「WTWオンラインエッセイ」
【第24巻の内容】
「民進代表選」
「ネトムチの台頭」
「オレオレ詐欺対策」
「驚愕の日米密約」
「自治会の高齢化」
「石橋湛山」
「足りないものは理想」
「蓮舫でなければいけないのか」
「ジュリアン・アサンジ」
「日本のアルマゲドン」
「アカデミー賞受賞作」
「腹立つわー」
「悪魔の手先かイヌ・アッチ・ケー」
「慎太郎を証人喚問に」
「聖域化の危険性」
516.蓮舫代表は10年早い。2016/8/24
蓮舫が無投票に近い形で民進の代表に選ばれそうな勢いです。でも私はこの人の力量と人間性が、この役割には十分だと思えないのです。一言で言えば、現時点でミスキャストであり、好意的に言っても、時期尚早です。なぜなら、私には蓮舫が、国民のために国会で体を張って戦う姿が想像できないからです。しかもこの判断には根拠があります。なぜならなりふり構わず戦う姿をこれまで見たことがないからです。女性議員としても、むしろ自民党の(お飾りの)女性閣僚に近い印象を受けます。過去の活動で覚えているのは、行革で、なんで二番では駄目なのかという質問をしたことくらいです。その後は何をしてきたのかよく分かりません。国会の中でファッションショウまがいの言動があったという記憶くらい残っていません。安保法制の時に、福山や辻元がつかいみあいの寸前まで戦っていた時に、蓮舫は何を国民のためにしてくれていたのでしょうか。代表戦に立候補した今でさえ、これという政策も、ビジョンがあるようには思えないし、例えあったにしても、それは国民には伝わっていません。
同じ民進の女性議員と比べても、見劣りします。辻元清美や山尾志桜里は、安倍首相を相手にして、議会で一歩も引くことはありませんでした。でも蓮舫が同等以上に、国会で安倍首相とやりあう姿は想像出来ないのです。だから国民から見て、この人に是非とも代表になってほしいという強い理由がないのです。代表はただ何となくでは駄目なのです。いま野党に国民が求めているものは、安倍政権の暴走を、体を張ってでも食とめてくれる野党第一党なのです。そのためには国会で安倍首相と対等に議論出来ることが最低限必要なのです。だからこそ、なりふり構わずに既存勢力(都議会のドンなど)と戦う姿勢を示した小池を、都民は知事に選んだのです。
蓮舫が代表になれば、一番喜ぶのはほかならぬ安倍首相なのです。岡田以上に組みしやすく、御しやすい相手だからです。民進内部の各派が蓮舫支持に動くなかで、さすがに元維新の江田だけは態度を保留しました。百歩譲って、蓮舫が調整型の政治家だとしても、蓮舫が辻本や山尾のような論客とうまくやっていけるのでしょうか。贔屓人事にして、無用な摩擦が生まれないと言い切れるでしょうか。調整では、人間の器量、即ち人間性が物を言います。それは広義のリーダーシップです。
昨日の記者会見で、蓮舫は、岡田はつまらない男だと、冗談とも自己アピールともつかないことを言いました。虚勢を張ったにしても、ほかに言い方があるでしょう。基本的な教養の不足を感じます。政治の主役は自分ではなく、あくまで国民なのです。選挙は人気投票ではないのです。そもそも無為無策でやってきて、挙句与党に改憲議席を許したことさえ、未だに反省していない岡田執行部の一員だったのです。その責任の一端を感じているようにも見えません。この点では枝野も同罪です。蓮舫が代表になれば、野田や長島を切るどころか、岡田を含めた彼らの操り人形になる可能性が大きい。しかも岡田と同じように、責任感のない代表になる可能性が極めて高いのです。
いくら化粧直しをしても、党内を刷新しない限り、民進が衆院選で回復不能のダメージを受け、日本の政治の歴史から姿を消すのは時間の問題なのです。そういう危急存亡の時なのに、民進党内は相変わらず危機感が希薄です。小沢が打ち立てた二大政党制の枠組みにやっと支えられているだけだという体たらくなのに、その認識さえないのです。体裁だけ変えればいいという安易な考えで、蓮舫を代表に推しているようでは、所詮駄目で不要な政党なのでしょうか。
もう一度言いますが、小池が知事になったのは女性だから(だけ)ではないのです。自民党と戦う姿勢を示したからです。無論今後はどう転ぶか分からないし、安倍首相といつ手を握るか、私など不安でならないのです。与野党の女性政治家達が、見栄と権力欲だけで、日本の政治を(ゴジラのように)破壊してゆくシーンなど、見たくはありません。長生きはしたくないものです。
517.ネトムチの台頭。2016/8/25
私は政権批判どころか、権力ヨイショの巨大メディアと、孤独でささやかな戦いを継続しています。しかしその忙しい時に、もう一つ立ち向かわなければならない相手が出来てしまいました、それはネトウヨならぬ、ネトムチです。ゴシップ報道に熱狂し、誹謗中傷を書き散らし、ネットを炎上させる。匿名のくせに、自分たちが世論を代表するかのように振る舞う。一言で言えば、教育、収入の多寡と無関係な、「無知」な大衆です。一見普通の市民であり、話してもそれほどおかしくはないのですが、心の中に火種を抱えていて、しかも其れに気が付いていない人達です。彼らはいったん頭に来ると、我を忘れて暴言を吐き散らします。この場合、ネットがキチガイにおける刃物の役割を果たします。そこにあるのは教養と自制心の欠如です。
これは数が多いだけに、偏向した権力者以上に危険な存在です。その特徴は、感情的、短絡的であることです。極端な言い方をすれば、集まってきて裁判もせずに、吊るせ、やっちまえと叫ぶ、西部開拓時代のようなものです。日本でも過去にそういう人たちがおり、大日本帝国陸軍の侵攻作戦を熱狂的に支持したのです。
こういう人たちが一度政権に歯向かえば、それはそれで厄介な存在なのですが、政権にとっては、これを管理(コントロール)することは、それほど難しいことではありません。政権に不利な情報を流さないように、メディアを手なずけるのです。但し全メディアに政府のいう事を聞かせることは事実上できないし、それはそれで猛反対につながるので、主なところを抑えておけばいいのです。その端的な例がNHKと三大新聞です。NHKはトップを指名しました。そうでないと言い張ってもそれは無駄です。なぜなら国民はとっくに知っているからです。いまや続投のために暗躍している問題会長が、日本の公共放送の頂点にいるのです。これでは日本のジャーナリズムが腐敗しない方がおかしいのです。読売はもともと右より(よく言えば保守的)なので、放っておけばいいが、リベラルな朝日は時としてうるさいので、いちゃもんをつけて社長を交代させました。毎日だけは論調を維持しているので、その代わりにTBSに嫌がらせを続けています。
ネトムチに話を戻すと、その背景に、読書週間の欠如、論理的な思考習慣の不足があります。或いは自分の意見をまとめて、理路整然と説明する技術の欠如です。一言で言えば、感情で動くという事です。更に強い言い方をすれば、最近頻発している、路上で刃物を振り回す無差別殺人(あるいは傷害致死)事件の犯人の精神状態にかなり近いものさえ感じるのです。ではそういう、すぐにキレる人達にどう対応したらよいのでしょうか。実は私にも全く見当が付かないのです。その特徴は結構群れたがることです。いうなれば日本版KKKです。また今ほど倫理面で、宗教が無力であった時代もないような気もします。
