「WTWオピニオン」
【第75巻の内容】
「民主主義の死に方」
1386.民主主義の死に方 18/12/30-19/1/7
BS TBSの報道1930で紹介していた「民主主義の死に方」(2700円!)を入手したので、逐次内容を御紹介してゆきたいと思います。第一回はいつものように前書きからですが、書いているのは池上彰です。前書きというより、解説で、かなり長くなっています。明日から本の内容も逐次御紹介しますが、池上の解説を読むだけでも、かなり参考になります。なので御紹介も長めになっています。
「民主主義の死に方」How Democracies Die スティーブン・レビッキー他 新潮社
民主主義制度が民主主義を殺す 解説・池上彰(ジャーナリスト)
「訓練も経験も積んでいない60過ぎの素人が、大統領選に出るって?」と彼は言った。「そんなバカげた話はない」
思わず2016年のアメリカの話だと思ってしまいそうだが、これは1924年のアメリカ大統領選挙に立候補を考えていた自動車王ヘンリー・フォードについての当時の上院議員の感想だ。
1924年のアメリカでは、ドナルド・トランプのような人物は党の大統領候補にすらなれなかった。それなのに、なぜ2016年はそうでなかったのか。この本は、その謎を解き明かそうというものだ。
本書を読むと、民主主義体制がいかに脆弱であるかを痛感する。脆弱であるからこそ、かつて民主的な選挙で選ばれた政治的リーダーたちが次第に独裁化していくとき、それを阻止できなかったのだ。
ドイツのヒトラー、フィリピンのマルコス、ベネズエラのチャベス、ロシアのプーチン、トルコのエルドアン…。
本書の著者は、こう断言する。<今日の民主主義の交代は、選挙によって始まるのだ>
「トランプ快進撃を見誤る」
2015年夏、私は.テレビ番組で、翌年のアメリカ共和党の大統領候補選びに不動産王のドナルド・トランプ氏が名乗りを上げていることを紹介した。女性蔑視の暴言を繰り返し、民主的な手続きを軽んじる。女性関係のスキャンダルが次々出て来る。歴代の大統領候補は自身の納税証明書を公開して、自分がいかにきちんと納税しているかをアピールするが、それを拒否。大金持ちなのに税金を納めていない疑惑が浮上している。それでもテレビの選挙報道では人気を得ている。
消えるどころか、翌年になると、トランプの勢いは一段と強まった。ツイッターを駆使し、並みいる共和党のライバルを次々になぎ倒した。
ただし、そのなぎ倒し方が凄かった。共和党のライバルのマルコ・ルビオに対しては「ちびのマルコ」、ジェブ・ブッシュには「弱虫」、テッド・クルーズには「ウソつきテッド」と悪態のつき放題。
これでは政策をめぐる討論にはならない。政策で討論しょうと待ち構えていた共和党のライバルは、これで調子を狂わせ、テレビで見ていると、まるでトランプに言い負かされているように見えてしまった。実際には討論にはなっていなかったし、トランプの話に実のある政策の話はなかったのだが、
政策を語ろうともしないアウトサイダーに、政治のベテランは翻弄された。
「訓練も経験も積んでいない70過ぎの素人」に、ライバルはことごとく討ち死にした。
トランプの政治集会を取材したが、どこに行っても演説はワンパターンだった。「ISをつくったのはオバマだ。ヒラリーはインチキな犯罪者だ。俺が大統領になったらヒラリーを刑務所にぶち込む。メキシコとの国境に壁を築く」
政治漫談とでも呼べるだろうか。それでも支持者は熱狂した。いや、だからこそ「わかりやすい話だ」と支持者は納得した。そして遂に共和党の大統領候補の座を勝ち取った。
だが、大統領候補を指名する共和党大会でトランプを支持する演説をする人は少なかった。共和党主流派は、トランプを忌み嫌って応援演説を断ったからだ。大会の時間をもたせるため、会場ではバンド演奏を何度も挿入して時間を稼ぐ始末だった。それでもトランプの指名を阻止するには至らなかった。
その後もトランプの勢いは止まらない。選挙中には、トランプの女性蔑視の発言が暴露されたり、トランプにセクハラされた女性たちが次々に名乗りを上げたりしたが、トランプの支持率は下がらなかった。従来の政治の常識が全く通用しなかったのだ。
「米国民はヒラリーを選んだはずだった」
2016年の大統領選挙で、総得票数ではヒラリーがトランプより290万票も多かったのだが、大統領選挙人の数はトランプの方が多かった。
なぜ、こんな仕組みになったのか。本書がわかりやすく解説する。合衆国憲法の起草者たちは、一般市民が候補者の適性を確実に判断できるとは考えていなかった。アレクサンダー・ハミルトンが心配したのは、人気投票だけで大統領が選ばれた場合、恐怖や無知を巧みに利用する人物がいとも簡単に当選し、暴君として国を支配するようになるのではないかということだった。
そこで各州が有識者を選挙人として選び、彼らが自分たちに代わって投票するようになった。しかし、やがて政党が登場すると、各州は、特定の政党支持者を選ぶようになる。
かくして大統領選挙は州ごとに予備選挙が実施されるようになっていたが、実際に決定権を持っていたのは「組織人」と呼ばれていた政党のインサイダーだった。
国民や政党の党員の意向にかかわらず、党の幹部たちが党の大統領候補を決めていた。いまから見れば、とても民主的な選出方法ではないが、その結果、とんでもない候補、いわゆるアウトサイダーが選ばれることはなかった。政党が「門番」の役割を果たしていたという。
「フォードもリンドパーグも阻止できた」
もし1924年に、現在のような民主的な選挙システムがあったなら、ヘンリー・フォードが民主党の大統領候補になっていた可能性が高い。フォードは当時、国民の熱狂的な支持を受けていたからだ。民主党の候補者になれば、本選挙でも勝ち抜いて、大統領になっていた可能性が高いだろう。
私たちはヘンリー・フォードのことを自動車のフォードを大量生産するシステムを築いた自励車王としてしか認識していないが、フォードは反ユダヤ主義者で人種差別主義者だった。ドイツのアドルフ・ヒトラーはフォードを絶賛していた。その後、1938年にナチ政権はフォードに勲章を贈っている。
もしフォードが大統領に就任していたら、アメリカは反ユダヤ主義の立場でドイツと協力していたかもしれない。歴史は大きく変わっていただろう。皮肉なことに民主的な制度がなかったことで、アメリカの民主主義は守られたのだ。
フォードが民主党の大統領候補になるのを阻止したシステムは、1940年の共和党大会でチャールズ・リンドバーグが候補になるのを阻止するときにも働いた。リンドバーグといえば、大西洋を無着陸で単独横断飛行した英雄だ。アメリカ国民の圧倒的な支持を得たリンドバーグは「民族純化」を唱え、ナチ政権下のドイツを回って勲章を授与されている。アメリカ大統領への野心を隠さなかったリンドバーグは、「アメリカ優先委員会」(アメリカ・ファースト・コミッティ)を代表して全米を演説して回ったという。このとき「アメリカ・ファースト」という言葉が出ているのだ。
ここで私たちは、「アメリカ・ファースト」をスローガンにして大統領選挙に勝った候補のことを思い出す。
だが、このとき共和党の幹部たちは、リンドバーグの過激な主張を恐れ、党の候補者にはしなかった。ここでまた、民主的でない仕組みのおかげで民主主義は救われた。
とはいえ、民主的な仕組みが整備されていないことには不満が高まる。全国から選ばれた代議員たちが多数決で大統領候補を決めるべきだという声が高くなり、1972年の大統領選挙から、現在のようなシステムが確立した。
当時、この改革に先立ち、二人の政治学者が、こう警告していたという。
<事前選挙によって過激派や大衆扇動家の候補が生まれやすくなる。党への忠誠心をもたない彼らは失うものなど何もなく、平気で国民の憎悪を掻き立て、くだらない約束をするにちがいない>
恐るべき慧眼だったというべきだろう。「民主的」なシステムになった結果、何が起きたのか。
「民主的な制度」が民主主義を破壊する
2016年の大統領選挙中、共和党幹部たちは青くなっていた。アウトサイダーで政治経験が全くないドナルド・トランプが共和党の大統領候補になる勢いだったのに、これを阻止する手段がなかったからだ。幹部たちが鳩首協議を重ねたが、かつてのようなシステムは存在しなかった。
共和党の予備選挙で圧倒的な強さを見せたトランプを、幹部たちが阻止するわけにはいかなかった。幹部たちは、トランプが大統領候補になるのを、なす術もなく見ているしかなかった。
つまり、予備選挙という大変民主的な制度を導入したことで、とても民主的とは呼べない候補が当選する道を開いたのだ。
トランプはかつて民主党員だった。途中で共和党に鞍替えしたが、共和党員としての活動歴があったわけではない。仲間の共和党員を平気で罵る彼には、共和党への忠誠心など存在しなかった。予言通り<党への忠誠心をもたない>人物が候補者になり、民主党のヒラリーへの<国民の憎悪を掻き立て>、メキシコとの国境に壁を建設するという<くだらない約束をする>ことになった。
政治経験がないトランプ大統領は、中国と台湾の歴史的経緯も朝鮮戦争のことも国際貿易のことにも無知をさらしながら、世界を混乱に巻き込んでいる。
「柔らかいガードレール」という概念
それしても、なぜアメリカの政治はこんな状態になってしまったのか。著者は「柔らかいガードレール」という概念で説明する。合衆国憲法はよくできているが、憲法があるから民主主義が守られていたわけではない。競い合う政党同士が「相互的寛容」と「自制心」を持っていたからだという。
<寛容と自制の規範はアメリカの民主主義の"柔らかいガードレール"として機能し、党派問の闘いを避けるために役立っていた>というのだ。そのガードレールがないと、<党同士の血みどろの闘い>が生まれ、<1930年代のヨーロッパや1960〜70年代の南米など世界じゅうで民主主義を崩壊させてきた>。
トランプ大続領が誕生したということは、アメリカで、この「柔らかいガードレール」が機能しなくなっていることを示している。
どうして機能しなくなったのか。本書の分析は実に明晰で説得力がある。いまのアメリカの姿が見えてくるのだ。
では、アメリカの民主主義を強くするにはどうしたらいいのか。「柔らかいガードレール」を再建するしかない。それこそが民主主義を復興させることになる。
このところ日本でも「安倍一強」体制の下で、国会の討論が討論として機能しなくなっている。官僚たちは上を見て付度し、政党同士は罵り合う。最終的には数を頼んでの強行採決で法案が成立していく。
日本の「柔らかいガードレール」はどうなるのだろうか。
2018年7月
(編者注:以下次号)
そこで『民主主義の死に方』の第二回です。正しく要約、紹介できるかどうか分かりませんが、ベスト・セラーでもなさそうなので、じっと待っていれば、誰かが(要約を)やってくれるという保証はありません。興味があれば自分でやるっきゃないのです。ところで、この本の題名は余りにも正月向きではないので、今後の続報では書名は伏せさせて頂きますので、その点だけ、ご了承願います。私がこれだけ多くの資料を、しかもなるべく原文を損ねずに「引用」しているのは、それらが私の情報源であると共に、自分の論法や主張を補強する材料を提供してくれるからです。
…1930年はじめ、ドイツ経済の落ち込みを背景に中道右派が内紛の餌食となり、共産党とナチス党が支持を増やしていった。民主的に選ばれた政府が瓦解。政治の行き詰まりによって政府の活動が妨げられるなか、第一次世界大戦の英雄で名ばかりの現職大統領だったパウル・フォン・ヒンデンプルクはここで荒技を繰り出す。ワイマール憲法には、議会が過半数の票を超える指名候補を出せないという例外的なケースにおいて、大統領が首相を指名できるという規定があった。フォン・ヒンデンプルクはその規定を利用した。
…敵対し合う保守派の指導者たちが秘密会談を行ない、ある結論を導き出した。人気のあるアウトサイダーが政府のトップに立たなければいけない。指導者たちはその人物のことを忌み嫌っていたが、少なくとも彼には大勢の支持者がいることを知っていた。それになにより、政権幹部たちは彼をコントロールできると考えていた。
…この計画のおもな立案者のひとりであるフォン・バーベンは自らの不安を追い払い、危機状態にあるドイツの首相にアドルフ・ヒトラーを就任させるという賭けに出た。しかしこの種の悪魔との取引は、アウトサイダーに有利に働くことが多い。なぜなら同盟によってアウトサイダーが一定の社会的地位を得ると、権力争いの正当な参加者として世間から認められるようになるからだ。
現役の指導者たちが政治的責任を放棄したとき、往々にしてその国は独裁政治へのはじめの一歩を踏み出すことになる。ヒトラーが首相になった翌日にはすでに、それまで彼を支援していた著名な保守派の政治家が次のように認めた。「私は人生でもっとも愚かなことをしてしまいました。世界の歴史上もっとも影響力のある大衆扇動家と手を組んでしまったんです」
…すべての民主主義がこの罠に落ちるわけではない。ベルギー、イギリス、コスタリカ、フィンランドなど、大衆扇動家の台頭に直面しつつも、なんとか彼らを権力の中枢から遼ざけることができた国も少なくない。どうやってそれを成し遂げたのか?
