「WTWオンラインエッセイ」
【第27巻の内容】
「不自由と不平等の国」
「徳なき者の政治の私物化」
「廃炉費用は誰が負担するのか」
「駆けつけ警護の無理」
「偽りの保守」
「世襲と格差」
「TPP強行採決」
「あと一押し」
「トランプという名の悪夢」
「トランプ否定も選択肢」
「遺言、その1」
「トランプが呼び寄せる第二次南北戦争」
「国会論戦のあり方」
「ダース・アベイダー」
「原子力規制委員会」
561.不自由と不平等の国。2016/10/25
民主主義の基本理念は、自由と平等です。でも今の日本の=米国でも、どこに自由と平等があるでしょうか。安倍政権は秘密保護法や、市民活動の事実上の制限、改憲草案を通じて、報道と個人の自由を制限することに全力を挙げています。同じように働けば、同じように報われなければ、本当の意味で平等ではありません。本当の自由も平等もない。それが今の日本だと思います。
しかも経営者と被雇用者の賃金格差に加えて、労働の対価よりも、資本を働かせる不労所得の方が遥かに大きいのです。投資にはリスクが伴うからというだけの理屈で、巨大な利潤や、経済格差が正当化されています。でも投資では、額が大きければ大きいほど余裕もあり、分散も可能で、セーフティネットも用意されるので、結果的にリスクは少なくなります。かくして法人だけでなく、金融資産という形で、法人の利潤を享受できる個人=富裕層、の経済的格差も開くばかりなのです。
米国に加えて、日本でも資本主義が限界に直面しているのに、その実態からあえて目を逸らそうとするイナーシャ=権力層による、が働いています。それを政治家として後押ししているのが自民党であり、安倍政権なのです。そもそも、トリクルダウンなどという言葉を政治家=安倍自身、が言い出すこと自体間違っています。それは政治で対応すべき格差を、経営者の手に委ねることを宣言しているのと同じだからです。
それにしても、以前あれだけ盛んだった労働運動や、労働組合は、一体どこに行ってしまったのでしょうか。自由と平等。それが今の行き過ぎた資本主義を乗り越えて、閉塞感を打開するキーワードになるのではないか。私はそんな予感がするのです。
またそこに身の丈に合った生活という言葉をつけ加えても良いと思います。なぜなら身の丈にあった生活からは不満は生まれないからです。皆が同じ価値観を共有できれば、結果的に大きな経済的格差にはならないからです。使いきれない収入を得ている人たちが、少し我慢をしてくれれば、多くの恵まれない人たちが救われるのです。
とはいえ、皆が全く同じである必要もないのです。プライベート・ジェットやヨットや高級車を持ちたい人は持てばいいのです。しかし、その分ほかの部分を切り詰めてもらう必要はあります。私の場合はそんなものには関心がないので、同じ金額ならほかの目的に使います。そういう資産の持ち方や用途の多様性の担保も、次世代の経済システムでは必要になるでしょう。
具体的には、ジェットでもヨットでも共有すれば服須のひとの欲望を満足させることが出来ます。別荘だって同じです。私は一人で使い切れないような資産は、何らかの形で社会資本として、複数の団体や個人が行動管理する方が、経済活動の無理、無駄、ひいては不平等の改善になると思います。
個人間の格差はいやでも生まれます。それは価値観と能力には差があるからなのです。多かれ少なかれ差は生まれる。そこまで否定したら悪平等です。でもその格差が極端に走らないようにすることは、今の資本主義でも、とりわけ政治形態でも可能なはずです。
格差が開くのは、政府にその気がないからなのです。ということは、日本の政治が民主主義ではないということに尽きるのです。
562.徳なき者の政治の私物化。2016/10/25
・野党共闘に共産、不満。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20161024-00000089-nnn-pol
(寸評:以下は民進党の支持者は読まない方が精神衛生上良いと思います。確実に腹が立つでしょう。共産党の不満はもっともなのです。そこには野田・蓮舫が主導する民進党の本音が露呈しているからです。言葉面だけというのはアドルフ安倍の手口です。口先だけの共闘の蓮舫・野田が、安倍の手口を踏襲するだろうという予感が、残念ながら当たりました。
しかも補欠選挙では、負けても次につなぐという意欲さえ感じられない。無名の新人を都民にどう支持せよというのでしょうか。本当に勝とうと思うのなら、他にいくらでも候補がいたでしょう。独りよがり=だから共闘できない、もほどほどにして頂きたい。
一人よがり=唯我独尊は、野田の顕著な特徴でもあります。何を考えているのかさえ分からない民進の選挙対策は、誰が考えても幹事長の責任ですが、本人からは敗北宣言も反省の弁もありません。しかも善戦が期待できた福岡でさえ惨敗です。
かたや他にするべきことが山積しており、いまは過労で倒れていても少しもおかしくないのに、必要のない衆院選に出馬を表明する蓮舫議員。人間が薄く、内容もとらえどころがないのに、政治的野心と人気取りだけは旺盛です。二重国籍の問題だってまだ解決していません。いつ心変わりするか分からない不安を国民に与え続けている、リベラルな国民を食い物にする民進党の二人なのです。
与党と野党の両方から騙され続ける日本の国民とは、何と不幸な人たちでしょうか。もともと自民党なのだから、いつ寝返っても許される、小池と若狭の方が、反旗を振って善戦しています。かたや、かつてリベラルな国民を裏切り、維新と共産、みんなに票が分散するきっかけを作った野田とそれを尊敬すると公言しているのが蓮舫です。
野田は火中の栗を拾う前に、反省と禊が必要です。前科ゆえにいつまた安倍と取引して寝返るか分からない野田・蓮舫。どちらのコンビが本当に約束を守り、どちらのコンビが国民の側に立つのか。どちらの二人が福祉に力を入れるのか。もっと言えば、現時点でどちらが初の女性首相にふさわしいのでしょうか。
蓮舫は、見栄だけの価値観と方針を変更し、死に物狂いで働かない限り、国民にとっては不要な存在になりかねないのです。私には蓮舫が自分を捨てて政治に臨んだという記憶がありません。都知事選に出馬しないのかという記者の質問に、吐き捨てるように答えた時の態度が今でも記憶に焼き付いています。
これは人間力の比較なのです。本当は他に、もっと優れた女性議員がいると思います。冷たい言い方で恐縮ですが、私にとって、これ以上、野田・蓮舫=岡田執行部の負の遺産、に係る時間はなく、このコメントを書く時間でさえ惜しいのです。
徳なき者は人の上に立つべきではない。それが、この項の最後に、私が野田・蓮舫、そして無論のこと、安倍・麻生に捧げる言葉です)