別の観点でこの社会現象を見た時に、例えば投票率が5割しかないという現実があります。政治に無関心で、選挙に行くのは面倒でも、ネットに書き込むのは歩きながらでも出来ます。この選挙に無関心な5割が、私には、そこからどんな怨霊や妖怪が飛び出すか分からない、巨大な闇のように見えるのです。日本という国が、(良識ある)市民による人治が望ましいものの、やはり理性の極致である法治の枠組みも持っていないと何が起きるか分からない、それを突き詰めれば、憲法がいかに大事かという事になると思うのです。
ネトムチが、自ら意識しないままに、政権に都合の良いように操られて(例えば、政治問題から、芸能界のゴシップに注意を向けさせる)、その結果、国民が動くべき時に、正しく反応できないままに、やがて国民が主権を失う闇黒の時代がやって来る。これってナチスそのものではないでしょうか。ネトムチ変じて、その次に来るのがネオナチならぬ、ネトナチの時代です。ナチスは極端な差別主義で、障碍者には安楽死をがモットーでした。相模原事件の犯人が影響を受けたと思われます。ネオムチが群れて、差別的な言動を始めた時が、日本にとっての赤信号です。
518.オレオレ詐欺対策。2016/8/26
・特殊詐欺の携帯に妨害電波。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160825-00000069-jij-soci
解説:一昨日、拙宅にもオレオレ詐欺の電話が掛かってきました。近所に住んでいる親戚の学生を装ったもので、発覚と同時に警察に通報。パトカーの緊急広報車が地域を巡回する騒ぎになりました。警察=担当は生活安全課、によると、関西の暴力団が出稼ぎに来ているのだそうで、そのノルマが500万だそうです。なお皆さんに気をつけて頂きたいことは、詐欺が二段構え、三段構えになってきていることです。
まず若い男の声で、トラブルに巻き込まれて金が必要という所は従来通りです。そこで大抵詐欺に気が付くのですが、気が付かないと、次に金を用意してほしいとなり、更に受け渡し場所を指定してくるという手順です。途中で詐欺がばれると、相手には次の手があります。それは、直後に、警察を名乗る男から電話が掛かってくるのです。今タクシーで移動している三人組がいるという通報があった。お宅の電話番号を言っていたので、注意してくれ。彼ら=お前だろう、は銀行と結託して、お宅の情報をつかんでいる、そういう時は、すぐに110番通報して欲しい=お前が110番だろう、生年月日はいつか、預金はいくらあったのかと聞いてきます。
ここで、例えば500万あったが、大丈夫だったと答えると、次に口座番号を聞いてくるか、または詐欺が第3段階に進みます。更に後で、弁護士や役所の職員を名乗る電話が掛かります。お宅はいまトラブルに巻き込まれている、口座番号を教えてくれとか、トラブル解決のために、金を用意してくれという話に発展します。
いまは掛かってきた電話の番号を表示する電話機が多いと思うので、とにかく番号を控えることです。特に警察の電話番号は下4桁が0110なので、今回もそれで詐欺だと分かりました。自分の住んでいる地域が、最近防犯活動への協力から、警視庁の感謝状を頂戴しており、地域の代表として何度か警察と連絡を散り合っており、警察の番号を知っていたのです。親戚にもすぐに電話をして、電話番号を確認しています。この警察を名乗る二番目の電話が曲者で、既に警察が知っているという振りをすることで、警察への通報を阻止する目的もあります。でも番号から、警察ではないことが分かるのです。
ところで警察への通報ですが、迷わず110番です。都内のセンターにつながるので、そこで事情を話すと最寄りの警察につないでくれます。下手に最寄りの警察の番号を探したりすると、間違えるし、時間も無駄になります。
電話番号を控え忘れても、電話機には着信の履歴が残っているので、後で電話番号を呼び出すことができます。我が家では、いきさつを何度か説明するなどで、かなり時間を取られました。警察に聞くと、同じ地域で既に500万ほど、被害も出ているとのことでした。我が家では過去2回ほどこの手の詐欺を経験しています。最初の一言で詐欺と分かったので、相手が金の要求を言い出す前に、機先を制して、いくらほしいんだ、2千万もあればいいのかと言ったら、いきなり電話を切られたというケースもあります。実害はないものの、不愉快です。警察は、そういう金が麻薬や覚せい剤の仕入れに使われて、社会に害悪をもたらすので、絶対に払わないで欲しいと言っていました。
思い込みが一番危険であり、とにかくいったん電話を切って、正しい番号にかけ直すことです。相手は、電話を忘れてきたので友達の電話で連絡していると、(間違いなく)言うでしょう。それでもとにかく電話を掛け直すことです。それは催眠術から覚めて、我を取り戻す時間が必要だからです。我が家の場合は、親戚の親の名前を答えられなかったので、偽物と確信しました。頻繁に顔を合わせたことのない相手だと声だけでは判別出来ません。昔飼っていたイグアナの名前でもいいし、どこにあざがあるかでもいいし、或いはケイマン島に30億あるので、3日後に成田で渡す=こちらは行く気はない、でもいいし、いったん「こちらの」頭を冷やすことです。受け渡しの話になったら、角の交番の前や、郵便局や銀行の「中」=警備員がいる、での待ち合わせが良いと思います。ATMの前に防犯カメラはありますが、第三者が見ている場所の方が安全です。無論、実際に出掛ける前に、警察に連絡して、張り込みを依頼しておくようにします。
繰り返しになりますが、何が危ないかと言うと、思い込みです。自分で自分に催眠術を掛けてしまうことです。とにかくいったん電話を切って、かけ直すこと。これに尽きます。もう一つ大事なことは、自分一人で問題を抱え込んで、自分だけで処理しようとしないことです。自分が当事者になれば慌てるし、一人暮らしだと相談が難しいのは分かりますが、この場合でも、三人よれば文殊の知恵なのです。
519.驚愕の日米密約。2016/8/28
「朝日ジャーナル緊急復刊7月7日発行」
白井、矢部対談、天皇と在日米軍、抜粋
昨年9月の安保法制の成立は、66年前の日米の"指揮権密約“に原点があった。天皇家と米国の本当の関係とは。未だに在日米軍に従属せざるを得ず、"永続敗戦”から抜け出せぬ日本の闇を、白井聡氏と矢部宏治氏が徹底検証した。
矢部 この時期に朝日ジャーナルが復刊するのは、非常に大きな意味があります。というのもいま私たち日本人が一番直視しなければならない「日米間の最大の闇」について、35年前に大スクープを放っだのが、まさにこの朝日ジャーナルだったからです(1981年5月22、29日号「日米会談で甦る30年前の密約」)。 その闇の名は「指揮権密約」。簡単に言うと「戦争になったら、日本軍は米軍の指揮下に入る」という密約で、現独協大学名誉教授の古関彰一さんが米国の公文書のなかから発掘されました。52年7月に、当時の吉田茂首相が、米国極東軍司令官のマーク・クラーク大将と口頭で結んでいたことがわかっています…
矢部 2010年6月2日、辺野古の新基地建設に反対した民主党(当時)の鳩山政権が崩壊しました。わずか9カ月前に圧倒的な民意によって選ばれた政権が、明らかに危険な外国軍基地をたった一つ動かそうとしただけで、官僚や検察、メディアから総攻撃を受け、無残な終わり方をした。それで怒りにまかせて調べていくと、現在の日本は、まだ「法的に占領状態が継続している」という驚愕の事実がわかりました…
矢部 ようするに「戦後日本」という国の根幹に、「米国との軍事上の取り決めは憲法を超える力をもつ」という法的構造があるわけです。の問題守考える上で避けられないのが、指揮権密約なのです。
この密約が結ばれたのは、占領終結直後の52年7月ですが、実はその2年前、50年!0月に米軍自身がつくった安保条約の原案に、すでに次のような条項が書かれていたのです。
