ること、そしてしなければならないことは、間違ったことを、それは間違っていると言い続けることなのです。
上院選で憲法改悪派の勝利が決まった直後、ただ一人、戦後の国民に70年も寄り添ってこられた同国の国王が、退位の意思を表明されました。大災害がN国を襲うたびに現地に出向かれた国王が、それまで例のない存命退位を口にされたのです。健康を理由にされ、公務を継続できないという趣旨には誰も反対できませんが、ではなぜ選挙の直後にで意思を表明されたのか。その憶測は個々の国民に委ねられています。でも国王のひたむきな平和への願いと姿勢こそ、N国が大戦後、外国と銃火を交えることなく、戦火で国民の犠牲を出さずにきた、大きな影の力であったこともまた、まぎれもない事実なのです。N国が平和を志向する国家、国民であるという印象を国内外にアピールできたのも、国王陛下ご夫妻のご努力あってこそなのです。陛下は立派にN国の国民を守ってこられたのです。
もうこれ以上のN国の右傾化には我慢出来ないという、高齢者や若者や主婦が立ち上がって、国を動かし始めた時、初めて国王陛下ご夫妻の理想が実現され、本当に戦争のない国家が実現するのです。それが陛下の願いを継ぐ、唯一の方法なのです。
UFOに乗って、150年の時間と空間を飛び越えてN国を見てくると、現在のN国の国民には、大戦前の同国の国民と同じような判断力と責任感の欠如があり、一方でそこにつけこんで、国民の支配を強化しようとする政権の意図を強く感じるのです。私はN国のある惑星の部外者ではありますが、歴史から学ばないとすれば、戦禍で命を失った、N国を含むその惑星の人たちの魂が、浮かばれないと思います。
482.民進はいらない。 2016/7/12
本記事は7/12付です。
早速の改憲が始まりました。変える必要がないものを、変えようとする。しかも民意に逆らってです。安倍首相は政治の私物化と恣意的な政策の巨魁です。憲法論議で国会の時間が取られることを経済界も危惧しています。自衛隊も憲法も、首相個人の玩具ではないのです。お粗末極まりない改憲草案を作文した片山さつき議員=今回当選、はとても国立大卒とは思えないEQの低さであって、支持する人たちの神経も理解できません。多数の業界団体の支援を受けていれば良いというものではないのです。民進も完全に民意からは遊離してきました。いったい誰のための政党なのか。自民党の為ならそんな偽物はいらない。自民党だけで十分です。
池上の、なぜ正々堂々と争点として提示しないのかと言う質問にも安倍首相はまともに答えようとはしなかった。怒りの声では、せめて小林節だけでも当選して欲しかった。独力で、しかも無名の人たちで戦うというのでは、最初から不利であり、戦術的にも不慣れでした。
参院選で惨敗したのに、岡田の留任は、最近でも最も見苦しい政治家の所作のひとつです。今回の敗北は岡田を頂点とする教条主義の執行部の責任です。それも分からずに居座れば居座るだけ、喜ぶのは自民党です。これほど分かり易く、即ち手の内が読みやすく、従って扱い易い=要は馬Xだという事です、野党党首はかつていなかったからです。まさに絵に描いたような井の中の蛙ではないですか。引き際でその人物の度量が知れるのです。後継者の指名もご遠慮願いたいものです。今のような執行部だからこそ、負けるべくして負けたのです。政治的な手練手管では安倍政権の方が2枚も3枚も上手です。岡田では未来永劫、絶対に勝てません。
あまつさえ民進は護憲ではないと、枝野と蓮舫が言い放った。民進の執行部は国民にとって、もはや獅子身中の毒虫です。なぜなら、国民と民意に寄り添う気持ちが殆ど感じられないからです。もっとはっきり言えば、二人とも頭でっかちではあっても、肝心の温かい血が通っているようには思えないからです。さらば民進。私は、参院選での投票を最後に、もうあなたたちは何も期待しません。自浄作用のない政党なんて、自民党以下ではありませんか。
・首相、改憲論議促す。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016071101001671.html
関連記事。護憲でない民進。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/11/kaiken_n_10922892.html?utm_hp_ref=japan
関連記事。海外メディアはどう報じたのか。背後に改憲の力。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/10/saninsen-abroad-media_n_10921494.html?utm_hp_ref=japan
野党第一党がこんな状態では、自民党に票を入れる無党派層をどうして責められるでしょう。
本記事は7/15付です。
・社民、生活が統一会派。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20160714-00000476-fnn-pol
