「WTWオピニオン」
【辛口批評、2004年】
「モンスター」
アカデミー賞受賞作だが、なぜ娼婦が連即殺人犯になったのかを、娼婦の視点から描き、人間性とは何かを問おうという姿勢は分かるし、社会の底辺に暮らす人たちのことを忘れてはいけないことは分かるのだが、訴求力に欠けるとでもいうのか、感動が少ない。また彼女に接する男達が意外に善人が多く、それでも彼女が彼らを射殺しなければならないという動機が今ひとつ分からない。弱肉強食が当たり前の米国社会に対する抗議ということなのだろう。推薦には出来にくい。
「パニッシャー」
FBIの覆面捜査官が、ギャングのボスに家族を殺され復讐を誓うという筋書きで、よくある話ではあるが、陰惨にならないように演出しているのと、主役を無敵のスーパーマンにしないことで、アクション映画としてあきさせない。一応推薦とする。
「レイ」
ジャズ、ポピュラー・ファンはご覧頂きたい。盲目というハンディを持ちながら人手を借りないで生きてゆこうとする姿勢が凄い。
「五線紙のラブレター」
コール・ポ−ターの生涯を描い映画。主演はケビン・クラインで、またもゲイの話が出てくる。しかしポーター葉いわゆる両刀で、リンダ(アスレイ・ジャッド)という奥さんがおり、愛情深い一生を送る。この映画の見所は、音楽そのものに尽きる。クラインのシーンも殆どがピアノの前での作曲の光景だ。ポーターの名曲の数々を実力派歌手が歌い上げる。「ナイト・アンド・デイ」「ビギン・ザ・ビギン」「トゥルー・ラブ」「ソー・イン・ラブ」などを、改めて聞いてみて、ああ、こんなにいい曲だったのかと思っただけでも、この映画を見る価値はあった。ポーターの曲はインテリジェンスが高く、ちょっと分かりにくいが、やはり素晴らしい。洋楽が苦手の人にはお勧めしない。
「笑いの大学」
戦時中の日本を舞台に、稲垣吾郎の喜劇脚本家と、役所広司演じる警察の検閲官の駆け引き。殆どが取調室での二人の会話シーンだ。ラジオの時間や、みんなの家デおなじみの三谷幸喜節だが、舞台劇だと思って見ないと、あざとさのが鼻につく人もいるだろう。。他の2作についても言えることだが、長過ぎる。最後の30分だけで十分だ。しかし、一度見始めたら、最後まで見ないと意味がない。推薦はしないが、見るのを止めもしない。しかし、なぜ脚本家は、登場人物の少ない劇を一度は書きたがるのか。有名なところでは3人しか出てこない「死と乙女」という舞台劇がある。これを見に行こうとして、ブロードウェイを歩いて居る最中に、私は財布をひったくられた。関係ない話だが。
「ターミナル」
一体全体、空港に閉じ込められた外国人を描いて、なにが面白い映画になるのか、甚だ疑問だったが、実際に見て、思わぬ拾い物になった。トム・ハンクス演じるビクターは東欧の国からニューヨークのJFK空港に着いたばかりの旅行者で、英語もろくに話せない。おりしも故国ではクーデターがおき、パスポートが失効して、入国も、帰国も出来ないちゅうぶらりんの状態になる。実際にはありそうもない極限状態だ。舞台はニューヨ−クのJFK空港だが、トランジットのロビー(これをターミナルと呼んでいる)から出られなくなった彼は、何でもあるが、金がないので食事も出来ない状況で、金を稼ぐために様々な工夫をする。一方、空港の税関長は、むしろ空港から追い出して警察や移民局の手に渡して厄介払いしたくたまらない。そこでいろいろ画策する。そのとき現れる浮気なスチュワーデスがゼータ・ジョーンズ(最近ますます妖艶)との淡い恋の行方や、彼が大事そうに持ち歩いているピーナツの空き缶、そしてニューヨ−クニ来た目的など、気になる仕掛けが出て来る。ビクターの人柄に引かれ、空港職員や従業員に、味方が出来る。税関長を演じる脇役も好演だ。基本的には、無人島の映画や、フォレスト・ガンプなど一連のトム・ハンクスの映画の延長にあるヒューマニズム作品だが、どんな題材でも、脚本が良く、役者が上手ければ、面白い映画が出来るという一つの例である。推薦。
「隠し剣、鬼の爪」
劇場で見損ない、ビデオリリースが待たれていたもの。山田洋次の時代劇の2作目である。原作者が同じ藤沢周平のせいか、1作目とかなり内容、作風ともに類似点が目立つ。山形の地侍の実直な人生と純愛。うらみもない相手との果し合いと。しかし今回の本当の悪役は緒方拳の家老だ。藩きっての一刀流の遣い手である永瀬だけに伝授された隠し剣鬼の爪とは、一体どのようなどのような技なのか。果し合いでも使おうとしなかったそれは、実在するのか。一作目の「たそがれ清兵衛」を超えたとは言いがたいが、下らない邦画が多すぎる中では、推薦。小澤が銃で手を撃たれるシーンは不要だ。
「ロボット」
米国(加州、サンノゼ)で映画を見る機会があった。その2-3日前から、TVのレイトナイ トショウで、声優の一人のロビン・ウィリアムスが登場して盛んに宣伝していたので、封切りの3月11日に見た。予想通り子供連れで賑わっており、しつけの悪さは日本以上なので、ガキンチョ達が大騒ぎを演じていた。ところで、翌日のUSA Today に早速批評が載っており、「ロボットはよく出来ているが、筋は古臭い(=Rusty は錆びているの意味)」という説明があった。リベット・シティに住むロドニー・カパーボトム(声優ユアン・マクレガー)は、トップになりたいと思い、故郷のリベット・シティーを後にして、メガロポリスのロボット・シティに向かう。彼は発明会社のトップに会って、発明家としての道を歩みたいと願ったいる。しかし野心的な社長(ステンレス製である、無論)にあっさり追い返されてしまう。庶民(というのかな)階級の友達に助けられ、会長を探しに行く。下町(というのかな)には未だ多くの旧式なロボットが大勢住んでいるにも関わらず、部品の供給は打ち切られようとしている。うっかり町を歩いていると旧式だというだけの理由で捉えられ、溶鉱炉に入れられてしまう。ついには会長を探し出し、改革に乗り出すという筋だ。ヒロインの声優にハル・ベリー、会長にメル・ブルックスなど、米国のアニメ特有の贅沢な声優陣だ。見所はやや古臭いロボットのデザインと、ロボット・シティの道路や乗り物の画像だ。どれをとっても独創的で、こういうところが日本の映画界が逆立ちしても敵わないところだ。制作は「アイス・エイジ」のブルー・スカイ・スタジオだ。画が良く出来ているので一応推薦。
「コラテラル」
collateralで、映画では巻き添えと訳していたが、例えば並んでジョギングするのもコラテラルらしい。この映画でコラテラルするのは、白髪交じりの冷血な殺し屋トム・クルーズと、「レイ」でアカデミー賞を取ったジェイミー・フォックスである。フォックスは将来ハイヤー会社をやろうと、ロスでこつこつ働くタクシーの運転手である。その日、最初に乗った客は美人黒人女性検事。淡い気持ちを抱いて分かれる。次に拾った客は、一晩あちこち回ってくれれば高額を払うという。これに付き合って裏通りに駐車して待っていたら、突然車の屋根に死体が降ってくる。この客はギャングの裁判の証人たちを、次次に消すために雇われた殺し屋だったのである。フロントグラスが壊れた車を運転して警察に怪しまれたり、逃げ出そうとして失敗したり、この悪夢のような道中はどこまで続くのか。ハードボイルドがはあるが、そこここにユーモラスな雰囲気がある。トムクルーズが適役かどうかは別にしても、飽きずに最後まで見る事が出来る。一応推薦。
「パパと12人の子供」
久しぶりのスティ−ブ・マーチン十八番のホーム・ドラマである。12人の子供がいる家庭の父親は、フットボールのコーチしてシカゴに栄転し、大きな家に引っ越す。ところが母親が本出す為、NYに出張している間に大騒動が起きる。ホームアローンなどの流れを組むコメディだが、安心して見ていられる。
「霧と砂の家」
ジェニファー・コナリーは離婚して、一人で住んでいるが、その家を郡が、所得税不払いの理由で接収し、競売してしまう。それを買ったのが、米国に亡命してきた元イランの秘密警察の大佐ベン・キングズレーの一家だった。弁護士が郡と掛け合って家を取り戻せそうになるが、キングズレーは市価(4倍)でなければ手放さないと言い出し、平行線。コナリーに惹かれた保安官の言動が、状況を一層複雑な泥沼にしてゆく。映像はリアルだが実話では無論ない。コナリーも体当たりの演技なので、ファンなら見たほうが良いかもしれない。映画で読む小説といったところである。
「沈黙の聖戦」
スティーブン・セガールの沈黙シリーズは、いつも駄作ぞろいだが、今回のものはストーリーがあるだけややましである。このシリ−ズでは、トミ−リージョーンズ共演の沈黙の戦艦を超えるものは出そうにない。上院議員の娘と一緒にテロリストに誘拐された娘を救出に向かう元工作員セガール。セガールも相当中年太りだが、日本できたえた空手は未だ何とか通用している。セガールの東洋びいきを計算に入れて、準々推薦くらいか。
「オペラ座の怪人」
アンドリュー・ロイドウェッバーの傑作ミュージカルの映画化である。私の最も愛するミュージカルでもある。NY駐在当時、来訪者との同席を含めて4回ステージを見た。切符を取るのが難しくて半年待ちであった。ロンドンでも一度見た。無論毎回出演者は変わり、どんどん若手になって行くので、最初に見たものが一番良く印象に残っている。本当ならオリジナル・キャスト、サラ・ブライトマンのクリスティーヌと、マイケル・クロフォードのファントムで見たいところだが、それはかなわぬ夢、CDで楽しむほかはない。なお残念ながら四季の舞台は未だ見たことはないが、オペラ歌手クラスの歌唱力がないと出せない音域がある。他のミュージカルもブロードウェイで多数見る機会があったが、ミュージカルの基本はハッピーエンドで、明るく楽しく、風刺を効かせたものが多く、その中でファントムは異質であった。限りなくオペラに近い作品で、パリのオペラ座のオペラ歌手を主役にしていることもあるが、悲劇的な要素を含んでいるからでもある。映画化については、いかにウェッバーが自ら手がけたとは言え、正直やや心配であった。しかし、15歳の時からウェッバーが育ててきたというクリスティーヌ役のエミー・ロッサムは、充分に仕上がっていて破綻がない。ラウル役のパトリック・ウィルソン他重要な脇役達も充分な歌唱力がある。ただ惜しむらくは肝心のファントムが、ルックスはいいが、声の質がもっと滑らかだと良いと思った。但しファントムが怪物ではなく弱い人間であるという表現は、映画の方が良く描けている。人間の心に潜む善と悪、苦しみと悲しみ、複雑な女性心理、そして愛が全てを容認する。字幕の有難さで、今まで語学力の不足のせい、曖昧だった部分が全て明確になった。筋書きはシンプルなので敢えて書かない。舞台と殆ど変わらない現代最高のミュージカルを手軽に楽しめるのだ。是非ともご覧頂きたい。なお、舞台は見たという人でも、今回ウェッバーが追加した曲があり、特にエンドクレジットで新曲が流れるので、うっかり席を立たないようご注意頂きたい。また音楽の音量が半端ではないので、真ん中より後ろの席で鑑賞したほうがよろしかろう。
