「WTWオピニオン」

【第85巻の内容】

「立川志の輔」
「自動車メーカーは傍観者でいいのか」
「退位の本当の理由」
「年金と政府」
「安倍のトランプ再選支援は反則行為」
「民主主義は降っては来ない」
「枝野の孤独」
「米軍の本音」
「本人の覚悟の問題」
「マルチ商法」


1446.立川志の輔 19/6/9

ついに立川志の輔の落語のチケットが手に入ったので、聞いてきました。パルコの公演を聞きたいので、年初だけワウワウを契約していたが、それも最近ではやらなくなりました。チケットを取るのが最も難しい落語家の一人ですが、人気があると言っても、「人情の薄い、奥行きの無い」若手の落語家とはレベルが違います。そもそも若手にありがちなミス(噛む、間違える)もありません。反面教師で言えば、笑点に並んでいる人たちはタレントではあっても、落語家(噺家)とは言えません。志の輔の師匠の立川談志には、仕草や言い回しにわざとらしさがあって、好きにはなれなかったが、こういう反骨の落語家が育ったのだから、それはそれでいい仕事をしたのだろうと思います。
「ガッテン」だけ見ていても志の輔の本質は分かりません。一度本物の落語家の本物の落語を聞いて頂きたい。今それが出来るのは、私は小三治と志の輔だけだと思います。自分が死ぬ前に、或いは二人がいなくなる前に、長時間の落語を聞いて頂きたい。笑点の若手或いはデモシカの噺家に決定的に欠けているものは、話術です。話術の実力がない噺家の落語は、聞いていても上滑りで空疎です。
古典落語は江戸文化の神髄であり、日本の文化のルーツの一つです。志の輔は現代落語のリーダー的存在ですが、実は古典落語の方がもっと良いのです。騙されたと思って、一度高座を聞いて頂きたい。こればかりは自分で聞かないと伝わらないし、それも生が一番いいのです。因みに私が聞いたのは「抜け雀」です。
聞いて楽しくなければ、落語ではありません。人を楽しませる。さらに話術が上達すれば、それが感動になる。そこまで行けば芸術です。それが落語家の本質だと思います。その前提は何処まで人間性を理解しているかです。その点でも、若手の落語家は未熟です。
関連記事。噺家過多で戦国時代。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2019060202000193.html



1447.自動車メーカーは傍観者でいいのか 19/6/10

6/9のTBSのサンデーモーニングで、コメンテーターの田中秀征(元衆院議員)が、踏み間違い事故に関して有益なコメントをしていました。自動運転は感覚が全く異なるので違和感が先に立つ。それより運動機能を正常に保つためには、マニュアル運転が良いというものです。これは、発進する前に、一度クラッチを踏むという動作が入るので、間違いに気付き易いからだとしています。 私としては、半ブレーキ(坂道発進のためについている車がある。編集子の場合も)を使えば、急発進は防止できると思っています。そしてバックでの飛び出し(そもそもバックは徐行で十分のはず)を避けるために、車が警告のアナウンスをすれば良いのです。「ギアがバックに入っています。後方は確かめましたか。急加速しないように、半ブレーキがかかっていますので、ゆっくりと発車して下さい。前進に切り替えれば、半ブレーキは自動的に解除されます」。バックでの急発信を望む者など一人もいないのです。なぜこれを運輸省(国交省)も自動車メーカーも理解しようとしないのか。運転者の姿勢の崩れるバックでは、時速6キロ以上出ないようにすることなど朝飯前のはずだし、駐車専用ギアを設けることも容易に出来るはずです。
ちなみにバック走行ではないが、福岡の暴走事故は、トヨタのエスティマです。この場合、運転者が意識を失っていた可能性があるという指摘もあります。走る凶器どころか走る棺桶(過激表現ご容赦)です。障害物を検知したら自動ブレーキが掛かるというの最近の車の売りのはずです。それなのにプリウスやエスティマのような人気車種に、なぜそれがついていないのでしょうか。EVや自動運転より、こっちの方が先でしょう。

・クルーズ船急増で税関苦悩。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45875520Y9A600C1EA1000/
コメント:富裕層の増加は貧困層の増加を伴います。しかもそれは経済のアンバランスを引き起こす。経済構造が歪んでくると国も変調を来たします。今の日本のように。
そもそも高額のクルーズは観光産業ではあっても、経済再生産には結びつかない壮大な無駄遣いであり、いわば浪費に過ぎません。私はこれを世紀末現象の一つ(ソドムとゴモラ)だと見なしています。近い将来、クルーズ船のさびた巨大な船体が、浜辺にうち捨てられる日が来るのかもしれません。地球のディストピアです。
所得を再配分して平等にしないと、そのうち暴動どころか革命が起きるでしょう。国民の多くを生活苦から解き放ち、自由な発想で創造的な活動を展開して貰わないと、いずれ世界が行き詰まる事は間違いないでしょう。そして人間らしい生活を保証し、考える時間を持つことで、人類が精神的に成長する、人類2.0にならないと、人類も地球も滅亡すると「マジ」に考えて(というより懸念して)いるのです。



