「WTWオピニオン」
【第72巻の内容】
「自民党という病」
1375.自民党という病 18/12/11-15
今回からは、「自民党という病」佐高信、平野貞夫、平凡社新書、の紹介兼論評です。
本の前書きには、その本が書かれるに至った経緯、趣旨、目的などが記されています。同時に本の宣伝も兼ねています。なので、この部分を読めば、この本を買うかどうかを判断する目安になります。なので前書きの紹介から始まります。
「はじめに」 佐高信
「自民党という病」を語る時に、平野貰夫さんほどの適任著はめったに見つかるものではない。
岸信介の後の首相、池田勇人の子分というより弟分だった前尾繁三郎が衆議院議員になった時の秘書となり、平野さんはいわば楽屋裏から日本の政治、なかんずく自民党の政冶をつぶさに見た。見ただけでなく使者ともなって体験した。さらに、曲者政治家の園田直が衆議院副議長になった時の秘害もやっている。それも平野さんが衆議院の事務局に勤めているとは思えない、役人離れした人間だったからだろう。要するにカタギではないのである。いわばインテリ・ヤクザで、現在は小沢一郎のプレーンとして知られている。
その平野さんが、私の質問ならぬ尋問に答えて「秘話」を赤裸々に語った。だから、この本は「自民党秘話史」と言っていいほど、とっておきの話が次々に出てくる。
現在の読売のドンのナベツネこと渡邉恒雄と日本の黒幕の児玉誉士夫との関係をはじめ、「ここまで話していいのか」という秘話満載である。
ロッキード事件の本筋の"主犯"は田中角栄ではなく中曽根康弘であり、中曽根がそれを隠すために何をやったかなどは平野さんにしか見えなかった。その意味ではこの本はディープな証言の書でもある。
自民党を出た小沢一郎が自民党の小渕恵三の呼びかけに応えて、自由党と自民党の自自連立をやり、それに公明党が加わった自自公連立の後、自由党が連立から離れて自公連立となる。
その内幕については、こんなやり取りをした。平野さんはその時、経済評論家の長谷川慶太郎としばしば会ったというのである。
「小渕首相の使いの長谷川と私が連絡役でした。自由党離脱のセレモニーとして最後に党首会談をやることになります」
こう語る平野さんを私は次のように冷やかした。
「共産党を卒業した人と、共産党に入ろうとした人が会ったわけですね」
大阪大学工学部で冶金を学んだ長谷川は元共産党員で、平野さんは若き日に本気で共産党に入ろうとした人だからである、
この本の第六章は「公明党・創価学会という病」になっている。「自民党という病」を語る最後がどうしてそうなるのか。
現在、自民党の国会議員は公明党・創価学会の票の助けを借りなければ、半数以上が当選できない。だから、自民党の分析は学会の分析にならざるをえないのである。
その病歴珍断にも平野さんほどの適役はいない。平野さんは公明党が政界に進出した時の"家庭教師"であり、"裏国対"と呼ばれるほど深く関わっていた。関わっていたどころか、裏の国会対策委員長として指揮していたのである。
しかし、2016年5月13日に青森で開いた佐高信政経塾で語ってもらったように、平野さんは公明党の味方から敵になった。自民党に対してもそうである。
そのあたりを平野さんは青森でこう述懐した。
「私は高知の生まれで、あまりおとなしくなくて言いたい放題やりたい放題をするものですから、衆議院の事務局にいられなくなって、平成四年、参議院議員選挙に無所属で高知の地方区から出た。その頃は自民党も非常にガタがきていて、新しい政治をしなければダメだ、しかも冷戦が終わった後で、私は自民党をどう改革するかを目標に、自民党と公明党の推薦で出た。その頃までは、自民党と公明党も仲がよかった。その代表が小沢一郎さんであり、公明党は市川雄一さんや権藤垣夫さんだった。その間を取り持つような関係で、私も国政に出たわけです」
この本で私は十歳上の平野さんに親しすぎる口をきいているが、より深く追及するための手段として御容赦願いたい。
平野さんは『平成政治20年史』(幻冬舎新書)で、次のような興味深い指摘をしている。
2006年秋に安倍晋三が初めて首相になる直前、創価学会名誉会長の池田大作を極秘に訪ねたという。訪ねたのは首相に指名される四日前だった。かつて「政教一致」問顕で国会喚問もという池田を訪ね、安倍は一時間以上、熱心にメモを取りながら池田の話を拝聴したらしい。メモを取ると評価が高くなると安倍は入れ知恵されていた。だから池田は後で「安倍は真面目で、何にでも使える男だ」と感想をもらしたとか。
こうした話も平野さんは創価学会の内部から聞くのだろう。自民党および公明党の病をあますところなく語ったこの本を是非熟読していただきたい。
(編集者注:この前書きからだけでも、与党の政治が、国民に見せている外見や表情とは全く違う、裏の力の論理で動いていることが推測できます)
「自民党という病」の第二回です。
「第一章安倍首相を内乱予備罪で告発する」
佐高:2018(平成30)年9月7日、平野さんは内乱予備罪(刑法78条)で安倍首相を告発しました。
平野:ずっと我慢していたけど、我慢しきれなくなりましてね。安倍政権の五年半を振り返ると、彼は自分の思いどおりの国を作るために憲法を改正する前に解釈改憲をやり、憲法の基本原則をさんざん踏みにじってきました。刑法77条には、「国の統治機構を破壊し、(中略)憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動をした者」は内乱罪に処すとありますが、まさに安倍政権のしていることは憲法を破壊するものです。政府も官僚も安倍首相を忖度し、政府紺織ぐるみで国民を誤った方向へ導こうとしています。
安倍首相に対する告発状を山口弁護士とともに最高検察庁に提出しました。同じ日に憲政記念館で元公明党副委員長の二見さんも加わって記者説明会も開きました。
佐高:反応はいかがですか。
平野:週刊誌が何誌か取り上げた程度で、全国紙は「見ざる・言わざる・開かざる」です。
森友学園をめぐる財務省の公文書改ざんにせよ、自衛隊の日報問題にせよ、このような国会を死滅させる暴挙に対して野党は何にも修復しようとしない。これは国会の国政調査権を不能にすることですよ。何の政治責任もとらない安倍首相に対して懲罰動議をかけるなり、除名するなり、あるいは政治倫理審査会で辞任に追い込むなり、政治家としての資質そのものを国会が問うべきだと私は主張した。
