「WTWオンラインエッセイ」


【第26巻の内容】

「国民総茹でガエル時代」
「衆院予算委員会」
「やがて手に手を取りて」
「ギンギラギンな人々」
「まともな人達」
「安部王朝の女官達」
「北朝鮮を巡る空想」
「年金は積立金」
「生活と資本主義」
「死刑廃止論」
「有刺鉄線切って逮捕」

「超ブラック企業電通」
「良識、常識、非常識」
「自衛隊の実像」
「追憶の森」


546.国民総茹でガエル時代。2016/10/4

昨日の衆院予算委員会で最も愉快だった場面は、長妻の質問で、谷垣総裁が出した憲法草案だからボクちゃん知らないでは通らない、という指摘に、首相が色を成した場面です。宿敵長妻の面目躍如です。そのくせ首相の口からは、自民党の草案撤回も、97条削除の理由も、ついに語られることはありませんでした。安倍首相は日に日に尊大さを増しています。一言で言えば何様かということです。
関連記事。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/02/nagatuma-vs-pm-abe_n_12303806.html?utm_hp_ref=japan

ところで衆院の解散が取り沙汰されていますが、私はその結果の見通しには悲観的です。すなわち国会で、如何に安倍首相や閣僚が失言や言い訳を繰り返そうとも、自民党の議席に多少の変化は出ても、大勢は変わらないだろうと思います。民進は最近の代表選が、体質を変える最後の機会でした。それも保守勢力が強く、あまつさえ野田と蓮舫が、就いてはならない職責を担ってしまったおかげで、僅かに残された希望でさえ失われてしまったのです。これではもはや人災です。とりわけ野田はその権力欲から、二度に渡って、国民に迷惑を掛けているのです。

岡田時代より更に保守に偏った民進党を、誰が支持するというのでしょうか。与野党うち揃って右傾化してしまったら、日本はどうなるのでしょうか。アベノミクスの論理、トリクダウン(大企業のおこぼれ)が全く機能していないのに、安倍政権は絶対にそれを認めようとしていません。あきれたことに、アベノミクスは道半ばで、一層加速する必要があるとさえ言っているのです。これでは泥棒に追い銭みたいなものです。

消費増税、保険料増額等で、国民の生活はますます苦しくなるばかりです。そのくせ、大赤字のGPIFの代表や、インフレ目標を達成するどころではない日銀総裁の報酬は、年3400万円を超えています。しかも年金資金が目減りしたら、年金を下げればいいではないかというのが安倍首相の考え方であることは昨日の答弁でも明らかです。安部政権に近い者だけが、或いは国と地方とを問わず、議員や高級官僚だけが、甘い汁を吸うという構図がここにあります。もっと言えば政官財メディアが、4身一体で、国民から搾れるだけ、搾り取っているのです。

最大の問題点は、それでもなお、国民は大きな変化を望まないという点にあります。それはぬるま湯でも、外に出て風邪を引くよりはまし、明日よりは今の生活が大事という小市民的な発想でもあります。もう一つ、野田・蓮舫だけが理解できていないことがあります。それは、国民が彼らに期待してはいないという事実です。なぜなら野田が民主党政権を潰して以来、野党に政権を任せる気にはなれなくなったからです。自民党には問題が山のようにある事は分かっていても、それに代わる者がないという諦めが染みついてしまったのです。安保法制や改憲の動きで、如何にきな臭いにおいがしていても、よほど大きな失態、失言がない限り、政権担務政党としては、自民党しか選択肢がないと、国民が思い込んでいるからです。

唯一、筋の通った議論を展開しているのは共産党ですが、自民党は共産党は党名を変えろと揶揄しています。べルリンの壁が壊れた今、共産主義を掲げること自体に意味はありません。しかし仮に党名を変えたとすれば、その途端に存在感が低下し、それこそが自民党の思うツボになるでしょう。だから痛し痒しなのです。国民視点で言えば、民進、維新、生活、共産がひとつになって、一大野党を形成できれば、最も有り難いのです。そうでなければ野党が政権を奪取することなどあり得ないのです。野党の連携を終始否定してきた野田は、国民から見れば野党政権の邪魔をしているだけなのです。

これだけ使途不明金や政治倫理で失態を繰り返してもなお、自民党が有利という状況は、国民が政治を政治家に放り投げているからです。すなわち政治は他人事という無関心が続く限り、世論調査は保守に偏重し続け、権力を持つものが国民を搾取し続け、国民は奴隷的な貧困から一生抜け出せないのです。女性の論客、大の学長は、国民は革命の準備をした方が良いとさえ言っています。国民一人一人が、自分で一歩を踏み出さない限り、日本は理念も理想もない、民主主義でさえない、金銭欲だけの醜い国に成り下がってしまうのです。このどこがおもてなしの国、美しい国ですか。しかも無能な経済政策の結果、経済財政面でも破たんの道を歩んでおり、日本の行く先に待っているのは、スーパーインフレであり、日本版リーマンショックなのです。それはいずれ全国民が路頭に迷うであろうことを意味しています。その時に安倍首相も、黒田総裁も、麻生大臣も、石原伸晃も、GPIFの代表も、一切責任は取らないでしょう。

今のような状態は、全国民が井の中の蛙、というよりは、次第に熱くなっているのに、ぬるま湯から出られずに、やがては茹でられてしまう、茹でガエルの状態にあるのです。国民は、生かさず、殺さずという徳川幕府の国家政策を、安倍政権が忠実に踏襲しています。官邸はそんな状態を百も承知のうえで、安部政権の存続と強化に奔走しています。もはやそれは、伏魔殿というような生やさしいものではなくて、悪の巣窟になったかのようです。そう言えば、某長官には、どことなく悪魔的な雰囲気さえ感じられます。あくまで個人的な印象ですが。

こう考えてくると、「救国」の為には、安倍幕府を倒して、尊王体制にすることが必要だという論理に発展します。そのためには何が、というより誰(いま西郷)が必要かも、おのずと見えてくるような気がします。これは一種の英雄待望論でもあります。しかも民衆の蜂起を促すという意味では、それは西郷よりは、むしろジャンヌ・ダルクや天草四郎なのかもしれません。

こういう発言を繰り返していると、共謀罪こそ見送りになったものの、そのうちに私も国家転覆罪で目をつけられることになるのかもしれません。それもあって、いま暫くは、共産党は名前を変えない方が、むしろ良いと思います。安部幕府の無血開城が成功するまでは。



