「WTWオピニオン」
【第79巻の内容】
「ものぐさ枝野」
「アカデミー賞」
「歯止めなき防衛予算」
1403.ものぐさ枝野。19/2/26
週刊文春2月28日号に立憲枝野の批判の記事があり、見方がWTWの理解と共通しているので、要点をご紹介します。
「安倍政権を利するものぐさ」
立憲民主党代表の枝野幸男は、永田町内外で強まる「野党大同団結論」に抗う.「単独主義」への強い思いを、欅坂46の新曲「黒い羊」に託している。ただ最近、立憲幹部の表惰は冴えない。
「単独主義もいいが、今年は12年ぶりに統一地方選と参院選が重なる『政治決戦』の年。アイドルの曲を覚える暇があったら、大同団結に代わって何か世間にアピールする戦略をぶち上げてほしい」
元弁護士らしい巧みな弁舌に定評があり、一見エネルギッシュな枝野氏だが素顔は「ものぐさ」(番記者)だ。組織運営には興味がなく基本的に右腕の福山哲郎幹事長に任せきり。辻元清美国対委員長の「代表はカラオケばかり」のぼやきにも「本当のこと」と意に介さない。
参院選まで約五力月。他の野党は「与党を過半数割れに追い込む」(志位和夫共産党委員長)と気勢を上げるが、枝野氏にその気はない。与党過半数割れには野党全体で72議席必要。善戦した三年前でも47議席だったのを考えれば確かにハードルは高い。
「枝野氏は野党全体で三年前と同程度獲得できれば上々との考え。立憲で改選を迎える参院議員は八人。政党支持率は野党で群を抜いており倍増以上も可能でしょう。支持率1%以下の国民民主党は選挙を経れば潰れていく、野党第一党の座を揺るぎないものにできれば、それでいいとの計算がある」(政治部デスク)
巷間囁かれるダブル選も枝野氏は「歓迎」の立場だ。周囲には「早めの総選挙なら政権交代できなくても"立憲敗退〃とは言われない。すぐに政権奪取を狙うより、将来政権を取ったときに維持することのほうが重要だ」とうそぶく。
自分の息子を引き合いに、最近の安倍晋三首相の言動を「小学校六年生並」とこき下ろした枝野氏。首相サイドは怒り心頭かと思いきや「目障りな発言はあるが、枝野氏が野党第一党のトップでいる限り、政権は安泰」(官邸筋)と余裕綽綽。立憲関係者は「枝野氏は首相より十歳若い。本人は『待てば海路の日和あり』かもしれないが、あまりにも長期戦略では、'党内がついていけない」と不安視する。そういえば「黒い羊」には(そうだ撲だけがいなくなればいいんだ)との件もある。
コメント:小さい勝利に胡坐をかいた個人プレーと自己満足は、国民が期待している者とは程遠い。国民は安倍政権の理不尽な政治を、もうこれ以上、一日たりとも我慢することは出来ないのです。国民不在の政治なら、安倍政権だけで沢山なのです。3分の遅刻で5時間の審議を止めるなども、とうてい「まっとう」な国会審議とは思えない。但し2/25も、桜田大臣は終始へらへらしていました。
野党がだらしないと言われているのは、枝野代表の追及の姿勢にも原因があります。2/25の衆院予算委の枝野の追及は、さすがに一流弁護士のそれとして見事であり、小川議員が唇をなめながら30分掛かった質問を、一言でまとめて見せました。ところが反論を封じた折角の質問も、これまたいつものように、言ってしまえばそれで終わりの態度はいかがなものか。追い込む意図が殆ど感じられない。その場で言い負かしたとしても、それだけでは与党にしてみれば、痛くもかゆくもない。閣僚が本音やボロを出し、首相が色を成して反論するところまで追い詰めなければ、国民の代わりに政府を追及したことにはならないのです。
なぜ枝野の質問がいつも、一言で終わるのか。言い換えれば、なぜ(論理的に)国民に成り代わって政治の不正を攻撃しないのかを考えた時に、それはおそらく、彼も国民に裏切られたことがあり、その時の失望感、孤独感から、国民を信じられなくなったのではないかとも思われるのです。
関連記事。沖縄。ゆるぎない民意。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019022502000137.html
関連記事。玉城知事3/1に首相と会談。映像。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6315130
関連記事。知事、不許可の判断か。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190225-00388962-okinawat-oki
