「WTW映画批評」
【2003年】
「パイレーツ・オブ・カリビアン」
予告編などを見ると、ホラー仕立ての映画過渡思うが、実はコメディだ。というとやや言い過ぎかもしれないが、デイズニーが、デイズニーラント゛アトラクション、カリブの海賊からヒントを得て作ったと思われる節もあり、少なくもファミリー映画ではあるだろう。うらぶれた海賊の船長ジャック・スパロー(ジョニー・ディップ)が、英国の港町に流れつき、総督の娘を事故から救う。それを去る事10年前,その娘が子供の頃、乗っていた英国海軍の帆船が、漂流している少年を助けた事があり、その時に少年がもっていたアステカのコインを、娘が身に着けていた。しかしそのコインには呪いがかけられていたのである。スパロー船長を裏切って反乱を起こした航海長が、アステカの金貨822枚を手に入れたものの、仲間を消す時に呪いをかけらえ、その結果、航海長以下の海賊達は決して死なないゾンビにされてしまったのだ。この呪いを解くには、1枚だけみつからなかったmすめが持っているコインを元の櫃に戻さねばならない。海賊は娘をさらい、秘密の根城の島に連れ去る。rその後を成人した少年と、スパロー船長が追うのであった。この映画では、何といってもジョニー・ディップのとぼけた海賊の演技が圧巻である。喜劇にもアカデミ賞が与えられるのなら、デ゙ィップにやりたいところだ。しかしその発音が英国なまりを更にひねったようなもので、実に聞き取りにくい。予想とは外れたが、まずまずの娯楽映画にはなっていると思う。
「ソラリス」
確か既に一度映画化されていると思うが、その内容は良く記憶していない。スタニスラフ・レムの原作はソ連SFの古典とも言うべき作品で、その描写はとても映像化は無理だと思われるものだったが、最近のCG技術を使えば映像化できるのではと期待して見たら、そういう点では完全に期待外れであった。そもそもソラリスは生きている海の惑星であって、その海が人間の精神に感応してさまざまな映像を物質化して提示する、しかしその意図は不明、というのが、原作の趣旨である。人間の理解を超えた存在なのだ。しかしこの映画では惑星事態が生きている事になっているし、描写も青白いコロナが取り囲む惑星というだけのものだ。原作では地表の観察シーンがとても良いのだが、そういう場面はこの映画では問題視されていないようだ。この映画はあくまでソラリスを原作にしているだけで、SF心理劇という体裁を取っている。登場人物も4人くらいしかおらず、未来社会らしいギミックも少ない。閉鎖的な人工衛星の空間だげが舞台という点では、しいて言えば一番近いのはエイリアン2か。演出も、これでもかというほど地味である。いつも派手目のジョージ・クルーニーも、心理劇にはしっくりきていない。クルーニーの出演映画ではオーシャンズ・イレブンが最低の出来で、オーブラザーの田舎染みたキャラか、パーフェクト・ストームの漁師のように垢抜けない役の方がぴったり来るようだ。共演のナスターシャ・マクルホーンという人は、目と口の大きいソフィア・ローレンのような感じなので繊細さには欠ける。原作のソラリスとは違う結末だが、これはこれでまとまってはいるものの、しかし、やはり地味だ。とても映画館で入場料を払って見る気にはなれない。クルーニーのファンにしか勧められない。なおソフトで有名なソラリスは、この小説の題名から取ったものである。粗筋を忘れていたが、心理学者のクルーニーが、友人から是非来て謎を解いて欲しいと言われて、ソラリスに向かう(宇宙旅行のシーンは割愛されている)。そこで彼が見たものは、彼に捨てられたと誤解して自殺した妻の復活した姿であった。しかしそれは幻影ではないものの、過去の記憶を持たない人間ではない存在であった。惑星を回るステーションでは、この肉親の復活のせいで、既に犠牲者も出ている。クルーニーはこの人間ではない妻に、どう対処して行くのか、というものである。
「スパイ・ゾルゲ」
篠田正浩最後の大作である。共産主義の理想に燃えるゾルゲが、日本の軍事データを朝日新聞の元記者(本木)の協力で入手し、モスクワに送っていた事件だが、名前こそ聞いた事はあっても、その実態は良く分からない部分であった。篠田も資料の入手に苦労して3年の歳月を掛けている。単なるスパイ事件を取り上げた訳ではなく、満州事変からベルリンの壁の崩壊に至る迄の昭和史全体を描く作品となっている。淡々とした描写が、物足りなくも感じられるが、そうでなければ2時間半を超える大作にはつきあいきれないとも言える。見て楽しむ映画というより、教養として見ておくべき映画の一つかもしれない。それから朝日新聞にしても和光のある銀座4丁目にしても、おそらくはCGだろうが、当時の映像の復元に努めており、その努力は評価したい。
以下は家人の映画評です。6月14日公開の前に試写会の機会があり、見てきました。篠田正浩監督最後の作品だそうで、20年前から暖めてきた作品とか。私にとっては、昭和の現代史を知るいいチャンスでもありました。なんといってもスケールが大きく、上海、ベルリンなどの海外ロケもあって、大きな画面の風景がとても美しく印象的でした。昭和の風景と雰囲気が懐かしいような感じがしました。事件そのものは、よく知られているようですが、その背景やスパイ行為がなぜ起こされたのかは、映画を見て考えることができるでしょう。今年の日本映画の
お勧めの一つになると思います。劇場で見ることをお勧めします。
「めぐりあう時間たち」
ニコル・キッドマンがアカデミー主演女優書を獲得した映画で、受賞は、この映画だけの演技というより、「ムーラン・ルージュ」や「アザーズ」等多彩な演技力の結果であろう。単に可愛いだけの女優は既に脱却し、元夫のトム・クルーズより演技力では上ではないかと思われる。キッドマンが演じるのは、狂気の天才作家バージニア・ウルフである。残念ながら私は未だその作品に接した事はないが、夫の愛情に支えられながらも、結局は破局の道を選ぶ彼女の作品の一つに、思いつきで自殺を試みる女性が登場する小説があるらしい。さて、バージニア・ウルフの時代の30年後、場所は変わって米国で、この小説を読んで影響を受ける繊細な女性にジュリアン・ムーア(ハンニバル)。更に場面は現代(2001年)に飛んで、ゲイでエイズに侵された天才詩人にエド・ハリス(アビスやレニングラード等、元々マッチョな役が多いので違和感は否定出来ない)。それを見守るレズの女性にメリル・ストリーブ。この3つの時代の、一見関係のなさそうなストーリーが、ある一点で交わる時が訪れる。原題はそのものずばり「アワーズ」。同性愛を取り上げる事の多いハリウッド映画には、時々ついて行けないものを感じるが、この映画は、その要素を除外して見ても、女性の生きざま、即ち誰の為に生きるべきかを問うたという意味で、まじめに作られた映画かもしれない。但しその回答を提示していると言うより、問題提起に終わっているようにも思える。
「ザ・ライフ・オブ・デビッド・ゲイル」
死刑反対運動家の哲学教授、ゲイル(ケビン・スペイシー、ペイ・イット・フォワード、アメリカン・ビューティー、昔の作品ではセブンでも重要な役で出ていた)が、死刑反対運動家の仲間の同僚の女性教授を暴行して殺害したという嫌疑で数年前に有罪判決を受け、死刑の執行を待っていた。雑誌記者のケイト・ウィンスレット(言わずと知れたタイタニック)が執行日の決まったゲイルから特に指名されて、独占インタビュー記事を書く事になったが、どうもこの判決には疑問がある事に気がつく。本人も冤罪だと主張している。殺害現場を撮影したと思われるビデオが送られてきて、他に真犯人が居る可能性がにわかに高まった。残された時間は24時間。犯罪現場の検証に向かうウィスレットは、刑の執行に間に合うのか。私は殆ど最初から筋が分かってしまった。ミステリー・ファンならそういう人もいるだろう。
「デッド・コースター」
偶然航空機事故を逃れた高校生達が、結局は死神のスケジュール通りに殺されるという前作「ファイナル・ディスティネーション」の続編。前作と違うのは被害者がヒントを探して、活路を見つけようと努力するところ。ホラー+スプラッターで、そういう映画が苦手の人は見ない方が良い。それにしても、偶然の事故も注意すれば避けられるかもしれないという意識を喚起すると言う意味で、有用な映画かもしれない。
「キューブ2」
前作「キューブ」の続編。キューブは、四角い部屋が無数につながる牢獄に理由も分からず閉じ込められた人間達が、知恵を尽くして脱出しようとする話だが、今回の箱はスーパーキューブ即ち四次元立方体だけに一層始末が悪い。時間の要素が加わり、一層訳が分からない。全体の筋としては理解できなくはないが、結末は納得出来ないし、相当以上に無理がある。SF映画ファン以外には勧められない。
「ザ・ハンテッド」
殺人マシーンとして育成された元兵士、ベニシオ・デル・トロ(トラフィックでメキシコの刑事役を好演してアカデミー賞助演賞候補にもなった)が、正気を失い、無差別殺人者になった為、それを元教官のトミー・リージ・ジョーンズが追うという単純なストーリー。トミー・リー・ジョーンズは逃亡者で刑事役をやってから一躍追跡者のイメージが定着したらしく、その後その名も追跡者という映画も出た。私は、むしろメン・イン・ブラック2のとぼけた味の方が好きなのだが。今回の追跡シーンは、昔なつかしいフレンチ・コネクションを思い出させる。ベニシオは、メキシコのブラビというイメージで、冷酷な殺人者という印象は持てないのが、この映画の欠点。見どころは、あまり見慣れないオレゴン州ポートランドの市街地の追跡劇と、ナイフによる血みどろの死闘である。特にお勧めもしないが、気楽に見る分にはご自由にというところだ。共演はシャロン・ストーンになんとなく似ているコニー・ニールセン。
「沈黙の行方」