市民が独裁主義者を進んで受け容れようとしたとき、民主主義は危険にさらされる。しかしこの考えは、民主主義のなかで"人民"が思いどおりに自らの政府を形作ることができるという理想論にすぎない。1920年代のドイツとイタリアにおいて、大多数の有権者が独裁政冶を支持していたとは考えにくい。多くの有権者がヒトラーとムッソリー二に反対の立場をとっていた。ふたりが権力を手にしたのは、彼らの野心の危険性に気づいていない政治的インサイダーの後押しがあったからだ。
どんな民主主義社会にも潜在的な大衆扇動家は存在し、そのうち何人かがどこかのタイミングで国民の心をとらえる。しかし一部の民主主義国家では、政治指導者が警告サインに眼を光らせて対策を講じ、権力の中心から遠く離れた場所に独裁者を押し留めておこうとする。過激主義者や大衆扇動家が台頭しはじめたら、政治指導者たちは一丸となって彼らを孤立させ、打ち倒そうとする。もちろん、過激主義者を封じ込めるためには一般市民の力も大切になる。しかしもっと重要なのは、政冶エリート(とくに政党)がフィルターとして機能できるかどうかだ。つまるところ政党こそが民主主義の門番なのである。
しかし多くの政治家は、権力を手にするまえに自らの独裁主義の全貌を明らかにするわけではない。なかには、はじめは民主主義的な規範を忠実に護り、あとになってそれを放棄する政治家もいる。(編者注:安部政権の公約)
私たち著者は著名な政治学者ホアン・リンスの著書を参考に、独裁者を見きわめるための四つの危険な行動パターンの例を導き出した。@ゲームの民主主義的ルールを言葉や行動で拒否しようとする。A対立相手の正当性を否定する。B暴力を許容・促進する。C対立相手(メディアを含む)の市民的自由を率先して奪おうとする。
これらの基準のどれかひとつにでも当てはまる政冶家がいたら、注意が必要だ。では、いったいどんな種類の活動家や政治家が、独裁主義のリトマス試験紙で陽性反応を示すのだろう? 決まって引っかかるのは、ポピュリストのアウトサイダーだ。反体制的な政治家であるポピュリストは、自分が"人民"の声を代弁していると訴え、対立相手に"陰謀を企てる腐敗したエリート"のレッテルを貼って闘いを挑もうとする。(編者注:トランプも民主党とオバマを民衆の敵扱いしました)
これら四つの要素について政治家を評価するための例を示した。
「独裁主義的な行動を示す4つのポイント」
@ゲームの民主主義的ルールを拒否(あるいは軽視)する。(編者注:安部首相の国会対応)
憲法にしたがうことを拒む、あるいは憲法違反も辞さない態度をとる。(編者注:集団的自衛権行使、国会開催凍結)
反民主主義的な方策が必要であることを示唆する。(例)選挙を取リ止める、憲法を侵害.停止する、特定の組織の活動を禁止する、基本的な市民的・政治的権利を制限する。(編者注:河野大臣への記者質問の回答拒否を含む)
政権交代のために超憲法的な手段をとることを試みる(あるいはその手段を支持する)。
(例)軍事クーデター、暴力的な反乱、政権交代を強制することを狙った大規模な抗議活動.
選挙の正当注を弱めようとする。信顎できる選挙結果を受け容れることを拒む。
(編者注:安倍首相のしていることこそ、クーデターに他ならないという識者もいるのです)
A政治的な対立相手の正当性を否定する。
ライバルを危険分子だとみなす。(編者注:安部首相の、野党に対する傲慢な態度はもとより、国民を相手にして、あんな人たちという発言もある)
国家安全保障、或いは国民の生活に対して、ライバルが大きな脅威であると主張する。
なんの根拠もなくライバルを外国のスパイだと決めつけ、敵対する外国政府にこっそり協力している(あるいは雇われている)と訴える.
B暴力を許容・促進する
武装集団、準軍事組織、民兵、ゲリラなどの暴力的な反社会的勢力とつながりがある。
自ら率先して、または協力関係にある党を通して対立相手への集団攻撃を後援・奨励する。支持者の暴力をはっきりと非難せず、懲罰を与えないことによって黙認する。
過去に国内で起きた、または世界のほかの場所で起きた象徴的な政冶的暴力事件を褒め称える(あるいは非難することを拒む)。
C対立相手(メディアを含む)の市民的自由を率先して奪おうとする。(編者注:行政の集会の場所の不提供)
市民的自由を制限する法律や政策を支持する。(例)名誉毀損法・文書誹毀法の適用範囲の拡大。抗議活動、政府への批判、特定の市民・政治組縁を制限する法律の推進。(編者注:特定秘密保護法、共謀罪法案)
対立する党、市民団体、メディァの批判者に対して法的・罰則措置をとることを示唆して脅す。(編者注:安部政権の、TV局に対する中立報道の行政指導=殆ど強制)
過去に国内で行なわれた、または世界のほかの場所で行なわれた政府の抑圧的な施策を褒め称える。(編者注:麻生副総理のナチス礼賛発言)
(編者注:これらのほぼすべてにトランプが当てはまり、安倍首相=安倍政権にも多くが当てはまります。無論一つでもあれば立派な独裁者です。以下来年に続きます)
昨年末から読み始めた本の、今回は3回目の紹介です。トランプがなぜ大統領に当選してしまったのか、どうすればそれを阻止できたのかという論点が基本的なテーマで、大統領制ではない日本の政治シーンに、そのまま当てはめることは無理があります。手っ取り早く本書の概要を把握したい向きには、前々回で紹介した、池上の解説を読めば時間の節約にはなるでしょう。とはいえ、米国の政治制度の勉強にはなるとともに、安倍首相の独裁政治から日本を解放する方法を考えるヒントになります。安倍政権の退陣は、日本にとって焦眉の急の課題なのです。
池上の解説では言及していませんが、私がこの本で気が付いたのは、米国が現行の政治制度に至るまでには、それなりの紆余曲折があったという事です。試行錯誤しながら、制度を作ってきたのです。しかも現在の米国の選挙制度でさえ、未だ完成形ではないことは、トランプの当選を許す結果になった事でも明らかなのです。
大衆の意志は反映しなければならないが、独裁体制は避けたい。その為にはどうすれば良いのかを、問い続けていた。打からこそ、ならば米国のシステムは、他の国の制度よりも信頼性が高い可能性があります。より良い精度や組織を求める努力を放棄し、現在の形で十分、それが唯一絶対だと思い始めた途端に、制度は既得権と化し、硬直化し、陳腐化し、そしてついには風化と腐敗が始まるのです。現在の日本の政治システムや労働組合がそうであるように。
民主主義は、既に在るものではない、日々の作り上げる努力そのものが民主主義だという意見があります。そういう見方に立てば、米国の制度の方が、少なくも日本の今の制度よりは、民主主義の理念に近いものであって、固定観念化した日本の制度や組織は「もはや民主主義とは言えない」のかもしれません。日本の場合は、民主主義の理念や、憲法の精神とは、対極にあるものではないのか。だから安倍首相の独裁政治が暴走を続け、民意を意に介さないのではないか。日本で(米国でも)独裁政治家が誕生するという、あってはならない民主主義政治の「ミステーク」が起きているという実態こそが、日本の民主主義が、完全とは程遠い、発展途上のものであることを証明しているのではないか。だからこそ、国民は日本の政治制度の見直しの国民的議論の方向に、動き始めなければならないのではないか。それは、同時に、安倍首相の独裁を終わらせるための、「正攻法」でもあるのです。
…独裁的な政治家を権力から遠ざけることは、ロで言うほどたやすくはない。民主主義の大原則として、特定の政党の活動を禁じたり、特定の人間が選挙に立候補することを拒んだりするべきではない。私たち著者も、そのような方策を支持しているわけではない。むしろ、独裁者の排除に責任を負うべきなのは、民主主義の門番である政党とその指導者たちのほうだ。門番としての役割を果たすために、主流派の政党は過激勢力を分離・無効化しなくてはいけない。行動政治学者のナンシー・ベルメオは、これを「ディスタンシング(距離をとること)」と呼ぶ。政党は民主主義を促進するために、いくつかの方法を通してディスクンシングを試みることができる。
…そんな方策をとれば、道義的に赦されない行為だと支持者から非難の声が上がるはずだ。しかし異常な状況下においては、党指導者たちはときに勇敢な行動をとる必要がある。彼らは政党よりも民主主義と国家を優先し、どんな危機が起きているのかを有権者に詳しく説明しなくてはいけない。リトマス試験紙で陽性反応を示す政党や政治家が選挙の有力候補として現われたとき、もはや選択肢はほとんど残されていないと考えたほうがいい。過激派に権力が渡ることを防ぐには、民主主義の統一戦線が必要になる。それが、民主主義を護ることにつながるのだ。
失敗のほうがより鮮明に人々の記憶には残るものの、ヨーロッパの民主主義国家のなかには両大戦のあいだに門番の役割をきっちりと果たした国もあった。それら小さな国の経験から私たちは驚くほど大きな教訓を学び取ることができる。たとえば、ベルギーやフィンランドについて考えてみてほしい。ヨーロッパが政治経済的危機に陥っていた1920年代と30年代、両国でも早い段階から民主主義衰退への警告サインが鳴っていた。反体制過激派の台頭だ。しかしイタリアやドイツとは異なり、民主主義制度を護るために動いたエリート政治家たちによって、ベルギーとフィンランドは救われた(少なくとも、数年後のナチスによる侵略までは)。