関連記事。市民ら、民意を守れ。トラック搬入次々。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201902/CK2019022502000237.html
コメント:民意は無視する。誰のどんな反対があっても、自分の意志は最優先で押し切る。それが安保法案以来の安倍首相の基本姿勢です。安倍首相は、自分「だけ」が絶対に正しいと言い張り続けてきたのです。神ならぬ身であって、辻褄の合った、論理的な思考さえ十分とは思えないのにです。以前は裸の王様だなど言われたこともあるのです。
どんな不正や失敗でも、「いいわけ」と「こじつけ」で押し切る。一言首相が国会で謝罪すれば、それが免罪符(水戸黄門の印籠)になって、どんな不正行為や不適切発言があっても、閣僚や高級官僚は、「超法規的に」罷免や訴追を免れる。麻生を見よ、片山を見よ、桜田を見よ、根本を見よ。身内第一主義。これではコーザ・ノストラと変わりません。自民党議員、それも安倍派でなければ人に非ずなのです。正義感と責任感のかけらも、いわんや自浄作用など全くない政党とその総裁。戦後の自民党で最悪の政権と言って差し支えないと思います。
対外援助費を含めた外遊の費用(含む新型政府専用機)も一切公表されていません。しかもことあるごとに、(気持ちの悪い言葉で)自衛隊を持ち上げる。それは徴兵制が目と鼻の先にあることを意味しています。そんなことはしないと、いまいくら言い切って見せても、いざ自衛隊の応募が減った時には、何をするか分からない。平然と制度の変更を持ち出して、それが国と国民の安全の為に、どうしても必要なことだと言い出すのは目に見えているのです。モリカケ問題を今更持ち出すまでもなく、これまでの不正直で誠意のない政治姿勢がその可能性が決して小さいものではないことを示唆しているのです。安倍首相にとって前言は翻すためにあるのです。嘘つきのレッテルがもっとも似合う政治家の一人かもしれないのです。一体全体、国民は、何度安倍首相の口車に騙されたら(即ち政鹿にされたら)気が済むのでしょう。
沖縄についても、安倍首相は常日頃どう言ってきたか。「県民の気持に寄り添い、基地の負担を軽減する為に身を削って努力する」と言ってきたはずです。ところが沖縄県民の意志を「一顧だにせず」、平然とそれを踏みにじろうとしている。沖縄の方言で作詞作曲された両陛下とでは、寄り添い方に天地の違いがあるのです。
安倍首相にとって、非国民とは安倍首相の政策に反対し、首相を批判する国民の事でしょう。一方で、何が起きても安倍首相を甘やかす国民、というよりは「安倍閣下の臣民」は、私には大戦を経験した国の国民とは思えないのです。
1404.アカデミー賞 19/2/27
毎月2月だけwowowを契約しています。無論アカデミー賞授賞式を見るためです。私の映画好きにはDNAが関係しています。以前練馬の駅の近くに実家があり、満州から引き揚げてきた、娯楽の少ない時代で、ラジオで聞く落語が楽しみでした。祖母の最大の楽しみが質流れ品をウインドウショッピングする事と、近くにある映画館に足を運ぶことでした。石原裕次郎(嵐を呼ぶ男や風速40メートル)のファンだったので、当時としては三―ハーなお婆さんだったのだろうと思います。無論既にトーキーだったし、カラーでした。でなければ「紅の翼」などという映画は出来ません。ゴジラが世に出る前の話であり、高峰秀子、佐田啓二の全盛時代(喜びも悲しみも幾年月)です。
父も映画が好きで、池袋まで西武池袋線に乗って、一緒に西部劇を見に行きました。テレビも中学2年の時に、一足遅れで家に来ました。だから最初に見たのは名犬リンチンチンや月光仮面ではなく、ローハイドやララミー牧場でした。日本の二枚目タレント(という言葉さえなかった)と言えば、事件記者の滝田祐介くらいでした。
そこで改めて映画というもの定義し直して見ると、いわゆるショウ的な映画やドキュメンタリーを除けば、映画は演劇とイコールであることに気がつきます。役者が役になり切ることで、観客は出演者に感情移入できます。ということであるならば、演技という意味なら、映画以前に舞台が存在しています。それこそシェークスピアや、更にさかのぼればギリシャ悲劇の世界です。日本なら能や歌舞伎の世界です。
サウンド・オブ・ミュージックも、ウエスト・サイド・ストーリーも、ベン・ハーでさえも、最初は舞台でした。オペラに至っては今でも舞台(と音楽の)芸術です。即ち、映画を楽しみ、或いは感動を受ける為には、訳者の演技と舞台装置が重要だという事です。それがそのまま映画(映像芸術)に持ち込まれ、演技や映像の最高の評価の場がアカデミー賞になっているのです。
