「WTWオピニオン」
【第127巻の内容】
「官僚の今と昔」
「沖縄の現状」
「政と官」
「小池知事が暴走」
「資本主義の限界」
「デジタル自治体。社会民主主義」
「お笑いか、シリアスか」
「河野洋平」
「若者と資本主義」
「連合は解体を」
1871.官僚の今と昔。21/2/28
・首相会見なし、与党からも疑問の声。透ける山田隠し。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7e53dbcadbe45e76f7c85991ede86d4382530950
コメント:山田も山田で、トカゲのしっぽなら、しっぽらしく、さっさと自ら辞任して、親分を守ればいいではないですか。いくら長居してもらっても、少しも国のためにはならないのです。男女同権が(再度)叫ばれているが、腐敗まで男女同権というのはいかがなものか。女性だから悪事はしないという方が、女性の地位向上に役立つと思うが。ところが自民党の女性議員(丸川、片山、高市)や東京都知事を見ていると、暗たんたる気持ちになります。男よりたちが悪いからです。彼女たちこそ、本当に能力も理念もある女性の機会を奪っているのではないでしょうか。
・東北新社。社長が引責辞任。菅長男は更迭。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021022601011&g=eco
関連記事。赤木氏の公務員倫理カード。
https://mainichi.jp/articles/20210227/dde/018/070/016000c
コメント:総務省の一大スキャンダルです。財務省・文科省はモリカケ。経産省は電通との癒着と、トンネル会社の一時給付金の巨額事務費用。厚労省はクラスターにこだわったコロナ対策の失敗と、何より自国で特効薬もワクチンも開発できなかったこと、医療体制を立て直せなかったこと、そして今回が総務省です。どうして、こうも日本の官僚(と政治家)は質が落ちてしまったのでしょうか。
私も現役時代、貿易を担当していたので、関係省庁と若干のお付き合いがなくもなかったのですが、お役所との付き合い方は、様子が全く異なっていました。会食の機会もありましたが、費用は抑え気味で、しかも食事が目的ではありません。役所が知りたいことは、企業の事業計画や、社内人事、経営状態です。企業が知りたいのは、政策や、外国の事情、どう支援すれば、関係省庁が日本(とその産業)のために戦ってくれるのかです。情報交換や意見交換の場であって、それ以上でも、それ以下でもないのです。そして相手が昼間多忙で、応接室での対応ができない場合は、レストランや料亭の個室を使うことになります。
但し、会食に不慣れな新人が、そういう場で、うっかり企業側への便宜を要望でもしようものなら、もう二度と会ってもらえなくなります。出入り禁止になると、担当者は概ね配置転換です。それが暗黙のルールでした。特別扱いを期待してはならないという(省庁側の)意向があるからです。無論テーマごとに、政府の委員会もありますが、発言時間は限られるし、異論も出しにくい。シャンシャンで決まることが多い。多少突っ込んだ話や、競合他社がいる場では話したくないこと(自社の戦略、他社の批判など)は出しにくいのです。
国から見て、単に便宜を図るということと、政策的に(国策として)支援することは、全く別物です。後者にはきちんとした資料があり、どこにでも出せる具体的な計画がある。ところがモリカケでは、資料もデータも出鱈目でした。一方で、企業が読み間違って、国の姿勢と食い違う計画をいくら出しても、通らない事は言うまでもありません。
但しこれだけは是非言っておきたいが、会食の費用は「割り勘」でした。タクシー券もなしです。相手が受け取らないことは最初から分かっているからです。こちらはタクシーを呼ぶだけです。支払いは彼らが自分でやっていました。
ついでに言えば、民間同士の会食も、割り勘でした。なぜなら、接待を受けるのは社内の規定違反だからです。また官民でも、民民でも、会談には、お互い複数のメンバーが参加することで、密室を避け、議論の客観性を期待していました。
・斎藤工、聖火ランナーを辞退。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6386256
コメント:人気タレントが続々と。しかもこれって、どこかで見た光景です。それはトランプの選挙運動です。ということは、次回の国政選挙では、野党の代表が、いかに理屈っぽくて、リーダーシップも、カリスマ性も、包容力もなくても(すんずれい!)
、与党議員は自民党議員というだけで大苦戦する可能性があるということです。筋が通らない五輪を強行すること(Gotoを含む)が、自分たちにとって、いかに不利かということにさえ、気が付かないようでは、本当はお話になりません。衆院選の前哨戦の7月の都議選は大乱戦が予想されます。都民には積極的に自民党議員を選ぶ理由はないのです。かと言って、都民に根を張る草の根の努力もせず、組織の体をなしていない都民ファが、仮に数の上で勝ったにしても、都政は改善されないでしょう。なぜならトップの問題女史は、看板としての価値だけで、マスク姿の歩く私心だからです。どちらに転んでも都民は救われないということです。
・バブルが今すぐ破裂しても驚かない。9つの理由。
https://toyokeizai.net/articles/-/413983
関連記事。暴落説は根拠が薄い。
https://diamond.jp/articles/-/264068
関連記事。攻め時と引き時を考える。
https://diamond.jp/articles/-/263286
コメント:私も二番目の説を取ります。なぜなら、金融パニックにつきものの、不安感や焦燥感が、あまり感じられないからです。無論そうなってからでは遅いのでしょうが。私の投資額は極めて少額ですが、一つのポリシーがあります。それは値上がりそうな株ではなくて、上がってほしい企業の株を買うことです。すなわち将来性に賭けて、じっと待つのです。そこで仮に株が下がっても、それは仕方がない。しかし投機に走って、意に沿わない株で失敗したら、目も当たられないからです。
1872.沖縄の現状。21/3/3
ところで、失礼を顧みずに言えば、皆さんは沖縄について、どこまでご存じでしょうか。ここに僅か2頁のコラムがあります。それが沖縄の置かれてきた状況を端的に説明しています。WTWの読者に限らず、すべての日本人に読んで欲しいコラムです。
