「WTWオンラインエッセイ」
【第23巻の内容】
「民進代表選」
「閣僚靖国参拝の真意」
「CO2と地球環境」
「SMAP」
「尖閣を軍拡の言い訳にするな」
「ゼネコンの高笑い」
「貧乏大国」
「捨てたものでもないかも」
「最近の経済情勢」
「社会民主主義」
「保守主義とは何か」
「映画の話題、ゴジラ」
「WTWがいらない世界へ」
「改悪憲法に誰が署名するのか」
「戦前生まれの遺言」
WTWがしていることは、時間さえあれば、誰にでも出来ることなのです。しかも記事を判断する編集者の頭脳レベルも、たいしたことはありません。ひいき目で言っても中の中です。即ち平均的日本人が作る、平均的日本人の為の情報サイトです。従ってWTWの特徴は、その普遍性にあるのです。その代わりに、特に目新しい記事はないと言われれば、それはその通りなのです。
だから重要なことはたった一つ。我々大衆にとって大事な情報(特に兆候)を、見落とさないことです。そうでなければ、書く方にとっても、読む方にとっても、単なる時間の無駄になるからです。今の日本に欠けているものは良識です。誰が考えてもおかしいことが、その場の言い訳だけで平然とまかり通っています。日本人が常識を取り戻すことがWTWの目標であり、WTWなどの存在価値がない世界こそが最終目標なのです。
競技環境や選手村の不備、治安の悪さから、期待もせず、盛り上がりも欠いたリオ五輪でしたが、その後の体操、テニス、卓球等が結果を出してきたので、気になり出しました。結果発表における、勝って当たり前の態度は不愉快ですが、勝っては泣き、負けては大泣きも、見ている方は居心地が良くありません。そんなに悲壮にならなくてもいいではないかと言いたくなります。先輩が手ぶらで帰るかどうかは先輩自身が決めることです。勝っても負けてもさわやかにいきたいところです。そうした点では、白井や美誠はあっけらかんとした印象さえあります。泣き笑いの世代から、ドライな世代へ。五輪の主役が代わってゆきます。
それにしても、今回に限ったことではないが、あの素人めいたヒーローインタビューだけは何とかならないものでしょうか。聞きたいことがあるのなら、あらかじめメモを用意しておくべきだし、選手が返答に困るような質問で、選手に恥をかかせたらインタビューの意味がなくなります。しかもプロとは思えないような噛み噛みの質問。外国のアナウンサーでは見かけないし、そんな醜態は一発でアウトです。そこで仙人がひとつコツを教えて進ぜよう。レポーターは自分を一ファンの立場に置くことと、選手は選手で、応援してくれた国民へのお礼と、対戦相手を祝福すること、そして勝つのが当然と言う態度だけは絶対に慎むことです。金が取れないから泣くというのは、悔しい気持ちは分からないでもないが、自信過剰の裏返しかもしれないのです。
涙が様になったのは、福原選手くらいです。その気持ちが国民には良く分かったからです。でもスポーツは実力と運の世界です。完璧なルールなどというものはないし、物理的な偶然もあります。だから試合に負けても勝負に勝てばいいのです。勝負に勝てばそれが次の試合に生きて、いつか勝利をもたらすのです。
501.民進代表戦。2016/8/12
このままで行くと、民進の代表は無投票で蓮舫に決まりそうです。迫力のない野党は、国民は期待も要求もしていないのです。それが分かっていての代表選挙なのでしょうか。女性だからと言って、小池と同じように体を張って戦う姿勢を、私は蓮舫からは想像できないのです。見てくれに拘り、きれいごとで納めてゆくのではないか。また岡田の価値観や思考方法を引き継ぐことにも大きな問題があります。蓮舫は副代表だったので、執行部の政策を引き継ぐのはある意味当たり前だから、その結果、政党の一新などを期待する方がどだい無理なのです。代表が男性から女性になっただけのことで、代わり映えはせず、というより一層迫力がなくなるだけなのです。岡田より迫力がないなんて、もはや最低レベルです。これは同時に、安倍政権にとっては、きわめて扱いやすい野党第一党であり続けるということを意味しています。
どうしても女性を党首にしたいのなら、山尾か福島でしょう。蓮舫は政治理念でも、人格、リーダーシップでも、土井たか子の足元には遠く及びません。下手に勇み足すれば、足元をすくわれ、言質だけ取られて二進も三進もいかなくなります。リーダーというものは、畢竟、人間性の勝負なのです。蓮舫はその点で、人間としての幅も厚みも無さすぎます。蓮舫率いる政党は、ますます国民にとっては不要な政党になり、捨てようとしても費用が掛かる粗大ごみになりかねないのです。リーダーの選び方で、この重大な岐路をどちらの方向に進むのかが決まります。消費増税、原発再稼働、果ては改憲まで肯定するような、完全に民意から浮き上がっている政党が、参院選であれだけ得票したことは、逆に驚きなのです。理念なき政党は早く消えて貰った方が、長い目で見て国民には良いのです。
502.閣僚靖国参拝の真意。2016/8/12
・首相、靖国参拝見送り。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160811-00000195-jij-pol
(寸評:これが本音ではないことに問題があります。しかも閣僚や右翼議員は、この件だけは首相に同調しようとしません。首相の顔色を見て、媚びを売りたい魂胆が見え透いています。首相の意向に正面から異を唱えるつもりではないことだけは、確かです。総裁任期延長を自分から言い出した二階といい、独裁者とそれにへつらう取り巻き達といい、際限も節度もなく続く、笑えない茶番劇を見せられる国民の身にもなってみて頂きたい。
しかも牙を抜かれたメディアは批判力として全く宛てになりません。主役の国民はステージ上にはいません。税金という形で入場料を強制的に取られ、木の椅子に押し込められて、セリフもまともに言えないような劇を見せられるだけなのです。この児童劇の題名は、おなじみ「裸の王様」です。そこで観客がブーイングでもしようものなら、用心棒に睨みつけられます。取り締まり当局の監視や、ネトウヨによる炎上です。役者は、不満な観客を黙らせようと、ステージから時々、10円玉や100円玉をばらまいています。但し入場料は万札で払わされます。ところで役者たち=首相と閣僚は、禊とは言わないが、せめて入浴でもされたらいかがか。長期政権は必ず腐敗するものであり、そのご他聞に漏れず、某政権もその腐臭が客席まで漂ってきているからです)
関連記事。復興相が参拝。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160811-00000114-jij-pol
503.CO2と地球環境。2016/8/13
・プリウスPHV販売延期の意味。
http://www.msn.com/ja-jp/news/money/%e3%83%88%e3%83%a8%e3%82%bf%e3%80%81%e4%b8%96%e7%95%8c%e5%b8%82%e5%a0%b4%e3%81%8b%e3%82%89%e7%b7%a0%e3%82%81%e5%87%ba%e3%81%95%e3%82%8c%e3%82%8b%e5%8d%b1%e6%a9%9f%e7%99%ba%e7%94%9f%e2%80%a6%e3%80%8c%e7%94%9f%e5%91%bd%e7%b7%9a%e3%80%8d%e6%96%b0%e3%83%97%e3%83%aa%e3%82%a6%e3%82%b9%e3%81%8c%e6%83%b3%e5%ae%9a%e5%a4%96%e3%81%ae%e8%b2%a9%e5%a3%b2%e5%bb%b6%e6%9c%9f/ar-BBvwrQ2?ocid=spartandhp#page=2
解説:数値目標をグングン引き上げ、排ガスゼロ車=EV或いは燃料電池車、の販売も義務付けるなど、排ガス規制の勢いは留まるところを知りません。地球の温暖化対策として、或いは限られた天然資源の有効利用を考えれば、それがあるべき姿の一つだという事は否定できません。それでも、私はそこにある種の無理があるように感じます。
一番厳しい欧州ではお膝元のVWが意図的に数字を偽り、大きく売り上げを下げたことは記憶に新しいところです。非現実的な目標を掲げると、その目標をクリアすることより、数字をごまかすことだけを考えるようになる。日本でもそれが起きました。当時も、そして今でも、数値目標が聖域のように扱われています。でも無理に無理を重ねて、結局それが守れない、或いは守らないという事になると、目標にどんな意味があるのか。私はそこにある一種の意識のアンバランス、パラドックスを感じます。目標が信仰になっていることに不安を感じるのです。
間もなく第4間氷期が終わり、次の氷河期が待っています。しかもそれは万年間隔でやってくる。太陽が終焉を迎える何十億年も先の話ではないのです。未だ人類が確かに存続している間にしかも確実に起きることなのです。その時、人類はどうすればこの寒冷化した地球で生き残ることが出来るのか。その議論は全くと言っていいほど、なされていません。1万年なんてあっと言う間です。1万年後なら、核戦争でもない限り、人類は未だ存続していることでしょう。ここで言いたいことは、目標がCO2削減だけであってはならないという事です。そこで終わってはならないのです。どうすれば地球を人類やその他の生命にとって住みやすい形のままで保全できるのかを、より高い見地で、総合的に、しかもより長いスパンで考えなければならないという事なのです。