ところでそのアカデミー賞ですが、今年は司会者不在という異例の展開でした。でも全く支障はありませんでした。司会はいれば良いというものでないことは、過去とんでもない司会者が結構いたことでも分かります。それでも私が考えるベストな司会者は、ビリー・クリスタル(シティ・スリッカーズ等)です。歌って踊れる司会者なら、ヒュー・ジャックマンも悪くはないが、ビリー・クリスタルの毒舌(ブラック。ジョーク)は独特の魅力です。今回の授賞式での皮肉なメッセージとしては、僅かに、メキシコは壁の金は出さないという発言があった程度です。
なお今回の収穫はレディ・ガガ(スター誕生)です。主演女優賞は逃したものの、主題歌を披露していました。いつもの奇抜なステージ衣装ではなく、当たり前のドレスに、化粧も控えめで、この方がむしろ魅力があります。但し共演のブラッドリー・クーパーの歌は、お世辞にも上手とは言えませんでした。なお女優の古株としてはベット・ミドラーやバーバラ・ストライザンドもステージ上に姿を見せていました。但しいわゆる年配の大御所達は、後列にでもいたのか、常連のメリル・ストリープを含めて、殆ど姿を見せず、画面に映ることはありませんでした。映画界でも世代交代が進んでいるのかもしれません。
今年の受賞者、受賞作は昨日の報告を見て頂く事として、主演男優賞には異論があります。心情的なものもあるが、ここはゴッホ役のウィレム・デフォーに受賞して欲しかったところです。下積みで長年苦労してきた俳優こそ、賞に相応しいからです。
外国映画賞は、ローマがあるのでの万引き家族は最初から無理でした。なにしろローマの監督が、アルフォンソ・キュアロンで、是枝では太刀打ちは出来ません。なお番組の冒頭はクイーンのWe will rock youとWe are the championで始まりました。でも正直言って、ボヘミアン・ラプソディはあまり見る気にはなれません。天才的なアーチストの映画として意味があるとは思いますが、映画のテーマはLBGTに重点を置いているからです。私はゲイも同じ人間であり、他人に迷惑を掛けずに生きてゆく平等な権利があるという意見に反対はしません。
それでも、自分からその世界に入ってゆきたいとも思いません。但しどんな人間でも、程度の差こそあれ、同性愛と異性愛の要素があるという事実には謙虚であるべきだと考えています。どんな人にも居場所が必要であり、この「多様な」世界で、皆が仲良く生きていくためには、押し付けではない、自発的で柔軟な、共存の為のルール作りが必要だと感じています。
今回、賞の候補になった映画は順次、劇場やレンタルビデオで見る予定です。なお授賞式で見逃せないコーナーが物故者の追悼コーナーです。今回は、日本人では橋本忍(脚本家)と高畑勲(ジブリ)が紹介されていました。
決して派手な演出ではなかったが、充実はしていたように思います。しかし5時間は早回しでも長かった。
ところで、週刊朝日の最新号(3/8)で、エッセイストの室井夘月が面白い事を書いていたので、該当部分だけを紹介します。
しがみつく女 「最強?いや最恐」 室井夘月から
…16日、週刊朝日の元敏腕編集長の山口一臣さんのコラムがヤフー・ニュースに上がっていた。『「日本会議」のチラシを鵜呑みにしていた安倍首相の"改憲理由"』がそれで、元ネタは「朝日新聞」の16日付朝刊。昨年開かれた日本会議系の「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の大会で配られたチラシの裏に、(全国6割の自治体が、自衛隊員募集に非協力的)(自治体が円滑に業務を遂行するため、自衛隊の憲法明記を!)って書かれてあったってよ!。さすがの.一臣さんも、「驚いた」といっている。
(一国の首相たるものが民間団体のチラシに書いてあった「話」を鵜呑みにして、改憲の理由にしていたのだ。(中略)真偽もわからない情報を鵜呑みにするー。日本がいま、どれほどの危機にあるかがおわかりいただけたと思う)
わかった、やっぱあのお方が、堂々たるトンデモ・キング。一国を危機にさらすなんて最強? いや最恐。
1405.歯止めなき防衛予算 19/2/28-3/3
今回は雑誌「世界」の3月号を題材に、二回に渡って、防衛問題の理解を深めてゆきたいと思います。
「第四次アーミテージ・ナイ報告分析」猿田佐世から
…アーミテージ・ナイ報告書とは