雑誌世界 令和2年3月号 リレーコラム、沖縄という窓、から
「島々の再軍事化と歴史の改ざん」親川志奈子
2007年9月29日、沖縄県民の10%に届きそうな、ものすごく大勢の人々のI人となり、私は宜野湾海浜公園に座っていた。帽子をかぶり、タオルを首に巻き、瞬きもせず、囗を一文字に結び壇上を見つめるたくさんたくさんのお年寄りの姿は今でも脳裏に焼き付いている。高校の日本史の教科書の沖縄戦「集団強制死(集団自決)」の記述から「日本軍の強制・関与」が削除されたのを受けて「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開催され、主催者発表で11万6千人が集結する大会となった。
4人に一人が命を落とした沖縄峨、その戦敗を奇跡的に生き延び、命をつないだ、沖縄戦サバイバーたちは「消し去りたい」地獄の光景)を、それこそ命を削りながら次世代に語り継いできた。沖縄戦を体験したウチナーンチュがここにこうして生きていて語り継いでくれている歴史を、沖縄戦を体験していないヤマトンチュの「有識者」らが改竄してみせたという驚くべき事件は一体何を意味するか。
当時の私はその意味をはっきりとは取りきれていなかった。しかし、「軍民一体、生きて虜囚の辱めを受けず」と言い住民に手榴弾まで配っていたにもかかわらず、その責任を取らず、都合の悪い歴史は書き換えようとした旧日本軍やヤマト政府(そして彼らを選ぶヤマトの人々)に拭いきれない違和感を抱いた。同時に「軍隊は住民を守らなかった」という沖縄戦の教訓を胸に留めておこうと決意した。
その後、沖縄で何が起こったか。市街地にある危険な米軍基地を閉鎖・返還するという大義名分を掲げた新基地建設が進んでいった。それは予算がなくて作れなかった米軍基地や、老朽化した米軍基地を日本の税金で新しく作り替えて、機能強化までしてさしあげるというプランだった。
福田、麻生、鳩山、菅、野田、安倍、菅と、総理大臣が変わろうが政権が変わろうが、ウチナーンチュに恩を着せるように、内容空疎な「沖縄の負担軽減」と「沖縄に寄り添う」のフレーズが繰り返されるだけで、沖縄の人々の民意は睹みにじられ、冲哺の負担はさらに増している。
北部訓練場の一部を返す「代わり」と言って、東村高江の集落に隣接して六つものヘリパッドが作られた。普天間飛行場を返す「代わり」と言って名護市辺野古の埋立工事がスタートした。毎日何十台、何百台というトラックが辺野古のゲートに入り、海を殺していく。トラックの土砂には米軍と戦って死んでいった日本兵や、戦に巻き込まれた住民の遺骨も混じっている。返還合意から46年も過ぎている那覇軍港も返す「代わり」といって浦添に移設されようとしている。戦後75年が過ぎ、あたかもそこにあるのが当然であるかのような顔をして居座り続ける米軍基地。私の子どもたちも、私も、私の両親だって米軍基地に占領される前の沖縄を知らない。しかし私たちは、生まれる前から存在するその基地によって日々、基地あるゆえの事件事故のリスクを負ってきた。そして事件や事故が起こるたび、張り裂けるような思いで拳を握り、犠牲になった人々を想い、「二度と起こってほしくない」と立ち上がってきた。親子何代にもわたり繰り返してきたこの苦難の連続。新しく米軍基地ができるということは、今後また100年200年とこの苦しみが続いていくことを意味する。
そして2010年、国は南西地域の防衛力強化を打ち出した。「中国を封じ込める日米共同の軍事戦略のため」と言い、奄美、宮古、石垣、与那国への部隊配備計画が進められた。2010年に沖綢島にあった混成団を旅団司令鄒に昇格、16年には与那国島に陸自沿岸監視隊を新設し、19年には奄美大島と宮古島に陸上自衛隊の部隊が新設された。最近、陸自の部隊を辺野古に常駐させる極秘合意も明らかになった。そして防衛省は「石垣は最後の空白地」として速やかに部隊を発足させたい考えを示している。政府の防衛計画大綱には、島嶼へのミサイル攻撃があり、いったん占領された島々を奪回するというストーリーが描かれている。防衛省は石垣島に敵が上陸し、自衛隊員2000人が残存率30%に減るまで戦ったら援護軍2000人を送って奪還するとしているそうだが、その間、住民はどうなるというのか。「守ってあげる」と甘い言葉で近づいてきた軍隊が守るのは「基地としての島」であり、そこに住む人々のことまで考慮されてはいない。
艦砲射撃を生き延び泥水を飲みながらもがいた世代、占領下を生きた世代、復帰後も変わらぬ事件事故を目撃してきた世代、多くの私たちが共通に感じている「違和感」のスタートは、歴史の改竄から始まっている。琉球の島々は戦争の道具として存在しているのではない。私たちここに生きる様々な命のために存在しているのだ。「軍隊は住民を守らなかった」。このフレーズの重みを改めて噛み締めている。
(おやかわ・しなこ 沖縄大学非常勤講師)
1873.政と官。21/3/9
私事の白内障の手術については別途ご報告しますが、ここまでの道は結構大変でした。名医の治療を受ける為には紹介状が必要となるからです。しかもこのコロナ禍で、微熱があった関係で、念のために自主的に発熱外来での診察を受けてからの手術になりました。なお結果的に陰性だったPCR検査は、公費なので無料でした。
私の場合は瞳孔が開きにくいという悪条件があったため、難易度が高いとされましたが、両眼で20分足らずだったと記憶しています。目は明けていますが、手術の様子はぼやけて見えないので、苦痛も恐怖感もありません。
但し、眼球内レンズ装着後は、これまでの眼鏡使用時と異なり、見え方も、視野も違うので、慣れるまでは慎重な動きが必要です。数日は杖があった方が安心です。またなるべく眼球を動かさないようにする必要もあります。特に埃と振動が大敵です。後悔したのは、保険が利くレンズにしたのですが、一生一度の手術なので、保険適用外の遠近両用にすればよかったということです。なお遠近両用は50-100万(両眼)です。見え方は、端的に言えば、これまでが昭和のカラーTVなら、術後は平成の4KTVになったくらいの違いです。
さて再開第一回の前書きは週刊誌のコラムからです。
週刊朝日3/12号、政官財の罪と罰、古賀茂明から
「財務省は赤木ファイルを開示せよ」
