「WTWオピニオン」
【第83巻の内容】
「池袋の暴走事故」
「改元は世直し」
「憲法は玩具ではない」
「ナパーム弾」
「AKBビジネスの限界」
「女性と存在感」
「願い」
「衆愚政治への道」
「NHKの迷走と妄想」
1426.池袋の暴走事故 19/4/21-5/11
・認知機能低下なし。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190420-00000541-san-soci
コメント:100キロで走行した理由が分かりません。ペダルの踏み間違いは、最近のAI技術で防止できるはずです。暴走が意図したもの(自暴自棄や精神錯乱)でないのなら、加害者の元経産省の高官(報道はここを忖度)は、暴走原因の究明にとことん協力すべきです。しかしこれでまた高齢者の免許に風当たりが強くなるのかと思うとうんざりです。
それでなくとも報道の自由度の低い日本では、権力に弱い、単純な頭の記者たちが、年齢が全ての原因だときめつけて、世論を誘導し、高齢者の赤狩りをしようと手ぐすね引いて待っているからです。高齢者は早く死ねばいいと言わんばかり、自分は高齢者にはならないかのようです。しかし無分別な中年より、分別のある高齢者(残念ながらこれも多くはない)の方が社会の役には立つのです。
運転にそもそも不向きな人が大勢おり、その中には身体の自由が利かない人も含まれるという事が問題の本質ではないでしょうか。事故を年齢の問題で割り切ると、事故原因の本質を見誤ることになります。そもそも統計では、高齢者の事故の比率は減っているのです。スマホを見ながら運転する若者は悪質でないと言えるのでしょうか。すぐに頭に血が上るあおり運転の常習者が、多くの事故の原因を作っているのです。他人の迷惑を考える心の余裕のない者(あおり運転の他にも、信号が変わっても動こうとせず、低速で追い越し車線を占有するドライバー)は、性別、年齢に関わらず乗物(自転車を含む)を運転する資格はないのです。
また、事故が多く、必要以上の速度が出る軽自動車に、軽のナンバー(優遇)を与えるのも如何なものかと思います(但し今回は軽の事故ではない)。
大方のメディアは、車には問題がないという論調ですが、エアバッグが動作したことと、床にペットボトルが転がっていなかったことだけで判断するのは早計です。車をバラバラにして、過去同車種で、同種の事故がなかったかどうかや、アクセルペダルの形状と、加害者が当時履いていた靴の相性はどうかなどを、第三者委員会を作って(これは国交省の責任です)徹底的に調べるべきなのです。高齢を全ての責任にしてしまうと、ならば若者の暴走なら許されるのかという見当違いの議論になるからです。
どの報道も車種については口をつぐんでいるが、これがトヨタのプリウスだったことは誰が見ても一目瞭然です。でもメーカーに対する「忖度」で問題は解決しないのです。むしろ高齢者に緊急自動ブレーキが無い車を販売することが、犯罪に等しいのです。これは日本のメディアの安易さを思い知らされる事件でもあるのです。
とはいえ素人が思いつく一番可能性が高い原因は、精神的なパニックと、脚の不具合です。手足が不自由なら、運転は無理です。またすぐにパニックになるような人も不向きです。パニックならパニックと、まず本人が認めるべきで、過去にそういう症状がなかったかどうかを調べるべきです。車庫入れが下手だったというのでは、事故の理由にはなりません。
関係者がこの事態を重く見て、原因究明に全力を尽くす覚悟でないと、亡くなった人は浮かばれません。メーカーも、原因が特定されるまで、プリウスの販売を控えるべきなのです。二人が亡くなったのも、200人が墜落で死んだのも、交通事故であることに変りはないのです。メーカー名を出したくないのなら、ボーイングの社名を出すのもおかしいのです。
池袋の暴走事件。しかもその直後に、バスやトラックの事故で、更に人命が犠牲になっている。この3件ともに、未だに原因がはっきりしていない。何故本人達(はっきり言えば事件の犯人)がそのような異常な行動(しかも三人の内二人は運転のプロ)に走ったのかの心理的な分析が行われているようにも思えない。一番まずいのは「なんとなく」年齢だけを理由にして、本来の問題の原因追及があいまいにされてしまうことだ。それではそれこそ高級国民は別扱いになってしまうし、事件の再発防止にもならないだろう。
私達国民はまず本人たちの説明を(メディアを通さずに)直接訊く必要があります。不思議な事に彼らの謝罪も後悔も全く報道されてはいません。まるで全く後悔していないように見えるのです。それは事件の報道と分析に(国民以外の)「誰か」のフィルターが掛かっているかのようです。それが誰なのか(メーカーか通産省か国交省か警察か、政治家なのか、それとも忖度が得意なメディア自身なのか)は、私には分かりません。でも事故の原因究明と、本人の責任追及で、何らかの外的なバイアスが掛かっていることは否定できないでしょう。
ブレーキに異常はなかったと昨日報道されました。但しアクセルが元に戻らなかったという本人の証言は未だ検証が済んでいません。もしアクセルにも異常がなかったとすれば、アクセルから足を上げる事が本人に「何故」出来なかったのか。それが最大の問題です。緊急時には嫌でも足が勝手にブレーキを踏む。それが我々、「普通の」ドライバーが身に着けている正常な反応です。ブレーキを踏むなと言われても、足が勝手に急ブレーキを踏んでしまう。それがドライバーの条件反射なのです。なのに、なぜ彼らの場合、足が勝手にアクセルを踏み続けたのか。しかもバスの運転手の場合は運転のプロです。またハンドルで衝突を回避しようとしなかったのか、或いは出来なかったのか。年齢ではなく、その異常な心理こそが、これらの問題の本質なのです。
結論を先取りすれば、私には一つ提案があります。私の車は(私にとっては)正直高かったが、アイドリングストップがついています。これは一度停車した後で、ブレーキに乗せ続けている足が、信号が変わっただけで僅かに反応し、その足先の微妙な動きをセンサーが感知してエンジンを再度自動的に掛けるというものです。という事は、この機能にAIを組み込めば、カメラでとらえた赤信号に対して、異常な動きを足がした途端に、自動的にブレーキがかかる様にも出来るはずです。今ある技術でも事故を防止できるのです。
一方で、緊急時に「正常な」反応が出来ない人は、免許更新時、或いは事故発生後に、「老若男女」を問わず、運転の実地再試験を受けて、「正常な」反応が出来る事を証明する必要があります。同時に遵法精神の有無も厳しくチェックするべきです(多くの若者はここで落ちる可能性があります)。そして緊急時の対応を「嫌というほど」身に着けてからでないと、ハンドルを握ってはいけないのです。