海面の上昇がCO2の増加と直接関係がある事は確かです。なぜなら極地の氷が溶けるからです。しかし昨今の異常気象の主な原因はCO2ではなくて、地球の周期的な気候変動によるものであることが分かっています。一方で、CO2をOに変えるために重要な、アマゾンの熱帯雨林保存運動は十分とは言えません。捕鯨反対よりはるかに深刻な問題であるにも関わらずです。マレーシアの焼き畑農業も放置されています。私は聖域化した温暖化対策運動であっても、に常に、冷静に科学的にメスを入れて、分析を続け、マイルストーンを毎年見直すべきだと思います。そして先に申し上げたように千年退位ではなく、最低でも万年谷で地球環境を見直すべきなのです。
CO2に限って言えば、排出量取引などといういかさまのない、しかも少し背伸びをすれば届く目標を設定し続ける事が、最も早くCO2削減を達成できるプラグマティックなアプローチではないかと考えているのです。巨大な設備の必要な風力発電にも違和感を持っています。あんな代物を、今後人類はどうやって維持していけばいいのか。海上の巨大は廃墟にならないと誰が断言できるのでしょうか。それよりは潮力、潮汐力、地熱、あるは単純な水力、そして何より太陽光発電の方が環境に与える悪影響は少ないのではないか。
私が申し上げたいことは、いかなる主題であれ、聖域化してはならないということであって、重要なテーマであればあるほど、常にダイナミックな議論の応酬が行われることが、政治だけでなく、科学の分野でも必要だということなのです。巨大隕石がぶつかり、或いは大規模な火山活動=シベリアの火山噴火で地球上の生命が危機に晒されたこともある、があれば一瞬でいかなる目標も意味がなくなるのです。CO2の問題と並行して、或いはそれ以上に、地球規模の環境監視と巨大災害の対応を怠ってはならないのです。
504.SMAP。2016/8/14
・SMAP,休むより解散したい。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160814-00000012-nksports-ent
(寸評:それぞれがソロの力と人気を持ち、逆に、集まって一緒に踊るのはかなりの違和感があるようになってきた。所詮歌唱力で勝負するようなダークダックスとは違うのだから、無理の上に無理を重ねることになる。賞味期限が完全に切れて、結果共倒れになる前に解散するのは当然だろう。所属事務所からは離れないと言うが、横文字の経営者の怪しい振る舞いも気になる。老害、独裁、放送局に対する横車は目に余る)
505.尖閣を軍拡の言い訳にするな。2016/8/14
・中国戦闘機が尖閣接近。
http://this.kiji.is/137241028762633725?c=39546741839462401
(寸評:威嚇、陽動戦術には、くれぐれも引っ掛からないように。手を出せば負けです。平和日本のイメージが一気に落ちて、軍国主義の烙印が押される。今後の外交で和平交渉がものすごくやりにくくなる。放置すれば逆に中国の評価だけが下がるのです。極右の某首相や、青臭い某防衛相が国威や国権を持ち出すことを、相手は手ぐすね引いて待っているのです。そもそも防衛相には、自分の度量が計られているという意識さえないのではないか。なめられているのかもしれないが、たとえそうであっても、今は爪を隠さねばならない。それにしてもハト派の中谷や小野寺なら、中国はこんな真似はしなかったでしょう。国民に不安を与えるような防衛相を指名した安倍首相には大きな責任があると言わざるを得ません。これは人災なのです)
2016/8/15
・安倍首相、実弟を外務副大臣に。
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89%E9%A6%96%E7%9B%B8%E3%80%8C%E5%AE%89%E5%80%8D%E5%A4%96%E4%BA%A4%E5%BC%B7%E5%8C%96%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E5%BC%9F%E3%82%92%E5%A4%96%E5%8B%99%E5%89%AF%E5%A4%A7%E8%87%A3%E3%81%AB%E3%80%8D-%EF%BC%92%E5%B9%B4%E3%81%B6%E3%82%8A%E3%81%AB%E5%B2%B8%E5%85%83%E9%A6%96%E7%9B%B8%E3%81%AE%E5%A2%93%E5%8F%82%E3%82%8A/ar-BBvBsjC?li=AA570j&ocid=spartandhp
(寸評:もはや安部王朝です。これでは北朝鮮と変わるところがありません。ハト派の岸田へのけん制のつもりなのか。政治の私物化もとうとうここまで来ましたか。この異形の政治家、安倍晋三の背後に取り付いている背後霊こそが祖父の岸信介です。五山の送り火で早く冥府に帰って貰いたい。日本でいま一番必要なものは、野党よりゴーストバスターズであり、アベはアベでも、安倍晴明の方です。怨霊が支配する闇の大国日本。夏なお寒い政界の怪談です。しかも日本のタカ派の政治家に共通する特徴が、欲の深さ、頭の悪さ、不寛容と傲慢さです)
・尖閣防衛で新型ミサイル開発。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160813-00050138-yom-pol
(寸評:いよいよ始まる軍拡競争。しかも兵器には莫大な金が掛かり、国力を消耗します。政権の言い訳も既に分かっています。だって中国が攻めてくるのだからしようがないじゃないかと。ほかの手段は一切考慮もしないでそう言うでしょう。稲田は靖国参拝をしなくても、いくらでも安部の軍国主義化には協力できるのです。現代の悪女は外見では見分けがつかないのです)
関連記事。水陸両用車、日米共同開発。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS14H02_U6A810C1PE8000/?dg=1
506.ゼネコンの高笑い。2016/8/14
ゼネコンは笑いが止まらないと言われています。それはそうでしょう。五輪特需の大盤振る舞い。しかも景気刺激の為の財政出動。そのくせ復興は満足に進んでいない。ゼネコンは選び放題で取り放題。国民が生活にあえいでいる時にこの違い。公取委は自由競争の監視と不正の取り締まりに全力を挙げて頂きたい。その気で探せばいくらでも出てくると言われる、甘利事件に代表されるような政治家との黒い関係も暴いて欲しい。
関連記事。
http://www.jomo-news.co.jp/ns/2014710135692707/news.html
507.貧乏大国。2016/8/15
「貧乏大国アメリカ」という本(岩波新書)の1巻と2巻を通読しました。その結果、余りに悲惨で救いがなく、やり切れない気持ちが残りました。そしてその延長線上に、東洋の大国の姿が浮かび上がりました。
リーマンショックで有名になったサブプライムローンから話は始まります。返済能力がないことが分かっているのに、高利で住宅ローンを組ませる、住宅価格が上がるので、その時に低金利のローンに組み替えることが出来るという売り込みです。米国の貧しい人たちにとって(無論日本でも)家を持つことは夢なので、その条件で契約します。もともと収入が低いのだから、支払いを継続ができない可能性の方が高い。しかも住宅の市場価格が上がるという保証などどこにもない。従って返済が滞っても、借り換えなどできない。そして家は取り上げられ、放り出される。しかもローンは過大な利子を含んでいるので、借金が終わるわけではない。家を失い、巨額の借金だけが残る。食費に回す金もない。
これは住宅をネタにした高利貸です。米国ではクレジットカードの金利が18%と知っていましたか。何事によらず、カードでローンを組めばたちまち借金は膨れ上がる。多分それは日本でも同じことでしょう。言わゆるサラ金地獄です。同じ従業員レベルで比較しても、金融機関の従業員の報酬はメーカーの2倍です。これは日本の場合であって、米国なら何十倍でしょう。金融商品を動かすだけで、ウォール街の人間が豪華な生活をエンジョイしているのも(日本なら六本木ヒルズですか)当たり前なのです。金融で儲けるという米国の経済の構図は、働いて稼ぐという概念とは相いれません。もはや労働は美徳ではないのです。しかも貧富の差を後押ししているのが、米国の特権階級にだけ有利な、不公平な税制です。税は、国による富の再配分の仕組みでもあるから、不労所得が優遇されるのは税制本来の趣旨には反しています。それを権力層が自分達の都合の良いように変えているのです。