ところが、共産党と自由党はわかるし、国民党もわからないわけではないが、立憲民主党は安倍首相を残した形で次の参議院選拳を迎えた方が勝ちやすいと考えている。この戦略はダメだと声高に言ったけど、なかなか聞かない。
ちょうどそんなときに、鳩山由紀夫前首相と経済学者の植草一秀さんが行う市民集会に呼ばれたんです。植草さんが「厳しいことを言ってくれ」と言うものだから、私はそこでアジ演説をしたわけです。
「大島衆院議長、異例の所感表明」
平野:かねてから知り合いだった憲法学者の小林節に会って、この問題を投げかけてみたんです。内乱罪そのものでは無理だけど、内乱予備罪か陰謀罪の構成要件に該当する可能性があることがわかり、その罪状で告発状を書けるのではないかということになったわけです。それでも私は躊躇していたんですよ。
そうしたら、大島衆院議長が民主主義の危機だと。数々の不祥事に対して安倍政権は原因を追及して改善策を考えろと、相当強い所感を表明した。大島さんの言葉が、告発を決心するきっかけになりましたね。
佐高:東京新聞が報じました。財務省の決裁文書改ざんや自衛隊の日報隠蔽は「民主主義の根幹を揺るがす問題だ。立法府の判断を誤らせる恐れがある」と大島議長が所感を出したと。三権の長では衆参両院議長が上位ですが、安倍晋三は議長や最高裁裁判所長官より自分は上だと思っているんですよね。
平野:意識的には自分が立法府の長だと思っているかもしれない。
佐高:それが最大の間違いですよね。それに対して、大島はさすがに耐えかねて指摘したんですよね。
「新しい民主運動」
佐高:もう一つ、私が感じたのは、この告発は憲法を「生きた憲法」にするという問題提起でもありますね。
平野:そうです。「安倍首相は憲法を冒涜するな」と野党が言わないなら、個人が「首相よ、憲法を冒涜するな」と声を上げないといけない。ここは非常に大事なところなんです。私はこの告発によって、日本人が明治以来の負の遣産である官僚支配の改革に立ち向かってもらいたいと思っているんです。
平野:民主党政権のときもそうでしたけど、官僚が政治を牛耳っている限り、公定力理論というのは頑然と生きているんですよ。
辺野古基地建設問題の場合には、確かに政府が閣議決定で建設のゴーサインを出しましたが、何年経ってもそれが実行できないのは、過去の民意があるからです。2018年9月30日の知事選で玉城デニー氏が当選したことでも示されましたが、沖縄県民の基地反対の民意によってその閣議決定の正当性は失われている。しかも、アメリカもグアムに基地を集約する動きがあるから、辺野古に基地を必要としないわけでしょう。辺野古の問題は長きにわたる政治家と官僚とゼネコンの利権争いですよ。
だから公定力理論をともなった官僚支配があらゆる面で行われているという状況を反省させなければいけない。これは新しい民主運動なんです。
「自由民権運動の基本に帰れ」
佐高: 私は以前、「平成の自由民惟運動」ということを言ったことがありますが、まさに自由民権運動の基本に帰らないといけない。
佐高:元経企庁長官の田中秀征は選挙区である長野一区のおばちゃんたちに「戦争を起こしてくれるな」と言われた言葉が、自分の政治家としての立ち位置になったといいます。そういう創業政治家は民意に敏感だけど、世襲政治家は、最初の原点などというのはどこかに飛んでしまっていますよ。いま、世襲政治家は四割はいっているでしょう?
平野:両院合わせて四割いますね。
佐高:世襲政治というのは民主主義に反するでしょう。
平野:その議論になると、選ぶ側の問題が出てきますよ。
佐高:もちろん、そうですね。
「教育勅語こそ日本人の自立心欠如の根本」
平野:教育勅語は儒教や仏教、キリスト教などの徳目を引用して人類普遍の道徳を装っていますが、真の狙いは「戦争などいったん緩急ある場合は個人の思想や自由、命を犠牲にして天皇のために尽す」ことです。
教育勅語が日本人からどれほど自立心と責任感を奪ってきたか。私は教育勅語こそが日本人の自立心と責任感欠如の原因だと考えています。
日本に議会政治が定着していないのはなぜかについて小沢一郎と議論したとき、日本人論に話が及びました。戦前は軍部の独走を仕方がないと従属し、戦後はアメリカの言う事だから仕方ないと思い、対等であるべきなのに従属している。この日本人の習性を改革していかないとどうしようもないという話になりましたよ。官僚は官僚で、天皇の代わりにアメリカを大明神に奉っているわけです。
佐高:高名な歌人で早稲田大学教授であった会津八一という人がいましたね。彼は早稲田高等学院でも教頭として教鞭をとっていたのですが、戦前の修身の時間に教科書を開かず、ウィリアム・テルの話や奈良の仏像の話をしたというんです。
級長への手紙で「修身を教えられるのは神様か仏様たちだけである」と書かれていた。当時、こういう教師がいたというのは珍しいですよね。
それから、教育勅語が日本人の自立心を奪ったと言われたけど、まさしくそのとおりで、生まれながらに上の身分を認める考えは、生まれながらに下の身分があるとする思想に直結するものです。上の身分を認めることで安住する人は、それがなくなれば生きていけないのかということになります。
佐高:安倍は戦前の時代に戻ろうとしていますね。この間、私がやっている佐高政治塾で西郷隆盛に関連して明治維新のことをしゃべったんです。明治維新というのは、端的にいえば王政復古でしょう。朝廷の名を借りて昔に返すという話ですね。
平野:そのとおり。
「国権と民権の視点で眺める」
佐高:これからは死刑も問題になるでしょうね。
平野:政策的大量に死刑にすることは憲法違反ではないかという議論がありますよ。
佐高:最近、『国権と民権』(集英社新書)という対談本を出したんですが、図式的にいうと、国権派と民権派が自民党の中にいるということです。これは主権の所在が国家にあるか、国民にあるかという対立のことですけど、平野さんの告発を国権派の人たちは理解できないでしょうね。
