「WTWオピニオン」

【第81巻の内容】

「戦争のない31年が作りだしたもの」
「NHK報道批判」
「お金の使い方」
「JOC」
「SNSイコール世論とは言えない」
「ワルの二兄弟」

「引用の自由は思想言論の自由」
「不起訴不当」

「後見役はいらない」


1407.戦争のない31年が作りだしたもの 19/3/14-3/15

本日の前書き(平成の語り部)は、雑誌文芸春秋4月号の池上彰と佐藤優の対談からの(あくまで)抜粋です。2回に分けてお届けします。


「戦争のない31年が作り出したもの」池上彰、佐藤優

平成が生んだ「生活保守主義」
池上 大卒初任給を見ると、平成がどういう時代だったかが一目瞭然です。平成元年が16万円で、現在は20万円。30年で4万円しか上がっていない。私が1973年にNHKに入社した時の初任給は6万8000円。翌年には8万円になりました。「来年は今年より必ず給料が上がる」と毎年思われていたのです。
佐藤 年末調整時の減税額も大きかった。今は介護保険など保険料も増えて可処分所得が減っている。
池上 とくに負担が大きくなったのが、子供の教育費です。
佐藤 一部上場企業のサラリーマンでも、住宅か教育か、という選択を迫られています。昭和の終わり頃と同じ生活水準を維持するには、家を持たないか、子どもをつくらない、という選択しか残されていない。
池上 「明日は今日よりも良くなる」という昭和に対して、「明日が今日より悪くならないように」というのが平成ですね。
佐藤 その時代風潮をよく捉えていたのが、一昨年放送されたTVドラマ『東京タラレバ娘』です。アラサーの登場人物たちは、仕事はおろか、磯もできない。30歳を過ぎたら関心は、キャリアでも趣味でもなく、今の生活を守ること。
池上 佐藤さんの言う「生活保守主義」ですね。
佐藤 そうです。こういう時代ですから、どうしても、昭和と比べて「大物感」がある人間がいなくなった。
池上 それだけ人々の興味関心が多様化したとも言えます。裏を返せば、政治、行政、銀行など、既存の権威が信用を失った時代でした。マスコミも例外でなく、平成を通じて、とくにテレビの,凋落が著しい。あるテレビ局社員の昨年末のボーナスが10万円にも満たなかったと聞いて驚きました。
佐藤 今の若者はテレビを観ませんから。ワイドンョーでも観ていれば、もうインテリです(笑)。
池上 だからこそ、かつて若者に支持されたフジテレビが苦境に陥っている。時代の変化の影響を一番受けた格好です。平成の三十年は「テレビ没落の時代」でもあって、平成に昭和のような大スターが生まれなかったのも、ここに理由がある。
佐藤 しかし、地上波が没落しても、視聴者側の選択肢は増えている。この状況は、一元的な権威が失墜する一方で、多様な小さな差異が出てきて価値観が相対化す,る、まさにポストモダン的です。

「新自由主義国家」
佐藤 「バブル経済」と「ポストモダン」が残した"負の遺産"の克服が、平成日本の課題でした。ポストモダンによって、マルクス主義といった理想、つまり「大きな物語」が解体されました。この空隙に入り込んできたのが、、お金以外の価値を認めない拝金主義や排外主義的ナショナリズムといった質の悪い、「物語」です。拝金主義の象徴は、ホリエモンでしょう。才能に恵まれた人であることは間違いありませんが、「カネがすべて」という新自由
主義的価値観を体現している。(編者注:ゾゾタウン=宇宙旅行の前澤も、ユニクロの柳内、なにより安倍政権でしょう)。ここで私が強調したいのは、平成の30年間に、大学からマルクス経済学が消滅したことの影響の大きさです。
池上 確かにマルクス経済学が隆盛を誇るような時代に、ホリエモンや村上世彰さんが注目されることはなかったでしょうね。
佐藤 アマゾン創業者のベゾスが礼賛されることもなかった。あれだけの富があるというのは、労働者から搾取しているからで、それを見せびらかしのために消費しても褒められた話ではない。
池上 一億円のお年玉をばらまく人も出てきました。
佐藤 私はそういう人を尊敬しません。グローバリゼーンヨンで新自由主義賀席巻した時代は、マルクス経済学が最も必要とされた時代だったのが何とも皮肉です。
池上 しかしホリエモンは、結局、逮捕されます。"国策捜査"と言えますが。
佐藤 まさにそうですが、それは、国家の通貨発行権に抵触したからです。彼はライブドア株をどんどん分割しました。これを続ければ、この株が通貨の代わりになる。これを国家は許さなかった。平成の三十年は、新自由主義の発展と共に没落の時代でもあって、国家による巻き返しも起きています。資本の自己増殖に歯止めをかけられるのは、国家しかないからです。
池上 その意味では、ゴーン事件は象徴的です。これもまた"国策捜査"という面は否定できない。ゴーンの登場と退場は平成を象徴していすね。その後、楽天のように社内会議を英語で行う企業も出てきました。
佐藤 しかも日産は"超ドメスティック"な企業です。そこに外資どころか外国人経営者が入るというのは、時代の画期となりました。
池上 ゴーンの改革は、日本企業のぬるま湯体質にメスを入れることでした。取引先との株の持ち合いをやめさせ、「系列」もズタズタに切った。系列の取引先や子会社を大事にするのではなく。部品を一番安いところから納入させた。
佐藤 ヤクザのような裏の世界のローカル・ルールを排除し、透明化しようという動きは、平成を通じて、あらゆる分野で見られました。
池上 ただ、その結果、何が起きたか。コストをとにかく切り下げたことで、手抜きが起きるようになった。取り引き先にもそれなりに利益が上がるように、いわば目こぼしをしていたからです。しかし、そのゆとりがあったからこそ品質も維持できていた。
佐藤 公共事業も、談合をなくし競争入札で価格の叩き合いが起きると手抜き工事が起きるリスクが出てきます。
池上 今、日本を代表するメーカーによる品質不正が後を絶ちませんが、同じような背景がありますね。
佐藤 大きな流れを整理すると、バブル経済以前、つまり昭和末期までは、価値観の基準は「モノづくり」にありました。「株屋」は蔑称であって、まともな人間は株など触らないとされた。それがバブルで価値観が転倒し、冷戦崩壊でマルクス主義が没落し、グローバル化で新自由主義と価値相対主義の時代になった。ところが平成の半ばごろから顕在化してきた混とんの中で、価値観の揺り戻しが起きている。要するに、「ナショナルな価値」の見直しです。
(編者注:以下次号)