一方、普通に働いている中間層でも、一度病気をすればすぐにホームレスになります。なぜなら医療費がバカ高いからです。盲腸炎で入院すれば、日本なら1週間入院でせいぜい30万、それを保険がカバーするので実際に払うのは8万程度ですが、米国では1日入院で120万。医療保険制度もあることはあるが、保険料は高額で、しかもカバーする範囲は限られる。これは私も現地で経験しており、私の場合は主に歯科治療でした。米国では出産も日帰りが基本だとのことです。それは決して医療技術が進んでいるからではなくて、一日入院するだけで4-5000ドル掛かるからです。米国の映画で、よく主人公が負傷して入院するシーンがありますが、誰がどれだけ払っているのか気になります。米国では儲かっているのは保険会社だけだと著者も指摘しています。
もう一つの大きな問題が教育費です。国はサービス機関ではなく、金を効率よく回すことが仕事だと言い放ったブッシュ政権が、災害救助から教育まで民営化した結果、教育を受けられない子供たちが激増しました。学生ローンもあるが、高利です。しかも経営難を理由に学費は70%増加(カリフォルニア大の例)。そのくせ理事たちには何十億という報酬が支払われる。米国は金が全ての国なのです。学費を払えないが、教育は受けたいものは、軍隊に入って教育の優遇措置を受けるしかないのです。これもどこかの国の自衛隊に似ています。日本では、貧しい若者は、兵士になるか風俗で働くしかないのです。
また貧しい階層に太った人が多いのはそれなりの理由があると言います。安くて満腹出来るのはジャンクフードしかないからです。低所得者の命綱のフードチケットも、低価格のジャンクフードに使われます。寿司が中間層で受けているのも、それが低カロリーであるからでしょう。肥満の原因はヘルシーなフードが買えないからであり、運動不足ではないのです。
この本の著者は「テロとの戦い」の名の下に、ブッシュ政権が押し進めた「新自由主義政策」が元凶だと指摘しています。なぜなら個人情報は国に握られ、命や安全、国民の暮らしにかかわる国の中枢機能は民営化され、競争に負け、転がり落ちていった者たちを守るはずの社会保障費は削減されていたからだと述べています。これもまた、秘密保護法から始まった、どこかの国の政府の方針に酷似しています。どこかの国では、大企業は利益を蓄積し、労働者の収入は殆ど増えない。収入の格差は増すばかりです。しかも教育も、内容はともかく費用だけは米国の一流大学並みです。
ということは、その国も貧乏大国になるのは時価の問題だという事です。なぜなら政府がその方向を目指しているからです。
508.捨てたものでもないかも。2016/8/16
最近、このWTWでも、それほど捨てたものではないのかもしれないと「マジで」思い始めています。言うまでもなく、私はプロのジャーナリストでもなければ、物書きでもありません。出来ることは多少以前の出来事を覚えている、というより書き留めておくことだけです。その時政府がどういう判断をして、国民にどのような説明をし、どういう政策を実施したのか。ただそれを愚直に書き留めているだけなのです。学識経験者のように高度で緻密な分析ができる訳でもありません。まさに市井の一市民として呆然と立ち尽くして見ている、世間の姿を、自分の(拙い)言葉で、自分の見たままに、ホームページに書き綴っているだけなのです。
それだけなのですが、最近のジャーナリズムの退潮を見ていると、そんな素人の駄文でも、大新聞や、大放送局の自称ジャーナリズムを相手にしたときに、一矢くらいならやり返せるのではないかという気もしてきています。なぜならこちらには彼らには絶対にない、究極の強みがあるからです。それは私にはスポンサーや、広告代理店や、経営者を通じて政治家や行政機関=記者クラブ、に気を遣う必要がないからです。そこにはいかなる禁忌も聖域もありません。気を遣うべき同僚や上司や経営者もいません。もしアマチュアのジャーナリズムに、存在価値があるとすれば、それは言論の自由そのものであり、縛りは自分の良心だけという、文字通りのフリーランスである事だと思います。そこで試されるのは自分の見識です。
何度も言うようですが、私は誰にでも出来ることをしているだけです。なぜそれが普通の人に出来ないかというと、日常の仕事に忙しくて、多くの情報に目を通す時間も、それをまとめてサイトにアップする時間もないからなのです。では、そうしたいわば単純作業の繰り返しにどんな意味があるのかというと、それは過去の出来事との比較ができることです。以前似たようなことがあったが、その時政府がどういう行動を取ったか。その比較は、私でなくても出来るし、また実際に大手メディアでもやっていることでしょうが、私の場合、事件の重大性と関連性に対する、立場と感受性が大メディアのそれとは異なるのです。なぜなら私の感覚は一市民のそれであるのに対して、彼らのそれは商業報道機関の会社員のそれだからです。また私の価値観は、情報サービスを発信する側というよりは、むしろ情報の受益者、即ちユーザーのそれであることです。
素人目であっても、個々の出来事を比較するだけで、政府の価値観や姿勢がいかなるものかが、はっきりと見えてきます。その具体的な例は、テロと日本政府の関わり方です。国内テロとしては三菱重工爆破や浅間山荘、地下鉄サリン事件もありましたが、それらについての行政やメディアの対応が批判されることはありませんでした。しかし最近の3つの事件ではどうでしょう。政府の対応に問題がなかった、その報道姿勢には脚色がなかったと言い切れるでしょうか。その事件とは、ISによる後藤さん拉致殺害事件、ダッカの邦人乱射事件、相模原の施設襲撃事件です。結論から言えば、これらの事件で、日本政府(=安倍政権)に共通している印象として、そのどれもなかったこととして、早く忘れてしまいという気持ちがあるように思われるということなのです。即ち安部内閣にとって、国民の命より、自政権の体裁を優先していると思わざるを得ないのです。そう私が断定するのは、そのいずれの場合でも、再発防止に向けた対応が十分になされていないことが、政府の及び腰を何よりも明確に物語っていると思うからです。
後藤さんの時は、安倍首相の海外における不用意な発言が引き金になりました。しかも米国が、見て見ぬふりをしてあげるとまで言ったのに、テロリストとの取引はしないと頑として交渉しませんでした。ダッカ事件の時には、官邸は選挙運動で8時間も不在であり、その間は当然、バングラ政府との交渉も出来ませんでした。相模原の事件では、大島衆院議長への犯人からの手紙については、あたかもそれがなかったかのように処理されました。報道側も、麻薬による狂気という一過性の事件であるかのように扱っています。しかし犯人の価値観(いわば哲学)、即ち社会的弱者に対する差別の究極の形としての殺戮の意識がどのように芽生え、どのようにナチスの思想に影響を受けたのかが分からないと、今後の同種の事件の防止には役に立たないのです。現にその後、ナイフを振り回して見ず知らずの通行人を刺すという事件が頻発しています。
安倍政権としては世間が物騒になってきていると思われたくはないでしょう。でも報道を曲げてまで、安倍政権が平和で安全な日本を演出しても、真実は隠しようもないのです。そういう歪んだ報道のもう一つの大きな例が、経済です。景気は悪化しているが、まず景気はそれほど悪化していないと報道する。次に政府が財政政策を総動員すると発表する。その時に、報道に接する限り、あたかもそれが当然なことで、無理のないものであるかのように見える。でも後で経済誌の記事でご紹介するように、それはGDPの5%にも及ぶ「天文学的」な金額なのです。しかも用途がはっきりしていません。用途が明確でない=だから金額も正確であるはずがない、のに、よくもそんな数字が出せたものだと感心してしまいます。しかも財源は国債なのです。IMFから借りるわけではありません。ひたすら将来の国民=私たちの子供や孫に、負担をシワ寄せしているだけなのです。これでは財務省は機能不全もいいところで、会計士一人いれば十分なのです。
話をテロに戻すと、相模原の事件をテロとした報道はごく少数でした。その一つは、犯人が計画的であり、冷静であったことから、衝動的な犯罪ではなく、確たる信念に基づくものだと指摘していました。その根底にあるものが、社会的弱者に対する差別意識であることは言うまでもありません。しかも犯人自身が社会からのけ者にされていたのです。この事件に大きな社会性がないかのように報道されていることがおかしなことであって、そこに何らかの報道への圧力を感じさせます。それが官邸なのかどうかは私には断言できません。しかしこの種の事件で、珍しく官房長官が現地に出向いたことが、逆に引っ掛かります。厚労相なら分かります。これだけの惨事にも関わらず、安倍首相は無言でした。どう言えば良いのか、官邸が作文するまで、分からなかったのかも知れません。これがオバマなら、まず遺憾と悲嘆のメッセージを直後に表明したことでしょう。神奈川の地方行政の不備についても多くが語られることはなく、県知事の1週間に及ぶ不在を含めて、行政面での責任は未だに曖昧なままです。そして今ほど警察を含む行政が、民意から遠ざかっている時期もないと思います。