私のひいき俳優の一人、アンディ・ガルシアが出演しているので見た。他に、その俳優が出ているだけでで見る映画としては、クリスチャン・スレーターがいる。しかし、この二人とも滅多に良い映画に恵まれないという意味でも共通している。トム・クルーズ、ケビン・コスナー、ブラッド・ピット、ハリソン・フォード等は出演するだけでその映画を見るという事はない。さて、この映画で、ガルシアは珍しく犯罪者や犯罪予備軍でなく、臨床も見るという優秀な心理学教授としての役だ。息子がうつ病で自殺してから、家庭が崩壊していたが、息子と同じくらいの年の少年のトラウマの治療を頼まれた。母親を父親に殺される現場に居合わせた為に受けた精神のトラウマには、秘密があった。筋は容易に読めるし、設定にやや無理があるので、ガルシアのファン以外には、あまりお勧め出来ない。
「チャーリーズ・エンジェル・フルスロットル」
前宣伝は凄かったが、どうという事はなかった。ご承知の如く、出自はTVのシリーズで 、それゆえ冒頭にスピーカーフォンから流れるチャーリーからの指令に意味があった。TVシリーズの「ミッション・インボッシブル」の冒頭の「フェルブス君、ではこのテープは自動的に消滅する」というのを意識しか趣向である。その後映画化されたものであるが、キュートな女の子が実は凄腕のファイターという構図に変化はないにしても、一段と無敵度が高まっている。不死性まで備えてきたようだ。ゲスト・スターはチャーリーズ・エンジェルのOB(OG)という想定のデミ・ムーアで、ビキニ姿で登場するが、往年のスタイルは偲ぶべくもない。一番問題なのは活劇特撮シーン以前に、ストーりーの独自性がなく、引き込まれないという事だ。次はどうなるというハラハラ感がゼロに等しいのだ。邦画「魔界転生」は剣豪を次々に蘇生させて、人間の代表柳生十兵衛と戦わせるという話だが、荒唐無稽と知りつつも最後迄見てしまった。確かファミコン・ゲームにもなっていたと記憶する。
「WATARIDORI」
アカデミー・ドキュメンタリー賞の候補作で、そのものずばり、渡り鳥の生態を描いた映画だが、鳥と同じ高さで飛行するシーンもあり、おそらくはモーター・グライダーを使ったものであろう。どうやって撮影したのか興味深い。撮影には3年を要したという。
「マトリックス・レボリューション」
またもキアヌ・リーブスが来日してのプレミア公開はともかく、私も公開早々に見に行ったが、首をひねって、唸らざるを得なかった。二作目の「リローデッド」は、疾走するトラックの上でのローレンス・フィッシュバーンの立ち回りや、初めて姿を現した人類最後の地下都市ザイオンとその滅亡、仮想現実であるが故に、プログラマーの意図次第で何度でも蘇生を繰り返すネオ(キアヌ)等という説明が新鮮であった。しかしオラクルの存在等、良く理解出来ない設定もあった。今回の完結編ではその哲学的な雰囲気が一層濃厚になり、この映画だけを見た人は、何の事やらチンブンカンブンであろう。「レボリューション」を見て、思い出したのは、相当以前にディズニーが作った「トロン」という映画である。良いブログラムが、悪の帝王であるOSを倒しに行くというものだが、未だコンピューターも、ビデオ・ゲームの元締めくらいの認識しかなかった時代の映画だ。ネオが現実の世界と、仮想の世界の狭間で目を覚ますところから話は始まるが、この部分が先ず意味不明だ。再度現れるオラクルの役目はもっと分からない。見せ場は、地下都市ザイオンに攻め込んで来る機械軍隊との決死の戦いの場面で、どう見たってガンダムみたいな戦闘マシンに乗ったミフネ等という隊長が壮絶な戦いを繰り広げる。多数の眼と蛸のような脚をを持つ、空中を飛行するクラゲのような戦闘マシンが、群れをなして攻めて来るシーンは、特撮とは言え、良く撮れている。しか今回はそれくらいしか映像の見どころが無いことも事実だ。ネオと宿敵スミスとの戦いも、ついにクライマックスを迎えるが、もはや二人の戦いは、空中をスーバーマンのように飛んでは激突し、その結果ビルというか街を破壊する規模である。ドラゴン・ボールで、孫悟空が無敵の相手と戦っている時のようだ。前回あれだけ活躍したフィッシュバーンも、汚いセーター姿でただ心配しているだけである。圧倒的に火力で勝る機械軍に人間(無論実在の方であるが)達は絶滅の瀬戸際に立つ。そういえばターミネイターでも、機械に蹂躪される人間の未来を描いていた。この苦境を救う為に、ネオはトリニティ(キャリー・アン・モス)と二人だけで、機械達の都市の中心部に船を走らせる。ネオは救世主であると言われていた。そしてその通りになるのだが、この映画にはキリスト教の影響が強く見られる。ウォウショウスキー兄弟も、禅を思わせる哲学的な境地の度が、いささか過ぎたようである。よって、結論として、万人向きではない。でも今までの2作を見ていたら、これを見ない訳にはいかないだろう。
「リロとスティッチ」
宇宙生物と少女等というテーマだし、目尻のつり上がった顔つきも気に入らなかったが、これが結構楽しめる映画だった。目尻がつりあがっているのはハワイの先住民の子供だからであり、彼女は生活保護官に施設に収容されかかっている。また宇宙生物といってもそれほど無茶をする訳でもない。CGも丁寧に描かれている。同じディズニーのアニメ「アトランティス」の、雑な人物像に比べれば数段ましである。
「8 Mile」
これはアカデミー主題歌賞を獲得した映画で、ラップだというので敬遠していたが、これも試しに見て、良い映画だと思った。実際に有名なラッパー(但し白人)エミネムの半生を本人が演じるというもので、本人の演技も結構さまになっている。ラップというものの本質が「詩のボクシング」である事や、詩であるが故に過激な攻撃も、悪口も許されるという事が分かった。歌詞は韻を踏んでいて、よほど英語が堪能(しかもシェイクスピアやハーバードの英語では駄目)でないと理解出来ないだろう。デトロイトの下層階級の黒人と白人の若者の生活を描くという意味で、あまりない素材である。キム・ベイシンガーが男なしでは生きられないという、汚れ役の母親を演じている。全体の主題が重苦しいのに、若者達の逞しさが、映画を暗いものにしていない。日本の若者にも見て欲しい映画の一つだ。
「新スター・トレック」の新作「ネメシス」
ビデオリリース。どうという事のないストーリーだが、ちょい役でウーピー・ゴールドバーグも顔を見せている。地球を背景に、宇宙空間に浮かぶスター・トレックの基地というか、ドックの映像は、CGとしては抜群の出来ばえである。特撮ファンなら、これを見る為だけでも、レンタルした方が良いかもしれない。
「英雄(ヒーロー)」
チャン・イーモウの作品。無論全て中国語である。主演は最近SF刑事映画で有名になったジェット・リー。高原を疾駆する秦の騎馬軍団が護送するのは一台の馬車。それに乗っているのは、秦の王を暗殺しようとした刺客3名を倒した剣士、無名である。孤児で名前がないが故に無名と名付けられた彼は、地方の小役人でありながら、10年間、剣の研鑽を積み、10歩の距離なら必ず敵を倒すという技を身につけていた。秦王の前に進み出た彼は、王に促されるままにに、最初の刺客、即ち槍の名手、長空との対決を物語る。決闘シーンの連続だが、そこは「グリーン・ディスティニー」の経験が生きており、とても人間業とは思えないシーンが連続する。鋼の剣がしなうシーンもリアルだ。長空を倒した無名は、10年前に2人で秦の王宮に攻め入り、3000人の兵士でも歯が立たなかったという、残剣と飛雪のカップルを追って趙に向かう。彼らは書を学ぶ塾に滞在していた。おりしも、秦の軍隊は強力な弓矢で趙に襲いかかろうとしていた。計略を使って飛雪に残剣を倒させた後で、秦軍の囲む中、無名は飛雪と対決する。このシーンでは衣装には赤が使われる。しかしその二人を実際に知っている秦王は、彼らは器がもっと大きいはずだ、そんな計略に乗るとは思えないと問いかける。そこで無名はもう一つの物語を語り始めるのだった。最初は赤、そして次は青、最後は白と、衣装の色がシーンで統一されている。衣裳デザイナーは、アカデミー賞を受賞した事のあるワダ・エミである。背景に流れる音楽も快い。中国映画としては費用も掛けており、出色の出来だ。主な出演者はわずか6名だが、それぞれが魅力あるキャラクターで、特に残剣役のトニー・レオンは香港で一番人気のあるスターとの事だ。アクションが好きな人も、ラブロマンスが好きな人も、満足できよう。戦いのシーンが続くわりに残酷なシーンはない。その後、秦の大王は天下を統一して、秦の始皇帝となった。推薦映画である。
「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」
天才的な詐欺師と言われた男の半生を描く。主演の詐欺師にディカプリオ、FBI捜査官にトム・ハンクス。16歳で家出して17歳で400万ドルの小切手詐欺で荒稼ぎ。パンナムの副操縦士に化け、医師に化け、副検事に迄化けたという奇想天外なストーリーのわりには地味な描き方になっている。アクションも殆どない。脇役をクリストファー・ウォーケンと、マーチン・シーンで固めた事が効を奏しているようだ。17歳の犯罪者という事で、確かにディカプリオが適任なのだろう。途中で退屈する部分もあるが、どうせなら結末迄見た方が面白いだろう。なにしろ40年前の話だ。車もファッションもレトロなのは致し方ない。
「ダイ・アナザー・ディ」