内乱罪というのは、国に対して反乱するのが内乱罪だろうと。国側である俺たちが内乱罪とはどういうことだと。自分たちに物申すやつらは不逞の輩だと考えているから、オウムの首謀者を死刑にした日の夜に、法相の上川陽子は安倍と一緒に平気で「赤坂白民亭」で飲めるわけですよ。国権一辺倒だからわからない。
亀井静香(元政調会長)という人がいるでしょう。「ときどき民権」という人。彼は死刑廃止議員連盟の会長でしたが、法務大臣の森山真弓が死刑にサインをしたときに、森山に電話したというんですね。「おまえ、死刑というものはどういうものか、現場に立ち会え」と言ったんだそうです。これは真っ当な指摘です。
佐高:平野さんは大変な目に遭ったけど、亀井と野中広務(元副総理)は自社さ政権のハトを守るタカであったわけですからね。
(編者注:以下次号にご期待下さい。WTWも彼らと共に、安倍政権が正常を装う異常であり、本音と建前が全く異なる事を、訴え続けてゆく所存です)
関連記事。恐れを知らぬ少女像、NY証券取引所前に設置。
https://www.jiji.com/jc/article?k=20181212038018a&g=afp
コメント:日本の国民も、議事堂前にこの像の複製を設置する運動を繰り広げませんか。これはWTWからの比較的真面目な提案です。
「自民党という病」の第三回です。前書き的には長いのですが、読んで損はないと思います。
「議会政治の原点、原敬」
佐高:小沢一郎は原敬を尊敬しているでしょう。
平野:特別に敬愛していて、写真も飾っています。
平騒:私も衆院事務局にいるときに原敬の研究をしました。原敬の時代にいまの議会の基礎を作っているんです。私が原敬を研究して発見したと思うことに、日本政治の近代化における誤訳の問題があります。原敬はポリティカル・パーティーを「政党」と訳したことをすごく嫌がっていたんです。日本語で「党」というと、「徒党」や「悪党」など悪いイメージがある。だから、最初に作った政党の名前は愛国公党なんです。
佐高:パブリックの存在ということですね。
平野:そうです。最初の議会開設運動をやったのが愛国公党です。すぐに自由党と名荊が
変わりますけど、この自由党が中心になって政友会になるんです。
佐高:いまの話は安倍親戚優先政治、自民党の病に対する処方箋ですよ。公を重んじるからこそ、万機公論に決すわけですよね。
平野:日本の政治がおかしいのは、政治用語の誤訳が多いことも多少起因しています。
佐高:そうでしょうね。
平野:それから、デモクラシーを「民主主義」と訳したことも間違いです。「民主」という言葉は、中国の古典では反対で、主のための民なんです。
佐高:臣民、家来。
平野:だから、「民主」というのは、民が中心ではなく、民は主のために犠牲になれという意味です。それを訳語にしてしまった。そのほかには、コミュニズムを「共荏主義」と訳したのも誤訳です。最大の誤訳であると歴史学者も言っています。本来の意味は「共和」「共同」「共生」という意味なんです。
佐高:共に生きるですか。(編者注:だからコミュニティなのでしょう)
佐高:私が原敬を書こうと思ったのは、久野収という私の師匠の言葉があったからなんです。久野は、「状況に支配されるのではなく、状況を支配しようと試みた政治家は、ほとんど例外なく政治的暗殺にあっている。思想をもった政治家らしい政冶家は、ほとんどすべて襲撃を受けた」と指摘し、原がいたから軍部によるファシズムにある程度の歯止めか利いていたという見方をしていました。そして、「殺人者は原敬を殺すことによって、約十年のちにはじまる満州事変以後の軍部独走の戦争へのコースを切りひらいたのである」と結んでいます。状況を変えよう、改革しようとする思想を持つ者は狙われるというのは、まさしくそのとおりだと思ったんです。
また、原敬が見事に喝破しているのは、「議会政治の発展を妨げるものは軍部と検察だ」と言っていることです。同じ岩手出身ということもあるし、このことを小沢は知っていると思うんですね。(編者注:だから検察は小沢を投獄しようとしたのでしょう)。
平野:知っています。
佐高:軍部と検察の横暴を警戒していた。
平野:原敬の一番の勘どころは、軍部と検察をコントロールするためには、政権が交代しなければいけないというところです。すぐ政治が行政に取り込められるというわけです。
佐高:なるほど、その二つを通じてね。
「民主の主の字を解剖すれば、王の頭に釘を打つ」とは中江兆民の言葉ですが、これが民主主義の基本なんですよね。そこが官僚政治によって崩されてきた。
平野:民主主義の根幹は政権交代だという姿勢を貫いていたのが歴代の総理で戦前では原敬、戦後では吉田茂なんです。新憲法が施行されると、片山内閣と芦田内閣が成立しては倒れて、吉田が多数をとって第二次吉田内閣ができるでしょう。そのときに第二党が民主党で、第三党が社会党でしたが、ある講演で吉田茂が面白いことを言った。「これからは社会党を教育して、イギリスのように政権交代、いわゆる保守・革新の政権交代をする仕組みにしなければいかん」という演説をぷったんです。それを聞いていた社会党は「吉田にそんなことは言われたくない」と怒りますが、さらに怒ったのが民主党です。「第二党の自分らを無視して、辻会党を教育して政権交代は自由党と社会党がやるというのか」とカンカンに怒ったというエピソードがありますよ。小沢も私も原敬や吉田の影響を受けているんです。
「本物の右翼とエセ右翼を分けるもの」
佐高:私は『西郷隆盛伝説』を書いたときに思ったんですけれども、国権と民権という視点で見ると、西郷隆盛は割り切れませんよね。明治維新の立役者であり、西郷が愛国者であることに反対する人はいませんが、明治政府の反逆者だから靖国神社には英霊として祀られていない。右翼思想の中にも清流があると思うんです。本物の右翼というのは、日本が植民地とした各地の民族独立運動を助けますね。
平野:助けます。
佐高:その典型的な人が、穂積五一です。孫文を助けた宮崎治天や、郭沫若の生活の面倒を見た松永安左エ門と同じ系譜の人です。穂積五一はアジア学生文化協会やアジア文化会館を運営して、アジア、アフリカ、南米の国々からの留学生や研修生の受け入れに貢献し、アジア留学生の父と呼ばれました。穂積は国家主義者で、東京帝国大学で憲法学の上杉愼吉の弟子なんです。(編者注:ところが安倍政権は留学生を安く使う事しか考えていません)