いささかきつい表現になりますが、安倍政権の立場は、自分に取って都合の良い事なら、子供が聞いても首をかしげるような説明でも押し通し、都合の悪いことは、見て見ぬふりをする、もしくはなかったことにするというものではないでしょうか。だから相模原の事件が社会的弱者に対するテロであっては困るのです。麻薬摂取による一時的錯乱で片付けられないと都合が悪いのです。なぜならそれが社会病理的な現象なら、社会的な問題に発展し、テロ多発国家の汚名を受け、国家の品位と安全神話が崩れ、観光立国に汚点をつける恐れがあるからです。そしてそういう意図的な事件の処分の結果、何が起きるかというと、犯人は心神喪失で無罪となり、何年か経って「退院」してまた事件を起こすことになるのです。それもこれも、ただひたすら安倍政権が体面を保ちたいという強い意志の結果でしかなく、そこには国民も民意も、正義さえも存在しないのです。国民に自民党政権の安全神話を信じさせ続けることが、官房長官の切なる願いと考えざるを得ないのです。
以上の私の見解が、独断と偏見によるものであり、大海に投じる一個の小石に過ぎなくとも、大手メディアと異なる見方が存在するということだけで存在理由があると、私は思っています。なぜならそれは、常識そのものが大きく一方向に=政権の都合の良い方向に、傾きつつある現在の日本で、それに気が付いていて、バランスを取り戻したいと願っている人たちの一助になりたいという思いがあるからです。WTWが平成の語り部を務める事で、日本とその国民が、少しでも正気を取り戻す手助けができることを心から願っているのです。
関連記事。相模原殺傷、自分は死刑にならない発言。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160815-00000111-mai-soci
509.最近の経済情勢。2016/8/16
今日は経済誌から興味のある記事をいくつかご紹介します。いずれも抜粋なので、詳しくは本誌を参照願います。
【東洋経済8/13-20号】
「経済を見る眼、経済対策への3つの疑問」小峰隆夫から
安倍内閣はアベノミクスを一段と加速するという姿勢を示している。事業規模28兆円という大規模な経済対策が打ち出され、そのための補正予算も組まれる。名目GDPの5%という規模だ。それなりの効果はあるだろう。しかし今回の対策は必要なかったと思う。現状は穏やかながらも景気の回復が続いており、人手不足状態が続いている。経済はほぼ完全雇用の状態にある。経済界からぜひ大規模な経済対策をという大きな声が聞こえたという訳でもなかった。二番目は緊急性や財源が不透明である事。確かにさまざまなメニューは並んでいるが、長時間労働の削減やリニア新幹線は長期的に腰を据えて対処すべき課題だ。公共投資は建設国国債で賄われるが、それが将来世代の負担となる。財政収支の黒字化も遠のく。第三に、パッケージ型の対策と補正予算の編成が、真稲のように繰り返される結果、慣行化してしまう事だ。パッケージ対策の特徴は、総花的で十分なスクリーニングを経ていない政策が並ぶことになる…。
(寸評:これでは復興予算と同じ結果になりかねません。実現できなければ効果も出ないという事です。しかも巨大な予算の陰で、巨額の使途不明金や不正な金が動く可能性もあります。しかもそうなっても誰も責任は取らないでしょう。失敗がはっきりしている、アベノミクスには、そろそろ見切りをつけるべき時に来ていると思います。黒田総裁のあがきも、もはや見苦しいだけです)
「追い込まれる川崎汽船。黒船傘下入り」から。
…シンガポールのエフィッシモが川崎汽船の36パーセントの株を取得。川崎汽船は、日本郵船の自動車船、商船三井のタンカーのような安定収入源が少ない反面、コンテナ船事業の比率が50%を占める。しかも9割が借船で、自船比率が少ない。買収しても過剰船舶を抱える危険が少ない。川崎汽船のコンテナ船事業は10年間に7度、計1000億円の赤字にあえいだ。いまコンテナ船業界は再編の只中にあり、首位のマースクが、アジア―北米航路の強化を意図していても不思議ではない。しかし日本は貿易に占める海上輸送の割合が9割に及び、海運を経済、国防上の基盤の一つと位置づけており、大手が外資傘下に入った例は過去にない。エフィッシモがどんな出口戦略を実現するのか。川崎汽船の運命は黒船に委ねられた。
(寸評:日本の経済が、石油の輸入と自動車の輸出で成り立っていることに、たまには思いを致すことも無駄ではないと思います。軍艦だけが、大洋を航行している訳ではないのです)
【エコノミスト 8/9-16号】
「米ヤフーの中核事業を5100億円で、米ベライゾンが買収。狙いは動画配信の強化」から
…ヤフーは日本法人の35.5%、アリババの15%を保有している。ヤフーは投資会社として上場を続ける。ベライゾンは、動画配信による広告ビジネスを育てようとしている…。
「普天間移設」から
…国が沖縄県を提訴。選挙で敗れ場外乱闘へ。
(寸評:但し最初に場外に飛び出して、パイプ椅子を振り回し始めたのは、菅長官と安倍首相の方です)
「新自由主義の限界示した英EU離脱」から
…ロンドンに比べて地方の景況は低迷しており、本来はこうしたゆがみを是正するのが財政の役割だが、小さな政府を志向する保守党政権は財政再建を急ぎ、財政支出を削減した。その結果、マクロ経済が良好な一方で、格差など国内の社会問題を深刻化させた。福祉を受給する移民に対し公共サービスのただ乗り論が噴出。英国民は諸悪の根源をEUに求めてしまった。つまり、問題の本質は、EUとの対外的な関係というより、新自由主義的な経済運営によって生じた国内問題なのである…。
「欧米で始まった反グローバリズム。国家の分断と混乱は世界に広がる」イアン・ブレマーから
…主導する国が存在しないGゼロの時代。欧米で始まったアンチ支配者の動きは日本や中国にも広がるという。…英国では、他に何の選択肢も持たない国民が抗議の為の投票を目的に、離脱すればいいという政治的な声に傾倒する結果になった。トランプの支持者にしても、彼が何かを成し遂げるとは思っていないだろう。何もしてくれない既存の支配層に委ねたくはないという抗議のための支持である…。
(寸評:ブレマーの主張が100%正しいとは言えないまでも、「不満」を吸いあげる努力を放棄すれば、議会政治が機能しなくなります。加えて、日本では野党が受け皿足りないことを、もっと恥じるべきなのではないのでしょうか)
「英国EU離脱から何を学ぶべきか」から
…非正規社員の増加で、労働賃金は下がっているが、物価も上がってはいなかった。過去20年の経済実態はデフレというよりは、経済流動性が失われ均衡している状態だととらえられる。つまり実体経済は、低い需要と低い供給が均衡している定常社会にある。定常社会では企業は金儲け市議ではなく、リピート客を確実にひきつけながら生き延びていく、即ちゴーイングコンサーン(継続企業の前提)を主眼とするべきだろう。…大量生産、大量消費の時代が終わった今、付加価値の高い製品・サービスが必要になる。そのうえで、地域に根差し、周囲との関係を重んじる小商い型のビジネスが重視されることになる。実際、日本で100年、200年続いている企業は、どれも経済成長至上主義とは別の軸を持つ…。
「先進国が普遍主義から撤退し始めた」萱野稔人、から
…英、独、蘭、いずれの新興政党も極右と言われるが、政策の中身を見ると、単なる排外主義ではなく、自分たちのリソースは自分たちで使いたいという訴えだといえる…先進国で起きている現象を一言で言えば、普遍主義からの撤退だ。これまで先進国は、自国の利益を超えた普遍的な理念を実現するために働くという共通理解を持っていた。例えば、移民を受け入れる場合には人道的に対処し、軍事的に行動する場合は自由と民主主義を深めていくとしてきた。しかし、今それが崩れ始めている。先進国の普遍性からの撤退という事は、裏返せば、先進国の没落であり、相対的な地位低下だ。中国による南シナ海への進出が示すように、先進国以外の国が力をつける、これまでの秩序を無視した覇権的な振る舞いが出てくる。…だから不変主義からの撤退は実は大きい出来事なのだ。
「書籍紹介、オルテガの大衆の反逆」から
大衆人とは生の計画を持たずに、波のまにまに漂う人間である。従って、大衆人の持つ可能性や能力がいかに大きいにしろ、彼は何も建設しないのである。
(寸評:日本の選挙がまさにそれではないでしょうか)
「イタリアの銀行不良債権問題」から
40兆円。EU全体の23%を占める。次はフランス。その理由は中小企業向け貸し出しが中心であり、回収が難しかったこと、不動産価格が下落したこと、破産が認定されない限り引当金の控除が認められなかったこと。
510.社会民主主義。2016/8/17
ここでは常々、自分ではうまく整理出来なかった経済理論を、分かり易く、かつ俯瞰的に説明しており、
私としては目から鱗の落ちる思いであった。著者は東洋経済の中岡氏である。氏はこの論文の末尾で、
社会民主主義が再び立ち上がることを予言しており、新自由主義のアベノミクスの元で、それこそが私の
願う事でもある。なお引用が長くなるので、米国以外の記述は割愛させて頂いている。
特集/ビジネスマンのための世界史
新自由主義が限界に達した
社会民主主義はよみがえるか?