007シリーズ最新作。ボンド映画もきとうとうここまで来たかというのが第一印象。CGを使っている事は間違いないにしても、一体どれだけの費用が掛かっている事か。主演は今は他に選択の余地のない、ピアース・プロズナン。今回のヒロインはハル・ベリーで、実はこれが唯一のこの映画の弱点だ。下手だし、セクシーでもない。かたや、ボンド の上司役のジュディー・デンチは、流石アカデミー女優、演技はすばらしい。今回のボンドを見て思ったのは、確かに仕掛け等(特に見えない自動車等)は子供だましと言っても良い007の伝統だが、映像は間の取り方が良いのか、実にリアルだという事。今回の仕掛けで面白いのは、昔のギミックが再登場する事だ。例えば「ロシアより愛を込めて」のナイフを仕込んだブーツ(これは敵が使った武器)だとか、短時間空中に浮かべる背負い式ジェット等だ。もう一つのパロディーは、「ゴールドフィンガー」に登場する黄金切断用レーザーが、今回はNCロボットと共に登場する。今回のボンドカーは「ゴールドフィンガー」と同じアストン・マーチンの新型だが、機関銃やミサイルを装備しているが、実は敵方も同じような車があって、氷上で2台が対決する。舞台は北朝鮮、キューバ、アイスランド、ロンドンと目まぐるしく変わる。北朝鮮の良い将軍に、出来の悪い凶暴な息子がいた。息子の野望とは何か。ヒントは「ダイヤモンドは永遠に」にある。そもそも「ダイ・アナザーデイ」、即ちもう一度死ぬ日とはどうい意味であろうか。無論映画を見れば疑問は解決する。こういう時期に「日本などひねりつぶす」だの、「報復で核が飛んでくる」等のセリフはちと気になるが、映画ファンたるもの、現実と虚構の区別がつかないようでは映画を楽しむ資格はない。映画は面白いだけでは困るが、娯楽映画なら、面白くなければ話にならない。従って、他にくだらないひまつぶしをする時間があれば、この映画を見た方がましである。なおハイビジョンサイズのDVDで見る事は殆どマストだろう。未だDVD装置をお持ちでないかたはこの映画を機会にお求め頂きたい。量販店で1万円代で出ている。
「レッド・ドラゴン」
ご存じハンニバル・レクター3部作の最初の作品となるもの。「羊たちの沈黙」と同様、敏腕FBI捜査官エ(今回はドワード・ノートン)が、2家族惨殺犯人を追う過程でレクター博士の推理力を借りようとする。割合早い段階で犯人が登場する。のっけから食人癖のあるレクターと、捜査員との対決シーンがあって驚かされる。また最後には「羊たちの沈黙」を暗示するシーンもある。3作目に相当する「ハンニバル」の猟奇的なイメージがあって警戒したが、犯罪捜査に重点がおかれているという点で、「羊たち・・」に近い。同僚の捜査官のハーベイ・カイテル、犯人役のラルフ・フィネス(イングリッシュ・ペイシェント)等、皆存在感があるた。無論子供に見せるようなものではないが、大人なら見て損はないだろう。
「ターミネイター3」
生まれる前にターミネイター1に命を狙われ、13才でタ-ミネイター2に狙われてシュワちゃんに助けられたジョン・コナーも20才を過ぎた。チップを破壊した事で、審判の日(ジャッジメント・ディ)は回避された。しかし、ジョンは地球が機械(と自分の意志を持つネットワーク)に支配される未来の悪夢に今も悩まされている。定職も持たず、何かから逃げるような放浪の毎日を過ごしているのである。そして、ある日、ついにターミネイター3即ちTXが未来から送り込まれて来る。最終戦争は回避されたのに何故か。実は未だ未来は定まってはいなかったのだ。無表情な女の姿をしたTXは、T2をしのぐ高性能マシンであり、人間のみならず、ロボットをも倒すように設計されている。手からは熱線や火炎が吹き出す。しかし未来の人類も、それを黙って見ていた訳ではない。ただちにターミネイター2の時と同じ助っ人マシンを送り込んで来た。タイム・ボール(?)から裸で出てきた彼らは(女性ロボについてはあまり多くを期待しないように。所詮ファミリー映画なのだ)まず衣服を奪う。ウュワちゃんは、今回も皮ジャンであるが、サングラスは星型であった為に、これは普通の物を別途入手する。カーアクションと武器の応酬だが、今回の目玉は、大型クレーン車が、電柱をなぎ倒しながら市街路を走るシーンだ。TXには他の機械をリモコンであやつる能力があり、無人の車を走らせる事も出来る。どうもこの女優はカリブの血が混じっているような印象だ。例によって、何度倒してもまた復活する。今回はシュワが倒されるシーンもある。特殊撮影はどうやったのかは分からないが、とにかく派手である。なお将来人類を倒す為に使われる空飛ぶロボットが、実は思ったより小型である事が分かった。幅はせいぜい3メールくらいである。T1の原型になりそうなキャビラー月の殺人マシンも登場する。これらのマシンは、実は米国の軍部が開発したものであったのだ。シュワは今回は全くジョンの命令をきかない。獣医をしているジョンの同級生キャサリン・ブリューワーの言う事しかきかない。何故なら彼は未来のキャサリンから送り込まれたマシンだからだ。後は映画をご覧頂きたいが、正味1時間50分位でわりと短めである。また映像は、最近の特殊効果の映画より少し落ちる。また主人公は魅力的でない。強くは推薦しないが、これを見ると全3作の流れが理解出来るので、前2作を見ている人は見た方が良いだろう。
「トランスポーター」
リュック・ベッソンのカー・アクション映画。今回は元特殊部隊で、今は雇われドライバー(そういえばライアン・オニールのドライバーという映画もあった)をしているジェイソン・ステットハムが、荷主の荷物は開けてはいけないというルールを破ったばかりに、ギャングに追われる事になる。その荷物とは若い東洋人の娘だった。得意のカーアクョン、カンフー等盛り沢山なのだが、何か物足りない。東洋人のギャングのかつらのようなヘアスタイルも気に入らない。どうして不満足なのかを考えて見ていくつか思い当たった。まず主人公は筋骨たくましいのは結構だが、どう見てもブール・リーのそっくりさんにしか見えない。オリーブ色のTシャツ等着ると日本人のブリース・リーのそっくりさんの方にそっくりだ。もう一つはベッソンの、「レオン」、「フィフス・エレメント」、「ジャンヌ・ダルク」、「タクシー」等に見られたオリジナリティーが、この映画からは感じられない事。他のカンフー映画とどこが違うのと言いたくなる。気楽に楽しめるという点を否定はしないが、無理して見るほどのものではない。
「ボーン・アイデンティティー」
マット・デイモン主演のアクション映画。マルセーユ沖で漁船に助けられた米国人の若者は完全に記憶を喪失していた。身体に埋め込まれたスイス銀行の番号口座のカプセルだけを手がガリに、彼はスイスを目指す。貸し金庫を開けると中から出てきたのは、複数のパスポートと多額の現金、そして銃だった。彼は自分がジェイソン・ボーンという名前である事を知る。アメリカ大使館に自分の身元を照会しようとしたディモンは、何故か捕縛されそうになる。その時、自分に超人的な戦闘野力と運動能力がある事を知る。しかし自分が何者かは分からない。たまたま大使館でビザの発給を断られた放浪の女性の車でその場を逃れたディモンはパリを目指す。パリには彼名義の豪壮なアパートがあった。実は彼は秘密理に育成された殺人マシーンで、暗殺の目的でパリに派遣されていたのだ。しかし作戦の失敗から、その発覚を恐れるCIAが次々に刺客を送り込んで来る。パリ市内を舞台にしたカーチェイスはかなりリアルだ。最後迄飽きさせないという点で、一応推薦。
「ル・ブレ」
少し前のリリースだが、フランスのカーチェイス映画。弾丸という意味とはぐれ者という意味らしいが、凶悪犯とおっちょこちょいの看守が1600万フランの当たりくじを追って、パリからダカール迄車を飛ばすという奇想天外な話で、かなり笑える。最近気楽に笑える映画が少ないのでお勧めだ。
なお「Xファイル」
やっと終わりを迎えた。このシリーズも終わりに近づくにつれ、想定の無理が目立ち(一言で言えばタネ切れ)ホラーと変わらなくなっていた。ジリアン・アンダーソンが一人で頑張って支えていたが、モルダー役のドゥカプニーが抜けていたせいもあるだろう。最終章も、宇宙人の侵略計画が確定するが、一抹の可能性を残すという語り口となっている。
「K-19」
最初の印象は、ハリソン・フォードが齢をとったというもの。しかもこの映画ではそれを隠そうとはしていない。1961年、フルシチョフ政権下のソ連。核開発の競争相手、米国に追いつけ追い越せと、原潜を急増したロシアは、新鋭艦K19別名未亡人メーカー(ウィドウメーカー)の進水を強行する。しかしこの艦は最初から因縁続きだった。進水式でシャンパンのビンは割れない。搭乗している医師は交通事故で死ぬ。溶接工の犠牲者を含め、進水前に既に死者は10名を数えていた。最初の艦長リーアム・ニースンは共産党幹部からにらまれ、後任の艦長ハリソン・フォードの副官にさせられる。ハリソン・フォードは、党に忠誠心が厚いとして、特に選ばれた人物だ。しかし融通のきかない彼は、部下より名誉と祖国愛を最優先にする人物であった。フォードの訓練が始まり、乗組員は息をつく暇もない。そして部品もなく、製造技術も十分でなかったこの艦は、原子炉の冷却水のパイブが破れて、炉心の温度が上がり、メルトダウンの危機にさらされる。艦内にも放射能の汚染が広がり始めた。反乱の危機が高まる中、フォードの苦難の意思決定が行われる。この映画はベルリンの壁の崩壊の後、初めて語られたストーリーという事で、実話のようである。しかし決して、戦争映画でもアクション映画でもない。むしろリーダーシップとはどうあるべきかという意味で、現代の日本の経営者は見て頂きたい映画である。なお原潜はどうみても実物大にしか見えない。特定の観客に勧められるという意味で星一つ。アカデミー賞とは無縁だったフォードだが、いよいよ狙い始めたのかという印象も受けた。
「マトリックス・リローデッド」