だから、同じく上杉愼吉の弟子だった岸信介とは兄弟分みたいな関係になります。ところが、岸と決定的に違うのは、穂積は民族独立運動の入たちを、現地の人を本気で助けるわけです。岸は本気でやる気はない。大日本帝国の侵略に利用するだけ。だから、戦後はそれを弾圧しますよね。穂積は戦争中に、反東条(英機)を掲げた朝鮮や台湾の独立運動を助けたかどで、何度も投獄されています。
佐高:穂積の思想と行動でわかるのは、国権の中に民権的感覚を持った人でないと連帯はできないということです。それは国家主義から出発して脱け出たからだと思うんです。
平野:右翼も一からげにできないですからね。右翼の中にも人間中心主義者がいて、その典型が玄洋社の頭山満です。私は好きな右翼ですよ。
平野:人間を中心に考える右翼というのは、神道的にいうと古神道です。国権派が国家神道になる。
佐高:だから、国家神道が廃仏毀釈をやりますね。それこそ伝統を壊し、仏像を壊し、寺をなくして神道にした。これは天皇を現人神とする国家神道による軍国主義の地ならしの一つです。
佐高:岸信介は東条英機内閣の商工大臣で、ずっと東条とつながっていたけれど、最後は東条まで利用して自分だけ助かった。昔の自民党の中にはまともな右翼の流れはあったけれども、いまは完全になくなった。つまり、自民党は、民権というか民衆を切り捨てていって、いまの姿がある。
「自民党の保守本流が死んだ」
佐高:今回の自民党総裁選(2018年9月20日投開票)では、予想どおり安倍首相が連続三選を果たしました。平野さんは自民党総裁選をどう見ましたか。
平野:私は今度の総裁選に期待したことが一つありました。安倍首相は九条二項を残して三項を追加し、自衛隊を明記するという立場ですが、総裁選の話が本格化したころ、岸田文雄政調会長が宏池会の会合で、「九条をいますぐ改正することは考えない」と発言したんですよ。宏池会はもともと九条遵守の立場ですから、宏池会として岸田が出て勝負をかけたら、たとえば二位三位の連合で安倍首相に勝てる可能性があるということで、前宏池会長の古賀誠(元自民党幹事長)が動き、岸田本人もその気になっていた時期がありました。
佐高:ほう。そんな発言があった。
平野:これは久しぶりに自民党結党時から抱え続けている憲法問題で総裁選が行われると期待したんです。自民党の再生に役立つに違いないと思った。ところが、禅譲を期待したのか、岸田は安倍支持に回った。私はこれで宏池会は完全に消えたと思いました。
佐高:古賀誠は立たせたかったけれども、岸田が折れた。
平野:ええ。古賀さんが青木幹雄元自民党参院議員会長に話をして、青木さんが竹下派を岸田支持でまとめようとしたわけですが、岸田が立候補を断念したので、青木さんが困った。どうにもならなくなって、竹下派の票を衆院と参院で分けることにした。参院竹下派を束ねる吉田博美参院議員は安倍首相べったりらしいね。
佐高:確か、長州の出身。
平野:ルーツがそうらしいね。甲州と長州が一緒に組むと相当悪いということは、小佐野
賢治と岸信介が一緒になったようなものですよ(笑)。
佐高:でも、結局は皆、安倍になびく。
平野:与党の得票は総投票数の約40%でしょう。野党の合計得票も同程度で括抗している。だから、四の五の言わずに野党が結束すれば政権をとれるんです。憲法観を共有しなければとか、安全保障観を共有していないからダメだなどということでなく、戦争する国にならないで一致すればいい。私は自由党だったけど、小沢一郎と憲法観も安全保障観もまったく同じではありません。
佐高:自民党は安倍の一枚岩のように見えて、憲法観はそれぞれ違っている。でも、自民党の中も、ものを言えなくなっていますよね。
平野:結局、議会制の政党政治というのは、一つの党が良くなれば、他の党も良くなるはずなんですよ。悪貨が良貨を駆逐している状況が、いまの現状なんです。それは政治家としての意識の問題でもあります。右も左も、与党も野党も、議会民主制を正しく機能させようという意識がない。議会を正常化することなんかどうでもいい。自分のポジションを維持すればいいという意識でしょう。
佐高:自分の欲だけ。
平野:だから、そんな人間を当選させないようにしないといけない。結局は有権者にはね返ってくるんです。今回、私は安倍首相を告発しましたが、憲法の基本原則は決して抽象的なものではないんだということを、皆さんに広めたかったんです。憲法はみんなが幸福に、仲良く生きていくための道具なんですよ。道具が壊れたら、直さないといかんでしょう。
佐高:総裁選で石破茂の得票は30%を超えましたね。これについてはいかがですか。
平野:石破はいい負け方をしたと思いますよ。善戦した。
佐高:平野さんが告発した意味を、石破はわかりますか。
平野:わかると思います。私は石破と中谷元元防衛大臣の師匠なんです。
平野:中谷元は「イージス・アショア」の導入を決めたでしょう。石破と中谷は抑止力のために必要だという。私は彼らの抑止力論は危ないと思います。
佐高:そう。危ない。
平野:陸上に「イージス・アショア」を作ったら、海上でないからそこを狙われますよ。
佐高:原発と同じ。
佐高:2019年は参院選がありますね。前回の参院選では自民党がとりすぎているから、次回はきっと下がるんでしょう。石破がいい負け方をしたとすれば、自民党の中で動きが出てくるかもしれない。
平野:そのとおりです。野党が共闘していけば、参議院選挙は勝てますよ。ですから、憲法観や安全保障観に関わらず、戦争をやめて、核をやめて、原発をやめて、命と暮らしを守る政治を作るという大義名分でいいんですよ。
佐高:つまり、竹下登の右腕だった青木幹雄が石破支持に動いたことは、自民党の中で本当に消えかかっている火をつけ直したという意味がある。次の参院選はチャンスですね。
平野:最後の一灯が残った可能性は十分ありますよ。
「小泉進次郎は指導者の器か」