日本の防衛・外交政策の青写真ともいわれるこの「アーミテージ・ナイ報告書」は、日本政府をはじめ日本の安保・外交関係者の間で強い影響力をもっている。2000年を皮切りに、07年、12年と出されてきたこの報告書は。日本への勧告を数多く含み、第一次報告では集団的自衛権行使の禁止は日米同盟の制約だと指摘し、東日本大震災後の2012年8月に公表された第三次報告では原発再稼働、秘密保護法の制定、武器輸出三原則の撤廃なども勧告している。この第三次報告では、冒頭で、「日本は一級国に留りたいか。二級国家でよいならこの報告書は必要はない」とまで記載された。
同年12月の衆院選で政権交代を実現し首相に返り咲いた安倍晋三氏は、その2ヵ月後の2013年2月、彼らが所属するワシントンのシンクタンクで講演し、「日本は二流国家になりません」と応えている。
安倍政権は、2013年12月に秘密保護法を成立させ、2014年4月には武器輸出三原則を防衛装備移転三原則に変え、同年七月、集団的自衛権の行使を閣議決定で容認、2015年九月には安保法制を成立させた。その全てがアーミテージ・ナイ報告書で勧告された内容であった。
◆第四次報告の特徴
今回の第四次報告書の特徴を、安全保障の視点から大きく述べれば次の二点であろう。
一つには、「対中国」の色彩を前面に出し、これまでの傾向をさらに後押しして、日米のさらなる一体化、同盟強化を求めるものである。「一体化」とは結局のところ米国の世界戦略の中に日本が組み込まれていくことを意味している。
二つ目は、これまでと異なる外交政策を随所で語り、同盟を軽視するトランプ大統領に向けて、いかに日米同盟が重要であるかを訴えている。
◆政権への影響力を失った執筆陣
日米外交は限られた人々に担われており、日本メディアも、こうした一部の専門家の声を「アメリカの声」として取り上げてきた。筆者は、今の外交に自らの声が届いていないと考える人々の声を、ワシントンに届ける取り組みを続けてきた。原発や安保法制に反対する国会議員、基地建設に反対の沖縄の人々をワシントンに案内し、議会や政府関係者等との面談を行う、そんなことを続けてきたが、面談相手の設定にはいつも苦労する。日本に関心を持つ人々は本当に少ないからである。
…共和党系のアーミテージ氏'やグリーン氏らは、他の過去の共和党政権の元高官とともに「トランプ氏が共和党候補に選ばれても自分は支持しない」という書簡に署名をした。そのため、トランプ氏が大統領に当選後、両氏が政府高官に任命される道は閉ざされた。トランプ政権にいわゆる「アジア専門家」、すなわち「いつもの顔ぶれ」は二名しか入っていない。
…報告書の全体を振り返る
◆パワーバランスを変える存在としての中国
まず注目しなければならないのは、中国の取り扱いがこれまでの報告書とは大きく変化していることである。中国が軍事力を拡大し、軍事力におけるアメリカの絶対的優位を脅かす存在になってきており、経済でも安保でも中国に正面から対抗せねばならない、という意識が、報告書には通底している。
米国は2017年12月の国家安全保障戦略で中露を「競合国」と位置づけ、優位性を保つための戦略を展開する方針を明確にした。インド太平洋地域における主眼は中国である。
この報告書も、その大国間の争いの中で、いかにして日本の力を使っていくか、という視点が強い。畢寛、日本の防衛力の強化や米軍との一体化を求めることとなる。
日本の防衛大綱は、米国を第一にしながらブロック化の懸念すら生じさせる内容となっているが、この報告書ではブロック化というよりも、米国がより使いやすい自衛隊へ、という方向性の方が強いといえるだろう。
◆異なる日本と米国の利益
この報告書では(防衛大綱でもそうであるが)、米国の利益が日本の利益と同じであることを前提として、日米の一体化が進められている。しかし、米国と日本では異なる場合があることは、地理的な位置ひとつとっても明らかである。米中、米台の関係と日中、日台の関係も全く異なる。
日米同盟が現在の速度で軍事強化を進めていくことは、安全保障のジレンマと呼ばれる軍拡競争を際限なく呼び、偶発的な衝突や過剰なエスカレーションを招きかねないことになる。そのような場合に直接の被害を受けるのは日本であり、広大な太平洋を越えた米国ではない。
「専守防衛」という言葉は、防衛大綱等の防衛関連文書が政府から出されるたびに使われる。でもその実体はすでに薄れている。敵基地攻撃能力の保有も具体的に識論され、護衛艦いずもの空母化も決定された。イージス・アショアも、日本防衛のためのみの導入ではないと言われる.