運転しないと生活ができない人であっても、少なくとも自動ブレーキの無い車に乗ることは認めるべきではないのです。どうしても車に乗りたい人は、(如何に金が掛かっても)、安全のコストを自ら負担する義務があると思います。安全のコストは負担したくないというのは、虫のいい「我儘」です。
この事故の報道を含めて、最近TVをあまり見なくなりました。それはニュースショウのゲストやコメンテーター(MCを含めて)のレベルが、余りにも悲惨だからです。
・池袋事故の加害者の呼び名。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6322994
コメント:読売新聞が容疑者の呼び捨てを止めた経緯を説明(言い訳」)しています。何故子にお回会社からの納得できる説明とは思われない。関心のある方は読売新聞のサイトをご覧ください。私はそのような記事を紹介する気にはなれません。最近やっと本人の写真が出ました。しかし未だに本人から後悔の謝罪の釈明はありません。経産相も経産省もノーコメントです。一方で、昨日の幼児の列に突っ込んだ運転手は直ちに逮捕されました。この差は何なのか。政府は説明する義務があります。しかも自動車の機能には問題がなかったという説明をメーカーがしており、加害者の説明と矛盾しています。言い分があれば、加害者は類似の事故を未然に防ぐために、法廷で徹底的に争わなければなりません。本人の「人命」への無責任と、メディアの特別扱いが、世間の不信感を招いているのです。しかもこれまでの安倍首相への忖度のイメージと重なるので、政権にとってもマイナスでしょう。
・踏み間違いの事故。最多は若者。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6323755
関連記事。池袋事故容疑者、誠に申し訳ない。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44990840Y9A510C1CZ8000/
コメント:それが正常な神経です。容疑者の言うようにブレーキが利かなかったのは、ブレーキペダルのつもりでアクセルペダルを踏んでいた可能性が高いとは思いますが、故障が100%ないとは言い切れない上に、人災ならば、なぜ踏み間違いやすいペダルの形状だったのかが今度は問題になります。私は以前、ペダルを面積の大きなものに交換して乗っていました。前方の風景の異常や、人間のパニック動作に反応して、急ブレーキをかける機能を持たせることも、自動運転を前提にしている現在の自動車技術なら可能のはずです。しかもここ2-3年で売られている車には、高速(60キロ以上)で「物体」に接近すると、警告音を発し、急ブレーキが掛かる機能があり、筆者のドイツ車にも(最近は軽にも)それがついています。安全は金で買えるのです。旧車種であっても、そういう機能を希望者に後付けできるような体制にするのは、メーカーのあるべき姿勢ではないでしょうか。問題の車(最近公園でも同種の事故)のメーカーさんは、日本を代表する優良企業の上に、30兆円も売り上げがあるのですから。
1427.改元は世直し 19/4/30-5/2
お早うございます。平成最後の日です。
関連記事。改元に寂しさ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201904/CK2019042902000137.html
コメント:平成については私もそう思います。普通の国民なら同じ感情でしょう。政府が言うような、浮かれる理由は思いつきません。政府による世論の操作(しかもメディアも悪ノリ)もいい加減にして頂きたい。古来、改元は疫病や天災を祓うために、天皇の判断で行われました。即ち世直しです。という事は安倍政治の「災厄」から国民を救うために、天皇が決断されたと考えれば辻褄が合うのです。平成とともにアベノミクスにもさようならを言わなければ、天皇の「深い御心」に沿う事は出来ないと思います。他方、令和で国民がなすべきは、賢明な市民に成長し、ポピュリズムから卒業する事です。
関連記事。平成の賃金、検証不能。統計不正で。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201904/CK2019042902000122.html
関連記事。日本が米自動車工場に4兆円投資。トランプ。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6321890
コメント:これが安倍の訪米の手土産ですか。自分は歓迎されるだけだからいいだろうが(智慧も工夫も苦労もせずに何が外交ですか)、外遊の度に専用機の費用は愚か、巨額の土産(経済支援)まで負担させられる日本の企業と国民の身にもなってみよ。
超ムーの世界という番組を面白く見ているのですが、BSの放映はなぜか3-4年前に収録したものばかりです。そこでレンタルビデオで借りたら、新しいものでも2017年でした。その2017年版にとんでもない(但し基本無責任な)発言がありました。トランプが選ばれて、未だ就任前だった頃の収録です。シンプソンという漫画が30年前にトランプ(実名)の当選を予言していたという話の時に、2020年のオリンピックは開催されないという予言があったという話です。決まらない、ではなく、五輪大会がないというのです。出席者は第三次大戦ではないかという、勝手な憶測をしていましたが、(予言が本当なら)私として考えられる、五輪を開催できなくなる理由はたった一つしかありません。それは噴火や地震で関東地方のインフラが壊滅する事です。
・陛下の天皇としての最後の言葉。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190430-00000032-asahi-soci
関連映像。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190430/k10011901961000.html
関連記事。中国が陛下の功績称賛。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019043000396&g=int
関連記事。天皇陛下の退位に英王室も強い関心。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190430/k10011901931000.html