佐高:極端なことを言えば、敵対者に学ぶということ、あるいは異端を認める言論の自由みたいなものの大事さにどれだけ気づいているかということでしょう。清話会の人というのは、ものすごく薄っぺらですよね。たとえば、小泉純一郎が靖国参拝をする。批判されると、「参拝して何が悪いんだ」と言っておしまい。理論的な説明も何もない。演説のつかみとか、言い切りがウケるのは親父と一.緒ですが、進次郎にその深みが生まれるかどうか。たとえば、親子そろって貧富の差が拡大していることに対する目配りはないですよね。
平野:それはないね。(編者注:純一郎は、今でこそ原発反対ですが、首相当時は新自由主義のくせに私欲重視の竹中平蔵を使って、格差社会作りに邁進していました)
佐高:純一郎で無理なのだから、進次郎はもっと無理ですよ。そのあたりが危倶するところですね。(編者注:私も国民は進次郎に過剰な期待をするべきではないと思っています。枝野にもです。政治家の人間としての限界を見極めること。それが今の国民に最も必要なことなのです。それを、なんとなく安倍政権を支持し、政治家や官僚に判断を丸投げしている人達に、特に申し上げたいのです。国民に嘘をつくことに抵抗も躊躇も無い人が、法を順守し、世の為、人の為に努力していると、いくら言い張っても、どうしてその言葉を信じることができるのでしょうか。晋三氏には、言い訳が上手だということ以外に、何か取り柄でもあるのでしょうか)
「自民党という病」の第四回です。ご存知ない話も出てくると思います。
「第二章自民党に巣食う病根」
「岸信介の資金づくり」
佐高:安倍晋三の話題に入る前に、最近、安倍昭恵について私が面白く聞いた話があります。昭恵というのは、聖心女子大学附属の小学校から入って、聖心の専門学校に進んだという珍しい経歴の持ち主です。黙っていてもエスカレータ式に大学まで上がれるのに、そうでなかったので、すごい学歴コンプレックスがあるらしい。だから、森友学園の名誉校長や加計学園の御影インターナショナルこども園の名誉園長になることをすごく喜んだというんです。
晋三の父、安倍晋太郎(元外務大臣)という人は岳父の岸信介とは違い、金集めはそんなにうまくなかった。昭恵が普三と結婚した後、昭恵の実家である森永製菓から晋太郎の選準費用や政治資金がかなり出たというんですね。だから、昭恵が奔放にふるまっても、岸信介の娘で普太郎の妻である安倍洋子も、もちろん普三も、そう強くは出られないんだという解説をしてくれた人がいるんですよ。確かに考えてみれば、安倍洋子の性格だったらもっと激しく昭恵に当たっていてもおかしくはない。
基本的に昭恵は野放し状態といってもいいですよね。
(編者注:私は、安倍昭恵を贔屓する気はさらさらないが、かといってさほどの敵意もありません。というのは天真爛漫でKYだという以前に、IQに問題があるようにお見受けしているからです。分かり易く言えば、マリーアントワネットみたいなものです。民衆が食べるパンがなければケーキを食べればと言ったあれです。国会で証言させられたら、嘘を吐く悪知恵がないので、あっさり本音を言ってしまうでしょう。それが怖いから、官邸は絶対に証人喚問はさせられないのです)
平野:私はその可能性はあると患います。それはなぜかというと。岸信介の政治思想や政治活動の系列と、安倍晋太郎の系列は違うんですよ。
平野:岸信介の資金作りを見ると、大きく三つの時代がありますね。満州国時代の資金、戦後に復活するときのClAの資金、そして、インドネシア賠償問題など賠償金のキックバックです。これで岸家の資金を作っていきました。
おそらく、誰か岸系列の血を持つ人がいつでも政治活動を行えるような仕組みというものを、ずっと用意している。そういう政治資金のシステムがあると思います。なぜ私がそんなことを言うかというと、実際に経験したことがあるからです。
ネパールの首都カトマンズの電力が不足しているから水力発電を造りたい、約30億の金がほしいとネパール大使が言ってきた。当時はまだODAのないころですが、結局、いろいろ手を使って出させた。
その後、ネパールの大使から、「岸信介事務所に相談して、日本工営にコンサルタントをお願いすることになりました」と報告をうけました。
佐高:リベート。日本工営はコンサルティング会辻ですね。
平野:あのころ三%ですか、岸事務所に入るキックバックは。だから、結構な金が入っています。まだ岸さんはご存命でしたが、戦後賠償金のキックバックはいろいろ問題になりましたからね。それで私は、まだシンジケートが生きているんだなと思いましたね。国から補助金や賠償金を出させて、そのキックバックをプールするという方法です。これは政治家が直接に金を扱わないようにしている。
佐高:岸信介が後輩の満州国官僚に語った話がありますね。
「政治資金は濾過器を通ったきれいなものを受け取らなければいけない。問題が起こったときは、その濾過器が事件となるのであって、受け取った政治家はきれいな水を飲んでいるのだから捕まることはない」
岸は濾過をした安全な金を受け取る仕組みを作っていたんですね。
平野:ご存知のように、東京裁判ではA級戦犯の明暗が分かれますね。東条英機元首相らは死刑となりますが、東条内閣の商工大臣だった岸信介、超国家主義団体の笹川良一や児玉誉士夫らは巣鴨拘置所から釈放されます。なぜ岸たちが起訴されなかったのか。塩田潮(ノンフィクション作家)や春名幹男(元共同通信論説副委員長)の著作によれば、岸の釈放は、アメリカが戦後日本に対米追随の協力者が必要であり、岸が釈放後、アメリカに協力することを約束した密約があることを示唆しています。要するに、岸たちはCIAのエージェント要員として捕まえられていたわけです。
岸が戦後の政界に進出するのは、1952(昭和27)年四月の講和条約の発効によって公職追放が解除されたのち、翌1953(昭和28)年三月の吉田茂のバカヤロー解散による衆議院選挙で当選したときです。このとき、CIAの資金を潤沢に使ったと言われています。実際、板の箱に入れられた札束の封には英文タイプの文字が刻まれていたと、私は岸の選挙事務所にいた人の実話として聞いています。岸事務所に陸送で送られてきたその金を配ったそうです。
佐高:当時だと一万円札はないから、千円札の束ですね。