今年も3月を迎えた。3・11からちょうど10年だが、3月にはもう一つ大切な日がある。3月7日、3年前に財務省近畿財務局の職員赤木俊夫氏が命を絶った日だ。赤木氏は、森友学園への国有地売却の決裁文書を改ざんさせられた。不当な安値売却に安倍晋三総理 (当時)の夫人昭恵氏の関与が疑われたが、安倍氏は「私や妻が関係していたということになれば、総理大臣も国会議員も辞める」と答弁した。ところが、決裁文書には昭恵夫人らの名前があったので、これを消すために改ざんが行われたのだ。
報道では、不正に手を染めさせられた赤木氏が、その精神的な「弱さ」ゆえに自責の念にかられてうつ病になり自殺したという解説がなされた。
しかし、赤木氏は、弱い人間ではなかった。まず、上司の改ざんの指示に強く抵抗している。財務省で上の命令に反することがいかに難しいか、官僚時代に財務省と深く付き合った経験のある私には、よくわかる。鉄の規律を誇る財務省で組織に刃向かえば、左遷どころか村八分になって職場にいられなくなる。辞めたとしても、財務省を敵にした人間を採用する企業はない。税務署が敵になるから、企業としては命取りだ。だから、赤木氏の強い抗議は自分の人生を懸けたのと同じだ。
改ざんの後、関わった職員は隠ぺいを続け、検察の取り調べにも口裏合わせで逃げ切ったが、正義感の強い赤木氏は、経緯を克明に記したファイルを検察に渡している。
だが、財務省と検察は、赤木氏だけに罪を被せて幕引きしようとしたようだ。
(中略)最後の手段として選んだのが、死をもっての告発だ。そうすれば、「赤木ファイル」の存在が世に知れ渡り、同僚の中にも真実を語る人が出るに違いない。そう信じたのだ。命がけで正義を通し、自らの責任とともに真実を明らかにしようとした赤木氏の勇気。赤木氏は真に「強い」公務員だった。逆に、他の財務官僚は勇気のない心の弱い人たちだったのだ。
昨年、近畿財務局の赤木氏の直属の上司がこのファイルの存在を認めた音声データが公開された。もはや、その存在を否定することはできない。
(中略)財務省は、赤木ファイルは裁判の結論に影響を与えるような重要なものではないから出さないと答えていることを立憲民主・党の階猛衆議院議員が暴露したのだ。国会では裁判に影響があると言い、裁判では影響がないと言う財務省の二枚舌。事務方の答弁はしどろもどろで答えにならなかったが、麻生太郎財務相は、階議員の質問に対して馬鹿にする態度で終始し、まともに答えなかった。
赤木氏の命日を前に、マスコミも国会ももう一度この問題を大きく取り上げ、政府に赤木ファイルの公開と森友事件に関する再調査を実施させなければならない。
サンデー毎日3/14号、抵抗の拠点、青木理から
「政と官」
週刊文春がスクープした総務官僚の接待スキャンダルは、この国の政と官の現状が
見事に凝縮されている。まずは文春編集部の健闘に心からの敬意を表し、そのうえで問題を分析すれば、総務省の幹部官僚が利害関係者から繰り返し高額接待を受けていた理由は、誘い主に首相の長男がいたからこそだろう。
(中略)総務相も務めた首相の威光は総務官僚にとって絶対的。まして首相は前政権期から内閣人事局などを通じて幹部官僚人事を牛耳り、自らの意に沿わぬ官僚は平然と首を切ってきたことで知られる。
総務相時代には自身の意に反する発言をした課長を更迭し、著書ではそれを手柄話 として自慢した。官房長官時代には、ふるさと納税制の拡充に異議を唱えた局長も左 遷に追い込んでいる。その被害者である元総務官僚の平嶋彰英氏に長時間インタビュ−した際、平嶋氏が現首相をこう辛辣に評したことが私には忘れられない。
「とにかく乱暴なことばかり言って、気に入らないと人事権を振るう」「率直に言って、あれほどひどい方はいない」「要は人事権を持っている人間が一番強く、これでは 『法治』ではなく『人治』です」
いが、こんな政治家を庁に戴いた官僚の処世術がどうなるかは想像に難くない。大半のの者がひたすら恭順の意を表して服従し、一部の者は盛んに鐘や太鼓を叩いて囃し立て、時には親分の威光を絶対視するあまり倫理観など踏み越えていく。
一部報道によれば、現政権の内閣広報官に取り立てられた元総務官僚は、テレビ番組で首相が厳しい質問をぶつけられた直後、局に電話を入れて「総理、怒ってますよ」などと恫喝したらしい。(中略)
提灯持ちが愛玩され、直言する者は馘首され、実に荒涼たる政と官の現風景である。
長時間モニターを見たり、下を向いて鍵盤を叩くのはあまり視力によろしくないので、今後はWTWの編集方針を変更させていただきます。、是非読んで頂きたい記事だけ(基本20本程度)を取り上げたいと思います。また右から左のまとめサイトではなく、自分なりの社会時評にできればと考えています。従って重要な記事のない日はお休みさせて頂くこともありますので、予めご了承をお願い致します。
1874.小池知事が暴走。21/3/10
お早うございます。今日も記事を厳選して(堅苦しくないものを含めて)お届けします。
英国王室の記事は、メーガンなどに割く時間が惜しいので、取り上げていません。
ところで「女帝」に描かれた人物像と、現在の小池知事が全く変わっていないことを思い知らされるような、緊急事態宣言延長のトラブルでした。黒岩知事は独自に病床の
有効活用などで努力し、それなりの効果も上げているのに、小池知事はすべて職員任せです。自分では何もしていない小池知事が、自らの存在のアピールのためだけに、
そして国に一泡吹かせることだけを目的に、緊急事態宣言の延長を要請しようとしたのです。そもそも、年末のピークは、小池知事が国の時短要請に応じなかったからのです。それが自分でも分かっているから、1月初めの緊急事態宣言の要請になったのです。自身の政治的立場を有利にすることしかこの女性の頭にはないのです。だから本件は決してどっちもどっちではないのです。自分は好きなように振る舞い、他人を利用しても許されるなんという身勝手。これでは、国内で率先してコロナ対策を
推進することなど期待できません。都の予備費は使い切っており、赤字にも、財政再建にも無関心。五輪が終われば、あとは野となれで、国政に向かうつもりでしょう。一日も早く辞任してほしいし、こんな教育をした親の顔が見てみたい。詳しくは下記をご覧ください。
朝日新聞3/9朝刊の社会面から
「黒岩知事発言波紋、小池知事が事実と違う説明」
再延長された新型コロナウイルス対応の緊急事態宣言をめぐり、黒岩祐治・神奈川県知事の発言が波紋を呼んでいる。宣言延長に向けたやり取りで、小池百合子・東京都知事に、事実と異なる説明をされたと主張しているからだ。事実であれば、コロナ対策でワンボイスを強調してきた首都圏4都県の足並みが乱れる事態に発展する可能性をはらんでいる。