…アメリカ社会で独裁主義者が人気を博すという傾向は、第二次世界大戦後の経済成長期まで長く続いた。たとえばジョセフ・マッカーシー上院議員は、冷戦期における共産主義者の破壊活動に対する恐怖を巧みに使い、ブラックリスト作り、検閲、本の発禁処分などの政策を推し進めたが、アメリカ国民から幅広い支持を得た。マッカーシーの政治権力が頂点を迎えたころに行なわれた世論調査の結果を見ると、アメリカの有権者の半数近くが彼を支持していたことがわかる。
…10年後、あからさまな人種差別主義を唱えるアラバマ州知事のジョージ・ウォレスが一躍時の人となり、1968年と72年の大統領選で驚くべき活躍をみせる。ジャーナリストのアーサー・ハドリーは、ウォレスは「"強者を嫌う"という古くから続く高潔なアメリカの伝統に訴えかけ、"単純で古いアメリカの怒り“を利用する天才だった」と説明した。ときに暴力行為をうながし、憲法的な規範をこともなげに無視する姿勢をみせたウォレスは、次のように宣言した。
憲法よりも強力なものがひとつある…人々の意志だ。そもそも、憲法とはなんだろう? それは人々が作り上げたものであり、そのもととなる動力源は人々なのだ。だから人々が望めば、憲法を廃止することもできる。
ウォレスのメッセージー労働者階級の白人の被害者意識と経済不況への憤りに対するポピュリスト的な訴えに、人種差別を織り交ぜたものは、民主党の伝統的な支持者であるブルーカラー層の心をとらえていった。第三政党の候補者としてウォレスが大統領選に出た1968年に行なわれた世論調査では、およそ40パーセントのアメリカ人が彼の考えを支持するという結果が出た。
…私たちはときに、アメリカの国家としての政治文化は、そのような独裁主義に対してある程度の免疫があると思いがちだ。しかし、それはバラ色の眼鏡を通した歴史観でしかない。未来の独裁者からこの国を守ってきたのは、民主主義を保とうとするアメリカの強い姿勢ではなく、むしろ門番として機能する政党の方だった。
…ホテルの一室では、それぞれの候補者の長所と短所が注意深く検討され、話し合いが続いていた(「ノックスは年寄りすぎる」「ロッジはクーリッジ(第30代大統領)のことが嫌いだ」)。夜中2時、「オールド・ガード」の七人のメンバーが部屋に残り、起立投票を行なった。2時11分、ジョージ・ハーベイに呼び出されて部屋にやってきたハーディングは自分が大統領候補に選ばれたと知らされてびっくり仰天した。すぐに噂は広がった。翌晩には10回目の投票が行なわれ、汗だくの代議員たちはやっとのことで緊張から解き放たれた。大喝采のなか、ウォレン・G・ハーディングが92.5人分の代議員票を得て圧勝した。予備選挙でわずか4パーセント強の票しか得られなかった彼が、1920年大統領選の共和党候補に選ばれたのだった。
いまでは、タバコの煙に満ちた部屋での決定を好む人はいなくなったが、それも当然の話だろう。いうまでもなく、そんなのは民主主義的なやり方とはいえない。当時、大統領候補は小さな黒幕の集団によって選ばれていた。一般市民に対してはもちろんのこと、黒幕は党員に対して理由を説明する必要もなかった。さらに、煙に満ちた部屋が必ずしも優れた大統領を生み出すとはかぎらなかった。事実、ハーディング政権はスキャンダルまみれだった。しかし密室での候補者選びには、今日では忘れられがちな利点もあった-門番として機能し、明らかに不適切な人物が選挙に出たり要職に就いたりするのを防ぐことができた。これは、党執行部の高潔さが生んだ結果ではない。むしろ大きく作用したのは、いわゆる"党の重鎮たち"が確実に勝てる安全な候補を選ぼうとしたことだった。このリスク回避の精神こそが、過激派の排除につながっていた。(編者注:皮肉なことに、正に同じことが自民党内で行われているがゆえに、安倍首相が独裁政治を続けていられるのです。それは二本の政党、とりわけ自民党が、首相を選出する時に、後で述べるようなフィルターの役目を果たしていないからです。しかしいまや安倍支持の二階は一歩後退し、菅はポスト安倍に向って動き始めています。しかもあろうことか、菅自身が後継者になる可能性さえ囁かれているのです)
首相制を取る国では、政治的インサイダーたちが認めた人物が首相として選出されることになる。政府を作るというプロセスそのものが、フィルターの役割を果たしているのだ。それとは対照的に、大統領は議会の現役議員から選ばれるわけでも、譲会によって選ばれるわけでもない。少なくとも理論の上では、大統領は一般の人々によって選ばれ、誰でも立候補して充分な支持を得られれば当選することができる。
合衆国憲法の起草者たちは、門番の役割をどう保つべきかについてひどく憂慮していた。憲法と選挙制度を設計しようとした彼らは、多くの点について、今日の私たちと同じジレンマと闘っていた。まず、彼らが望んだのは君主ではなく、選挙で選ばれる大統領だった。つまり、「共和制の人民統治」という原則にしたがい、国民の意思を反映できる人物だった。その一方で起草者たちは、一般市民が候補者の適性を確実に判断できるとは考えていなかった。アレクサンダー・ハミルトンが心配したのは、人気投票だけで大統領が選ばれた場合、恐怖や無知を巧みに利用する人物がいとも簡単に当避し、暴君として国を支配するようになるのではないかということだった。(編者注:恐怖や無知を利用するという点では、安倍政権も同様です)
「歴史の教えてくれるところではー」とハミルトンは綴った。「共和国の自由を転覆するにいたった連中の大多数のものは、その政治的経歴を人民へのこびへつらいから始めている。すなわち、扇動者たることから始まり、専制者として終わっているのである」。
ハミルトンと'仲間たちは、選挙には内蔵式の審査システムのようなものが必要だと考えた。そこで起草者たちが考え出したのが「選挙人団」のシステムだった。最終的に合衆国憲法第二条によって間接選挙方式の制度ができあがったが、それはハミルトンの考えを反映したものだった。
大統領に適する資質とはどういうものかを分析でき、また、選択にあたっては、熟考するにふさわしい状況の下で、また、しかるべき理由と動機とをもち合わせる点でも好ましい条件の下で行動できる人々によって、直接(大統領が)選挙されることが望まれていた。
かくして、それぞれの州の地元の名士からなる選挙人団が作られ、彼らが大統領選びに最終的な責任をもつことになった。この方式の大切さについて、ハミルトンは「大統領という公職が、必要とされる資格を充分に備えていないような者に託されることはけっしてない……低級な裏工作の才能と人気取りの小細工だけの人間は、自然と淘汰されることになる」と論じた。このようにして、選挙人団はアメリカの最初の門番になった。
人気のある候補者を選びつつ、大衆扇動家を締め出すという二重の使命は、ときに相矛盾することがある。一般市民が自ら大衆扇動家のほうを選んだらどうなるのか? この矛盾が、その設立から今日まで大統領候補指名プロセスの中心に緊張状態を生み出しつづけてきた。門番を過度に信頼するのは、それ自体が非民主主義的である。なぜなら、党の重鎮たちが党員を無視すれば、人々の意見が反映されない状況になってしまうからだ。しかし反対に"人々の意見"を過度に信頼すれば、民主主義そのものを脅かす大衆扇動家の当選につながる危険性が出てくる。この緊張から逃げる方法はなく、どこかで必ず妥協が必要になる。
…最終的な大統領候補指名に対して拘束力をもたない予備選挙は、美人コンテストとほとんど変わらないものだった。真の力をいまだ握っていたのは、当時「組織人」と呼ばれていた党のインサイダーたちだった。事実上、候補者にとって、組織人の支持を得ることが指名の唯一の道だった。この古い党大会のシステムでは、門番の役割に付きものの妥協が重要になった。なんといっても、このシステムは民主主義的とは言いがたく、組織人たちはアメリカ社会の代表とはかけ離れていた。
実際のところ、彼らは「しがらみ社会」の定義そのものだった。政治と無縁の貧困層、女性、少数民族は言わずもがな、ほとんどの一般党員の意見は、煙に満ちた部屋での話し合いに反映されることはなかった。彼らは、大統領候補指名の一連の流れから除外されていたも同然だった。
一方で党大会のシステムは、危険な候補者を組織的に取りのぞくという点において、門番の役割を効果的に果たしていた。党のインサイダーたちは、政治学者が「査読」(同じ分野の専門家による評価)と呼ぶ作業を自然と行なっていた。知事や上下院議員たちは候補者のことを個人的に知っていた。それまで何年にもわたって多種多様な場面でともに活動してきたため、候補者の性格、判断力、ストレス下で行動する能力について評価できる立場にいた。煙に満ちた奥の部屋はふるい分けの機構としてうまく機能し、世界のほかの場所で民主主義を崩壊させてきたような大衆扇動家や過激主義者を締め出すことに役立っていた。アメリカの政党は門番としてきわめて有能な仕事をしていたため、アウトサイダーが勝つことなどできるわけもなかった。結果として、大方のアウトサイダーは挑戦しようとも考えなかった。(編者注:トランプが現れる迄は…ですが)
昨日の続きです。ちなみに私は政治学的、もしくは学術的な議論には興味がありません。自分の明日の「投票行動」に「役に立つ」情報にしか関心はないのです。だからこそ、国会審議でも、議論の為の議論、言い訳の為の言い訳にはうんざりしているのです。議論の為の議論とは、その場の言い合いに勝っただけで満足し、具体的な活動や成果に結びつかない討論です。野党の議論の多くがそれです。それでは本当に議論に勝った事にはならないのです。
関連記事。野党に後はない。小沢。