護憲や、改元の恒例化、改元の祭祀は簡素にという皇室の意向を、散々に踏みにじっておいて、取ってつけたような政府とNHKの改元パフォーマンス。官製のお祭り騒ぎに違和感を感じる正常な神経の国民もいるのです。しかもTV画面に、これでもかと登場する安倍首相。皇室の行事を錦の御旗にして、メディアの忖度を最大限に引き出し、政府に対する全ての批判を封じる事に成功しています。上皇が尊敬されているので、国民も皇室の行事に表だって反対出来ない点を逆手に取るずる賢い手法です。安倍首相に文字通り踊らされて、渋谷で騒ぐ若者達は、やがてその同じ口車に乗せられて戦場に送られることになることが、どうして想像できないのでしょうか
新天皇の「お言葉」が、国民に寄り添うという上皇の意志を継続したものだったので、安堵した国民も多かったのではないでしょうか。後は国民が一丸となって、安倍首相が皇室に不必要に接近し、明治憲法を持ち出して、天皇制を安倍政権のお神輿にすること。即ちいつものようにありとあらゆるものを安部首相の私物化にして、錦の御旗に祭り上げないように、厳重に監視する必要があります。それでなくても長州にはかんばしくない前歴があるのです。兎にも角にも、安倍首相は改元(と皇室とメディア)を政権維持のために、徹底的に利用し尽くしたのです。
新天皇皇后は、既成の存在ではありません。経験も不足しており、平和の象徴としては未完成であって、だからこそ(首相ではなく)国民が、公務を通して育ててゆくべきものなのです。また(戦争責任のない)上皇ご夫妻には、いつの日か、是非ともノーベル平和賞をさし上げたいものです。
関連映像。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190501/k10011903031000.html
関連記事。上皇陛下、その人間らしさ。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-48101955
関連記事。各地で安心平和望む声。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190501-00000067-kyodonews-soci
関連記事。新天皇即位、新皇后は見られず。外紙が批判。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190501-00000062-asahi-soci
関連記事。令和に熱狂した渋谷。その横で濡れながらゴミを拾う若者。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190501-00010004-bfj-soci
関連記事。新時代の祝賀ムード、ほど遠い。
https://this.kiji.is/496132688005366881?c=39546741839462401
関連記事。天皇にも人権を。京都で集会。
https://this.kiji.is/496252953229689953?c=39546741839462401
関連記事。天皇制の不都合な真実。
https://news.yahoo.co.jp/byline/mizushimahiroaki/20190501-00124418/
関連記事。天皇制の不平等と存続の危機。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019050100570&g=int
関連記事。皇位継承資格、僅か3人。
https://www.asahi.com/articles/ASM513K78M51UTFK00H.html?iref=comtop_8_02
コメント:自民党が決める事ではないと思います。
関連記事。令和が受け入れられたのは意識の低さ。
https://toyokeizai.net/articles/-/277603
関連記事。新元号、天翔が一時有力。
https://www.yomiuri.co.jp/kaigen/news/20190501-OYT1T50036/
コメント:私は天翔の方を取ります。いま日本の国民と企業に最も必要な躍動感があるからです。和はともかくとして、令は冷や零や霊や例を連想させます。中でも一番危険な語感は、法令の令と、号令の令のそれです。
・天皇即位パレード経路決まる。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019052100806&g=soc&utm_source=top&utm_medium=topics&utm_campaign=edit
関連記事。安倍首相が旗に揮毫。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019052101151&g=pol
コメント:パレードには安倍・菅も参加。最早改元の全てが安倍首相の為のイベントです。だから関心はありません。しかし改元イベントへのNHKの入れ込みようは異様です。あれほど皇室が簡素にと言ったにもかかわらずです。MHKは何処を向いて仕事をしているのでしょうか。
1428.憲法は玩具ではない 19/5/7
改憲は何のためにするのか。改憲ありきの安倍首相は、震災の救助活動や復興で、自衛隊が身を粉にして働いてくれた、だからその存在を正当化し、憲法に明記するべきだと語っています。でもこの論法は基本的に間違っています。なぜなら「災害対策」のために自衛隊を抱えている訳ではないからです。本当の目的は別にあります。仮に災害対策や復興の土木が主たる任務であるのなら、組織の名前は「災害対策部隊」であり、防衛省ではなく復興庁が管轄すべきでしょう。戦闘攻撃機も空母も、巡航ミサイルも必要ないはずです。でも安倍首相に、自衛隊の名前を変えるつもりはないでしょう。だから安倍首相の説明には、そもそも無理があるのです。
国土と国民を外国の侵略(と脅威)から守り、そのために武力を行使する組織、それが自衛隊です。従って自衛隊の本質はあくまで軍隊です。どの国にも自衛の権利はある、だからその為の軍事力を持つのは当たり前だという議論もあります。その主張に対しては、自衛の為の戦闘が現行憲法で「否定」されているわけではない。だからそれが、日本が軍隊を持つ権利を憲法に明記する理由にはならないとするのが、護憲派の反論です。なぜなら現行憲法では「戦争放棄」と「非武装」が「明記」されているからです。