1448.退位の本当の理由 19/6/11

アマチュア・ジャーナリズムでは、どこまで正しく世界の形を伝えられるかに、存在意義が掛かっています。

ところで6/9の参院決算委員会は痛快でした。委員会の性質上、年金が主なテーマになっていましたが、蓮舫も大塚もポイントを突いていました。根本は完全にコケにされていました。というよりこの大臣は不適任も良いところで、存在そのものが大ボケなのです。ところがNHKを含む大手メディアは、そうした失態を全く報道しようとしない。なんで今更、同d目尾いい大臣に、忖度する必要があるのか、全く理解できません。(日本のように)メディアが正常に機能していない国では、真の民主主義は期待できないのかもしれません。
ニュースでは取り上げていないが、中継ではこんなシーンがありました。大塚が根本に、年金の問い合わせがフリーダイヤルとなっているが、有料かどうかという質問をしました。ところが直ちに答えられず、たまりかねた隣席の世耕が、フリーダイヤルだからフリーだろうと言葉を掛けていました(声は聞こえないが口の形で分かりました)。ナビダイヤルなので実際には有料だったのです。つまり結果的に大塚は大臣二人をまとめてコケにしたわけです。
それはともかく、大塚の、日銀の金融緩和政策にはもはや出口がない、残っているのは金融の再構築だけだという指摘は重要でした。共産の小池も追及していましたが、大塚にはにこやかに対応した首相も、小池の追及には顔色を変えて、声を荒らげていました。底が浅いと言えばそれまでですが、そもそも大塚は自民党の味方ではありません。
関連記事。老後2千万円年は不正確。
https://this.kiji.is/510704672869500001?c=39546741839462401


ところで時間を改元前に戻します。思想家の内田樹(たつる)は、私が価値観を共有する有識者の一人ですが、彼が2017年に出した「待場の天皇論」東洋経済新報社、を斜め読みして、共感した部分を、二カ所ご紹介したいと思います。特に前半部分のような見方をしているのは、内田と私だけのようですが、もし機会があれば、上皇陛下に直接お気持ちをきいてみたいと思っております。後半は、自分でもこうありたいと願っている姿勢です。

「天皇制」と「民主主義」
今上天皇の「生前退位の意向」リークは、どういう意味があるのでしょうか?
天皇のご意向が宮内庁の暗黙の了承抜きでリークされるということは現実的にはあり得ないので、慎重な政治的配慮があった上でのことだと思います。ただ、リークの政治的意図が何であるかは、まだ判然としません。
参院選(2016年7月10日)の3日後という日付を考慮すると、安倍政権が改憲に向かって加速するはずの選挙結果に対する天皇からのシグナルと解釈することが可能だと思います。フランスの『ル・モンド』紙も「改憲を牽制する動き」だと解釈しています。海外メディアは遠慮がないから、はっきりとした解釈を語ります。僕も同意見。ではなぜ天皇は改憲に対して抑制的なのか。
自民党の改憲草案では、天皇は「象徴」から「国家元首かつ象徴」に「格上げ」されています。現行憲法では、天皇の国事行為は「内閣の助言と承認により」とありますが、改憲草案では「内閣の進言」しか必要とされていません。内閣の「承認」が国事行為の要件から外された。つまり、憲法を弾力的に解釈するならば、天皇は内閣の承認がなくても、憲法改正や国会召集や衆院解散が「できる」ということになる。運用次第では、明治憲法下の統帥大権に近い実力を持ちうるような「解釈の余地」が残されているということです。
戦前は「統帥権」という大義名分を掲げて、帷幅上奏権を独占する軍人たちが内閣や議会のさらに上位に立つということがありました。そのせいで日本は悲惨な敗戦を経験したのですが、自民党改憲草案はその歴史的経験から学ぶ気はないようです。天皇の御威光を背に「畏れ多くも畏き辺りにおかせられましては」というマジックワードで国民をひれ伏させ、超法規的な権力をほしいままにした大日本帝国戦争指導部の前例を懐かしんでいるのでしょう。そのような政体を実現するためには、天皇は内閣や議会の上位に君臨する超越的権力者として、「御簾の彼方」に姿を隠していることが望ましい。何を考えているかわからない。いかいない。人目の及ばぬ宮中奥深くに身を潜めて重臣たちによって「媒介」される以外にその真意を知りがたい存在でなければならない。
そういう改憲派の狙いからすると、「生前退位」というのは許しがたい選択肢に見えるはずです。というのは、それは天皇が個人としての意思を持ち、その苦悩や迷いを肉声で語り、傷つき病む生身を有しているということを明らかにしてしまうからです。天皇を国家元首に祭り上げて、自分たちの「好き放題」に権力を揮いたい人々からすれば、天皇が生身の身体を持つことは許されない。(以下略)

「大衆の変遷」
政治闘争に背を向けて、銀座で買い物をし、後楽園球場で歓声を上げる人々は、果たしてその政治的無言を通じて何を言わんとしているのか。それは岸が言うように「パンとサーカス」が提供されるなら独裁も対米従属も受け入れるという退廃のシグナルなのか、果たして大衆は無言であることを通じて何を言おうとしているのか。その「無言の翻訳者」の任に誰が就くべきなのか。権力者か庶民派の詩人か、いずれがこの「非政治的大衆の無言」の代弁者の資格を占有できるのか。そのしのぎを削るような戦いこそが戦後政治思想の最前線なのだと見通した点に吉本隆明の天才性は存する。
吉本が洞察したのは「知識人」というポジションにとどまる限り、「大衆の代弁者」の地位を要求することはできないということであった。それができるのは、生活者として大衆でありながら、その日常体験を掘り下げ、汎通性のある思想の言葉に変換できるだけの知力をもった人間だけである。(以下略)




1449.年金と政府 19/6/14

2千万円の報告書は間違っていません。年金が足りないという真実を伝えているからです。その事実に背を向けて、報告がなかったことにする。「あったものをなかったことには出来ない」と言ったのは前川元文部次官です。目の前の事実さえ隠蔽、無視、偽装する。安倍政権特有の怪奇現象、安倍清明の超常現象です。そして報告書を反故にして、現状を容認してしまうと、次に何が起きるのか。国民サイドでは年金が不足しているのに、十分だという暗黙の理解になってしまうのです。となれば原資が減るから、支給ももっと減らしたいと言い出しかねない。そうなるともはや国民は生きて行く事さえ出来なくなるのです。でもそのときにも、政府は年金は十分支給されていると言い張るでしょう。今のように。
関連記事。炎上する老後2000万円問題。最悪は麻生。
https://diamond.jp/articles/-/205313
関連記事。年金報告書、逃げずに実情を語れ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019061202000177.html
関連記事。政府は資産形成のすすめから逃げるな。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46006000S9A610C1SHF000/?n_cid=DSTPCS001
関連記事。資産形成、50代の半数は手遅れ。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/06/50-27.php