547.衆院予算委員会。2016/10/4-7

「10月4日」

昨日の衆院予算委員会で最も愉快だった場面は、長妻の質問で、谷垣総裁が出した憲法草案だからボクちゃん知らないでは通らない、という指摘に、首相が色を成した場面です。宿敵長妻の面目躍如です。そのくせ首相の口からは、自民党の草案撤回も、97条削除の理由も、ついに語られることはありませんでした。安倍首相は日に日に尊大さを増しています。一言で言えば何様かということです。
関連記事。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/02/nagatuma-vs-pm-abe_n_12303806.html?utm_hp_ref=japan

ところで衆院の解散が取り沙汰されていますが、私はその結果の見通しには悲観的です。すなわち国会で、如何に安倍首相や閣僚が失言や言い訳を繰り返そうとも、自民党の議席に多少の変化は出ても、大勢は変わらないだろうと思います。民進は最近の代表選が、体質を変える最後の機会でした。それも保守勢力が強く、あまつさえ野田と蓮舫が、就いてはならない職責を担ってしまったおかげで、僅かに残された希望でさえ失われてしまったのです。これではもはや人災です。とりわけ野田はその権力欲から、二度に渡って、国民に迷惑を掛けているのです。

岡田時代より更に保守に偏った民進党を、誰が支持するというのでしょうか。与野党うち揃って右傾化してしまったら、日本はどうなるのでしょうか。アベノミクスの論理、トリクダウン(大企業のおこぼれ)が全く機能していないのに、安倍政権は絶対にそれを認めようとしていません。あきれたことに、アベノミクスは道半ばで、一層加速する必要があるとさえ言っているのです。これでは泥棒に追い銭みたいなものです。

消費増税、保険料増額等で、国民の生活はますます苦しくなるばかりです。そのくせ、大赤字のGPIFの代表や、インフレ目標を達成するどころではない日銀総裁の報酬は、年3400万円を超えています。しかも年金資金が目減りしたら、年金を下げればいいではないかというのが安倍首相の考え方であることは昨日の答弁でも明らかです。安部政権に近い者だけが、或いは国と地方とを問わず、議員や高級官僚だけが、甘い汁を吸うという構図がここにあります。もっと言えば政官財メディアが、4身一体で、国民から搾れるだけ、搾り取っているのです。

最大の問題点は、それでもなお、国民は大きな変化を望まないという点にあります。それはぬるま湯でも、外に出て風邪を引くよりはまし、明日よりは今の生活が大事という小市民的な発想でもあります。もう一つ、野田・蓮舫だけが理解できていないことがあります。それは、国民が彼らに期待してはいないという事実です。なぜなら野田が民主党政権を潰して以来、野党に政権を任せる気にはなれなくなったからです。自民党には問題が山のようにある事は分かっていても、それに代わる者がないという諦めが染みついてしまったのです。安保法制や改憲の動きで、如何にきな臭いにおいがしていても、よほど大きな失態、失言がない限り、政権担務政党としては、自民党しか選択肢がないと、国民が思い込んでいるからです。

唯一、筋の通った議論を展開しているのは共産党ですが、自民党は共産党は党名を変えろと揶揄しています。べルリンの壁が壊れた今、共産主義を掲げること自体に意味はありません。しかし仮に党名を変えたとすれば、その途端に存在感が低下し、それこそが自民党の思うツボになるでしょう。だから痛し痒しなのです。国民視点で言えば、民進、維新、生活、共産がひとつになって、一大野党を形成できれば、最も有り難いのです。そうでなければ野党が政権を奪取することなどあり得ないのです。野党の連携を終始否定してきた野田は、国民から見れば野党政権の邪魔をしているだけなのです。

これだけ使途不明金や政治倫理で失態を繰り返してもなお、自民党が有利という状況は、国民が政治を政治家に放り投げているからです。すなわち政治は他人事という無関心が続く限り、世論調査は保守に偏重し続け、権力を持つものが国民を搾取し続け、国民は奴隷的な貧困から一生抜け出せないのです。女性の論客、大の学長は、国民は革命の準備をした方が良いとさえ言っています。国民一人一人が、自分で一歩を踏み出さない限り、日本は理念も理想もない、民主主義でさえない、金銭欲だけの醜い国に成り下がってしまうのです。このどこがおもてなしの国、美しい国ですか。しかも無能な経済政策の結果、経済財政面でも破たんの道を歩んでおり、日本の行く先に待っているのは、スーパーインフレであり、日本版リーマンショックなのです。それはいずれ全国民が路頭に迷うであろうことを意味しています。その時に安倍首相も、黒田総裁も、麻生大臣も、石原伸晃も、GPIFの代表も、一切責任は取らないでしょう。

今のような状態は、全国民が井の中の蛙、というよりは、次第に熱くなっているのに、ぬるま湯から出られずに、やがては茹でられてしまう、茹でガエルの状態にあるのです。国民は、生かさず、殺さずという徳川幕府の国家政策を、安倍政権が忠実に踏襲しています。官邸はそんな状態を百も承知のうえで、安部政権の存続と強化に奔走しています。もはやそれは、伏魔殿というような生やさしいものではなくて、悪の巣窟になったかのようです。そう言えば、某長官には、どことなく悪魔的な雰囲気さえ感じられます。あくまで個人的な印象ですが。

こう考えてくると、「救国」の為には、安倍幕府を倒して、尊王体制にすることが必要だという論理に発展します。そのためには何が、というより誰(いま西郷)が必要かも、おのずと見えてくるような気がします。これは一種の英雄待望論でもあります。しかも民衆の蜂起を促すという意味では、それは西郷よりは、むしろジャンヌ・ダルクや天草四郎なのかもしれません。

こういう発言を繰り返していると、共謀罪こそ見送りになったものの、そのうちに私も国家転覆罪で目をつけられることになるのかもしれません。それもあって、いま暫くは、共産党は名前を変えない方が、むしろ良いと思います。安部幕府の無血開城が成功するまでは。