「AVP(エイリアンvsプレデター)」
かつて「エイリアン」を最初に見たときはショックだった。私の場合はたまたま海外に駐在しており、ウィーンで訳の分らないドイツ語の吹き替えで見ていて、突然宇宙船の乗組員の胸からエイリアンの子供が飛び出してきたのだから仰天した。そして次がエイリアン2で、前作では全く無力だった人間も武装し、多少は報復ができるようになった。しかし最後まで戦ったのは、か弱きどころか、極めて強い女性のシガニー・ウィーバーである。その後3,4と続くがどれも救いのない、というより救いようのない駄作であった。エイリアン・シリーズでは断然2が優れており、私はレーザーディスクも2だけは揃えた。ところで、それとは別に「プレデター」という映画があった。ベトナム戦の最中に米軍の戦闘小隊が次々に何者かに襲われる。シュワルツェネッガーが戦う相手は透明化する技術を持っており、動物の発する体温を赤外線で見て襲って来るのである。これも2がつくられ、私はこれもプレデターでは最も良く出来ていると思ったが、主役は黒人の刑事ダニー・グルーバーで、これが出世作。ロスに墜落した宇宙船から出現した透明な怪物プレデターと戦うのだが、やっと一人倒したと思ったら最後の大勢に囲まれた万事急すかと思うラストシーンの出来が良い。前振りが長くなったが、グルーバーがプレデターを宇宙船の中まで追って行くと、ある部屋に、人間の頭蓋骨と並んで戦利品のエイリアンと思われる頭蓋骨が飾ってあった。このシーンが今回の映画の原点である。地球探査衛星が南極の氷の下600フィートの深さに熱源がある事を探知する。画像を分析するとどうやらピラミッド型をした構造物が氷の下にあるらしい。衛星の会社は探検に備えて、掘削の専門家、考古学者など、様々な専門家を雇う。その中に黒人女性の環境学者兼極地探検家がいた。砕氷船で向かった島には古い捕鯨基地があり、以前住民が一夜にして姿を消したという事件が会った場所である。しかも到着まで写真にはなかった、地下に通じる大トンネルが一夜にして現れる。探検隊の一行は地下で大ピラミッドを発見するが、不可解な武器らしいものを取り上げたことで、装置が作動し、探検隊は分断されて迷路に閉じ込められる。既にプレデターの巨大な宇宙船が地球ニ接近しており、3名のプレデターが地上に降り立つ。地上に残った隊員は次々にプレデターに襲われる。一方地下の隊員達には、目覚めた女王エイリアンが産み落とした無数の卵から孵ったエイリアンの幼生が襲いかかる。というわけで、全然人間には勝ち目がないのだが、予告編にある「どちらが勝っても人類に未来はない」という説明は大嘘である。プレデターというのは蟹の顔をした醜悪な宇宙人だが、本姓はハンターであり、強い動物を狩ることに価値を見出している。彼らは宇宙最強の生物エイリアンを繁殖させて(餌は何かは言うまでもなかろう)これを狩ることに楽しみを見出しているのだ。なんちゅうやつらだ。当然ながら地下でプレデターとエイリアンがくんずほぐれつの死闘を繰り広げるのだが、このシーンが凄い。無論特撮なのだが、これまでの映画のどれより良く出来ている。プレデターの特殊合金の刃物の切れ味はプレデター2でも紹介されていたが、あのエイリアンの硬そうな頭蓋骨もスライスしちゃうのである。エイリアンも黙っては(言葉はしゃべらないが)いない。とげとげのついた尻尾でズブリと突き刺させば、いくらプレデターの装甲でもたまらない。しかも血液の代わりに体内を流れる酸はプレデターの装甲や刃物でも溶かしてしまう。というわけで戦闘シーンの連続だが、正直言って面白かった。最後まで残るのが、エイリアンでは白人女性、プレデターでは黒人男性、そしてこの映画では黒人女性というのも、ひねりが効いている。しかし、ターミネータ2がT2と呼ばれたせいかどうかは知らないが、AVPはないと思う。映画は面白いだけでは作る意味がない。でも面白くなければ見る価値はない。良い映画はまず見て面白い(感動的だも面白いに強引に含めることにする)。今年見た映画で一番感動した映画ではないが、一番面白い映画であった。人によって好き好きはあると思うが、私もハリウッドの特撮映画に毒されているのかもしれない。後はスターウォーズ3を待つのみである。推薦。
「スパイダーマン2」
驚異の観客動員数を誇るが、ホント?という印象だ。確かにスター・ウォーズやロード・オブ・ザ・リングや、ハリポタと比較したら可哀相だとは思うが、最大の欠点が悪役である。4本の機械触手を背負って暴れまわるが、もともとがただの科学者だから迫力がない。また核融合といえば水爆だが、そう簡単にコントロールできるのだろうか。今回の目玉はスパイダーマン(トビー・マクガイアー)の面が割れてしまうところ。無論ガールフレンドにも分ってしまう。しかし彼女(キルスライ・ダンスト)は少女なのにセクシーさを強調するというアンバランスなキャラだ。むしろ純愛に振った方がよかったのではばいか。結論から言えば、バットマンよりましということだろう。暴走する高架電車を止めるシーンは迫力がある。続きがありそうな終り方になっている。
「ザ・ボディーガード」
スタローンのロマンス映画でヒットした映画は余り記憶にない。もっともこれはアクション映画かもしれない。マフィアのボス(あのソニー・クイン)が対立する相手から守ろうとして素性を知らせずに育った娘が、マデリン・ストウ。それを陰ながら護衛して来たのがスタローン。娘は結婚しているが夫は浮気者、当然スタローンになびく。父親は殺され、自分も命を狙われる。喜劇仕立てで、ストウも精一杯お色気を振りまくが、それはストウの持ち味ではない。以前のはちゃめちゃ西部劇ほどではないがミスキャストだ。ラスト・モヒカンがべストである。クインはこれが遺作になったようで、クインのファンなら見ておいたほうが良いかもしれない。
「ロスト・イン・トランスレーション」
アカデミー賞で何で取り上げられたのか謎の映画。サントリーのCM撮影のためにに来日し時差に悩まされるビル・マレーが、ふと知り合った若妻(米国人です)と気持ちの交流を持つという、ただそれだけの単純なお話を、日本は新宿のハイアットホテルから殆ど一歩も出ないような状況で描いている。一言で言って地味というより、単調な映画だ。大体ビル・マレーが大物スターというところから無理がある。ケビン・コスナーや、ハリソン・フォードならいざしらず。日本の映画ファンをなめたらあかん。ただしソフィア・コッポラは日本を好意的に描いていると思う。
「ハウルの動く城」
宮崎駿の新作アニメ。ベネチア映画祭で絶賛。ギクシャクと動く錆ついた歩行城にはものものしい大砲の姿も見えるので、ドカンドカンと撃つのかと思いきや、そういう事は起きない。若いが強力な魔力を持つ、しかも心優しい魔法使いハウル(キムタクのイメージではない)の住まいであり、それが単に移動できると言うだけのことである。しかもハウルは無精者らしく中は汚れ放題。ところで、話は帽子屋の跡を継いでいる長女ソフィー(倍賞千恵子)のつましい生活描写から始まる。街で兵隊に絡まれそうになったソフィーを、突然現れたハウルが救う。ところがハウルを追い求める荒地の魔女(三輪明宏) がソフィーに呪いを掛け、その呪いを解きたければハウルに手紙を渡せと言う。その呪いとは少女だったソフィーを老婆に変える事だった。息を切らしながらハウルの城を探すソフィーを途中で助けたのはやはり呪いを掛けられたらしい案山子だった。城を見つけたソフィーは、掃除婦になって城に住み込む。城には魔法使いの見習い少年もいる。ここでは火の悪魔が暖炉に陣取っており、城の動力源になっている。この火の悪魔とハウルはどうやら少年時代に密約を取り交わしいるらしく、一方が死ぬ(水をかけられるなど)と他方の命も危うくなるらしい。そもそもこの映画には原作があり、欧州の「魔法使いハウルと火の悪魔」という本がそれらしい。だからコミカルなキャラだが、火の悪魔がしょっちゅう出て来る。この城にはドラエモンのどこでもドアがついており、街中に通じるドアもある。その家なら移動しないので普通の生活ができる。この国の国王は戦争が好きで、強力な魔法使いが身辺につきそっている。彼女はハウルを排除したいので探し続けている。ハウルは街を焼く飛行軍艦に単身戦いを挑む。ハウルの密約というのは、このままの状態が続くと、ハウルはついには魔王に変身してしまうというものらしい。王の宮殿にハウルの代わりに参内し、戦争への魔法使いの協力を断ろうとしたソフ−は、荒地の魔女と一緒になる。しかし魔女は王室の魔法使いニより魔力を奪われる。最初ヨボヨボだったソフィーは、良く働き、徐々に若返る。ストーリーは少々分りにくく、とても幼い子供の頭で理解できるものではない。背景画は精緻を極め、CGを最大限に使ったリアルな作りだ。最初登場したばかりのソフィーは、眉毛も濃く、とても可愛いとは言えないが、ハウルに恋心を抱いた事で徐々に変身してゆく。ハウルは強い魔力を持つのに弱虫なので、ソフィーが彼を助ける。「千と千尋の神隠し」で言えば、千尋がソフィーであり、ハクがハウルだ。変身した時の顔なしみたいな妖怪も出て来る。空を飛ぶものが好きな宮崎氏のこと、今回も飛行機械が出て来るが、イメージは「ラピュタ」の蝿飛行機であり、「ナウシカ」の飛行戦艦だ。結末は納得できるが、途中で脚本に無理が感じられる部分もある。ハリーポッターとは違う魔法使いの世界だ。でも、やはり世界の宮崎アニメの名にふさわしい映画ではある。ジョージ・ルーカスと同じ時代にいる事を幸せと思ったこともあるが、宮崎駿と同じ時代に生きたことはより大きな意味を持つ。この殺伐とした時代に、人間が求める基本的、普遍的なものを彼は与えてくれるからである。推薦。
「華氏911」