黒岩氏は7日のフジテレビの報道番組に生出演した際、次のような小池氏とのやり取りを明らかにした。
1日に小池氏から電話があり、「延長せざるを得ないでしょう」と言われ、黒岩氏は「ちょっと待ってください。もうちょっと数字が見たい」と伝えた。すると小池氏は翌2日、4都県の知事で西村康稔経済再生相と面会することを提案。面会時に出す文書案をみると、2週間の宣言延長を要請する記載があった。黒岩氏が「他の知事は大丈夫なのかな」と尋ねると、小池氏側は、森田健作・千葉県知事と大野元裕・埼玉県知事も賛成していると答えたという。
ところが、黒岩氏が森田氏に電話で確認したところ、森田氏は「『黒岩さんが賛成するから』と(都側が)言うから、俺も賛成しようとなった」と説明したとされる。黒岩氏が大野氏にも問い合わせると、同様の回答だったという。黒岩氏は「それは無理ですよ」と憤り、西村氏との面会はなくなったという。
黒岩氏は、3日にあった4都県知事のオンライン会議で「こういうことをやられると信頼関係が薄れる」と直接抗議。小池氏は「ちょっと先走って、ごめんなさい」と謝罪した、と黒岩氏は説明した。
小池氏は8日、黒岩氏の発言について記者団に、「私は森田知事には直接連絡はしていない」と語ったが、その他のやり取りについては「準備段階の中で色々ある。そういう中で信義則は守っていきたいと思っている。事務方も含めてやり取りをしていた」などと述べるにとどめた。
また、大野氏も8日、2日に黒岩氏から「西村大臣に要請をすると聞いているか」と問い合わせがあり、「大臣にお話しするという話は知りません」などと答えたことを明かした。
1月7日に出た。2度目の緊急事態宣言の前にも、小池氏ら4都県の知事が西村氏に宣言を出すよう働きかけた。菅義偉首相は「後手」に回ったと批判された。
今回の宣言延長に関しても、菅首相は当初、慎重だったとされる。小池氏の望みどおりに知事側か再延長を要請すれば、政府に再び政治決断を迫る構図になる可能性があった。小池氏の動きに、官邸幹部は「自分の働きかけで再延長が決まったとアピールしたかったのでは」とみる。
都は2日付で、西村氏宛ての文書案を作成したとされる。4都県知事の連名で、21日までの再延長を求める内容だった。複数の関係者によると、小池氏はこの文書案をもとに2日に予定されていたオンラインでの知事会議で合意を取り付けようとしたとみられる。
一方、官邸側は小池氏のこうした動きを察知。黒岩氏が当初から再延長に慎重姿勢だったことから、「意見はまとまらない」 (官邸幹部)とみていた。実際、知事らの足並みはそろわず、知事会議は3日に延期された。3日夕、機先を制する形で菅首相が宣言の再延長方針を表明した。
(相原亮、中田絢子、長野佑介、長谷川陽子)
・首都4知事に不協和音生んだ小池知事の独善。
https://toyokeizai.net/articles/-/416430
関連記事。小池の国盗り物語り。
https://diamond.jp/articles/-/265249
コメント:他人は自分を際立たせるための道具か踏み台に過ぎない。徹底した自分ファースト主義。
・とにかく聖火リレーの中止を。
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2021031000001.html?iref=comtop_Opinion_06
3/14に地上波の東京MXで都議会の中継がありました。4時間半を録画で早回しで見ましたが、こういう機会は滅多にありません。無論注目は公明や自民の若手議員と、小池知事のやりとりです。その中で、世田谷区の環八の工事現場で陥没事故が起き、都民が困っているので支援してほしいという要求があり、知事がそれは工事会社と(国道だから)国の問題だと切り捨てました。若い議員はそれはあまりに冷たいと言っていましたが、それで思い出したのは、結局潰えた希望の党で候補を選ぶときに、小池知事が排除の論理を持ち出したことです。今回の質疑は別にして、常日頃、ホームレスやネット難民の問題でも、東京大空襲の被害にも無関心です。そこでは弱者や被害者に寄り添うという姿勢が根本的に欠けているように感じます。その権力志向の政治家が、女性の姿をしているというのは、女性の登用が叫ばれている昨今、ある意味で大きな皮肉だと感じた次第です。
・カンニング竹山が小池知事批判。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5ccef3a813ef48d0c61e9c6759efdaeddc320c22
・東京409人感染。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210317/k10012919531000.html
・宣言、21日に解除の方針。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021031700311&g=pol&utm_source=top&utm_medium=topics&utm_campaign=edit
関連記事。東京都、段階的緩和。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6388006
関連記事。時短応じない店に命令。
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210317/1000061759.html
コメント:今のまま宣言を続けても効果はありません。なぜなら東京都は、宣言だけに頼って、事実上、これという対策を講じてこなかったからです。
私からの提案は、陽性者に多めの休業補償を出し、ホテルを斡旋することで、検査も隔離も進むはずです。陽性者を犯罪者扱いしても、見つけにくくなり、検査を回避するだけで、いいことはありません。私は陽性者を被害者として人間扱いし、救済することこそが、感染者数削減の決め手だと考えています。
ところが、小池知事がやろうとしていることは、時短要請に応じない店には罰則を科するという誰の為にもならない後ろ向きの政策です。しかもこれを強行すれば、戦時中のファシズムの再来で、ひと騒動起きるし、メディアも黙ってはいないでしょう。
小池知事がどうしても宣言にすがりたいのなら、東京都だけにすればよいと思います。無理に首都圏でくくる必要はないのです。