通常兵器による自衛のための軍隊なら、持ってもいいのではないか、実際に各国は自前の軍隊を持っている、と思う人も少なくないでしょう。しかし日本(とドイツ)の場合には特殊な事情があるのです。それは日本の現代史を振り返れば分かります。かつて世界有数の強力な軍隊を持っていた日本(GDPの半分をつぎ込んだのだから当たり前と言えば当たり前)は、軍事力を「自衛の名目で」、自国の領土拡大のために使い、しかもその「侵略戦争」(太平洋戦争)の結果、外国人だけでなく、300万人もの自国民が命を落としているのです。
日本国憲法は、紛争解決の手段として、「あらゆる」戦争を禁じています。自衛のためなら良いなどとは、どこにも書かれてはいないのです。自衛の戦争を例外にしなかった理由には、過去、日本が軍事力を「自衛の名の下に」外国を侵略する目的で行使した恥ずべき歴史があるからなのです。
日本(の政府)が誤った武力行使をした悲惨な歴史的事実があるからこそ、日本の平和憲法では「全ての」戦争を禁止したのです。従って、憲法では軍隊を持つことも禁止していますが、こちらの方は保守政党が警察予備隊、ついでは保安隊という名前で今の自衛隊を発足させ、ついには防衛省迄作りあげたのです。戦争の禁止にしても、あろうことか、海外への自衛隊派遣(という事は外国同士の戦争)まで、閣議決定で認めるという暴挙で、事実上憲法の骨抜きが行われているのです。そんな脱法行為を日本国憲法は想定していないのです。安倍政権にとって、日本国憲法は彼らが自衛隊や日本を好き勝手にできない、目の上のたん瘤であり、邪魔者なのです。
内閣支持率を見ていると、憲法をおろそかにするどころか、憲法を敵視するような政治家が権力の中枢に居座ることの恐ろしさを、日本の国民が理解しているとは思えません。既に十分憲法を無視しており、今度はその文章(=憲法の精神)にまでその(汚い)手を入れようとしているのです。最早それは岸信介の亡霊に操られた、ゾンビ首相の感情的な言動としか思えないのです。怨霊に取りつかれた安倍首相一家には、早急にお祓いを実行すべきだと思います。
戦犯の岸元首相に、文字通り育てられた安倍首相が、日本の政治のトップにいるという事の意味を、参院選(または同日選)を前にして、もう一度考え直すべき時期に来ているのです。なぜなら首相が「個人的」に、「極右の価値感」を持っているという事であり、そこにそれ以前の自民党との決定的な違いがあります。戦時中の価値観に極めて近い価値観の持ち主が、自衛隊の最高司令官(指揮権)を兼務しているのだから、背筋が寒くならない方がおかしいのです。だからこそ、世論調査をすると、「安倍政権下」での改憲発議は好ましくないとする国民が「半数以上」を占めるのです。
そもそも改憲の発議を、首相が自ら始めるなど、前例がありません。しかも特定の政党は、特定の団体の利益を代表しており、時代の空気にも左右されやすい。改憲の発議は冷静な分析と判断のできる、有識者の団体が慎重に検討して、初めて可能な事なのです。しかも憲法学者の9割以上が改憲には反対しているのです。
どのような政治的な信念の持ち主が首相になっても、自衛隊を勝手に動かして、戦争を始めさせないように、厳重に「憲法」で手足を縛っておく。それは非業の死を遂げた300万人の親戚や同胞に対する、我々戦後世代の義務でもあるのです。憲法で、政治の暴走に歯止めをかける。だからこそ、首相が音頭を取りさえすれば、憲法はいとも簡単に、しかも正当な理由もなく、変えられるなどという悪しき前例を、絶対に作ってはならないのです。それが私達の世代が、次世代の国民に「平和な日本」を手渡すために、避けて通れない役割なのです。
国民の玉木は言いました。今の自民党政治は、今だけ、金だけ、自分だけ。更に共産党の小池は言いました。憲法を変えるより政治を変えるべきだと。読者の皆様は、改憲について、どう思われるでしょうか。
1429.ナパーム弾 19/5/11
NHKEテレの「フランケンシュタインの誘惑」は、アベエイチケイがこれを作ったのかと思わせるほど優れたシリーズです。但しリアルな戦争の映像があるので、小中学生向きの作品ではありません。5/9の第6回のテーマは、ナパーム弾でした。これはガソリンに有機剤の粉末を混ぜて粘着性を持たせたもので、着弾して破裂すると、周囲に飛び散り、家屋や人体に付着して、水を掛けても土を掛けても消えず、燃え尽きるまで、しつこく燃え続けます。川の中でも燃えるので、空襲で川に逃げた人たちも犠牲になりました。
はじめてナパームが実戦で使われたのは東京空襲で(原爆も初めて日本で使われた)、2時間で10万人がなくなり、100万人が家を失いました。その後も空襲は続き、20万人の市民が米軍の無差別爆撃で命を落としています。
ナパーム弾の材料は、ハーバード大学の有機化学者フィーザーが少人数で開発したもので、原爆の開発費の1/400の費用で開発され、原爆の犠牲者より多くの人たちを犠牲にしました。ベトナム戦争では、太平洋戦争で日本に使われた量の2倍の量のナパーム弾が使われたため、米国内でもこの非人道的な武器の開発と使用に大きな抗議運動が起きました。しかしフィーザーは一切、非人道への責任を認めようとはしませんでした。しかその後、国連が人口密集地での使用を禁止し、2011年には米国もナパーム弾を全て破棄したと発表したものの、イラク戦争では改良版(?)が使われました。また。シリアでは現在でも、市民に対して使われています。
しかしハーバード大も、米国の公文書館も、ナパーム関連の情報や資料を封印してしまいました。
この番組は、やれ自衛隊に感謝しろだの、憲法に自衛隊を明記しろだの、トランプと安倍首相はお友達でめでたいというたわ言をほざいている極右の議員(含む安倍首相、大阪維新)が見て、感想文を書くべきです。やたら武器を持ちたがっているが、武器は一言で言って大量殺人のツールです。一度自分の身に使ってみて、それでも必要だと思ったら、装備に賛成して頂きたい。「紛争解決の手段として武力は行使しない」という憲法の文章の意味さえ理解できないとすれば、中学からやり直す必要があります。武器を振り回すのは簡単です。納得できる合意を形成するのは難しい。直ぐにこぶしを振り上げるのは、古来精神の弱い人間と決まっています。
原爆と空襲で50万人の非戦闘員を「無差別」に「殺戮」した米国の所業はまさに鬼畜のそれでしかないのです。米国の非戦闘員(市民)が殺されたのは911(同時多発テロ)が初めてだったのです。
そうした恥ずべき実績のある、米国の軍隊や米国の政治家(トルーマンを含む)を、自民党や安倍政権が「無条件」で信用しているのはなぜなのか。是非ともその理由を、我々のような愚かな国民にも分かるように、聡明な政治家や、優秀な官僚から、教えて頂きたい。そして、その理由が決して「保身」ではないという約束を国民の前でして頂きたいのです。
関連記事。夕立のようだった焼夷弾の音。