文芸春秋4月号「戦争のない31年が作り出したもの」池上彰、佐藤優の続きです。

行政肥大化の時代
池上 では、こうしたさまざまな課題に取り組むべきだった「平成の政治」をどう評価しますか。
佐藤 「三すくみの構造」が壊れたことがマイナスに働きました。「国民」(企業)は行政指導できる「官僚」を怖がり、「官僚」は選挙の洗礼を受けた「政治家」を怖がり、「政治家」は「国民」(有権者)を怖がる、という仕組みが機能しなくなった。その結果、肥大したのは行政権力だけ。絶対的には弱体化しましたが、相対的には行政だけが他との関係では強くなってしまった。自民政権か、非自民政権かということは関係ありません。たとえば菅政権は、震災対応ばかりが語られますが、消費税10%への引き上げに言及したり、TPPの協議開始を表明したり、辺野古基地建設について日米協議でV字型滑走路の建設に合意するなど、今につながる重要な決定をしています。
(編者注:消費増税では、勝元財務次官にそそのかされた野田元首相が一役も二役も買っています。また三すくみではなく、三権分立でしょう)
池上 安倍政権は、菅政権の政策課題の多くを引き継いでいるというわけですか。
佐藤 そうです。外国人ウォッチャーは、菅政権と安倍政権は似ているだと見ている。菅首相が、震災復興以外の政策課題は、財務官僚、外務官僚、防衛官僚に丸投げしたからです。どちらも官僚がつくったフレームの中で動いている。いわば「行政ファッショ」です。その「行政」のなかでも、とくに経産省が強大化したのが、平成の30年です。
池上 代わりに旧大蔵省、現財務省が権威を失った30年でした。
佐藤 まず大蔵省の名を奪った橋本政権が、"経産省政権"です。民主党政権の成立時に中枢に出てきたのも経産省。経産省の力は、政権交代に関係なく強まったのであって、とくに危機になると出てくる。最近刊行された『官僚たちの冬』という本があります。著者は明治大学教授の田中秀明氏で、東工大出身の元財務官僚だから視点が面白い。現在のような単年度主義的政策は、経産省文化の産物だと言っている。
池上 一方財務省は、財政規律を守ろうとする立場から、当然、長期的な視点に立ちます。
佐藤 経産省は、その時々に目立つアイデアを短期に出すのは得意ですが、検証は甘いんです。
池上 安倍政権も財務省より経産省を優遇する政権だから、長期戦略を欠いているのか。
佐藤 「政権が長期に続くこと」が安倍政権の長期戦略なんでしょう(笑)。そういうなかで非正規のルートで権力に接近する「第二官僚」が生まれています。いわゆる「官邸官僚」で、その意味で「官僚が非常に政治化した30年」でもありました。このままだと、「安倍四選」もあると思います。
池上 二階幹事長も「四選」を口にしています。レイムダック化を避けるためかもしれませんが。
佐藤 安倍首相本人よりも側近が四選を望んでいるのでしょう。今の宮邸官僚も命がけでしょう。だから周囲との軋轢も恐れずに無理もしかねない。「なめるな韓国」というキャンペーンを張るというカードも使えます。
池上 すでにその兆候はあって、今度の海上自衛隊の観艦式に、中国は招待しても韓国は招待しないようです。森友・加計問題に加えて、今回の統計不正問題が発覚したのに、政権支持率がそれほど下がっていないのは、「韓国のおかげ」という面が大きいのではないですか。
佐藤 そう思います。リベラル派を含めて韓国嫌いになっている。