1875.資本主義の限界。21/3/14
今日の前書きは資本論です。題名で敬遠せずに、分かり易いので一読を。
朝日新聞3/13夕刊、「いま聞くインタビュー」 資本論が注目される理由は 白井聡
…資本主義の「限界」が、いたるところで指摘されている。経済成長の鈍化、金融危機、格差の拡大。コロナ禍では感染リスクが高いうえ、過剰な負担を強いられる医療従事者などエッセンシャルワーカーの待遇が悪いことがあらわになった…。
「大きな社会主義圈がなくなり、この道しかない、資本主義しかないという話になった。『資本論』が読まれなくなり、社会的なものの存在目的が、勝手に人間の願望に引き寄せて理解されるようになったと感じます。資本が私たちを豊かにしてくれる、テクノロジーは私たちの生活を楽にしてくれる、国家は国民を守ってくれるためにある、とか。それは違う」
マルクスは資本を、価値を増殖していく運動、つまりお金もうけの運動だと定義する。その目的は、ただひたすら増えることであり、大を豊かにすることではない、と。「資本にはそれ自身の自律的なメカニズムがある。それは私たちの幸せになりたいとか、そんな願望とはまったく違う次元で動いています」
気づけば私たちは資本の運動に従属し、その論理にどんどん包み込まれていく。それが白井さんが重視するマルクスの「包摂」という概念だ。民営化や規制緩和、競争の原理を推し進める、いわゆる新自由主義と呼ばれる政策のもと、白井さんは今や「人間の精神や魂まで資本に包摂されつつある」とみる。生産性の向上を正義とし、自己責任論をかざし、お金をかけて自己投資にはげむ。そんな資本家の価値観を内面化した「資本人間」が生まれている、と。
資本人間になったとして、幸せになれるのか。過去20〜30年間、生産性は上がったものの、日本の勤労者の実質所得は低迷し続けている。「ところが自己投資で自分の価値を高めなければ、という話になってしまう。その価値は『商品』としての価値です。商品の価値は他人が決めるものであり、自分では決められない。だから、価値を高めようとすればするほど自分が空っぽになっていく」
マルクスによれば、資本主義はあらゆるものを商品にすることで自由をもたらす。人々も身分制から解放されるが、それは「労働力」という商品としての自由にすぎず、実質的には自由でない。
どうしたらいいのか。白井さんは、まずは私たちが「それは嫌だ」 「もっとぜいたくを享受していい」と、強く訴えることだと説く。著書ではそれを「感性の再建」と表現した。
「本来、資本主義化にも限度があるはずです。ところが今、それは運命のように受け止められ、人の心を害している。必要なのは、生活の中で資本主義に浸食されていない領域を増やすこと、言い換えれば、私たちの生活を『脱商品化』することです。…自分を演出することが優秀さだ、というような。商品化を一つ一つ暴いて止めていく。それは人間を立て直すこと、そのものなのです」
コメント:白井は「武器としての資本論」の著者です。ちなみにWTWでは20年10月に、3回に分けて本書を抄訳で紹介していますので、併せて参考にしてください。
http://wtw.xsrv.jp/indexessayA119.html
自民党の金権政治の下で、集団(企業や組織)の論理と相いれない主張や理念を、一個人が貫くことはほぼ不可能です。そんなところで自己責任を持ち出すのも見当違いです。共感者を募り、世論の大きな波を立ち上げて、社会の枠組み、すなわち政治や経済の構造を変えていかなければ目的を達成することはできません。
でもその前に、自由主義的(競争主義的)資本主義に代わる「国民が主役」の経済形態のコンセプトを打ち出す必要があります。端的に言えば、21世紀のマルクスを、世界中が待ち望んでいるのです。しかしいかに優れたコンセプトを作り上げても、一気に大規模な政治形態を変革(革命)することは、混乱や犠牲が伴うので、困難です。
そこで、これまで築いてきた民主主義の手順を踏む必要があります。その第一歩として、形がい化し、「企業の走狗=御用組合」に成り下がっている、労働組合の見直しと立て直し、さらには(産業別でなく、地域別の)市民運動のゆりかごとして、(思想や宗教に色付けされない)市民による自由な集会の開催を提案したいと思います。民主主義の基本は、国民(個人)の自由な意志と、その表現にあるからです。
なお明日の前書きは、本記事との関連もあり、雑誌世界4月号の「社会民主主義という選択肢」からお届けする予定です。
1876.デジタル自治体。社会民主主義。21/3/15
白内障の手術後、2週間分のメールをチェックしました。その中に、旧来の読者からのお見舞いのメールがありましたので、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
私が手術して貰ったのは世界的な名医の赤星医師で、日本橋白内障クリニック、秋葉原白内障クリニックが窓口ですが、かかりつけ医の紹介状が必要です。問題のない手術なら、今はどこの病院でも手術してくれるでしょうが、少しでも難易度が高い場合は(私の場合は瞳孔がうまく開かない)、技術と経験のある名医に頼みたいところです。
そこで赤星医師への紹介状を書いてくれる眼科医を探すところから始まります。かかりつけの眼科には術後の手当ても頼むことになります。手術は予約してから1-3か月待ちです。地方の患者には宿泊の案内もしています。なぜなら翌日も検査があるからです。
術後安定するまで一か月掛かるので、毎日、感染防止の目薬の点眼が必要です。術後は振動と眼球の動きに注意する必要があります。保険対応の眼内レンズの場合、後で眼鏡が必要になります。但しもう厚い眼鏡の必要はありません。乱視も矯正されます。日常生活で眼鏡は必要なくなります。
私の場合、免許の更新の際、視力が落ちていることが分かり(検査はぎりで通過)、次回のために手術の決心をしました。白内障が原因で、視力が落ちてきたら、眼科と相談のうえで、手術すれば、想像以上に改善します。私の場合、裸眼0.1(眼鏡をかけても0.7)だったのが、1.0(正確には裸眼ではないが)になりました。
今日の前書きは、雑誌世界4月号からです。昨日の前書き(資本主義)と関連する内容です。
「人々による人々のためのデジタル社会へ」
監視社会化に抗する恐れぬ自治体。内田聖子から