実質的には日本の防衛政策は米国の世界戦略の中の一部に既に組み込まれているが、なぜ「専守防衛」が適切であるとの判断が過去になされたのかについて、立ち止まって考える必要があるだろう。それは、外交努力などと合わせ、日本が軍事被害に遭う可能性を最小限にするためではなかったか。
更に冷静になると、実際に米中が戦火を交えることになると考えている人はほぼいないという現状にも気づく。
実際に使われないであろうにもかかわらず、限られた資源をこのレベルまで防衛費に費やすことは適切なのか。防衛予算をこれ以上増やす余裕が日本のどこにあるのか。
◆米国の利益のために書かれた報告書
報告書発表のシンポジウムで、アーミテージ氏は「この報告書を出すのは日本が好きだからではなく、我々がアメリカを愛しており、アメリカの利益になるからである」と述べている。これは、当たり前のことなのだが、実は日米同盟全体について日本人が忘れがちな点である。
(編者注:因みに上記の引用文は、意図を明確にするために、表現を多少手直ししています。知日派と我々が理解している米国の専門家でさえ、こうであるなら、米国ファーストのトランプ=しかも個人的なパフォーマンスも何よりも優先、が、どんな無理難題を持ち出してきても、不思議ではないことになります。日本の外交で最大の「問題国」は米国であるという「事実」を、我々国民は認識する必要があるのです。同誌の他の記事の紹介は次号となります)
防衛問題の第二回です。
「世界 3月号」特集 拡大する違憲状況
国防軍化する自衛隊 無視される憲法の制約 石井暁から
「憲法の制約もある。いくら安倍政権でも、空母までは防衛大綱、中期防に盛り込めないだろう」。それが防衛省・自衛隊幹部の反応であった。
だが、こうした予想に反して、安倍政権は官邸の国家安全保障局(NSS)、自民党国防族議員を牽引車.として、「もはやタブーなどない」と言わんばかりに強引に推し進めていった。
「攻撃型空母、長距離戦略爆撃機、大陸間弾道弾(ICBM)などの相手国に壊滅的な打撃を与るような『攻撃的兵器』、は、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるため、憲法上保有できない」というのが、従来の政府見解だった。専守防衛から逸脱する兵器の保有は許されないということだ。
一方、航空白衛隊は別の理由から短距離離陸・垂直着睦できるF35B戦闘機の導入を要求していた。尖閣諸島を含む南西諸島には那覇と下地島、太平洋には硫黄島しか、戦闘機が余裕を持って離着陸できる空港がなく、太平洋、東シナ海の島嶼防衛のためにはF35Bが必要不可欠という主張だった。いわば海上自衛隊と航空白衛隊の同床異夢。だが両者とも新防衛大綱、中期防にすんなりと盛り込まれるとは考えていなかった。
もちろん、「空母は潜水艦の巨大な標的に過ぎない。日本は空母保有ではなく、潜水艦増強と対潜水艦戦能力の維持・向上に努めるべきだ」(海上自衛隊将官)とする反対意見も多かった。
安倍政権は、憲法九条の制約を意識して慎重姿勢の公明党に配慮。当初の,「多用途防衛型空母」を「空母」はまずいとして、「多用途運用母艦」というわけの分からない名称に変更。最終的には「多用途運用護衛艦」と言い換えてまで突き進んだ。
空母には「攻撃型」も「防衛型」もない。空母は攻撃にも防衛にも使える兵器だというのは、軍事的常識だ。ヘリコプター搭載型護衛艦(国際的にはヘリコプター空母)の「いずも」「かが」の二隻を空母化すれば、相手国に壊滅的打撃を与えることも可能だ。「多用途運用護衛艦」が、憲法が禁じる「自衛のための必要最小限度の範囲を超える兵器」即ち「攻撃型空母」であることは疑いようがない。
米軍が戦争中、空母「いずも」、空母「かが」の艦上で自衛隊員から給油、整備を受けた米軍戦闘機、攻撃機がそのまま相手国を空爆するケースも考えられる。相手国から見れば、米軍と自衛隊は一体となって武力行使をしていることになってしまう。自衛隊にとって、米国の戦争に自動的に巻き込まれる危険性が極めて高い活動となる。