プレミア・ショウを見た。英語の発音ならメイトリックスである。リロードとは、銃の弾丸を再装填するときに使う言葉だ。前作では、未来の人口過密な地球が、人口知能の支配する暗黒の世界となり、地上で暮らす人間達は、コードにつながれて夢を見るだけの存在だ。わずかにその束縛から逃れた人間が待つものが救世主(the one)である。ローレンス・フィッシュバーンにコードから解放されたネオ(キアヌ・リ−ブス)こそがその救世主であった。まさに虚構であるがゆえに、精神力さえ強ければ、弾丸よりも速く動ける、無敵の存在にもなれる。一方マトリックスを支配する機械生命は、ビジネスマンの形をした戦闘マシン、エイジェントを送り込む。360度から見る、スローモション映像の、格闘シーンであまりにも有名になったこの映画も、だんだん話が複雑になってきて一話ではまとまらず、次作が完結編とのこと。ネオのパワーアップぶりは著しく、殆どスーパーマン並みである。世界で生き延びた25万人の人類は、地下深くにザイオンという巨大都市を築いて生き延びている。しかしそこにも機械の攻撃の手が迫っていた。機械を倒すには、人口知能の中枢、ソースを破壊するしかない。ネオ達はソースに接近するため、預言者やキーメーカー(本当に鍵屋)を探しに、マトリックスに自らを接続し、虚構の世界に入り込む。おなじみカンフー仕立ての格闘シーンも、パワーアップしているが、高速道路上の戦いがすさまじく、こんなのありかというシーンの連続だ。スターウォーズやロード・オブ・ザ・リングで驚いている場合ではない。しかしこの映画、背景が複雑で、英語で見たら絶対に筋が分からないだろう。特撮だけ取っても、一応推薦とする。
「PP2」
ターミネイター2がT2と表現されたのは、究極の省略形だが、PPとはピーター・パンのこと。ディズニーのアニメは「美女と野獣」をピークに、年々質が下がっている印象が強かった。登場人物の表情も、目尻がつり上がり、眉が下がってきて、国籍不明になっていた。即ち白雪姫やシンデレラと違って、手放しで美人キャラと呼ぶ事はできなくなっていた。一言で言って、キャラクターの印象は良くなかった。人物の輪郭にもなめらかさを欠き、ゴツゴツした感じだ。日本のアニメに比べて作りが雑になっている事は否定出来ない。そんな中で見たPPだが、昔のディズニーの印象を最大限残しており、好感が持てた。ウェンディが大人になり、結婚して娘と息子がいる。おりしも第二次世界大戦が始まり、父親は出征し、ロンドンは連日空襲にさらされている。そんな中でウェンディの娘ジェーンは、家族を支えるべく、母親以上に現実的にならざるを得ず、夢を失っていた。そこに突如空から現れたのが、フック船長の海賊船である。ピーター・パンが奪った財宝と引き換えにする為に、ウェンディーを誘拐しようとして、ネバーランドからやってきたのであった。ウェンディーと間違われてさらわれたジェーンが向かったネバーランドでは、永遠の少年ピーターパンと出会う。今回はチクタク・ワニの代わりに、大蛸がフック船長の天敵として大活躍する。これが一番おもしろいキャラだ。アニメという事もあって上映時間も短い。2時間を超える映画は結構苦痛なものだ。唯一残念なのは未だDVDになっていないので画面が狭い事と、本命の海賊船が登場するまでの時間が長い事。一応推薦。
「ポリス・アカデミー」
NHKの衛星映画劇場を良く見るようになった。理由の第一は民放と違ってノーカットである事。またビスタサイズも両脇をカットしないで放映する事。レンタルビデオではビスタサイズはあまりない。この数日昔なつかしいポリス・アカデミーを続けて放映してビデオ撮りして、いくつか見た。ぺ急の昔の映画というと、画像の質が悪かったり、特撮がお粗末だったりして彩度見るには炊かないものが多い(007シリーズですら)が、なぜかこのシリーズはもう一度見ても面白い。もともとが肩の凝らないコメディーだからというせいもあるだろう。下ネタが多いのは、裸の銃を持つ男に共通するものがある。
「マイノリティー・レポート」
主演トム・クルーズ、制作スピルパーグ、音楽ジョン・ウィリアムズ、しかもあれだけTVで宣伝すれば、SFファンならずとも見ない訳にはいかないだろう。結論から言えば、中で一番よかったのはジョン・ウィリアムズの音楽だった。2050年の近未来。犯罪は3人の超能力者が未来を透視する事で未然に防げるようになった。クルーズは犯罪予防局(プレクライム)の腕利き慶事である。しかし彼には幼い息子を誘拐されて失い、それが原因で離婚するという辛い過去があった。おりしも法務省はこのシステムを乗っ取ろうとして、長官の代理を調査に送り込んで来る。フォログラフ技術を多用したコンピュータ・システムが一つの見せ場だ。無論特撮である。しかしなんとなく重苦しい全体的な雰囲気が、ハリソン・フォードの「ブレード・ランナー」を思わせ、原作者をみると、同じフィリップ・K・ディックだった。ところが犯罪を予見するシーンに、あろう事か、クルーズ自身が銃を使う加害者として映し出される。クルーズは逮捕を逃れて逃走を始める。全てが網膜の模様で管理される社会であり、警察が放つロボットはスパイダーと呼ばれて、人の目を覗き込んで特定を行う。目玉に拘るのもブレード・ランナー(とスピルバーグ)に似ている。未来の仕掛けとしては自動運転の自動車が一番面白く、壁を真横に上昇してエレベーターにもなる。パトカーは大型のホバー・クラフトだ。しかし、ストーリーの面白さでは、ブレード・ランナーの方が数段上だ。それに時間が2時間半もあって長すぎる。同じクルーズのSFなら「バニラ・スカイ」の方が面白い。老優マックス・フォン・シドーが重要な役割で共演している。あまりお勧め出来ないが、SFファンなら、特撮を見るだけ価値はあるかもしれない。マイノリティーとは少数派と字幕で翻訳していたが、意味は良く分からなかった。
「ミスター・ディード」
まあ劇場では絶対見ないような映画だが、突然大金持ちになったらどうするかという、おなじみのテーマである。今回は主人公がローカルな人間だが、性根が座っていて、それほど世間知らずでもないというところが、設定の違うところだ。アダム・サンドラーはニュ・ハンプシャーの名もない町でピザの配達をしているが、身寄りのないメディア王が急死したのでその遺産1000億ドル(まあいくらでもいいが、多い方が面白いのだろう)を突然引き継ぐ事になり、初めてニューヨークに出てくる。マスコミのレポーターのウィノナ・ライダーが身分を偽って接近する。サンドラーは腕っぷしも強く、金目当てで無礼な業界人をぶちのめす。一緒にニューヨークの夜の羽目を外す案内役がテニスの悪童マッケンローだ。ちょっと顔を出す俳優が大勢いて、その辺りが一番楽しめる。安心して見られる映画ではあるので、やや推薦というところか。
「中国チャン・イーモウ監督の作品から」bY家人
1、あの子をさがして
2、初恋の来た道
3、至福のとき
を立て続けに見ました。1,2は都会から遠い地方の貧しい農村が舞台なので、十数年前の中国の奥地にはこんな所があったのかと思うような何もない所です。人々は保守的ですが人情は厚く、毛沢東の支配下にあっても昔からの村のしきたりもそれなりに残っています。貧しい村では小学校も村人の手作りです。土壁で横長の木の机で床は土間のままです。5歳ぐらいから12歳ぐらいまで一つの教室で、朗読、先生のあとについて歌うなど江戸時代の寺子屋のようです。本当に子供らしい可愛い表情の子供たちで、やることは日本の今の子達と少しも違わないのです。また先生も若く、経験がなくても未来への希望に燃えています。アメリカ映画のテンポに慣れているとすこし長いシーンだと思うところがありますが、良く出来た映画だと思います。2は特に音楽も美しくしみじみとしていい感じです。女の人にとくにお勧めです。3は現代の都会が舞台です。今風で進んでいるなと思いますが、1,2,3のどれにもいえることは中国人は人情が厚く、今日本人が失いつつある人と人の連帯のようなものをしっかり持っているということです。すべてお勧めです。
「たそがれ清兵衛」
山田洋次初の時代劇。これを見たサラリーマンが皆、泣いたという劇場ヒット作だ。山形の小藩で会計(納戸役とでも言うのか)を勤める清兵衛(真田広之)は、労咳で妻を亡くしたばかりである。ぼけの進んだ母親と二人の娘を抱えて、生活のために飲み屋にもいかず、すぐに帰宅するのでたそがれとあだ名をつけられている。家に戻ると内職に精を出している。着物も破れ、月代も髭も伸び放題というむさ苦しさだ。娘の成長だけが清兵衛の楽しみである。同僚の侍の妹(宮沢りえ)が、嫁いだ先の虐待に耐えられず、出戻ってきた。それを連れ戻しに来た酒乱の侍との間で、清兵衛は果たし合いをしなければならない仕儀に至る。果たし合いは御法度なので、清兵衛は棒で戦う。相手は一刀流の使い手だったが、なんとかその場をしのいだものの、その腕を見込んで主命が下り、藩内のいざこざで敵方になった侍を切れと家老から指令が下る。宮沢りえに気持ちを残しながらも、主命には黙々と従う清兵衛であった。物語は成人した当時5才だった娘の思い出として、岸恵子が語る。音楽は富田勲、主題歌は井上陽水という、豪華版だ。この映画で一番良いところは感情移入がしやすいということだ。仰々しさや、不自然な設定がなく、肩肘張ったところもあまりない。確かにサラーマンが見ると良く分かるであろう。推薦としておく。
「シカゴ」