「10月5日」

昨日の予算委員会でまた一波乱ありました。それは民進の階(しな)議員(岩手出身)が、台風10号の被災地での務台政務官のおんぶ事件を取り上げた時のことです。台風の被災地にも行かず、壇上から自衛官に敬意を示す前に、まずはお詫びをするべきではないか、現場は官僚任せのおんぶにだっこでは、政務官と同じだという指摘に、安部首相が色を成しました。溜飲が下がる思いでした。口では国民のためと言いつつも、実質的には国民蔑視の安部政権の正体を指摘してくれたように感じたからです。体制が変わっても、民進の個々の議員は、政権批判の手を緩めていないことに、一抹の安堵感を覚えました。また被災地では、務台政務官は、パンツの次はおんぶかと言われていると指摘しています。なお中盤部分で、初鹿議員が介護保険カットを批判し、首相は制度の持続性が必要と言い訳しました。ここでも首相が激高していました。かたや野田幹事長の浅学菲才ぶりも相変わらず健在のようで、いかなる発言も取り上げる気にはなれません。

「10月6日」

連日、録画した国会中継を流しながら原稿を書いています。昨日は蓮舫が割合まともな追及をしましたが、いかんせん詰めが甘かった。中でも、稲田防衛大臣が以前、子供手当はやめて全額防衛費に上積みするべきだ、また日本は核武装するべきだという発言をしたことを取り上げたまでは良かったが、閣僚になってからは考え方を変えたと言われてあっさり終わってしまったのにはがっかりでした。それで終わるのなら、政治家は何を言っても、あとで謝罪すれば済むという事になります。ここは稲田の資質と、首相の任命責任を問う場面です。蓮舫は一番肝心なそれをしませんでした。代表選の前から危惧していたように、蓮舫は主張が淡白で迫力を欠いており、きれいごとで終えています。自民党にとっては大変ありがたい野党党首です。もっと言えば闘志と熱意が感じられません。NHKは、籾井体制では当然のことながら、ニュースで稲田の発言を取り上げていません。国民にとって、いかに関心があってもです。その後で、福山が南スーダンの状況判断の追及をしましたが、いかんせん余りにも細部に拘ったため、見ている国民には何のことやら良く分からず、無駄に時間を使っているという感じでした。3日間、国会中継を見ていて感じたことは、中には長妻のぼくちゃん皮肉や、年金の指摘などで頑張った議員もいないではないが、やはり総体として、今の体制では民進は民意を反映するには力不足という印象でした。ちなみに委員長の山本一太はミスキャストで、議事進行は政権に偏った、品のないものでした。
関連記事。11年の稲田発言批判。
http://mainichi.jp/articles/20161006/k00/00m/010/029000c


「10月7日」

またもや国会中継の話題で、いささか辟易されている方もあるかもしれませんが、昨日の共産党の小池の質問は的を得ているうえに鋭く、これまでの質疑で最も聞きごたえがありました。政府側の回答は、制度維持ばかりを強調する、お役所の作文を読み上げるだけの、紋切り型の回答でした。こういう場合=相手を揶揄するような反撃が出ない時、概ね政府は痛いところを突かれていることが多いのです。私は昨日のやりとりを聞いていて、早く政党、少なくとも政権を交代しないと、国民のための国には絶対にならないことを痛感しました。あれだけ対外援助で巨額をばらまき、法人減税し、恣意的な年金運用で巨額の損を出し=安倍氏の言い分は長期で見ろの一点張り、ならば何年で見ればいいのか、それでいて足りなくなると社会保障費を削る。そこには言い訳しかなく、庶民が納得できるような説明も改善策もありません。経営者ばかりを集めた働き方改革会議への指摘もありました。本文の記事でも、白紙の領収書問題を取り上げました。山本太郎は甲状腺がんの検査縮小を、指摘しました。山本環境相の回答は話にならないもので、こういう人物が環境大臣では日本の環境は守れないだろうと思いました。放射能汚染は福島だけではありません。



548.やがて手に手を取りて。2016/10/9

昨夜の池上彰の番組を見ていたら、通行人が、日本は議員が多すぎると言っていました。全く同感です。しかも費用は使い放題。舛添が公費で買った絵画を返却したという話も聞きません。自らの生活を律し、けじめをつけられないものが、国の規律(憲法)に従う訳がないし、まして立法に携わるのは違和感があります。国と地方とを問わず、政治家の倫理観の崩壊は目を覆うばかりです。最近では、稲田、菅、高市の白紙領収書問題もあります。会計監査院も、あってなきが如しです。この傾向は企業なら倒産に向かう道であり、国なら亡国への道です。

・政府に明治の日制定の動き。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161008-00000027-asahi-pol
(寸評:ならば大正の日も設けるべきです。それともまた日本会議の画策ですか。自民党の超保守派の価値観とは一体どういうものなのでしょう。明治憲法を復活したいという意図以外は良く分かりません。しかも年齢で言っても、彼らには太平洋戦争の経験はおろか、記憶もないはずです。それともセレブだった自分の親から聞いて、日清・日露戦争の戦勝の記憶だけ残っているのでしょうか。いまのように、或いは戦中のように、国の権力が国の見栄と体裁に拘り始めると、戦争のきな臭いにおいが立ち込めるのです。超保守の議員達には、自分達がいかに経済的に恵まれているかという意識さえないようです。衣食足りて=足りているのは彼らだけなのに、次は見栄ですか。見栄と体裁だけで内容がないと言えば、野党第一党の代表を思い出します。野田が幹事長になって、どじょうが蓮根になったと発言しています。未だに火中の栗の意味もよく分かりません。野田は幹事長を固辞したが、連邦が直立不動で懇願したと言われています。それが本当なら、蓮舫の政治的信念を欠いた国民不在の茶番劇でしかないのです。蓮舫は自分を批判した山尾を諮問に立たせませんでした。なにがノーサイドですか。蓮舫の狭量さが表れています。蓮舫と野田が、与党にとっていかに有利な存在であるかは、自民党が蓮舫も野田も攻撃しないことで分かります。自民党も、野田や蓮舫を自分たちの敵だとは思っていないのです。攻撃の矛先は安倍首相の痛いところを突く江田や長妻に専ら向けられています。自民党の動きさえ見ていれば、誰が国民の味方か、それとも獅子身中の敵なのかが、おかしいくらいに良く分かります。そしていま、自民と民進の代表が、内容がなく体裁志向という点で、似たような性向を持っています。そこに不安で不気味なものを感じるのは私だけではないはずです。やがて、民意不在で共通するこの両者の利害が一致して、手を取り合って国民をだます日がやってくるのでしょう。そういう意味で言えば、補遺選で、策士の二階とあっさり手を組んだ、小池知事の動きも要注意なのです)



