「WTWオピニオン」
【書評】
「エレガントな宇宙」ブライアン・グリーン著 草思社
相対性理論や量子力学というのは難解を極めるがゆえに、敬遠し勝ちであるが、それでもそれが何たるかを知らずに終わってしまうのもしゃくなので、時々一般的な入門書に挑戦しては敗退する日々であった。これはなかでも最先端の超ひも理論の解説書だ。著書はひも理論の現場の若き研究者であり、前半では相対性理論と、量子力学の要点を実に分かり易く解説している。後半はいよいよひも理論だが、これはそう簡単ではない。我々の住む宇宙は3次元プラス時間だが、実は微細なレベルでは11次元であり、残りの次元はたたまれている。また今の宇宙は、無、或いは無限小の特異点から生じた訳ではなく、別の宇宙の存在も前提にするなど、凡人の常識では想像も出来ない世界が実際の宇宙であると説く。ひも理論は、物質の最終的な単位は輪ゴムのような微細な紐であり、それが様々に振動することで素粒子の性質を決定していると説明することで、大統一理論のもっとも有力な候補であることを告げている。ひも理論にもいくつかあるが、それは全て一つのM理論から派生しているとも説明している。平易な語り口は、著者が完全に難解な諸理論を理解しているからこそ出来たことであろう。米国でベストセラーになったのも頷ける。推薦。
「10ドルだって大金だ」ジャック・リッチー 河出書房新社
2007年版「このミス(コノミステリーがすごい)」の海外部門14位の作品。短編集である。しかし2006年版では同じ作家の前作の短編集「クライム・マシン」が堂々の一位に輝いている。P・G・ウッドハウスの従僕ジーヴス・シリーズにも共通する、人を食った、それでも懐かしい温かみのあるユーモアに富んだ作品集である。万人向け。主役は私立探偵だったり、とぼけた刑事だったりと様々。表題の作品は小さな銀行で会計士が帳簿を調べたら残高が10ドル多かった。果たしてその10ドルは誰が入れたのかという謎解きであるが、読者は結末にあっけにとらえるrことだろう。
「そうだったのか!現代史」 池上彰著 集英社刊
2000年の発行だからかなり以前の本である。最近改版が出たようで、新聞にも大きな広告が載り、それで知った。作者の池上氏は、NHKのアナウンサーで、多分今はフリーになっているはずだ。「週間子供ニュース」という番組で、お父さん役を演じて、子供向けのニュース解説をしていたが、その的確で分かり易い分析と、NHK的な中立を取らない態度が好ましかったことを覚えている。学校でも現代の歴史の勉強はしたはずであるが、なぜか記憶が薄い。大体が第二次大戦前で時間切れになってしまうことが多かったことと、戦後の教科書が政治思想に過敏になっていて、何を書いているのかさっぱり分からないものになっていたからではないかと思われる。昨今、靖国問題が騒がしいが、これも戦争の総括をしていないからに他ならず、アジア各国が指摘しているのもその点なのだ。右派系の政治家が、時代錯誤の過激な国家主義論をぶち上げることができるのも、国として戦争の理念的な処理を放置してきた結果に過ぎないのではないだろうか。家族に戦争の犠牲者が居ないせいなんだろうが、平気で徴兵制などを口にする元政治家の存在にはあきれるばかりである。この一見子供向きの本を10頁ほど読んだだけでも、現代史というごく身近な世界情勢が、数千年の人類の歴史、すなわち独裁と残虐行為の歴史と、いささかも変わることのないことに驚かされる。人間という存在は歴史から学ぶということが出来ないのだろうか。また民主主義というものが、いかにはかなく、か弱いものか、また国際情勢は、我々日本人が楽観しているような生易しいものではないということが実感できるであろう。何百万という自国民を虐殺したスターリンの蛮行は、ヒットラーさえ青ざめるようなものだし、スターリンを批判しながら武力でチェコをふみにじったフルシチョフ、サダム・フセインの身勝手な理屈と虐殺、ポル・ポトなど、独裁者が自国民になす残虐行為は、とても人間の行動とは思えない。