平野:戦前、岸は満州国総務庁次長など要職を歴任し、関東軍が機密費をどうやって作るかという仕組みを作りました。満州から帰国後の1942(昭和17)年、翼賛選挙で当選して政治家になります。佐野眞一が書いた『阿片王』によれば、里見機関の里見がアヘンで稼いだ当時の金で200万円を、鉄道省から上海の華中鉄道に出向していた弟の佐藤栄作が運び屋になって岸に渡したと書いていますね。その金を岸は翼賛選拳に使った。
佐高:里見の秘書の証言として書いていますね。満州の夜は軍人の甘粕正彦が支配し、昼は官僚の岸信介が支配したと噂されました。甘粕にしろ、里見にしろ、彼らが濾過器だったわけですよね。岸はうまい汁だけ吸っていた。
そういえば、安倍晋三が首相を一回失敗したあとだと思いますが、荒井広幸と旧満州国の首都だった長春を訪ねるんです。そこの記念館に案内されたら、板垣征四郎や石原莞爾など日本人の写真が展示されている。すると、ガィドが「この人たちは長春を支配した悪い人たち。岸言介、この人が一番悪い人」と岸の写真の前で言ったそうです。荒井がびっくりして安倍を指して、「この方はその人の孫ですよ」と言ったら、ガイドが息を呑んだという話があります。
「国家戦略特区は満州国方式」
平野:アヘンを中国では禁止したけど、満州では専売にするでしょう。この知恵は岸の知恵だったと思いますよ。全面禁止にすると地下に潜るけど、専売にすれば満州国の管理になるから裏金を作れます。
佐高:堂々と裏金を作る国営裏金製造のようなものですよね。
平野:この話も私は実際に聞いています。
佐高:岸の周りの人々は満州の金に染まっているというか、だいたい自民党の結党資金自体がフィクサーの児玉誉士夫の金ですからね。
平野:そういう岸の系列が安倍晋太郎では途絶えていたけど、息子の安倍晋三で復活して、日本会議といった組織も彼をフォローしているということではないでしょうか。私からすれば、加計学園の獣医学部新設の問題にしてもそうですが、国家戦略特区というのは満州国方式なんですよ。役人に計画を立てさせ、税金を補助金の形に変えて、それを特定の私的な利益に落としていくというやり方です。
佐高:同じ金権でも、田中角栄より岸を受け継いだ安倍晋三の方が悪いですね。角栄は金を自前で稼いだけれども、晋三は国の税金をかすめ取るわけですから。
平野:金の使い方も違いますね。田中は自分の政策や仲間のために使ったように思います。
「資金的にも岸に先祖返り」
佐高:安倍晋太郎という人は、翼賛政治に反対した父の安倍寛の系列ですよね。つまり、金権政治を良しとしない人です。晋太郎と洋子は政略結婚でしょうが、晋太郎には岸を受け継ぎたくないという側面がありましたね。
平野:衆議院事務局にいたころから、私は晋太郎さんといろいろ話をする関係だったんです。竹下登総理と安倍晋太郎幹事長がコンビを組んで消費税制度をつくりました。ちょうどリクルート事件のときです。そのときの政府側のラインは、竹下総理、小渕恵三内閣官房長官、小沢一郎内閣官房副長官ですからしっかりしていますが、自民党側のラインは、安倍晋太郎幹事長、渡部垣三国対委員長、小泉純一郎国対筆頭副委員長ですから、国対が機能しないんですよ。渡部は小沢から、「国対の細かな運営は平野に聞け」と言.われて、私のところに相談がある。私が例えば、「この部分は野党に譲ってください」と説明すると、渡部がやっと理解したと思ったら、小泉が理解しない。もう話にならないわけですよ。
すると与謝野馨国対副委員が近寄ってきて、私をこっそり幹事長の部屋に連れて行き、幹事長に十分理解してもらう。だから、竹下も小沢も、晋太郎さんを非常に大事にしていました。安倍晋三はお父さんの秘書でしたから、お茶汲みです。
平野:福田赳夫元首相の出版記念会で安倍幹事長は「政党政治が確立する過程は郷里・長州の官僚政治が敗れていく歴史だった。政党政治を崩したくない」という祝辞をされた。政党政治の歴史は薩長の官僚政治との闘いだったんです。政党政冶や議会政治に健全な理解があるなと思いました。それに比べて、息子の晋三さんの議会政冶に対する冒涜は目に余ります。
佐高:晋太郎という人の人柄がにじみ出てくるのが母親の話ですよね。予供のとき、お母
さんが離縁した。晋太郎は東大に入学して上京してから,「母をたずねて三千里」で東京をさまよう。晋太郎は政界入りする前は毎日新聞記者でしたが、このエピソードを後輩である岸井成格が記事にするわけです。
それを読んだ社会党の土井たか子が戻を流して晋太郎への認議を新たにした。外務委員会で安倍外務大臣に対する土井の質問は非常に丁軍だったという話があります。
平野:晋太郎さんは中曽根内閣で外務大臣のときに中東の外交政策の基本を作った男ですからね。中東の国々が賛同した安倍中東政策を息子が壊したようなものです。
佐高:岸の目の前で晋太郎が、「こいつはできなくて困るんだ」と息子の晋三のことをこぼしたくらいですから。
佐高:ただ、晋太郎自身はある種のハト派と言ってもいいですが、その取り巻きはタカ派ばっかりですね。
乎野:側近と称する人がみんな問題のある人たち。
佐高:安倍四天王。三塚元通産大臣、加藤元農水大臣、塩川正十郎元財務大臣、森喜朗元首相の四人です。私はタカ派かハト派かを横軸に、クリーンかダーティーかを縦軸に置いて政治家を分類していますが、塩川はちょっとマシですが、どれもタ力派でダーティーに分類される。そのダーティーな部分を晋三は引き継いだ。
佐高:思想的にも資金的にも、晋三は祖父の岸に先祖返りするんです。
「森友問題の責任」
佐高:もう一人、吉田茂元首相を祖父に持つ麻生太郎(副総理・財務大臣)も俎上に載せないといけませんね。
かつて大蔵省を揺るがしたスキャンダルに、「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」(1998年)というのがありました。あのとき、大蔵大臣だった三塚博はその責任を取って辞任しましたが、世の中を二年がかりで騒がせている森友問題では近畿財務局による公文書改ざんという犯罪的な行為が行われたわけです。ノーパンしゃぶしゃぶでさえ辞めたのに、今度は辞めないという理屈は成り立たないですよね。麻生としてみれば、安倍の首相案件でなぜ俺が辞めなきゃならないんだという気持ちがあるんでしょうけれど。