2004年の大統領選挙ではブッシュが再選された。この映画はアカデミー賞候補が確実視されていたのに、ブッシュ再選を阻止するため、アカデミー賞エントリーの権利を放棄してまで、選挙直前まで上映が継続された。原題は「ファーレンハイト9/11」で、私の想像であるが、華氏461(数字は定かでない)という未来小説(SF)があり、書物が禁止され、それゆえ知性が否定される世界だったと思う。この温度は本、即ち紙に着火する温度だったと記憶する。日本の題名は911だが、原題は9月11日で、同時多発テロが発火点になった事を暗示しているようだ。この映画はドキュメタリー映像だけで構成されている。主役(?)はブッシュだが、やらせや修正とは思えない。おそらく実際の映像そのままであろう。オープニング・シーンは黒く、ただ音声だけが流れる9月11日のテロのシーンである。その後で、貿易センター崩壊後の町の混乱のシーンが映される。ところが2日後、すべての航空機の離発着が禁止されている中で、ビンラディンの一族を乗せた旅客機24機と自家用ジェットだけが離陸を許される。政府上層部の命令だという。サウジの大使は、危険を避けるためだと説明する。FBIはせめて尋問をしたかったと悔しがる。そしてストーリーはブッシュ・シニアの湾岸戦争後、ブッシュ・ジュニアが父親の名前の下で、石油事業を次々に失敗(破産)させながら、自分は被害を受けずにいるところから始まる。ブッシュの事業に資金をつぎ込んでいたのはサウジアラビアとビンラディンの一族だった。サウジの大使館はワシントンの一等地にあり、大統領の警護隊が警備している。ブッシュ・ジュニアがフロリダを制したことでゴアに勝ったが、得票はきわめて怪しいものだった。フロリダ州知事はブッシュの弟であり、フロリダの司法長官は住民26000人に選挙権がないとして投票権を取り消した。その殆どが黒人であり反対派だった。議会に無効を訴えた黒人議員達の主張は議会と最高裁で否決された。9月11日の後、ビンラディンを追跡する政府の動きは鈍かった。初動は事件から2月も経った後だった。そしてアフガン。しかしタリバンはブッシュ・シニアと親交があった。ブッシュ政権はイラクが大量破壊兵器を製造している、テロも支援していると決めつけ、イラク侵攻を開始した。ここで我々が今まで見た事のない、イラク戦争の凄惨なシーンのいくつかと、米軍兵士の本音が紹介される。次々に犠牲になる、子供を含んだイラクの市民達。また報復で、カメラの眼前で重症を負い死亡する兵士達。それらがすべて生の映像である。絶対にTVでは報道され得ないものだ。目を背けたいと思うが、それが出来ない。戦争とはこういうものだったのかと改めて思い知らされる。続いてカメラの視点は、米軍兵士と、兵士の家族に移る。死んだ兵士は、手紙の中で、何で戦わなければならないのかが分らない。誰の為の戦いかと訴える。米国全体に厭戦線気分が広がり、兵士のリクルートもうまく行かない。応募してくるのは他に生活の手段のない下層階級の人達だけだ。議員の子弟でイラクに行ったのは一人だけ。チェイニー副大統領が社長を務める軍需産業ハリーバートン社や、8割も上前をとる米国系石油関連会社は大儲けをしている。ブッシュは米国の有産階級をエリ−トと呼び、自分の基盤はそこにあると公言してはばからない。米国の富裕階級を支えるために、大儀のない戦争で命を落とす米軍の兵士達。そしてイラクの市民。もうこれ以上の嘘にはだまされないという、ブッシュの言葉に、監督のマイケル・ムーアの、私もそう思うという言葉で映画は終る。映画は最大の娯楽である。しかし宣伝や主張の手段でもある。この映画は娯楽映画でもないし、ドキュメタリー報道でもない。単純明快な主張を伝えることだけを目的としている。そしてその主張はブッシュの再選阻止は手段であって、真の目的は反戦である。ひとたび戦争を起こせば、それは自分で自分を継続する、戦争とは支配者が被支配者に対して行うものである、と主張する。ブッシュの盟友小泉首相は「このような偏った映画は見ない」と断言したという。もし首相が自分の信念に基づいてブッシュに追随するのであれば、この映画の主張と4つに組んで、自分の深遠を述べて頂きたいものである。この映画を完全に論破できなければ、自分の信念を自分で信じていないということになりはしないだろうか。なお、注意したいのは、イラクノ軍隊や市民と、後でオラクの武装勢力に入り込んで、テロの活動拠点にしているアルカイダと、分けて考えなければならないということだ。最大の被害者はイラクの国民であり、米国の兵士である。アカデミー賞とは無関係に、この映画は今年最もインパクトの強い映画であろう。子供を除く日本国民全員に見て欲しい映画である。戦争はそのものが悪なのだ。それを理解できない政治家が支配している国に住んでいることが、どんなに恐ろしい事かということでもある。
「21g(21グラム)」
人は死ぬと誰でも21グラムだけ体重が減るという。ではこの21グラムとは何であろうか。俗説ではこれこそが魂の重さであるということらしいが、この映画では、それを命の重さと受け止めているようだ。心臓疾患のある大学教授のショーン・ペンは、心臓のドナーを待っている。彼の妻は、夫の余病が少ないので、人工受精で子供が欲しいと思っている。その矢先、交通事故で脳死した男性が心臓を提供してくれたので、ペンは一命を取りとめる。ペンはドナーが知りたくなり、私立探偵を雇って突き止める。それは幼い二人の娘共々、暴走したピックアップトラックに轢かれた建築士。残された妻、ナオミ・ワッツを慰めようと近付いたペンはワッツに惹かれてゆく。一方、交通事故の加害者は、2年前に刑務所を出所してから敬虔というよりは、過激なキリスト教信者になった労働者ベニシオ・デル・トロ(「トラフィック」でアカデミー助演賞受賞のメキシコの名優)だった。彼は自首して2年服役する。一方その2年の間にペンの心臓は拒否反応を示し、急速に弱り始めていた。ペンはワッツのためにしてやれることはないかと考え、拳銃を手に入れ、ベニシオの後を追う。家族の理不尽な死で、麻薬に溺れるワッツ。ベニシオは信仰があれば救われると信じつつも、自責の念に押しつぶされ、信仰にも疑問を抱く。教条的な牧師や、またもや生命の危機に直面するペン。生とはなにか、死とは何か。そして、人の命の意味と重さとは何か。生きることの不条理。いくら考えても、結論の出ない命題に、見ているものを否応なく引き込む映画である。カット・バック手法を多用しているので、現在と過去が入り乱れて分りにくいが、決してシュールな映画ではない。普通の人間が極限まで追い詰められたら、所詮平凡な事しか考え付かないのかもしれない。3大スターの競演の、この映画を見るべし、そして考えるべし。久しぶりに手ごたえのある映画だ。推薦。
「白いカラス」
原題がヒューマン・ステイン。ステインといえば錆のことだが、この中では人間の傷と訳していた。コールマン(アンソニー・ホプキンス)はマサチューセッツの三流大学を一流大学に叩き上げた、やり手の古典学教授だが、敵も多く、欠席続きの黒人学生をスプーク(幽霊)と呼び、それが黒人の蔑称でもあった為に、足元をすくわれて辞職のやむなきに至る。その結果心臓の弱い妻も他界する。憤懣やる方ない教授は、作家(ゲイリー・シニーズ)をつかまえて、ドキュメンタリーを書かせようとする。自分には年の若い愛人がいる事を話す。愛人とは、郵便局で出会ったアルバイトの女だが、富豪の娘でも、継父に暴行されて家出した女であった。暴力を振るう夫(エド・ハリス)から逃れ、子供も失った女を熱演するのはニコール・キッドマンだが、アザース以降演技力が身についてきたようだ。実は教授の生い立ちにも、誰にも言えない秘密があった。それは彼の両親が黒人であるが、彼は偶然肌の色が白く生まれついたということだった。黒人系の大学に進む事を嫌い、白人の大学に進学し、白人のガールフレンドと結婚する。両親は死んだと嘘をつき、家族とも断絶状態だった。一方キドマンは自暴自棄になり、男から男へというすさんだ生活をしていたが、教授と出会い、お互いに傷をなめあうような生活を始める。しかし、執拗に妻をつけ狙う精神異常の元夫の存在が、ストーリーを悲劇的な方向に押しやるのであった。キドマン、ハリス、シニーズなど迫力に満ちた演技を見せる。脚本に俳優の演技力がついていけないのが普通だが、この作品は逆である。俳優の存在感だけが見るものを圧倒する。ストーリーが今ひとつであり、感動が薄いので、残念ながら非推薦。
「ワイルド・レンジ(原題オープン・レンジ)」
その名の通り、広々とした緑の草原からシーンが始まる。長年に渡り牛追い、即ちカウボーイの生活を続けている老練なボス、ロバート・デュバルはさしづめ、「ローハイド」のフェイバーさんと言ったところか。彼とコンビを組んで4年目というケビン・コスナーが、クリント・イーストウッドの役であろうか。後2名を加えた4名が牛を追って移動中、地方の小さな町に買い物に出た仲間の一人が、土地のボスの仲間に襲われるという出来事が起きた。留置場を訪れたデュバルとコスナーに、町のボスは通行料を払うか立ち去れと脅す。町の保安官も無論ボスの手下である。ここから話は一気に対決の方向に進み始める。医者の妹のアネット・ベニングとコスナーのラブストーリー等を取り混ぜて、昔は殺し屋だったコスナーが派手に拳銃をぶっぱなす。対決シーンは「OK牧場の決闘」と「真昼の決闘(ハイヌーン)」を足して2で割ったようなものだが、拳銃の発射音は大きい。6連発は45口径だろうから、そのくらいの音は当然かもしれない(筆者の実射経験では、38口径でも耳鳴りがするほどである)。しかし3時間、観客の興味を維持できる脚本とは思えない。下手をすると、思い切りすべった「ウォーターワールド」にさえ及ばないもしれない。救いは草原の風景だけである。アネット・ベニングも年をとったし。よって非推薦。
「トロイ」
おなじみトロイ戦争を、アキレスにブラピを配してリメイクしたもの。3時間の大作。ストーリーはホメロスの原作にやや忠実。無敵の勇者アキレスは、ギリシャの支配者アガメムノンを軽蔑はしているものの、自分の名誉のために戦士の道を選ぶ。おりしもアガメムノンの弟が治めるスパルタとトロイが同盟を結ぼうとした矢先、トロイの王子の一人であるパリスが、スパルタの妃ヘレンに一目ぼれして連れ去ってしまう。怒りに燃えたスパルタ王は兄の力を借りて、1000艘の船でトロイ攻略に向かう。最後はアキレスとトロイの勇将ヘクトールの一騎打ちに至る。無論木馬も出て来る。トロイのヘレンといえば、楊貴妃、クレオパトラと並ぶ美女だから人選も大変だったろう。ブラピのファンなら見たほうが良いだろうが、長いのと、「ベン・ハー」のような重厚さが感じられない事がいまひとつだ。
「ビッグ・フィッシュ」
年老いた父親エドワード・ブルーム(アルバート・フィニー)は一人息子に他愛のない作り話をするのが好きだった。しかし息子の結婚式にも、ホラ話をしてしまい、完全に愛想をつかされてしまう。その話というのは、近くの川に大きな魚が棲んでおり、誰も釣り上げる事が出来なかったが、結婚指輪を餌にして、それを捕まえたというものだ。また、身長が5メートルもある巨人に町ガ襲われた話や、巨人を連れてサーカスで働いたとか、旅の途中で靴をはかない村があったとか言うものであった。しかし、この父親が病で倒れ、余命いくばくもないという知らせを受けて、息子は勤務地のフランスからアメリカに戻ってくる。息子の願いはただ一つ。本当の父親の姿を知りたいということだった。果たしてどこまで、父親の話は本当なのか。母親役はジェシカ・ラング。サーカスの団長にダニ・デ・ヴィトーなど、顔見知りの俳優が共演している。この映画を見て思い出したのはフォレスト・ガンプと8 1/2である。ストーリーは違うが雰囲気が似ている。余りない映画なので、推薦。父親が若い頃の役をユアン・マクレガーが演じている。.