独裁者というのはまさに人の形をした悪魔としか思えない。チェチェン紛争もスターリンがまいた種なのだということが分かる。アメリカのイラク戦争における徹底した報道管制も、権力による、真実の報道への介入と言える。この本で一番大事は部分は民主主義のパラドックスという部分である。即ち、民主主義国家である以上、国民大衆が選んだ政治家が政権を担うのは当然の事である。しかし、その政治家が独裁者であれば、次の民主的な選挙はやってこない・・という一節である。現在の日本の政治のあり方が最善だなどと思うことがそもそも間違いなのだろう。政党や個人の独裁を絶対に許さない、本当の民主主義のあり方を求め続ける努力を惜しんではならないと感じた次第である。
「素数ゼミの謎」吉村仁著 文芸春秋社刊
新聞の広告で見て、いったい何の本だろうと思って、読んでびっくり。数学のゼミナールの本だと、さすがに思いはしなかったが、内容が変わっている。というかセミが変わっているのだ。アメリカに背中がピラミッド状の一風変わったセミがいて、それが2004年に大発生し、米国に電話した人が、相手が電話で話も出来ないほどの騒音であったという。米国のセミは日本のセミのように7年くらい地中にいて、順番に地上に出てきて、毎年発生するというのではなく、13年周期と17年周期のセミがいるというのだ。しかも発生する地域が非常に限られているのだそうだ。なぜ13年や17年という長い周期なのか。しかもそれがなぜ素数なのか。またなぜ狭い地域に50億匹ものセミが一斉に発生するのか。この問題に取り組んだ日本の科学者は思いもかけない結論に至る。詰まるところ、それは氷河期を生き延びたセミたちのやむにやまれぬ事情が背景にあったのである。全部書いてしまうと興味が薄れるので、結論は差し控えるが、セミが子孫を絶やすことなく世代を重ねてゆくには、大量の雄と雌が同時に地上に現れる必要がある。しかも、彼らが交配できる期間は2週間しかないのだ。地球は恵みの惑星かもしれないが、時期によってはとても生物が住めないような過酷な時代もあったのであり、またいつかそういう時代が必ずやって来るのである。生物はどうやって荒廃した地球上で生き延びてきたのか。平易で子供にも読める文章で書かれたこの本は最近で出色の一冊である。短時間で読めることもあり、科学マニアでなくとも一読をお勧めしたい。
「世界の駄っ作機3」岡部ださく著、大日本絵画社発行
飛行機という乗り物は、少年の夢をかき立てずにはおかない。飛行機にはヘリ、プロペラ機を含めて何百回か乗ったが、自分で作った模型飛行機がまともに飛んだことはない。唯一よく飛んだ完成品のラジコン機体は3分間の飛行の後に失われた。この本の著者は、自動車雑誌のNAVIの連載等でそのデッサン力に注目していたが、世界の駄目飛行機を丁寧なイラストで愛情込めて解説している。図鑑風の本は殆ど読み飛ばしてしまうことが多いが、何故かこのは一言一句全ページを読んでしまった。しかし所詮は趣味の世界。飛行機に関心のない人にまでは勧められない。それに2400円という値段にも問題がある。せめて図書館で借りてご覧頂くしかあるまい(私もそうした)。なお、写真が歪んでいるのは、正面からだと表紙がてかってしまうためである。
「アレクサンドロス大王」パース・ボース著ホーム社刊
寡聞にして知らないが、アレキダンダー大王については多くの著書があると思われる。中でもこの本は、マケドニアの盟主にして中近東までを支配したアレキサンダー大王の戦略と短い人生を、現代の企業戦略と比較しながら、彼の戦略が、いかにその後の古今東西の指導者に影響を与えているかを語っている。大部の本だが、企業人として興味の尽きることがない。但し、殆どは既知の主題であるが、範囲が広い。英国チューダー王朝の興亡に筆を走らせるかと思えば、第二次大戦、そしてIBMやDEL、ヲウルマートの経営を分析する。ロンメルがモンゴメリーに負けたのは兵站の違いであったという話はご存知かもしれない。読んで損のない本である。