東洋英和女学院大学客員教授●中岡望
2016.8.13-20週刊東洋経済
共産主義体制の崩壊とネオリベラリズム(新自由主義)の隆盛の中で、色あせていた社会民主主
義の思想が蘇りつつある。共産主義と社会民主主義は、初期資本主義が作り出した過酷な現実に
対する批判として登場した。野放図な資本主義(レッセフェール資本主義)は労働者階級に過酷な
労働を強い、耐えがたい社会的格差を生み出すと主張した。共産主義は市場経済と私有財産制を
廃止して経済計画を国家に委ねることを主張し、社会民主主義は国家による市場規制や労働者保
護、福祉政策で資本主義を改良することを求めた。
やがてロシア革命が成功し(1917年)、大恐慌(29年)で資本主義の限界が明らかになると、先進国
で国家による市場規制、景気政策、社会政策が行われる混合経済体制が受け入れられるようになる。
"見えざる手"による市場調整の有効性を主張する古典派経済学から、政府の積極的な役割を主張
するケインズ経済学へと流れが変わった。戦後は市場経済と市場規制が組み合わされた混合経済が
先進国の規範となった。
だが1991年に共産主義体制が崩壊すると、社会民主主義は北欧などでささやかに生き続ける思想
になった。代わりに世界を席巻したのがネオリベラリズムの思想だ。ネオリベラリズムは自由競争
や規制緩和、小さな政府、自己責任などを旗印に、所得格差の拡大を正当化する論理が広く受け
入れられるようになった。
しかし、いまや先進国では所得格差の拡大が限界を超えた。米国大統領選挙の民主党予備選で、
社会主義社を自任する、バーニー・サンダースが本命のヒラリー・クリントンを追い詰めたのも、
こうした背景があったからだ。米国民は社会主義思想に強いアレルギー反応を示すが、サンダー
スの政策が労働者や若者を中心に広く支持された。クリントンが大統領候補に指名されたものの、
同党政策綱領には最低賃金の引き上げなどサンダースの政策が織り込まれた。
ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン教授は「現在の米国は所得格差が信じられない
ほど拡大したギルディド・エイジに戻った」と指摘する。ギルディド・エイジ(ギンギラギンの
時代)とは、19世紀の初期資本主義が繁栄した時代のこと。1937年に大富豪ジョン・ロックフェ
ラーが死亡した当時の財産総額は国民総生産の1.5%に相当するほど、有産階級と無産階級の
貧富の差は想像を絶した。労働者は団体交渉権はおろか組合結成さえ許されず、女性労働や幼児
労働、長時間労働、劣悪な労働環境にさらされ、失業保険や医療保険といった社会保障はないに
等しかった。
…米国でも、20世紀にはセオドーア・ルーズベルト大統領からウィルソン大統領の時代は「進歩
主義の時代」と呼ばれ、企業活動の規制、累進的所得税の導入、女性参政権などが実現した。
20世紀に入り、大陸欧州でも社会民主主義運動が本格化する。
…第1次世界大戦(1914〜18年)から大恐慌に至る期間、レッセフェール資本主義でもなく、ソビエ
ト型共産主義でもない中間の道が求められた。政府が市場に介入し、経済を管理する思想である。
スウェーデンでは1920年、資本主義の内部から改革を進めると主張する社会民主労働党が最初の
社会主義政権を樹立した。
大恐慌は資本主義思想に重大な影響を与えた。大恐慌を脱するためにドイツとイタリアでは国家
独占資本主義体制が取られ、米国ではフランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策が
採用された。ニューディール政策は景気政策というよりも、進歩主義の政策を引き継ぐ社会政策を
柱としていた。最低賃金制や年金制度の導入、労働組合の団体交渉権の承認、証券取引委員会設立
による市場規制、企業規制などが主な政策であった。すなわち、米国は市場経済と市場規制を組み
合わせた"混合経済"を志向したのである。
経済政策はケインズ理論に依拠し、市場の失敗を政府の介入が補うというのが基本的な考え方で
あった。同時に所得税の最高税率は90%台に引き上げられ、積極的な所得再配分が行われた。戦後の
米国社会は所得平等が実現したが、それはニューディール政策の結果であり、政府の福祉予算は
膨張を続けた。
【企業家の声が高まりネオリベラリズムが台頭】
戦後の欧米の共通認識は、レッセフェール資本主義を規制し、積極的に所得再配分を進め、雇用
確保と国民の福祉の増進を図るべきというものだった。また、中産階級の崩壊こそ、ファシズム
台頭の要因になったとの認識もあった。だが、そうした戦後の社会民主的なパラダイムは長続きし
なかった。
福祉国家はやがて財政の肥大化と硬直化を招き、市場規制が企業の活力を奪い、労働組合優遇政策
はコスト上昇を招いた。多くの先進国は低成長、高失業率、インフレに直面し、景気変動は制御
できると主張したケインズ経済学は色あせてきた。そうした危機的状況の中で、企業家は自己主張
を始め、市場のダイナミズムの回復を求め始める。そうした主張を受けて登場するのが、ネオリ
ベラリズムの思想だ。レッセフェール資本主義の復活である。
その先陣を切ったのが80年代に政権を担ったサッチャー英首相とレーガン米大統領だ。而者は規制
緩和、小さな政府、均衡財政、減税、自由競争、脱福祉国家、反組合主義、反共産主義など共通した
政策を掲げた。大陸欧州でもスウェーデンを除き、多くの社会民主党は後退を始めた。
ソ連崩壊もあり、ネオリベラリズムの政策は新しい世界の規範となって資本家は声高になっていった。
想像を超えるスピードで規制緩和とグローバリゼーションが進展し、レッセフェール資本主義がよみ
がえった。それは初期資本主義と同様に労働市場の規制緩和、労働組合の非力化を通して厳しい労働
状況を作り出し、貧富の格差も大幅に拡大した。
そして現在、貧富の格差は限界にまで達している。トマ・ピケティの『21世紀の資本』は所得格差
の拡大を分析したが、ネオリベラリズムの政策を採用した国での格差の拡大は顕著だ。そうした社会
情勢の中から、新たな社会民主主義の主脹が息を吹き返そうとしている。米大統領選挙予備選での
サンダース候補はその象徴である。資本家の傲慢は必ずしっぺ返しを食らうであろう。まさに歴史は
繰り返されるのである。
なかおか・のぞむ●国際基督教大学卒。『週刊東洋経済』編集委員、『会社四季報』副編集長、
東洋英和女学院大学副学長などを務めた。著書に『アメリカ保守革命』など。
511.保守主義とは何か。2016/8/17
保守主義が悪、リベラリズムが善という漠然とした評価には、実は何の根拠もない。
リベラル、特に新自由主義がどのようなものであるかは、本エッセイの510で述べているので、
ここでは保守主義とは何かを見てゆくことにしたい、
新書を解説している河野氏は、私の尊敬する経済専門家の一人である。
以下の解説を読めば、アベノミクスの保守主義が、実は保守主義でさえないことが
お分かり頂けるものと思う。
保守主義とは何か
反フランス革命から現代日本まで
宇野重規著 中公新書
【名ばかり保守が増えていないか考えさせられる】
BNPパリパ証券経済調査本部長 河野龍太郎
近年、保守を自認する人が増えている。しかし、単にリベラルでないというだけで、反動的、
復古調的な主張も少なくない。本書は、気鋭の政治哲学者が保守主義を平易に解説したもの
だ。過去の優れた保守思想に比べ近年劣化している、という危機感から筆が執られた。保守主
義の元祖でフランス革命と闘ったバーク、社会主義と闘ったハイエクやオークショット。大き
な政府と闘ったフリードマンやノージック、さらにネオコンや日本の保守までを網羅する。
保守主義が劣化したのはなぜか。保守主義が生まれた近代は、フランス革命を皮切りに人類が
自由や民主主義を追求した進歩の時代だった。保守主義はあくまで進歩主義への対抗理念であ
り、その対抗理念が急速に衰退したことで表面上、優勢にはなったが、位置づけそのものが大