2002年度のアカデミー作品賞受賞映画である。しかしこの映画を本当に理解するには3つの素養が必要だ。一つは米国でミュージカルを見たことがあること。ハリウッドの映画の歴史を知っていること。そして1920年代の米国の世情を理解していることである。美男、美女が歌って踊るだけの映画を期待していると、当てがはずれるだろう。この映画を見てハッピーな映画だと思った人は、この映画の半分も理解しているとは言えない。主演はレニー・ゼルウィガー(ブリジッド・ジョーンズの日記)だが、平凡な感じの女優だ。ゼルウィガー演じるロキシーは、場末の売れない歌手だったが、家具のセールスマンの、ショービズにコネがあるという話にだまされ、捨てられる。逆上したロキシーはセールスマンを射殺してしまう。当時のシカゴ(イリノイ州)には絞首刑があり、女性の受刑者はまだなかったものの、いつ執行されてもおかしくない情勢だった。ところがここに、どんな女性の囚人でも無罪にすると豪語する弁護士ビリー(リチャード・ギア)が登場する。高額の弁護料を取り、自分の名声だけを考える男だ。弁護の手段も選ばない。嘘も方便でマスコミを味方につける。一方同じ刑務所に、売れっ子の歌手だったが、密通した夫と妹を射殺したヴェルマ(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)も収監されている。彼女もビリーを雇って無罪を勝ち取ろうとして、ロキシーと張り合う。死刑囚という暗いテーマをミュージカルに仕立てるという大胆な発想だが、それだけなら作品賞に値しない。有名でありさえすれば良く、善意や品位や正義よりも、きらびやかさと刹那的な名声だけを国民全体が追い求めていた、暗い時代と、そのムードを象徴する都市シカゴ。リアルな映像と、プロットをパロディー化した音楽仕立ての映像が、モザイクのように配置されて、物語が進行する。法廷での弁論シーンでは、ギアのパフォーマンスがタップ・ダンスという形を取る。軽佻浮薄を追い求める社会病理への批判を、騒々しい音楽とダンスに乗せてパロディーとして提示しつつ、むしろリアルな映像だけよりも、更にインパクトの強い作品に仕立てている。ミュージカルや、1920年代のジャズ・シーンにアレルギーが無く、ハリウッド映画に免疫のある人にお勧めしたい。「ムーラン・ルージュ」よりはましにしても、本来歌手でもダンサーでもない主演の3人が、それなりに見せるということは、相当練習を積んだのであろう。ブラックジョークが好きな国民性とはいえ、これはいささか行き過ぎではないかという感想を多くの人が持つだろう。しかし、単なる悪ふざけに過ぎない映画なら、見る価値すらないという事になる。こういうギリギリの映画も作れるというところに、ハリウッドの底力があるのだろう。私は、この映画にはミュージカル「イエス・キリスト・スーパースター」に共通するものがあるような印象を感じた。
「モンテ・クリスト伯」
今更言うまでもない、アレクサンドル・デュマの「岩窟王」の何度目かの映画化だが、顔見知りの俳優が出るというだけの理由で、期待せずに見た。主役は「オーロラの彼方へ」や「ペイ・イット・フォワード」のジム・カヴィーゼる、敵役には「LAコンフィデンシャル」や「タイム・マシン」のガイ・ピアース。親友だと思っていた貴族の師弟に裏切られ、無実の罪で投獄されたエドモンド・ダンテスの復讐のストーリー。文盲だった彼に、獄中で知識と剣術を教えたのは司祭役のリチャード・ハリスだった。原作と大きく違う点がいつくかあるが、不自然さはない。大作とは言えないまでも、それなりの費用はかかっており、なにより脚本家や演出家等が楽しんで仕事をしている雰囲気が伝わってくるのが良い。家族で安心して見られる映画とは言えるだろう。但しサーヘ゛ルでの戦いとは言え、剣劇の迫力はやや欠けており、これが三銃士や怪傑ソ゛ロだったら不満が残るレヘ゛ルだ。
「9(ナイン)デイズ」
コミカルな黒人俳優と言えば、すぐにエディー・マーフィーが思い浮かぶが、日本人としては時にそのあざとさ、あくどさについていけない事も多い。同じ黒人俳優のクリス・タッカーは「フィフス・エレメント」や、ジャッキー・チェンと共演の「ラッシュ・アワー」のマシンガン・トークが有名だが、この9ディス゛ではもっととぼけた味を出しており、私にはこの方が好ましく思われる。共演はアンソニー・ホプキンス。タッカー演じるジェイクは、ニューヨークで、賭チェスやダフ屋でその日を送っている。ところが、彼には知られざる双子の兄がおり、そちらはCIAのエリート・エイジェントだったが、ロシアから持ち出されたスーツケース爆弾を買い取るというCIAの工作活動中に、同僚のホプキンスをかばって命を落とす。9日以内に取引を終えなければテロリストに核爆弾が渡るという緊急事態から、ジェイクを替え玉にしたてる作戦が実行に移される。破壊工作にはど素人のジェイクは、嫌でも銃撃戦とカーチェイスのアクションに巻き込まれる。ホプキンスも年の割りにはアクションを頑張っている。いつも無敵のエディー・マーフィーと違って、最後まで普通の人間を演じるジェイクには親近感を覚える。他愛のないアクション映画と言ってしまえばそれまでだが、2時間を超える映画でも、結構飽きないで見る事が出来た。一応推薦としておく。但し、この映画は往年のシネスコサイス゛で、縦横の比率が1対2もあって、通常のハイビジョン・サイズよりかなり細長いので、左右を切り詰めた普通のビテ゛オで見ると相当画面が荒れる事が予想される。DVDでの鑑賞がマストである。この映画に限らず、レンタル・メディアの世界ではDVDが主役の座につき出しており、装置も安くなっているので、この機会に乗り換えを検討されて如何だろうか。
「ジョン・Q」
デンゼル・ワシントン演じる、ジョン・Q(クインシー)は金属加工会社で働く職工だが、不景気のせいで半日勤務にさせられた。転職したいが求職は狭き門である。彼にはプロレスの好きな10歳の息子がいるが、子供野球でヒットを打って走塁している内に倒れる。病院の診断では、心不全で後わずかの命という。これを救うには心臓の移植手術をするしかない。しかし手術には25万ドルの現金が必要で、一部を前払いしないと、ドナー待ちのリストにも載せてくれないという。ジョンは八方手を尽くすが、金は集まらない。何より、それまで保険料を払ってきた医療保険会社が、費用負担を認めないことが、ネックとなる。思い余ったジョンは病院の救急救命室に拳銃をもって立てこもり、息子をリストに載せることを要求する。警察が出動し、狙撃班も到着する。追い詰められたジョンに打つ手はあるのか。心臓外科医にはジェームス・ウッド。年寄りの刑事にロバート・デュバル。しかしこの二人の存在は生きていない。心臓の手術シ−ン有り注意。但し実話ではない。
「ロード・トゥ・パーディション」
アカデミー賞の候補という事もあって、ビデオリリースを楽しみにしていた映画である。トム・ハンクスも、マイケル・ダグラスと同じで、外れの映画の少ない俳優だ。但し、この万年ベビー・フェイス(とっちゃん坊や)と、鼻に掛かった発音が嫌いだという人もいるだろう。その気持ちも分かる。今回は1931年、禁酒法華やかなりし頃のシカゴを舞台にしたギャング映画、と決めつけてしまえば、それこそ身も蓋もない。サリバン(トム・ハンクス)は、街を牛耳る高齢のマフィアのボス、ルーニー(ポール・ニューマン)に拾われて、家をあてがわれて、妻と2人の息子で暮らしている。しかし家族も知らない、その仕事は組織の汚れ役、一言で言えば殺し屋だ。しかも腕ききである。労働組合の帳簿をごまかしたという嫌疑で、組織の一人を消した後始末で、その兄との話し合いの現場に出向いたサリバンは、血気にはやるルーニーの息子が相手を射殺する現場に立ち会い、その結果相手の用心棒をトンプソン機関銃でなぎ倒してしまう。しかし実はルーニーの息子こそ帳簿をごまかしていた真犯人だった。しかも、その現場をサリバンの息子マイケルが目撃してまった事から、サリバンの家族が標的としてルーニーの息子に狙われる。マフィア映画は日本のやくざ映画と同じで、一時期流行し、ゴッド・フォーザー、コットン・クラブ、グット・フェラス等があり、特にイタリア系の俳優、デ・ニーロ、アル・パシーノ、アンディ・ガルシア等の登竜門になっているが、最近ではあまり同種の映画がなかった。サリバンを追うサイコで非情な殺し屋に、AIでロボットを演じた英国俳優、ジュード・ロウ。額をそり上げ、歯並びを悪くし、写真家として、サリバンを追う。多分特撮なのだろうが、1930年代のシカゴの道路は古い車で(当然だ)埋めつくされるシーンもある。テンポは決して早くないし、銃撃シーンも時にスローかつ無音であり、田園を走る車の映像一つでも、セピア調の色調の中に入念に効果を計算された映像となっている。配役にも全く不足はない。余裕のある演技に破綻はない。唯一の例外はフランク・ニティー役。フランク・ニティーと言えば、TVシリーズ「アタッチャブル」で、エリオット・ネスの好敵手だった役柄だけに、もう少し迫力が欲しかった。ちなみにパーディションとは、五大湖周辺の街の名前で、そこにサリバンの義理の姉の別荘がある事になっている。ちなみに英語でperditionとは破滅や地獄の意味である。ご覧頂きたい。損はしない。
「リターナー」
日本映画は技術的にハリウッドに遅れている、それも大きく引き離されているという認識が常識だった。しかしCGが発達し、その分野での日本人の活躍が目立ち始めた。この映画はCGを駆使した(VFXと呼んでいる)SF映画だ。昔幼い仲間をギャング(岸谷五郎)に殺された事があり、いまでは殺し屋家業をしている金城のところに、2080年の未来世界から地球を救う為にやって来た少女が鈴木杏。怪しげな黒幕のおババに希木樹林という組み合わせで、日本映画としては大がかりな場面でストーリーが展開する。一言で言えば、日本版マトリックス+日本版ターミネイター2+日本版インディペンデンス・デイ+日本版ETである。山崎監督自らも、付録映像で語っているように、スターウォーズが出た頃とは違って、技術はCGになってから手を伸ばせば届くところに来た、後は明確な主張があるかないかで作品が決まると言っている。技術を駆使した娯楽映画を作ろうという意欲は伝わってくるが、誰が見ても元ネタが分かってしまうので、今後はオリジナリティー(これこそ大事)の方でも一層の努力を期待したい。それでも、監督や制作者の独りよがりな芸術観に振り回され、冗長で不満の残る作品の多い邦画の中で、家族で楽しめる映画にはなっている。出演者もそれぞれ役にはまっているが、監督は金城にもコミカルな味付けをしたと述べているものの、それだけはイマイチなのが残念である。
「インソムニア」