一方で公務員のモラルの低下が目を覆うばかりです。
関連記事。総務官僚、わいせつ容疑で書類送検。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6326496
関連記事。拾得物の100万円盗む。警視庁職員。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6326500
関連記事。青森県三戸町議会、自主解散否決で町民の怒り。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6326488
関連記事。長女殺害、市職員逮捕。
https://www.asahi.com/articles/ASM6D7FXXM6DUOHB01B.html?iref=comtop_8_01
コメント:公務員(含む官僚、議員)のモラルが惨状を呈しています。これも突き詰めれば行政の長(=首相)の責任です。しかも世間では、かつてなかったほど、親殺しや子殺しの事件が多い。日本は世紀末の様相を呈しています。安倍政権の政治姿勢が、こうした世間の正義感と論理観の喪失、絶望感と無関係とは言わせない。トップが不正を意に介さないのだから、下々もやりたい好き放題で何が悪いと思うのが自然でしょう。しかも捕まるのは下々だけなのです。そういう意味でモリカケ問題の首相の責任は万死に値するのです。自己抑制力も限りなくゼロに近づいており、上も下もキレやすくなっています。何でもありになってきているのです。モラルハザードが蔓延しているこの国の、どこが美しい国なのでしょうか。

・猪木、北への渡航認められず。
https://www.47news.jp/news/3661979.html
コメント:馬鹿を言ってはいけません。北では、安倍より猪木の方が、よほど信用されているのです。安倍が拉致問題を放置している間に、猪木はたった独りで国交を維持してきたのです。硬軟双方の手ゴマを揃えておかないと、外交などやって居られません。そんなことも分からずに、なにかあればタカ派一辺倒の、小さなワンマン安倍首相は、自分を過信して、なんでも自分で決めようとして、何の成果も上がっていない。そして首相に意見する者は党内には一人もいない。まさに裸の王様です。ところで石破はどうなった。メディアにも出てこない。ポストアベの動きが止まってしまい、安倍の下で団結して参院選を乗り切ろうとでもしているのでしょうか。
関連記事。北朝鮮。300か所以上で公開処刑。子供に見学強制も。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/06/300-6.php
コメント:遅かれ早かれ、人道にも人間性にも違反している金王朝は斃れる運命にあるのです。それが分からないほどの馬鹿ではないから、金正恩は米国との関係修復を急ぎ、米国に体制の維持を要求したのでしょう。でも金正恩とその後継者が独裁体制を維持すれば、また国民が殺される。ならばトランプは金正恩を転がして、泳がしておいて、その間にCIAを使って民主化運動を起こさせ、金体制の自滅を待った方が、国民は救われるでしょう。そうなれば、初めてトランプの移り気が逆効果を発揮するのかもしれないのです。いずれにせよ、文大統領の融和政策には、効果もなければ、何の意味もないということになります。
というように考えてくると、安倍首相がトランプとの友情関係を宣伝することには、虚しさと頼りなさを感じます。いつ安倍首相が、金正恩と同じ立場に立たされるか分からないからです。しかもその時に安倍首相を助けてくれる国はいないのです。トランプの子分に、誰が手を差し伸べたいと思うでしょう。
アベトラの友情物語はティッシュのように薄く、吹けば飛ぶようなものなのです。いつなんどき、アニキに「裏切られても」おかしくないのです。即ち安倍首相の勝手な思い込み(スネオのくせにジャイアントと対等だと思いたい)と「甘ちゃんぶり」のお陰で、日本の国民が近い将来苦難を強いられることにもなりかねないのです。タカ派ならそれらしく(ドウテルテのように)、もう少し毅然していてもいいのではないでしょうか。
関連記事。成果が問われるイラン訪問。何をもって成功と呼ぶのか。
https://www.newsweekjapan.jp/mutsuji/2019/06/post-66.php
コメント:単なるトランプのパシリです。昨日のwtwの標語を繰り返します。「イラン行き、どうせダメモト、お気張りやす。それでも相手が世界では、いつもの嘘は通じない。その場しのぎも無理でしょう。ムスリム分からぬ代表の、外交能力、正念場。一番心配されるのは、いつものばらまき外交で、トランプの財布代わりなら、日本の代表資格なし。帰国の必要ありません。グアムへの移住を勧めます。島の酋長も似合うでしょう」


・老後資金2000万円必要は歴然の現実。
https://diamond.jp/articles/-/205453
関連記事。年金だけで死ぬまで遊んで暮らせるとミスリードしたのは誰か。
https://diamond.jp/articles/-/205456
関連記事。日本の年金積立金、20年分不足。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019061301255&g=eco
関連記事。年金水準、世界では。
https://www.asahi.com/articles/ASM6D6V30M6DUHBI04F.html?iref=comtop_favorite_02
関連記事。水晶玉を壊した王。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2019061302000144.html
関連資料。高齢社会における資産形成・管理(ダウンロード-出来ます) https://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/tosin/20190603/01.pdf
:こういう議論になるから、日本の有識者という連中は箸も棒にもかからないのです。誰も「遊んで」いないし、遊ぼうとも思っていないのです。それが出来るのは「富裕層」か、役員まで勤めた「高額年金受給者」だけなのです。そもそも高齢者には働きたくても職場がない。せめて月に5-10万でもと思っても、清掃も、店員も、高齢者には体力的に無理なのです。要は職がないのです。