https://www.asahi.com/articles/ASM1153BBM11UTFK11C.html?iref=comtop_latestnews_04
関連記事。統一地方選と参院選。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190101/k10011765121000.html
…改革直後の民主党の予備選挙は、不安定で対立的な結果を生むことになった。1980年代はじめには、選挙で選ばれた公職者ー知事、大都市の市長、上下院議員ーに代議員票の一部が割り当てられるようになった。これらの代議員は、各州の党委員会によって指名され、この「特別代議員」は全体の15〜20パーセントを占め、予備選挙との釣り合いをとるためのおもりとして機能し、党執行部が支持しない候補者を払いのけるための機構になった。
…一方、1980年代はじめの共和党は、ロナルド・レーガン人気のもとで破竹の勢いをみせていた。特別代議員の必要性を感じなかった同党は、より民主的な指名制度を保つという致命的な選択をした。
…拘束力のある予備選挙はまちがいなくより民主的だった。しかし、民主的すぎるのではないか、という声もあった。予備選挙を通して大統領候補指名を有権者の手に委ねることによって、政党の門番としての機能は弱まる。ふたりの著名な政治学者が次のように警告した。
「(拘束力のある)事前選挙によって過激派や大衆扇動家の候補が生まれやすくなる。党への忠誠心をもたない彼らには失うものなど何もなく、平気で国民の憎悪を掻き立て、くだらない約束をするにちがいない」(編者注:トランプがこの警告を現実のものとしました)
…代議員の過半数を得るには、国じゅうで予備選に勝つ必要があった。アメリカの予備選という厄介な障害物競走を走り抜こうとする候補者には、資金提供者、新聞記者、利益団体、活動家団体、そして州知事、市長、上下院議員といった州レベルの政治家との協力が不可欠になった。ジャーナリストのアーサー・ハドリーはこの困難な道のりを「眼に見えない予備選挙」と評し、実際には予備選がまだ始まってもいない段階で「勝つ候補者が選ばれている」と述べた。
2015年6月15日、番組で有名になった不動産開発会社社長のドナルド・トランプは、ある声明を発表した-大銃領選に立候蔦する。その時点では、彼はどこにでもいるような抱沫候補でしかなかった。彼としては、富と名声によってちょっとでもチャンスが生まれれば万々歳、少なくとも数ヵ月ほど脚光を浴びることができれぽ御の字とでも考えていたにちがいない。
しかしこのときまでに、予備選挙を通した大統領候補指名の流れは、アメリカ史上かつてないほどオープンになっていた。すべてをオープンにすることには、つねに良い面と悪い両がある。この新しい環境では、ジョージ・マクガパンからバラク・オバマまで、より幅広い範囲の政治家が大統領候補指名のために本気で競い合うことができた。同時に、公職に就いたことのない真のアクトサイダーにも道は拓かれた。
トランプが指名を勝ち取るためには、党員集会と予備選挙が絡み合った複雑な仕組みのなかで、ほかの16人もの渡補者を負かさなければいけなかった。その集団の先頭にいたのが、元大統領を父と兄にもつフロリダ州元知事ジェプ・プッシュだった。
…直近八人の大統領のうち三人が輩出したテキサス州からは、今回もふたりの候補者が出馬を表明していた-テッド・クルーズ上院議員とリック・ペリ一元知事。トランプのほかにも、ふたりのアウトサイダーが参戦した。女性実業家のカーリー・フィオリーナがその一人だった。トランプがエスタブリッシュメントからの支持を得られる見込みはなかった。彼には政治の経験がなかっただけでなく、そもそも根っからの共和党員でもなかった。
世論調査でトランプの人気が急上昇したあとでさえも、彼の立候補を真剣に受け止めようとする人はほとんどいなかった。しかし環境は変わりつつあった。そこにはふたつの理由があった。ひとつ目の理由は最高裁が下した、企業・団体による青天井の献金を認めた判決であり、それによって、外部から手に入る資金が劇的に増えた。無名に近かった大統領候補者でさえも、億万長者の投資家の援助やインターネット経由の低額制の寄付を通して多額の資金を集めることができるようになった。これはより開放的で流動性のある政治環境が生まれたことを示すものだった。
伝続的な門番の影響力が弱まったもうひとつの大きな要因は、ケーブルニュースとソーシャルメディアを軸とした代替的なメディアが爆発的に増えたことにある。かつて全国的に知名度を高めるためには、数の限られた主流メディアで露出を増やすという道しかなく、そのようなメディアは過激主義者よりもエスタブリッシュメント側の政治家を好んだ。新しいメディア環境では、著名人がさらに知名度を上げて、ときには一夜にして大きく支持を広げるケースもあった。この傾向はとりわけ共和党に当てはまった。フォックス・ニュースの人気パーソナリティの登場によって、保守的な有権者がより急進的になり、過激主義を訴える候補者に有利に働くようになった。
(編者注:日本では未だこういう状況にはなっていません。但し自民党は既にそういう事態を想定して警戒態勢に入っています。来るべき参院選ではこの点が大きな論争を呼ぶことになるでしょう。ネトウヨとリベラルがネット上で泥仕合を演じる事になる可能性があります)
大続領候補指名の過程は、いまや国民に広く開かれたものに変わった。この新たなゲームのルールが、トランプのような人間の台頭をうながしたとまでは言い切れないが、ルールがもはやそれを防げなくなったということは疑いようのない事実だった。こうして、過激なアウトサイダーが大統領指名を得る可能性はかつてないほど高くなった。
政党の門番たちは、三つの大切な局面でミスを犯した-「眼に見えない予備選挙」、予備選挙そのもの、そして大統領選。眼に見えない予備選挙の段階では、トランプは最下位だった。アイオワ州党員集会が始まった時点で、ジェブ・プッシュが見えない予備選に勝利。つまり一般的に考えれば、トランプが成功する見込みはなかった。しかるにアイオワ州党員集会では、トランプは24パーセントの票を得て堂々の二位に入った。多くの専門家はそれでも予想を変えようとしなかった。
しかしトランプは、これまでのアウトサイダーができなかったことを成し遂げた。ニユーハンプシャー州とサウスカロライナ州の予備選で簡単に勝ってしまったのだ。多くの州で同日に予備選挙が行なわれる三月一日の"スーパー・チューズデー〃でトランプが勝利を手にしたころまでに、彼が「眼に見えない予備選挙」の結果を意味のないものに変えてしまった。大きく影響したのは、メディアの状況が変わったことだった。選挙活動が始まった早い段階から、右派メディアの一部の著名人がトランプに共感を抱き、支援を表明した。
トランプは物議を醸す言動によって無料で主流メディアに自らを露出させることができた。MSNBC、CNN、CBS、NBC"親トランプともっともかけ離れた四大放送局“のツイッター・アカウントでは、ヒラリー・クリントンの名前よりも、トランプの名前が二倍の頻度で言及されたという。言葉による集中攻撃にもたいした効果はなく、むしろ実際の投票ではトランプに有利に働くほどだった。
…「拘束されない代議員」という集団が、全国放送で共和党の代議員たちに向けた広告を流しはじめた。厳密にいえば代議員はトランプに投票する法的義務を負っているわけではないと彼らは主張し、トランプへの投票をやめるように訴えた。特定の候補者への投票を拘束する現在の規則を修正することを求め、声を上げた。しかし、これらの努力が報われることはなかった。
ドナルド・トランプは、その正当な票を1400万人近くから獲得していた。共和党全国委員会メンバーであるシンディ・コスタが言ったように、トランプは「公明正大に勝った」のだ。
予備選挙から大統領選挙に闘いの場が移ると、これが普通の争いではないことが明らかになった。端的にいって、ドナルド・トランプは普通の候補者ではなかった。まず、かつてないほど経験不足だった。くわえて、扇動行為、移民やイスラム教徒に対する過激な意見、社会的礼節にまつわる基本的規範の無視、ウラジーミル・プーチンなどの独裁者への礼賛…。
反民主主義的な指導者は、権力を得るまえから明らかにその兆候を示していることが多い。トランプはまだ就任前にもかかわらず、本書で示した独裁者リトマス試験の四つの基準のすべてで陽性反応を示した。
(編者注:以下次号に続きます)
連載の第5回です。たかが一冊の紹介なので、さらりと流してしまうことも出来ないことはないのですが、噛めば噛むほど、読めば読むほど、(私には)現代の民主主義が抱えている制度的な欠陥が見えてくると思います。また池上の解説とは違って、そこに同書の本当の価値があるような気がします。ということは、我々がこの本から読み取る民主主義の、現象面と制度面の問題に正面から取り組みことで、日本のみならず、世界中の民主政治の問題解決のヒントに行き着くという、僅かな望みも出てくるのです。ということは、独裁政治に悩まされている日本の国民が、対策の議論を始めるときに、この本が参考になると思います。
…こういったすべての警鐘に誰かが気がつき、なんらかの対策が打たれるべきだった。しかし予備選挙のプロセスが門番として機能しなかったせいで、大統領にふさわしくない人物が主流政党の候補者として出馬することになった。しかし、この段階で共和党はどんな対応ができたのだろうか?