「ラバース」
「ヒーロー」に続くチャン・イーモウの武闘ロマンス映画だ。「ヒーロー」が良かったので、二番煎じになりはしないかと心配だったが、これはこれでよくまとまっている。飛刀団の首領を倒したばかりの役人、金城武とアンディ・ラウに、新首領を殺せという政府からの命令が届く。どうやら遊郭の盲目の人気ダンサー小妹(チャン・ツィイー)が情報を握っているらしい。しかし小妹は舞踊の最中に役人の命を狙ったので、捕えられてしまう。金城が小妹をわざと逃がし、首領を追うことにした。しつような政府の役人の追撃で何度も窮地に追いこまれる二人。二人の間にはいつしか気持ちが通い始める。衣装は今回も和田エミだが、今回は徹底的にグリーンにこだわっている。失礼だが今迄余り美人とは思えなかったツィイーだが、今回は目一杯魅力を引き出している。また風の音を効果的に使っていて、音がとてもリアルだ。ストーリーを書いてしまうことは出来ないが、ラストシーンは決して平凡な終り方ではない。竹林での戦闘シーンなどアクションも良く出来ている。問題なく推薦だ。但しラブ・シーンの出来はよろしくない。ぎこちないし、もっとさらりと描くべきである。チャン・イーモウはラブシーンが余り得意ではないようだ。
「デイ・アフター・トゥモロー」
環境破壊の結果、大型のハリケーンが地表を襲い、零下100度の寒気団による氷河期が急速に訪れる。米国民はメキシコに向かう。凍りついたマンハッタンに取り残され、私立図書館に避難した息子達の為に、気象学者の父親が救出に向かう。想定は相当に無理があるが、特撮アクション映画と割り切れば家族で見ることは出来る。
「東京原発」
新宿の中央公園に原発を作ろうという突飛な計画をぶち上げる東京都知事(役所広司)と反対する都庁の幹部の対立に、少年の核燃料ジャックが絡むという話で、荒唐無稽を装いつつ、シリアスな話題を取り上げている。しかし、水が掛かったくらいでプルトニウムが臨界点に達するという前提には疑問が残る。
「ヒューマン・キャッチャー」
コッポラの製作というので見た。なんとなく「地獄の黙示録」を思わせる雰囲気もあるが、意外におどろおどろしくない。地獄のこうもり男が23年ごとによみがえっては人間を襲うという(無論)作り話だが、相手は翼があって、素早く移動するのでいささか厄介である。高校生が穴の開いたスクールバスに閉じ込められるというところに無理は感じられるが、子供をさらわれた農夫が黙っていないいうところは良い。
「キル・ビル2」
前作が余りにも出血シーンが多かったので、期待はしていなかったが、完全に前作と補完関係にある映画だ。前作と打って変わって、血しぶきはあまりない。ビルの弟を狙っていたベアトリクス(ユマ・サーマン)は逆に捕らえられて、あろう事か墓に生き埋めにされてしまう。タランティーノ独特の荒い画面に下品な科白回しだが、リアルさだけはある。話は変わって、昔ベアトリクスがビル(デビッド・キャラダイン)の愛人(で殺し屋)だった頃、ビルの勧めでカンフーの達人に師事した事がある。なぜ結婚式のリハーサル会場に刺客を送って殺戮が行われたのか。結局はベアトリクスとビルの関係に行き着くスト−リーだが、前作を見た人はこれを見ないと、話にならないだろう。2という題名で、同じ趣向で3や4もあるのかと思ったが、今回が最終回である。しかし、カンフーの達人が、白いあごひげをしごく動作がわざとらしいのと、このジーさんが日本人の事を滅茶苦茶悪口を言うのが、少し気にはなった。ただしユマ・サーマンは前作よりは見やすくなった。
「エル・コロナド、密林の神殿」
題名からはアンジェリーナ・ジョリーのアクション映画を思い出すが、もっとソフトだ。許婚がスイスに出張したので、後を追ってはみたものの、彼は中米のコロナド(架空の国名)に行っていることが分り、彼女もコロナドまで足を伸ばす事になった。しかしそこは、ここは革命寸前の騒然とした小国だった。米国人レポーターに引きずられるように反乱軍の味方をすることになる。暴力とセックス描写が少ないので安心して見ていられる。気楽に楽しむという意味で、映画のあるべき姿の一つかもしれない。
「ディープ・ブルー」by家人
BBCが7年の歳月をかけて制作した、海とそこに棲む生物達の映像です。NHKの「生き物地球紀行」を見慣れていると、それほど新鮮味はないかもしれなせんが、空中からの映像や、深海、渚など、さまざまな海のシーンを背景に、魚やイルカ等が織り成す生命の躍動感。心配した弱肉強食のシーンもそれほどではありませんでした。説明は殆どなく、音楽のバックだけですが、その音楽が重苦しく、あまり感心できませんでした。
「シュレック2」
アメリカでは大ヒットしたが、日本ではそれほどでもない。それはそうだろう。米国人か、米国の大衆文化(特に映画)に詳しい者でなければ分らないギャグやパロディーが満載なんだから。私は幸い後者なので、大いに楽しんだ。まず声優が前回同様豪華絢爛だ。主役のシュレックは前回同様マ−ク・マイヤース(オースティン・パワーズ)、フィオナも同様キャメロン・ディアス、ロバがエディー・マーフィー。そして今回は長靴を履いた猫にアントニオ・バンデラスス、国王の妃にジュリー・アンドリュースなどなどである。新婚旅国を楽しく過ごして家のある沼地に戻った怪物rシュレック夫妻の元に、フィオナ姫の両親から故郷に戻って顔を見せよという手紙が来る。渋るシュレックのお知りを叩くように故郷に戻ったフィオナだが、トーゼンのごとく両親、特に国王は新郎シュレックが気に入らない。それはそうだろう。何しろ相手はところ構わず放屁をするような怪物(オーガ)なのだから。一方、妖精の女王は自分のバカ息子をフィオナと結婚させようとして王国の乗っ取りを画策する。この王国はまんまハリウッドのパロディーだ。城での舞踏会はアカデミー賞授賞式そのもの。冒頭「ロード・オブ・ザ・リング」のパロディーもある。ギャグとパロディーのすべてが分ったら貴方もネイティブである。漫画というより実写に近いアニメだ。個人的には推薦だが、日本人の多くは半分も(理解できないから)楽しめないだろう。一つには日本人は生真面目で、ギャグを楽しむという習慣が未だ出来ていないということもある。音楽は最高水準で、これに近いのは「美女と野獣」くらいだ(当然、この映画のパロディーもある)。エンディングの歌は「リビング・ヴィダ・ロカ」だ。なお私はこの映画の結末には承服できない。しかしエディー・マーフィーのトークはやはり凄い。
「ハリー・ポッター、アズカバンの囚人」
ハリポタも3作目で、今回見る前に一番気になったのは、主役の少年の成長である。そういう意味では、3連作を一度に作ってしまう「バック・トュー・ザ・フーチャー」や「ロード・オブ・ザ・リング」の手法が本当は望ましいのかもしれぬ。いくら望んでも「」スター・ウォーズ」の新作にハリソン・フォードやマーク・ハミルを出すわけにはいかない。しかし、魔法学校の悪ガキ共も同じように成長しており、意外に違和感はなかった。但し次回作はよほど気をつける必要があるだろう。やはりハリポタは子供の映画であり、青年を主人公には出来ないだろう。今回は前作までを見ていて筋を理解していない人にはチンプンカンプンかもしれない。規則に違反した魔法使いを閉じ込める牢獄アズカバンから、凶悪な囚人が脱走した。しかもそれは、ハリーの両親を殺害した事件に関与した人物らしい。叔父夫婦と喧嘩して、ハリーが学校に戻ると、囚人は学校に侵入を企てる。今回は前作のようなクライマックスの特殊効果という意味合いでは物足りないかもしれない。ストーリーが中心なのだろう。特撮はいつもの通りで前作より進んでいるが、狼男だけはいただけない。エマ・トンプソンが間抜けな魔女のチョイ役で出演している。敢えて推薦にするほどでもないが、成長するタレントを上手に使ったという点で準推薦。
「オーシャン・オブ・ファイア」