しかも非正規に至っては年金さえない。今でも多くの人は「足りない」どころか、「生活できていない」のです。年金が月の5-10万という高齢貧困者が現実に山ほどいるのです。しかも非正規雇用には年金さえない。日本の経済評論家(と与党の政治家)は基本から理解が間違っているのです。いま日本で必要なものは、年金制度の不均衡の見直しと、ベーシックインカムの検討です。そして不足分を補える「高齢者向けの」失対事業です。

そもそも年金受給額に大きな差があるというのもおかしな話であって、年金こそ必要で十分であれば良いはずです。最終給与を基本にすることが間違っていて、実際に高額所得者の中には、年金などはいらないと断る人もいます。それはそれで潔いと思いますが、平均的レベルでの健康な生活を保証するのが年金制度の目的のはずです。給付水準は現役時代の給与(したがって保険料納付額)にリンクさせるというのが、年金基金の運用面では理解しやすいことは分かるが、負担感という面で言えば、貧困世帯の月1万は、富裕層の5万にも匹敵するのです。しかも生きてゆく上で最低限度掛かる費用というものにはそれほど大きな差はないのです。

一方で不労所得というものもある。(亡くなった人には申し訳ないが)元農水次官の子弟は親(主として母親の不労所得)の金で、「遊んで暮らした」挙句、家族に暴力を振るい、自暴自棄になった。本人にとっても、周囲にとっても、意味のない人生を送ることになったのです。必要な人にはいきわたらず、必要でない人には使いきれない資産があるのです。

質素に生活すれば生きていける事が年金の最低条件です。それ以上、更に余裕のある老後のためには、現役時代から積み立てを行うというのがあるべき姿でしょう。昭和ならともかく、時代は変わっており、さすがに今どき子供に生活の面倒を見てもらう親はいないと思います。自立が前提です。一介の会社員に過ぎなった私の老親でさえ、最期まで自分の金銭面の面倒は自分で見ていました。私がいま、日々雑文を書いて過ごしていられるのも、親が自立してくれていたお陰なのです。

一方で現役世代は現役世代で、子弟の学費は高く、家のローンもある。積み立ての余裕はないのが実態でしょう。高齢者世帯でも、更に高齢なその親や、中年になっても独立できない子供に手が掛かっている世帯も相当数あるはずです。それらの費用は金融庁の計算には入っていないのです。しかも金融庁の計算と、生活者の実感には、大きな差があります。負担感が大きいのは、金額が大きくて、その割に見返り感がない、医療費(3割自己負担)と介護保険料、そして政府は言わないが市民税です。しかもそれが年間で何十万という馬鹿にならない金額なのです。

即ち高齢者は年金を貰うだけだと思うのは大きな間違いなのです。金融庁の年金試算は公的負担を低く見積もりすぎています。年金の手取り額(可処分所得)は、6割か良くても7割止まりなのです。誰も「豊かな」暮らしなどしていないのです。だからクルーズの話など聞くと、一体どこの世界の話かと思います。天引きで上納させられる金額に比べたら、消費増税分などたかが知れているとも言えるのです。天引きに近いものとしては、他に火災保険や自動車保険等もあります。それでもなお、高齢者の費用負担(出費)の内で、もっとも大きいものが、医療費(含む健康保険料)と「税金」と各種「保険料」であることだけは再度指摘しておきたいと思います。

出ていくばかりの年金なのに、それを補填する手段が高齢者にはありません。下手に株に手を出せば、退職金をすってしまうのがおちです。ではどうするか。再雇用は企業の好意(お情け)が前提であって、あてには出来ません。高齢の準備は、高齢になってからでは遅いのですが、かといって現役世代で出来る事も限られます。分かりやすいのは、公的年金の不足分を補うために個人年金を積み立てる事ですが、これは負担のわりに給付が少なく、頼りにはなりません。しかも給付には年限があります。

いま思い返しても悔しいのは、莫大な金額を払ってきた生命保険です。これは詐欺に等しい仕組みだと思います。生涯で1500万払っても、最終的に保証されるのは500万程度です。よくもこれを政府が看過していると思いますが、保険会社は国民から召し上げた潤沢な資金で外国の土地を買い、しかも大損しているのです。

真面目に働いたものは、現役を退いたら、なるべく早く(しかも貧困の中で)死んでほしいというのが自民党政府の方針(本音)だとしか思えないのです。一方で使いきれない年金を貰う人もいる。この問題は突き詰めれば、現役時代を含めて、日本全体で所得の配分がうまく機能していないことに問題があるということになります。お笑い芸人が(というより有名でありさえすれば)富裕層だ(使い切れないほどの収入がある)という点を見ても、日本の経済には明らかに歪み(不健全さ、不均衡)があるのです。そして経済的なアンバランス(格差)はいつか起きる「革命」を予感させるのです。

直近で国民が年金問題(=生活の問題)をなんとかしたいと思うのであれば、いまするべきことは、経済に疎い(しかもIQにも問題がありそうな=失礼)安倍や麻生の代わりに、経済に詳しい大塚耕平を首相に、藤巻を財務大臣にすることです。日本の経済と財政を、富裕層と権力層の手から取り上げて、国民による国民のための経済にすることなのです。



1450.安倍のトランプ再選支援は反則行為 19/6/15-6/21

トランプの大統領予備選を有利にするために、なぜ日本が経済的負担を負わなければならないのか。第二のロシア疑惑であり、ここまでくれば安倍首相の対米政策は、完全なケX舐めとしか言いようがなくなります。そうまでしてでも自分が首相を続投したいのでしょうか。自分で自分の首を絞めるのは勝手ですが、日本の首まで絞めようとしているのです。情けないというより、もはや国賊に等しい。トランプの続投を許さないことが、世界にとっても、日本にとっても、そして何より米国人にとって、ベストな選択であることは、誰にでも分かる自明の理なのに、お馬Xな王様、安部真相にはそれが分からないようです。100年どころか5年先も見えない者に、国の代表は相応しくないのです。
関連記事。トランプ型かリベラル型か。パンドラの箱が開かれた時代のリーダー論。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/06/post-12314.php