将来の独裁者と向き合ったとき、エスタブリッシュメントの政治家は断固としてその人物を突っぱね、民主主義の機構を護るためにあらゆる手を尽くさねばならない。たとえ、それが長年の対立相手と一時的に手を組むことになっても。2016年の大統領選挙の運動を進めるにあたって、共和党に求められていることははっきりとしていた。トランプが基本的な民主主義の原則を脅かそうとしたなら、共和党はそれを止めなければいけなかった。それ以外の方針をとれば、民主主義は危険にさらされる。そして民主主義を放棄することは、選挙での敗北よりはるかに多くを失うことを意味する。それを食い止めるには、多くの人にとって想像を絶する行動が必要だったーヒラリー・クリントンの支援である。
実際、ドナルド・トランプは大統領に適さないと考え、ヒラリー・クリントンを支持した共和党員もいた。彼らはオーストリアやフランスの保守派と同じように、党利党略をいったん脇に置き、民主主義を護るという共通の目的を果たすほうがずっと大切だと考えた。そのような行動をとった。その一人である共和党員の意見を紹介したい。
「今回の選挙における私たちの選択肢はあまりに明らかです。ヒラリー・クリントンはアメリカの民主主義の利益の強力かつ明確な支持者です。ドナルド・トランプは、私たちの民主主義にとって脅威です」
これらがもしもポール・ライアン下院議員、ミッチ・マコーネル上院多数党院内総誘、ジョージ・W・ブッシュ、或いは、著名な上院議員の三人組ジョン・マケイン、マルコ・ルビオ、テッド・クルーズのうちの誰か一人の発言だったとしたら、2016年の選挙の流れは大きく変わっていたにちがいない。しかるにポール.ライアン、ミッチ・マコーネル、マルコ・ルビオ、テッド・クルーズなどの共和党の大物政治家は、みなドナルド・トランプを支持した。著名な共和党員のうちヒラリー・クリントン支持を表明したのは、すでに引退した政治家や官僚だけだった。彼らは今後選挙に出ることを考えておらず、政治的に失うものがない人々だった。
要するに、ほとんどの共和党幹部は党の公式見解を最後には受け容れたということになる。彼らがトランプときっぱり袂を分かち、この国が築き上げてきた大切な制度にとって彼は脅威であるとアメリカ国民に声高に訴えていれば-。そして、それを理由にヒラリー・クリントンを支持していれば、ドナルド.トランプが大統領に当選することはなかったかもしれない。
フランスでは、保守系の共和党の大統領候補であったフランソワ・フィヨンがマクロンを支持するという驚きの一手に出たが、共和党支持者の半数がその方針に沿って投票したと推測されている。更におよそ三分の一の支持者は投票を棄権したため、フィヨン支持者のうちルペンに票を入れたのは全体の六分の一程度まで減った。これはまちがいなく最終結果に大きな変化をもたらすものだった。
(編者注:自民党議員の一定数が総裁選でせめて棄権してくれていたら、第四次安倍政権はなかったでしょう。米共和党議員と同様に、自民党議員の質が低下している事が、そしてそういう議員を国民が選んだことが、日本が独裁政治になってしまった最大の原因だと思います。一言で言えば、衆愚が独裁者を作り出しているのです。政治家としての理念も、社会人としての常識さえも不足している自民党の領袖たち、二階、麻生、岸田、細田、高村などは、国民と民主主義に対しては裏切り者なのです)
この動きの変化には大きな意味があった。いったん選挙が普通の選挙に変わると、ふたつの理由によって勝負は五分五分になった。ひとつ目の理由は、両党の二極化の強まりによって有権者の一極化も進んでいたことだ。近年、アメリカ人は共和党と民主党のどちらかの支持にはっきりと態度が分かれる傾向が強く、真の無党派層や浮動票投票者はほとんどいなくなった。それどころか共和党と民主党の支持者はますます自党に忠実になり、他党への敵意を増していった。有権者の流動性は減り、地滑り的大勝利が起きる可能性はきわめて低くなった。2000年代に入ると、候補者が誰であるかにかかわらず、大統領選挙はつねに僅差の勝負になった。
(編者注:ここは日本と違います。日本では無党派層、棄権票が最大なのです)
選挙が五分五分の勝負になるふたつ目の理由として、政治学的な調査や研究のほぼすべてにおいて「接戦の選挙になる」という予測が出ていたことが挙げられる。不安定な経済状況やオバマ現政権のそこそこの支持率を背景に行なわれた多くの調査では、僅差でクリントンが勝つことが予想されていたが、なかにはトランプの辛勝を予想するものもあった。いずれにせよ、拮抗した闘いを予測するものがほとんどだった。接戦の選挙というものは、最後の最後までどちらに転ぶかわからない。このような選挙の結果は不測の事態、つまり"偶然"に大きく左右される。だからこそ、選挙直前の"オクトーバー・サプライズ"はますます大きな意味をもつことになる。新たに発表された映像がひとりの候補者を否定的に描いたとき、あるいは連邦捜査局(FBI)長官の声明が別の候補者の信用性に疑問を投げかけたとき、それによって結果が変わることもあるのだ。
(編者注:安倍首相の選挙対策は毎回これです。消費増税延期、山尾の文春砲などは、この小細工の最たるものです)
トランプの敗北に必要なのは共和党のほんの一部の有権者の造反だけだった。しかし、選挙は通常どおり行なわれた。そして接戦となり、トランプが勝利を収めたのだった。
(編者注:以下次号)
第6回です。今回は日本の国民にも関係のある内容です。
…民主主義を護ることは過酷な仕事だ。家族経営の会社や軍の戦隊なら、専断的に遡営することもできるだろう。しかし、民主主義には交渉、妥協、譲歩が不可欠となる。ときに後退や挫折を避けることはできず、すべての面で勝つことなどありえない。大統領の政策は議会で却下されるかもしれないし、裁判所によって阻止されるかもしれない。すべての政治家がこの制約にもどかしさを感じているものの、民主的な政治家はそれを受け容れなければいけないと知っている。
しかし房動的な傾向があるアウトサイダーにとって、民主主義的な政治は酎えがたいほどもどかしい。彼らは、「抑制と均衡」を拘束衣のよう感じる。将来の独裁者たちは、民主的な政治を日々進めるための忍耐を持ち合わせていない。
(編者注:安倍首相にはそうした忍耐が決定的に欠けていると思います。国民の誰も要求していない改憲を必要だと騒ぎ立てて、政策の審議は短時間で打ち切り、強行採決に持ち込む)
選拳で選ばれた独裁者は、自分を抑えつけているはずの民主主義的な機構をどのように打ち砕くのか? なかには、いっぺんに破壊する者もいる。しかし多くの場合、民主主義への攻撃はゆっくり始まる。しばらくのあいだ、市民の多くはそれに気づきもしない。結局のところ、達挙はいつもどおり行なわれ、野党の政治家は議会で引きつづき活動し、独立系新聞杜も新聞を発行しつづける。民主主義の浸食は段階的に、ほんの少しずつ進んでいく。
選挙で選ばれた独裁者が少しずつ制度を壊していく過程は以下のようなものである。
審判を抱き込むー@盾と武器を手に入れる
審判を味方につけることには大きな効果がある。近代国家には不正を調査・処罰する権限をもつさまざまな機関があり、公務員と民間人の両方がいつも眼を光らせている。司法制度、法執行機関、諜報機関、規制当局などがその一例だ。しかし、審判となる機関が体制支持者に支配されていたら? 彼らは独裁者の利益のために動き、政府から権力を奪う捜査や刑事訴追を阻止しようとするかもしれない。大統領は平気で法律を破り、市民の権利を脅かし、さらには調査や非難を受ける心配なく憲法に違反しようとするかもしれない。
(編者注:まさにそれこそが安倍政権のしている事だと思います。但しそれとなくどころではありませんが。現在の日本の政府、検察・裁判所を含めた日本の機関が、とっくにこのようなこのような恥ずべき状況にあると考えられます。誰であれ、独裁政権を作ることに成功しさえすれば、官僚は政権にこびへつらった=何が忖度ですか、敗戦を終戦と言い変えるようなものでしょう、前国税庁長官を含めた高級官僚には恥を知れと言いたい。官僚人事権を握った政権は、プライドも信念も失った官僚組織を意のままに操ることが可能になるのです。官僚組織が国家、国民の為の組織では“ない”ことが、独裁を許しており、日本の政治の根本的な病巣になっているのです)
審判を抱き込むーA裁判所を支配する
このように腐敗した社会では、買収されることを拒んだ裁判官が弾劾の標的になってしまうケースがある。1997年にペルーの憲法懲法裁判所がフジモリ大統領の三選に違憲の判断を下そうとしたとき、議会のフジモリ支持派は七人の判事のうち三人を弾劾した。独立した裁判官を簡単に取りのぞけないとき、政府は裁判所を抱き込んでその力を骨抜きにしようとすることがある
対戦相手を欠場させるー@メディアの買収
いったん審判の抱き込みに成功すると、選挙で選ばれた独裁者はターゲットを対立相手に移す。政府をほんとうに脅かすことのできる人物を排除、邪魔、買収して相手に試合を放棄させようと試みる。主要なプレーヤーに含まれるのは、野党の政治家、野党に資金を提供する企業家、大手メディアなどだ。場合によっては、国民の尊敬を集める宗教家や文化人もその対象となる。潜在的な対立相手を丸め込むもっとも簡単なやり方は彼らを買収することだ。
(編者注:買収とは金銭を払う事だけではありません。官僚なら昇進がそれに当ります。佐川前長官や、その佐川を不起訴にした大阪地検特捜部の女性部長のように)
対戦相手を欠場させるーA逮捕、訴訟、罰金
買収を受け容れようとしないプレーヤーには、力を弱めるための別の方法が使われる。かつての独裁者はしばしば対立相手を投獄、国外追放、または殺害したが、現代の独裁者は合法性というベールのうしろに抑圧を隠そうとする傾向がある。これこそ、審判を抱き込むことが大きな意味をもつ理由だ。
(編者注:プーチンも金正恩もサウジの皇太子もその手は血にまみれています。習近平もそれほど大きな違いはありません)