@この条約(安保条約)が有効なあ いだは、日本は軍隊を創設しない。 ただし、米国政府の決定に完全 に従属する軍隊はその例外とする。
Aその軍隊は、戦時には米国政府が 任命した最高司令官の指揮下に入る
Bその軍隊は日本国外で戦闘はでき ないが、前記の(米国が任命した) 最高司令官の指揮による場合はその例外とする…
矢部 その理由は当時、米軍が苦境に立たされていた朝鮮戦争で、日本に戦争協力をさせる必要があったからでした。しかし、さすがに日本の軍隊の指揮権を米国が持つという条項だけは、オモテの条文に入れることができなかった。無理に条文化したら、「もっとも親米的な吉田政権がおそらく崩壊してしまうだろう」と公文書に書かれています…
矢部 だから米国からの従属を脱するには、安保条約と地位協定だけでなく、そのウラにある密約までをトータルに考えないといけない。
白井 戦争に負けた日本は、米国の支配下に入ることは避けられなかった面もあります。それにより、戦後は経済活動に集中し、繁栄を実現した。軍事的従属と経済的繁栄はバーターだった。
矢部 指揮権密約の存在さえ隠しておけば、それは冷戦期には日本にとって非常に都合のいい体制だったわけです。アメリカからは手厚く保護され、憲法9条をタテに海外派兵さえ拒否していれば、日本人が実際の戦闘に加わることもなかった。そうした構造を政治的に維持・管理するために誕生したのが自民党という政党なのです。一般的に、60年に旧安保条約を改定した岸信介首相(当時)は、米国からの独立を部分的に達成したと考えられていますが、実際には、そうしたとんでもない軍事的従属体制を法的に固定化する役割をはたしたといえます。
白井 岸による60年安保改定には、二面性がありますね。一つは、不平等条約だった旧安保条約を対等な関係に近づけた。一方で、矢部さんの言うように、日本の対米従属を固定化させた…
矢部 基本的に岸が変えたのは、安保条約のオモテの「見かけ」の部分だけ。それは米国もよくわかっていて、当時の駐日大使からワシントンに送られた極秘電報には、日本側が望む改定は「見かけ(アピアランス)だけのもの」と書かれています…
矢部 日本の占領統治の成功は、昭和天皇の存在が大きいですよね。
白井 そうですね。日本研究者のジョン・ダワーは「イシベリアル・デモクラシー(天皇制民主主義)」と言っています。これはもともとはマッカーサーが使っていた言葉です。終戦前後の米国の認識は、天皇制は中立的で、良いものでも悪いものでもないと考えていた。いわば、空のビンのようなもの。そこにはファシズムという毒薬も入るが、「民主主義」を入れることもできる。だから、終戦後に天皇制というビンを使って、日本人に民主主義を与えようと考えた。ただし、今後もそれが続くとは思えません。江戸時代でも、徳川家支配が長くなると、天皇家よりも徳川家の方に権威が移っていった。現代の日本の状況も、それに似ています。
今、「保守」を自称する人たちは、とてもじゃないが勤王精神があるとは思えない。むしろ、米国を崇拝す.る「勤米精神」の方が強い。保守系の論客が天皇の言葉を批判している。自民党の政治家も、米国の方だけを見て政治をしている。
矢部 今の自民党の政治家は、米国と交渉することは完全にあきらめていますね。ただ従うだけ。指揮権密約や地位協定などの明らかな「不平'等条約」の改定についても、まったくやる気がない。
白井 歴史的な経緯もふまえた大局的な絵を描く能力も意欲もない。逝去には自民党の中でも「保守本流」と呼ばれていた政治家はハト派で、護憲派も多かった。その政治家たちは、米国に従属せざるを得ない日本の状況を理解しながらも、憲法9条を盾にして、その軍事的要求をかわしてきたわけです。朝鮮戦争もベトナム戦争も、最低限の協力で抑えてきた。
矢部 過去の自民党の政治家が密約を精密に知っていたかはわかりません。しかし、本能的には理解していだと思う。だから決定的に国益を損なうような要求には、激しく抵抗する大物政治家たちがいた。
白井 私は、日本が敗戦の事実を否認しながら米国の従属下にある体制を「永続敗戦レジーム」と呼んできました。この体制の歴史は、三つの時期に分けられると思うのです。まず、敗戦から60年の安保改定までが対米従属体制の「確立期」。それから冷戦崩壊までの89年を「安定期」。この二つの時期は、原則として日米両国の国益が一致していた。そのなかで親米保守政権の支配も安定していた。
ただ、安定期の終盤から日米の利益が対立する場面が増えてきた。経済面で衰退する米国に比べ、日本の経済成長は止まらなかった。冷戦終結前後で対米従属の合理性がなくなりましたが、日本はそこから脱却しようとしなかった…
矢部 本当の意味での独立を日本は果たさないといけない。密約の構造は複雑ですが、変えることは決して不可能ではありません。実態を知れば、だれがみてもきわめて不平等な法的関係が存在するのですから、きちんとした政権をつくって(さすがに朝鮮戦争の時代にできた戦争協力.体制だけは、もうやめさせてほしい)と言えばいいだけです。それを「いやだめだ。この軍事的従属体制は永遠に続けるのだ」とは米国捌も絶対に言えないと思います。
ドイツは東西冷戦が終わった時に、米軍との関係を清算しました。今ではドイツ国内の米軍はドイッ国内法の制限下にあります。 日本も、ドイツモデルを参考にして、真の意昧での独立を成し遂げるしたたかな戦略が必要です…
矢部 沖縄の事件を受けて地位協定の改定を求める声が高まっても、安倍首相は「相手があることだから」と言うだけです。外交に。相手がある」のは当然でしょう。一体、何を、言ってるのか(笑)。世界で最も不平等な条約である日米地位協定や指揮権密約に指一本触れられない首相が、憲法を改正していいはずがない。
白井 明治維新から第2次世界大戦の敗戦までが77年。今年8月で戦後71年ですから、あと約6年で日本近代史の前半と後半が等しくなる。その観点から考えても、今の日本の状況は2度目の「敗戦」を迎えてもおかしくない状況にあります。その時に「護憲」か「改憲」かという従来の対立構造を超えて、永続敗戦の戦後史を終わらせる新しい権力をつくらなければなりませんね。518.オレオレ詐欺対策。2016/8/26
520.自治会の高齢化。2016/9/1
朝日新聞8月17日朝刊 オピニオンから
▼6月5日付掲載の投稿
(要旨)高齢化する自治会役員が苦痛 主婦 古屋園子 (山梨県 86)
自治会の役員の当番が、また回ってきた。この町に住んで50年以上。世帯数が減り、最近は4年に1度ほど回ってくる。足が悪くなり、市の広報の配布などに回るのは苦痛だ。戸数は昔より減ったが、独り暮らしの高齢者が増えた。私も夫亡き後の26年間、独り暮らし。勤め人のお宅もそうだが、在宅を確認して行かないといけない用件もある。
役員会も毎月、夜にあり、公民館まで転ばないよう気をつけて歩く。昼間にしてほしいと他の役員に言ってみたが、蕪理だという。任期の1年は短いようで長い。冬揚、雪が降ることもある。役員会にきちんと参加できるか、今から心配になる。
私自身は要介護認定を受けていないが、娘が身体障害があって施設に入居している。やることはたくさんある。しかし、役員をいやだと言いたくても、お互い様なので仕方が無い。独り暮らしの高齢者世帯が増える中、自治会を維持していくため、何か良い方法はないだろうか。
自助・共助を支える最後の砦 蕪職 朝野静夫 (大分県 84)