・年金制度に無理。
https://diamond.jp/articles/-/205569
コメント:積み立て方式を変更したことが問題です。消えた年金問題と言い、厚労省とは一体どんな役所なのか。組織にメスを入れる時期だと思います。具体的に言えば、厚生省と労働省を分けるべきなのです。統合で全体の管理がルーズになっています。但し、無能を絵に描いたような現厚労大臣には相応しい役所もしれません。

・安保法、明白に9条違反。元法制局長官。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201906/CK2019061402000139.html

・プーチン。北方領土引き渡す計画ない。
https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019062201002291.html
コメント:あっちにうろうろ、こっちにペコペコ。いくら国税をばらまいてもそれらしい効果はない(専用機の費用も国民に報告して欲しい)。イランではガキの使いにもならなかった(米国のパシリで来たわけではないとキチンと説明したのか、しなかったのかも不明)。そのくせ国民(国会と野党)には威張りたがる。どこの誰とは、敢えて言わないけれど。

・首相、勝敗ライン、与党過半数。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6327625
関連記事。負担増、軒並み先送り。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6327618
コメント:選挙の為なら、なりふり構わず。むしろ選挙に掛ける熱意と努力が立憲のそれとは桁が違う。過半数取れればいいという目標も現実的。だから勝敗は選挙前からついている、とも言える。野党でそれを百も承知しているのは、小沢と共産党だけ。枝野、長妻、辻元、蓮舫の四(馬鹿)大将は象牙の塔にお住まいのようで、結局何もお分かりではない。国民は理屈だけでは動かない。だから専門馬鹿なのです。




1451.民主主義は降っては来ない 19/6/17

・香港、完全撤回求め200万人デモ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190616-00000039-jij-cn
関連記事。年金払えデモに2000人。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190616-00000046-jij-soci
コメント:しかし日本ではなぜ大規模なデモが起きないのでしょう。これだけ安倍政権が、見せかけの言い訳だけで、好き勝手にやっているというのに、日本の国民は大人しい。但しメディアが、デモの報道を控えている可能性も無視できません。

一方で、日本人は民主主義の意識がかなり希薄なのかもしれません。だとすれば、それは日本の民主主義が、国民が自らの手で勝ち取ったものではないからでしょう。そもそも明治維新は、藩と幕府の権力闘争であり、だから政党名に維新をつけるのは、自分達は民主主義を標榜していないと名乗るようなものなのです。

民主主義は本来、権力者から与えられるものではありません。それだと矛盾します。福祉でも軍備でも徴税でも、一般国民の利益は、権力層、富裕層の利益とは相反するからです。しかも権力の本質は独裁なので、従って余程高潔で自制心が強くないと、政治権力者は民主主義者とイコールにならないのです。自民党の振る舞い(とりわけ安倍、麻生、菅、二階)を見ていれば、それが良く分かるでしょう。

民主主義の精神と制度は、本来「与えられる」ものではないのです。権力者(国王、或いは独裁者)と市民(被支配者のニュアンスが強い人民という言葉は使いたくない)が争い、「無理やり」勝ち取るものなのです(英国、フランスを見よ)。しかもマグナカルタと同様、憲法は独裁権力を否定するものなので、権力者から勝ち取るべきものなのです。

かたや日本の平和憲法は、戦争直後に、日本が再度、軍国主義国にならないようにという願いを込めて、米国が起草し、日本の国会で承認されたものです。文案を作った米国の女性官僚は、もっと高く評価され、国会の前に銅像が立てられてもおかしくないと思います。但し超保守の安倍晋三は、絶対にそれはしないでしょう。

しかし(ここからが大事です)日本の国民はそれを「押し付けられ、意に沿わないもの」とは思わなかった。それまでの日本の、軍部が壟断する独裁政治が余りにもひどいものであったので、当時の(或いは建国当時の)米国の民主主義、特に国民主権や自由平等を掲げた平和憲法を、貴重なものとして受け入れたのです。自由民権運動などがあっても、事実上、民主主義が存在していなかった、日本という政治的に不毛な国に降った慈雨、それが平和憲法だったのです。

今や、本家の米国でさえ民主主義がポピュリズムに変質して、軌道を外れて暴走し始めているときに、米国建国の精神を平和憲法という形で引き継いだ日本が、極東で、形式だけであっても、米国の民主主義を守ってきたのです。即ち米国から与、えられたというよりは、教えられた憲法を、日本の国民は慈しみ、守り育ててきたのです。養子でも、早自分の子であることに変りはないのです。だから平和憲法は既に、「日本の国民憲法」なのです。

自民党の改憲案に付きまとう違和感は、憲法への理解が180度違うからです。自民党の憲法改正案は、国民の為の改正ではなく、権力層、或いは既得権者の為の、条文の書き換えです。持たざる者にも平等な権利を保障する民主主義なのに、持たざる者から取り上げて、更に持てるものに付け替える。それが「自民党」の憲法であり、民主主義なのです。

最近、頻繁に起きる殺傷事件も、精神的に追い詰められた、極めて個人的な自暴自棄の結果であると割り切ることは出来るが、(不公平な)社会に対する不満が、背景には全く無いと言えば、言い過ぎでしょう。そういう社会の底流についても十分に理解しておかないと、いつなんどき、個人レベルを超えた騒動が起きないとも限らないのです。しかも政府が規模の大きい不穏な予兆をつかんだとしても、多分それは公表はしないでしょう。とりわけ安倍政権ではそれが顕著で、自分達に都合の悪い情報の隠蔽と改ざんは日常茶飯事だからです。その代わりに政府がやりそうなことは、「不満分子」を排除するために、今後検察、というより公安が活躍の場を広げる事です。そうなると最早民主主義以前の独裁政治、警察国家の到来です。中国と同じになってしまうのです。