平成が残した課題は「教育」
佐藤 平成は「教育力が衰えた30年」、でもありました。中学数学さえ怪しい難関私立大の学生が大量に生まれ、歴史、倫理、政治経済の知識が欠如し、国語的表現力の無い理系専門家も大量に生み出された。
池上 今回の統計をめぐるゴタゴタを見ていると、こんなに統計学や数学のイロハが分からない官僚がいるのかと驚きです。官僚の知的能力も落ちている。
佐藤 ただ、教育について言えば、2020年度に導入される大学入試改革の方向は間違っていません。こうした制度改革は長期的には必ず成果をもたらすので期待できます。
池上 「知識・技能」だけでなく、「思考力・判断力・表現力」を重視した改革で、自分の頭で考え、それを表現する人材が、今後求められる、というメッセージになっています。
佐藤 昨年12月、経団連が「今後の採用と大学教育に関する提案」を発表しました。就職活動の自由化に関する第一部ばかりが注目されるなか、第二部の「大学に期待する教育改革」の方が読むに値します。
「情報科学や数学、歴史、哲学などの基礎科目を全学生の必修科目とするなど、文系・理系の枠を越えて、すべての学生がこれらをリテラシーとして身につけられる教育を行うべきである」と提言している。つまり経団連は、すぐに役に立つような実学を重視しているわけではない。教育界よりよほど先行している。このままでは日本経済は生き残れない、という危機感があるからです。
池上 25年に文科省が出した通知が「国公立大学の文系学部廃止」とメディアで報じられ問題になりました。「『すぐ役に立つ学問をやれ』という財界からの圧力だろう」という反発があったのですが、経団連が「産業界はそうしたことを求めてはいない」と表明した途端、文科省は「棋解を招く内容だった」と釈明しました。
佐藤 最後に改めて、平成はどんな時代だったか。断言できるのは、「日本が直接当事者となった戦争がなかった30年」だったことです。
池上 昨年の天皇誕生日の「おことば」にも、「平成が戦争がない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」とありました。
佐藤 しかし、そういう時代が今後も続くとは限りません。戦争がどういうものか忘れられるからです。
植民地支配を知る人もいなくなる。これは二重の意味でよくない。まず宗主国側では、植民地支配で恩恵を与えたというばかりで酷いことをしたという記憶が薄れる。植民地側では、一方的な被害者として宗主国の中にもよき人がいたという記憶がなくなる。こうした「編集された物語」同士がぶつかり始めている。
池上 戦争体験者がいると戦争から遠くなり、戦争を知らない人ばかりになると、勇ましいことを言う人が増えて戦争に近づく。ものすごいパラドクスです。「平成という平和な30年が次の戦争を準備した」などと、後の時代に総括されるようなことがないよう切に願います。

(編者注:私もそう願います。だからこそ、どうすれば利権の為の侵略戦争に日本が加担するようなことがないようにするためには、どうすればよいかを考えたいのです。なお池上と佐藤は基本保守です)



1408.NHK報道批判 19/3/17

先週の朝日新聞の朝刊に、以下の小さい記事が載っていたことをご存知でしょうか。

「立憲・小川氏、NHK報道批判」
統計不正追及「野党の主張取り上げず」
新年度予算案の衆院通過をめぐる与野党の攻防があった3月1日のNHK報遣について、立憲民主党会派の小川淳也氏が14日の衆院総務委員会で「野党の主張を報道の骨子に取り入れてない。政権与党に都合のいいことを言う(報道)という批判がある」と指摘した。

小川氏が問題視したのは1日のニュースウォッチ9。統計不正の対応が不誠実だとして野党6党会派が同日提出した根本厚生労働相の不信任決議案に関する2時間弱の小川氏の趣旨弁明を取り上げた。(編者注:この不信任決議の様子をNHKは中継していません。名前も知らない議員の、どうでもいい質疑を、垂れ流しで延々と放映しただけです)

番組は小川氏が議揚の演壇で水を飲む場面を3回映し、「途中何度も水を飲む姿に議長は」とのナレーションとともに「少し早めて結論に導いてください」と呼びかける大島理森議長の姿を放送した。

小川氏は「(統計不正批判で紹介した)川柳と、あたかも時間を引き延ばずかのように水を飲んだ部分しか取り上げていない」と指摘。大島氏の発言についても「水を飲んだことに対し議長が注意したかのような報道のされ方は事実と異なる」と主張した。

NHKの木田幸紀専務理事は「自主的な編集判断」と繰り返し答弁。野党が反発して委員会審議が中断すると「結巣としてこのようなご指摘を頂いたことは真摯に受け止める」と述べ
た。(別宮潤一)。


この記事を読み、朝日でさえ、政治的偏向、政権への忖度からは逃れられていないことを今更のように痛感しました。というのは、この総務委員会の様子は、NHKが録画して3/14の深夜(11時-3時!)にNHK31年度予算審議として放映しており、形の上では、国民に見る機会があったからです。しかもこの記事では重要な部分が抜け落ちています。