平野:私もいろいろ考えたのですが、公文書を改ざんしたのは近畿財務局の役人であり、最終責任者は理財局長(当時)の佐川宣寿だというのが麻生の論理です。そうすると、佐川局長の監督責任、任命責任は直接的に麻生財務大臣に帰することになります。私は別の理屈を考えているんです。公文書の改ざんはそもそも歴史を改ざんするものだという論理です。それは立憲主義や議会制民主主義を侵すというレベルを超えて、国家行為の正当性の問題と捉えるということです。つまり、憲法体制を超える上位概念から判断しようとするものです。
公文書の改ざんは専制政治であれ、封建制であれ、どの制度下でも許されるものではない。人間社会の条理に反するわけですね。そうだとすれば、安倍首相は自らの関与に関わりなく、辞めなければならないとい.う結論になります。安倍には麻生の行政的な責任よりも大きな人倫的な責任があるという論理を立てるぺきではないかと考えるんです。
だから、野党は安倍に対して内閣不信任案を突きつけるのではなく 政治家としての資質に致命的に欠けるという理由、または人間としてやってはいけないことをしたという理由に基づく議員辞職を要求すべきだと思います。内閣不信任案というのは、解散権の行使、あるいは総辞職をするという権力行使を許してしまうやり方ですから。
佐高:ただ、人倫は人間に対して要求する話ですよね。相手が人間でない場合は通らない話になってしまいます。
床屋に行ったら、床屋のおじさんが「あれだけ国会で批判されても、安倍首相や昭患夫人、麻生大臣は何も感じないんでしょうか」と聞くので、「たぶん感じないんだと思いますよ」と私は答えた。怪訝そうな顔をしたので、「麻生の富は朝鮮の炭鉱夫を虐待して作った富ですよ」と付け加えたら納得してくれました。
平野:朝鮮の人だけじゃないけどね。
「応援演説」にきた麻生
佐高:麻生は初めて選挙演説したとき、第一声で「下々の皆さん」と呼ぴかけたという有名な話があります。それから、野中広務(元副総理)に総裁の呼び声が高まったとき、麻生が派閥の会合の大勇会で、「未解放部落出身者を総裁にしていいのか」というような発言をした。野中がその発言を問題視すると、麻生が顔を真っ赤にしてうつむいたという出来事もありました。だいたい、彼は国会議員にしてはいけない人なんです。
特に麻生のことで指摘しておかなければならないと私が思うのは、日本青年会議所の会頭を務めていたことです。いわゆるJCと略称されているポンポンの集まり、私は日本青年会議所が日本会議の別働隊だと思っているんです。日本会議という組織には手足がない。その実際的な役割を日本青年会議所がやっているとにらんでいます。
平野:なるほど。
佐高:河野洋平(元衆院議長)が麻生太郎のことをハト派と呼んでいるんです。違いますよね。都合のいいハト派ですよ。だから、私は河野のことを父子相伝の変節と書いた。つまり、洋平も太郎も根っからのハト派ではないから、時流によってタカ派にも近づく。
(編者注:次回はこの本の最終回です)
突然ですが「自民党という病」の最終回です。未だ最初から1/5も進んでいないのですが、昭和の政治家は、顔も名前も和らない、或いは名前は聞いたような気がするが顔は覚えていないという人が多いと思うので、これ以上このテーマに踏み込むのは、マニアックが過ぎる恐れがあると考えたからです。そこで今回は残るページの中から、「現在に生きる」我々にも関心の持てそうな部分だけを抜き出して紹介させて頂きます。今回は良く知らない公明党の過去について学ぶところがありました。
「保守本流とは何か」
佐高:自民党という病の病根と闘ってきた保守本流の人々をクローズ・アップしてみたいと思います。保守本流というと、真っ先に思い浮かぶのが三賢人です。前尾繁三郎、椎名悦三郎、灘尾弘吉の三人ですね。これを城山三郎が『賢人たちの世』という本に書くわけです。彼らは皆、官僚出身の政治家ですね。
ユニークなのは椎名悦三郎です。外務大臣のとき、日米安保条約に関連した社念党議員の質問に対して、
「アメリカは日本の番犬である」
と平然と言ってのけ、むしろ質問した議員が慌てて、
「大臣、そんなこと言っていいのか」
とたしなめると、再び立ち上がった椎名は、
「あ、間違いました….」
とひと呼吸おき、
「番犬様でございます」
と答えて、識場が爆笑の渦に包まれたという有名な話がありますね。
佐高:そういう味のある自民党の政治家が完全にいなくなりましたね。椎名悦三郎ががぜん有名になったのは椎名裁定です。つまり田中角栄がロッキード事件で退陣して、さあ次の政権を誰にするかというときに、椎名裁定によって三木武夫が指名されるわけです。
椎名裁定というのは、田中の金権政治から自民党のイメージをガラッと変えて、自民党を救う効果がありましたね。
平野:椎名さんのやり方がうまいんです。椎名さん個人だけではなく、そのころの自民党には上手に着地点を見つけていく文化が残っていました。例えば、話を持ちかけるにしてもちゃんと順番を考えるとか。
平野:共産党の衆院議員に東中光雄という人がいまして、彼は海軍兵学校の教官をやっていた苦労人でした。前尾さんが亡くなった直後、私に、「保利元議長が他界し、前尾さんが急死して、明治生まれの自民党政治家が国会から姿を消していく。この人たちは保守本流の立場から議会政治を理解していた。君たちはしっかりその薫陶を受けてきた。しかし、これからは大正生まれの中曽恨、宮沢、竹下たちの時代となる。本流の発想がなく心配だ。君たちがしっかり支えないと、日本の国会はどうなるかわからなくなる」
と語ってくれました。本流の発想とは「天は貧しきを憂えず、等しからざるを憂う」という人間平等論に基づく公正な分配要求のことです。
佐高:教養の蓄積もぜんぜん違いますよね。
佐高:前尾さんには子供がいなかったから。最初に政治家になったのが横手征夫で、その
兄が福田康夫。福田康夫は意外にハト派なんですよね。
平野:ハト派というより、政治が大嫌い。だから、これはまともかもしれないと思ったことがあります。
佐高:自民党の議員というのは、自民党の病の根源に関わることですが、自民党全体が同じ病気にかかっているんですね。個人がない。
平野:これは非常なる病根ですよ。集団的な慢性虚言症。