ご投稿にあるように、私の自治会も高齢化し、役員は70代、80代が務めている。昔は60代の定年退職者がやってくれたが、年金の支給閉姶年齢が延び、働き統ける人が増えた。仕事を理由に役員を断る人も多い。仕事が大事なのは分かるが、自治会活動も大切にしてほしい。
自治会は自助・共助を支える最後の砦だからだ。大地震など災害が発生した場合、行政による救助や細かな住民支援はすぐには行き届かない。その間に力を発揮するのが、住民同士の助け合いであり、核となるのが自治会だ。
住民の生命と財産を守るため、自治会の役割は大きい。行政と一体となり、いつ起きるか分からない災害への備えを進める重要性は、全ての世代に共通している。70代、80代の高齢者だけに任せるのではなく、一入でも多く、若い入に役員をやってほしい。
体力的に無理免除の規定を 主婦 郡登志子 (大阪府 81)
団地に入居したのは27年前。入居後すぐ自治会に入り、規約に従って役員をした。当時は若く、順番制やくじ引きで役員に決まれば、 できる限り応じた。
しかし高齢になると、体力、気力、はたまた能力的にも役員の仕事は苦痛以外の何ものでもない。役員改選の時期は自治会を脱会したいとさえ願い、体調の悪い時など、転居も真剣に考えた。
もちろん、世の中には年齢に関係なく、むしろ積極的に役員を引き受けて下さる方もいる。しかし各家庭には事情がある。ご投稿者のように、高齢だったり、介護をされていたりする湯合は、規約を改正して免除してあげて欲しい。
人は誰でも年を重ねる。若い時にできていたことも、できなくなる。でも、老後も住み慣れた所にいたい。自治会をよりよく維持するためにも、ぜひとも高齢者の役員免除規定を採り入れて欲しい。
役員やれば地域が身近になる 無職 松坂年造 (愛知県 69)
私は企業を定年退職するまで、地域との関わりはほとんどありませんでした。しかし長老格の方に推され、この春まで2年間、自治会長を務めました。
約350世帯のうち、半分ほどが高齢世帯です。役員のなり手が足りない状況はご投稿と同じですが、私は役員を経験してよかったと思っています。
例えば、こんなことがありました。5年ほど前から、新興住宅地の住民が増えていますが、昨年、「家の周りに防犯灯が足りず、夜は暗くて困っている」と相談がありました。自治会の予算で設置すると、大変喜ばれました。
私は役員の仕事を通じて、地域の人たちとのつながりが増え、地域の問題を身近に考えるようになりました。より良い地域づくりのために、役員を面倒だと思わず、多くの方に経験して頂きたいと思います。
縮小できるものは縮小すべきだ 無職 宮沢武史 (東京都 54)
私は自治会で副会畏をしています。我が自治会も高齢者が多く、役員を務めるのは負担との声が出ています。「会費を割り増しで払ってもいいから、役員は免除して」という方もおられます。自治会の行事は、役員だけでなく高齢の一般会員にも負担です。準備するのも夢加するのも特に大変なのが、年に1度ある自治会対抗のスポーツ大会です。
高齢者が多くて希望者が足りないので、人は出せないと断ることも考えなくてはならないと思っています。私たちの地域にある高校に通って来る生徒など、ボランティアを募って参加を頼むことも選択肢の一つだと考えています。
自治会は、地域の人の集合体です。高齢化が進めば、自治会の姿も変わって当然です。毎月の寄り合いの回数を減らすなど、縮小できるものは縮小していくべきではないでしょうか。
活動の取捨選択も必要 玉野和志 首都大学東京教授
住民が無理のない範囲で自発的に出来ることをするのが、自治会の本来のありかたです。過重な負担に苦しむ住民たちが合意すれば、自治会をなくしてしまうことも可能です。
しかし、災害などいざという時に助け合い、何かあったときに共同で対処できる自治会は、やはり必要です。ただ、無理な活動を続けて自治会が疲弊し、脱会する人が出てしまっては、本末転倒です。
住民が負担と感じるのなら、広報の配布など、行政の下請け仕事は断ってもいい。地域のイベントをやめてもいい。削れるところは削りましょう。
情報交換の場を年に数回もつなど必要最低限の活動に絞れば、仕事で忙しい若い世代も参加しやすい。各自治会の実情やニーズに応じ、活動を取捨選択するといいと思います。
521.石橋湛山。2016/9/1
全てのTV番組の中でも最良の番組、NHKBSの、昭和の選択の石橋湛山編で、出演者が指摘した言葉が印象に残りました。ちなみに最近号は稲むらの火の濱口梧陵です。言論統制で、最も危険なものは自主規制である。現在も同じ状態にある。沈黙は金ではなく悪だ、というものです。また湛山が社主だった東洋経済は、言論統制下で、現実に合わせた言論活動(ゲリラ戦法)を続けた。その湛山のジャーナリストの志を、同社は今でも堅持しているように見受けます。湛山は現代の戦争に奇跡はないと言いました。安倍首相は経済で奇跡を待っているようにしか思えません。
湛山が計画した訪中計画も、湛山の後で首相になった岸信介は、米国に配慮して猛反対しました。日中国交正常化は田中の手で実現されました。湛山の核なき平和の思想は、岸や佐藤や、その後の安倍ではなく、田中や小沢に引き継がれているように思われます。湛山が主張した、国連を中心にした世界平和の構想を聞き継いだのは小沢です。それに比べて、岸が強行した日米安保条約は、国民的な反対運動に発展し、学生の死者まで出しました。そしてその思想は現在の安倍の安保法制や、改憲の動きに引き継がれています。
私たちは自分の眼で昭和史を勉強しなければなりません。知識と勉強だけが、ネトウヨやネトムチだけが罵声を上げる、知性の荒廃したサムイ日本で、教養ある(educated)市民が、正気を保つ唯一の手段なのです。そしてそれが、戦火に散った300万人の日本人の無念の遺志を、伝聞や個人的な記憶としてではなく、知識や一般教養として後世に伝えてゆく方法なのです。
また番組では、イデオロギーとナショナリズムは別であると指摘しています。イデオロギーはロジックなので、議論ができるが、ナショナリズムは感情論であり、それが宗教と結びついて世界を混乱させている。例えばISがそうです。安倍政治が代表している日本の空気は、イデオロギーではない。即ち右翼の思想でさえないナショナリズムです。言論の自由と民主主義のためのささやかな戦いが続きます。
522.足りないものは理想。2016/9/3
ペンは剣より強い。それがWTWの最後の拠り所です。
ダッカで7名の日本人が殺害されたラマダンの時期に、ISは世界中で399名を殺害しました。ISに対してなぜ国連軍が結成されないのでしょうか。非人道的なシリアのアサド政権に対する国際的な制裁も必要です。一方で拒否権を持つ中国が、北朝鮮のSLBMに技術供与しているとも伝えられます。是々非々で判断出来ない国連なら、存在理由がありません。
もはや米国一辺倒、しかも国内では右傾化一辺倒。そんな単細胞的(というより思考を放棄した無責任な)発想では、日本はいかなる国からの尊敬も得ることは出来ず、従って日本の国際外交も意味を成さなくなります。世界に例のない、世界に誇れる文化遺産の平和憲法を軸にした、ゆるぎない平和の理念を元に、世界平和の理想を目指す。武装中立か、非武装中立かについては、議論はあるものの(テロが横行する現状では、完全非武装は幻想だと言われる可能性が高い)、少なくとも核兵器に代表される、大量破壊兵器を持つべき理由はどこにも見当たりません。なぜならそれは完全に自衛と局地戦の範囲を超えた武器だからです。