小川の追及は、声を荒らげるでもなく、NHKへの敬意も交えて淡々と行われました。そして最後に、NHKの小池報道局長の参考人招致を要求しました。

上掲の朝日の記事では、NHK側の回答に関する記載も不十分です。NHKは野党の骨子は7時のミュース等、他の報道で触れたから(いいだろう)と弁明していました。しかしこれは大島議長の発言を「編集した」言い訳にはなっていません。事実と異なる報道ではないかとの小川の指摘に対して、NHKは現場の編集判断だと4回も同じ説明を繰り返したのです。これでは安倍首相の答弁と、誠意の無さで変わりがありません。だからこそ、小川は報道局長の出席を要求したのです。NHKとしては、深夜にこの総務委員会の様子を放映したことが、せめてもの「メディアとしての良心」だったのかもしれません。


私が毎日のように影響力がないことを承知のうえで、日本の政治の批判を繰り返しているのは、来るべき参院選に向って、これ以上、国民が間違った判断をして欲しくないからです。

一方で、3/13のBS11の報道ライブに玉木と小沢が出演し、野党共闘の必要性を訴えていました。この番組も、リベラ?な国民にとっては重要な番組だと思いますが、こういう番組は、なぜか地上波では放送されません。そういう観点では、政権与党が報道を暗に規制しているか、またはメディア側が自らの判断で政権に忖度しているのではないかという憶測ができるのです。

安倍政権は、少しでも自民党に有利と見れば、衆参両院選挙に踏み切るでしょう。国民の都合も民意も考慮せず、手段を選ばないのが自民党の常とう手段です。しかもその時には消費増税延期という、とっておきのカードを切って来る可能性が高いのです。

自民党は一度握った権力は死んでも離さない。ところがそうした政権への意欲も執着心も、野党第一党の代表の枝野からは感じられません。野党議員に政権への関心がないのなら、国民にとっては、政府への抗議に、学識経験者と、党内の反対派議員がいれば十分です。高い歳費を負担してまで、国民が評論家(=野党議員)を雇う必要はないのです。

国民が政治的な変化を望まず、安定を好む(=ぬるま湯)という保守的な傾向は、どこの国でもあるでしょう。しかし変化がないという事は、現在抱えている問題もそのまま引きずる、というより、むしろ増幅する事を意味しています。経済格差は拡大し、一握りの富裕層が富と権力を独占する。しかも国の支出は拡大し、国の借金の返済は先送りされる。その先に待つものは、考えたくもないハイパーインフレであり、国民の預貯金や給付が一瞬で吹き飛び、全員が無一文になる経済です。

問題を抱えたままの日本を将来の国民に残す。これ以上無責任な国民の生き方が、他にあるでしょうか。


ところで、話は違いますが、昨日ユニクロで普段着のジーンズを買いました。そこで気が付いたのは、店員が台の上に商品を乗せただけで、画面にデータが表示されたことです。ICタグかと尋ねたらそうだと答えました。日本でもタグの実用化が始まっているようです。衣料のように、棚に積んであって、バーコードでは読み取りにくい商品は、一括で読み取れるICタグは便利です。



1409.お金の使い方 19/3/19-20

今回御紹介する資料は、政治・経済・外交ではなく、退職した高齢者の生活に関するものです。私が気に入った部分のみを2回に分けて御紹介します。

「お金の整理学」外山滋比古 小学館新書

第二の人生の「生きがい」
稼ぎを失った定年後の人たちには、社会保障に頼り切りになるという「経済的」な問題に加えて、やることがなくなって人生に面白みが感じられなくなってしまう「精神的」な問題も生まれる。
仕事をせずに、毎日ぼんやりしてばかりだと、気力も体力も衰える。社会との接点を失って、養ってもらってばかりの人生ではつまらない。生活の糧は貯金の切り崩しと二か月に一度振り込まれる年金で、面白くない毎日を過ごすことになる。病気がちになり老化も進み、老人ホームに入って死ぬのを待つだけの暮らしになる。医療や介護にお金がかかり、社会のお荷物のようになるから、周囲からもますます冷たくされていく。

ここは一つ、知恵をしぼって考えるべきだと思う。
どうすれば定年後の第二の人生は面白くなるのか.「生きがい」を探すのである。
サラリーマン時代とは違う仕事を探すのもいいし、楽しめる趣味で少しでも収入を得られないか考えてもいい。ずいぶん前だが、『思考の整理学』という本で、常に受け身で誰かに引っ張ってもらうグライダー型の人間ではなく、思考力というエンジンを備え、自力で飛ぶ.ことのできる飛行機型の人間になるべきだと書いた。
サラリーマンは会社から仕事を与えられるという意味では、どうしてもグライダー型になりがちだ。定年後はそうはいかない.自分の頭で考える飛行機型にならなくてはいけない。
いま必要なのは・定年後のお金の備えを社会保障に期待することではなく、一人ひとりが主体的に老後の人生設計に取り組むことではないか。
定年後のことを考えるといっても、「将来、年金が減らされるかもしれない」という不安から、節約して貯金を増やそうとするのは違っていると思う。ある程度の蓄えは必要かもしれないが、それではサラリーマン時代の惰性で老後を過ごそうとしていることに変わりはない。結局は、貯金と年金で老後を乗りきろうという考え方である。
そういう人生は面白くない。