(寸評:民進があてに出来ないことが今回の参院選でもはっきり分かりました。党内に右翼を抱えていて何がリベラルですか。そもそも311を政権として経験したのに脱原発ではないところから、既に民意から遊離しています。支持母体の連合でさえ、距離をおこうとしています。即ち労組の政党ではもはや生きていけないのであって、一般市民のための野党でないと、今後生きる道は残ってはいないのです。外見のことを言うべきではないが、B鹿面の、いやU面の代表は、改憲勢力2/3を阻止できなかったという大罪=公約違反、の責任を強く感じて、即刻辞任するべきなのです。そうやってけじめをつけていかないと、この政党に明日はないのです。野田も枝野も蓮舫も含めて、小沢とでは、政治家の次元もレベルも理想でも、天地の差なのです。民進は市民のための政党ではない。それどころか誰のための政党か、いまや誰にも分からないのです。それにしても、もしシールズがそこまで読んでいたら、それはそれで凄い事だと思います。即ち民意から離れた政党には未来を託せないから、表立って応援はしないという見方です。但しこれはあくまで私の憶測に過ぎません)
・改憲論議、9条以外は余地。民進。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016071500020&g=pol
(寸評:何を馬面な、いや馬鹿なことを。97条を知らないのなら不勉強も極まる。某代表はご存じないようだから掲載するので、心して読まれよ。
第十章 最高法規
第97条 この憲法が日本国民に保証する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去最多の試練に堪え、現在および将来の国民に対し、侵すことの出来ない永久の権利として信託されたものである。
…次いでに基本的人権もあるぞ。
第三章 国民の権利及び義務
第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保証する基本的人権は、侵すことに出来ない永久の権利として、現在および将来の国民に与へられる。
…さらに言えば、自民党が変えたがっている第12条では、国民の自由及び権利は濫用されてはならず、公共の福祉のためにこれを利用する責任を負うと既に書かれている。これで十分なのであって、公共の福祉を国家に置き換えるのは、保守政権に都合の良い、身勝手な書き換えであって、断じて許すことは出来ない。何より憲法が、政権の都合で簡単に変えられるという先例があってはならないのです。それなのに民進は何を血迷ったのだろう。第二自民党など、国民にとって百害はあっても、一利もないのです)
483.白票の重さ。 2016/7/20
反対と口に出して言えば、その人が反対意見の持ち主であることが分かります。でも黙っていれば分かりません。たとえ心の中で納得していなくても、反対とははっきり言わなければ、暗黙の了解、即ち消極的賛成と見なされる。どちらとも言えないという選択肢は消えてしまい、沈黙は結果を利用する人間の都合の良いように解釈されるのです。これが日本の政治システムなのです。
最終的に賛否の数を比較して、数で負けたとしても、それはそれでいいのです。更には心の中では消極的賛成でもいいのです。もっと言えば判断が出来ないなら、出来ないでも良いのです。世論調査と選挙で一番大事なことは、実態をとことん正確に把握するための無限の努力なのです。
意思を表明する時には、自らの気持を気づかいや配慮や脚色なしに、ストレートに示す必要があります。分からない、どちらとも言えない、或いはどちらも選びたくない、というのも立派な意思です。意思と意思のぶつかり合い、切磋琢磨、議論こそが、民主主義の原点なのです。NHK(イラネッチケー)などの世論調査で困る点は、本当は分類できないものまで、無理やり白黒に分けて決めつけることにあります。それは白黒つけることが、世論調査の目標だからです。実態を把握し、それを正確に再現することが目的にはなっていないからです。
国民の意見は意図的に分類され、白か黒か、どちらかに強制的にはめ込まれます。その端的な例が、どちらかと言えば賛成が賛成票に、どちらかと言えば反対が反対票に、自動的に合算される仕組みです。もし黒白つけることだけが目的なら、賛成と反対、そのどちらとも言えない、そして無回答の4つだけでいいのです。即ち現行の世論調査は、国民の意思を確認するための的確な方法とは、到底言えないのです。なぜならどちらとも言えない、そして無回答の持つ重大な意味を無視するからです。これは選挙についても言えることです。
調査に回答しなかった多くの人たちの気持は、世論調査では対象外、すなわち全くノーカウントです。100人中50人しか回答がなければ、その調査の方法や目的、中でもその必要性に、被調査者が納得してないということを意味しており、即ち実際にはその調査(や投票)が意味を持たないことを示唆しているのです。意味や意義のない調査や投票なら、それは無効で無益なのです。また逆に100%に限りなく近い場合もおかしくて、その場合は独裁政治で、個人の意見が封殺されている可能性が高いのです。即ち意見に多様性がないという事もまた問題なのです。