佐高:そう。まさにそれです。自民党はあるけれども、自民党議員というのがない。この集団的慢性虚言症は小選挙区制によってさらに進みましたね。
平野:悪化しましたね。この集団的な病気こそが、わが国に議会制民主主我が定着しない根源であると思います。福澤諭吉先生が言われた「一身独立して一国独立する」の精神をいまだに獲得していない。確かに、小選挙区制度は自立した選挙人でないと機能しないものです。
「公明党、創価学会という病」
佐高:創価学会が「反戦・平和の団体」であり、その伝統を持っているという神話をひっくり返す強烈な本があるんです。高橋篤史著『創価学会秘史』という本です。著者は特高警察と学会が蜜月関係にあった事実を突きつける内容になっている。またヒトラーの『我が聞争』を肯定的に紹介していることも著者は指摘しています。但しその戦中の機関紙誌『新教』と『価値創造』は学会の図書館でも、いまは見られないそうです。
平野:第二次安倍政権でも自民党堕落政治がなぜ続いているのか。その理由は、公明党・創価学会が民主政治を冒漬するような国会運営や選拳協力をしているからですよ。
佐高:平野さんの本を読んで納得したのは、自民党の中で創価学会と親密なのは岸信介や安倍晋三、つまり、いまの安倍一族なのだということです。なぜかそれが忘れられている。
平野:岸元首相が亡くなったときには、聖教新聞が一面トップで大きく報じ、追悼記事を組んだほどです。私に言わせれば、岸信介は権力のためなら、人権問題であろうが、宗教問題であろうが、何でも利用するという人物です。安倍首相はそのDNAを引き継いでいる。
平野 公明党が新進党に合流するとき、やはり学会の中で揉めたんです。その合流を決定づけたのが小沢・秋谷会談です。池田名誉会長がその会談を非常に高く評価して、小沢への伝言を私が言いつかるんです。
乎野:池田名誉会長から小沢さんへの伝言の内容はこうです。
「公明党は、創価学会が人と金を出して作った政党なのに、それでこんなにいろいろ悪く言われるのは割に合わない。憲法で認められた信教の自由に理解のある政党ができるなら、公明党という政党はもういらない。日本の民主主義のために公明党を活用してほしい。秋谷・小沢会談は10年後まで秘話にすべき内容で、歴史的な意義のある会談だ」。
この会談があったから新進党ができたんです。自社55年休制を打破して、自民党を解体して新しい政治の軸を作ることをお互いが理解したということです。
ただ、これによって自民党に猛烈な危機感が湧き上がるわけです。新進党を漬し、小沢を蹴落とす。割価学会を叩くしかない。
平野:巨額の不良債権による金融危機の原因は日本長期信用銀行や日本債券信用銀行といった金融機関があったからです。両行は無記名の金融債を発行して資金を集める特殊な銀行でした。しかし、その実態は脱税やマネーロンダリングできるブラックボックスです。その恩恵にあずかっていたのは、経済界、政界、特に自民党の各派閥、連合などの労働組合、学校法人、そして、創価学会など裏金を持つあらゆる団体に渡っていました。それも洗いざらい調べられて、隠し資金が表に出ることになります。日本の資本主義の洗濯をやろうとするから、小沢一郎や私は嫌われるわけです。
佐高:逆に言うと、創価学会が離れられなくなるのは、自民党が隠し金を隠し金のままにしてくれるからですよね。それに対して、小沢一郎という人は隠し金みたいなものはダメな方なんでしょう。
平野:ぜんぜんダメです。
佐高:つまり、公明党・創価学会は使い分けする権力にすり寄っていくしかないわけです。それがよくわかりましたよ。
平野:新興宗教団体のある種の宿命ですね。いろいろ問題があるのを浄化していき、だんだん宗教団体から文化団体に変わっていくものですが、いまだにそれがうまくいっていないんですよ。
佐高:急激に大きくなったから隠し金も半端じゃないんですね。隠すにはある種の適量というのがあるわけでしょう。
平野:神崎武法の女癖の悪さには辟易しました。
佐高:人格が豹変する。福田財務次官が起こしたセクハラ事件と一緒で、これは生活習慣病ですからね。みんなその現場を目撃しています。
佐高:自自公連立のときの公明党代表は神崎でしょう。
平野:そうですよ。自自公連立政権には基本理念がなかった。自民党は、自由党を利用して公明党を取り込んで、参議院が多数になればそれでいいということだったんです。公明党には、いきなり自民党と連立することに抵抗がありました。
平野:小沢が中曽根さんの提案を聞かなくて、自自公連立が壊れて、森政権が生まれますね。そして、「加藤の乱」が起きます。当然、自自連立をやるときに、小渕の後は加藤だということを、加藤さんは古賀誠から聞いているはずなんです。
佐高:加藤は優等生であるがゆえに、人を信じ切れないんですね。自分が全部できると思っている。野中広務、古賀誠、園田博之という人たちの心をしっかりつかんでいなければいけなかったんです。自分が政権を取ることを考えたら、絶対はずしたりしてはいけなかったと思います。
佐高:加藤政権が幻となって、森政権ができるところで自民党が、日本の政治が曲がっていくんですね。
「おわりに」平野貞夫
九条解釈改憲が閣議決定され、一年後、違憲の安保法制が衆院で強行可決された時の、石川教授の発言の出だしは次の通りであった。
「あの日、日本でクーデターが起きていた。そんなことを言われても、『何をバカな』と取り合わないかもしれない。しかし、残念ながら紛れもなくあれはクーデターだった。そしてそれは現在も進行中である」とし、安倍首相の憲法秩序の破壊を指摘していた。
「安倍首相告発」を相談した憲法学者は、小林節慶大名誉教授のみである。他の憲法学者は相手にしてくれないと思っていた。東大教授が安倍政治をクーデターと論じることは、私たちが論じる「内乱予備罪」と同一の発想ではないか。
なぜか、リベラル系弁護士、学者、政治家らが私どもの告発に対し「見ざる、言わざる、聞かざる」を続けている。しかし、日本の軍部独走、ドィツのナチス・クーデターの歴史教訓は「気がついた時は、もう遅い」のである。
今度は状況をみて、佐高氏に『日本という病』の題名で対談を行うことをお願いしようと思っている。