きく揺らいでいるのである。
それでは保守主義とは本来どのような考え方か。バークらの初期の思想を元に、「具体的制
度や慣習を保守し、それらが歴史の中で培われたことを重視し、さらに自由維持を大切にし、
民主化を前提に秩序ある漸進的改革を目指す考え」と整理する。バークがフランス革錐を
非難したのは、人間の理性は限られ、抽象的理念を振りかざし歴史の試練に耐えてきた諸制度
を破壊することを問題視したためだ。社会は現世代だけで成立するのではなく、過去と現在と
未来のパートナーシップ事業なのである。立憲主義を忘れた名ばかり保守が増えていないか。
興味深いのは保守誕生の地が基本的に米英という点だ。保守思想はあくまで自由を前提とし
保守すべきもののために緩やかな改革を志向する。名誉革命後、自由を重んじる体制が早期に
確立した英国や、王制や貴族制が元々存在せず自由主義が建国の理念だった米国で生まれたのは
必然なのだろう。フランス革命では反動勢力は存在したが、現行制度を自覚的に保守しようと
する勢力は現れなかった。
明治維新や敗戦による占領で時代が断絶する日本では元々保守思想の成立は難しいとされて
きたが、かすかな源流として明治憲法体制に内包された自由の論理を漸進的に進めた伊藤博文
や陸奥宗光に光を当てる。これらは西園寺公望や牧野伸顕ら重臣的リベラリズムに連なるが、
超国家主義を前に思想的にも制度的にも脆弱で、結局、保守主義として機能しなかった。
羅針盤なき21世紀の時代に我々の知が有限であるとする保守主義の謙虚さは重要で、変革の
意欲を備えれば一つの英知となり得る。著者は開かれた柔軟な保守主義に可能性を見出すが、
増殖しているのは閉じられた運命論的な保守主義ではないか。
2016.8.13-20週刊東洋経済
512.映画の話題、ゴジラ。2016/8/18
何か月ぶりかで劇場で映画を見ました。シン・ゴジラです。シンとは新の意味なのでしょうか。足を運んだのは、日本の特撮技術がどこまで進歩しているのかを確認したかったからです。確かに進化していました。今回ゴジラが暴れるのは、武蔵小杉と、最後の大暴れが東京駅です。ミニチュアの街を作って踏みつぶすという原始的な手法では、現代の観客は納得しません。CGがメインですが、徹底的にリアリズムに拘っています。潰される車両も船も、本物としか思えません。破壊されるビルのスケール感もリアルで、ミニチュアでは避けがたいクローズアップやピンボケがなく、ビルの破片が大きすぎたり、飛び散る速度が速すぎたりもしていません。
俳優は日本人の中堅どころが総出演です。主役は長谷川博己と竹ノ内豊の二人です。女性陣では石原さとみですが、これが嫌味なハーフを演じており、英語を話すのはいいとしても、欧米人の発音とは違います。早口が災いして、そのままでは海外では通じないと思います。防衛相が女性というのも、偶然でしょうが、皮肉な設定です。
この映画を評して、エバンゲリオンを思い出すと言った批評家がいましたが、言い得て妙です。どこから来たのか、ひたすら進むだけで、何が目的なのか。破壊と人類絶滅の使徒なのか。冒頭のシーンで、目玉だけがやけに大きい不細工な怪獣が出てきて、這いずりまわるので、観客を馬鹿にしているのかと思ったら、実はこれが海に帰って2倍の大きさになって戻ってきます。水中なら自重で潰れて自滅するなどという御用学者(御用学者と言う表現が皮肉です)の説明も当て外れ。二度目の上陸では立姿になります。顔つきはハリウッドのそれではなく、オリジナルの日本のそれです。牙のかみ合わせが悪そうだなどというセリフもありました。
ただただ地上を突き進むゴジラに、首都圏であるにも関わらず自衛隊が攻撃をしかけます。お約束通り、銃弾もミサイルも、効果はありません、厚い皮膚に当たっては、金属音を立ててはね返るだけ。ゴジラ発生の原因は、各国の放射性物質の海洋投棄です。最初は口から放射能を吐いたりはしませんが、次第に体内にエネルギーを溜め込み、そのうちに炎どころか、背びれからもレーザー光線を放つ。東京駅周のビルも真っ二つ。ゴジラを動かしているエネルギー源は核融合反応なので、空気と水さえあればいい。しかも単性生物だから、放置すればどんどん増える。世界中が破壊されるのは時間の問題です。国連安保理は熱核兵器を使うという判断を下しました。どうする日本政府、どうする自衛隊。
冷却剤の投与方法にはいかにも無理がありますが、しかしそんなことを言っていたら、こういうパニック映画を楽しむことは出来ません。政府は対策本部を立川に移転するが、その時に、(私も使っている)多摩都市モノレールの基地が出てくるのが珍しい。また住民避難に政府があまり熱心でないのは違和感がありますが、これも国民軽視の現在の政府への皮肉なのかもしれません。
関連記事。シン・ゴジラが人々を惹き付ける理由。
http://toyokeizai.net/articles/-/131809
二本目の映画は、NHKBSが昨日放映した、「リバティ・バランスを撃った男」です。ジョン・フォードの名作で、私が自分の映画ベストテン(他には渚にて、ナウシカ、タイタニック、史上最大の作戦、スターウォーズ、アビスなど)に必ず入れる作品です。カラー全盛の時代に敢えてモノクロで撮影。ジョン・ウェインと、ジェームス・スチュアートの事実上最後の共演映画ではないか。悪役リバティ・バランスにはリー・マービン。これがシェーンのジャック・パランスだと冷酷すぎる。東部出身で、銃が嫌いな若い弁護士が西部の荒くれた町に来て、早撃ちの悪役と対決する。ただそれだけの映画です。私は学生時代に、この映画を、父親を連れて劇場で見ました。父親がリー・マービンのファンだったからです。今回改めて見て、かなり記憶と違っていました。しかもなぜかあの有名な主題歌があまり流れませんでした。今こういう詩情溢れる、重厚な映画があまり作られなくなりました。特撮と派手なアクションだけで、生身の人間が演じているというリアリティがありません。懐かしい西部劇と、古き良きアメリカを彷彿とさせる映画です。見て損はありません。銃の音が大きいが、45口径だから当然です。但しステーキの大きさが半端ではない。ヒロインには大人の美しさがあります。
513.WTWがいらない世界へ。2016/8/20
WTWがしていることは、時間さえあれば、誰にでも出来ることなのです。しかも記事を判断する編集者の頭脳レベルも、たいしたことはありません。ひいき目で言っても中の中です。即ち平均的日本人が作る、平均的日本人の為の情報サイトです。従ってWTWの特徴は、その普遍性にあるのです。その代わりに、特に目新しい記事はないと言われれば、それはその通りなのです。
だから重要なことはたった一つ。我々大衆にとって大事な情報(特に兆候)を、見落とさないことです。そうでなければ、書く方にとっても、読む方にとっても、単なる時間の無駄になるからです。今の日本に欠けているものは良識です。誰が考えてもおかしいことが、その場の言い訳だけで平然とまかり通っています。日本人が常識を取り戻すことがWTWの目標であり、WTWなどの存在価値がない世界こそが最終目標なのです。
競技環境や選手村の不備、治安の悪さから、期待もせず、盛り上がりも欠いたリオ五輪でしたが、その後の体操、テニス、卓球等が結果を出してきたので、気になり出しました。結果発表における、勝って当たり前の態度は不愉快ですが、勝っては泣き、負けては大泣きも、見ている方は居心地が良くありません。そんなに悲壮にならなくてもいいではないかと言いたくなります。先輩が手ぶらで帰るかどうかは先輩自身が決めることです。勝っても負けてもさわやかにいきたいところです。そうした点では、白井や美誠はあっけらかんとした印象さえあります。泣き笑いの世代から、ドライな世代へ。五輪の主役が代わってゆきます。