では無回答がどの程度までなら、その調査や投票が有効とみなされるべきなのでしょうか。それはできれば75%でしょう。4人の内の3人が意思を表明すれば、その投票は有効と見なされるというものです。最低でも67%、即ち3人の二人は必要です。それ以下なら、その選挙は無効として、日を改めて、やり直しにするべきなのです。ここで大事なことは何院が調査や投票に関わったのかという結果の数字です。たとえ選挙に行かない理由が面倒くさいからというものであっても、それをまずは受け止めて、なんでもかんでも有権者の責任だけにしないという事が、選挙制度を見直すときの、大事な第一歩なのです。
日本の選挙で、100人の内53人しか選挙に来ないとすれば、それは選挙の方法や目的が、有権者の意思を表明する手段として適当なものではないことを意味しています。投票期間をもっと伸ばすのか、投票場所を増やすのか、押釦にするのか、移動式の投票所(バン)で、職場の近くでも投票も可能にするのか、ネット投票を認めるのかなど、どのような方法でもいいから、有効投票数を67%にする方法を、総務省が必死に考える必要があるのです。ノホホンと史上何番目の投票率でしたと発表するなど、総務大臣の頭の中身を疑わざるを得ないのです。私は今でも、総務省は通信省と自治省に分けるべきだと思っています。
国民が自分の意思を明確にかつ容易に表現できる手段が必要なのです。ここで私が提案したいことは、白票の扱いです。白票は、わざわざ投票所迄行ったのに、あえて白紙を出すのですから、明確な意思表示の一つであることは間違いないのです。なので、白票は支持者や支持政党がないという項目を設けて、明確に無効票とは別に集計されなければなりません。そこで仮に白票総数が最下位の当選者の得票数を上回ったら、その地区の選挙はやり直しになるべきなのです。候補者に不備があるからです。
投票率の低下を、有権者の政治意識の低下と決めつけて、何の対策も講じないのであれば、総務省に選挙を担当する資格はないのです。まして物言わぬ有権者は全員が、政権の支持者でありアベニミクスを肯定しているなどと決めつける安倍首相の頭は全くどうかしています。それは有権者の意思という面で考え直すと、現実から遥かに遊離しているのです。他に任せられる政党がいないから「しょうがないから」与党に入れたというのが国民の大多数の気持なのです。その証拠に、手放しで安倍席の政策を支持する人の数は少なく、政策ごとに見てゆくと、反対意見の方が多いからです。かように、国民の心中=本音、を見ようとともしないので、安倍首相は裸の王様だと言われているのです。但し狡猾な官邸は無論そのことは良く承知しています。そして次々と手を打ってきています。しかも間抜けな(失礼)野党第一党は、それに対していつでも後手なのです。
黙っていては分からない。だから有権者の沈黙を減らす不断の努力が必要です。それについては、たとえ安倍政権と言えども反対はしないでしょう。それに加えて、意見を表明しやすい環境づくりと、制度と候補者に対する批判に他ならない白票の扱いについても、きちんとした見識を持つことが必要であって、それが多数決至上主義=衆愚政治、に陥らない、真に民主的な政治を可能にするのです。
484.不寛容と自己中は表裏の関係。2016/7/15
・日本会議の生みの親、安倍首相に憤り。
http://news.yahoo.co.jp/feature/256
…ところが日本会議の会長は、日本に軍隊を作ると大張り切りです。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/13/nihon-kaigi_n_10962564.html?utm_hp_ref=japan
(寸評:だったら自分で銃を担いで戦場に行ってみよ。いざとなると最初に逃げるのに、大きな口を叩くのが、この種の輩です。満州から最初に逃げ出したのは、それまで威張り散らしていた帝国陸軍でした。妊婦にわざとぶつかるのも、ヘイトスピーチをするのもこの種の偏狭な人達です。その背景には人間性の暗部、即ち憎悪があり、彼らに共通する要素は嘘を含めた卑劣さです。日本で最もテロリストに近いのは一体どういう人たちなのでしょうか。いわゆるサヨクなのでしょうか。それとも…。しかもこれまでの日本人のテロの犠牲者に、なぜ政府はほぼ無関心を貫いてきたのか。世界のテロリストの主張の背景には宗教的原理主義や、民族主義など偏狭な価値観も背景にあることを考え合わせると、日本でも今後出現するであろうテロの予備軍、精神的な支援者は、今どこに潜伏しているのか。大いに興味をそそられます)
・都知事選4年で3回、費用130億円。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201607/CK2016071402000254.html
(寸評:私は、猪瀬はもう少しやってもらっても良かったと思っています。この130億円のほぼ全てが石原慎太郎の身勝手なふるまいから出た結果です。なぜなら任期途中で猪瀬に代わったのは、自分が勝手に辞任したからであり、しかも石原が指名した猪瀬が辞任したのは、徳洲会からの政治献金がばれたからです。常識で考えても、猪瀬の発案とは思えないし、訳も分からずに前任者=多分石原、の習慣をそのまま引き継いだと見るのが自然でしょう。時代錯誤のタメ口親父は早く民衆の前から消えてくれないものか。せめて入院くらいはしてほしい。そもそも田中角栄の後継者ではないし、角栄を論じる資格もないのです。青嵐会などと言いつつ、同じ国家主義者でも三島のように自決する勇気があるようにも思えない。自分の邪な野心のために都税を無駄遣いするのも立派な私利私欲です)