549.ギンギラギンな人々。2016/10/11

野心がギラつく二人の幹事長が日本の政治を牛耳ろうと、動き始めました。彼らの脳裏に民意はあるのでしょうか。個人的な価値観が全てに優先していないと言い切れるのでしょうか。二階は国民が望みもしない総裁の任期を延長、かたや消費税を強行し、やっとの思いで小沢が実現した野党政権を、あたかも自分個人の持ち物であるかのように投げ捨てたのです。そうではない、国のためにしたのだと言い張るのなら試しに国民に、いや世界に問うてご覧になるが良い。しかも未だに野党共闘に否定的な見解を取り続けています。こういう価値観を世間では唯我独尊と申します。衆院で過半数を目指すと言い出すに至っては、もはや誇大妄想の世界です。しかも野田にはその兆候が以前からありました。泥鰌どころか巨大なまずです。

時代錯誤、自我肥大、人格の貧しさで甲乙つけ難い二人の幹事長。同じ穴のムジナと狸(外見も)が、これから裏で手を結び、通じ合うのは時間の問題でしょう。またその上に居座る二人の党首が、これまた見ている方が恥ずかしくなるくらい見栄に拘るボクちゃんとアタシです。そこに都知事が一枚加わろうとしています。民進はなぜ民意を代表している宇都宮を立てようとしなかったのか、未だに理解に苦しみます。

空疎な言葉を垂れ流す、自己顕示欲だけの4人が舞台の上でそろい踏み。わずかな違いは人形浄瑠璃の大夫が、菅から二階に代わるのかどうかだけです。しかし二階からは権力欲だけで(野田も同様)、政治的な信念は感じられません。便宜主義で、安部への忠誠心も一時しのぎの便法なので、官房長官の代役はあり得ないでしょう。安部も、二人を競わせて二頭立てで使う事はあっても、うかつに乗り換えれば身の破滅になることくらいは分かっていることでしょう。

国民を騙すという目的で与野党が一致している、未だかつてない壮大で空疎な茶番劇、舞台では田吾作とおかめが飛び跳ねる泥臭い田舎芝居の幕開けです。選挙などあってなきが如きの日本の政治。これでさらに投票率は下がるでしょう。日本の政治の、真の闇黒時代が始まるのです。オレ、オレ、ワタシ、ワタシって、一体あなたたちは誰、いや何なの?

【注目記事】

・補欠選。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161010-00000540-san-pol
(寸評:少なくも東京で民進が勝てるとは思えない。民進の支持者でさえ若狭を選ぶでしょう。福岡に唯一の機会があるか、それをうまく生かせるかどうか。でもおよそ党内で人気のない野田がそれを仕切るのです。枝野も幹事長としては実績面だけでも明白に無能でしたが、今度は野田が負けて頭を下げるのか、いつものように開き直るのか、それとも自民分裂で民進が勝つのか。結果が待たれます)

・情報開示法、役所に都合良く。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161010-00000011-mai-pol
(寸評:安部政権が長続きする理由が良く分かります。お役所にとってまことに都合の良い政権だからです。なぜ日本のお役人には、自分も国民の一人だという意識がないのだろう)昨夜の池上彰の番組を見ていたら、通行人が、日本は議員が多すぎると言っていました。全く同感です。しかも費用は使い放題。舛添が公費で買った絵画を返却したという話も聞きません。自らの生活を律し、けじめをつけられないものが、国の規律(憲法)に従う訳がないし、まして立法に携わるのは違和感があります。国と地方とを問わず、政治家の倫理観の崩壊は目を覆うばかりです。最近では、稲田、菅、高市の白紙領収書問題もあります。会計監査院も、あってなきが如しです。この傾向は企業なら倒産に向かう道であり、国なら亡国への道です。



550.まともな人達。2016/10/12

私にも、尊敬するとまでは言えないが、信頼する著名人がいます。順次御紹介しますが、今日は以下の四人です。

最初は、政治評論家とは言えないかもしれないが、コメンテーターの室井卯月です。TVに出ているときは、舌足らずの話し方と言い、余り冴えた感じはありません。室井が週間朝日に連載しているコラム、「しがみつく女」は毎号欠かさずに読んでいます。その判断と主張は、自分のそれとほぼ同じです。民進党の代表選の時には、蓮舫を評して、何が言いたいのか分からないと書きました。また別の号では、自民党の内部に、「子供を戦地に送りたくない」という意見は中立性を欠くから取り上げるべきではないという意見がある事を紹介していました。自民党なる政党がいかに国民から遊離した、権力層の為だけの政党かを端的に示す現象です。自民党の常識は国民の非常識ということです。野田が民主党崩壊の戦犯であるという認識は、室井だけに限った意見ではありません。蓮舫を選べば野田がついてくると言っていました。TV出演の時の馬鹿っぽい印象は、おそらく演技であって、政権やTV局向けの仮の姿ではないか。文章を書いている時の室井が本当の姿なのです。庶民の味方、室生卯月。

二人目は、エコノミストで法制大教授の水野和夫です。講演会があれば、聞きに行きたい一人です。反骨の経済学者で、黒田総裁の政策は完全に失敗しているのに、本人だけがそれを認めていないと指摘しています。公約のインフレ率2%に拘る必要はなく、むしろデフレの現状をそのまま受け入れる、現状認識からスタートするべきなのです。水野は、アベノミクスにも、最初から冷静な筆致で反対していました。日本型資本主義を正しく、また客観的に分析、批判できる、ほぼ唯一の存在です。早くからグローバリゼーションの問題点も指摘しています。同じ経済学者でも、竹中平蔵のような自己主張だけのまがい物ではありません。地に足がついています。著書、「資本主義の終焉」で始まる新書は、死ぬまでに読むべき本の一つです。同じエコミストで、国会での質問にも立った、維新の藤巻も、ハイパーインフレの警告などで、結構いいところを突くのですが、水野のようなアカデミックな雰囲気はありません。

三人目はバイオリニストの五嶋龍(ごとうりゅう)です。TV番組「題名のない音楽界」の若き司会者です。政治的な発言は一切しませんが、その言葉は正統的で、しかも良識と品格に溢れています。八―バードで物理学を専攻したのに、それをひけらかすようなそぶりは一切ありません。これが本当の教養、人間の品格というものでしょう。