大規模な抗議行動の予兆があれば、それは安倍政治がうまくいっていないことの証明になってしまうし、社会不安をあおることにもなると安倍政府は思うでしょう。しかも情報源のメディアが、あからさまに権力に忖度しているので、国民にはなお一層、社会の本質も底流も見えにくくなっているのです。実際に何が起きて、物事がどうなっているのかが、国民には分かりにくい仕組みになっているのです。

ところが政府とは、所詮、国民が行政を負託している「実態の伴わない架空の組織」でしかないのです。だからこそ、政治の主体であり、主権者で受益者でもある、国民自らが、政治の不正(安倍政権では特に目に余る)や不合理に、敏感になり、「議員に丸投げせず」自らの頭で考え、自分で判断し、行動に表さない限り、永遠に日本には民主主義はやってこないのです。政府は基本現状維持なので、特に抜本的な改革は苦手、というよりやる気はないでしょう。だから改革は国民が自らの手でやるしかないのです。

ところで改憲です。改憲は政治改革とは何の関係もないのです。しかも自衛隊に居場所を与えるためだという安倍首相の説明を鵜呑みにしているようでは話にならないのです。そこには非常時(戦争、災害)には、首相に超法規的な非常大権を与えるという条文迄含まれているのです。このどこが国家権力に対する国民の権利を保障する法律なのでしょうか。自民党改憲案の随所に、国民の権利を制限する為の条文が散りばめられ、国民はもっと国家の為に奉仕せよという、まるで戦前のような内容が盛り込まれているのです。権力者の権限を拡大し、国民の権利を制限する法律なら、もはやそれは憲法の名には値しないのです。

ミニテロが横行する風潮は、しいたげられた者たちの不満の爆発だと見なすことは可能です。但し加害者の意識は低く、自分の周囲のせまい範囲でしか物事を把握していないことから、勢い家族や身近の人たちが直接の被害者になっているのです。追い詰められた人たちの駆け込み寺を用意し、社会の懐を大きくして、多様な価値観の人たちに居場所を提供することで、初めて無差別殺傷事件の根を取り除くことが出来るのです。安倍政権の臭いものに蓋では問題は解決せず、自暴自棄の犯罪(ミニテロ)が更に増える恐れがあるのです。

国民が自らの手で勝ち取る革命という言い方が不穏当なら、「国民が推進する抜本的な政治改革」を経ないと、日本に本当の民主主義は来ないのではないか。そのためには、自民党から「与えられた」権力者優先の制度や配分に満足せずに、国民が精神的に飛躍(ジャンプ)して、言い換えれば市民2.0になり、政治制度や選挙制度をゼロから見直すことが、避けて通れないプロセスなのではないのでしょうか。しかも日本が世界に先駆けてこの改革即ち、一段階アップ(人類2.0)することで世界に手本を示し、そこで初めて人類全体が21世紀を生き延びることが出来るのだと思います。まさに日本が置かれているピンチこそが、人類にとってのチャンスなのです。灰色の無気力な世界からの人類の脱出こそが、我々21世紀の市民に課せられた宿題なのです。



1452.枝野の孤独 19/6/18

・枝野には闘う姿勢が見えない。
https://www.asahi.com/articles/ASM6K5CQMM6KUTFK00Z.html?iref=comtop_8_07
コメント:(いまは)安倍と戦っても勝てないという思い込みが前提にあるからでしょう。やる気が無いというよりは、やっても無駄だという冷めきった判断だと思います。前原が(政権奪取のために以前にも増して)保守に歩み寄ってはみたものの、小池ゆり子に手ひどく裏切られて、希望の党は見事に空中分解してしまいました。根は超保守で、しかも排除の論理まで持ち出したペテン師を担ぐことで、前原は失敗し、政治生命を失ったのです。そして希望の党を良しとせずに(やむなく)一人で立った枝野が、リベラルな国民に、ほかに選択肢がなかったというタイミングが幸いして、(棚ぼた式に=失礼)党首になったのです。

ところがその後がどうにもよろしくなかった。一切の妥協を排して、自分が政治信念を貫いたからこそ、選択されたという「成功体験」が災いしたとしか思えない言動が続いたのです。自民、公明、維新、希望という保守政党ばかりの中で、立憲がリベラルにとって殆ど唯一の選択肢だったので、票を集められたのだという「客観的事実」に背を向けてしまい、自分が枝野だったから選ばれたという錯覚に浸り始めたのです。如何なる妥協もしないという枝野の剛直な姿勢は、政治的な信念を貫いているというよりは、何が何でも我が道を行くという、融通の利かないネガティブな印象を与え始めたのです。

枝野は一度全てを失いました。残ったものは自身の政治信念だけだった。だからこそ、それだけは死守しないと、もはや自分には何もないと思ったことでしょう。それはある意味当然ではあるが、見方を変えれば、それは無責任な割切りであって、開き直りでもあるのです。だからこそ、妥協と統合で政権奪取だけを目指す(決して諦めない)小沢の数の論理とは相いれないのです。

それよりも枝野で気になるのは、立憲結党当時、自分こそ保守本流(安倍派は偽保守)だと言い切ったことです。これからの日本(の政治)には、保守もリベラルもないと言ったのです。でもこれでは、リベラルな国民の民意の受け皿がなくなります。国民民主は国民で、希望の党の後遺症で、未だにどこかに保守の雰囲気を引きずっている。かといって共産党を選択するのには心理的抵抗がある。リベラルな国民が、行き場を失うような状況を作り上げたこと。それは枝野の直接の責任ではないにしても、結果的に最大の罪なのです。