深刻な話のように聞こえるかもしれないが、暗くならなくてもいい。
一人ひとりが生き方、考え方を変えれば、現実は大きく変わるのである。いま、高齢者は社会にとってマイナスの存在だと思われている。どうすればそれをプラスに変えられるのか、考えるのだ。
人生の後半戦を面白く充実したものにするー決して簡単ではないが、知的で刺激的な思考だと思う。真剣に工夫すれば、前半戦と同じくらい、あるいは前半戦以上に充実したものにすることだって可能になる。
発想を変えて、経済的にも、精神的にも自立した老後を目指すのである。
生きがいを持って、主体的に考えて行動する飛行機型の高齢者を増やす。定年後の第二の人生は、現役時代の「ふろく」ではないのである。

「貯金」はそんなに大切か
節約を重ねて、貯金と年金で定年後を乗りきろうとしても、現実はなかなか難しい。 問題となるのがインフレだ。
日本ではここしばらくデフレの風が吹いているが、ひとたびインフレになれば、物の値段が上がったぶん、貯め込んでいる現金の価値は下がる。年金にしても同様だ。物価が上がるのと同じペースで、政府が年金を増やしてくれるということはあり得ない。
戦後の日本では長く、インフレが続いた。普通なら、物価が上がるなかでどうすれば財産を増やせるか、多くの人が考えていてよさそうなものだが、現実は違う。長期的な視点に立った資産形成の知恵が蓄積されているとはいえない。
そのことは、インフレと非常に相性の悪い「生命保険」が広く普及していることからも、よくわかる。高齢者はこれからどんどん増える。このあたりで、私たちは老後とお金について、真剣に考え直す必要があるのではないか。オレオレ詐欺のニュースを見るたびに、そんなことを考える。

「わが子への相続」はいけない
節約などで蓄えた資産を「子供にあげよう」「孫に贈ろう」といって相続や贈与に熱心な人の話をよく聞くが、あまり感心しない。
昔のように、もらう側がありがたがってくれるなら、それも悪くはないかもしれないが、実際には、あげる側が考えるほどの反応が返ってこないのが実状ではなかろうか。そもそも、子供世代への相続自体、やらないほうがいいと思っている。
自分の人生は最後まで自分の稼いだ金で賄い、死ぬときに残ったお金は寄付してしまえばいいのだ。
親も子も、自立した個人なのだから、それで何の問題もない。
私自身、子孫に財産を残そうとは考えない。人生の決算は、その人一代限りでやるべきであろう。子や孫に借金を残すのはもちろんマズいが、財産を残すこともあまりホメられることではないと思っている。
財産を相続できると期待すると、子供がダメになってしまいかねない。私はいわゆる二世、三世の政治家や経営者をあまり信用しない。最悪の例としてまず頭に浮かぶのは、北朝鮮の独裁者一家である。あそこまで酷くないにせよ、二世、三世のなかには似たような傲慢さや甘さを持っている者が少なくない。
もともとは彼らだって、真っ当に生きられる資質を持っていたはずである。もう少し普通に、自分の努力で人生を築き上げていこうとしていれば、もっと立派な人間になれたのだと思う。なまじ親が財産や権力を残したがために、しかるべき努力を放棄してしまったのである。

なかには、せっかく親の残した財産を守ることさえできず、次代に引き渡す前に食いつぶしてしまう者もいる。<売り家と唐様で書く三代目>は、まさに真実をついたことわざである。知細や教養はあっても、生活のための努力をしないから、いくら初代が頑張って築き上げた資産が大きくても、三代目で手放すことになってしまうのだ。現代の日本人はいま一度、このことわざをかみしめなくてはならないようだ・

歴代経営者のなかで、ホンダの創業者で本田宗一郎がとりわけ評価できるのは、本田は経営が「世襲」となることの危険性を認識し、自分で作った会社を息子に継がせなかった点だ。。中内功にしても「世襲」さえ考えなければ、ダイエーは瓦解しなかったに違いない。

私がとくに敬意を持っているのは、三井財閥で大番頭といわれた池田成彬だ。池田はあるとき息子たちを呼んで「おまえたちは何をやってもいいが、実業家になろうとは思うな」といった。それで発奮した息子のひとりが、池田潔である。
旧制麻布中学を卒業後に渡英してケンブリッジ大学とドイッのハイデルベルク大学を出
て、文学研究者になった。
のちに、池田潔は『自由と規律-イギリスの学校生活』という名著を出して世に知られるわけだが、この活躍は元をたどれば、父親の池田成彬が、自分の後釜として三井財閥
系の会社に入ることを禁じたところから始まっている。

経営者の世襲と同様に、一般の人で親が子供のために家を買ったり、結婚式の費用を出したりすることにも感心しない。そうした贈与に対して、国はずいぶんと優遇策を設けているようだが、感心できない。

若い世代が、相続や贈与を期待するようになると、既得権益の上にあぐらをかいて真面目に働かなくなる。何より問題なのは、若いうちに難局に直面することがなくなるから、失敗してもくじけない心が育ちづらくなることだ。
やはり、自分の財産を子孫に相続させるくらいなら、死ぬときに寄付したほうが社会の
ためになる。
西郷隆盤は、「児孫のために義を買わず」という言葉を残した。私は西郷という人をそれほど高くは評価しないが、一度は維新政府の要職に就いた政治家でありながら、子供に財産を残そうとしなかった点では、たいへん優れた人物だったと思う。人間誰しも一代限りの覚悟で生きるべきだ。