563.廃炉費用は誰が負担するのか。2016/10/26
・福島廃炉に年数千億円。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161025-00000083-san-bus_all
(寸評:どんなに稼働期間を延長しようとも、神ならぬ人間が作った設備である以上、いつかは必ず寿命が来ます。日本には50基もの原発がある。もんじゅもある。しかもさらに新設の計画さえある。そのすべての廃炉費用をいつか日本は負担しなければならないが、そのような天文学的な費用を負担できる余力が日本経済にあるのでしょうか。今や年金をどう減らすかで議論が起きているくらいなのです。まさかこれ以上年金や福祉に掛かる費用を削り、消費税を20%にしてでも、巨額の対外援助費や、莫大な廃炉費用を確保せよとでも言うのでしょうか。しかも原発は今や不急不要の設備の筆頭です。炭鉱の跡の軍艦島の、原子力バージョンなのです。原発が稼働しなくても、必要な電力は間に合っており、この冬は一切節電の必要がないばかりか、原発の再稼働で余った電力をどう売ろうかと電力会社が困っているのです。いずれは国民に巨額の負担を強いることになる原発について、経産省と経産相は、国民をいつまでも蚊帳の外に置いておけると思っているのでしょうか。政府と電力会社を信用した国民が馬鹿であって、騙した自分たちには責任がないとでも言いたいのでしょうか。当時原発を作るべきだと判断した人たちが、いまどれだけ残っているのかは知りませんが、時の政府の責任者、電力会社の責任者、その判断基準と計画の詳細、特に生涯費用計画を、国民は知る権利と必要があるのです。なぜなら歴史の失敗から、私たちは学習しなければならないからです。総括が必要ないと思う政治家と行政官に申し上げる。ならば、国民に対して上から目線のあなた方が、廃炉費用も負担してくれるのですか、税金からは1円も負担しないと約束できるのですねと)
564.駆けつけ警護の無理。2016/10/26
・南スーダン、国連部隊、救出要請を拒否。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161025-00000084-mai-pol
関連記事。
http://this.kiji.is/163590698818307577?c=39546741839462401
(寸評:たしか政府軍の方が武装が強力だったから避けたという言い訳だったと記憶しています。しかも被害者は国連の職員です。敵前逃亡もいいところで、これではPKOが機能しません。アマチュアならお引き取り願いたい。PKOは軍人組織であって、非戦闘員を派遣しているわけではありません。銃を手にしたら最後まで引き金は引くな。でも一度決心したら確実に相手を倒せ。しかも同じような不祥事は自衛隊でも起こり得るのです。確かに戦闘と救出は違います。しかし戦闘が伴う救出もあり得るし、むしろ戦闘がつきものでしょう。軍事活動も、救出活動も、危険なことに変わりはないのです。しかし自分の身が危ないから救出もしないというのなら、そもそもその場に居る意味がないのです。問題は戦闘行動の拡大解釈にあります。中立的な立場で、しかも窮迫不正の状況に限定しないと、シナ事変のようなことが起こり得るからです。盧溝橋事件が軍の勢力拡大を目的にした偽装だったことは歴史的事実です。更に米軍は支援するが、中国軍は支援しないなどというのも筋が通りません。軍事同盟で自分の手足を縛ってしまうことの危険性がそこにあります。戦闘現場は急速に変化するものです。現場ではその場の判断を求められるのです。その時の判断基準は、国境を超えた人道主義でなくて何だというのでしょうか。しかしこのように現場を現実的に考えてくると、少なくもPKOでは最終的には傭兵しかないのかもしれません。国民の義務としてではなく、高給と引き換えに戦う戦闘のプロです)
565.偽りの保守。2016/10/27
今日は、岸井成格(しげただ)、佐高信(まこと)著
「偽りの保守・安倍晋三の正体」講談社α新書
から、前書の一部をご紹介します。
(以下引用)
私は『週刊金曜日』の2015年12月4日号に「岸井成格ひとりがそんなに恐いのか」と題して、こう書いた。岸井への手紙という形をとってである。
<『産経新聞』と『読売新聞』に載ったあなたへの個人攻撃の「意見広告」はひどいものでしたね。私は11月26日付の『日刊ゲンダイ』で、
「安倍政権や、そのお仲間は全局を"安倍サマのテレビ"にしたいのでしょう。安保法制は国民の八割が、なぜ成立を急ぐのかと反対していた。岸井氏の発言は国民の声の代弁です。
それなのに、政府に逆らうものはみなダメだと言わんばかり。それもひとりに対して、全面広告を使って集団で吠えて弾圧しようとしているのは極めて異常なことです。こんな広告を出されて、何も言わなければ、テレビが死んでしまいますよ」
とコメントしましたが、あるところでバッタリ会った伊集院静さんも、「あの通りだよな」
と憤慨していました。
「NEWS23」キャスターであった筑紫哲也さんも、もっと激しくいろいろ中傷されていましたよ。広告を呼びかけた渡部昇一ら、偏狭な愛国者もどきに石を投げられるほど、あなたの批判は的確だったということです。>
以下は略すが、明らかに保守が変質している。自民党が批判に耳を傾ける度量を失ってしまっているのである。
いま、田中角栄に再び脚光が当たっているが、安倍晋三と田中は同じ自民党でも対極に位置する。
安倍の祖父の岸信介に始まって、福田赳夫、小泉純一郎、そして孫の安倍と続く国権派の流れがあり、それに対して、石橋湛山、池田勇人、田中角栄、河野洋平、加藤紘一とたどられる民権派の系譜がある。
前者に中曽根康弘を加えてもいいが、国権派は、まず国家ありきで、市民という言葉を極端なまでに嫌う。市民を嫌うということは民主主義を嫌うということであり、民主主義を理念とする日本国憲法を邪魔なものと思うということである。
後者の民権派は池田のつくった派閥「宏池会」の大平正芳や宮沢喜一を含めて、現憲法を尊重する護憲派であり、残念ながら、この系識は自民党にほとんど存在しなくなった。 私は自民党を厳しく批判してきたが、民権派の石橋湛山や田中角栄については讃歌の評伝を書いており、タカ派の国権派を激しく指弾してきたのである。
(中略)
<この七年間で大きく変貌したのは奥行きをもった保守の退場だろう。石原慎太郎や橋下徹、あるいは安倍晋三のような単純なタカは私からみれば保守ではない。保守とはもっと落ちついた静かなものであり、堂々と批判に応えるものである。>と結んだが、単純で偏った保守によって「保守本流担当の政治記者」だった岸井が忌避される時代になってしまった。
果たして、それでいいのか?