久しぶりのアル・パシーノと、悪役にロビン・ウィリアムスを配して、アラスカを舞台に、内部訴追を受けている年老いた刑事が殺人犯を追うこの映画は、不眠症という変わった題名を使っているように、白夜の為に夜眠る事が出来ず、内部訴追もあってパシーノにストレスがのしかかるという変わった想定だ。アラスカロケの映像は美しいが、ストーリーの方は余り観客を納得させられないような気がする。最後迄は見るものの、観客にも不眠症のストレスが感染しそうな映画だ
「抹殺者」
映画ファンの喜びの一つは、あまり期待していなかったマイナーな作品の中から、手応えのある映画を発見した時である。この映画の題名と、アントニオ・バンデラス主演ときたので、暗殺のプロでも出てくるのかと思ったらさにあらず。バンデラスは元兵士ではあるが聖職者、即ち神父として登場し、殺人を極力避けようとしている。エルサレムの古い建物の地下で紀元0年頃の遺跡が発掘される。イスラエルの女性考古学者は、その奥に隠された墓を発見する。そこには一体の人骨と壺があった。しかも地面にはピラトの貨幣が落ちていた。キリストの遺骨ではいかという可能性が急速に高まる。バンデラスはローマ法王庁(バチカン)か指令を受け、真偽を確かめる為にエルサレムに入る。この機会を政治的にう利用しようとする、イスラエルの役人、PLOのリーダー等が入り乱れ、思わぬ方向に事態は発展する。果たしてその遺骨は本当にキリストのものであろうか。バンデラスの今までにない使い方だ。
「チョコレート」
なんでこんな題名をつけたのか分からないが、原題はMonster's Ball (モンスターズ・ボール)で、怪物達の夜会、即ち死刑執行前に行われる看守たちのパーティーの事だという。この題名から想像されるように、決して楽しい映画ではない。未だ黒人蔑視の続く南部の刑務所で、3代続く看守の家の父親役がビリー・ボブ・ソーントンである。特に祖父は、庭を黒人の子供が通るだけでもわめきちらす徹底した人種差別主義者だ。おりしも、その刑務所で、親子の看守立ち会いの下で、黒人の死刑囚の刑が執行される。息子はそのショックに堪えられず、混乱する。父親はその息子を激しくなじる。一方、死刑囚の妻、ハル・ベリーは、太りすぎの子供を抱え、家賃にも困る生活をしている。ソーントンいきつけのレストランでウェイトレスとして働くハル・ベリーとソーントンは、ハル・ベリーの息子が交通事故にあった現場に居合わせ、子供を病院に担ぎこんだ時から接点が出来る。性描写も結構激しいので、テーマからいっても、到底子供向きではない。新しい形での人種差別問題をテーマにした映画であり、まあ見て損はないと言っておこう。しかしチョコレートという題は、ソーントンがチョコレート・アイスクリームが好きだからつけたのだろうが、似たな名前の「ショコラ」とは全然別物の映画なのでご注意頂きたい。とは言え、原題も違和感があるので、難しいところだ。ハル・ベリーはこの映画の体当たり演技で、第75回アカデミー賞の主演女優賞を獲得し、授賞式で大泣きして話題となった。
「サイン」
監督はシックス・センスと同じインド系のナイト・シャマランだが、シャマランの次作アンブレイカブル(サミュエル・ジャクソン主演)も、そしてこの作品も、お勧め致し兼ねる。元牧師で、今は単なる農夫のメル・ギブスンは、元野球選手の弟(グラディエーターの敵役、ホアキン・フェニックス)と、亡くなった奥さんとの間の娘と息子(マコーター・カルキンの弟)の4人で、フィラデルフィアの郊外の農場で暮らしている。ところが、ある日、トウモロコシ畑に忽然とミステリー・サークルが現れたのだ。近所のならず者の仕業だろうと思っていたが、非常に素早く動く何者かを目撃する。折りも折り、世界各地でミステリー・サークルが出現し、200以上の年の上空にUFOが現れた。ミステリ・サークルはUFOの着陸の為の案内図だったのだ。赤ん坊の側に置く携帯無線に宇宙人同士の会話が受信される。宇宙人が地球に来た目的は何か。そして着陸地点の一つに選ばれたギブスンの農場と、その家族は無事に危機を切り抜けられるのだろうか。サインとは標であるが、啓示をも意味しており、ギブスンが聖職を捨てた背景についての説明もある。その事件に関与したインド人が登場するが、これが監督その人である。しかし、特撮は殆どないし、侵入して来る宇宙人との対決も、パニック・ルーム程の危機感はなく、SFでも、ホラーでもない、中途半端な作品になってしまった。役者が良くても、脚本が駄目なら、総ては水の泡という悪い例の一つとなった。TV放映の映画の予告編では、いかにも面白そうだったが、実はそうではなかったのでお勧めは出来ない。
「戦場のピアニスト」
スピルバーグは自分のユダヤ人の原体験を映像化する為に「シンドラーのリスト」を制作した。それはモノクロ映画であり、内容の凄惨さからいって妥当な配慮であったと思われる。そして今回は、ロマン・ポランスキーが、ユダヤ人として原体験からこの映画を作ったと言う。1938年、ポーランド、ワルシャワ。ピアニストのウワディスワフ(ウワディフ)・ジュピルマン(実在の人物だそうだ)は、ワルシャワ放送局でピアノの生演奏を放送していた。しかしドイツ軍がワルシャワを攻略し、その結果、ウワディフの親、兄弟一家を含むユダヤ人は、ゲットーと呼ばれる狭い地域に押し込められる。そしてゲットーは高いレンガ塀で囲まれ、出る事を禁止された。食料さえ十分ではなく、路上には餓死者の死体が放置される。老人から一杯の粥を盗む者もいる。壁の穴から出ようとした少年は殴打されて死亡する。ドイツ兵は理由があれば無論の事、理由がなくても無抵抗なユダヤ人を次々に銃殺する。ウワディフはゲットーの酒場でピアノを弾いて家族の糧を得ている。その内、ゲットーのユダヤ人は東部へ移設されるという噂が立つ。ゲットーの生活は悲惨さを極めていたので、東部へ行けば少しは暮らしが良くなるのではないかという僅かな期待があった。ウワディフの家族も選ばれて列車を待つ集団に入れられる。しかし昔なじみで、ユダヤ社会でドイツ任命の警官をしていた友人が、列車に乗ろうとしていたウワディフを列から引きずり出し、ウワディフだけが助かる。働けるユダヤ人しか残されていないゲットーに戻ったウワディフは、レンガ運びの仕事につく。ユダヤ人の間ではレジスタンスの動きがあるが、ウワディフは、ポーランド人の友人達が援助してくれる事を期待して、ゲットーから逃亡する事を計画する。非力な一人の人間が、ナチスの弾圧に堪えて、どう生き延びて行くのか。いつ発見され、殺されてもおかしくない状況の中で、病気や飢えとどう戦うのか。いとも簡単に銃が火を吹き、罪もない人間の死体が路上に転がる。映像はリアルでクールだ。中間色をよく描いており、色彩は美しいと言って良い。廃墟と化したワルシャワの街の光景も、特撮ではあろうが、迫力がある。ドンパチの戦争映画ではない、逃げまどうユダヤ人の眼から見た、もう一つの戦争映画がここにある。実に簡単に訪れる死。リアルな映像に宿る恐怖感と虚しさ。そして主人公が奏でるピアノの音色の美しさ。音楽が分かる人が見れば一層感動は深まる。アカデミー作品賞を獲得出来るかどうかは分からないが、一つの民族が他の民族に対して、これ程までにひどい事が出来たと言う事実を、歴史が忘れない為にも、見ていた方が良い映画の一つであろう。銃を持てば格好良いくらいに思っている馬鹿な若者にとっては、必見の映画とも言える。日本人もかつてどこかで、似たたような事をしていないか心配になる。こういう目にあえば、ユダヤ人も絶対にドイツ人を許さないのではないかとさえ思われる。戦争だけが狂気の原因とは言い切れない気がする。
「ロード・オブ・ザ・リング、2つの塔」
一作を見ていないと理解出来ない映画である。もしこの映画を鑑賞する予定があるなら、一作のレンタル・ビデオを見ておく事をお勧めする。ここで言う2つの塔とは、邪悪な魔術師サルマンの居城(オークの兵士の量産工場になっている)と、悪の総本山、サウロンの居城である。サウロンは実体がなく、巨大な燃え上がる一つの目だけの存在であるが、前作ではちらっとしか登場しなかったが、今回はそれが塔の上に君臨する様子が描かれている。今回は前作と雰囲気も少なからず違う。戦いが主なテーマである事もあり、終始緊張感が漂っている。のどかなシーンは殆どない。今回は、主役のホビット、フロドは苦労はするがあまり活躍はせず、前作では足手まといと思われた、仲間3名のホビット達が健闘している。また人間対サウロン・サルマンの対決の姿勢が鮮明になっており、人間は中つ国の覇権を狙うサウロン一味においつめられる。そういう背景の中で、オークにさらわれた2人のホビット、メリーとピピンを追う、アラゴルン(人間)とレゴラス(エルフ)、ギムリ(ドワーフ)の3人は人間の国の一つローハンに至る。しかし、ローハンの君主はサルマンの陰謀で、既にあやつり人形と化していた。白の魔術師としてよみがえったガンダルフは彼らをどう支援して行くのか。一方モルドールへの旅を続けるフロドとサムは、以前指輪を持っていたゴレムに付け狙われる。ゴレムはハリポタのいじけた召使と同様CG合成と思われる。ゴレムに案内させて二人はモルドールの黒い門に到着する。寿命のある(モータルな)人間のアラゴルンと、永遠の命を持つエルフのプリンセス(アルウェン=リブ・タイラー)の愛の行方等、いくつかのストーリーが輻輳し、同時進行する。特撮は相変わらずの高いレベルで、広い山岳地帯や荒野を背景にしたシーンも、特撮である事が分かっているのにどうやって撮影したのかが分からない。取り分け大規模な戦闘シーン等、日本の映画技術とは格段の差のある事を思い知らされる。色調も派手さを抑えたやや暗いものとなっており、これも前作同様。上映時間は予告を含めて3時間強。しかし、見ていて飽きないのは、ストーリーが骨太である為で、西欧の妖精神話を、アニメではなく実写としてこれだけ見事に映像化したという意味でも、映画史に残る作品であろう。但し、既にウィザードリーやダンジョン・・ドラゴンのようなロールプレイング・ゲームでモンスターや妖精とつきあった事のある若い世代の方が、抵抗なくストーリーに入っていけると思う。ちなみに二作ではついに空飛ぶドラゴン(悪)も登場する。