抑止や、恫喝の為に大量破壊兵器を保有するというのは筋が通りません。抑止効果は、捨て身のテロリストにとって何の意味も持たないからです。武器に頼らない、或いは身代金(取引であって問題解決ではない)に頼らない対策を、真剣に考えなければテロの防止も壊滅も出来ません。
武器を持つという事は、その武器が他国に対して暴発したり、自国民に対して使われるリスクを抱えているということも意味しています。しかもそういう自傷行為=国内での武器使用、は民主主義が機能していない(例えばほぼ独裁政治の日本など)国ではいつでも起こり得ることなのです。政治の暴走を抑制する機能がないからです。ゆえにそういう国が過剰な武装を持つことは、非常に剣呑(危険)なことです。例えば米国が独裁政権になったら、世界にとってどれほど恐ろしいことかを想像すれば分かると思います。
民主主義体制でない国(西欧を除く多くの国がそれです)には自浄作用が期待できないので、その国の国民の為にも、武器輸出は控えるべきです。日本の武器三原則も、そうした理念の下に70年間運用されてきました。それが安倍政権では、いともあっさりと投げ捨てられました。ここにも理念と理想のない政治家達の、企業の利潤優先の、情けない姿が浮き彫りにされています。
平和憲法の理念は一見非現実的で、時代遅れなようでいて、実は最も新しいのです。いま日本で一番足りないものは理想です。政治的宗教的信念は、価値観の違いと、思想信条の自由から、実行段階でいかようにも解釈、言い訳ができてしまうので(ISの言い分のように)、その先にある理念と理想が一番大事なのです。国民が日々の労働にくたびれ果てて、考える時間も、意欲さえも失くしているのは、日本と国民が向かう方向が見えない(安倍政権では権力者に都合の良いような政治的信念しかない)からなのです。
現状にどっぷりつかり、権力者の権益の保護だけにまい進する政府のどこに理想があるというのでしょうか。株の相続には税を軽減し、持ち家の相続には非課税限度額を引き下げる。私たちは一見バラバラの個々の現象(トレンド)の底にある政権の非民主的な、もっとはっきり言えばどす黒い意図に、もっと敏感にならなければならないのです。そのときの拠り所が、理想を明文化した、他ならぬ日本国の平和憲法です。そして平和憲法の先にしか、世界平和はないのです。
523.蓮舫でなければいけないのか。2016/9/5
毎日新聞の調査では、駆けつけ警護に反対が48パーセントだとのことです。自衛隊の暴走を国民は快く思ってはいないのです。
中国の空港での、オバマへの非礼さには目に余るものがあります。こういうところが、図体が大きいだけの発展途上国の、あか抜けないところです。
民進代表候補の蓮舫からは、全てを捨てて、粉骨砕身する姿が全く想像できません。なぜならこれまでもそうした姿を見たことがないからです。せめて地味なスーツと、普通の髪型にして、地道に実務にまい進する姿を印象づけるべきでしょう。国会をファッションショウの場にするのは、網タイツの女王など、与党の頭の軽い女性閣僚に任せておけば良いのです。それにしても、なぜ蓮舫でなければいけないのか、未だにさっぱり分かりません。
こんなことでは日本の民主政治はお先真っ暗です。同じ女性議員でも、議場の討論に慣れた適任の議員がいます。事実上、岡田民進の延長線上の蓮舫では、党の刷新も何もあったものではありません。岡田、野田陣営の延命のための蓮舫擁立としか思えません。それは他でもない、民進が全く変わらない=だから衆院選でも惨敗する、ことを意味しています。いまの様子見で無気力な民進には、自民と対等に戦う意図も気力も充分にあるとは思えません。
自分が役不足=しかも表現能力と品格にも不安が残る、だと少しも思わないところに、蓮舫議員の傲慢さ=それは将来の独裁の素地でもある、と人物の限界が透けて見えています。岡田には、ひたすら自民党を利してきたという自分自身への反省が全くないうえに、蓮舫を国民への負の置き土産にしようとしているのです。それは国民に対する二重の罪です。
関連記事。前原、謝罪。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160904-00000025-jij-pol
(寸評:蓮舫はやらない。というより出来ないでしょう。そういう発想がないからです。代行として岡田と連帯責任があるのにも関わらずです
関連記事。 鳩菅、山尾をトップに。
http://mainichi.jp/articles/20160323/dde/012/010/003000c
524.ジュリアン・アサンジ。2016/9/7
ウィキリークスのアサンジをベネディクト・カンバーバッチが演じた映画「フィフス・エステート」を、wowowで見ました。アサンジには賛否ありますが、まず言えるのは、彼が政府の情報をリーク=暴露しても、彼には1ドルの利益もないということです。一方で、情報を秘匿する側には、秘密にしたい理由が山ほどあります。それは自分という個人と、自身の属する組織の利害を守りたいという動機です。国民の利益や世界平和のための秘匿ではありません。
自分にとって都合の悪い情報だから秘密にしたい。一方で、それを明らかにすることで、国民の側の利益を守ることが、ジャーナリストの使命です。だから第4の権力になるのです。いまや日本でも、知性の高い有識者が異口同音に語るのは、日本にはジャーナリズムがなく、ジャーナリストがいないということです。真実から目をそらし、見て見ぬ振りを続けるのであれば、弾圧と自粛にどんな違いがあるというのでしょうか。
この映画の最後に、アサンジが語る言葉が印象に残ります。人が語る真実は本物ではない、それはその人の思う真実だ、だから本当の真実は自分で探すべきだ、真実として提供された話を深く掘り下げようという、その意志にこそ真の権力は宿る、真実を求め続ける限り、あなたは彼らにとって危険な存在だ、彼らが恐れる存在、それはあなただ。
与えられた説明や情報に満足せず、真実を求め続ける気持ちが、日本と世界を変えるのです。日本のジャーリズムがあてに出来ない以上、私達はそれを自分達の手で成し遂げるしかないのです。政府が万を超える情報を秘密情報に指定し、国民の目から遠ざけています。そして日本のメディアは、政府の大本営発表だけを伝える広報機関と化しています。
日本の現状では、国民の一人一人が、草の根のジャーナリストとして、自分で情報を集めない限り、世界の本当の姿は見えないのです。これは日本のジャーナリズムにとっては大きな敗北でしょう。しかしそうした環境に置かれた国民が、自力で情報と真実を探し始めた。これは、実は素晴らしい事なのかもしれません。独裁政治と、政府の秘密主義が、IT時代に必然的にもたらした1憶総ジャーナリストの時代です。これが実現できれば、日本に本当の民主主義が生まれる可能性が出てきます。どんな理不尽でも強引に押し通すという、安倍政権の独裁政治の闇黒の時代に、最後に射してきた一筋の光。それは国民の批判精神がもたらす、民主主義の曙光なのかも知れないのです。
525.日本のアルマゲドン。2016/9/9
安倍首相の言葉は、表現が柔らかく、一見常識的に見えるので、それと気づかないかもしれませんが(無論官邸がそのように演出しているからですが)、その言動だけをストレートに見てみると、それは民意など全く考慮していない、いわば安倍晋三個人の価値観で決められていることが分かります。しかもそれは、一切と言って良いほど、批判されることも、議論されることもないのです。いわば政権の都合だけで、いつの間にかどんどん政策が推し進められていることに、早く国民は気が付く必要があるのです。まさしく今の国政は、(国民に)知らしむべからず、依らしむべしを絵に描いたような、独裁政治なのです。説明にハードな表現を使おうと、ソフトな表現を使おうと、していることは同じなのです。それを演出しているのが菅長官です。もはや番頭などという言葉で表現できる。闇の世界の大魔王の貫禄十分です。