社民党の土井たか子や村山富市と近かった私は岸井としばしば激論を交わしてきたが、批判を受け容れない権力は絶対的に腐敗するという認識では共通している。半世紀の交友の上に立った私たちの対論から、私たちの憂えているものを汲み取ってもらえれば幸いである。
(引用終わり)
566.世襲と格差。2016/10/28
「社会のヴィジョンはあるか」の全文
朝日新聞論壇時評2016年10月27日から
歴史社会学者 小熊英二
「日本の歴代首相の簡単な覚え方を教えよう。敗戦から1954年までの首相は元外交官だ。占領軍と交渉するのが首相の重要な仕事だったからだ。55年から80年代までの首相は元官僚か地方のボスで、自民党の黄金時代を築いた。90年代以降の首相は多くが2世か3世で、日本は長期低落している」
以上は、私が外国で講義するとき、ときどき使う説明だ。こうした見解は、私だけのものではない。田中秀征は、敗戦直後に当選した世代が、80年代までの自民党を主導したと述べている。彼ら戦争を経験した「創業者」たちが引退した後の自民党は、力量や平和意識に劣る世裏議員の党に変賓したという。
こうした自民党の変質は、「右傾化」の一因ともいえる。しかしもっと重要な のは、首相の世襲化が、日本社会そのものの変質を反映していることだ。
自民党員数は91年の547万がピークで、2012年には73万に減った。政権復帰後は議員にノルマを課して党員を集めているが、まだ100万にも及ばないという。自民党の党員源だった町内会、自治会、商店会、郵便局、農業団体などが、グローバル化や情報化、民営化などで弱体化・高齢化したことが、党員減少につながっている。
こうして支持基盤が衰弱すると、議員の基盤も不安定化する。そのため自民党衆院議員の4割以上は当選2回以下でしかない。彼らは基盤が弱いので、党中央に逆らえない。連続当選できるのは、旧来の基盤が残っている地域の世襲議員になりやすい。こうして首相の世襲化と一強状態が出現する。つまり首相の世襲化は、日本社会の変質の表れである。
こうした変資は、政界だけではない。平均所得が減り、教育費が高騰するなかで、教育においても格差の再生産(世襲化)が目立つようになった。
75年に比べて、国立大授業料は約15倍、私大授業料は約5倍となった。渡辺寛人によると、子供1人を大学まで通わせた場合の教育費の家計負担は、すべて公立でも総額1千万円以上、すべて私立だと2千万円以上となる。
一方で子育て世帯の平均年収は、97年から12年に94万円減った。後藤道夫によれば、年収400万円で公立小中学生の子供2人がいる4入世帯では、年収から税金・保険料・教育賞を除いた生活費が、生活保護基準を下回る。大都市の世帯で子供2入が大学に進学すると、年収600万円でも下向ってしまう。
そのため少子化や「子供の貸困」が広がる一方、約半数の入学生が奨学金を借りている。その多くは返済が必要な貸与型で、学部卒の平均貸与金額は295万円だ。これだけの金額が、卒業時に借金としてのしかかる。在学中から就職活動やアルバイトで必死な者も多い。 学生団体シールズの奥田愛基は「家が大変だったり、奨学金の借金を6OO万円も抱えていたりするメンバーが半分くらいいる」と述べたが、これは今の学生の一般状況だ。これでは安心して大学に行き、学業に集中できるのは高所得家庭の子弟だけである。
他の先通国では、高等教育は無償であるか、返済不要の給付型奨学金が整備さ付てきた。だが日本では、家計が教育費を負担してきた。その前提は、教育にお金がかかる時期に、高い年功賃金が払わいていたことだった。しかしそうした前提は、いまは存在しない。
教育の負担だけでも、年収600万円の世帯はぎりぎりだ。さらに家族が病気になったり、介護が生じたりすれば家計が破綻しかねない。00年から14年に、生活が「大変苦しい」と回答する世帯は21%から30%に増え、「やや苦しい」とあわせて64%となった。
ではどうするか。経済成長は一つの回答ではある。だが経済が成長しても、年功賃金が復活することはない。教育や介護の負担が増える時期に、年功賃金が増えるのが過去の前提だったのだ。となれば、公的援助の充実は不可欠である。
しかし政府の方針は、それとは逆行さえしている。坂ロ一樹によると、この15年間の医療政策は、医療需要から介護需要へ、介護施設から在宅介護へ、負担を移転させるものだったという。つまり政府や事業主の医療費負担を、家族の在宅介護に転嫁してきたのだ。その代償は、年間約10万人の介護離職だ。目先の財政負担削減のために、家族と社会に重圧を強いた政策ともいえる。
恐ろしいのは、こうした政策の原因が意図的な悪意というより、ヴィジョンの不在であることだ。 「社会保障と税の一体改革」に関わった駒村康平は、「年金、医療、介護、子育ての各制度『ごとに』議論が行われ、制度横断的な議論は行われなかった」と述べている。
これでは、医療費を削減すれば介護費が増え、介護費を削減すれば離職が増え、年金を削減すれば生活保護が増えといった連関は論じられない。結果とて、社会の再設計という総合的ヴィジョンは欠落し、個別の制度をどう延命するかという目先の議論が多くなる。こうして無自覚のうちに、家族と社会に負担転嫁する政策が実現してしまう。それは結果として、格差の再生産や世襲化、介護離職や税収低下を招いている。
この状態は、省庁や専門を超えたヴィジョンなしには解決しない。有力政治家が世襲化し特権階層化するなか、メディア・NGO・知識人などの責務は重い。
567.TPP強行採決。2016/11/5
・TPP強行採決。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016110400516&g=eco
(寸評:必要もない法案を無理やり押し通す。それが安部政権の政治姿勢です。またそれを自分達に有利なように利用しようとする魑魅魍魎の群れが取り巻いています。政官財の既得権者や、無能で強欲な経営者、議員、知事達です。国民不在の独裁者の時代がもたらす息苦しい、生きづらい日本の姿です。正義もなければ倫理観も、無論思いやりもなく、為政者の権力の強化だけが優先されているのです。議会政治も国民主権も、もはや事実上存在していません。安倍マリオが空に掲げるのは、国民に与える改憲の毒キノコです。貧困な庶民は毒キノコを食べて死ぬ=徴兵制で、または、追い詰められて精神に異常をきたした者たちに殺される。鉄道の人身事故の統計を取ってみた方が良いと思います。これが美しい日本の姿なのでしょうか。
あまりにひどい言い方だと思う方もいるかもしれません。でも実態は、そんな表現でも手ぬるいくらいなのです。もはや議員や経営者の質の劣化で済む話ではないのです。国家の理想の腐食、政治理念の風化の話なのです。国が国民の権利をないがしろにする時代になってきているのです。一党独裁の政治で、国が安定していると安倍さんがいくら思おうとも、底辺では不満が渦巻いているので、いつ何が起きるか、誰にも分からないのです。トルコを見ていればそれが分かります。比の独裁者への熱狂的支持は、逆にそれが冷めた時に何が起きるかを想像してみれば、関係者は慄然とするはずです。