「ウィンド・トーカーズ」
この映画をどう評価すれば良いのだろうか。戦争映画というのは、ハリウッドの得意の分野である。古くは第二次大戦を扱ったジョン・ウェイン等が出演する多数の映画(モノクロ)があり、その頂点に立つのが「史上最大の作戦=Longest Day」であろう。TVなら、言わずと知れた「コンパット」だ。しかし、その当時の「戦争映画」は、単なる西部劇の延長に過ぎず、6連発の代わりに機関銃を構えて、敵(主にドイツ兵)をなぎ倒すという構図だった。その次に来るのが重苦しいベトナムもので「ディア・ハンター」「地獄の黙示録」「プラトーン」「7月4日に生まれて」等々、「フォレスト・ガンプ」もその一つと言えるかもしれない。ベトナムものの多くが、戦争を狂気の場として捕らえており、米国が勝利を飾れなかったという意味でも、米国の精神的なトラウマを象徴するような作品が多い。最近リリースされたメル・ギブソンの「ワンス・アンド・フォーエバー」は、米軍兵士の勇敢さを讃える立場から見たベトナム戦争で、以前程暗いイメージはないが、主張は明確ではない。戦後50年を過ぎる迄、日本は米国の同盟国として、あからさまに日本を悪役にした映画はなかった。日米合作の「トラ・トラ・トラ」でも、日本人を格好よく描いている。しかしベン・アフレックの「パール・ハーバー」では、真珠湾を攻撃した卑劣な日本人への復讐がテーマとなり、日本を明確に敵として描き出している。それ以前には、南方戦線での熾烈な戦闘を描いたショーン・ペンの「シン・レッド・ライン」があるが、基本的な姿勢は反戦であった。他に近年の戦争ものとしては、湾岸戦争のごく一部を取り上げたメグ・ライアンの「戦火の勇気」、セルビアに墜落したパイロットの脱出を描く「エネミー・ライン」もあるが、所詮、イラクやユーゴにはドイツや日本のような宿敵という感じはない。ソ連との冷戦を取り上げた映画も多く、「レッド・オクトーバーを追え」や、最近ではついに核が爆発する「トータル・フィアーズ」があるが、所詮は冷戦で、白兵戦ではない。そこにこの映画である。主役のニコラス・ケイジは自分の判断ミスで、ソロモン諸島での日本軍との戦いで、部下を無駄死にさせ、自分も片耳の聴力を失う負傷をした。それでも彼はリハビリに努め、戦場に戻ろうとする。しかし彼が任命された仕事は、東京を爆撃するB29の飛行場を作る為に、サイパンの日本軍を攻撃するというものだった。当時日本軍は米軍の暗号をことごとく解読しており、それが攻撃の弱点になっていた。そこで、米軍はインディアンの言葉を元にした新たな暗号体系を造り上げ、実際に戦場に暗号通信員を送り込んで攻撃を効果的に行おうとしていたのである。ニコラス・ケイジは若いナバホの通信兵アダム・ビーチを守り、日本軍に捕虜になりそうになったら適切な処置をするよう命じられていた。サイパンに上陸した米軍は徐々に侵攻を始めるが、日本軍の猛烈な反撃にあってバタバタと倒される。全編の95パーセントが戦闘シーンであり、特撮はあるのだろうが、それにしてもかなりの規模だ。当時の日本軍の戦車や野砲も忠実に描いているように思える。また登場する日本人は全員が普通の日本語をしゃべる。サイパンに日本人家族が住んでいた村があったとは思えないが、日本人の少女にチョコをやるシーンとか、日本酒を飲んで酔っぱうシーンもある。50年もたてば日本人と酒を飲んでいるかもしれん等というセリフもある事はあるが、基本的にはあのにっくき「ジャップ」を掃討する事が目的だ。これでもかという殺し合いである。「パール・ハーバー」以後、ハリウッドは日本にあまり遠慮しなくなったようだ。しかし逆に、それはむしろ良いことなのかもしれない。日本もヒロシマの話を米国で普及させる努力をしている人達もいるし、もっと対等に話をするという可能性が出てきたのかもしれない。植民地で保護される存在から、敵視はされても、対等に扱われる方がましかもしれないのである。そしてこの映画で感じた事は、日本人は頭が良く勇敢であって、そう簡単には負けさせられないという事を、もっと米国人に理解させる可能性もあるのではないかという事だ。そしてそれは「戦場に掛ける橋」の早川雪舟の、禅僧のような崇高さとは別の意味での民族のプライドなのかもしれない。映像について言えば、「プライベート・ライアン」は、凄惨なノルマンディー上陸から始まる欧州戦線がテーマであり、そのリアリズムが話題になった。しかし惨たらしさが過ぎた面があったと思う。この映画もリアルな映画だから、凄惨なシーンは当然あるが、「プライベート・ライアン」よりはましなように思われる。銃弾が飛び跳ねる乾いた音や、重砲の音等、ステレオで聞けば迫力は相当なものだ。リアルな戦争映画を見たい人には迷わずお勧めするが、戦争というものを、バイオハザードのようなゲーム感覚でしか捕らえれない者達に見せるとなると、ちょっと躊躇してしまう。
「オースティン・パワーズ・ゴールドメンバー」
私は米国人の悪ふざけというのは度が過ぎている事があって、ついていけなし日本人には面白くないという先入観を持っている。この映画も例外ではない。主演のマイク・マイヤーズは「ウェインズ・ワールド」で新しい若者像を作り出したと言われている。オースティン・パワーズのシリーズは007をもじったパロディーで、全編これダーティー・ワードの連発である。今回はのっけにパワーズに扮したトム・クルーズ、仇役に扮したケビン・スペイシー、グラマー女優に「扮した」グィネス・バルトロウというおまけが付く。スピルバーグも登場する。要は米国人がおふざけが好きだという事だろう。今回の舞台は東京で、日本人も出てくるが、他の映画と違ってちゃんとした日本語をしゃべっているのがある意味好感は持てる。但し、無論だが、日本人は悪役である。日本人の話は英語の字幕になるが、そのところどころが欠けて、怪しい文章になっている部分は、英語が少し分かる人なら楽しめるだろう。小人扮するドクター・イーブルのクローンという設定がなじめないものがある。英語で聞くとダーティーな言葉もあまり気にならない。一つにはマイク・マイヤーズの少し外れた雰囲気が、下品さを救っているのかもしれない。難しいところではあるが、もっとお勧め出来ない映画もある事を思えば、全くの暇つぶしを覚悟で、見ても良いかもしれない。影絵のシーンは、正直かなり笑った。
「海辺の家」
ケビン・クラインは建築模型を作る事が仕事だが、コンピューターにとって代わられ、解雇される。しかも重病で倒れ、余命幾許もないと医者に宣告されてしまう。10年前に離婚した前妻(クリスティン・スコット・トーマス)は、今は資産はあるが自分の子供にも十分な愛情を示さない夫に不満を懐いている。そして前夫クラインとの間に出来た16歳の息子(ハイデン・クリステンセン)の非行に手を焼いている。クラインは最後の夏を息子と過ごしたいと願う。そして残された人生に何か一つ残したいと思い、自宅のあばら家を取り壊して、息子の為の家を立てようとする。トーマスは年齢の影響が色濃く出ているのが残念。クリステンセンはご存じ、スター・ウォーズ2のアナキン・スカイウォーカー(アニー)で、もともとある暗い雰囲気がそのままで役になっている。役者は揃っていて、演技に破綻はない。カリフォルニアの海岸の崖の夕日のシーンも美しい。見て損はない映画と言える。
「クライム・アンド・ダイヤモンド」
クリスチャン・スレイターは私の好きな俳優の一人だ。今回は囚役中に刑務所で知り合った老人リチャード・ドレファスが隠したダイヤをその娘と共に探し出そうとする。しかし20年前に埋めたダイヤの場所はとんでもないところに変わっていた。脱獄して、故人の別人になりすました迄は良かったが、それが犯罪シンジケートから追われる男だったので、次々に災難がふりかかる。ついには殺し屋に狙われて絶対絶命の立場に。面白いのはその殺し屋(ティム・アレン)が大の映画好きで、映画のセリフが随所に出てくる事だ。特に最後のシーンは映画ファンなら必見。マイナーな作品だが楽しめる。
「GO」by家人
主演は窪塚洋介ですが、在日朝鮮人の青年と日本人の娘の恋愛をテーマに、小気味よいテンポでストーリーが展開します。父親役は山崎努、母親役は大竹しのぶです。これを見ると、在日韓国人、朝鮮人の人達の現在が理解出来ると思いました。国籍や民族より、同じ人間だという主張が、はっきり伝わりました。しかし俳優は実に体力が必要だと思いました。走ったり、殴ったり、荒っぽいシーンが多かったけれど、最後迄飽きずに面白く見ました。これはお勧めです。 (Uta)
「ギャング・オブ・ニューヨーク」by家人
題から言っても、ギャングの話ですが、今のアメリカN.Y.のイメージからはとても想像が出来ない1860年代のN.Y. 日本では江戸末期から明治維新前後のことですが、アメリカでもあんな野蛮な時代がつい150年程前まであったのかと思います。こういう成り立ちの国とは、日本はとても太刀打ちは出来ないと感じました。皆さんにお勧めは出来ない程に、残虐で、暴力的で、破壊的です。その頃の江戸時代の日本はもっと平和で文化も高く、洗練されていたのではないかと思いました。主演はレオナルド・ディカプリオとキャメロン・ディアスです。(Uta)
「ハリー・ポッター、秘密の部屋」
二作目。2年生になって、ホグワーツ魔法学校に戻りたいハリーを、おなじみ叔父夫婦が邪魔をする。しかし、空飛ぶ安物自動車で友達が迎えに来る。魔法学校には隠された秘密があった。誰にも分からない所に、秘密の部屋があって、魔物が住んでおり、扉を開けると生徒に犠牲者が出るという言い伝えがある。廊下を通り掛かったハリーに、どこからともなくささやき声が聞こえてきた。この学校は数個の寄宿舎からなっており、ハリー達が入っているのはグリフィン(翼のあるライオン)寮だが、他に蛇をモチーフにする寮もある。なおサーペントという言葉が出てくるが、錦やアナコンダのような大蛇ではなく、昔船を襲ったとされる海蛇のような蛇を指すものらしい。米国のテレビのトーク番組で、ポッター役の俳優の声変わりが皮肉られていたが、実際にそうだった。但し容貌はあまり変わらない師、それほど大きな障害にはなっていない。むしろ、前作のひ弱な感じから大分逞しくなった。