・首都高の横転事故で32億円支払い命令。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160714-00000120-asahi-soci
(寸評:払える訳がなかろう。しかも得べかりし利益まで上乗せするなど、公団も、それを認める裁判所も、完全にどうかしている。しかも道路公団はトンネル崩落事故では責任を施工業者にすべて押し付けて知らぬ顔だった。日本の道路公団というのは一体どんな存在なのだろう。そもそもいつになったら無料にするのか。道路公団こそ、ほかならぬ国土省のお荷物になってはいないか。天下り先として持ちつ持たれつという関係で、国民は納得できるのだろうか)
485.最凶の二人。2016/7/22
辺野古の和解プロセスが振り出しに戻りました。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016072100803&g=pol
関連記事。強硬姿勢は納得得られない。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016072100841&g=pol
仲裁裁判の和解条項で、協議で解決せよとの裁定が出て、両者がそれを受け入れました。翁長知事も問題を話し合いで解決する立場を堅持しています。ところが今回の官邸の暴挙。裁定の趣旨を踏みにじって、裁判を要求した官邸が、工事に着手し、裁判で喧嘩を売ってきたのです。
参院選で勝った余勢で、またもや自民党が無理を押し通そうとしているのでしょうか。だから私は他に政治を任せられる政党がないからという消去法で、自民に投票する人たちの気持が理解できません。だったら白票を投じて欲しいのです。マ仕方がないから、などという理由で選んでほしくないのです。結果的に安倍政権の暴走にお墨付きを与えてしまい、自分で自分の首を絞め、そのおまけに日本を滅亡の縁に追いやっているのです。
それが、ほかならぬ私たちの周りにいくらでもいる、真面目でおとなしい日本人なのです。政治家が嘘でごまかして、これだけ好き勝手にやっているのに、どうしてそれがお分かりにならないのか。私は本当に理解に苦しんでいるのです。
安倍政権の強権体質は、菅長官の体質なのかもしれません。でも平和日本に、いまさら時代錯誤の和製ゲッペルスなどはいらないのです。今回の改造で閣外にお引き取り願いたいものです。田原も下手に持ち上げるのはやめにしてほしいのです。安倍首相の懐刀どころか、国民を巻き込む爆弾番頭だからです。
自民きっての辣腕=むしろ幹事長向き、ですが、それは手段を選ばないから出来るのです。民主主義も立憲政治も、この人には何の意味もないようです。何でもありのスーパー黒幕なのです。菅研究のような本が出てこないのが不思議なくらいです。しかしいくら権謀術数に長けていても、政治家が政治家である大事な要素は欠けています。それは政治理念です。どうすればこのような特異な価値観の政治家が生まれるのか、近代日本政治史の7不思議の一つです。
しかしこの人が仮に首相になったとすればその力は半減するでしょう。影に隠れて動けるからこそ、好きなことができているのです。しかし、ダッカ事件の時に、選挙運動のために、離れてはならない官邸を8時間も留守にしたことを、世間やスコミが忘れても、私は忘れる訳にはいきません。深夜だったので、電車が使えないので高速を飛ばしたのかも知れません。パトカーが先導したのでしょうか。すべては闇の中です。
日本が急速に右傾化しているのは、一も二にもなくこの安倍・菅の二人三脚のおかげです。この二人が荒らしまわり、滅茶苦茶にしてくれた=財政問題だけでも気が遠くなる、日本の経済や外交、膨張した行政費用を元に戻すだけでも、国民にとって膨大な作業になるでしょう。
アベノミクスで高収入を謳歌している人たちは、資産を早く実物資産に換えた方が良いと思います。安倍政権はアベノミクスを今後も続けると公言しているのです。だからインフレになるのは時間の問題なのです。その時はあなた方の資産はきれいさっぱり紙くずになることでしょう。
だから消費増税があるとしても安倍政権の退陣が条件になります。そうしないと何回増税しても、全て政権が好きなように使ってしまい、増税の効果は相殺されてしまい、国民の生活どころか、財政も改善しないからです。日本は安倍・菅という放蕩息子を抱えた貧困家庭のようなものです。しかも子供たちはそれを食費(福祉)や学費(教育)ではなく、競艇(ODAや五輪)やパチンコ(防衛)に使ってしまうのです。もうひとつ極めて重要なことがあります。それは今後始まる可能性の高い民衆扇動です。それは既に始まっているのかもしれないのです。
関連記事。なぜ強権体質のエルドアンを守ったのか。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/07/post-5524.php
関連記事。日本は奴隷天国。民主主義を壊すコスパ第一主義。内田樹。
http://toyokeizai.net/articles/-/127350