私は読者の皆さんに、経済的にも、身辺警護でも、あらゆる自衛手段を講じておかれることを強くお勧めしたいのです。なぜなら私たちが向かっているのは、強権的な軍事国家であり、極端な格差社会であり、福祉がぎりぎりまで切り詰められる貧困社会だからです。当たり前の日本人にとって、少子高齢化で過酷さを増す社会での生存競争を生き抜くためには、必死の生活の努力が要求されているのです。国が何もしてくれないというのならまだしもであって、それどころか、国は国民に財産どころか、生命までも要求し始めており、とことん国民を搾取しようと手ぐすね引いて待ち構えているからです)
・サンマ缶、2800万個回収。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161104-00000090-asahi-soci
(寸評:どうしてこうも社会は極多な振れ方をするのでしょうか。一匹のゴキブリが日本の経済を翻弄しています。冷静さも分析能力もないネット発言者が、なぜここまで影響力を持つのでしょう。そもそもそこまで社会現象を非難、糾弾するのであれば、なんで今のような安部体制が存在し得るのか、さっぱり分かりません。政治は聖域だとでもいうのでしょうか。それともネット市民にはネトウヨかクレーマーだけしかいないのでしょうか。それは付和雷同のより恐ろしい可能性さえ予感させます。今の日本に最も必要なものは、常識と良識に裏付けられた、市民意識であることを再度強調させて頂きたいと思います。ウェブ熱に浮かされたような、日本の大衆の姿を見ていると、いつ日本が戦争に巻き込まれてもおかしくないとさえ思えてきます。なぜなら為政者の扇動の一言で、世論が雪崩を打つ可能性が浮き彫りにされているからです。リベラルな国民は、ネットを正しく使う手法を身につける必要=ネチケット、があります。ネトウヨとネット市民は、似ていても非なる存在です。私は保育園落ちた日本死ねという発言にも、クレーマーなのか、市民意識なのかを一瞬迷わされる要素が含まれていると感じます。主張自体が間違っていないとすれば、少なくとも表現は変える必要があります。日本死ねではなくて、政府死ねにです)。
・天皇、災害多発で公務増大。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161104-00000058-jij-pol
(寸評:行政がすべきことを、代わりにやって頂いているのです。なぜそれが安部政府には分からないのでしょう。尤も被災地に行って、弁当だお茶だと騒ぐ議員や、ぬかるみで職員におぶさるような人たちだから、最初から話にはならないのかもしれません。私なら革靴のまま歩きます。汚れはむしろ勲章ですし、靴やズボンならでいくらでも取り換えが聞きます。しかし一度失われた名誉の挽回は、そう簡単ではないからです)
568.あと一押し。2016/11/8
日本は、一度権威・権力が出来上がってしまうと、そのあとは無批判にそれに従う傾向があります。いわば思考停止、思考放棄の状態です。考えたり、変えたりするのにはエネルギーが必要です。日々の労働や生活に疲れている庶民にはその余裕がありません。徳川幕府の治世が300年続いたこともそれが原因でしょう。そして停滞し、腐敗しているくせに、図に乗った幕府の圧政・暴政で、ついに堪忍袋の緒が切れた長州が反乱を起こし、明治維新に至るのです。いまの一般国民にも、徳川時代の庶民と同じように、改革や革新の覇気が不足しています。それはよほど国民が追い詰められない限り、変革は起きないということを意味しています。閣僚に不祥事や不正があっても、政府がその場の言い訳だけして、頭だけ下げておけば、安倍政権が安泰だということです。そして安倍政権の傘の下で、新自由主義の資本主義がはびこり、既得権が根を張り、その結果としての経済格差が拡大しています。新徳川幕府たる安倍政権は、現代の既得権を最大・最悪の形で体現した政権なのです。ところが独裁体制の必然の結果として、いまや地方と中央とを問わず、自民党の議員や行政の責任者から、不正や違反がぼろぼろ出てきています。これは規律と倫理観が緩んできていることを端的に示しています。それこそが安倍幕府が終末期に既に入っていて、いずれ自壊するというまぎれもない予兆ではないかと、私には思えるのです。そしてそのためには市民が立ち上がって、腐った大木を一押ししてあげる必要があるのです。
569.トランプという名の悪夢。2016/11/10
私たちは今、世界の歴史でも、最も大きな転換点の一つを目の当たりにしているのです。おそらく20-21世紀を通じて最も大きな変化になるでしょう。しかもそれは決して人類にとって好ましい変化ではないのです。一言でいえば、民主主義の理念の崩壊です。リーマンショックが資本主義、中でも新自由主義の限界を示しました。トランプ大統領の出現は、民主主義の限界を世界中の人々に知らしめたのです。即ち人類が考案した経済システムと政治システムの双方で、制度疲労が限界に達し、大きな音とともに崩れ去ろうとしている時代に、私たちは身を置いているのです。
アメリカ型の直接民主主義が、衆愚政治の側面を持つことは早くから分かっていました。歴代大統領の系譜を見れば、選択が世界史的に見て失敗だったことが何度もあります。ニクソン、ブッシュ父子。今回の選挙の本質は、クリントン対トランプでさえないと私は思います。それはつまるところ民主党対共和党であったのだと。実際に同時に行われた上下両院選挙でも、共和党が勝利しています。オバマ率いる民主党の政治に、不満の溜まっていた有権者が、ヒラリーが代表するクールで、リベラルな民主党政治が続くことを嫌い、その結果が、今回の大統領選の結果だと私は考えています。
でも単に政権交代なら、いつでも起こり得ることであり、またむしろ逆に起きなければ、民主主義とは言えません。なのに、なぜ私がこれを民主主義の制度疲労の結果だと申し上げるのかと言えば、それは米国(に限らず)民主政治が冷静な判断力を欠いた、自己中心的な衆愚政治に堕しているからなのです。政治は市民による政治でなければならないというのはギリシャ時代に遡る理屈です。そのためには大衆が皆市民でなければならないのです。同じ観点で言えば、フランス革命は暴動に近いものであり、民主主義への犠牲をともなう通過点と見ることもできます。市民と大衆の違いを一言で言えば、あくまで自分の利害を中心に感情的に判断するのか、それとも他人や自治体のことも考慮に入れられるのかどうかの差です。この差は僅かのようでも、決定的に違うのです。しかも今回の大統領選の投票行動における、市民意識と知性の欠落は、労働者階級だけに留まらないようにも思えるのです。
もっと言えば、ヒットラーを選んだのもドイツ国民であり、それは民主政治が制度としては正しく機能した結果であって、世界のあちこちで独裁者が猛威を振るっているのも、国家主義的な政策が支持されるのも、現在の民主主義のもたらした結果なのです。その最大にして最悪の例がトランプ大統領の誕生なのです。米国にだけは絶対に居てはならない独裁者の大統領が、民主的な政治制度が機能した結果として、誕生したのです。
一票が示しているのは有権者の、熟慮と良識による知的な選択であってほしいものの、それが実際にはその場限りの感情的な選択であっても、同じ一票に変わりはなく、一票の効果に差があるわけでもないのです。押しとどめる一人がいても、やっちまえと叫ぶ暴徒10人がいれば、リンチは実行されてしまうのです。