この前書きには長い話を縮めると、政治は(枝野のように)「てやんでぇ」で済ます訳にはいかないということなのです。不正さえも正当化し、自浄作用とは無縁な安倍政権を退陣させることこそが、日本に民主主義と社会正義を復活させるためにどうしても必要なことなのです。枝野の何が悪いと言って、そういう国民の不満や不安を、見て見ぬ振りして、民意に応える努力を怠っていたことなのです。

しかも国民民主には、玉木はともかくとして、大塚や原口といった役者が揃っている。政治は詰まるところ人であるならば、立憲は人材面での中途半端感がある。長妻と辻元だけでは持たないのです。

国民が(再び)立憲を選ばざるを得ないような、充実した、しかもリベラルなカラーを打ち出すこと。そしてその為には、党首の枝野が、自分がなぜ国民に選ばれたのかという原点に立ち戻り、民意に応えてゆくことが、唯一最善の政策なのです。立憲という政党名なのに、改憲を持ち出しているようでは、話にならないし、国民を混乱させるだけなのです。

立憲の体質が今のままなら、国民と立憲の両方があることの方が、むしろ国民にとっては幸いなのかもしれないのです。

・年金報告書に関する質問には回答しないという閣議決定。過去にも数々の珍決定。ツイッターに非難の声。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190620-00010011-jisin-pol
コメント:(無批判で丸投げの国民以外には)こうした珍政府の珍風景は、選挙では決してプラスには働かないでしょう。ここまで国民を馬鹿にすれば、もはや芸術の域です。しかもその背景には、いくら悪事を働いても、評判を下げても、結局は自民党が勝てるという虫の良い思惑があるからでしょう。一党独裁はもはや中国だけではないのです。日本の国民はゆでガエルになった挙句、骨の髄までしゃぶられるのです。
いま思えば、モリカケ疑惑が、官僚の国民への背信(裏切り)でうやむやにされたことが、自民党の増長と逸脱を後押しし、安倍政権が日本と国民に大きな被害を与える暴走の基礎を形作ったのです。しかもその後の佐川がどうなったかを報道する者さえいないのです。安倍晋三閣下は現代日本に蘇った岸の亡霊どころか、ヒットラーの再来です。なぜならヒットラーは「言葉巧みに」国民を操り、自分に都合の良い方向に誘導してゆき、結果的に国を破滅させたからです。それと同じことが、令和の日本でも現実に起きているという実感がないと、このままずるずると日本は(民主主義の破壊と財政破綻という)崖っぷちに向かって進んでゆくしかありません。

・野党には解散に追い込む迫力ないと自民党。
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20190620-00000466-nnn-pol
関連記事。野党共闘に温度差。(図があるので一読を)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO39480010X21C18A2000000/?n_cid=SPTMG002
コメント:自民党は枝野に感謝すべきです。枝野は、自分は趣旨を曲げずに、正論だけ述べていれば良い。そうすれば、志のある国民は自分に付いてくる(べきだ)と思い込んでいるようです。でもそういう待ちの姿勢即ち、口先だけで体重が乗っておらず、身体を張る気のないことが分かってしまうと、選挙で勝てるはずはないのです。やる気のない野党という点では、立憲は米国の民主党以下かもしれないのです。一方、玉木は玉木で、率直に言って、迫力はありません。だから最早投票前に、参院選の結果は見えたも同然なのです。同日選は、自民党にはもうやる必要もなくなったのです。今後も自民党の悪の帝国が栄えるのでしょう。何という美しくない、しかもやり切れない国に、我々日本国民は暮らしていることでしょうか。



1453.米軍の本音 19/6/21-22

・イラン軍とは戦いたくない。米軍の本音。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190620-00056757-jbpressz-int
関連記事。米国の無人偵察機を撃墜。
https://www.asahi.com/video/articles/ASM6N3JMCM6NPQIP006.html?iref=comtop_video_02
関連記事。トランプ再選出馬。米国は偉大になるどころか、国の威信を下げただけ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019062002000170.html
コメント:まして自衛隊ならなおさらでしょう。類人猿の大統領やユダヤ資本(クシュナー)の野望の為に、一人の国民(安倍首相は消耗品だと思っているふしがあるが、自衛隊だって日本の国民なのです)の犠牲も出してはならないのです。
ところでトランプの来日を、いったい安倍以外のどの日本国民が歓迎したというのでしょうか。ゴルフでのスマホのツーショット等、よくも恥ずかしげもなく公開できたものです。あれは醜悪な茶番以外の何物でもありません。国の代表がゴマスリダヌキだと思われたら、国民だって心外でしょう。
代表が舐められれば、国民も舐められる。それが世界の常識です。首相は国会であれだけ居丈高に振る舞っているので、一層その落差が目立つのです。という事は、自身でも国民を舐め切っているのではないか。舐めて舐められ、ついにはケツナメなのでしょうか。何故外交の肝心な場面で、もっとプライドを大事にしないのか、理解に苦しみます。しかもそういう人に限って、自分より弱い立場の人たちには、辛く当たっている可能性があります。
トランプ来日時の政府対応を批判する記事は一行たりとも見る事が出来ませんでした。でもこれは全く異常な事態であって、欧米のメディアでは絶対に考えられないことです。なぜなら歓迎する者もいれば、歓迎しない者もいる。それが(世論では)当たり前なのに、それを歓迎一色のもとして(とりわけイヌアッチケーが)伝えるとしたら、世論誘導以外の何物でもなく、もっと言えばフェイクニュースなのです。NHKではなくFHKなのです。
賛否双方の見方を報道しなければ、メディアで最も大切な批判姿勢と、バランス感覚が失われます。言うまでもない事でしょうが、その先に待っているものは、大政翼賛会と国家総動員法です。政府を批判し反対する者には逮捕が待っているというアレです。
無理が通れば、道理引っ込む。それが今の日本の政治とメディアの現状です。だからこんな取るに足りないプライベートメディアでも、忖度と遠慮がない分だけ、存在理由があるのかもしれないのです(但し確信はありません。未だに手繰りです)。