予告編で期待していた程ではないが、気楽な娯楽作品として割り切れば良いのもかも知れない。「ロード・オブ・ザ・リング」の人間の主役(あたりまえだろうって?それは映画を見ていない人の言う科白である)、ヴィーゴ・モーテンセン、初の(どうか知らないが)主役映画である。騎兵隊を父に、母親をインディアンに持つモーテンセンは野生馬ヒダルゴで、郵便の伝令をしており、大陸横断30日の記録を持っていた。ワイルド・ビルのウェスト・ショウに出演していたが、アラブ人から世界一速いという言い方に文句がつき、アラブの砂漠3000キロを横断する過酷なレース、オーシャン・オブ・ファイアに参加することになる。襲い掛かる自然と、妨害の陰謀、謎の美女という、う割合普通の設定である。原題は馬の名前のヒダルゴだが、馬も、主役も実在の馬と人をモデルにしている。アラブの族長として、なんと「アラビアのロレンス」のオマール・シャリフが出演している。お暇ならどうぞ。
「シービスケット」
一言で言えば、馬主ハワード(ジェフ・ブリッジス)と調教師スミス(クリス・クーパー)、騎手レッド(トビー・マクガイア)の物語である。そして血統は良いが怠け者で、たらいまわしにされてた馬(シービスケット)こそ本当の主役であろう。レッド赤毛のためそう呼ばれていたが、少年の頃、不況で親と分かれて厩舎に住み込み、馬術の腕を磨いていた。しかし身体が大きすぎて騎手向きではなかった。しかも生活の為の路上のボクシングの試合で、右目の視力を失っていた。スミスは馬を愛する一匹狼の調教師だ。ハワードは自動車販売から財を成すが、息子を自動車事故でなくし、妻にも去らてしまう。ハワードはメキシコで馬好きの女性に出会い結ばれるが、同時に競走馬への関心を深めてゆく。訳有りの3人が出会い、シービスケットを競走馬に育ててゆく。緒戦、サンタ・アニタのレースでは、鼻の差で敗れるが、一着の馬とのマッチレースを要求し、つにそれが実現する直前に、レッドは頼まれた馬のウォーミング・アップ中に落馬して右足を複雑骨折してしまう。知り合いのジョッキーに代役を頼むことになtる。ところが、その直後、今度はシービスケットも靭帯を切ってしまう。果たしてこの馬と騎手の運命やいかにと言うところだが、この映画の見所は、人情だけではない。競馬のシーンもリアルである。不況のどん底にあえぐアメリカ国民を勇気付けたという、シービスケットの実話は知っておいて損はないだろう。推薦。
「ニューオ−リンズ・トライアル」
銃の乱射事件で夫を亡くした未亡人が銃の巨大メーカーを提訴する。メーカーの社長は辣腕の仕事人ジーン・ハックマンを雇って裁判つぶしにかかる。受けて立つ正義の弁護士に珍しくダスティン・ホフマン。謎の陪審員にジョン・キューザック。この3人が味のある演技をしているため、映画としての充実度が高い。テンポが速く、観客を飽きさせない。陪審員の票を獲得する為なら、脅迫も買収も不法行為まで何でもありのハックマンのやり方もむしろ現実味がある。本当に公平な陪審員などいないというハックマンの言葉に、陪審制度の問題点も浮かびあがる。陪審制度がミニ衆愚政治になる可能性はあるということかもしれない。でも日本のように知識のある優秀な人間が独断で決めるのとどちらが良いかと言われると、結局は手続きの審査だけでなく価値判断の問題に帰着するのなら、多分現状では衆愚の方が間違いが少ないかもしれない。いずれにせよ、そう言う事を考えさせる映画ではある。推薦。
「ミッシェル・バイヨン」
リュック・ベッソンのルマンのレース映画である。そもそもレ−スの映画を皆作りたがるが、スタローンの「ドリブン」にしても、トム・クルーズの「デイズ・オブ・サンダー」にしても、さらには古典的なスティーブ・マックイーンの「ル・マン」にしても、いつもどこか消化不良気味なのは、レース場を周回するだけの自動車レース映画の限界が原因と思われる。クラッシュ映像がいかに派手になっても、悲劇はレース中のアクシデントという設定も変わらない。ドリブンではF1レーサーを公道で走らせているが、それでも最後はやはりサーキットそのものが主役だ。しかし車がいかに速く走ろうとも、基本的に繰り返しだから、単調になってしまうのは仕方がないのかもしれない。最初に鈴鹿で国際レースが開かれたときのTV中継が、いかに退屈だったかを思いだす。このときは2台の、車体の低いロ−タスの独走体制で、フェアレディなど全く歯が立たず、競り合いのシーンすらなかった。「バイヨン」の場合はラリーのシーンで迫力を追求している。また「バイヨン」が他の映画より優れているのは、ベッソンの色彩感覚だ。レーサーの車体の透明感のある鮮やかな赤、建物の壁の青などが、鮮烈に描写されている。しかし、車が主役の映画なら、「ミニミニ大作戦」などの方がよりスカッとするかもしれない。準推薦。
「解夏」
ゲゲとは、さだまさしもふざけた題名をつけたものだと思っていたら、仏教用語らしい。インドで僧が、閉じこもって修行する時期の夏が始まるのが結夏(けちげ)。それが終るのがげげと言う事らしい。難病で失明の恐れのある青年の軌跡を、静かなタッチで、さだの故郷長崎を舞台に描く。見てそれほど損はしないが、積極的に推薦するほどでもない。
「半落ち」
ご存知、読者が選ぶベスト・ミステリーの第一位となった横山秀夫の小節の映画化である。犯人役は、寺尾の他に適役が思い浮かばない。刑事役の柴田恭兵も抑えた演技で好感が持てる。役者は揃っており、それぞれが過不足のない演技をしている。皆で良い作品にしようという雰囲気が伝わって来る。筋は書籍の紹介で触れているので、ここで改めてストーリーのご紹介はしない。アルツハイマーと白血病,そして人間の尊厳がテーマである。2時間が長く感じられない。最後のシーンはやはり涙だ。寅さんの満男役の吉岡が、重要な若手判事役で出演している。原作に助けられてはいるものの、何とか制作委員会などという馬鹿馬鹿しさがなく、まじめな映画作りの姿勢を買って、推薦とする。
「ミスティック・リバー」
クリント・イーストウッド製作のアカデミー賞受賞作。確かに主演男優賞のティム・ロビンスの演技は良いとは思うが、他にも中堅どころの役者を揃えて、演技力には不足はない。デイブ(ティム・ロビンス)とジミー(ショーン・ペン)とショーン(ケビン・ベイコン)は幼馴染みだが、デイブは小さい頃誘拐されて暴行されたという暗い過去を持つ。おりしも、ジムの19歳の娘が何者かに拳銃で殺されるという事件が起きた。物語はベイコンが犯人を探す経過を追う形で進行する。聞き込みを進めるうちに、ジミーがかつて服役したことが分かる。そして拳銃の持ち主から有力な手がかりをつかむ。ミステリーファンでなければ、どんでん返しで面白く見られるだろう。原作者はフェアな態度で臨んでいるので、ミステリーファンには推測が付くように複線が張られている。但し個人的には、この結末は気に入らない。もっとも含みは残されている。役者達の演技力に敬意を払い、推薦。
「ヘブン・アンド・アース」
原題「Worriers of Heaven and Earth(天地英雄)」で、中国の映画である。中井貴一が遣唐使として(紀元400年頃か)唐に渡り、剣の訓練を受けて、皇帝直属の刺客となって、お尋ね者を追う。その中に、皇帝の虐殺命令に背いた元将軍の李がいた。中井は追討が帰国の条件とされた為、西域に李を追う。しかし李が経典を長安に運ぶ隊商の護衛をしていたことから、二人は休戦して、隊商を盗賊から守るために力をあわせる。しかしこの隊商が運んでいたものは経典だけではなかった。中井は馬に乗って大活躍だが、昨今の特撮剣戟(近日リリースの英雄等)を見慣れていると、少し物足りない。確かにシルクロード゙やゴビ砂漠の景色を見るだけでも価値はあるとは思うが、最後は積荷の力で問題を解決するというのはいささか安易な解決ではないか。制作の努力に免じて、推薦。しかし、中井の中国語、どこまで発音が正しいのか中国の人に聞いて見たい気がする.