今回の大統領選は、米国の社会的、経済的構造の分析抜きで語ることは出来ません。即ち何が、そして誰がトランプのような米国の政治史上、最も人間性の低い、歪んだ価値観の人間を国のトップに押し上げたのかを、冷静に分析しないと、同じことが世界中で起きかねないのです。というより、既に起きているのです。トランプは、世界の潮流から見れば、氷山の一角なのです。
起こるはずのない、また起きてはならないことが実際に起きてしまった。これは米国人だけでなく、世界人類にとって大きな不幸の種になりかねません。なんでこのようなことが起きたのか。人格にも、知性にも、品格にも大きな問題のある人物、政治家としての経験もなく、経済にも外交にも疑問符の付くような人間が、なぜ世界最大の国のトップの座に就いたのでしょうか。
その背景には、いまや世界各国に共通の、国家主義、保護主義の台頭があり、強いリーダーップ=声が大きければ指導力があると思い込むのはヒトラーの場合と似ています、への要請があります。リベラル派の国民の油断もありました。まさか英国はEUから脱退しないと思って投票しなかった英国民と同じ油断です。FBIとメディアの不穏な動きも足を引っ張りました。両者の背景に見え隠れしているものは、現代人にふさわしいとは思えない、女性蔑視の価値観です。米国はかつて欧州から、野蛮で垢ぬけないカウボーイの国、知性の低い国だとさげすまれました。そして今回の選挙で、米国は21世紀のカウボーイの国であることを自ら証明してしまったのです。
メキシコとの国境に壁を作って移民を阻止せよと叫ぶ人物を政権の座につけました。そこには白人労働者階級の、自分たちの生活が厳しく、不安定なのは、富裕層がすべてを奪う米国の経済構造にあるのではなくて、自分たちの仕事を奪う移民が原因だという間違った理解、すなわち無知と無教養があるのです。
オバマ大統領はリベラルであるばかりでなく、人間としても信頼できました。広島を訪問した最初の米国大統領でもあります。ただし、その政策には米国内でさまざまな批判があり、政権運営で苦労していたことも事実です。そこには民主党のリベラルな政策に対する、白人の低所得者層の不満がありました。彼らから見れば、民主党、特にヒラリーは、ウォール街の高学歴な中間層の仲間に見えていたのだと思います。
オバマは国民保健制度を提唱していましたが、それは富裕層にも、白人低所得者にも受けが良くありませんでした。自分達より貧しい人たち(特に黒人層)の医療のために、なぜ自分たちが税金で費用を負担しなければならないのかというわけです。
ヒラリーは民主党のリベラルな政策を引き継ぐ立場なので、白人労働者階級(レッド・ネック)の経済的な困窮に対して、これという目新しい政策を打ち出していませんでした。そこに失敗があります。その上で、お高く留まった高学歴の女性政治家という印象が重なれば票が集まる訳がありません。問題は、そのことに、ヒラリー自身が気が付いていなかったことです。正論を述べれば大衆がついてくる、あるいはついてくるべきだと思い込むのも、またある意味での思い上がりでしょう。そこが嫌われたのです。一方で、同性婚の後押しなどでは、民主党の理念が行き過ぎている、すなわち保守層にはついていけない面があったとも伝えられています。即ち今回の大統領選には、民主党への不満が大きかったと見るべきなのです。
トランプは好きではないが、ヒラリーの方がもっと嫌いだという、感情的な理由で、票がトランプに流れました。ヒラリーのどこが悪かったのかと言えば、広く国民から共感を得るための努力を惜しんだことです。ロジカルな説明はあっても、情緒面でのアピールが不足していたことです。一方で、女性票なるものが結構曲者でした。確かに男性票よりは多かったものの、その差は思ったほどは大きくはなかったからです。そこにも同性を味方につける努力と、好感度の不足が影響した節が見えます。即ち強い女性の演出ばかりで、それが裏目に出たのではないかということです。女性の持つ優しさや包容力をなぜ打ち出さなかったのか。また女性の権利を正面から取り上げて、トランプのゆがんだ人格をメディアが正確に報道するようにアレンジするだけでも良かったのです。
今更ですが、私はなぜケリー国務長官が民主党から立候補しなかったのかと思います。彼ならトランプの誹謗中傷などどこ吹く風と受け流し、あっさりトランプを打ち負かしていたことでしょう。だから私は残念でならないのです。ただしサンダースでは、過激なイメージが強く、保守的な米国人には受けが悪いので、やはり負けていたことでしょう。
今回の選挙は、トランプが勝ったというよりは、ヒラリーが負けた選挙です。それも時代の空気に負けたのです。そこにあるのは国家主義と保護主義と強い米国への郷愁です。最初から共和党が有利な状況にあって、そういう時に、民主党が政権を取るには、人選と戦略を考える必要があったのです。戦略というのはイメージ戦略のことです。メディアの報道内容と、世論調査で勝敗が決まる時代です。今回の選挙に一番近いものは、ゴアがブッシュ・ジュニアに負けた選挙です。どう考えてもゴアのほうが人間的に上なのに、米国民は兵役も忌避した得体も知れないブッシュ・ジュニアを大統領に選んだのです。その結果911も起きました。
白人の労働者階級が、経済的な閉そく感から、民主党を嫌ってトランプに投票したのであれば、そこには明らかな矛盾があります。なぜならトランプが彼らの生活を何とかしてくれるという保証はないからです。むしろそれを実行してきたのは、民主党の政権だったという事実が忘れられているからです。トランプには財政の知識も経済の政策もなく、しかも労働者の対極にある富裕層の代表格なのです。肝心のそういう議論が候補者の討論会では行われず、悪口の応酬に終始し、同じレベルに引きずり降ろされて、相手の術中に落ちたのもヒラリーの失敗の一つです。
では今後、この選挙結果がどのように、私たちに影響するのでしょうか。私たちは孫子の代に至るまで、莫大な借金を背負っています。しかしトランプから見れば、日本は豊かな国なのです。だから防衛費の負担の増額を即座に要求してくるでしょう。それは増税と福祉や年金の削減という形で、直ちに我々の生活を直撃することになるでしょう。また保護主義が国是になるので、日本からの輸出は一層難しくなります。即ち輸出企業の業績が悪化し、利益が上がらないので、国民の生活はますます苦しいものになるでしょう。しかもトランプはドル政策を掲げています。それは円高を意味しており、企業収益の後退を意味しています。トリクルダウンどころか、アベノミクスそのものの崩壊です。そして景気回復で打つ手のなくなった政府や日銀が、一歩間違えば、今度こそ、本当のハイパーインフレで日本経済が瓦解し、多くの国民が路頭に迷うことになるのです。
一方で、米国内では、アラブを敵視していることが新たな火種となってテロが頻発するでしょう。大統領の命さえ、狙われかねないでしょう。しかも強い国を目標にしているのだから、企業の利益の為なら、ドンパチも辞さないでしょう。しかもその時は、日本の自衛隊に出動要請が来て、米国の国益のために自衛隊員が命を落とすことになるのでしょう。トランプが大統領になって日本に良いことなど一つもないのです。