それにしても、今回に限ったことではないが、あの素人めいたヒーローインタビューだけは何とかならないものでしょうか。聞きたいことがあるのなら、あらかじめメモを用意しておくべきだし、選手が返答に困るような質問で、選手に恥をかかせたらインタビューの意味がなくなります。しかもプロとは思えないような噛み噛みの質問。外国のアナウンサーでは見かけないし、そんな醜態は一発でアウトです。そこで仙人がひとつコツを教えて進ぜよう。レポーターは自分を一ファンの立場に置くことと、選手は選手で、応援してくれた国民へのお礼と、対戦相手を祝福すること、そして勝つのが当然と言う態度だけは絶対に慎むことです。金が取れないから泣くというのは、悔しい気持ちは分からないでもないが、自信過剰の裏返しかもしれないのです。
涙が様になったのは、福原選手くらいです。その気持ちが国民には良く分かったからです。でもスポーツは実力と運の世界です。完璧なルールなどというものはないし、物理的な偶然もあります。だから試合に負けても勝負に勝てばいいのです。勝負に勝てばそれが次の試合に生きて、いつか勝利をもたらすのです。
514.改悪憲法に誰が署名するのか。2016/8/21
・天皇陛下の深い教養とノブリス・オブリージュ。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47662
(寸評:文芸春秋の9月号の、半藤と保坂の、天皇の退位に関する対談を興味深く読みました。これを読むと、平成天皇が、一流の有識者から、様々な知識と意見を聴取されており、しかもご自分の判断は決して表明されない=うなづきもなし、様子が述べられています。この記事だけが、私と同じ観点を僅かに共有しており、それは発表の時期が何故参院選の直後だったのかという点です。安倍政権の下で、戦争が出来る憲法が成立したとして、そこに署名するのは天皇ご自身なのです。平和主義の陛下ならずといえども、それほど意に反した公務など、絶対にお断りでしょう。まさに歴史に残る汚点になるからです。摂政制を否定されたのも、ご自分で責任を取るという強い思いと、戦時中の軍部のような=今なら安倍政権の、傀儡になるのを潔しとしなかった御心の表れだと思います。そういうお気持を全く理解しようとしないのが、ASAの三馬X大将です)
515.文芸春秋9月号、特集、戦前生まれ115人の遺言、から。2016/8/23
6人を厳選しました。
稲盛和夫
◎"耐える勇気"を持て
参院選直前である。安倍晋三首相は、憲法を争点とすることを回避し、選挙戦に確実に勝利することで、憲法改正に向けた歩みをより確かなものにしようとしている。またすでに、改正憲法の具体的な条文を議論する衆参憲法審査会を、秋の臨時国会から始動させる考えを明らかにしている。
世論においても、東アジア情勢の緊張とともに、日本は国家としての権威と存在感をもっと示すべきだという論調が次第に声高になりつつある。最近では、若い世代も共感を示し始めているという。戦争の悲惨さを知る世代の一人として、現在の憲法改正に向けた動きに、大いなる危険を感じてならない。
現在の憲法は、制定に様々な経緯はあったにせよ、第九条また前文を含め、素晴らしい理想主義を貫いている。改憲派はそれに対し、「我が国をとりまく情勢は緊迫度を増している。日本を敵対視する国家の信義に期待するのか」と批判する。
私はたとえ現実がいかにあれ、国家間の信頼をベースとして、平和主義を貫くという姿勢を、今後も堅持すべきだと考える。殴られそうだから殴る用意をするよりも、殴られないような毅然たる態度を示し続けることが、真に勇気ある民族が行うべき所作ではないか。また、それこそが北東アジアに恒久的な平和と繁栄を導く「王道」ではなかろうか。
今こそ「耐える勇気」が必要である。周辺国の挑発はあろうが、平和を心から愛し、専守防衛に徹する民族に、牙をむいて襲いかかる国は恐らくないだろう。最近の憲法改正論議は、そんな理想主義をベースとする耐える勇気よりも、「一歩前に踏み出す勇気」を強調する。しかし、その高揚した威勢のいい一歩が、国民と国家を再び奈落の底に突き落とす危険性があることを、心の底から理解しなければならない。
選挙権が十八歳まで引き下げられた。日本の未来を担う若い人たちが、自らよく考え、「真の勇気」をもって、平和で希望に満ちた未来を選び取ることを願ってやまない。
野口悠紀雄
◎先入観と固定観念
日本人は、ステレオタイプの浅い意見しか持てなくなった。
例えば政府経済政策の評価だ。最近になってこそ「アベノミクスは破綻した」と言われるようになったが、実のところ、最初から格別の内容はなかった。企業利益増も株価上昇も、ひとえに円安のためだ。そして、円安はアベノミクスの成果ではなく、世界的な投機資金の動きによるものだ。その証拠に、最近では世界経済の変化によって円高になり、その結果、昨年夏頃には二万円を超えていた日経平均株価も一万六千円台に下落した。アベノミクスは幻に過ぎなかったのだ。
日本銀行が国債を購入するだけで実体経済が改善することなどありえないとは、冷静に考えればすぐにわかるはずだ。だから、いまのようになることは、最初から予想できた。それにもかかわらず、新聞やテレビは、金融緩和によって日本経済が活性化すると囃し立てた。政府が言っていることを、そのまま鵜呑みにしたのである。
誰もが同じ意見だと冒頭で述べたが、こうなったのは、どのメディアも同じように平板なことをしか伝えないからだ。ニュースを伝える側が、先入観と固定観念に凝り固まっており、その範囲の意見しか受け入れず、異質の意見は切り捨てる。
例えば、「TPPやEUのような経済統合は正しい」という観念を疑わず、それを前提にした意見しか認めない。取材に来る若い記者に普通とは違う意見を述べると、驚いた顔をして当惑するだけで、全く理解してくれない。「FTAやTPPは貿易の自由に反する」とか、「日銀が金融緩和をしたというが、市場に流通するマネーはほとんど増えていない」と言っても、まったく理解されない。政府・日銀の暴走を許した第一の責任は野党にあるが、マスメディアの責任も大きい。
中島誠之助
◎原爆を落とされる国に誰がした
私は昭和十三年の生れだから日中戦争の真っただ中で確実な戦中派だ。ただし世代でいえば戦後焼跡派に属している。世代としての重要なことは、進駐軍の米兵を目の当たりにしてアメリカに対するあこがれと忌避の両方を持って育ったことだ。
東京がまだ平穏だった昭和十八年には、芝にあった伯父の骨董店の二階から山本五十六元帥の国葬を見物している。アッツ島の日本軍守備隊玉砕の話は聞かされていたが、まだ子供心にそれほど深刻なものではなかった。
身に染みて戦争のこわさを知ったのは、登下校の際に艦載機グラマンの機銃掃射を喰らってからだ。湘南に住んでいたものだから、夕方になるとB29爆撃機の大群が帯のように列を作り富士山の上空で方向を変えて飛んでゆくのが見える。
空襲で東京がやられ横浜がやられ、その夜は東の空が真っ赤になる。大人たちは黙って空を見上げている。喋ると警察にスパイ容疑で逮捕されるのだ。
サイパン島が陥落し日本人は全滅したという。沖縄に出撃した義烈空挺隊は、乗ってきた搭乗機を燃やしてから米軍陣地に突撃するのだという。日本人は全員が死ぬのだと聞かされ、ぜったい最後の一人にはなりたくないと思った。次々と殺し合えば死ねるが、最後の一人になったら誰も殺してくれないことになる。子供だから自殺を知らないわけだ。
マッチ箱一つの爆弾で都市が壊滅したという。敗戦で鵠沼海岸に上陸してきたアメリカ兵からガムをもらって甘さに驚き、米軍に接収された邸宅の裏口に並び残飯をめぐんでもらい飢えをしのいだ。
平和に暮らす人々が殺され住み家を燃され文化財を破壊し、何が大日本帝国だ。原子爆弾を落としたアメリカを責める前に、落とされるような国家に誰がしたのだ。
昭和を生きた私が言い残すことは只一つ、日本は絶対に戦争をしてはならないということだ。
保阪正康
◎江戸時代の軍事学に学べ
昭和史の研究とは戦争の歴史を知ることですが、調べるほど、当時の日本は軍事学や軍事論を持っていなかったことが分かります。その欠如のせいで、戦争に失敗したのです。