「模倣犯」
宮部みゆきのベストセラー・ミステリーの映画化。割合早い段階で犯人が割れる。年老いた豆腐屋山崎努(なんで豆腐屋なのか)と中居の火花を散らす対決、と言いたいが、救いがないので、この映画は推薦できない。但し中居は意外に健闘している。
「白い犬とワルツを」
仲代達也主演の邦画。妻を亡くした頑固な年寄りの余生を描く映画だが、実はこれは米国が原作で、1993年にジェシカ・タンディー等の主演で、映画化されている。洋画は見ていないが、邦画の方は国民の感動を呼ぶと言うのは少し無理があろう。
「アイ・アム・サム」
人柄は良いが所謂知的障害者で、7歳児の知能しかない男が、コーヒー店(ご想像の如くスターバックス)で働きながら、ホームレスの女との間に出来た女の子を一人で育てている。しかし児童福祉局が、女の子が7歳になり、これ以上育てるのは無理と判断して、里子に出すよう裁判所に提訴した。サムの弁護士は上昇志向のミシェル・ファイファー。ファイファーはかなり強烈な存在感をアッピールしている。しかし主演の女の子の演技は凄い。ペンの知的障害者の演技は期待したほどではない。
「タイム・マシン」
LAストリーズで出世主義の警官を演じたガイ・ピアースが主演。恋人を公園で強盗に殺された変人科学者が、時間を元に戻したいという熱望から奇想天外なタイムマシンを発明する。絶望した彼は80万年先の未来に行く。そこは人類の末裔が住む野蛮な世界だった。タイムマシンの外で時間が加速して移り変わる世界の映像が素晴らしい。氷河が来て、また去ってゆくありさま。しかし基本はアクション娯楽映画である。
「トータル・フィアーズ」
トム・クランシーの小説「恐怖の総和」の映画化。以前ハリソン・フォードが演じたCIA局員ジャック・ライアンを、今回演じるのは「パール・ハーバー」のベン・アフレックだ。CIAの長官にはモーガン・フリーマン。フットボールの競技場で突如爆発した核爆弾。それは果たしてソ連の策略なのか。いやが上にも高まる米ソの緊張。ライアン一人が、ソ連のせいではないと主張するが、刻一刻と運命の時は迫る。・・と言うほどには、実は引き込まれない。費用を掛けた映画である事は分かるのだけれど。
「スコーピオン・キング」12月
ハムナプトラ2をご覧になった方は、最後のシーンで巨大な蠍と化したモンスターが暴れ回るのをご覧になった事だろう。あの顔のデザインは格闘技のザ・ロックというファイターのもので、この作品はザ・ロックを主演にした活劇映画だ。どうせB級だと思って見ていたら、意外に肩も凝らずに楽しめる映画であることを発見した。時は5000年前のエジプト。予言者をはべらせて暴政をふるうメムノーンが支配する都ゴモラを、少人数のザ・ロックのチームで奪う事が出来るのだろうか。セリフが少ないぶんアクションはふんだんにある。共演はグリーンマイルの黒人俳優。
「プロフェッショナル」
ジーン・ハックマンは年季の入った泥棒である。今日もティファニーに良く似た宝石店を仲間と襲い、人をあやめる事なく、宝石の強奪に成功する。しかし故買屋のダニー・デ・ビトーは大変な悪で、なかなか金を寄越さない。ハックマンもそろそろ足を洗いたがっている。そこへスイス銀行の金塊を奪うという計画が持ち込まれる。ハックマンは断るが、結局巻き込まれる。一種のコン・ゲームで、飽きさせない部分はあるが、ハックマンを年寄り扱いし過ぎて、却って興ざめする部分もある。女房役の女優も個性的だが美人とはいいかねる。そもそもデ・ビトー自身が悪役には向ていない。ジーン・ハックマンのファン向きの映画だ。
「スターウォーズ、エピソード2、クローンの攻撃」
劇場公開から半年足らずでビデオ化され、DVDが3800円だ。スターウォーズの新作は、前作を必ずしのぐと言って良い。エピソード1で少年だったアナキン・スカイウォーカー=ダース・ベイダーはハイ・ティーンに成長し、オビ・ワン・ケノービの元でジェダイとしての実力をめきめきつけている。 惑星ナブーの元女王(公選制)を二期勤めた現元老院議員(セネターの方が良いと思うが)のパドメ(英語ならバドミー)アミダラは重要な投票の為、銀河系共和国の首都惑星コルサントに到着する。しかし執拗な暗殺者に狙われている。誰がどういう意図で彼女を狙うのか。警護に当たるのはアニー(どうもこの名前はしっくりしない。なんたってダース・ベイダーなのだから)、犯人を追求するのはオビ・ワンだ。ナブーのネイティブ、ジャージャー・ビンクスはセネターの代理という高職にあり、エピソード1で、このキャラは黒人を馬鹿にしているという批判があった事への対応かとも思われる。後は見てのお楽しみだが、今回の敵役はクリストファー・リー演じるドゥークー伯爵で、ご存じかどうかは知らないがクリストフォー・リーはドラキュラ役で有名な俳優だ。ドゥークーという名前も、伯爵という肩書も、それに引っかけたものと憶測される。アニーとバドメのラブ・ロマンスもあまり濃厚でないのが良いとも言えるが、未熟な感じがするとも言える。見どころは特撮とアクションであり、ラブ・ロマンスは二の次で良い。ヨーダの眼のさめるような活躍、R2のトンでもない特技が見られる。一度見ただけでは分からない仕掛けや楽屋落ちがふんだんにあり、DVDを買って繰り返し見るのが、正しいスターウォーズ・ファンの鑑賞法であろう。第一作エピソード4につながるエピソード3が待ち遠しいところである。ロード・オブ・ザ・リングが出た時はスター・ウォーズを超えたかと思ったが、やはりスター・ウォーズの方が上だった。又聞きだが、ジェダイの騎士と言うのは格好良い名前だと思ったら、黒沢映画ファンのルーカスが、時代と言う日本語から取った名前だそうだ。ライト・セーバーはジェダイの武器だが、むしろレーザー・サーベルと言うべきだろう。
「アイス・エイジ」
CGを駆使したアニメである。主人公の動物達の表情はデフォルメが過ぎると言わざるを得ないが、毛皮の質感等で、CGの能力を目一杯引き出している。実はあまり期待していなかったが、迷子を親元に戻す為に旅をするというストーリーが単純なだけに、分かり易く、感情移入もしやすい。ドングリを追いかけるリスのような動物が終始、狂言回しを勤めている。欧州ではこのビデオが大ヒットだそうだ。
「スコーピオン」
エルビス・プレスリーのそっくりさん大会で沸き立つラス・ベガスのホテルを、武装強盗が襲った。メンバーは、ケビン・コスナー(チョー悪)、カート・ラッセル(少し悪)、クリスチャン・スレーター(悪)等である。奪った3億円を巡って起きる仲間同士の対立、それをかすめ取ろうとする親子。結局見どころは、撃って撃って撃ちまくる銃撃戦になるのだろうが、映画が終わった後のエンド・クレジットに、「キャノン・ボール・ラン」でも使われた、NGシーンがついており、どうやらこの映画、アクションというよりは、コメディー仕立てのようだ。徹底的な悪を演じるコスナーが、果たして悪人のイメージが板についているかどうかは、見てのお楽しみ。
「小林サッカー」
少林寺拳法で鍛えた脚力や、腕の力、これを少林寺拳法の普及宣伝の為に使う方法はないだろうか。その方法に頭を悩ませていた若者が、サッカーを思いつく。猛烈な破壊力を発揮するに違いない。例えばキーパーがボールを投げれば相手のゴールに届くかもしれない。汚い手口でサッカー界の頂点に立つチームのオーナーに恨みを抱く監督が、少林寺拳法の仲間を集めて、トーナメントに挑戦する。しかし、手ごわい敵もいる。サッカーが大好きか、超人的なサッカー・ゲームというものを想像してみたい人には、お勧めかもしれない。
「MIB2」
劇場でも見たが、これほど一作目と同じように作られた二作目も珍しい。記憶を消されて地方の郵便局長に転任したトミー・リー ・ジョーズが、地球の危機(いつもそうだ。しかもいつも時間がない)に瀕して、重大な秘密を知っているらしい。そこで既にMIBの幹部になっているウィル・スミスが、トミー・リー・ジョーンズを本部に連れてきて記憶を呼び覚まそうとする。今回の悪役宇宙人はやたらセクシーだが、実は蛇の集合体のようなモンスターで、MIBの局長との間になにかあったらしい雰囲気だ。前回ホランド・トンネルの天井を走ったスーパー・カーの二代目はベンツで、今回はご想像の通り、空を飛ぶ。話が出来る犬(パグ)も登場し、事態は一層ややこしさを増して居る。どう見ても「デューン」のサンド・ワームのパクリのような宇宙人も登場して、地下鉄をむさぼり食う。また一作目では、シャキール・オニール(プロ・バスケットボール選手)も宇宙人という事になっていたが、今回はマイケル・ジャクソンのそっくりさんが出てきてやはり宇宙人だと名乗っている。気楽に楽しめる映画だ。
「アザース」
ニコール・キッドマンがミュージカ大作「ムーラン・ルージュ」に続いて、今度はスリラーに挑戦。大戦直後のイギリスは、ジャージー島にある古い館で、キッドマンは夫が戦地から戻るのを、二人の子供と共に待っている。しかしこの子供達は光を浴びるとアレルギーを起こして命が危なくなるという特異体質の持ち主だ。キッドマンは新たに召使を雇い入れる事にした。庭師や、乳母等3名がやってきたが、この3人にはどこか謎めいた雰囲気があった。そのうちに長女が家の中で見知らぬ子供に出会ったという話をする。最初は信じなかったキッドマンだが、ピアノが自然に鳴り出す等の不可解な現象を目の当たりにして、パニックに陥る。果たして召使の秘密とは。そして生者は死者と一緒に暮らす事が可能なのだろうか。最後迄気を許せない、最近では出色のスリラーだ。