いま日本は事実上、戦後最悪の政治の体制にあります。税金の使い方一つでも分かるように、政府が独断で決めています。それが戦後最大であり、防衛費や対外援助費が増額し、福祉が事実上削られても、誰もそれに苦情を言わない、いや言えない。安保法制と選挙の時には、民意を問うとかか、国民に丁寧に説明して、理解を求めるなどと言っていたのに、そういう事は、年が明けてから一切行われていません。
すべの政策が安倍政権と自民党の思い通りに決められて、一切無批判で決定され施行されてゆく。公明も沈黙を続けています。野党は、まさかこんな人がという二重国籍の疑いのある人物が党首になろうとしている。自民党を押止める力も意志もなく、個人的なアピールにしか関心のない人が、野党のトップになる。自民党にとってこれほど有り難い状況はありません。蓮舫が代表になれば、自民党が喜ぶという現実を、なぜ民進党議員は直視しようとしないのでしょうか。
自民党にとって有利な存在であったからこそ、民進が衰退して来たことをなぜ理解しないのでしょうか。民進が一番近い存在が、妥協するだけの御用組合のようなものです。結果的に自民党に利することで、いまのような日本になってしまったのに、なぜその責任を感じようとはしないのか。野田、岡田、長島のようなすべての面で疑問符の付くような人たちが、民意を離れて、自分達が作った訳でもない野党第一党を好き勝手に振り回してきた結果が現在の民進党なのです。
そして、これまで国会で国民の代わりに、政権と戦ってきた、リベラルな女性議員達が蓮舫のような中途半端な人物についていくとは到底思えないのです。民進党の議員が、民意を代表するに相応しくない人を選択すれば、もはや国民に選ばれた国会議員の資格を自ら放棄しているのと変わらないのです。
国民は民進が正常になることを望んでいるのです。そしてその為には右傾化した党員を切り離さない限り、国民が信頼し預託できる政党の再生はあり得ないのです。
私は現実の世界と映画や漫画の世界は全く別物だと思っていますが、今その類似性に愕然とすることも多いのです。例えば安倍首相の強運というより悪運の強さは、もはや人智を超越しています。あり得ないと思われた参院選での改憲派2/3議席。いまや野党は腰砕けどころか、魂まで抜かれた腑抜け状態。それに輪をかけるのが、無能な代表候補であり、民進党はいまや空中分解寸前なのです。安倍晋三には、戦前の権力者の亡霊、というより、もはや悪魔が取り付いているとしか思えません。今の日本に必要なのは総選挙ではなく、お祓いなのかもしれないのです。安倍政権との戦いは、実は怨霊や悪霊との戦いなのかもしれないのです。
これは善と悪とのアルマゲドンが日本でも始まったということなのでしょうか。これに極端な天候の異変、病気の流行、拡大するテロ、大国間の対立を考え合わせれば、これはもうアポカリプス(人類文明の崩壊)です。私欲が公益に優先し、格差は当たり前であり、社会的強者による収奪が当然の権利とされる。民主主義は事実上機能停止し、一党独裁の都合の良い時の言い訳に使われる。国民の目の前に展開されているのは弱肉強食(資本家・経営者vs労働者)のおぞましい地獄絵です。投票所に向かうのはゾンビの群れ(失礼)でしかないのでしょうか。
中でも呆れるのは黒田総裁です。(失敗した)マイナス金利を拡大するって、頭は確かですか。さすがに日銀内でも意見統一できないって、当たり前でしょう。このような無理無体で統一見解が出るようなら日本経済もおしまいです。財布の紐を絞める人間がいなくなるからです。しかもそれを見守る国民の知性を、とことん馬鹿にしているとしか思えません。誰とは言わないが、馬鹿に、馬鹿にされることほど腹に立つことはありません。
政府の施策の軸足(立脚点)は国益と称していても、実は大企業の利害であり、民主主義と称しても、実態は自民党の一党独裁です。こんな地獄のような(貧困と狂気の)日本をそのままの形で若い世代に渡すことは、政権と同世代の国民としては、もはや犯罪行為なのです。
私はブラウザーのエッジ(ウィンドウズ10お仕着せ)をグーグルのクロームに変えることで、ネットの閲覧速度を上げることが出来ましたが、同時にゴシップ主体(当然右より)の記事を見ないで済むようになりました。しかし、少しはましだと思っていたヤフーでも、最近はきな臭いのです。即ち政権ににじりよっている気配があります。私たちは自分たちの思想の自由を守るためには、複数メディアを主体的、積極的に使うことが、マストの時代に生きているのです。
526.アカデミー賞受賞作。2016/9/11
退職する時に、ひとつだけ楽しみにしていたのは、映画が好きな時に見られるという事でした。平日の封切日に映画館で映画を見るなど、現役では絶対に出来ないことです。しかしいざやってみて気が付いたことは、それが空しいということです。引退して趣味三昧の毎日を過ごすのは夢だと思う人はいるでしょうが、実際にそのような生活は、1週間はもっても、半年も1年も続けられるものではありません。人間は元々働くように出来ています。だから、どんなものであれ、仕事をしている時が一番幸せなのです。充実感もあるし、収入にもなります。
しかしボランティアの活動やスポーツなど、他にすることが増えてくると、逆に映画館に行く時間が減ってきました。そこで映画は結局、よほど急いでみる必要のあるもの以外は、レンタルビデオが主体という、現役時代と同じ付き合い方に戻りました。週に一回ビデオ屋に行き、まとめて借りるというスタイルです。しかしそれは玉石混交なので、最初の10分で鑑賞をやめてしまう場合も少なくはありません。むしろ推薦できる作品に出会うことの方が少ないのですが、最近リリースされた新作DVDを何本か観た結果、推薦作がありましたので、ご紹介します。いずれも映画館で観たいと思って、観に行けなかった作品です。
「スポットライト」
2016年のアカデミー賞作品賞、脚本賞受賞作です。スポットライトというのは、ボストン・グローブ紙の特集記事蘭のことで、この欄で取り上げるということは、それが重大な記事である事を意味しています。専属の記者が4名おり、初代バットマンを演じ、昨年度は主演男優賞を取ったマイケル・キートンが編集長を演じています。主要な記者にはアベンジャーズでハルクを演じたマーク・ラファロ。2001年頃、ボストンのカソリック教会の司教が、少年・少女に性的虐待を加えたという報道が既に成されていたが、軽い扱いでした。しかし新任の編集局長が、その裏に何かがあると睨んで、スポットライトのチームに調査をさせます。この映画の全編がインタビューと新聞社内の描写で、犯罪のシーンもアクションシーンもありません。それでも、画面から目を離せません。この映画が凄いのは、いかに過去の話題であれ、キリスト教の国米国で、聖域の教会に、批判の矛先を向けていることです。この映画を見れば、本当のジャーナリズムとは何かが分かります。また日本の自称ジャーナリストが、政権批判の覚悟さえない偽物であることを痛感します。家族で見る映画ではないが、特選です。
「レヴナント」