今日最後の一人は小沢一郎です。悪人然とした顔つきで、黒幕、フィクサーの印象ばかりが先行しているが、日本でたった一人、単独野党での政権を交代させた、実力と政治理念を備えた、本当の意味での政治家です。何度でも首相になる機会があったが、彼にとってはそんな「小さな」事より、英国型の議会政治を日本に取り入れて、政権交代が可能な民主主義を根付かせることの方が重要でした。彼に比べれば、自己顕示欲だけで、首相の権力にしがみつく安倍や野田が、いかに小さい人間かが、良く分かります。小沢の生活の党(自由党)は、政党としては見る影もありませんが、それでもなお二大政党制の理念を捨てようとはしていないのです。過去、自民党と検察を含む行政組織が心底恐れたのは小沢だけでした。だから国策捜査で凋落を図りました。その卑劣な戦術は功を奏して、今の小沢があるのですが、あれが国策であったことを、今や全ての国民が知っているのです。しかも自民党の陰にはいつも米国がいました。同じ反米でも、石原慎太郎のようなうわべだけの政治家は、米国は最初から相手にしていません。所詮米国の掌の上で踊っているだけだという事を先刻承知しているからです。でも米国は田中角栄と小沢一郎だけは本心から警戒し、なりふり構わずに失脚を画策したのです。それだけ彼らの政治力と、米国からの離反は脅威だったのです。小沢が死ねば、日本の民主主義も一時的に死を迎えます。田原総一朗は小沢が嫌いで、小池知事も小沢を批判しているが、彼らは政治的理念でも度量でも、小沢には比ぶべくもないのです。

とはいえ、いずれ小沢も日本の政治シーンから退場する日が来るでしょう。でも本当の政治とはどうあるべきかを我々に示した彼の意志を継ぐ者が、必ず現れることでしょう。でも多分それは山本太郎ではないでしょう。小沢の後継者は、野党からではなく、おそらく自民党の中から現れるでしょう。その頃になって、やっと日本の真の民主主義の時代が始まるのです。



551.安部王朝の女官達。2016/10/13

稲田防衛相は国会質疑でも格好の標的で、メディアでも評判は良くなく、ポスト安倍の芽はなくなりつつあります。なによりヒールで艦艇を歩くなどして、肝心の自衛隊の内部で評判が良くありません。その点、小池防衛相の時は終始スラックス姿で無難にこなしたようです。稲田は安倍のタイプなのでしょうか。高市や丸川のような、虚無的な雰囲気の閣僚はいても、辻元や福島のような闘士タイプは閣僚に見当たりません。女性閣僚が、安部王朝のお飾り女官に過ぎないのなら、安部の万年ひな祭りの費用を負担させられる国民は、たまったものではないのです。



552.北朝鮮を巡る空想。2016/10/13

・北朝鮮、ホワイトハウス消す。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016101200939&g=int
(寸評:ハイハイそうですか。この国は国民が革命を起こすか、全員が脱北するか、または中国が人民解放軍を投入し、制圧して併合してしまった方が、国民にとってはましでしょう。そうなると欲の深い中国は、ついでに朝鮮半島全体が欲しくなるから、第二次朝鮮戦争が勃発することになります。そしてとうとう日本にも核ミサイルが飛んできます。なにしろ国内には100か所も米軍基地があるのだから狙い放題です。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるの状態です。そして厚木や横田に核ミサイルが着弾したら首都圏はひとたまりもありません。文字通りの東京砂漠になります。エバンゲリオンの死の天使も腰を抜かすでしょう。破壊するものがなくなるからです。ナンマンダブと、弔う自分自身さえもはや存在していないのです。もうひとつの奇策は、米国が朝鮮半島を51番目の州にしてしまう事です。その時は、豚キムチは米軍太平洋艦隊、攻撃型潜水艦長にでもするのでしょうか。搭載口を通れればですが。そうなると、太平洋艦隊司令長官いわく、お前のところのミサイルの精度はボロだから、間違って味方を撃つ恐れがある、そんなことになったら、二等兵に格下げするぞ、分かったかこの野郎、とでもいうことになるのでしょうか。以上は最近少ない政治風刺漫画の代わりとしての、お粗末な読む漫画でした)



553.年金は積立金。2016/10/14

年金が、若い人たちの保険料で支えられているという話や、税と社会保障の一体改革の説明を聞いて、少なからぬ違和感を覚えています。年金とはそういう性質のものではないはずです。高齢者は働きもせず、若い世代におんぶにだっこだとでも言いたいのでしょうか。子供だましの責任転嫁が見え隠れしています。まず高齢者は年齢制限があって、働きたくても働けません。深夜の守衛や清掃業ならパートで雇ってくれるかもしれないが、それこそ高齢者には無理な仕事です。経験、能力、人間力がいかにあっても、職場からは去らねばならない。それが定年制です。そこには、若い世代から職場を奪ってはならないという理屈もあります。日本の年金制度は、定年制度と密接に結びついているのです。自分が望まないのに職が取り上げられる以上、退職後の何らかの生活の手段が必要です。退職後の生活保障の仕組みが年金制度です。ここで大きな問題があります。それは巨額の資金に、政府が関与してくることです。過去の事例では、年金基金で会館や音楽ホールなどを沢山作り、運営が赤字で、安値で叩き売るなどという事件もありました。納付者の記録が何千万人分も紛失するという不祥事もありました。厚労省が職務不適応者の巣窟と化していたのです。

年金資金は本来政府が手をつけてはいけない資金です。政府の役割は集金と分配の業務だけでいいのです。その為の実費を負担することに異存はないが、勝手に使い込んだり、運用先を国が決めたりすれば、それは明らかに越権行為です。しかもその判断ミスで巨額の損失を出していながら、代表者には年間4000万円近い報酬が支払われています。運用益を出した時だけそれに見合った報酬を出すような、歩合制に切り替えるべきなのです。何をしても首にならないのだから、結局何でもするのです。そもそも代表を国民が選べないのはおかしいのです。政府が関与するというのなら、赤字を出せば税金で補てんしないと筋が通りません。

もう一つ、年金が社会保障だという考え方が間違っていると私は思います。年金と生活保護は性質が明確に違うのです。年金は勤労者の積立金であり、生活保護は税の分配機能だからです。だから両者が重なっても少しも不思議ではないのです。両者は全く違う性質の給付であり、政府から支払われているように見えても、年金は給付ではなく配当なのです。そして年金を前提にして、それが少額で、生活に支障を来す人たちには生活保護でカバーし、国民が等しく、人並みの生活が出来るようにするのが生活保護であり、政治の本質なのです。