「ふしぎの植物学」田中修著、中公新書
私達は植物を摂取して命を保っている。それどころか、呼吸する酸素でさえ、森の木々に依存している。庭に草花を植え、花を花瓶に生ける。そのくせ、実は植物がどういう仕組みで種族を維持しているのかを殆ど知らない。植物には感覚gあるのだろうか(ある)、高い梢にどうやって水を送るのか。空気や水は、植物にとってどういう意味をもつのか。またそれをどのように取り入れているのか。基本的で有りながら、実は良く知らない植物のさまざまな性質を、分かりやすく解き明かしているのが本書である。我が家のご近所には園芸に熱心なご家庭が多いが、園芸をたしなまない人、学生にもお勧めの一冊である。
「DNA」J.ワトソン著、講談社
二重らせんの発見によりノーベル賞を受賞し、いまだ遺伝子学会の頂点に立つジェームス・D・ワトソンが描く斯界の50年間の歩みである。歯に衣着せぬ人物評などもあるが、ここにはおよそDNAに関するすべての知識がある。メンデルの法則から始まり、どうやってDNAがコピーされるのか。人間を構成する細胞はその数100兆。そのすべてにあるDNAの塩基の数は3億対。未だ完全にはその配列は解明されていないようである。これを読めば、遺伝に関する殆どすべての疑問が解けるであろう。原題はThe secret of life。2400円という価格はむしろ安いとさえ言える。死ぬまでに必ず読まなければならない本があるとしたら、この本は間違いなくそのひとつであろう。講談社刊。
「四日間の奇跡」2003年1月発行宝島社刊
大分待たされた後で図書館から連絡があったので、私はこれをミステリーのベストセラーとしてリクエストしていた事をすっかり忘れていた。読み始めても、全くミステリーとは思えない。ピアニストとして将来を嘱望されていた青年が、海外で犯罪現場に居合わせた為に、左手の中指を無くし、将来を棒に振る。その代わりに彼は知能に欠陥のある少女を養成する事になった。現在15歳のこの少女は、音符は読めないが、一度聴いたら旋律も和音も忘れないという特殊な能力の持ち主だ。この少女を脳専門の施設に入所させるところからストーリーは始まる。暴風雨の為、施設の庭にヘリが墜落する事故があり、その場に居合わせた事から、少女の身に異変が起きる。私がこの本を読んで思い出したのは、実は「ある愛の詩」である。ミステリーといっても殺人事件や謎解きがある訳ではない。しかし、前回ご紹介した、「中落ち」と同様、いやそれ以上に、私は泣いてしまったのである。殺伐とした本や映画を読んだり、見たりしている若者諸君、この本を読んで泣きなさい。そうすれば、虚無的な君たちの心の中にも、じつは未だ人間らしさが残っていた事が分かるだろう。内容は当然フィクションだが、小説は所詮フィクションであり、その虚構からどれだけの興味と感動を引き出すかが作家の腕だろう。
「半落ち」2002年9月初版 講談社発行
今回から、映画だけでなく、書籍も推薦する事にした。その第一回は横山秀夫の「半落ち」である。昨年の「このミス」のアンケートで堂々の一位に輝く、日本のミステリー。大分経っているから、既に読まれた方も大勢いるだろう。昨今、アクションや猟奇でなければ犯罪小説や映画ではないという悪しき風潮がある。しかし、これはなんと日本的な作品である事か。アルツハイマーの妻を扼殺して自首した現職の警部。しかし犯行後の空白の2日間の動向がどうにも説明がつかない。本人もその点だけは絶対に自白しようとしない。完全自白の「完落ち」にたいする、「半落ち」の状態のまま、逮捕され、起訴され、裁判に進んでゆく。警察官の犯罪を隠そうとする県警本部と、対立する検察やマスコミ。剛直な刑事、志木の取り調べから始まり、関係者の一人一人に視点を切り換えながら、物語は関係者の、人間性と組織の歪みを浮き彫りにして行く。最近の本は高い。ましてハードカバーなら尚更だ。しかしこの1700円は高くない。この本を読んで泣かない者は人ではない、とは言わないが、少なくとも日本人の男ではあるまい。by K.西牧