「イン・アメリカ」
カナダからニューヨーク(マンハッタン)に移住してきた、アイルランド系の家族は、両親と幼い姉妹であった。やっと見つけた住居はハーレムの汚いアパートである。父親は演劇の仕事を探すが、オーディションに受からず、タクシーの夜勤運転手となる。母親はアイスクリーム屋に勤める。物語は幼い姉妹の口で語られるが、この家族には幼い息子を亡くした辛い過去があった。米国の底辺の生活をリアルに描き、ぎりぎりの生活を続けて行く家族ガテーマという、一歩間違えば重苦しい映画になりそうところを、楽天的な姉妹の言葉(悲観的な子供なんてあるだろうか。もっとも昨今の日本では悲観的どころか、虚無的な子供が増えているようであるが)と善意の黒人が救っている。アカデミー賞の候補にもなった。しかし、実際にも姉妹であるこの子役のあくまで自然な演技は、天才的としか言いようがない。出産費用に2万ドルを要求する病院に、日雇いに近いこの家族が払えるはずもない。弱者に厳しいアメリカ社会を告発しているとも言える。バトル・ロワイヤルのような、主張もなく精神異常のような退廃的な映画しか作れない日本映画界は、爪の垢でもせんじて飲むが良かろう。アカデミー職主演女優賞、助演男優賞、脚本賞候補作品。
「ルビーとカンタン」
カンタンとは人の名前で、Quintinと書くらしい。ジャン・レノ演じるクールな一匹狼ルビ−が、ボスに愛人を消されたため、復讐の為に金を奪って逃走するが、捕らえられ、刑務所に入る。一方、ジェラルド・ドパデュー扮するカンタンは、人は良いが知恵は足りない腕力の強い強盗で、たまたま同室となる。二人が脱獄してボスと対決するまでのストーリーだが、ドパデューのボケにはやや苦しい面もあるものの、レノの突っ込みは最高である。テンポが良く、科白が笑える。ひさしぶりに本当に可笑しい映画を見た。パッパッと画面が切り替わり、余計な説明のシーンはない。この思い切りが素晴らしい。レノのこわもての対応が、ドパデューのおとぼけではぐらかされる、その絶妙の間。フランスの喜劇精神は健在であった。役者の力量というものがこういう映画ではっきりと分かる。ハリウッドのスターは所詮大根なのではないかとさえ思える。推薦。
「シェイド」
久々のカード・ギャンブラーの映画で期待したが、それほどの出来ではない。最後は若手のギャンブラーと、伝説的ギャンブラー役のシルベスター・スタローンの対決だ。しかし会話の中でも「お前はシンシナテェイ出身か」などの楽屋落ちもあり、スタローンがミネソタ・ファッツをパクっていることははっきりしている。ドンデン返しもあるが、スタロ−ンの映画の常で、歯切れが余り良くなく、スッキリしない。シンシナティ・キッドのリメイクといったら、マックイーンが怒り出しそうだ。従って非推薦。
「すべては愛のために」
気恥ずかしくなるような題名だがbeyond the borders(国境を越えて、但し一線を越えての意味もありそう)の方がまともだ。トゥームレイダーズでおなじみのアクション女優の第一人者、アンジェリーナ・ジョリーのラブロマンスである。英国のセレブであるジョリーは、私財を投げ打ってアフガンの難民を支援しに出向いてから、結婚後も国連の難民保護局の職員となって働いている。支援のために世界の危ない地域に行きたいという気持ちを抑えることが出来ない。アフガンで初めてあくの強いボランティアの医師と出会い心惹かれる。難民の苦境がテーマだから、カンボジアやら、グルジアなどが舞台となる。世界の悲惨な現状を訴えるという意味では、見て価値のある映画だと思うが、ジョリーをヒロインとした切ないラブ・ストーリーとして成功しているかとなると疑問と言わざるをえない。とにかくアクション女優のイメージがついてまわるし、たくましく日焼けしていかにも強そうである。こういう場合は男優にもう少し優男を持ってきたほうがよかったのかもしれない。半分推薦。
「バレット・モンク」
B急映画だが、つい最後まで見てしまった。グリーン・デステニーにも出ていたジョン・ウーが出演している。チベットの山奥でそれを読めば無敵になるという巻物を守る僧がおり、60年ごとに交代している。この僧は、巻物を間もお手いる間は銃で撃たれても死なないし、他人の怪我や病気を癒す力もある。だからブレットプルーフ・モンクという原題だ。どうやら原作は漫画らしい。今から60年前に巻物を奪おうとして失敗したナチが、執拗に僧の後を追う。現代のニューヨークを逃げ回りながら、この僧は後継者を探す。彼の目に留まったのはケチなスリだった。スト−リーは単純だが、あきさせないで最後迄見せるということを最近の特に日本の映画監督(タケシを含む)忘れているようだ。映画館の主役はあくまで観客であって、監督の自己満足や美学のために作られた映画がうまくいった試しがない事に、いつになったら気がつくのだろうか。
「レインボーブリッジを閉鎖せよ」
おなじみ、湾岸署シリーズのムービー版2作目である。無論お手軽な脚本だし、荒唐無稽には違いないが、ありふれた日常感覚が、変に気負った現代劇に多い不自然さより、よほどリアリティーを感じさせる。早回しをせずに見た。作りはおなじだ。すりや噛み付き魔などの小さい事件と、連続殺人の大きな事件の組み合わせだ。またも本庁から、今度は女性の本部長が来て官僚風を吹かしまくる。現場主義の青島巡査長(刑事というのは本庁所属なのか)や、故いかりや長介が反発する。結論から言って、犯人の逃亡を阻止しようとするレインボー・ブリッジの封鎖計画は、所轄官庁が多過ぎて実現しない。しかし予告編では、ブリッジが爆破されるようなシーンがあったように思うが、爆破はない。織田の青島役と、柳葉の本部長役は定番だが、今回のヒロインはあまり可愛くないので感情移入しにくい。くだらない洋画を見るよりはましである。但しTVドラマの拡大版という本質的な性格は変わらない。それから私はDVDで見たが、全体に映像が明るすぎるというか、白っぽいのが気になった。
「コールド・マウンテン」
アカデミー賞で多くの賞の候補になった作品。エイダ゙(ニコール・キッドマン)はノース・カロライナの山間の寒村、通称コールド゙・マウンテンに教会が出来たので、父親の牧師とともに到着したばかり。そこで孤児の青年インマン(ジュード・ロー)を知り、お互いに惹かれ合う。しかしおりしも南北戦争が勃発、インマンは兵士として戦地に赴く。エイダとインマンを結ぶものは手紙だけである。戦地で負傷したインマンは、エイダの戻って欲しいという手紙を読んで、脱走が死刑である事を知りつつ、一路コールド・マウンテンを目指す。一方、コールド・マウンテンでは、出征しなかったならず者が義勇軍の名の下に暴虐の限りを尽くしていた。畑仕事の出来ないエイダの手助けに送り込まれたルビー(レニー・ゼルウィガー)が、エイダを助けて農場の建て直しを図る。戦争の持つ狂気(イラク戦争でも実証されたが)を正面から取り上げた映画。米国人は戦争も好きらしいが、こういう反戦映画も作る。15才以下お断りとあるように刺激は強いが、見て損はしない。キル・ビルやロード・オブ・ザ・リングだけが映画ではない。推薦。
「キル・ヒ゛ル」
ユマ・サーマン扮する秘密工作員が、仲間から命を狙われて瀕死の重症を負う。襲撃の黒幕は日本人でヤクザのボスだ。復讐のために日本に渡ったユマは、沖縄の刀鍛治に名刀を貰い、単身悪の巣窟東京に乗り込む。しかし飛行機の機内に日本刀を持ち込むなど有りえない想定だ。東京の下品な料亭では、ヤクザ相手に血しぶきの大サーヒスだ。中国人扮する鉄火女も登場。これが監督のタランティーノの持ち味なのかどうか知らないが、出血多量の殺しの場面には、見ている方がげんなりしてしまう。荒いアニメなども交えているがとにかく終始一貫しているのが、昭和初期の場末の劇場を思わせる粗野と下品さだ。非推薦。
「ドッペルゲンガー」
役所広司扮するロボット工学者が、自分の分身、ドッペルゲンガーに付きまとわれ、ついには犯罪に走る。終始だらだらおち続く映像にストーリーらしきものはない。何も考えずに映画を撮影すれば、こういう映画になるという悪い見本である。退屈という日本映画の特質を充分に備えた、日本的作品。という訳で非推薦。
「女神が家にやって来た」
恥ずかしくなるような題名だ。でも中身はそれほどひどくはない。スティーブ・マーティンは税金専門の弁護士で、良い暮らしはしているものの、ワーカホリックで妻と離婚したばかり。そこに転がり込んだのが警察に追われる黒人女性。彼女は無実の罪だから裁判で弁護して欲しいと依頼するが、不在中に仲間を家に呼んで乱痴気パーティーをするなど素性は充分に怪しい。この組合わせでどのような結末になるのか。マーティンも演技は鼻に付く臭さがあったが、大分こなれてきた。
「ブルース・オールマイティ」
バッファローの地方局でTVレポーターをしているジム・キャリーは、アンカーになりたいのに嫌いなライバルに座を奪われる。そこに現れた神様(モーガン・フリーマン)が、キャリーに神様の代行の力を与える。キャリーは何でも思い通りになる力を悪用して、アンカーを下ろして自分がアンカーになる。しかし、人々の願いをかなえる仕事をいい加減にやったおかげで町は大混乱。アンカーの話を、放映中に滅茶苦茶にするシーンは久々に大笑いした。最近まで、アクの強さしか感じなかったキャリ−の演技だが、この映画では自然だ。ひょっとしたらそのうちオスカーを手にする日が来ないともかぎらないのではないか。
「カンガルー・ジャック」
ポスターからはカンガルーが主役のお子様映画かと思ったがさにあらず。チャーリー(ジェリー・オドンエル)は、母親がマフィアのボス(クリオストファー・ウォーケン)と再婚したため、長じて美容院を任されるが、売り上げの8割はピンはねされており、それでも文句も言えない気の小さい男だ。また少年時代に命を救われたルイスとの腐れ縁で、トラブルにしょっちゅう巻き込まれている。ところが、その失敗が昂じて、ウォーケンに大損害をかけたので、オーストラリアに行かされて命を狙われることになった。本人はそれに気が付いていない。ところがオーストラリアで、カンガルーにギャングの金の入ったジャケットを持って行かれてしまった為に、そのカンガルーを追う破目になる。テンポは速いし、家族で楽しめる。日本映画に共通して足りないものが、この歯切れの良いテンポである。
「バリスティック」
アントニオ・バンデラスとルーシー・リュー。暗殺マイクロマシンの争奪をめぐるFBIと国家安全局とギャングが三つ巴で、入り乱れるアクション映画だ。セリフが少なく、間の取り方も良く、アクションや撃ち合いがリアルなので推薦する。悪役と奥さん役がいま一つなのが欠点。