https://www.asahi.com/articles/ASM4T76Z8M4TPIHB03B.html?iref=comtop_list_nat_n05
1430.AKBビジネスの限界 19/5/10
最近のNHKの「ためして合点」が極端につまらなくなりました。山瀬まみがいた頃の方が見る気が起きました。ところで歌唱力も演技力もない、少女のビジュアル(もっと言えばロリコン)に依存していたAKB等のグループは、メンバーが年齢を重ねれば、少女役を脱皮して、年齢相応に成熟して、新たな居場所を見つけて巣立つのが望ましいのです。卒業という名前の体のいい首切り(AKBが100人もいるとは最近まで知りませんでした)もあるが、選挙と称する人権無視の選別投票がなくなったのは喜ばしい事です。
一方(成長の後押しもしない)芸能事務所は、それまでの知名度だけで強引に売り込もうとしています。ところが(能力ではなく)、見た目と雰囲気だけで売ってきたのに、今やそれが一変してしまったのだから、極端な言い方をすれば、視聴者は少女の代わりに年増を見せられているようなもので、詐欺みたいなものです。それまでの初々しさの代わりに、KYのタメ口だけを聞かされても、視聴者は堪ったものではないのです。
強引に売り込む芸能事務所も事務所だが、それを使うNHKもNHKです。NHKといえども、ミスキャストはミスキャストです。とはいえ、むしろなんでこんな上から目線のタレントが大きな顔をしているのかという例は、AKB以外でも山ほどあります。態度と声が大きい(しかもある程度愚かな)だけの梅XやX茂(やお笑いタレント)で、私達はうんざりしているのです。オカマ(自称女装)が大きな顔をしているという点一つをとっても、日本の芸能界は世界でも特異な存在です。タレントが、キレ芸や、突っ張ることでしか存在感を主張できないとしたら、それは自分には実力も人気もないと、自ら言っているのと変わらないのです。
1431.女性と存在感 19/5/12
今日の前書きのテーマは女性タレントです。私がドラマや映画を見るときは、無数かつ無名の観客の一人に過ぎません。それでも自分なりの好みはあります。しかも歳を重ねるにつれて、好き嫌いが激しくなってきました。だから男女を問わず、見ていて不愉快なタレントが出ていれば、いかにそれが続きものの番組であっても、即座にチャンネルを切り替えることにしています。残り少ない人生の貴重な数十分を、感じの悪いタレントと共に過ごさなければならない理由は見当たらないからです。
ところで、女優と言えば見た目が重視されます。でも私が注目するのは存在感です。昔の女優でいえば、岸恵子や若尾文子、岩下志麻などがいます。その場にいるだけで、独特の雰囲気を作り上げ、目が離せなくなるような女優です。無論そこでは顔立ちも重要な要素ですが、それが全てではありません。いかに容貌が整っていても、表情が乏しければ魅力にはつながりません。眼が口ほどにモノを言うのは存在感がなければ無理です。しかも人間の存在感というものは、持って生まれた特徴に、後天的な知性や感性や人格が加わった総体的な印象なので、人間的な成長とは不可分の関係にあるのです。
前置きはこれくらいでにして、私が存在感があると思う女優を具体的に紹介します。但しそれは皆さんの好みとは異なるだろうと思います。
まず知名度が低そうなところで若村真由美がいます。話をさせて魅力があるタイプではないが、目が印象的です。次は中山美穂で、これは執事の西園寺というドラマでメイド役をやっていた時に印象に残りました。今は別の俳優と交代しています。中山は若い頃に主役で何本か映画も撮っていますが、余程のファンでなければ「ムリ」でしょう。しかし今の美穂は黙っているだけで、いや黙っている方が、存在感があります。もう一人は異論を承知で、敢えて沢尻エリカを挙げます。NHKのアナザーストーリーでMCを担当して、イメチェンに成功しました。典型的小悪魔タイプですが、個人的には近寄りたくない相手です。沼尻のアナザーストーリーのMCの後任は松嶋菜々子です。朝ドラの母親役からは想像できない変身ぶりなので一度ご覧ください。私は竹内結子より評価しています。おまけの4人目が常盤貴子です。
朝ドラと言えば、現在の主役広瀬すずは、見た目では若手でナンバーワンでしょう。しかし存在感(含む演技力)となると、同じ朝ドラでも波留の方が上だと思います。ちなみにのん(アマちゃん)には存在感(個性)がなく、それで芸能界が持て余したのではないかと思います。土屋太鳳も存在感よりはスタイル(見た目)重視です。存在感という意味では、上野樹里、宮崎あおい、上戸彩がいます。こう並べてみると、私が申し上げている存在感の意味が少しはご理解頂けるのではないかと思います。しかし圧倒されるような相手ということは、自分の存在感が小さく薄くなるということでもあるので、共にいれば(そういう機会は絶対にないでしょう)息苦しく感じる事でしょう。
我々の世代の代表的な女優と言えば吉永小百合ですが、彼女は前に座っても、あまり威圧感は感じないだろうと思います。威圧感の無い存在感こそ最高なのかもしれないが、存在感は裏返せば個性であり、ある意味アクの強さでもあります。ところで私は現代の見た目の女優のトップは深田恭子だと思います。現代版の若尾文子です。でも存在感となると自分なりに勉強して、主張もある石原さとみの方が強いように感じます。
女子アナは総じて存在感は希薄ですが、NHKの現役は別です。フリーになった有働は論外ですが、朝7時の和久田真由子、ヒストリアの井上あさひ、英雄たちの選択の杉浦友紀(前任者の渡邊佐和子も優等生)、民放ならTBSの小島奈津子あたりは存在感があります。知名度が高いフリーの小島瑠璃子は、どこにでも顔を出しますが、とって付けたような話し方と目が死んでいるのが気になって、私の好感度は高くありません。
ついでに学者有識者の分野です。脳科学者の中野信子はルックスとスタイルと頭脳の3拍子が揃った珍しい学者ですが、見た目は比較にならないし、右傾化した頭の中身も問題だが、政治評論家の三浦瑠璃には、存在感だけはあるような気がします。
もう一つオマケは芸人です。それはちょっと寒いマジシャンの小泉ポロンです。
私達は皆、人間力を身に着けて、魅力のある人間になるように、日々必死に、しかも無意識に努めているのだと思います。学び、鍛え、我慢し、努力し、成長し、やがて成熟して、存在感のある人間になってゆく。そうでなければ人として生まれてきたかいがないではありませんか。死んで初めて終わりになる、その成長の過程全体が、その人の人生そのものなのです。
関連記事。存在感のある女性は自分を客観視。
https://toyokeizai.net/articles/-/278003