…人びとの暮らしから遠くなった市政に抵抗する住宅運動の活動家や、水道の再公営化を求める「水は命連合」という若者グループなどが合流し、2014年、「バルセロナーコモンズ」という名の市民プラットフォームが組織された。
バルセロナーコモンズは後に地域政党となるが、その最大の目的は、市政・選挙そのものを民主化し、市民参加型にすることだ。背景には政党政治への不信と、国家および欧州連合という巨大な組織への反発があった。具体的には、多様な市民や団体が何度も話し合いを重ね、選挙の際に自分たちが推す独自の候補者リストを作るなどの取り組みを進めたのである。
こうして迎えた2015年の市議会選挙で、バルセロナーコモンズは多くの候補者を当選させ、みごと第一党の座を獲得。選挙名簿の筆頭(市長候補)であったアーダ・コラウ氏が市長の座に就いた。彼女は、反貧困の活動家で、特に家を追い出された貧困層の支援活動を行なってきた。
市民参加型の初めての選挙で、40代の女性の活動家が市長に就くという、まさに画期的な選挙結果であった。…市立保育園や公営住宅の増設、水道はじめ公共サービスの再公営化、自然エネルギーを供給する公営企業「バルセロナーエネルギー」も設立した。
もう一つ、バルセロナ市政の変革が国際的に大きな影響をもたらしたのが、「フィアレスシティ(恐れない自治体)」のネットワークづくりだ。
どの国の自治体も、政策的にも財政的にも、国家によってがんじがらめになっている。グローバル経済の進展の中で大企業や投資家からの圧力も受けている。ヨーロッパの場合、さらにこの上にEUという巨大権力機構が加わり、自治体の政策スペースはかなり限定的だ。こうした構造の中で、住民の暮らしを優先する政治を行なうためには、国家や大企業に自治体は抵抗していかなければならない。この問題意識は、
まさにバルセロナーコモンズが目指すところとも一致していた。
バルセロナ情報局のシレラ氏は次のように語っている。
「コラウ市長が就任し、技術を中心に考えるのではなく、市民を中心に据え、その周りに技術があることが理想と考えるようになりました。私たちは市民のために働いているのですから、それは政治的に正しいアプローチです」
コラウ市長と最高技術責任者が最初に取り組んだのが、市民が市政に参加するためのプラットフォームづくりだった。これは、デシディム」(カタルーニャ語で「私たちが決める」の意味)」というデジタル参加型プラットフォームだ。市民は、市のウェブサイト上にあるデシディムにアクセスし、さまざまな提案ができる。提案に対してはグループディスカッションを組織したり、賛成・反対の意思表示をしたりもできる。提案を政策提言に練り上げるために必要な各種データも、データベースから簡単に閲覧できるようになっている。
こうして市民によって練られた提案は、最終的に市議会に提案され、議論される。市議会での議論もデシディム上で詳しくチェックできるため、自分たちが出したアイデア
がどのように自分たちに返ってくるのか、すべてのプロセスが可視化されている。
この他にも、新たなホテルの許認可をめぐる問題や、路面電車の建設についてなど、住民たちにとって見逃せない生活に直結する議題が数多く議論された。テーマの上位を占めるのは、手頃な価格の住宅、持続可能なエネルギーへの移行、大気汚染の改善、公園など公共スペースの拡充空間などだという。
ここでポイントとなるのが、市民からの提案を実現するための予算だ。年単位で決められている予算から、市民の提案に予算を付け替えることは難しい。だが、バルセロナ市は、「参加型予算」という仕組みを持っている。これは、市の予算のうち一定の金額を参加型予算として予め確保しておき、市民が提案する政策に配分していくというものだ。
ヨーロッパの自治体では参加型予算が広がっており、充てられる予算は少なくても、住民の参加と責任の意識を高めるしくみとして高い効果を出しているところが多い。
もう一つの重要なインフラが、データ主権を実現するためのしくみだ。
スマートシティ計画では、さまざまな形で収集されたデータの取り扱いが常に課題になる。「データ」には、気象や地理データや交通量・人量データ、そして個人が特定されるデータまで含まれるが、住民は当然、個人情報が把握され、流出・悪用される危険に対して懸念している。
私たちはすでにインターネット上での銀行決済を行ない、SNSで大量の個人情報をやりとりしている。個人情報の流出や不正利用の事例も跡を絶たない。巨大IT企業やプラットフォーマーが個人情報を「21世紀の石油」としてビジネスチャンスの源泉としている中、どうやってプライバシーを守るのかは、世界共通のテーマになっている。
EUでは、GAFAの台頭への対抗戦略として、またデジタル社会で個人のプライバシーを保護するための政策として、EU一般データ保護規則などの規制強化を行なってきている。その延長上の取り組みが、2017年に欧州委員会が始めたDECODE(脱中央集権・市民所有型データエコシステム)プロジェクトだ。
DECODEは、オンライン上で生成される個人情報の蓄積・管理、運用に関して、市民自らが個人データの秘匿や共有をコントロールできるようにするしくみである。例えば、自分の移動データについて、公共交通機関には開示するが、保険会社や広告会社には非開示にするというように自分の意志によって選択できる。その際の大原則は、「個人データは企業や政府のものではなく、それを持つ人自身のものである」という「データ主権」の思想だ…。
コメント:とても全文を紹介する余裕はありませんが、常々私たちが感じている疑問の多くに、バルセロナの取り組みが答えているように感じます。ここで私が言いたいことは、一市民であっても、市民に出来る情報を集め、理論武装していかなければ、いつまでも、「嘘も方便」の菅や、「自己顕示欲」の小池のいいように扱われてしまうということなのです。
同じく「社会民主主義という選択肢」変化し続ける社会民主主義、近藤康史から
社会民主主義とは何かという問いに答えるのは、実は難しい。その理由は、内部に多様な潮流を含むとともに、社会の変化にともなって形を変えていく柔軟性を持つからである。…しかし社会民主主義について、最も大枠のところで共通する特徴を挙げるならば、二つあるだろう。第一に、恵まれない人々を代表し、その社会的・経済的立場の改善を目標とする点である。これは「平等」や「社会的公正」といった理念につながる、
…第二に、この改革や革新をどのようなルートで達成するかにも、社会民主主義の特徴はある。つまりそれらを、議会を通じて達成する点である。かつて「修正主義」「改良