昨日の続きです。

「お金の整理学」外山滋比古 小学館新書

人生を退屈にする「知識」
いまの日本社会の大きな問題点の一つは、大多数の人が知識に縛られ、その結果、知識がブレーキをかけて失敗を伴うリスクがあるものを極端に避けたがることだ。

「知識は力なり」といったのはイギリスの哲学者、フランシス・ベーコンだった。
ベーコンのあとに、フランスの哲学者・数学者パスカルが、かの有名な「人間は、考える葦である」という言葉を残した。知識よりも考える力のほうが大事だという話で、これも後世に大きな影響を与えた。
「知識は力なり」
「人間は考える葦である」
どちらの言葉も真理を突いているのだが、知識と思考を両立しようとするとなかなかうまくいかない。
知識には思考を妨げるという弊害があるのだ。知識とはいわば、「他人がすでに考えた結果」であり、それを蓄えるほどに、自分では考えなくなる。逆に、知識がない人ほど自分で考えるしかなくなる。

たとえば、シャープ創業者の早川徳次の経歴を見ると、学校で知識を詰め込まなかった
ことで、独創性を発揮できた人物であることがわかる。
初等教育も満足に受けられなかった早川は、知識で思考を肩代わりするのではなく、はじめから自分の頭で考えた。開業後は次々と発明品を生み出し、そこで生まれたのがシャープペンシルだった。
日本を代表する成果を残した技術者・経営者の生き様を見ても、知識は必ずしも力ではないということがよくわかる。

思考力を試すテスト
筑波大学が、まだ東京教育大学という名称だった頃の話だ。
付属小学校の入学試験は全国でも指折りの難しさだといわれていた。競争率が十倍、二十倍は当たり前だったため、各地の塾では試験対策が練られ、学校側も塾の予想を裏切る試験問題作りに熱心に取り組んだ。
その結果、入学希望者たちの知識ではなく自ら思考する力を問う、素晴らしい設問が生まれた。
緊張の面持ちで試験会場に座る子供の前に一枚の紙が置かれ、その紙の上には、砂状の白い山が二つ作られた。この二つの山は片方が砂糖で片方が塩だった。さて、左右の山のうちどちらが砂糖で、どちらが塩かを答えなさいー
それが試験間魍だった。受験する子供たちは大いに戸惑った。通っていた塾では、こんな設問への対策は教えてくれていなかったのだ。
二つの山を見つめているだけでは、砂糖と塩を判別することはできない。なかには「塩よりも砂糖の粒子の方が粗い」という知識を披露した子供もいたようだが、世の中には粒の粗い塩もあるから、この問題の正解としては不十分である。
結局、ほとんどの子供は「わかりません」と答えたらしい。
これは、受験に臨んだほとんどの子供が、すでに知識という枷をかけられてしまっていたことを示している。知識だけでは正解にたどり着けない類の問題を解けないのだ。
この問題の正解を導く方法は単純で、二つの山をそれぞれ舐めてみればいい。

この素晴らしい入試問題からわかるのは、実験の大切さだ。
一般的な教育では、ベーコン的な観点からまず知識を与え、その次にパスカル的な視点で思考力を育もうとする。ただ、その順番だと、知識が思考の邪魔をしてしまう。砂糖と塩を見分ける試験は、そのことを明らかにした。
あるべき順序は、まず実験なのである。

(編者注:著者はフゾク出身らしい。実は編者も中学から。ちなみにフゾクは附属と書きます)

実験、思考、知識という順に段階を踏んでいくことで、人間は賢くなる。実験を繰り返す精神によって考える力が育まれ、そこからまだ見ぬ新しい知識が生まれる。重要なのは、実験が失敗を伴うものであるという点だ。試行錯誤を繰り返すことからこそ、本当の思考力が身についていく。

このあるべき順序は、学校教育の話にとどまらない。
実験をやめたら、人生はつまらなくなる。だから定年後も、ある程度は失敗を恐れずに挑戦を続けられたほうがいい。
(編者注:正論ですが、高齢化すると、挑戦に必要な体力・気力も衰えるので、言う程に簡単ではありません)



1410.JOC 19/3/21

まずは昨日の朝日新聞の川柳からです。
支持率が下がらぬからとやり放題
アベノミクス過ぎれば唯の蜃気楼

ところで昨日の朝7時のNHKニュースで、10分余りを割いて竹田会長の辞任を取り上げていました。ところが竹田会長の疑惑との関係には言及せずに、本人をひたすら称賛する内容だったので、違和感を覚えました。当日の朝日新聞の社説を読んで、その違和感の理由が分かりました。しかも後任の柔道の山下は、人品骨柄で見劣りはないと言い切れるのだろうか。単に政治家の言う事を聞き易い人間を選んだだけではないのか。NHKのニュースを思い返すと、小池報道局長の価値観を強く感じさせる報道でした。