関連記事。トランプ、追加関税支持。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6323097
コメント:不均衡貿易を糺したいのか、それともひたすら喧嘩を売って大統領選挙で有利に立ちたいだけなのか。但し中国が正しいというわけでもない。中国は人権が紙のように軽い国です。これは猿とパンダのつかみ合いなのです。ジコチューで愚かな猿のすることは、正気の人間には分かりかねます。本を読まないという点でも、トランプと安部首相は同じです。表紙だけ見れば中身が分かるのなら、最早この世の者ではありません。そうでなくても、安倍首相に岸信介の霊が取りついているのです。しかも両首脳に共通するのは、その存在感の希薄さです。歩いていて向こうの景色が透けて見えるような気がするときもあります。
1432.願い 19/5/13
私は、残り少ない自分の人生を、蟷螂の斧(読者はご存知ないでしょうが、ごまめの歯ぎしりという言葉もあります。ごまめとはイワシの稚魚のことです)に過ぎなくとも、「常識を装った非常識」との闘いに捧げる覚悟です。相次ぐ交通事故や、政治や行政の様々なシーンで、いままでも少しだけ垣間見えていた、権力層と一般市民の「格差」が、最近では大きく目立つようになってきています。しかも、その矛盾を、メディアは全く指摘しようとしません。結果的に権力層を擁護する役割を果たしているのです。それは、メディアから批判精神と社会正義が失われてきているからなのです。新聞やNHKの代金は、国民が負担しているのにも関わらずです。
いま、最もしなければならないことは、我々「個々の国民が声を上げる事」です。何故なら国民の声こそが、独裁者政治家が、最も恐れるものだからです。
我々国民が、不正行為で逮捕され、自分は無実だと訴えても、容易に釈放されません。なぜなら我々は無名で無力で、影響力を持っていないからです。自分には不正をする動機はなく対価も受け取ってはいないといくら主張しても、一笑に付され、やってはいない「罪を白状」するまで、空調の無い監房に収監されることでしょう(籠池を見よ)。逮捕の段階で、彼らの中にはすでに暗黙の尺度があるとしか思えないのです。政治家は一級、官僚は二級、ここまでは逮捕・収監はされない。経営者は三級。そして一般市民は等級外で、「士」ではない「農工商穢多非人」の「民間人」は収監の対象です。
そういう格差が、収入の面でもはっきりと表れています。若い一般従業員の給与は20万からせいぜい30万でしょう。でも役員になればその10倍も20倍も取っており、しかも経営が失敗しても責任は問われないのです。そうした経済的な格差についても、メディアは一切触れず、見て見ぬ振りをしています。一方、天下りが可能な高級官僚には、仕事は事実上ゼロで、会社に出なくても高給を得る仕組みが用意されています。
メディアというよりも、TVの世界では異質さが一層際立っています。番組に出て、たわいもないおしゃべりをするだけで、1時間で50万の収入になるのです。その結果、登場回数の多いタレントでは、50-100億の資産をもつタレントがざらにいるのです。高級車を20台持ち、沖縄に2万坪の別荘地を持つ。一時の見栄だけで、自分が運転もしない2億円のスポ―ツカーを買う。いずれもTVで常連のいわゆる大御所たちの実話です。若手でも、仲居ナニガシ、松本タレガシには100億の預金があると言われています。努力や才能がなくても、知名度がありさえすれば良い。どんな男(或いは女)busuでも、TV画面に映ってさえいればいいのです。それが日本の歪んだ社会構造です。言い換えればそれも既得権なのです。しかし一般のサラリーマンはそうはいきません。一生働いて得られる退職金は数千万円で、しかもそれは家のローンの残債で消えるのです。この社会はどこかが間違っていると思わない方がおかしいのです。
こうした不公平や、摘発されることのない権力層の不正や不合理を見ていると、日本が決して民主主義の国でも、平等な国でもないことが、もはや憶測のレベルを超えて、確信をもって言えることに気が付きます。ならば、どうすれば日本をもっと21世紀(或いは令和)に相応しい、民主的で平等な国に変えることができるのでしょうか。日本に社会正義を復活させることのほうが、自衛隊を憲法に明記するよりも、遥かに重要です。それは、我々がその構成員の一人として、共に生きるに値する国になることなのです。改元気分で政権に乗せられているだけではないのでしょうか。ではどうすれば日本を、権力者や富裕層の国ではなく、国民の為の国に戻せるのか。私には何もできないけれど、せめてそれを自分の息が絶えるときまで、考え続けたいのです。しかもそれは、他ならぬ自分自身が長年、日本の政治や経済の状況を、見て見ぬ振りをして、他人任せにしてきた結果なのです。だからこそ、もうこれ以上他人任せには出来ないのです。
黙って座っているだけでは、社会は変わりません。意見を言う機会があるたびに、日ごろ感じている疑問や不満を語る。それが大事なのです。また政治や経済の現状がどうなっているのかの勉強も欠かせません。その結果、私が大衆扇動の罪で投獄され、獄死して誰にも気付かなくても、それはそれで、その無名の人生も、全くの無駄ではなかったことになるのではないかと思います。
私もとっくに高齢者の仲間入りをしており、いつお迎えが来てもおかしくない歳になりました。安倍やトランプの失脚を見届けられないのだけが心残りですが、死は速やかに訪れて、おそらく皆様にお別れの挨拶をする時間はないでしょう。サイトが二日続いて更新がない時が、ワールド・トレンド・ウォッチャーの最終回だとお考え下さい。それがいつかは分かりませんので、今の内にご挨拶だけ済ませておきたいと思います。永い間のご愛読、有難うございました。心より御礼を申しあげます。家族に残す言葉も、ただ一言、感謝だけです。
本前書きの最後に、警察の捜査に違和感を感じた、最近の交通事故の例を一つ挙げます。交差点で徐行しなかった軽自動車に一切の責任がないというは絶対におかしいのです。右折車は前車に続いての右折だし(だから直進車が見えなかった可能性がある)、園児の列に突っ込んだのは「ハンドル操作を誤った」軽乗用車の方だからです。双方が動いている限り、交通事故では一方だけが正しいという事はあり得ないと教習所でも教えているはずです。軽が急いで交差点を抜けようと加速していた(但しそれは責められない)可能性も否定できないと思います。交通事故では喧嘩両成敗でないとおかしいし、二度と同種の事故が起きないような交通規則の案を(有識者を交えて検討して)提示するのが交通警察の役割なのです。