主義」とも呼ばれたことにも表れているが、革命のような根本的な変化を議会外活動によって目指すのではなく、議会への代表を増やすことによって少しずつ改革を進める点に、社会民主主義の特徴がある。したがって社会民主主義は、議会での多数派形成を目指す「政党」と切り離せない関係にもある。
しかしこのような特徴を基本としつつも、その中には幅広い潮流を内包している。…
かつての社会民主主義政党は、産業の国有化かケインズ主義的再分配かという点をめぐって、党内対立を抱えていた。近年においても、直接的再分配か、後述する社会的投資かといった問題などをめぐり、社会民主主義政党の中でさまざまな論争がある。
さらに、とりわけ現代においては、社会民主主義がフォーカスする、「恵まれない人々」「平等」「公正」の射程は経済には限られない。ジェンダー、性的マイノリティ、多文化、環境など、問題は多様化している。(以下省略)
コメント:長文の論文のごく一部ですが、著者は後の部分で、経済的オルナタティブとしての存在価値を構築できなかった日本の社会民主主義勢力は、憲法、平和、共生といった形で、文化的次元での存在価値を高めることしかできなかったと指摘しています。すなわち経済と福祉の問題における、理念や構想が曖昧であり、有権者に伝わっていないとしています。
「核兵器の先制不使用と日本政府」田窪雅文から
2021年1月22日、核兵器禁止条約が発効した。日本では、これを受けて、日本も条約に加盟すべきであり、加盟できないとしても、締約国会議にはオブザーバーとして参加し、加盟国と核保有国の間の橋渡し役をすべきだという声が出ている。その声は、反核運動だけでなく、新聞各紙からも上がるなど、拡がりを見せている。しかし、そんなことは可能なのだろうか。そして、日本政府に要求すべきことはそれだけだろうか。
日本政府は、核兵器を先に使用しないという「先制不使用宣言」を米国が発することに反対してきている。これは、日本への核兵器以外の兵器による攻撃についても、核で報復する」可能性があるとの威嚇を続けるよう米国に望んでいるということだ。核兵器禁止条約は、加盟国に対して、核兵器の生産・保有・使用、使用するとの威嚇に加えて、使用や威嚇を核保有国に求めることをも禁止している。つまり、現状のままでは、日本は条約に参加することはできない。また、米国の核の役割低減を阻止している状況では、
条約加盟国と核保有国の「橋渡し」も期待できない。(以下略)
コメント:これが被爆国の取るべき立場とは、どうしても思えないのですが。政府はなんと答えるのでしょうか。
1877.お笑いか、シリアスか。21/3/19
お笑いのシーンでなく、まじめなシチュエーションで、豚の真似をさせることなどは、人間の尊厳を踏みにじる行為であり、論外です。一方で、仮にタレントの方で、贅肉が揺れるダンスを売り物にしているようなら、そこにも問題はあります。いくら芸能評論家が勇気ある挑戦だと持ち上げても、米国の同種の試みは、決してお笑い系からのアプローチではありません。しかも真似をしているらしい、ビヨンセの体型を肥満というのは失礼でしょう。
(タレント自身にではなく)ダンスそのものに不快を感じる者がいるという事にも配慮が必要だと思います。目的の分からないダンスに頼らず、タレントの好感度や人間性で勝負しても、勝負になると思います。米国での成功を狙うのなら、ユーモアのセンスを磨き、そのために良い先生を見つけ、ハリウッドでのチャンスを見つけるためにも、死ぬ気で英語の勉強をする必要があります。今ならそれが十分に可能だと思います。
関連記事。
https://www.47news.jp/sports/contents3/5985598.html
1878.河野洋平。21/3/20
今日の前書きは青木理の最新刊からです。長めの紹介ですが、現代日本の政治情勢を「正しく」理解する一助になると思います。
「時代の異端者たち」青木理 河出書房新社 1700円
時代の先端を走る筋金入りのジャーナリスト、青木と著名人の対談録です。特に私が読みたかったのは河野洋平との対談ですが、今回はその冒頭部分のみをご紹介します。
河野洋平という練達の元政治家と対話すれば、政治の無惨な変質をあらためて思い知らされる。かつてはこのような政治家が政界のどまんなかに存在し、政府や与党の要職を務めていたのだから。
一時は新自由クラブを結成して自民党を飛び出し、金権腐敗にまみれた政治の刷新を訴えた河野だが、以前と以後は一貫して自民党に所属し、党では1993年から総裁を、政府では官房長官や外相、副総理などを歴任した。2009年に政界引退するまでの6年近くは衆院議長まで務めている。
つまりは戦後政治を担った自民党の主流を長く歩み、その政治的スタンスはせいぜいが穏健保守といったところだった。少なくとも、かつての自民党では。
だが、おそらくは宮沢内閣の官房長官として1991年に発した談話−―いわゆる慰安婦問題に関して「心からのお詫びと反省」を表明した政府談話の主と目されたことが作用したのだろう、この談話に妙な憎悪と敵意を燃やして台頭した歴史修正主義者らが盛んに煽り、河野は異様な攻撃にさらされてきた。河野自身、そうした立場からの発言が呼び起こしかねないハレーションを懸念し、最近は積極的発言を自制してきた気配がある。
したがって、これほどまとまった形での発言録は近年珍しい。そしてその発言を記録した本対談は、日本政治の変質と現在の歪みを浮かびあがらせるものになっている。逆に言うなら、かつての保守政治がいかに幅広く、深い叡智を有していたかを思い知らされるかもしれない。「私たちは一度、核の傘を脱いでみたらどうか」などという提言は、昨今の凡百のリペラルもなかなか口にできない。
いや、これもまた保守の側か囗にすることの重みを知っての発言とみるべきだろう。やはりかつての自民党政治は相当にウイングが広く、懐も深く、繰り返しの嘆きになってしまうが、現在のそれとは隔世の感がある。
青木 先の参院選(2019年7月に実施)は50%を割り込む低投票率で終わり、なのに「一強」と称される政権は盤石のようです。河野さんは1967年の初当選から政界引退まで40年以上も衆院議員を務め、自民党の総裁や外務大臣、そして衆院議長などを歴任されたわけですが、戦後70数年が経過した現在の日本政治を率直にどうごらんになっていますか。
河野 いろいろ気になることはありますが、選挙運動のありようが最近は気がかりですね。
青木 というと?