・米、イランの攻撃をいったん承認。
https://www.bbc.com/japanese/48715280
関連記事。ボルトン、ポンペオが攻撃派。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019062100708&g=int&utm_source=top&utm_medium=topics&utm_campaign=edit
関連記事。トランプ、10分前の決断。
https://www.asahi.com/articles/ASM6P546XM6PUHBI024.html?iref=comtop_8_03
関連記事。トランプ、オマーン介して協議望む。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/06/post-12368.php
コメント:安倍首相のイラン訪問はいったい何だったのか。イラン(と国連)は悪魔のボルトンとクシュナーを名指しで非難し、トランプ政権から取り除く必要があります。二人とも、米国民が選んだ訳ではなく、お神輿に乗って無責任なことを言っているだけなのです。



1454.本人の覚悟の問題 19/6/22

・秋篠宮、娘の結婚分からず。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190621-00000045-mai-soci
コメント:録音があったという、問題の週刊文春を立ち読みした範囲では、録音の中でも元婚約者は生活費として補填した費用の返還を求めています。それ以外に解釈のしようがありません。
ここまでくれば、小室側としては、月々の返済額は別にしても、費用を返済する姿勢だけでも明確にすることでしか、こじれた問題の解決方法はないと思います。一方元婚約者側にしても、権利を主張するだけでは駄目で、問題解決に協力の姿勢を見せないと、世間を敵に回すことになります。そもそも400万と言えば車一台分「でしかない」のです。一方で、内容も人間性も怪しいタレントが、既得権で百億も稼ぐ社会なのです。残念ですが現実に経済的な格差は実在しているのです。あけすけに言ってしまえば、無いものは無いのですから、少なくとも返済方法については猶予する必要があるのです。
これ以上、言った言わないの議論は不毛なだけです。とは言え、少なくとも、小室親子の支援の為に、税金の一部や、皇室の権威が使われることには、国民は我慢出来ないでしょう。何故なら皇室は私人だけではないからです。
とは言え、ことは男女の問題でもあり、皇族と言えども人権は保証されるべきなので、ひとまず真子さんには皇室から出た「形として」、一平民として、二人だけの生活を始める覚悟を、若い二人の新しい人生の出発点の姿勢として示すことが、国民の祝福を得るうえで、最も効果的だろうと思います。小室(君)が両方(結婚と借金)とも取ろうとするから話がややこしくなるのです。
まず小室の母親は、自分の問題を自分の世代で解決し、子の世代を巻き添えにしないことです。この問題で最悪の部分はこの親子の一体感にあります。そんないびつな家庭に入れば、「嫁」が苦労することも眼に見えています。彼の親の世代は、我々団塊に近い世代から見ても、(価値観の異なる)新人類です。
もし小室ファミリーが、「身を糺し」、人間としての王道を歩む方に切り替えれば、必ずや拾う神も出てくるでしょう。しかも破談になればなったで、特に女性側は不利です。今のような悪評だけでは、誰も二人に支援の手は出しづらいと思います。しかも問題を収束できるのははや上皇だけなのです。そもそも問題は「たかが」400万であり、小室君本人にだって十分に返済可能な金額なのです。
問題の二つ目は、小室君からはいかなる「勇気」も「意地」も感じられないことです。しかもそれが国民にバレています。或る意味では、気の毒と言えないことはないが、逆境を人生の糧とすることで、人間としての成長もあるのです。
偉そうに言う編集子がどうかといえば、とても人様に自慢できるような人生ではないことも事実です。

関連記事。・家庭教師の半藤が問われた難しい質問。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190621-00010004-friday-soci
コメント:半藤が皇室の家庭教師で本当に良かったと思います。




1455.マルチ商法 19/6/23

・家族がマルチ商法にはまったら。
https://diamond.jp/articles/-/206396
コメント:なぜこうも簡単に一攫千金の暗示(夢)に掛けられるのかが理解できない。こうした(社会)現象は、手っ取り早い「救済」や「奇跡=超常現象」を宣伝し、金を集める新興宗教と非常によく似ていると思う。長期の目標を持って、こつこつ積み上げるのではなく、手っ取り早く金儲けしたいという気持ちが、結果的に自分を破滅(金銭的な破綻)に追い込むことになっているのです。
しかも仕事を持たない主婦に被害者が多いということは、誰でも自分の職業、又は専門分野を持っていた方が良いということではないのか。「暇」だからおかしな商品に関心を持つのではないでしょうか。
年齢、性別に関わらず、自分がいかに精神的に未熟であるかを自覚すると共に、広い世界に目を向けて、あらゆる分野に(含む芸術や社会活動)に関心を持ち、もっと本を読むことが大切です。そうして精神的に成長し、その結果年齢に相応しい人格と分別を身に着け、他人からも信頼される存在になる。それが人生を充実したものにするのです。そこでは何よりもまず自分はこうありたいという目標を持つこと。遠回りのようでいて、それが結果的に自分(と家族)をそうした「詐欺=盲信」の被害から守るための最善の方法なのです。無論かくいう自分自身も未だ到底その域には達していないことは言われるまでもありません。
人間というものは非常に弱いものであって、置かれた環境で、いとも簡単に騙されるものだという事を自覚し、決して自分を過信(または思い込み)しないことが「危ない橋」にうっかり一歩を踏みだすことを避けるうえで必要です。複数の他人の意見を聞くことで、こうした被害もある程度は避ける事が出来るはず。間にいかがわしい商品が介在するとはいえ、これは若年層向けのオレオレ詐欺なのです。しかも最近政府のやっていることはマルチ商法を連想させるものがあります。

・ネズミの夫婦、酒が原因で離婚。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6327639
コメント:ネズミにだって意地はあるようです。なぜ国民には意地がないのでしょうか。