関連記事。中央線を越えて衝突。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6323145
コメント:当たり前です。そうでなければ右折は出来ないし、衝突もあり得ない。私は軽自動車が交差点先入車優先の規則を知らなかったか、知っていても無視をした結果ではないかと考えています。
1433.衆愚政治への道 19/5/20
薄汚いひげ面の若手お笑い芸人や、やくざ映画で受賞する茶髪の芸人が、滑舌も十分満足ではないのに、無遠慮で無教養な言葉をまき散らす。しかも彼らは芸能界の重鎮だと言われている。高学歴で、主張を明確に持つタレントは、必ずと言って良い程、TV界からは排除される。知識や教養はこの世界では百害あって一利はないようです。
局の方針に逆らわない程度に知能が低く(または馬鹿の振りが出来る)、しかも特徴のある(=というより一風変った)タレントの方が、使い捨ての消耗品としての市場価値が高いようです。タレントの質の低下が、TVや芸能界が、行政(その陰には政治)の権力に逆らう事が事実上許されない、政府とお役所の御用芝居の小屋になる必然性を示しているのです。最も強い力を持つべきは国民ではなく、政治や行政の方がメディアに対して強い影響力を持っているらしい。民放ならスポンサー企業の、政治行政への忖度が番組に反映するのも、良いとは言わないが、分からないでもないが、国民が「スポンサー」であるNHKが、国民の意向を無視するのは筋が通らないのです。
NHKの傲慢さは、カーナビから料金を取り立てるような呵責さにも現れています。もっと言えば、NHKが安倍首相の個人的な報道機関ではないと断言するのなら、NHKが安倍首相に対する批判的な報道や言葉を発したことがあるかどうかを具体的に伺いたい。近年、そんなことは「一度もなかった」ように思うのですが。国民の最大関心事なのに、菅が安倍の後継者だと、内外ではっきりと認識されているという「事実」さえ報道しようとはしないのです。そこには選挙間近の忖度がはっきりと見て取れます。言い分は分かります。選挙が間近に迫っており、国民に予見を持たせるような報道は慎むべしというお達しが、官邸から出ているからでしょう。
日本の公共放送局は、「選挙を機会に、日本を今迄よりも良くしたい」と願っている国民の気持には全く忖度しようとしません。本件に限らず、国民の目線をどこかに置き忘れています。選挙は「現状を変える」ための仕組みなのです。現状維持が目的なら、選挙などは時間と費用の無駄に過ぎません。安倍晋三を終生首相に任命すれば、税金の節約(但し安倍首相には財政健全化は愚か、税金の節約意識も、行革の意識も全くありません)になるかもしれません。これだけ自民党議員が不祥事を山積みしていても(なぜ麻生や片山が大臣を続投できるのか)、自民党支配でいいのだと思っているとしたら、最早NHKは国民の常識が通用しない異質な報道機関というより、特定政党の為の宣伝機関です。民主主義の国でも、北朝鮮の国営放送に最も近い存在がNHKです。
そういうTV放送局に覚え目出度いタレントが、政治やメディアに都合良く働くことは容易に想像できます。だから世界の報道の自由度の評価で、日本のメディアは最低のレベルなのです。「世論誘導」された大衆社会が、国民にとって良い社会である可能性はゼロなのです。ナチスドイツと今の日本がどう違うのか、私のような偏屈な年寄りにでも分かるよう、与党の政治家は説明して頂きたい。これだけ民度が低下し、国家が全体主義化しているのに、国民にはその危機感がなく、1憶総ゆでガエル状態なのです。自分達は別格とおさまり返っている野党も、警鐘を鳴らそうとはしていません。それは人気の下落を恐れて、何もしない(できない)米国の民主党と同じです。
維新の議員の戦争発言は偶然でも、特別でもありません。多くの国民の心の闇に潜む国家主義の雰囲気と、超保守の政治家の全体主義志向から、必然的に出てきた流れが、たまたま国民の眼に触れただけなのです。第二、第三の過激発言が出るのは時間の問題です。そうした国家主義、全体主義への芽を合法的に阻止できるのは選挙しかないのです。日本がこれ以上超保守化したら、その責任の大半は世論を誘導したメディアにあるのです。いや、だからこそ、政権がメディアの一挙手一投足に目を光らせ(萩生X?)、その行動をがんじがらめにしているのかもしれないのです。
選挙まで二カ月を切った大事な時期なのに、メディアは選挙が迫っているという事実さえ報道しようとはしません。なぜなら今が与党の政治家にとってギリギリ危ない時期だからなのです。与党議員の不用意な一言が、与野党のバランスをひっくり返しかねないのです。それなのに選挙に国民は無関心です。少なくともそのように見えます。そこには選挙までなんとか、こと無かれで行きたい、国民を黙らせておきたいという、自民党の意図が見て取れるのです。
安倍首相は改元も(従って皇室も)政権のイメージアップのために徹底的に利用し尽くしました。しかも何故この時期(選挙の直前)にトランプが日本に来るのか。安倍首相への応援としか考えられないのです。ところが万事に甘い安倍首相は、相手がそれを百も承知していることは計算に入れていないらしい。選挙でサービスする代わりに、関税や経済で譲歩する気は無い。だから首脳会談が決裂したのです。それもこれも、安倍首相がトランプに足もとを見られているからなのです。
しかもトランプによる応援は、トランプが大統領選でロシアの力を借りた事件と重なります。内閣支持率が高い内に、消費増税延期を問うという口実でW選を強行し、院政を敷き、菅を傀儡の総裁にして(五輪には自分が出る)、改憲を強行する。英国でも米国でも起きた衆愚政治が、この日本でも姿を現わそうとしています。
関連記事。共同通信世論調査。消費増税反対57.6%。
https://this.kiji.is/502743464531838049?c=39546741839462401
1434.NHKの迷走と妄想 19/5/22
お早うございます。今回も(結果的に)NHKの批判です。
4Kテレビが全然普及しません。それもそのはずで、民放の4局(しかも日テレは不参加)の4K放送は日に2-3本くらいです。人気番組を4Kで同時放送する気もなさそうです。4Kの言い出しっぺのNHKにしても、4K番組は再放送ばかりです。ハードがあってソフトがない。OSがあってもコンテンツがない。いわば「見る番組」がないのだから当たり前なのです。
民放がいやいやNHKの自己満足の4K放送にお付き合いしている雰囲気が、はっきり伝わってきます。我々の高額な視聴料が、技術開発に湯水の如く使われており、一方で技術開発の余裕がない、即ち視聴料収入の無い民放の経営を圧迫していることも容易に想像できます。