トランプを選んだ米国民には、かつてレーガンを選び、ブッシュ親子を選んだ、保守的な衆愚政治の歴史があります。しかもそういう保守主義や米国ファーストの思想の背景には、高等教育を受けることが経済的に難しいという、米国の不平等な教育事情もあります。これは大卒の肩書という資格の問題ではなく、論理的な思考能力を身に着けたり、レベルの高い友人を得たり、歴史や政治の勉強をする機会がないことを意味しています。それ故に正しい政治的判断もできず、人物の見極めもできなくなり、そして最終的にトランプのようないかがわしい人物を選ぶことになるのです。知識と教養の不足から、いやでも投票行動が感情的、情緒的なものになるのです。クリントン対トランプは、ゴア対ブッシュと同じ構図です。即ち情が知に勝ったのです。
今私たちが目にしているものは、民主政治の名を借りた衆愚政治です。だから民主主義政治の構造のものにメスを入れて再検討し、うかつに戦争が起こせないような、あるいは経済格差が拡大しないような仕組みを新たに考えなければならない時期に来ているのです。それは改憲で、自衛隊を公認するというようなレベルの話でないのです。しかも民主主義、議会政治の状況という意味では、日本も、とても世界に威張れたものではないのです。なにしろ、投票率が国と地方を問わず25パーセントしかないのです。政治に対する無関心は、責任放棄という形で、感情的な投票をしかねない人達に、自分の権利を委ねているのと同じことなのです。それは無知な投票行動と変わるところはないのです。
トランプを選んだ米国民には、勢いだけで橋下を選んだ大阪府民に共通するものを感じます。現状を変えたいという気持ちは理解できるが、その時に慎重な判断が面倒だからすっ飛ばして、大言壮語の歯に衣着せない候補者を選ぶというパターンです。慎太郎もそうやって知事になりました。だから日本も米国のことを批判できないのかもしれませんが、それにしても規模が全然違うので、私はトランプが世界にとってとんでもない災厄になる可能性があることを懸念しています。トランプの知性と理性に信用が置けないからです。極端な場合、その場の勢いで、核のボタンを押す最初の大統領になる可能性もないとは言えないと思っています。
米国民は昨日、重大な過ちを犯しました。いずれ、米国民は、経済的な破たんや、戦争などで、身をもってその高い代価を支払うことになるのかもしれません。そして日本も、米国の愚かな大統領のおかげで、そのとばっちりを受けることになるのかもしれません。一抹の期待は、当初二流の俳優に過ぎなかったレーガンが、大統領に着任してからは、器に合わせて中身も成長したという歴史があることです。果たして高齢で頭の固いトランプに、第二のレーガンになる可能性は残っているのでしょうか。
570.トランプ否定も選択肢。2016/11/11
池上の番組が米国のメディアの反応を紹介し、ホワイトハウスが恐怖の館になるという意見や、NYTが怒りと疑惑(anger and suspicion)が米国人を支配(dominate)したと述べたことを伝えています。希望から出た選択ではなく、絶望から出た選択だということです。世界中がショックを受けた米大統領選の翌日(すなわち昨日)、外国でも日本でも、予期せぬこの現実(しかし最近は想定外が多過ぎる)を何とか受け入れようとうろたえ、一方、トランプはトランプで、一転暴れんぼうの印象を変えるべく、風格を身に着けようと躍起になっています。中身が変わらない以上、そう簡単ではないと思います。日本のメディア(特にNHK)も、相手が超大国の国民が民主的な手法で選んだ人間なので、むやみと批判ができず四苦八苦していました。でもこの動きは明確に間違っています。なぜなら実際の投票総数ではヒラリーが勝っていたからです。即ち今回の選挙結果が過半数の民意ではないということを示しているのです。
仮に、ナチズムを振りかざす人間がどこかの国の代表になった時でも、日本の政府やメディアは同じ反応を示すのでしょうか。今我々にとって最も正しいリアクションは、以下のようなものです。即ちそれは「あのトランプで米国は、米国は、世界は本当に大丈夫なのか」という疑惑の念を率直に表すことなのです。自分の気持ちに正直になることなのです。なぜなら世界中の人間にとって、それが偽らざる感情だからです。自分に嘘をつくことからすべての社会悪は始まりますマドンナもあきらめないと言い、マイケル・ムーアは新たなファシズムの波が来たと言いました。
かたやプーチンはほくそ笑んでいるはずです。独裁政治の天才、プーチンにとって、政治でも外交でも経済政策でもアマチュアのトランプなど、手玉に取ることなどたやすいことだからです。今回の米国民の愚かな選択が、世界中に高い代償を払わせることになり、それもさかのぼれば、米国での差別主義(レイシズム)と、白人労働者を含む、行き過ぎた経済格差が背景にあると見るべきなのです。これは世界中を巻き込んだ、所得の格差を原因とする階級間闘争が、銃火を含む闘争に発展する予兆かもしれないのです。ナチズムがドイツを席巻した時も、今と同じ不満が国民をナチズムに駆り立てました。これは独裁体制そのものの問題ではなくて、格差を前提にした閉そく感にこれ以上耐えられないという国民感情と、どんなものでも変化なら歓迎という、粗野で捨て鉢な民意が独裁に期待したことが問題なのです。しかし捨て鉢な選択が正しかった試しはありません。今後は厳重に彼の言葉と行動を監視し、行き過ぎがあればいち早く指摘し、国民レベルの行動を起こす。その覚悟が米国民にないと、やがて米国民は、独立運動で勝ち取った自由も平等も捨て去ることになるのです。
行き詰まった資本主義の限界が今回のトランプ勝利に端的に表れています。しかし資本主義を段階的に糺そうとしても、そこには既得権者(富裕層、しかもその多くが権力層)が築いて有形無形の壁が厚く高くそびえています。即ち現在の政治、経済システムの下では、マイルドな変革は事実上不可能なのです。となれば、暴力的かどうかは別にしても、ラジカルな方法でしか、資本主義体制は変えられないということを意味しているのかもしれないのです。日本で既得権への抗議が噴出したのが、小池知事の誕生であり、米国ではトランプ大統領です。しかも不味いことにトランプを支持する優秀な人材は殆どいない。だからトランプ政権の政策は愚策であり、しかも失敗する公算が極めて高いのです。
国民の不満や怒りを、敢えて無視し続けてきた米国の権力層は、怒りをバネにした国民の選択を突きつけられ、予期せぬドラスティックな形でそのツケを払うことになるのかもしれないのです。仮にですが、世界が、グローバリズムを含む矛盾を内包した資本主義の経済システムを糺すために、人命の損傷をともなうような混乱を経験しなければならないとしたら、人類に歴史にとってあまりにも悲惨なことではないかと思います。
話を戻すと、偏狭なナショナリズムと民族自決主義、そして独裁政治が蔓延する世界で、世界市民が自分の気持ちに正直になること。それしか自分たちの正気を維持する方法はないのです。即ち日本人も自国のプライドを持って、毅然としていなければならないのです。ところが昨日も危惧したように、安倍首相は早速、今日にもトランプの許にはせ参じたいばかりのうろたえようです。大国のトップにあるまじき醜態です。それはそうかもしれません。あれだけオバマに取り入るために涙ぐましい努力を続け、国会を無視してまで個人的な約束を守って、信頼関係を築いてきたと自負していたのです。その友好関係が、オバマの政策を踏襲するであろうヒラリー政権に引き継がれることを期待するのは、むしろ当然と言えるでしょう。ところが、あろうことか、ぼくちゃん首相が一番苦手なタイプ、げんこつで弟に言うことをきかせるような粗暴な兄貴分が自分の上に君臨することになってしまったのです。それは安倍首相が、今後ことあるごとに、トランプに隷属する自分のみじめな姿を世界中にさらすことを意味しています。現時点で最も効果があり、安倍首相も命より大事な面目=というより低次の見栄、を保つことができて、しかも世界中が納得する方法は、日本がこれまで培ってきた、米国の民主的な政権とのつながりを大事にすることです。それは日本が決して米国の腰巾着ではなくて、是々非々で国政を判断し、あえて「必要な」距離を取ることが今ほど必要とされている時はないということも意味しているのです。しかもそれは日本がアジアやロシア、中国とうまく付き合ってゆく上でも、最善の策でもあるのです。今こそ、真の日本人のプライドを世界に示すべき時なのです。