対戦相手を欠場させるーB実業家を標的に
これは、プーチンがロシアで権力を強める過程でカギとなった方策のひとつだった。大統領就任から三カ月もたたないうちに、プーチンはロシアのもっとも裕福な実業家21人を大統領府クレムリンに招いた。そこで彼は、政治にかかわらないかぎり(政府の監視下で)自由に事業を行なってかまわないと告げた。いわゆるオリガルヒと呼ばれる寡頭資本家たちの多くは、プーチンの警告にしたがった。しかしテレビ局ORTの筆頭株主である億万長者ポリス・ベレゾフスキーはそうしなかった。ORTが政府批判を始めると、クレムリンはしばらく放置されていた詐欺事件を再び掘り起こし、ベレゾフスキーの逮捕を命じた。
対戦相手を欠場させるーC文化人への抑圧
最終手段として選挙で選ばれた独裁者は文化人を黙らせようとする。芸術家、知識人、ポップスター、スポーツ選手などの人気と道徳的な影響力は、政府にとって潜在的な脅威となることがある。囲い込み、あるいは嫌がらせによって影響力のある声をひそかに鎮めるという政府の行動は、間接的に反対勢力に深刻なダメージを与える。
ルールを変えるーA投票の制限
おそらく、独裁的な立場を保つためのルール書き換えのもっとも顕著な例は、アメリカ合衆国での出来事にちがいない。
再建期にいっせいに行なわれたアフリカ系アメリカ人の解放は、白人による南部の政治支配と民主党の独占に大きな脅威をもたらすものだった。アフリカ系アメリカ人は突如としてミシンッピ州、サウスカロライナ州、ルイジアナ州で有権者人口の過半数を占めるようになった。アフリカ系アメリカ人は庄倒的な割合で共和党に投票した。それまで支配的な力を誇っていた民主党は弱体化した。もしこのまま民主的な選挙が続いていれば、南部の白人の地位は致命的なほど下がっていたにちがいない。この状況に危機感を抱いた政治家たちは民主主義に従うことをやめ、ルールを変えた。
憲法修正第15条で規定された条文に沿う必要があるため、人種を理由に選挙樺を制限することはできなかった。すると各州は複雑な書面を利用した投票システムを導入した。その目的は、文字の読めない貧しい黒人を投票所から追い出すことだった。
合法的または中立的に見せかけた措置が「南部の有権者のほぼ全員を確実に白人にする」ために用いられた。アフリカ系アメリカ人からの選挙権の剥奪は共和党の衰退へとつながり、それから一世紀にわたる白人の優位と民主党の一党独裁を決定づけることになった。
審判を抱き込み、対立相手を買収し、その力を弱め、ゲームのルールを書き換える。選挙で選ばれた指導者はそのような手口で、敵に対して決定的かつ永続的に優位な立場を築くことができる。これらの措置は合法性というベールのうしろで少しずつ進められるため、眼のまえで起きているにもかかわらず、民主主義が解体されつつあるという事実に市民がなかなか気づかないこともある。
未来の独裁者は、経済危機、自然災害、さらに安全保障上の脅威(戦争、武装闘争、テロ攻撃)を使って、反民主主義的な政策を正当化しようとする。
危機が起きるのを予測するのはむずかしいが、そのあとに政治の世界で何が起きるのかを予測するのは容易なことだ。危機は権力の集中を生み、決まって権力の乱用へとつながる。戦争やテロ攻撃は「旗の下への結集」効果を生み出し、政府への国民の支持はときに劇的に上がる。たとえば9.11の同時多発テロのあと、ブッシュ大統領の支持率は90パーセントに跳ね上がった。
9.111後の世論調査では、アメリカ入の55パーセントが「テロリズムを抑制するために市民の自由を手放す必要がある」と答えた。
世界の多くの憲法では、緊急時に行政権を拡大することが赦されている。そのため、民主的に選ばれた大統領でさえも、戦争中にいとも簡単に権力を集中させ、市民の自由を脅かすことがある。将来の独裁者がこのような権力を手にしたとき、状況はいっそう危険になる。選挙で選ばれた独裁者はしばしば危機を必要とする。外からの脅威は、彼らを迅速かつ"合法的に"制約から解き放つ機会を与えてくれるのだ。だとすれば、「将来の独裁者」と「大きな危機」という組み合わせは、民主主義にとって致命傷となる可能性がある。
なかには危機を自ら作り出してしまう指導者もいる。マルコス比大統領による戒厳令宣言には裏があった。彼の"危機"はほとんどが捏造されたものだった。そこで彼は、「共産主義の脅威」を演出することを決めた。実際の反乱者の数はわずか数十人だったにもかかわらず、マルコス大統領は集団ヒステリーのような状況を作り出し、緊急措置を正当化した。
(編者注:北朝鮮からミサイルが飛んで来るぞと大騒ぎした首相がいました。何事によらず安倍首相に“危機を演出”させないことが野党の重大な使命です。なのに彼らにはそれが分かっているとは思えない。加えて、平時なのに緊急事態法案を持ち出す自民党議員に至っては、民主主義とは何かが全く分かっていないか、或いは我が身可愛さで安倍首相に取り入りたいだけなのか、いずれにしても自分を選んでくれた日本の国民のことは、彼らの念頭に無いことだけは確かのようです)
安全保障の危機はまた、ウラジーミル・ブーチンの独裁主義への転換のきっかけにもなった。プーチンが首相になったばかりの1999年9月、モスクワなどの数都市でチェチェン独立派武装勢力の仕業と思われる連続爆弾テロが起き、およそ300人が死亡した。ブーチンはチェチェンに宣戦布告し、大規模な取り締まりを始めた。ナチス・ドイツの例と同じように、一連の爆弾テロが実際にチェチェンの武装勢力によって行なわれたのか、ロシア政府の諜報機関によるものだったのかについてはいまだ議論が分かれるところだ。しかしひとつだけ明らかなのは、この爆弾テロによってプーチンの政治的な人気が一気に跳ね土がったということだ。ロシア国民はみなプーチンを後押しし、彼の野党に対する攻撃を何年にもわたって(支持とまではいかなくても)容認した。
(編者注:以下次号)
「民主主義…」の続きです。今回を含めて、本資料の分析は後3回で終了の予定です。
…民主主義のガードレール
何世代にもわたってアメリカ国民は、憲法を大いに尊重してきた。合衆国が選ばれし国であり、神によって導かれ、世界にとって希望と可能性の光であるという信念の中心には、いつも憲法があった。このような強い信念は薄れつつあるとしても、憲法への信頼は依然に高いままだ。1999年の調査によると、アメリカ人の85パーセントが「ここ一世紀のあいだにアメリカが成功を収めたおもな理由」として憲法を挙げた。事実、憲法による抑制と均衡のシステムは、指導者による権力の集中と乱用を防ぐために設計されたものであり、アメリカの歴史の大部分でうまく機能してきた。南北戦争のあいだにエイプラハム・リンカーン大統領に集中した権力は、戦争が終わったあとに最高裁判所によってもとに戻された。
(編者注:これは米国が、英国の君主の支配から逃れたプロテスタントが建国した国であることと、無縁ではないと思います。但し、この部分だけでなく、この本で一貫している最も重要な論点は、米英の先駆者が苦労して作り上げた憲法でも、米国で民主主義を護り切ることが出来なかった=トランプを見よ、ということです。しかしもっと残念なことは、日本ではそうしたした最低限度の規範である憲法でさえ、守れない、或いは守ろうとしない、超保守の政治家たちがおり、その意識レベルが、民主主義の国家にはふさわしくない程、低い事なのです)
一憲法は万能ではない
しかし、憲法という制度だけで民主主義を護ることはできるのだろうか? 高度に設計された憲法でさえ、ときに失敗へとつながることがある。たとえば旧ドイツで1919年に制定されたワイマール憲法は、当時のもっとも優れた法律家らによって作り出された。世界でも早い段階で「法治主義」を定めたワイマール憲法は専門家から高い評価を受け、政府による特権乱用を防ぐために充分なものだと広く考えられていた。しかし1933年のアドルフ・ヒトラーの権力奪取をまえに、憲法と法治主義は瞬く間に崩れ落ちた。
(編者注:それが日本でもやってみたいと言い出したのが、麻生太郎と言う名の、政府の生ゴミです)
植民地支配から解放されたあとの南米では、新たに独立した共和国の多くは、アメリカ式の制度をそのまま採り入れ、大統領制、二院制議会、最高裁判所のシステムを作り上げた。さらに、選挙人団や連邦制度を採り入れた国もあれば、合衆国憲法をほぼそのまま書き写したかのような憲法を制定した国もあった。にもかかわらず、この地域の、生まれたての共和国のほぼすべてが内戦と独裁統治に突入した。
どれほどうまく設計された憲法だとしても、それだけで民主主義を護ることはできない。その理由のひとつに、憲法がつねに不完全であるということが挙げられる。ほかのすべての規則と同じように、そこには数えきれない穴とあいまいさが存在する。どんなに細かく書かれた操作マニュアルでさえも、考えられるすべての不測の事態を予測し、考えられるすべての状況下でどう行動するべきかを取り決めることはできない。
―規範が民主主義を支える
すべての法制度には穴やあいまいさが付きものなので、憲法だけを頼りに将来の独裁者から民主主義を護り抜くことはできない。もともとの憲法はわずか四ページ分の長さしかなく、ときに矛盾するさまざまな解釈が可能だった。うまく機能する民主主義のすべては、憲法や法律には書かれていないもの、つまり広く認知・尊重される非公式のルールに支えられている。アメリカの民主主義では、この規範がきわめて大きな役割を果たしてきた
規範とは、たんなる個人的な習性ではない。それはたんに政治指導者の善良な性格に起因するものではなく、特定の共同体や社会のなかで常識とみなされている共通の行動規則である。それらのルールはメンバーによって受け容れられ、尊重され、遵守されている。ところが明文化されているわけではないので、うまく機能しているときにはとくに見えにくい。そのため、私たちは規範など必要ないと勘ちがいすることがある。酸素やきれいな水のように、規範の大切さは、それがなくなるとすぐに明らかになる。規範が強い社会に住む人々は、違反行為に対してさまざまな不満の態度を示す。アメリカ政治のいたるところに不文律が存在する。しかしなかでもふたつの規範が、民主主義を機能させるために必要不可欠なものとして君臨しているー相互的寛容と組織的自制心だ。