河野 戦後、新しい憲法の下で選挙が行われるようになり、私か最初に出馬したのは50年も前の話ですが、当時、衆議院議員の選挙期間(公示から投票まで)は30日間あったんですよ。それが現在は12日間です。どんどん縮められてしまいました。
また、むかしの選挙は、良し悪しは別にして電信柱にも塀にもビラやポスターをペタペタと貼ったものです。そこには政策などもわりと書いてあったんですが、やりすぎだということでどんどん禁止され、いまは公営の掲示板にポスターを貼るだけです。しかも書かれているのは名前と顔写真程度で、政策や主張はほとんどありません。
青木 確かにそうですね。
(中略)
河野 そうです。立会演説会にはほとんどの候補者はもちろん全員参加しましたが、かつてはそういう選挙だったわけです。そして私の選挙は同じ選挙区から自民党の候補が4人も出ていました。
青木 中選挙区制度でしだからね。
河野 しかも4人の候補が演説会では全員違う話をする。農村の問題をしゃべる大もいれば、商店街の話をする大もいて、外交の話をする大もいる。そこで候補の主張やカラーがはっきりと出るわけです。もちろん社会党の候補も演説するし、共産党の候補も演説をする。
しかし、そうした演説会なども全部やめてしまいました。最近は有権者が選挙への関心を失っていると言われますが、むかしの方がいろいろな方法で呼びかけていたんですね。最近のように公設の掲示板にポスターを貼って、たまに街頭で演説をして、あとは選挙カーで候補の名前を連呼して歩くだけということになれば、やはり有権者は関心を失って投票に行かなくなりますよ。
青木 やはり投票率の低下は大きな問題ですか。
河野 今般の参院選、山本太郎さんの「れいわ新選組」といった新しい政党が登場し、私も注目していましたが、投票率の低下はやはり最大の問題でしょう。48.8%という数字は歴代で2番目に低い。しかも今回の選挙を見ると、期日前投票がかなりたくさんあって、その投票率が16%に達しているんですね。…今回の期日前投票が16%ということは、投票日当日の投票率は30%ほどということですよ。これはもう極端に低い。
投票率が50%を割り込むというのは2人にI人が投票に行かないということで、これだけで大変な事態ですが、投票日の投票率が30%ということは、もはや選挙自体が民意を反映しているとは言えないような事態だと思います。
青木 まさにその点なのですが、今回の参院選で与党は「勝った」と評されています。あれを「勝った」と言えるかどうかも大いに疑問なのですが、有権者全体に占める自民党の得票率は42選挙区でも比例区でも18〜19%程度でした。つまり、20%にも満たない人びとの支持しか得ていないわけです。
河野 そうです。その点に、つまり自民党への支持票の低さという点に触れないまま首相や自民党の幹部は「勝った」「国民は政治の安定を望んだ」と言っていますが、これはとんでもない話だと思います。
それよりも、政治に対する期待感が救いようもないほど低くなってしまったことをまずは取りあげ、おわびするなり、危機感を表明すべきであって、「国民は政治の安定を望んだ」などというのは、自己の都合で事実を曲げて解釈するというミスリードだと思います。
青木 僕の知り合いに40代の女性編集者がいるのですが、もちろん政治意識は決して低くないのに、今回の参院選は投票に行かなかったというんですね。なぜかと尋ねたら、端的に言えば「あきらめ」だと。同じような話を僕は今回、ほかにも何人かから聞きました。
河野 そうでしょうね。いくら投票しても変わらないと。
青木 ええ。なにか良くない方向に行っているのは感じているけれど、いくら投票しても変わらないという[あきらめ]。一方、現政権や与党の支持層だって半数は「ほかに適当な人がいない」が支持理由で、それが最多を占めています。
河野 すごく深刻な現象だと思います。期待感の低さというものは、大部分は与党に向けられていますが、野党に向けられた部分もありますね。野党が本気でひとつになって全力でぶつかり、もしかしたら勝つかもしれないというような形をつくれば、期待感というものがもう少しは出てきたでしょう。だいたい参院選というのは、いつあるかが6年前から決まっているんです。なのに最後まで主導権争いをしてみたり、告示直前までモタモタしていたのでは、期待感が落ちてしまうのは当然です。
一方、圧倒的に強いとされる自民党は、常に現職の候補優先になります。これでは変わりようがない。自民党は最近、変わらないことを逆手にとって「政治の安定が大事だ」「安定しているから経済も順調」「国際的にも認められている」などと主張していますが、現実にはそうではないことを有権者が見抜いている。だから期待感が高まらず、投票率も極度に落ちてしまっている。
(以下略)
コメント:価格が高いのは気になりますが(早く新書版を出すべき)とても読みやすいので、一度店頭で手に取ってみることをお勧めします。ともあれ、ここで二人が語っている選挙の実態こそ、今のような歪んだ政治体制の最大の原因であることを、認識していただければと思います。ところで3/19の参院予算委での蓮舫の質問、大げさなだけで、要領を得ないので、国民の心には響きませんでした。個人のパフォーマンスでした、これだから野党はダメなのでしょう。なお立憲が次の選挙で勝ちたければ、中村喜四郎を幹事長に据える必要があります。福山で勝てるなどと枝野が考えているとしたら、馬鹿も休み休みと言いたくなります。ちなみに民主が大敗した時の幹事長が枝野です。
1879.若者と資本主義21/3/21
今日の前書きは朝日新聞の耕論「反ウォール街若者の乱」からです
「資本主義の空虚さ」佐々木隆治
…盤石に見える資本主義ですが、若者を中心に、あまりにも不公平な現実への怒りが広がっている。コロナ禍という特殊条件もありますが、裏を返せば、巨大資本でなくても市場を揺るがすことができるほどに資本主義が空虚になっている、ということです。
政治権力と金融権力が結託して、低成長時代に投資先を失って余った資金を市場に流し込んで株価をつり上げ、巨大デジタル企業は人々をスマホ漬けにして個人データを独占する。他方で、市民の側か、その技術を逆手に取って連帯を広げ、巨大資本に対抗する可能性もこれまで以上にひろがっています。
私はバルファキスほど楽天的ではありません。技術や知識だけでは、社会は変えられない。資本主義に代わるビジョンを私たちが構想し、気候変動対策を求める運動やブラック・ライブズ・マター運動など草の根の社会運動と連携していく必要があります。
「事件」は忘れ去られるかもしれませんが、小さな体験の積み重ねがうねりにつながっていく可能性はある。それくらい現代の資本主義への不満は広かっている、と私は思います。(聞き手・高久潤)
1880.連合は解体を。21/3/22
・立憲、長野補選で板挟み。
https://mainichi.jp/articles/20210319/k00/00m/010/260000c
コメント:連合は省庁や自民党と同じくらい、国民に迷惑をかけています。今時、時代遅れの反共姿勢(企業内組合だからか)。自組織優先、国民二の次の硬直した労組そのままです。また最近まで派遣にも目を向けませんでした。基本的に視野が狭く、その結果、野党を分裂させ、国民からリベラルな政治の機会を奪いました。敵というよりも、獅子身中の虫、それも巨大なサナダムシです。週刊誌はそろそろこの中身が空洞化した巨木の実態(含む報酬体系)を暴くべきだと思います。