571.遺言その1。2016/11/12
・クリントンには未だ勝つ可能性がある。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161111-00180528-newsweek-int
(寸評:無論そんなことは針の穴を通ることより難しいでしょう。でもかすかな希望の光であっても、それを諦めてはなりません。あれこれ理由をつけては、規制事実を従順に受け入れる癖だけがついてしまった多くの日本人=為政者にとってはなんと都合の良い存在であることか、にとって、私の立場は異端に映ることでしょう。でも私はこのような日本でも、自由と平等と正義の火をともし続けたいのです。それがWTWの存在理由でもあります。知性と良識と情熱をベースにしたミニコミがもっと増えて、お互いに意見を交わす。そしてより高度の問題解決と共通理解を目指す。ミニコミが相互に有機的に連携し、論戦には誰でも参加できるようにする。そうして初めて、どんな独裁政治にも、既得権を前提にした格差社会にも対抗でき、個々の誤った政策を民主的な手法ではねのけることができるのです。そして本当のネチズン=ネット市民、の社会が生まれるのです。そこにあるのは情報を受け取るだけでなく、冷静な発信も行う市民です。この私の理念は未だ漠然とした概念に過ぎませんが、将来のネット社会の方向性のヒントの一つになってくれればと願っています。本当のことを言えば、もっと人手を増やして、内外から情報や民の声を集めたいのですが、いかんせん家内制手工業では限界があります。私が倒れたら、どこかの誰かが、同じことを続けてほしい。その人数もなるべく多い方がいいのです。間違ったことを間違っていると言えない社会になってしまったら、即ち言うべきことが言えなくなってしまったら、日本も世界もおしまいです。社会悪と孤独な戦いを続けている人たちに伝えたい。あなた方は決して独りではないのだと。現在と子孫の生活を守るために必死で戦っている者がここにもいるということを。ちょっと早いかもしれませんが、これが私からの、お世話になった日本社会に贈る言葉です)
関連記事。トランプタワー前でガガが抗議。
http://www.yomiuri.co.jp/world/20161111-OYT1T50057.html?from=ytop_main2
572.トランプが呼び寄せる第二次南北戦争。2016/11/13
KKKがトランプ大統領歓迎声明を出しました。トランプ支持集会の後には、壁には鍵十字が残されていました。新旧大統領が、いかに必死になって米国をまとめようとしても、もう無理なのです。過激派が勝った大統領選が、米国を二分してしまったのです。リベラルと保守、支配者と被支配者、持てる者と持たざる者、あえて言えば理性と感情の、複雑に絡み合った階級間闘争です。米国のこの選挙結果が世界各地で火種となり、新たな世界的な大混乱に発展することも十分予想される事態です。多分次はフランスとドイツで国家主義者が勢いを得て、場合によっては政権を取ることも考えられます。
持たざる者が、独裁者の甘言に釣られて、独裁政権作りに協力しました。でも独裁者は権力サイドの最たるものです。やがて権力を握るものとしての本性を現し、支持者は独裁者の捨て駒として都合の良いように使われることになります。衆愚政治と言い捨てるには、あまりに哀しい民の姿がそこにあります。戦前の日本もそうでした。権力者の都合で、消耗品として使い捨てられました。今の安倍政権下の日本でも同じ状況にあるのに、その現実から国民は敢えて目を逸らしているとしか思えません。日本でも詰まるところ、衆愚政治、それも物言わぬ衆愚なのです。そこが米国との違いです。米国では底辺層の大衆が、意表を突いた投票行動という形で、自分たちの不満を表示したからです。
米国や日本を含む世界中で、経済格差が容認しがたいほどに広がっており、それは資本主義が利潤を追求することを至上命令としている以上、ある意味で、当然の成り行きでもあります。御他聞にもれず、日本でも政治による格差の調整機能は発動されず、いまも持てる者と持たざる者の格差は開く一方です。それは政府自らが格差を容認しているからでもあるのです。トランプは金融の規制緩和を打ち出しており、格差は更に開くでしょう。
ISの台頭は、そもそも経済格差が主たる原因なのに、それを指摘して来なかったメディアにも責任があります。日本における軍人のクーデター、226事件にも農村と都市部の経済格差が背景にありました。一見平穏な時代と国の中で、私たちは安全な生活を送っていると思い込んでいても、実は一触即発の時代に住んでいるのです。しかもそれは公安警察が少し頑張ればなんとかなるというような生やさしい程度のものではないのです。なぜなら政治と経済の仕組みそのものが機能不全を起こしており、不均衡を糺すフィルターが目詰まりを起こしているからです。日本での相次ぐ汚職や経済犯罪、捨て鉢な貧困層の犯罪の多発が、格差を背景にした社会不安が日本でも、現に存在していることの、何よりの証拠です。しかも日本でも米国でも、この荒波を最小限の混乱で乗り超えるには、人並み外れた優秀な指導者が必要なのに、ご覧になればお分かりのように、実際には両国ともに、人一倍無能な=失礼、でも事実です、リーダーが権力を握ってしまっているのです。
私が申し上げていることが大げさだと思う方は、ぜひともこれからの世界の行く末を、即ちワールド・トレンドを、ご自分の目で確かめて(ウォッチ)頂きたい。遡れば、民主党(米国のことです)の代表選で、最後までクリントンが不人気のままで、最初はサンダースが先行していたことにも、この米国内の階級間格差の問題が内在していたのです。
私は、世界が必然的に変わってゆくこの時代に、人類の理性が暴力的な手段を回避するほど発達していることを願うだけです。なにしろ70年前に比べて、兵器の技術は各段に進歩しており、しかもより非人間的になっているからです。その最たるものが核兵器です。未だに世界中に残っている何千という核爆弾が、偶然にでも使われる可能性が、飛躍的に増大しているのです。冷戦時代の方が、まだしもコントロールが効いていました。なぜなら核兵器を所有する国が少なかったからであり、ヒロシマの記憶も鮮明だったからです。