ところが生活保護を受けていると、まるで下等市民か非国民、或いは犬猫のような扱いを受けます。自動車は持つなとか、様々な有形無形の制限があり、塀のない刑務所と同じようなものです。更には民生委員が権利を乱用して倫理上の問題も引き起こしています。教養もなければ、人間性さえ置き忘れた人達=片山議員を含む、が匿名でネットで貧乏叩きをして、悪口雑言を投げつける。このどこに日本人の美徳があるというのでしょうか。

私は退職直後に、第二の職場を求めて職業安定所に顔を出したことがあります。職安の職員の、高飛車で人を見下した態度に一度で嫌気がさして、二度とは行きませんでした。こちらはその職員程度の仕事程度なら5人分くらい出来るから、いつでも代わったるわいと心中で思いましたが、それを口には出すほど分別は失っていませんでした。彼または彼女にも生きる権利はあるからです。無論私に出来るのは職安の職員だけではありません。地方議員なら一人分の報酬で、しかも政活費ゼロで、3人分くらいはゆうに働けます。

話がずれましたが、今の高齢者は何十年もの間、収入に比べて過大ともいえる高額の保険料を強制的に天引き=積み立て、されてきたのです。その運用の配当益が原資なのです。決して税金から給付を頂戴しているわけではないのです。そこで胸を張らないと、安倍首相のように、勝手に代表者を任命して、勝手に運用し、勝手に損をして、勝手に給付を減らすという越権行為、というよりむしろ違法行為がまかり通るのです。年金基金は政府が勝手に処分して良い金ではなく、国民の財布の中身なのです。税金のように政府に使い方を任せている金とは違うのです。年金に関しては、国民はもっと怒るべきなのです。政府に集金と支払い業務の代行以上のことをさせない仕組みが必要です。今のような体制では、そのうち基金が、国民の気が付かないうちに目減りを続けて、ついには元本割れして、いつのまにか無くなってしまうという事さえ起こりかねないのです。しかも覚えておられるかどうか知りませんが、これは某民間預託先で実際に起きているのです。消費税を上げたことで、当時の民主党政権が倒れました。だから未だに自分の失策を認めようとしない、うつろな目をした野田に乗っかる蓮舫が、本当に代表に相応しいのかどうかも疑問が残るのです。それは別の話としても、年金をカットした途端に、今度は安倍政権が倒れるでしょう。



554.生活と資本主義。2016/10/17

昨夜のNHKの経済の特番の、お笑い芸人の底の浅いやりとりを聞いていて、気がついたことがあります。それは資本主義の持つ宿命です。経済成長が資本主義の前提である、というより、そのために考え出された仕組みが資本主義だという事です。そして経済が成長すれば、その利益を(不平等ではあるが)分け合い、また再投資して、次の成長につないでゆく。だから資本の再投資先、即ちフロンティアがなくなれば、そこで賞本主義は行き詰まり、その使命を終える。但し、フロンティアがもうないという一方的な悲観論もまた、私は正しいとは思えない。フロンティアは作り出せるからです。

私の素人考えでは、成長がゼロでもマイナスでも、今の生活が維持できればいいじゃないかと思うのですが、いまより豊かな生活を望むのは人間の本質です。自動車が欲しい、持ち家が欲しい。より良い生活水準を求める努力は一生続きます。しかし行き詰まった世界経済がこれ以上(期待したほどには)成長できない。成長の余地がなく、分け合う利益がないのであれば、後は他人から奪うしかない。それがリーマンショックだったと思います。有利な投資を売り言葉に、貧しい者から金を奪い、ごみに投資させる。サブプライムローンを考え出した者たちは、それを債券化して、他の金融機関や投資家に売りつける。当然のように、貧乏人は家も資金も失う。しかもこの場合はしかけそのものに無理と詐欺の要素がありました。

こういうからくりがまかり通る世界では、金融商品を動かせる富裕層だけが(低所得者はその日の生活で一杯であって、金融資産など持つ余裕はない)巨利を享受できる。むろん損をする富裕層もいるでしょうが、同じ金額の損失でも、富裕層は痛手が少ない。

リーマン後に金融資本主義への反省がありました。結果、狂ったような金融資本の動きは沈静化したかに見えます。しかし今は他の要素がある。例えば、中国の巨額の資金が投資先を探してうろついています。私は狙い撃ちにされるアフリカが心配です。なぜなら資本はいつか引き上げるものだからです。

低成長で不安定な世界経済の現状を誰も直視しようとしない。なのに日本経済に目をやれば、アベノミクスを信じて長い目で見てくれという。今後もアベノミクスに力を入れたいとおっしゃる。これって、自分には対策がない、経済学的に無能だと自分で言っているようなものですよね。安部首相は経営者に不利なトマ・ピケティの講演も否定し、黙殺した前科があります。

本件は短い前書で論じられるような性質のテーマではありません。今日もいくつか経済の記事を紹介しています。私にできるのはそれくらいです。それでも私たちに、政治家や権力層のつくウソを見抜く力を、今ほど求められている時代はないのです。そうでないと、そう長くない先に、世界が消滅するでしょう。



555.死刑廃止論。2016/10/18

・死刑廃止反対7割。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20161017-00000245-fnn-soci
(寸評:無差別大量殺人や通り魔的な犯罪の多い昨今、提案の時期が悪過ぎます。日弁連の変わらぬ人権思想は尊重に値するとしても、有効な犯罪の抑止力として代案を提案しない限り、国民感情は納得しないでしょう。人を殺しても、反省すればそれで済むというのでは刑罰とは言えません。犯罪の抑止力にもなりません。相模原の施設の殺人犯が、自分には精神鑑定があるから死刑にはならないという暴言も吐いています。確かに人間のすることなので、誤審の可能性は常にあるし、刑罰を一瞬で終わらせるより、一生かけて償う方が前向きかもしれませんが、殺人犯の全員が反省や後悔をしているわけでもありません。あれだけ多くの人を殺した麻原の処刑も未だです。いかなる信念や理由があっても、殺人は許されないという原則が、死刑制度廃止の大前提です。しかしこれは戦争容認論の安倍政権下では無理でしょう。死刑制度の存続は、復讐の代行であってはなりません。犯罪抑止効果が最重要なのです。但し私は絞首刑には反対です。相手がいかに極悪非道でも、無用な苦痛を与える必要はないからです。また死刑制度を廃止すると、警官は銃を持てなくなる可能性があります。犯罪現場で、容疑者を防止するために射殺するなどという行為は一切許されなくなるからです。私は銃の使用には反対の立場です。人の肉体を銃弾で切り裂いて殺すなどという野蛮極まりない制圧方法や、抹殺方法があってはならないからです。非致死性の武器の開発こそ、今世界にとって最も必要なことなのです。相手が銃を持っていても、その頭上にポンと撃てば、ロボットが自動的に敵を識別して一網打尽で縛り上げる。そういう武器が必要です。或いは気を失わせるだけでもいいのです。殺すことが目的ではなく、相手から攻撃能力を奪うことが目的であり、殺害ではなく逮捕が目的だからです。米国のドローン攻撃はまさにこの真逆を行くものです。誰を巻き添えにしようとお構いなし。殺害で問題を解決する。まさに一巻の終わりです。殺害する側は、本国で守られていて、無感動にスイッチを押すだけです。銃と爆弾はコストが安いから使うというのでは理屈が通りません。なぜなら21世紀の人類の技術なら、原始的な武器以上のものを開発する能力はいくらでもあるからです。この見解に反対するのは、おそらく銃器メーカーと、武器商人くらいでしょう。一旦戦争となると無差別殺りくの応酬=だから絶対に戦争を始めてはいけないのです、だが、せめて犯罪者の逮捕と暴動の制圧くらい、非致死性の武器を使うべきだと思います。警察は本来、軍隊=暴力装置、とは別の存在だからです)