「危機感欠如のJOC」朝日新聞3/20社説
この危機意識の欠如には驚くばかりだ。日本オリンピック委員会(JOC)は早急に体制を一新する必要がある。
竹田恒和会長(71)が6月の任期満了をもって退任すると表明し、理事会も認めた。氏が職を退く決断をしたのは当然だ。だが、なお3カ月の間、会長の地位にとどまるとの結論に、どれだけの人が納得するか。
竹田氏には、東京五輪・パラリンピックの招致をめぐって、フランス当局から贈賄の疑いがかけられている。捜査の行方はわからないが、氏は1月に潔白を訴える短い記者会見を開いただけで、国民に一切の説明をしていない。それだけで公の組織の長としての資質を欠く。
氏はこの間、海外での国際会議を相次いで欠席した。身柄を拘束される恐れも指摘されており、出張もままならぬ状態だ。
さらに、大会1年前のPR行事への出席を国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長らに呼びかけたところ、疑惑を理由に断られたという。
本来の職責や五輪準備に支障が出ているのは明白だ。開幕まで500日を切ったこの大切な時期に、機能しない人物をトップに据え続けて、JOCはいったいどうするつもりだろう。
竹田氏もJOCも、当初は事態を甘く見ていた。早期の退任どころか、定年に関する規定を改訂して、氏の続投をもくろんだ。国内外からの厳しい批判を受けて、そのような非常識は何とか避けられた格好だ。
竹田氏が退任しても問題が解決するわけではない。
贈賄疑惑に関するJOCの報告書は、関係者の聞き取りも不十分でおよそ納得できる代吻ではない。速やかに再調査に取り組み、説明責任を果たさなければならない。そのうえで、JOCの組織のあり方についても見直しを進める必要がある。
昨年、スポーツ団体に不祥事が相次いだ。目についたのは、長期にわたって君臨するリーダーへの権力の集中、理事会の形骸化、相互チェックの不在だった。団体を統括するJOCにも同じ「病」がうかがえる。旧宮家出身で在任10期17年を超える竹田氏に対し、しっかり意見を言い、議論しようという環境は整っていたのか。
スポーツ界にガバナンスを導入・確立することが急務の課題になっている。中核に位置するJOCの改革もまた、避けて通れないテーマである。後任の会長選びをどう進めるかを含め、組織の抜本改革に急ぎ取りかからなければ、信用の回復はおぼつかないと覚悟すべきだ。
関連記事。彼一人の責任だろうか。東京新聞社説。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019032002000182.html




1411.SNSイコール世論とは言えない 19/3/18

「知る権利守れ」
官邸前抗議行動 マスコミ労組
菅義偉官房長官の記者会見での東京新聞記者への対応をめぐり、新聞労連、民放労連、出版労連などでつくる「日本マスコミ文化情報労組会議」は14日夜、東京・永田町の首相官邸前で集会を開き、「記者の質問を妨害するな」「知る権利を守ろう」と抗議した。
同会議が官邸前で抗議行動を主催するのは初めてという。南彰議長は「どういう記者会見であるべきか一緒に考えたい」「自由闇達だった記者会見を取り戻すことが大切」と呼びかけた。
この日、採択した声明では「記者の質問内容にまで政府見解の枠をはめようとする首相官邸の行為は『取材の自由』や全ての市民の『知る権利』を奪うもの」などとし、記者の質問中、司会役の官邸報道室長が数秒おきに「簡潔にお願いします」と発言するなどの行為は「記者に対する弾圧、ハラスメント(いじめ、嫌がらせ)」と指摘した。


【気になる記事】

・SNS、声高なだけで世論とは言えず。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190316-00000500-fsi-bus_all
コメント:無論SNS=世論ではありません。冷静さと理論的な根拠を欠いた意見の集合体を、世論と呼ぶことは出来ません。だからヘイトスピーチは世論ではないのです。個人と言えども、その意見と主張の表明には、それなりの場と覚悟、しかも発言のマナーが必要とされます。中でも大事なものは、根拠とロジック(論理)であり、基本的な知識(教養)と価値観、そして市民意識と良識が求められるのです。感情だけが先行して、十分な説明も、理論的な根拠も無く、しかも無責任な発言は、意見(オピニオン)ではなく、誹謗中傷と変わりません。WTWは自身の費用とリスク(=責任)において発言しています。無論実名です。

・ピエール瀧の逮捕から芸術論争へ。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6317352
関連記事。音楽に罪はない。坂本龍一。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/ryuichi-sakamoto_jp_5c8b0282e4b03e83bdbee6a5?utm_hp_ref=jp-homepage
関連記事。メディアに苦言。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5c893532e4b038892f49bccb?utm_hp_ref=jp-homepage
コメント:薬物依存は治療可能な病気であり、だから使用者は被害者であって、罰するべきは使用者ではなく流通や販売をする者だと、TBSのサンデーモーニングで荻上が指摘していました。とは言え、日本では外国を真似て解禁などしてはなりません。製品と肉体をむしばむ有害物質であることに変わりはないからです。

・分断は連帯を恐れる。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019031702000143.html
まずは昨日の朝日新聞の川柳からです。