―対立相手は敵ではない
相互的寛容とは、対立相手が憲法上の規則に則って活動しているかぎり、相手も自分たちと同じように生活し、権力をかけて闘い、政治を行なう平等な権利をもっていることを認めるという考えである。相手に同意できず、ときに強い反感をもつことがあるとしても、私たちは対立相手を正当な存在として受け容れなければいけない。つまり私たちは、政治のライバルをまともで、愛国的で、遵法精神のある市民だと認め、彼らも国を愛し、同じように憲法を尊重しているのだと信じなくてはいけないのだ。たとえ相手の考えが愚かでまちがっていると感じたとしても、自分たちの存在を脅かす脅威だとみなしてはいけない。さらに、相手を反逆的、破壊的、あるいは常帆を逸した人間として扱ってはいけない。言い換えれば、相互的寛容とは、政治家みんなが一丸となって意見の不一致を認めようとする意欲のことである。
―特権の乱用を避ける
民主主義の生き残りに不可欠なふたつ目の規範は、私たち著者が「組織的自制心」と呼ぶものだ。「自制心」は、「忍耐強い自己制御、抑制、寛容」または「法的権利を行使することを控える行為」と辞書では定義される。本書の文脈における組織的自制心とは「法律の文言に違反しないものの、明らかにその精神に反する行為を避けようとすること」と言い換えることもできる。自制心の規範が強い環境下にいる政治家は、たとえそれが厳密には合法であっても、制度上の特権を目いっぱい利用したりしない。なぜなら、そのような行為は既存のシステムを危険にさらす可能性があるからだ。
組織的自制心は、民主主義そのものよりも古い伝統によって生み出された考えである。神から授けられた権力を王が行使していた時代には王の権力を法的に抑える絶対的な制限はなかった。にもかかわらず、民主主義以前のヨーロッパの君主の多くは、自制心を働かせて行動した。結局のところ、「神に対して敬虔である」ためには知恵と自己抑制が必要だった。
(編者注:何に対しても謙虚でないのが安倍首相と安倍政権です。奢る安倍家は久しからずです)
―ガードレールのない政治
相互的寛容と組織的自制心は密接に関連しており、ときにそれぞれを補強し合うこともある。政治家はお互いを正当なライバルとして受け容れたとき、より自制心を働かせる傾向が強くなる。また、対立相手を「破壊的」だと考えない政治家は、規範を破ってまで相手の権力を奪おうとはしない。自制心に満ちた行動―たとえば、共和党が過半数を占める上院が、民主党の大統領の最高裁判事の指名を受け入れるーは「相手には許容力がある」「相手も好循環をうながそうとしている」という両党の信念を強める事につながる。
(編者注:以下次号)
「民主主義…」の続きです。共和党と民主党の対立が激化します。
…アル・ゴアが敗北したあとで、ジョージ・W・ブッシュはテキサス州議会の下院で国民に語り掛けた。
「ここで勝利宣言を行うのは、ここが党を超えた協力が行なわれ続けてきた場所だからです。ここでは、民主党が議席の過半数を占めてはいますが、共和党と民主党がともに協力し合い、有権者のために正しいことを実践してきました。この議場で私が目の当たりにしてきた協力の精神こそ、ワシントンにいま必要なものです」
ところがそのような精神はいっさい現実のものにはならなかった。ブッシュは「仲を裂く人物ではなく、まとめ役になる」と約束したが、彼が大統領だった八年のあいだに党同士の抗争は激しくなっていった。
…プッシュ政権は大きく右に舵を切った。プッシュは超党派による見せかけの協力をすべて取りやめ、有権者の極端な二極化に勝機を見いだしていた。わざわざ無党派層を取り込もうとしなくても、共和党の支持層を動かすだけで選挙に勝つことができる、と彼は結論づけた。結局、二党が協力したのは、9・11同時多発テロへの対応とその後のアフガニスタンとイラクでの軍事行動についてだけだった。
…民主党は「公民権推進の政党」、共和党は「人種問題の現状維持を求める政党」と定義されるようになった。それから数十年のあいだに、南部の白人による共和党支持が一気に進んでいった。ニクソンの「南部戦略」やその後のロナルド・レーガンの演説に隠された人種差別擁護の姿勢は、共和党が保守的な白人のための場所であることを有権者に伝えた。20世紀の終わりまでに、それまで民主党の地盤だった地域は、共和党の地盤に変わった。同時に、ほぼ一世紀ぶりに投票権を与えられた南部の黒人たちに加え、公民権運動を支持してきた北部のリベラル派の共和党支持者たちは、こぞって民主党支持にまわった。南部が共和党色に染まっていくなか、北東部はみるみる民主党色に染まっていった。
…1965年からの再編によって、有権者をイデオロギー的に分類するというプロセスも始まった。共和党は主として保守的に、民主党は圧倒的にリベラルに傾いていった。
…イギリス、ドイツ、スウェーデンなどの有権者もイデオロギー的に二分化されているが、これらの国々では現在のアメリカのような党同士の憎しみ合いはみられない。
… 政党の再編は「保守対リベラル」の枠組みを大きく超えるものだった。支持者の社会的、民族的、文化的基盤も大きく変わり、政党は異なる政策アプローチだけではなく、異なる共同体、文化、価値観を代表するようになった。アメリカで民族的な多様化が進んだ理由は、黒人の政治参加だけに限られるものではなかった。1960年代以降、アメリカに移民の巨大な波が押し寄せた。はじめは南米から、のちにアジアから多くの移民がやってくると、国の人口統計地図が劇的に変わった。
1950年、アメリカの非白人の人口比率は全体のわずか10パーセントほどに過ぎなかった。それが2014年には38パーセントに増え、米国国勢調査局は2044年までに人口の半分以上が非白人になると予測している。黒人への選挙権の付与とともに、移民がアメリカの政党を変えた。これらの新しい有権者たちは、民主党を一方的に支持した。
…ティーパーティーやコーク・ネットワークなどの組織の後ろ盾によって、「妥協」を嫌う新世代の共和党員たちが次々と当選した。そして、賓金提供者と圧力団体によって骨抜きにされた共和党は、過激派勢力に対してより脆弱になっていった。
共和党を過激主義へと追いやったのはメディアと外部の利益団体だけではなく、社会や文化の変化も大きな要因となった。民主党がここ数十年のあいだにどんどん多様化していった一方で、共和党は一貫して文化的に均質でありつづけた。これはとくに注目すべき点だ。
共和党の中核をなす白人プロテスタントの有権者たちは、ただの支持者ではない。およそ200年にわたって、彼らはアメリカ選挙民の大多数を占め、米国社会において政+治的、経済的、文化的に優位に立つ存在だった。しかし、いまや白人プロテスタントは有権者の少数派となり、その割合ほさらに減りつづけている。そんな白人たちは、共和党と一蓮托生の道を選んだ。
集団の杜会的立場・アイデンティティー・所属意識が存亡にかかわる脅威にさらされたとき、ステータス不安という現象が起こりやすい。この現象に陥ると、「過度に興奮し、疑い深く、攻撃的で、大げさで、終末論的な」政治スタイルが生まれる傾向があると言われている。
ティーパーティー活動に参加する共和党支持者の多くは、「"真のアメリカ"だと信じるものが急速に変わり、自分たちが育った国が消えていく」という認識を共有しているという。彼らは「自国のなかの部外者」になったような感覚を抱いている。このような認識こそが、「真のアメリカ人」からリベラル派と民主党を区別しようとする論調の要因のひとつになった。
もし「真のアメリカ人」の定義が「英語を母語とする国内生まれの白人キリスト教徒」に限られる場合、彼らにとって「アメリカの有権者は左に動いているのではなく、縮小している」のだ。ティーパーティーに参加する多くの共和党支持者も「アメリカが消えていく」感覚を抱いているので、彼らは「われわれの国を取り戻せ、アメリカを再び偉大にしよう」といったスローガンに惹かれるのである。
(編者注:なぜトランプの支持者が根強いのかは歴史を考えないと分かりません。ところで、日本の政治学者も、同じように「科学的に」日本の有権者の分析を行うべきではないのでしょうか)
「民主主義の死に方」の最終回です。長いお付き合い、真に有難うございました。本書の最終章では、著者は具体的な対策を提示しています。それが日本のリベラルの考え方に近いことに、驚かされます。今回は少々長くなっています。
…すぐに、トランプ政権の高官たちはマスコミの包囲網に危機感を抱いた。何週間たっても、否定的な報道の割合が七割を切ることはなかった。さらに、トランプの選挙運動とロシアとの関係についての疑惑が浮かび上がった。ところが、盤石の支持基鍍をもつトランプは、典型的な独裁者と同じ特徴を示した。@審判を抱き込む、A主要なプレーヤーを欠場に追い込む、B対戦相手に不利になるようにルールを書き換える、という三つの戦略のすべてを、トランプは試みたのである。
トランプ大続領はさらに、政治的礼節の基本的なルールも破った。彼は"選挙後の和解"という規範を無視し、ヒラリー・クリントンを攻撃しつづけた。それどころか、現職大統領が前任者を攻撃してはいけないという不文律も破った。トランプ大続領はこんなツイートを投稿した。「大統領選の勝利直前、オバマがトランプ・タワーの私の会話を"盗聴"していたことがわかった。まだ証拠は何も見つかっていないが、これはマッカーシズムだ!」。
おそらく、トランプ大統領のもっとも悪名高い規範破りは"嘘"だろう。大統領が公の場で真実を伝えなければいけないという考えは、議論の余地のないものだ。候補者が有権者の信頼を勝ち取るためには、「厳然たる事実を否定しない」「嘘をつかない」ことがなにより大切になる。トランプ大統領による日常的かつあからさまな作り話は、前例のないレベルのものである。政治評価サイトは、トランプの公の声明の69%を誤りまたは嘘だと分類した。真実またはほぼ真実と認定されたのは17%だけだった。