たとえば、アメリカの軍事学で重要なのは、自国に指一本でも触れたら絶対に許さないという姿勢です。真珠湾も、9.11のテロに対してもそうでした。フランスは直線的に領土を拡大する戦略と戦術でした。
明治新政府は当初、フランスの軍事学の導入を考えますが、日本には合わず、ドイツからメッケルを呼んで、陸軍大学校の教官にしました。皇帝のために参謀が率先して命を捧げることが名誉というドイツ式が、日本に向いていると考えられた。
明治十五年に軍人勅諭を出し、日本の軍隊は天皇に忠誠を誓います。
しかし、昭和になって軍官僚は思想や哲学の確立を一方的に兵士たちに求めるようになります。それが昭和十六年の戦陣訓です。「勝つことが天皇へのご奉公」「勝つまで戦え」という方向だけで突き進む。軍事学と呼べるような代物ではありません。惨状に歯止めをかけることもできなかった。勝つほかに戦争を終わらせる方法すら分からなかったのです。参謀も自らは死なず、兵士に死ぬことを求め、玉砕や特攻、本土決戦という無責任な発想が生まれた。狂気の沙汰でしかありません。
では、それ以前の日本に軍事学はなかったのか。江戸時代にはありました。二百六十余の藩は、密貿易で財を蓄えたり、武器を調違して隠し、幕府の内情を探りながら密偵に備えるインテリジェンスも行なっていました。有事を想定しつつ、生き残るための軍事学を練ったのです。幕府側にしても、二百五十年以上にわたって内戦も対外戦争もなかった政策は、高く評価されるべきです。
私は、いまの日本は軍隊を持たざるをえないと思うけれど、「日本の軍隊とはこうあるべきだ」という軍事学なしに、安保関連法などの整備ばかり進んでいくのはきわめて危ない。だから「江戸時代を範としよう。戦わないための軍事学を学び直そう」と言うわけです。日本の歴史の中には、日本人の英知が詰まっているのです。
杉良太郎
◎人間も動物である
人間は動物である。それを忘れてはならない。犬でもライオンでも、親がしっかりと面倒を見て育てる。ところが最近の人間の親は、産みっぱなしで、育てることを疎かにする。教育の放棄だ。なまじっか知恵があるものだから、やりたくないことには力を使わなくなってしまうのだ。
親の愛情を受けずに育った子はどうなるか。マナーも倫理観のかけらもなく、ただひたすら自分本位、自分さえ良ければよいという考えの大人になる。最近の日本にはそういった人間があまりにも多い。
私は十五歳から刑務所への慰問活動を行なってきた。少年院にも数え切れないほど足を運んだが、そこにいる子どもの90%以上が、親から十分な愛情を受けていなかった。
さらに最近の傾向としては、理解に苦しむ犯罪に手を染める若者が多い。かつては「家族を食べさせるため」「仲間を守るため」と、理由が明確であった。だが今は「相手は誰でも良かった」「死刑でいいです」。再犯率も高い。最悪なことに、国民もそれに慣れてきてしまっている。
家庭だけではなく、学校教育、社会教育の問題もある。特に教師の質の低下が著しい。かつてユネスコの特使を務めていた際に、教師の再教育機関が必要だと訴えたことがある。例えば四年ごとに賦験を行ない、不適だと見做せば容赦なく免許を剥奪する。教師という職業にはそのぐらい高いレベルが求められている。
親から子、子から孫へと、社会で生きていくためのルールをしっかりと教えていかなければ、この負の連鎖は止まらない。これから親になる人には、きちんと子どもを育てる自覚を持って欲しい。
森本毅郎
◎哀しき哉、NHK!
NHKを退職して三十二年経った。長年世話になった職場だから、今まで悪口は言わないと決めてきたが、私も喜寿を前にして残り少ない人生だから、あえて愛するNHKへ遺言を残すことにした。
私の在籍時代、ロッキード事件で逮捕された田中角栄元首相を見舞ったNHK会長の行動が問題となり、NHKの組合、日放労は「放送の自由を守る」闘いを展開。百三十七万人の署名を集めて会長を辞任へ追込んだ。私も画板を胸にハチ公前で署名活動に参加し、街ゆく人々と議論を交わしたものである。あの時、NHKには放送文化への熱い思いと、政治からの自立という強い意志が確かにあったと私は思う。
しかし、今のNHKはどうか。放送内容について会長は記者会見で「日本政府とかけ離れたものであってはならない」と言っているが、この姿勢が今のNHKを端的に象徴している。会長も経営委員長も時の政権寄り。外国メディアから「国営放送化しているのでは」と批判されるのも当然だろう。ニュース番組で政府広報そのままの政治部の女性記者の解説を聞く度に心が重くなる。これならいっそのこと受信料制度という民主的制度など止めて税金で賄う国営放送にしたらいい。
私がNHKにいた頃、視聴率などというものが話題になることは殆どなかった。良質の番組を、というのが共通の願いだったからだ。それがいつからか民放の下手な猿まね局になり下がってしまった。視聴率と受信料確保のために若者に迎合したのか。俳優やタレントを多用し、民放が使い古した手法を恥ずかしげもなく真似ている。何とも惨めである。青臭くてもいい。制作者たちよ、もう一度、「放送を文化に」と、呟いてほしい。
最後にお願い。夜七時のニュース、冒頭で男女のアナウンサーが示し合わせたようにお辞儀をし、顔をあげてから声を合わせて「こんばんは」というのは止めてもらえないものか。予定調和の極致で気味が悪い。
WTWがしていることは、時間さえあれば、誰にでも出来ることなのです。しかも記事を判断する編集者の頭脳レベルも、たいしたことはありません。ひいき目で言っても中の中です。即ち平均的日本人が作る、平均的日本人の為の情報サイトです。従ってWTWの特徴は、その普遍性にあるのです。その代わりに、特に目新しい記事はないと言われれば、それはその通りなのです。
だから重要なことはたった一つ。我々大衆にとって大事な情報(特に兆候)を、見落とさないことです。そうでなければ、書く方にとっても、読む方にとっても、単なる時間の無駄になるからです。今の日本に欠けているものは良識です。誰が考えてもおかしいことが、その場の言い訳だけで平然とまかり通っています。日本人が常識を取り戻すことがWTWの目標であり、WTWなどの存在価値がない世界こそが最終目標なのです。
競技環境や選手村の不備、治安の悪さから、期待もせず、盛り上がりも欠いたリオ五輪でしたが、その後の体操、テニス、卓球等が結果を出してきたので、気になり出しました。結果発表における、勝って当たり前の態度は不愉快ですが、勝っては泣き、負けては大泣きも、見ている方は居心地が良くありません。そんなに悲壮にならなくてもいいではないかと言いたくなります。先輩が手ぶらで帰るかどうかは先輩自身が決めることです。勝っても負けてもさわやかにいきたいところです。そうした点では、白井や美誠はあっけらかんとした印象さえあります。泣き笑いの世代から、ドライな世代へ。五輪の主役が代わってゆきます。
それにしても、今回に限ったことではないが、あの素人めいたヒーローインタビューだけは何とかならないものでしょうか。聞きたいことがあるのなら、あらかじめメモを用意しておくべきだし、選手が返答に困るような質問で、選手に恥をかかせたらインタビューの意味がなくなります。しかもプロとは思えないような噛み噛みの質問。外国のアナウンサーでは見かけないし、そんな醜態は一発でアウトです。そこで仙人がひとつコツを教えて進ぜよう。レポーターは自分を一ファンの立場に置くことと、選手は選手で、応援してくれた国民へのお礼と、対戦相手を祝福すること、そして勝つのが当然と言う態度だけは絶対に慎むことです。金が取れないから泣くというのは、悔しい気持ちは分からないでもないが、自信過剰の裏返しかもしれないのです。
涙が様になったのは、福原選手くらいです。その気持ちが国民には良く分かったからです。でもスポーツは実力と運の世界です。完璧なルールなどというものはないし、物理的な偶然もあります。だから試合に負けても勝負に勝てばいいのです。勝負に勝てばそれが次の試合に生きて、いつか勝利をもたらすのです。