1412.ワルの二兄弟 19/3/22

日本で最初のカジノは、トランプの友達(最大の政治資金支援者)が作るのだそうです。兵器を言い値で買わされ、博打場の寺銭までトランプ関係者に巻き上げられる。アベとトランプの兄弟盃の費用を払うのは日本の国民です。安倍首相のお友達の学園の法外な補助金も国民の負担です。戦後最長というよりは(日本の国民にとって)戦後最悪の首相であることだけは間違いなさそうです。しかもこの二人(安倍虎)は拉致問題の何一つ解決できませんでした。対ロ関係も悪化させただけ。チコちゃんという番組の最後に口の悪いカラスが出てきます。キョエならこういうでしょう、「安倍とトランプのバカ―!」。


・トランプの法的危機は終わらない。連邦、州検察が続々捜査。最強はNY地検。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55900
コメント:マティスの辞任が、まともな米国人のトランプの人物評価を示しています。米軍はトランプの無茶な攻撃命令があっても、それには従わない可能性も高いのです。共和党議員を含めて、正気を失った米国人ばかりでないことを信じたい。同じことは自民党にも言えます。幹事長や官房超過の言動が過激になっており、それは安倍政権の見通しが明るくないことを何よりも明確に物語っているのです。彼ら(安倍関絵の幹部)が追い詰められてきているがゆえに、無理な発言が相次いでいるのだと思います。断末魔の悲鳴にも等しいのです。対米関係も、北方領土問題も、拉致問題も、景気の腰折れも、統計問題も、韓国、中国との外交も、およそ何ひとつとして、安倍首相が解決できた問題はないのです。ひたすら改元と五輪だけに、国民の興味を引き付け、自身の続投の意志から、国民の目を逸らそうとして必死にあがいているだけなのです。ところが続投を肯定する積極的な理由は見当たらないのです。「うまくやって」もいないし、「余人に代え難く」もないのです。安定さえしていないのです。政治と経済の実態を冷静に見れば、安倍首相には交代して貰っても、一向に構わないと思う方が自然なのです。



1413.引用の自由は思想言論の自由 19/3/28

凶悪な犯罪が多発しています。しかも社会的な背景の原因を究明せず、現象面だけをとらえたセンセーショナルな報道姿勢にも問題があります。

朝日新聞の昨日のかたえくぼに、政府専用機が交代、ならば主もとあり、なるほどと思いました。ところがその直下に無断転載禁止という警告文があり、唖然としました。一体朝日新聞は何を血迷ったのか。かたえくぼや川柳を紹介するのはWTWくらいのものなので、WTWを狙い撃ちしたのかもしれません。しかし一度印刷され、購入された情報の扱いは読者に委ねられるのです。引用の自由の妨害は、集会の自由、表現と言論の自由にも関わってきます。違法な手段で入手した情報ではなく、対価を支払っているのです。それに戦前のように、メディアが情報を独占し、国民の知る権利を奪った結果がどうなったかの反省がないようです。一度発表、公開した情報や意見の所有権を主張するのは矛盾しています。情報の共有の覚悟がないのであれば、公開するべきではないのです。但し内容の改編や曲解、なりすましは不可です。
ところでかくいう私ですが、評論家を名乗るほどではないので、ネットサイトの運用責任者兼エッセイストくらいが、最も実態に近いと思います。



1414.不起訴不当 19/3/30

・検察審査会が、佐川不起訴不当。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190329/k10011865961000.html
関連記事。特捜部再捜査。
https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019032901002036.html
コメント:問題はその国策捜査機関が、再度不起訴にするかどうかです。でも今度は、国民が以前より厳しい目を向けるでしょう。なぜなら前回不起訴にした、当時の大阪の特捜部長(女性)は北海道に栄転しています。NHKの記者が告発本を出しました。そして前回口を噤んでいた籠池が、今回は明確に安倍首相夫妻を告発しています。

・国は国民を守らない。安保法、違憲訴訟。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201903/CK2019032902000140.html




1415.後見役はいらない 19/4/1

・新元号、官房長官発表後、首相が談話で前面に。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019032901039&g=pol
コメント:安倍首相は、どういう立場(新天皇の後見役のつもり?)で、「何を」国民に「語り掛けたい」のか。選挙を控えて絶好のパフォーマンスの機会だと思っていることは間違いないが、改元に関わる一連の行事で、自分が国民(と皇室)の目障りになっていることが理解できていない。二言目には、自分が内閣総理大臣であることを強調しないと、自分でも安心できない5歳児が、海のこちら側にも。平成天皇が退位を決意したのは、ひとえに安倍首相の平和憲法の否定と(ニセの)国粋主義が原因なのです。皇室との関係を改善したければ、まず自分の右傾化し、岸信介に傾倒した時代錯誤の価値観を改めるべきなのです。一方、4選まで言い出したのに、菅に後れを取る二階の、悔しがる顔が眼に見えるようです。

・両陛下、黒田清子さんの自宅訪問。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190331/k10011868101000.html
コメント:朝日新聞の投稿川柳に、平和賞に値する天皇陛下という句がありました。両陛下の平和主義は(安倍首相のそれと違って)本物です。