トランプは大統領になってからも嘘をつきつづけた。就任以来すべての公式発言を追ってきた『ニューヨーク・タイムズ』は、控えめな基準に則ったとしても、彼は就任から40日のあいだ、少なくとも一日に一度は誤った情報、あるいは誤解を招くような情報を発信した。どれも、あまりに見え透いた嘘ばかりだった。
(編者注:それでいて、批判的なメディアはフェイク・ニュースと決めつけるのだから、お話になりません)
たとえばトランプ大統領は、選挙人団の投票においてロナルド・レーガン以来最大の勝利を収めたと主張した(実際には、ジョージ・W・ブッシュ、クリントン、オバマのほうがより大きな差をつけていた)。彼は、就任から半年のあいだにほかのいかなる大統領より多くの法案に署名したと主張した(ジョージ・W・プッシュやクリントンを含めた数人の大統領のほうがもっと多くの法案に署名した)。2017年7月にトランプ大統領は、ボーイスカウトの幹部に「過去最高のスビーチだった」と言われたと自慢したが、ボーイスカウト連盟はすぐにそんな事実はないと否定した。
これまでのところ、西ヨーロッパにおける基本的な民主主義の規範はほとんど失われていない。その一方で、トランプの台頭は、世界規模の民主主義にさらなる危機をもたらす可能性がある。ベルリンの壁崩壊からオバマ政権が終わるまでのあいだ、米国政府は民主主義を促進する外交政策を保ってきた。もちろん、数多くの例外があったー中国、ロシア、中東のようにアメリカの戦略的利益が危うい状況にある場所では、民主主義は議題から外された。しかし、冷戦後のアフリカ、アジア、東欧、中南米のほとんどの場所において、米政府は外交圧力、経済支援、そのほかの外交政策を用いて独裁主義を抑え込み、民主化を推し進めてきた。
ドナルド・トランプ政権下のアメリカは、冷戦後はじめて民主主義の促進者としての役割を捨てようとしてように見える。トランプ大統領は、ニクソン以来のアメリカ大続領のなかでもっとも非民主主義的な人物である。くわえて、アメリカはもはや民主主義のお手本ではなくなった。メディアを攻撃し、対立相手を逮捕すると脅し、選挙の結果を受け容れないとまで言い出す人物が大統領を務める国が、民主主義をしっかり護ることなどできるはずがない。
トランプが去ったあとのアメリカに眼を向けてみると、そこには三つの未来があると考えられる。
もっとも楽観的なひとつ目の未来は、すぐさま民主主義が回復するというもの。このシナリオでは、トランプ大統領は政治的に失脚する。まず考えられるのが、国民からの支持を失って再選を逃すというパターン。あるいは、弾劾や辞任というもっと劇的なケースもあるだろう。トランプ政権の崩壊と反トランプ派の勝利によって力を取り戻した民主党は政権に復帰し、トランプの愚かな政策の数々を転換していく。
トランプの狂騒劇は悲劇的な過ちの時代として、ぎりぎりでアメリカの民主主義が護られた物語として、学校の教科書に載り、歴史のなかに記されることになる。当然ながら、これは私たちの多くが望む未来だ。しかしそうなる見込みは薄い。
アメリカ民主主義の柔らかいガードレールは、何十年ものあいだ弱りつづけていた。だからたんにトランプ大統領を取りのぞくだけで、それが奇跡的に復活するはずがないからだ。
より暗いふたつ目の未来は、トランプ大統領と共和党が白人至上主義の旗印のもとに勝ちつづけるというものだ。このシナリオでは、親トランプ路線の共和党がホワイトハウス、連邦議会上下院、州議会において圧倒的な力を保ちつづけ、最後には最高裁判所で安定過半数を得るようになる。
(編者注:その後、極右の裁判官が任命されてしまったので、もう過半数にはなっています)
憲法違反ぎりぎりの強硬手段のテクニックが使われ、白人有権者の過半数独占を長きにわたって護るための施策が生み出される。大がかりな強制送還、移民の制限、有権者登録名簿の更新、厳しい投票ID法の採用などがいくつか組み合わせて実施されるだろう。選挙区の見直しも進められ、共和党はぎりぎりの過半数でも政策を押し通すことができるようになる。
三番目の、そして私たち著者がもっともありえそうだと考えるトランプ後の未来は、二極化、政治の不文律からのさらなる逸脱、頻発する制度上の闘いによって特徴づけられた世界、つまり、強固なガードレールのない民主主義だ。このシナリオでは、トランプ政権やトランプ主義は最終的に失速するかもしれない。しかしその失敗が、政党同士の隔たりを狭めたり、相互的寛容や自制心の衰えを逆転させたりすることはほとんどない。
アメリカの民主主義がうまく機能していたときには、相互的寛容と組織的自制心というふたつの規範が当たりまえのように存在し、それが陰で制度を支えていた。合衆国憲法には、「ライバルを正当な競争相手として扱い、フェアプレーの精神を働かせて制度上の特権を控え目に使いなさい」などとは書かれていない。しかしそのような規範がなければ、憲法の抑制と均衡のシステムは理想どおりには機能してくれない。制度というものは、たんなる正式ルールではない。それを機能させるために必要な行動とは何か、という共通の理解も制度の一部に含まれるものなのである。建国当初のアメリカの政治指導者たちが優れていたのは、隙のない確実な制度を作り上げたからではなかった。彼らが質の高い制度を設計したうえで、その制度が機能するために役立つ共通の信念と慣習を苦労しながらも少しずつ作り上げていったからだ。
(編者注:民主主義は、常に未完成であるがゆえに、不断の国民の努力を要求するのです)
アメリカの政治システムの強さを支えるのは個人の自由と平等主義の原則といわれてきた。建国の文書に記され、学校の教室・演説・社説で繰り返し謳われてきた「自由と平等」とは、自ら正当性を示すべき価値観であって、放っておけば勝手に効果が発揮されるものではない。その相互的寛容と組織的自制心は"手続きの原則"であり、制度を機能させるために政治家がどのように行動するべきかを教えてくれるものだ。この手続きにまつわる価値観もまた、アメリカ的信条の中心にあるものだと考えるべきだろう。
この点は、市民がどのようにトランプ政権に反対するべきかという問題にも大きくかかわってくる。2016年の大統領選挙のあと、多くの進歩的な言論機関は「民主党は共和党のように闘うべき」だと結論づけた。共和党がルールを破りつづけるなら、民主党も同じやり方で応じるしか選択肢は残されていない、というのが彼らの議論だった。いかなる手段を使ってでも勝とうとするいじめっ子と向き合っているにもかかわらず、ルールにしたがうとするプレーヤーは利用されて終わるだけではないか?
新たな"白人の過半数"を作り上げて共和党の力を保とうとする動きは、反民主主義的なものだ。そのような措置が実際に行なわれれば、幅広い社会勢力から抵抗が起こることは避けられない。この抵抗によって対立が激しくなると、暴力的な衝突につながる。後退する多数民族が、闘いを経ることなく支配的な地位をほかのグループに明け渡した実例はほとんどない。
不正受給が多いという印象が広まったアメリカでは、"福祉"はいつしか軽蔑的な言葉になった。北欧で一般的な「普遍主義的モデル」に重きを置いた保障政策なら、アメリカ社会の緊張を和らげる効果があるかもしれない。アメリカの社会保障制度(失業保険、老齢年金、遺族年金などの制度の総称)やメディケア(高齢者や障害者を対象とした公的医療保険)などの全員が平等に恩恵を受けられる福祉政策は、社会の不満を緩和し、アメリカ国内のさまざまな層の有権者のあいだの溝を埋めることができる。
そのような普遍主義的な福祉政策の代表例が、包括的な総合健康保険制度だ。そのほかの例としては、より積極的な最低賃金の引き上げ、あるいはユニバーサル・ベーシックインカムなどがある。また、「家族政策」も忘れてはいけない。たとえば、子育て中の親のための有給休暇制度、共働き夫婦の子どものための補助金付き保育所の設置、誰でも参加できる幼稚園教育の実施。現在、アメリカの家族政策への支出は先進国の平均の三分の一程度にとどまり、メキシコやトルコと同じ水準に甘んじている。
民主党はさらに、より包括的な労働市場政策についても検討を始めるべきだろう。たとえば、より広範にわたる職業訓練、再就職や訓練のための賃金補助制度、高校生やコミュニティ・カレッジ生のための就労体験プログラム、失業者のための交通手当。このような政策には、社会の不満と二極化の要因となる経済的不平等を和らげる効果があるはずだ。
どんなに困難な道だとしても、民主党は不平等の問題から逃げ出すことはできない。結局のところ、これは社会的正義などの範疇にとどまる話ではなく、アメリカの民主主義の健全性そのものの運命を左右する問題なのだ。
平等主義、礼節、自由の感覚、そして共通の目的は、20世紀なかばのアメリカの民主主義の本質だった。今日では、アメリカだけでなく西側のあらゆる先進工業国において、そのようなビジョンが危機にさらされている。
(編者注:日本でも)
人類の歴史のなかで、多民族の共存と真の民主主義の両方を成し遂げた社会はほとんど存在しない。しかし先例はあるし、希望もある。一世紀前のイギリスと北欧では、労働者階級が自由民主主義のシステムのなかにうまく組み込まれていった。アメリカではまず、イタリア系およびアイルランド系カトリック教徒、東欧系ユダヤ人による移民の第一の波がやってきた。当初は悲観的な予測がされていたにもかかわらず、移民たちは民主主義的な生活にうまく溶け込んでいった。
歴史は、民主主義と多様性が共存できることを私たちに教えてくれる。これこそ、私たちが取り組むべき挑戦だ。前世代のヨーロッパ人やアメリカ人は、民主主義制度を護るために並はずれた犠牲を払ってきた。民主主義を当然のものだととらえながら成長してきた私たちは、民主主義がその内側から死ぬことを防がなくてはならない。