「フォーン・ブース」
ニューヨークの8番街にただ一つ残った電話ボックスに入った宣伝マンが、姿の見えない狙撃手に狙われて、電話の指示に従っている内に、ボックスから出られなくなり、警官隊に包囲されるが、本当の事を言えずに行き詰まるという話。設定が今までにないもので、主役をコリン・ファレルが熱演。こういう路線もありかと思って、最後迄見てしまった。良い映画と悪い映画の区別は簡単である。途中で眠くなるかどうかである。
「スパイ・キッズ3D、ゲームオーバー」
完全に子供向けの映画ではあるが、これはかなり良く出来た立体映画である。結論から言うと、F社の全天周映画と同等以上の立体感がある。無論全編がそうではなくて、出演者が眼鏡を掛ける時に、観客も赤青の眼鏡(ビデオ屋でくれる)を掛けると、そのシーンが立体映像になる。ゲーセンの雰囲気だが、かえるの舌が伸びて来るシーン等なかなかのものだ。そうでないシーンは普通のカラー映画とし見られる。子供でなくても一度お試し頂きたい。新機軸として推薦。
「座頭市」
私はタケシの映画を見るのは実はこれが初めてである。そして多分最後だろう(後年アウトレイジをうっかり見てしまい、一層その感を強くした)。タケシの出演する映画には、キアヌ・リーブスと共演したジョニー・ニーモニック(JM)があるが、日本の非情なやくざの役だった。タケシは、どうも暴力ややくざが大好きらしく、かなり乱暴な性格なのではないか。この映画の作り方もきわめて雑で、脚本らしいものはないし、その場の思いつきで撮影したというのもうなづける。特撮は殆ど出血シーンで使われており、赤い色にはいささか食傷気味だ。無論小学生に見せられるようなものではない。タケシは全く地で出演している。゙ラストシーンのタップダンスのシーンが有名だというし、そこそこヒットもしたのだろうが、これがアカデミー賞外国映画賞の候補になりそうになったのだというのだから勘弁してくれと言いたくなる。たそがれ清兵衛の方が遥かに格調が高い。但し、タケシが楽しんで映画を作っているらしい雰囲気だけは伝わって来る。勝新太郎の有名なセリフ「あっしをお切りになろうってんですかい」も出て来ない。これはむしろ石森正太郎の漫画版の座頭市の映画化かもしれない。そもそも金髪の座頭市なんている訳ないだろうに。従って、非推薦。
「マッチスティック・メン」
ニコラス・ケイジがベテランの詐欺師を演じている。マッチスティック・メンとはいかさま師の事だという。マッチ箱とマッチ棒で、大道でいかさまをしている人物をほうふつとさせる言葉だ。ケイジは詐欺師のくせに不安神経症で薬を欠かせない。仲間の勧めで精神科医にかかる事になった。そこへ昔分かれた妻の娘という少女が現れ、潔癖症のケイジの一人住まいに入り浸る。おりもおり、為替の詐欺の計画が持ち上がり、絶対にうまく行く筈が、相棒のしくじりで、カモがケイジの家迄追いかけて来る羽目になった。最近詐欺師の映画があまりなかったが、期待していなかった分だけ楽しめた。詐欺師の映画と言えば名作「スティング」を思い出す。途中地味な感じがしても、最後迄見た方が良い。一応推薦。
「レジェンド・オブ・リーグ」
この題名では何の事やら良く分からないが、原題はレジェンド・オブ・エクストローディナリー・ジェントルメンで、超人連盟とでも言うのか。1899年のロンドン銀行に突如ドイツ軍の戦車が押し入り、当時は存在しない機関銃をぶっ放しながら、ドイツ軍の制服を着た一団が強奪する。しかしドイツはこの犯行を否定。一方ドイツの飛行船の基地でも、やはり機関銃の乱射事件が起きる。これは英国が否定。ともに目撃者を一人だけ残しての犯行だ。実はこれは世界大戦の勃発を企むファントムという人間の仕業であった。そこで英国政府は、アフリカに隠遁していた不死身のハンター、ショーン・コネリーを中心とした6名のチームを編成してファントムに対抗しようとする。その計画の首謀者が暗号名Mというのが二重の伏線になっている。一つは言わずと知れた007のボスであり、もう一つは言う訳にはいかない。しかしこの辺から話が大分おかしくなってきて、コネリーは普通の人間だが、これにドラキュラの妻(即ち恐るべき吸血鬼、しかも不死身)、透明人間、ジギル博士が加わるとなると、もうはちゃめちゃな設定だ。仲間の裏切りはあるし、透明人間は殆ど役に立たない。超人ハルクみたいなハイドも登場する。メカとしては当時は無いはずのロールスロイス風自動車の他に、海底2万リーグの流線型ノーティラス号迄登場だ。しかしなんでネモ艦長がターバンを巻いたインド人でなくてはならないのか。結論としては、CGを多用した荒唐無稽な漫画である。せめてタイム・トラベルの要素でもあればまだしもだが。映画にとって、如何に脚本が大事かが分かる。共同プロデューサーがコネリーという事だが、名俳優かならずしも名監督やプロデューサーではないという見本だ。一方、クリント・イーストウッドは名優ではないが、「許されざる者」や「マディソン郡の橋」等、良い映画を残しており、対照的である。長々と延べたものの、推薦は出来かねる。
「マスター・アンド・コマンダー」
ゴ-ルデン・グローブ賞も取り、アカデミー賞作品賞にもノミネートされたので、封切りの日に見た。しかし予告編とはちょっと違う。英国ではナボレオンとの海戦で人が足りないので少年だけの海軍を作ったみたいな説明だったが、これは大きな嘘である。実態は少年が幹部候補生として乗り組んでいたというだけの話。骨格はラッセル・クロー扮する、ジャック・オーブリー艦長が古い軍艦を操って、フランスの私略船から打撃を受けるが、ついにはそれを追い詰めて行くというストーリーで、昔の英国の海軍魂の讃歌の映画である。実物大の帆船を用意したと思われるシーンや、戦闘シーン等リアルではあるが、ロード・オブ・ザ・リングと作品賞を争うとなると、ストーリーテリングの面白みが若干不足するので、結構苦戦するのではないかという印象を持った。(結局アカデミー作品賞はロード・オブ・ザ・リング=11部門受賞、となった)
「ジョニー・イングリッシュ」
おなじみかどうかは別としてミスター・ビーンこと、ローワン・アトキンソンが秘密諜報部員イングリッシュとして迷惑かけ放題の映画である。無論全てのこの手の映画がそうであるように007をもじった作品で、アストン・マーティンの最新モデルをさっそうとドライブするシーンもある。しいて言えば裸の銃を持つ男の英国版といったところか。有能な部下に支えられながら、大失態を繰り返すイングリッシュだが、なにしろエージェントが(これまたイングリッシュの失敗で)全滅してしまったのだから仕方がない。イングリッシュの前に現れたのは、なんと英国の王位を狙う、フランス王室の末裔、ジョン・マルコビッチであった。最初にイングリッシュの鼻先で王冠を奪い取ったマルコビッチは、次に愛犬を殺すとQE2を脅す。女王はあっさり王位を下りてしまう。そして王冠を取り返すべく悪の巣窟に乗り込むイングリッシュを待ち受けるものは・・・トーゼン、マルコビッチの一党しかいないではないか。変にリアルな映像と、オフザゲギャグのサム〜イ、バランスが、ギリギリのところで持ちこたえているという印象だ。少なくも劇場で見たら損をしたと思うだろう。
「閉ざされた森」
実はかなり期待して見たのだが、まあ、それ程でもというのが印象だ。サミュエル・ジャクソン扮する米陸軍の鬼軍曹は、パナマでレンジャー部隊の実地訓練に従事している。しかし、ついに事故が発生し、訓練から生還した口の堅い兵士を、尋問の名手トラボルタが尋問する事になる。どうも密林の演習中に軍曹が何者かに殺害されたらしい事が分かる。もう一人生還した兵士がおり、こちらも尋問すると、話が微妙に食い違う。ここから真相の究明が始まる。しかし、謎解きの面白さという点では、同じような趣向で言えば、やはりトラボルタが軍隊の探偵を努めた「将軍の娘」の方が面白いし、トム・クルーズの「フュー・グッドメン」もより面白い。どんでん返しの映画が所望なら、同時期にリリースされている「アイデンティティー」の方が良いかもしれない。
「シェフと素顔とおいしい時間」
変わった題名だが、内容はもっと変わっている。主演はジュリエット・ビノシェ(イングリッシュ・ペイシェントで助演女優オスカー、他にショコラ等)とジャン・レノの、殆ど二人だけの舞台だ。レノとビノシェは、パリ空港のゼネストで足止めをくい、レノとホテルに宿泊する事になる。ビノシェには暴力をふるし同棲相手がいる。レノは元々シェフの家柄だが、冷凍食品の事業で成功し、ミュンヘンに昔の恋人を訪ねる途中だった。という訳で異色の顔合わせの、なんとも奇妙なラブ・ロマンスである。
「裸の石を持つ男」
なんという酷い題名かと思うが、裸の銃を持つ男のレスリー・ニールセンが登場し、コミカルな味付けなので、こういう題名にしたのだろう。原題は箒を持つ男達で、これも変わってはいる。私はこの映画を一応推薦にしたいのだが、その理由は全く別のところにある。それはテーマがカーリングだからだ。今まで色々なスポーツが映画のテーマになり、変わったところでは、カリブの国がボブスレーで五輪に参加するという実話もあったが、カーリングは初めてだろう。その興味だけで見た映画で、割り切れば良いと思う。
「ロード・オブ・ザ・リング-王の帰還-」
シリーズで見ている人は最終回を見逃す訳にはいかないだろう。しかもアカデミー賞のいくつかは取れそうな勢いである。但し朝日新聞の映画評は少しほめ過ぎと言えよう。先ず驚くのは場外時間で3時間版と言えば「ベン・ハー」等往年の70ミリ大作より長い。フロドとサムのホビット・コンビはいよいよ悪の王国モロドールに至る。ところがなんだか怪しかった道案内のゴーレムがいよいよ本性を現し裏切られて二人はピンチに見舞われる。最後の火山の上りは半死半生である。一方地上ではサウロンの悪の軍団(主としてオークよりなる)がゴンドールの首都に攻め込んでくる。しかし城を預かる宰相は権力欲だけで殆ど馬鹿である。白の魔術師が必死に軍を纏めて戦う。そこに本来の王であるアラゴルンが援軍を連れて駆けつける。今回登場のCGのモンスターは、フロド達を襲う巨大な蜘蛛と、オークの軍団が乗る巨大マンモスである。悪の味方の竜もは今回も登場。マンモスの戦闘シーンは、スターウォーズの氷の惑星ホスに登場したウォーカーを思い出さずにはいられない。ダイナミックな戦闘また戦闘のシーンの連続だが、火山の溶岩が流れるシーン等は非常にうまく出来ている。映画史に残る映画であることは間違いがない。シリーズで見ている人は必見だが、ドワーフ、エルフ、ホビット等の妖精と人間が地上で済分けていた時代(いつのことだ?)の神話を、荒唐無稽と思う向きにはお勧めしない。ウィザードリーで遊んだ世代なら楽しめるであろう。