集団的自衛権の行使容認で、専守防衛を反故にしてしまった安倍政権は、実体もそれに合わせようとして、次々にこれまでのタブーを破りつつある。「いずも」型護衛艦の空母化、F35B戦闘機の導入だけでなく、敵基地攻撃能力がある装備の導入、同盟拡大での包囲網構築、日米共同作戦計画の策定。事実上の"仮想敵国"である中国と戦争可能な「軍」に自衛隊を変身させようとしているのだ。
「全部、わが国に対抗するための兵器じゃないか」。公表された新防衛大綱、中期防を読み込んだ中国人民解放軍の将官級幹部が声を上げた。防衛省幹部のひとりも「政治的には日中関係改善の兆しがある中、誰も口には出せないが、新防衛大綱、中期防の主眼は対中国」とはっきりと認める。
北朝鮮情勢が緩和しても政府・防衛省がイージス・アショアの導入を強引に推し進めた理由は、もともと導入理由が北朝鮮ではなく、中国の脅威に対抗するための装備だからなの
だ。日中両国の安全保障分野での相互不信が、不毛な軍拡競争を激化させている。
(編者注:以下略。安倍首相の口から出る平和という言葉が空虚に聞こえます)
関連記事。露、日米同盟が障害。
https://this.kiji.is/474504936941257825?c=39546741839462401
コメント:一体「誰のため」の日米同盟なのでしょうか。日本を守るつもりなど米国にはないと言っているのに。しかし「何のため」かは容易に想像が出来ます。それはカネの為です。もっと正確に言えば米国市場、米国の購買力です。米国からみれば「自由に引き出せる」ジャパン・マネーです。
ゴルビーによって東西冷戦が終わった時に、安全保障を一国に頼る時代は終わりました。集団安全保証の時代に入ったのです。ところが今なお日本中に米国の基地が点在するという異常な状況が、日本だけは未だに冷戦の時代に取り残されていることを示しています。しかも、トランプは米国ファーストを宣言し、(防衛費は拡大しているのに)自国の防衛にしか関心はないと言い切っています。日米安保が引きずってきた大きな矛盾をもはや「誰も」指摘しようとはしません。自由党を除く野党でさえ、日米関係が最重要だと言い続けているのです。
でも日米関係は欧州と米国のような対等の関係ではなく、その歪んだ関係は、外国から見ても余りに不自然なものなのです。しかも日本政府の外交能力はほぼゼロです。「誰一人」日本の外交能力が優れている、日本の外交姿勢はお手本になると言った者はいません。
一方で、自主防衛でさえないのに、日本の防衛費は拡大を続けている。しかも国民が納得できるような説明は一切ないのです。結論から言えば、米国の軍事行動をバックアップするためだと指摘されても、反論できないのです。自衛隊の立ち位置さえ、国民に明確に説明できないというのに、安倍首相は自衛隊を憲法に明記せよと叫び続けています。安倍首相の頭の中はどうなっているのでしょうか。
自分の言動に筋が通らず、いかに倫理的に間違っていても、証拠がない(正確に言えば証拠隠滅、書類の改ざん)、証言がない(正確に言えば黙秘、又は前言否定)のだから、自分は間違っていないと言い張っているだけなのです。日本ではいざ知らず、世界ではこういう行為は、卑怯で嘘つきだと言われているのです。
しかも、冷戦を再開し、核軍縮から脱退するような人物が、外国の代表にノーベル平和賞への他薦を強要している(即ち自薦)のです。一方で、被爆国の首相や与党が、核兵器反対運動に「反対」しているのです。
偏向し、権力に酔い痴れた政治家達が世界を支配している。これは「人災」の他ならず、そうした独裁者達が体現している偏狭な国家主義(ナショナリズム)こそが、「世界の安全保障」への最大の脅威になっているのです。