556.有刺鉄線切って逮捕。2016/10/18

・沖縄の米軍訓練場、有刺鉄線切断で逮捕。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161017-00000541-san-soci
(寸評:いよいよ安倍政権が本性を現しました。鉄線を二か所切っただけで逮捕です。どうせなら反対派全員を逮捕して投獄したらどうですか。自分達の政権運営に邪魔なものは、行政の実力=警察や検察の手を使って排除するのは、政敵の排除を含めて、自民党の常とう手段です。権力欲を口先だけでごまかす安倍政権。昨日の安部や伸晃の、TPPの国会答弁でのせせら笑いが、彼等の国民を見下した態度を象徴しています。国民があざ笑われているのと同じことなのです。伸晃のような、低レベルの詐欺師に諭されるほど、私達国民は馬鹿でもなければ、落ちぶれてもいません。石原一族は、一日でも早く、日本の政治シーンから去りなさい。ちなみに伸晃は、内田とともに、自民党の都議代表という役割での重大な責任もあるのです)



557.超ブラック企業電通。2016/10/18

今朝は批判的精神が旺盛になっているので、読んで不快感を覚える方には、予めお詫びしておきます。ところで現在のグローバルな資本主義体制が行き詰まり、問題が露呈してきているのであれば、制度を変えればいいのです。所詮人間が作り出した便宜的な経済システムなのだから、仕組みは変えられるのです。資本主義が聖域であってはならないのです。人類と個人の幸福こそが聖域です。この発想の転換を革命と呼ぶかどうかは、考える人次第です。

電通が社長名で残業の上限を月5時間減らすという通達を出しました。その文章を読んであきれました。文章の随所に何で自分達の企業が糾弾されなければならないのかという不満がくすぶっており、しかもこれまでも月50時間の制限がきちんと実施されていれば、こんな事態にはなっていません。今回の名目上の残業時間も、削減幅は1割に留まっています。事実上は残業が100時間以上にも及ぶから、こうなったのです。社長を強制的にでも交代させない限り、この名目と実態の乖離は続くでしょう。なぜなら経営者の意識は少しも変わってはいないからです。この際、司直もこの超ブラック企業の実態をとことん暴かない限り、日本の労働者は救われません。
関連記事
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161017-00010002-bfj-soci
関連記事。生産性の低さも問題。
http://www.newsweekjapan.jp/kaya/2016/10/post-24.php



558.良識、常識、非常識。2016/10/19

私には専門知識はありません。ささやかな職歴や学歴もあるので、なんらかの知識はあるのでしょうが、それで生活が出来るような専門家のレベルではないことくらい自分でも承知しています。ということは政治や経済や社会現象を判断する時にはいきおい常識に頼るしかないのです。以前は、試験の中に一般常識というカテゴリーがありました。庶民の判断基準です。他に良識というものがありますが、これは一般常識よりやや高度な判断基準で、倫理的な色彩があります。但しこうした分類も、あくまで個人的なものであって、誰にでも通用するとは思いません。なお専門知識こそありませんが、人間というものが、どのように考えるかは学んできたと思います。しかもそこには性善説と性悪説の双方が同時に存在しているのです。

ところで、国会の中継はなるべく見るようにしています。皆さんが、野党の質問に対する、安倍内閣、即ち政府の回答を聞いてどうお感じになっているかは、いつも一方的に情報を発信しているだけの私には分かりかねる面もあるのですが、私が自分の一般常識レベルで考えてもおかしいと感じることが余りに多過ぎます。最近、特に気になる、というよりむしろ気に障るのは、TPPの審議における石原伸晃の発言です。薄すら笑いを浮かべながら、何でこんなことが分からないのかといわんばかりの態度です。これはラジオ中継では絶対に分からない側面です。ご議論頂きたく存じます…。本当にそう思っていないことはTV中継を見ている国民にはしっかり伝わっているのに、それにさえ気が付かないくらい鈍感なんでしょうか。国民に対する傲慢さと嘘。あの石原慎太郎にしてこの子ありです。一抹の救いは、伸晃が自民党内でも支持者が皆無に近いという実態=週間朝日最新号、です。政治家はまず人間的に優れていなければならない。有権者に対して正直で、誠実でなければならない。権力を振り回したり、私腹を肥やしてはならない。石原父子の姿勢はその対極にあります。しかも安倍首相の態度には石原父子に通じるものがあり、ただ当たりが少し柔らかいだけです。批判があれば反論するのは当然ですが、野党の質問に正面から、誠実に答えようとしているようには到底思えません。相手が新人議員なら、あからさまに嘲笑を浮かべる、野次る。そういう安部政権の国会答弁を一言で言えば、慇懃無礼という言葉に集約されると思います。

国民軽視の立場はその政策にも現れています。政策の真の目的を隠して、言葉面だけで、国民をどう言いくるめるかが、安倍政権の国会答弁の正体のように感じられます。このような欺瞞に満ちた政治の闇黒時代にあって、私が希望を託するのは、都知事の交代と、新潟県知事の選挙結果です。小池がどこまでやるか、いつ二階と手を結ぶかは未知数ですが=未だあまり信用していません、少なくも都政に大きな闇と不正があったことが全国民の目に明らかになっています。知らぬ存ぜぬ、記憶にないで開き直る石原慎太郎が、すべて承知の上だったことは、前掲の週間朝日で、石原の元側近が証言しています。