「インファナル・アフェア」
トニー・レオンが出演して香港で大ヒットしたそうだ。原題の香港警察の麻薬マフィアとの戦いを描く。レオンは潜入捜査官として、組織の動きを警察に通報する役目だ。しかしマフィア側も警官としてスパイを送り込んでいた。誰がお互いの犬なのか。やがて二人は宿命の対決へ。という訳で、パソコンやら携帯がふんだんに登場する警察映画であるが、現在の香港を知る上で参考にはなる。しかしやかたらと英語(ソリーやバイバイは英語ではないか)が出てくるのが、興味深い。流石、もと英国領というより、やはりアメリカ文化の影響ではないか。悪役が高級オーディオの趣味があるのも面白かった。ケーブルが高いとういうのがマニアックで笑える。しかしe lnlが何故インターナル・アフェア(内部監査)でないのかは不明。
「天井の剣」
「グリーン・ディスティニー」や「英雄」もチャン・ツィイーも助演している、中国製CG大作。一言で言えば、峨眉山の仙人軍団と魔王の壮絶な死闘である。死んだと思ったら生き返 ったり、と思えば生き返らない場合もあったりで、実にややこしい。眉毛のやたら長い長老など、ロード・オブ・ザ・リングの正義の魔法使いまんまである。中国映画とCG映画が 好きなら満足するかもしれない。
「トゥームレイダー2」
おなじみアンジェリーナ・ジョリー(ララ)のアクション映画で、前作では最後のシーン の巨大惑星儀が、いかにも作り物めいていたが、今回はスト−リー自体があまり面白くない。アフリカの奥地の洞窟に眠るパンドラの箱は、かつてアレキサンダー大王が、一度開いて多くの犠牲者を出した疫病の源という代物だ。細菌兵器を開発しては紛争国に売って商売にしている悪の生化学者が、この箱を狙う。女王陛下の命を受けたララは、殆ど単独でこの野望に立ち向かうのであった。ジョリーのウェット・スーツ姿もそれ程ではない。よって非推薦。
「SWAT」
狙撃部隊の略称だが、この映画ではむしろ特殊任務部隊として描かれている。ロス市警の腕利きSWAT隊員コリン・ファレルは、同僚が判断ミスで人質を負傷させた為、連座して武器倉庫係に格下げされる。SWATのベテラン、サミュエル・ジャクソンが現れ、特別任務に彼をスカウトする。その任務とは、偶然捕らえた麻薬王を刑務所まで護送することであった。しかし麻薬王は、自分を逃がしてくれたら1億ドル払うとTVで公言してしまったため、護送隊はありとあらゆる無法者に狙われる。ジャクソンは必ずしも適役とは思えないが、スト−リーとしては一応見られる。
「トゥー・ウィークス・ノーティス」
会社を自主退職する時には、2週間前に通知するという米国の慣習を題名にしたもので、リッチな不動産業者の二代目ヒュー・グラントが、ハーバード卒の人権運動家、サンドラ・ブロックを秘書に雇った事から、両者の価値観の違いが巻き起こす騒動という筋書きだが、「スピード」では間抜けな娘を演じたサンドラ・ブロックも、理詰めで考えるクールな女性を演じて、結構良い味を出している。この映画のモデルというより、おちょくった相手としか思えないドナルド・トランプ本人も顔を出す。この映画で、他の映画では滅多に経験出来ないところは、間の取り方かが秀逸だという事で、主役の二人がそれをうまく演技している。結末は最初から分かっているようなものではあるが、見て楽しければ良いのではないか。推薦。
「10日間で男をフル方法教えます」
こちらも恋愛映画だが、やや粒の小さい二人が出演。マシュー・マコノヒーは広告代理店の社員だが、10日間で恋人を作れれば大口クラキイアントを任せるという約束を社長から貰う。一方ケイト・ハドソンは女性雑誌の記者だが、テーマに困り、題名のような特集記事を書く事になって、実際に男を引っかけて捨てる体験をするよう編集長から命じられる。10日間は絶対に離すまいとするマコノヒーと、ありとあらゆる嫌がらせをして、嫌われようとするハドソンの間の珍騒動というストーリー。消極的推薦。
「アイデンティティー」
「シックス・センス」を思い出すと言ってしまえば種明かしになるかもしれないが、これは最近なかったタイプの映画だ。多重人格の囚人が、死刑の前夜判事の元に連れて来られようとしている。場面は変わって土砂降りの雨の中、交通事故を起こしてけが人を運び込んだモーテルで、偶然集まった10人の、娼婦や、囚人護送中の警官等、雑多な人々が偶然一夜を明かす事になった。そこで発生する殺人事件。洪水でモーテルに閉じ込められ。電話も通じない。犯人はなかなか姿を現さない。元警官のジョン・キューザックと限警官のレイ・リオッタ、そして囚人。一人死ぬたびに部屋の番号札が見つかる。そして彼らは誕生日が全員同じである事が分かる。いったいこれはどういう事か。どんでん返しの連続で筋書きが読めない。結末には納得しないだろうが、なるほどとは思うだろう。ミステリ−ファンにはお勧めの一作。
「エデンより彼方へ」
1957年のコネチカット州ハートフォード。ジュリアン・ムーア(ハンニバル、めぐり合う時間達)は企業重役の妻、そして2児の母として、なに不自由のない生活を送っていた。ところが、夫フランク(デニス・クエイド)がホモである事が分かり、精神治療にかよう事になった。折もおり、父親の代わりにやってきた、教養の高い黒人男性の庭師と連れ立って歩いている所を見られたたことから、街の評判になってしまう。原題はFar from the heaven. 平凡な主婦が直面する2つの危機。当時の米国の人種差別の風潮にも講義する映画となっている。女性にお勧めの映画。
「サハラに舞う羽」
古典的なラブ・ロマンスかと思ったらさにあらず、テーマはスーダンの英国軍の戦闘であった。ハリーは英国陸軍の仕官学校の優等生で、同じく優秀なジャックと親友であった。しかし二人とも将軍の娘エスネに想いを寄せていた。おりしも、英国軍はスーダンでの戦況芳しからず、ハリ−達の連隊も、スーダンに派遣されることになった。しかし、エスネとの婚約を終えたばかりのハリーは生きて帰る可能性の低い、スーダンでの戦闘に参加する恐怖から除隊してしまう。この行動は友人達から卑怯者とさげすまれ、卑怯者のしるしである羽を送りつけられる結果となった。しかもエスネからさえ羽を送られる。ハリーは1民間人として、スーダンに渡り、連隊の後を追う。半死半生の思いで、駐屯地にたどり着いたハリーは、正体を隠して仲間の軍人達を助けようとする。英国軍の立場に立ちながらも、戦争のむごたらしさを訴え、人間はいつも恐怖と隣り合わせの弱い存在であることを伝えようとしているようだ。最近の収穫である。推薦。なお「英雄」もビデオになったので、劇場で見ていない方はご覧頂きたい。
「ミニミニ大作戦」
いい加減な題名だが原題はもっといい加減なItalian Jobsだ。ドナルド・サーザーランドは年老いた金庫破りの名人で、仮出処中にも関わらず最後の仕事だと言って、娘が止めるのも訊かずに、仲間のチャーリー(マーク・ウォルバーグ=猿の惑星)の仕組んだ金塊を、ベニスの金庫から盗み出す計画に加わる。しかし仲間のエドワード・ノートンの裏切りで殺され、金塊は奪われてしまう。数年後、ノートンがロスにいることを突き止めたチャーリーと仲間達は、金庫破りの技術を持つ娘を仲間に加えて金塊を取り戻す作戦を立てる。金塊の輸送には三色のミニ・クーパーが使われ、地下鉄の構内を疾走する。無論、BMWになってからのミニだ。軽快なテンポの現代的なセンスの犯罪映画で、オーシャンズ11などよりも、遥かにお勧めできる。見れば、ミニが欲しくなるかもしれない。
「ファインディング・ニモ」
おなじみCGのピクサーの作品だが、正直言って、前評判ほどではない。クマノミの父親マーリンの一家はバラクーダ(かます)に襲われ、残った子供はひれの片方が小さいニモだけだった。ニモが学校に初登校した日に、おやに反抗して無茶をしたニモは、シドニーの歯科医師のダイバーに捉えられ、水槽に入れられてしまう。ダイバーが落として行った水中眼鏡の住所を手がかりに、マーリンは健忘症の仲間ドリーと一緒にニモを探す旅に出る。ストーリーは極めてシンプルル。海底の様子など、CGで描く光景は確かにきれいだが、ギャグに乏しい。CGアニメの作品で言えば、私なら「シュレック」が一番、「トイ・ストーリー」が2番、モンスターズ・インク」が3番というところだ。幼児を含む家族向きの映画である。大人が見て楽しめるかというと疑問が残る。またクマノミの人面魚のキャラクターがフランスの物まねということで訴訟も起きているらしい。「ジャングル大帝」をパクった「ライオン・キング」の例もあり、そんなものは権利を買って堂々と制作すればよいのであって、知的財産権を平気で侵害するディズニーのせこさが、いずれ自分の首を絞める時が来るであろう。
「ラスト・サムライ」
トム・クルーズ主演、制作。クルーズ演じるオルグレン大尉は、カスター将軍率いる第7騎兵隊に加わり、インディアンを虐殺した経験がある。その時の悪夢の体験が忘れられずに、酒に浸る日々だ。見世物小屋で武器会社の宣伝をしていたが、日本から兵隊の教練の教師の口がかかる。渡航し、天皇の軍隊の教練を担当してみたものの、兵士達は銃の扱いもおぼつかない。しかも、天皇の元老院参議の渡辺謙が地方にこもって叛乱を企て、列車を襲うなどしているので、クルーズは未熟な兵士を引き連れて、その討伐をじられる。ところが相手は弓矢と刀しか使わないが、戦闘に熟練しており、士気も高い。あっけなく蹴散らされて、クル−ズも捕らわれの身となる、山奥の村で彼が見聞きしたものは、奥深い日本人の心情と武士道であった。客人待遇となったクルーズは真田弘之から剣道を学ぶ。おりしも天皇から、渡辺に上京せよとの沙汰があり、渡辺はクルーズを伴って皇居に参内し、天皇に諫言する。しかし私腹を肥やす大村参議のために暗殺されそうになり、クルーズに助けられ、郷里に逃げ帰る。大村は渡辺討伐を上奏し、クルーズの元上官と共に政府軍を指揮。大砲やガトリング機関銃を装備して、渡辺の本拠地に向かう。兵は2万。迎え撃つサムライは500。果たして、渡辺とクルーズに勝算はあるのfだろうか。武士道に傾倒するクルーズが、力を入れて作った様子が判る。富士山が望める熊野の里とか、横浜の風景など、随所に違和感はあっても、これまでの日本を描く外国映画より数等ましである。日本人の俳優が自分で英語を話し、またそれゆえヘンテコリンな日本語を聞かずにすむだけでもありがたい。この映画がヒットしてくれれば、少しは日本人に対する見方が変わるかもしれない。