ディカプリオが念願のアカデミー主演男優賞を取った作品です。北部の山岳地帯を舞台にした、ネイティブ・アメリカンとの争いと、混血の息子を仲間に殺害されたガイドの復讐劇です。クマとの格闘シーンなど、どう撮影したのかと思う出来栄えです。動物を含めた流血シーンも多く、ファミリーで見る映画ではありません。それでも冬の山岳地帯の、息を呑むように美しい映像が続きます。ロケ地は当初カナダを予定していたが、アルゼンチンに変更になったとのことです。ちなみにレヴナントとは、死から生還した者という意味だそうです。
「ズートピア」
ディズニーのアニメです。ズートピアは現代の大都会で、肉食動物も、草食動物も仲良く暮らしています。ニンジン農場のウサギの娘、ジュディは、街で警官になることを夢みて上京します。訓練で良い成績を収めたものの、パワハラで駐車違反掛かりにさせられます。しかし行方不明の動物を探すことになり、そこから巨悪の犯罪に巻き込まれてゆきます。動物の国の現代社会という設定が面白いだけでなく、テーマが差別を暗に示唆しているという意味で、奥が深く、決して一筋縄でゆくような作品ではありません。米国のアニメ技術が凄いということを再認識するだけでも、見る価値があります。
527.腹立つわー。2016/9/13
週刊文春最新号によれば、菅長官と二階幹事長は、内田都議の祝賀会に駆けつけて祝辞を述べたことがあるとのことです。また五輪の森は内田を最も信頼していると語っています。内田が増長し、私腹を肥やすはずです。自民党の金権体質、権力志向の、おぞましい姿がここにもあります。自民党を中側から浄化する、自浄作用は、国民の為だけでなく、悪臭を放つ自民党が腐って自壊しない為にも、いまや避けて通れなくなってきているのです。しかもそれは官房長官や幹事長の大事な仕事なのです。幹事長が二階になり、政権のたががまた一本外れました。せめて小池の勝利が、日本の政治が国民ファーストになる為の、一歩になることを願うしかないのでしょうか。
しかし民進の辻本が蓮舫支持とは驚きでした。蓮舫は辺野古移設に賛成しているのです。辻本でさえ、国民視点よりも自分の党内での地位が優先なのでしょうか。辻本も岡田執行部の一員だったことが今回の蓮舫支持の理由なのかもしれません。女性だからなのかもしれません。しかし蓮舫は代表に相応しくない価値観の持ち主です。パフォーマンスにしか関心がなく、地道なドブ板の選挙活動や、草の根の意見形成には関心がなさそうです。それらは汗をかかなければ出来ないことであって、見栄を優先する人たちには無理だからです。報道されていないだけかもしれないが、被災地に何度足を運んだのか、数えてみたいものです。
結論から言えば、蓮舫支持は、今後辻本の手足を縛るマイナスの要素になるし、それは国民にとってもマイナスの要素だということです。蓮舫が代表になると、連鎖反応的に民進が弱体化し、岡田代表時代より、更に存在感が低下します。
代表候補として福山が未熟だと言うのなら、小川敏夫という手だってあるはずです。外様だから間違いなく党内では反対されるでしょうが、いまの民進で、最も政治家として実力がある、即ちまともに自民党に対抗できるのは江田くらいです。立候補者以外にまともな人材がいないわけでもないのです。こうして民進が民意からどんどん遊離して漂流を続けてゆけば、早晩民進は消え去るでしょう。なぜならそういう政党は、国民にとって不要な政党だからです。
民進が悪いのは、国民の「全員」が、民進は迷走し、凋落していると思っているのに、それを認めようともせず、またいかなる対策も講じようとしないことです。党内での勢力争いしか眼中になく、野田、枝野、岡田(+蓮舫)という守旧勢力が相変わらず党を食い物にしています。そんな民進に少しでも期待し、真面目に付き合ってきた自分は、いま猛烈に反省しているところです。
本件だけではありませんが、ここでも言えることは、政治は政党ではなく人物であって、国籍に限らず嘘をつくような人に日本を任せる気にはなれないということです。嘘つき政治家は、安部と菅だけで沢山なのです。権力志向だけで、志も理念もない政治家やメディアのトップに馬鹿にされて、いいように仕切られて(壟断と言います)いるかと思うと、無性に腹が立つのは私だけではありません。
ところでwowowが最近放映した、K19という映画を再度見ました。東西冷戦時代に放射能漏れ事故を起こしたソ連原潜の実話の映画化で、ロシアの映画ではありません。出演はハリソン・フォードとリーアム・二―スンです。原潜を良く実写できたものだと思います。秘密主義で、当時は情報が公開されていなかったが、事件直後に原子炉室に入った9名が亡くなり、艦内の汚染で数年以内にさらに20名が死亡。放射能など大したことはない、メルトダウンがどうしたと思っている安倍政権の身勝手な閣僚、東電関係者、そして被爆国の上に、メルトダウンまで経験した(させられた)日本の国民が見ておくべき映画です。
・豊洲盛り土、青果棟下、砕石層がむき出し。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160912-00000081-mai-soci
関連記事。地下水漏れも。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091200751&g=pol
関連記事。現職も把握、しかし放置。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160913/k10010683021000.html
(寸評:豊洲移転問題は、最初から最後まで石原慎太郎が関係しています。800億を超えるという汚染対策費も法外だが=一体誰が負担したのだろう、あと100億は掛かっているはずなのに、それが表面には出てきていないと言われます。豊洲問題では、まず金の流れを明らかにすべきです。五輪でも、業者の好き勝手な付け値や増額が平気でまかり通るという、行政などあってなきが如き状況ですが、その背景に政治家のキックバックを想像するのは当然の成り行きでしょう。五輪誘致でコンサルタントに支払われた2億円も結局うやむやです。捜査の打ち切りには政治家の圧力が予想される事態です。金を受け取った東南アジアのフィクサーは1600万円の時計を購入したと伝えられています。国内でも、もういい加減、巨魁、黒幕の石原都政や、森の口ききに、メスを入れても良い時期ではないでしょうか。公人として、或いは個人としての、石原の金の出入りを明らかにしないと都民は納得しないでしょう。天井知らずの外遊も、彼から始まったのです。極右の言動=それさえ腰が座っているわけではないが、は個人の思想の自由ですが、金は主義主張とは無関係の問題です)
528.悪魔の手先かイヌ・アッチ・ケー。2016/9/14
これまで、日本中の人が読むことを想定して、個人攻撃や誹謗中傷という誤解を招かないように、批判をするときは(これでも)それなりに言葉遣いには注意してきましたが、もはや残り少ない人生です。言いたいことも言わずに逝ってしまえば、成仏できない恐れが出てきました。WTWの魂魄がこの世に留まりて、夜な夜な官邸に現れたら、小心の安倍首相はお嫌でしょう。そこで方針一転、蟷螂之斧、ごまめの歯ぎしりは承知の上で、思いっきり自分の意見や印象をストレートにぶつけることにしました。これを読んで溜飲を下げて頂く人もあれば、不快に思われ方もあるでしょう。そこに自己存在の主張があり、同時に自分が背負うべきリスクもあります。批判されて悔しかった方々は、どうか「論理的に」反論をして頂ければと思います。いかような形であれ、いつでも受けて立つ覚悟です。どうせ巨悪の方々にはまともには相手にはされないでしょうが、遠くでキャンキャン吠える子犬でも、それなりにウザったいと思いますよ。ワンワン、ワワン!