総務省もNHKも、五輪を千載一遇の4Kの普及の機会として、あてにしているようですが、4Kが威力を発揮するのは遠景です。五輪では団体球技くらいです。アップ画面が主流の音楽番組やドラマでは、4Kはそれほど必要はないのです。実は4Kは画質だけでなく、音質もリアルなのですが、なぜかNHKは音質をあまり宣伝していません。筆者が今迄放映された4Kの番組で録画を保存してある(4Kで録画が可能)ものは「アラビアのロレンス」、「足立美術館」、「北海道の自然」くらいのものです。映画でも、昔の70ミリ映画やスターウォーズ以外は4Kの意味はあまりないのに、リメークは差の出ない35ミリ映画(シネスコ等)ばかりで、70ミリの大作映画のリメークは殆どありません。ミュージカル映画など、70ミリ以外でも素材はいくらでもあるはずです。
そこで、これは私の個人的な意見ですが、NHKお得意の国家総動員令と、有害無益な偽商業主義に振り回されないためには、まず4Kチューナーだけを用意して、4K番組を既存のハイビジョン画面で試してみる事をお勧めします。なぜなら、4K対応モニターなら10万以下なのに、4Kチューナー内蔵となると、途端に金額が2倍以上に跳ね上がるからです。
ハイビジョン(2K)のモニターでも、諧調が豊かで高精細の4K画像がどういうものかの確認は可能です。画質の差はハイビジョンTVでも分かります。そのうえで、大画面で見たければモニターを買えばいいのです。実際に私は、自分の2KのTVに4Kチューナーをつけて4K番組を見ています。しかもここが重要なのですが、居間の4Kチューナー内蔵TVでも、4K番組を見る事は、実は殆どないのです。なぜなら、4K番組が少ないからです。見たい番組は2K番組ばかりです。しかも仮に五輪を4K放送で見たとしても、感動が二倍になる訳ではありません。昨年末の紅白を2Kと4Kで比較して、つくづくそう思いました。
私なりの結論を言えば、一般的な番組ならハイビジョンで十分であって、4Kはオーバー・クオリティです。極端な言い方をすれば、今は4Kは無用の長物です。下手をすれば3D放送と同じ運命を辿りかねないのです。そんな現状で、追い打ちを掛けるように、8Kまで持ち出すことに、一体どんな意味があるというのでしょうか。NHKの経営者の神経(というよりもはや精神)を疑います。それに8Kの受像機の天文学的な価格を彼らは知っているのでしょうか。4Kという技術に見合った番組制作や、その普及の方法を、いつものようにKYなNHKが知らないだけなのかもしれません。
ついでに敢えて申し上げれば、民意に鈍感な、しかも思い上がったNHKだからこそ、x池報道局長のような思想的に偏った幹部が暗躍する伏魔殿になっているのではないか。一度、他社の記者が直接同局長に質問してみてはいかがでしょうか。でも彼は人前に絶対に出てきません。写真さえ見たことがない。これは「公共放送」としての立場からは、実に奇妙で異常な事です。人前に出られないというのは、彼には報道責任者としてのプライドも意識も責任感もないということなのでしょうか。
これは私の憶測ですが、彼が記者からその政権よりの報道姿勢について質問されたら、必ずこう言うだろうと思います。それは「誰にでも、思想と言論の自由がある」という言い訳です。なぜそう思うのかと言えば、NHKのニュースが、丸山議員の同じ言い訳を長々と流したからです。
主張はあるが匿名でというのもおかしな話で、それなら天下のNHKの報道局長は結局ネトウヨでしかなかったという事にもなるのです。「言論」というのは、正々堂々と実名を名乗り、主張の根拠を論理的に述べ、ジャーナリストの精神を持ち、社会正義のためには権力とも戦う意欲のあるプロのジャーナリストにして、初めて使える言葉なのです。そうではないx池局長の場合、その言い分はネトウヨの匿名の誹謗中傷のレベルでしかなく、責任を伴わない発言を「言論」とは言わないのです。「発言」の自由と責任について、ごく初歩的な理解もできない人物が、公共放送の中枢にいる事の恐ろしさを、国民はもっと理解するべきなのです。x池局長を採用し、その右傾化した言動を許し、現在の地位に留めているのは誰なのかを、選挙前のこの時期だからこそ、はっきりさせるべきなのです。
関連記事。朝ドラ週五。
https://www.asahi.com/articles/ASM5P5FS8M5PUCVL01T.html?iref=comtop_8_02
コメント:何が働き方改革ですか。視聴者無視、自社員中心。サービス精神は感じられない。ならばまず誰も見ない深夜の放送を止めるべきです。民間企業では通用しない、独特の価値観、唯我独尊感が、この国の公共放送局では大手を振って通用しているのです。
関連記事。石破派のパーティーに首相欠席。
https://www.asahi.com/articles/ASM5P759LM5PUTFK020.html?iref=comtop_8_05
コメント:何という小さい人物であることか。到底人の上に立てるような人間ではないのです。好き嫌いだけで政治を決められたら国民は堪ったものではありません。NHKは石破をどう報道するかが見ものです。
関連記事。失言防止マニュアル。
https://www.asahi.com/articles/ASM5N5WVXM5NUTIL02Z.html?iref=comtop_8_01
コメント:一読を。でもいくら言葉面を変えてみても、中身、即ち考え方を変えない限り、どうせいつかまたボロが出ると思います。錦は着てても心はボロなのですから、水前寺清子もびっくりするでしょう。
・天皇即位パレード経路決まる。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019052100806&g=soc&utm_source=top&utm_medium=topics&utm_campaign=edit
関連記事。安倍首相が旗に揮毫。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019052101151&g=pol
コメント:安倍首相の為のイベントです。だから関心はありません。しかし改元イベントへのNHKの入れ込みようは異様です。あれほど皇室が簡素にと言ったにもかかわらずです。MHKは何処を向いて仕事をしているのでしょうか。
・NHKの人事に介入する安倍政権。
https://www.asahi.com/articles/ASM5K672RM5KUCLV00L.html?iref=comtop_8_01
コメント:これでは小池局長が暗躍できるはずです。まさに安倍首相のNHKの私物化です。