今後、都議が知事を追及すればするほど、自民党都議の関与と不正が明らかになるでしょう。またそうでなければ都民が小池を選んだ意味もありません。悪が栄えたためしはなく、内田に代表される都議会も、またしかりなのです。政府よりの検察がいつ動くのかは分からないにしても、国民が不正に気付くことの方が遥かに重要です。議員を交代させられるのは有権者だからです。今や豊洲市場は、旧知事と都議会議員の腐敗と不正の象徴として、巨大な負の遺産になろうとしているのです。

話変わって年金です。私だけではないと思いますが、生活費に占める通信費の負担が馬鹿になりません。そこで格安SIMにしたり、料金プランを変更するなど必死の努力をしているのですが、それでも減額幅は月に500円か、せいぜい1000円止まりです。そういう時に、政府は一気に年金を7000円減額すると言ってきました。500円、1000円の節約などたちまち消し飛ぶ削減額です。しかも年金運用はブラックボックスです。私は投資株式の銘柄がどうあるべきかの議論をしている訳ではありません。それ以前の話です。政府の一存で株式の運用比率を上げ、挙句巨額の損を出しておきながら、指示はしていないと言いぬける不誠実さがまず問題なのです。巨額の資金は運用が前提になりますが、利幅より、確実性が重視されるのは言うまでもありません。その常識が安倍首相には通じないようなのです。いま私たちは、改憲草案を含めた、かつてない非常識な首相を目の前にしているのです。しかも組織の代表者がいかなる資質と経緯で選ばれたのかも私たちには分かりません。結果を見る限り、素人に毛の生えたような責任者ではなくて、本当のプロを雇う必要があると思います。また損失が出たら、どう穴埋めするのか、益が出たらそれを勝手に政府が使わないようにするのはどうしたら良いのかも、国民は知る必要があるのです。しかも何度も言うようですが、年金は積立金であって、税金とは性格が違います。最後の一円まで国民の資産なのです。だからこそ、積み立金額で、支給額も変動するのです。

政府の言う福祉政策がどのようなものか良く知りませんが、福祉の基本方針は、年金だけでは生活が維持できない世帯に、生活保護や、他の社会保障で補てんするという方向しかないと思います。いわば自助=年金、プラス公助=生活保護です。しかし政府の一体改革なるものの狙いは何なのか。まさかですが、年金支給をいつでも減額できるようにしておくことと、年金基金を政府が勝手に使えるようにしておきたいというものではないのか。だから税と一体でと言い出したのではないか。ならば、将来、防衛費や外国へのバラマキで税金の原資が足りなくなったら、平気で年金基金に手をつけるようになるのではないか。安倍政権のこれまでの国民に対する不誠実な態度を見ていると、そう思わざるを得ないのです。

長く権力の座にある者が陥る罠があります。それは自分が絶対者であり、しかも自分の権力が未来永劫安安泰で、永続するという錯覚です。しかし奢る平家は久しからずと申します。奢る安部清盛もいつか必ずコケる時が来ます。しかも牛若丸は与党から出てくる可能性があります。私は命ある限り、その時を待ち続けます。そして私がそういう希望を持てるのも、日本が地方政治から変わろうとしている予兆を感じるからであり、メディアがやっと本来の批判精神を発揮し始めたように見えるからです。
関連記事。危険にさらされている民主的資本主義。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47814
同、99%のための資本主義。
http://www.newsweekjapan.jp/tanaka/2016/10/99.php
(寸評:一読を)



559.自衛隊の実像。2016/10/20

現在の資本主義は、格差を維持するためのシステムだという見解を聞いたことがあります。でもそれは副次効果であって、資本主義を採用した結果として、「必然的」に格差が維持拡大されるという方がより正確ではないかと思います。

深夜のTV番組で、自衛隊の経費の85%が人件費で、装備に回っていないと森本元防衛相が訴えていました。5兆円もの金が全部人件費なら、とりわけ幹部は高給を得ているということになります。また軍事の専門家は、稲田防衛相が南スーダンでは国連の建物の中に7時間居ただけで、現地のことが分かったとは思えないと言っていました。女性防衛相を任命するにあたり、安倍首相はこうした事態も考えに入れていたのでしょうか。緊急時に最初に防空壕に逃げ込むような大臣なら、私たちは彼女に何を期待したら良いのでしょうか。自衛隊に対して、自民党の議員がスタンディング・オベーションをするのは彼らの勝手だが、自衛隊のありのままの姿は、国民には伝えられていない。中でも懸念されるのは、自民党の勝手な価値観から自衛隊が聖域化されてしまうことです。そうなると日本の軍隊がブラックボックスとなり、肝心のシビリアン・コントロールが、あってなきがごとしになってしまうからです。



560.追憶の森。2016/10/21

新作ビデオの紹介です。最初は「ミスター・ホームズ」です。認知症の兆候のある、老境のホームズが、引退の契機となった最後の事件を記録しようとしてペンを執るが、肝心のポイントを思い出せずに悩む。このあまりに地味な物語が、不思議に見ている者を惹き込みます。登場人物も、老境のホームズと、家政婦とその息子の3人くらい。ホームズはミツバチの世話で余生を送っています。なんと認知症に良いという山椒を探しに日本に行き真田広之と会うサイドストーリーもあります。記憶の糸を辿るにつれ、ホームズ最後の事件の意味が見えてきます。それはホームズの生き方への反省でもあります。日本のシーンでは原爆ドームも登場します。主演はロード・オブ・リングで、良い方の魔法使いを演じた、イアン・マッケランです。

二本目は「追憶の森」です。妻を亡くした失意の科学教師=マシュー・マコノヒーが、死に場所を求めて青木ヶ原樹海にやってくる。かなり陰気なテーマで、原題もズバリsea of treesです。いざ服毒しようとしたマコノヒーの前に、やはり森の中をさまよっていた渡辺謙が現れて助けを求めます。見捨てる訳にはいかなかったマコノヒーは、レインコートを貸し与えて、二人で出口を探すが、さすが魔の樹海、出口が分からない。そのうち転落事故で負傷します。さてどうなるかですが、物語そのものは極めてシンプルで、結末もある程度は予想通りにしても、誰しも納得はすると思います。渡辺を使ったのは日本人だからでしょう。

この二作品とも、ほぼ主役の一人芝居に近い作品ですが、ベテラン中のベテランなので、演技力に不足はありません。





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