「オンライン・オピニオン」



2749.正義と善は別物 4.18

今回の前書きは朝日新聞(4.17)オピニオン&フォーラム 正義を乗りこなす
哲学者 朱喜哲(ちゅひちょる)から

編者コメント:毎日のようにトランプの宣伝文句を聞かされていると、ひょっとしたらトランプにも3分の理があるのかもしれないと思うようになる。今回紹介するのは(哲学による)正義の再定義である。

横行する屁理屈 正しさ苦手な日本 倫理の実装が必要

(中略)
「法律に反していなくても企業倫理が問われて炎上するケースは多々あります。新しい技術がどんどん出てきて、法規制が追いつかない分野もある。どうすべきか判断するための言葉遣いを堅備するのも、企業内哲学者の大きな役割のひとつです」

「『正義』『公正』といった、哲学や倫理学が培ってきた言葉群は重要かつ有用です。『なんかずるい』『おかしい』という私たちの素朴な感覚をうまく表現してくれ、どんな問題があるかを抽出するのに役立つ。ただ、日本語話者は総じて、そのような『正しさ』にまつわる言葉遣いが不得手です。企業のコンサルティングをしていても、『そんな強い言葉、怖くて使えません』なんて言われることがありますから」

「以前に実施した調査で、倫理とは@できれば守った方がいい『努力目標』A絶対守らなきゃいけない『義務』のどちらに近いと思いますかーと二択で聞くと、きれいに半々に分かれました。欧米での同様の調査をみると、当たり前ですが大半がA。よしあしは別として、@のようなフニャフニャとした倫理観では世界で戦えません」

「もうひとつ、日本では『正義』『公正』を個人の努力や気持ちの問題に帰箸させる傾向が強いので、『正義』の反対は悪ではなく『別の正義』みたいな屁理屈が横行しやすい。日本語 の、この、正しさにまつわる言葉の使いづらさを何とかしたいという思いが、哲学者としても企業人としてもあります」

―NHK党が2022年参院選で暴露系ユーチューバーを擁立した時のキャッチコピー「嘘の正義より真実の悪」を思い出します。「屁理屈」にはどう反論すればいいですか?

「『善』と『正義』は分けて考えましょうね、と。なにを『善』と考えるかは人それぞれ、まさに気持ちの問題です。ゆえに時に対立するから、それぞれの利害を調整し、バランスを取りながら、なんとか一緒に社会を営んでいくための合意点を見いださなければならない。万人が合意に達しうる状態で実現するのが『正義』です」

「ちなみに『公正』とは、わたしたちが『正義』について合意するために、場に求められる条件であり、各人に課せられた責務です。社会という『みんなで取り組む命がけの挑戦』に参画するためには順守し、具体的なふるまいとして示されねばなりません。内心の問題では全くないのです」(中略)

ー朱さんにとってのマジョリティーの責任とは?

「いつも、そしていま現在も言葉にならない叫びがこの社会にはあふれている。それを聴きとろうとする態度をもつこと。そして、バザール(編者注:市場=生活の糧を得るために誰もがそこで生きざるを得ない場所。いろんな客がいるけれども、稼ぎを得るためにはつくり笑顔で耐えなければならない)が壊れてしまわないよう地道にクラブ(編者注:気を許せる相手との会話を楽しむ場所)的な場を開き続け、私的な会話を絶やさないことでしょう」

「こんな時代に言葉を紡いでもむなしいという声もよく聞きますが、そんなはずはない。言葉をあやつることは車の運転と似て、練習次第でうまくなるし、うまくなった方がより安全に楽しく遠くへ行ける。言葉をあきらめてはいけない。どんな言葉を使うかが『わたし』をかたちづくり、どんな言葉が使われているかが『社会』のあり方 を決定づけるのですから」

(聞き手 編集委員・高橋純子)




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