・NHK,ネット配信でも受信料。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160913-00000124-asahi-soci
(寸評:いつも無表情な高市を含め、NHKのトップは気でも狂ったのでしょうか。乱心の経営委員長と会長には早急に退職を求めたい。法治国家=最近ではアドルフ・アベと取り巻きの人々、の裁判所の判断をなんだと思っているのでしょうか。もはやナチスの宣伝機関と変わるところがありません。なぜNHKの都合ばかり述べ立てて、視聴者の立場を無視するのか。これではただの国営放送、どころか政権放送でしかない。ジャーナリズムが何たるかもわからない、会長と経営委員長が支配する闇の力であって、政治家が世論を操作し、国民を支配するための道具になり下がっています。しかも世論調査を見れば、この政府の卑劣な戦術が、それなりに効果を上げていることが良く分かります。必要もない本社建屋の立て替えをはじめ、国民の浄財で運営されているという意識など皆無です。金をジャブジャブ使っても、足りなきゃ国民に課金するだけ。国家公務員並みの身分保障もある。この伏魔殿、または魔窟に巣くう巨大な寄生虫の二人には、早く地獄にお引っ越し願いたい。向こうではゲッペルスが待っていて、喜んで出迎えてくれるでしょう。日独同盟の地獄版です。そこでヒットラーが首を長くして待っているのは他ならぬア…シ……でしょう。スマホを持っているだけで課金されたら国民はたまったものではないということが何故分からないのか。想像力がないというより端儒に頭が悪いとしか思えない。国民がメディアを選択できないなどということは、国民の思想、表現の自由に関する重大な挑戦であり、そもそも憲法違反なのです。ここでNHKに進言したい。コマーシャルを取り入れて、視聴料を無料にせよ。国民がその費用を負担すべき理由が、今のNHKにはないからです。こう考えてくると、民放の方がリベラルなのはそこにある種の自浄作用が働いているからではないかという想像が成り立ちます。それは、視聴料こそ取らないが、視聴率というものがあって、それが間接的に放送局の姿勢に影響を与える可能性があるからです。新聞社の放送局なら、新聞は国民が金を出して買っているので、民意を意識しない訳にはいかない。そこに程度の差こそあれ、自浄作用が期待できます。その点が、政府と放送法の保護下にあるNHKとは決定的に違うところです。何をどう報道しても、それが直ちに収益には影響しないのです。しかも料金は強制聴取。そのくせNHKには視聴者の意見を反映させる仕組みはありません。即ちこれはNHKを規制する放送法に、根本的な欠陥がある事を意味しています。NHKが国民放送足り得るためには、人事や経営方針で、国民が関与できる体制にする必要があります。都民が知事を選べるように、国民が公共放送のトップを選べなければ、国民の為の放送局を名乗る資格はありません。事実上、首相や政府が指名するなどということが絶対にあってはならないのに、それが実際には横行しています。検察は、国民なり代わって、籾井が会長になった背景と手続き面での経緯を克明に明らかにすべきです。言葉面では穏健を装い、その実、独裁で政策を推し進める、安倍首相の体質がここにも反映していることを、国民は、つぶさに知る必要があるからです)
529.慎太郎を証人喚問に。2016/9/15
・基本設計時に盛り土提言無視。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160915-00000006-mai-soci
関連記事。地下空間の水は有害物質を含む地下水。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160915-00000001-jij-pol
関連記事。石原聞いていない。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201609/CK2016091402000250.html
(寸評:組織ぐるみとしか思えません。でなければ、これだけ巨大な不正は実行不可能です。豊洲移転については徹頭徹尾、責任者は石原慎太郎です。早速自分は無関係、部下のせいだと言い訳しましたが、では当時の都政の最高責任者は石原ではなかったというのでしょうか。誰がそれを信じるでしょう。徳洲会事件の時にも、直ちに官邸の安倍の元に駆けつけ、無関係を強調しました。自分は口を拭って、すべてを猪瀬の責任にして辞任に追い込んだのです。刑事的には担当者の罰金50万で終結させてしまいました。動いた金は億単位なのにです。猪瀬以前の金の動きは未だに明らかになってはいません。厳しい追及を受けた猪瀬は事実上、金は受け取っていないのです。受け取ったのは誰で、その金はどう流れたのか。徳洲会事件で私は検察のサラリーマン化、或いは業務規程違反を確信しました。そしてそれが今の五輪のリベート事件の捜査打ち切りにもつながっていると思われます。甘利の現金授受に違法性がなければ、全ての贈収賄行為に違法性がないことになります。このように官僚が職務を放棄すれば、日本中が滅茶苦茶になることくらい誰でも分かります。力のある政治家が関与する事件はもみ消される。そのどこに日本の司法の正義があるというのでしょうか。石原の今回の慌てぶりは、徳洲会の時と全く同じであり、日頃タメ口をきいている石原が慌てているということが、何を意味しているのでしょうか。舛添知事の公費流用と無様な辞任劇も、元はと言えば石原の豪遊から始まっているのです。石原にも私的流用の返金を求めるのが筋と言うものでしょう。そろそろ石原慎太郎を、金と政治倫理の双方の観点から徹底的に取り上げてもいい時期ではないでしょうか。少なくも、国会で何らかの証拠を示しながら国民に説明する必要があります。おそらく石原は、安全を徹底せよと指示したとか、盛り土を指示したとかいうでしょうが、そのように危険な、更には除染に莫大な費用の掛かる場所に無理矢理移転を指示したことの言い訳にはならないと思います。猪瀬は相変わらず石原を弁護しているが、猪瀬が外様副知事で情報が入らなかったにしても、トップの石原には情報のルートがあったとみるべきでしょう。知らぬ存ぜぬで済む話ではないのです。内田がここでも関与しているのか、いないのかもはっきりさせるべきです)
530.聖域化の危険性。2016/9/15
・熊本城の復旧費634億円。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160914-00000125-jij-pol
(寸評:誰が負担するのか知らないが、そこまでして修復する必要がどこにあるのでしょうか。本丸だけ、しかし早めに修復すれば良いのではないか。原因が天災だし、所詮は人間が作った建造物です。どうしても全部修復するのなら、100年くらいかけてゆっくりやってほしい。無論、地方自治体や国の経済的負担を軽くするためです。文化遺産といえども、全てに優先するものではないと私は思います。江戸城だって殆ど残ってはいない。ついでに言えば東京五輪だってすべてに優先するわけではありません。単なる大規模な国際スポーツ協議会に過ぎないのです。直下型地震でもあれば無論中止だし、気温が異常に上昇してもやめるべきなのです。何が危険かといえばこの聖域化であり、走り出したら止まらないという硬直した思想です。人命が最優先なのであって、五輪「ごとき」で死人を出してはならないのです。軍部の聖域化が太平洋戦争の拡大につながったことを忘れてはなりません。そしていま私は安倍政権と官邸の聖域化を最も警戒しているのです)