誰の手によるものかの予測はつかないにしても、大量破壊兵器が実際に使われるリスクが現実味を帯びてきました。それは、映画ターミネーターに描かれたアルマゲドンが現実に起きる可能性も示唆しています。トランプの当選はその予兆なのです。既得権者=支配階級は、自分たちの立場と資産を守るためなら、超法規的な手段さえ使って、民衆を今の段階に閉じ込めておこうと、総力を挙げて向かってくるでしょう。そういう意味では、荒療治ではあっても、トランプの当選が、現在の政治経済の体制に風穴を開けるくらいの役には立つかもしれません。いまや何よりも民衆に必要なものは、被支配者の側に立つ、しかも冷静なメディアなのです。
既得権者にのみ有利な、歪み切った資本主義がもたらした必然の結果としての世界の混乱を眼前にして、私たち世界市民に課せられた責任と義務はあまりにも重く、大きいのです。
関連記事。KKKがパレード計画。
http://www.cnn.co.jp/usa/35092070.html?tag=top;topStories
関連記事。トランプ政権に家族3人が参加。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20161112-00000612-fnn-int
(寸評:これでは北朝鮮と同じです。民主政治、議会政治に対する冒とくです。政治の私物化であり、王朝でも作ろうというのか。プレイボーイ帝国のヒュー・ヘフナーの政治バージョンか。はたまた映画バック・トゥー・ザ・フーチャーで、悪童ビフが権力を持った闇黒の米国の未来図か)
関連記事。米でヘイトスプーチ蔓延。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/11/11/hate-since-trump-win_n_12921794.html?utm_hp_ref=japan
関連記事。イスラム教徒襲撃相次ぐ。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/11/post-6294.php
573.国会論戦のあり方。2016/11/15
昨日のTPPの委員会質疑を録画で流しながら原稿を書いています。最近の国会質疑には珍しく、参議院らしい、まともな(?)論戦になっていました。(自民の)三宅議員の質問でさえ、当を得たものでした。無論のこと、争点は、民進の小川議員が指摘した通り、なぜ新旧米大統領が反対しており、世論調査で80%が今国会で通す必要はないと言っているTPP法案を無理に通そうとするのかという一点に集約されています。また小川の言う、日本古来の三方よしの商いから、今では、今だけ、カネだけ、自分だけになっているという指摘もありました。このあたりはむしろ新旧(特に旧の傲慢な)経団連会長に聞きたいところです。米国でもTPP推進派は大企業、日本でも同じではないかという指摘も頷けるものです。富の再配分効果、とくに税による再配分が外国と比べて極めて低いというグラフによる指摘もありました。弱肉強食になっているのです。
ところで、今回はWTWとしては、いつもとは逆の発想をしてみたいと思います。無理無体を押し通す安倍政権。議会政治も民主主義もあってなきがごときの、独裁政治。それでも、内閣支持率は半数近い。賢明なる諸兄諸姉は、その理由を何だとお考えでしょうか。私は、それは政治の安定感だと思います。これはNHKの視聴率が安定している理由でもあります。仮に蓮舫党首、野田参謀が率いる新進党が偶然政権を握ったとして、その直後に何が起きるかです。それははっきり言って、株価の急落だろうと思います。
なぜなら新政権には、国民が政府にまずは期待するであろう安定感、信頼性が、よく言えば未知数だからです。そこで私は野党連合に提案します。かつての民主党の影の内閣という概念は機能しませんでした。それは日本人の感性にはそぐわなかったからです。その反省の上に立ち、多少似てはいますが、以下のような戦略を提案したいと思います。まず、野党4党内で、最も経済・財政に詳しい議員2名程度(衆参)を選んで、4党内で日本経済がどうあるべきかの議論を踏まえ、その合意をもとに、代表になった議員が専任で質疑を行うのです。防衛問題、税制、福祉またしかりです。福祉や政治家の違法行為については、共産党の独壇場かもしれません。
与党は独裁ではあっても、少なくも結集はしており、それに比べて、野党は個人戦で、個別撃破、というよりは、個別撃沈の状態です。特定の個人は目立つかもしれないが、野党の総力を結集した共同戦線の気概は希薄です。そこでテーマ別に最も有能な議員を選んで、ベストメンバーで論戦を展開する。なぜなら議会政治とは、つまるところ団体戦だからです。また仮に政権が野党連合に僥倖で転がり込むことでもあれば、その時は論客自身が同分野の閣僚に就任すれば良いと思います。それこそが本当の論功行賞です。
またこの方式を取れば、同じ質問と同じ答えを、繰り返し国民が聞かされる必要もなくなります。国民は馬鹿ではありません。一度聞けば分かるのです。その代わり、質問は必ず本質を突いたものであることが前提であって、政権からの回答も、真正面で受け止めて、正確な数字を裏付けにした、正直なものでなければなりません。またその回答は公約として政権の行為を制約するものでなければなりません。首相自らが平気で前言を翻せるようでは、議会政治など成り立たないのです。空転する論戦は、時間と経費の無駄使いです。また空疎な議論の繰り返しに付き合うほど、国民は暇ではないのです。
574.ダース・アベイダー。2016/11/16
Wowowが今月スターウォーズの特集を組んでおり、吹き替えではあっても、ノーカットでハイビジョンで楽しめるのは有難いと思います。いくつかの関連番組も同時に放映されており、その中で、パルパティーン共和国元老院議長が、ダース・シディアスの本性を表し、表情も歪み、皇帝の座に就き、共和制を破壊して帝国に作り上げてゆく過程の説明がありました。同時に帝国軍を拡大し、銀河を私物化していったこの手法こそ、独裁者の手口であり、ヒトラーと通じるものだと指摘しています。ちなみにジェダイは日本語の時代劇の時代から出ているとのことです。私は未だに安倍晋三氏を帝王とも、大物政治家ともみなすことが出来ません。しかし、私を含めた多くの国民のこの油断こそが、日本を破滅の淵に向かわせているのかもしれないのです。かたや皇帝の忠実な部下である悪の化身、ダース・ベイダーは、その飽くなき権力志向の末に、ダーク・サイドに落ちました。むしろそちらの姿にこそ、某首相の姿が重なるのかもしれません。粒は若干小さいが、価値観が似ているダース・アベイダーです。ところで以前はあれほど盛んだった政治風刺漫画が、最近は影を潜めてしまいました。それこそが日本の民主政治の空洞化の証左だと思うと、なんだか背筋が寒くなります。それは自粛という名前の、見えざる言論弾圧のありようなのです。
575.原子力規制委員会。2016/11/17
・美浜、運転延長認可。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161116-00010002-fukui-l18
(寸評:巨額を掛けて安全対策すればなんだって合格です。そんな結論しか出せないのなら、維持に金の掛かる委員会など不要です。消費者庁か、環境庁の一部門が担当し、検査官も一人でいいのです。そもそも規制委員会の目的が100%狂っています。危険な炉は再開を禁止することが本来の職務であり、条件付きで許可することが仕事ではないのです。即ち国民の安全を守るための組織ではなく、原発再稼働推進のための既得権に堕してしまっているということなのです)